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2019年04月09日

即位せざる救いの王(四月七日)




 そのブラニークが頭に残っていたので、ブラニークの騎士たちの伝説を聞いたときに、ビールのブラニークは、この伝説に基づいて名付けられたのだと思い込んでしまったのは無理からぬことだったのだ。ラベルの上のほうに片手に槍みたいなものを持った騎士に見えなくない人物があしらわれていたしさ。

 しかし現実は、ブラニークはプラハのブラニーク地区で生まれたビールで、ブラニークの騎士たちの眠っているといわれるブラニーク山はプラハから南方の中央ボヘミア地方に位置している。そして、何とまあ、つづりが違うのである。ビールは「Braník」、騎士たちは「Blaník」。日本人に対する嫌がらせとしか思えない表記の違いである。発音の違いとは、聞き分けられないし、できれば言いたくない。それにしても外務省が外国の国名のカタカナ表記で「ヴァヴィヴヴェヴォ」をやめると発表したときに、批判していた人たちは「V」と「B」の音を発音し分けて、聞き分けられるのかねえ。
 とまれ、プラハ南方のブラニークの山に眠る騎士たちは、チェコが自力ではどうにもできないような危機に陥ったときに、目覚めて守護聖人聖バーツラフの指揮の下、チェコを脅かす外国の軍隊と戦って危機を払うといわれている。その騎士の救援が現在まで実現していないのはおくとしても、モラビアに拠点を置く人間としては、こボヘミアは守られるかもしれないけど、モラビアは守ってくれるのかねという疑念を抱いてしまう。

 その、モラビアを救いに現れると伝説に語られる存在が、本日の本題の、前置きの方が長くなりそうだけれども、モラビアの王イェチミーネクである。チェコ語ができる人なら、もしくはビール好きの人ならわかると思うが、この名前は「je?men」、つまり大麦の指小形から作られた名前である。それはイェチミーネクが大麦の畑の中で生まれたことにちなんでつけられた名前だった。
 昔々、モラビアの王がハナー地方のフロピニェに居を構えていたころのこと、そんな時代が本当にあったのかどうかは知らないけれども、何かの事情で王の寵愛を失った身重の王妃(側室かもしれない)が、王宮から逃げ出し、追っ手の兵士たちを撒くために麦畑の中に隠れてやり過ごした。そして隠れている最中に生まれたのが、イェチミーネクだった。

 イェチミーネクは母親とともに通りがかった農婦に救われ、村にかくまわれるのだが、やがて王に発見され、村から追放されて人里は慣れた山奥に追いやられてしまう。それから何年もの時が経ち、年老いた王の胸に、王妃とその息子を追放した悔いが沸きあがり、二人を探し始める。村から追放して住まわせていた場所には影も形もなく、モラビア中の村、森、鍾乳洞などを探し回っても、見つけることができなかった。
 あきらめ切れない王はそれでも探し続けるのをやめず、一人の世捨て人に出会う。イェチミーネクとその母親を見かけなかったかと王が聞くと、世捨て人は王の非情さを避難した上で予言の言葉を並べた。王は二度とイェチミーネクと会うことはないだろう。現在姿を隠しているイェチミーネクは、モラビアが未曾有の危機にさらされたときに、再び姿を表して、真のモラビアの王としてモラビアの民を導くであろう。とかなんとか。記憶違いもあるかもしれないけど大体こんなお話。

 以前見たチェコの地方を巡る紀行番組で、ハナー地方が取り上げられたときに、スカンゼンで民族衣装を着て仕事をしていたおじいさんが、ナチスに占領されたときも、共産党に支配されたときもイェチミーネクは現れなかった。我々が自力で何とかできたはずだということなのかなあなどと述懐していたのを思い出す。
 プシェロフからブルノに向かう路線で二つ目の駅があるのがフロピーニェの町である。町の外れに池があって、その池の畔に小さなルネサンス様式の城館が建っている。その城館には、今でも正当なモラビア王の帰還を待ち続けて、イェチミーネクの部屋が準備されているらしい。昔このお城を訪ねたときには、チェコ語なんてかけらもできなかったので、そんな話は聞くことができなかった。残念。
 個人的には、フロピーニェよりも、プロスチェヨフのほうがイェチミーネクとの結びつきが強いような印象を持ってしまう。それは恐らくプロスチェヨフ最初のミニビール醸造所がイェチミーネクの名前にちなんで名付けられているからに違いない。ということでプロスチェヨフに行ったら、即位せざるモラビア王のところでビールを飲むことにしよう。
2019年4月8日23時。





チェコの伝説と歴史











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