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食べるもの、着るもの、その他すべてにおいてガツガツと高級なものばかりを貪るその姿を見た18歳の私は「餓鬼ってこれをいうんやな。」と思った。しかもそういった人は異性に不自由してないと前述したが、厳密には違う。ただ金で異性を縛っているだけであって、そこには愛情の欠片もない。なのに「他の連中はそうでも俺だけは、あいつ(お相手の異性)だけは絶対に違う。」とほぼ全員が思い込んでいる世界は滑稽でさえあった。人生の総決算は死ぬときに訪れる。侍たちはそれを知っていたから「武士道とは死ぬこととみつけたり」との言葉を残した。これはいつでも喜んで恐れずに死ぬという意味よりは、常にいつ死んでもいいような恥ずかしくない人生を送り続けるということだ。振り返るに、金持ちと呼ばれる人たちが全員幸せな人生の最後を迎えるのだろうか。そうでないパターンの方が圧倒的に多い。たとえ本人が満足な最後を迎えたとしても、その後で残された者たちが骨肉の争いをしてしまえばもうそれは不幸としか言いようがない。それでも自らを『勝ち組』と称しそれ以外の人を『負け組』と見下したいのなら、どうぞご自由に思う存分好きなだけやってくれればいい。そういう人達から見ると、どうやら私は『負け組』らしい。
2018.06.30
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しかし金持ちの既婚者が本当に『勝ち組』なのだろうか?もちろん何をもって『勝ち』と定義するかによって捉え方は様々だ。私は高校を卒業して一度社会に出た。日本はバブル経済真っただ中の頃だ。数多くの年上の社会人と出会ったが「将来はこの人のようになりたい。」と私に思わせてくれたのは50人に1人いるかいないかの割合だった。そのほとんどは「こうはなりとうない。」と私に心底思わせる大人たちばかりだった。バブル全盛期で会社も個人もお金持ち!でも日本人特有の謙虚さからか、あるいは将来はもっと金持ちになっていると思っているのか、そのほとんどが自分の生活は中流だと言い切って『一億総中流社会』なんて言われた時代だった。そんな中で私が「こうなりたくない」と心で軽蔑さえしていた人のステレオタイプがあった。ブランド物を自慢する。車はわけも分からず高級車または外国車思考。すぐゴルフ・ゴルフと言う。何かあったらすぐハワイ・ハワイと言う。何もなくってもすぐカラオケ・カラオケと言う。飲み屋の姉ちゃんの知り合いの数を自慢する。これらに加えて金色のネックレスなんかぶら下げられた日にゃもう100点満点完全無欠の「こうはなりたくない」人間の出来上がりだった。そのような人たちは勿論金銭と異性に苦労はしていなかったが、私の目には決して幸せそうには映っていなかった。
2018.06.29
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スポーツの試合で『ホーム』だの『アウェイ』だの言い出したのもサッカーが流行りだしてからだ。「次の試合は『アウェイ』なので不利です。」ってテレビなんかで言うてるけど、本気か?といつも思う。確かに応援してもらえるのは有難い。しかしそれで試合結果が大きく左右するか?するとすれば、それは間違いなく練習不足で努力不足が原因だ。それを応援があった無かったのせいにするって、、、どこまで甘いスポーツだ。そんなスポーツに、本当に日本中がひとつになっているのか?少なくとも私はその蚊帳の外にいる。サッカーサッカーと言っている人に言わせれば、どうやら私は今現在日本に存在していないようだ。・・・何やら世の中には『勝ち組』の人と『負け組』の人がいるらしい。様々な分類があるらしいがざっくりいうと、お金持ちで結婚している人は『勝ち組』で、金銭的に余裕がなく結婚をしていない人は『負け組』ということらしい。私は常にかなり金銭的に余裕がなく、結婚をしていないどころか彼女もいたことがない。どうやら私はかなりエリートの『負け組』らしい。
2018.06.28
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試合中の「演技」も鼻に付く。スローモーションビデオで見ると、全く接触していなくても、接触したかのように演技をして審判にファウルを取らせるというのが気に入らない。それどころか、いつぞやのワールド・カップで、誰かが試合中に有名選手の背骨に真空飛び膝蹴りを喰らわして出場不能にしたこともあったはずだ。背骨を!背後から!飛び膝蹴りで!しかもその選手はそのプレイの後、審判に「わざとじゃない」って顔して何かをアピールしていたのだ。あれは絶対にだれがどう見ても故意だ。あのアピールは一体何なのだ!そこにスポーツマン・シップは存在しない。だからか?サッカーの大会で選手宣誓があったシーンを私が見たことがないのは?正々堂々ではないからか?選手宣誓せずに何をしているのかと言えば、集合写真を撮影したり、子供と手をつないで出てきたりするのだ。どこまで自分が好きで、自己演出が好きなのだろうか?そうか・・・そうだからストップウォッチが止まっているとは言え、ゴールしたら試合中ににも関わらずあんなにお祭り騒ぎができるのか・・・。まあ、ゴールを決めた選手は千歩譲ってヨシとしても、その他の連通はどうだ。ゴールした選手の背後から飛び乗って抱き着いたり平気でするではないか。あれで飛び付かれた選手が怪我でもしたらどうすのか・・・なんて考える必要がないのだ。たとえチームメイトに怪我をさせても、自分が目立てばいいのだ!そうか・・・おかげでさらにサッカーが嫌いになってきたぞ。
2018.06.26
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ここ数日テレビを見るにつけ、ラジオを聞くにつけ、何を目にしても耳にしても、今日本は、「サッカーのワールドカップで一つになっている」らしく、「一つの(サッカー)ボールで一喜一憂している」らしく、「サッカーの日本代表を全力で応援している」らしい。ということは、どうやら私は今日本に存在しないということのようだ。私はなぜかサッカーが好きになれない。もちろん体育の時間なんかでプレイをしたことはあるし、何回か異なる人たちから私の上げるセンタリングに高い評価を受けたこともある。おなじくもちろんプレイ自体は楽しくて好きである。厳密に言えば一部の「サッカー、サッカー」と言う人と実際にプレイしている人が好きになれないのだ。テレビでよく聞くのが、サッカーの試合に関して「絶対に負けられない試合があるんです!」って言葉。ってことは負けてもいい試合もあるってことを公言しているのだ。私は野球をしていたが、負けて良い試合なんか無かった。練習試合だろうが公式戦だろうが関係なく、勝つためにベストを尽くした。結果、負けてしまうことはあるが、負けて良い試合なんて無かった。そしてどんな試合の流れであっても負けた原因は自分たちにあり、それを目を背けずに対峙・克服すべく日々の練習をして次の試合に臨んだものだ。間違えても負けた試合を『◯◯の悲劇』なんて言って、その原因があたかも自らの実力不足や甘さではなく運命のせいにすることなんかは無かった。
2018.06.26
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しかしこれも実際は私だけにとどまらないと思う。よく耳を澄ませて他の人があなたに語り掛けてくる言葉に注意してみてください。そう、その話題に注意をしてみてください。もちろん時には自分の話をすることもある。ただ、そればかりする人にはいろんな意味で距離を置いた方がいい。話題にはその人の本心や本性が隠れている!だから話の最初から最後までをしっかり文章化して話題の主題を見極める。たとえ一人称主語の文章で始まっていいない話題でも、自分の心地よい話題や自慢話に持っていこうとする連中だっている。そんな連中は心の中で、「うまく自分の話に持ち込めた」なんて思っているが、こっちは「はいはい、あんたはすごい、あんたは大将。」とその術中にはまったふりをして、その人間から距離を置けばいいのだ。そして勿論ではあるが、同様に自分自身が周囲の人たちに投げかける話題にも配慮しなければならない。言葉には言霊が宿っているのだ。
2018.06.25
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私が、いや他の人達もそうとは思うが、聞かされたくない話の『話題』は必ず一方的にその人自身が話したい内容だ。聞かされる側のニーズなんてどうでもいいのだ。そんな人間の多さにうんざりしているのは私だけなんだろうか・・・なんて思うこともある。反対に私が聞かせてもらって有り難いと思う話の『話題』は、私が聞きたい内容なのだ!カナダのバス停の男性の話は、もしかすれば彼のツーリスト・ストリーで、観光客への定番の話題であり、それで日銭を稼いでいたとしても、それは私に聞けてよかったと思わせるものであったので何も問題もない。仮にそうなら、彼はそれでお金を稼ぐプロであり、プロだからこそ相手によってその心に響く話題を選択していたということになり、別れ際にこちらが脱帽するべきだったのかも知れない。・・・自分のしたい話だけ延々と聞かせる人間は、その話しを聞く人をただ自分のために利用しているにすぎない。その証拠にそんな人たちは日頃私に平気で何かをさせることはあっても、私が困っているときは完全に知らん顔を決め込んできた。だってそうでしょ!彼らにとって私は利用するだけの人間に過ぎないのだから。
2018.06.24
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とかく自分のことを話したい人の言葉を文章化すると、当然のことだがその主語のほとんどは一人称だ。三人称の無生物主語を用いることがあっても必ずその前には1人称の所有格人称代名詞がある。つまり「私は」「ぼくは」「俺は」「わしは」・・・あるいは「私の~は」「ぼくの~は」「俺の~は」「わしの~は」・・・で始まるのだ。あの朝の男姓もまさにそう!文章の主語が一人称以外だったのは最初の一文だけだった。「どこから来たん?」その主語は省略されているが「あなたは」「君は」「お前は」と二人称であった。「僕は」「僕の」のオンパレードだった。そうなる理由は簡単だ。自分の話を聞かせたいだけだから、文章のほとんどすべてそうなってしまうのだ。つまりは話題が問題なのだ!中学生の国語、高校生の現代国語・現代文の用語でいえば、文章全体の『主題』といってもいい!それに対してカナダのバス停でであった男性の言葉を文章化すると、その主語のほとんどが三人称でありしかも無生物主語だった。時折二人称主語の疑問文を織り交ぜて、私に何かを語り掛け、また私に何かを考えさせようとした。やはり彼の話の構成がそうなったのも、要因は『話題』であり『主題』なのだ。
2018.06.23
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私の知人には私に何らかの話を聞かせたい人が多い。その人達の目に私はよっぽどのバカでよっぽどの暇人に映っているのだろう。延々とたっぷりと時間をかけて自分の話を聞かせてくる。正直言って地獄の時間であり、人生で最も無駄な時間だ。私は今までこのような時間を何百、いや何千・何万時間も使わされてきた。そんな人たちの多くは「ゴマさんは聞き上手だから」と言う。ちゃうねん!これでも一応文系人間やから、あんたらの言ってることを頭の中で文章化してるねん。「はあ、はあ」「はい、はい」って言いながら。全く脈絡も説得力もない話をこれだけ羅列した後、最後に話をどうまとめて終えるのかと考えてるだけやねん。最後の最後に柳田國男の『遠野物語』みたいなどんでん返しがあって、全ての一見共通性の無い話が論理的に構成された伏線であって、それに気づかなかった自分の愚かさを楽しめるような文章構成であることを期待してんねん。でも・・・結局全部がただの羅列やねん。ホンマに心からがっかりしてんねん。
2018.06.22
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私が日本からやってきて3ヵ月ほどしかカナダにいないことを知った彼は10秒ほど空を見上げたあと、ゆっくりと話をはじめた。このときも嫌な予感がした。しかしこのときはその予感は裏切られた。彼がネイティブ・カナディアンであることはその容姿から判断できていた。その話の内容は、彼らの先祖がどのようにカナダの自然を重んじながら共に生きてきたかというものだった。私はその話に聞き入ってしまった。気が付けば、一本道の向こうからバスがやってきている。知らない間に40分が経過していたのだ。バスが来たことに気付いた彼はにっこり笑って「話を聞いてくれてありがとう。君のカナダで過ごす時間が良いものであることを祈っている。」と言って握手を求めてきた。私は少し待ってほしいと彼を引き留めた。我々の目の前に止まったバスの運転手に私の目的地のバス停までの運賃を聞いた。3ドルだった。私は聞かせてもらった話へのせめてのもお礼にと、ポケットに3ドルだけを残して2ドルとすこしを彼に受け取ってもらった。彼は目を大きく見開いて「ビール2本も買えるじゃないか!」驚いて見せたかと思うと、大きな鳥の羽飾りがついたハットをとって胸の前に置き、ゆっくり紳士的に頭をさげた。
2018.06.21
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二十数年前、私は数か月カナダにいた。ある日の昼さがりに私はバス停でバスを待っていた。バスが来るまで40分以上の待ち時間があった。そこはある小さな街の郊外で猫の子一匹の姿もない場所だった。目の前の道路には人どころか車の1台も通らない。「ホンマにバスは来るんかいな」と本気で心配になってしまっていたときに、道の向こう側の森の中から1人の男性が現れた。ジャケットに革製のカウボーイ・ハット、結構多めの装飾品に後頭部で一つに束ねられた少し白髪の混じった長い髪の毛はお尻にまで届いていた。それでいて明らかに小汚い・・・そんな感じだった。彼は私に微笑むと、道路を横断してきて私の前に立って言った。「ビールを飲みたいから1ドルくれないかな。」そのときの私の所持金は5ドルとすこしで目的地までのバス代がいくらかかるかわからないからといって、彼の申し出を断った。すると彼は「それは仕方ない。」とまた笑顔を見せて、私の素性を聞いてきた。
2018.06.20
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「どこから来たん?」とその男。「県内ですよ。」と返事をしながら振り返ったら、ボッサボサの長髪で私より白髪頭の無精ひげを生やしたメガネ男が立っていた。私はすぐにまた自分のバイクの方に向き直って歩き出した。するとその男もついてくる。「あ、僕のバイクと一緒やね。」と言ったかと思えばその男は自分のバイクの改造点をペラペラとしゃべり出した。私は改造バイクにあまり興味がない。それは好みの問題だから、厳密に言えば私の好みの改造はかなりスタイルが限定されるので、それ以外の改造には興味がないのだ。それともうひとつ!私の好みの改造をする人は、いちいち改造点を自慢しない。私の興味のないような改造をする人間に限って言葉で語りたがる。その男もまさにそうだった。いくら自慢の改造箇所を羅列しても私が何の興味を示さないので、そのうちその男は同じバイクを6台所有しているとか、その6台をすべて積んで運べるトレーラーを持っているとか必死になって私に聞かせた。一応私も大人なので「あっちいけボケ!」なんてことは言わずに話をさせて、その間にヘルメットとグローブを装備してバイクにまたがり、まだ続く話を遮って「ほな!」と言ってエンジンをかけて立ち去った。
2018.06.19
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今年の5月のある日曜日の朝、私はとある道の駅にいた。その前日は仲間と毎年恒例のべーべキューをして、夜はロッジで泊った。そして帰りに父親の墓参りをしようと思ったのだが、墓園の開園時間にはまだ早かったので、その道の駅でコーヒーを飲んでいた。すると道の駅の前を1台のバイクが行ったり来たりしている。だれかを探しているようにも見えるが、そうでもないような感じもする。この時点で何か嫌な予感はしていた。まずそのバイクがこのとき私が乗りつけていたバイクと同じ車種だったこと。そして私のは無改造だが、そのバイクは改造をしまくっていたこと。その2点が嫌な予感の元だった。しばらくするとそのバイクは道の駅に入ってきて、その人は私の位置から少し離れた場所にバイクを停めた。その人物がトイレに向かったのを確認した私は、ヘルメットと被り早々に退散しようと自分のバイクの方に歩いていった。そして自分のバイクの3メートルほど手前にきたときだった。私の背後から声がかかった。「どっから来たん?」振り向けば、案の定、さっきの男だった。
2018.06.18
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そうなれば我々男たちは微塵の躊躇もなく女たちとたもとを分かち、敵と認識して対峙する!言っておくがそうなれば困るのは女たちだ。そのときになって泣いてもわめいても我々の決断を揺るがすことはできない。そんな嘘偽りの涙に今更騙される我々ではない。そうだろう?男たちよ!我々は女共がいなくても生きていけるだろう!!!・・・・今までに何度かこんな話をしたことがあるのだが、だれも「その通り!」と賛同してくれる男はいなかった。しかも女性たちは苦笑いをしながらヒキまくっている。今回もそうだが、私はこの話をするとみんながそうなることを分かって言うてんねんやろか・・・と毎回思うのである。
2018.06.17
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もう一度言っておくが、もちろん許されない『セクハラ』は存在する。社会的立場を利用して相手に文句を言わせないものや、公共の場での痴漢などはその最たるものだ!しかしその尻馬に乗って何も考えずに言動や衣服のガードを下げて、「そら違うやろ」「そらお互い様やろ」っていうことまで『セクハラ』だと騒ぎ立てる連中に物を申しているのだ。その他のことでも同様だが、ここ十数年ほどは何事でも良識と常識を持った言動ができる人達ほど口を閉じてしまい、そうでない連中がどんどん声高になってきている。この『セクハラ』問題もどんどんそのようになっていくだろう。私が高校の時にあるアニメ番組があった。攻めてくる異星人と地球人が戦うというありがちな内容だったが、異星人が興味深かった。その異星人もまた二手に分かれて戦っているのだ。そう!男性と女性に分かれて、、、だ。遠い昔その異星人たちも男女一緒に過ごしていたのだが、男と女は争いしか生まない!という理由で完全に分離・敵対したのだ。こうなると種の保存が気になるのだが、そこは簡単明快。クローン技術で増やすのだ。そしてそこはSFというか、科学技術の進んだ異星人というか、、、クローンといっても同じ個体の複製ではなく、容姿や性格等の個性の違いもしっかり確立されているのだ。こうなれば、つきつめれば…ではあるが、男女が一緒に過ごす理由なんてどこにも存在しない!
2018.06.15
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女性から男性に対するセクハラだって昔も今も充満している。でも我々男性はそれをいちいち口に出さなかっただけなのだ!たとえば胸の谷間!見せるなっちゅうねん!なぜか?明確に言っておく!見せてる女の谷間ほど汚らしい。見たくもないレベルだ。でも一瞬目がいってしまうこともある。「うわっ!なんやこれ。」と思って目線がいってしまうのだ。それは道路で轢かれている動物の死体に一瞬目線がいってしまうのに限りなく等しい。しかしそんな女共に限って、「男性が胸元を見たら目線で分かる。」などと勝ち誇ったように言うのだ。つまり「あなたは私に興味がある」「あなたは私を性的な目で見ている」と言いたいのだ。ホン~~~~マに気色悪い!中にはそれが好きという人間もいるのだろうが、大半の人間は汚物には微塵の興味もない。それをさぞ興味があるかのように言い放たれることは完全なセクハラだ!でも我々男はそれを口に出さないで今までやってきた。「それを言っちゃぁ~お終いよ。」と分かっていたからだ。これからは我々男が『セクハラ』『セクハラ』と声をあげたらバカな女共はどうする気なのだろうとつくづく思う。
2018.06.14
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ともかく!このような言いがかりのような『セクハラ』を口にする女共が出現してからこの世の中はおかしくなった。最初に『セクハラ』と言った者が勝ち。声の大きな者が勝ち。そしてそんな人間どもを擁護する発言をすれば勝ち。世の中はそうなってきた。そのなれの果てが何でもかんでも『~~ハラ』と言えばいいという風潮の今のこの世の中だ。言っておく!人は生きている限り誰かに何らかの迷惑をかけている。それを許容し合うことができるのが、人間であり、家族であり、仲間であり、友人なのだ。何やろね?21世紀は女性の世紀とかいって持ち上げ過ぎたんでしょうかね?中には知性と能力のある女性も多くおれらますよ!でも反面、化粧して着飾ることしかできないで世の中に出た女共が、自分の能力や判断力の無さから起こったことを『セクハラ』と言っているだけのような気がしてならない。そうなれば、我々男も黙っている必要はないのだ。受けて立ってやろうではないか!
2018.06.13
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そしてもうひとつは、「ほんならお前らは、お前らの言うレベルの『セクハラ』をしてへんねんやろうな!」という点だ。そうでしょ?クレームをつけた連中が街を歩いたならば、少なくともその言動や姿を目にした全員に決して不快感を与えることがないと話がおかしいでしょ?私はそんな連中がどんな言動をして、どんな外見をしているのかに興味がある。パーフェクトに他の人たちに微塵の嫌悪感も与えない人ってどんな人なのかを見てみたい。どんなに男前の俳優だって、どんなに美人の女優だってアンチはいる。アンチはその人物の何かにどこかに嫌悪感を感じているのだ。それが普通だと私は思う。完全に万人受けする人間なんて存在しない。でも連中は違うんでしょ!だからこそ、他人の持って生まれた姿に『セクハラ』の烙印を平気で押せるんでしょ?是非ともお会いしたいものですね。ただし、その連中はあのポスターにクレームをつけた時点で、私に嫌悪感を与えているんですが・・・どないなっとんですかね?
2018.06.12
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その祭りは男性がふんどし姿になって勇壮に神事をおこなうものであったので、ポスターにもその姿の写真が使用されていた。で、そのポスターの中で中央正面にいた男性の姿にクレームをつけたのだ。その男性は髭を生やしていて、胸には胸毛があった。それを見さされることが『セクハラ』だと、どこぞの女共がクレームをつけたのだ!「はぁ~~~~~~~~!? それ『セクハラ』か?」と男性の全員とまともな女性は思ったはずだ。ツッコミところはざっくりと2点ある。ひとつはそのクレーム自体が『セクハラ』であることが分かってるのか?って点だ。クレームがついてポスター掲示が取りやめになってことを知ったその男性がどう感じるのかを考慮しての発言なんやろな!と言いたい。もしそのクレームでその男性自身の心が、あるいはその家族が、少しでも傷ついたとすればそれは『セクハラ』だ。分かってて言うてんねんやろな!
2018.06.11
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同じくここ十数年ほどで日本人女性は本当に綺麗になった。その理由は女性に縁のない私でも分かる。まずは綺麗に見える下着を含めた衣服、そして化粧品の発達だ。あれだけ嫌というほどテレビ等で宣伝を聞かされればだれにでも分かる。しかし同じくここ十数年ほどで、日本人男性の精子数が激減している。これは精神的要因がかなりの原因となっているとのことだ。女性が綺麗になってきたのに男性にこのような起こってしまう理由も簡単だ!女性の外見がいかに綺麗になったとしても、精神的魅力が無くなれば男性から見た魅力なんて無くなってしまう。そう!その魅力が無くなりだしたのが、ちょうど『セクハラ』という言葉が蔓延しはじめた頃なのだ。ではそのような女共のいう『セクハラ』とはどういうものなのか、、、それが分かる良い例があるので紹介しよう。10年ほど前に、東北のある地域で行われる祭りのポスターに一部の女共からクレームがついた。
2018.06.10
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そして何かあれば、いや何もなくても「セクハラ」と言われることに嫌気をさした賢明な男たちは、やがて女たちから距離を置くようになる。すると女共は今度は新たな言葉を用いて男たちを蔑んでいい気になる。その言葉は『草食男子』だ!そして女共は言う。「草食男子っていやよね。」「男子は肉食でないと!」そう言っておいて、男が近づけば「セクハラ」と言う。そう言っておいて、不倫をした男性芸能人をとことん糾弾する。それはおかしいんですよ!草食男子は嫌で肉食男子がええんでしょ?だったら不倫男性が出て来たら「よ!肉食男子!私も食い散らかして!」と拍手喝采で迎えないといけませんよ。
2018.06.09
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以前とある高校で非常勤講師をしていたとき、授業に向かおうかと階段を上っていたら、何やら女子生徒が男子教師にキレていた。聞けば階段を上っていたら下から男性教師にスカートの中を覗かれたという。男性教師は確かに進行方向は見ていたがスカートの中は見ていないといいながらもたじろいでいた。私は「百歩譲って仮に見たとして何が悪い!見られたくなかったらそんな短いスカートはいてくんな!」と一喝してその場にいた全員を教室に入るように促したことがあった。スカートの丈をバカ程短くして下着が見える状態を作っておいて「見ただろう」と文句をつける!ヤンキーでもなんでもない普通の高校生がこんなチンピラのような言いがかりをつけるようになっていたのだ。しかもそれに反論もできない大人も大人だが・・・。その理屈が通るなら、女性が裸で歩いていてそれを見てしまった人間は全員処罰されなければならないのだ。裸で歩いていた方には何の咎めもなくである。女共が勝手にガードを下げておいて、その隙間に男達が少しでも侵入すると「セクハラ、セクハラ」と騒ぎ立てる!ここ二十年ほどでこういった風潮をバカな女共を中心とした訳の分からん連中が意図的に作ってはいないだろうか。勿論確かに「そら許されへんで!」といった本当のセクハラも事実存在するのは認める。しかしながら私が言いたいのは、その尻馬に乗ってなんでもかんでも「セクハラ、セクハラ」と過剰に騒ぎ過ぎてはいないか?同時に男たちはそれに反論の術もなく同調していないか?、ということだ!
2018.06.07
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「制服は我々女子社員の戦闘服であり意思を表すものである。」「そこに隙が少しでもあれば、他社の社員にナメられて、男性社員たちにも付け込まれる。」「スカートの丈に気をつけて、首元・袖のボタンはしっかり留めておくこと。」「まずそこからしっかりと気を引き締めるのが大事。」・・・と私が最初に働いた職場の『お局様』は後輩女子社員に言っていた。なのに中高生が、短いスカートをはいて、だらしない袖口で、リボンやネクタイをダラ~とさせて首元のみならず胸元までをさらけ出しながら街中を闊歩しているのだ。それがそのままの意識で社会人になってしまうのだから、だらしないこと極まりない。それはそのままガードを下げてしまっていることなのだと気づきもしないで・・・である。また『セクハラ』という言葉が日本で使われはじめてしばらくした頃『エロかわいい』とか『エロかっこいい』とかいった言葉ももてはやされた。中高生の制服の着かたもその言葉にのったファッションであり流行なのかもしれないが、私は矛盾を感じていた。女共がエロをさらけだすのは許されて、それに男がフラフラと興味を示してしまうは許さない…なんてことがまかり通っていいはずがないと思った!
2018.06.06
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次はごく少数ではあったが確実に存在した、したたかなタイプ。このタイプの女性は適度に嫌がりながらも自分の許容ラインを越えさせないように嫌がらせを受けるのだが、いざと言うときにその事実を強みに自分を優位な立場にもっていくのだ。そしてそんな先輩たちの姿を見て、新人の女子社員たちは自己防御法を学んでいた。中にはそれらを学ばない女子社員もいたが、そんなときに登場するのがいわゆる『お局様』的な女子社員だ。言動、服装、化粧の仕方や休憩時間の雑談の話題選びまで細かく指導をしていた。それは性的いやがらせに対するガードの上げ方を指南していたのだ。それが大人の女性の世界であると18歳当時の私は認識していた。ことろが日本でも『セクハラ』という言葉が使われはじめた頃から、女性の多くがガードを下げていったような気がする。たとえばそれが顕著に現れていたのが中高生女子のスカートの丈だ。私が学生の頃は女子がスカートをいじるとすれば、ヤンキー女がこれでもかとスカートの丈を長くしていた。ところがここ20年くらいはヤンキーとか特殊な部類の学生ではなく、普通の女子学生が普通にスカートをいじっている。それも短くだ!
2018.06.06
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アメリカでは1980年前後に登場したらしく、日本ではその約10年後に使われ出したと言われる言葉が『セクハラ』である。『セク』は [sexual(セクシャル)] =「性的」『ハラ』は [harassment(ハラスメント)]=「いやがらせ」という言葉からきている。 確かに私が大学を卒業するあたりから耳にした言葉なので、高校を卒業した私が一度就職していたときはそんな言葉は無かった。しかしそんな言葉のない当時の女性たちが性的いやがらせに対してただただ泣き寝入りを強いられていたのかと言われれば、私の知る限りそんなことはない。私の知る女性のほとんどは、賢いかあるいはしたたかであった。まず大半が賢い女性であった。性的ないやがらせを受けるような隙を微塵も見せない!それは日頃の所作・言動・服装・考え方等の全てにおいて男たちに完璧な防御線を張ることで可能となっていた。たとえそれがプライベートな時間でも、お酒の場であっても、寸分も崩されることはないのだ。彼女たちは男たちに変な気を起こさせない術を知っていたのだ。しかもそれでいて人間関係は良好な状態を維持するのだから、私は職場や仕事を通して知り合った多くの女性たちに敬意を持たざるを得なかった。
2018.06.05
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先鋒は吸引力は弱いが稼働時間が無制限のレイ・コ◯プ!これでしっかり時間をかけて、まず取れるだけのほこりを吸い取る。大将は吸引力はかなり強いが稼働時間に問題があるダイ◯ン!満充電した状態でバッテリーが空になるまで吸い残したほこりを吸引力にものをいわせて吸い取る。この組み合わせて、とにかく1枚の布団を完璧に仕上げる。そして最後に布団タタキで力いっぱいたたいて、ほこりが出ない状態を作る。まさに積年の野望を果たす計画を立てた。そしてある晴れた日の昼下がりに、その作戦は決行された。作戦通り寸分の狂いもなく事は進行した。どちらのクリーナーにも、いつものように砂粒のようなほこりがみるみるたまっていった。やがて大将のバッテリーが切れたので、その布団をベランダに運んだ。そしてまず布団タタキで軽く3回たたいてみる。普通ならこの時点で少しほこりが立ち込めるのだが、その気配は全くない!「よっしゃ!」と声をあげた。そして布団タタキをしっかり握り直し、次は渾身の力を込めて1度だけ布団をたたいた。パン! と渇いた音が近所中に響き渡った。モワ・・・いつもとあまり変化のない量のほこりが舞い上がった・・・・・・・・このとき、私は『心が折れる。』ということを学習した。
2018.06.04
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約10日後!私の家にダイ◯ンが来た。カードで購入した。とりあえず金欠のことは忘れることにした。早速試してみる。謳い文句通りすごい吸引力だ!ゴミがたまる部分が透明なので、砂のようなほこりがどんどん蓄積される様子がよく分かる。しかし欠点も明らかになった。コードレスの充電式なので、電池が切れたら再充電に約3時間が必要なのだ。しかもバッテリーパックを交換できる構造ではないので電池が切れたら実質アウトということになる。とは言え、2つの武器を手に入れたのだ!私は作戦をたてた。うまくいけば布団のほこりを一掃できるかもしれない・・・そう思うとワクワクした。
2018.06.03
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その吸引力を売りにした製品はダイ◯ン製!CMを見れば見るほど何やら説得力がある!!確かに吸引力が勝負なのだ。レイ・コ◯プのスイッチを入れて、吸引口に手を近づけてみても確かに吸い込みが弱いように思えた。畳なんかの表面を掃除するには十分な吸引力ではあるが、分厚い布団の内部のほこりを吸い取るには弱いのかもしれない・・・。またダイ◯ンはコードレスも売りのひとつだ。確かにレイ・コ◯プのコードは布団の掃除をいくぶんやり難くしている。考えれば考えるほどダイ◯ンが欲しくなってきた。でも、まだレイ・コ◯プを買ってそんなに間がない!この金欠期間にさらにもう一台を購入するのは経済的にも苦しい!レイ・コ◯プ(私が購入したのは初期型)は安売り機関で約1万5千円、通常販売価格は約1万7千円。一方、ダイ◯ンは、何と約3万6千円もする。つまり価格は倍以上の差がある。財布は「買うはやめてくれ!」と言っている。しかし私の心は「値段が性能と比例しているとすれば、倍以上の吸引力が期待できるぞ!」と言っている。私の葛藤は熾烈を極めた!!!
2018.06.02
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レイ・コ◯プという武器を手に入れて数か月後、また新たなテレビCMが私の目をくぎ付けにした!『従来の布団クリーナーでは取れないゴミを吸引します。』なんで言い出していたのだ。市販されている布団クリーナーってレイ・コ◯プしかないはずだ。ってことは、名指しでレイ・コ◯プより高性能であることを謳っているということになる。「これ見よがしに他社製品をこき下ろすなんて、まるで海外のCMやなぁ・・・。」と思っていたら案の定それは海外のメーカーの製品であった。「でも所詮は海外製品!日本の国産品に敵うはずないやないか!」なんて思っていたのだが、よくCMを見てみると何だか結構説得力があった。ます、『叩いても何をしても布団内部のほこりは取れない。』というのだ。たしかにレイ・コ◯プは吸引前に布団をポンポンと叩くのだが、少し弱いような気がしていた。そして、『いくらほこりを吸っても吸引力が落ちない。』というのだ。そう言われれば、確かにあのフィルターのつまり具合なら、最後の方は物理的に吸引力は落ちるはずだと思った。
2018.06.01
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