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それはそれでいいのだが、やはりよく考えると納得がいかない。「この車なら、、、たどり着ける」って、、、ほなら他の車やったらそこにたどり着けへんのん?一般人が立ち入り可能な空港の滑走路近くの公園か何かでしょうよ!その車でしか行かれへんのん?なんで?他の車でもっと予想もできない答えにたどり着く人もおる可能性やって往々にしてあるで!っていうかそもそも風車を回す場所の答えって何やねん!そんなもんの答えってあるんか?ほんでそもそもって言うなら、あのCMのその車の車としての魅力を使えられてるのんか?そこがほんまにその車のセールスポイントなんか?絶対違うやん!とどのつまりは、あの車にはなんらセールスポイントがないっちゅうこっちゃな。まあそれもそれでええけど、そんなCM見さされたわしらはどんなモチベーションでおったらええんかが分からへんわ。ほんでCMの最後に「サプライズと出会おう」やって、、、このCMの内容自体がサプライズやっちゅうねん。
2020.06.26
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納得できないことってある。誰でも気づくような大きなものとは違って、たちが悪いのはなんとなくスルーしがちのものだ。最近多いのは車のCMだ。全てがそうではないのだが、中には本当に納得のいかないものがある。たとえば今テレビで目にすることができるのは、「風車の遊び方を探してみよう、この車で」ってヤツだ。探すのは構わない。で、「この車なら予想もしない答えにたどり着く」とか言い出す。「ほう!その車でないとたどり着かない答えがあるんやな!それはすごいやん。」と思ってしまう。で、CMのオチはというと風車を作った子供とその父親らしき大人が、空港の滑走路近くで着陸する旅客機の起こす気流で風車を回すのだ。
2020.06.25
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昭和の時代はこのような連中でも、年上だからとか先輩だからとかいってしっかりつき合って時間を費やしてきた。それが常識でありそれが礼儀でもあった。平成の時代は、とくに後半の時期は、このような連中への対処法も徐々に変化してきた。このような連中を相手にすることに時間を費やさない人たちが出てきた。彼ら彼女らは当然のごとく非難を受けた。非難をしていたのは、時間を費やさせてきた連中だった。昭和の時代も平成の時代も、このような連中のために学校や職場や地域社会での居場所を失ったり、ときには自殺という道を選択せざるを得ない人たちがいた。戦争や内戦、特殊な病気、不幸な事故等で命を失った人たちとは違って、このような連中のせいで居場所や命を失った人たちのことは報道もされないし知る由もない。何でもかんでもハラスメントといって大声を上げることを私は良しとは考えない。しかしこんな連中のために時間や居場所や命をも失う人たちがいるという事実をもうやめにしたい。できる人ができる範囲でこのような人間への適切な対処法を講じていく時代が令和であってほしいと願わずにいられない。
2020.06.24
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こういった連中は、周りの人たちのこの「波風を立てずに・・・」という気持ちを利用しなければ自らの居場所を維持できない。私は母の最初の入院のときは、まず報告したい人に報告を入れて、次に報告を入れなければならない連中に報告を入れた。報告したい人たちには、報告しなければならない連中より先に報告をしたことを話しておいた。連中は自分がいの一番に報告を受けたと思い込んで、すでに知っている人たちにその人たちが知っていることを知らないで情報を降ろすのだ。しかし二回目の入院のときは、知らせたい人にしか知らせなかった。すると予想通りに連中から「なぜ最初に自分に知らせないのか?」だとか「順番が違う!」だとかのクレームが来たので、「なんでこうなったかは自分で考えなはれ!」と言っておいた。すると今回の三回目は、、、連中と関わることなくスムーズにことが運んだ!
2020.06.23
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この連中はとにかく連絡の順番にうるさい。まず自分への連絡が一番でないとヘソを曲げる。一度ヘソを曲げると周りがかなり機嫌をとって時間をかけて相手をしないと元に戻らない。放っておけばよさそうなものなのだがそうもいかない。自分がヘソを曲げていることをこれでもかと周囲に知らせる。何度も何度も同じことを言って、それで飽き足らない場合は過去のことまでほじくり返して周囲の人間の時間を奪う。みんなはそれを何とかしたくて機嫌を取る。これもまた人生における呆れるほど無駄な時間なのだ。『金持ちケンカせず!』という諺(ことわざ)がある。本当にお金持ちのことではなく、心に周りを見渡せる余裕のある人のことを示す。そのような人たちは出来得る限り諍(いさか)いを起こさず、波風を立てずに物事に対処するという意味なのだ。
2020.06.22
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これらの人間には2回目の母の入院のときにきちんと対処しておいた。今日懲りもなく同じようにメールの報告に対して電話をあけてくるので無視した。それでも私が出るまで何回もかけてくの者がいたので、メールを出した。前回の電話がいかに迷惑であったかを文章にしたのだ。そして今回の3度目の入院に関してはこの連中はメールの返信すら返してこなかった。ほんまにスッキリ致しました!次に面倒臭いのは、連絡する順番だ。母もいくつかのグループに所属していたり父が転勤族だったのでいろんな地域で住んできたので、複数方面に連絡しなければならない。その各方面で、いの一番に連絡したい人と、いの一番に連絡しなければならない人が一致しない場合があるのだ。いの一番だろうが何だろうが連絡したくない人間に一番最初に連絡するときは流石に「俺の人生って何なんやろ?」と思ってしまう。ではなぜこの連中に最初に連絡をいれなければならないのかを考えると共通点があるのだ。
2020.06.21
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こちらから電話をかけなおす必要もなく連中の方がかけてくる。最初は私に一連の説明をさせて、それは「大変やね!」の一言で簡単に片づけられる。そして連中の目的が容赦なく開始される。連中の目的は私の時間を奪うこと、、、ではどういう方法でそれを実行するかというと、延々と自分の話を聞させるのだ。2人は自分も親または家族が入院したときに大変だったという自慢話。しかしそいつらの家族からはそいつはクソの役にも立たずにただただ邪魔者だったと聞いている。とにかく自らの無能をひた隠しにするべく作り話で自分の有能さをアピールするのだ。ほんまにうっとおしい連中だ。他の2人は嫁や家族の愚痴を延々と私に聞かせてくる。その4人は他人だから仕方ないと思いたいが、最後のひとりは私の実の兄だ。延々と自分の娘の自慢話を聞かせてくる。身内といえどもこれだ!他人なら仕方ないといったことろだろう。この連中の電話にかかる時間が大体45分から1時間。中をとって52分30秒と考えるとそれが5人なので全部で262分と30秒・・・つまり約4時間半の時間が必要となる。そのおかげで私がおびただしい量の母の入院関係の書類を書き始めるのが深夜3時頃となるのだ。
2020.06.20
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この面倒臭いことが2つある。ひとつは連絡をした後だ。だいたい状況を理解してくれている人たちは私のメール報告に対して、短めのメールで対応してくれる。しかもこちらがそのメールへの返信をしなくてもいいような文面なので本当に助かる。しかしそうでない連中がいる。その連中はこちらの時間を奪うことを主な目的としている。連中の手口はこうだ。こちらの報告メールに対して電話をかけてくる。そしてこちらはメールで報告したことを今度は口頭で伝えねばならないような質問をしてくる。もうその時点でメールの意味は抹殺される。それで済めばいいのだが、この手の連中は間違いなくその後自分の話を私に延々と聞かせる。実際母が最初に入院した日の夜はこの類の人間5人から電話があった。その中の2人は私が夜は自宅で学習塾をしていることを知っているのに、授業時間中に何度も携帯電話を鳴らす。無論授業中の電話には出ない。そうなると私がこれらの連中の電話を喰らうのは、夜10時以降となる。
2020.06.19
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今月のはじめに母が入院をした。一昨年から体調が急激に悪くなり、昨年から数えると3度目の入院となる。さすがに1回目は母も私もはじめてのことなので、いろいろと苦労があった。しかし今回は3回目であり、過去二回のような緊急入院でもなく入院が決まってから実際に入院するまで丸一日の猶予があったので、諸々の準備を整えることもできた。毎回であるが、母を入院させた後も私は少々忙しい。何かといえば、入院に至ったことを各方面に知らる作業があるのだ。さすがに昔のようにいちいち電話で話して説明することはない!いくらIT音痴の私でもメールは使える。一度文章を作ってしまえば、あとはコピー&ペーストでいろんな人にさっさと情報を流すことができる。これは本当に助かるのだが、昔ながらに面倒臭いことも確実に残っている。
2020.06.18
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イチさんのときも、山のときも、本名を知ったとき私はまさかいつもの呼び名が本名だとは思わなかったと彼らに伝えた。そのとき彼らから返ってきた言葉は「それはこっちの台詞や!」であった。なるほど・・・さもあらん!
2020.06.16
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同じく高校生のとき一緒に電車通学をしている友人Nが、同じ高校に通う友人を私に紹介してくれた。1学年で650人近く在籍している学校だったので、名前も顔も知らない同学年生は結構存在していた。彼もその一人であり、また彼も私のことを知らなかった。Nは私に「こいつ俺と同じクラスの連れで山いうねん。」と紹介した。私もそのときからNと同じく彼のことを「山」と呼んだ。それから半年くらい経った頃、私は帰りの電車の中で山と出くわした。N抜きで彼と話をするのはそのときが初めてだった。しばらくはお互いの中学校時代の話なんかをしていたが、乗り換えの駅に到着したので私は席を立つときに彼の本名を聞いてみた。てっきり「山川」とか「山下」、または「北山」とか「森山」とかいったミ名字かと思っていたが、、、彼の名字は「山」だったのだ!
2020.06.16
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よく思い出してみると、私のこれまでの人生においてよく似たことがチラホラとあった。呼び名だと思っていたものが本名だったというパターンだ。高校時代のとある短期バイトで知り合った先輩だった。彼はそのバイト先ではかなりの古株で、私のような短期バイトの新人の面倒をよくみてくれた。みんなが「イチさん」と呼んでいたので、私もそう呼ばせてもらった。5日ほどのバイト期間が終わる最終日に私は彼にお世話になったお礼を言った。そのついでに私は彼の名前を聞いてみた。すると・・・なんと、名字が『市』さんだった。私はてっきり『市川』さんとか『古市』さんとか、、、または『一郎』さんとかなにかしら『イチ』のつく名前だと思い込んでいたのだ。
2020.06.15
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私は微塵も疑うことなく、名字と氏名の最初の文字をとって「あたまつ」と呼ばれているのだと思っていた。天野達夫・・・って感じと思っていた。しかし「あま」からはじまる名字はそうない!高校の頃知り合った先輩に天石さんって人もいたし、尼崎さんという名字の人がいるとも聞いたことがある。そう考えると俄然「あまたつ」と呼ばれている人の本名を知りたくなった。そしてある日、私はその画面をしっかり見てみた。いつものように司会者が「あまたつ~~」とその人を呼んだ。すると画面が屋外に切り替わり、人のよさそうな男性が「は~い!」といって画面に手を振っていた。するとすぐに画面の隅にその人の名前が表示された。なんと!!彼の本名は私の予想をの完全に裏をかき、、、「天達武史(あたまつたけし)」さんであった。
2020.06.14
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世の中の諸事情により、最近午前中に家にいることが多い。するべきことはたくさんあるので暇で困ることはないが、テレビを見る機会も自然と増えた。日頃あまり見る機会の少ない午前中のテレビはある意味新鮮だった。毎日どの番組を見ると決めているわけではなく、なんとなくテレビのスイッチを入れているので、いろんな番組を目にする。その中のある情報番組の後半にお天気のコーナーがある。そのコーナーに移ることに司会者がスタジオの外にいる気象予報士を呼ぶ。「あまたつ~~!!」呼ばれたその人は軽快な口調でその日の天気の解説を進めていく。その一連の情報を、私はパソコンで書類や資料を作りながら耳で追いかける。そんなことを何回か繰り返した後、私はふとその「あたまつ」と呼ばれている人の本名な気になり出した。
2020.06.13
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しつこくもうひとついっときましょう!最近はコメンテーターとしてテレビに登場することが多いデーモン小暮氏・・・閣下と呼ぶべきなのでしょうか?彼は聖飢魔Ⅱ(せいきまつ)というバンドのボーカルでもあります。その有名な曲に『蝋人形の館』というのがあります。内容は森の中にある古い屋敷に老人が少女を運び込み、その屋敷の悪魔が彼女たちを生贄にしているという内容だ。その歌を悪魔が歌い上げる!そして曲が最後のリフレインに入る前にデーモン閣下の台詞が入る。You shall never return home ha! ha! ha! ・・・もう解説する必要なないようですね!
2020.06.12
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I have been your friend. と I always shall be your friend. をひとつの文章にまとめています。主語[I]をひとつにして、ふたつの動詞にかけて、接続詞[and]でつなぐいわゆる【重文】です。訳すと、「私は(今まで)ずっと君の友人であり、いつも君の友人でいるよ。」となるでしょう。これもやはり意思を持って友人でいつづけることを意味しています。ちなみに[always]の位置が気になる人に一言!確かに頻度なんかを表す副詞は、be動詞の後、もしくは一般動詞の前と文法上は決まっています。なので本来ならば、I shall be always your friend. とするべきなのですが、この場合は話者がわざとそれこそ意図的に[always]の位置を変えています。私はその理由を2点感じ取っています。ひとつはもちろん主語の直後に置くことで[always]が強調されることで、「いつも、常に友人だ。」という意味に重みを持たせることができます。もうひとつは、[always]の位置を変えることで[shall be friend]=「強い意志を持って友人でいる」の流れを途絶えさせないで、やはり強調させる効果を上げている点です。
2020.06.11
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さらに例文を紹介しましょう!有名な映画の『ターミネーター』です。シリーズの中でターミネーターが言う台詞があります。I'll be back.もちろん短縮形を使わなければ、I will be back.です。ここでは敢えて shall を用いていないのです。ターミネーターはプログラムで動く機械です。そこに意思はないのです。でも見た目はどう見ても人間・・・なので、台詞に無機質な表現を多用しているのです。自分の意思で必ず戻ってくるのではなく、電子頭脳のマイクロチップの命令で戻ってくるでしょうといった意味を持たせているわけですね。もうひとつ行きましょうか。次は『スタートレック』です。カーク船長が初めて訪れた惑星で出会った老人が自分のことを知っていたので、驚いてこう聞きます。How do you know my name.すると老人がこう答えます。I have been and always shall be your friend.ここでは shall を使っていますね!
2020.06.10
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なので、主語に [I] を用いると、かなり強い意志を表現することができます。たとえば、GHQのダグラス・マッカーサーがアメリカに帰国するときに、I will return. と言わずに、I shall return. と言葉を残しました。will ならば、「戻ってくる予定です」・・・といった意味になりますが、shall を使うことで、「必ず戻ってくる」「絶対戻ってくる」といった【意思】を表現したのです。まだあります。私の大好きな曲のひとつ『ダニーボーイ(ロンドンデリーの歌)』の歌詞です。遠く(おそらく戦争)に行ってしまった息子を待ち続ける母親の最後のライン(1行)です。And I shall sleep in peace until you come to me !「あなたが私のもとにもどってくるまで、私は安らかに眠るでしょう。」ここでは助動詞 shall はもちろん直後の動詞の原形である sleep にかかっているのですが、意味的にこの sleep は wait の意味なんですね。たとえ死んでしまっても、心は墓の中に残して待ち続けるという意思を表現しているのです。なんときれいな歌詞でしょうか・・・。
2020.06.09
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shall の「意思未来」とは、「話者」=「私」の意思のことです。私が意志を持ってその行動をとる、または私が意志を持ってその状態を作りだす、ということです。「私が絶対、」「私が必ず、」という意味があると考えるともっと分かりやすくなるかも知れません。さらにいうと、文中に「私」を示す主語である[I]が無くても、その意味があることを忘れてはいけません。なので、You will be happy. は「単純未来」なので、そのまま「あなたは幸せになるでしょう。」という意味です。そこに「私」は絡んでいないのです。ことろが、You shall be happy. は「意思未来」で「話者」=「私」=[I]の意思が入っています。なので、意味は「私があなたを幸せにするでしょう。」という意味になるのです。文中に[I]がなくとも、そこには確実に「話者」=「私」=[I]の意思が入っているのです。
2020.06.08
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古文の助動詞で「◯◯未来」って言葉が出てき過ぎて、食傷気味なのかもしれないです。「推定未来」とか「推量未来」とか・・・なんやねん!と脳が感じてしまっているのでしょう。そこをグッと堪えて、まずはひとつすつ理解していけば大丈夫ですよ!さて、shall ですが、意味は「意思未来」です。ここまでは参考書にも記述されていることが多いですね。でも「意思未来」ってなんやねん!なんですわ。そうですよ。参考書を作っている人は分かっているのですが、それを読んでいるこっちはビタイチ分からない訳です。PCとかITの世界と同じですね。皆さんが思うのは・・・「誰の意思やねん!」・・・こうです。250ページ以上あるようなぶ厚い参考書なら、この部分をある程度説明してくれていますよ。しかしたった数行です。なので今回はしっかり説明させていただきます。
2020.06.07
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You will be happy. とYou shall be happy. ・・・この意味の違いです。簡単にいえばどとらも「あなたは幸せになるでしょう。」で間違いないです。おそらく私に質問してくれた皆さんは、この2文の違いを明確にして和訳せよ・・・といった類の問題に対峙したのだと思います。で、will を調べてみたら、中学で習ったように[未来][予定]を表すことを確認したので、ポイントは shall だと踏んだわけですね。そして調べた結果 shall =「意思未来」なんて出てきたのですね。中には「意思未来ってなんですか?」とメールをくれた人もいりので、ここまではたどり着いたということも分かります。ただ、高校生の皆さんは「◯◯未来」という言葉に少々うんざりしているのかもしれません。
2020.06.06
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長らく続く休校期間に、我が教室の卒業生から学習面の質問メールをまあまあいただきました。高校生である彼らには酷な宿題が多々出されていたようです。だって全く学習していない単元をいきなり問題として解けと言われているのですから、「そりゃあんさんむちゃだっせ!」とも言いたくなる。しかしながらそれを出した学校の先生が悪いのかと言われれば、そうとも言えない。学校側としても急に学校休校が決定して、宿題を出すしかない!・・・となったのです。「せめてここは知っておいてほしい」というものを宿題として出すしかなかったのだろう。そしてその宿題と真正面から対峙した学生諸君に苦労が多かったことも簡単に推測できる。で!そんな彼らからもらった質問メールの中で一番多かったものをここで紹介します。英語の助動詞 shall の意味についてです。さあ、学生諸君よ!shall の意味は? と聞かれると、何と答えますか?
2020.06.05
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チームメイトを励まし続けた11番は、チームメイトに気付かれない場所でひとり泣いていた。これが本当のスポーツマンシップなんだろうと思った。当時の私には、いや私のチームには無いものだった。今年、春の選抜高校野球に続いて夏の甲子園大会も中止となった。延期ではなく中止だ。監督が選手たちにそれを伝えるシーンを何度となくテレビで目にした。そして泣き崩れるチームメイトを励ます選手の姿も見た。彼らはやはり誰の目にも触れないところでひとり肩を震わせて泣くのだろうな・・・と思う。その行為の意味を、その涙の意義を、どれだけの人たちが理解しているのだろうとも思う。今年は野球に限らず、最後の大会を迎えることができずに引退をしていく学生選手が数多存在する。同時に陰でひとり涙する者も数多いることだろう。
2020.06.04
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その泣き崩れる相手チームの選手の中で、ひとりだけチームメイトと励まし続けていた者がいた。彼は私と同じ背番号11番だったので、その姿がなぜか脳裏に焼き付いた。彼はチームの中で監督・コーチ以外に敬語を使っていなかった。なので彼が最上級生の3年生であり、この試合で引退が決定した人間であることは理解できた。そして彼の中学野球生活に引導を渡したのは我々だ。その背番号11番が、肩を揺らしながら泣いていた。その姿を我々が目にした理由も理解できた。敵チームの我々がいる場所の陰で彼はひとり泣いていたのだ。つまり、自分のチームのメンバーからは見えない場所を彼は選択していたのだ。
2020.06.03
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そんな相手チームの選手の中に、敗戦の落胆に崩れるチームメイトたちを元気づける者の姿があった。「まあそんな人間もおるやろ!」と長い間私は何も気に留めることば無かった。しかし、3年の最後になる夏の大会の地区予選の2回戦目のことだった。当然かのように大差で圧勝した我々は休場を後にして帰路につこうとしていた。私はそのとき球場の隅でひとり肩を震わせて泣いている相手チームの選手の姿を見つけた。その背番号に心当たりがあった私は思わず足をとめてしまった。主審がゲームセットの宣告をしたと同時にこのチームの選手たちはその場で泣き崩れた。それもそうである。もう彼らに「次」はないのだ。この敗戦は彼らの引退を意味しているのだ。
2020.06.01
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