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やはりこの夏休み期間も多かった、、、、店内を走り回る子供達!しかも結構全力で走っとる!鬼ごっこしてる連中もおる!親も全く注意せん!いつから公の場所で子供が走り回っててもよくなったん?『走り回る子供は入店禁止』にしたら、集客力上がると思いますよ。特にお年寄りにとってはあの子供らは凶器です。あと『子供のしつけのできない親も入店禁止』にすればいいんです。しかもそれはもう既に「親」ではないですわ!とにかく、ああいう子供を撲滅するというか排除する方法を考えなければなりません。何か大事故が起こってからでは遅いですよ。走りまわっている子供が怪我しようが死のうが、それは本人と親の自己責任ですから知ったこちゃありません。しかしそんな連中に怪我させられたり殺されたりする人がそのうち出てくるような気がしてなりません。
2011.08.31
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このような例は掃いて捨てるほどあるのでこれくらいにしておきます。この先輩に見られるように『出身学校負けしている人間ほど自分の出身校をひけらかさずにはおれない』という事実も多く存在します。正直いって学校なんて卒業してしまうともう関係ないんです!だってそうでしょ?皆さん、出身学校でその人の人としての価値を判断しますか?以前にも申し上げたように、突き詰めれば人の価値とはその人の『言葉・行動・振る舞い』に凝縮されるものなのです。それに自身の無い者は、それ以外の何かに頼って「自分がどれくらい素晴らしい人間か」を言葉でアピールするしかないのです。もうそうなっては情けないのを通り越して、見苦しい限りです。では大切なのは何か?勿論『その学校でいかに人間性を磨いたか!』が大切なのです。人間性を磨くには様々な手段がありますが、「何かに向って努力する」というのが一番です。だから私はいうのです!『どの学校に行ったかではなく、いった学校で何をどれだけ頑張るかが大切である!』と
2011.08.29
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私はその友人の先輩の言葉に疑問を抱いたので、敬語で質問しました。1:K大OBがクールだというが、あなたは話の端々にK大出身であることをアピールする。 それは私にはクールに思えない。自慢というかひけらかしにしか思えない。2:K大の偏差値が高いことは認めるが、その卒業生の人間性の素晴らしさとは無関係である と言わざるを得ない!あなたを見ていたら、、、3:そんなに素晴らしい大学を出たのに、なぜあなたのいう三流高校出身者と同じ職場なの か? あなたと私の友人は会社も部署も同じで、あなたはただ年上・先輩というだけで私から見 ればイコールです。4:三流高校出身者が愛好心を持っていてなにがいけないのか教えてください。という内容です。これらの私の質問に対する、そのたいそうご立派なK大学出身の先輩の答えは「何を生意気いうとんねん!」でした。私の4つの質問に対する返答として、成り立っていないでしょ?ご立派なK大学卒業の割には国語はできないのでしょうか?しかも私の質問に対して「生意気」だとこたえる!《ルールを守らない人間》のテーマのときに紹介した『話の争点を変える』という姑息な手段に打って出るしか方法が無かったのでしょうか?
2011.08.28
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『どの学校に行ったかでなく、行った学校で何をどう頑張ったかが重要』!ちょっといい学校に入学したからといって、何の向上心も持たない。ちょっといい学校を卒業したからといって、いつまでもそれだけにすがって生きていく。それではいい学校に行った価値がないのです。目安として出会って30分もしないのに自分の通っている学校名または出身校の名前を持ち出す人間は、間違いなくこのパターンです。見苦しいというか、哀れというか、、、、、もうそれしか何もすがるものが無いんですね。人の価値とはそんなことでは無いんですが、それを理解できないのです。こんなことがありました。高校を卒業した年に、高校時代の親友とその職場の先輩と3人で食事に行ったことがありました。思わず私と親友は高校時代の思い出話を少ししてしまいました。すると彼の先輩が一言「三流学校を卒業した奴ほど愛好心が強いんよ!俺が卒業したK大学のOBはその辺クールなもんや。」と言いだしたのです。この親友の職場の先輩と会うのはこのときはじめてではありませんでしたが、初対面のときにはすぐに自分の出身大学名をひけらかしていました。
2011.08.27
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なぜ学校に「価値」を感じることができない若者が増えてきたのでしょう?突き詰めて言えば『ゆとり教育』の弊害です。皆さん知ってます?最近の小学校は『頑張らささない』のが基本なんです!なんじゃそりゃ!です。そこを何とか『頑張る』ように持っていく先生が「熱血先生」と呼ばれています。いやいやいや、、、、それは「普通の先生」なんですよ!ずいぶん小さい頃にある本を読みました。その中に出てくる先生が言いました。「勉強は何のためにするか!それは幸せになるためだ!」という内容の台詞をいうシーンがありました。その当時は私は「?」と思い、何を言わんとしているのかが分かりませんでした。しかし今は分かります!学校に通う価値、勉強をする価値、それらを自分で創造する力を養うことこそが教育なんです。学校生活を通して何を教えるのか?教科学習を通して何を教えるのか?学校生活を通して何を教わっているのか?教科学習を通して何を教わっているのか?それを教える側も、教わる側も、常に明確にしおておかなければならないのです。
2011.08.26
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支持率も下がりきり「早く辞任すべし」とかなり早い時期から言われ続けたK首相が本日辞任を表明しました。「よくある話」と流してはいけませんよ、皆さん!日本の首相がどのように選出されているのかを考えてください。首相・総理大臣は政権与党の代表選挙で勝った人がそのまま就任します。ではK首相が辞任するならば、代表選でK首相に投票した政権与党M主党議員達も責任を取って議員を辞めるべきではないのでしょうか?本当にこの国の政治家は『責任を取らない』ことが当たり前。何か都合が悪い事が起きれば「だれのせい」「かれのせい」と、あたかも以前からその自体がおきることを予知していたかのように物を言い、遠まわしに『責任は自分にない』ということを主張し保身を図る!!これが今の政治であり政治家の本質です。これから政治の道を目指す若い人たちは、この腐りきった政治の世界を変えていく揺るがない決意を持って臨まなければなりません。その場その場で言う事がころころ変わり、いつも自分目線でしか物事が見えず言えず、自分は労力も出さず資金も出さず他人に何かをさせておいて何か失敗があればそれをこれ見よがしに非難する、万一それが首尾よく運べば、現場の人間を大きく褒め称えることでその人と自分をイコールの立場に持っていこうとする。つまりは何かことが起これば、だれかに対処させ、成功しても失敗しても自分だけはイイ子ちゃんでいたい人間、、、、そんな人間が政治家になる時代はもう終わりにしなければならないのです。先日、テレビで見かけない日がないと思うほど画面に出ていた元漫才師の優秀な司会者が突然の引退を表明しました。その原因となった出来事はともかく、彼の引退会見の言葉、、、、『自分自身に一番厳しい罰を与えました。ですから許してください。』『芸能界の後輩たちに示しがつかない。』立派とはいいません!なぜなら人間として普通だからです。覚悟と責任感を持たない政治家が多く蔓延るこの国は不幸な国です。そんな国に住んでいる我々にはもう未来なんてありません。
2011.08.26
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「学校がおもしろくない」「学校がおもしろくなかった」、、、という人達に私はいつもいいます。「では君のおもしろい場所ってどこ?」この私の問に対して全員がなまけたような、人生をなめきったような、甘えた返答を返してきます。「ゲームしているときがおもしろい」「家でゴロゴロしているときがおもしろい」「テレビみているときがおもしろい」「デートしているときがおもしろい」「だれにも強制されたり叱られたりしない場所」、、、それやったら一生ゲームしとけ!それやったら一生家でゴロゴロしとけ!それやったら一生テレビみとけ!それやったら一生デートしとけ!それやったら1人で無人島に行け!そもそもなんで高校に進学したんや!!言い出せばキリがありませんが、腹が立ってしかたありません。でもそんな人間に私が言っているのは『おもしろい場所なんてこの世に無い!』ということなんです。ありませんよ!おもしろい場所なんて!あるとすれば、それは『自分が作ったおもしろい場所』なんです。この場合の『自分で作る』とは、グループを作ったりや物理的な場所を確保することではなく、その場所の『価値』を自分で見出したときにその場所はその人にとって『おもしろい場所』になるのです。
2011.08.25
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歴然とした理由も無く、確固たる新しい目標も無く高校を中退した人達、、、、そんな人が私に二輪実技指導を依頼してきても、多くの場合は途中で姿を消します。約束の時間に来られない。朝起きられない。前回学習した事を覚えていない。宿題(コースの道順を覚える等)をしてこない。一般常識的な用語を理解できない。試験本番が近づいてきたプレシャーに勝てない。、、、等々の理由で連絡もせずに来なくなります。そんな人達に高校を辞めた理由を聞くと、ほとんどが「面白くなかった」と口をそろえて言います。では、バイクに乗るのは楽しくなかったのでしょうか?高校にはいやいや進学したのかも知れませんが、バイクの練習は自分の意志ではじめたことなんです。それでも途中で逃げ出す!そんな「逃げ癖」は生涯続きます!今、この日本という国で、人が他人の中で生活していく最初の場は学校であることが多いです。その学校という場で「価値」を見出せなかった人間は、どこにいっても何をしても「価値」を見出すことなく逃げていく人生を歩むのです。この「価値」は「学校の価値」でもありますが、突き詰めると「自分自身の価値」「自分自身の人間としての価値」だといえるでしょう。
2011.08.24
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ここ数年高等学校の中退者が多いと聞きます。実際、昼間に二輪の実技指導をしていても「高校やめました」っていう若者と出会う機会が多くなってきました。その中のほんの一部の人は、高校に通う以外に何か人生の目的を見つけて真剣にその道を歩もうとしていました。その決意たるや、頭が下がる思いでした。しかしほとんどの人は、入学した高校に価値を見出せなかったのです。そのくせそれを誰かのせいにして、何かのせいにして、自己弁護の聞こえのいい言い訳だけは一人前に用意しているのです。本当に見苦しいこと極まりありません。「住めば都」という言葉があります。私はそれを「その場所で生きていくための価値を見出すことの重要性」を説いている言葉だと思っています。それが自然にできない若者が多いから、せっかく入学した高校で何の価値も生み出せないし感じられない!、、、、まあこれも「ゆとり教育」の大きな弊害の1つですが、、、、さて皆さん!高校生活に何の価値も見いだせなくて中退した若者が私に自動二輪の実技指導を受けにきた場合、その結末がどうなるパターンが多いと思いますか?
2011.08.23
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我が母校の高等学校としての学力レベルは確かに底辺校でした。それでも必死に勉強してやっと入学した友人もいました。学力的問題で「ここしか受からなかった」といって入学してきた友人もいました。公立高校の受験に失敗して入学してきた友人もいました。「この学校で部活をしたい!」と学力が十分あるのに他の学校を受験せずに入学してきた友人もいました。だからこそ、この学校に入学して自分はどう生きていくのか!をみんなそれぞれ真剣に考えていた、、、、、それが我が母校でした。先生達もそんな我々生徒の1人1人に真剣に向き合ってくれていました。しかし、よく考えればこれはどの学校でも当然のようにおこなわれなければならないことなのです。でもどうやら我が母校以外の多くの学校はそうではないみたいですね。そう思わざるを得ない人間がなんと多いことか、、、、、。
2011.08.22
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いきたい学校に入学できたからといって、それで安心して向上心を忘れてしまっては何の意味もない!いきたくなかった学校に入学したからといって、向上心を忘れてしまっては何の価値も生れない!志望校を考えるときは「その学校に入学して自分は何をどれくらい頑張るのか!」を明確にしながらでないといけません。進学を考えるときは、何のために進学するのかを真剣に考えねなければなりません。「何のために高校に行きたいのか?」と聞かれて、「みんながいくから。」「高校ぐらい出とかないと恥ずかしいから。」なんていう人間は高校に進学しても意味がありません。「何のためにその高校に進学したいのか?」と聞かれて、「、、、、、、」と即答できない人は、その学校の名前に惹かれているだけです。そういった人間は入学した時点で目標を達成してしまって、何の向上心もなく無駄な3年間を送ります。我が母校は私にそれを教えてくれました。『どの学校に行ったかでなく、行った学校で何をどう頑張ったかが重要』という私の結論は、机上の空論ではなく私の実体験からにじみ出てきたものなのです。しかしながら、それを分かっていない人たちがあまりにも多いのが現状です。悲しく情けないことですが、、、、、しかし例えどの学校に進学しても、向上心と目標をもって過ごし続けるなら、その学校生活はその人の人生において光輝く黄金の日々となり得るのです。
2011.08.21
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彼女は高校3年のとき、進路のことで母親と大きく対立したのです。原因は想像がつきますよね!彼女の志望校と、母親が行かせたい大学が違ったのです。それまでは母親の言う事を聞いてきた彼女でしたが、このときは自分の思いを突き通したそうです。 大学2年になって帰省したときに塾を訪ねてくれた彼女は言いました。「あのときは人生ではじめてお母さんに反発しました。」「中学ではお母さんがさせたい部活に入って、高校もお母さんが行かせたい高校、塾もお母さんが行かせたい塾に変わった。でも大学は私の行きたい大学に行く!って言い切りました。」「自分のいきたい大学にいけて今が一番幸せです。」そのお母さんが娘に行かせたかった大学は、有名大学!たったそれだけの理由でした。学校名を一種のブランド名としか思えない、、、、、不幸な母親です。娘も不幸でした。しかし彼女はそれを自分の意思で打破したのでした。彼女はそのときこうも言ってくれました。「あのときお母さんに、私は今でも英語で分からないことがあったらゴマ先生に電話して教えてもらってる!お母さんが嫌いな高校を卒業した先生でも私にとってはいい先生なん!お母さんは良いと思ってる大学でも、私にとっては嫌な大学かも知れん!!って言ったんです。結局それでお母さんが折れてくれたんです。」
2011.08.20
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彼女は本当はやめたくないと私に告げましたが、お母さんがもう通塾を許してくれないとのことでした。私は英語で困ったことがあればいつでも電話するように言い、電話を切りました。それから高校を卒業するまで、何回も彼女から電話がありました。そのお母さんは結局娘を別の塾に通わせたらしいのです。ご立派な高校を卒業したんでしょうから、言葉通り自分で教えたらええのに。彼女は「今まで学校や塾で『勉強が分かってきた先生』に教わってきて特に英語が苦手になったんですが、先生は『勉強が苦手な生徒の立場や気持ちを分かってくれる先生』だから何でも質問しやすいです」と言ってくれたことがありました。ある意味、私の授業は彼女に合っていたのです。それを出身学校が気に入らないとの理由で、自分の娘の学習機会を奪う母親、、、、。結局、この女子生徒は高3になって母親と大きく対立することとなります。まあ当然といえば当然のことだったのですが、、、、、。
2011.08.19
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そのお母さんの電話の内容は2点、、、、嘘をつくのはよくない!先生は学校で教えた経験があると聞いているが、あの高校から先生になる人間がいる訳が無い。嘘をついてまで生徒を集めるのはよくない!詐欺である。とにかく娘は塾をやめさせます。あの高校を出た人間が私の娘に何と教えるというのか?それなら私が教えた方がまし。、、、、以上でした。私は「嘘はついてません。でもそうおっしゃるのでしたら、お母さんが勉強を教えてあげてください!さようなら。」といって電話を切りました。お母さんはまだ何か言おうとしていましたが、もう私に聞く耳がなかったのでその言葉を遮って電話を切りました。すると翌日、その女子生徒本人から塾に電話が入ったのです。
2011.08.18
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こんなこともありました。塾の講師を専業でしはじめた時期の話です。当時の社長が私の入社によってそれまで無かった高校部を作り、高校英語コースを私が担当することとなりました。様々な高校のさまざまな実力の生徒達が通ってきてくれていたので、一斉授業と個別授業をそのときの状況で切り替えながら授業を進めていました。こちらとしては一斉授業の方が楽だったのですが、その切り替えが生徒達に好評で生徒数も徐々に増えていました。そんな高校1年英語のクラスにある女の子が入ってきました。「学校の授業についていけない」と入塾を決意したとのことでした。彼女は真面目でコツコツ学習するタイプだったので、疑問点を解決してあげることで英語の成績が上がってきました。ある日彼女が「お母さんは大阪出身なんで、先生の卒業した高校を知りたがっています。」と言ってきたので、私はメモ用紙に学校名を書いて手渡しました。すると翌日、そのお母さんから電話が入りました!
2011.08.17
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東大阪大柏原高校!私が在学していたときは柏原高校!これが我が母校です。今回夏の甲子園に出場したからでなく、私はこの学校を卒業した事をずっと誇りに思ってきました。その理由の1つは、熱く優しい先生方に囲まれて3年間を過ごせたということです。どんな先生達がおられたか、、、、それはまた『偉大な教師達~中学・高校編~』で紹介します。別の理由ととしては、私に闘争心を与えてくれる点が挙げられます。こんな例があります。四国の大学に入学した私ですが、関西弁が抜けるわけもなく学生生活を送っていました。私のその言葉を聞いて、数人の関西から講義に来ている教授が「君は関西出身かい?」と問いかけてきました。そうなると次の話題は必ず「関西のどこに住んでいたか?」と「出身高校はどこか?」になります。私の出身高校を聞きその名前を知っていた教授は、その態度が大きく2通りに分かれます。ほとんどの教授は「がんばってよく進学したな!」と喜んでくれるのですが、数人の教授はそれ以降私を「アホ学生」として見下すのでした。そうなると私は後者の教授を見返すために猛勉強するのです。ときにはそんな教授の授業であれば、私の卒業単位に全く関係なくとも受講するのです。そして必ず「優」の成績でその単位を取得するのです。その時点で『どの学校に行ったかでなく、行った学校で何をどう頑張ったかが重要』であることを証明するのです。そのために闘争心が湧くのです。、、、、それでも私に「優」をつけたくなく、提出したレポートを「受け取ってない」と言い張ったり、提出したノートを「紛失した。点数はない!」と言い放つ教授がいたのには笑ってしまいましたが、、、、。つまり出身高校名を告げることで、勉強ができて頭はいいが人間の器が小さい連中を見分けられるのです。あの高校を卒業しなかったら、こんな体験もできなかったでしょう!
2011.08.16
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我が母校、そこで私は多くのことを学びました。その1つは「勉強ができない悔しさ」でした。以前に紹介した小学校時代の、勉強ができないからという理由でかけられたカンニング疑惑のときの比ではないほどの悔しさでした。あのときは個人レベルの悔しさですが、高校のときは学校レベルの悔しさでした。やはり「勉強ができない」という理由で様々な非難中傷の的になります。しかし我々はそれにあがないました。その中でも勉強をしようとする者。勉強以外の何かで努力しようとする者。何のとり得もないからせめて、、、と仲間を真剣に大切にする者。そんな学校だったので、みんなが「何かができるということの素晴らしさ」を知っていたような気がします。また、そんなみんなが学校に集まって本当に笑いの絶えない生活を送りました。ある意味、笑いの絶えない学校生活を意識的に作っていたともいえるかも知れません。「あいつは〇〇ができるから」「あいつは〇〇に一生懸命だから」というだけで、その人格を認めてその人を尊敬する!我が母校は、これが当たり前でこれが普通の学校でした。
2011.08.10
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実は今年の夏の甲子園!大阪代表は我が母校です。そうです!私はあの高校の卒業生なのです。私の世代の人なら思うでしょう!「あの高校から学校の先生になる人間がおるの?」って。おりますよ!私です。当時の我が母校を知らない人には話が見えないかもしれませんので、簡単に説明させていただきますと「大阪府の全高校で確実に下から3位に入る学力の学校」といわれていました。でも私は学校の先生として教壇に立ちました。だから私は生徒達に言います。『大切なのは「どの学校にいったか!」ではなく「いった学校で何をどれだけ頑張るか!」が重要や。』と、、、、。
2011.08.09
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この話題で公務員の皆さんは気を悪くされたかも知れませんね。皆さんにも生活があることも承知しております。ただ今回いきなりこの話題になったのには理由があります。本年の夏のボーナスの時期に、市役所のある課を訪れました。その部屋には異なる課が3つ並んでいて、私は真ん中の課の窓口の方に対応していただきました。その3つの課の窓口にそれぞれ数名の市民がきていたのですが、、、、市民の用事に真摯に対応されている方達もおられれば、市民の怒りのクレームに対応されている方達もおわれました。「この窓口の人にそこまで怒りを表しても国が決めたことやのに仕方ないやん、、、、」と私は思いながらそのやり取りを聞いていました。しかし、その窓口の人は「私が決めたことではない!」等と言い逃れをすることなく、何度も何度も説明をしては何度も何度も怒鳴られていました。私も公務員の経験がありますから分かりますが、ああいう時ってこちらが正しい事を言っていてもものすごいやり切れなさが襲ってくるんですよね、、、、しかしながら、、、、そのそうな状況が同じ部屋のなかで繰り広げられていても、知らん顔して遊んでいる公務員もいたのです。ニヤニヤ笑いながら雑談する連中、明らかにネットサーフィンしている奴、、、、900兆円もの借金があるこの国が、あんな連中に支払うボーナスはおろか給料なんて無いんですわ!その光景を目にしたことから、今回はこの話題になりました。公務員にもその業績に似合った給与を支払うべきなんです!これから公務員を目指す人は、「だれのための公務員になるのか」「何のために公務員になるのか」を真剣に考えなければなりません。断言しておきます!公務員の収入が安定している時代は、もう終りますよ!間違っても「収入が安定している」なんて理由で公務員にならないように!!!!
2011.08.05
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「そもそもボーナス(賞与)って何ですか?」私はこれまでに十数名ほどの『社長』と呼ばれる立場の人に質問しました。その返答の概要はこうです。「売り上げが上がると納税額も上がる。税金で持っていかれるくらいなら社員にも分配したい。」では900兆円に達しようとしている借金のあるこの国には、その従業員である公務員の業績を考慮することなく、だれにでもホイホイと支払うボーナスがあるのか?、、、といつも私は疑問に思うのです。仕事に見合った額を査定する手段をなぜ今までに構築してこなかったのか?、、、これを考えると怒りさえ覚えます。若い世代のみなさんは、この実情をどう思いますか?
2011.08.03
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定期的に当たり前のように決まった額のボーナスが支給されることが当たり前の組織!自分のそれまでの仕事に対する姿勢を、言い訳や弁明を挟む余地もなく第三者に評価されて、それに準じた額のボーナスが支給される組織!どちらの組織が腐敗や堕落の一途を辿りやすいと思いますか?どちらの組織が将来大きく成長すると思いますか?、、、ただ、公務員全員にボーナスが必要ないといっているわけではありません。中には「もっともらっていいでしょう!」と思えるほどの仕事をしている人もいるのです。それは仕事量だったり、仕事の内容だったり、仕事の危険度だったり、もちろん仕事に対する情熱や覚悟が評価されたものだったりします。現政権与党も前政権与党も「公務員の人件費削減」を高らかに謳っていましたが、スズメの涙にもならない程度のパーセンテージを一律でしか削減しかできないのは、もう能無しというか腰抜けというしかないです。国のため、国民のためを考えないで政治をするからこんなことしかできないのです。ところで皆さん! そもそもボーナスって何なのか知ってます?
2011.08.02
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公務員も民間企業も「ボーナスの日」というのがそれぞれ決まっています。私が初めて公務員としてボーナスをいただいたときは現金支給でした。夏は1.5か月分、冬は2ヶ月分というように支給される額が決まっていました。それまで必死で仕事をしてきた人も、そうでない人も、普通にもらうのが当然のボーナスでした。しかし民間は違います。私の経験した民間企業のボーナス日は、ある意味楽しみですが反面ある意味ジャッジメント・ディ(審判の日)でした。まず1人ずつ社長室等の別室に呼ばれ、それまでの業績や勤務状態の総括を受けます。そして、それと会社全体の業績によって額が決定するのです。自分でも驚くほどの額をもらう人もいれば、予想額よりはるかに下回る額となり愕然とする人もいました。それで「もっとがんばりたい」と思う人、「もっとがんばらなければいけない」と思う人、自分を厳しく見つめ直す人、将来を嘱望され、さらに身を引き締める人、会社から事実上の戦力外通告を受けて会社を去る人、様々な形でそれまでの自らの仕事に対する態度や姿勢を振り返る機会となる!、、、、そういうことが当然のようにおこなわれるのが民間企業のボーナス日なのです。
2011.08.01
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