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Sもそうだったのだ。景色の美しさを見ていたのだ。美しさだけに目線を向けていたのだ。だからふられてもふられても女性の良いところだけを見ていけたのだ。そこには自分に向ける目線はなかった。Sが言っていた女性の良いところには何の根拠も無かった。私に言わせればただの妄想であり、自分勝手な理想像を重ねていたに過ぎない。でもそれはSが『理想』というフィルターを通して女性に目を向けた結果だったのだ。いじめに遭っていたときもそうに違いない。ひどいことをされて、ひどいことを言われた自分に目線を向けてはいなかった。自分をいじめる相手だけに目線を向けた。それもやはり『理想』というフィルターを通してだ。Sの「なんでそんなことするんや。」「なんでそんなこと言うんや。」の言葉の前には、「お前のような良いやつが」との言葉が隠されていたのだ。だからSは自分がみじめで毎日泣き続けたのではない。いじめをする人間の行為が、いいめをする人間の言葉が悲しかったのだ。私に「なんでそんなこと言うんや。」と言ったときも、彼の目線は私を見ていたはずだ。つまりふられ続ける自分をみじめに感じたのではなく、あたかも達観したような言葉を吐く私をみじめに感じていたのだろう。そんなことにも気付かずに、どこか勝ち誇ったように話題を変えた私は愚か者だった。いや、、、話題を変えたことによって救われたのは、Sではなく私自身だったのだ。
2018.08.31
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彼女はこの歌をどう解釈しているのか!私は気になって読み進めた。彼女は悩み続けている友人に言う。・・・やっぱ。かなしかっただろうね。泣いてたね、かなしくて。でもさ泣きながら目を閉じて飛ぶのも危ないと思ってさ目を開けて顔をあげてみたら空がね青いわけよ海もねもう青くてさとりはそのときああ空も海も青くて「キレイだな」って思ったんじゃないのかなそんでなんだかもう目を見開いて白い点みたく漂っていることなんか忘れちゃってさそんな自分のようすなんて見えなくなってそうして飛んでいったんだよ青い空と青い海を見ながら「その向こうに何があるのかな」って・・・これを読んだとき、私は急にSを思い出した。そしてこのときはじめて気が付いた。
2018.08.30
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そして《こころひとつ分の思い出》を作るために長い間足が遠のいていた学校に登校する。ほんの数名の生徒が歓迎した・・・彼女が小学3年までの楽しかった時期を共に過ごした友達だった。その中のひとりは他人の目を気にし過ぎてノイローゼになる。その友人に彼女は語りかける。「なんだっけ。『悲しい白い鳥のうた』。青い空と青い海にうかぶ、小さな白い鳥のうた。」・・・私はその歌を知っていた。同じく中2のときに図書室の詩集の中で見つけた。現在は中学生の教科書に載るときもあるが、当時は無かった。【白鳥は 悲しからずや 空のあお 海のあおにも 染まずただよう】 若山牧水だ。当時文学なんかにさほど興味もない野球バカだった私にも、一瞬にしてその風景が頭に浮かんだ。そしてしばらく考えた。白鳥はかなしくなかったのかと。間もなく結論が出た。白鳥は悲しさなんて微塵も感じていないと。なぜなら白いことが白鳥のアイデンティティであり誇りであると思ったからだ。真っ青の広大な風景の中に小さい存在ではあるが白い自分がひとりだけいる。それは己が[白鳥]であることのこの上無い証なのだ。もし自分だけが白いことを悲しく思うならば、それは自分の存在を自分で否定してしまうこととほぼ同意だと思った。
2018.08.29
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それから13年ほどの月日が流れた。あの高3の夏からSとは会っていなかった。そしてSと連絡を取る手段も失っていた。その頃は仕事を辞めて毎日飲んだくれていた時期であった。そのときにふと入った本屋で一冊のマンガを買った。大学生時代に友人に勧められてドハマりしてしまったマンガの作者の新作だった。その作者の作品は、一見ただのハチャメチャストーリーのように見せてその根底に悲しいまでの人間の気持ちを沈ませる秀逸なものだった。その新作も私の期待を裏切らなかった。主人公は中学2年の女の子。彼女は小学校3年生頃までは普通の温かい家庭に育ち、たのしい学校生活を送っていた。しかしある事件に巻き込まれ、被害者であるにも関わらず世間の好奇の目に晒され両親とも別居する生活を続けていた。物語の冒頭で彼女はこの世を去る決意をする。しかしその瞬間彼女は思う。「死ぬときに持っていけるのは『こころひとつ分の思い出だけ』だ・・・。」「今自分の心にある思い出は悲しいものだけだ。」そして自分の命の期限をあと1年延ばすことを決める。つまり、せめていい思い出を持って死ぬことを決めるのだった。この作家の秀逸さは、このストーリーの流れを独自の比喩を駆使して、ちゃんと読まない読者にはただのあまり面白くないギャグマンガに思わせてしまう作風だった。
2018.08.28
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高校を卒業した私は電車で2駅・バイクで30分かからない場所で、Sは祭りのあった公園の近くにある場所で働きだした。右も左も分からない世界でのバタバタが落ち着いて秋の足音が聞こえはじめた頃、私はある取引先の会社でSの小学校時代の同級生と出会った。彼の話によると、Sは小学校時代いじめに遭っていた時期があったそうだ。そのときSはひどい事をされても言われても、その相手に向かって「なんでそんなことするんや。」「なんでそんなこと言うんや。」と言いながら泣いていたらしい。子供の無邪気さはときとして残酷性と同居する。まわりの人間はそれを楽しむためにSをいじめた。Sは毎日毎日「なんでそんなことをするんや。」「なんでそんなこと言うんや。」と言って泣き続けた。彼は当時を思い出してこう言った。「今から考えたら、あれはいじめられた悔しさやのうて、ひどいことをしたり言うたりする相手の行為が悲しかったんとちゃうやろか。」私もそう思った。そして私もSにそう言われた。私もSにそう言わしてしまった。あの高校最後のSの町の夏祭りのあの夜だ。あの夜Sは私に「なんでそんなこと言うんや。」と2回言った。私は2回言わせてしまった。あれはSが私の言葉を、いや私自身を悲しく思っての言葉だったのだろう。このときはじめて私はそれに気づいた。
2018.08.27
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高校3年生の夏、やはり我々は2人で焼きそばとかき氷を食べた。そしてやはりSの話は過去2年と代わり映えの無いものだった。私はたまりかねて「Sよ、そろそろ現実を見なアカンのちゃうか?」と言った。その言葉が意外だったのかSは不思議そうな表情で私の顔を覗き込んだ。「なんで毎回フラれると思う?でもうまいこといくヤツは絶対うまいこといくやろ?なんでやと思う?」と続ける私をSはやはり同じ表情で見ていた。その目線を受けながら私はさらに、「お前やからアカンねん。それは俺も同じや。俺らみたいなんを受け入れる女子はおらんぞ。そろそろ現実を見なアカンで。もっと他のことに力を入れるべきちゃうか?」と続けた。私がそう言い終えたあと10秒くらい間を置いたと思ったら、Sは私の手を取って「なんでそんなん言うねん。そんなん言うなよ。なんでそんなん言うねん。」と悲しそうに言った。それを見た私はこれ以上この話題を続けるのは得策でないと思い話を変えた。やがて私が帰る時間になり「ほなまたな。」と言うと、Sは「二十歳になったらお互い彼女連れて焼きそばとかき氷を食おう!」と言って握手をしてきた。毎年「来年」「来年」と言っていたSが「二十歳」と言ったので、ちょっと私は安心した。スパンが2年に伸びたということは、多少は私の言ったことを理解してくれたのだと思ったからだ。
2018.08.26
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高校1年の夏にひょんなことから訪れた、少し離れた町の夏祭りでSと出会った。彼は同い年だった。せっかく遠いところから来てくれたのだからと、焼きそばとかき氷を御馳走してくれた。それを祭りの会場が見渡せる少し小高くなった場所にある芝生の上に座って食べながらいろいろ話をした。別れ際にSは「来年はお互いに彼女連れて来ようや!」と言った。そう言えばSの話は全部が女の子のことだった。今までどんな女の子を好きになって・・・そしてフラれたかの話だった。「そうやったらええな。」とは返事はしたものの、私は内心「そんなことは無理。」と思った。なぜなら我々はどう見ても女性うけしない。翌年の夏休み前にSから電話があった。「また祭りに来るやろ?」と受話器の向こうで懐かしい声がしていた。そしてやはり高校生になって2回目の夏も2人で芝生に座って焼きそばとかき氷を食べながら話をした。私の話は学校での出来事、部活や地域の音楽隊での活動、バイト、そして1年生の終わりの春にやっと買ったバイクのことだった。一方、Sの話は・・・変わらず好きになった女性と・・・フラれた経緯だった。去年の話と総合すると、Sは2カ月半から3カ月の間に1回の割合で失恋していることになるなぁ・・・そんなことを考えながら私は祭りの風景を眺めつつ、焼きそばとかき氷を交互に口に運んだ。そしてこの年もSは別れ際に「来年こそお互い彼女連れて来ようや!」と言い、私はまた「そうやったらええな。」と返した。
2018.08.25
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しばらくエッセイとして文章を連ねてきましたが、どうでしょうか?特に学生諸君はもうお分かりですか?エッセイと言いつつ、部分的にはただの物語文だったりしたと思います。模試等の初見の文章で戦う現国の試験問題なんかで、わざわざ出典のところにご丁寧に(エッセイ○○)なんて記述しておいて、内容が物語や小説要素のみの部分を出してくる!…なんて問題もありますからね。そんなときは文章が物語文だと判断して読み進めなければならないですよ。随筆のときにも申しましたが、[物語・小説][論説・説明文]は問題ないのですが、[随筆][エッセイ]になると、その文の要素を多分に含んだ部分を抜き出して問題にすることもあれば、そうでない部分を抽出する場合もあるので、やはり自分で判断をしなければならないのです。では、もう少し[エッセイ]を続けさせてもらいます。これからは余分な部分にできるだけ触れずに、あるいは触れても最小限で文章を進めていきます。[エッセイ]に含まれる論説文的要素を読み取ってくださいね!ではでは!
2018.08.24
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だから我々は日々の生活で目にするもの耳にするものに関して自分なりにそのネーミングは真実なのか虚偽なのかを判断しなければならない。それができないから詐欺にあったり詐欺の片棒を担いだり、注意さえしていれば防げた犯罪に巻き込まれたり、犯罪の片棒を担いだり、ネット上に溢れるフェイク情報に踊らされたりするのだ。なので我々は日々括目してこれらのシステムに留意しなければならない。しかし、、、このシステムがまさかメダカのエサの世界にまで浸透しているとは、、、まさに世も末である。
2018.08.23
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国の名前で言うのなら、その正式名称に「民主主義」「人民」「共和国」なんてのがある国はそれらのどの要素も皆無の国々だ。まあこれもどことは言わないが、ナンチャラ民主主義人民共和国というのがある。「共和国」ひとつだけあってもかなりヤバい国が多いのに、3つの言葉を全部並べているのだ。そのどれもが一党または一族独裁で、自分たちの利益追求だけに心血を注ぎ、国民が何十万人餓死したってヘッチャラの国だ!なんならそれらの国はもしかしたら、「どこが民主主義やねん!」「どこが人民のための国やねん!」「どこが共和国やねん!」ってツッコんでもらいてくて、大ボケをかましているのではないかとすら思ってしまう。「民主主義であれかし」「人民のための国であれかし」「共和国であれかし」なのだ。その「あれかし」を隠蔽することで、世界を騙そうとする連中が支配している国なのだ。これらのように、この世界にはこのシステムがさまざまなところに暗躍している!
2018.08.22
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国の名称に至っては、笑ってしまうくらいこのシステムが駆使されてきた。かつてドイツはドイツ帝国と名乗っていた。帝国といってしまっているからには、自国の発展・利益のためには軍事力を背景に他国・他民族を排斥することも辞さないのである。しかし第一次世界大戦では、帝国を名乗らないで帝国行為をしてバンバン植民地を持っていた国々にボコボコに叩き潰された。ご存じの通り、日本もかつて大日本帝国を名乗っていた。世界恐慌の煽りを受けて、なおかつ経済的に世界からはじき出された。だから帝国を名乗らないくせにアジアに植民地をいやというほど持っていた国々から植民地を解放して大東亜共栄圏を作ろうとした。植民地を作ろうとしたのではなく、それらの国々を植民地支配から救おうとしたのだ。なのにどうだ。その日本は核兵器を2度も投下されて、ボロボロになって負けた。で、極東軍事裁判(東京裁判)で裁かれる。人道と平和に対する罪と言われて、戦争犯罪人にされた日本人が処刑される。これは東京だけではなく戦地となった様々な国で同様のことが実施された。帝国を名乗らずに、植民地支配を続けていた国々には何のお咎めもなしだ!その最たる例が、かつてD英帝国と名乗っていたとある国が第一次世界大戦の状況を見て「こらアカン」とでも思ったのかイギリS連邦と名を変えた。しかし植民地支配はやめない。『連邦国であれかし』なのだ。そんなことばかりしてきたくせに、最近では何かといえばナンチャラ皇子がどうのこうのだとか、ナンチャラ妃がどうのこうのだとかいって浮かれているのだ!ケッタクソ悪いの極致である。まあ敢えてどこの国とは言わないが・・・。
2018.08.21
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世界が結構うんざりしている国連も同じシステムを使っている。みんなはそれを感じているからこそうんざりしている。たとえばその主要なポジションを占める『安全保障理事会』だ。あれは『安全を保障する理事会であれかし』である。その存在理由は、「国際の平和と安全の維持につき主要な責任を有する」と国連憲章第24条1項に明記されている。ではその常任理事国である国々は何をしているか!世界にガンガン武器を輸出している。ホンマに戦争や紛争を無くしたいなら、そこから対処せなアカンのちゃいまんのん?まあそれを言い出せば、政治の世界なんて一番このシステムを駆使しているのは周知のことだ。選挙期間中に立候補者がご大層熱弁している内容に、我々は『あれかし』が省略されていることを経験からしっている。選挙さえ終われば、あとはどこで何をしているか分からない。議会、議会と、やはりご大層にご大層な場所で話し合いをしているように装って、その内容は作文を読んでいるだけ。だから結局世の中は何も変わらない。それを知っているから、投票率が50%を下回る。
2018.08.20
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身近なところにもこのシステムは多用されている。「これはネズミ講ではありません。」と言っている商売なんかもう200%ネズミ講である。つまり『ネズミ講でなかれかし』の「なかれかし」が省略されているのだ。『あれかし』を否定形にアレンジしているパターンだ。中には「ネズミ講ではありません!ネットワーク・ビジネスです。」なんて得意顔で言う場合もあるが、それも結局は同じであったりする。もっと身近なところでは、聞いてもしないのにいちいち「忙しいアピール」をする人!これは『忙しい自分であれかし』なのだ。まあこれに至っては、なんでそれをアピールしたいのかが理解できない世界である。それをアピールしなければならない時点でもう忙しい人ではないのだが・・・それにそんな人に限って、LINEのゲームで最高得点を出しました!なんて通知がスマホに入ったりするので、もう笑うしかない。あと・・・カツラを被っている人や黒い粉を頭にふりかけている人なんかは、『「あれかし」省略システム』の最たるものである。私に言わせれば、女性の化粧も間違いなくそうだ!しかしながら、あれは完全に逆効果。たとえば目のまわりを黒く書いている人なんかをいれば、「すっぴんになったら肛門のような目をしているんやろな!」と思うことにしている男性の多さを知ればひっくり返って驚くことだろう。『目がパッチリした私であれかし』なのだ。
2018.08.19
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私は当時それを『[かし]省略システム』と名付けた。数年後にはもう少し正確に『[(で)あれかし]省略システム』と改めて現在に至っている。「◯◯だったらいいのになぁ~」と思う願望の「だったらいいのになぁ~」の部分を省略して言葉や文字にすることで、あたかも「◯◯」であるかのように思わせる手段だ!それに気づけば、世の中には意外とこのシステムを使っていることが多い事実にも気付く。たとえば義務教育だ。日本では中学校までの教育を受けるのが未成年者の義務でその保護者の義務なのだ。でも完全にそうなのかというと完全に違う。理由は様々あることは分かって言わせてもらえば、小学校6年間と中学校3年間で1日も学校にいかなくても卒業できるのだ。また、ちゃんと通学した生徒であっても、成績に大きな差があっても卒業できるではないか。そうなればもう義務なんていえない状態だ。だから【義務であれかし教育】なのだ。でもそう言ってしまっては、学校・教育委員会・文科省の立場がないので「あれかし」を省略しているのだ。
2018.08.18
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私は放課後が楽しみだった。ヤツの言う事が常に正しいという論拠は崩れている。それをぶつけてやるのが楽しみだった。おそらくヤツはそれをも認めずわめき出すとは思ったが、どうなろうともその後はヤツの言うことは絶対聞かないで卒業まで過ごしてやろうと思っていた。そして放課後、ヤツは我々に「今回の話はもういい。」とだけ言って去っていった。みんなは喜んだが、私は「なんじゃそりゃ」とがっかりした。その後Nは我々に無理を言わなくなった。我々はその後その理由を徐々に知った。ヤツに「総体に出られないようにしてやる」と言われたクラスメイトの何人かが、自分の部活の顧問に相談をして、それを知った各顧問がNに抗議をしたらしいのだ。それでも自分が正しいと思うのなら「全員を総体に出さない」と貫き通すべきだった。それができれば「それでこそN」と見直しもしただろう。結局ヤツは同じ土俵に立つ大人や教員の中では全く戦えない人間であり、年下や立場が下の人間にしか強く出られない人間であることが完全に露呈したのだ。Tと共に腹を蹴られた日からほぼ2年もNを無視してきた自分が情けなくさえ思えてきた。そしてこのとき気づいた。世の中に密かに存在しているあのシステムに!
2018.08.17
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翌朝下駄箱で靴を履き替えていると、K先生が担任をするクラスの男子が私を呼び止めた。「これ!Kがお前に渡してくれって。」茶封筒だった。その男子に礼を言って早速封筒の中の紙を取り出してみる。折りたたまれたレポート用紙を開いてみると、こう書かれていた。『健全な精神は、健全な肉体に宿る』古代ローマの弁護士であり風刺詩人の【ユウェナリス】の言葉。原文の正確な和訳には諸説あるが、正しくは『健全な精神は、健全な肉体に宿れかし』『かし』は念を押す意味のある助動詞。「~だよね」と訳すのが定番。つまり正しい意味は『健全な精神は、健全な肉体に宿るんだよね。』となる。風刺詩人と呼ばれた人物の言葉であることから推測すると、[反語]的意味が強いと考えるのが妥当。その辺りを考慮すれば、より正しい意味は『健全な精神は、健全な肉体に宿ればいいなぁ(宿ってないじゃないか!)。』と考えるべき。以上「よっしゃ!」と思った。しかしその反面「風刺」「反語」などの知らない言葉も多かったので、その日の昼休みに図書室に行って調べた。そしてより強く確信することができた。やはりあのNの言っていることは何から何まで的外れで間違っているのだ!少し浮足立って教室に戻ると男子が黒板前に集まって何やら困った顔をしていた。聞くとNが放課後にこのクラスの運動部員男子全員を呼び出したとのことだった。
2018.08.16
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わめくだけわめき散らしたNは最後にもう一度「ホンマにお前ら全員総体に出られなくしたやるからな!」と言ってその場を立ち去った。残された我々はサッカーを続ける気持ちも無くなって、教室に戻った。歩きながらの話題は「ホンマに総体に出られなくされたらどうしよう。」だった。私を含めた約半数は「あいつにそんな権限があるはずない」と一蹴したのだが、残りの半分はかなり心配をしていた様子だった。その日の放課後、部活に行こうと廊下を歩いていたら私のクラスの国語担当教師Kと出会った。どんなことにもいつも短めの理路整然とした言葉で我々に対応する彼女に、私は心の中で少し尊敬の念を抱いていた。目が合ったので軽く会釈をすると、彼女はポンと軽く私の肩を叩きながら「部活か?大事な時期だから怪我しないように頑張りや!」と声をかけた。その瞬間私はハッとして、思わず「先生、質問があるんですがいいですか?」との言葉が口から出た。「もちろん!」とK先生。私は『健全な肉体に健全な精神は宿る』という言葉は、誰が言った言葉で、どんな意味なのかを質問した。それを聞いたK先生は「そんな質問をするということは、お前は『読んで字の如し』とは思わないってことか?」と言って私の顔を覗き込んだ。そして「よし!一度ちゃんと調べとくからちょっと時間をもらえるかな。」と先生が言ったので、私は「よろしくお願いします。」と一礼した。すると彼女は手にした出席簿で軽く私の頭を一回叩きながら「お前が敬語で話してくるから、何か企みがあるとは思ったわ。」と言いながら笑顔を見せた。
2018.08.15
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Nは真っすぐIのもとに走っていって首投げでIを投げた。Iは地面に叩きつけられる。するとすぐにNが手を引っ張ってIを立たせて今度は払い腰で投げる。それを延々と続けるのでさすがに生徒が止めに入る。「N先生やめてください。」と言いながら。Nは大声で「お前らそこに並べ!」といって生徒全員を整列させて説教を始めた。私だけはそれを無視して地面にへたり込んでいるIを立たせて体操服についた砂を払いながら、怪我がないかチェックした。とりあえず首にも異常がなく、あったのは手足のすり傷程度だった。その間にNが怒鳴っていた内容は私の耳にも入っていた。ときかくヤツは、「スポーツにはルールがある」「それを守れない奴はクズだ」「スポーツを遊びと思っている奴もクズだ」「この中で運動部にいる奴は総体に出られなくしてやる」とわめいていた。そのあまりに飛躍した話にクラスメイト達もさすがに反論をした。しかしNは自分の正当性を訴える。長々とわめいていたが、その結論はこうだ。「この中で一番身体が鍛え上げられているのは自分だ。だから自分の考えはこの中で常に正しい。『健全な肉体に健全な精神は宿る』という言葉も知らないのか!」私は一点だけ納得した。私のクラスの男子にはテニス部員がいない。だから我がクラスの運動部員が総体に出なくても、あいつの腹は痛まないからそんなアホなことが言えるという点だけである。
2018.08.14
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Tと私はテニス部2年生たちに介抱されて、部活動終了時間にはなんとか立って歩けるようになった。そして翌日からNは野球部員に何も文句を言わなくなった。まずいことをしたという罪悪感が奴にもあったのか、あるいはこの暴力沙汰が明るみに出ると自分の教師としての立場が危うくなるからもう無かったことにしたかったのか…どちらかは私には分からなかったが、おそらくかなり高い確率で後者だとは思う。それから私はNを無視し続けた。そして3年になって、幸か不幸か体育の担当がNとなった。私は普通に授業には参加したが、いつもNをバカにしきった目線で睨みつけていた。そんなことを他の生徒がしようものなら「教師に対して…」とか言いながらキレるのが常の人間だったか、私には何も言わなかった。「まあ、この程度の男か!」と私も心底相手にしなくなった1学期の終わり頃、また事件が起こった。Nの体育の授業は、ちゃんと授業らしい形態を維持するのは3回に1回くらいで、あとは「おい。ソフトボールやっとけ。」とか言って生徒をただ遊ばせる内容だった。もちろんその方が生徒は喜ぶのだが、教師の一番重要な業務である授業を疎かにしていることだけは我々にも理解できていた。その日は「おい、サッカーしとけ」と言われて、我々男子は嬉々としてサッカーに興じた。しばらくプレーしていると、いつも真面目ではあるがどこかひょうきんな面もあるIがボールを蹴る瞬間に足を滑らせてしまい、とんでもない方向にボールを飛ばしてしまった。そのボールはラインを割って、相手側のスローイングを許した。味方も敵もIに「おいおいどこ蹴ってんねん!」と冗談で笑いながらツッコミをいれた。するとIはひょうきんな表情をしながらゴメンゴメンと謝って、みんなの笑いを誘った。そして3分もしないうちに全く同じことが起こった。我々のツッコミにIが大げさにゴメンゴメンといいながら走り回って笑いを取るというパターンが完成してしまい、その後何回もみんなでその定番のパターンを楽しんだ。我々はただ遊びとしてそれを繰り返した。そう!これは授業でもなんでもない『遊び』のサッカーなのだ。だからみんなで笑いながらそのテッパンのパターンを楽しんだ。しかし、いなかったはずのNがいつの間にか運動場に姿を現してその光景を目撃してしまった。
2018.08.13
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その光景を真横からみた私は驚いた。その蹴りの深さは威嚇程度のものでは決してなく、完全にTの腹部を撃ち抜きにきていた。もっと正確に表現すると、殺意をもって腹部を蹴り抜きにきていたのだ。蹴られた瞬間Tは口からその後にも先にも聞いたことのない、強引に文字にすると「ぐぇぁお」という声ではなく音を出して背中から地面に叩きつけられた。それを見てハッとNに目線を戻すとヤツは私に向かってまた右足の太ももを自分の胸部まで持ち上げていた。次の瞬間ヤツの足が私の腹部めがけて飛んできた。まともに喰らってはいけないと思い、瞬間腰を回して腹部の左側を後方に向けた。少しでも蹴りの衝撃を逃がそうと思った。その行為はある意味成功した。ヤツの足(正確には踵)は私の腹部の左側にヒットしたが、ほんの少し衝撃を逃がすことができた。しかし逃がした衝撃で私の身体は右肩をから背中をNに向ける方向に回転した。もちろん体勢も崩されたので、右肩から地面に落ちるかと思いきや、倒れながら体は一回転して背中から落ちた。蹴られてから地面に叩きつけられるまでは1秒も無かったと思う。蹴られた瞬間、これもまた後にも先にも経験したことのない強烈な吐き気が全身を襲うと同時に口の中に信じられないほどの大量の唾液が発生した。なので私は口から大量の唾液を垂れ流しながら腹部を両手で押さえつつ地面をのたうち回ったが、それでも私はNを睨みつけるとこだけは忘れなかった。後から聞くとTもそれは同じだったようだ。そんな我々に対してNは「教師に逆らって口答えするからそうなるんじゃ!」と我々の方向にペッと唾を吐きかけて奥のテニスコートに戻っていった。
2018.08.12
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「お前ら!昨日あれだけ言ってのに、またコートに入ってスパイクで穴あけやがって!」とNは怒り心頭に発した口調と表情で我々に迫ってきた。先輩に媚を売らない1年生の中では兄貴分的存在だったTが間髪入れすに「僕たちはテニスコートに入っていませんしスパイクも履いていません。」と言った。その言葉が終わらないうちにNのビンタがTの左頬を捉えていた。Tは一歩後ずさりをしたが、すぐに元の位置に戻ってまた直立体勢になった。Tが体勢を立て直す間にNのビンタが私にも入った。私も一歩後退を余儀なくされたが、元の位置に戻りながら「僕たちはコートに入っていないしスパイクも履いてません。」と言った。それを聞いたNは即座に二発目のビンタを私に入れる。一歩後退するが、すぐに元に戻る。その間にTが「僕たちはコートに入っていないしスパイクも履いていません。」と言う。もちろん次はTにビンタが入る。Tが態勢を立て直す間に次は私が同じ言葉を発する。また私にビンタが入る。それが5回か6回続いたときTが言葉を変えた。「じゃあ先生!コートにスパイクの跡がついているんですか?」Tには珍しい、荒げた口調だった。それを聞いたNは「教師に向かって口答えするか!!!」と言いながら、右足で繰り出した前蹴りをTの腹部に喰らわせた。
2018.08.12
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「お前ら!昨日あれだけ言ったのに、またコートに入ってスパイクで穴あけやがって!」とNは怒り心頭に発した口調と表情で我々に迫ってきた。先輩に媚を売らない1年生の中では兄貴分的存在だったTが間髪入れすに「僕たちはテニスコートに入っていませんしスパイクも履いていません。」と言った。その言葉が終わらないうちにNのビンタがTの左頬を捉えていた。Tは一歩後ずさりをしたが、すぐに元の位置に戻ってまた直立体勢になった。Tが体勢を立て直す間にNのビンタが私にも入った。私も一歩後退を余儀なくされたが、元の位置に戻りながら「僕たちはコートに入っていないしスパイクも履いてません。」と言った。それを聞いたNは即座に二発目のビンタを私に入れる。一歩後退するが、すぐに元に戻る。その間にTが「僕たちはコートに入っていないしスパイクも履いていません。」と言う。もちろん次はTにビンタが入る。Tが態勢を立て直す間に次は私が同じ言葉を発する。また私にビンタが入る。それが5回か6回続いたときTが言葉を変えた。「じゃあ先生!コートにスパイクの跡がついているんですか?」Tには珍しい、荒げた口調だった。それを聞いたNは「教師に向かって口答えするか!!!」と言いながら、右足で繰り出した前蹴りをTの腹部に喰らわせた。
2018.08.11
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私が1年生の時にこんなことがあった。テニスコートに野球部員が入ってスパイクの跡をつけたとNが当時の3年生を呼び出して叱りつけた翌日、私と同じ1年の野球部員Tが2年の先輩連中に呼ばれた。3年生からの指示で、テニスコートに入った打球だけを追いかけるためにスパイクではなく運動靴で練習をしている1年を常時センターのポジション後方に待機させておくことになり、我々にその白羽の矢が立ったのだ。おそらく3年生は2年に運動靴で常時待機を命じたのだが、2年は1年に丸投げし、さらにいつも2年に媚を売らない嫌われ者後輩の我々が選出されたことは見え見えだった。強打者揃いの強豪校だった我が野球部のバッティング練習では、センターオーバーの打球は頻繁に飛ぶ。それをたった2人で追いかけるのだ。その苦労を見ていた男子テニス部員はほとんどが協力的に我々2人に接してくれて、Nが我々の存在に気付かないように振る舞ってくれていたのたが、当時の3年女子テニス部員の一部は異常なまでに野球部を毛嫌いしていた。その3年女子が「また野球部が、しかも今度は1年がテニスコートに侵入しては走り回っている」とNに報告をした。他の部活動とは完全に隔離され、さらにフェンスと木でで囲まれた奥まった場所にあるメインのテニスコートからNが出てきて、私とTを声を荒げて呼びつけた。私とTはダッシュでNの前に行って脱帽して直立した。
2018.08.10
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あのシステムに完全に気付いたのは中3のときだった。Nというテニス部顧問の体育教師のおかげだった。1年2年のときの私の体育担当は別の教師で、陸上部顧問の明るく生徒思いのいい男だった。私は部を超えて彼に合理的な走り方や遠投の仕方について指導を受けたこともあった。しかし同じ体育教師でテニス部顧問のNはいけすかない男だった。我々野球部のセンターポジションとテニス部のコートの一部は重なっていた。センターの定位置より20歩以上バックしなければ捕球できない打球を追いかけるときは、そのテニスコートの中に入らなければならなかった。他にもテニス部顧問はいたのだが、彼らは我々にも友好的で、「打球を追う時はテニス部員と衝突しないなうに気を付けてくれ。」「テニス部員に打球が当たりそうなときは大声で知らせてくれ。」と言って、共存の道を示してくれた。しかし、Nは違った。野球のボールがテニスコートに入ることを、、、いや厳密に言うと我々野球部員を異常なほどに嫌った。そして時には我々を捕まえて説教をするのだが、それが全く筋が通っていない!ただ先生だから、ただ年上だから、ただ体格と体力差からいさ喧嘩となったときはヤツが有利だから、、、といった背景をかさに着て、屁理屈をねじ込んでくるのだ。
2018.08.09
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まさかこんなことになるとは思っていなかったので、私はこのとき既に『浮上タイプ』のエサを二袋も購入してしまっていた。もしかして私のやり方が間違っていたのかと思い、その袋の表面に書かれている説明書きに目を通した。水に浮かせる方法があるのか・・・と読み進めていると『一日一回食べきれる量を与えましょう』しか書いていない。ではなんで『浮上タイプ』のエサがあんなに速攻で沈んでしまうのだろう!そんな疑問を持って数日たったある日のこと、、、他の買い物があったのである店に行った。その店のペット用品コーナーで私はメダカのエサをいつも買っていた。それを思い出して、いつも買っていたエサの袋を見てみた。そして驚いた!なんと、いつも購入していたエサには『沈殿タイプ』と表記されていたのだ!!思わず店内であるにも関わらず「ええ~~~~っ」と声を出してしまった。だってこのエサはふわふわぷかぷかと気持ちいいくらい水面に浮いて漂っていたのだ。メダカたちはそれをパクパクと水面近くで食べていたのだ。そして気付いた!「また知らんうちにやられてしもてたんや、、、あのシステムに!!!」そう、私はまた気付かぬ間にあのシステムにやられていたのだ。
2018.08.08
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母が知人からメダカの稚魚をもらってきた。いつの間にかそのお世話係が私になって5年になる。先日うっかりエサを切らせてしまった。メダカは食べ過ぎで死ぬことはあっても食べないで死ぬことはない・・・と本に書いてあったが、生き物なので「そんなことかるかい!」と思っている私は最寄りの店に車を走らせた。閉店間際にギリギリでなんとか購入でした。ただ、いつもの店では無かったので、今までのと違うエサを購入した。そのパケージには『水に浮きやすい浮上タイプ』『水を汚しにくい』とあった。今まで使用していたエサはよく水に浮いていてくれていたので、同じタイプだから安心して購入した。翌日、いつもの時間に水槽の前に立った。メダカも私の姿を見て水面に集まってくる。。それを確認して、いつものように適量のエサを指でつまんでさらさらっと水面にまいた。すると、、、びっくりするほどのスピードで、エサは水槽の底に沈んでいった!その速度に私もメダカたちも驚いてしまった。
2018.08.07
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大学受験からは約31年、カナダ生活からは約25年、かなりの歳月が過ぎていった。今でも私はふと彼らの姿が脳裏をよぎる。妹たちへのお土産の入った袋を高らかに持ち上げた彼の笑顔。岸辺につながる狭い桟橋で高らかに空に突き上げた両手を振りながら見せた彼女の笑顔。彼らは今どこでどうしているのだろうか。もう二度と会うことはないだろうが、ほんの1日にも満たない時間しか共に過ごさなかったが、彼らは確実に私の人生の一部である。今頃はその空の下で何をして、何を思っているのだろう。今となってはそれそら知る術もない。でも私は願わずにはいられない。彼らの人生に幸多からんことを・・・・。
2018.08.06
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私の言葉にさらに不安そうな表情をしていたのだろう。私の前方にいたホストファミリーのお母さんが、彼女の顔を見てこちらにやってきた。そして彼女の横に立ち、肩を抱いて優しい言葉をかけた。彼女もそれに返事をした。私はあい変わらず前方だけを見て二人の姿は見なかった。でももう心が通ったから問題はないと確信した。心さえ通っていれば、言葉なんて関係ない。言葉なんて所詮ツールの1つにすぎないのだ。なぜなら心が通っていない人同士ならば、たとえ共通の言語を理解していても、その間に交わされる言葉には何ら意味を持っていないのだ。船が港について、カスタマーたちがかけられた狭い桟橋を歩いて岸に上がる。我々は停泊準備をしていた。すると桟橋から大きな声がした。Thank you for everything!最初に私に話をしてくれた女性だった。Thank you ~~~!お母さんだった。そして最後に、ホンマにありがと~~~う!この日一番の笑顔で、両手を高らかに空に突き上げて手をふるエリだった。我々も作業の手を止めて大きく手を振った。
2018.08.05
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セイリングではクルーの指示の下でお客さんに舵輪を任せたり、帆の上げ下げを手伝ってもらったりするもの我々の仕事のひとつだった。我々はそれを最大限に利用して、エリとホストファミリーたちの距離をグッと近づけた。ディセイルの日程を終えてあと30分ほどで帰港となったとき、エリは舵輪を担当していた私のそばにきた。そしてこの日一日の全てのことに感謝の言葉を述べてくれた。私も彼女にこれだけみんなとコミュニケーションを取れたらもう残りのホームステイ期間は問題ないだろうと伝えた。その言葉に彼女は微笑みを見せて大きく頷いて、そのまま目線を沈みゆく夕日に向けた。私はしばらく風に髪を揺らめかせながら夕日に染まる彼女の横顔に見入ってしまった。その横顔に不安な表情を見出してしまったからだ。1分ほど経ったころだっただろうか、、、彼女はやはり今日はこんなにみんなと楽しく過ごすことができたが、この船を降りた後はやっぱり不安だと言った。ここは優しく励ますところなのは十重理解していた。今のように携帯電話やEメールでもあれば連絡を取り合って困りごとをフォローすることもできたのだろうが、当時そんなものはまだそれほど普及はしていなかった。この船を降りた後は彼女がひとりでやっていかなければならない。だから私はその思いをそのまま伝えた。彼女の方を見ないで、船の進行方向を見たまま言葉短かに伝えた。
2018.08.04
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彼女の名前はエリ、神戸で短大に通っているが短い学生生活の間にホームスティをしておきたかったのでカナダにやってきた。彼女は短大で英語を専攻していたわけではなかったが、中高と6年も勉強をしてきて多少は自信があった。しかし、いざカナダにやってきたら、聞き取れない話せないで自信を喪失した。それでも優しく接してくれるホストファミリーの皆さんに申し訳ないと思い続けてこの10日ほどの時間を過ごしてきた。彼女はそんな経緯を我々日本人クルーに話をしてくれた。ホストファミリーのみなさんは笑顔で饒舌に話をする彼女の姿を見て驚いたような嬉しいような何とも言えない表情をして見守っていた。それでも我々の会話に耳を傾けていた最初に私に話を聞かせてくれた女性は「『です』しか分からない」と言って笑っていた。なんと彼女はエリとコミュニケーションをとりたくて、この数日間で本を購入して密かに日本語の勉強をしていたのだ。我々日本人クルーはできる限りエリとホストファミリーの間に入ってクルージングを楽しく盛り上げた。
2018.08.03
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彼女の家にはホームスティで日本人女性が来ているが、初日から元気がない状態が10日ほども続いて心配している。このヨットのクルージングには日本人クルーがいると聞いてきた。できれば彼女とたくさん話をしてあげてほしい。そうすれば少しでも元気が出るかも知れないと思う。これが彼女のお願いだった。私が任せておくように!と言うと、彼女は目に涙を浮かべながら喜んだ。船に戻ると他の日本人クルーが「ラリーは何って?」と聞いてきたので、この次第を説明した。もちろん全員まかせなさい状態で鼻息を荒げた。それから30分もしないうちに、この日のカスタマーたちがやってきた。先頭は先ほどの女性だった。その後は彼女の父親と弟、そして最後に母親と日本人女性が岸辺から船にかけられている細いタラップを歩いて船に乗り込んだ。出港前の前説と諸注意伝達は基本的に私の担当だった。適度に笑いもとりながら一通りの説明を終えた後、同じ内容を日本語で話した。すると日本人女性ははじめて笑顔を見せた。彼女の名前はエミ、神戸から単身ホームスティにやってきた。私の日本語が関西弁だったので、「久しぶりに関西弁を聞きました。」と喜んでくれた。
2018.08.02
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大学を出た3年後の夏、私はカナダにいた。毎日現地で知り合った日本人と4人でに客を乗せてセイリングするケッチタイプのクルーザーヨットを操船するアルバイトをしていた。ある日いつものように出港準備をしていたとき、キャプテン(船長)のラリー・ペックに呼ばれた。ラリーはお世辞にも仕事熱心とは言えず、我々に一度仕事を教えると、その後は完全にその作業を我々アルバイトに任せて本人はほとんどの時間をキャビン(船室)で過ごすのが常だった。その代わりに我々がどんな失敗をしても、笑ってOK!OK!と言うおおらかな人物でもあった。彼が船上で出港準備をしている私を岸から満面の笑顔で手招きをしながら呼ぶことははじめてだったので、「何かな?」と思った。彼はそこから1分ほど歩いたところにある駐車場に私を連れて行って1人の女性を紹介した。彼女はこの日のお客さんの1人だった。彼女は私にお願いがあると言った。私はできることであれば・・・と返答した。
2018.08.01
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