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・・・インだの、アウトだの、遠心力だの、三平方の定理だの、難しい言葉を使うと一気に一日のアクセス数が日ごろの2~1割程度に減ってしまうこのブログの読者の皆さんの傾向についてはまたの機会に考えることとして・・・そうして迎えた献血の当日!まず私のこだわりは献血前の血圧測定から始まる。血圧の低さから担当医に「何かスポーツをしてるの?」と聞かれたいのだ。そのとき「昔、ちょっと」と言いたいのだ。まだ17年や18年しか生きてきていないのに「昔」という言葉を放ちたいのだ。なぜかはいまだに分からないが、当時の私はそうだった。もちろん私に戦いを挑もうとする友人たちの多くは私と同じタイミングで献血車に乗っている。ライバルたちにも血圧の低さをアピールしておくのは効果があったようだ。後で聞くと「勝負前にクールなヤツ!」あるいは「身体能力のポテンシャルが高いヤツ!」と思ってくれていたと知った。そして粛々と採血を済ませて、冷静に献血車を出た時点で戦いが始まる!献血終了時にもらった飲み物を片手に、校舎に向かって最短距離でダッシュをかける。
2020.10.31
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通常ならば私のスピードでコーナーに入れば、遠心力が大きすぎて曲がり切れないで外側に放り出されてしまう。そこで私が考えたのは、名付けて【ATターン】。階段の手すりをしっかり掴んで、一気に身体をコーナー出口に向ける作戦だ。これを使えば時間的にも距離的にも非常にクイックなターンが可能となり、かなり有利に戦いを進めることができる。ちなみに【AT】とは【アーマード・トルーパー】のイニシャルである。敢えて【ボトムズ・ターン】や【スコープドッグ・ターン】と言わないところに男らしい潔さを感じてほしいところである。基本的に私はこのターンの練習を、放課後の部活の時間に行っていた。誰もいないときに実施して技を鍛えた。そしてたまに友人たちがいる目の前で何の予告も無しに実行するときもあった。その私の技を見た友人たちは「よ!ボトムズ乗り!」「よ!キリコ・キュービィー!!」と声をかけれくれる。その時私は必ず「・・・ターン・ピックが冴えないな・・・」とクールに言い放ってその声援に応えた。
2020.10.30
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コーナリングは遠心力との戦いだ。遠心力はコーナーの外側に向かって発生する。それは速度の2乗、移動物の重量の2乗、そしてコーナーのR(半径)の2乗に比例する。私の場合、他のラインを取る者たちより速度が異常に速いままコーナーに突入することになるのだ。
2020.10.29
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私が目指すインベタのラインは長方形の長い方の一辺・・・これを辺aとする。そして階段の終わりのラインは長方形の短い方の一辺・・・これを辺bとする。辺aとbは直角に交わっている。それに対してアウト・イン・アウトのラインを目指す者はこの長方形の対角線上を通る。この対角線を辺cとする。辺a・b・cは直角三角形を作り出しており、直角三角形であれば三平方の定理が適応可能となる。直角をつくる二辺は私が走る辺aと階段の終わりラインである辺b。アウト・イン・アウトのラインである辺cは直角をつくる2辺以外の辺なので斜辺になる。これに三平方の定理用いると、[辺aの2乗]+[辺bの2乗]=[辺cの2乗]となる。つまり私のラインの直線距離はアウト・イン・アウトを目指すラインより[bの2乗]分短いのだ。これは圧倒的有利である!しかしながらそれは、直線勝負だけを論じれば・・・の場合だ。私の直線ラインで疾走する場合の問題点はその後に待ち受けるコーナーで発生する。
2020.10.27
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私は完全なインベタのラインどりを目指した。その方が走る距離が最短になるからだ。例えば1階から1階と2階の階段の間にある平坦地の180度ターンに至るまでの昇り階段は縦長の長方形だ。登り口のイン側からアウト側を目指せば長方形の対角線上を走ることになる。しかしイン側からイン側を目指せば長方形の長い縦の一辺上を走ればいいのだ!その距離の差は三平方の定理で算出することができる。
2020.10.26
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我々ゼロテスターは静かに歩いて献血車に向かう。ここでの体力の消耗を防ぐためでなく、どちらかと言えば冷静を装うためだ。淡々と冷静に献血を済ませて飲み物をもらって献血車を出た後が我々ゼロテスターの正念場だ。いきなりダッシュをかけて校舎に入る。入ってすぐの階段を一気に4階まで駆けあがる。きのときは基本的に一段飛ばしだ。中には二段飛ばしで走る者もいたが、私は一段飛ばしに固執した。二段飛ばしはさすがに直線では速いが、歩幅が大きな分だけコーナリングに弱くなる。校舎の各階で180度ターンのコーナリングがある。同じく各階の途中でも同じコーナリングを必要とする。つまり計7回のコーナリングをしなければならない。そしてそのラインどりにもこだわる。だてにモトクロスをしているわけではない。コーナリングの基本はアウト・イン・アウトだ。コーナーの入り口ではアウト(外)側にいて、出口ではイン(内)側にいると必要以上に速度と落とさずにコーナーを回ることができる。それを実現するには直線、つまりは階段ののぼりで最初にポジショニングしたイン側からアウト側に向かって斜めに登らねければならない。・・・しかしそれには実は二段飛ばしでも対応可能だ・・・私はちょいと違った作戦をとっていた!
2020.10.25
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さて、今回紹介する我が母校の校内献血に燃える最後のグループは・・・名付けて体力自慢派だ。これにはもちろん運動部員が多く存在していたのだが、そこに敢えて文化部の私は身を投じていた。小学校からトランペットで鍛えた肺活量と中学時代に地獄の野球部の練習に生き残った体力を持ってして挑んでいた。そんな我々が何をしていたかといえば、献血食後にどれだけ身体を動かせるか!・・・これに挑戦していたのであった。我々が1年生の時、剣道部顧問のK先生はいっしゃった。「お前らは元気もパワーも血も有り余っとんねんから献血済んだら太陽に向かって走り続けろ!」その言葉に燃えた我々は1年生のときは運動場のトラックを走り続けた。我々が2年生の時、理科のM先生はおっしゃた。「校舎最上階の4階の廊下を走りなさい!」その真意が分からない我々は質問をした。生徒達:「押忍!先生質問であります。なぜ4階なのでありますか?」M先生:「うむ。それはな。地上から高い位置になればなるほど空気が薄くなって酸素が少なくなるんや。その方が運動場のトラックを何周もするより早く決着がつくのとちがうか?」生徒達:「押忍!先生!ありがとうございます!」M先生:「・・・よし。これから私はお前たちをゼロ・テスターと呼ぶことにする!」アニメ好きの者たちはその言葉だけでさらに心に火が付くのだが、そうでない者たちはさらに質問を続ける。生徒の一部:「押忍!先生!ゼロ・テスターとは何でありますか?」M先生:「バカもん!!!ゼロ・テスターを知らんとはどういうことや!お前ら中学校まで何を勉強しとったんや!」生徒の一部:「押忍!申し訳ありません。」M先生:「ゼロ・テスター・・・それは・・・生命維持度ゼロに挑戦する正義の戦士たちのことをそういう・・・思えておくように。」生徒達:「押忍!ありがとうございます。」生命維持度ゼロに挑戦する正義の戦死・・・この言葉がさらに我々のハートを燃え上がらせる!
2020.10.24
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しかしその日、Tに大逆転が起こる!献血時にもらえる飲み物のシークレット的な新たなひとつが、、、なんとお茶だった。今では缶やペットボトルの飲み物でお茶というのは完全に市民権を得ているが、当時は全くなかったのだ。噂によるとお茶の名産地である静岡県にいけばお茶の自動販売機があるらしい・・なんて話もあったが、当時はお茶と水にお金を払って買うなんてことはあり得ないことであった。献血車の中でそれを目にした我々は「缶入りのお茶なんてあるねんな!」「だれが飲むねん!」なんて言っていた。中にはもの珍しさからお茶を選択するものもいたが、「普通のお茶やったわ。なんか損した感じやわ。」といったコメントを残していた。しかし、グルメ派の中にはパン派ではなくお米派の人間も多くいたので、「お茶があるのが分かってたら、おにぎりを持ってきたのに!!!」と悔しがる者も少なくなかった。その中で・・・Tは迷わずにお茶をチョイスして、献血後に秋の穏やかな日差しの差し込む学校の中庭の芝生に座って、お母さんが作ってくれた具沢山のおにぎりをお茶と共に味わった。もうそのときはTをからかった連中も、その姿に何も言えないどころか羨望の眼差しを向けていたとのことだった。この日の放課後、Tは私に「今日のおにぎりの味は一生忘れることはないわ!」と誇らしげに語ってくれた。その言葉はなんだか私までも誇らしい気持ちにさせてくれた。
2020.10.23
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Tの家に遊びに行くと、いつもお母さんが出迎えてくださった。そして私が家にいるとひっきりなしに何か食べ物を出してくださった。当時は結構大食いだった私でも「すんません。もうお腹いっぱいです。」と言わざるを得ないほどだった。そんな私にお母さんはいつも弾けるような笑顔で「ええねん、ええねん。でもゴマ君思わへん? 食べきれんほど食べ物があるって幸せやって! こんな幸せなことあらへんで。ホンマにええ時代になったわ。」そう言いながらもお菓子やらなにやらを口に運んでモグモグとおいしそうに食される方だった。Tに聞けばお母さんは私の母より5歳年上とのこと。おそらく戦時中、あるいは戦後に嫌というほど食べ物の苦労をされてのだろう。そしてそのときTがポケットに入れているかなり大きめのおにぎりの中には、焼きシャケ・焼きたらこ・塩こぶ、梅なんかがこれでもかとふんだんに入れられていることも容易に推測できた。また父親の顔を知らずに母ひとり子ひとりで、お母さんを大切にして生きてきたTにとって、このおにぎりをバカにされることがどれほど悔しいことかも私には見て取れた。
2020.10.22
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我々の学年が3年生であった秋の献血・・・つまり我々の高校時代の学校でおこなう最後の献血の日の前日、春に飲み物が1種類増えたことでショックを受けた生徒達のためにある先生が献血センターに今回の飲み物の種類を問い合わせてくれた。返事は「4種類です。」だけで、「詳しい内容までは現時点ではわかりません。」と言われたようだった。それでもグルメ族(?)達は、増えたひとつの推測をしないで、オレンジ・アップル・スポーツドリンクの3種類だけに対応したパンを準備していた。そんな彼らの中で1人だけ当日寝坊をして遅刻してきた者がいた。Tだった。私の知る限り彼は学年で一番といっていいほど献血のときにもらえるジュースと自ら購入したパンのコラボレーションに真剣な男であった。Tのしくじりは、遅刻をしたことよりも、遅刻をしてしまって学食のパンを購入できないまま献血に向かうことであった。我がクラスの献血の順番がきて、相変わらず情熱ほとばしり組(?)が奇声をあげて献血車へダッシュしたあと我々が歩き出す。その中にいた失意のTに他のグルメ族(?)が「おいT、お前手ぶらで献血に行くんか?」「高校最後の献血でお前は飲み物だけで済ますんか?」なんて心無い言葉をかける者もいた。そう言われたTは「食べ物は持ってるわ!」と言って、ポケットから銀紙に包まれたおにぎりを出した。それを見た他の者たちは「おにぎりって!」「お前どのジュースとおにぎりを合わせて食べるねん!」などどいってからかった。そのときのTの悔しそうな横顔は今でも私の頭から離れない。私はそれまでに数回Tの家に遊びに行ったことがあり、お母さんともお会いしたことがあった。
2020.10.21
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1年生の春に飲んだ献血後のジュースの味を楽しむために脳内テイスティングを繰り返し秋を迎え、同じことを2年生のときも続けた。4回も経験があればそれぞれに定番のジュースとパンの組み合わせが完成する。やがて3年生の春ともなると、彼らには貫禄さえ出てくる。その貫禄は我々食に走っていないメンバーにジュースとパンの組み合わせの奥の深さを語らせるようになり、いつしか我々も彼らほどではないにせよ組み合わせにこだわる者がでてくる。そして3年生の春のその日・・・彼らの激震が走った。なんと!何の予告も前ぶりもなく、飲み物がひと種類増えていたのだ。当時世の中に出だしたスポーツドリンクだった。我々にとっては「ふ~ん・・・そうなんや。」で済む話だが、彼らにとっては一大事だったようだ。彼らにとってスポーツドリンクはジュースではないらしいのだ。それならチョイスしなければいいでだけの話だと思うのだが、そんな簡単な話でななかった。ジュースでないものを放り込んでくるのなら最初から言っておいてくれてば、それに合ったパンを用意できたのに・・・悔しい・・・ということだった。ここは我々には理解しがたい領域であったが、とにかく彼らの悔しさが深いことだけはわかった。そして高校生最後の秋の献血の日・・・飲み物がさらに一種類増えるのであった。
2020.10.18
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もちろん生徒全員が「看護婦さん・お姉さん」で盛り上がるわけでは無い。中にはもうすでに自分が異性と何とかなるとは思わない境地に達している者たちも少なくなかった。そんな生徒たちの何人かはグルメでの盛り上がり方を見せた。彼らの盛り上がりポイントは、献血後にもらえる缶ジュースだった。なぜか当時献血でもらえるジュースはどこに売っているのかよく分からない銘柄のものだった。今では見かけない(当時でもあまり見かけない)専用のツメで穴を開けて飲むタイプのもので、オレンジとアップルの2種類があり、好きな方を選択できた。そして彼らはそのジュースと学食で売られているどのパンとの組み合わせに美味を求めるかを競った。何日も前から食堂で販売されている様々なパンを食し、あの独特な味のジュースとのハーモニーを想像する。そして時には議論を重ねて当日を迎えるのだ。彼らは献血に行くときに、朝一番に学食で購入したパンを持参する。そして献血後は陽の当たる中庭の芝生に腰をおろして、しみじみと自らのチョイスしたパンとジュースでそれぞれの味を楽しむのであった。その瞬間、彼らは校内のだれよりも大人に見えた。しかし3年生の時、彼らの多くに悲劇が起きた。
2020.10.17
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当日クラスの10名ほどがO先生の言われる通りに二回目の献血に挑戦するも玉砕したことは言うまでもない。政治経済のH先生はこうおっしゃった。(H先生の授業中に隣のクラスのNが我がクラスの入り口の扉をノックした後に開ける。)生徒N:「押忍!授業中に失礼致します。このクラスの皆さんに献血車の前に集合するように指示が出たであります。」H先生:「おう、わかった。Nはもう自分のクラスに戻りなさい。ご苦労さん。」生徒N:「押忍!失礼します。(一礼する)」H先生:「おう、聞いての通りや。もう俺への礼は省略して全員静かに起立したら中庭の献血車の前に並ぶように。」生徒達:(席を立ってH先生に無言で一礼して教室を出ようとする。)H先生:「全員しっかり看護婦のお姉さんたちに抜いてもらってくるように!!!」H先生は常に言葉のチョイスに長けておられた。この一言に火を付けられた数名は雄たけびをあげながら廊下を疾走し始める。しかし中には疾走したいのにうまく走れない者も出てくる。私を含めてそこで体力を使いたくない生徒たちは歩いて現地に向かう。現地では走っていったクラスメイトたちがすでに列を作っている。その先頭グループの列の後方に並んでいる者たちは、先ほどうまく走れなかった者たちだ。彼らは並びながら、なぜだか両手を股間にあてて少しひざを曲げた体制でいる。我々はいつしかその体勢を《セットポジション》と呼ぶようになった。
2020.10.16
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O先生:「君たち、よく考えてみなさい。」生徒達:「・・・・(よく考えるという行為は基本的に回避)・・・」O先生:「もし君たち全員が倍の800ccの献血をしたとすればどうなる?」生徒達:「・・・・(よく考えるという行為は基本的に回避)・・・」O先生:「おそらく君たちの血液で献血車は重量オーバーとなり動けなくなる・・・」生徒達:「・・・(ホンマかいな?と思う者もいるが基本的に先生の言葉には逆らえない)・・・」O先生:「献血車が動けなくなれば、看護婦のお姉さんたちはどうなる?」生徒達:「・・・押忍!我が校内に居続けるしかないであります。」O先生:「そう!そうなればお姉さんたちが献血車から出てきてこの学校の土を踏む可能性がでてくるぞ。」生徒達:「おお!!!」O先生:「・・・その足跡から・・・一輪の花が咲いたとすれば・・・お前たちのさびしい青春にも一筋の光がさすのではないか?」生徒達:「おおおおお!!!!!」O先生:「諸君たちの当日の奮闘に期待する!」生徒達:「押忍!!!先生!!ありがとうございます。」
2020.10.15
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柔道のO先生は授業の終わりに我々を正座させながらこうおっしゃった。O先生:「そういえば君たちは明後日、本校に献血車がくることを知っているのか?」生徒達:「押忍!知っているであります!」O先生:「で、君たちはいつのも通り盛り上がってるのか?」生徒達:「押忍!盛り上がっているであります!」O先生:「君たちのことだから、少しでも長い間看護婦さんたちに学校にいてほしいと思っていることだろう。」生徒達:「押忍!思っているであります!」O先生:「ではひとつ策を授ける。心して聞くように!」生徒達:「押忍!心して拝聴するであります!」O先生:「献血は通常200ccか400ccだ。しかし君たちには問答無用で400ccの採血が義務付けられている。」生徒達:「押忍!光栄にも義務付けられているであります。」O先生:「向こうは君たちから1回400ccの採血をするつもりでやってくるぞ。」生徒達:「押忍!やってくるであります。」O先生:「・・・頭を使え~~~(と言いつつ前列で正座している生徒の胸倉をつかんで強引に立たせて一本背負いでたて続けに3人を投げ飛ばす)!!」投げられた生徒達:「(投げ飛ばされた位置できれいに受け身を取った直後すぐに正座の体制に戻りながら)押忍!ありがとうございます!!」
2020.10.14
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私の母校は当時大阪府下で確実にトップ3に入る底辺高校だった。しかし入試では「名前が書ければ合格」なんていわれていたが、これはデマだ。自分の名前を漢字で書けない者もいたのがその何よりの証拠だ。35年以上も前の学校では今では考えられないことが往々にして起こったが、我が母校では当時でさえも考えられないことが日常茶飯事で起こっていた。そのひとつがそう、、、献血だった。日頃から地域のみなさんにご迷惑をかけることが多い我が母校であったが、時として地域に貢献できることもあった。献血はそのひとつだった。春と秋!年に二回我が校に献血車がやってきた。そこで我々は大きく盛り上がった。その盛り上がり方にも種別があった。まずはギンギンの男子校に献血車に乗った看護婦(当時はまだ看護師という言葉は普及していなかった)さん達が来るのだ。女性と接する機会に飢えた男子高の高校生が盛り上がらないわけがない。そんな我々に先生たちも刺激的な言葉を投げかける。世界史のS先生は授業中にこうおっしゃった。S先生:「おい!お前ら! 来週献血車が来るのは知っとんねんやろなぁ~。」生徒達:「押忍!!!」S先生:「おお、、、知とったか、、、。ほな気合は入っとんねんやろなぁ~~~。」生徒達:「押~~~っ忍!!!!」S先生:「おっしゃぁ~~~。 ほんなら来週は献血車の看護婦の姉ちゃん達をお前らの血で真っ赤に染め上げたらんかい~~~。分かっとんねんやろな!!!」生徒達:「うおおおおおお~~~~~(感極まって、握手する者、ハグしまくる者、腕たせ伏せを始める者、泣きだす者が現れ、教室の何カ所かで胴上げが始まる)。」
2020.10.13
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先日ほんとうに久しぶりに献血をした。コロナウイルスの影響で輸血の血が足りません・・・という呼びかけに「こらアカンやん」と思ったのがきっかけだ。随分以前にしたときより、最初の問診が難しくなっていた。担当者の問診のあと、タブレットでの健康状態のチェックがあった。これらに結構な時間を要した。問診時に私の前回の献血が15年前だということが分かった。「そんなにしてなかったんや・・・」と思った。そして献血の前の採血で献血に適した血液であることが判明して、チョコレート菓子をもらって建物の外に待機している献血車に乗り込む。献血車の中は昔とそれほど変わっていなかった。担当の看護師の女性に腕の消毒をしてもらっているときだった。私の中で高校時代の記憶が鮮明に蘇った。
2020.10.12
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名前に用いられる「マイケル」と「ミッシェル」・・・これが私にとって最高にややこしい![Michael]と[Michele]・・・どうも区別がつかない。このブログに表記するときもスマホの辞書機能を使って確認しながら打ち込んでいる。打ち込みながらもう頭脳が機能していない。閉店ガラガラ状態だ!本気で訳が分からない。この2語の語源が同じらしいので似ていても仕方ないのだが、それにしても似すぎだ。キング・オブ・ポップスといわれる「マイケル・ジャクソン」!英語表記では[Michael Jackson]だが、[Michele Jackson]と表記されても私にはその区別がつかない。なので区別がつかないことに気づいていないふりをして、その場の雰囲気でなんとかごまかして生きていこうと思っている。なので私にとって最高にややこしい名前をもつ人は・・・アメリカ人女優の[Michael Michele]さんだ。もちろんご本人には本当に申し訳ないのなが、本当に勘弁してほしい。
2020.10.11
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だからといって、短縮形を用いずに丁寧に[can not]と言うと、ときとして強調しすぎてちょっとキレているような感じになることもある。そこで用いられるのが[cannot]だと言われている。これなら我々のような英語を母国語としない人たちにもしっかり聞き取れる。なのでいつの日か[can't]は死語となって、[cannot]だけが言語として残る時代がくることを密かに願う私であった。そして最後にもうひとつ!「ピース」問題よりも、[can't]問題よりも強烈なややこしさで私を悩ませている英語がある。中学の頃から感じているのだが、どうやら私は英単語をスペルではなく全体の形で記憶しているようだ。ノートやホワイトボードに英語を書いた時も、間違えがあった場合「ここが違う」と気づくのではなく「どこか形が変だ」と思うことから間違いに気づくのだ。そんな私にとって形が酷似しているというか、まったく同じ形に見えてしまう単語があるのだ。
2020.10.06
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このあたりの対処は英語(イギリス語)の方が良心的だ。地方にもよるが英語のネイティブの人たちの多くは[can]を「カン」と発音する。・・・ちなみに我々が学校の英語の授業で習う[can]=「キャン」は、米語(アメリカ語)のスタンダードだ。つまり我々は学校で「英語」といいながら「米語」を習っているということになる・・・英語で[can]を「カン」と発音するのは一説によれば、[can't]になったときの[t]を聞き取りやすくするためだと言われている。前述のように[a]を長く発音した場合、「カアント」という音になる。ローマ字表記すると「caanto」だ。どの国の言語でも母音[a/i/u/e/o]=「ア/イ/ウ/エ/オ」を二回重ねるのはかなり音声的なインパクトを残す。この[a]の重なりが、その後の[t]の存在を感じやすくさせるというのだ。私はこれには心底納得している。米語では無声音の[t]がほとんど聞こえないので、[can]=「キャン」で[can't]=「キャン(ト)」となる。この(ト)はほぼ聞こえない。しかし英語では、[can]=「カン」で[can't]=「カアン(ト)」となるので、米語と同様に[t]=(ト)が聞こえなくても「ア」の存在の有無で[can]と[can't]の音声的な区別が可能となる。
2020.10.05
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[can]と[can't]!皆さんはこの聞き取りのややこしさに気付いているだろうか?意味はもちろん正反対で大違い。「できる」と「できない」は大違いだ。[can]は基本的に問題はないのだが、厄介なのは[can't]だ。だって[can't]の[t]は『無声音』と言われて、ほとんど発音されないのだ。なのでこの場合かなり重要になるのは、前後の文脈だったり、話者の表情や身振り手振りだったりする。これをネイティブに人に言うと、[can't]の場合は[can]のときより[a]を長く発音するから大丈夫・・・なんて言われるが、私に言わせればそれは時と場合、あるいはその人による。[can]のときに[a]を長く発音する場合や人もいるし、吐き捨てるように言う場合の[can't]の[a]はものすごく短く発音されることが多い。でも最近は国際化も進んで、英語のネイティブでない人には[can't]の[t]を意識的にはっきりと発音してくれる人も多くなってきたのは有難い限りである。
2020.10.04
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of は前置詞で名詞の前に置く語だ。熟語や連語で様々な登場シーンがあるが、基本的には「~の」と訳す場合に用いる。この語順が学生さんにとってときに落とし穴になる。英語の順番が[A]of[B]ならば、和訳するときには[B]の[A]となる。[friend of mine] なら「私の友達」という意味になる。「私の友人たち」なら[freinds of mine]だ。では英文ではいつも of の前に複数形がくるのかというとそうではない。たとえば「王のなかの王」なら[king of kings]となり of の後ろに複数形がくる!なので「ピース・オブ・ピース」はどちらが複数形か否かで意味を特定することは文法上ではできない。それはそれでいいのだが、やはりここに例の3語が絡むともう訳が分からなくなってしまう。音声だけで「ピース・オブ・ピース」と言われると・・・[piece of peace]=「平和のかけら」なのか、[piece of peas]=「豆のかけら」なのか、[piece of piece]=「かけらのかけら」なのか、[peace of piece]=「かけらの平和」なのか、[peace of peas]=「豆の平和」なのか、[peace of peace]=「平和の平和」なのか、[peas of peace]=「平和の豆」なのか、[peas of piece]=「かけらの豆」なのか、[peas of peas]=「豆の豆」なのかが分からない。ややこしさ、ここに極まれり・・・だ。でもこれらの表現に遭遇する確率は低い!それを頼りにあまり難しく考えないでおくことにしている。しかし・・・遭遇率の極めて高いものもある。
2020.10.03
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とはいえ内心はイマイチ諦めきれない。何とか自分なりの打開策を模索する。[peace/平和]は抽象名詞で複数形はない!「平和」をひとつふたつと数えられないのだ。[piece/かけら]は普通名詞で単数形!複数形は[pieces/ピーシーズ]となる。この3単語の中で「ピーシーズ」となるのはこれだけだ。これは頼もしい事実だ。[peas/豆]も普通名詞だがすでに複数形!単数形は[pea/ピー]となる。この3単語の中で「ピー」となるのもこれだけだ。これも頼もしい。これで[ピーシーズ]と[ピー]は音声でも識別できる。ただこれではほとんどの問題は解決できない。私が本当にややこしさを感じるのは、これらの単語に前置詞[of]が加わるときだ。
2020.10.01
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