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2019年08月08日
ウヘルスキー・ブロト行(八月六日)
ということで、「シュムナー・ムニェスタ」にこだわらないことにした。よく考えたらコメンスキーが滞在したフルネクに行ってみようなんてことも考えていたのだ。しかしここも鉄道の便が悪く二回も乗換えが必要で待ち時間も長い。結局南に向かってウヘルスキー・ブロトに行くことにした。むかしルハチョビツェに出かけたときに通ったことがあるはずなのだが、どんな駅だったかも含めてまったく覚えていない。
ルハチョビツェに向かうスロバーツキー・エキスプレスを使えば、乗り換えなしでいけるのだが、時間がちょっと合わないので、スタレー・ムニェストでウヘルスキー・ブロト行きに乗り換えることにした。直通でも電化区間から非電化区間に入るためにスタレー・ムニェストでかなりの時間停車することになるし、乗り換えの待ち時間もほとんどないので、かかる時間は直通の場合と大差ない。
チェコの鉄道の幹線から枝分かれするローカル線は、ローカル線の始発になる幹線の駅に急行、特急が停車するのにあわせて到着、出発するようなダイヤになっていることが多い。上りと下りのどちらにあわせるかという問題があるので、どの駅でも幹線の特急を降りたらすぐにローカル線に乗れるというわけではないけれども。
ポリチカへ向かうのに使ったスビタビの駅は、ポリチカ方面からの列車が到着した直後に、ブルノからの急行と、チェスカー・トシェボバーからの急行が到着し、二本の急行が発車したすぐ後に、ポリチカに向かって出発するという理想的な接続を実現させていたけれども、ここまで時間が合うのはむしろ例外的である。
スタレー・ムニェストからウヘルスキー・ブロトに向かう途中にいくつか大モラバの遺跡があるらしいので、車窓からそれらしきものが見えないかと目を凝らしていたのだが、背の高い建造物ではない、地面に開いた穴である発掘の跡地は見つけることができなかった。いずれまた時間を作ってこちらに足を伸ばすしかない。気温が上がらなかったら、ウヘルスケー・フラディシュテ周辺の遺跡巡りも候補に入れたのだが、さすがに炎天下に、日差しをさえぎるものもなさそうな遺跡を巡る気にはなれなかった。
民俗的な装飾が美しい駅としては、ウヘルスケー・フラディシュテが知られているが、ウヘルスキー・ブロトの駅も同様にスロバーツコ地方の民俗的な装飾で飾られていた。ただし、この駅に到着して一番驚いたのはそれではなかった。各駅停車のディーゼル車が到着したホームの反対側の乗り場が、バスの乗り場になっていたのだ。鉄道の駅とバスのターミナルが隣接していて乗り換えが便利な町はいくらでもあるけど、ここまで鉄道とバスが直結しているのははじめて見た。接続によっては下車したら、そのまま対面に待っているバスや列車に乗り込めるのである。
それほど大きくないとはいえ、バスターミナル自体もきれいに整備されていたし、駅前から旧市街に向かう斜面と駅の裏側に向けて伸びる歩道橋も設置されているなど、言い方は悪けれども、鄙にもまれなというか、ど田舎の町の駅とは思えないぐらい便利に整備された駅だった。駅を出て正面の旧市街に向けて登っていく階段のところには、コメンスキー博物館の看板も出ていたしって、これはあまり関係ないか。
ウヘルスキー・ブロトの街は、丘の南側の斜面に建設されたもので、駅は丘を下りきったところにある。フラデツ・クラーロベーでも旧市街に入るためには、急な坂道を上らなければならなかったが、街の反対側まで行けば下り坂になった。それに対してウヘルスキー・ブロトの街は、駅から街に向かう方向を縦とするなら、縦の道は、途中にある広場も含めてひたすら上り坂で、横の道はほぼ傾斜がない。
駅前にあれば便利なインフォメーションセンターに行くにも、旧市街の一番奥にあるコメンスキー博物館に行くにも、ひたすら坂を上らなければならなかった。その分帰りは、下りで楽は楽だったのだけど、途中で見落とした建物があることに気付いても戻ろうという気にはなれなかった。この町で宿泊しようと思ったら、駅前の平地に宿を取らないと、重い荷物を抱えて坂を上ることになるから大変そうだ。
帰りはルハチョビツェ発のスロバーツキー・エキスプレスに乗るつもりだった。駅に着いたのは発車時間よりも15分ほど前だったのだが、構内放送でプラハ行きのスロバーツキー・エキスプレスが運行上の理由でいつもとは違う車両を使用することになったということと、すでにホームに停車していて発車の準備ができているというようなことを告げていた。しかし、どのホームを見てもそれらしき列車は止まっていない。ただ朝スタレー・ムニェストから乗ってきたのと同じディーゼル車が三両つながったものが止まっていた。
まさかこれがプラハまで行くことはあるまいと、しばらく待ったのだがルハチョビツェからの列車が入ってくる気配はない。それで念のために運転士と話をしている車掌のところに行って、これどこまで行くのと聞いたら、笑いをこらえているような表情で、「ド・プラヒ」。思わず「ティ・ボレ」と言いそうになったこちらの表情がおかしかったのか、その気持ちはわかるぞというような顔で笑われてしまった。
チェコ語で言うディーゼル車のモトラーク、もしくはモトラーチェクでプラハまで行くというのは、おそらくめちゃくちゃ遅れるだろうけど、話の種になりそうでちょっと惹かれるものがある。時間のことを考えてどうしようか悩んでいたら、車掌がスタレー・ムニェストで本来の車両に乗り換えだと告げて回った。ちょと残念に思いながら、素直に乗り換えてオロモウツで下車したのだった。
ということで、ウヘルスキー・ブロトで何を見聞きしたかについては、また次回。
2019年8月6日22時10分。