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勿論【平手打ち】をお勧めしている訳ではありません。『暴力』だの『体罰』だのと言って大騒ぎだけをして、『教育』から平気で逃げるド偉い先生方も多い情けないこのご時勢です!ただ生徒と向かいあう、教師側の、大人側の覚悟が必要だと言いたいのです。覚悟もない人間が『人間教育』をすることは不可能だと言いたいのです。さて、まだまだT先生の話は続きます。今度は【遠足のバス】の話です。当時の我々の学年は5クラスありました。しかし1台の観光バスに1クラスが乗るには、座席が余ってしまう状況でした。そこで我が1組T学級はいつも班別に分かれて他の学級のバスに便乗させてもらい、学年で4台のバスを用意することが慣例となっていました。正直「なんでいつもうちのクラスだけバラバラなんやろ?」と私は少し不満を抱いていました。おそらく私だけではなく、1組の生徒の多くはそう感じていたと思います。しかしその反面「T先生のことやからなにか意味があるんやろうな」とも思っていたのも事実でした。ある授業で話題が遠足の話になったときに、クラスの女子がT先生にその訳を聞いたことがありました。「なんでこのクラスだけいつも一緒のバスに乗れないのですか?」、、、
2011.02.28
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このように給食時間の【平手打ち事件】以降、クラスの雰囲気が少しずつ変化していきました。それは平手打ちに対する恐怖心からではなく、それぞれの生徒が『自分は何ができるのか』を自然に考え出した結果だったのです。しかもそれは《先生がいないとき》に効力を発揮することが多かったので、それもクラスの雰囲気をよくしていく大きな要因となっていたのでした。なぜなら、生徒の問題行動は得てして《先生がいないとき》に起こるものですから!!先生のいないところで問題が起こる!では先生が教室から離れないようにする、、、、これも1つの手段です。私も実行したことがあり、それなりの効果もありました。しかし、生徒だけの時間になったときに《自分が皆のためにいかに行動するべきか》を皆が少しずつ考えられるようになれば、そのクラスや集団は先生や大人の目がなくとも何かしらの問題が起こる可能性が少なくなるのです。、、、数年前、ある学習塾の先生達の勉強会でこの話をしたとき「それは理想論で実現できない!」と私に言い放った先生がいます。残念ながらその先生には無理なのでしょう!ただ、私の担任だったT先生はそれを現実に実行していたのです。勿論、私も実行してきましたし、今も実行しています。「自分には無理だ」とか「時代が違う」だとか言いながら逃げを打つ先生にはいつまでたっても不可能ですね!!我々は生徒達・子供達の『人間性を育てている』のです!「無理」とか「時代が違う」なんていう先生や大人達は、一体なにを『育てている』のでしょうかね?その先生や大人達にとって『教育』とは一体何なんでしょうね?考えれば考えるほど不思議でなりません。
2011.02.27
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例えば、私にとって地獄だった運動場での体育の授業です。ソフトボールをしてもドッチボールをしても、運動場での体育の時間の最後は必ず全員で鉄棒の前に集合して『さか上がり』をします。できた者から鉄棒の向こう側に行って座って全員ができるまで待つ!というシステムでした。できない者は何度でもやり直し、、、、私は肥満の巨体で逆上がりができるわけもなく、皆が見ている前で何度も何度も挑戦しては失敗する、、、、ほぼ『さらしもの』の状態でした。最近の【ゆとり教育】だとかいう高尚なバカげた教育ではこれはいけないことの部類に入るのでしょうが、これは人間にとって絶対必要なことなのです。で、あの一件以降は、さか上がりのできるメンバーの反応が明らかに変わってきたのです。「ここをこうしたら?」「次はこうやってみたら?」とアドバイスをくれるようになったのです。そのアドバイスで、できるようになっていく友達の何と多いことか、、、、それでも最後まで『さか上がりできない組』だった私には、できない仲間が減っていくことが寂しくもあり、自分はできないなりに「いつか自分も、、、!!」と思える励みにもなったことは事実です。そしてそのとき学んだことは、「できない自分も恥ずかしい思いをしていたが、できない自分を見ている皆も辛い思いをしていたんやな」ということでした。そのうち「恥ずかしいから、早くできるようになりたい!」という気持ちより「皆のためにできるようになりたい」という気持ちになってきたのです。、、、それでも私は卒業まで結局さか上がりができなかったので、クラスの皆には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
2011.02.26
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その一件以来、私にはクラス全体が何というか『優しい雰囲気』に包まれたように感じました。特に私のように、さして勉強が得意でもなく運動が得意でもない生徒にはそれを肌で感じる機会が多かっただけなのかも知れませんが、、、、例えば休み時間に算数の宿題に頭をかかえていた私に、算数が得意なM君(このM君は定期からT先生の年齢を推測したM君です)が歩み寄ってくれて、一緒に考えてくれる、、、、一方的に教えるのではなく、算数が苦手な私にほんの少しの劣等感も感じさせることもなく、ひたすら一緒に考えてくれるのです。で、結局私がその答えを導き出したように事を運んでくれて、正解が出た事を一緒に喜んでくれる、、、、、。あの優しさたるものは言葉に言い表しようのない暖かさがありました。~M君!あのときの君の優しさは今でも忘れてないです!今『教える立場』になった私は、あのときの君のようでありたいと日々願っています~今振り返ると、これはクラスの生徒があの一件以来「自分は皆のために何ができるか、何をするべきなのか」を考えた行動した1つの例であったのだと思います。
2011.02.25
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その光景を目の当たりにした私を含めた全ての生徒は勿論のこと、M君本人も呆然としてしまっていました。その沈黙を破ってT先生の次の言葉が飛んできました。「見ろ!お前より身体の小さい者がお前が持ってきたものより重いものを持っているぞ!」先生が指を指した先には、食器や牛乳など重たい部類のものを運んできている生徒達の姿がありました。M君は手にした副菜の入った容器を教室の配膳台に急いで置くと、後から来た友達が持っていた牛乳(だったと思う)を「俺が持つわ」と言いながら受け取って教室に運び入れました。そしてその瞬間から教室はいつのも給食の配膳時間に戻りましたが、目に見えて分かるほど全員が『自分のすべきこと』『自分にできること』を自覚して動いているのが分かりました。この一件以来、クラスの生徒は常に(小学生なりにではありますが)『何か』を考えながら動くようになったと当時の私は感じていました。
2011.02.23
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そのM君が教室の入り口に到着したときでした。その姿を見たT先生が、急に教室から飛び出してきてM君の前に立ちはだかり往復で平手打ちを4~5発彼の頬に放ちました。パンパンパンパン、、、乾いた音が廊下に響きました。その日は給食当番でなかった私はその場面を廊下で目撃しました。そして先生は大声で「M!お前はクラスでも身体が大きくて力があるのに、なんで一番軽いものを持ってきたんだ!なぜ身体の大きなお前が、力のあるお前が、それを皆のために役立てようとしない!なぜ軽いものしか運ばないいんだ!」と力の限り叫びました。M君の名誉のために申し上げますが、彼は心優しい性格です。弟想いで母親想い。家が近かったこともあって私は彼の家に何回も遊びにいったこともありました。確かにクラスで一番ガッチリ体型で力持ちでしたが、だからと言って彼自身が身体の小さい者や弱い者をいじめることもありませんでした。あのときの雰囲気として給食当番の男子は『だれが一番早く給食室から帰ってくるか!』を競っていたような感じがあり、M君自信も自分だけ楽をしようとした訳ではなかったと思いましたし、今も思っています。しかし、彼の頬にT先生の平手打ちが複数回飛んだのでした!
2011.02.22
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給食室から運び込むものは、、、、牛乳! これは結構重たい部類に入ります。パン! これが入っている金属(確かアルミ)の箱は見た目は大きいですが あまり重くはありません。 しかしその大きさ故に運び難い部類に入ります。ご飯! 私が小学校(確か)2年のときに米飯給食が始まって、週に1回か2回は ご飯の入った弁当箱が、いつもはパンは入っている箱に詰められていて、 これもやはり運び難い、、、、。食器! これはかなり重かった記憶があります。 確か食器の入ったかごを2人で持って運ぶことが多かった記憶があります。おかず! これは大きな金属製のバケツのようなものに入っていて、その日のメニュー にもよりますが、やはり重たい部類に入ります。副菜! これは結構小さい容器に入っていて軽く、運ぶにも比較的に楽な部類です。 サラダなんかもここに入ります。デザート! これもメニューにはよりますが、全体的に比較的軽く運ぶのも楽な部類です。その日、給食当番だったM君は、4時間目は終わってすぐに給食室に走っていって一番に教室に戻ってきました。その手には比較的軽く運びやすい副菜を持っていました。
2011.02.21
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ときとして何の前触れも無しに飛んでくる【平手打ち】!それは『人として許せない行為』に対して容赦なく飛んできます。その中でも一番強烈だったのは、給食時間にM君(先生の定期券から年齢を推測したM君とは別のM君)に飛んだものでした。『全ての仕事は前向きに』『前向きな姿勢からは効率のいい仕事が生れる』そんなことを日頃からT先生から聞かされていた我々は、掃除や給食の時間になると変に燃えていたところがありました。4時間目が終われば給食の時間!やはり先生の考えで『力仕事をするのは男子』との考えを植え付けられていた我々男子は、4時間目の授業が残り5分時点になると当番の者は先生の話を聞きながらも《給食装備》に換装(着替え)をします。ですからまだチャイムが鳴っていないのに、クラスの男子数名がすでに白い頭巾・白いマスク・白いエプロンの姿になっているのです。そして終業のチャイムが鳴って「起立・礼」が終わると同時にダッシュで教室を飛び出して給食室に向かい、食器・パン・牛乳・おかず類をいち早く教室に運び込み速攻で配膳(ここからが女子の出番となる)、、、、どのクラスよりも早く『いただきます!』を言うことにクラス一丸となるのでした。
2011.02.20
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『人間を育てる』、、、、それはそのまま『人間性を育てる』ということ!決してどんな人間でも育てればいいという訳ではありません。それは『いつも何かに挑戦していく人間』であり『他人を思いやることのできる人間』であり、『誠実な人間』であり『真心あふれる人間』を意味します。そういう人間を育てるには、小手先の技術や方策、その場限りの耳障りのいい言葉、その場限りのかっこいい言葉、言っていることとやっている事が違うような生き方、言ってきたこととその人の生き方が違っているような人間、昨日言ったことと違うことを今日平気で言えるような性格、、、、、それでは『人間を育てる』ことなんて不可能なのです。今思えばT先生はまさに『人間を育てること』を実行していたのでした。さて、そんなT先生との学校生活で強烈に印象に残っているエピソードをさらに幾つか紹介したいと思います。まずは【平手打ち】に関するエピソードから!
2011.02.19
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『人間性』で生徒と向き合うT先生に、我々は『人間としてどうあるべきか』を授業を通して、学校生活を通して、その都度その都度教わりました。教わったというよりは、叩き込まれたと言った方が正確かも知れません。『男子はどうあるべきか』『女子はどうあるべきか』『体の大きい者はどうあるべきか』『体の小さい者ははどうあるべきか』『勉強が得意な者はどうあるべきか』『勉強が苦手な者ははどうあるべきか』『勉強にはどう取り組むべきか』『体育・運動が得意な者はどうあるべきか』『体育・運動が苦手な者ははどうあるべきか』『体育・運動にはどう取り組むべきか』『遊びにはどう取り組むべきか』『目上の人にはどう接するべきか』『年下の者にはどう接するべきか』『仕事にはどう取り組むべきか』『時間をどうとらえて行動するべきか』挙げればきりがありません。しかし今はっきりと言えることは、T先生は学校生活の全てを通して『人間』を育てていたのです。
2011.02.17
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人生を背負った『人間性』で生徒と向き合っていたT先生。いや、それまでの多くの先生方もそうだったのです。幼稚園のM先生、O先生。小学校1年・2年の担任のN先生、、、、。思えばみんなそうでした(ほんの一部例外はありましたが、、、、)ですから褒められれば嬉しい、素直に嬉しい!叱られれば反省できる、素直に反省できる!その環境が出来上がるのです。その環境が良好な教育を可能にする土台を作るのです。例えばT先生は冗談で生徒を笑わせることもあれば、私の算数のノートのときのようにビシッと生徒の弱さや怠け心に釘を刺すこともありました。また急に平手打ちが飛んでくる来ることもありました。しかし、生徒は勿論のこと保護者からも文句が出た事なんてありません。『そういう時代であったから』ではなく、『T先生の人間性が文句を出させなかった』のです。勿論、平手打ちを食らいたくない。では、食らわないにはどうすればいいのか?それを考えることは、そのまま『人間として常に正しい生き方をするにはどうすればいいのか』を考えることだったのです。T先生の人生を背負った『人間性』が我々にそれを考えさせたのです。『教育』とは『人間性で立ち向かうこと!』『教育』とは『人間を育てること!』私は知らず知らずの間にT先生にそれを教わっていたのです。それともう1つ、、、、『教育』とは『教え教えられ、育て育てられること!』これは私が数多くの生徒と接してきて実感していることの1つです。4年前同窓会があり、私は28年ぶりにT先生とお会いできました。そのときに、先生に「『教育』とは『教え教えられ、育て育てられること!』との私の実感は間違っていないでしょうか?」と質問しました。先生は黙って満面の笑みで大きく3回うなずいてくれました。今でも、何十年もお会いできなくても、T先生は私の先生であり、先生の生徒であれる自分自身が嬉しく、先生との出会いが今更ながらに有難いものであると痛感しました。
2011.02.16
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教師と生徒の関係、、、、それは突き詰めれば『人間性と人間性のぶつかり合い』なのです。私はそれをT先生から学びました。『人間性』でぶつかってこられるからこそ!『人間性』を認めればこそ!その先生に生徒は安心してついていけるのです。『人間性』に嘘は存在しないし、通用しません。『人間性』は決してぶれることはありません。『人間性』はそのときそのときでいい加減に変化したりしません。なぜなら『人間性』とは、その人が生きてきた人生・その人が背負ってきた人生そのものなのです。いい加減な人生、自己本位の人生、偽りや自己弁護で固めた人生、、、、そんな人生に裏付けられた『人間性』にだれが信頼をおくでしょうか?だれがついていくでしょうか?だれも信頼をしませんし、だれもついていくことはありません。そんな人間には、自分がいないときに他の皆がいかにいきいきとしているか!自分がいないときにいかに皆が本音で語っているか!を知らないのです。いくらその場の立場を利用して、自分をよく見せ、自分をよく思わせるための話をしても、皆は表向きには仕方なく話を聞いていますが、心のなかでは「またか!」「その話は何万回も聞いた!」「お前の話なんて聞く価値はない!」「お前の話は時間の無駄!」と思っているのです。そんな人間こそ、生徒にそう思わせている人間こそ、教壇を去るべきなのですが、悲しいかなそんな人間は『保身術』にだけは長けていて、何の悩みも先進もなく、のうのうと『先生』を続けているパターンがあまりに多いのです。自分の教師としてのあり方に悩んでいる先生方!!悩んでいるということは、前に進んでいるということなのです。『方法』や『策』ではなく、あたなの人間性で、生徒に、クラスに、対峙してください、そして溶け込んでください。そのためにはまず先生であるあなたが心身ともに健康でなければなりません!しっかり食べて、しっかり寝て!!そして教壇に立ってください。教育に『絶対こう!』って答えなんてありません。あなたにはあなたの答えがあるのです。それはあなたにしか出せない答えです。しかもあなたにも想像もできない答えが出るのです。あなたにも想像できない答えが、あなたを待ち受けているのです。だから教育はすばらしいのです。だがら教育は「やめられまへん」なのです。しかもその答えは、明日出るかもしれないし、何十年後で出るのかもしれません。どちらにしても、生徒達が答えを出してくれます。生徒達の『人間性』を信じて、自分の『人間性』で生徒達と接しませんか!それが絶対正解なんです。自信を持って私は言い切ります!!今まで私がそうだったのです。そしてそれはT先生が私に教えてくれたことだったのです。
2011.02.15
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『食べ物の大切さ』『物のある有難さ』『国が平和であることの重要さ』『国が戦争に入ると国民がいかに不幸になってしまうか』『仕事のある有難さ』『人の気持ちを考えることの重要性』『人の気持ちに応えようとすることの大切さ』、、、本当に様々なことを【ニコヨン】の話から学びました。しかし、この【ニコヨン】の話題がなぜ子供だった私達の心をとらえたのか!それは先生自信が身をもって体験した話であったことは無論ですが、先生はこの【ニコヨン】の話に一切の結論めいた事を付け加えなかったことが大きな理由の1つであったと思います。例えば【ニコヨン】の話の最後に「どんな辛い仕事でも、『ある』ってことが有難いよな!」としみじみ語って終わるのです。それは結論でなく、感想であったり実感であったりするのです。自分の人生をもって、飾らない体験をもって、本音の感想をもって生徒と接する!!無理に『先生であろう』とするのではなく、無理に生徒を自分の考える『生徒像』の形に押し込むわけでもない、、、、、そんなT先生のスタンスというか人間性が我々の心をとらえていたのではないかと思います。そこには『あるべき教師の姿』が明確に存在すると私は思います。
2011.02.14
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まだ日も昇らない早い時間から駅前に並ばなければならない【ニコヨン】。先生が朝家を出るときにはお母さんがお弁当を作ってくれて手渡してくれたそうです。極寒の中での仕事なので、お弁当を置いておく場所を間違えると昼食時には食べ物が凍っていたらしいです。先生はそれを避けるためにお弁当を上着の中に入れていたそうです。仕事をするうえでは動き難かったこともあったそうですが、それでも午前中はお弁当が冷えないように苦労したとのことでした。ここまで聞いて「お昼に食べやすいように」だと当時の私は思いました。今でもそう思うと思います。しかし当時の先生は「せっかく母が作ってくれた食べ物を、あの食べ物のない状況で母が作ってくれた食べ物を無駄にするわけにはいかない」という思いで、お弁当を上着の中に入れて午前中の重労働に耐えたのでした。当時から食べ物の好き嫌いがない私で「特別な理由がない限り、食べ物を残してはいけない」と厳しくしつけられている私でも、ともすればパンを丸めて投げて遊ぶこともある、、、、、でも先生はそんな思いをして食べ物を大切にした。でも先生は食べ物の無い時代に、「食べたいから」ではなく「食べ物を無駄にできない」からお弁当を大切にした。当時まだ子供だった私にも分かったことは、「食べ物を無駄にできない」ということは「お母さんの思いを無駄にできない」ということと同じ意味だということでした。
2011.02.13
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私のときだけではなく、結構頻繁に「ありがとう。後で吸わしてもらう」というパターンはありましたから、今思うと『お使い』も先生の我々に対する教育の一環であった可能性も高かったと思います。もちろん速攻で吸うときもありましたので、100%そうかと言われるとほんの少し自信がありませんが、、、、。さて【ニコヨン】の話に戻ります。社会の歴史の授業で戦争の話題になると「戦争はだめだ!」「戦争なんてこりごりだな!」「戦争を知らない君たちは幸せだ!」等々、何か一言を短く付け加えることが多いT先生でした。しかし2回か3回ほど、戦争について時間をかけて話してくれたことがあります。それはやはりT先生が体験した第二次世界大戦の頃の話でした。食べ物と物資のない生活がいかに苦しいものだったかを話してくれました。その状態は終戦を迎えても、長く続いたとのことでした。特に私の記憶に鮮明に脳裏に焼きつき、今でも残っているのは、先生が【ニコヨン】に行くときのお弁当の話しです。物資のないときに、先生のお母さんが作ってくれたお弁当の話です。
2011.02.12
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『おつかい指令』を受けて教室を出た私でしたが、裏門の少し手前で立ち止まってT先生から渡された300円をしばらく見つめました。1分も立ち止まっていなかったと思いますが、子供ながらにいろんなことを考えました。その中でも「昔、先生はこれより安いお金をかせぐために一日苦しい仕事に耐えた」という思いが一番強く、その思いがたった3枚の100円玉をすごく重たいものに感じさせました。そして「お金って大事なんやな」「お金をかせぐって大変なんやな」「自分で苦労してかせいだお金で買うタバコやから先生はあんなにおいしそうに吸うんかな」ともしみじみ思いました。タバコを買って教室に戻り、それまでクラスメイトたちが褒められた全ての事をまねしました。タバコの箱を揃えて先生のほうに向けて、お釣りを先生が確認しやすいように見せて、「タバコが全部で〇〇〇円、300円あずかりましたからお釣りが〇〇円です」と言いながら先生に手渡す!それはあくまで友達のまねなので、特別に褒められることは無いと思っていました。それよりも「お前はダメだな!」と言われないようにするのが精一杯でした。それでも先生に「お、ありがとう。僕のタバコのために走ってきれたか。ではこのタバコはお前のその気持ちもしっかり味わいたいから家に持って帰ってからありがたくいただくことにする。ありがとう。」と言ってもらいました。そんなに必死に走ったわけでなく、肥満の身体で小走りに移動したので他の友達よりも息が切れていただけのことだったのですが、それでも先生はそう言ってくれたのでした。しかし私はそう言ってもらったことよりも、先生の300円を自分に持たせてもらったことが嬉しくて有難くて仕方がありませんでした。なぜ、それが嬉しくて有難かったのか、、、、今でも明確に分からないので文章で表現できませんが、とにかく当時の私はそう感じたのでした。
2011.02.11
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【ニコヨン】ショックの真っ只中で、私はT先生から300円を託されたことがあります。今ならば先生に敬意を払えない生徒や保護者から文句が出るとおもいますが、当時の我々にはT先生から「おい、タバコ買ってきてくれるか?」と声をかけられることがひとつのステータスでした。我々の小学校は東側に正門があり西側に裏門のひとつがありました。我らのT学級・5年1組は西側の端にあったので裏門がすぐ近くでした。裏門を出ればすぐに片側1車線ずつ・両方向で2車線の車道があり、それを横切るとすぐにタバコの自動販売機があったので、指名を受けた生徒は休み時間であれ授業中であれその自販機に走り先生お気に入りのタバコ(ホープ)を買ってくるのです。先生はお金を託した生徒に必ず「車には十分気をつけろ!」と声をかけます。そしていつも同じ生徒を指名するわけではなく、生徒に託すお金の額と希望箱数も毎回微妙に違うのです。そして指名した生徒が無事に教室に帰ってきて、タバコとお釣りを受け取ったら「お!ありがとう」と満面の笑みで受け取りさっそく美味しそうにそのタバコを吸うのでした。そして「うまいな!〇〇の買ってきてくれたタバコはうまいな!!」と名前を言ってくれるのです。今から考えるとその『おつかい』は、先生独特の教育の一環で、『交通教育』『目上の人に対する礼儀・気遣い』等を生徒に考えさせる機会を持つことが目的だったと思います。多くのクラスメイトがおつかいを経験しているのに、私にはなかなかその指名がきませんでした。「なんで俺にはいうてくれへんのやろ?」「やっぱり俺やからアカンのかな、、、」なんて思っていたある日、やっと私にその指名がやってきました。そのときT先生が私に託したのが300円だったのです。
2011.02.10
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パンをちぎって投げて遊んだ、、、、それを先生に見つかってバチンと叩かれて叱られて終わっていたなら、「あ~あ、怒られた」程度の記憶にとどまっていたかも知れません。しかしこの【ニコヨン】の話は強烈に私の心に突き刺さりました。『お金の重み、大切さ』『身のまわりにある物全ての重要さ、ありがたさ』を考えるようになりました。それとT先生を見る目も変わったような記憶があります。「そんな苦労をしてきた大人」という目線が加わったような気がします。また自分の親も含めて「大人はみんな自分の知らない苦労を知っている」と思うようになりました。現にこの頃から私は自分の親にそれとなく苦労話をしてもらうことが多くなりました。少し大げさかも知れませんが、大人に敬意を払うようになったといってもいいかも知れません。また、人に対して敬意を持つ経験をさせてくれたのもこの【ニコヨン】の話でした。
2011.02.09
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雪国の冬場に一日中重労働をしてもらえるお金は254円、、、、、雪国育ちで雪の厳しさをすこしでも体験している私には、その事実は驚愕でした。寒いというだけで奪われていく体力。「身体を動かせば暖かくなる」なんて考えが通用しない世界。そのうち寒さを感じなくなってしまうときの言い知れない恐怖。それを1日中続けて254円!それと1日中戦い続けて254円!もちろん今ならば「当時の254円の貨幣価値は現在の金額にすればいくらくらいだろう。」と考えも調べもできます。しかし当時の私にはそんな知恵はなく、ただただ自分の中の254円の価値観とその重労働がつりあわない、、、つりあわなさ過ぎることに驚きました。小学校の鼓笛クラブでトランペットを吹いていた私が最初に買ったのは、練習用のプラスチック製の白いマウスピースでした。それを買うときに母に300円をもらいました。T先生は1日中苦しい仕事をして254円、、、、あのマウスピースは買えないのです。【ニコヨン】の話でお金や物の大切さを生徒に教えるとき、T先生は言うのです。「君たちはまだ自分でお金をかせいだことはないだろう?だから分からないのは仕方が無いだろうが、想像はできるだろう!たった254円をもらうのにそれだけ働かないといけないんだだからお金や物や食べ物を粗末にしては絶対にいけないんだ!」こういわれると、もう私はぐうの音も出ないくらい叩きのめされたのでした。
2011.02.08
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雪国の冬は長く厳しい!T先生は【ニコヨン】という仕事には冬場によく行っていたそうです。夏場は他にも仕事があるので、、、。厳寒のまだ日も昇っていない早朝に家を出て最寄の大きな駅の前で並んで待っていると、数台のトラックがやってきて先頭にいる人からどんどん荷台に乗せて行く。トラックの荷台がいっぱいになった時点で、乗れなかった人たちはその日は仕事にありつけない。そのトラックの荷台は、薄いボロボロの幌がついていれば幸運で、普通はなにもない吹きっさらしの荷台。それに乗って風雪にさらされて、どこに連れていかれるか分からない。分かっているのは、極寒の中で一日中重労働をさせられるということ!あるときは一日中巨大な石を運び続け、あるときは一日中ひたすら穴を掘り続ける、、、そんな重労働をして、夜にまた駅まで連れて帰られて、トラックから降りたときに渡されるお金が254円、、、この一日中の重労働の賃金254円から、この仕事は【ニコヨン】呼ばれていたらしいのです。先生はそれを自分のためではなく、家族のために、母のために、体力と気力の続く限り通ったそうです。
2011.02.07
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本当にあまり自分の話をされないT先生、、、実は我々生徒は先生の年齢をはっきり知らずにほぼ2年間を過ごしました。かろうじて先生の定期券を見たM君が卒業文集に推定年齢を書いてくれたので、私はやっと卒業間近に先生のだいたいの年齢を知ったくらいです。その年齢と【ニコヨン】なるものが存在した時期から考えると、この話は戦後間もなくの先生が十代後半の年齢のときの話だと推測されます。T先生は青森生まれで北海道育ち(これもM君情報、われわれのほとんどは雪国育ちということしか知りませんでした)、、、おそらく北海道での話だと思います。家で食べる物もろくない状態で迎える長い冬の生活は、我々生徒の想像を絶する厳しさだったそうです。この語り出しは、強烈に私の心を捉えました。私の通っていた小学校は奈良県でしたが、実は私も4歳まで長野県で生活をしており、雪の怖さや厳しさは多少なりとも体験していたからです。当時の先生は何とかお金を稼ごうといろんなことをしたらしいのですが、どれも必ずお金になるものではなかったそうです。その中でも、必ずお金を手に入れることができるのが【ニコヨン】と呼ばれる仕事だったのです。
2011.02.06
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その日の『帰りの会』まで待つことなくT先生はその丸めて捨てられたパンの話をはじめました。それは掃除の時間に発した「なんだこれは!」「だれがこんなことをしたんだ!」「このクラスには食べ物を粗末にする人間がいるのか!」との声を荒げたときとは違って、穏やかなトーンで話は始まりました。「みんなは幸せな時代に生れていいな。うらやましいな!」、、、こんな感じで話が始まったと記憶しています。いつも元気で冗談を言うときも生徒を叱るときも生き生きとしているというか覇気があるあの先生が、珍しく元気が無いというか物悲しい表情だったことは鮮明に覚えています。しばらく間をおいて、「先生が若い頃は、着るものも履くものも満足になくてな。」あまり自分の昔の話をされないT先生でしたが、ここから始まる【ニコヨン】の話は先生が担任してくださった2年間で度々登場することとなりました。それは、なぜモノを大切にしなければならないのか!お金がどれくらい大切なのもか!仕事(またはするべきこと)があるということは、それほど幸せな事か!仕事(またはするべきこと)がないということは、それほど不幸せな事か!国が戦争に入ると、国民がどれほど不幸になるか!、、、等々、先生が我々に何かを伝えようとする多様な場面で出てきました。
2011.02.05
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『モノを粗末に扱ってはいけない!』教育の基本の1つですね。もちろんT先生も私たちに、それを教えてくれました。特に靴の後ろを踏んで履くことと、食べ物を粗末にすることには厳しく目を光らせおられました。そんなある日の掃除の時間に教室の掃き掃除をしていた生徒がもっていたちりとりの中に、小さく丸めたパンが何個か入っていたことがありました。私はそのとき教室の外にいたと思います。おそらく廊下の掃除をしていたと思うのですが、はっきり覚えていません。覚えているのは、その小さく丸めたパンをちりとりの中に発見したときにT先生が大声を上げて怒りをあらわにしたことです!あともう1つ覚えているのは、先生のその声を聞いて「まずい」と思ったことです。それはそのパンを丸めた犯人の一人が私であることを意味しています。我々の小学校は給食の後に掃除の時間があり、それから午後の5時間目と6時間目の授業がありました。その日の給食が終わって先生が職員室に戻った後、ある友達が残したパンを丸めて男子生徒数人で投げ合って遊んでいたのでした。
2011.02.03
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その話を聞いた時点で、クラスに妙な雰囲気が流れました。学年や学期の最初に掃除場所を決めることがだいたい定例です。そのとき仲の良い友達同士、比較的掃除をしやすい場所・ちょっとテンションの上がる場所・遊びやすい(サボりやすい)場所等々、人気(?)の担当場所は希望者が多くてジャンケンで決めることが多かったです。その中で『ハズレ』とされる掃除場所がトイレです。我が6年1組もそうっだたのですが、そのT先生の話以降担当掃除場所の花形はトイレという雰囲気が教室を支配してしまいました。もちろんその次の掃除場所を決めるときには、トイレ掃除希望者が殺到して大ジャンケン大会になったことを覚えています。その経験は今までの私の人生にプラス要素をかなりもたらしてくれました。トイレ掃除に関わらず、人の嫌がる事をすすんでやる、、、あるいはそれを自然にやる、人の見ていないところでやる!この行為が意味するものを知っているかどうかは、その人の人生を大きく左右する要素だと私は自信をもって言うことができます。あの子供の時期にそのことを語ってくれた大人に出会えたことは、私の人生の宝のひとつとなっています。
2011.02.02
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T先生が当時の私たちにしてくれた話をいくつか紹介したいと思います。当時はどの小学校でもよくあった話だと思いますが、掃除の時間に女子だけがまじめに取り込んでいて男子はサボって遊んでいる者が多いという状況!我が6年1組も例外ではありませんでした。たしか女子の何人かが「男子が掃除しません」とT先生にいいつけたことからこの話が始まったと記憶しています。また掃除をサボっていた男子が烈火のごとく叱られるかと思いきや、、、、T先生は教壇に立って間もない時期の話を始めました。その学校にはいつもトイレ掃除をすすんでしていた一人の男子生徒がいたとのことでした。彼は貧しい家庭で育っていて文房具も満足に持っていない状況だったらしいのですが、いつも明るく、勉強も学年でトップ、、、、。そんな彼はいつもトイレの掃除をすすんで一人でしていて、その学校のトイレはいつも綺麗でみんなが気持ちよく過ごせたとのことでした。その話を静かに語り終えたら、T先生はクラスに「みんなどう思う?」と問いかけます。みんな感じることがあってシーンとしています。その沈黙をしばらく引きつけた後、先生は「みんなも人の嫌がることをすすんでできるような人間になれ!」と力強い声で一言いってそれ以上は何も言いませんでした。
2011.02.01
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