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それは卒業制作をしていたときのことでした。学校が用意してくれる卒業アルバム以外に、自分で卒業アルバムを作ることになりました。表と裏の表紙を木製にしてそれに各自彫刻を入れる、それに黒漆と赤漆を塗って完成させるというものでした。みんなそれぞれ板に鉛筆で下書きし、それにそって彫刻刀で形を彫りこむ作業を楽しみました。そこまではサクサク進んだのですが、問題は漆でした。TS先生は「おそらく生涯で漆を塗る作業をすることは最初で最後になる可能性が高いから、みんなも先生の説明をよう聞いて、気をつけて作業をするように!」と何回も言っていました。そしてみんなの作業が漆塗りの段階に足並みが揃うのを待って、漆の扱いについての説明をしてくれました。そして図工室の前に置かれた2つの小さな缶に入れられた漆を専用のはけを使って、作品に塗っていきました。塗るというか、摺り込んでいく感じの作業でした。
2011.05.31
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そのようにして私だけでなくTS先生の言葉でクラスの友達がどことなく変化することが多々ありました。例えば、あまり図工に興味の無い男子がいて、工作でも絵でもさっさと済ませて、だれかとおしゃべりをする友人がいました。しかし先生に何か一言いわれてニヤっとされた後は、なんだか時間をかけて作品を作るようになったりとか、、、。例えば、絵が上手な女子がいて(本人は謙遜して否定していましたが)、いつも目をみはるようなはっきりした色調の絵を描いていたのに、先生に何か一言いわれてニヤっとされた時の絵は、淡い色調の今までにない良い感じの絵に仕上がっていたりとか、、、、。みなそれぞれTS先生に何かを加速させられた、、、いや、してもらっていたのだと思います。でも、2年間で一度だけ、しかも卒業間近の時期に、その加速が行き過ぎてクラス全員でTS先生に大目玉を食らう事件を起こしてしまったのでした。
2011.05.30
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それまで図書館なんかに通ってネッシーの歴史や実在性を調べていた私でしたが、「生物としてどんな姿か?」という点を考えたことはありませんでした。そのTS先生の言葉に再び闘志(?)を燃やした私は「ああやろか?」「こうやろか?」と考えることの楽しみを味わう数日を過ごすことができました。「考えることは楽しい」「こたえの無いことを考えるのは面白い」という感覚が私に芽生えた瞬間でもあったと思います。例えばそれ以来、すぐに答えが出ないような算数の難しい問題でも「ああだ、こうだ」「ああでない、こうでない」と考え続けることが苦痛で無くなったのでした。実際それで普段なら解けるはずのない苦手な算数の問題が解けたりしたこともありました。このようにTS先生の励ましは、その加速で他のことにも影響を及ぼすことがあったのです。
2011.05.29
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完全に形が出来上がった時点で満足していた私に、その言葉は少し衝撃でした。もちろん工作の過程として最後は絵の具で着色することは知っていました。しかし私の中で「ネッシーは真っ黒」というイメージがあったので、「黒くぬったら終わり」と思い込んでいたのです。それを見透かしたかのように、TS先生は「まさかネッシーの写真が黒やから、黒にしようと思ってたんと違うやろな!あれは白黒写真やからああ見えるんやで。次はどんな色かよく考えて見!」といって、またニヤっと笑いました。そして「色は次の時間からでええから、それまでに実際はどんな色か!をよう考えとき。」と言い残して、他の生徒のアドバイスに向かうのでした。
2011.05.28
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形が完成した私の木製ネッシーを見たTS先生は「うんうん、たぶんこんな感じやと先生も思うわ」といいながら、頭~首~背中~尻尾と一回指を走らせ、次はヒレを四本とも水の流れる方向に一回ずつ指を走らせてくれました。使用した板の厚さが2センチほどしかありませんでしたが、それでもその範囲の中で自分なりに考えて作ったものなので、先生にそう言ってもらって、また私の考えた水の流れの通りに指を走らせてくれたことが、本当に嬉しかったことを覚えています。胴体・四つのヒレ・尻尾を1つの部品として板から切り出し、首の部品は別に切り出して、その二つを木工用ボンドでひっつけることを考えていました。接着を終えた時点でなかなかのいい出来ばえで、自分でもなかなか満足していました。もうここに至ると「ネッシーはダメ」って言ってきた友達達も、そのことには触れずに「エエ感じになってきたやん」とか言い出していました。すっかり気分が良くなって、自分で作ったネッシーを上から下から横から正面からまじまじと眺めている私にTS先生が「次は色やな!」を声をかけてニヤリと笑いました。
2011.05.26
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「ネッシーはネス湖におるってことは水の中で生きとるわけや、、、」とTS先生、、、。私はどういう展開になるのかと沈黙を保っていると「これは手足ではなくヒレやから、もっと工夫できるやろ!」と先生の言葉が続きました。さらに「ヒレは水をかいて前に進む力を出したり方向を変えたりするものやから、この作品にもそのあたりの現実性が欲しいな!」といって私のネッシーのヒレの一部を指で触りながら、「多分この辺よりこの辺の方がヒレの厚みが薄くなってると思わへんか?」とアドバイスをくれましした。その時点で友達からの横槍のことなんてもう完全に忘れてしまって、私は制作に没頭していきました。水生生物という観点から、先生にアドバイスしてもらったヒレから始まって胴体・尻尾・首・頭と自分なりにいろいろ考えて、当初のものよりかなり現実性のある形をしたネッシーの壁掛けの形が出来上がりました。
2011.05.25
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ネッシーは動物である!TS先生は「動物」を題材にするように言ったが、架空の動物はダメとは言ってない!しかもネッシーが架空か実在するかは明確になってないから、動物という一点で先生の指示に違反してない!、、、そんな思いがあり、友達の横槍的な意見に左右されることなく自分の制作を続けました。木の板に鉛筆での下書きを終えて、イトノコで板からその形を切り出し、さらにそれを彫刻刀で仕上げていきました。彫刻刀作業に入った頃にTS先生の机間巡視が私の班にやってきました。私の作品を覗き込んだ先生は「う~ん、、、、」と言ってしばらく間を置きました。「ネッシーはアカン」と言った友達数人が明らかに私を見て少し笑っていました。それは「絶対怒られるで」といった感じの表情と笑いだったと当時の私は感じました。すると先生は「これは?ネッシーか?」と私に問いかけました。私は「はい」と答えました。
2011.05.24
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こんな話もあります。実は私は小学校3年のときにテレビで見た「ネス湖のネッシー」に強烈に心を奪われました。小学3年の私といえば、以前にも紹介したように勉強そっちのけで野球と水生生物の捕獲に人生をかけていたような子供でした。網とバケツをもって近所の川や池を散策し、ザリガニやドジョウなんかを追いかけながら実は心の中で「いつかネッシーを捕まえる!そのための訓練や!」といった野心(?)を抱いていました。また夏休みや春休みになり野球の練習や試合がないときは、自転車で図書館まで足を運びネッシーについて調べたりするような変な子供でした。あるときTS先生の図工の授業で、木の板を加工して壁掛けを作ることになりました。先生からの注文は『動物の姿であること!』でした。みんなそれぞれ好きな動物や形にしやすい動物を板に下書きをしはじめました。私は迷わずネッシーの姿を描き出しました。しかしそれを見た数人の友達が「TS先生に怒られるわ!」って言うのでした。「なんで?」と私が聞くと「それネッシーやろ?ネッシーは動物違うやん」という返事が返ってきました。「動物や!」と言うとやはり「動物違うわ!」と返ってきます。「ほな何かい、植物かい!」と切り返すと、「実在してないやんけ!それは動物に入るんか?動物園におるんか?」と返ってくる。「ほな動物園におらんもんは動物違うねんな!」と、子供にありがちな他愛のない口論に発展していきました。
2011.05.23
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そのTS先生の言葉が私の何かに火をつけました!その近くにある建物を「何か細かく描けるものはないのか、、、」とよく観察しました。すると建物の窓の中に見えるものや、建物も外壁の微妙な色の違いなどを発見し、それを画用紙に描き続けました。そのうち私の画用紙の中の絵を見て友達が「お~」「すごい」と言っては褒めてくれました。するといやおうなく筆が進み、その力も借りてなんとか制限時間内に風景画を完成させることができました。その完成した絵をみてTS先生は「そう!これが『仕事の鬼』の作品や!」と力強く言ってくれたのでした。このようにTS先生は、『生徒を励ます』というようりかは、『生徒の気持ちに火をつける』ことがとても多かったのでした。
2011.05.22
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その画用紙の上の方に描かれている、小さい鉄塔をじっと見つめるTS先生、、、、。「う~ん、、、」という言葉がこぼれてきていました。「やっぱり怒られる」と思った私に飛んできた言葉は違ったものでした。「この細かい作業を続ければ、ものすごくいい絵になるな!」私は少し驚きました。「ともかく続けなさい!でも制限時間があるから、それとの兼ね合いは計算しておけよ。」と言って私の背中をポンと叩き、また他の生徒の作品を覗き込みに行きました。なぜかその一言で俄然ヤル気が出てきた私は「よっしゃ~、細かい絵を画用紙に敷き詰めてやる!」と意気込んで絵に取り組みました。しかし問題が発生しました。遠くにあるものは細かく描けるのですが、描く対象物が近くの物になるにつれて勿論大きく描かなければならないのです。仕方なく学校の隣にある建物を画用紙に大きく描いている私に、TS先生は「それは細かくなくていいんか?」と意地悪そうな表情を浮かべてニヤリと笑うのでした。
2011.05.21
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例えばこんなことがありました。校舎の3階にある図工室から見える景色を描く授業のときです。TS先生は、遠くにある物から描くことを全員に指示しました。今でもそうなのですが、当時の私も『小さくて精密なもの』にとても興味があり、何かあれば描くにしても作るにしても『小ささ』と『精密さ』を求める傾向がありました。実は1年生のときの『絵の事件』のときもこれが原因だったと自分では思っているのですが、、、、。さて、そのTS先生の授業のときに私はまず一番遠くにある山の輪郭を描いたのですが、その次には思わずその山の中に小さく見える鉄塔を、その見える大きさの通り小さく、しかし精密に下書きしていました。あまりに熱中し過ぎてTS先生が自分の真後ろにくるまで気付きませんでした。先生は私の顔の真横まで顔を近づけて私の描きかけの絵を覗き込みました。正直「あ、しもた!」と思いました。1年のときの『絵の事件』のときに、『小さい絵は描いてはダメ』という意識を持ってしまった私でしたので、そう思うのも無理からぬことでした。
2011.05.20
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私はTS先生に「今日という日は人生で一回しかない」という発見(?)を聞いてもらいました。先生はそれを聞いてニッコリ微笑んだあと「それを知ったら、次は『じゃあそんな一回しかない今日をどう生きるか?』を考えなイカンね」と言って私の背中をポンと叩きました。そんな感じで、毎日ではないにしろ私は週に1回くらいはTS先生と個人的に話しをしにいきました。その理由はおそらく、私を褒めてくれるから!だったと思います。いうほどこれといったとりえのない私でしたので、あまり先生から褒められることはありませんでした。TS先生の褒め方は、ただ褒めるという感じではなく、背中を強く押してくれるという感じでした。結論を言わせてもらうと、「『褒める』ということは、突き詰めれば『その人を力強く肯定する』ということ」なのです。
2011.05.19
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6年生になってしばらくして、私は友達数人と交換日記をするようになりました。男女7人ほどで始まったと思います。順番を決めておいて一日分書いては次の人に回す。確か自分がかく番は週一でやってきたと記憶しています。それをしばらく続けていてある日「小6の〇月△日って一回しかないのにそのページを自分なんかが担当していていいんやろか?」と感じました。そしてその次に「今年の今日って一回しか無いんやな、、、、」とふと思いました。そしてさらに「そんなん言うたら今日っていう日は一生で、いや歴史上でも今日しかないやん!」と思いました。当たり前のことですが、当時の私には大発見でした。そしてそれに気付いた次の日にTS先生に会いにいき、その発見のことを言ってみました。先生は「お!お前はまだあの話を引きずってるんか?1つのことを長く引きずって考えるってのは人間として大きく成長できるチャンスを生むとことがあるんや」といってから私の話を聞いてくれました。
2011.05.18
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その話を中3で止めたTS先生は「君たち言うようにどの学年も大切やろ?」とみんなに語りかけたのでした。私は単純に「なるほどな!」と思いました。しかしその場にいた他のクラスの生徒が口を開きました。「先生、そんなん言うたらどの学年かて大切やんか!」我々はそのツッコミに軽く笑ったのですが、先生はその笑いを遮って「その通り!」と大声で言ったのでした。日頃あまり大声を出さない(生徒の作品や発想を褒めるときと、生徒の怠惰を叱るときを除く)TS先生だったので、みんな静かになります。「今もそう。今までもそう。これからもそう。君たちにとって意味のない一年なんてないんや!毎年毎年自分の学年や年齢で、何が大切かを考えながら生きていかないとイカン。」という内容の話をサラっと言ってニコっと微笑んだのでした。そして今度は「ときにこの中で日記つけてる者はおるか?」と先生はみんなに聞いたのでしたが、だれも手を上げなかったので、「いっぺんつけてみ!」と言って話題をサラッと変えてしまいました。そしてこの話題がもう先生の口から出る事はありませんでした。
2011.05.17
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スケッチブックに書いたのは「図工の先生から聞いたこと」だから、、、、と言うのが当時の私の理屈でした。毎回ではないですが、図工の時間に使うものなので、、、、。そして私自身もその話を忘れかけた頃、TS先生が「5年生になったばっかりのときの『小学生5年生が重要な学年』だって話覚えてるか?」と我々に質問したことがありました。我々は「あ~、、、はい、覚えています。」といった感じで答えました。すぐにはパッと思い浮かばなかったのですが、完全に忘れていた訳ではありませんでした。しかしその場にはもともとの話を聞いていない者もいたので、先生はまた最初から話をしてくれました。「君たちはそろそろ6年生になるけど、6年生は6年生で大切な時期なんや。なんでか分かるか?」とTS先生は続けました。「小学校生活の最後の学年やから?」「卒業が近いから?」「学校で一番年上の学年になるから」と友人達が口々に答えました。その言葉の全てに微笑みながらうなずいていた先生は「じゃあ中学1年生は?」と質問を投げかけてはまた我々にしばらく答えさせ、一段落すると「じゃあ中学2年生は?」と質問をあうする!これをTS先生は「中学3年」まで続けました。
2011.05.16
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TS先生が我々に言った内容はこうです。テレビマンガに出てくる主人公や中心人物が小学生のときは絶対といっていいほど5年生!それは5年生が特別な学年だから。ではなぜ特別なのか?学校のほとんどの学年は下級生だ。でも唯一の上級生は、学校の最上級生である6年生、、、、。6年生は最強の強敵でもある。たくさんの後輩たちの手本とならなければいけないし、一番年上の人たちとうまくやっていかなければならない、、、、。これを良く考えながら生活する。この状態から逃げずに生活する。この状態をしっかり感じて1年間を過ごすことが大切!それが今できる人とそうでない人は、年をとるごとに差が開くぞ。今は何のことかよく分からないかも知れないけれど、よく覚えておいてくれ。、、、、、といった内容でした。先生の言うとおり当時の私には何のことかよくわかりませんでいたが「とにかく覚えておこう」と思い、その内容を家に帰ってスケッチブックの最後のページの隅に鉛筆で書いておきました。
2011.05.15
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そんな図工準備室でTS先生がしてくれた話がこれです。「どんなマンガをテレビで見てる?」という質問が急にきました。私は他の友人と一緒に何個かのテレビマンガの題名を挙げました。するとTS先生はその中から、小学生が主人公だったり物語の中心人物だったりする作品をピックアップして「何か共通点ないか?」とまた質問してきたのです。その場にいたメンバーでしばらく考えました。しばらくして友人の1人が「分かった。先生、学年とちゃうかな?」と発言しました。するとTS先生は「正解!みんな5年生やろ。では次の質問!なんで5年生がよく取り上げられてると思う?」と続けました。さすがにこれには誰も答えられませんでした。皆さんなら小学校5年生の子供達に、その理由をどう説明しますか?
2011.05.12
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勿論5・6年生は全員このTS先生の図工の授業を受ける訳ですから、その学年はどことなく引き締まってくる感じがあるのです。今考えれば、あのTS先生の授業を5年生6年生に入れていた学校側の意図もわかるような気がしますし、絶対TS先生自身がその自分の立場を十分に理解していたのだと思います。例えば我々が5年生のときはよく「君たちは来年この学校の最上級生になるんだ!そんなことでどうするんだ?」と叱られたり、「さすが5年生だ!実は5年生がその学校の要なんだ」と褒められたりもしました。その度に「もう俺らも5年生なんやなぁ」と意識させられるのでした。今だに鮮明に覚えているTS先生の話のひとつを紹介しましょう。5年生になって図工の授業を受けるようになった私は、時々趣味(プラモデルと紙飛行機)の相談にTS先生がおられる図工準備室に足を運びました。同じ趣味のクラスメイトと連れ立っていくのです。1人ではなんだか行き難いのと、自分の質問に対する先生の返答は勿論のこと、友達の質問に対する先生の返答も勉強になったからです。
2011.05.10
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そうして始まったTS先生の図工の授業。最初の授業で語った通りのものでした。とにかく「工夫」「独創的」「手間を惜しまない」、、、。こういう姿勢は見逃さず、みんなに公表して褒める!その褒めるときのTS先生の嬉しそうな顔が本当に印象的でした。逆に「いい加減」「誰かのマネ」「手を抜く」、、、、。こういう姿勢も見逃さず、みんなの前で叱りつける!その叱りつけるときのTS先生の鬼のような顔も印象的でした。また図工の授業は図工室でおこなわれるため、いつもの教室から移動しなければなりません。TS先生は少しの遅刻も許しませんでした。「これは大人になってから本当に重要なことや!」と言っては遅刻した生徒を叱るのでした。一度それを目撃してしまうと同じ目にあいたくないので、だれも遅刻しなくなります。しかしそこはまだ小学生のこと!そのうちそんなことを忘れた頃に誰かが遅刻をしてしまいます。するとやはり叱られるわけです。でも最初は図工の授業に遅刻しないようにすることが少し大変だったように感じていたのですが、慣れてしまえばどうってことないことに我々は気付くのでした。そのうちTS先生は「最近やっと遅刻がなくなった。やればできるだろ!遅刻をしないように何をどうするべきか考えて工夫できるだろ!このことをしっかり覚えておきなさい」と授業中にさらっといって笑いました。「図工も工夫やし、生活も工夫が大事なんやな」と私はしみじみ感じました。
2011.05.09
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はじめての授業でTS先生は、「自分の授業方針」について話をしました。結論からいうと『仕事の鬼になれ!』ということでした。遊ぶときも一生懸命遊ぶ!バカをするときも一生懸命バカをする!騒ぐときも一生懸命騒ぐ!でも静かにするときは一生懸命静かにする!勉強するときは一生懸命勉強する!小学生の今『一生懸命』をやらなかった人間は死ぬまで一生懸命になれない。それでは人間として生れてきた意味が無い。今しっかり『一生懸命』をやっていれば、これから長い人生でいつでも一生懸命になれる。そんな人間が本物の人間だ。これから卒業までの2年間は一緒になって一生懸命に図工をしよう!君たちにとって勉強することは仕事だ。一生懸命になるということは言葉を変えれば『鬼になる』ということだ。これから2年間は『仕事の鬼』になれ!!TS先生は、こういう内容の話を静まり返った教室で我々にコンコンと語ってくれたのでした。
2011.05.08
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我々の小学校では、5年6年になると図工の時間は担任でなく『図工の先生』に担当してもらうことになっていました。その『図工の先生』こそTS先生!ですので、1年生~4年生まではTS先生の授業の様子は上級生にから聞くしか情報がありませんでした。私には2つ年上の兄がいたので、その様子はときに耳に入ってきていました。また近所の上級生からも聞かされていました。しかし、その内容は時として一致しないことがありました。「厳しい先生」「すぐ怒る先生」「この前の授業では〇〇君を平手打ちした」「女子にも容赦なく叱りとばす」等々の話もあれば、「面白い先生」「楽しい授業をしてくれる先生」「図工の時間が楽しみ」「物作りの天才」「女子のいないときにはエッチな話にも乗ってきてくれる」等々の話もありました。私も「どんな先生やろ」と興味があったので、その正体を探るべく廊下ですれ違うときに「おはようございます」なんて挨拶をしてみたのですが、小学校の先生らしく「おはよ!」と手をあげることもあれば、無言で普通に頭を下げるときもあれば、ニヤっとするときもあれば、ギロっと睨みつけられるときもありました。そして5年生になってはじめてのTS先生の授業の時間がやってきました。みんな『怖い系』の噂が本当だったらいけないと、私語どころか物音も立たないでTS先生が図工室に入ってくるのを待ちました。
2011.05.07
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話を本題に戻します。よく本題から逸脱しますね、、、、。O先生とお会いしたのは、やはりそのときが最後でした。自分自身が教壇にたってから、その偉大さを痛感しています。それはO先生の教師としての力量ではなく、人間性の偉大さなのです。そしてその人間性の偉大さは、突き詰めれば『真心のある誠実さ』なのです。さてもう1人私が小学校5~6年に出会い、強い影響を与えてくれた先生がおられます。この先生は、『学校の先生』というよりは『働く社会人』といった印象が強い人でした。それは図工のT先生です。しかし5年6年のときの担任の先生もT先生なので、この図工の先生はTS先生と呼ばせていただきます。当時の私に「こんな大人になりたい」と思わせてくれた先生です。念を押しておきますが、「こんな先生になりたい」ではなく「こんな大人になりたい」ですよ!
2011.05.06
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あのときのO先生の姿は、今の私の授業スタイルの根底部分に確実に息づいてます。特に学習面での立場的な『教える者』と『教わる者』の違いはあったとしても、『突き詰めれば同じ人間同士である』というスタンスを維持します。勿論、怠ける生徒・人としての道を少しでも踏み外そうとする生徒には、人生の先輩としての『先生』として、毅然とした態度は崩しません。しかし先ほど述べたように『特に学習面』の話ですよ!これを念押ししておかないと、何にでも『生徒の・子供の人間性を尊重します』と聞こえのイイ言い訳をして教育から逃げる大人がいますからね!!簡単に説明すると、、、、例えばよく聞くこんな話です。我が教室には、他塾と掛け持ちでくる生徒さんもいます。なんで掛け持ちをするか?ほとんどの場合が『授業に置いていかれている』のです。自分で「置いていかれてる」と分かっているのです。ではその生徒達はどうしてそれに気付いてしまうのでしょう?実はほぼ全員が言葉でそれを告げられているのです。「なんでこれが分からないんだ。」、、、これです。分からないからお金を出して塾に来ているのに、「なんで分からないんだ」って言われるんですよ!!考えられへん話です。「お前が教える立場と違うんかい!」って話です。この台詞を学校の先生に言われたという例まであります。これも考えられへん話です。これも「お前が教える立場と違うんかい!」って話です。ではなんでこんな台詞を堂々と吐く「先生」が、いけしゃーしゃーと存在するのでしょうか?
2011.05.05
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ここまで読んでいただいた方の中には、O先生の話について「どこが偉大なん?」と思っておられる人もおわれるかと思いいます。しかしO先生の良さをすでに理解してくださっている方も多いと思います。現在、『教える立場』になって20年を迎えようとしている私も実際「ここはこうするべきだったのでは?」と当時のO先生にツッコんでしまうところもあります。しかしそれは全て小手先の教育論であったり授業運営や学級経営の小手先の技術的内容のツッコミでしかないのです。このブログで何回も申し上げているように、突き詰めれば『先生と生徒の関係』は『人間性対人間性の関係』なのです。無理に『先生であろう』とする姿勢はときには必要ですが、ときには先生側の精神的負担になり過ぎたり、生徒の本音本心の部分にベールをかけてしまうことが往々にしてあるのです。それが高じて先生のノイローゼや自殺、生徒の教師不信を生んでしまうのです。O先生の素晴らしかったところは、ただの1人の人間として我々に接したという点だと思います。「自信のないことは自信が無い」「できないことはできない」「悲しいことは悲しい」「自分ではどうしようもないことはどうしようもない、、、だからと言って見過ごすことはなく、できる限りのことはする、、、それがたとえ『心配する』ことしかできなかったとしても精一杯心配する」、、、、あれが『先生』の、あるいは『子供と接する大人』のあるべき姿だったと思います。O先生は新任でした。そうしようとおもってそうしていたわけではなかったとは思います。ある意味、そうしかできなかったのでと思います。しかし、それをしてくれる先生だったから我々生徒側にも「先生にできるだけ迷惑をかけてはいけない」という意識が生れていたのだと思っています。そういう意味ではO先生は『先生の鏡』であったと思います。
2011.05.04
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そのときがO先生に会う最後のチャンスだと思って声をかけようとしたら、先生も私をみつけてくれました。私は足をとめた先生に向かって歩いていきました。でも心の中では「何から話をしたらええんやろ」と少し困惑していました。すると先生も私のほうに歩み寄りいきなり私の手をとって握手をしながら「ごめんね」と一言、、、、。私はその言葉に対して何の返事もできませんでした。「なんで?なにが?なんで先生が謝るん?」と思い更に困惑してしまいました。「でも初めて授業したこの学校やみんなのことは忘れないよ」と先生は続けました。そこで私はやっと「先生、僕こそごめんなさい、、、、なんか、、、、」と言ったと思います。しかしその後の言葉が続かなかったことは鮮明に覚えています。それに対して先生は「何も謝ることなんかないよ。謝るのは私の方、、、本当にごめんね。でも本当にありがとう。」と言ってもう一度強く握手をしてくれました。あれ以来、今でも裁縫道具を見ると「あのときO先生はなんで『ごめんね』って言ったんやろ」とふと考えてしまいます。
2011.05.03
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裁縫の宿題を家庭科の授業中に家庭科担当の先生が返さずに、担任が《帰りの会》で返す、、、、、。それは、もう家庭科の授業が実施されないことを意味していた事は後で分かりました。つまりO先生が宮崎に帰ることを我々に告げたときの授業が、最後の授業だったのです。O先生はおそらくその時点で、これが最後だと知っておられたのではないかと思います。あそこで「今日が最後の授業です。」と言ったら泣いてしまいそうで、そのことは言わなかったのだと今でも思っています。あの後に本来なら数回あったはずの家庭科の授業は、図工や体育に変更されました。そのうちO先生自身を学校で見かけなくなり、私は先生に謝る機会が来ないのではないかと思い始めました。「それはそれで楽でいい」と思う気持ちと「今謝っておかないともう一生謝ることができへん」という気持ちが、私の中にありました。そしてもうその学期が終わろうとする頃、放課後の鼓笛クラブの練習の帰りに下駄箱の近くでO先生の姿を見つけました。先生は家庭科の教科書を数冊持って、職員室の方向に向かって歩いておられました。
2011.05.02
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そしてそのうち私の心配事は、例の裁縫の宿題をどんな顔で受け取ればいいか!ということに移っていきました。「知らん顔して受け取ったらええねん」という思いと「それまでに正直に謝ろう」という思いが交錯していました。しかしその問題はいとも簡単に解決しました。なんと家庭科の授業のなかった日の『帰りの会』で、担任のT先生が「O先生からあずかったから返すぞ。机の上に置いておくからみんなそれぞれ自分のものを持って帰りなさい」と言い出したのです。なぜかそのときに私は『毎回授業を抜け出したこと』と『O先生の最後の宿題となってしまった裁縫を自分で最後までしなかったこと』を謝ろうと決意しました。ただ1つ述べておきたいのは、裁縫の宿題を手伝ってくれた母には感謝していました。間違っても「勝手に母がやった」なんて思ったことは無いです。最近は何でも親にやれせておいて、それがうまくいかない、または自分の思い通りでないときに、親のせいにして親に暴言を吐くクソガキ連中が多いです!一緒にされたくないのでしっかり文章にしておきます。
2011.05.01
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