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2019年08月12日
モヘルニツェ(八月十日)
シュンペルクで知った魔女裁判の犠牲者中最大の大物ラウトネルが火刑に処されたのがモヘルニツェだというから、その記念碑が残されているのではないかとも考えた。それにチェコでもっとも脱獄が難しいと言われながら、カイーネクに脱獄を許した刑務所のあるミーロフから一番近い街なので、刑務所になっていて見学のできない城館についての情報もほしかったのである。恐ろしい伝説とか残っていそうだしさ。
この日は今年の夏でも特に暑い日で、まっすぐオロモウツに帰ってしまおうかとも思ったので、ザーブジェフの駅で、モヘルニツェに停まるかどうかもわからない電車に乗ってみた。停まらなければ諦めるつもりだったのだが、残念ながら停車した。残念ながらというのは、下車して駅の様子を見た瞬間に、下車したことを後悔したからである。
なぜにこんなところに急行が止まるのか疑問になるような小さな駅で、売店すらなく、駅前の道路は改修工事中で、自動車もちろん歩行者も通行禁止になっていた。矢印に従って線路脇を歩くとバス停があったが、電車の停車時間に合わせてバスが出るということもなく、駅前は工業団地になっていて、街がどの方向にあるのかすらわからなかった。
毒を食らわば皿までで、引き返したりはせずに頑張って街まで歩いたけど、2キロあったパルドゥビツェよりも、街までは遠かった。おまけに道の両側に建物があるということもなかったので、強い日差しにさらされ続け、引き返そうかと思ったころに、街の教会らしき建物の塔が見えてきて、帰るに帰れなくなった。
モヘルニツェの街も、ザーブジェフと同等に丘の斜面にできた小さな坂の街だった。街自体を比べたら、モヘルニツェのほうが活気があって、残っている古い建築物も多く、魅力的だったと言ってもいい。ただ、肝心の情報が手に入らなかった。オロモウツの駅前にもある地図に番号がついていて、番号を押すと説明が流れるという観光案内板があって、ラウトネルの処刑にも番号がついていたので、押してみたけど何の反応もなかった。電池切れか故障かで稼動していなかったのだ。
インフォメーションセンターは、タイミングが悪く昼休みか何かで開いていなかったし、もう一つの情報源となりうる博物館は発見できなかった。街を一周して見るべきものを見てしまった後、もう一度案内所に足を向けようかとも思ったのだが、暑さに負けて、そのまま駅に向かってしまった。その結果、モヘルニツェでも、ザーブジェフと同様に、トイレが印象に残った。
旧市街のすぐわきに、それほど大きくはないが、鉄道の駅よりも、はるかに立派で、整備が行き届いたバスターミナルがあった。その一角にトイレの入った建物があったのだが、平らな屋根の上には芝生が植えられていた。何でこんなところにという疑問の答えは、チェコだからである。屋根の軒先からは、多分暑さ対策の一環として、しばしば霧状の水が噴霧されていたのだが、かえって蒸し暑さが増していたような気がする。涼しく感じるのは霧が体に触れた瞬間だけだった。トイレ自体は、無人の料金を入れたら鍵が開けられるというモラビアには珍しいタイプだったけど、建物自体の特殊さに比べたら、特筆するほどでもない。
この日は乗り切ったけれども、モヘルニツェで散々歩かされたせいで、翌日から靴を履くだけで足が痛いと
いう状態に陥り、二週間の乗り放題乗車券はまだ何日分か残っていたが、今年の夏のモラビアの街巡りは締まらない終わりを迎えた。来年は鉄道にこだわらずに、バスも使ってあちこちするかなあ。バスは運行している会社が多いので、ないとは思うけど期間限定の乗り放題券があってもあんまり役に立たなさそうなんだよなあ。
さて、モヘルニツェについて念のためにちょっと調べてみたら、この町は教会領でオロモウツの司教座に属していたようだ。ラウトネルが魔女裁判にかけられたときのシュンペルクの領主がリヒテンシュテイン家で、当時のオロモウツ司教もリヒテンシュテイン家の出身だったらしい。この二人の許可がなければラウトネルがつかまることはなかったはずだから、カトリック教会内での勢力争いに世俗のシュンペルク領主が手を貸したようにも見える。
どうにもこうにも、宗教、とくにキリスト教というのは度し難いものである。チェコ人の多くがキリスト教から離れたのもむべなるかなである。
2019年8月10日22時30分。
タグ: チェコ鉄道