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2010年9月30日4:20 なぜ「分業化=間接的助け合い」を認識できないのか?:競争社会より共生社会を と表現できますね。 夜明け前 よっちゃんの想い (文芸社)の中で 繰り返し 述べていますが、次も参考にしてください。 死後10年経てば、家族、親族の関係はうすくなりますが、100年も経てば、もう殆ど問題ではないですね。 1000年も経てば、自分の国なども拘らなくなると思います。人類の歴史こそ、大事では。 エゴイズムは所詮 空しいですね: 再生核研究所声明 41 (2010/06/10): 世界史、大義、評価、神、最後の審判 声明36(恋の原理と心得)で、元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。 人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 と述べて、人類は 人間存在の原理(人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという三位一体の、デカルトのコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方: 夜明け前 よっちゃんの想い:211ページ)によって、世界の歴史を発展、拡大、深化させていくであろう。ここで、世界史とは 人類が得たあらゆる知識、情報を意味するが、世界史は過去の一切のことについても真相の究明を続けていくであろう。これは真実を知りたいという人間存在の原理に他ならないからである。個々の人間の目標は、 人生における基本定理 (声明12) に述べられているように 生きること、感動できるように生きることであるが、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在であり、個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみれば 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である (声明36)。そこで、人間にとって真に価値あることとは、人類の目標のために貢献することではないだろうか。 人類の営みは世界史によって、表現されるから、世界史のため、人類のため、元祖生命体のために貢献することこそが、真の意味における大義と言えよう。 人類が、世界史が進化していけば、過去の元祖生命体の営みの総体を次第に明らかにして、物事の真相と評価、位置づけ、位置関係を明瞭にしていくであろう。- すでに、グーグルの世界に それらの初歩を見ることができる。神とは全知、全能の存在とされるが、世界の全体を捉えられるのは現在、人類以外に存在せず、未来において、進化した元祖生命体こそが、神に相当する存在ではないであろうか。進化した未来人は 現代人の能力のレべルを あたかも幼稚園生くらいとみ、現在のコンピュータのレベルを 手動計算機程度くらいとみるだろう。そのとき、世界の歴史は、個々の人間の存在の関係 (評価) をきちんと明らかにするであろう。この声明の趣旨は、先ずは 世界の政治家の皆さんに、世界史に耐えられるような上記大義に基づいて、行動して頂きたいと要請しているのです。 小さな自分たちの立場ではなくて、より大きな世界のために高い志の基に、行動して頂きたいということです。 同時に、不正や不義は 歴史的に明らかにされ、真実は必ず、明らかにされるということに注意を喚起することにある。 研究者や芸術家たちは 近視眼的なことに拘らず、己が道を進めばいいのであって、適切な評価は必ず下されると考えるべきです。 マスコミ関係者や解説者の皆さん、思想家たちの皆さん、世界史の評価に耐えられるような高い視点と志で、重要な職務を果たして頂きたいと考えます。 人間にとって価値あることとは、小さな自己の世界に閉じこもらず、上記大義の基に努力することではないであろうか。将来、世界史が明らかにする、世界史の全体における個々の関係こそが、最後の審判ではないだろうか。 それは同時に 未来ではなく、現在、いまの 個々の人間の 深奥に普遍的に存在する神性と良心 に通じていると考える。 それらを捉え、それらに調和し 忠実に生きることこそ、良く生きることに他ならない。 悪いことは苦しいことである。必ず、良心の呵責として、その深奥から湧いてくるからである。他方、大義に生きることは 上記永遠の生命の中に生きることを意味するから、楽しいことである。 滅ぶことも消えることもない。以上- 元のメッセージを表示 - 「根源的な生命的な衝動」て、一体なんでしょう?おそらく「助け合う気持ち」だと推測いたします。例えば、バス乗り場で、迷っている人を見かけたとき、「どの乗り場か、わかります?大丈夫?」と言ってしまうこと。車いすで段差にひっかかって動けない人を見かけたとき、後ろから「大丈夫ですか?」と言って押してあげること。こうした「直接的」なものの拡大として「間接的」なものも該当すると思います。それは「会社で働くこと」が一般的であるが、そのへんの認識が誰しも困難であり、「お金のために働く」と豪語する人がほとんど。なにせ会社は中央集権的な恐怖政治ですから。なぜ「分業化=間接的助け合い」を認識できないのか?(なぜ自己チュー化するのか?)そういう安易な社会性を保つシステムを選んできたからなのか?「安易な社会性を保つシステム」とは「金で釣って働かせる」こと。自由なご意見、お願いいたします。
2010.09.30
2010年9月30日4:19賢くなること は良いことですか?: 大変感じさせられる文章です。 本当に、人間とは、食べて、生きて、子を産み育てるで、大体終わりですね。 すなわち、 動物と本質的に同じだといえると思います。 幸せも、大体同じですね。 そこで、人間とは、人生とは そもそも何かという 1歩進んだ問題が湧いてきます。 いろいろ考えて、 夜明け前 よっちゃんの想い (文芸社) の中で、触れていますが、 特に 次を参考にして ください: 人生、世界の存在していることの意味について再生核研究所声明12 (2007/9/17) 天才教育や世界の在りようについて考えていましたら、結局は人生とは何か、存在している意味、目的が大事であると考えました。なぜならば、この世の全ての問題は、結局は一人ひとりの心の問題に帰するからです。そこで、次の文章を思い出したので引用して、全ての基礎にしたいと考えます。人生における基本定理 ......1995 年1月13 日朝、目覚めの後、ひとりでに数学のアイディアがうかんだときのように、「人生の意義は、......にある」という言葉がわいてきた。 私はもの心ついてから......自分が生きていること、そして死ななければならないことを知って以来、人生そのものの意味について、最も中心的な問題として考えてきた。その核心は、人間は生まれ、生き、死んでいくものであるが、それらがどのような意味があるのか、そして、そのような人生においてどれ程の価値があるのかという、半ば悲観的な見方......実際、人生は何の意味もないのに、人は死にたくないから、そして人並みにあるいは人並み以上になりたいから、あるいは人に尊敬されたいから等の漠然とした気持ちで生きているのではないか、と。また、そのような人生、人間の目標はどのようなものか、という基本的な問題への疑問であった。「人間としての存在の究極の意味、価値は」「人類の目指すべき基本的な方向とは」21第1章 美しい社会のために これらの基本的な問いについて、私が、全体的に、直観として得た解は、「人生の意義は、感動することにある」 というものである。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というような、人生における真剣な問いについて、これは十分な解答になっていると思われる。 人類の価値──真、善、美、聖──などの基礎を、我々の素朴な「感動させるもの」におき、また同時に生と死を、感動することと感動の止むことに置き換えれば、我々は死を安らかに受容できると思われる。 人類の永遠の課題──神、自由、不死──の解決のための確かな道筋を与えるばかりではなく、人間存在における三位一体の理──存在、知、愛──を、渾然一体のもの「感動」として捉らえたことになろう。 また、藤村操は、「......人生は不可解である......」という遺言を残して自殺したが、彼を何かに真に感動させ、「人生の意義は、感動することにある」として、彼を救うことができたかもしれない。何が「人間を感動させるのか」を問うて行けば、「人生如何に生くべきか」の基本的な方向を捉えることができるし、それは多くの人間が素朴に、あるいはぼんやりと抱いていたものと大きな相異はなく、この「人生における基本定理」は、多くの人間によって受け入れられるばかりではなく、新鮮な感動をもって人生の基本的な指針を与えてくれると思われる。?謝辞 群馬大学名誉教授の松井弘次先生の本、『色にまみれて』を読み、先生の「愛と熱情」に「感動した」と同僚達に述べているうちに、基本定理は自然に思い浮かんだものであり、「魂の解放」22第1章 美しい社会のためにに導いて下さった先生には深い感謝の気持ちを表したい。?追記 基本定理を自覚した後の心情は、・人生はそれ以上のものではないという寂しさ、さまざまな人生の肯定・何か絶対的で永遠的なものを失ったような寂しさ・感動できる人生を送ることは容易ではなく、逆に人生は苦悩に満ちている・人生のことは、考えれば考えるほど、わけが分からなくなる 等であるが、それにも関わらず、人生の方向と限界を知り、夢中で人生を送っているよりは、はるかに賢明になったように感じている。(群馬大学工業会報より抜粋)?参考 藤村操が遺書として残した「巌頭之感」の本文 悠々たる哉天壤、 遼々たる哉古今、 五尺の小躯を以て比大をはからむとす、 ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを 價するものぞ、 萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。 我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。 既に巌頭に立つに及んで、 胸中何等の不安あるなし。 始めて知る、 大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。 現代ではものすごく高度な教育が得られます。その気になればたくさんのことが学べると思います。しかしあまりに賢すぎるのも人間的でないと思うのですが。(自分に合ったほどがいいのでは)平凡なほうが幸せな人生が送れると思うのですが、どう思いますか?(確かに幸せの観点からはいえますね。人生や将来のことを考えると苦しみの方が多いと言えますね。 道を求めるとますます苦しくなる) 確かに学ぶのは楽しいし、日本人は勤勉です。(楽しいならいいのでは、ないでしょうか。自分の心が決めるものですね)自分は勉強は好きですが、一方で「馬鹿にならなきゃいけない」という思いが小さなころからありました。 その直観は鋭く、適切ではないでしょうか。
2010.09.30
2010年9月30日4:26 「中国の防衛費、透明性必要」前原外相インタビュー要旨: これは身勝手な 意見ではないでしょうか。 中国から見れば、 小さな島の日本で、 なぜ 世界 第2、3位の軍事費をかけ、更に超大国 アメリカの庇護を求め、沢山の基地を有しているのかということになると思います。 中国は 侵略された経験があるが、日本を侵略したことは 1度もないと言うでしょう。 日米は、中国、その他を圧迫しているように 見えないでしょうか。 日米の圧迫を緩めなければ、それに対抗する必要があると考えるのは 当然ではないでしょうか。 お互いに戦前のように、侵略することは時代遅れであり、 国内治安が 軍の大きな任務ではないでしょうか。次を参考にしてください:日本の対米、対中国姿勢の在りようについて再生核研究所声明25 (2009/07/01) 世界の大国、アメリカと中国の存在は、それら両国を抜きにして、世界の平和や経済問題など、語り得ないことはもはや自明の事実である。したがって、それら両国と日本国がどのように向き合うかは国家の重要事項である。日本国の位置づけを行う上でも重要な視点になる。そこで、日本国の在りようの視点から考察を行いたい。 まずアメリカに対する評価であるが、第一に、日本国はアメリカを主とした国々に無条件降伏を行い、しかも戦後復興を援助してくれた国として、別格の位置づけを行い、友好親善関係を深めていくのは当然である。さらにアメリカは、民主主義の大国であるばかりではなく、経済、軍事においても、文化においても世界を指導できるただ一つの超大国であると評価できる。それゆえに、日米安保条約などの関係もそれなりに理解できるものである。しかしながら、戦後60 年を超えて、外国軍が駐留を続けている状況は異常な状態と言わざるを得ない。いまだ日本には敗戦の傷を負い、独立心と自立心に欠け、対米従属の精神が抜けきらないのは、はなはだ残念である。大抵の国々が敗戦を経験したり、過ちを犯してきているのは当たり前なのに、日本国はたった一回の敗戦で、独立国家としての気概を失っているのは誠に残念である。すなわち、アメリカに対しては別格の友好親善関係を維持しながら、敬意を表しつつ、日本国は国家としての独立性と自立性を図るように、より努力することとしたい。これは軍事、経済面ばかりではなく、文化や精神面においても、である。92第3章 外交・軍事 次に、対中国問題であるが、まず、中国はいわば日本の故郷に当たるという格別の認識を確認すべきである。日本人の多くは中国に行って、兄弟や親族と間違えるような人々に会い本当に兄弟国であることを知るでしょう。さらに漢字や儒教を通して、多くの文化の強い影響を受けていて、世界の文化圏から見れば、日本は中国の文化圏の一部であるとみられよう。しかるに中国を嫌ったり、警戒したり、あるいは敵視するような一部の人たちの見方は、はなはだ視野の狭い、独断と偏見に満ちたものであるといわざるを得ない。日本国は、いつも大国中国に対しては、特別な敬意をもって、母なる大国として当たるべきである。 アメリカと中国との友好関係を深め、世界の平和は両国を中心として、国連常任理事国などに任せ、日本は最小の専守防衛の自衛軍を備えるというのは、日本国の在りようの基本として良いのではないかと考える。 日本国は、軍事や国際平和の問題を任せて、謙虚にして、内実を図り、文化や経済などで発展し、国際貢献していけば良いと考える。その時、日本国憲法の精神が理想ではなく現実に実践できる時代を迎えることができると考える。 皆さん、軍隊などはなくても、誰も侵そうなどとはしない、美しい国、日本国を築こうではありませんか。暮らしが大事、内実が大事ではないでしょうか。世界に誇れるような、北欧諸国や、ポルトガルのような文化国を作ろうではありませんか。 この日本国の在りようは、集団防衛構想や敵地攻撃を検討したり、防衛力増強を図る立場とは激しく対立する日本国の在りようとして、現実的に極めて重い意味を有するのです。背景には、国、地方の1000 兆円を超える借金と慢性的な財政赤字、疲弊した日本社会と少子高齢化社会、荒廃した日本の教育などに対する配慮があるのです。
2010.09.30
2010年9月29日9:14 「意図的改ざん、特捜部長らに報告」 前田検事が供述:考えられないようなことが どうして起きたのか、良く検証して欲しい。 お手柄を立てるためとしても、人を陥れる行為ですから、悪質に当たる と思います。 民主党代表選挙において 小沢氏を 古い、しかも裁判も経ていないのに、 政治とお金の問題 を 騒ぎ立てて、 政敵を振るい落とそうとした 悪質な行為と 同じようではないでしょうか。 人権侵害も はなはだしい。 歴史は 暗黒事件として、厳しい批判を下すと考えます。 秘書の逮捕、起訴事件における検察庁の対応と公正の原則再生核研究所声明23 (2009/04/02) 先の参議院選挙の結果、与野党の歴史的な逆転が生じ、小沢氏を中心とする政権交代の機運が高まっていた折り、小沢氏の秘書の逮捕、起訴事件が起きた。この件について、素朴な疑念を感じざるを得ない。なぜこの段階における逮捕、起訴かの問題である。 検察庁は、長い間の多額の企業献金は無視できないと述べているが、これは不正を黙認、認めてきたことを示しており、もしそうならば、そのようなことは許されることと理解するのは、慣例、普通である。検察庁は法を守る立場であるから、長期や多額になる以前に、事情聴取などをして注意を喚起すべきである。これでは、わざわざ犯罪を犯すのを待っていて、逮捕を意図的にしていると考えるのは当然である。 立法府の責任ある野党の党首が、法に反していないと判断されている事情は、法の解釈によって異なる点があることを示している。それでは、逮捕する以前に、多年にわたる以前に、事情聴取などして、法の精神や解釈をすり合わせ、違法な状態が拡大しないように配慮するのは、法の番人たる検察庁の義務であり、在りようであると考える。 小沢氏側は、お金をすべて公開していること、これは重要な点である。これは少なくとも小沢氏側は公明正大にお金を集めていることを天下に示している。闇にお金が動いていたのとは全然違う状態である。 われわれは、より良い社会を作るにはどのようにすれば良いかと考察して、次のように考えている:どうしたら美しい社会を築175第5章 日 常けるでしょうか。一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。 平成12 年9月21 日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。 1)法律、規則、慣習、約束に合っているか。 2)逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。 3)それはみんなに受け入れられるか。 4)それは安定的に実現可能か。 これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。 現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば──これは容易なことではないが──世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。 また、こういうことを考える教育は、人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし、環境の保全などにも貢献すると思います[再生核研究所声明1(p.26)抜粋]。 これは、社会の秩序をうまく保ち、美しい社会を築く原理として考えたものであるが、今回の事件は、1にも2 にも抵触すると考える。永年放置すれば、それは慣習、習慣として、許されるものと考えるのは当然である。そうでなければ、忠告や警告をして、法の精神を徹底させるのは、法の番人たる検察庁の義務である。 いきなり逮捕では乱暴な処置と考える。このようなことでは日176第5章 日 常本人はいつ突然逮捕されるか分からず、人々は安心して生活ができなくなってしまう。 さらに、政権交代が話題となり、総選挙が間近に迫っている時の、このような事件は3にも抵触すると考える。政権交代は国家権力の移行であり、野党の党首の役割は極めて大きな社会的な存在である。逮捕、起訴事件が最近、実際に示しているように、大きな影響を社会に与えるからである。このようなことで、小沢氏が代表辞任となれば、結果的には、検察庁が直接政治を動かしたという重い事実が歴史に残ることになる。逮捕、起訴の適否は、やがて裁判によって決着が付けられるが、その時にはもはや結果によらずに、歴史は動いてしまうという極めて重い責任を考えれば、3に著しく抵触すると考えざるを得ない。 国家権力が、軍事、検察、裁判、教育、官僚機構、経済界、マスコミなど広範に影響を及ぼすのは、いわば普遍的(不変的)な事実(真実)である。従って、主権者たる国民は、国家権力がいろいろな悪い癒着構造を起こしていないか否かを絶えず検証し、警戒することは重要であり、マスコミなども民主主義が衆愚政治に陥らないように、国民とともに真剣に歩むことが期待される。ところが、マスコミなども、物事の本質と重要性を曖昧にして、軽薄な議論、論調、扱いが多いと言わざるを得ない。今回の事件は極めて重要な事件であり、日本国民は、日本国の民主主義が言論の自由を確かに保障し、法の番人で、公正と正義を実現させる国家の中枢である検察庁が適切に機能しているか否かを、また、日本国民が真に国家の主権者であるか否かを厳しく、検証すべきである。 2010年9月29日15時0分
2010.09.29
2010年9月25日9:02 いつから日本人は腑抜けになったのか?: 小さなことに拘って、大局を見失わないように するのがいいのでは ないでしょうか。 今回の場合などは、 大げさにしないで、外に追い返せば 良いのです。 迷い込んだ小鳥は うまく追い返すのですが、 意図的な場合は 挑発している可能性も あるので、更に のせられないように 慎重にですね。法の問題を厳格に 両国が実行すれば、戦争に巻き込まれる 可能性が 出てくるので、 国境間のことは 対応も慎重にですね。 アメリカや中国などとは 対立的な姿勢はとるべきではない のではないでしょうか。 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて再生核研究所声明25 (2009/07/01) 世界の大国、アメリカと中国の存在は、それら両国を抜きにして、世界の平和や経済問題など、語り得ないことはもはや自明の事実である。したがって、それら両国と日本国がどのように向き合うかは国家の重要事項である。日本国の位置づけを行う上でも重要な視点になる。そこで、日本国の在りようの視点から考察を行いたい。 まずアメリカに対する評価であるが、第一に、日本国はアメリカを主とした国々に無条件降伏を行い、しかも戦後復興を援助してくれた国として、別格の位置づけを行い、友好親善関係を深めていくのは当然である。さらにアメリカは、民主主義の大国であるばかりではなく、経済、軍事においても、文化においても世界を指導できるただ一つの超大国であると評価できる。それゆえに、日米安保条約などの関係もそれなりに理解できるものである。しかしながら、戦後60 年を超えて、外国軍が駐留を続けている状況は異常な状態と言わざるを得ない。いまだ日本には敗戦の傷を負い、独立心と自立心に欠け、対米従属の精神が抜けきらないのは、はなはだ残念である。大抵の国々が敗戦を経験したり、過ちを犯してきているのは当たり前なのに、日本国はたった一回の敗戦で、独立国家としての気概を失っているのは誠に残念である。すなわち、アメリカに対しては別格の友好親善関係を維持しながら、敬意を表しつつ、日本国は国家としての独立性と自立性を図るように、より努力することとしたい。これは軍事、経済面ばかりではなく、文化や精神面においても、である。92第3章 外交・軍事 次に、対中国問題であるが、まず、中国はいわば日本の故郷に当たるという格別の認識を確認すべきである。日本人の多くは中国に行って、兄弟や親族と間違えるような人々に会い本当に兄弟国であることを知るでしょう。さらに漢字や儒教を通して、多くの文化の強い影響を受けていて、世界の文化圏から見れば、日本は中国の文化圏の一部であるとみられよう。しかるに中国を嫌ったり、警戒したり、あるいは敵視するような一部の人たちの見方は、はなはだ視野の狭い、独断と偏見に満ちたものであるといわざるを得ない。日本国は、いつも大国中国に対しては、特別な敬意をもって、母なる大国として当たるべきである。 アメリカと中国との友好関係を深め、世界の平和は両国を中心として、国連常任理事国などに任せ、日本は最小の専守防衛の自衛軍を備えるというのは、日本国の在りようの基本として良いのではないかと考える。 日本国は、軍事や国際平和の問題を任せて、謙虚にして、内実を図り、文化や経済などで発展し、国際貢献していけば良いと考える。その時、日本国憲法の精神が理想ではなく現実に実践できる時代を迎えることができると考える。 皆さん、軍隊などはなくても、誰も侵そうなどとはしない、美しい国、日本国を築こうではありませんか。暮らしが大事、内実が大事ではないでしょうか。世界に誇れるような、北欧諸国や、ポルトガルのような文化国を作ろうではありませんか。 この日本国の在りようは、集団防衛構想や敵地攻撃を検討したり、防衛力増強を図る立場とは激しく対立する日本国の在りようとして、現実的に極めて重い意味を有するのです。背景には、国、地方の1000 兆円を超える借金と慢性的な財政赤字、疲弊した日本社会と少子高齢化社会、荒廃した日本の教育などに対する配慮があるのです。 尖閣諸島の事故の件で、中国の船長が釈放されるようです。中国の圧力に屈したわけですが、いつから日本人はそんな腑抜けになったのでしょうか?それとも、民主党だけが腑抜けなのでしょうか?いったい日本は何のために法律があるのでしょうか?ところで、これは哲学カテでよかったのでしょうか?
2010.09.28
2010年9月28日9:03「意志が弱い」を治す方法は?貴方は十分に強くて、賢明ではないでしょうか。 心配することはありませんね。人間は、 自分の好きなように すれば いいのではないでしょうか。しかしながら、 ここが問題ですね。 自分の好きなように生きるには どうしたらいいかですね。自分は 本当は 何を求めているでしょうか。 それは 年齢、環境によって変化すると言うことですね。人生、世界の存在していることの意味について再生核研究所声明12 (2007/9/17) 天才教育や世界の在りようについて考えていましたら、結局は人生とは何か、存在している意味、目的が大事であると考えました。なぜならば、この世の全ての問題は、結局は一人ひとりの心の問題に帰するからです。そこで、次の文章を思い出したので引用して、全ての基礎にしたいと考えます。人生における基本定理 ……1995 年1月13 日朝、目覚めの後、ひとりでに数学のアイディアがうかんだときのように、「人生の意義は、……にある」という言葉がわいてきた。 私はもの心ついてから……自分が生きていること、そして死ななければならないことを知って以来、人生そのものの意味について、最も中心的な問題として考えてきた。その核心は、人間は生まれ、生き、死んでいくものであるが、それらがどのような意味があるのか、そして、そのような人生においてどれ程の価値があるのかという、半ば悲観的な見方……実際、人生は何の意味もないのに、人は死にたくないから、そして人並みにあるいは人並み以上になりたいから、あるいは人に尊敬されたいから等の漠然とした気持ちで生きているのではないか、と。また、そのような人生、人間の目標はどのようなものか、という基本的な問題への疑問であった。「人間としての存在の究極の意味、価値は」「人類の目指すべき基本的な方向とは」21第1章 美しい社会のために これらの基本的な問いについて、私が、全体的に、直観として得た解は、「人生の意義は、感動することにある」 というものである。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というような、人生における真剣な問いについて、これは十分な解答になっていると思われる。 人類の価値──真、善、美、聖──などの基礎を、我々の素朴な「感動させるもの」におき、また同時に生と死を、感動することと感動の止むことに置き換えれば、我々は死を安らかに受容できると思われる。 人類の永遠の課題──神、自由、不死──の解決のための確かな道筋を与えるばかりではなく、人間存在における三位一体の理──存在、知、愛──を、渾然一体のもの「感動」として捉らえたことになろう。 また、藤村操は、「……人生は不可解である……」という遺言を残して自殺したが、彼を何かに真に感動させ、「人生の意義は、感動することにある」として、彼を救うことができたかもしれない。何が「人間を感動させるのか」を問うて行けば、「人生如何に生くべきか」の基本的な方向を捉えることができるし、それは多くの人間が素朴に、あるいはぼんやりと抱いていたものと大きな相異はなく、この「人生における基本定理」は、多くの人間によって受け入れられるばかりではなく、新鮮な感動をもって人生の基本的な指針を与えてくれると思われる。?謝辞 群馬大学名誉教授の松井弘次先生の本、『色にまみれて』を読み、先生の「愛と熱情」に「感動した」と同僚達に述べているうちに、基本定理は自然に思い浮かんだものであり、「魂の解放」22第1章 美しい社会のためにに導いて下さった先生には深い感謝の気持ちを表したい。?追記 基本定理を自覚した後の心情は、・人生はそれ以上のものではないという寂しさ、さまざまな人生の肯定・何か絶対的で永遠的なものを失ったような寂しさ・感動できる人生を送ることは容易ではなく、逆に人生は苦悩に満ちている・人生のことは、考えれば考えるほど、わけが分からなくなる 等であるが、それにも関わらず、人生の方向と限界を知り、夢中で人生を送っているよりは、はるかに賢明になったように感じている。(群馬大学工業会報より抜粋)?参考 藤村操が遺書として残した「巌頭之感」の本文 悠々たる哉天壤、 遼々たる哉古今、 五尺の小躯を以て比大をはからむとす、 ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを 價するものぞ、 萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。 我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。 既に巌頭に立つに及んで、 胸中何等の不安あるなし。 始めて知る、 大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。私は意志が弱い。いや、トータルで客観視すれば強い方かも。要は、周囲に流されにくい人間だが、短期的には意志がモロくて短絡的快楽に偏りがちだ。どうすれば意志の弱さを克服できるか?自由なご意見、お待ちしております。(私の場合は偏向した思考回路なので一般的な回答しか期待できませんが。。。)
2010.09.28
2010年9月26日9:59 日本人最大の弱点とは何だと思いますか?: 大変鋭い意見で、このような問題意識は 素晴らしいですね。 私の説は、ご指摘のことは 真実と思いますが、 合理的な、論理的な思考能力の欠如と真理の追究、真実の追究に甘さがあって、ごまかしや、いい加減なところが多いですね。 人生、世界についても考察が甘い と言う弱点があると思います。 欧米では時間を越えて 真理、真実を追求しようとする文化がある (これは神の前に出るときには 清い心で望みたい という宗教が背後にあるように感じられる) のに比べて、日本には 誤魔かしたり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに 深く根ざしているとも言える。 私はズバリ言って、「視野の狭さと国際感覚なさ、そして、コミュニケーション能力の低さ」だと思います。管首相の国連等の姿を見ても、この人はこのような場に出てくるような人ではないと感じます。内閣の他の顔ぶれを見ても同じです。海外経験もなく外国人と付き合ったこともない。当然外国語もできない。そのような人達に外交は最初から無理だと思います。外国との間で問題が起こるといつも日本人の短所が出てしまう気がします。みなさんが思う、日本人のダメなところを教えてください。
2010.09.27
2010年9月27日9:05 「無邪気さ」は罪ですか?: これは とても難しい質問です。 無邪気さを 批判する人はいないのではないでしょうか。しかしながら、大人が、子供のように無邪気だと、ある意味で 成長していないともいえますので、何か問題が生じますね。 何かとは、一言で言うと 現実離れをしていて、地に付いていないような場合ですね。子供が現実離れをしているのは、経験が足りないわけですから、仕方のないことです。 そのようなことは 大人になれば、無責任 ともとられるのではないでしょうか。子供のころの無邪気や憧れや夢は 大事にして、 現実の世界で 実現していくような努力こそ大事ではないでしょうか。 逆に大人びて、 無邪気さも夢もなくなっては 寂しいですね。 一般に考え方も評価も 環境や年齢にもよってきますね。 私は、子供っぽい未熟な大人です。「君は己の幼児性と闘った方がいいよ」と、言われております。例えば、尊敬する人物に「兄さん」と言ったりして。。。何か甘えているのでしょう。どういう方向修正が必要なのでしょう?「無邪気さ」は罪ですか?
2010.09.27
2010年9月26日10:00この機に9条改正し自衛隊を軍隊にする事にまだ反対しますか? 今回の状況を詳しく調べていませんが、そのような発想は危険で、 危険性を拡大するだけだと思います。 いろいろ提案していますが、声明8と25を参照してください。 文中で少し、意見を述べさせて頂きます。 今回の中国の行動は北朝鮮と同じでまさにヤクザの論理だと思います日本の周辺は変な国ばっかりです。 少し大人げないと見られますね。中国の軍隊は国民の軍隊ではなく共産党の軍隊であり中国政府は民意を反映していません。そんな国や軍隊は旧日本軍がそうであったように暴走する危険を含んでいます。そのような面は、注意をする必要がありますが、中国の世界は開かれているので、 第2次世界大戦のような状況にはなりえないですね。 そんな危険な国が横にあり,今回まさに不意を付かれて屈辱を味わったのです。情報は きちんと捉えておくことは 大事ですね。 侵略される方は隙ありとなりますね。 ここに来てまだ憲法改正に反対する人がいる事に不思議で仕方ありません そこで、軍備をもって 国が守れるでしょうか。 無駄な努力をして生活を苦しくすべきでしょうか。軍備を整えれば 安全は 妄想ではないでしょうか。 数分で叩き潰すことができるアメリカが、 いろいろ振り回されているのは、なぜかと考えるべきではないでしょうか。 冷静に、とか、外交で、話し合い・・そんな事の通用する国ではないのです、北朝鮮でも同じですが人質をとって交渉の道具にするという国家犯罪でも平気でする国なのです。 それらの国の戦略を超える、戦略がどうして考えられないのでしょうか。 私は提案しています。 声明37です。 日本の取るべき道は日米同盟の強化と、 なにより自国は自国で守るという強い意志でしょう。まだ冷静になんて言ってたら沖縄まで取られますよ。自国は自国で守るという強い意志 これは賛成です。 賢くなって、寄せ付けないようにですね。 最低でも軍事費の増強と憲法改正の準備は必要だと思います。 これは、マイナスで、悪くするだけですね。 どのように軍事を使うのでしょう。 アメリカでもできないことを。 自衛隊を軍隊にしたからと言って戦争する訳ではないですよ。なぜ軍隊にすることに反対するのですか?なぜ 守りを強固にする事に反対するのですか?賢い軍隊を持って、 戦争を避ける方向ですね。 反対の方 簡単に論理を教えてください?この種 難しくするとキリがありません 簡単にお願いします 日本国の防衛の在り方について再生核研究所声明8 (2007/8/1) 国家には多かれ少なかれ軍隊が必要であり、国の治安を維持し、国に住む民の安全を保障することは、国家の最も基本的な任務である。そのために軍事費と軍関係の経費は、この21 世紀を迎えても、多くの国々で国費の大きな部分を占めている。日本の2000 年近い歴史の中で、日本をまともに攻めて来たのは、いわゆる蒙古襲来と第二次世界大戦だけであり、あとは逆に侵略の戦争であり、その他における日本の軍の多くの役割は、国内統一と治安の維持の役割を果たしてきたと言えよう。現在の国際状況と国内状況は、侵略を受ける危険性と国内治安上の観点からどのように評価されるであろうか。 まず、侵略を受ける危険性は殆どないと言えよう。殆どでは国の安全は保障されず、よって不安であるという意見が出て来ると考える。先ず北朝鮮がロケットを発射して日本を脅かす、中国軍の増強は危険である、韓国が日本の領土を侵す、ロシアが日本の国境を侵すなどの不安があると考える人がいるだろう。北朝鮮の問題は最も危険であると考えられよう。これらからの安全のために、集団防衛構想を進め、いわばアメリカの傘の下で日本の安全を保障していく戦略が、実際、現在の日本政府の基本的な方針であると考えられる。安保条約もその表れと解釈できよう。 しかしながら、果たしてそうであろうか。仮にロケットを発射して日本を脅かし、あるいは実際にロケットその他で日本を攻撃してきたとき、日本が何の抵抗もしなかった場合、北朝鮮は攻撃79第3章 外交・軍事を続け、何か利益を得ることができるであろうか。第二次世界大戦以前ならばいざ知らず、現在においてはもはやそのようなことはあり得ないと考える。日本の国際社会における大きな役割と国際社会の発展は、決してそれらを許さないと考える。日本の経済活動が停滞すれば、アメリカも中国も、また、国際社会も直ちに重大な被害を直接受けるからである。 もっと重要な観点がここで考えられよう。超大国アメリカは軍事大国であり、国是として自由と正義を希求し、正義のためには戦争も辞さない、いわばエネルギー溢れる国であるということである。イラク問題ではアメリカの正義は揺らいでいるが、3500名以上の犠牲者を出し、膨大な軍事費をかけて出兵しているのは、アメリカの国益がかかっているものの、大義としては、世界の正義(大量破壊兵器の破壊と独裁主義の排除)とアメリカのエネルギーの高まりと理解されよう。世界の平和と正義のための、アメリカの民主主義と力を重く評価したい。他に触れた危険性については、遥かに危険性の小さなことで、国境のいざこざが生じても大した問題ではないと判断される。実際、2000 年来一度も侵略してきたことのない国々に対して危険であるというのは、逆から考えれば大変失礼なことではないであろうか。 第二の国内治安上の問題については、日本は大変よくまとまった民主主義国家であるから、殆ど問題はないと判断される。しかしながら、この点において日本の防衛は危ういということを特に触れておきたい。日本人の心を痛めている、いわゆる拉致問題であるが、これはいわば国内治安の脆さを露呈したもので、このようなことを許した日本国の責任は重大であると考える。日本の領土、海、空を侵されては、国家としての形は整わず、防衛構想の80第3章 外交・軍事根本的な在り方についての点検と強化が必要であると考える。これは平常兵器による国防の強化と情報戦に対する強化を意味しています。 以上の考察のもとに、日本国の防衛構想と防衛戦略を提案したい。先ず第一に、日本は一度の敗戦で、独立心と自信を失ってきていて、アメリカ従属の精神から抜け出せないのは誠に残念である。歴史と外交は重いものであるから現状を一旦尊重して、今後の方向を慎重に検討していく必要がある。アメリカの民主主義と力を重く受けとめて、日米安保条約はこれを当面堅持していくとして、方向としては、 駐留なき安保を目指し、軍事的には、アジア諸国に脅威を与えないように、縮小する方向 で努力することとしたい。アメリカの要請を受けて、安保条約の強化と軍事的な貢献を求められている状況があるが、日本は平和憲法の精神で、アメリカの軍事力も世界の軍事力も縮小していく方向で努力していくものとしたい。これはアメリカと世界の利益にも適う道であるとしたい。さらに、 兵器開発や軍事産業、研究を、民生を豊かにし、環境を保全していく方向に転換させ、力を向け、 平和のために、憲法の精神のもとで積極的に努力し、軍事費の減少を世界的に働きかけていく......。 そのように努力したい。日本の軍隊は防衛に徹して、平常兵器による日本の陸、海、空を防衛し、特に情報戦に備えるための強化に努める。特に世界の状況を絶えず深く分析して、危機に有効に対処すべき戦略を練り、具体的な対応ができるようにすること。上記考察に従って、軍事費を縮少させ、質的な強化の方向を目指すものとする
2010.09.27
検察を指導:菅も仙谷も、外交なんて全くの門外漢だ。恫喝(どうかつ)され、慌てふためいて釈放しただけ。中国は、日本は脅せば譲る、とまた自信を持って無理難題を言う。他のアジアの国々もがっかりする」。党幹部はうめいた。(2010年9月25日03時16分 読売新聞)このニュ-スは詳しく調べていませんが、かつて北朝鮮の指導者の息子さんが、密入国したのを 捕捉したものの、驚いて超法規的に追放した前例がありますね。この問題は、外交問題と考えて、政府の指導で、責任で進めるのが適切と思います。法と正義を貫いても戦争になったり、国益を失っては元も子もありません。 国益優先で対応を考えたいと思います。 鈴木氏の問題や、小沢氏の問題も、巨大な国益を損ねていることを、関係者が理解できず、視野の狭い考え方をしていると思います。国境などでは 無理に逮捕や拘束などはしないで、国外に出すようにするのがいいですね。 野蛮な国は 直ぐに武器を使いますが。政府に検察を指導するのにためらいがあるように報道されていますが、それはおかしいのではないでしょうか。 その辺はしっかりしないと、戦争にすら まきこまれてしまいます。
2010.09.25
2010年9月24日9:08何のための生命??:これは 真面目に人生をかけて 考えてきたことですが、 夜明け前 よっちゃんの想い (文芸社)の中で、いろいろ述べています。 特に次を 参考にしてください。人生、世界の存在していることの意味について再生核研究所声明12 (2007/9/17) 天才教育や世界の在りようについて考えていましたら、結局は人生とは何か、存在している意味、目的が大事であると考えました。なぜならば、この世の全ての問題は、結局は一人ひとりの心の問題に帰するからです。そこで、次の文章を思い出したので引用して、全ての基礎にしたいと考えます。人生、世界の存在していることの ……1995 年1月13 日朝、目覚めの後、ひとりでに数学のアイディアがうかんだときのように、「人生の意義は、……にある」という言葉がわいてきた。 私はもの心ついてから……自分が生きていること、そして死ななければならないことを知って以来、人生そのものの意味について、最も中心的な問題として考えてきた。その核心は、人間は生まれ、生き、死んでいくものであるが、それらがどのような意味があるのか、そして、そのような人生においてどれ程の価値があるのかという、半ば悲観的な見方……実際、人生は何の意味もないのに、人は死にたくないから、そして人並みにあるいは人並み以上になりたいから、あるいは人に尊敬されたいから等の漠然とした気持ちで生きているのではないか、と。また、そのような人生、人間の目標はどのようなものか、という基本的な問題への疑問であった。「人間としての存在の究極の意味、価値は」「人類の目指すべき基本的な方向とは」21第1章 美しい社会のために これらの基本的な問いについて、私が、全体的に、直観として得た解は、「人生の意義は、感動することにある」 というものである。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というような、人生における真剣な問いについて、これは十分な解答になっていると思われる。 人類の価値──真、善、美、聖──などの基礎を、我々の素朴な「感動させるもの」におき、また同時に生と死を、感動することと感動の止むことに置き換えれば、我々は死を安らかに受容できると思われる。 人類の永遠の課題──神、自由、不死──の解決のための確かな道筋を与えるばかりではなく、人間存在における三位一体の理──存在、知、愛──を、渾然一体のもの「感動」として捉らえたことになろう。 また、藤村操は、「……人生は不可解である……」という遺言を残して自殺したが、彼を何かに真に感動させ、「人生の意義は、感動することにある」として、彼を救うことができたかもしれない。何が「人間を感動させるのか」を問うて行けば、「人生如何に生くべきか」の基本的な方向を捉えることができるし、それは多くの人間が素朴に、あるいはぼんやりと抱いていたものと大きな相異はなく、この「人生における基本定理」は、多くの人間によって受け入れられるばかりではなく、新鮮な感動をもって人生の基本的な指針を与えてくれると思われる。?謝辞 群馬大学名誉教授の松井弘次先生の本、『色にまみれて』を読み、先生の「愛と熱情」に「感動した」と同僚達に述べているうちに、基本定理は自然に思い浮かんだものであり、「魂の解放」22第1章 美しい社会のためにに導いて下さった先生には深い感謝の気持ちを表したい。?追記 基本定理を自覚した後の心情は、・人生はそれ以上のものではないという寂しさ、さまざまな人生の肯定・何か絶対的で永遠的なものを失ったような寂しさ・感動できる人生を送ることは容易ではなく、逆に人生は苦悩に満ちている・人生のことは、考えれば考えるほど、わけが分からなくなる 等であるが、それにも関わらず、人生の方向と限界を知り、夢中で人生を送っているよりは、はるかに賢明になったように感じている。(群馬大学工業会報より抜粋)?参考 藤村操が遺書として残した「巌頭之感」の本文 悠々たる哉天壤、 遼々たる哉古今、 五尺の小躯を以て比大をはからむとす、 ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを 價するものぞ、 萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。 我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。 既に巌頭に立つに及んで、 胸中何等の不安あるなし。 始めて知る、 大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを昔から時々考える事があったのですが、地球で生きている人間やその他の生物はなんのために産まれる→生きる→死ぬ→生まれる・・・を繰り返しているのでしょうか??まわりの人にも聞いてみたことがあるのですが、ある人は「全て無意味なことだ」といい、ある人は「地球の繁栄=宇宙の繁栄のためだ」と言う人もいました。偶然に地球という惑星が誕生したからそこから偶然に生命が誕生して偶然に生命の繰り返しが行われているにすぎないのでしょうか?*別カテでも質問したのですが、再度こちらで募集させてもらってます
2010.09.24
2010年9月24日9:09 日本は内戦状態なのではないか: 本当に日本の社会は 異常で、おかしいと思います。 それを憂慮して いろいろ意見を述べ提案をしています。 教育が良くなく、 共生的な考えが背後に欠けて、 利己主義の、自滅の方向に行っていると思います。空虚な社会として、次のように表現しています: 空虚な日本の社会再生核研究所声明15 (2008/05/24) バブル崩壊後の日本の社会とは、いたるところに現れた借金財政、無責任な責任者の態度とそれを許している社会、経済の停滞、精神の空白と無気力、教育の空洞化などである。これらは空虚な社会と表現されよう。もし日本国の再生がならず、このまま衰退を続ければ、世界の歴史には、かつてアジアに栄えた、ユニークな文化を持った日本国が存在したが、戦後の教育を誤ったために衰退して、かつての日本国をしのぶような国は、いまや世界のどこにもないと記録される時代を迎えるだろう。 何と、国、地方合わせて1000 兆円を越える借金を抱えても、政治家もマスコミも危機感が足りないと言えよう。国防の最高責任者が接待漬けで、大臣がどこの国の国防大臣か分からないような発言をしていたのである。町々はシャター通りと称されて、衰退を続け、農村も荒廃を続け、若者は派遣社員として不安定な状況に追い込まれている。教育はただ勉強して良い大学に入ることを考えればよいという受験勉強に退化したり、無気力に陥ったりしていて、本来の教育の理念さえ失っている時代とも言える。これらは氷山の一角で、象徴的な状況と言えよう。そこに現れた社会とは、中身の薄い空虚な社会である。評価といって評価を考えようとすれば、よくやっているように見せかけるための書類作りや講演会などのセレモニーである。パンフレットや報告書が社会にあふれた時代とも言えるだろう。評価されるべき元のもの、本務に取り組む時間と資金をそのために浪費しているような状況がいたるところに現れた、奇妙な時代を迎えていると言える。公務員はいわゆる親方日の丸で、税金がひとりでに入ってくるように171第5章 日 常感じている風潮で、貴重な税金といった考えが足りないと言えるだろう。 これでは、約5 兆円もの防衛費をかけていても、日本国は外国軍の侵略を受ける前に、自滅、衰退してしまう状況ではないでしょうか。橋下大阪府知事のように、地方を、国を建て直す気迫ある若者達の立ち上がりと国民的な奮起を期待したい。 それには先ず大きなマイナスの仕事を減らし、公務員の財政意識を高め、綱紀を引き締め、公僕たる精神を初心として、国、地方の建て直しに取り掛かるように要請したい。危機意識を国民が共有して立ち上がる必要があると考えます。国、地方の豊かさはすべての基礎になるものであるから、おのおのの立場で、地域ごと経済再建にも努力して行きたい。教育問題にも抜本的な取り組みと検討が加えられなければならない。教育界も無気力、無責任な状態と言えよう。教育にも何か魂を入れる必要があると考える。江戸時代の幕末や明治政府には、しっかりしないと外国の侵略を受けてしまうという危機感と連帯感があったと考える。今しっかりしないと国が衰退してしまうという危機感と連帯感をもって国民が立ち上がるべき時である。 それらを展開する基本は、有能な人材を要所に配して、各級の人事を大幅に刷新することである。活力ある人材によって沈滞した社会を再生させる必要があると考えます。 国家は、大戦や地震など災害によって滅ぶことがあるが、多くの場合には、戦後50 年を越えて内部から衰退するものである、という世界の歴史を想起したい。以上。 この国では年間三万人の自殺者が出ます。自殺の理由は個人的理由と考えがちなのですが、もしかすると日本の文化が日本人を殺しているのではないか。或いは日本人どうしで殺し合いをしているのではないか。そんな考えが頭をよぎりました。戦いの中で自分を律する、それに敗れたものは自死によって殺される、そんな原始的な原理がこの国に蔓延しているのではないでしょうか。
2010.09.24
2010年9月23日9:00 思い込みから、逃れることはできないか?:このような疑問や質問は、現代、特に 非常に大事だと思います。 人間は 過ちを犯しやすく、独断と偏見に満ちた存在と 謙虚になることが 大事と思います。それには、いろいろな立場、いろいろな考え方、いろいろな意見を参照するのが いいのではないでしょうか。 本来、言論界やマスコミは 正義と公正を重んじて、絶えず反対意見、少数意見を尊重していくのが大事なのに、逆に、予断や偏見を持って 対応しているのは、 退化している 顕著な現象ではないでしょうか。 後世の人は、おかしな時代と 冷たい評価を すると考えます。また、物事の本質を見るように努力するのが いいと思います。 世の中には、陰謀やたくらみがあって、 動かされている ことが多いので、 そのような現象の背後に 何があるか、このような、現象で 得する人は どのような人かと、 表面の現象に 踊らされないように、賢明になる必要があると思います。通常、人間は思いこみに縛られています。政府や警察が国民や正義の為に動くというのも思い込みです。自らの組織の利益のために動く場合もあります。「人に迷惑をかけてはいけない」という、価値観が善というのも、思いこみかもしれません。思い込みから、解放されるのは、エネルギーが必要ですが・・・事実を、正面からみつめると、それが、思いこみであったことが分かりす。(911テロの周辺で起こった事実を丹念に、検証すると、米政府発表に疑問を持ちます。)しかし、事実をみつめる作業をしないと、思いこみから解放されないわけです。また、正面から見つめるという作業を、面倒だからやらないという動きも心にはある感じもします。とすると、思いこみから逃れることはできない気がします。可能な限り、思い込みから逃れるにはどうすればいいでしょうか?唯一、強力な武器は、哲学なのでしょうか?
2010.09.23
2010年9月22日9:35 なぜ、この世は空しいのか?: これは人間存在の根本にある、空しさを言っているかと 思いましたが、それほど深くはないようです。そのように 拘らず、空しさは、心が、いわば 沈んでいるときの現象と言えます。 心は健康ならば、本来弾んでいるはずです。 心の状態は、身体的に良い状態、周りとの関係が良ければ、弾んでくるのでは ないでしょうか。 好きな人が現れたりすれば、世の中は パーット明るくなりますね。 失恋すると、世の中は、ただ空しいだけ、ただ寂しいだけになってしまいます。空しさは、健康で、社会的にうまく行けば、克服できると考えましょう。好きなことを探すようにしましょう。 もっと充実した心の民族が辺境にいるはず。そこへ行けない限り、空しいだけ。誰か、カネください。 ?:これは人間存在の根本にある、空しさを言っているかと 思いましたが、それほど深くはないようです。そのように 拘らず、空しさは、心が、いわば 沈んでいるときの現象と言えます。 心は健康ならば、本来弾んでいるはずです。 心の状態は、身体的に良い状態、周りとの関係が良ければ、弾んでくるのでは ないでしょうか。 好きな人が現れたりすれば、世の中は パーット明るくなりますね。 失恋すると、世の中は、ただ空しいだけ、ただ寂しいだけになってしまいます。空しさは、健康で、社会的にうまく行けば、克服できると考えましょう。好きなことを探すようにしましょう。もっと充実した心の民族が辺境にいるはず。そこへ行けない限り、空しいだけ。誰か、カネください。
2010.09.22
自己存在性(self-identity): これは本当に大事な ご質問と思います。 デカルトの偉大さを感じたいと思います。 夜明け前 よっちゃんの想い (文芸社) の中で 人間存在の意義 を繰り返して 議論していますが、 例えば 次を参考にしてください: ここで、人間存在の原理とは、どうしても人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという三位一体の、デカルトのコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方です。 人間があらゆることを知りたいという願いは、人間存在の原理である人間として生きることに他ならないと言えます。──このことを自覚したのは、学生時代哲学に興味を抱いて、京都大学の西谷啓治先生の集中講義などを受けて、それから何十年も経て、理解したことです。 2010年9月20日8:52自己存在性(self-identity) における自己(self)とは、何を以って指示しているのでしょう? 恐れ入りますが、ご訪問くださった方の存在性の確認の方法や手段、ないしは根拠をお話ください。 盃の中に自己を忘れる人、花鳥風月に陶然たる方。人の善意に人生を知る人。 私自身は散漫でなあり方ですので、せいぜい口に盃を近づけ、訪問してくる鳥さん達や蝶々に眺め入る時、ほっと人生を謳歌してみたりします。 私の現状ですが。
2010.09.20
「政治とカネ」を巡る問題:渡辺周前総務副大臣は19日のフジテレビ番組で、「政治とカネ」を巡る問題で野党が求める小沢一郎元幹事長の国会招致に関し、「各党で決めて、もしそういうことになれば、やるべきだと思う」と述べた:このような議論は、全くおかしな議論と思います。 小沢氏は お金は公開している、不法な処理はしていないと述べていて、 更に専門家の検察庁が 長い間 徹底的に調べて、 不起訴を決めているものを、どうして、国の最高機関で、検察庁のようなことを更に問題に する必要があるのでしょうか。 検察庁の下請けの機関で、国会はそのような問題を議論するところでしょうか。 国民は、財政、経済、教育いろいろな重要な問題の停滞を心配しているのではないでしょうか。 これでは イラクの大量兵器が見つからなかった問題の処理より 悪質とならないでしょうか。大量兵器はなかったとアメリカは、認めたのに、小沢氏の問題は、あいまいにして、引きずり、疑いをかけ、政敵を抑えている 悪質な対応と見えないでしょうか。 このような問題で、騒いでいて、日本の雰囲気を意図的に暗くしていて、将来、日本の暗い歴史と記録される時代が来ると信じています。 推定無罪など、当たり前のことなのに、与野党国会議員、マスコミなどに そんな基本的なことが守れないで、社会正義や人権、法治国家の基本が うまくいっていると言えるでしょうか。 暗黒社会そのものでは。 秘書の逮捕、起訴事件における検察庁の対応と公正の原則再生核研究所声明23 (2009/04/02) 先の参議院選挙の結果、与野党の歴史的な逆転が生じ、小沢氏を中心とする政権交代の機運が高まっていた折り、小沢氏の秘書の逮捕、起訴事件が起きた。この件について、素朴な疑念を感じざるを得ない。なぜこの段階における逮捕、起訴かの問題である。 検察庁は、長い間の多額の企業献金は無視できないと述べているが、これは不正を黙認、認めてきたことを示しており、もしそうならば、そのようなことは許されることと理解するのは、慣例、普通である。検察庁は法を守る立場であるから、長期や多額になる以前に、事情聴取などをして注意を喚起すべきである。これでは、わざわざ犯罪を犯すのを待っていて、逮捕を意図的にしていると考えるのは当然である。 立法府の責任ある野党の党首が、法に反していないと判断されている事情は、法の解釈によって異なる点があることを示している。それでは、逮捕する以前に、多年にわたる以前に、事情聴取などして、法の精神や解釈をすり合わせ、違法な状態が拡大しないように配慮するのは、法の番人たる検察庁の義務であり、在りようであると考える。 小沢氏側は、お金をすべて公開していること、これは重要な点である。これは少なくとも小沢氏側は公明正大にお金を集めていることを天下に示している。闇にお金が動いていたのとは全然違う状態である。 われわれは、より良い社会を作るにはどのようにすれば良いかと考察して、次のように考えている:どうしたら美しい社会を築175第5章 日 常けるでしょうか。一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。 平成12 年9月21 日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。 1)法律、規則、慣習、約束に合っているか。 2)逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。 3)それはみんなに受け入れられるか。 4)それは安定的に実現可能か。 これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。 現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば──これは容易なことではないが──世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。 また、こういうことを考える教育は、人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし、環境の保全などにも貢献すると思います[再生核研究所声明1(p.26)抜粋]。 これは、社会の秩序をうまく保ち、美しい社会を築く原理として考えたものであるが、今回の事件は、1にも2 にも抵触すると考える。永年放置すれば、それは慣習、習慣として、許されるものと考えるのは当然である。そうでなければ、忠告や警告をして、法の精神を徹底させるのは、法の番人たる検察庁の義務である。 いきなり逮捕では乱暴な処置と考える。このようなことでは日176第5章 日 常本人はいつ突然逮捕されるか分からず、人々は安心して生活ができなくなってしまう。 さらに、政権交代が話題となり、総選挙が間近に迫っている時の、このような事件は3にも抵触すると考える。政権交代は国家権力の移行であり、野党の党首の役割は極めて大きな社会的な存在である。逮捕、起訴事件が最近、実際に示しているように、大きな影響を社会に与えるからである。このようなことで、小沢氏が代表辞任となれば、結果的には、検察庁が直接政治を動かしたという重い事実が歴史に残ることになる。逮捕、起訴の適否は、やがて裁判によって決着が付けられるが、その時にはもはや結果によらずに、歴史は動いてしまうという極めて重い責任を考えれば、3に著しく抵触すると考えざるを得ない。 国家権力が、軍事、検察、裁判、教育、官僚機構、経済界、マスコミなど広範に影響を及ぼすのは、いわば普遍的(不変的)な事実(真実)である。従って、主権者たる国民は、国家権力がいろいろな悪い癒着構造を起こしていないか否かを絶えず検証し、警戒することは重要であり、マスコミなども民主主義が衆愚政治に陥らないように、国民とともに真剣に歩むことが期待される。ところが、マスコミなども、物事の本質と重要性を曖昧にして、軽薄な議論、論調、扱いが多いと言わざるを得ない。今回の事件は極めて重要な事件であり、日本国民は、日本国の民主主義が言論の自由を確かに保障し、法の番人で、公正と正義を実現させる国家の中枢である検察庁が適切に機能しているか否かを、また、日本国民が真に国家の主権者であるか否かを厳しく、検証すべきである。
2010.09.20
2010年9月18日9:28 谷垣氏「与党掌握できるのか」 政権の不安定化を指摘: 遠くから、日本の政局を見ると、 与党も、野党も 結局みんな駄目で、 船が沈みそうなのに まだ 大喧嘩しているように見えますね。正義の党で、マスコミと検察 との戦いには、輝かしい歴史を持つ共産党までもが、 共産党の市田忠義書記局長は「脱小沢と言うが、首相は政治とカネの問題で国会で責任を追及する姿勢に立っていない」と批判し こんな認識ですから、日本は絶望的ですね。 学生さんも国民も、義を見てせざるは 勇なきなり と 社会正義や日本を立て直す気迫すらない。 空虚な日本の社会: 空虚な日本の社会再生核研究所声明15 (2008/05/24) バブル崩壊後の日本の社会とは、いたるところに現れた借金財政、無責任な責任者の態度とそれを許している社会、経済の停滞、精神の空白と無気力、教育の空洞化などである。これらは空虚な社会と表現されよう。もし日本国の再生がならず、このまま衰退を続ければ、世界の歴史には、かつてアジアに栄えた、ユニークな文化を持った日本国が存在したが、戦後の教育を誤ったために衰退して、かつての日本国をしのぶような国は、いまや世界のどこにもないと記録される時代を迎えるだろう。 何と、国、地方合わせて1000 兆円を越える借金を抱えても、政治家もマスコミも危機感が足りないと言えよう。国防の最高責任者が接待漬けで、大臣がどこの国の国防大臣か分からないような発言をしていたのである。町々はシャター通りと称されて、衰退を続け、農村も荒廃を続け、若者は派遣社員として不安定な状況に追い込まれている。教育はただ勉強して良い大学に入ることを考えればよいという受験勉強に退化したり、無気力に陥ったりしていて、本来の教育の理念さえ失っている時代とも言える。これらは氷山の一角で、象徴的な状況と言えよう。そこに現れた社会とは、中身の薄い空虚な社会である。評価といって評価を考えようとすれば、よくやっているように見せかけるための書類作りや講演会などのセレモニーである。パンフレットや報告書が社会にあふれた時代とも言えるだろう。評価されるべき元のもの、本務に取り組む時間と資金をそのために浪費しているような状況がいたるところに現れた、奇妙な時代を迎えていると言える。公務員はいわゆる親方日の丸で、税金がひとりでに入ってくるように171第5章 日 常感じている風潮で、貴重な税金といった考えが足りないと言えるだろう。 これでは、約5 兆円もの防衛費をかけていても、日本国は外国軍の侵略を受ける前に、自滅、衰退してしまう状況ではないでしょうか。橋下大阪府知事のように、地方を、国を建て直す気迫ある若者達の立ち上がりと国民的な奮起を期待したい。 それには先ず大きなマイナスの仕事を減らし、公務員の財政意識を高め、綱紀を引き締め、公僕たる精神を初心として、国、地方の建て直しに取り掛かるように要請したい。危機意識を国民が共有して立ち上がる必要があると考えます。国、地方の豊かさはすべての基礎になるものであるから、おのおのの立場で、地域ごと経済再建にも努力して行きたい。教育問題にも抜本的な取り組みと検討が加えられなければならない。教育界も無気力、無責任な状態と言えよう。教育にも何か魂を入れる必要があると考える。江戸時代の幕末や明治政府には、しっかりしないと外国の侵略を受けてしまうという危機感と連帯感があったと考える。今しっかりしないと国が衰退してしまうという危機感と連帯感をもって国民が立ち上がるべき時である。 それらを展開する基本は、有能な人材を要所に配して、各級の人事を大幅に刷新することである。活力ある人材によって沈滞した社会を再生させる必要があると考えます。 国家は、大戦や地震など災害によって滅ぶことがあるが、多くの場合には、戦後50 年を越えて内部から衰退するものである、という世界の歴史を想起したい。以上。- 元のメッセージを表示 -
2010.09.19
2010年9月18日9:30神について・・・: 存在しても、存在しなくても、人間がきちんと認識できなければ、曖昧で、分からないとなってしまいます。 どのように考えても、神は想念上のものではないでしょうか。 そこで より、定かなものとして、世界史 というものを次のように考えたのですが、 如何でしょうか: 再生核研究所声明 41 (2010/06/10): 世界史、大義、評価、神、最後の審判 声明36(恋の原理と心得)で、元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。 人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 と述べて、人類は 人間存在の原理(人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという三位一体の、デカルトのコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方: 夜明け前 よっちゃんの想い:211ページ)によって、世界の歴史を発展、拡大、深化させていくであろう。ここで、世界史とは 人類が得たあらゆる知識、情報を意味するが、世界史は過去の一切のことについても真相の究明を続けていくであろう。これは真実を知りたいという人間存在の原理に他ならないからである。個々の人間の目標は、 人生における基本定理 (声明12) に述べられているように 生きること、感動できるように生きることであるが、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在であり、個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみれば 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である (声明36)。そこで、人間にとって真に価値あることとは、人類の目標のために貢献することではないだろうか。 人類の営みは世界史によって、表現されるから、世界史のため、人類のため、元祖生命体のために貢献することこそが、真の意味における大義と言えよう。 人類が、世界史が進化していけば、過去の元祖生命体の営みの総体を次第に明らかにして、物事の真相と評価、位置づけ、位置関係を明瞭にしていくであろう。- すでに、グーグルの世界に それらの初歩を見ることができる。神とは全知、全能の存在とされるが、世界の全体を捉えられるのは現在、人類以外に存在せず、未来において、進化した元祖生命体こそが、神に相当する存在ではないであろうか。進化した未来人は 現代人の能力のレべルを あたかも幼稚園生くらいとみ、現在のコンピュータのレベルを 手動計算機程度くらいとみるだろう。そのとき、世界の歴史は、個々の人間の存在の関係 (評価) をきちんと明らかにするであろう。この声明の趣旨は、先ずは 世界の政治家の皆さんに、世界史に耐えられるような上記大義に基づいて、行動して頂きたいと要請しているのです。 小さな自分たちの立場ではなくて、より大きな世界のために高い志の基に、行動して頂きたいということです。 同時に、不正や不義は 歴史的に明らかにされ、真実は必ず、明らかにされるということに注意を喚起することにある。 研究者や芸術家たちは 近視眼的なことに拘らず、己が道を進めばいいのであって、適切な評価は必ず下されると考えるべきです。 マスコミ関係者や解説者の皆さん、思想家たちの皆さん、世界史の評価に耐えられるような高い視点と志で、重要な職務を果たして頂きたいと考えます。 人間にとって価値あることとは、小さな自己の世界に閉じこもらず、上記大義の基に努力することではないであろうか。将来、世界史が明らかにする、世界史の全体における個々の関係こそが、最後の審判ではないだろうか。 それは同時に 未来ではなく、現在、いまの 個々の人間の 深奥に普遍的に存在する神性と良心 に通じていると考える。 それらを捉え、それらに調和し 忠実に生きることこそ、良く生きることに他ならない。 悪いことは苦しいことである。必ず、良心の呵責として、その深奥から湧いてくるからである。他方、大義に生きることは 上記永遠の生命の中に生きることを意味するから、楽しいことである。 滅ぶことも消えることもない。以上 - 元のメッセージを隠す - 神について神はいるのかいないのか、この間仲間と議論になりました。自分はカントの言うように、人間には神がいるのかいないのかは判別できないと思っていますが、友人はいると主張していました。であるなら神って何?と問いただしても、イマイチなことしか言わず、ただ居ることは間違いないと言うばかりでした。そこで・・・神がいると思う方、居ないと思う方の意見をお聞きしたく質問します。神がいる~その理由神がいない~その理由を教えてください。宜しくお願いします。
2010.09.19
2010年9月17日8:59 2010年9月17日8:59 仮想世界で正義を実現する必要はないのか: ネットにおけるモラルの問題ですね。これは未知の世界で、どんどんいろいろな問題と世界観を与え、世に影響を与えると思います。モラルの問題、規則の問題も今後の課題ですが、 次を参考にすれば 概ね大丈夫ではないでしょうか。 美しい社会はどうしたら、できるか再生核研究所声明1 (2007/1/27)美しい社会とは 最近の世相として、不景気・政界・財界・官界・大学の不振、教育の混迷、さらにニューヨークのテロ事件、アフガン紛争、パレスチナ問題と、心痛めることが多いです。どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。 何年も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。 平成12 年9月21 日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。 1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。 2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。 3) それはみんなに受け入れられるか。 4) それは安定的に実現可能か。 これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。 現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば──これは容易なことではないが──世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。 また、こういうことを考える教育は、人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし、環境の保全などにも貢献すると思い27第1章 美しい社会のためにます。 特に少年期の教育にあっては、哲学(ものごとの本質と人生、世界を考えること)、道徳、芸術、体育などを中心とする、人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか。国や隣人を愛せるようになる教育、多様性を重視し、個性や隠れた才能を伸ばし、友情を育み、人々が助け合うようになるような教育が望まれます。(『再生核の理論入門』斎藤三郎著、牧野書店、2002 年10 月出版「あとがき」から抜粋)美しい社会とは美しい社会においては戦争などはないのです いじめなどはないのです ごみなどは落ちていないのです 交通事故などはないのです美しい社会においても競争などはあるのです しかし敗れても美しい気持ちが湧いてくるのですより美しいことへの挑戦の気持ちが湧いてくるからです美しい社会においては人々は喜々として明るい表情をしているのです それは個性が活かされ人々は夢と希望に満ちているからです美しい社会においては人々は助け合いますから 不幸が訪れても人々はそれほど暗くなることはないのです美しい社会においては芸術家は憧れのまとです しかし人々は美しいものを求めていますから28第1章 美しい社会のために 人々が芸術家なのです美しい社会美しい社会とは人々が美しいものを求めている社会のことです美しいものを求めるということは感動できることを求めるということです ネットで作られた仮想世界の中に、大勢の人間が同時接続することで、社会を作り出すことができます。その仮想世界サイトの運営者にも現実の法にも処罰されない限り、どんなことをやってもいいと思いますかもしその世界の中で誰とも関わろうとしていないなら、その世界ではどんなに嫌われていてもほとんどデメリットがないとします ネットにおけるモラルの問題ですね。これは未知の世界で、どんどんいろいろな問題と世界観を与え、世に影響を与えると思います。モラルの問題、規則の問題も今後の課題ですが、 次を参考にすれば 概ね大丈夫ではないでしょうか。 美しい社会はどうしたら、できるか再生核研究所声明1 (2007/1/27)美しい社会とは 最近の世相として、不景気・政界・財界・官界・大学の不振、教育の混迷、さらにニューヨークのテロ事件、アフガン紛争、パレスチナ問題と、心痛めることが多いです。どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。 何年も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。 平成12 年9月21 日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。 1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。 2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。 3) それはみんなに受け入れられるか。 4) それは安定的に実現可能か。 これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。 現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば──これは容易なことではないが──世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。 また、こういうことを考える教育は、人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし、環境の保全などにも貢献すると思い27第1章 美しい社会のためにます。 特に少年期の教育にあっては、哲学(ものごとの本質と人生、世界を考えること)、道徳、芸術、体育などを中心とする、人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか。国や隣人を愛せるようになる教育、多様性を重視し、個性や隠れた才能を伸ばし、友情を育み、人々が助け合うようになるような教育が望まれます。(『再生核の理論入門』斎藤三郎著、牧野書店、2002 年10 月出版「あとがき」から抜粋)美しい社会とは美しい社会においては戦争などはないのです いじめなどはないのです ごみなどは落ちていないのです 交通事故などはないのです美しい社会においても競争などはあるのです しかし敗れても美しい気持ちが湧いてくるのですより美しいことへの挑戦の気持ちが湧いてくるからです美しい社会においては人々は喜々として明るい表情をしているのです それは個性が活かされ人々は夢と希望に満ちているからです美しい社会においては人々は助け合いますから 不幸が訪れても人々はそれほど暗くなることはないのです美しい社会においては芸術家は憧れのまとです しかし人々は美しいものを求めていますから28第1章 美しい社会のために 人々が芸術家なのです美しい社会美しい社会とは人々が美しいものを求めている社会のことです美しいものを求めるということは感動できることを求めるということです ネットで作られた仮想世界の中に、大勢の人間が同時接続することで、社会を作り出すことができます。その仮想世界サイトの運営者にも現実の法にも処罰されない限り、どんなことをやってもいいと思いますかもしその世界の中で誰とも関わろうとしていないなら、その世界ではどんなに嫌われていてもほとんどデメリットがないとします
2010.09.17
いまから、リスボンに向かい、1泊して ハンガリーでの 不等式に関する国際会議 に出て、27日に戻ります。7月のブラジル以来ですので、出かけるのが 久しぶりの感じで、億劫な気分です。 出かけるときは いつもそうですが。生きるということは、感じ、知り、求めるということである。何を求めているかと言えば、結果的には 感動するようなこと を求めているのである。2010/09/16:16:10誠、人生の意義は感動することにある(人生の基本定理)。 ある国では、国会議員が1100万円の賄賂を受け取ったとして、有罪、被告は無罪を主張、国会議員を失職して、2年間収監されるという。そのようなことは 3流以下の国に起きる現象ではないでしょうか。 ある国では 有能な政治家が、野党時代に違法な手続きで政治献金を受けたとして、疑いをかけられ、何ら判決もないのに、有罪であるかのように マスコミをはじめ、与野党を とわず に騒ぎ立てて、いわば政敵を推定無罪の原則にもかかわらず、ふるい落とそうとしている。政治家は、何ら違法性はなかったと主張している。これ衆愚政治に落ちいった国の現象ではないでしょうか。 ネットの世界は 今は社会の一部の表現に過ぎないが、10年や100年も経てば、現在の実社会は 消えて、ネットに現れた微かなものだけが 残ることになる。
2010.09.17
なぜ人間は競いたがるのか? この解答は 歴然としていて 簡単ではないでしょうか。 生物の本能として、原理としては 生存競争、 適者生存の原理 を認めないわけには いかないと思います。 それらの本能の 浄化、昇華として スポーツなども成り立っていると考えられます。 何でも勝てば 喜びが湧いてきますね。 柔らちゃん、谷亮子選手や北島氏が オリンピックで金 を取られたときの喜びの表情など 本当に 印象的ですね。先の 民主党の代表者の選挙なども そうですね。 ですから、 その競争心を うまく 活かすために、義とか、道徳、規則、ルールなどがあるので、それらは 大事な要素だと考えます。 スポーツと言えば公正な精神 と言うことですね。 選挙も泥仕合や、揚げ足取り、中傷などは 公正とは 言えないと思います。 そこで、再生核研究所声明1 で 先ず それを論じ、提案しました: 美しい社会はどうしたら、できるか再生核研究所声明1 (2007/1/27)美しい社会とは 最近の世相として、不景気・政界・財界・官界・大学の不振、教育の混迷、さらにニューヨークのテロ事件、アフガン紛争、パレスチナ問題と、心痛めることが多いです。どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。 何年も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。 平成12 年9月21 日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。 1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。 2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。 3) それはみんなに受け入れられるか。 4) それは安定的に実現可能か。 これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。 現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば──これは容易なことではないが──世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。 また、こういうことを考える教育は、人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし、環境の保全などにも貢献すると思い27第1章 美しい社会のためにます。 特に少年期の教育にあっては、哲学(ものごとの本質と人生、世界を考えること)、道徳、芸術、体育などを中心とする、人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか。国や隣人を愛せるようになる教育、多様性を重視し、個性や隠れた才能を伸ばし、友情を育み、人々が助け合うようになるような教育が望まれます。(『再生核の理論入門』斎藤三郎著、牧野書店、2002 年10 月出版「あとがき」から抜粋) 2010年9月16日9:07 なぜ人間は競いたがるのか?カーレース、競馬、オリンピック、サッカー、野球、なんでやろ?
2010.09.16
2010年9月15日8:57 「衆院解散に追い込む」自民、強める対決姿勢: みんな情けない考え。 参議院で 過半数を有している政党、会派がないことは、 衆議院を解散して どのようにしても ねじれ国会は 解消できず、 政局は不安定で、しかも 国は、財政、経済危機です。それでも、自分の党派のことしか考えられない、政党政治、民主主義は 衆愚政治そのものではないでしょうか。 普通ならば、国家のために頑張ろう、そして 政界の再編を断行して、政局の安定を考えるのが道理ではないでしょうか。 民主党の実相が 露になり、多くの人は 民主党を見限る準備が できているので、政界の再編の 良い時期ではないでしょうか。 民主党代表選での菅首相再選を受け、野党各党は秋の臨時国会に向けて攻勢を強める姿勢を示した。
2010.09.15
2010年9月15日8:55密室談合よりはマシだった民主党代表選 いまこそ「首相公選制」を考える絶好の機会: 今回の代表選挙は、党首の状況判断の誤りと、単なる個人的な野心の結果、行われたと考えますが、民主党にとっては、傷を深めただけですが、重要な真相が、実相が 現れて 大変良かったと評価できると思います。 結果は 同時に、民主主義の危険性を 示していて、日本の政治状況は 衆愚政治に近く、 首相公選制 などは とても危険な制度であることを示していると考えます。民主主義の考え方から、反省して、それが うまく行くような 努力こそ大事ではないでしょうか。 再生核研究所声明 33 (2010/04/02): 民主主義と衆愚政治 民主主義 ( : 諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制 - 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ) の在りよう、 特に一般選挙で代表者を選出する方法、及び多数決で決定する方法 について考察し、問題点を露にし、より良い政治、決定が行われるように注意を喚起したい。まず、このような方法をとる原理は、重要決定について 関係者がすべて平等に固有なる権利を有するから、その固有の権利の行使として、一般選挙を行い、選出された代表者も同じような考え方から、多数で決定すること、及びそのような過程、方式で多くの意見を基に討論して、みんなで決定する考え方である。この際、少数意見でも適切な意見である可能性があるから、それらを尊重して議論し、最終的には多数決で決定する(少数意見の尊重)というところも 民主主義の重要な点である。現在世界的に考えられている政治権力の決定方式である。それに対して、中国古代で考えられた いわゆる天子様による政治は、絶対権力を有する天子様が一部の人の意見を参考にして、決定していく方式であるが、多くの王政も日本の幕藩体制も大体同じような政治体制と考えられよう。これらの問題点は、権力者のいわば大義名分、すなわち、なぜ、天子や王や将軍が権力を有するのかという理由付けに難しい点がある。また、そのような権力者の決定に本質的な問題がある。しかしながら、そのような大義名分の問題があるものの、良き天子や王の下で、理想的な政治が行われた時代は 世界の各地で見出される。民主主義の問題点は、まず、代表者の選出過程、重要事項の決定過程に 多くの労力を有し、時間と手間がかかることである。 そこで、多くの政治家、代表者は選出されるために膨大な労力を使い、本来の政治や仕事に取り組むためのエネルギーを費やしている。 また、有権者の支持を取り付けるために、構成員のためにならないようなことであっても、約束するような状況が多々起こり得る。 顕著な例として、日本国における膨大な借金と慢性的な財政赤字が挙げられよう。国民の支持を取り付けるために、必要ではあるが、課税を強化できない状況をもたらしている。このようなことを続ければ、国家破産を迎えるのは必然ではないだろうか。民主主義の失敗例に 日本国の場合が記録される可能性を有する ゆゆしき問題である。民主主義の問題点は、投票者が 代表者の行使する行動について、良く理解できず、適切な代表者の選出ができず、いわば考えている代表者とあべこべの代表者を選出する可能性が 高いという、事実にある。 また、代表者の本来の要務以外の能力で、たとえば感じがいいから等で、代表者を選出しがちである。また、候補者に名演説などで いわば騙されてしまうことなどは、よく有りがちである。しかしながら、選んだのであるから、それは選出者の責任であるという観点は 良く理解できる大義名分である。みんなで、選出し、みんなで決めたことであるから、如何なる決定でも納得できるは 確かに大事な大義名分であるが、これを誤解すると何でも多数をそろえて、いわば多数の力で、政治その他を推し進めようとなりがちな弊害を生むことになる。多くの会議で、多数決で議事を決定する際、投票者が議事に対する理解と公正な判断能力を有しないために 言わば数の結果で悪い決定がなされるのが むしろ多いのが現状であろう。これは原理的にも本質的にそうなる傾向がある。一般に良いものから順に並べれば、多数の決定とは 中間くらいの決定になるのが世の法則だからである。多数による決定とは 決定の便法であり、適切とか、公正とが、正しいという種のものではないことに留意しておく必要がある。( 数学のゼミナールで討論すれば、議論している数学の結果に対する真偽を多数決で決めるのは 何の意味もなく、誰が真実を述べているかによって、自ずから客観的に決定するのとは大きな違いがある。)さらに、難しい問題を多数の人が理解できるか、判断できるかという観点も大事である。 沖縄返還に伴う外交問題で、いろいろ密約をしていた状況が露になったが、状況を露にすると国民の反対が出て外交がうまく行かないという、高度な政治判断が行なわれたのは顕著な例である。 憲法改正や、国防の在りようなども同じように難しい問題がある。それらを素人の多くの国民に判断を求めるのは 逆に無責任で、危険であるという面も有する。 次の時代には、より進んだ政治体制が考えられなければならないが、当分は適切に適用できる方法が現実的に見当たらないから、現状の体制を維持するとして、民主主義の弊害を少なくするために、具体的に運用の在りようについて提案したい: •1)いわゆる代表者の選挙については、 選挙の広報をきちんと行うのは当然であるが、 投票しない権利を明確に認め、いわゆる投票率を上げるような行動は慎むこと。 これは投票に興味と関心を有する人に参加して頂き、興味や関心を持たない人に無理に投票しても貰うのは 無責任につながりかねないからである。特に政治や社会に関心のない人への勧誘による投票は慎むべきである。投票の案内は当然であるが、投票しましょうという勧誘は良くないと考える。これは、いわば真面目な投票人による選挙を意図していて、いわば無責任な人の投票を排除しようとする意図があることを肯定するものである。( 高校時代の世界史の 尊敬する先生の 授業中に述べられた ひっとした言葉が 今鮮やかに蘇り、ここに成文化したい: 私は、よくよく考えて 1票を投じているのに、よく考えないで投票する人と 同じ1票かと思うと 考えてしまう という嘆きの言葉です。)。•2)代表者の身分が民主主義ゆえに不安定では 責任ある政治を行うことができないから、在任中は特に厚く身分を保証して 本務に専念できるように配慮すること。•3)代表者は 広い視点に立って、自分の立場より、公の立場を優先させて考え、評価については 近視眼的ではなくて、歴史的な評価を大事にすること。•4)代表者の投票者(有権者)は 日ごろ研鑽を行い、投票に責任が負えるように努力すること。•5)特に 代表者の選出過程や代表者の立場が、マスコミの影響を受け易いのが、民主主義の特徴であるから、マスコミ関係者は 高い見識を持つように 特に努力して 次の報道の5原則にいつも留意すること: (2010年01月31日原口一博氏がtwitter でつぶやいたという報道の5原則:原則1「推定無罪の原則」.......(最初から有罪であるよう印象づける報道はしないこと)原則2「公正な報道」...... (検察の発表だけをたれ流すのでなく巻き込まれた人や弁護人の考えを平等に報道すること))原則3「人権を配慮した報道」.......(他の先進国並みに捜査権の乱用を防ぐため、検察・警察の逮捕権、家宅捜索権の行使には、正当な理由があるかを取材、報道すること)原則4「真実の報道」......(自主取材は自主取材として、検察・警察の情報は、あくまでも検察・警察の情報である旨を明記すること)原則5「客観報道」...... (問題の歴史的経緯・背景、問題の全体構図、相関関係、別の視点などをきちんと報道すること) みなさん、民主主義は何時でも衆愚政治 に陥り易いので、 衆愚政治に落ち入らないように努力して より良い社会を築いて行こうではありませんか。 以 上
2010.09.15
2010年9月15日8:50なぜ自己の客観視は困難であるのか これは、鏡などに映さないと自分が見えないのと同様ではないでしょうか。 そこで、自分を客観的にみるようにするには、文章にしたり、本を出版したり、 芸術品などを作れば 相当に 現れると思います。 著書などには相当現れますが、 今流行の ブログや ツイターなどにも 相当に 人間の個性、その人が現れますね。 最初の問題は、自分で自分を捉えるのは難しいから、それを表現して、捉えられるという考えですね。 これは 人との会話、討論などにも現れて、自分を少しずつ客観的に捉えられるようになると考えれば、如何でしょうか。 自分を捉えられないのは、鏡などに映さないと、自分が見えないのと同様ですね。
2010.09.15
2010年9月14日8:50 ひとに対して 自分の心情を押しつけることしかしないひとは 人間と呼べるか? 貴方は心優しい人ですね。 言われていることは 良く理解できます。そう悪く理解しなくても、人は余裕がないと、自分のことに精一杯で、自分中心に考えがちになります。それは 原理として、そうだと 認めることが必要ではないでしょうか。 誰でも 先ずは 自分が最も大事で、それは 本能と言えると思います。 この意味で、恒産なければ 恒心なしは 本質をついていると思います。 精神的な面でもいえますね。 自分が苦しい立場の時に 相手のことを気遣っていられるような余裕は 誰にもない と言えると思います。しかし、何時も相手の立場に 想いをするような 心がけは 極めて大事と思います。 相手の立場になるということは、 視野を広め、考え方を広めることですから、それは 自分にとっても 豊かになり 良い心がけと思います。 いわゆる エゴイズムは 本当は こころ貧しく、 世界も狭く、社会的にも小さな存在にしかなれませんね。 感動や喜びは、人間関係から湧いてきますから、結局は つまらない 存在と言うことになると思います。ツイッター学んだのですが、 忙しいとは、心を失うとうことだそうです。 現代は忙しすぎて、心を失いがちですので 気をつけたいと思います。 美しい社会はどうしたら、できるか再生核研究所声明1 (2007/1/27)美しい社会とは 最近の世相として、不景気・政界・財界・官界・大学の不振、教育の混迷、さらにニューヨークのテロ事件、アフガン紛争、パレスチナ問題と、心痛めることが多いです。どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。 何年も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。 平成12 年9月21 日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。 1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。 2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。 3) それはみんなに受け入れられるか。 4) それは安定的に実現可能か。 これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。 現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば──これは容易なことではないが──世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。 また、こういうことを考える教育は、人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし、環境の保全などにも貢献すると思い27第1章 美しい社会のためにます。 特に少年期の教育にあっては、哲学(ものごとの本質と人生、世界を考えること)、道徳、芸術、体育などを中心とする、人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか。国や隣人を愛せるようになる教育、多様性を重視し、個性や隠れた才能を伸ばし、友情を育み、人々が助け合うようになるような教育が望まれます。(『再生核の理論入門』斎藤三郎著、牧野書店、2002 年10 月出版「あとがき」から抜粋)美しい社会とは美しい社会においては戦争などはないのです いじめなどはないのです ごみなどは落ちていないのです 交通事故などはないのです美しい社会においても競争などはあるのです しかし敗れても美しい気持ちが湧いてくるのですより美しいことへの挑戦の気持ちが湧いてくるからです美しい社会においては人々は喜々として明るい表情をしているのです それは個性が活かされ人々は夢と希望に満ちているからです美しい社会においては人々は助け合いますから 不幸が訪れても人々はそれほど暗くなることはないのです美しい社会においては芸術家は憧れのまとです しかし人々は美しいものを求めていますから28第1章 美しい社会のために 人々が芸術家なのです美しい社会美しい社会とは人々が美しいものを求めている社会のことです美しいものを求めるということは感動できることを求めるということです ひとりだけは例外をつくって 自分の心情にさからうからという理由で おまえは消えろと言い あとの人びとには 一方で世辞をつくろい あぁいい考えですねと受け答えつつ 他方では自分の心情を是が非でも何としてでも押しつけようとする。こういうことしかしないひとは 人間と呼べるか? わたしもこれまで どんなひどいことを言うひとであっても その存在は人間であると思ってやって来ましたが この信念にうたがいが生じました。ひょっとすると 人間でなくなっている場合があるのではないかといううたがいです。 どうか まことをおしえてください。
2010.09.14
2010年9月14日8:49 旅とは何か: グーグルで調べてみましたが、流石に説明はないですね。 ーは何か は哲学的な、本質的なことを求められていますので、 大変好ましい 質問です。 旅とは 人生そのもである。 私たちは、 この世に 訪れている 旅人と言えるのではないでしょうか。それを実感するために 私たちは 環境を変えて、自己と環境の関係の変化を 味わうのですね。 大きな社会という環境の中で、人間は、ふらふらと 生きていくのですね。 そして、それを実感するために 人は旅に出かけるのですね。 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて漂泊の思やまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひてやゝ年も暮、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取る物手につかず、...」芭蕉ならずも、漂泊の念に駆られることがありましょう。また、実際に旅に出ずとも、魂としての旅もあろうかとも思われます。旅の目的が本質だったり、あるいは、あてもない旅をすること自体がそうなのかもしれません。旅とは何か、旅人とは何者なのでしょう。 よろしくお願い致します。
2010.09.14
残念な民主党の代表選挙:小沢氏が 代表選挙に破れたのは 誠に残念である: 少し、 感じを纏めたい:1) いわば、大義にもとる選択で、民主党のレヴェルと国の文化レヴェルを低く評価せざるを得ない。2) 参議院選挙 で敗北して 弱っている政権に対して、今回の選挙を通して、更に弱まり、日本の政局は混乱を深め、国論は分裂し、政界の再編を促していくと考えられる。3) 国会議員票、 412:400は 菅氏の総理大臣の立場を考えると、議員票では小沢氏が優位に立っていると考えられ、政界は依然 小沢 氏を中心に 動いていくものと考えられる。 小沢氏のいわば逆風の中での 400というポイントは 小沢氏の信任のあつさを示していると考える。4) それにしても、日本ではどうして 才能ある人材を活かせないのかと 誠に残念である。5) 日本のアメリカ従属の現実は 更に顕著に現れた考える。6) 代表選挙の結果、マスコミと菅氏を応援した人々の、信任、 信用は、大きく失なわれたと考えられる。
2010.09.14
それでは、今回は この辺で: 政権交代以前より 小沢氏の才能、能力を高く評価して一貫して、支持して来ましたが、今回は 更に、社会正義を貫くために、義によりて助太刀 しましたが、民主党のご判断 を仰ぎたいと思います。2010.9.13.19:10
2010.09.13
2010年9月13日8:57 常任理事国入り再挑戦、アフリカに支持浸透図る: 日本は、世界を論じる 能力も、 力も文化もないので、 そのような みっともないことを考えるべきではなく、謙虚にして 自分の国の 建て直しを考えるべきでは ないでしょうか。 理由は 1) 日本の財政赤字と 借金は 世界混乱を 惹き起こす原因になりかねないほど 厳しく、外国の援助どころではない。 2) 平和の問題は、論じる資格がない。小さな島で、世界第3位の 軍事費をかけ、更に超大国 アメリカの 庇護を求めて、沢山の基地を提供している。 こんな身勝手な国はない。 3) 実体は殆ど、アメリカの属国のようで、日本は 独立国として 自国の主張などしているとは 世界で 評価されていない。 4) マスコミの レヴェルなどを見れば、今だ民主主義、法治国家の意味さえ理解できていず、 衆愚政治に陥っている。 5) 国内は矛盾に満ちた 空虚な社会を 作っていて、国の再生、再建が重要な課題である。
2010.09.13
2010年9月13日9:00 唯物主義に生きがいはありますか?: 真面目に 人生、世界について考えられ、また悩んでおられますね。 素晴らしく 人間的なことですね。既に、 そのように悩んで 考えられている 貴方自身が おられるのですね。 悩んでいる自身は 果たして もの でしょうか。 ものなどで 説明できない、心のようなものですね。 人間がものでできていても、ものに影響されたり、遺伝子の影響を受けているとしても、私は存在して、いろいろ考えたり、感動したりしている 私は厳然として存在しています。 ある意味では、すべての世界は 私に写っているものに過ぎないとも言えます。 そのような意味で、 私の精神、心を大事にする必要があると思います。 ものをどこまでも 追求しても、 人間の心を 捉えることができるかは、まだまだ未定、わからない状態ですね。 人生で大事な事は、 漠然としますが、 自分の精神、心を大事にして、 他とうまく 調和させていくことでは ないでしょうか。 そして、好きなように、喜びが湧くように 生きるように考えていけば良いと思います。 いっぱい、感動して、喜びが 湧けば、それだけ 良い人生と言えると思います。 生きる意味について 声明12 を参考にしてください。同じような、悩みを懐いて生きてきましたので、お気持ちは良く 理解できます: 人生、世界の存在していることの意味について再生核研究所声明12 (2007/9/17) 天才教育や世界の在りようについて考えていましたら、結局は人生とは何か、存在している意味、目的が大事であると考えました。なぜならば、この世の全ての問題は、結局は一人ひとりの心の問題に帰するからです。そこで、次の文章を思い出したので引用して、全ての基礎にしたいと考えます。人生における基本定理 ......1995 年1月13 日朝、目覚めの後、ひとりでに数学のアイディアがうかんだときのように、「人生の意義は、......にある」という言葉がわいてきた。 私はもの心ついてから......自分が生きていること、そして死ななければならないことを知って以来、人生そのものの意味について、最も中心的な問題として考えてきた。その核心は、人間は生まれ、生き、死んでいくものであるが、それらがどのような意味があるのか、そして、そのような人生においてどれ程の価値があるのかという、半ば悲観的な見方......実際、人生は何の意味もないのに、人は死にたくないから、そして人並みにあるいは人並み以上になりたいから、あるいは人に尊敬されたいから等の漠然とした気持ちで生きているのではないか、と。また、そのような人生、人間の目標はどのようなものか、という基本的な問題への疑問であった。「人間としての存在の究極の意味、価値は」「人類の目指すべき基本的な方向とは」21第1章 美しい社会のために これらの基本的な問いについて、私が、全体的に、直観として得た解は、「人生の意義は、感動することにある」 というものである。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というような、人生における真剣な問いについて、これは十分な解答になっていると思われる。 人類の価値──真、善、美、聖──などの基礎を、我々の素朴な「感動させるもの」におき、また同時に生と死を、感動することと感動の止むことに置き換えれば、我々は死を安らかに受容できると思われる。 人類の永遠の課題──神、自由、不死──の解決のための確かな道筋を与えるばかりではなく、人間存在における三位一体の理──存在、知、愛──を、渾然一体のもの「感動」として捉らえたことになろう。 また、藤村操は、「......人生は不可解である......」という遺言を残して自殺したが、彼を何かに真に感動させ、「人生の意義は、感動することにある」として、彼を救うことができたかもしれない。何が「人間を感動させるのか」を問うて行けば、「人生如何に生くべきか」の基本的な方向を捉えることができるし、それは多くの人間が素朴に、あるいはぼんやりと抱いていたものと大きな相異はなく、この「人生における基本定理」は、多くの人間によって受け入れられるばかりではなく、新鮮な感動をもって人生の基本的な指針を与えてくれると思われる。?謝辞 群馬大学名誉教授の松井弘次先生の本、『色にまみれて』を読み、先生の「愛と熱情」に「感動した」と同僚達に述べているうちに、基本定理は自然に思い浮かんだものであり、「魂の解放」22第1章 美しい社会のためにに導いて下さった先生には深い感謝の気持ちを表したい。?追記 基本定理を自覚した後の心情は、・人生はそれ以上のものではないという寂しさ、さまざまな人生の肯定・何か絶対的で永遠的なものを失ったような寂しさ・感動できる人生を送ることは容易ではなく、逆に人生は苦悩に満ちている・人生のことは、考えれば考えるほど、わけが分からなくなる 等であるが、それにも関わらず、人生の方向と限界を知り、夢中で人生を送っているよりは、はるかに賢明になったように感じている。(群馬大学工業会報より抜粋)?参考 藤村操が遺書として残した「巌頭之感」の本文 悠々たる哉天壤、 遼々たる哉古今、 五尺の小躯を以て比大をはからむとす、 ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを 價するものぞ、 萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。 我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。 既に巌頭に立つに及んで、 胸中何等の不安あるなし。 始めて知る、 大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。 人間は物質からできているので精神活動も物質の化学反応によるものですよね?水素が燃えて水ができる。それと何が違うのでしょう?尊いとされる生命(その起源も偶然の長時間におよぶ化学反応によるものでしょう)や豊かとされる精神活動も自動的な物質のふるまいによる虚無の世界です。クオリアや自由意志も錯覚でしょう。まだ解明されたわけではないですが、その機能も物質の化学反応によるものだと考えることが自然です。何をしても楽しくないです。例えば、奇麗な夜景を見てホッとしますが、すぐさまこれも遺伝子にプログラミングされた自動的な感情(錯覚)だ気づき絶望します。しかし、生命及び精神活動が科学的に解明されても、その仕組みが分かっただけで本質(中身?)は分からないと言いますが、中身(主観?)なんてないんじゃないでしょうか?精神活動などあみだくじのようなもので、ある入力がされたらある出力がされるだけで自分とか主観とかそんなものはなく、今こうしてこう思った!考えた!も自動的な計算による出力にすぎないんじゃないですか?いろいろ考えた結果、自殺ということが頭に浮かびます。しかし、世の中の唯物論者(この定義がそもそも間違ってるのかもしれませんが、スピリチュアルなことを信じない科学的な人です)の方が全員自殺されてるわけではないですよね?どうしてでしょう?何に生きがいを持ってるのでしょうか?虚無感に襲われて辛いです。生命、精神、存在などの素晴らしさについて教えてください。哲学や科学について素人なので簡単な言葉で教えてくださると嬉しいです。どうかよろしくお願いします。
2010.09.13
移設反対の意思を表明してきた稲嶺市長を支持する候補が過半数を占めた: ことで、政府の移設作業も一層困難となりそうです。 沖縄県民の 市民の願いは 当然ではないでしょうか。 歴史を進めて、平和の方向に、環境に優しい 世界の在りようの方向に 進めるべきだと考えます。 是非、小沢氏が 歴史的な 代表選に勝って、首相になられて、基地問題の 進化が図れるように 期待したいと思います。平和と防衛問題については いろいろな声明を発表して、考え方を示しているので 参考にしてください。 今朝の夢: オバマ 対 小沢。 クリントン 対 田中真紀子; 日米関係を 大人の関係に発展、アジアの平和に貢献、ノーベル平和賞が輝き出した。日本は(???)政治を一掃。 アメリカは民主主義の大国で、オバマ大統領は ノーベル平和賞受賞者です。沖縄県民と日本国民に意志に逆らうようなことが どうしてできるでしょうか。 日本国がきちんと 筋道を立てて申し出れば。日本国の防衛の在り方について再生核研究所声明8 (2007/8/1) 国家には多かれ少なかれ軍隊が必要であり、国の治安を維持し、国に住む民の安全を保障することは、国家の最も基本的な任務である。そのために軍事費と軍関係の経費は、この21 世紀を迎えても、多くの国々で国費の大きな部分を占めている。日本の2000 年近い歴史の中で、日本をまともに攻めて来たのは、いわゆる蒙古襲来と第二次世界大戦だけであり、あとは逆に侵略の戦争であり、その他における日本の軍の多くの役割は、国内統一と治安の維持の役割を果たしてきたと言えよう。現在の国際状況と国内状況は、侵略を受ける危険性と国内治安上の観点からどのように評価されるであろうか。 まず、侵略を受ける危険性は殆どないと言えよう。殆どでは国の安全は保障されず、よって不安であるという意見が出て来ると考える。先ず北朝鮮がロケットを発射して日本を脅かす、中国軍の増強は危険である、韓国が日本の領土を侵す、ロシアが日本の国境を侵すなどの不安があると考える人がいるだろう。北朝鮮の問題は最も危険であると考えられよう。これらからの安全のために、集団防衛構想を進め、いわばアメリカの傘の下で日本の安全を保障していく戦略が、実際、現在の日本政府の基本的な方針であると考えられる。安保条約もその表れと解釈できよう。 しかしながら、果たしてそうであろうか。仮にロケットを発射して日本を脅かし、あるいは実際にロケットその他で日本を攻撃してきたとき、日本が何の抵抗もしなかった場合、北朝鮮は攻撃79第3章 外交・軍事を続け、何か利益を得ることができるであろうか。第二次世界大戦以前ならばいざ知らず、現在においてはもはやそのようなことはあり得ないと考える。日本の国際社会における大きな役割と国際社会の発展は、決してそれらを許さないと考える。日本の経済活動が停滞すれば、アメリカも中国も、また、国際社会も直ちに重大な被害を直接受けるからである。 もっと重要な観点がここで考えられよう。超大国アメリカは軍事大国であり、国是として自由と正義を希求し、正義のためには戦争も辞さない、いわばエネルギー溢れる国であるということである。イラク問題ではアメリカの正義は揺らいでいるが、3500名以上の犠牲者を出し、膨大な軍事費をかけて出兵しているのは、アメリカの国益がかかっているものの、大義としては、世界の正義(大量破壊兵器の破壊と独裁主義の排除)とアメリカのエネルギーの高まりと理解されよう。世界の平和と正義のための、アメリカの民主主義と力を重く評価したい。他に触れた危険性については、遥かに危険性の小さなことで、国境のいざこざが生じても大した問題ではないと判断される。実際、2000 年来一度も侵略してきたことのない国々に対して危険であるというのは、逆から考えれば大変失礼なことではないであろうか。 第二の国内治安上の問題については、日本は大変よくまとまった民主主義国家であるから、殆ど問題はないと判断される。しかしながら、この点において日本の防衛は危ういということを特に触れておきたい。日本人の心を痛めている、いわゆる拉致問題であるが、これはいわば国内治安の脆さを露呈したもので、このようなことを許した日本国の責任は重大であると考える。日本の領土、海、空を侵されては、国家としての形は整わず、防衛構想の80第3章 外交・軍事根本的な在り方についての点検と強化が必要であると考える。これは平常兵器による国防の強化と情報戦に対する強化を意味しています。 以上の考察のもとに、日本国の防衛構想と防衛戦略を提案したい。先ず第一に、日本は一度の敗戦で、独立心と自信を失ってきていて、アメリカ従属の精神から抜け出せないのは誠に残念である。歴史と外交は重いものであるから現状を一旦尊重して、今後の方向を慎重に検討していく必要がある。アメリカの民主主義と力を重く受けとめて、日米安保条約はこれを当面堅持していくとして、方向としては、 駐留なき安保を目指し、軍事的には、アジア諸国に脅威を与えないように、縮小する方向 で努力することとしたい。アメリカの要請を受けて、安保条約の強化と軍事的な貢献を求められている状況があるが、日本は平和憲法の精神で、アメリカの軍事力も世界の軍事力も縮小していく方向で努力していくものとしたい。これはアメリカと世界の利益にも適う道であるとしたい。さらに、 兵器開発や軍事産業、研究を、民生を豊かにし、環境を保全していく方向に転換させ、力を向け、 平和のために、憲法の精神のもとで積極的に努力し、軍事費の減少を世界的に働きかけていく......。 そのように努力したい。日本の軍隊は防衛に徹して、平常兵器による日本の陸、海、空を防衛し、特に情報戦に備えるための強化に努める。特に世界の状況を絶えず深く分析して、危機に有効に対処すべき戦略を練り、具体的な対応ができるようにすること。上記考察に従って、軍事費を縮少させ、質的な強化の方向を目指すものとする。81第3章 外交・軍事 ところで、日本は世界の平和のために、軍事を含めて、さらに貢献すべきであるという見解が表明されていて、そのために憲法を変えるべきであるという見解が出てきている。これは理論的にはよく分かる見解であり、将来検討の余地があると考える。これについて、次の3点を指摘し、当分これは見合わせ、内政の充実と経済力の強化に努めるべきであると考える。A世界の正義を決める国際連合は、いわゆる戦勝国が中心になって作った国際機関であり、日本は正当なる処遇を受けていないので、正当なる処遇を受けるまで、国際社会に対して軍事的な貢献を果たす責任はないこと。B国、地方団体の借金が1000 兆円を越え、年々大幅な財政赤字を抱えている現状では、国際貢献どころか、日本が国際社会に迷惑をかけないで、やっていけるような状況を作り出せるまで、全力を尽くして内実に努力すべきである。国内は既に大きな歪みを抱えている。C国内政治状況を見ると、憲法を改正して、良い憲法ができるどころか、悪い憲法になってしまう危険性が逆に大きく、現在憲法を変える能力が、日本国には未だ欠けていると判断される。
2010.09.12
2010年9月12日9:57 日本人の本音と建前は必要な事でしょうか?: これは 普遍的に存在して、また必要なのではないでしょうか。 ものごとの二面性で 深いもののように思います。 添付する 2元論も参考にしてください。 どんなに健康状態が絶望的でも、必ず良くなる と言うのは その典型的なことではないでしょうか。意外に人は 嫉妬心や、ねたみの心が在って、人の失敗を喜ぶようなところがありますが、建前では必ず成功を祈るとなりますね。 また、結婚式では 花嫁さんは 必ず美しいと表現しますね。 実際、皆さん美しいですが。 大体 頂くのは 賛成ですが、建前では、遠慮する表現をとりますね。 これらは 悪いとは 言えないのでは。 すなわち、表現するときには、一般には 美しい方向の表現 になるのではないでしょうか。 国家の問題だと、侵略戦争でも、必ず、防衛のための、自衛のための戦争と表現しますね。 悪くても、やもうえない戦争だと 表現すると思います。 神は「2」を愛し給う217 付 録 二元論については古来いろいろな人達によって主張され、あるいはそれとはなしに感じるものがあると思う。私も数学の研究や教育の場においてしみじみと感じるものがあるので、その一端を述べてみたい。 まず数学から。基本的な概念である実数は普通10 進法で記述されているが、本質的には2進法で記述される。しかし数としての実数はあまりにも狭く「数」としては2つの実数の組である複素数で考えなければならない(複素解析学─人類の傑作)。解析幾何学は代数と幾何の2つの概念の融合したものであり、射影幾何学は点と直線の2つが全く同等の存在であることを述べている──それには我々は「無限遠点」を観なければならないが。 またそこでは、比の比すなわち複比が重要な不変性をもっている。演算も二重に現れる。 加法と減法、乗法と除法、微分と積分、変換と逆変換、さまざまなoperator に対する"adjoint"operator、鏡像の原理、エルゴート性、さまざまな"duality principles"等々。今世紀における幾何学の方向を与えているガウス・ボンネの美しい定理は曲面の「局所」的な性質と「大域」的な性質の2つの間の関係を述べており、曲率の最大値と最小値を2つ掛けると素晴らしい不変量になるというガウスの「偉大なる発見」に基づいている。 2階の微分方程式は他のものに比べて圧倒的に重要であり、加速度は2階の微分で表わされる。ピタゴラスの定理a2 + b2 = c2でなければならない。私が1982 年に発表した「積分変換の一般論」は、この定理の一般化になっていた。これは線形変換でL2概念が不変に保たれることを述べており──波動や熱伝導等の現象においてもL2概念は保存され、ピタゴラス型の定理が成り立っている!! 次に最も進化(退化)した生物であり神の最も愛する(憎む)我々218 付 録自身に目を向けてみよう。男と女が2つ一緒になって「人」になり、我々は脳、目、耳、鼻、腕、肺、心臓、足、指、いのち等それぞれ2つずつもっている。また遺伝子は二重螺旋構造をもっているという。 二重といえば、二重のドア、鍵、堤防、道、被覆、窓、コード、回路、結合、価格、火山、唱、生活、底、否定等は格別の意義をもっているのであろう。 政治・社会においても2大勢力がモデルになっているのではないかと思う。そうだとすれば、多党化現象や中立政策は好ましいものではないことになろう。 さらに偉大なる発見、進化(退化)は2段階で行われていることにも注目したい。旧約聖書と新約聖書、物理学におけるニュートンとアインシュタインの発見、飛行機とロケット、積分論におけるリーマン積分(横)とルベーグ積分(縦)、超函数の理論におけるシュヴァルツと佐藤幹夫氏の理論等。戦争も進化(退化)の1つとみれば、あのようなハードな世界大戦は、3度は起こら(せ)ないであろうと思われる。 また現在進歩の著しいコンピュータはノイマン型とよばれているという。このような理由から間もなく新しい型のしかも決定的な型のコンピュータが出現するのではないかと予感している。 さらに発見が二重に行われる傾向にあるから論文の発表は急いだ方がよいとヤーノス・ボヤイの父は彼に忠告したものだが、歴史は正にそうであった(非ユークリッド幾何の発見)。 世界を二元論で観るといろいろ気づいたり発見したりすることが多いのではないかと思う。数学においてはこのような見方が研究の指導原理を与えたり、しばしば楽しい想いをさせるのである。(群馬大学広報より抜粋) 私は珍しく あまり本音と建前のない人間で 大概の事は本音か冗談なのですが建前を繕いながら本音ではきつい事を言う日本人の習慣これは必要な事なのかどうか?日本人らしくないと言えばそれまでですが建前が嘘になることもしばしば 偽善者的でもありますよね?
2010.09.12
2010年9月12日9:57 お猿さんって何なの?: これは とても良いご質問ですね。 言葉の分からない国 にいるのですが、 人間の生態も猿の生態も 殆ど同じように見えますね。 人間とは 動物と違うと思っていたのですが、考えれば考えほど、人間は 他の生物と変わらないことを実感しています。 人生とは何でしょう。 食べて、 子を産んで 育てて 大体 おしまいですね。 いろいろ考えたり理屈を考えたりしていますが、 本質はそれらに 尽きるのではないでしょうか。 みんな 元祖生命体と一部と考えられますね。各論について: お猿さんをどう見るべきなのでしょう? : 人間と同じような存在で、人間に近い 動物お猿さんが進化して人間になったのだとしたら - これは 違いますね。 お猿さんのような 動物から進化してですね。 サルはサルです。 私達人間は、今いるお猿さんをどう認識するのが正しいと言えるのでしょうか?親戚? 生物的に近い動物仲間? 大きくみると仲間ですね。同類? 大きくみると 同類ですね。ただの動物? 皆さんはどう思われますか? 人間と猿の違いは、 人間は、 自分が存在していることを 認識、知っているという意味で、 精神的な働きがあると点ですね。 生物としては、殆ど同じような 存在と言えます。 もちろん仲間です:再生核研究所声明 36 (2010/05/14): 恋の原理と心得 元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 元祖生命体においては 男女はなく一体の存在である。 従って、恋も、もちろん、男女の愛も親子の愛もそして死も本来存在しないものである。 元祖生命体においては 本来 永遠の生命を有していたから、 食欲や生命間の争いも無く、人類の進化の先をもっぱら志向しているとみられる。しかしながら、物質の形をとって、 生命が存在するためには、そのままで、永年存続させることは、 物理的に不可能であり、再生機能による仕掛けを用意する必要があった。 厳しい自然環境に柔軟に対応できるように、多様な生体系に分け、多様性の観点から、高等生物を2種類に分け、2つの作用によって、生命を再生させる仕掛けができて、それらが、男女の誕生、恋、結婚、出生、育児、親子の基本的な営みができたというのが そもそも恋の原理である。 これが子の誕生と死の輪廻、再生の原理である。 実際、人類以外の多くの生物は、生きること、恋をすること、子を設け、育てることで 殆どその生命活動は尽きると言える。 もちろん生物である人類にとっても、 基本は同様であると言える。 実際、 人生のあらゆる活動の大部分を それらに関して費やしていると言える。 種の保存は あらゆる生物の第1原理 であるから、当然である。 実際、人生を表現するあらゆる文学の課題がそれらに絡む題材であると言っても過言ではない。このような発想はギリシャと仏教の思想にあると考えるが、 夜明け前 よっちゃんの想い で最初に述べられた 最も大事なこと - 必然的に新しい価値観と考え方を限りなく発展させて、雄大な世界を拓く - となるので、深入りはしないことにしたい。 そこで、心得の方に視点を移したい。 男女がどのように恋について関わるかは 2人の自由であるから、それらの内部関係ではなくて、社会的な在り様についてまず触れたい。 実際、現在でも国や、社会によって多様な在りようが存在するのが 現実であり、実際である。 しかしながら、それらの在りようの基本として、声明1に述べられている、 公正の原則は ここでも基本になり得ると考える: 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. 殆どの小説の題材になる程に 恋の問題は、人間の精神に深い影響を与えるものであるから、 特に個人個人が 自己の心に忠実に、全体として、諒となるように対応するのが 最も肝要である。 自己の心とは実際深く、複雑なものであるから、しっかりと自分を捉えて対応するのが肝要である(恋の心得)。 上述のように そもそも 恋は生と死に関わる人生の大事 であるから、特に恋の 第一の結晶作用(スタンダール)がはじまる以前においては 慎重さが大事であり、第二の結晶作用 前においては 恋を解消する勇気を持ちながら、十分な時間をとり、全人格を賭けて決断を行なうことが特に肝要である。恋には、一個の人間の、愛、欲求、良心、熱情、不安、畏れ、などなどの激しい葛藤があり、その意味で、恋にどのように関わったかは、1個の人物の第1次の総合指標を表していると言える。 恋の現象として、特に印象深い、参考文献、表現について触れておきたい:恋の問題を人生・世界の広い視点から深く扱っているものとして、ゲーテのファウスト。女性の恋と性は簡単ではなく深いものであることに触れている、バルザックの谷間のゆり。自殺する前に話した、先輩の言葉: 私の人生で、真実は唯一つ、A を愛したことだけである。- 実際、恋のいわば失敗で、自殺に追い込まれたり、生涯に亘る傷を負うことは世に多くみられる。人生の基本定理(声明12)に寄せられた言葉: 出産が 私の最も感動したときである。 少し、超越への道について触れたい。 食欲と性欲は 基本的な人間の欲求とされるが、上記 元祖生命体においては 本来それらは、無いものであり、本来の生命活動としては、それらを超えたところに存在するということである。 したがって、 食べるために生きる、恋のために生きるは、本質的な誤りを含んでいる。 真実、本質は逆である。 生きるために食べ、生きるために恋をするのである。 したがって、それらは無限ではあり得ない。 人類が 元祖生命体の人類の先を志向するのは、あらゆる生物のうちで、人類だけができる人類の崇高な使命である。 人類は己が存在の基礎に元祖生命体の己の分身が雄大に広がっていて、同じ運命共同体であることを忘れてはならない。 もちろん、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在である。 まこと 個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみると 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である。元祖生命体の高度な顕著な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である。以 上
2010.09.12
2010年9月10日9:17 小沢氏の海兵隊不要論批判=北沢防衛相: これは 民主党の考え方としておかしいとともに、 日本の在るべき方向としても おかしいのではないでしょうか。 時代の趨勢を考えて、アジアの平和は 中国に任せるような 姿勢をとり、最小、精鋭で 専守防衛の構想を 考えた方が 歴史の進化であり、また現実的だと考えます。次を 参考にしてください。 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて再生核研究所声明25 (2009/07/01) 世界の大国、アメリカと中国の存在は、それら両国を抜きにして、世界の平和や経済問題など、語り得ないことはもはや自明の事実である。したがって、それら両国と日本国がどのように向き合うかは国家の重要事項である。日本国の位置づけを行う上でも重要な視点になる。そこで、日本国の在りようの視点から考察を行いたい。 まずアメリカに対する評価であるが、第一に、日本国はアメリカを主とした国々に無条件降伏を行い、しかも戦後復興を援助してくれた国として、別格の位置づけを行い、友好親善関係を深めていくのは当然である。さらにアメリカは、民主主義の大国であるばかりではなく、経済、軍事においても、文化においても世界を指導できるただ一つの超大国であると評価できる。それゆえに、日米安保条約などの関係もそれなりに理解できるものである。しかしながら、戦後60 年を超えて、外国軍が駐留を続けている状況は異常な状態と言わざるを得ない。いまだ日本には敗戦の傷を負い、独立心と自立心に欠け、対米従属の精神が抜けきらないのは、はなはだ残念である。大抵の国々が敗戦を経験したり、過ちを犯してきているのは当たり前なのに、日本国はたった一回の敗戦で、独立国家としての気概を失っているのは誠に残念である。すなわち、アメリカに対しては別格の友好親善関係を維持しながら、敬意を表しつつ、日本国は国家としての独立性と自立性を図るように、より努力することとしたい。これは軍事、経済面ばかりではなく、文化や精神面においても、である。92第3章 外交・軍事 次に、対中国問題であるが、まず、中国はいわば日本の故郷に当たるという格別の認識を確認すべきである。日本人の多くは中国に行って、兄弟や親族と間違えるような人々に会い本当に兄弟国であることを知るでしょう。さらに漢字や儒教を通して、多くの文化の強い影響を受けていて、世界の文化圏から見れば、日本は中国の文化圏の一部であるとみられよう。しかるに中国を嫌ったり、警戒したり、あるいは敵視するような一部の人たちの見方は、はなはだ視野の狭い、独断と偏見に満ちたものであるといわざるを得ない。日本国は、いつも大国中国に対しては、特別な敬意をもって、母なる大国として当たるべきである。 アメリカと中国との友好関係を深め、世界の平和は両国を中心として、国連常任理事国などに任せ、日本は最小の専守防衛の自衛軍を備えるというのは、日本国の在りようの基本として良いのではないかと考える。 日本国は、軍事や国際平和の問題を任せて、謙虚にして、内実を図り、文化や経済などで発展し、国際貢献していけば良いと考える。その時、日本国憲法の精神が理想ではなく現実に実践できる時代を迎えることができると考える。 皆さん、軍隊などはなくても、誰も侵そうなどとはしない、美しい国、日本国を築こうではありませんか。暮らしが大事、内実が大事ではないでしょうか。世界に誇れるような、北欧諸国や、ポルトガルのような文化国を作ろうではありませんか。 この日本国の在りようは、集団防衛構想や敵地攻撃を検討したり、防衛力増強を図る立場とは激しく対立する日本国の在りようとして、現実的に極めて重い意味を有するのです。背景には、国、地方の1000 兆円を超える借金と慢性的な財政赤字、疲弊した日本社会と少子高齢化社会、荒廃した日本の教育などに対する配慮があるのです。93 北沢俊美防衛相は10日午前の記者会見で、小沢一郎民主党前幹事長が沖縄県に駐留する米海兵隊の不要論に言及したことなどを念頭に、「『やがて米軍は沖縄から撤去する』と言う人がいるが、現状認識を間違えている」と批判した。また、「海兵隊が中心になった抑止力は依然、欠かすことができないし、中国の軍事力増強などを見ると(必要性は)一層高まっている」と強調した。(2010/09/10-10:58)
2010.09.10
小沢氏は2兆円をばらまき、国債をもう一回作って、借金をつくる: この問題は 経済、財政問題ですが、どちらの考え方も成り立ち、具体的な配分法も問題では。 そこで、 2兆円のばら撒きの批判は 成り立たないと思います。 前向き考えれば、 ここで財政出動しなければ 経済が壊滅的な打撃を受けるような場合には どうしても梃入れをした方が 良い という状況は考えられると思います。 要するに、借金体質などは 数年で改善できるほど 甘くはなく、如何なる政策、政府でも 財政破綻 すれすれまでは 日本は世界と共に 落ち込む覚悟は 必要ではないでしょうか。 何でも急には行かないのが、慣性の法則 ですね。 次を参考にしてください: 再生核研究所声明 45 (2010/07/23): 第2次世界大戦と第3次世界混乱 この課題は重いので、まず ( ... みんなで考えていこうというのが声明の精神です。みんなで、社会を良くするにはどうしたら良いか、自由に意見を交換して、より良い社会を作るために貢献したいと思っています。政治は大事ですから、それを避けず、より良い政治が行われるようにするのは、大事な要素になります。戦争、平和、経済、教育の基本に関わりますから。私は教育もおかしいと思っているので、いろいろ考察して、意見を述べていきたいと思っています。しかし、何よりも大事なことは、個々の意見ではなくて、このようにいろいろ考え、いろいろな意見をまとめ、多くの人の意見を交換していくことと思っています。私は、そのきっかけを与えようとしているに過ぎません。──哲学は教えられない、ただ哲学することが教えられるだけだ──という言葉が想い出されます。私は、専門家や知識をもっている人だけが良識や見識を持っているとは考えず、善良な市民の感覚のなかにこそ、大きな真実と良識があると思っています。ですから、いろいろな広い人たちからのご意見やご提案を期待しているのです。2009 年7月23 日 アヴェイロにて: 夜明け前 よっちゃんの想い(以下YYと略す) 序文 最後)を想起したい。さらに、最近繰り返し注意しているように、イラク問題(YY. 101-102)やロッキード事件におけるもみ消し事件などに見られる(欧米では時間を越えて 真理、真実を追求しようとする文化がある (これは神の前に出るときには 清い心で望みたい という宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には 誤魔かしたり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに 深く根ざしているとも言える。 声明38)というように 日本では、歴史を直視できず、したがって、きちんと反省できず、同じような過ちを繰り返しているという、日本の本質的な弱点を重く受け止めるべきである(過去のことは過去のこと、と片付けるならば、我々は、未来まで片付けてしまうことになる - ウインストン・チャ-チル)というのが、この声明を考えた原点である。 なぜならば、日本は また第2次世界大戦と同じような誤りを繰り返す危険性が極めて高いと考えるからである。 さて、第2次世界大戦とはそもそも日本にとって何であったか、その本質は尊敬する大谷杉郎 群馬大学名誉教授が精魂を込めて書かれた文章の 次の文に簡潔に表現されていると考える: ( 第二次世界大戦と日本の良心 靖国神社問題に対する提案に対して/大谷杉郎(2007/4/12) ... 。第二次世界大戦の本質は、世界列強の世界侵略に対する日本の切ない反逆です。... YY. 84-85)。 実際、当時の厳しい時代背景が述べられ、戦争に巻き込まれていった様が良く表現されている。 時代背景を顧ない表面的な事実の羅列は空しく、アジアの人々と共に時代背景を 反省を込めながら、共有したいと考える。 反省とは なぜ西欧列強にアジアが侵略され尽くされて来たかという重い事実である。日本国がアジアの弱小国家であったら、果たしてアジア諸国の独立が実現していたであろうかと考えざるを得ない時代背景である。さらに、当時の世界情勢を考えると 日本が戦端を切らずとも いずれいろいろな理由をつけて、戦争に突入させられていたのではないかと考えさせられる。さて、現在の世界に目を移したいと考える。 日本国の防衛のためには、核武装が必要であるとか、軍備の重要性を主張する人たちがいる。これに対して、二元論の立場から、第3次世界大戦は起らない、起こせないと主張して、30年を越えている(YY. 217-218)。核兵器は戦艦大和のように もはや使えない無用の長物である。 国防の責任者たちは、また興味ある日本国民は 世界の核兵器使用の危険性について、またハードな戦争に巻き込まれる危険性について 冷静に、正確に、世界の状況を分析すべきである。 第2次世界大戦前にも、冷静に世界の状況を分析できれば、戦端を切るような愚かな役回りをするはずはなかったのではないだろうか。小学生や中学生に地球儀を見せて、世界を相手に戦った様を説明すれば、愚かな選択をしたと子供たちは判断するのではないだろうか。社会体制の在りようを評価しても、世界史における大義ある(声明41)戦争とは言えないと断定せざるを得ない。第3次世界大戦は起きないと考えるが、世界混乱は起きる可能性が高いのではないだろうか。 その形相は金融不安、経済不振に絡んで、世界的な規模になるのではないだろうか。先ず、アメリカと日本の膨大な債務はいずれ、破綻を迎える危険性が大であり、いずれの破綻も世界を直撃し、世界混乱の発端になると危惧される。そのとき、ちょうど第2世界大戦の戦端を切らされた悪周りを 日本が再び背負わせられる危険性が高いと、ちょうど当時の世界状況と最近の国内状況を考えながら、危惧している。この声明の趣旨は、ちょうど第2次世界大戦の戦端を切ったと同じような悪周りを、日本が世界混乱をひき起こす原因にならないように警戒すること、及び世界混乱に陥った場合の対策を国家として講じるように 注意を喚起することにある。民主主義は本質的に衆愚政治になる危険性が高く、国民が賢明になる必要があり、全ての責任は 第2次世界大戦の苦しみと同じように、結局自分たちの上にのしかかることを国民が自戒するのは当然である。ここで、マスコミの果たす役割の重要性を指摘する必要がある。 戦前、戦中、日本のマスコミは何ら有効に機能せず、敗戦において、大きな反省をしたはずであるが、現状は如何であろうか。ただ雑な情報を流したり、偏っていたりして、国家と国民を導く、重要な役割を果たしてはいないと評価せざるを得ない。マスコミは賢明になり、きちんと的確に情報を掌握し、適切に国民に提供するように期待する。また、国を導く建設的な提案を積極的に行って頂きたい。日本の言論界の在りようとレベルも同じようなものであると言える。ところで、上記、世界混乱を避けることができたとしても、永く苦しい時代を 日本は世界と共に 耐えることになるだろう。そのような時代への準備も 多面的に講じる必要があるのではないだろうか。 要の心得は 国際社会そのものである アメリカ、中国、EUとの友好親善関係を大事にして、徹底的に耐えることではないだろうか。日本の文化力は戦前以下であり、欧米のレベルに いまだ達していないと考える。以 上2010年9月10日9:03 蓮舫行政刷新担当相は10日朝のTBS番組で、民主党の小沢一郎前幹事長が2兆円の予備費を使う経済対策を表明して財政出動に積極的な姿勢を示していることについて、「小沢氏は2兆円をばらまき、国債をもう一回作って、借金をつくる。首相になったら(対策を)考えるというのでは不安がある」と批判した。
2010.09.10
2010年9月9日9:07 美しく老いるとはどういうことですか。教えてください。 この問題は だれでも考え、あるときは 誕生日が来ると いやな気分になったり、若さをうらやんだり、若いは良いなどと考えがちですが、それらは間違いであることに気づいてきました。 美しく老いるも間違った 発想と言うことになります。 先ず、美しいとは どのようなことでしょうか。 それから 良く考える必要があります。 いろいろな民族、人種の人を見ると 本当に分からなくなってしまいます。 具体的に触れると直ぐに問題になりますが、 本当に いろいろな人がいますね。 おもしろいのは、それらの中で、なぜかしら うまく カップルができて、 惚れあっていくのですね。 その時の 誰が良いか、美しいかは価値判断がいろいろあって 決まるようなものではないと言うことです。 そこで、美しく とは ある人に 言えば、それは その人が その時に、輝いているような 時を言うのではないでしょうか。 輝いているようなとき とは、 年齢、環境、それそれの時を言い 決まったものでは無いと思います。 結論を言えば、 美しく老いるとは 良く生きると いうことと 理解すればいいのでは ないでしょうか。 人が 良く生きれば、それは 美しい老いるといえ、充実した人生は 美しくおいている といえると思います。 それは抽象的ではなくて、 美しく輝いている 老人を沢山見ることができますね。 良く生きてきた 美しさが にじみ出てくるのですね。 こうなると本当に 美しく老いた と言えますね。
2010.09.09
鈴木宗雄氏の有罪と収監について: 政治家の身分の保証のために 指揮権の発動を: 在任中、2社から計1100万円のわいろを受け取ったとして受託収賄やあっせん収賄など四つの罪に問われ、有罪と収監が確定したことで、沢山の反響がある。 この件について、先ず第一に 遵法、法に従うは言うまでもなく、大事である。この件の、問題点と今後の対応を 考察したい: まず、裁判所の決定と審議過程に いろいろな疑義が湧いているのは、誠に残念である。 なぜならば、刑の確定には 関係者の理解が得られるような手順、課程を経ての決定であることが 求められるからである。 更に政治家の 刑については いっそう慎重な対応がなければ、政治的な意図が働いているのではないか との疑惑が 何時も付きやすいからである。多くの国民から、支持されて 選ばれた国会議員が、逮捕されたり、失職したり、収監されるという事態は、多くの問題があると考える。 今回の、1100万円の賄賂で、有罪、失職、収監では、たとえ有罪でも あまりに 国家として失うものが多いと考えられないであろうか。 外交、防衛、領土問題など、国家の重要な問題を考えている国会議員の 大きな役割からすれば、それは あまりのも卑小な問題で その大きな役割を停止させることは、国家の大きな損失であると考えられる。 具体的には、法務大臣は 指揮権の発動を行い、国民が十分納得できるような重大な犯罪で無ければ、国会議員の身分を保証して、大事な国政に専念できるように 配慮すべきではないかと考える。 絶えず、検察庁の暴走を牽制し、政治家の身分の保証に 配慮することは 現在の日本の政治状況の中で 特に 大事な事と考える。 次を参考にしてください: 再生核研究所声明 31 (2010/02/08): 法の精神と - 罪と罰 近年、政治家が政治資金問題などで、政治家としての責任が問われたり、芸能人の不祥事件で才能を有する芸能人が芸能界から追われたりする事件が起きている。また才能ある力士が同じような状況で、引退を余儀なくされている。そこで、疑問が生じて来たので 法律と法律に反した場合の処罰について考察したい。ここで法とは、法律とは、法治国家において定められた法律を意味し、罪とはそれらに反した場合を言い、罰とはそれらに対する裁判結果ならびにそれらに由来し、意図的に与えられた一切の不利益と定めよう。そもそも法とは 社会生活を営むために社会の秩序を保ち、また社会生活を円滑に進めるために、国の代表者が立法府において定めたものであり、これは国の約束事であるから、第1義的に尊重し、遵法に心がけるのは 当然である。しかしながら、立法の背後には より良き社会を営むために という前提があることを まず、きちんと抑える必要がある。これは法が、生きた社会から遊離した理論的な世界ではないことを意味する。立法府の作る法が基本法 憲法に反していたり、また現実離れしているとか、場合によっては遵法が不可能の場合すら現に起こり得るのである。そこで、再生核研究所では公正の原則を掲げて、法の不備を次のようにして補完すべきであるとしている:1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか3) それはみんなに受け入れられるか 4) それは安定的に実現可能かこれらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる(声明1抜粋)。実際、検察庁も裁判所も上記のような精神で法を運用していると考える。しかしながら、罪と罰に対して、同一の罪は同一の罰に値するとは考えず、法の定める基準を尊重しながら、社会の利益の観点から判断して罰を考えるべきであると提案したい。そもそも、罰とは遵法させるための、社会秩序を維持するための便法であり、復讐としての罰は 否定はできないが、本質的には空しいものであると考える。法によって処罰され、また社会的な制裁によっていろいろな活動ができなくなってしまって、それによって生じる社会の不利益が大きい場合、そのような罰は適切であると言えるであろうか。法律関係者やマスコミ関係者は、罰を与え報道を行うときに、社会の全体的な利益の観点から慎重な対応をとるべきであると考える。具体例をいくつか挙げたい。まず、政治家の場合であるが、政治資金問題で 与党幹事長の責任問題が議論されているが、与党幹事長の日本国における役割の大きさと社会的な存在の大きさから、軽々しく罰を与えるべきではないと主張してきた(声明30)。国の中枢の人物の身分が厚く保証されなければ、国の秩序は維持できず、国家の運営は危ういと言わざるを得ない。才能ある芸能人を罰して、芸能界から消してしまうのは日本国として大きな損失にならないでしょうか。研究者が過ちを犯して、研究者としての人生に止めをさせば、長年の研究生活で得た貴重な経験が活かせず、大きな損失に繋がらないでしょうか。罰については、法の定める基準を尊重しながら、社会全体の利益から判断すべきである というのが 声明31の趣旨です。みなさん、法のための法、無駄な罰、人を傷つける、罰、報道、いろいろ形式的な処分で、社会の大きな損失につながるような いわゆる罰について注意していこうではありませんか。才能や能力を社会のために活かして行こうではありませんか。ここにAがいて、罪を犯した。Aの人権を尊重しながら、社会全体の利益を考えて、罰を考えていこうではありませんか。Bが重罪を犯し、これからも重罪を重ねる可能性が強い。しかしながら、Bはある特殊な才能を有している。24時間の補助員を付けて、Bの才能を社会に活かそうではありませんか。もしBに それに見合うだけの社会的な価値を生む能力があるのならば。横綱の引退を招いたのは、日本の文化に問題があると考える。国会議員や、与党幹事長の辞任を求める風潮も同様である。両者に共通して言えることは、問題の本質を議論しないで、大きな役割と存在から見れば些細なことを 大げさに騒ぎ立て、報道して世論を惑わしているマスコミに大きな責任があると考える。以上
2010.09.09
菅氏を支持できない理由: 一貫して、政権交代を支持し、菅氏もその流れで、支持、応援して来ましたが、今回の代表選挙の過程から、菅氏を支持しない立場を とらざるを得ないのは 誠に残念である。 理由は •1)民主党の団結が必要なときに、 政権交代後1年くらいで、党の創立者、鳩山氏と小沢氏の協力が得られず、結果として、競う立場に追い込まれたこと。党首としての不手際と判断せざるを得ない。•2)政権交代の基礎は、鳩山氏と小沢氏が 衆議院の総選挙で実現したという、重い事実に 菅氏の立候補は 反する流れとなる。•3)鳩山氏の残余期間の 臨時の党の代表者のときに、政権交代後 初の 大事な参議院選挙で 敗北するという重い、痛い審判を受けていて、結局、菅氏の権力の基礎は、現在 失なわれていると言える。•4)小沢氏立候補の 正当な立場を妨害するような キャンペーンが 菅氏周辺から出て、汚い妨害を図り、政治姿勢の暗さ、不明朗さを示したこと。•5)大きな問題を 臨時代表者の立場でありながら、党に図らず、ころりと変えるような、軽さが既に見られる。このような態度は、極めて危険な態度と判断せざるを得ない。当時の党の公約や我々の理解と違った、外交、防衛政策が出てきたこと。•6)例え、菅氏が代表選で勝っても、多くの国民は 民主党を見限り、政権交代に努力し、期待してきた多くの人々の絶望を招き、政権交代は 頓挫して、日本の政局は 更に混迷すると考えられる。•7)政治家としての力量を考えれば、小沢氏をより高く評価する。小沢氏のしっかりとした政治理念、信頼に基づいた国家観を高く評価し、また、経済、財政に取り組む積極姿勢も高く評価される。•8)マスコミや世論などの 小沢氏批判の論拠は 誠に奇妙な、古代的な、わけの分からないもので、マスコミは まるで人心を混乱させ、衆愚政治に日本を導いているように見える。 このような空気は 排除されるべきであること。•9)これらはすべて、政策の問題では無くて、政治姿勢の問題である。2010.9.9:
2010.09.09
その理解は簡単ですね。 日本は まだ独立国とは言えないほど、アメリカの影響を受けている現実を知って 妥協をしていると思います。 きちんと筋道を立てられる人物でないと、歴史の進化も図れず、国益も守れませんね。アメリカにも いろいろな人がいること、を知る必要が。日本の マスコミがおかしいとの状況は、自分たちの都合の良い政府 を作ろうという力、それに マスコミの信頼を失なわしめて、日本のマスコミを 衰退させよう との戦略があるのでは。いずれにせよ、マスコミの自殺行為とみられる。 記録はすべて残りますので、歴史的な判断を仰ぐことにしたい。私も感動しました: 一人でも多くの国民に見て欲しい。明治の自由民権運動の集会のよう。蓮舫は何を感じたのか。クリーンより、大事なものが政治にはある RT@cookiedowntown 緊急集会での感動的な発言。6:30くらいからに注目。http://bit.ly/aSlJjL政治とお金の問題で、責任をとって、鳩山氏と小沢氏が 辞められたというは 間違いに当たると思います。 政治とお金の問題で、疑いをかけられ、マスコミと世論の理解が得られそうになかったので、選挙に臨み、無念であるが 党のために一旦身を引いた というのが、真相ではないでしょうか。 疑いで、有罪のような判断は 法的にもおかしく (推定無罪の原則) また、 検察庁が 政治介入すれば、首相級の人物でも 落とせるという 暗い道を開くことに繋がると考えます。 2010.9.7.良い社会を作るには、政治は大事; 平和の問題、教育の問題、経済問題など多くが関与するから; 政治家は大きな影響を与える、首相のなどでは 影響が、極めて大きい。今、A,B いずれかが首相に適任かが問われている。いずれかが適任であると判断できれば、その人物を応援するのは大事な事となる。その重要性に応じて、熱心にならざるを得ない。2010:9:6:18:20民主党 外から、 菅氏を支持、小沢氏の批判を繰り返している 1部は、民主党解党の戦略の一貫 と考えていると判断される。 民主党の解党、分裂が目標ですから、理由はどうでもよく、つぶし易い菅氏を 臨時に応援しているに過ぎない。私は接戦の末、小沢氏が勝利すると感じています: 選挙と言うものは どちらも勝っていると判断するのですね。 少し、歴然となれば、 なだれ現象で大差がつくのですが、少数差だと 最後まで苦しいですね。 すると 大将の 器の問題になる。命がけの敵がいて命がけの身方がいる。そのくらいでないと革命的な事は成してない。” おおくの人は、きちんとした考えを持っていず、 ふらふら小鳥たちの群れのように動いているのが現実ですね。ところが少数の真剣な態度が、影響を与え、 大衆を動かすのですね。真剣な少数の小沢さんとさえ仲良くできないオルジナル。。。けど自民党と仲良くできるって・・意味がわからん! : これは有り得ますね。 自分の権力の維持のために、政治理念を変えたり、国益を犠牲にする人は 歴史上も多いですね。ですから、その野心を見抜く警戒が いつでも誰でもUSTで梅田演説会を聴いている: 私も今拝見したのですが、民主党も菅氏も大変立派だったと思います。 しかし、小沢氏の器の、格の違いを示した立会演説会となったと思います。 流石に終わりには、菅氏も元気がなかったですね。あれだけ歴然とすると、結果は?人間には 良心がありますから。穴があったら入りたい人たち?: 気づいてみると、 つい1週間前まで、小沢氏の立候補を あれこれ抑えるようとしていた、変な、暗い動きや発言、もうすっかり、立候補を否定できる人はいませんね。 代表選挙は 熱気を帯び、大きな変化が 予感される空気では。これで 小沢氏が圧勝すれば、初めて ネットの影響 がもろに出た選挙として 歴史に記録される事件 になるのでは。 マスコミの権威が 地に落ちる瞬間ですね。 本当の政権交代の意義 が出ると考えられる。 日本国独立の1歩にも。政策は 状況によって、議論して、進めれば良い、問題は、人の和、 道理と信頼に基づいて、政治が進められるかの、政治姿勢である。 だから、孔子は儒教を今朝の夢: オバマ 対 小沢。 クリントン 対 田中真紀子; 日米関係を 大人の関係に発展、アジアの平和に貢献、ノーベル平和賞が輝き出した。日本は(???)政治を一掃。
2010.09.08
2010年9月6日8:51 ブッダ葬送がやっぱし必要ではないでしょうか:簡単に意見を述べさせて頂きます: (α) 末法が 現実であるのではないでしょうか。 これは あまり重要な意味がないのではないでしょうか。 良い未来を築いて行けると思います。まだ、少し野蛮な時代ですが、世が開けて 良い時代が来ると思います。 (β) もう何も新しい思想は ブディズムからは出て来ないのではないでしょうか。あとは 広義の訓詁註釈のみではないでしょうか。全然違うと 思います。 まだ、先史時代ですね。 素晴らしい未来があって、 いろいろ新しい思想や考え方が どんどん出て来ますね。 夜明け前 よっちゃんの想い (文芸社) にも根本は書いてみました。 (γ) 後世に現われた広義のブディズムは ブッダをきちんと葬送して初めて その生きた思想は生きるのではないか。 お釈迦様は難しいことも、いろいろな形式も 述べられていないと思います。 多くのことは 後世 いろいろ加えられたのですね。 その辺は 注意深く考える必要があると思います。これは他の宗教でも 同様ですね。 文化、歴史の 一部でもありますね。 (δ) 《慈悲》は 人間にとっておこなうことは出来ないと なぜ明らかにしないのでしょう。出来るのなら ふつうの思いやりです。無縁慈悲は 絶対の愛のごとく 実践はむつかしい。これは できるのではないでしょうか。余裕があれば、他にも 優しくできると思います。本来は そのような存在と思います。人間ばかりではなく、生物は同じ、運命を有していて、同じ存在の一部とも言えると思います。元祖生命体 (ε) 《縁起共生=空観》--てっとり早くは 関係主義の思想--は当たり前だと なぜはっきりさせないのでしょう。そうでなければ ただ精神において理念や美を描こうとしたその想像世界です。同じ、運命体、共同の存在? (ζ) 《仏性》ほど 唱えていながら それにもかかわらず はっきりさせないものはないのではないでしょうか。絶対普遍のことなら そうだと言うべきでしょう。そうでなければ ただのお慰みのおもちゃです。思いやりの問題に還元されます。絶対普遍 それは ありそうですが、きちんと捉えられない、 かすかに 予感がする程度ではないでしょうか。 (η) 一たんきちんと 葬送をしておく必要があるのではないでしょうか。そうすれば ひょっとして 復活する恵みが起きるかも知れません。 言いかえると いまもこれなら生きているというおしえを おしえてください。 これはどのようなことかな??? 次の考えは如何でしょうか?: 元祖生命体として、遺伝子を考えて見てください。 再生核研究所声明 36 (2010/05/14): 恋の原理と心得 元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 元祖生命体においては 男女はなく一体の存在である。 従って、恋も、もちろん、男女の愛も親子の愛もそして死も本来存在しないものである。 元祖生命体においては 本来 永遠の生命を有していたから、 食欲や生命間の争いも無く、人類の進化の先をもっぱら志向しているとみられる。しかしながら、物質の形をとって、 生命が存在するためには、そのままで、永年存続させることは、 物理的に不可能であり、再生機能による仕掛けを用意する必要があった。 厳しい自然環境に柔軟に対応できるように、多様な生体系に分け、多様性の観点から、高等生物を2種類に分け、2つの作用によって、生命を再生させる仕掛けができて、それらが、男女の誕生、恋、結婚、出生、育児、親子の基本的な営みができたというのが そもそも恋の原理である。 これが子の誕生と死の輪廻、再生の原理である。 実際、人類以外の多くの生物は、生きること、恋をすること、子を設け、育てることで 殆どその生命活動は尽きると言える。 もちろん生物である人類にとっても、 基本は同様であると言える。 実際、 人生のあらゆる活動の大部分を それらに関して費やしていると言える。 種の保存は あらゆる生物の第1原理 であるから、当然である。 実際、人生を表現するあらゆる文学の課題がそれらに絡む題材であると言っても過言ではない。このような発想はギリシャと仏教の思想にあると考えるが、 夜明け前 よっちゃんの想い で最初に述べられた 最も大事なこと - 必然的に新しい価値観と考え方を限りなく発展させて、雄大な世界を拓く - となるので、深入りはしないことにしたい。 そこで、心得の方に視点を移したい。 男女がどのように恋について関わるかは 2人の自由であるから、それらの内部関係ではなくて、社会的な在り様についてまず触れたい。 実際、現在でも国や、社会によって多様な在りようが存在するのが 現実であり、実際である。 しかしながら、それらの在りようの基本として、声明1に述べられている、 公正の原則は ここでも基本になり得ると考える: 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. 殆どの小説の題材になる程に 恋の問題は、人間の精神に深い影響を与えるものであるから、 特に個人個人が 自己の心に忠実に、全体として、諒となるように対応するのが 最も肝要である。 自己の心とは実際深く、複雑なものであるから、しっかりと自分を捉えて対応するのが肝要である(恋の心得)。 上述のように そもそも 恋は生と死に関わる人生の大事 であるから、特に恋の 第一の結晶作用(スタンダール)がはじまる以前においては 慎重さが大事であり、第二の結晶作用 前においては 恋を解消する勇気を持ちながら、十分な時間をとり、全人格を賭けて決断を行なうことが特に肝要である。恋には、一個の人間の、愛、欲求、良心、熱情、不安、畏れ、などなどの激しい葛藤があり、その意味で、恋にどのように関わったかは、1個の人物の第1次の総合指標を表していると言える。 恋の現象として、特に印象深い、参考文献、表現について触れておきたい:恋の問題を人生・世界の広い視点から深く扱っているものとして、ゲーテのファウスト。女性の恋と性は簡単ではなく深いものであることに触れている、バルザックの谷間のゆり。自殺する前に話した、先輩の言葉: 私の人生で、真実は唯一つ、A を愛したことだけである。- 実際、恋のいわば失敗で、自殺に追い込まれたり、生涯に亘る傷を負うことは世に多くみられる。人生の基本定理(声明12)に寄せられた言葉: 出産が 私の最も感動したときである。 少し、超越への道について触れたい。 食欲と性欲は 基本的な人間の欲求とされるが、上記 元祖生命体においては 本来それらは、無いものであり、本来の生命活動としては、それらを超えたところに存在するということである。 したがって、 食べるために生きる、恋のために生きるは、本質的な誤りを含んでいる。 真実、本質は逆である。 生きるために食べ、生きるために恋をするのである。 したがって、それらは無限ではあり得ない。 人類が 元祖生命体の人類の先を志向するのは、あらゆる生物のうちで、人類だけができる人類の崇高な使命である。 人類は己が存在の基礎に元祖生命体の己の分身が雄大に広がっていて、同じ運命共同体であることを忘れてはならない。 もちろん、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在である。 まこと 個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみると 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である。元祖生命体の高度な顕著な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である。以 上
2010.09.06
2010年9月6日8:51 なぜ地球は食物連鎖というルールの中で存在しているんでしょうか?: 素晴らしい質問です。 自然は厳しいので、多様性を有する形に 生体系を作って、生物の生存を図っているように見えますね。 生命の目指す先は まだ分かりませんが、 生存すること、知ること、感動することを求めているのは 確かですね。 次を参照してください。 なお そこで言われている、元祖生命体は 遺伝子という実在するもので、実現しているともいえますね。 遺伝子は生物を乗りついて 生きていますね。 何を目指しているのでしょうか。 再生核研究所声明 36 (2010/05/14): 恋の原理と心得 元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 元祖生命体においては 男女はなく一体の存在である。 従って、恋も、もちろん、男女の愛も親子の愛もそして死も本来存在しないものである。 元祖生命体においては 本来 永遠の生命を有していたから、 食欲や生命間の争いも無く、人類の進化の先をもっぱら志向しているとみられる。しかしながら、物質の形をとって、 生命が存在するためには、そのままで、永年存続させることは、 物理的に不可能であり、再生機能による仕掛けを用意する必要があった。 厳しい自然環境に柔軟に対応できるように、多様な生体系に分け、多様性の観点から、高等生物を2種類に分け、2つの作用によって、生命を再生させる仕掛けができて、それらが、男女の誕生、恋、結婚、出生、育児、親子の基本的な営みができたというのが そもそも恋の原理である。 これが子の誕生と死の輪廻、再生の原理である。 実際、人類以外の多くの生物は、生きること、恋をすること、子を設け、育てることで 殆どその生命活動は尽きると言える。 もちろん生物である人類にとっても、 基本は同様であると言える。 実際、 人生のあらゆる活動の大部分を それらに関して費やしていると言える。 種の保存は あらゆる生物の第1原理 であるから、当然である。 実際、人生を表現するあらゆる文学の課題がそれらに絡む題材であると言っても過言ではない。このような発想はギリシャと仏教の思想にあると考えるが、 夜明け前 よっちゃんの想い で最初に述べられた 最も大事なこと - 必然的に新しい価値観と考え方を限りなく発展させて、雄大な世界を拓く - となるので、深入りはしないことにしたい。 そこで、心得の方に視点を移したい。 男女がどのように恋について関わるかは 2人の自由であるから、それらの内部関係ではなくて、社会的な在り様についてまず触れたい。 実際、現在でも国や、社会によって多様な在りようが存在するのが 現実であり、実際である。 しかしながら、それらの在りようの基本として、声明1に述べられている、 公正の原則は ここでも基本になり得ると考える: 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. 殆どの小説の題材になる程に 恋の問題は、人間の精神に深い影響を与えるものであるから、 特に個人個人が 自己の心に忠実に、全体として、諒となるように対応するのが 最も肝要である。 自己の心とは実際深く、複雑なものであるから、しっかりと自分を捉えて対応するのが肝要である(恋の心得)。 上述のように そもそも 恋は生と死に関わる人生の大事 であるから、特に恋の 第一の結晶作用(スタンダール)がはじまる以前においては 慎重さが大事であり、第二の結晶作用 前においては 恋を解消する勇気を持ちながら、十分な時間をとり、全人格を賭けて決断を行なうことが特に肝要である。恋には、一個の人間の、愛、欲求、良心、熱情、不安、畏れ、などなどの激しい葛藤があり、その意味で、恋にどのように関わったかは、1個の人物の第1次の総合指標を表していると言える。 恋の現象として、特に印象深い、参考文献、表現について触れておきたい:恋の問題を人生・世界の広い視点から深く扱っているものとして、ゲーテのファウスト。女性の恋と性は簡単ではなく深いものであることに触れている、バルザックの谷間のゆり。自殺する前に話した、先輩の言葉: 私の人生で、真実は唯一つ、A を愛したことだけである。- 実際、恋のいわば失敗で、自殺に追い込まれたり、生涯に亘る傷を負うことは世に多くみられる。人生の基本定理(声明12)に寄せられた言葉: 出産が 私の最も感動したときである。 少し、超越への道について触れたい。 食欲と性欲は 基本的な人間の欲求とされるが、上記 元祖生命体においては 本来それらは、無いものであり、本来の生命活動としては、それらを超えたところに存在するということである。 したがって、 食べるために生きる、恋のために生きるは、本質的な誤りを含んでいる。 真実、本質は逆である。 生きるために食べ、生きるために恋をするのである。 したがって、それらは無限ではあり得ない。 人類が 元祖生命体の人類の先を志向するのは、あらゆる生物のうちで、人類だけができる人類の崇高な使命である。 人類は己が存在の基礎に元祖生命体の己の分身が雄大に広がっていて、同じ運命共同体であることを忘れてはならない。 もちろん、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在である。 まこと 個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみると 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である。元祖生命体の高度な謙虚な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である。以 上 そこに大きな意味みたいなものが存在しているんでしょうか?
2010.09.06
2010年9月5日9:57 名誉・体面とは何か: これは極めて、人間にとって 基本的なことですね。 簡単に、 (1) ほんとうにあるのか? これは在りますね: (2) あるとして 守らねばならないものなのか? 当然、守る、 尊厳を保つは 人間の存在 にとって基本的ですね。 名誉のために、死ぬことは 世に多いですね。 赤穂浪士の事件も 名誉、対面を持つための犠牲ともいえますね。下記にも、辞書にも書いてありました。 辞書は素晴らしいですね。 (3) 根拠のないことがらによる誹謗中傷や 不当で過剰なわたくしごとの暴露でもない限り 名誉が問題になったという時点で その名誉にかかわる事柄では 自分のほうに非があると分かっているはず。つまりその間違いをそのまま認めれば済むことではないか? 根拠のないことがらによる 誹謗中傷、これは実害がなければ、自然に理解が得られるまで 待つことが考えられますが、実害が出る場合には いろいろ対抗手段をとるのは 当然ですね。 もちろん、自分に非がある場合には、仕方ないですね。 過剰に 批判されるのも問題ではないでしょうか。 ◆ (ヰキぺ:名誉) ~~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89 20世紀末-21世紀初頭の世界では、グローバリズムという言葉で表されている実用主義や利己主義の拡大の過程において、蔑ろにされようとしている(とする流れがある)。 日本においては、第二次世界大戦前の価値観において体面に重きを置き過ぎたとの省みから、体面より実質、外側より中身を大事にしようとする気風が生まれたが、逆に振り子を振り過ぎて、尊厳や誇りをどうでもいいと思う風潮が生まれた。その風潮への抵抗として、誇りに価値を置きたいという気風もまた生まれている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (4) どうも振り子は 昔のままに振り切りっぱなしであって 一向に変わる気配がないように感じますが どうですか? ◆ (同上) ~~~~~~~~~~~~~~~~ 名誉(めいよ、Honour)とは、自身の業績、功績、態度、姿、振る舞い、あり方、生き方を讃えられ、それをすぐれている、価値があると自他共に認め、それを自らの尊厳、誇りと見なすこと。 「何かを名誉に思うこと」を誇りという。また、社会的地位が高く名声があることも名誉と考えられ、こうした名誉を望む欲求を名誉欲という。 それが傷つけられ、害われた場合には、それを回復するために命懸けの決闘を挑むということもある。 日本の中世の武家社会では、これは切腹、仇討ちというかたちを採ることもあった。赤穂浪士による主君の名誉を雪ぐための吉良邸討ち入りもその好例である。 (あ) 体面に固執する振る舞いは滑稽で醜い姿に見える(世間体や名誉職にしがみ付く有り様など)。 (い) 一方、恥も外聞も無い人間、誇りを忘れた人間は、醜い行動を平気で行う(儲かるためなら、ほかの誰かが傷ついても、死んでも、何がどうなってもいい、という振る舞いなど)。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (5) 《傷つけられ害われる》という場合は むしろ名誉棄損といった犯罪を構成するような場合であって あとは名誉欲(≒うぬぼれ)を追うときの名誉もしくは体面が問われるということではないか? もしそうなら なぜ守ろうとするのか? (6) (あ)体面に固執する振る舞いも(い)恥も外聞もない行動も どちらも大きくは《成り振り構わざる振る舞い》であると思われます。 けれども みづからの存在じたいに誇りをもって しかもあとは成り振り構わないぶっきらぼうという態度もあるかと思います。 これなら 体面は体面のほうが・また周りのほうが構うときには構うであろうから放っておける。のではないか? 何か不都合はあるだろうか? ご自由に回答あれ。
2010.09.05
再生核研究所声明 22(2009/04/01): 小沢氏の続投による政権交代を求める 再生核研究所は より良い社会を作るためには 政治が重要であるとの考えから、時の政治について評価、批評、あるいは あるべき姿を提言、表明してきた。 特に日本国の置かれた状況を憂慮し、日本国の再生を期して、国防、財政、教育、経済などについて いろいろな提言を行っている。衆議院選挙を控えて 現状の位置づけを行い、日本国の政治状況を革新するために 人心の一新と政権交代を求める提言を行いたい。先ず、声明 7 (2007/06/10): 参議院選挙に当たって の精神で、与野党を逆転させ、危険で不適切な現状認識を行っていた安倍政権を退陣に追い込み、英明なる福田政権を誕生させ、日本国の政治方向を内政重視に大きく変えることができたことは大変良かったと高く評価してきた。福田政権については、内政、外交共に 極めて適切であり、一貫して高く評価してきた。また衆議院と参議院の与野党逆転の現状を受けて、多少の混乱が生じることは 止むを得ず、与党の対応も、野党の対応も必然的なものであると評価してきた。さて、野党の対応であるが、声明7に述べられているように、政界の大幅な再編を行い、政権構想を進めることが期待されていたにもかかわらず、大きな進展が無いことは誠に残念である。特に問題なのは、日本国の財政の厳しさと真正面から向きあわず、与党の無責任な長期政権を真正面から変革させる気迫がなく、小さな政策しか打ち出せないのは、政権をねらう野党としては 不甲斐ないことと 言われても仕方がない。逆に見れば 政治社会が如何に大きな世界であり、困難な世界であるかを示しているとも言える。この様な状況において、財政、経済、教育等 難問が山積している現状では、政治が停滞することとなり、これでは日本国の再生を一段と難しくし、再生の機会をいたずらに引き伸ばすことになる。この背景には、日本国の再生は、従来の政策の修正ではもはや不可能であり、本質的な大きな取り組みが必要であるという状況判断がある。しからば如何にして、政治を正常化できるであろうか。 先ず、民主主義の原則に従って、参議院で与党が過半数を割った事態を真摯に受けとめ、民意を問うために速やかに衆議院を解散して、議会の秩序を回復するのが道理であった。然るに安倍政権と福田政権の信じ難い政権の無責任な投げ出しは もはや政権を担う党としての力量の無い事を天下に示したものであり、政権の交代が憲政の在るべき姿である。また長期政権の弊害による 官僚機構の脆弱性と綱紀の緩みが広範に露呈してきている。国、地方で1000兆円を超える借金を抱え、慢性的な財政赤字の中で、2兆円のバラマキ行政は 殆と出鱈目な、無責任で無能な行政と言われても仕方がない。期待されて交代した麻生首相は 予想以上の失態を繰り返し、2兆円のバラマキ一律給与などの無為、無策を天下に示し、元首相の小泉氏にさえ 呆れてしまうなどと 表現されている有様である。その間、小沢氏は 着々と政権の基礎作りと外交の在り様についても具体化を進めてきている。それで急速に政権交代を期待する声が 高まってきていた。ところが、思わぬ事件、 すなわち、小沢氏の秘書の 企業献金に絡む疑惑に基づく逮捕事件である。すべての経理を公開してきている中での この段階における逮捕は 国家権力の介入、強い影響を疑わしめることとなっている。このような疑念を、あるいはもっと広範に国防、裁判、財界、官僚、マスコミなどとの長期政権の癒着構造を検証し、政界を浄化し、活性化させるもっとも簡単で現実的な対応は 政権の交代にあると言える。 実際、イギリスやアメリカ、韓国などでも政権を交代させて、国家権力の癒着構造を浄化させているのは いわば民主主義の基本的な原理である。 それでは誰の下で、政権の交代を図るべきかを考察したい。指導者の役割は極めて重要であるから この論点は重要である。現実的に 小沢氏がもっとも適任者である事 を 以下述べたい: 理由は •1)まず小沢氏は 先の参議院選挙で自民党を破り、与野党の逆転を実現させたという重い歴史的な実績がある。•2)小沢氏は 政権交代の重要性を早くから認識し、そのために、政治生命をかけてこられた しっかりとした政治哲学を持った 日本では稀なる政治家である。•3)小沢氏は 日本の国家像を適切に描け、かつ日本国を導ける 稀なる日本の政治家 である。その基本は アジアの国々と友好関係を深めながら、日本をより日本国たる自立した国家ならしめ、官僚機構を正し、民生を豊かにすることと理解できる。•4)小沢氏は 政権党の中心的な要職を経験し、権力の内部状況を熟知し、いわば政治と国家を動かす力量と貴重な経験を有していて、小沢氏は充分に日本国を導く、能力と実績、見識を持っておられると判断される。この観点では 野党に小沢氏に匹敵できる人物は いまだ現れていないと判断される。 そこで、衆議院の解散を迎えるにあたっては 小沢氏を中心とする政権の誕生を期待し、一旦自民党の長期政権に終止符を打ち、小沢氏を中心とする政権の樹立を期待する。その際重要な事は、大幅に小沢氏の意思を尊重して、与野党の区別なく、相当に任せる態度で国会は一致団結して協力し、日本国の再生を期して、政治に取り組んで頂きたいと考える。政党よりも 日本国が大事である。小沢氏には 良識ある菅氏や鳩山氏などがついており、また現代の賢人 稲盛和夫氏が 友人としている事は 誠に心強いと考えられる。 船頭を多くして、船山にのぼる の諺のように、あまりにも分権してしまうと大きな政治が行えず、大局を見失うことを恐れる。日本国の建て直しのためには、政治に強力な執行能力が求められている。国会議員は 党派の事よりも、また選出母体の利益よりも 日本国のことを第一に考える人が選出されるべきである。 もし逆に、自民党の勝利による自民党の政権が続けば、衆議院と参議院の逆転国会が続き、現在よりも一層弱体化した政権を誕生させることになり、政局を混乱させ、日本国の再生は、更に無責任に引き伸ばされることが懸念される。小沢氏に思う存分に日本国の政治を進めて頂き、その間、自民党は谷垣氏など若い人達を中心に力を蓄え、小沢氏が退陣し、民主党に限界が見えたときには、その後には、強力な責任ある政権が樹立できるように、自民党の発展と変革を期待したい。日本国においても、権力は必ず腐敗するという原理に基づき、政権交代が可能になるような政治状況を作って行くべきである。野党の不甲斐なさに対する懸念は理解できるが、大きくしても成長しない場合には勿論罰を与えればよく、逆に惰性と政権を動かさないことこそ、危険である。政治社会は大きな世界であるから 個人が思うようにはならないのが常である。それで、政治に無関心になったり、絶望してしまうということでは 政治は何時まで経っても良くはならない。少しでも より良い方向で参加し、努力して行くべきである。みなさん、党派を越えて、将来について十分に責任を負える若い世代の人に、また政治を安心して託せる人物たる人物に、政治を託すようにしようではありませんか。民主主義は衆愚政治に陥り安いので、政治家の選出には真剣に望みたい。政治は大きな世界で、大事なのです。以上 (附記) はじめに 次の再生核研究所声明の趣旨に従って より良い社会になるようにとの願いを込めて、いろいろな社会問題について素人の立場から 率直に意見を纏めてきました。これらを素にいろいろなご意見を出し合い 少しでもより良い社会になるように 努力していきたいと思います。情報化と民主主義の世の中では 結局素人の意見が政治を動かし、文化を創造し、発展させ、人々がそれらを享受していくわけですから 多くの人々の努力が不可欠になると考えます。この様な趣旨に参加され、意見を広く交換して行きたいと考えます。積極的な参加をお願いします。ここで纏められた考えは素人の狭い、偏った考えと思いますので、今後の議論のきっかけにして頂ければ幸いです。宜しくお願い致します。 「みなさん、美しい意見を自由に 世にこだま させ、一緒に より良い社会を築いていこうではありませんか。」 再生核研究所 代表
2010.09.04
2010年8月30日9:12 なぜ「優越感」で精神的充足を感じてしまうのか?: 少し気持ちが分かります。 もっとも逆の方で 悩んだことも。 コンプレックスですね。ありますよ。 先ず、 大きな世界に来ると、能力でも何でも 上もあり、下もあり、本当にいろいろで、 つまらない 小さなことに思えるのですが。 ムラの発想と考えてのり越えることですね。次のような発想もできます。人間は まだまだ未発達な存在で、未来人から見ると みんな同じ 未発達な存在と思うことですね。 もっとすごいことも、生物は、すべて 遺伝子の乗り物で、所詮 儚い存在 ですね。 次の考え方は、如何でしょうか: 超越への道、悟りへの道再生核研究所声明19 (2008/09/14) 人生如何に生くべきか、人生如何に在るべきかについては、[声明1、2(p.26、p.122)]に良く述べられていると考えます。世界とは、個人にとっては、主体的に観れば、帰するところ、自分の感じ、知り、想像する全体であり、それらがより良ければよい人生と言え、結果的には良き感動の多い人生ほど豊かな人生であり、またそのような方向に向かうことこそ、人生如何に生くべきかの道であると考えます。 さらに生物の1種である人間は、あらゆる生物の本能原理である、生きること、子孫を残すこと、そして子孫を育てることに縛られていると考えられる。実際、それらの各々には深い感動が伴うものである。それ故に、それらに真摯に向き合う生き方を、[声明13(p.18)]にも述べられているように、人生において否定することは出来ない。 しかしながら、超越への道、悟りへの道においては、それらのいずれも否定した生き方を受け入れ、存在する生き方を、人間の在りようとして受け入れる心構えをもつ必要があると考えます。それは人間が希求している、神、自由、不死を体現し、魂を解放し、悟りへの境地に達するためにも、修行し続ける必要があると考えます。実際、人生とは死ぬことの練習とも言える。 人間一人ひとりは〈じんかん〉としていろいろな関係をもっているものの、1個の精神的に独立した存在であり、夫婦も親子も、24第1章 美しい社会のためにその意味では独立した存在であり、いつまでも一緒にとはいかず、結局、孤立した存在であり、この意味において、人間の存在は寂しい存在であると言える。人生において、如何に上手くいっても所詮は儚い存在であり、帰するところは幻や儚い夢以上のものではないことを、真実として深く受け止めることこそ、超越への道、悟りへの道に通ずる道と考えます。人生においては、帰するところ、存在する以前の状態に戻ると考えることが、それこそ、すべての生物を支配している普遍的な原理であると考えられよう。生命作用そのものが所詮は儚い営みであると知ることこそ、超越への道、悟りへの道に通ずる道と考えます。これは、生物を支配している本能原理からの精神の解放を意味し、より自由な人生の展開を可能ならしめるものと考えます。これらは、神、自由、不死を体現せしめる道でもあると考えます。しかしながら、人間存在の三位一体の原理──存在、知、愛、すなわち存在しなければ何も始まらず、何も知らず、したがって何も求められない──は、不変的な人生における原理であるとして存在し続けると考えます。神、自由、不死の体現とは、自然と一体となって、自然に溶け込み自らを失うことと考えます。そのときこそ、大いなるものに一切の身を委ねるときです。(ここで述べたことは実は難しいことではなくて、当たり前のことを述べていると考えます──悟ることの原理:お釈迦様も、美空ひばりさんも、また多くの人も、みな同じことを言っていると思います。この地球上には、それこそ、数え切れないほどの生命が生まれては、亡くなってきました。すべての人間も、すべての命あるものは、本質的には、みな同じで、生まれてくる前に戻るということになるのではないでしょうか。すなわち、悟るということは、この道理を受け入れるということにあると思います。悟25第1章 美しい社会のためにるということは、簡単に言えば、生まれてくる前に戻るということを認め、受け入れることではないでしょうか。これは、すべての人間、すべての生命を支配している原理であって、この点においては、すべての生命は、同じ運命におかれていると思います。これを受け入れることが、悟ることの原理だと思います。考えてみると、奇妙なことです。人間は生まれて、元に戻るということが、修行で、悟りへの道となると思います。このことは、実際は、理屈では分かっているのですが、気持ちで受け入れられないというのが、煩悩ということではないでしょうか。[2008/05/30]) 私は自分が『「優越感」で精神的充足を感じてしまう』のが嫌だ!どういう思考パターンが形成されてきたか知らないが、これと縁を切る方法はないでしょうか?私が敬愛する人物と恊働したいのは、様々な思考パターンを自分にコピーしたいがため、である。私は知能がとても低い。静止した文字など40年間みたことがない。それで、私は心も身体も「痛い」(病気と障害)。誰かヒントでいいので、私にください。よろしくお願い致します。
2010.09.03
2010年9月3日8:52 なぜ自分を変えるのが難しいのか?: これは大事な観点ですね。 本当に難しいと思います。 ただ事実としても、 負の面と考えるのはふさわしくないと思います。 変えられないということは 人格、1個の人間として、安定していると言うことですね。 ころころ変わるでは 人格、1個の人格とは言えませんね。 本当、三つ子の魂 百までもは 真実を述べています。 そこで、三つ子の魂 百までもは 、柔軟性も 欲しいくらいではないでしょうか。 いろいろな立場が理解できれば、幅が広がり、それだけスケールが大きくなると言うことで、そのような配慮、努力も必要ですね。 研究者の人生を見ても、研究課題 コロコロ変えるわけには行きませんが、 少しでも幅を広げるように努力しないと、大成できず、行き詰るのに似ています。ご質問は、性格として、精神の骨格に、遺伝子的に繰り込まれているような面と、子供のころに精神の基本構造ができると、それが基本になって、基本は変えにくくなるということではないでしょうか。 子供のころに身につけたものが発展して、素晴らしい才能になどは、 イチロウ選手などにも見られる、普遍的な事実ですね。
2010.09.03
2010年9月3日8:47 在沖米海兵隊は不要=小沢氏:これは、歴史的にも、在るべきこととしても、極めて当然ですが、 日本国に それだけの 理解力、文化力が あるか 心配です。 大騒ぎですね。 アメリカは 民主主義の大国です。 自由と正義を求める 国際国家です。 オバマ大統領は ノーベル平和賞の受賞者です。 沖縄県民と、日本国民の意志として、日本国首相が 筋道を立てて、きちんと伝えれば、理解が得られるのではないでしょうか。 平和を希求する人々は、小沢氏を強く支持すべきではないでしょうか。 日本国民の強い支持が無ければ、実現は おぼつかない ということになると思います。 国防の問題は 重要ですので、 声明10,6,8,29; 沖縄問題については、声明29,39で いろいろ議論しているので、ご参考にしてください。 時事通信 9月3日(金)11時38分配信 民主党の小沢一郎前幹事長は3日午前のテレビ朝日の番組で、沖縄県に駐留する米海兵隊について、「要らないと思う」との考えを示した。小沢氏は「米国の戦略も、前線に大兵力を置く必要がないという判断だ。だから欧州からも引き揚げている」と強調した。 小沢氏は2日に行われた日本記者クラブ主催の公開討論会でも、「できるだけ前線から兵力を引き揚げるということは米国としても当然だし、私も当然だと思う」と述べている。
2010.09.03
2010年9月2日8:57 元米高官、小沢氏を酷評 『反米的発言 打撃与えた』: 偉大な 自由と民主主義の国家である アメリカが 内政干渉のような 発言をされるのは、大人げ 無いのではないでしょうか。良く見て、下さい。 やはり元 米高官で、 流石に 現職の方 ではないですね。アメリカは 日本が まともな 民主国家として発展するように 見守って頂きたいと思います。 日本の1部には アメリカ従属で、 偏狭な人たちがいるのは 恥ずかしいことと考えます。日本国民は、反米など考える人は 非常に少なく、日本が、日米友好関係の中から、より まともな 自立した国家を目指すのは、当然ではないでしょうか。小沢氏は、日本を代表する 立派な政治家であり、 きちんと評価して、友好関係を深めてい頂きたいと考えます。 2010年9月2日 朝刊 【ワシントン=岩田仲弘】知日派のマイケル・グリーン元米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長は三十一日、民主党代表選に出馬した小沢前幹事長について「昨年来の反米的な発言は、日米関係に相当の打撃を与えた」と強く批判した。 ワシントン市で邦人記者団に述べたもので、グリーン氏はさらに「米政権は当初、(実力者として)小沢氏と接近を図ったが、逆効果だった。彼が勝つとは思っていないが、どんな影響を及ぼすか神経質になっている」と述べた。 グリーン氏は、菅首相については対米関係重視の姿勢は評価するものの「勝っても政権はますます不安定になる。十一月の日米首脳会談に向け、普天間移設問題をはじめ重要政策が進展しないことに米政府はいら立っている」と指摘した。 代表選については「日米関係をさらに漂流させる。やっかいだ」と述べ、政治が混乱することに懸念を示した。
2010.09.02
2010年9月1日9:01人間はどこまでの治療をもって生きるべきなのか: これは 実は 簡単ですね。 生きたいと思えば 生きるように、そうでない場合には そうでないように。それから、 治療後の様子も大事ですね。 念のため、私は過剰医療をしないこと、できれば 早く休みたいと 家族に念をおしています。それから 線引きで 大事な点は、対話、精神の交流ができるか否かが 大事な線では。個人の側から見れば、 生きているのが分からない状態では、生きている意味は 無いですね。 次を参考にしてください: 超越への道、悟りへの道再生核研究所声明19 (2008/09/14) 人生如何に生くべきか、人生如何に在るべきかについては、[声明1、2(p.26、p.122)]に良く述べられていると考えます。世界とは、個人にとっては、主体的に観れば、帰するところ、自分の感じ、知り、想像する全体であり、それらがより良ければよい人生と言え、結果的には良き感動の多い人生ほど豊かな人生であり、またそのような方向に向かうことこそ、人生如何に生くべきかの道であると考えます。 さらに生物の1種である人間は、あらゆる生物の本能原理である、生きること、子孫を残すこと、そして子孫を育てることに縛られていると考えられる。実際、それらの各々には深い感動が伴うものである。それ故に、それらに真摯に向き合う生き方を、[声明13(p.18)]にも述べられているように、人生において否定することは出来ない。 しかしながら、超越への道、悟りへの道においては、それらのいずれも否定した生き方を受け入れ、存在する生き方を、人間の在りようとして受け入れる心構えをもつ必要があると考えます。それは人間が希求している、神、自由、不死を体現し、魂を解放し、悟りへの境地に達するためにも、修行し続ける必要があると考えます。実際、人生とは死ぬことの練習とも言える。 人間一人ひとりは〈じんかん〉としていろいろな関係をもっているものの、1個の精神的に独立した存在であり、夫婦も親子も、24第1章 美しい社会のためにその意味では独立した存在であり、いつまでも一緒にとはいかず、結局、孤立した存在であり、この意味において、人間の存在は寂しい存在であると言える。人生において、如何に上手くいっても所詮は儚い存在であり、帰するところは幻や儚い夢以上のものではないことを、真実として深く受け止めることこそ、超越への道、悟りへの道に通ずる道と考えます。人生においては、帰するところ、存在する以前の状態に戻ると考えることが、それこそ、すべての生物を支配している普遍的な原理であると考えられよう。生命作用そのものが所詮は儚い営みであると知ることこそ、超越への道、悟りへの道に通ずる道と考えます。これは、生物を支配している本能原理からの精神の解放を意味し、より自由な人生の展開を可能ならしめるものと考えます。これらは、神、自由、不死を体現せしめる道でもあると考えます。しかしながら、人間存在の三位一体の原理──存在、知、愛、すなわち存在しなければ何も始まらず、何も知らず、したがって何も求められない──は、不変的な人生における原理であるとして存在し続けると考えます。神、自由、不死の体現とは、自然と一体となって、自然に溶け込み自らを失うことと考えます。そのときこそ、大いなるものに一切の身を委ねるときです。(ここで述べたことは実は難しいことではなくて、当たり前のことを述べていると考えます──悟ることの原理:お釈迦様も、美空ひばりさんも、また多くの人も、みな同じことを言っていると思います。この地球上には、それこそ、数え切れないほどの生命が生まれては、亡くなってきました。すべての人間も、すべての命あるものは、本質的には、みな同じで、生まれてくる前に戻るということになるのではないでしょうか。すなわち、悟るということは、この道理を受け入れるということにあると思います。悟25第1章 美しい社会のためにるということは、簡単に言えば、生まれてくる前に戻るということを認め、受け入れることではないでしょうか。これは、すべての人間、すべての生命を支配している原理であって、この点においては、すべての生命は、同じ運命におかれていると思います。これを受け入れることが、悟ることの原理だと思います。考えてみると、奇妙なことです。人間は生まれて、元に戻るということが、修行で、悟りへの道となると思います。このことは、実際は、理屈では分かっているのですが、気持ちで受け入れられないというのが、煩悩ということではないでしょうか。[2008/05/30]) 人それぞれ価値観・人生観が違うのですが何か参考になる線引きを教えて下さい。
2010.09.01
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