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さて、「高校生になって授業についていけない」という人はいませんか?それには色々な要因が考えられますが、その1つとして『中学の先生と高校の先生では、生徒の学力に対する認識が異なる』ということが挙げられます。まずは『学習内容の認識の違い』です!例えば中学1年から高校3年までの学習内容が[1]から[100]まで存在するとしてください。中学校の先生は『中学で我々は[1]から[40]まで教えるから、高校では[41]から教わりはじめる』と思っています。しかし高校の先生は『中学校では[1]から[60]まで教わっているから、高校で我々は[61]から教えればいい』と思っているのです。、、、ということは、生徒のみんなは実際のところ、中学校で[1]~[40]まで教わり、高校では[60]から教わりはじめるのです。ですので[41]から[59]までを誰にも教わらないという現実があるのです。その現実を知らない、あるいは認めない学校は、[40]までの内容しか教わっていない生徒の皆さんに[60]レベルからの授業を始めてしまうのです。それで授業をはじめておいて「お前ら中学で何してきてん!」とか言われてしまうわけです。またその実情を知りながらも授業時数の関係で[41]から[59]までの内容を家庭学習で何とかカバーしてくれることを期待しながら授業をはじめる高校もあります。どちらにしても、高校生になると『家庭学習でカバーする』という要素が今まで以上に要求されるのです!!
2011.06.30
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中3生しか教えない『なまけた塾』の呼び声高い我が教室!でも、たま~に中3生以外も内緒で教えていたりします。勿論メインは中3生なのですが、その授業がない日にたま~に勉強に行き詰った卒業生(高校生)がやってきます。正直いって高校一年生の夏までに自分が行き詰っていることに気付くことのできる人はなんとか持ち直せる可能性が高いです。、、、しかし、それに気付くことないメンバーは後でとんでもないことになります。後でとんでもないことになる人のパターンとして、[1]高校生になったことに安心して、遊び呆(ほう)ける人。[2]部活ばかりに没頭して勉強しない人。[3]いきなり彼氏・彼女ができて恋愛ごっこに走る人。[4]「2年になったら頑張る」という理屈が通ると思っている現実を知らない人。[5]もともと「遊ぶ」ために高校にいこうと内心思っていた人。が挙げられます。まあその人たちは後で存分に「地獄」を味わえばいいのですが、そうでない人はなんとかしなければなりません!!高1の夏休みまでなら、まだ何とかなる可能性があります!!今回はそのポイントを紹介します。今回の話題は夏休みが始まるまでに終らせるようにしますね
2011.06.29
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そんな中で、分からないなりに勉強を進める中で、私は心のどこかで「自分も先生になれるかな?」をいう意識を持つもつようになりました。だからといって、その時点から劇的に勉強ができるようになって成績が上がった訳ではありません。勉強落ちこぼれ人生はそこからまだ限りなく続くのでした。しかし、やがてそんな私が先生として教壇に立つのですから人生分からないものです1つ確実にいえることは、私がそうなれたのは、それまで出会えた偉大なる教師達のおかげなのです。それと、「よくこんなこと覚えてるな」と私のブログを見て感じている皆さん!一度皆さんも毎日少しずつ出会ってきた先生達のことを文章にしてみてください。忘れていたことを思い出したりしますよ。
2011.06.28
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勉強をしなければならない。でもしたいこともしたい。その2つの条件を満たすために私が考えたのは、したいことの量(時間)を減らして勉強にまわす!という作戦でした。それまでも分かっていましたし母からも言われ続けてきたのですが、このときばかりは自発的に実行に移しました。その姿を見た母が私に「何がほしいねん」と半分キレながら言ったほど、かつて無いくらい勉強しました。学校でも、例のカンニング疑惑の問答を聞いていた友達が「お前ホンマはカンニングしてへんねんやろ?」とか「あいつらも今はあれはカンニング違うって思ってるで!」と言ってくれたりもしました。だれもこの件を担任のT先生に報告しにいかなかったことも私の立場というか面目を思ったより早く回復できる原因となりました。しかしだれかがこの件をTS先生の耳には入れてくれていたのです。先生は私に疑いをかけた3人を呼んで、確かにあれは『ケント紙』のことを平仮名で書いたものであったことを説明してくれていたのです。私はそのことを随分後で知りました。それまでのように毎日図工準備室に行かなくなった私でしたが、それでも授業で顔を合わせればTS先生は無言でニヤっと笑いかけてくれました。あの「ニヤっ」は「何か作ってるか?」といっているのだと、私には分かっていました。
2011.06.27
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もう私は彼らに何も言いませんでした。いや、言えませんでした。彼らの1人が「黙ったっていうことは認めたっていうことや!」と言って、3人はその場から立ち去りました。3人ともが「してやったり」「悪事を見抜いた」といったある意味満足したような、勝ち誇ったような顔を見せて立ち去りました。「勉強ができんってこういうことなんか」「勉強ができんかったらそんな風に思われるんか」「今までもずっとそんな風に思われてたんか」、、、、いろんな思いが頭を駆け巡りました。その3人も日頃は仲良くしていた友達でした。彼らはそれ以上この件に触れることもなく、この件を大きくクラス中に広めることもありませんでした。彼らなりのせめてもの武士の情けだったのだと思います。完全にとばっちりを受けさせてしまった隣の席の女子も、その件以降もそれまでと変わらず私と明るく接してくれました。結局当時の私が出した結論は「勉強できない自分が一番悪い」ということでした。「とにかく勉強せなアカン」と思った私は、苦手なりに勉強に力を入れはじめました。その事件以来私はあまり図工準備室に遊びに行かなくなりました。なんだかTS先生にも迷惑をかけてしまったような気がしたからです。
2011.06.26
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その日の小テストは社会の歴史でした。範囲は平安時代!その範囲の中に『遣唐使』がありました。私の席の斜め後ろの男子が私の机の中のスケッチブックに『けんとし』と書いてあるのを発見したのでした。私は『遣唐使』ではなく『けんとし』と書いてあることを彼らに説明して、スケッチブックも見せました。そして紙グライダーを作る紙の名前でTS先生に教えてもらったことも話しました。それで話は済むと思っていたのですが、彼らはそれでもカンニングだと言いました。かれらの言いたかったことはこうです。「遣唐使を覚えられなかったからスケッチブックに書いてカンニングしようとした。」「勉強ができないから、漢字ではなく平仮名で書いた。」「勉強ができないから、読み方を間違えて書いた。」これはかなりのショックでした。勉強ができないと思われているのは仕方ない!しかし勉強ができないからカンニングをしたと思われることに衝撃を受けたのでした。勉強できないから悪い事を平気ですると思われていたのかと思うと悔しくてなりませんでした。私はショックと悔しさで次の言葉が出ませんでした。「どう説明したら分かってくれるんやろ?」「いや、もうこうなったらどう言うても分かってもらえんのと違うやろか?」と思って、説明することをほぼ断念してしまったのかも知れません。それを聞いていた隣の席の女子が「でも今日の小テストに遣唐使は出てなかったから、関係ないやん!」といってくれました。しかし彼らは「それでもカンニングしようとしたことには変わりない!」と言って彼女の意見を突っぱねたのでした。そこに至ってはもう言葉を発する気力が私の中から失せてしまいました。
2011.06.25
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さて、話は少し前に戻ります。私が友達の持ってきた紙製グライダーをはじめてみた日です。その材質が『ケント紙』であるとTS先生に教えてもらい、その名前を忘れないようにスケッチブックの後ろに『けんとし』と書いたところから別の忘れられない問題が起こります。その数週間後にクラスで社会の小テストがありました。担任のT先生が授業中に範囲を指定して、次のその科目の授業の最初に小テストを実施していたのでした。そのテストのこたえ合わせは隣の人と用紙を交換して〇つけをするというシステムでした。男子と女子が机を並べていたので、男女でテスト用紙を交換することになります。私は自分で「俺はどうせ勉強できへん!それは隠してもバレること!」と思って開き直っていたので、点数が悪くても平気でした。女子は努力家が多く、何度席替えしても隣の女子に小テストの点で勝ったことなんてありませんでした。ただ、〇付けする人が間違っている箇所の正解を赤で書くシステムでもあったので、私はほぼ文字通り赤ペンで〇を書いて点数を書いて終わり!という楽な作業で済んだのですが、私の隣の女子はほぼ〇の無い私の用紙に赤で正解を書きこまなければならないのです。私は彼女たちにその作業をさせてしまうことだけは「申し訳ないな」と思っていました。その代わりに日頃彼女たちに笑いを提供してせめてもの恩返しをしている気になっていたのも、今思い起こせば恥ずかしい事実です。そしてその日、社会の時間の最初に小テストがあり、社会の授業も終わり、休憩時間に入ったときのことでした。3人の男子が私の机の前に来て「お前、さっきの社会の小テストでカンニングしたやろ!」と言ってきたのでした。
2011.06.24
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先生のおかげで私の紙製グライダー試作1号機が完成しました。ケント紙の上にザラ半紙を貼り、それを切って組み立てただけなので、正直見た目は「今ひとつ」だったかもせれません。しかし私にとってはとんでもない宝物だったのです。切り取り方、ノリつけの仕方、本体と主翼を取り付ける角度、、、いろいろと改善点がありました。その試作機のおかげで、2号機の完成度はかなり高いものとなりました。やがて図工準備室の窓から紙飛行機を飛ばすことが学校側から禁止されました。それでも私は毎日少しずつ紙グライダーを作っては、徒歩で10分もかからない平城京跡にいっては飛行距離を伸ばすことに没頭しました。しかしそれも今考えれば、窓から紙飛行機を飛ばすことが禁止されたということは、我々はTS先生に迷惑をかけてまで「したいこと」をさせてもらっていたことを意味するのでした。おそらく職員会議で議題にあがったり、少なくとも教頭か校長に呼ばれてからの禁止通達だったハズです。しかも今だにどこからクレームが出たかすら私は知りません。もう今となっては知る術もないのですが、、、、。おそらくTS先生はそんなことを子供の耳に入れることを良しとしなかったのでしょう。それで私たちの飛行機への、あるいは工夫をしてモノを作ることへの興味を失わせないように、紙飛行機を嫌な思い出で終らせないように、、、、との先生の配慮だったのでしょう。TS先生はその日私たちに「すまんな。もうここから飛ばしたらイカンことになったんや。ごめんな。」と言っただけだったのです。そのときは「な~んや」と思っただけでしたが、今は先生のご配慮に本当に感謝しています。おかげで45歳になったいまでもモノ作りが大好きな私でいられるのです。
2011.06.23
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私の顔を見るとすぐTS先生は「ほら、これ!」と言ってザラ半紙の紙を一枚くれました。そこにはグライダーのパーツ図が印刷されていました。そのまま切ってのり付けして組み立てれば完成するものでした。私はものすごく喜んで御礼をいいました。すると先生は、「まずはそれをきれいにケント紙に貼りつけて、それを切って組み立てて、とりあえずます試作の1機を作ってみたらええよ。」と言ってニヤっと笑いました。そのとき私は「これでちゃんとしたグライダーを作れるやん!」と喜んだのですが、今思えばあのとき先生は私がどこで挫折するかを予測してその準備までしてくれていたのでした。なんと有難いことなんでしょうか、、、。私の記憶ではあの当時は今のようにコピー機は普及していませんでいた。私も子供会(児童会)の資料を作るために『ガリ版印刷』をしたことがあります。もし先生があのザラ半紙に印刷されたパーツ図をガリ版印刷で作ったとすれば、ものすごく時間がかかったと思います。たとえ今のような性能のコピー機を使ったとしても、わざわざその図をどこかで入手、あるいは自分で作って用意してくれたのです。私が下校して次の朝登校するまでの間にです。学校行事でも授業のことでもない、1人の生徒のだたの趣味のためにそこまでしてくれたのです。私も『先生』となってしみじみ肌で感じたのですが、先生って結構忙しいんです。サボろうと思えばまた無限大にサボることも可能な世界ですが、本気で生徒に接しようと思えば仕事も無限大にあります。最初の授業で我々に「仕事の鬼になれ」と言ったTS先生。確かに授業にはときに怖いと感じるくらい真剣でした。間違いなくTS先生は無限に仕事があった先生だったと確信しています。そんな先生がたった一夜で用意してくれたのでした。今更ながらではありますが、偉大な教師に出会った生徒は幸せなのです。その感謝の思いは、生徒が歳を重ねる毎に、大きく大きくなっていくのです。たとえその生徒がそのときは何も感じていなくてもです。またその偉大さも、生徒が歳を重ねる毎に、その生徒のなかで大きく大きくなっていくのです。心の中に偉大な教師との思い出がある人間は生涯幸せなのです。
2011.06.22
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翌日の放課後に文房具店でケント紙を2枚買って帰宅しました。なぜ放課後か?勿論、朝購入して帰宅までにケント紙が折れたり曲がったり汚れたりするのを防ぐためです。その日一日はその友達の紙製グライダーをつぶさに観察し、まずは同じものを作ろうと企んでいました。最初はケント紙を「2枚も買ったで!」と満足していた私でしたが、家に帰ると「2枚しかない」という思いに気持ちが変わっていました。いきなり1回目から理想のグライダーの形を完成させられないような気がしてきたのです。ともかく机に向かい鉛筆で薄くグライダーの形を書いてみました。なにか変です!消しては書き、消しては書きを繰り返しましたがやはり全く上手くいきませんでした。とりあえずその日は断念しました。「明日もう一回あのグライダーをよく見せてもらおう!」それと、、、「TS先生に相談しよう」と思っていました。次の日の休み時間に図工準備室に行くと、嬉しいのを通り越して驚くようなことが私を待っていました。先生は私がケント紙にグライダーの形を上手くかけないであろうことを完全に見切っていたのです。
2011.06.21
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その紙製グライダーを持ってきた本人にいろいろ聞いてみると『切り抜く本・よく飛ぶ紙飛行機集』という本が販売されているとのことでした。しかもその本が一冊1800円ほどするということも私を驚かすのに十分な事実でした。その金額に落胆している私にTS先生が、起死回生(?)の言葉を放つのでした。「これはケント紙っていう紙でできてるな!ケント紙やったら何十円かで文房具屋で売ってるから、自分で作れるで!」人生ではじめて聞く単語でした、、、、「ケント紙」、、、。「忘れてはイカン!」と私はスケッチブックの表紙にマジックで大きく「けんとし」と平仮名で書きました。これが後でちょっとした事件を生むとも知らずに、、、。そして図工準備室をでる私にTS先生は「お前がこだわってる1枚の紙から折るだけで作るっていうこだわりから飛び出すときがきたな!」といってポンと背中を叩くのでした。またそれが私の心に火をつけます!!その日早速下校途中に学校のすぐ前にある文房具店に寄って、ケント紙の値段を確かめました。1枚20円だったと記憶しています。定額小遣い制でなかった我が家なので、その日の夜に皿洗いと肩たたきをしてケント紙2枚分のお金をゲットするのでした。
2011.06.19
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その友人が持ってきたのは、紙でできたグライダーでした。画用紙みたいな厚手の紙を切ってパーツをつくって、それをノリで貼って作っているものでした。きれいなフォルムに調整された主翼と尾翼が「これは飛ぶぞ!」と言っているのが聞こえてきたくらいでした。しかもコクピットの部分の黒い色や主翼に書かれている機体番号は明らかに印刷されたものでした。「こんなんがどっかに売ってるんや、、、、」と羨望の眼差しで見つめました。またそれがよく飛ぶんですわ!!!!我々のそれまでの通過目標地点なんかあっさり飛び越えてもまだ飛び続けるその姿に一同(いや私だけだったかも知れませんが、、、)ぐうの音も出ませんでした。1回目のトライで歴史的な飛行距離をマークしたその紙製グライダーは実はやや右側に流れていました。回収班が持ってきたそのグライダーを手にした持ち主は「垂直尾翼を調整したら真っ直ぐ飛ぶわ」といいながら、尾翼の角度を調整して2回目のトライ!!すると今度は真っ直ぐに飛んでさらに飛行距離を伸ばしました。TS先生は、やはり何の口出しもせずニヤニヤしながら我々の行動を見守っていただけでした。
2011.06.18
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私の愛機が無残にも自然の風に撃墜されるシーンは多くの友達が目撃することとなりました。しかし同時に「じゃあ飛ばすぞ~」というシーンも目撃していたのです。このシーンに男の子がワクワクしないはずがありません。翌日4~5人の生徒が私同様に独自の紙飛行機を制作してきていました。それを見てTS先生がルールを決めました。飛ばせるのは1人1機のみ!飛ばすのは1人ずつ!飛ばしたい人を2グループに分けて「先攻クループ」はまず飛ばす!「後攻グループ」は運動場に待機しておいて先攻グループの飛ばした飛行機を回収する。みんな飛ばしては、反省・改良を繰り返しました。しかしみなそれぞれ限界を感じていたと思います。日に日に自作紙飛行機を用意して図工準備室にくる生徒が少なくなってきたのです。それでも「ああではないか!こうではないか!」と試行錯誤している私たちをTS先生はニヤニヤして見ているだけでした。そんなことを4~5日繰り返した頃だと思います。1人の友達が衝撃的な紙飛行機を持ってきたのでした。
2011.06.17
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数日後、TS先生の許可を得て3階の図工準備室の窓から運動場に向けて紙飛行機を飛ばす(正確には落とす)ことになりました。私の飛行機は先端がとがったタイプではないので、先生が「これならだれかに当たってもケガもせんやろ」と判断してくれたのでした。今では考えられないことだとは思いますが、、、、、。しかし初日にして新たな問題に直面したのでした。私が作った紙飛行機は所詮「室内用」であり「人間の背丈から落とす用」だったのです。3階から落とすと風にさらされて、まっすぐ飛ばないどころかひっくり返ったり空中で変形したりで、いろんな意味で「撃墜」されてしまったのでした。校庭に墜落した我が愛機を回収して図工準備室に戻ると、笑顔のTS先生が待っていました。そして一言「また改良せな」、、、、。今から思えばあのとき「ああしては?」「こうしては?」とアドバイスしなかったのが、TS先生のTS先生たる所以だったのだと思います。あの短い言葉の中の「改良」という言葉が私のハートに火をつけたのでした。
2011.06.16
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TS先生のその言葉に私は思わず「なんで知ってんの?」とタメ口で聞いてしまったことを覚えています。ニヤっと笑った先生は「どんな飛行機やったんや?」と聞いてくれました。私は嬉しくなって先生の机にあった紙(なにかの書類)を一枚手にとって「これ使っていいですか?」と聞きました。先生は黙ってうなずきました。その紙は4年生当時私が「ベスト!」と思っていたサイズより大きかったですが、とにかく作ってみました。普通の折り紙飛行機とはかなり異なった形なので先生は「どうやって飛ばすんや?」と聞いてくれました。「よくぞ聞いてくれました」と心で思いながら「投げずに上から落とすだけなんです。それで飛行距離を伸ばしたかったんです。」と説明しました。それにたいして「うん!ほなまた研究せなあかんな!」とTS先生は私に言ってまたニヤっと笑いました。そこから私に《第二期紙飛行機ブーム》がやってきたのでした。嬉しい事にこのブームはクラスの男子に広がることになります。またちょっとした事件を起こすことにもなるのです、、、。
2011.06.15
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小学校4年のとき、私に《第一期紙飛行機ブーム》がやってきました。それまで駄菓子屋で10円ほどで売っている簡単に組み立てられる飛行機のブームは既に何回か経験していました。最近でも探せば入手できるプラスチックのボディに発泡スチロールの羽根をつけるタイプです。しかしそれは買って組み立てさえすれば、みんな同じ性能を手にできるだけで飛行性能の差をつけることはできません。小4のときの《第一期紙飛行機ブーム》は、その既製品とは違う条件に没頭したのでした。その条件は、1:一枚の紙から作る2:投げずに落とすだけで飛ばして、その飛行距離を競う、、、この2つでした。いらない紙、使わない紙を使って色々実験しました。試行錯誤の結果「この大きさ、この形、この角度が最適」と思われるフォルムに辿り着きました。自分では『飛行する芸術作品だ』と思っていました!しかし次の問題が発生します。できるだけ高い位置から落とした方が飛行距離が伸びるのではないか!と考えたのです。以前にも紹介したように、私の小学校3年4年は勉強面で落ちこぼれた時期でした。それでもそこまで考えたのです。『好きこそものの上手なれ』とはよく言ったものです。そして私は何機も紙飛行機を制作して、やすみ時間に校舎3階の廊下の窓からそっと落として実験と研究をしはじめました。悲しいかなその実験は一日で続行不能となりました。案の定、私の行動を見ていた女子が「せ~んせぇ~に~いう~た~ろ~」と言いながら職員室に駆け込みました。速攻で当時の担任Y先生にこっぴどく叱られてゲンコツ3発食らって、私の《第一期紙飛行機ブーム》は強制終了させられたのでした。この出来事はTS先生の耳にも入っていたらしく、私が6年になったときに「もう紙飛行機してへんのんか?」とのTS先生の一言で《第二期紙飛行機ブーム》が思いがけずに到来したのでした。
2011.06.14
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まだもう少しTS先生の話題にお付き合いください。「仕事の鬼になれ」と小5になったばかりの我々に言ったTS先生、、、、。確かに鬼でした。いろんな意味で鬼でした。生徒にヤル気を出させる鬼であり、生徒の怠惰は微塵も許さない鬼であり、もの作りの鬼でした。今思えば先生にとって生徒も「作品」だったのではないかと思うこともあります。最近、我々世代が必ずマンガで読んでいた数多くの作品を世に出した偉大な漫画家の1人が亡くなりました。その葬儀で「大御所」と呼ばれるコメディアンの1人が弔辞を述べました。彼は若かりし頃、その漫画家に郷里より東京に呼び出され、東京の漫画家の家に居候をして様々な事を学んだそうです。その彼が弔辞を「私は先生の作品のひとつです。」としめました。その言葉をテレビで聞いたとき、なぜか私はTS先生のことを思い出しました。TS先生は我々の「何かを作ろう」とする気持ちに最大限に応えてくれていたような気が今になってします。今だに何かを作ることが好きな私、、、、40歳を過ぎて「何かを作るということは、自分の人間性を作ることにつながること」ではないかと思うことがあります。その基礎を私は小学校5年6年の2年間でTS先生に植え付けてもらったと感じます。まさに、『何かを作ることが好きな人間性』をTS先生が私の中に作ってくれたような気がしているのです。少し大げさかも知れませんが、、、。実は私がはじめて本気で「自分で工夫してなにかを作ることは最高に面白い」と感じる経験をさせてくれたのがTS先生でした。
2011.06.13
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では私のような「生徒にどっぷり浸かる」タイプの先生は、どうすれば生徒の加速のし過ぎを止めることができるのでしょうか?一言でいうと「心を育てる」とそれが可能になります。何もそれは特別なことではありません。日頃の生活の中、日頃の何気ない会話の中、授業中、どこでもできます。自分の人間性で常に生徒に接していれば可能なのです。たとえ生徒が見ていなくても、その行動が生徒の耳に入らなくても、常に「人間性」に基づいた原動をしていれば可能なのです。、、、、しかし、この考えはもちろん先生側の『性善説』に基づいています。人として考えられない人間性を持つ先生には通用しませんよ!そういう先生に限って私のこの考えを否定しますがね。「自分は先生だからこうでないとダメ」とか、、、「相手は生徒だからこうでないとダメ」とか、、、その考えが互いの人間性にベールをかけてしまうのです。それでは先生も生徒も育ちません。
2011.06.12
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さて、話題を戻します。『偉大な教師達147』の内容を受けた続きです。TS先生から学ばせていただいた2つのことの、もう1つ!私のようなタイプの先生が注意すべきことです。私はよく同僚の先生から「生徒にどっぷり浸かるタイプ」とか「生徒の中に入り込んでしまうタイプ」だとか言われます。中には皮肉な意味で言う先生方もおられましたが、これらの言葉は私にとって褒め言葉以外の何物でもありません。「生徒に浸かる」のも「生徒の中に入り込む」もの、私の言葉で言わせてもらえれば「接近戦」なのです。近いが故に分かり合えることもあれば、誤解が生じることもあります。キズつけることもあれば、キズつけられることもあります。でもそれが人間ってものなのです。なにも特別なことではありません。だから私は「先生と生徒の関係は、突き詰めれば人間性と人間性のぶつかり合いだ」いうのです。もちろんケース・バイ・ケースでロングレンジで戦うときもありますが、それはあくまで接近戦を有効に行なうための方便なのです。TS先生も当時の他の先生より「生徒の中に入り込んでいる状況」が多かったと思います。だからこそ、『的確な一言』で生徒を加速させることができたのです。しかし、それはときには諸刃の剣となることがあるのです。TS先生が出張中に我々が良かれと思ってとった行動がそれなのです。
2011.06.11
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二輪指導員と学習塾の先生をしている私ですが、常に「学ぶ心・学ぶ姿勢」ひいては「教わる者の気持ち」を忘れないでおきたいと思っています。例えばここ6年ほどは太極拳を学んでいます。はっきりいえることは、現在進行形で何かを学んでいない先生の授業は「ヘタ」です!もっと正確にいうと「1人よがり」「一方通行」だともいえるでしょう。実は私はブログをはじめたのも、「独学で未知の領域に入りたい」という願望からなのです。パソコン音痴の私がブログ、、、、周りのみんなはかなり驚いたみたいですが、なんとか現在1年以上継続させることができています。そんな私が先日から「今度はバイクスクールのホームページを作ろう」と、また独学をはじめました。今日は「ブログとホームページの違いを知ろう」と、はじめて他のみなさんのブログを見てみました。なんと!ブログに画像を載せられるのですね!驚きました。文字を書くのがブログ、画像を載せられるのがホームページと思い込んでいたのですが、、、。う~ん、、、、どの世界も奥が深いですね。
2011.06.10
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先日ある学校の先生と知り合いました。彼女は教師になって3年目。この春から初めて担任をすることになりました。「担任とは何をどうすればいいのかがまだ見えていません」と悩んでいました。そうなんです!どの先生も十分な準備も研修もなく(一応あるのですが、何か問題が生じたときに「やりました」と管理職や教育委員会あるいは文部科学省の保身を可能にする程度の研修しかありません。私に言わせれば無きに等しいものです)、担任になるのです。しかし私は彼女に「完璧な先生になってから教壇に立ったり担任を持ったりすることは不可能。そもそも完璧な先生なんて存在しない!生徒と一緒に、クラスと一緒に成長していくのが担任」という内容の話をさせてもらいました。彼女は担任という立場から逃げようとはしていません!また、できるだけ楽に担任という立場を事なかれ主義で受け流そうとも思っていません!その姿勢は当然のことかもしれませんが、素晴らしいことです。でもおそらく彼女の周りの何かが「完璧な担任」を求めさせているように感じました。「完璧な担任」や「完璧な教師」を追い求め過ぎて、「自分」で無くなる、または「自分を見失う」ことがあってはいけないのです。あまり長い文章にしてくないのでここまでにしておきますが、彼女は肩の荷を下ろしてくれたみたいでした。先生としてのあの姿勢を崩さず1人の人間としての自分をしっかり保ち続ければ、彼女も間違いなく偉大な教師となるでしょう。いや、もうなっているかも知れません!久しぶりに言います。教育に真摯に取り組む現場の偉大な教師達にエールを!!
2011.06.09
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まず最初の1つ、、、以前にもこのブログで語らせてもらったこと!それは「教師といえども謝るべきところは謝る」ということです。「教師と生徒の関係は、突きつければ人間性と人間性とのぶつかり合い」ということです。「先生」と呼ばれた時点で、「完全無欠な人間」になったわけではないのです。勿論やたらめったら生徒に謝れ!と言っているわけではありません。先生が生徒に謝る状況は少ない(あるいは無い)に越した事はありません。でも!です。でも、その必要があるときはきっちり謝ることのできる判断力と実行力が必要なんです。中にはいますよね!「生徒に謝れば、その後その分つけ込まれる」とか言う偉い先生が!!そんな先生は日頃その程度の人間関係しか生徒達と構築できていないのです。TS先生もそうでした。あの日我々を図工準備室に呼び出して、まず前日に出張とはいえ授業をおこなえなかったことを謝ったのです。だからと言って我々は「出張する先生が悪い」とは思いませんでした。なぜならそれまでTS先生は本当に図工の授業を大切にしていたことは我々は肌で感じていましたから!その当時の生徒だったから、では無いのです。TS先生が口には出さないけれども、我々がそう感じるのに十分な姿と真剣さを我々に見せてくれていたからなのです。
2011.06.08
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私がTS先生から学んだことは大きく2つあり、今でも守っています。しかしこれはTS先生が『教育の技術』として用いた手段ではなく、どこかの教育理論を猿真似したわけでもないのです。私もそうです。この2つを自然と実行する上で「あ、あのときのTS先生と同じや」と気付いたのです。知らず知らずに自分もTS先生と同じことをしている!これはかなり嬉しかったです。しかしよく考えれば、今まで出会った尊敬すべき偉大な教師達は、この2点を外していた事は無かったのです。1つはこのブログで以前にも語らせていただいたことです。ある意味、人として当然のことなんですがねぇ、、、。最近、この当然のことをしない先生が多いとの苦情をよく聞きます。もう1つは、私のようなタイプの先生にはすごく大切なことです。これに気配りをできるようになれば、私も生徒も幸せな状態を維持しやすいのです。
2011.06.07
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ある意味あのときTS先生に叱られたほうがよかったのかも知れません。、、、あくまで子供の立場としては、ですが、、、、。あの後の卒業制作の作業を私は「申し訳ない」という思いで続けていました。TS先生が普通に明るく接してくれるたびに、自分の卒業制作の作品を手にするたびに、少しだけしか入っていない漆の缶にハケを入れるたびに、、、、「申し訳ない」と思いました。同時に「自分たち子供は、大人がどんなところで子供のために苦労をしているのかを全く知ってへん。」「それが分かる人間が大人やねん。」と私は考えるようになりました。あのときの私にこういう考えを植え付けてくれたTS先生に今は本当に感謝しています。しかし、あのときはなにか重た~い気分ではありましたが、、、。またこの一件は、「先生」となった私に大きなヒントを与えてくれていたのでした。偉大な教師に出会えた生徒は本当に幸せなのです。
2011.06.06
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そして昼休み、、、、私は前日の放課後に図工室に行ったメンバーと、図工準備室に行きました。すでにTS先生はそこで待っていました。まず「昨日の放課後ここに来た人間はこれで全部か?」と聞かれました。そして全員である事を確認してから先生は言葉を続けました。「昨日はこちらの勝手な都合でみんなの授業が無くなったことは申し訳なく思ってる。本当にごめんなさい。」と先生は椅子から立ち上がって我々に頭を下げました。「でもな、、、」と話は続きました。いつも授業でみんなが使うであろうギリギリの量の漆しか出さないのは、実は学校からもらえる経費では漆は買えないのでTS先生が自腹を切って購入してくれていたことが大きな理由だったこと、そのとき我々は初めて知りました。一個人が小学生1学年全員約200名分の黒漆と赤漆を購入するにはかなりの費用が必要だったとのことでした。先生は我々を叱るのではなく、我々が漆を使えるようになった経緯を説明してくれました。このときのなんともいえない表情を、私は忘れるこはできませんでした。先生も痛いほどわかってくれていたのです。我々がいたずらや悪気があって放課後の図工準備室に行ったのではないこと!我々も早く作業を済ませて、規定授業時数内に卒業制作を完成させたかったこと!我々のクラスが、みんなでワイワイいいながら何かをできる時間がもうそんなに残っていないことを意識していたこと!先生はわかってくれていたのです。
2011.06.04
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その翌日の朝、TS先生に会ったクラスの誰かがその放課後の話をしたと聞きました。卒業制作の進み具合の遅さに「授業時数足りるかな?」と先生がつぶやいたのを聞いた友達もいたらしいので、我々が自主的に作業を進めたことに喜んでくれると私は思っていました。しかしその日の午前中の休み時間に他の用事があって職員室にいった女子が、教室に入ってくるなり「昨日の放課後に図工室に行った人は、昼休みに図工準備室に来るようにってTS先生に言われた。」とクラス全員に聞こえる声で言ったのでした。その言葉にみんな「えっ?」「なんで?」といった表情をしたので、その女子の言葉が続きました。「先生怒ってたで」担任のT先生もそうでしたが、図工のTS先生も怒ればシャレにならないくらい怖いことはみんなイヤというほど知っていましたから、一瞬教室は静まりかえりました。
2011.06.03
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そんなある意味もどかしい授業が続いていたある日、図工の授業がある日にTS先生が出張で授業が無くなりました。しかしみんな前向きに早く卒業制作を完成させたかったのです。昼休みにだれともなく「放課後に図工室行って、今日の授業が無くなった分を取り戻さへん?」という意見がでました。私もその意見に迷うことなく賛成しました。作業自体が好きだったこと!我々のヤル気をTS先生も喜んでくれると思ったこと!卒業間近だったから、みんなと一緒の時間を過ごしたかったこと!、、、私が賛成した理由はいろいろあるのですが、「先生がいなければ漆をたっぷり使うことができる」と思ったことも事実でした。放課後、みんなで図工室に入って準備室の棚の一番下にある漆の缶をあけて、いつも授業で教室の前に置かれる丸い缶2つにたっぷり入れました。それを図工室に運んでいつものようにハケで各自が自分の作品に塗っていきました。それは1時間ほどで終わりましたが、2時間の授業ではかどるよりはるかに作業が進みました。私はみんなと素直に喜びました。
2011.06.02
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その漆の入った缶は直径20cmほどだったと思います。いくら先生が2つ用意してくれていたとは言え、クラス全員で使うには小さいものでした。また漆はその缶の底にほんの少ししか入っていない感じでした。38人いた我々のクラスは6班に分かれて、各班ごとに教室前の教卓に置かれた2つの缶の前に集合して、専用のハケで自分の作品に漆を塗りました。自分の班の漆塗り時間が終われば、自分の席に戻り布でその漆を作品にすり込んでいく作業がありました。まずは黒漆でこの作業を何回か続けていきます。繰り返せば繰り返すほど、綺麗な色調に仕上がっていきます。黒漆作業が終われば、次は赤漆で同じ作業を繰り返すのです。みんな楽しくワイワイいいながらその作業を続けてはいたのですが、ほとんどの生徒が感じていたと思います。「作業の進みが遅い!」と、、、、。漆を塗る時間が回ってくるのは1回の授業で1回が精一杯でした。漆塗りの順番が最後になったときなんかは、その順番がやってくるのをひたすら待つだけで1時間の授業が終わってしまい、なおかつ作品にすり込む時間が無いのです。
2011.06.01
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