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2017年04月07日

森友学園とブルノの工業団地(四月四日)




 そもそも、この学校の名前の読み方がわからなかった。それで、ウィキペディアを見たら、森友(もりとも)さんという人が創設した塚本幼稚園というのが母体になってできた学校法人だった。だから、「もりとも」学園と読むようだ。実は最初にこの校名を見たときには、最近はやりのエコロジーの流れに乗って、「森は友達」的な名前の付け方をしたのかと思ってしまった。音読みで「しんゆう」、訓読みで「もりとも」、ないとは思うけれども、重箱読みで「しんとも」、湯桶読みで「もりゆう」、どれもピンと来なかった。

 この問題の発端は、小学校を設立する予定だった国有地を、安く払い下げてもらったことのようである。しかもその土地にごみが埋められていて、その処理にお金がかかることを安くする理由にしていたというのだけど、いわゆる産業廃棄物でも埋められていたのだろうか。その処理を実際に行ったのかどうかも問題になっているのか。
 国有地であれ、地方公共団体の土地であれ、企業や学校などを誘致するために、土地を象徴的な値段で売却するなんてのは、よくある話で、チェコでも各地に土地を整備して将来的には工業団地にしようとしている地方公共団体は多い。多すぎて買い手市場になってしまっており、1コルナなんて価格でも買い手がつかずに、空き地のままになっているところも多い。よそがうまくいっているからで、無計画にやるからこんなことになるのである。
 工業団地の空いた土地を埋めるために、国や地方が高額の助成金を出してまで誘致することもある。企業の側にとっては、立ち上げの経費が安く抑えられるメリットがあるのと同時に、早期に撤退すると助成金の返却を求められ、撤退しにくくなるという面もある。一昔前に、ある日系企業が、工場も建設されて生産開始を待つばかりになってから撤退したことがある。生産を開始して垂れ流す赤字と、これまでの赤字に返却する助成金を足したものを比べて、撤退したほうが損が少ないという結論になったらしい。

 そして、安く払い下げてもらった土地に、ごみが埋まっていたという話を聞いて思い出したのが、数年前にブルノの知人から聞いた話だ。ある日系企業がブルノに進出しようとして、土地をただ同然の価格で譲ってもらった。しかし、いざ工場の建設を始めようとしたところ、第二次世界大戦中に埋設された地雷が埋まっていることが発覚したらしい。
 企業側は土地の受け取りを拒否し、市側に地雷の除去を求めたらしい。市側は廉価で土地を譲る上に地雷除去の費用まで負担するのは避けたいという意向で、一度は交渉が決裂寸前まで行ったという。最終的に、どちらが負担したのか、詳細は聞いていないけれども、工業団地として整備したときに気づかなかったのかよと言いたくなる。いや、不発弾が爆発しなかったのは、単なる幸運にすぎなかったんじゃないのだろうか。

 森友学園の場合には、事前にごみがあることはわかっていたようだから、このブルノのケースとは違うけれども、国有地を管理する国側が、しっかり調査してごみの処理をしたうえで土地を払い下げることにしていれば、問題なかっただろうにという点では、あまり変わらない。こういう、傷ありの物件の場合には、市場価格なんてあってないようなものだし、払い下げが済んでから発覚して損害賠償を求められるよりはましだったということか。

 その後、政治家が圧力をかけたおかげで安く払い下げを受けられたのではないかという話も出てきて、そこに安倍首相だけでなく、その夫人やら、別の政治家やらの名前が出てき。国会でも野党側も与党側もぼろぼろだったようで、正直意味不明である。こういうのは、やったやらないの水掛け論になりがちだからしかたがないといえば言えるのだろうけど。少なくとも散見した記事からは野党側が舌鋒鋭く首相を追い詰めたという印象は受けなかったし、与党側がうまく追及をかわしたという印象もない。昔はもう少し与野党の議論がかみ合っていたような気がするのは、気のせいだろうか。
 まあ、その点ではチェコもそんなに大きな違いはない。十年ほど前に、知人がある国立公園の管理事務所で働いているというお兄さんから聞いたという話を教えてくれた。時の総理大臣から電話があって、友人が狩猟をしたいと言っているから案内するようにと。管理事務所側がここは禁猟区なので狩猟は認められないと断ろうとしたら、総理大臣の権限だといって強引に押し切られたのだとか。今はここまで露骨なことはないだろうけれども、政治家や関係者が役人に圧力をかけて言うことを聞かせたとされる事例は、いくつもある。それが原因で政権投げ出した総理大臣もいたけど、あれはひどく無責任なやめ方だった。

 幼稚園で『教育勅語』を素読させるという教育のやり方も批判されていたが、問題は『教育勅語』なのか、素読なのか。素読なんて意味がわからないままに念仏のように唱えるわけだから、内容は何でもいいといえばいい。ただ、もっと他にあるだろうとは言いたくなる。『論語』の一節でも、読ませておけばここまで批判されることはなかっただろうに。漢文の素読をすることで、そのリズムになれ、古文の語彙にも親しむというのは、内容が理解できなくても将来の役には立つだろう。ただ、幼稚園児にというのは早すぎるような気もする。英語を教えるよりはましか。
 このいわゆるグロバリゼーションのなかで、国際化とか、国際規格とかいうものを押し付けられるのに嫌気がさした人たちが、右傾化、右傾化というよりは民族主義的な方向に走ってしまう気持ちはわからなくはない。外国に長く住んでいるからか、グローバル化の美名の元に自分の根っこのようなものが、侵食されていくような不安を感じることがある。こういう揺り返しが起こっているのは日本だけでもないだろうし。
 だからと言って自分では『教育勅語』も『論語』も読もうとは思わないし、読ませたいとも思わない。そうだねえ、読ませるなら 白居易 陶淵明(恥ずかしすぎる間違いをしでかしてしまった。4月18日修正)の「帰去来の辞」なんかいいんじゃないかな。あの冒頭の「帰りなんいざ」なんて、訓読は芸術的なまでに見事だし。ただ、これが学校法人の教育モットーに使えるかどうかは知らない。

 どうでもいいっちゃどうでもいいのだけど、今後はこの事件すこし注目して追いかけてみようかと思う。
4月5日9時。









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