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日本の中で一番非効率なのは官僚組織ではないか(サボタージュを決めた時の限定かもしれないのだが・・・)と思うのだが、麻生首相が最重要課題の一つに掲げる公務員制度改革は、先月内に決定をを目指していた「工程表」が2月以降に先送りされたのだ。その理由というのが官僚である人事院の谷公士総裁が、この「工程表」に徹底抗戦の構えを崩しておらず、国家公務員制度改革推進本部に谷総裁が出席を拒否したため、本来ならば、この会合で公務員改革の「工程表」を決定する予定だったのだ。「首相主宰の会議に、役人が出て来ないなんてあるのか」旗振り役の甘利行政改革相は、記者会見で怒り心頭さて不満を爆発させた。 人事院の谷公士総裁は、各省の幹部人事を一元管理するため新設する「内閣人事・行政管理局」に、人事院の機能の一部を移管することを盛り込んだ「工程表」に反対する立場から、出席を拒否したのだ。そこで甘利氏は記者会見で「人事院のお墨付きがなければ改革ができないとしたら、永遠にできない」と言っているのだが、まったくそのとおりだ。国家公務員制度改革推進本部が開けなかったのは、谷氏の欠席が一因だと明らかなのだから、本来なら官僚のサボタージュだろう。働かない官僚は分限条項でクビにしたらいいだろう。 ところが、麻生首相は推進本部の開催にこだわっていた甘利大臣を説得して、会合延期で沈静化を図ったのだ。それが甘利大臣の記者会見での暴露で政府内の泥仕合をさらけ出す結果となったのだ。人事院の谷公士総裁は郵政次官を退官後に、総務省の外郭団体理事長や衛星通信会社会長を経て、人事院人事官から同総裁に就任しており「官僚中の官僚で人事院を守ることが使命」とも評されている人物なのだ。しかも今回のことでも「辞表を提出しかねない勢い」だったそうで、その時には「郵政民営化の裏事情を全部暴露する」と政府を脅かしているそうだ。 政府は、内閣人事・行政管理局の新設などを盛り込んだ国家公務員法改正案を今国会中の3月に提出して、今国会での成立を目指しているはずだったのだが、今回の人事院の谷公士総裁の反乱は、政府高官も「世間には、人事院を管理できない駄目な内閣と映り、大打撃だ」と頭を抱えいるそうだ。この事実も見ても政治家が官僚をコントロールしているとは思えず、官僚が主役だと言う証拠だろう。自分たちの不利になることを、自分たちが決めるわけが無いだろう。
2009年01月31日
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朝日新聞が「政府は業績不振に陥った一般企業への資本注入制度を整備して、倒産等を防止する」と言う記事を一面に載せたのだが、経済産業省には、自民党や公明党などの国会議員からの電話がひっきりなしに入ったそうだ。 この企業への公的資金注入は、金融機関には公的資金を注入する「金融機能強化法」があるが、景気悪化で赤字に陥るなどした一般企業に対しても、政府が支援できる仕組みを整えて、さらなる景気悪化に備えるためだそうだ。 こなると国会議員の先生方には、近づく選挙への備えとして地元に戻った時の、大きなみやげ話にもなるみたいなのだ。そこで、経済産業省の主要局である経済産業政策局電話のは、1日で50本を優に超えたらしいのだ。 この公的資金の対象企業は、経済産業省が「産業活力再生特別措置法」に基づき事業計画を認定した企業となっており、その実はお役人が決めるとのだ。それによると支援対象となるのは、地域の中堅企業や大企業となりそうなのだ。 倒産した場合に雇用や地域経済への影響が大きな企業などが想定されてはいるが、二階俊博経済産業大臣は「国としてこの企業はぜひ残しておきたい、そういうところは大いに目安にしていきたい」としか言っていないのだ。 これではどんな企業が公的資金を受けられるのかさっぱりわからないし、国家にとって必要な企業を定めることなど、なかなか難しい事項をチャランポランに、お役人の判断で決めるというのが 私には納得がいかない。 現在も地域的な金融不安や大規模災害を想定し、政府や銀行が連携して民間を支援する仕組みはあるのだが、きっと構造的な不況業界やその手の企業を温存することになってしまうだろう。(我々の税金がまた無駄に...) 麻生首相がよく口にしている「100年に1度の危機だから・・・」で、すべての免罪符になるとはとても考えられないので、一般企業への公的資金注入に私は絶対に反対だ。そんなことで構造的不況企業は真に強くなるのだろうか。 最後は「ただ大きいからとか、従業員が多いからとか・・・」になってしまうに決まっている。それでは貸した金が返ってこなくなって、税金の無駄使いになってしまう確率が非常に高くなってしまうだろう。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2009年01月30日
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江戸時代の泥棒は狙ったところに放火をして、その騒動に乗じて金蔵から金銀を盗んでいたそうだ。それを防止するために現行犯なら盗賊を殺してもよい権利を持った治安隊が「火付盗賊改方」なのだ。そして、その組織の長官が有名な「長谷川平蔵」なのだ。郵政民営化によって宿泊施設である簡易保険加入者福祉施設(通称では「かんぽの宿」などと呼ばれているが・・・)や郵便貯金周知宣伝施設を、建設費より格段に安い価格で売却することは、盗賊の頭がオリックスの宮内義彦会長で、火盗改めの長官が鳩山総務相といったところだろう。 日本郵政株式会社は民主党総務部門会議で、オリックス不動産への一括売却を決めたかんぽの宿70施設の整備費は、2500億円程度だったと説明したそうだが、建設費より格段に安い価格で売却していたことが、日本郵政が示した資料で分かったのだ。その中には収益性が悪いために簿価を引き下げたという理由で、わずか1万円で売却されたかんぽの宿もあったそうだ。鳩山総務相はオリックスの宮内義彦会長が、政府の規制改革会議で議長を務め、かんぽの宿などの公的宿泊施設の売却・廃止を提言した経緯に触れており、施設売却にオリックス不動産が関与するのは、火事場泥棒であると主張しているのだ。 小泉内閣の時代に規制改革会議議長を務めて、郵政民営化の推進派とされた宮内義彦会長関連するオリックスの子会社が、「簡保の宿」等の郵政施設を買収に名乗りを上げたことは、火事場泥棒と言われても仕方が無いことなのだ。このような火事場泥棒的なことをやったのはこれが初めてではなく、オリックスの子会社は前科一犯なのだ。高速道路株式会社の役員人事に関する報道では、規制改革会議議長の宮内義彦会長らによって「官僚の天下りは悪」というキャンペーンが行われたが、民営化すると高速道路株式会社の役員人事は「オリックス関連会社のの天下り先になっている」という事実が明らかになっているのだ。 日本道路公団から高速道路株式会社になったときに、オリックス株式会社役員(たしか専務取締役だったと記憶しているのだが・・・)から道路公団民営化後、そっと中日本高速道路株式会社に役員として天下ったYMと言う人物がいるのだ。そのオリックスの天下り人物は、監査役として不正を防止するための役職に付いたみたいなのだが、以前に「オリックス幹部が複数で、法律で禁止されている高速道路の売却を中日本高速道路に入ってから画策していた」とのことで検察が起訴に乗り出したことがあった事件では、重要な役割をしていたとされているのだ。 規制改革会議議長を務めた宮内義彦オリックス会長が、いくらTV等のマスコミを使って、規制緩和が大切だと話してみても、自分の関連会社がこのような火事場泥棒みたいなことをやって、悪銭を稼いでいたのでは、鳩山総務相が言っている「李下に冠を正さず、瓜田に靴を入れず」と批判するのももっともなことだろう。
2009年01月29日
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今日のTVのニュースで愛媛県出身ソフトバンク・ホークスを自由契約になった山村路直投手が、米球界で現役続行を目指すことを明かしたそうだ。代理人との契約も終えているみたいで、今週はじめに渡米してアリゾナ州で開催される米国メジャーリーグの「アリゾナウインターリーグ」に参加するそうだ。昨年11月の12球団合同トライアウトで参加者最速の148キロを記録した山村投手だが、昨年末に日本球団からの誘いは無かったそうだ。そこで活躍の場を海外の場に求めて、メジャーリーグへの参加を決意したみたいだ。「やれる自信はある。人生は一度きりだし、とにかく行動したかった」というのが山村投手の談話だが、母校の九共大のブルペンで練習をしていたのだ。 山村投手は8年前のドラフト1位入団したのだが、昨年11月の戦力外通告されたのだ。そこで12月からは30歳になっていたにもかかわらず、メジャー公式球での投球を開始したそうで、「中継ぎでも先発でも何でも挑戦し、米国でもう一度プロのマウンドに立ちたい」と新天地での再挑戦に山村投手は意欲を燃やしているのだ。大学時代は初めて九州の大学を大学日本選手権で優勝させて豪腕だが、「いいところを見せよう」として体ができてない段階で、無理をしたのがたたってしまったのか、右肩を壊した山村投手はマウンドから消えてしまったのだ。 昨年11月に行われわれた12球団主催のトライアントとでは、元近鉄の吉岡選手を遊飛に抑えるなど、打者4人に対し被安打1だったのは素晴らしい成績で、山村路直投手は参加投手中、最速の147キロを記録したそうで、会心の笑みを見せつつ「自信を持って投げられた」と、今年のドラフトなも1位選択になるくらいの選手なのだ。ドラフト選択はされたが、本当に大丈夫価格なのか、水路や公園内の草木等、ダイエー(現ソフトバンク・・・)入りするも、右ひじの故障などもあり8年間の1軍登板は25試合しか出場できなかった。放送を聴いた感じでは「けがは治ったし、自信はある。日本が駄目なら国外でも野球をしたい」と、報道陣にもアピールするかのように多弁だったみたいだ。 山村投手は怪我のために右ひじには数箇所メスが入っているのだが、私が自主トレなどを見たかぎりでは、あまり問題は無いみたいだ。特に速球の威力はあり、元バッファローズの吉岡選手をを遊飛に抑えるなど、打者4人に対し被安打1だったのは山村投手ただ一人だ。しかも、参加投手中で最速の147キロを記録したそうで、山村投手は会心の笑みを見せつつ「自信を持って投げられた」と言っていたのだ。それでも、右ひじの故障などもあり8年間の1軍登板は25試合しか登板してないのが響いて、トライアントでは採用にならなかったという、厳しい現実があったのだ。(派遣切などそれほど厳しいことでは無いか・・・) 山村投手本人が「けがは治ったし、自信はある。日本が駄目なら国外でも野球をしたい」と、報道陣にもアピールしていたのだが、ここは心機一転頑張ってもらいたいものだ。
2009年01月28日
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昨日の1月26日は旧正月だったのだが、中国では伝統的にいわゆる「旧暦」に基づいて新年を祝うため、西暦の1月1日はそれほど重要視されていないのだ。ところが、春節(旧正月)は中国の祝日の基本中の基本で、日本の盆と正月を足したような感じだそうで、1年で一番大きな祝日で、ここは日本と同じように1週間程度の連休となるのだ。旧暦に基づくので、西暦の日付は毎年異なり、春節連休のスケジュールもその都度発表され、今年は1月26日からに当たっているのだ。 このお祝い事は「中華人民共和国」でも「中華民国」でも同じようにお祝いするみたいだ、今年は中国から台湾に友好の印として贈られたパンダが、旧正月の元日にあたる昨日に、初めて一般公開されたそう・だ。公開されたのは、中国から去年贈られた「団団」と「円円」のオスメス2頭なのだが、台湾の動物園には寒さにもかかわらず、パンダの姿を一目見ようと、開園前には家族連れを中心に数千人が列を作ったそうで、入場制限が設けられたとTVのニュースが報道していた。 中国の新聞によると「中国の伝統的祝日、春節(旧正月)は、世界の祝日になるか」とのアンケート調査を行なったそうだが、中国人の7割以上が「なる」と回答したそうだ。中国人が「春節は世界的な休日になる」との回答の理由は、「中国は不断に国力を増強しており、その影響力はますます大きくなっている。中国の習俗伝統も、他の民族に影響を及ぼす」とか「中国人の同胞は、世界中にいる。各国における春節の影響も、さらに大きくなる」などとしていた。私自身はどんな理由でも、どの国の祝日でも休みが増えるのは大賛成なので、早急に中国の祝日である「春節(旧正月)」を休みにしてもらいたい。 さて、私の日記だが毎年旧正月には新春を迎える和歌(短歌)や俳句を紹介することにしているのだが、今年は世情を反映して 眺むれば 月やはありし 月ならぬ 我身ぞもとの 春に変れる (後鳥羽院)の和歌を紹介しておくのだ。これは新春を迎えても楽しいことばかりではない気持ちが良くあらわされたもので、厳しい経済情勢の今年にはピッタリな歌だろうと思っている。 なんとかしてよ、麻生さん・・・
2009年01月27日
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先週の金曜日と土曜日に松山市で「第6回全国城跡等石垣整備調査研究会」が開催されたのだが、この研究会の目的が「貴重な文化財である石垣の保存と活用」となっているはずなのに、地元の新聞に紹介されると「城の石垣修理の問題を話し合う」ことになってしまっていた。文化財として松山城等の石垣を保存することに文句をいう気はないが、土木技術者として石垣はお城の石垣だけではないことを強く言っておきたい。私が保存に協力したのは河川にある石堰なのだが、お城の石垣と同様にその石堰も、江戸時代の初期に造くられたものなのだ。(その石堰を造った技術は、城の石垣を造った技術なのだが・・・) 今年の「第6回全国城跡等石垣整備調査研究会」は、「全国的にも評価の高い松山城の石垣と、それを生かしたまちづくりについて考えてみよう」というテーマのはずだったので、二日目のシンポジウムは市民参加で行われたのだ。採用はされなかったのだが、私がパネリストへ事前に出しておいた質問状に、「現在残っている石垣を保存していくのは当然のことだが、まちづくりの一環として新しい建造物を、石を使って造る発想はないのか」ということだった。土曜日のシンポジウムのパネリストである「日本イコモス国内委員会事務局長」の矢野和之先生は、江戸時代の石材を使ったアーチ橋が多く残っている九州は熊本の出身なので、九州地方でこれから造る橋を、石を組み合わせて造るアーチ橋で造ったような事例は無かったのかを聞いてみたかった。 もう一人のパネリストである「文化財石垣保存技術協議会代表」である粟田純司棟梁には、第二名神高速道路が焼物で有名な滋賀県信楽町を通るときに、「伝統的な古い街並の中に無愛想なコンクリートはダメだろう」ということで、橋台の基盤工事として穴太積みの石垣にと白羽の矢が立ち、御自身が施工した石垣の話を聞きたかったのだ。これらはまちづくりの一環として、石積みや石垣が利用されている一例として、どうしても聞いておきたかったことだった。 私は二日間の研究会の話を聞いていて、おそが気の保存は学芸員に任しておいてはいけないと実感したのだが、特に、石積みの技術の継承には、お城の石垣などの文化財の保存などでは不十分なのだ。新しい構造物を戦国末期から現在に継承されている技術を使って造ったり、地域に残っている石工さんを使って、河川の護岸でも住宅の谷治でもかまわないので、新しい構造物を作っていくことが技術の保存になるのだろうと思っている。
2009年01月26日
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貴重な文化財である石垣の保存と活用を目的に「第6回全国城跡等石垣整備調査研究会」が松山市で開催されているのだが、二日目の土曜日は全国的にも評価の高い松山城の石垣と、それを生かしたまちづくりについて、基調講演とシンポジウムが行われた。今回の研究会で私が話しを聞きたかったのは、石積み構造物研究の第一人者で石川県の金沢城調査研究所の北垣聰一郎所長と、数ある石垣石積の中でも穴太衆積という技術を全国でも唯一継承している文化財石垣保存技術協議会代表の粟田純司棟梁(粟田建設社長で石工なのだが…)の二人だったのだ。 全国の城郭石垣のルールと言われる穴太衆積は、自然の石をそのままに積み上げ、造形美と強固な石垣を特徴としており、石垣の内側にも水ぶくれによる崩壊を防ぐため、栗石や小石をつめて排水を良くする工夫が施されているのだ。このように目に見えない部分に穴太衆積ならではの秘伝の技が潜んでおり、それが何百年の風雪に耐え得るの堅牢さを生み出していりといっていいだろう。穴太衆は高い石工(石積み)技術を持っており、石垣の他にも、石仏や石橋も作っていたのだが、また、近江には安土城・彦根城など石垣を積んだ城が多いのだが、それは穴太衆の技術があったからできたことだといっていいだろう。私も石積みのルーツである穴太衆の石垣の特徴を勉強はしているが、自然石や粗割石を使い、大小バランスよく積み上げ隙間を小石で埋めるというものだが、会場で粟田棟梁本人から石積みの技術を聞くことが出来た。 穴太衆の技術で施工した石垣の種類は原則として、自然石をそのまま積み上げた石垣を野面積みなのだが、見た感じもばらばらで不安定に見えるが、この野面積みが戦国末期に作られた古城の場合は、400年以上も持ちこたえているのは、自然石は石の奥のほうで上下の石が接していて、上の石の荷重を下の石の重心に近いところで受けており、見た目よりもしっかりと安定しているからなのだ。また、石と石との間に隙間があり、石垣の背後にたまった雨水を容易に排水できる(石垣に悪さをするものは、流入水と樹木の根なのだ…)という利点もあり、日本のように大雨の降る地方では水抜きは絶対条件なのだ。松山城の石垣のように四角く整形された切り石や割り石を使った石垣に比べると、野面石積みが粗雑で単純な方法に見えるが、実は非常に高度な技術が必要で、排水も良く崩れにくく堅牢な石垣になるのだと自慢していた。 もう一人の技術書の著者としても有名で、金曜日のシンポジウムに参加していた、以前から文化財としての石積み技術の保存を訴えてきた石川県金沢城調査研究所長の北垣総一郎所長は、「石積みの技術は、江戸から明治にかけて衰退し、技能を持つ人も減った。工法は変化し、伝統技術を残すことは難しい」と言っていたが、この「全国城跡等石垣整備調査研究会」が「本物の石垣をより近い形で、手作りで後世に残す。技を受け継ぐ意味を感じ取ってほしい」と盛んに述べており、土木技術的な要素をもっと取り入れるべきだと提案してくれていた。 今回の研究会ではこの二人の話が出来たことが一番の収穫だった。(多くの棟梁たち炉はなしたのも非常に勉強になったのだが…)
2009年01月25日
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石垣研究の成果を報告する、文化庁などの「第六回全国城跡等石垣整備調査研究会」が、松山市で今日から開催されたので、私も興味を持って参加してみた。午後からあったシンポジウムで東北芸術工科大の北野博司助教授が、江戸期に何度も修理・修復した松山城の石垣について、「時代に応じて石の積み方や加工法が変化してきた『石垣の博物館』だ」と述べ、文化財修復への研究を重ねる必要性を強調していた。そのシンポジウムの前に事例報告として、松山城・高知城・宇和島城・高松城の石垣修理に関して行われたのだが、最近完成した今治城の改修工事のこれは発表されなかった。(資料が間に合わなかったのか…) この「全国城跡等石垣整備調査研究会」は、文化庁を中心に全国の石垣整備の専門家等が一同に集い、石垣を含む城郭等の整備上の諸問題について専門的な情報を共有して、修理の理念や手法をより高めていくことを目的としておりのだが、昨年はちょうど今頃の時期に熊本市で行われたそうだ。今回の松山市で行われる「第六回全国城跡等石垣整備調査研究会」は、全国の石垣整備の専門家等のほか市民の参加を募り、松山城やその石垣の素晴らしさとその魅力を、どのようにしてまちづくりに生かしていく契機としるみたいで、ボランティア・ガイドの人も大勢会場に見えていた。私は石積みの技術者としてこの研究会に参加しているのだが、ボランティア・ガイドとして松山城の案内もしているのだ。 松山城の石垣は国の史跡等に指定されており、安土・桃山時代から江戸初期における近世の城跡をはじめ、顕著な石垣・石積を含む遺跡を対象として、築城当時の構築技術や江戸中期以降の修理技術などの保存と継承を図るとともに、遺跡を整備する上での技術的行政的諸問題に関して、関係者の共通認識が大切であると良くわかったのだが、文化財として保存を目的とする改修事例報告者は、やはり行政マンで土木のことなど知らないなと痛感した。特に松山市の改修に当たった学芸員は、「石工の意見と改修委員会の意見では、学術経験者である委員会の意見を尊重している」と言い放っていた。 石垣を積みなおすのに、石も触ったこともなうような学者の意見など何の足しにもならないことを、少しも理解してないのに驚かされた。
2009年01月24日
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私が昨晩の事務所の工事関係者の焼肉パーティから、事務所の仮眠室に寝に行ったのが、たしか日が変わる時分だったのだが、やっと最後まで飲んでいた連中が仮眠室に帰ってきたみたいだ。私のほうは起きだして事務所のPCを使って日記を書いているのだが、これから風呂でも沸かして湯に浸かって、少しアルコールでも抜こうか。それから朝飯の準備でもして、今日と明日は研修会で出張するので、その準備でもしておこうか。(JRに乗ったら1時間以上は仮眠が出来るので…) 昨晩の焼肉での宴会のことを、最後まで後片付けをしていた若い衆に聞くと、なんとビールの樽を3樽も飲んでしまったそうだ。一樽が15リットルのぶんか20リットルのぶんかは聞かなかったのだが、それでもけっこうの量だ。日本酒も昨晩は雨が降っていたので熱燗がよかろうと言うことで、やかんで沸かしていたそうだが、1升瓶を10本は空けたそうだ。私が最後に飲んでいたのは、準備をお願いした焼肉屋さんがサービスでくれた「マッカリ」だったのだが、これももらっていた4合瓶6本ともすべて飲んだそうだ。女性陣が飲んでいた缶チュウハイなどは少し残っているそうだが、途中でビールが足りなくなったそうで、事務所の冷蔵庫に冷やしてあるやつはすべて飲んだそうだ。 私はこれから風呂に入って、湯上りのビールを楽しもうと思っていたのだが、どうやら湯上りの缶チュウハイになりそうだ。後は焼酎とウィスキーを飲んでいたはずだったのだが、(私もビールの後は、ウィスキーのソーダ割を飲みながら、焼肉を食べていたのだが…)約半数くらいが終電車やタクシー分乗で帰ったらしい。(私のセクションにいる新婚の若い衆のように、奥さんが迎えに着た車に便乗して帰った連中もいるそうだが…)ちょうどコンビニへ買いだしに行っていた若い衆が帰ってきたみたいで、どうやら湯上りのビールはなんとかなりそうだ。 やっと事務所の風呂の方も湯が溜まってきたみたいで、やっと入れそうになってきたようだ。仮眠室から起きだしたときに飲んだ、肝臓の働きを助け、アルコールの代謝を促進するウコンや、悪酔・二日酔に伴うはきけ・嘔吐に効果のあるショウキョウを配合した健胃薬である「黒丸」もどうやら効いてきたみたいなので、これから風呂にでも浸かって昨晩の汚れでも落としておこうか。
2009年01月23日
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昨晩が事務所の工事関係部門の飲み会があって、久しぶりの焼肉での宴会だった。我々の焼肉宴会は焼肉屋さんに行くのではなく、事務所の倉庫で炭を起こして肉やビールを買い込んで、自分たちで段取りして行うのだ。 しかも、食べる量も飲む量も桁外れで、準備をする焼肉店から「相撲取りの宴会のようだ」と言われたこともあるのだ。昨晩の焼肉パーティも参加者が16名だったが、肉を買ったのがいろいろな部位を交えて、20キロを越えていたのだ。 酒のほうも酒屋さんから生ビールの樽セットを借りてきて行うのだが、これまた宴会の途中でビール仮名のなって、追加注文することもあるくらいなのだ。(私の場合はビールは、中ジョッキに5杯くらいしか飲まないのだが・・・) 昨晩の宴会も始まったのが昨日の天候が雨降りだった関係で、17:30になるとすぐに始まり、(雨のため現場を早仕舞いして若い衆が、宴会の始まる1時間くらい前から準備をしていたのだが・・・)挨拶もなしに飲み始めたのだ。 我々の準備はまず、胃腸薬等を先に飲んでおくむことで、私の場合は昼休みに近くのコンビニで「液キャベ」を買っておいて、宴会の始まる30分前に飲むことにしているのだ。この医薬品である液体胃腸薬は、 けっこう効果があるのだ。 昔、バブル時代に毎晩ように接待をしていたのだが、(そのころは本店勤務で接待が多く、よく東京などで痛飲したものだが・・・)接待の宴会の前にちょうど発売されていた、「もたれ」や「はきけ」などに効く液体胃腸薬を飲んでいたのだ。 当然接待宴会の終了後は、気の合った人と二次回・三次会をしていたので、宿舎や家に帰るのが日が昇る時間近くになることも少なくなかった。そこで飲んだ後には「黒丸」の出番なのだ。(本当によくお世話になったものだ・・・) この悪酔・二日酔のむかつきに有効な漢方処方「黄連解毒湯」の主な成分オウゴン・オウバク・オウレンを配合している薬は、そのころ地方の薬屋には売ってなかったので、わざわざ東京で大量に買ったりしていたのだ。 そのころから私は、非常にハードな宴会があるたびに、「飲む前の液キャベ、飲んだ後の黒丸」を実践しているのだ。昨晩の宴会も私が事務所の仮眠室に帰った時間でも、ほとんどの人間がまだ飲んでいたのだ。 結果は明日へとつづく・・・ wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2009年01月22日
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今日は夜中(どちらかと言うと早朝だが…)に起きだして、米国大統領の就任式をTVのライブで見ていた。就任式の最後に、悪名高い大統領として後世に残るであろうブッシュ前大統領を、ヘリコプターに乗るところまで見送って、就任式の全工程は一応終わったみたいなので、この日記を書いているのだ。黒人の米国大統領誕生は、奴隷制など人種差別の過去を持つ米国史上初めてなのだが、就任式を終えたオバマ新大統領は、これから少し遅い昼食をとって一休みすると、大統領就任式のメインであるパレードに出発するそうだ。 今回の米国大統領の就任式は、「自由の新たな誕生」をテーマに行われたそうだが、これはオバマ新大統領が敬愛し、その政治スタイルを徹底して取り込んできた、リンカーン大統領の演説の一節だそうだ。オバマ新大統領は演説に先立って「奴隷解放の父」エイブラハム・リンカーン第16代米大統領が、1861年の大統領就任の宣誓で使ったのと同じ聖書に左手を置いて、「私、バラク・フセイン・オバマは、合衆国大統領の職務を誠実に遂行し、全力を尽くして合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓う」と宣誓の言葉を唱えたのだ。 名演説かとして有名であるオバマ新大統領の就任演説では、今起こっている米国発の金融危機や、前任大統領の負の遺産であるイラクやアフガニスタンでの戦争を踏まえ、「我々に必要なことは『新時代の責任』だ」と述べて、緊急の課題を乗り切るために米国全国民に協力を要請したそうだ。大統領はまた「米国再生の仕事に着手しよう」とも述べ、8年間のブッシュ共和党政権のもとで、失墜した米国のリーダーシップの復活に取り組む姿勢を鮮明にしたのだ。就任演説は約20分くらいだったのだが、同時通訳の人があまり上手とはいえなかったので、演説後のTVの解説で演説の内容を知ったくらいだった。 どうやら就任式のあった首都・ワシントンDCでは、就任式が行われるこの日未明は氷点下の冷え込みだったそうだが、就任式中の天気は良かったみたいで、突き抜けるような青空の下に200万人の人々が集まっていたそうだ。オバマ新大統領が就任式会場に黒のコートに赤いネクタイ、手袋をした姿で現れると、参加社全員が耳をつんざくような歓声と盛大な拍手で出迎えていた。こんなところがお祭りやイベントの好きな米国人かたぎと言うのだろう。日本の天皇陛下の就任式とは違って、少しも奥行きさも神聖さも感じなかった。 まあ、就任式も無事終わったみたいなので、これからのオバマ新大統領の手腕に、「乞、御期待」といったところだろう。
2009年01月21日
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今日は昨晩の深酒がたたって早く家に帰ると、入り口のところでマンションの住民だが変わった人にあった。この人は今まで自分のマンションのことなど何も気にかけないような人だったのだが、(昨年の管理組合の総会に始めて参加したみたいだ…)大規模修繕の話を私がすると、どうやら「マンション管理」に目覚めたらしく、いっぱしの質問状や提案書を私に送りつけてくるようになった。最も素人の悲しさか勉強不足かは知らないが、まっとうな意見はひとつもないのだ。(マンションの管理に興味を持ってくれた人が増えるのは、非常に良い傾向なのだが…) マンションは鉄筋コンクリートで造られているので、半永久的な建物というイメージが強いのだが、年月の経過とともに劣化が進んいでいくので、その劣化をいかに食い止め、手入れしていくかによって20年・30年後のマンションに大きな差がでるのだ。そこで、自分たちのマンションを快適で安全な住まいとして、維持し大切な資産としての価値を保つためには、計画的な修繕を確実に実施していくことが必要なのだ。また、バルコニー・階段などの手摺や鉄製の避難階段などの錆や、屋上などの防水機能が損耗することによる雨漏りなども心配で、給排水管の詰まりや管内にできる錆による赤水・水漏れなど、年月が経過することによって起こってくる劣化が、建物本体が持つ性能を低下させるのだ。 私の住んでおりマンションは、私のようなマンション管理を勉強している人間がいることで、定期的な調査やペンキ塗りなど小規模な補修を行っていることもあって、現在のところは建築してから10年以上経っているのに、特に問題になるところはないのだ。しかも、建物の保障期間が過ぎる3年目と芸予地震の後に、地震保険を使ったりして補修をしているので、劣化の程度は同年代に建てられたマンションに比べて、非常に良好なぶるいになっているのだ。(これもマンション管理組合の役員をしていた、私の提案で行ったのだが…) このように建築後一定の年数の経過したマンションの質及び価値を長持ちさせていくためには、大規模修繕当の補修工事による性能の維持・回復のみならず、現在の居住水準・生活水準に見合うようマンションの性能を、グレードアップする改良工事を適切に実施することが重要なのだが、修繕積立金を残すように考える浅はかな住民が多いのだ。特に、マンションで一般化している大規模修繕工事は、修繕と呼ばれているが、その実施回数を追うにつれ、改良の割合を大きくした改修工事として実施することが必要なのだ。
2009年01月20日
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私も休日などに道後の湯によく行くのだが、温泉帰りの電車の中で駅の近くのコンビニで買った缶ビールを飲んだりしている。そのときに何かつまむ物はとないかと考えてせんべいなども買うのだが、今回の食品偽装はそのえびせんべいで、愛知県一色町の特産品「えびせんべい」を製造する一部業者が、HPに商品によっては東南アジア産や三河湾以外のどこで取れたか判らないような国産エビを使用しながら、あたかも全商品の素材が三河湾で漁獲されたと受け取られる紹介をしていたのだ。 公正取引委員会は記載内容が「景品表示法の不当表示の禁止」に触れる可能性があるとして、愛知県一色町の「えびせんべい」を製造している9業者に立ち入り調査を行ったそうだ。ところが、この事件で記者会見した「三河一色えびせんべい工業組合」の犬塚組合長は、どうも反省はしてないらしく「ネット販売の際の言葉のあやと解釈している」と話したのだ。もっとも最後には「組合としては公取委の判断を待って指導していきたい」と述べたそうだが、いつもの通り遅い対応なのだ。 公取委から指摘を受けた業者は、中国産を使った商品もあるとし「いちいち外国産を明記する必要はないと思っていた。不当表示にあたるとも思わなかった」と弁明しているそうだ。しかも、一色町のHPでも「三河湾で捕れる新鮮なアカシエビをふんだんに使った」と紹介しているのだ。このHPを管理・運営しているはずの町長は「不適切な表現であるのなら改めるところは改めたい」と語り、同日午前えびせんべいを紹介したコーナーを閉鎖したそうだが、これまた一切が他人事なのだ。(まったく消費者をなめているとしか、考えられないような行動だ…) 私はもうこれで三河産の「えびせんべい」などを、絶対に買うことはないだろうが、どうしてこれほど問題になっても、このような食品偽装がなくならないのだろうか。今回の「えびせんべい」の偽装でも、利益を稼ごうとの製造工場の魂胆もあったようだが、小売店からの発注数が確保できてないので、他のもので偽装して納品するといった卸売業者のケースもあったみたいだ。このような食品偽装表示をなくしていくためには、社会の仕組みを変えていく必要があるとおもうのだが、それには我々消費者が、意識を持って表示を監視していくことも必要なのだ。 この日記を書きながらビールを飲んでいる。そのビールのあてには騙されているかもしれない、三河産の「えびせんべい」を齧っている。
2009年01月19日
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定額減税の実施を強く求めてきた連立与党は、年度内実施にこだわると同時に、追加経済対策に盛り込んだ補正予算で、2兆円の定額給付金の支給方式について衆議院で可決したのだ。各種の世論調査をみると国民の多くは、この選挙目当てのばらまき給付金を評価しておらず、同じ2兆円を使うのであれば、もっと有効な使い道を考えるべきという、大変賢明な判断をしている。ところが、定額給付金が支給されると、国民の8割が給付を受けると言うのだ。(私も給付を受けるぞ…) 私の家庭でも予算が成立すると、10万円くらいの定額給付金が支給されるはずなのだが、それを有効に使わせてもらうのだ。私の予定では銀行振り込みになるだろうから、マンションを購入したときに組んだローンを支払っている口座に、入れてもらおうと思っている。このことは嫁さんや子供を交えて話し合ったのだが、一切手をつけないことに決定したのだ。(政府の方針に真っ向から反対なのだ…) こうすることでマンションの購入ローンの返済分が、2か月分くらい定額給付金で払ってもらえると言うものだ。私の家庭でもこの定額給付金を貰わなくても何とか生活ができるので、借金の返済に使おうと家庭会議で決めたのだ。 確かに、ただで現金を何万円ももらえるとすれば、国民にとってうれしいことではあるのだが、そんなおいしい話ではないと言うことも知っているのだ。この定額給付金の2兆円のつけは、私たちや子どもたちの世代が、増税という形で負担するものであり、給付金というよりは借金といった方が正しい理解だと思っている。 そこで私の家では、近い将来に与党が予定している消費税の増税のことを考慮して、生活水準を下げてどれくらい切り詰める方法についても議論しているのだ。政府案でも5年くらいかけて消費税を倍くらいにする予定のようだから、それを元にして今の家庭支出を、5%は切り詰めることを家族で考えることにしているのだ。いま特に重要なのは、中長期的に日本の成長力を高めるための施策なのはわかってるのだが、そんなことは自民党・公明党の連立与党で考えてもらって、良い方策を出してもらいたい。(家庭の消費は増えないことを前提にして…)
2009年01月18日
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米国の大統領就任式がいよいよ今週に行われるのだが、バラク・オバマ次期大統領のホワイトハウスへの道はついに最終章を迎え、同時に、米国大統領としてのプロローグが始まるのだ。オバマ次期大統領とその家族は、今日から米国建国の地であるフィラデルフィアで大統領就任に向けたキックオフ・イベントを開始するというのだ。そしてフィラデルフィアから特別列車に乗り込み、その途上であるデラウェア州ウィルミントンでいったん停車して、そこで同地に住むジョセフ・バイデン次期副大統領とその家族も“オバマ列車”に乗り込むそうだ。その後、エイブラハム・リンカーン第16代大統領の暗殺の噂があったメリーランド州のボルチモアに立ち寄り、これからの住居となるホワイトハウスが建っている、首都ワシントンDCを目指すというのだ。 普通は大統領専用機である「エアフォース・ワン」を使って首都のワシントンDC入りをするそうなのだが、オバマ次期大統領の列車でのワシントン入りには、あるメッセージが込められているそうで、「黒人の血を引く初の米国大統領として、今後予想される様々な苦労を乗り越え、新しいアメリカをつくっていく」といった決意の表れだそうだ。オバマ次期大統領といえば、節目節目のイベントで必ず意識している人物がいるのだが、その人物と言うのが奴隷解放の父と呼ばれたリンカーン大統領なのだ。今回のワシントンDCへの列車入りも、リンカーン大統領が大統領就任時のやり方を踏襲したものらしいのだが、リンカーン大統領は大統領に就任するときに、イリノイ州スプリングフィールドから2週間の列車の旅で、首都のワシントンDC入りしているのだ。 このイリノイ州の州都はリンカーン大統領が地盤としたスプリングフィールドなのだが、最大の都市はオバマ次期大統領が地盤としているシカゴなのだ。オバマ次期大統領は、イリノイ州最大の都市、シカゴを拠点にしたのには意味があるそうで、イリノイ州の州都スプリングフィールドはリンカーン大統領の選挙区だったこともあり、シカゴは黒人にとっての“現代の聖地”なのだそうだ。昔からイリノイ州というのはは自由州で、奴隷制を禁じていたというか、黒人移入にあまり関心がなかった州だったようだ。まだリンカーンが生きていた時代のシカゴの黒人人口は1000人ほどで、そのころの人口の1パーセントほどでした。ところが、自動車産業が発展していく産業育成と、第一次、第二次大戦と戦争が起きるたびに、綿花産業から離職した南部からの職を求めた黒人の大移動が起き、急激に黒人人口が増加していくのだ。 今回の大統領就任式の宣誓でもオバマ次期大統領は、リンカーン大統領が就任式で宣誓した聖書を用いるそうで、米国生誕の地から、リンカーン大統領の功績をたどるようにワシントンDCに入るという姿勢は、まさに、リンカーン大統領を目指しているのだろう。そんな話題もあっていよいよ四年に一度の大統領承認式が始まるのだ。
2009年01月17日
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さっきせっかく力作の日記を書いたところ、なにか変なキーを押したみたいで書いた日記が一切合切消えてしまった。おかしいと持って色々試してみたのだが、今度は試験的に打ち込んだものが送信されてしまって、今日の日記として登録されたしまったみたいだ。(これはどうやら下書きだけで済んで公開になっていなかったみたいだが…)これからはうんざりとした気分で再度日記を書いているのだが、今日の運勢を見てみるとやっぱり63点と、及第点ギリギリの運勢になっている。 仕事の方でも部下の仕事がはかどらない関係で居残りをしているのだが、これも時間が経つにつれて腹が減っては来るし、だんだんと腹が立ってきている。現場でも地権者に言いがかりを付けられすし最低に一日だった。しかも午前中は現場の温度が摂氏1度しかない上に、風が強くて寒くてしかたがななった。(まあ、こんな費もあるだろう…)こんな日は酒を飲んで早く寝るのに限るのだが、今のままのペースでは、最終列車にも間に合いそうもない。 きょうはいっさいのやる気がおきないので、事務所に泊まることにした。これから風呂でも沸かしてコンビニで晩飯の餌でも買い込んでこよう。ああぁ………しんどい一日だった。
2009年01月16日
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今ではどこの観光地でも地域を訪れる観光客に対し、無料若しくは低廉な料金で(松山市の場合は無料なのだが…)、自発的に継続して自分なあったやり方で案内・ガイドする観光ボランティアが組織されているのだが、松山市でも道後温泉周辺と松山城に観光ボランティア組織が誕生しており、観光協会等を窓口としてガイドを受け付けているのだ。松山市の場合、この観光ボランティアになるためには、「松山検定」を受けなくてはならず、中級以上の資格が必要なのだ。(私も一応は観光ボランティアガイドとして、観光客の案内をしているのだが…) この「松山検定」の初級レベルは、公式テキストである「松山観光文化コンシェルジェ検定ガイドブック」を購入し、付属している検定問題を解答すればよいのだが、解答を解答用紙に記入して松山商工会議所に郵送すれば合否を判定してくれるのだ。問題は100問で3択式となっており、90%以上の正解で合格となっている。時間制限もないしテキストを見ながら解答できるため、当然ながらほぼ全ての人が「合格」することになっている。初級合格者で希望者には「松山観光文化コンシェルジェ検定初級認定証」が販売されているのだ。松山市の観光ボランティアガイドは、数年前から注目され始め、昨年以降急激にその数が増加して来たのだが、これは地元大学の授業で行われている市民公開講座「ふるさと・ふれあい塾」を全12回中9回以上の受講すれば、「松山検定」の中級レベル認定され、観光ボランティアガイドになれるのだ。 このように観光ボランティアガイドが増えてきたのは、何よりも生涯学習時代の到来を踏まえているようで、今まで蓄積していた自己の知識を活かして、訪れる観光客のお役に立ちたい、それが自己実現につながるとの思いが各観光ボランティアガイドにあるみたいだ。松山市の観光ボランティアガイド場合は、会長さんをはじめ自分の街を誇りに思っており、他の地域の人々との新たな出会いが楽しんでいる。それに全国的な傾向では、ありきたりの観光地の説明ではなく、ディープな知識を吸収したい、新しい発見をしたいという観光客のニーズも、観光ボランティアガイドが増えている理由みたいだ。 昨日は市民公開講座「ふるさと・ふれあい塾」の試験があったので、私も地元大学に出かけていたのだが、学生たちの熱心なプレゼンを聴くことができた。もっとも学生さんたちはいくら観光ボランティアガイドに登録ができるといっても、バイト等が忙しくて時間がないため、実際には観光客の案内をすることはないだろうが、松山の歴史・文化等に関する知識を深めていくことに損はないだろう。
2009年01月15日
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世界的にカーシェアリングが注目されており、どんどん利用者が増えていると言うのだ。都会のマンションなどではカーシェアリングが人気のようで、その傾向は米国で顕著ということだ。世界最大のカーシェアリングサービスでは、会員が急増しているという記事が新聞に載っていたのだが、そのサービスの会員が車を予約すると、近所の駐車場の空車が知らされてくる。渡された会員カードで車を解錠して乗って、またどこかの駐車場においてくる仕組みになっているのだ。マイカーからウイカーへと言うわけであるが、「I」から「WE」への変化なのだ。 このI」から「WE」への変化というのは、ご存知のとおりオバマ氏が大統領選を見事勝利し、アメリカの新リーダーとしての役割を務めることとなったことによるものらしい。民主党の候補者選挙のときからオバマ新大統領とクリントン国務長官の演説スタイルには明らかに差があるという記事が話題になっていた。オバマ新大統領は主語に「WE(私たちは)」を多用する。そうすると聴衆はオバマ新大統領の演説に合わせて「Yes we can(私たちは できる)」と声を合わせるそうだ。(この「Yes we can(私たちは できる)」は流行語になるだろう…) ところが選挙中の演説で「I(私は)」多用したのクリントン国務長官の支持者は「Yes she can (彼女はできる)」と合わせていたというのだ。つまり大統領の候補者選び選挙では、「I(私は)」より、「WE(私たちは)」のほうが支持されているということだろう。もちろん短絡できない部分もあるだろうが、あえて絞り込んだ見方をすれば、時代は「I」から「WE」へと動いていると見ていいだろう。クリントン国務長官氏の大統領観は「大統領のリーダシップとは、リーダーのヴィジョンを示すことであり、同時に上から方向性を示し、確実に実行させるようコントロールすることである」と言っていたのだが、オバマ新大統領の大統領観は「リーダーシップとは、リーダーのヴィジョン、判断とインスピレーションに完全に集中することである。マネジメントは他者に委譲し、実行することに責任を持たせる」と言っている。 オバマ新大統領のリーダーシップスタイルは、コーチ型マネジメントを代表しているとされているが、現代の組織におけるリーダーもオバマ新大統領のリーダーヴィジョンのように、「私」から「私たち」に視点をシフトさせ共に発展していくことが求められているみたいだ。そのためには、コーチ型の関係性を築く高い能力が重要となっていくと、週刊誌のビジネス欄に載っていた。こうそろしろカリスマ的なリーダー像を見せて後を追わせるのではなく、参加者全員が共に歩むことによって、一人ひとりの能力を引き出し、全員が主体者にして成功を共に祝うようなことを、今年は少し考えてみようか。
2009年01月14日
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今日のニュースを見ていたら、石川県加賀市の時代劇テーマパーク「加賀百万石時代村」の敷地内に今年の7月、日露戦争で活躍した日本海軍の戦艦「三笠」が、実物大で復元されることになったという記事が載っていた。高さ約50メートルのマストや司令塔などの内装を忠実に再現されるそうで、NHKが今年秋から再来年の秋にかけて放送予定のスペシャルドラマ「坂の上の雲」のロケにも使われるそうだ。どうして石川県の加賀市に「三笠」かというと、多くの加賀市出身者が「三笠」の乗組員として日露戦争などを戦ったことが判明したので、NHKドラマと連動してTVドラマのロケを誘致すれば、時代劇テーマパークの入場者増も見込めるとみて「三笠」の復元を決めたそうだ。 私の住んでいる松山市も市長自らが『坂の上の雲』のまちづくりと称して、主人公の三人が育った街としてPRしているのだ。もっとも市長は「自分たちはNHKのドラマが決まる前から、『坂の上の雲』のまちづくりのことを市の重要施策にしているので、付け焼け刃的ではない」と言ってはいるのだが、NHKロケは今年末から約70日の予定で行われ、その期間中に撮影見学などのイベントも開かれると聞くと、私は正直やられたという感想をもった。今回テーマパークで復元されるのは、船首から約100メートルの部分ということだったが、1月中にも着工して7月中ごろの完成を予定しているそうだ。(この話聞いて、これはわざわざ見に行く必要のないものだと思ったのだが・・・) この戦艦「三笠」は明治35年に英国で建造され、全長131・7メートルのその当時では世界有数の戦艦だったのだ。日露戦争では東郷平八郎司令長官や「坂の上の雲」の主役の1人である秋山真之参謀が乗鑑し、連合艦隊の旗艦として活躍した。明治38年の日本海海戦では、ロシア・バルチック艦隊と戦い、勝利に貢献しており。なんと現物が、神奈川県横須賀市に記念鑑として保存されているのだ。この戦艦「三笠」は数奇な運命をたどった戦艦としてけっこう有名で、憲法違反の予算流用で建造費を捻出され、イギリスで作られたのだが、現役中に火災事故は起こすは、外国で座礁したりもしているのだ。 第二次世界大戦の敗戦後の日本が、連合国軍に占領されていた時期にはソ連(旧のロシア)からの要求で撤去されそうになったり、アメリカ軍人のための娯楽施設が設置され「キャバレー・トーゴー」が艦上に開かれるという状態だったのだ。さらに現役に復帰できない状態にするために、兵装や上部構造物は全て撤去されてしまい、取り外せそうな金属類はほとんどがガス切断により持ち去られ、チーク材の甲板までも薪や建材にするために剥がされているという荒廃ぶりであったそうだ。ところが、その当時のアメリカ海軍のチェスター・ニミッツ提督が、世界に冠する戦艦「三笠」の状況を憂いて本を著し、その売り上げを「三笠」の保存に寄付するなどして復元保存運動が徐々に盛り上がりを見せ、復元運動の成果により、戦艦「三笠」は現在見られるように「記念艦・三笠」として整備されるに至っているのだ。
2009年01月13日
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昨日は土曜日の新年会(建設業関連の労働組合の「旗開き」で、深夜まで痛飲していたのだが…)で二日酔い気味だったのだが、朝から事務所より仕事に出てくるように電話があった。この連休は、寒波に見舞われるみたいで、昨日の土曜日は、西日本一体の日本海側で、強い雪・強風・突風が吹き荒れる予想だったのだが、私の事務所のある四国の山側でも、どうやら雪がけっこう降ったようなのだ。路面には5センチくらいの積雪しかないそうなのだが、気象台の予報によるとこの強い雪・風のピークは、日曜日の朝までだということなので、日曜日に幹線道路の除雪や凍結防止剤の散布が必要になったのだ。 もっとも日曜日以降も雪は続くみたいで、日曜日の夕方まで予想される降雪量は、10センチくらいとの予想が出ているし、気温も山側の最低気温が氷点下3度の予想となっているのだ。どうやら新年早々この冬一番の厳しい冷え込みとなりそうなので、冬季路面対策としてある程度の人員を確保する必要があるというのだ。確かに、全国的な天気予報をに見ても、四国地方でも明日の朝は0度前後の所が多く、特に日本海側や標高の高いところでは、氷点下の強い冷え込みとなりそうだ。旧暦で言うと今が真冬のピークになっているので、これから一ヶ月くらいが一年で一番寒い時期と言っていいだろう。 呼び出しがかかると仕方がないので、いつものように事務所にに出かけたのだが、さすがに動員がかかっているみたいで、事務所には3人も待機していたのだ。(日中のピーク時には10名以上の職員が事務所に来ていたのだが…)さっそく路面対策のパトロールを実施したのだが、雪が舞っている程度なので、通行人は傘をさして寒そうにに歩いているのだが、作業の方は簡単に終わりそうだった。実際昼までにすべての作業を完了させ、明日の天気予報を見る余裕もあったのだ。ところが消防署から電話が入り、路面に油が撒かれておりスリップ事故等の恐れがあって危険であるため、処理をしてくれと言ってきたのだ。 昼飯も食わずに作業員さんたちと現場に行ってみると、たしかの路面に油が撒かれており、事務所に連絡して油吸収剤で処理をすることにしたのだ。私の事務所が使っている油吸収剤は、世界一吸着性の良い天然粘土を加工した吸収土で、濃茶色の飽和状態になるまで繰り返し使用できるいえに、こぼれた油液の上に蒔くだけで油液を完全に吸収し、あとはほうき類で掃き集めれば処理が完了すると言う優れものなのだ。廃棄の方法もいたって簡単で、焼却炉でほかの燃えるゴミと一緒に燃やし、油分が燃えたら灰と一緒に処分してもらうか、その吸収土を産業廃棄物として処理してもらえば終わりというものなのだ。 路面に散布された油の処理は2時間ほどの作業で完了したのだが、どうやら原因はバスの整備不良で油漏れを起こして、それに気づかずにオイルを撒きながら走ったみたいなのだ。処理が終わったのが15:00に近かったのだが、それから昼飯を食って作業員さんたちには上がってもらい、私のほうは材料検収等の内業を行って、仕事を終えたのが真っ暗になってしまってからなのだ。昨日は昼飯も食わずに5時間以上は寒空の下にいたため、すっかり体が冷え切ってしまっていたので、家に帰って暑い風呂に浸かって、ウィスキーのお湯割りを晩酌にしたのだが、そのころには朝までの二日酔いなど、すっかりと直っていたのだ。
2009年01月12日
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昨日は建設関係者が組織する労働組合の「旗開き」があったのだが、午前中に執行役員による今年の行動計画等が話し合われた。その中で建設業における「安全衛生委員会」の活動状況なども議題になったのだが、どこの現場も積極的な取り組みは成されていないみたいだ。その堰で幹事からの発表があったのだが、昨年1年で現職の仲間が6名亡くなっていたそうだ。もちろんその中には病気で療養中の人もいたのだが、事故と自殺が偏半々くらいの死亡原因となっていた。我々の業界の中でも「メンタル・ヘルス」の事には力を入れているのだが、余りよい結果には至っていない。松山市内を始め県下の「心療内科」の先生にもお願いしているのだが、治療に行かない例が多いのだ。 技能労務職員(作業員さんのことなのだが…)の賃金や業務の見直しも大きな問題なのだが、こう仕事が少なくなってくるとどうしようもないのが実情だ。そんなこんなの議題で昼食を挟んで議論をして、午後からは来賓の講演を聴いて座談会を行った。「旗開き」の会場は道後のホテルの会議室で行ったので、式が終わると温泉に入って懇親会を行ったのだ。昨日は雪が降るような寒い一日だったのだが、湯上がりでも鍋料理と焼酎の湯割りが非常に旨かった。ホテルのサービスで乾杯用のビールは「道後ビール」という地ビールを出してくれたのだが、県外からのお客さんの来ていたので、瀬戸内の小魚料理と地ビール・地酒が非常に好評だった。(じゃこ天も旨かったし、料理の最後に出た瀬戸内の鯛飯や宇和海の日向飯・伊予さつま飯なども、旨いといって食べてくれたのだ…) 懇親会での話題はどうしても工事の減少など暗い話題が多かったのだが、最後は正月のTVで話題となった「年越し派遣村」の話題となったのだ。私が松山市にも路上生活者を支援している組織があることを話すと、カンパの話が持ち上がったのだ。私が聞いた「年越し派遣村」の参加者の話では、派遣村本部のテントでカンパを数える仕事をした女子大生が、4日の午前だけでダンボールと色紙で出来た「カンパ箱」に約110万円入っていたのでびっくりしたそうだ。大量の寄付からも全国からの注目度の高さが伺われたわけなのだが、老若男女のボランティアの人がとても多く、派遣村開設期間中のボランティアの総数は約1700名だったそうだ。その学生は、今まで国も労働組合もメディアも、無視・軽視されてきた路上生活者問題が、労働問題・社会保障問題として取り上げられ、注目の対象になり、対策の対象になっている点は、画期的なことだったと感想を言っていた。 そんなこともあって「我々も路上生活者の救済に対するカンパを行おう」という話になり、賛同者を集めた結果10名くらいの賛同者が出たのだ。飲み代の半端などもカンパすることをに賛同をもらったので、私が代表して届けることになったのだが、このところ私も忙しいので銀行振り込み等で送金したいのだ。連休でも終わったらきっと連絡があるだろうから、待つことにしようか。
2009年01月11日
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昨日は、私が所属する建設業界の仲間で作っている「労働組合」の今年最初の会合があったのだが、労働組合などの年頭行事を昔から「旗開き」とよんでいるのだ。どうして労働組合と旗がひっついたかというと、フランス革命での「旗を振る自由の女神」の絵画が始まりらしいのだ。 本来は仏国において戒厳を示す旗が「赤旗」だったが、フランス革命において革命派の内部で急進派だった一派を、ラワイエットが軍隊を率いて弾圧した事件を契機にして、このラワイエットの行った弾圧に対する抗議として、戒厳令旗である「赤旗」を革命旗に採用したとされているそうだ。 そして組合の「旗開き」とは、正月のあいだ、畳んで保管してあった労働組合の団結旗を、新年に再び開いて、その旗の下、心新たに団結を誓い合うという意味合いの労働組合の行事の一つで、まあ強いて言えば新年会ということになるらしいのだ。(調べてみるとけっこう面白いものだ・・・) 最近では、いろんな色の旗も見受けるのだが、我々の組合もそうなのだがほとんどの労働組合は、赤い旗を使っているのだ。赤色というのは、「血の色」を連想するわけで、そこから「革命」というイメージにつながっていって、政治的に赤は革命・社会主義・共産主義を象徴しているからなのだ。 昔の米国などでは共産主義者は「アカ」という蔑称で呼ばれることもあるのだが、労働組合もその流れを汲んでいるので、赤い旗を使用しているのだ。一説によると体制や経営者との争議において、流された労働者の血の色だといわれており、革命思想を象徴するのが「赤旗」なのだ。 ところが最近ではそういった歴史の流れや、共産主義の思想を嫌う(「蟹工船」が若者読まれているのに・・・)からとか、思想や運動論の違う労働組合がなんらかの目的で合併した場合などに、赤ではない色を、組合旗(団結旗)に選択することも増えてきているそうだ。 新しく立ち上がった労働組合に団結旗を寄贈したり、また争議を支援して貰った御礼に団結旗を贈ったり、争議に勝利した記念に団結旗を新しく作ったり、組合結成○○周年記念団結を強めるために新調するなど、労働組合に新しい団結旗が増えるときには、かなりの想いがあるものなのだ。 うちの労働組合にも、いろいろな団体や労働組合から寄贈された団結旗がたくさんあるのだが、今利用しているのは組合結成50周年を記念して、数年前に新調したものを利用しているのだが、この旗というのが需要が少ないせいかけっこう高価なもので、小さいやつでも数万円はするのだ。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2009年01月10日
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私の日課で朝起きると天気予報を見るのだが、今週週末はいよいよ本格的な寒波が襲来してきそうだ。もっと今回の寒波は関東地方が中心みたいで、気象庁の予報でも関東甲信地方を中心に、今日の早朝から昼前にかけて、山沿いを中心に大雪になる所があると発表していた。その予報によると関東南部の平野部や、東京23区内でも雪が積もる所がある見込みで、路面凍結などによる交通障害に注意を呼び掛けていた。私も経験があるのだが、都会の人は革靴で通勤するので、少し雪が積もっても転倒してしまい、救急車が出動と言う羽目になるのだ。 その点南国である四国の方は、平地に雪は降って積もることなどめったにないが、私の仕事している山の中では、毎年10回近く除雪作業を行っているのだ。四国地方の天気予報でも関東周辺より少し遅れるが、今度の3連休はどうやら雪になるみたいだ。今回の本格的な寒波は、日本海と本州の南の海上を低気圧が東へ進むため、全国的に雲が多い天気になるそうだが、関東では寒さが一段と厳しく雪が降るそうだが、日本の各地も今日の夕方以降は雨か雪の所が多くなるそうだ。 最新の天気予報では四国地方も最高気温が10度以下の日が続く予報にになっていたし、最低気温にいたっては氷点下の予報となって、いよい平年並みの真冬の寒さが到来といったところだ。こうなると私たち建設業でも道路を担当している人間は、「冬季路面対策」といって寒い日の早朝パトロールや、降雪時の除雪・融雪剤の散布など冬場の小遣い稼ぐのような仕事が出てくるのだ。このような仕事はどうしても人海戦術になってしまうので、作業員の人員を確保をしておかなくては難しいのだが、休日の作業となると従来なら作業員の確保に苦労するのだ。 それでも今年は政府の雇用対策の一環で、派遣切りの労働者を建設業等で吸収さす必要があるのか、私の事務所でも期限付きの作業員を1名雇用することになったらしい。昨日の飲み会でもそのことが少し話題になったのだが、作業員さんたちの意見では、同じように働くのは難しいみたいだった。そこで私の考えなのだが今回の寒波襲来にあわせて、早朝や夜間パトロールをしてもらったらどうかと、卿にでも提案してみようと思っている。もっとも今度来る離職者の人も、縁があって私たちの事務所に来るのだから、建設業に根付いてくれたらと思っているのだ。
2009年01月09日
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今から20年目の今日に昭和天皇の崩御されたのをうけて、1989年1月7日の午後の臨時閣議で次の元号を「平成」と決定し、翌8日から新しい元号がスタートしたのだ。「平成」は最初の年号「大化」以来247番目の元号で、その前日(西暦で言うと1989年だし、昭和64年になったばかりで…)の午後に「元号に関する懇談会」と衆参両院正副議長に、時の内閣総理大臣だった竹下登は、「平成」・「修文」・「正化」3つの候補を示し、意見を聴いたそうだ。 「平成」は元号法が制定された際に、その制定に尽力した安岡正篤氏が考案したもので、由緒正しい年号だったのだが、年号を決めるに当たって「元号に関する懇談会」委員の間から「修文(しゅうぶん)」と「正化(せいか)」の2候補はローマ字表記の頭文字が、「昭和」と同じ「S」になるので不都合ではないかという意見が出て、全員一致で「平成」に決まったと伝えられる。このことから、「修文」・「正化」は始めからダミーの案であったと言われているのだ。 そのような御目出度い日なので今日は、私のセクションの工事現場に来てくれている作業員さんを集めて、お祝い会を開いたのだ。(本当は新年会をしたのだが、暗い話題では酒も旨くないので、このような理由を付けて酒を飲んだのだが…)本来なら急に飲み会になると行き付けの居酒屋で行うことが多いのだが、費用節約ということで今日の新年会は、事務所の会議室で宴会を行ったのだ。このような場合でも仕出屋から寿司や盛り皿料理をとって行うのだが、それももったいないと言うことで今年の新年会は、酒も料理も持ち寄りで呑むことになったのだ。 今年の料理と言えば、うにの塩辛をビンから取りだして海苔で巻いたものや、1本500円はする蒲鉾を板からちぎって食べるとか、大羽と呼ばれる出汁いりこをストーブで焙って、もろみ(松山地方では「ひしお」と言うのだが…)を付けた物や、取りたての冥加や生野菜ステックをやはりもろ味に付けて食べたりするなど、高級食材をザクッと贅沢に食べながら、これまた旨い地酒を原則冷で飲むことになったのだ。私も東北名産の1本1000円もする「いぶりがっこ」を持って参加したのだが、本当に旨い酒を久しぶりに飲むことができた。 今日の飲み会はセクション・リーダーの私が1万円を出して、事務所も厳しい財政の中いくらか出してくれたので、ほとんど持ち込みの酒や肴で楽しいひと時を過ごすことができた。これに味を占めて次の飲み会もこのスタイルですることになるだろう。
2009年01月08日
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今日は五節句のうちの「人日の節句」なのだが、五節句の1番目の節句のことを「人日の節句」と言って、陰暦1月7日を「七日正月」としてや、その前日を「六日年越し」として祝う地方が、昔は全国的に多かったそうだ。 昔は七日を重要な折り目と考えていたそうで、その前日の六日の夜を「六日年越し」とか「六日年取り」といってお祝いをして、お正月最後の日なるその翌日には、七草粥を食べて1年の豊作と無病息災を願っていたそうだ。 古来中国では、「一日鶏、二日狗、三日羊、四日猪、五日牛、六日馬、七日人の日」とするならわしがあり、このことから年の初めである1月7日を、人を尊重する日と定められており、それが「人日の節句」となっていったみたいだ。 この「人日の日」に中国では「七種菜羹(ななしゅさいのかん)」といって、7種類の野菜が入ったあつものを食べて、無病息災を祈る風習があったそうで、日本にはもともとあった「若菜摘み」という風習と一緒になっていったそうなのだ。 その「若菜摘み」で摘んだ7種類の若菜を使い、塩味のきいた「七草粥」を食すようになったそうだ。この風習は初めは平安貴族たちだけの楽しみだったが、その後、江戸時代の初期に幕府の公式行事として定着したそうなのだ。 他の五節句と同じように「人日の節句」を祝日にしたことで、将軍や殿様が七草粥を食する儀礼が武家社会で始まり、「人日の節句」は大変に重視された祝日となり、それが七草粥を食べる風習として、一般の人々にも定着していったようだ。 七草粥の調理は前日の6日夜に、「七草なずな 唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に まだ見ぬうちに 手につみ入れて セリこらたたきの タラたたき」などと、「七草はやし」を歌いながら調理するのが正統なのだ。 この「七草はやし」は「鳥追い歌」とも呼ばれており、唐土の鳥は「鬼車鳥」とか「隠飛鳥」などと呼ばれる凶鳥で、凶鳥は穀物をついばむ農作物の敵として、まな板を叩く音で害鳥を追い払って、豊作を願うという意味もあるそうだ。 農耕に悪さをする鳥が海を越えて日本へ渡ってくる前に、まな板になずなを載せて、それを包丁・すりこ木・菜箸などの台所用品で叩いて追い払い、五穀豊穣を祈る「鳥追い」の儀式で唱えるのが問題のはやし歌の由来なのだ。 それが1月7日の「人日の節句」の日に、「七草粥」を食べる日に変化したみたいだ。私の家でも今日の朝食は「七草粥」を食べたのだが、朝の粥では実際のところ昼飯までもたないので、ついついパンを食べてしまったのだ。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2009年01月07日
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またイスラエルとパレスチナが戦争を始めたみたいで、6ヶ月続いていた両者の停戦合意が切れると、パレスチナ側のハマスがロケット弾でイスラエルを攻撃したのが今回の紛争の始まりみたいだ。もっともこれはイスラエルよりの報道で、パレスチナよりの報道によると、停戦中にイスラエルが停戦合意を無視して、ガザ地区の経済封鎖をまったく解かなかったため、経済的に立ち行かなくなったハマスが、イスラエルを攻撃したみたいだ。(紛争が始まる原因はどちらの言い分だけが正しいのではなく、最後は勝者の言い分が正しくなるものだが…) 今度で中東の紛争は何回目は知らないが、私にとっては対岸の火事といったところだ。それは日本政府も同じようなもので、イスラエルの空爆に対して中止要請はしたが、それ以外は目立った対応をしているとは思えない。新聞やTVのニュースを見ても、あまり大きく区報していないみたいだ。その中でもフランスのサルコジ大統領もイスラエルを訪問して、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの侵攻が続く中、欧州連合代表団がイスラエル入りし、停戦に向けた調停を本格化させたみたいだが、イスラエルはきっぱりと拒否したみたいだ。 もっとも現在の紛争の元を作ったのが、欧州連合のイギリスなのだから調停を行うというのも仕方がないことだろう。その背景には、大統領選が終わって、政権交代期で動きの鈍い米国に代わって、中東で発言力を強めたい欧州の意向があるみたいなのだが、親アラブの傾向が強かったシラク前仏大統領と違って、自国安全保障を最優先するイスラエルに理解を示しているサルコジ大統領は、イスラム原理主義組織ハマスを封じ込めることなど絶対無理だろう。(そのかわり歴代の米国大統領の中で一番親イスラエル派だろうと言われている、現在のブッシュ大統領が、いなくなるので帳尻はあっているのだろうが…) どちらにしてもこの紛争は長引くみたいで、ハマスの報道官によると「イスラエル兵にとって、ガザは墓場になる」と言っているし、イスラエル政府の高官も「この侵攻作戦は、用意でも短期間でもない」と認めているから、そうとう長期化するだろう。こうなると戦費のことになるのだが、イスラエル側には米国のユダヤ系財閥が付いているし、ハマス側にはアラブ産油国の富豪グループが支援するだろうから、どんどん消耗戦をしてもらったら、少しは日本も景気も良くなるかもしれない。 朝鮮戦争の特需で敗戦後の日本経済が立ち直った例もあり、イスラエルとハマスのパレスチナ紛争が、不況にあえぐ日本経済の救世主になればよいと、不謹慎ながら思っているのだ。(どちらの陣営でもかまわないので、世界一優秀な日本製の軍用トラックをどんどん買ってもらいたいのだ…)
2009年01月06日
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今日のITのニュースに載っていたのだが、東シナ海のガス田開発問題において、日中両政府が昨年の6月に共同開発で合意した直後から、中国が約束をなどぜんぜん守る気がなく、継続協議の対象として現状を維持することにしていたガス田を、新たに掘削を行っていたことが分かったというのだ。これは明確な合意違反で日本政府は抗議したが、中国側は新しく掘削したガス田での掘削を終えており、パイプラインなどを整備して、生産段階に入った可能性が高いというのだ。 この新しいガス田は、共同開発で合意した直後の7月上旬ごろに、海上自衛隊のP3C哨戒機が確認したそうだが、その後に掘削等によって変色した海域が拡大したり、海面が激しく泡立ったりしたのも、自衛隊が把握したので、防衛省はこれらの情報を外務省や資源エネルギー庁に連絡したそうだ。日本政府は掘削が日中合意に反するとして、中国側にいつものとおり抗議したが、中国側はP3Cの警戒監視飛行を妨害行為などと逆抗議してきており、「盗人猛々しい」とはこのことだ。 だいたいがこの日中両政府が昨年の6月に共同開発で合意した協議の内容も、中国側の主張は日本の抗議に対し日中共同開発を提案しているいるのだが、日中中間線より日本側の領域のみの共同開発としているなどめちゃくちゃな提案だったので、日本政府は受け入れを拒否していることから、「現状維持で行きましょう」と両国が合意したはずではなかったのか。東シナ海の主権と埋蔵されている天然ガス等の権益確保に向けて、日本政府が対処方針の見直しを迫られるのは必至だろう。 中国やイスラエルのような国際的な約束を守らない国は、本来なら制裁が加えられなくてはならないのだが、中国は軍事大国だしイスラエルには米国が肩入れしているので、国連も少しも役に立っていないのが現状なのだ。無法者にはそれなりの制裁の仕方があるはずなので、日本政府も毅然とした態度を取ってもらいたい。ここは財界も国家の大事と少し協力して、中国製品に法外な関税をかけるのはどうだろう。中国も米国向け輸出が停滞しており、日本向け輸出の減少したらこまるだろう。 法外な関税をかけると安い中国製の製品が輸入できなくなって、我々の生活も多少は不便になるだろうが、中国製品の不買活動くらいは抗議のために行ってみるのもいいだろう。
2009年01月05日
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今年の年末年始休暇は暦の関係で例年より長かったが、私の場合12月27日は肯定的に厳しい工事があって仕事をしたし、昨日の1月3日は休暇中の工事現場のパトロールが当たってしまい、けっきょくいつもの時間に事務所に出て、仕事をすることになってしまった。昨日は気圧配置が「西高東低」の冬型だったせいか寒い一日で、しかも夜から早朝にかけて雨か雪でも降ったみたいで、路面の一部(山中の日陰部分だけなのだが…)が凍結状態になっていたところがあった。 工事現場のほうは特に問題もなかったので、昼食を食ったあと少し内業をしたのだが、正月の三ヶ日に働くのは5年ぶりくらいだ。(数年前にも1月の2日に冬季路面対策が当たってはいたのだが、そのときは運良く雪が降らなかったのだ…)昨日も事務所へJRで行ったのだが、朝の早くから上り列車は一杯だった。事務所から家に帰る列車も立っている人がいるくらい混雑していたのだが、私は運良く座ることができた。JRもあれくらい人が乗ってくれたなら、赤字とか何とか言われないくらいだろうと思えるほど、今年は帰省客が乗っていたのだ。 昨日は当然弁当などは作ってくれなかったので、事務所近くのスーパーに昼飯の弁当を買いに行ったのだが、振袖姿のお嬢さんたちがやたら目に付いた。はじめはお正月でからかなと思っていたのだが、どうやら事務所のある市では昨日、成人式が行われたようだ。仕事が終わって駅に移行としたときも、今度は成人式の帰りみたいで、着飾った若者に出会ったのだが、これから同級生で呑みに行くみたいな会話をしていた。近頃では成人式の若者が酒によって狼藉を働き、警察のお世話になることが新聞の載っていたるのだが、どうやらその心配はなさそうだった。 帰省客も成人式もそうだが近くで話を聞いてみると、今年はどこも景気は厳しいみたいで、年末年始に行くところがなくて帰省したとか、いくら就職活動をやってもうまく行かないとか、暗い話題しか話すことがないのかと思えるくらい、希望のある会話をしていなかった。私の事務所でも明日から仕事始めなのだが、今年一年は少しでもがんばって、何とかしていきたいものだ。
2009年01月04日
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年も改まって今日で3日目なのだが、私は明日、年末年始中の事務所の工事現場パトロールが当たっており、朝から仕事に出なくてはならないのだ。今日も晩飯時から一杯呑んでいたのだが、今日のTVのニュースの一番の事項は、厚生労働省が日比谷公園の「年越し派遣村」に集まった元派遣社員らに、講堂を開放したことだった。湯浅誠村長が増え続ける宿泊希望者に対し、徒歩で5分ほど離れた同省講堂の開放決定を伝えたちころ、派遣村の人からは喜びの声が漏れたそうだ。 二番目のニュースが例年なら一番に放送されるはずの、新年恒例の一般参賀がのことだった。今年の一般参賀も皇居・宮殿の東庭で行われ、8万人弱の参賀者が訪れたそうだ。体調を崩された天皇陛下の負担軽減のため、今年はご挨拶の回数を例年の7回から5回に減らして行われたのだが、長期静養が続く皇太子妃雅子さまは、6年ぶりにすべての回に参加されたそうで、成年皇族となった高円宮家の次女典子さまも、初めて前半の2回に出席されるというように、話題の多い年であったのだ。 それが天皇陛下の「厳しい経済情勢の中にあって苦労多く新年を迎えている人々が多いのではと案じていますが、国民にとり少しでも良い年になるよう願っています」とのご挨拶のとおり、派遣切などにあって年末年始を迎えられない人が、食事などの支援を受けるため「年越し派遣村」に253人も入村手続きをしたため、宿泊場所を確保するよう厚労省に申し入れ、厚労省2階にある講堂が同省が業務を開始する1月5日の月曜日までとはいえ、開放されたことが一番のニュースになったのだ。 私も松山市で路上生活者を支援する団体に登録しているのだが、「最初から開放すればいいのに、厚労省の対応はいつも行き当たりばったりだ」とか、「昨晩は派遣村のテントで寝たが、地面を通して寒さが身に染みた。それに引き換え厚労省の講堂は、暖房が利いていて暖かい」と言う声を、路上生活者の実感として聞いていた。(暖房の入った部屋でビールを飲みながら聞いていたので、実感には乏しいのだが…) 正月特番の「朝まで生テレビ」で、この問題ことをテーマに話し合っているのを見たのだが、諸悪の根源である派遣を原則自由化した、「労働者派遣法」などの抜本見直しについて、政府の労働副大臣は消極的な発言をしていたのだ。ところが民主党の小沢一郎代表は、インターネットの動画番組の中で、非正規労働者の大量失職が社会問題となっていることに関して、次期衆院選で政権を獲得すれば、派遣を原則自由化した「労働者派遣法」などの抜本見直しに取り組む考えを明らかにしたそうで、政権奪取への決意を改めてアピールしたそうだ。
2009年01月03日
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毎年正月は実家のお袋を誘って神社へ初詣に行くのだが、今年は選挙の年のせいか、元日から候補者の選挙事務所が開いているのだ。新聞やTVなどによると麻生首相の考えは、来年度予算案と関連法案を成立させた上で、春以降の衆院解散を模索するみたいだ。ところが、自民党内には「今くらい支持率が低迷する麻生首相の下では、選挙は戦えない」との声が根強くあって、選挙前に首相が交代する(次は誰がなるのかが良くわからないのだが・・・)可能性もあり、先行きは不透明だそうだ。 昨日の新聞には候補者一覧が特集として載っていたのだが、それによると麻生首相は成立した今年度の1次補正予算と、正月明けに提出する予定の2次補正予算と、同じ国会に提出する来年度の予算を「3段ロケット」と位置付けて、景気悪化に歯止めをかけたいとしているそうだ。その成果を掲げて、衆院解散に打って出るのが基本戦略なのだが、今のままでは来年度予算の関連法案の成立が、早くても4月中旬となる見通しで、5月のゴールデンウイーク前後の解散という日程になるそうだ。 しかし、その時点で支持率が回復していなければ、自民党内から解散の先送りを求める意見が噴き出すのは確実らしく、そのうえ公明党は6月か7月に行われる東京都議選を重視しており、衆院選と重なることに反対しているので、春の解散を見送った場合には、8月以降にずれ込む可能性が大きいとも書いてあった。麻生首相が衆院選を先送りする狙いの一つとして、「選挙までの時期が延びれば、もともと政党交付金以外に大きな収入源がない民主党は干上がる」と言う人もいるくらいだ。 本当に資金繰りが苦しいかどうかは知らないが、民主党としては通常の党活動の経費は極力節約して、自民党が言う「兵糧攻め」に耐え、資金を衆院選対策に集中させると、これは大きな選挙アピールになると思うのだ。現在中小企業の社長等は、銀行等の金融機関からの融資を止められたり、貸し剥がしにあって資金繰りに困っているのだ。今度の選挙で同じ境遇になったことをアピールすると、賛同を得られるかもしれないからだ。(民主党は年末年始の活動費を追加で渡したそうだが・・・) 私としてはどうせ9月には任期が来て選挙になるのだから、それまで待って選挙していいのではないかと思っている。それにしても正月早々から選挙事務所に電気をつけて、いったい何をしているのだろうか。
2009年01月02日
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新年になったのでさっそく、今年初めての日記を書こうと思ったら、クチコミテーマが「福袋、成功・失敗談を教えて!」になっていたので、私の経験を書いてみようと思うのだが、私はこれでいてけっこう運が強い方だと思っている。(大きなものは当たったことはないのだが、商店街の福引や何かの懸賞が当たる確率は、けっこう高いのだ・・・)もっとも正月からお金を使うのがいやなので、基本的にはデパートの初売りで売られるような福袋などは、一切買わないことにしているのだ。 それでも昔景気の良かった時分は正月になると、スーパーの福袋ではないのだが、近くのデパートで行われる一万円均一の福引大会には、今年の運試しとして参加していたのだ。この福引は千本限りの先着順で、デパートのサービスものなのだが、最低でもそのデパートで使える一万円の商品券と、千円くらいの商品が入った福袋を貰えるのだ。私はその福引を5年くらい続けて引いたのだが、一番多い商品券と福袋に当たった覚えがないくらい、さまざまな商品を当てることができた。 ほしかった高級ナップサック2個セットとか、実用的な物が当たったこともあるのだが、たいがいはあまり役に立たないものがあたることが多かった。一番困ったのが電動のルームランナーで、けっこう高額商品だったらしく当たったときには、鐘を鳴らしてもらったのだが、そのころはアパート暮らしだったので置き場に困り、最終的には引越しのときに処分したのだ。このくじ運は良いが役にたたない物が当たることは、どうやら現在でも続いているみたいなのだ。 今の事務所に移ってもこのことは変わらないみたいで、事務所の忘年会で行われるビンゴゲームでも、何か賞品は持って帰れるのだが、役に立つものをもらった記憶がないのだ。(一番良かったのは、ビンゴゲームにはずれでもらった宝くじ3枚のうち1枚が、一万円の当たりくじだったくらいで・・・)一昨年はホームベーカリーが当たったのだが、私の家は原則パン食はしないので役に立たず、私の所属しているNPO法人に寄付して、子供教室のおやつ作りに役立っている始末だ。 昨年も電動のシェイプアップ器具が当たったのだが、誰も貰い手がないのでマンションに置いているしだいだ。私がデパート等の初売り福袋を買わない理由は、このように何か値段よりは高いものがあたりそうなのだが、きっと使えるものは入っていそうにないので、正月からそのようなことに費用をかけるのが馬鹿らしいと思っているからなのだ。
2009年01月01日
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