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自分は今何を支えているのか。そのためにどれほどの準備を日々怠らずに実行しているのか、あるいは、自分は今何を支えるべきなのか。そのためにどれほどの準備は日々怠らずに実行するべきなのか、それを今一度真剣且つ自分に厳しくみつめ直そうではないか!プロ野球の世界の小田選手がそうだったように、自分はどの世界を支える人間であり、どの世界を支える人間であることを目指しているのかを考えようではないか!そしてもしその世界で脚光や賞賛を浴びる立場になったとしても、その舞台を下から支え続けてくれいる人への感謝を忘れない人でいようではないか!それが人としての正しい生き方でなないか。諸君は引退後の小田選手の姿を知っているか?おそらく知っている人の方が多いと思うぞ。
2018.11.28
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こんなことを言われると「自分にはできないから」と諦める・・・学生諸君よ!そんなことではこれからの人生やっていけないぞ!目指すべき人がいるのなら、たとえ及ばずとも目指すべきだ!どの世界も、その業界も、、、全く目立つことは無く、賞賛されることもない人達が、日々怠らない努力と準備で支えていることを知らねばならない。そしてそういう人にならねばならない。そんな人たちが支え続けている舞台の上であぐらをかいで、偉そうな言動をしたり、何の努力も準備もしないでただ恩恵を受けて怠けるような人間になってはいけないのだ。そんな奴らが確実にその世界や業界をダメにしていっているのは歴史の事実が、そして今現在のいろんな事件や出来事が証明しているぞ。脚光や賞賛なんかとは無縁であることは承知の上で日々の努力と準備を怠らない…そんな人として正しい道をプロ野球という厳しい世界の中で具現化し続けた小田幸平選手の存在とその姿を我々は知っておくべきなのだ。何が『記録』だ!ふざけるな!その記録をつくる舞台を支え続けている数多の人たちの存在がなければ、そんな記録なんてうまれていないことを知れ。何が『記憶』だ!いかれているのか!小田幸平選手のような人が記憶に残らないのはお前の目が節穴に過ぎないのが原因だ。もっとしっかり物事を見よ。
2018.11.27
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・・・ひるがえるに、小田選手はどうだ!いつやってくるか分からない自分の出番に一年中備えていたのだ。そして毎回ほぼその役割を果たした。彼に「緊張」はあったのか?彼に「プレッシャー」はあったのか?皆無と言えばウソであろうと思う。しかしそれをも凌駕するほどの準備をしていたに違いないのである。それは身体のコンディションも精神状態も含めての準備だ!この姿勢を我々は本気で学ばなければならないと強く思う。我々の出番のほとんどはやってくる時が事前に分かることが多い。特に学生諸君の試験はその日程が分かっている。なのに準備ができないというのは一体どういうことなのだろうか。学生諸君!分かっているか?それは本気でないからだ。真剣でないからだ。小田選手が本気でなく、真剣でなく、あのプレーができたと思うか?彼のしてきたことを学生諸君にあてはめると、普通の授業の日だと思って学校に行ったら「はい、実は今日は全国模試ですよ」と急に言われたにも関わらず高得点を叩き出すようなものである。君たちにできるか?
2018.11.26
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試験というのはそのときまでにどれほどの準備をしてきたかが勝敗を分ける。本番で頑張るということもあるが、それもそれまでの準備如何にかかっている。準備も何の努力もせずに試験に臨んでも結果は悲惨だ!それを「緊張」を言い訳にする若者の多さに辟易とする。「メンタルが弱い」という連中も同様だ。私に言わせればメンタルの重要性なんかはゼロだ。それまでに勝利するために十分な順義をしてこなかったから精神的にプレッシャーを感じるからだ。若者よ!試験でもスポーツでも準備をしているか?私は中学時代野球をしていた。「プレイボール」のコールがかかるときにはもう勝敗は決している。それまでにどれほどたくさんの時間をどれほどハードに練習に費やしてきたかで決まる。小学校・高校時代はトランペットを吹いていた。マーチングの演技開始の笛が鳴るときには、演奏会の幕が上がるときには、もうすでに勝敗は決している。やはり、それまでにどれほどたくさんの時間をそれほどハードに練習に費やしてきたか重要なのだ。それさえ十分にしてきていれば、緊張やプレッシャーなんて全くの無縁なのだ。
2018.11.25
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もちろん私がジャイアンツの全試合を見ていた訳では無い。しかし突如の選手交代でマスクを被った小田選手のプレーは確実なものだった。攻撃面でも今までなんでベンチにいたのかが分からないバッティングをした。目立たないかも知れないが、堅実なバッティングで渋いヒットを放つのだ。確かジャイアンツの最後の年には、そんな中で彼はホームランを放っている!彼の一撃に私ほど歓喜した人もいないのではないかと思うくらい喜んだ。・・・ここ数年、特に小学校入学のときからズッポリゆとり教育を受けてきて「頑張らない」「言い訳だけをすれば全てオッケー」といった精神が身に沁み込み過ぎている中高生からよく聞かされる言葉のひとつの「緊張していて、、、」というのがある。理解力も無く努力もせずに試験を受ける。もちろん無残な点数が返ってくる。そのときに言い放つ台詞が「試験になると緊張して実力が発揮できなかった。」である。つまり「自分には実力があるのだが、緊張で問題が解けなかった。」と言いたいのだ。それは部活動にしても同じだ。毎日「部活」「部活」といいながら、「練習」「練習」といいながら、ただ遊ぶ。そしてその部活が忙しいので勉強の時間が確保できないとの言い訳にも使える。怠け者には本当に便利な部活だ。で、試合になるとたいした結果を残せない。そう!そして「試合で緊張して実力が発揮できなかった。」と言い訳するのだ。
2018.11.24
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私はそれから小田選手に注目するようになった。阪神タイガースファンの私であったが巨人戦はだいたいテレビで中継されるのでその様子を知るのは簡単ではあった。しかしなかなか小田選手の出番はなかった。彼は2番手、3番手の捕手だったので、なかなかスタメンで出場することはなかったのだ。それでもたまにカメラがベンチに向けられた時に彼の姿を見つけると、心の中で応援した。今もそうだが当時の巨人はスター選手が多すぎた。打線でいうと9人中4~5人は他のチームの4番級の選手が並んでいるのだ。申し訳のない言い方だが、無名に近い小田選手がグランドに姿を見せる機会はほとんどなかった。でもよく試合を追いかけていると毎年ほんの数回ではあるが彼がグランドに姿を見せることがあった。一番手の主力選手の捕手が、怪我や体調不良で試合途中でベンチに下がってしまうときだ。リリーフや代打であれば、だいたい自分の出番の目星がつくことが多い。しかし小田選手の場合そのほとんどのチャンスが急にやってくるのだ。そんな中でも彼は涼しい顔をしてマスクを被る。内心がどうだかは私には知る由もないが、見る限り彼は涼しい顔でグランドに現れた。
2018.11.22
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あのシーンを見て私は心が痛んだ。みんなは楽しく見て笑っていたが、あのシーンの持つ意味は重い。私も野球選手だったから分かる。先輩選手が後輩に格闘技技をかけるとはどういうことを意味するか!それが関節技でも打撃技でも同じことだ。その技を受けるものはもうどうなってもいいということなのだ。技をかける方は「大丈夫」とか「本気ではやらない」とか「遊び」だとかいう。しかしかけられる者は瞬間自らの選手生命の終焉を意識するのだ。その証拠に技をかける者とかけられる者の立場が入れ替わることは絶対にない!つまりあのスター選手Kにとって小田選手はそういう人間だと捉えていたのだ。私は中学校時代野球部で、先輩から忌み嫌われた人間だから嫌というほどよく分かる。格闘技というのは恐ろしいものだ。それらは相手を制圧したり殺害したりするための技だからだ。素人が遊び半分でやると危険極まりないのだ。子供がそれを知らないことはあるだろう。しかしながら、いい大人だ!しかもプロのスポーツ選手だ!そんな人間がそれをしらない、あるいは想像できないことがあり得るだろうか?
2018.11.20
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タイトルを見て「ん?」「誰?」「何の選手?」と思う人も少ないかもしれない。でも我が教室の卒業生なら「あっ!」と気づく人が少なくないことだろう。私がスポーツ選手というと思い浮かべる人達の間違いなくベスト5には入っている人物だ!若い世代の人たちに語りたいスポーツ選手というランキングであれば、ダントツ1位がこの人である。この人はプロ野球の選手だった。つい数年前に残念ながら引退してユニフォームを脱いだ。私が彼を知ったのは、プロ野球の好プレー珍プレーを紹介する番組だった。読売ジャイアンツのあるスター選手に格闘技の関節技をかけられて苦しむシーンが度々流されていたのだ。私はそのスター選手をどうも快く思っていなかった。高校球児で甲子園を湧かせたときやプロ入りした最初の方はそうではなかったが、だんだん彼にプロ野球選手としての疑問を感じはじめた時期があった。その選手はスラッガーでファーストを守っていた。が、ある年から格闘家のような筋肉の鍛え方をしたため、送球に対する腕の出方の角度が変わってしまい、捕球ミスを連発するようになる。「あれがプロか?」と思い始めたころ、その選手が練習中に格闘技の関節技をかけて遊んでいた相手が小田幸平選手だった。
2018.11.19
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そして今私は若い世代の人や子供たちを見ると心の中で「これからの人」という言葉がどこからともなく出てくる年齢となった。その言葉が聞こえるからこそ、時には彼ら彼女らに厳しい目線を向けることもある。なぜなら彼ら彼女らは私が見ることのない世の中を見てその中で生きていく人達だからだ。「組織の衰退は、若者の失敗が生むのではなく老人の跋扈(ばっこ)が生む。」という言葉は知っている。全くその通りだと思う。この言葉の「組織」の部分はそのまま「世の中」「国」に置き換えることもできるだろう。だから私は跋扈する気はない。それでも伝え残すべきことは残すのが、彼ら彼女らの知らない古い時代を生きてきた者の役目だとも思う。しかしながらどんなに意味のある話もくどくなると聞いてもらえない。それを考えると、今さらながらあのお三方の偉大さを思い知る!何も多くを語ることなく、子供や若者を「これからの人」と呼び、その言葉の中に全ての想いを込めたのだ。だからこそその思いが今も私の中に厳然と残っているのだ。私もあの人たちのような偉大な年寄りになれるといいな・・・と切に願う。
2018.11.18
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もちろん年齢的に私はあの人たちよりも長くこの世に存在する可能性が高かった。今となっては確認のしようもないが、実際に今現在あのお三方がご存命である可能性は限りなく低いと思われる。そして私は今現在こうして生き永らえている。あのときあのお三方もそのことは十分にご承知だったはずだ。だから私のことを「これからの人」と表現したのだ。今私はこうしてあの人たちが見ることのできなかった世の中を見てその中で生きている。でも、あのとき、、、頭を撫でてもらったとき、卒業式の日に抱きしめられたとき、電車を降りたホームで固く握手をしたとき、あの人たちの想いが、あるいは命が、少し私の中に入り込んだのではないかと思うことがある。なぜなら今もなお彼らの手の温かさを私の身体が覚えているからだ。だから彼らは私を通してまだこの世を見つめ続けているのではないだろうかとも思うことがある。彼らが今の私を見たとき。今までの私の足跡(そくせき)を知ったとき、何と言うのだろうと思うとかなり自信はないが、少しでも彼らの思いが私にとどまってくれているのなら、私はそれを諸手を挙げて歓迎する。
2018.11.17
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齢(よわい)五十を二つも過ぎて最近よくこのお三方のことを思い出す。理由は至って簡単で、私自身があの頃のお三方に年齢が近づいて境遇も酷似してきたからだ。あのお三方の共通点、それは子供がいないことだ。長野で出会った方とM先生に至っては結婚もされていなかったので更に似た境遇である。ちなみに21歳のときに出会った男性は、何回も結婚をされて数限りない女性と浮世を流したて子作りは散々楽しんだが子供は作らなかったと仰っていた。そして何よりの共通点は、私を「これからの人」と言ったことだ!今まではその言葉の意味を深く考えたことはなかった。いや、その必要がなかったのかもしれない。しかし今になってその意味を少しではあるが分かるような気がしてきている。
2018.11.17
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齢(よわい)五十を二つも過ぎて最近よくこのお三方のことを思い出す。理由は至って簡単で、私自身があの頃のお三方に年齢が近づいて境遇も酷似してきたからだ。あのお三方の共通点、それは子供がいないことだ。長野で出会った方とM先生に至っては結婚もされていなかったので更に似た境遇である。ちなみに21歳のときに出会った男性は、何回も結婚をされて数限りない女性と浮世を流したて子作りは散々楽しんだが子供は作らなかったと仰っていた。そして何よりの共通点は、私を「これからの人」と言ったことだ!今まではその言葉の意味を深く考えたことはなかった。いや、その必要がなかったのかもしれない。しかし今になってその意味を少しではあるが分かるような気がしてきている。
2018.11.16
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その後多くのお年寄りと知り合ったが、最後に紹介したいのは21歳のときに出会った男性だ。二十歳で四国に来て1年間の自宅浪人を経て受験のために上京する電車の中で彼と出会った。電車に乗り込んで私が座った座席の向かいに彼は座っていた。パリッとした和服に帽子を被って身体の正面に立てたステッキの上に両手をのせておられた。平日の朝10時前なので車両は空いていて我々だけだった。私が座って間もなく彼の方から言葉をかけてくれた。私がこれから上京して大学入試に臨むことを知った彼は、自分はもう歳だから東京にいくことはできないし何年も先の世の中を見ることもないだろうと言って、私の若さを称えてくれた。間もなく電車が終点に到着して私が話ができたお礼を言うと彼は「これからの世の中を生きる若者であるあなたと握手をさせてほしい。」と言った。我々は両手で固い握手を交わした。結局四国の大学に通うことになった私はそれからもその電車に乗る機会があったが、彼の姿を見ることはなかった。
2018.11.14
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次に私の前に現れたお年寄りの知り合いは小学校の先生だった。鼓笛隊の顧問の先生のひとりで一番ご年配だった。顧問は全て女性の音楽の先生だった。他の顧問は我々から見ておばさんとは言い難く、ちょっと年の離れたお姉さんのような存在だった。我々鼓笛隊の男子はそんなお姉さん的な顧問を少しなめているようなところがあった。その中でも特に私が所属していたトランペット隊はその生残率の異常な低さを生き残ったという変なプライドもあって、若手の顧問の言うことをあまり聞かなかった。その中にあって唯一年配だったM先生は常に我々の前に立ちはだかり厳しく接していた。ことトランペット隊には厳しかった。少しの音のズレもテンポのハズレも聞き逃すことなく我々を容赦なく叱責した。そんな我々は卒業式の日にM先生にお別れの挨拶をしにいった。先生は少し驚いたような表情をして「今までトランペット隊で私に卒業の挨拶をしにきた者はおらんかった!」と言ってしばらく何も言わなかった。しばしの沈黙の後M先生は「あんたらはこれからの人間や。しかもこれからの男たちや。だから厳しく接してきた。私の厳しさから何かを学んでくれていたとすれば私は本望や。これからの日本を頼んだよ。」と言って我々ひとりひとりを抱きしめた。悪ガキの盛りだった我々もさすがにこれにはわけもわからないくせに泣けてしまった。
2018.11.13
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私の人生で最初のお年寄りの知り合いは長野に越してすぐにできた。その頃は私が物心のついた頃だった。彼女は私たちの家のある集落の入り口の一軒目にひとりで暮らしていた。スマートな体形でいつも洋服を着ていた。長野の短い春や夏の時期はいつもおしゃれなワンピース姿で庭の花のお世話をしていた。彼女は私を見るといつも頭を撫でてくれてお菓子をくれた。そしていつも「あなたはこれからの人だからね。たくさんいいものを見て聞いて大きくなりなさいね。」と言った。何度も何度も言われたので、言葉の意味は分からなくともその言葉の音が私の頭に焼き付いた。随分後になって母に聞いて、彼女は戦争でたくさんの悲しい経験をし病気も患ったので結婚もしないで生涯ひとりで過ごす覚悟をしていたことと、我々が知り合った頃にはもうかなり病状が悪化した状態であったことを知った。
2018.11.12
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11月11日って何の日か・・・これを聞かれたとき私は答えに窮する!その人が「何の日」と答えてほしいのかを察するのが困難だからだ!実は11月11日には記念日が多い、、、というか多すぎる。まあ1が4個も並ぶのだから仕方ないのかも知れないが・・・とりあえず、知る限りを紐解いていくことにする。『ポッキー&プリッツの日』これは有名処!はやりしっかりポッキーかプリッツを食したいところ。『たくあんの日』これも日頃お世話になっている。しっかりパリパリ食して祝いたい。『スーツセレクトの日』スーツは年に数回しか着ないから・・・祝う人は祝っておくんなはれ!『立ち飲みの日』最近はほとんど家でしか飲まないから・・・家で立って飲むか!『コピータイラ―の日』みなさんに敬意を!『ネイルの日』ようわかりません。『串カツ田中の日』こんなんええんですか?『ロールちゃんの日』・・・誰?・・・『チンアナゴの日』ただのアナゴではなく『チンアナゴ』に特定しているところに意味がある。『めんの日』麺類サイコー!『きりたんぽの日』美味しいですわ。『長野県きのこの日』なんで1県限定?全国で祝いましょうや全国で!『美しいまつ毛の日』は、まつ毛を祝う日であって・・・『美しいまつ毛美人の日』は、美人を祝う日なんですか?『おそろいの日』確かに11月11日は数字が揃っているけど、それやったら12月12日もおそろでっせ!『サッカーの日』なるほど、11vs11やからやね。でもサッカーサッカー言う人とは距離を置きたいから勝手にやっとくんなはれ。『いい獣医の日』1111=「いい獣医」とは考えたね!『いい出会いの日』11=「いい」・11=「1人と1人が出会う」とはこれも考えたね!『サムライの日』・・・ん?『十一(といち)の奈良漬けの日』♪シュッポ、シュッポ、といちの奈良漬け、シュッポ、シュッポといちの奈良漬け♪・・・って超奈良ローカルネタやね!・・・今風に言うと『奈良判定』?『プラズマクラスターの日』まじか?『磁気の日』ほんまか?『豚まんの日』あんまんは?ヨルダンの経済都市?それはアンマン!『おかあちゃん同盟の日』おかあちゃんは単独でもかなりの戦闘力あるのに、同盟組んだらもう無敵やろ!『ミュージカル・キャッツの日』月を仰ぎ見よう!『介護の日』ん? 最初は9月ちゃいましたっけ?『生ハムの日』案外日本酒にも合う!『ワンワンギフトの日』1111=やったら『ワンワンワンワンギフトの日』ちゃいまんのん?ペット業界恐るべし!『勇者の日』結城友奈?『きみしゃんいりこの日』福岡限定らしいです!『イオン液体の日』・・・なんか怖い感じがします・・・『キュリオスの日』シルク・ド・ソレイユです。『スティックパンの日』まあ形状的にそうか・・・最後に、最近中国から攻めてきた、『独身の日』だれがだれを祝うねん!祝う方も祝われる方も気まずいっちゅうねん!さあ!みなさんにとっての今日11月11日は、何の日ですか?
2018.11.11
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かつてある詩人が謳った。だれも悪くはないのに、悲しいことはいつもある・・・と。『アメリカン・ナイトメア』『カナディアン・バックブリーカー』『モンゴリアン・チョップ』など、国の名前を冠したプロレス技が多い中・・・ひとつだけ『オクラホマ・スタンピート』と州の名前を冠している技があったり、『ジャイアント馬場』『ジャンボ鶴田』『長州力』など、聞くからに強そうなリングネームを持つプロレスラーが多い中・・・ひとりだけ『グレート小鹿』となんだかバンビちゃんを想像してしまうようなリングネームをもつプロレスラーがいたり、高校時代「俺は一生バイクに乗り続ける!車なんかには絶対乗らへん。そやから車の免許なんかは取らへん!」と言い切っていた先輩が『轟さん』だったり、カナダから日本に帰るときの飛行機の機長が『落合機長』だったり、ある学校で、超親分肌で学校をまとめていた先生の担当教科が『古文』だったり、小さい頃からの趣味が高じて、一瞬「写真とちゃうか」を思ってしまうほどの繊細な刺繍の技術をもった女性か『荒井さん』だったり、高校時代「RZは最高のバイクや!俺はYAMAHAのRZに生涯をささげる」と言った友人が、バイト代をため込んで作った皮ツナギに断腸の思いで自らの名字の『SUZUKI』と入れることを選択せざるを得なかったり、マンガのある主人公の父が「武士道とは曲がることがあってはならない」との考えから主人公に『直角』と名付けて90度曲げてしまったり、中学校時代の野球部の兵庫先輩の名前が『健』だったり、日本での生活がはじまると同時に娘が中学生になり、体操服の胸に大きく名前を入れなければならなくなった外国人のお母さんが、本を見ながら一生懸命に『ジャイカ』と娘の名前を書いたつもりが思いっきり『ジャイコ』と書いてしまったことが原因で「ジャイ子」「ジャイ子」とからかわれた結果、夏休みを待たずして本人が超ヤンキーになってしまったり、第59回関東学生ボディビル選手権大会が行われたのが、『鹿骨体育館』だったり、だれも悪くはないんです。だれも悪くはないのに、、、悲しいことはいつもあるんです。
2018.11.08
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我々消費者の無知とインターネット普及のマイナス面の影響で、トクをすればいい、安ければいいとの考えが充満しているのが今の世の中である。こんなことでは景気なんかよくなることなどありえない。目先の小さなトクを追い求め、同じく小さな損を嫌うことで得るものと失うものの比較ができる能力が求められている。企業側が我々を喰いつかすためにばらまいた『おトク』に騙されること無く、その価値を自分で見極める判断力を我々大人がもたないと次の世代の世の中なんてもう何も期待ができない!あるいはもう『お金』事態を必要としない世の中の仕組みを構築しないといけないのかの知れない。ともかく!今一度我々は『おトク』との関わり方を見つめ直さねばならないことだけは間違いない。
2018.11.07
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我々はもう一度考え直さねばならない時期を迎えているのかもしれないと最近つくづく思う。我々が消費者となるとき、その商品・そのサービス・そのお店に一体なにを求めているのか、または何を求めるべきなのかを今一度立ち止まって冷静に考えるべきではないかと思う。『おトク』を求めてより安いものを追いかけるならば、何を代償にした安さなのかを考えるべきだ。たとえばお気に入りのパン屋があったとする。美味しいパンをより安く食べたいと思い店側に安売りを求める。実際にパンが安くなる。何を代償にして手にいてた安さなのかを考えられる人があまりにも少なくなったのではないだろうか!安くなってまずくなった!と文句を言う人間はアホの極みだ。知人が以前「こっちの方がかなり安いから」と両親の生命保険をネット保険に変更した。その後お父さんがガンになり残念ながら他界された。ネット保険なのでこちらから「父が他界しました」と申告しなければ向こうからは何のコンタクトも気づかいもない。もちろん知人は申告をした。すると返ってきた返事は、「加入されていたのはガン保険です。お父様の死因はガンではなく悪性腫瘍でです。保険金はおりません。」だった。なぜその保険は安かったのか。保険金をおろさないからであることを彼はそこで知った。
2018.11.06
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その唯一ではあるが最大の恩恵は、連絡が取れる!という点だった。当然と言えば当然のことだが、私は学校や学習塾またはバイクの生徒たちや受講生のみんなに「電話番号とメールアドレスは変えないから必要であればいつでも連絡をするように」と言ってきている。実際に何年も前の教え子から緊急の連絡があって、人生の岐路の手助けができたり、あるいは人生の危機を救ったりできたこともあった。これは携帯電話あってならではのことだった。彼ら彼女らはそのときのことを今でも感謝くてくれているし、私も先生冥利に尽きる経験をさせてもらった。もしかすれば私が息を引き取る瞬間にあのときのことを走馬灯のように思い出すかもしれないとも思える経験だ。今後も同様のことがあるかも知れない。もちろん日常生活や仕事上で携帯電話はもう必需品となりつつあるので無くてはならない。それに対する対価として私は携帯電話の料金を支払うのだ。もちろん納得して支払っている。だから『おトク』を求めているわけではないのだ。もちろん前述したうに私も人間なので得はしたい。しかし携帯電話に関してはハンバーガーやドーナツが欲しいわけではなく、「いざ」というときに連絡が取れる状態を維持したいのだ。それが私にとっての携帯電話の価値であり意義なのだ。
2018.11.05
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確かに『おトク』を連呼するだけあって、ポイントはたまる。しかしそれはスマホの画面の中だけの数字が増えるだけで、その使い方の説明も案内も無い。あれは数字が増えるのを楽しむためだけのものだ。しかもおそらく期限があって、そのうち消滅するはずだ。これなんかはポイントのあるあるだ!そしてauのしたいことが一番顕著にあらわれているのは、スマホの指紋認証機能の使い方だ。こちらがお金を振り込んだりすることに関しては指紋認証でいとも簡単に完了する。しかしこちらがトクをするものに関しては、いちいちIDだのパスワードだのが必要となり、入力しても「間違っています」と言われて終わりになるのだ。・・・ではなぜ私がそこまでauにただの金ズルにされ、ぞんざいに扱われながらも解約をせずに契約を続けているのか!それは私なりに使い続ける価値を見出しているからだ。その価値にお金を支払っているから、《◯太郎の日》になにももらえなくても、使えないポイントを与えられても、3つのカードにたらい回しにされても、それらに対する怒りよりもその価値の恩恵を受けることが私の中で上回っているのだ。
2018.11.02
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数日後、3つのカードを退会して元の銀行引き落としに戻してほしいとショップにいったときだ。となりの席で高齢のご夫婦が訴えておられた。安くておトクだといわれて家の電気をau電気に買えたのに、料金は今までの何倍にもなってしまった。年金生活の我々には支払えない・・・と嘆いておられる声が聞こえてきた。そういえば私もau電気を「安くておトク」とかなり勧められたが、それは危険な香りがしたので断ったことを思い出した。ご夫婦の対応をしていた女性店員は「それはau電気に聞いてみないと分かりません。」と電気担当部署に電話をして、電話で直接ご夫婦と話をさせた。聞こえてくる内容では、おそらく電話の向こうにいる人物は難しい専門用語を並べ立ててシステム自体の説明をしているようで、なんで料金が跳ね上がったの説明はしていないようだ。ご夫婦は「納得できない」を連発されていた。そうなのだ。安くておトクなのはau側の話てあって我々ではないのだ。おそらく電話の向こうの人物は、ヘッドフォン・マイクを装着していて両手がフリーの状態だから、ご夫婦の話にコーヒーを飲みながら、あるいはハナクソをほじりながら対応しているのだろう。あまり話が長引くようなら、私が「おトクなのはau側の話ですよ!」と言ってあげようと思ったが、ご夫婦は今回はなんとか支払うがもうau電気をやめる決断をされた。それが賢明である。我々ITに明るくない世代の人間は、このように高い授業料を支払って、ここは我々が受け入れられない世界であることを学んでいくしか道はないのだ。
2018.11.01
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