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前回は、八切止夫作品集から、因果というか、カルマのような関係を紹介してみたが、因果関係とは継続するものだから、歴史調査は、因果関係の勉強になることがわかる。 武器を求める者は武器により滅ぼされる。 ということは、前回述べた桶狭間の義元と信長の関係でもある。八切止夫作品集によると、織田家というのは実は近江八田別所、昔の捕虜収容所の血統であることが書かれているので、その部分を以下に抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ 信長の出自で、諸説は色々在るが故菊池山哉の研究に「アマの国は淡海の国か」とある。天の王朝のことで、この王朝の民は尾張むらじの系図の中に隠しこまれていて、判然としないが、判りやすく言えば近江八田別所に隔離されていた一族が、越前、加賀の仏教勢力である一向宗の勢力から逃れて尾張へ行き、織田家に仕え勝幡城の城番となったのである。 そして織田の姓を貰った旧姓八田信秀の子が織田信長なのである。そして信長が美濃を入手するや伊勢を占領し、やがて近江に入り琵琶湖畔の弁天崖に七層の安土城を建てて君臨したのも、彼だけの武勇知略ではない。 <天下布武>では尾張、伊勢に多い「八」の民が、天の王朝復活のために彼に協力し、世直しをして欲しさに米穀の在る者は出し、男は皆武器をとって、信長に従って進撃したものらしい。 ☆ ☆ ☆ この「八」の民というのが、原住民族で、後の大陸の進駐軍に反抗し、山に立て篭もって抵抗し土着してサンカと呼ばれるようになったそうだ。 大陸の進駐軍は降伏した者を奴隷として特定の場所に囲んだので、部落という収容所ができたようだ。収容所の住人は、政治の影響をモロに受けるから、統治者が贅沢をすれば、それだけ生活が貧しくなるのは必定で、税金が高くなれば、人身売買をするような破目に陥る。 八切止夫氏は、実際、戦時中に満州で、日本人のある母親が食べ物に困って、わが子を現地人に売ったのを目撃したと書いている。八切止夫作品集の「徳川家康」にも書いているように、後の家康となる次郎三郎は幼少期に、祖母に売られたようだ。 このように統治者の贅沢が、当時の下層民の生活を困窮に追い詰めるので、「世直し」論が活発化する。 次郎三郎の出身の部落は駿河で、駿河の統治者は、当時今川義元で、義元は領地に莫大な税金を課し、大量の鉄砲を購入するほどの贅沢をしていたという。鉄砲を打つには火薬が必要で、国産されない硝石は外国から輸入しなければならないから、人身売買で外国に売られた子女が沢山いたことを意味する。 実際、当時のイエズス会のポルトガル船は、奴隷貿易船で、ポルトガルに東洋系の混血が多いのは、人身売買の証拠でもあるという。ポルトガルで東洋系が差別されるのは、暗に人身売買、つまり祖国から売られてきたことを意味するからだという。このことからも偽キリスト教が悪魔崇拝であることがわかる。 だから、最新の軍事兵器をもつ者ほど、多くの人々を犠牲にしていることを意味するわけで、戦国時代の今川義元が、部落出身の家康や、収容所出身の血統の信長に騙し討ちされるのは、ある意味、自業自得で、天命ともいえる。 そもそも義元が駿河を支配できたのは大陸進駐軍の仏教信仰からくるが、仏教信仰のために、神道信者は追われ隠れ住むようになる。 イエズス会が布教に失敗したのは、既に仏教が、神道に対して成功していたからである。しかし、信長などのキリシタン大名には、キリスト教と神道が思想においてほぼ一致していたので、最新兵器の輸入に都合がよかったから、利用された。 しかし、信長は、最新兵器を利用し、多大な犠牲を強いたことで、最後は、最新式の爆薬により本能寺で爆殺される。キリシタン大名は、秀吉や家康により最前線に送られ、ほとんどがキリシタンとして追放される。 このように、八切止夫作品集から、戦国時代は、神道と仏教の代理戦争の様相を呈していたようである。 仏教徒と神徒との争いは、日本の差別の土台になっているように思われ、その争いが「村八分」の要因となったようなので、八切史観の村八分の論考を以下に抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ 村八部の起り 頼山陽が門下生になり教えを受けた事もある備後神辺の儒者にして詩人でもあった菅茶山は、文政10年(1827)年8月に死去する前に「福山風俗」「福山志科」を書き残した。 その中に備後福山市東の三吉村に、「三八という者らの住む地域あり。これ水野侯が福山十万石を賜る時、三河より伴いきたりし八の者なれば、今も三八と名づく」と出ている。 この水野侯というのは「汝も光秀に肖るべし」と、家康から光秀遺愛の槍を貰った寵臣で、大坂夏の陣の大和街道の指揮官を勤め、後の島原の乱にて討死にした板倉重昌に代わって松平伊豆守が指揮をとっても不落と聞くや、老体に鞭打ち福山から駆けつけ島原を落城させた水野勝成で、その三男も旗本に取り立てていたが、この倅が旗本白束組の水野十郎左衛門である。 さて、この福山の三八について、「六郡志」に、「三八は常に両刀を腰に帯び、牢番、警吏、拷問、処刑をなし、深津村專故寺の前にて斬首をせしが、のち榎峠にて、これを行っていた」同地方の事を誌している。 また「備後御調史料」では、「当地にては茶筅は竹細工をなすが、勧進ともよばれ代官役所の稲の坪切りをなし、普段は捕縛術剣術の練習をなし常時代官の検覧をうく。また鎮守の祭礼には神輿の先払いをなし、陣笠ぶっさき羽織にて両刀を帯び、手に六尺棒腰に十手をさした。三八または八部衆ともいう」とでている。 これは「おどま勧進勧進」の五木の子守唄で知られるように、いわば「乞食」扱いを蔭ではされながら、表向きは刀を二本さし代官直属として、気にくわぬ者はすぐ召し捕ってしまい、でっちあげのように牢屋へ放り込んで断罪していた三八の風俗である。今でも言われる「嘘の三八」とか「嘘っぱち」の語源かこれからだという。 さて、なぜ百姓が彼らを乞食扱いしたかというと、正規の扶持米ではなく、百姓から役得のように米を巻き上げ、それで寄食していたせいである。 明治維新で薩摩出身の川路利良が邏卒総長となり、外遊後新しい制度を設けてから、それまでの警察官であった三八が村内からつま弾きされてしまったのが、いわゆる今も伝わる「村八分」の起こりなのである。 また、裏日本での「因幡志」にも、「伯耆や因幡にては、元日、盆の十三日にはハチヤが唱門師のごとく各戸を廻り米穀を貰い受く。平時は御目付役宅に出入りし、棒や十手をもって警邏をなし、軽罪はハチヤ預けといいて、彼らに歳月を限ってハチヤの奴僕とされた。」とあるし、出雲などでは、「文化4年(1807)松平出羽家書上書」という公儀へ提出の公文書もあり、それには、「当家が雲州の拝領せし後、各郡ごとに『郡廻り鉢屋』を設け郡牢を一個所ずつ置き、この鉢屋の頭は尼子時代の牢人の素性ゆえ『屋職(やかた)』とよばれ、その下に『村受け鉢屋』があって、これが各村ごとに数戸ずつ配置され、担当区内の村民の非違を司っていた。これは天領の大森町も同じで、他に一定地ごとに鉢屋の集落移住地があり、ここでは常時、抜刀、柔術、棒術を修練。山陰地方にて名ある武芸者はみな此処の出身なり」と堂々と書かれている。 しかし明治7年に警察制度が変革してからは、やはり村八分として追放された者が多く、大正6年調査表の「島根県分布一覧」には僅かに、「鉢屋186戸、長吏173戸、番太56戸、得妙3戸、茶筅30戸。計448戸」とある。 また尼戸の残党が村受け鉢屋や郡代鉢屋になった事の裏付け史料としては、「昨十九日の合戦にて、鉢屋掃部ら鉄砲をもって敵を討取りし段は神妙に候」、「はちや、かもんら永々と篭城のところ、このたびも敵勢取りかかり押しよせし時も、おおいに力戦奮闘、武辺をかざりしは神妙也」といった永禄8年4月20日、同10月1日付の尼子義久の花押のある感状が、はちや衆かもん衆頭の、河本左京亮宛で現存している。 「掃部頭」というと、今では井伊大老の事をすぐ連想するが、彼が公家を弾圧し安政の大獄を指揮したのは彼個人のバイタリティーのみでなく、「公家に対する地家」、つまり「俘囚の末裔が武家である」という民族の血からの、反動的な圧迫だったともみられるのである。 それにもともと公家というのは、「よき鉄は釘にならず、よき人は兵にはならぬ」というのを金科玉条となし、彼らが征服した原住系の末裔をもって兵役を課し、「夷を以って夷を制す」となし、これが武家の起源であるが、差別の為か蔑視の理由によるか、そこまでは解明できないが「掃部頭」とか「内膳」「弾正」といった官名ぐらい軽いものしか、武家には与えていない。 「清掃人夫取り締まり」とか、「配膳係りのボーイ」といった扱いだったのが前者の意味であり、後者は「糺」という文字も当てられ「ただす」と訓されていた。これは唐から輸入された制度で天智帝の時に始まり、大宝令で法文化された延暦11年(792)に「弾正例八十三条」という当時の刑事訴訟法が発布されたが、公家は、「兵になる事を嫌った」ごとく、「ただす役割」もまた嫌って、これを原住系に押しつけた。「千金の子は盗賊に死せず」の精神なのである。 だから、よく映画や芝居で「おのれ、不浄役人め」とか「不浄な縄目にかかるものか」と軽蔑した言葉が出てくるのは、つまり俘囚の子孫が役人だった事に起因している。 だからして公家が織田信長の父信秀に「御所に献金したのは奇特である」と「弾正忠」の官名をやったりしているのも、織田家というのは実は近江八田別所、昔の捕虜収容所の血統だからである。 しかし、尾張の織田家を弾正にしたところで、京へ来て「御用、御用」と召し捕りをやるわけではないから、その後は有名無実になってしまったが、明治2年5月に新政府はこれを復興。同7月に弾正台京都出張本台、4年2月に弾正台京説摂出張巡察所と、捕物機関を設けたが、後司法省に吸収され、なくなってしまった。 ☆ ☆ ☆ 八切止夫作品集から、非常に大まかにまとめると、原住民系は神道を拠り所にし、生活していたが、大陸から仏教を拠り所とする進駐軍(藤原系)がきて、原住民系は各地の山々に逃れることになり、進駐軍は、原住民系のうちの裏切り者(三八)を使って、原住民系を支配するにいたった。 この裏切り者(三八)が、八(はち、や)と呼ばれる人たちで、主に役人や役人配下の、江戸時代でいう岡っ引きをやっていた。例えば、ドラマの銭形平次の子分が、八(はち)と呼ばれ、同じくドラマの水戸黄門のうっかり八兵衛も八(はち)だし、八(はち)が、ひょうきん者として表現されている。 ドラマでは、ひょうきんものだが、現実には、体制側について、農民から作物を巻き上げる存在なので、農民から怨まれていた存在といえ、明治の新制度になって、最も虐められる存在となった。 農民を現代のサラリーマン、三八を現代の官僚と考えると、大陸からの進駐軍が、米国になったわけで、この構図が現代にも、そのまま当てはまることがわかる。 歴史は繰り返すというが、今話題の体罰問題の源流が、農民と三八の関係、いまでいうサラリーマンと官僚の関係から伺える。 米国の勢いが弱くなり、新体制になると、今度は、官僚たちが村八分される存在となるのだろう。だから、官僚たちは必死に米国を応援するわけだが、時代の流れに逆らうことはできないだろう。TPPなんかやると、一番困るのは、現在の既得権益者であり、官僚たちなのである。いままでの取り分を大幅に減らされて捨てられるからだ。
2013年02月28日
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八切止夫作品集を読むと、日本の歴史の通説が誤魔化しや虚飾ばかりであることに気づかされる。まるで現代の粉飾決算のようである。 前回は、桶狭間の戦いが実は裏切りだったことを、八切止夫作品集から紹介した。だから信長は義元を裏切って謀反したわけだが、信長も光秀の部下(斉藤内蔵介)に裏切られ、本能寺で爆殺されるから、自業自得といえる。家康も天麩羅があたって死んだというが、因果を考えれば、恐らく国松の母の江の手のもの(織田の残党)に暗殺されたのだろう。 暗殺すれば、暗殺されることは、明治維新でも同じである。 歴史を調べれば、自分がしたことが自分にかえってくることがよくわかる。だから、虚飾や粉飾をしようが、いずれ露見して、全ての責任を負うことになるわけだ。権威に阿って虚飾や粉飾をする歴史家というのは罰当たりである。 さて、八切止夫作品集を読むと、通説がいかにいい加減なのかがよくわかる。 前回紹介した桶狭間の戦いを、明治の軍部が、大国ロシアと戦うための奇襲戦法としておおいに宣伝したというのがあったが、日露戦争をみても、奇襲といわれるような戦いはなく、しかも桶狭間の戦いすらも調べていた形跡はないから、愚の骨頂といわざるを得ない。 大体地政学的に当時の義元と信長との位置関係からいっても首を傾げざるを得ないし、ロシア皇帝が最前線に出てこない限り、奇襲などできるわけがない。ただ奇襲戦法という言葉だけが一人歩きし、戦略、戦術も全くなかったことがわかる。 逆に太平洋戦争後半に、ソ連が急に攻め込んできたから、全くアベコベでやられている始末である。このように歴史を調べてみると、日本人は馬鹿じゃないのかと思わされることばかりである。粉飾や虚飾ばかりやるから、それに洗脳されて真実がみえてこなくなり、敵に逆にやられてしまうわけだ。 真珠湾攻撃を奇襲という輩もいるが、敵の大将の首か、領土がとれなきゃ奇襲でもなんでもなく、単なる暴発で農民一揆と同じだろう。 このように、日本の歴史観には虚飾や粉飾の偽りの類が数多く紛れ込んでいるため、真相というのは藪のなかといわざるを得ない。以前、戦国時代の人々は、生まれ変わりの輪廻を信じていたことを紹介したが、迂闊に、「生まれ変わりのために切腹のやり方まで決まっていたようだ」と想像にまかせて書き込んでしまったが、八切止夫作品集を更に読んでいくと、切腹という自決の形が奨励されたのは、幕末以降の長州藩のみであったようだ。 八切史観では、切腹は、藩士を戦場に駆り立てるための脅しだったようである。切腹するよりは、戦場で殺されたほうがマシと思わせるための虚飾だったというのである。その部分を以下に抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ 方言を誤訳した「腹切り」 「武士道とは、死ぬることと見つけたり」と葉隠論語になると、戦時中しきりに教えていた歴史家もいた。そして、それが「戦陣訓」というパンフレットに挿入されてからは、屠所の羊のように集められた私達は、かつての日、「死んでしまえ」と殴られ蹴られ戦地へもってゆかれた。私など今でのその時の想念が染み込んでしまっていて、手帳などに時には「死にたいを堪えて今日も生きていき」と書き込んだり、他処への葉書に書きもする。 つまり、(死んでしまえば、この訓練の苦しさ、現実の疲労困憊からも脱出できる)というような根本理念、つまり進んで戦死する気構えというか諦観が徹底的に叩きこまれた。 「死のすすめである切腹」に関しては、それが軍の敢死敢闘精神を兵に教育するのを護持する関係上、旧軍部は歴史家を尊重してこれが虚妄を書く者であったとしても、その都合上からして、利用度において、世間の信用を増すためにと、(歴史とは考えるものではない。国が保障する歴史家の書かれたものなら、そのまま鵜呑みにして棒暗記こそするものである)といった考えから、この国では、歴史は暗記ものとしての教育を強いられた。 しかし、死をすすめるのに明治軍部は、opportunistの歴史家を活用したが、これは何も彼等の創案ではない。明治軍部というのは、長州人がその上層部を占め、監督指導をしていたのは周知の事実であるが、その長州たるや幕末に、「腹切りのすすめ」をしていた所なのである。 かつて明和四年に藩で編した、「御家誠」というのを、幕末の安政二年になると、儒臣中村清旭に、そのわかりやすいものを作らせ、それを、「大訓衍義(だいくんえんぎ)」として木版刷りにして、藩の師弟の教育の基本とした。この中に、「毛利隆元さま御自筆、五月六日、児玉三郎右衛門あて下さるの書」の一項目がある。 「只今の世上には誠に、腹せを切り候えと人に申しかけ候共、否と申し候ものは有るまじく」という一章で、安政版には、はっきりと冒頭に、「切腹のこと」と冠詞されている。 つまり幕末の毛利家の青少年は一人残らずこれによって「隆元(元就の子)様の頃の長州人は『腹せを切れ』といわれたら一人も否応なしに切腹したものである。つまり死を鴻毛の軽きにおいて御家に尽くしたからこそ、毛利家四百年の基礎を固める事ができたのだ。なのに、近頃の若い者はなんだ。まず切腹作法の訓練から致せ。いつでも長州人は、ちゃんと腹を切れるようにしておけ」とeducateされた。 (三つ子の魂百まで)というが、これで育成された乃木将軍が、やがて割腹といった形式で殉死するのも、ここにその起因がある。つまり乃木個人の性癖によって、その行為を判断するごときは、群盲が象を撫ぜるようなものでしかない。そして幕末長州人の上層部は、(いいか、自分で己れの腹に刃をあてるというのは大変な事だ。 それで死ぬ事の苦労を思えば、まあそれよりは敵にとびこみ、死中に活路を求める方が、まだしも容易である。切腹は始めだしたら死なねばならぬが、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれで、勇ましく戦えば命拾いもするぞ)と下層の子弟を教育し、やがて彼等を率い蛤御門で戦い、長州征伐の軍を追い払い、ついには「とことん取れな」と江戸幕府を倒し、やがて薩閥を倒し、長州人の天下を作った。 しかし、こういう事を書くと、古い歴史家や長州出身者には叱られるだろうが、私は昭和四十三年読売新聞に<毛利は四矢>を連載するにあたって、毛利元就の生れ育った広島県吉田の多治比(たんび)へ、古史料を蒐集するため赴いて滞在していたところ、「維新の大業を遂行させた」といわれる、「腹せを切り候えと人に云わば否と申す者なく」という金科玉条の「腹せ切り」を、幕末の長州では「腹切り」と単純に解釈してしまっているが、これは元就発祥地の多治比では、「腹背切り」つまり「身を粉にして」とか、「腹背一体二心なく仕える」といった意味で、つまりは安芸の方言なのである。 ところが、慶長五年の関ヶ原合戦後、毛利家は周防長門二ヶ国に押し込められた。つまり元就や隆元の生れ育った安芸地方は、徳川家に取り上げられて浅野侯の領地となってしまった。 だから三百年後の幕末になると、毛利家の儒臣は、もはやこの方言が判らず、これを切腹のすすめに用いてしまい、真面目な乃木将軍をして「腹背をきって」御奉公させたあげく、肉体的にも腹から背まで切らせてしまったものらしい。 しかし、明治三年に長州人の新政府は「新律綱領」を立案したとき、士族や官吏には「閨刑」として切腹をすすめた。そして、「名例律上」の中の罰則に、「自分から屠腹を致すこと」というのを設けた。 しかし長州人は幼児から切腹の仕方を教わり、図式でも習っているが、他国人は守りそうではないから、せっかく奨励しても、「結構です」と他殺である斬首の方の希望者が多かったので、これは今でいえばザル法となってしまった。そこで明治六年の改定律令では、切腹刑はもはや廃止されている。 ☆ ☆ ☆ 長州といえば毛利で、戦国時代、清水宗治を自害させることで、秀吉と和睦し、豊臣に従ったが、関ヶ原で、西軍についたため、家康に領土縮小され、それがもとで徳川に怨念を抱き、幕末に討幕の中心となり、長州幕府というべき明治政府をつくった。 つまり、清水宗治の自害を美化し、切腹とすることで、戦国時代の輪廻転生の思想を、国家のための自害に美化し、長州明治政府は盛んに切腹を奨励し、権威として君臨した。 明治維新は長州革命であり、その実、メーソン革命で、またそれはサンヘドリンの悪魔儀式でもある。それは切腹(自害)奨励のために莫大な血が流されたからで、長州はサンヘドリンが呼び出した、この世の吸血鬼でもある。 サンヘドリンの指示通りに、日清日露と長州政府は大陸に血を求め、悪の錬金術として、血の犠牲を金銭に変えていき、ついには乃木の自害を明治帝への殉死として軍神に祀り上げたが、最後には太平洋戦争で、広島に原爆を落とされる事態を招いてしまう。なんと因果なことだろう。 2発目は山口の萩ではなく、長崎だったが、長崎は、長州が武器を調達した場所でもある。武器を求める者は武器により滅ぼされる。
2013年02月28日
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歴史を調べると、歴史でなくとも、数10年の短い人生でもいいが、自分のなしたことは自分に返って来ることがわかる。 福沢諭吉はクダラ(百済)ナイ「学問のススメ」など書かなくても、ただ、「出世するには、いま何をやるかだ」と、一言いえば済む話である。 「よく学べば、よく教えることができる」と一言いえばいい。 「学歴社会をつくって、自分を出世させる」というのは俗物のいうことである。そういう発言から、弥太郎の三菱との如何わしい関係が察せられてくる。三菱と慶応がアヘンで商売し、戦争で人殺しをして儲けてきたことで、現代の守銭奴金銭奴隷国家ニッポンがある。慶応で麻薬事件が起こるのは天罰ともいえる。 さて、人間とはどうしても、自分のやってきたことを褒めて貰いたいがばかりに、自慢や虚飾をはじめてしまい、挙句の果てには、家柄がどうのこうのと家系図などを持ち出して、粉飾し始め、差別したがるわけでもある。 また、中途半端な歴史理解から、虚飾を信じ込んでしまい、その奴隷となっている者も沢山いる。本来の学問とは、そのような知の奴隷から、自らを解放するための方法や手段だった。伝承されてきた事象の真偽を確かめる判断力であった。その判断力、つまり認識力を哲学と呼んだ。 だから、いわゆる鑑定力のない者は、哲学者ではなく、人生においては、人の道としての道徳力が重要になるので、哲学者は、教育者となったわけである。 しかし、このような哲学者や教育者は皆無で、行われていることは、人生や社会や歴史をいかに粉飾し、虚飾するかばかりである。特に歴史教育は権威に従わせる奴隷教育が横行し、酷すぎる。 本来の学問は、中世ではリベラルアーツと呼ばれたように、自由のための技芸、つまり自由な意識をもとうとすることで、知の奴隷からの解放なのである。 例えば、いま日本周辺の島々が領土問題となっているが、では、日本人と韓国人と中国人の違いを述べてみろといわれても、せいぜい応えられるのは、日本語を話すのが日本人という低レベルなもので、ほとんど答えられないばかりか、セム系人種からどういう経緯で、その3つの人種に分かれたかの大略を説明できる人はいないから、自分勝手に自己主張をはじめ、紛争の種を撒き散らしているわけなのである。 ただ歴史教育といっても、これが正しい歴史だと教え込むことではない。それでは知の奴隷で、洗脳になってしまう。人間は十人十色なのだから、様々な見方があるわけで、自分がみる立場とは全く逆の立場から、同じ事象をみる能力があるかどうかなのである。 人間は、自分の能力を超えて、事象を捉えることはできないから、自分とは異なる見方で、その能力を補う必要がある。だから、歴史教育は、人生を学ぶために重要である。 さて、八切止夫作品集の「徳川家康」では、後の徳川家康となる主人公の次郎三郎が、新田氏の末裔とされる薬師系の坊主の落とし胤で、母に、松平の家臣に嫁ぐために、捨てられ、祖母に身売りされ、駿河の部落で育ったことが書かれている。 そこで暮らすうちに、次郎三郎は、武士になることを決め、母が乳母として信康の家に奉公していた経緯から、松平元康の子(後の信康)を誘拐するのだが、その話を以下に抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ 次郎三郎は今川義元が上洛するにあたって、三河の当主松平元康の子、竹千代(後の信康)を誘拐した。というのは、今川の先駆けとしての元康が討ち死にでもすれば、三河の当主の跡継ぎを次郎らが押さえておけば、三河一国は握れるだろう、という深謀からである。 だから狐が崎の人質屋敷から、大久保、板倉、酒井らと共に竹千代をさらった。さて、この時の事。 次郎は大河内源三郎の妻である乳母の協力のもとに、竹千代を誘拐して、慈悲尾の増善寺へひとまず逃げ込んで、ここに暫く隠れていた後、その寺の等善坊の助けで小舟を借り、寺男の瀬平が葛籠に竹千代(後の信康)を匿し、共に石田湊に出て、鍛冶屋の娘おあい(後の西郷の局、秀忠の母)のいる、掛塚へ戻った。 次郎が家康となって天下平定後、等善坊はこの時の手柄で遠州可睡斎という拝み堂を新築して貰い、土地では「恩禄を得た有徳な修験者」として評判だった。寺男瀬平も、神君より召し出されて、「味知」という姓を道案内の故事からとって安倍川の西の持舟山一帯の朱印状を貰った。「神君御難の時背負いまいらせた名誉の者の家柄」ということで、この子孫は幕末まで連綿として続き、苗字帯刀だったと「駿府志」にある。 しかしこれは運の良い方の話しである。酷い目にあったのは、誰が松平の世継ぎを奪って逃げたか直ぐ判ったから、乳母の大河内源三郎の妻(次郎の母)や、次郎の祖母源応尼がそれぞれ捕らえられ殺された。桶狭間合戦は永禄三年五月十九日だが、その当時のことゆえ狐が崎の刑場で殺された源応尼の屍は部落の者に分けられ、内蔵や脳味噌がそこの唐人薬屋へ渡されたのは、華陽院の墓碑名によれば「永禄三年五月六日」となっている。つまり桶狭間合戦の十三日前に源応尼が処刑されたのだから、次郎が松平竹千代を奪取したのは四月ということになる。 ☆ ☆ ☆ 上記のように、次郎の母と祖母は、狐が崎の刑場で殺され、祖母の屍は部落の者に分けられ、内臓や脳味噌は、唐人の薬屋へと引き渡されたというから、次郎を捨てた母は、次郎に命を捨てられ、次郎を売った祖母は、次郎に命を捨てられたばかりか、屍を売られたことになる。 これは自分がしたことが自分にかえってくる典型である。 それから次郎三郎は、部落で家臣を集め、後に、松平元康を殺し、元康に成り代わり、徳川家康に改名する。 面白いのが、有名な桶狭間の戦いで、通説では奇襲となっているが、八切止夫作品集では、裏切りの騙し討ちになっていることである。 今川上洛にあたって、今川と織田は和睦し、信長は元康とともに義元上洛の先方となっていたというのである。義元は3万5千の兵を率いて、信長の到着を待っていたところ、信長は、義元の鉄砲隊が恐ろしく、万が一に、義元が心変わりし、自分を殺してしまったらどうしようかと、お得意の猜疑心が働き、義元の軍に加わることを渋って愛人宅に逃げ込んでいたのを、嫁の奇蝶に諭され、仕方なく出立するが、俄かの大雨で、田楽狭間で休息していた義元の光景をみて、鉄砲隊が使えないことを知り、反旗を翻した、というのである。 そして、信長の離反を誘導したのが、次郎三郎であったことを書いている。だから、信長も、家康も、桶狭間のことはあまり触れたがらなかったようである。 以下に、桶狭間の戦いについて抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ <天下布武>では尾張、伊勢に多い「八」の民が、天の王朝復活のために彼に協力し、世直しをして欲しさに米穀の在る者は出し、男は皆武器をとって、信長に従って進撃したものらしい。 「・・・又も負けたか三師団」といった言葉が戦時中あった。これは東北健児や九州の師団と比べ、京都と名古屋の兵は弱いのが有名で評判にされたのである。「名古屋商法」といわれる程、銭儲けには長けているが、戦場で勇ましい話しはあまり伝わっていない。 つまり接近戦の苦手な尾張兵のため、信長は鉄砲が喉から手が出る程欲しかったのである。だから、大国ロシアと戦うには奇襲戦法しかないと、明治軍部が桶狭間合戦をおおいに宣伝したが、この時ついていったのは山口飛騨守、佐脇籐八らの四人の近習者だけにすぎない。 大勝利の筈の桶狭間合戦なのだから、その時の近習達を重用するのが普通だが、信長は棄て殺しにしようとしたため、彼らは家康の許へ身を寄せ匿って貰っている。(こうした彼らの謎の行動に歴史家は何故目を向けないのだろう) という事は、三万五千からの大軍を率いて上洛せねばならぬ立場の今川義元がなにも近くの尾張で戦うならば、前もって掃討していた筈である。だから実際は信長は既にもう降参していて、尾張領内は無事通過の保証がされていたと見るのが常識である。 なのに俄かの大雨で、信長が畏怖していた今川本陣の火縄銃が濡れ、全く唯の棒っきれになっている田楽狭間の光景を見て、信長は心変わりして、ぞろぞろついてきた野次馬や一旗組を指揮して本陣目がけ逆襲したのが真相らしい。 これは戦などというものではなく”裏切り行為”である。だから家康は裏切りの生き証人として万一の際に備えて彼らを匿っていた。 だからその為、高天神城が攻められた時は信長は援軍を一兵も送っていない。だが三方ヶ原合戦の時は、家康は彼ら生き証人を最前線に出して棄て殺しにしてから、信長に救援を乞うたのである。互いに虚々実々の駆け引きである。 ☆ ☆ ☆ 上述の「ぞろぞろついてきた野次馬や一旗組」とは、次郎三郎(後の家康)の郎党だったという。また、三方ヶ原のときの信長の援軍は、家康には、なんの役にも立たずに、平手汎秀を捨て殺しにし、平手家を滅亡に追い込むための信長の怨念からの計略だったそうだ。桶狭間は、当時平手家の領地なので、三方ヶ原を利用して、義元への裏切りを口封じしたのかもしれない。 このようなことは、戦国時代に限らず、日本陸軍でも行われ、東条英機は、自分に敵対する幹部を最前線に送って、死なせたそうである。だから、後に戦死の状況などを調べた遺族らが、東条を靖国に祀ることに反対したのだろう。 次郎三郎は、家康となった暁に、元服に達した信康と、自分の正体を知る築山御前を、信康の妻である信長の娘五徳に罪をなすりつけて殺してしまう。そして、信忠が優秀だったのに、無能とし、信長の信康への嫉妬に摩り替えたという。 信長は、松平の系列の元康ではなく、次郎三郎の家康と同盟したわけだが、当時は、元康のつもりでいたという。後に、元康ではなく、次郎三郎だとわかり、家康である次郎三郎を処分しようと、安土に呼び出すが、次郎三郎は危険を感じ、先手を打って、光秀配下にいた斎藤玄蕃允や部落者を使って、奇蝶から信長の居所を突き止め、本能寺で爆殺し、信忠も二条城に誘き寄せ爆殺したという。そのときに使われた火薬が最新式のものだったという。 次郎三郎も幼少のときに身売りされたように、戦国時代では、人身売買が普通に行われていたようである。人身売買は、明治期まで、続いていたようだ。このようなことは歴史の教科書には一切載せないので、新興宗教の教義を習っているようになり、実情がわからなくなる。 だから、孔子の「民は之に由(よ)らしむべし。之を 知らしむべからず。」が、本来の意味の、「民に一々説明するのではなく、まず自分が実行して見本を示せ。」というのではなく、「説明しても理解できないから、騙して言いくるめろ。」になるわけだ! これは現代人の精神が腐敗している証拠である。
2013年02月27日
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前回の続き ☆ ☆ ☆ 七世紀の白村江の戦いで郭ムソウが日本へ入ってきて占領してから、日本が中国大陸と対等になれたのは、秀吉の朝鮮征伐で明兵と対決した時、というより明治の日清戦争からです。今だってアメリカにもフォードもあるし、コダックもあります。失業率がいまや二割ともなれば日本は邪魔というか不用でしょう。 といって、またアトムを落としてしまうよりは、アメリカの国益のために活かして使おうとするのだろう。そのうちには海外派兵も命じてくるだろう。敗戦国民ゆえ「ノオ」とはいえまい。その時に、まさかアメちゃん万歳と叫んで死んでゆけぬ。どうしても昔通りだろう。 今は敗戦の結果、国ぐるみでアメリカの奴隷だが、日本の古代史をよく見直せば、やはり、原住民古代史は、どうしても奴隷史といえよう。となると、せめて外国の為に戦死せねばならぬ者たちの為にも、隠さない真実の日本の古代史を、よく知っておかない事には、殺される日本人の彼らとしても、どうしても、やはり死んでも死にきれまい。 さて、「クダラにあらざれば人にあらず」とされて、今でもクダラヌ奴とかクダラナイ事とされている桓武時代は、みな金大中の全羅南道の百済だが、周防とか安芸のように岡山に接近している中ツ国の近くは、魏の時代に多く移ってきた中国大陸人に接収されたから、大内の多々良も鉄屑精練をしていたことで大陸系であるが正しい。 なにしろ皆だれも黄色人種ゆえに区別をはっきりさせるのは、当て字の逆転しかないだろうとは、タタラを踏むの言葉からの考究である。 皇国史観の頃は、えらいさまの歴史ばかりなので帰化族などといっても、日本列島にきた進駐権力に対して帰化帰順したのが正しく、白村江の戦いで母国を喪失してしまった百済人らがそうで、彼らは忠誠を示そうと高麗系新羅系を蕃族と日本原住民を追討目標にして人間狩り。よって高麗系は遥か昔の移住では日本書紀に合わないというのが、これまでの日本の古代史である。 それに五代将軍の徳川綱吉の神仏混合令によって生まれた吉田習合神道が、異也を夷也としてしまった。が、今では稲荷で、狐とされている。伏見稲荷の神官荷田春満は出府して、赤穂の討入りを当局のヤラセとはみずに、加担するようは反体制志向に走ったのも、やむにやまれぬ原住民の血の流れであるといえよう。つまりこれまでの古代史はみな作為されている。 また淀川畔に幕末まであった淀姫宮の御神体はサマとワカとオノさまの御三体で、貝原益軒の紀行文には、淀殿と秀頼と大野修理の木像三体が、ご神体として信仰をあつめているとある。いわば、この信仰は女上位の原住民のもので、オカミのいう賎民の臭いがつきまとって興味深い。同時に信長は部落解放をしたが秀吉は部落差別を非常に強化したゆえ、淀どのは大野修理の子をうんで、日本原住民系の世にしようとしていた謀みでもあったわけらしいとみられます。----部落出身の人は出自を隠すためか部落の人を非常に嫌うものです。いま何とかリサーチとかいうところで、部落別の判る本を何万円で売ってるとかっていって、騒ぎまくっているが、部落出身の社長は、絶対に己が会社には部落の人間は採用したがらぬ方針のゆえだそうです。----前の己が素性を隠したがるわけです。しかし案外と民間では随筆などで明記しているようです。初めは部落解放をした家康も、大坂落城後は豊臣一族の再起を恐れ死期が近かったせいか、主だった生き残りを集め、九州に「豊臣松園」といった新しい部落さえも作っています。 さて、蘇民将来すらも訳もわからずに、俳句の季題にさえも奇麗事にされて今は入れられている。が、それならば伊勢二見ヶ浦の「蘇民将来 来福之守」などという御札は、現代でも配布されていて、伊勢市の各戸の入口に掲げられ出ている筈はないのにも気づかないらしい。 「蘇民将来とは、後に源氏系になる蘇我の民の後裔をさすもの」と、真実を解釈しなくては、てんで辻つまが合わぬ。それを疫病除けなどとゴマカシはコジツケも甚だしいもので、ただ兄弟だなどと美化したり恰好づけだけしていては、てんで話にも何にもならぬ。 己れらの生まれ育った国は、愛し護ってゆかねばならぬ。それには明治大正みたいな押しつけの義務教育では駄目。いいころ加減なゴマ化し歴史で恰好づけなどせず、真実の古代史をはっきりさせるべきだろう。七世紀からはトウ政権に苛められた。今度も、ベトナムみたいに国内戦にもちこんだら枯れ葉作戦をやられたかも知れぬが、結局は勝てたかも知れなかった。 それなのに、それができなかったのは、好いころ加減な歴史しか教えていなかったゆえ、本土決戦となったら、国民の八割以上をしめる賎の民が暴動を起こし、良を捕らえるのではないかと自信がなく、水際で無条件降伏をしてしまった事への反省を、改め愛国心で新たにすべきだろう。 ☆ ☆ ☆ 以上から、差別は、権力者が自分たちの出自を誤魔化すために生み出されることがわかる。サンヘドリンが、人種差別をつくりだすのは、自分たちが悪魔の蛇人の出であることを意味するわけである。 日本人が奴隷根性をもつのは、古くから差別を利用して、権威を歴史教育により洗脳してきたからである。そして、真実を語ろうとする者を差別し、死に追いやるから、この国ではイジメがなくならない。 日本人の差別とは、この土地に流れたきた順番にしかすぎない些細なものである。戦国時代の仏教と神道の争いなどは、その象徴である。仏教伝来により権威を確立した者たちの圧制に耐えかねて、被差別されていた神道信者たちが結束し、仏教徒に化け、仏教徒を追放した歴史が戦国時代である。 それは、以前紹介した、偽キリスト教のイエズス会の目論見を語った、以下のスペイン船長の発言と同じでもある。 ☆ ☆ ☆ 日本との取引交渉に難渋するスペイン船長に、日本人が「スペイン国王はどうしてこれだけの領土を支配できたのか」と質問した。 その船長は「簡単なことだ。原住民を改宗させるために宣教師を送り込む。改宗者が十分そろったところで軍隊を送り、改宗者が現地政権に反抗するようにしむける。そしてスペインが占領するのだ」と答えた。 ☆ ☆ ☆ この裏切りの方法を、西洋では「トロイの木馬」と呼ぶ、現代のコンピュータウイルスも同じ手法である。日本の戦国時代では、「埋火(いけび)」と呼ぶらしい。 光秀は、足利義昭の「埋火(いけび)」だったようで、本能寺の変の実行者とされる斉藤内蔵介は、家康の「埋火(いけび)」だったようである(その証拠に内蔵介の娘の福を将軍の乳母の春日野局に抜擢し、家光は、家康と福の子で、国松が将軍になれなかったのは母に織田の血が流れていたからであるという。家康が秀忠に本能寺の真相を話したので、秀忠は将軍職を譲ったそうである)。 イエスズ会が失敗したのは、既に仏教がその手法を用いていたからで、神道が、巻き返しを図る手法でもあったからであるが、イエズス会の失敗により、サンヘドリンは、皇室の内情に精通したのは確かなようである。イエズス会はサンヘドリンの偵察部隊なのかもしれない。 現代でも、例えば、野田政権は、自民党の「埋火(いけび)」だったことがわかるし、それは、松下政経塾の松下が、紅卍の笹川と智弁宗という仏教分派で親しいことからもわかる。 だから、自民党が、CIAの「埋火(いけび)」であることもわかる。CIAの前身は、ナチスの諜報機関なので、サンヘドリンの「埋火(いけび)」ということになるのだろう。 例えば、もし、オバマがアフリカ黒人種の「埋火(いけび)」だとするなら、そろそろ偽ユダヤ白人種の追放をはじめてもよさそうなときではある。
2013年02月27日
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前回は、現代に伝えられている神格化された信長像とは全く逆の、現代人とほとんど変わらない信長像を、八切止夫作品集から紹介したが、前回に引き続き抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ ヤ号はその名残り、つまり天下布武とはいっても、居付地に収容されていた原住民の「八」が解放され新武器の火銃で、延暦の昔は失敗したけれども、今度は天の王朝を復活させようと信長へ協力し守りたてたのです。 秀吉の頃からは、出征にはどこどこを攻めろといい軍資金は出しています。だが織田信長は軍資金なんてものは一文も出してないんです。だから、例の勝軍地蔵といわれる愛宕山へ行って蜷川一族の金[かね]を借り、武将どもは出陣しているわけです。 しかし、今日行って銀行の窓口と一緒で、今日すぐは貸してくれない。そこで待たせている間に、あんまり金がかかることやって、ご馳走するのはもったいないからというので、費用のかからぬ連歌の会かなんかをしていた。 つまり愛宕詣りするということは、当時は金借りに行くことです。武将は攻め占領、何かそこの物資を奪うと、銀にかえてそれで借銀を返しているわけです。それが秀吉の時代になると、各武将に、銀をちゃんと軍資金に与えています。家康の時になると、もうまた違うんです。やはり原住系を使っても吝な男ゆえ貸したのはちゃんと証文とって、がっちり返させています。つまり信長の天下布武というのは結局のところ「八」の連中たちがやった仕事なのです。----信長には一つの明確に、藤原体制とは別個の枠組みたいなものがあったんでしょう。そうすると、やっぱりそういうものは書き物とか文書とかそういうもので‥‥残っていますか。----何もかも秀吉の代で焼かれてしまい残っていません。それに信長という存在は江戸時代においても、絶対に避けられていた人物。秀吉の方は『絵本太閤記』みたいに、茶化したものは許されたけれど、いま桑田忠親の『信長公記』の本が出てますが、これは全部彼の鑑定用の茶器茶道具の宣伝です。よく読めばまこと呆れてしまうが、朽木越えに信長が浅井長政に裏切られて逃げる敗戦の大変な時なのに、『信長公記』では「お茶会を召さり松風の茶碗や何とか何とかの名器を集められて」と、まったく考えられぬことが出ているし、それから本能寺の変の時だって、「その晩は、お茶会を開いて夜分遅くまでなしたからやられたのである」というように書かれているが、これはやはり茶器の宣伝と、忠臣蔵の芝居からの思いつきでしょう。 さて切腹は、出血多量で死なせる酷い刑罰だが、その作法というと全部これまた芝居の、「仮名手本忠臣蔵」の塩谷判官の腹切りの場からの模倣で、三宝を尻にあてる。 だが、あの三宝というのはデパートへ行って、結婚結納売場へ行けば実物が桧の薄皮でつくってある。あんなものを尻の下に敷いたら、ペチャンコになってひっくり返るだけ。あれは芝居の場合は、マス席といって一番前のお客が高い金を払ってるからお腹を切って血綿を引っ張りだしたところをよく見せなきゃならないので、背後から黒子が黒塗りの風呂の腰掛けみたいなのを後ろから腰にあてがって見せるから、薄い桧の三宝でも潰れず恰好がつきます。 テレビでも小説でも切腹作法とされているのは、全部この芝居からきているわけです。 日本の歴史は全部、芝居とテレビからといわれるのもこの訳です。信長は後年ポルトガル船の船首についていたアポロの神像を自分に似ると、全部の者に安土城で礼拝させてたから、『フロイス日本史』には、カリオン神父は「悪魔の如くおそれられていた信長が、ついに髪の毛一本残さずふっとんだ」と、ああよかったよかったとは書いてないけれども、そういうふうになっているのが読みとれる。と言ってまさか信長が己れの神像だとアポロを弁天涯の安土城で拝ませる訳はない。 恐らくこれまで藤原体制によって奴隷とされ酷使され殺掠された先祖の霊として祀り、解放運動に成功した信長は一般に礼拝させたのを、日本の古代史を知らぬイエズス派の宣教師が、イエスこそ唯一の神と信じこんでいるから異教を崇めると批難して悪魔として本国に報告していたのではありましょう。 信長につき従って天下布武をしたのは「八」の連中であって代々の臣ではない。それに「八」の殺された先祖を拝礼するのゆえ民族的儀礼だから、信長を拝む気遣いではなく誤報であるといえます。徳川中期以降の近世ではなく、まだ宗教戦争の中世紀のことである。そこをよく考えねばならぬようであります。 さて家康も部落解放だが三代家光から反対になった徳川だが、松平元康ではない世良田の二郎三郎が松平元康だと偽って、守山崩れで元康が殺されたあと築山御前から頼まれ、人質になって熱田の加藤図書頭のところへ行っていた後の岡崎三郎信康を、清洲城へ受け取りに行った時に、熊野権現の誓書を書いて、信康を取り戻すために彼は松平元康として欺き通した。 しかし家康は信長に露見していると後には気づき、何事も彼の言いなりに臣従したが、天正十年五月には、許しを乞うため首代として金五千両をもって安土へ行った。しかし信長は許すといわず京へ送った。だからカリオン神父は六月二日早朝に本能寺に集まった一万三千の丹波兵は、家康を討つためだといっていたと本国へレポートを送っている。 もちろん家康も戻された黄金を斉藤内蔵介にわたし、五月二十九日の夕刻に信長が上洛するや挨拶にもゆかず即刻京を逃げ出している。堺から船で逃げようとしたが、堺の政所松井友閑にとめられ、やむなく伊勢のカブト山越えに服部半蔵らに守られ白子浦まで逃げ、渥美湾へでて本国へ戻り、すぐさま兵を集め斉藤内蔵介救援の軍勢を、酒井忠次を先手にして津島まで出しているのである。 しかし秀吉が早手廻しに光秀の娘婿の細川忠興の山崎円明寺川畔の勝竜寺城で、まんまと瞞し討ちにして光秀勢を始末し、京に入ると、謀反随一の斉藤内蔵介を討ちとった。 まぁ和平交渉は相当早くしていないと、六月二日に本能寺の変があった翌日に、備中高松を開城させられぬ。早々に姫路城へ戻った秀吉が、どうも信長殺しの黒幕としては、やはり臭い‥‥と言われたのも、あまりにも早手まわしのせいである。 明智光秀が庇っていた時の正親町天皇の後継ぎの誠仁親王を秀吉がホウソと称し殺したと、「多聞院日記」の中にも明白にでている。そして、である。 今までの御所では狭苦しいと京の中央の人家や社寺を取り払って豪華な聚楽第を建て、己が新御所とし、自分は後奈良帝の遺児なりと帝位を求め、自分が日本国は統治するからと、兵を出し中国を征服して、御所にはお里帰りをしてもらおうと進言し、御所には中国の中央にて四ヶ国、各公家にも、それぞれ一ヶ国ずつ進呈しますといって‥‥承認をうけているのです。----ちょっと誇大妄想ですね。----中国よりの藤原政権に苛められた仕返しだと思ったんでしょう。フランシスコ派から新開発のチリー新硝石を入手できるものと九州の名護屋で自分も渡海するため待機していたんです。----中世の仕上げをなした権力者は、三人ともアプローチは違うわけですか‥‥ 古代史解明の必要----日本シェル出版で刊行している「徳川合戦資料集大成」の中に全文収録されている処の、根岸直利の『四戦紀聞』によれば、信長が桶狭間でしたのは裏切りです。和平交渉が進んでいるのに裏切ったんだから、この時の生き証人は佐脇甚八、山口飛騨守らの側近の四人だが全部、第一線にもってゆき棄て殺しにしようとしているのに、彼ら四人は気づき、家康のところへ逃げ込んだ。 信長には弱みのある家康は、いざという時の生き証人として彼らを庇護したわけです。ですから、高天神城合戦の時などは、信長はいくら求められても援兵を出さずゆえ、この四人を仕方なく家康は第一線へ出して殺してしまって、はじめて信長は生き証人の四人が死んだのを確認してから、ようやく本腰を入れて長篠の合戦で、武田方を三段構えの鉄砲隊で信長は討ちとり、家康の味方をして勝ってのけたのである。 秀吉は後奈良帝の遺児と自称した程ゆえ千の宗易に味方するササラ衆を「茶せん」とし部落へ収容したけれど、信長に次いで部落解放を部分的だが敢行したのは家康であったといえる。 このことの裏づけとして、小田原征伐後関東へ移された家康は、江戸の荒川というのは、現在の川幅の四倍ぐらい大きい川だったわけで、そこの中州島には武蔵七党のくずれ、つまり騎馬民族の「四つ」の三河島衆が前述のごとく何千と押しこめ居付限定地の橋のない川の処だった。 領地が三倍から四倍に増えて、人手もない時だから、これを全部、御家人とか旗本にしたわけです。『野史辞典』をみると、三河譜代は太郎左と与五郎の二人になっている。これはいつの間にか、三河譜代というのは島の字を抜いたせいで、本当は江戸創業に働いた三河島譜代です。----最初に『日本原住民史』という本をお出しになりましたね。それで、公けの今までの歴史に対し、日本原住民史というのがあるんだということを打ち出された。最初はこんがらかるから、白対黒という一つの対立として出したけれども、実は白といっても、原住民の中には白と赤と、それから雑色とかに分かれるのですが‥‥そうなると、日本原住民の中の最も純粋な、最も頑強に抵抗したのがサンカという‥‥ことになるのでしょうか。----それを庶民と分けて、日本純民と名付けたわけです。今でこそ、庶民は容貌が落ちるからとか何とかいって、子供一人か二人のところが多くても、総人口の八割五分おるけど、片っ方は十人以上の子供を作っているわけですから、何年かたてば比例は違ってくる。だけど、かつてナポレオン戦争の時にオランダがナポレオンに負けて、世界中どこにもオランダの旗は立っていなかったのに、日本の出島だけがオランダの旗を立てていた歴史があるが、唐が契丹に滅びても、唐は藤原氏として、日本では厳然たる勢力を発揮しておったのです。 それに七福神は七曜神風俗ですが、今はアラブじゃなくサンカの信仰です。だから、渥美半島になぜ米軍の彼らが上陸したかは、伊良子岬で有名な半島全体が、今も毘沙門さん大黒さんと七福神の御旗がはためく土地。今でこそ鯨のことで騒ぐけれど、江戸時代はアメリカの捕鯨船がみな日本へきていて、あそこだけは特別地域で薪とか水をアメリカ捕鯨船に配るのを大目に認められておったせいです。だから田原藩の家老渡辺華山が、「慎機論」や「西洋事情御答書」を書いて、蛮社の獄に連座して割腹。 つまり半島全体が、江戸時代にあっては特殊地でした。それに、家康四天王の大久保一族の出身地で半島の中間にはバス停で兵助畑っていうのがあるんです。大久保彦左衛門が若い頃、女の子を引っ張ってレイプしていた畑だといいます。----兵助というのは大久保彦左衛門の若い頃の名前ですか。講談で有名なので、バス停留所名‥‥----日本では古代史はテレビや芝居であまりしないから、判らぬ侭で今になってます。が書かれているからといって全然ひどすぎるものが多い。徳川時代の朝廷の歴史を書いたものに『皇統紹運録』という本があるけれど、これは監督官庁の京都所司代の検閲のものだから全部デタラメです。「謎だらけの日本史」[日本シェル出版]の本に詳しいけれど、華族令が出た時に、畏れ多くも明治大帝が、華族は皇室の藩屏なりと仰せられ、為に徳川時代の歴史は何ひとつ解明されず、みな嘘ばかり今もまかり通っている。明治の歴史屋は華族さま御抱えゆえ解明もしてない。ローマのバチカン法皇庁の法皇みたいに至上は今では象徴でいらっしゃるから、たとえば自民党の世の中だと自民党の天皇でいらっしゃるのは仕方のない話です。 ☆ ☆ ☆ 文字数制限を超えるので、次回に譲る。
2013年02月25日
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前回は、八切止夫作品集から、戦国時代の日本人と信長の実像とを抜粋紹介した。 「信長殺しは秀吉か」という作品を読むと、信長の冷酷さがよくわかる。その作品によると、信長は、妻となった奇蝶を利用し、舅の道三を、義龍に、腹違いの子という噂を流して騙し討ちさせ、美濃を占領するが、奇蝶に露見したため、信長は奇蝶を無視しはじめたので、奇蝶は、信長暗殺を企て、その企ては、秀吉に利用される。安土城と共に奇蝶が焼かれたのは、秀吉の策略のようで、焼いた信雄を(信長暗殺は奇蝶という)生き証人として残した。 しかし、信長殺しは、秀吉だけの仕業ではなく、細川藤孝や足利義昭やイエズス会、そして家康も絡んでいたようである。 「徳川家康」という作品では、信長の執念深さが表現されている。「信長殺しは秀吉か」の主人公有楽にもいわせているが、信長が信秀の後継者になれたのは、舅道三の美濃勢力に負うところが大で、だから奇蝶は、信長に対して居丈高に振る舞い、美濃衆は信長に美濃の京風の式法を強要し、信長はそれに反抗したので、「たわけ(馬鹿)殿」と呼ばれ、尾張一族からも、美濃の裏切り者とみられるようになったという。 信長の母の父平手政秀などは、信秀の葬儀でも、信長を無視し、弟の信行に従うような態度をとったようで、信長は、このときの平手の態度と、信長の母が男不在のときに坊主と密通(不倫)したことで、平手が折檻し死なせたことを怨みに思い、平手家を根絶やしにすることを密かに決め、政秀を、母に折檻したように自死させ、後に家康から、三方ヶ原の救援依頼がきたときに、平手家後継の平手汎秀らを救援に向かわせ、平手を捨て殺しにするように佐久間らに言い含め、見殺しにしたという。 平手からみれば、信長は、尾張を美濃に明け渡す侵略者の元凶とみなしたようである。戦国時代は、同じ日本とはいえ、地方では全く異なる国々の観念があったことがわかる。 信長の執念深さは凄まじく、晩年に、林佐渡が、このときの織田家後継争いで信行に従ったのを理由に追放している位である。 ともかくも、信長は、尾張と美濃の確執のなかで、恨みを晴らすことで浮上してきた人物で、最後は、自分がしたことの仕返しで、殺されてしまう。 信長をみても、自分がなしたことは自分に返って来るという自業自得ということがわかる。 さて、その信長について、興味深い話を、八切止夫作品集から以下に抜粋し紹介する。 ☆ ☆ ☆ 信長は部落解放者----戦国時代と幕末が庶民の憧れなのは、下克上といわれる恵まれぬ底辺の者達が浮かび上がれる唯一の機会だったからである。つまり加藤清正にしろ虎之助とよばれ岡部又左の大工の徒弟だったのは、薮塚の加藤弾正の伜ですから居付地住まいの素性。それから同じく秀吉のまたいとこにあたる福島市松がササラ衆の、桶屋の職人の伜だし、これも原住系に相違なく限定職だから居付地に入れられていた。秀吉も中村が後に遊郭になる程ゆえ、居付部落の抜け人。----家康も原住系の部落の出身ということですが‥‥----勿論そうです。これはまだ、もう一回やらなきゃならないけども、明治三十五年に村岡素一郎という、直木賞をとった榛葉英治の外祖父にあたる方で多摩書房刊の「明治論叢」にも原文で収録されている『史疑徳川家康事蹟』という本を徳富蘇峯の民友社から出した処、当時の華族会の圧力でもって警保局が全部、これを押さえてしまったんです。そこでその外孫の榛葉英治が今から二十年前の昭和三十八年に吉川弘文館からまた現代語訳で本を出した。 処が、これも不思議なことに、どこかに全部、定価でみんな売れちゃった。その代り絶版です。[1996年4月現在、入手可能です] 不思議といえば正確には村岡素一郎の本が出た二年後の明治三十七年刊なのに、七年前に発行年をさかのぼらせた「松平記」が「東大蔵版」と朱印つきで青山の青山堂より木版刷り三百部が、紋入りの桐箱で各華族や歴史屋に配布された。この内容を水増しして現代語で大河小説にしたのが、故山岡荘八の「徳川家康」で、内容はまったく松平記と同じゆえ、発禁や絶版にもならず大ベストセラーになりNHKで三度も大河ドラマとしてテレビ化された。 なにしろ東大をはじめ官立大学の歴史学会は、華族会の援助をうけていたので、確定史料と認知された。そのため岐阜城館主郷浩が、信長の美濃攻略は永禄七年といくら訴えても「松平記」には永禄十年とあると、いまだに相手にされない始末である。せっかく岐阜城内の古資料を二十年も掛って調べあげた苦労も無駄である。 さて日本原住民について八切史観を始める時には、判りやすくと、占領軍が黒で、被占領軍が白であると、これは足利時代の室町御所の記録に、「白旗党余類」という言葉で、彼らは被差別されておるので、ゲットーへ入れられている被占領民つまり賎の賊軍扱いされているのと、官軍の黒と白の争いにし八切史観を判りやすくしたんです。 ところが、どうしても赤をやらないと、私の出自血脈では困るから、「特殊部落発生史」を書き、お稲荷さんとか祇園さんとかいった赤系をやったわけです。紅殻塗りのお宮ですね。これやらないと日本原住民には白と赤がいるから話の辻褄が合わない。 それがいわゆる庶民。ところが純民がいるんです。日本にはあくまでも頑強に反藤原勢力の‥‥民族です。----その純民の観点からすると、庶民とはなんでしょう。信長も死ぬ時は平姓ですが‥‥----秀吉も平の秀吉で死んでます。北条政子も源の頼朝の妻でも平政子として死んでます。これは例の『大乗院寺社雑事記』という活字本にもなってますけど、あの中に、西南より渡来せるものは堀川三条小路の囲地に収容し、僧籍に入らざるは古来より風習にて平氏。要するに京都はお寺が多いから、今でいうとタレントみたいに目が青いのだとか、一見毛色が変わったのを連れてって、それぞれの寺の目玉商品にしたわけです。言葉は通じないから執事が色んなカッコウして手真似で何とかこうこうとやるわけです。ところが、いつまでたっても不器用でノースピーキング、ノーヒアリングの者は結局、京都から追い払われ高崎へ行って、面壁九年ってのも、何も壁が好きで九年も向き合ってたわけではない。あれは全然ヒアリングもスピーキグも苦手で、だからいくらいじめられても、じっと我慢しておったからでしょう。 さて、山芋からつくる芋アメは、これはシノガラ特有のもので、ベッタラ漬もそうです。サンカ用語でベッタラっていうのは特別の意味。上野のアメ横の入口に近くに電話局があり向かえの角のところを入った通りのところまでは、浅草からかけて朝鮮人町です。焼肉屋があったり、浅草瓢箪池の前などは堂々と朝鮮服屋が並んでいます。 ところがアメ横は一町入って通りまで入ると、全然もう違います。現代では終戦時の事は何も知らないから、ヤクザがアメ横を守ったなどというけれど、あれはウソで、アメリカ兵の中の日系シノガラ部隊が機銃をもってきて防いだんです。はじめは芋のアメを売っていたから、アメ屋横丁になったのですが、その頃はアメリカ製のタバコなんかも持っていると、MPにぶんなぐられ、沖縄重労働だぞと怒られた時分に、シノガラのアメリカ兵がどんどんあそこにはPXから流したから、アメリカ製のものはアメ横へ行けば買えるといわれたのも、そういうつながりがあったんです。 ただ言いたいことは、一般庶民の家庭は子供を沢山産むと、器量が落ちるからといって、一人か二人で子供をつくるのをやめます。ところが、シノガラの方では、本当の純粋な日本種族ですから民族を増やさなきゃならないため、子供を沢山つくっています。有名な方では、九州でこの間奥さんが癌で死んだ江口さんですが、あすこは十六人。名古屋では伊東さんって方が十四人目の子供をうんでいます。なにも好きでつくるのではなくて民族の使命なんです。だからマンションなんか住んでいて隣同士でも口もきかない人がいるのは、まぁシノガラの方達でしょう。----さて八切史学では、私の読み方が判らない不勉強のせいなのかとも思ってるんですけれども、乱暴な質問をしますと、土地所有の問題はあまり多くは‥‥でていませんが‥‥----藤原体制の時は賎には私有を認めず、みな公家のものでしたが、下克上の戦国時代がおわり、江戸幕府になると土地は私有制ではなかった。青森弘前の殿様が九州へ国替えになると、土地が私有だったら不動産屋を通し九州で居抜きの城と武家屋敷をセットで出物を探し買ってから行かなきゃならない事になる。領民は奴隷で私有だが、土地はオカミのもの。----農地、農民の場合ですけれども、質に入れたり売買したりしてますね、中世から盛んに‥‥----江戸中期から旗本が知行地でも入れなくなる。そこで、大庄屋が全部代わって代行することになった。つまり大庄屋が年貢米を集めるから土地が誰から誰へ行こうが関係なしです。つまり吉村虎太郎の天誅組みたいに、非生産的な武士など廃止し、天皇と百姓とを直結せん。そうすれば日本の国は豊かになると。農本主義というんですか。これが討幕の最初のテーゼ。 そもそも信長があそこまで行ったのは、まず桶狭間の合戦で、‥‥あの時、今川義元は何も戦争をするんだったら、尾張なんか隣国だから、まず掃討作戦を先にやっておくのが常識。彼は「なんとかして三万五千の軍勢を無傷で京都へ連れて行かなきゃ困るわけ」なのゆえ、途中で道草を食って戦争なんてしたくないわけだから、あの時点においては、信長は今川義元に、とっくに降参していたわけです。ところが桶狭間というところは、今の中日グランドのあるところで、昔は平手庄といって平手政秀の領地織田信長の生家です。 休んでいる時に雨がザアーザァー降ってきた。そこで雨が降ると、当時の鉄砲は火縄銃だから役に立たない。ただの棒キレにすぎない。先発隊には全然一挺も鉄砲をもたせず、本陣に五百挺の鉄砲をみな置いていたのをば、信長は雨がふってきたので思い切って襲った。結局は毛利小平太なんかが、今川義元の首をあげたけれど格別の出世はしてないです。『当代記』を読むと、後に本能寺の変の時に二条城で、やっぱり小姓頭で、伜の岩というのと共に一緒に討死してるわけです。信長の主目的は鉄砲をふんだくるだけでした。永禄初年ではまだ国産はできず貴重品で、鉄砲ゆえに降伏していた信長は戦力を増したことになるわけです。 ところが、それでも、織田信長の軍勢はあんまり強くないんです。そのせいか永禄七年に「上総介布令」なるものが「駿河[掛川?]志稿」の中には残ってます。「今後、印地院内のもの、つまりこれまでゲットーのものに限り商売を許すものとす。その他のものは、いくら困っても大根一本売りの商いもしてはならぬ」と、商売というものは全部、原住系の八に限ったわけです。要するに当時、遠州の掛川は朝比奈三郎兵衛の城で、今川義元の伜の今川氏真がおったところです。そこへ秘かに布令を出すというのは、今でいうと、今川方の残存勢力を崩す宣伝戦です。つまり信長が強くなったのは、次々と居付き地部落を解放し、原住系の「八」をみな自分の味方にしてしまい、それで結局、いわゆる天の王朝がかつてあったとされる弁天涯への道は、「八」の連中がつくったようなものです。 ☆ ☆ ☆ 現代に残る信長のイメージは、ほとんどが嘘であることがわかる。
2013年02月25日
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前回は、日本にその影響をもたらしたサンヘドリンの支店長代理ともいえる信長について、その実像に近いと思われる八切止夫作品集から、戦国時代の日本人の実像を紹介した。 八切止夫作品集からわかるように、当時の日本人の考え方は、仏教に負うところが大きかったようだ。 「信長殺しは秀吉か」に記述されているように、例えば、関ヶ原の戦いの東西に分かれる背景に、東の薬師系と西の門徒系に仏教の宗派が分かれていたことが関係するそうである。以下に抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ 「三河で若い頃、儂は一向門徒と戦をしたが、今度もそれと同じくりかえしじゃ」と、武蔵小山で旗上げした家康は、そんな言い方をしたそうだが、全く門徒派と薬師派の戦の様相を呈してきた。 薬師派の系統は、もともと白山様や八幡様の神徒系なので、源平の昔から、だいたい姓の上の発音で区別されている。 つまり、アカサナタハマヤラワとオコソトノホモヨロが始めについている。 家康はこの二つの系統を握るために、アカサのマのつく「松平」とオコソの列のトの「徳川」の両姓を用いていたから、この二列の姓の呼び名を持つ者は、みなこぞって家康側に加担した。<八切・姓の法則> 文臣派といわれる中でも、<豊鑑>の著者で、その父竹中半兵衛は秀吉の無二の腹心とも云われたし、美濃岩手の城主竹中重門をはじめ、文臣武臣の区別なく、秀吉子飼いの加藤清正、加藤嘉明、田中吉政、山内一豊、中村一栄、有馬豊氏、加賀の前田利長、飛騨の金森長近。甚だしきにいたっては、秀吉の妻の妹婿の浅野長吉から、藤吉郎の頃からの家老だった蜂須賀彦右まで、アカサナタの母音のつく家柄の者は、一人残らず東軍である家康の側にはせ参じた。 だからして、秀吉が浅井攻めの時に用いた小谷東別所の出で、賎ヶ岳七本槍で高名な淡路州本城主脇坂安治でさえ、姓がワなのか、その伜の安元の名で、伏見城以来、家康の腰巾着になっている山岡道阿弥に、「関東下向を石田派に押さえられているが、時をみて御味方に参上。同門のよしみにて御前ていを、よしなに願いそうろう」と、密使をよこし、藤堂高虎に合図されると、他の薬師派の赤座直保や小川祐忠も誘って山中村の高台から、それまでの味方の西軍へ逆に攻め込んで、とうとう関ヶ原合戦の勝敗を決めてしまった。 中には、信州の真田のように、長男は宗旨に従って東軍へ、父と次男は万一を慮って、永代回向料を寺へ納めて家名を存続させる為に西軍へと二股かけて分離した者もいたが、殆どの者は従来のゆきがかりよりも、(人間は死んでも何度も生まれ変わって出てくる)という、当時の輪廻の説を誰もが信じていたから、来世を心配し、(死んでからのほうが未知なだけに、やはり不安で気掛かり)とみえて、みな宗派によって、その態度を決めたようである。 つまり、東方光明を信じている薬師派の者が、もし誤って西軍に加担し、異教徒である一向門徒と共に討死したら西方の極楽浄土とやらに生れ変わって一緒に出てしまう心配がある。もし、そうなったら、東光の者としては、そこでは、にっちもさっちもいかなくなり、<場違い>だから、とても浮かぶ瀬もない。 もし「場違い」になったら、それこそ「ばちあたり」で、そうなったらば、どんな事があっても現世へは蘇って戻れない。無限地獄の暗黒の裡に、未来永劫さ迷わねばならぬと、この時代は固く信じて疑う者もなかった。 だから、今の現世でたとえ五万石や十万石増やしてもらったとて、死んでから阿鼻叫喚地獄で苦悶する事を考えると、とても名利の沙汰では宗旨は変えられず、これまでの義理人情や旧恩をすっぱりと棄て、東光宗徒はみな徳川家康についたのである。 ところが、大坂方は、これまたややこしかった。 秀頼の母にあたる澱殿は門徒。秀吉の後家殿の北の政所は、これは根っからの正真正銘のお薬師様。だから、西軍であるべき筈の北の政所の寧子殿が、あろう事か、徳川へ味方したとも伝わった。もちろん信心からいって事実であろう。この関ヶ原の役の手柄として、秀吉の後家殿は、新しく一万六千石の褒美を家康から貰っている。 ☆ ☆ ☆ このような思想的な背景を知らないと、戦国時代の意味がわからないばかりか、信長暗殺を巡って、当時の人間の心境が、現代のサラリーマンの心境にも通じることがよくわからない。信長が天下統一までに出世できたのも、「信長殺しは秀吉か」に記述されているように、父信秀のお蔭であることもよくわかる。その部分を以下に抜粋し紹介する。 ☆ ☆ ☆ 織田一門。つまり弾正忠(だんじょうすけ)から備後守になって死ぬまで、父信秀は四十二歳の生涯に、男十二人、女十一人の子供を残したが、細川昭元に嫁いでいた於犬御前(おいぬごぜ)も最後に亡くなり、今や生き残りは男の有楽一人きりである。 そのせいなのか、近頃は面と向かって父信秀の事を、「天文二十年(1551)三月三日にそのご生涯を終えられるまで、二十三人もお子様を作られたとは、さてさて大仕事。十八歳ぐらいから次々を年児で拵えられた勘定ゆえ、さだめし人並み優れた女ご好きの方でござりましたろうな」などと、からかい気味に、兄信長の死後は、いらぬ詮索をする者もいる。 「わしは末っ子で、おやじの殿の歿くなった年に生れた者ゆえ、お顔も、てんで覚えてもいぬが、身内の話では女好きどころか、あべこべと聞いておりまするぞ」と、有楽が言い放ってやると、きまって、「まさか‥‥」と誰もが妙な顔をしてみせた。 だが、父信秀の女嫌いは本当である。 織田家といっても、信秀の生れた家は尾張の守護代斯波の奉行職織田本家のまた分家で、尾張八郡のうちの一郡の四分の一ぐらいな所領しかない勝幡(しょうはた)の城だった。 今の前田利家の伯父与十郎が尾張海東郡荒子城で三千貫の身代だった頃、父信秀は、その十分の一もない身上だったらしい。 大きな領主なら、首名(おとな)衆と呼ばれる重役どもに任せて、己れは印判(かおう)だけ捺していればすみもしようが、父のような中小勢力では、戦をするにも自分が真っ先に槍をふるい、駒かけて先頭に立って奮闘するしか途はない。そして、身辺を固めてくれる者も同族だけである。 ところが、一門、親族といった同族は、少しでも勢力を伸ばしてくると、やっかむのか、えてして協力はあまりしなくなる。 父信秀には、与二郎、孫三郎、四郎次郎、造酒丞(みきすけ)といった弟はいたが、どうしても、新しい同族をもっと拵えてゆくしか、中小勢力としては発展のしようもなかった。 大領主なら、それ相応の隣国の大名からでも嫁取り・婿取りをして、その里方と協力しあって国境を守り、他国へ攻め込めもするが、父信秀のような小城主では、そんな大層な所からなど嫁のきてがない。 といって、釣り合いのとれた所から妻を迎えてしまっては、それ相応の合力が得られるだけで、あまり先行きの発展も望めない。そこで父信秀は正妻を決めずに、たとえ二百でも三百でも兵力の集められる国内の土豪を探し、片っ端からその娘や妹を借り、己が子を産ませるようにした。 自分の娘や妹が信秀の子を作り、「お腹様」になっては、その親や兄達はどうしても織田の同族となって一緒に頑張って戦わざるを得ないから、見る間に父信秀の勢力は拡張されていった。 前田与十郎も、娘が女児を産んで合力し、青山与三も娘が二郎(後の三郎五郎)をもうけたから味方し、平手中務(なかつかさ)は、末の娘が三郎(後の信長)を作ったから、これも仕方なく同族になった。 林新五郎兄弟みたいに、己れらの姉が嫁入った土田久安の娘が産んだ四郎(後の信行)を立てようと、謀叛しかけた者もいたが、これらの新しい同族を作ったおかげで、父信秀はついに尾張八郡の名主にまで成り上がれたのである。 とはいえ、好きな女、綺麗な女を選んだのではなく、ただ、その父兄の兵力にだけ目をつけ、婚閥を作るために次々と種馬のような苦労をしたのだから、父信秀も並大抵の事ではなかったらしい。 朝倉浅井勢と宇佐山で戦った時、森乱丸の父三左と共に討死した三人上の兄の織田九郎の母御前などは、有楽はその顔を今でも覚えているが、市江[現在の愛知県海部郡(あまぐん)佐屋町のあたり]の豪族後東の娘で、蜂に刺されたように痘瘡の痕がひどく、鼻のひしゃげた凄い面相で、子供心にも恐かった。 だが、女たちの器量のよしあしで依怙贔屓(えこひいき)などすると、その親兄弟がうるさいから、父信秀は公平に「一腹一子」という家憲をこさえ、女が身ごもると、その岳父を生れる子の御守役のように扱って家臣の列に加えてしまい、そして次の女を物色したらしい。だから兄弟二十三人、みな異腹である。 幸い父信秀は色白な偉丈夫で、女に好かれる型だったから、何十人もの女が喜んで、その子を産んだのであろうが、気張って子種を出す方は、そこは腕や脚みたいに思い通りに動くところではないだけに、相当無理をして、さぞ大変だったろうと思われる。 三河安祥攻めの時、長陣になり月余にわたったから、見かねて近臣が伽ぎの娘をすすめたところ、父信秀は手を振って、「わしは、女ごは好きじゃない」と憮然とした面持ちで泣き面を見せたと伝わっている。 人は三十人も妻を持った父信秀が、「女嫌い」というとおかしがるが、普通の者なら一人持っても持て余す妻を、それだけ次々と抱えたら厭になるのも、これは当り前であろう。 その数多い女の中で、一人でも気に入った者がいれば、その産んだ子を跡目にするように、そっと遺言でも書いていたろうが、父信秀は死んだ時、てんで何もしていなかった。つまり生涯、好きな女は一人もいなかったらしい。 三男の信長が跡目をとったのも、妻の実家の父が近隣に鳴り響いた美濃の斎藤道三で、その財力と兵力がものをいったのである。 (もし、おりゃが、もっと早う生れおって、当時のことゆえ、駿河の今川の娘でも妻にしていたら、跡目がこちらに廻り、その後の天下の形勢も全く変わっていたろうに‥‥) と有楽は、今でも時々そんな空想をする。 ☆ ☆ ☆ というように、信秀の一番下の子(信長の弟)の織田有楽を主人公とした、この作品は、信長と自分の違いは、生まれた日の違いでしかないことを本人に告白させている。 世間に出回る信長のイメージを払拭するために、この作品から、その如何わしい実像に、続けて迫りたい。当時の日本人を知るには、つくられた信長のイメージを払拭することが先決だからでもある。
2013年02月25日
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前回は、サンヘドリンの日本への影響を紹介した。戦国時代は、イエズス会、幕末は、メーソンとして、サンヘドリンは日本を支配しようとしたようである。 信長は、マカオ経由の爆薬を使って、明智光秀の部下に爆殺されたことを記している、以前紹介した「八切止夫作品」によれば、興味深いことに、この作者の研究が本当なら、戦国時代の日本人は、生まれ変わりの輪廻転生を信じていたようである。以下は、そのなかの「信長殺しは秀吉か」という作品からの抜粋である。 ☆ ☆ ☆ 「人は死んでも、その家門が続いて、回向さえ欠かさずに、その檀那寺へ続けていれば、必ず成仏すること疑いなく、九天へ昇れたら、やがて安心立命でき、(また生まれ変わって、この世へ戻ってこられるものである)と誰もが、固く信じている世の中だった。 (いま生きている、この現代の事はよう判るが、さて、来世の方は、どんな所か見当もつかん。だから死んだにしろ、早いとこ、今の現世へ戻ってきたいものである)と、みな願望していた時代だった。 だが、その為には檀那寺の坊さまに欠かさず供養を続けてもらわねばならぬ。それにはどうしても、ずっと布施料を納めん事には駄目である。そこで誰もが、供養を続けられる「家」を、とても大切にした。 己が家門を存続させるためには、親は子を見殺しにしたり、その連れ添う者も見捨てた。如何なる犠牲を払っても、あくまでも家名をたて、後生を願って菩提を弔う家を残したがった。それが現世に生きる者の勤めだった。 なにしろ家が滅びてしまっては、檀那寺へ布施が届けられぬ。坊さまが、そのため供養を怠ると回向されない魂魄は宙に迷ってしまう。それでは、現世へ生れ変わって来られず、あの世で難渋するからである。 また、「一人出家九族昇天」という思想もあった。 (一人が出家して僧侶になれば、その一族はおろか、九等親までが揃って、すぐにも天へ昇れ、そこから現世へ早々と戻ってこられる)と信じられてもいた。だから何処でも一人ぐらいは仏門に入っていた。」 ☆ ☆ ☆ だから、当時の日本人は、切腹しても、生前の行いがよく、家系さえ存続していれば、また、この世に生まれ変われるように思っていたようなのだ。生まれ変われるためには、切腹のやり方までも決まっていたようである。 その生まれ変わりの思想を利用したのか、宣伝したのかは定かではないが、家系を見守る仏教寺が金銭などにより繁盛したのは、想像するのに難しくない。このような信仰心から、日本の仏教の葬式が豪華になったように思える。しかし、現代の日本人で、「生まれ変わり」を信じている者はほとんどいないだろう。 では、日本人は、いつごろから、「生まれ変わり」を信じなくなったのだろうか? 恐らく明治維新の廃仏毀釈あたりからだと思われる。だから、思想的にいえば、明治維新は、仏教の「生まれ変わり」を取り次ぐ僧侶の役割を、天皇だけに限定し、天皇のために死ぬことで、「生まれ変われる」ことにしたようである。ここに万世一系の神話が誕生する。勿論、天皇といっても人間であり、偶像崇拝なので、その効力はない。 この歪な信仰は、後の靖国神話という負の遺産を残すことになる。 そもそも、この思想は、信長が目論んだことのようだ。信長の安土城はそのような拠点で、信長は大きな石像を安土城に運び、自分とその石像を神として拝むことを強要したという。 つまり、信長暗殺は、信長の神格化に対する反動だったわけで、安土城に対しては、当時の「生まれ変わり」の信仰を基に、巨大な勢力を築いていた仏教徒の反発を食らったのは当然である。当時の日本のほとんどが仏教徒で、勿論、戦国大名も含まれる。信長と敵対する有力大名、武田信玄にしろ、上杉謙信にしろ、仏教に帰依している。だから、信長が比叡山を焼き討ちしたのは、その象徴ともいえる。 思想的にいえば、信長を代表とするキリシタン大名によるイエズス会の偽キリスト教と、従来の多数の既得勢力による日本仏教との戦いともいえる。 信長が仏教徒を弾圧している間は、信長の目論見通りに進んだが、皇室の神道との軋轢を生んだところから、俄かに形勢が逆転しはじめた。当時の神道は金融機関の元締めだったからのようである。有名な愛宕山は、金貸しの窓口だったようである。 巨大な権威となった信長を、当時の既得勢力の誰もが怖れ、信長の部下でさえも怖れていた。 それは誰もが信長暗殺に動機をもつものであった。特に当時の仏教勢力には目の上のタンコブで、また逆に、イエズス会も、自分たちの意向を無視し、独立するようになった信長に危険を感じたようである。 「信長殺しは秀吉か」という作品からわかるように、信長暗殺は、当時の日本の既得権益者の総意であり、その勢力は、秀吉により丸め込まれ取って代わられた。 サンヘドリンのイエズス会が日本支配のために育てたキリシタン大名らは、信長の暗殺により、キリシタン追放で一応は終結したが、幕末の戦乱に至って、サンヘドリンの魔の手は再度、忍び寄る。 信長に代表される、サンヘドリンの魔の手の役割は、幕末において、坂本龍馬に継承され、メーソンのグラバーが、イエズス会のフロイスと同じ役割を演じる。 信長や龍馬が人気があるのは、サンヘドリンの偽タルムードである偽キリスト教が日本に根付いている証拠であるともいえよう。日本人は、日本人として洗脳されているのである。
2013年02月25日
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前回からの続き。 さて、幕末から明治維新以降のサンヘドリンの影響がわかる話が載っていたサイトから、以下にその話を抜粋して紹介する。 ☆ ☆ ☆ ■明治維新の背後に見え隠れするロスチャイルドの影 01:00 1862年12月、品川の御殿山に建造中だったイギリス公使館を、長州藩の尊王攘夷の過激派武士7人が爆裂弾で襲撃しました。この襲撃に加わっていたのが、のちに初代内閣総理大臣となる伊藤博文や井上馨、それに高杉晋作、久坂玄瑞、品川弥二郎らです。ところが、この襲撃からわずか5ヵ月に、伊藤博文と井上馨らはイギリスに密航しています。どうやら伊藤や井上は、イギリス公使館を襲撃した後、急激に思想の転向をしたようです。この時に密航したのは5人で、その費用は一万両、現在の価値に直せば約10億円という途方もない金額です。この密航を仲介したのが長崎の武器商人トーマス・ブレーク・グラバーであり、費用を用立てたのがアヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出で巨万の富を築き、清朝をアヘン戦争へと導いた貿易会社ジャーディン=マセソン商会でした。 トーマス・ブレーク・グラバーは、1838年生まれのスコットランド人で、フリーメーソンでした。 21歳の時に来日し、23歳でジャーディン・マセソン商会と代理店契約を結び、25歳の時に現在でも観光名所となって残っている有名なグラバー邸を完成させました。このグラバー邸に、長州の伊藤博文、薩摩の五代友厚、亀山社中・海援隊の坂本竜馬、三菱財閥の岩崎弥太郎ら、幕末から明治にかけて活躍した人物が続々と訪れています。 グラバー商会は、ロイズ保険、香港上海銀行等の代理店でもありました。ジャーディン=マセソン、ロイズ保険、香港上海銀行は、いずれもロスチャイルド系列の企業です。 グラバーは長崎の外国商会の中で最大の武器商人であり、薩長のみならず幕府側にも武器を売っていました。戊辰戦争の帰趨を決めたのは武器の優劣の差ですが、薩長側は当時世界最新鋭の野戦大砲であるアームストロング砲を使って勝利を収めました。ところが、この大砲は、元々幕府がグラバーに注文していたものでした。しかしグラバーは、代金の未納を口実にして幕府に大砲を渡さず、これらを長州藩に横流ししたのです。 グラバー商会は、明治維新政府誕生と同時に、わずか10万ドルの負債を理由に不可解な倒産していますが、その資産と経営は、最終的にグラバーの弟子、岩碕弥太郎の三菱財閥に引き継がれます。 三菱造船所の前身となるドックをつくったのはグラバーですし、三菱のビール会社であるキリンビールを立ち上げたのもグラバーでした。 ジョン万次郎は、1841年に漂流していたところをアメリカの捕鯨船に助け出され、アメリカ東部のニューヘイプンで英語教育を施され、10年後に送り返されました。 帰国した万次郎は、薩摩藩で取り調べを受け、長崎でも取り調べにあい、1852年、高知の城下に移されます。 この頃、坂本龍馬と後藤象二郎、岩崎弥太郎も、万次郎に教えを請いに来ています。 万次郎は土佐藩に出仕した後、幕府に翻訳方として召し出され、ペリーの後任ハリス公使と交渉する際の通訳として働きました。 このとき、万次郎はハリスに幕府の老中たちの密談の内容を知らせていたようです。 1853年に浦賀へ来航し、砲艦外交(外交において軍艦の軍事力を背景として外交交渉を有利に進める手段)によって開国を迫ったペリーの航海日誌の中に、次のような記述があります。 「日本国内の法律や規則について、信頼できる充分な資料を集めるには長い時がかかる。領事代理、商人、あるいは宣教師という形で、この国に諜報員を常駐させねばならない。それなりの成果をあげるには、諜報員にまず日本語を学ばせなければならない」 つまり、万次郎はアメリカの諜報員であった可能性があります。 1860年、幕府がアメリカに使節を送った際、万次郎は幕府海軍操練所教授として一行に加えられ、咸臨丸で勝海舟や福沢諭吉と同船しています。ここで勝海舟と昵懇の間柄となりました。 その後、1865年には長崎で薩摩・長州・土佐藩のために軍艦購入の仲介をしています。購入先はグラバー商会。 こうしてジョン万次郎とグラバーを介して明治維新の主役たちが長崎のグラバー邸に参集することになります。 1862年、坂本龍馬は江戸に出府した後、赤坂氷川にあった勝海舟邸を千葉重太郎と共に訪ねて、ここで勝に弟子入りを認められます。 1864年、神戸に幕府海軍操練所が開かれ、勝海舟が軍艦奉行となり、人材を育成することになりました。 ところがこの海軍操練所は一年も経たないうちに閉鎖となり、勝と行動を共にしていた龍馬は長崎へ行き、海運会杜・亀山杜中を設立します。 5月に亀山社中を設立したばかりのビジネス初心者である龍馬は、8月にグラバーから7800挺の銃を入荷し、それを薩摩藩に売却するという、信じられない大仕事を速攻で成し遂げています。 また、1866年、薩長同盟が結ばれた際、龍馬がこれを仲介したことは有名ですが、実際には京都薩摩藩邸で行われた協議に出席していなかったことが最近明らかとなりました。しかし、合意文書には龍馬も署名をしており、ある程度、薩長同盟締結に関わっていたことは確かでしょう。ただ、一介の脱藩浪人が、何の後ろ盾もなしにこのような大事業を成功させたり、政治力を発揮することは普通なら考えられません。 グラバーは、薩長同盟成立前に既に薩摩と長州の人間(のちに明治政府の主要人物たち)をイギリスに密航させています。薩長同盟は軍事同盟ですから、グラバーがいなければ薩長同盟はありえなかったでしょう。何らかの理由で前面に立ちたくないグラバーが、龍馬を代理人として表に立たせたのではないでしょうか? 倒幕はグラバーとジャーディン=マセソン、その背後に控える英国なくしてありえませんでした。そして、当時のイギリスはロスチャイルド人脈によって支配されていたと言われています。 さて、伊藤博文らは明治憲法を作るために、1882年、再びイギリスに渡り、そのときロスチャイルド家の世話になったようです。 ロスチャイルドは「日本のような後進国にはイギリスの最先進国の政治体制は似合わない」として、ブロイセンぐらいが丁度良いだろうと、プロイセンから来ていたユダヤ人憲法学者ルドルフ・フォン・グナイストとロレンツ・フォン・シュタインを紹介しました。 こうしてグナイストらに学び、作られたのが明治憲法、そして近代日本というわけです。 明治維新という革命によって、資本主義のレールに乗せられた日本。この頃から国際金融資本の術中にはめられていたようです。 ☆ ☆ ☆ 続いて、明治維新以降のサンヘドリンの影響が伺える話を転載紹介する。 ☆ ☆ ☆ 明治維新のグラバーと薩長の関係からもわかりますね。しかしこれは日本人と世界の人類の進歩を妨げています。皆が自立した個人の集合体となる時期は迫っているので、こういう組織は捨てられることになるでしょう。そのための被害を少なくするには明るい気持ちと情報拡散ですね。金銭支配からの脱却。利息の廃止がひとつの目安になるでしょう。戦争も全ての経済活動もGDPを無限に増やす、利息をつけてお金を貸しそれを返済することによってなされます。 無意味な戦争やテロ、環境汚染がなくならないのは利子の増大がかかわっています。個人財産の不均衡も問題です。世界権力者図鑑に載っていた欧州の貴族は中堅クラスで5兆円。普通のサラリーマンはがんばってもせいぜい一億でしょう。前にも書いたかもしれませんが5兆からみれば1億などゴミのような扱いができます。 目的に応じて予算をつけるのではなく彼らの個人財産を増やしそれで賃金奴隷をつくることが目的なので(民主主義のサラリーマンには自由はありません。中央銀行に逆らった者は色々な迫害をうけ生きていけなくなります)、使い捨ての兵士や過労死サラリーマン、また最下層工作員も犠牲になります。 現在起きているのはピラミッド下層工作マフィアの一種の世界的反乱と言ったものです。上層のレプタリアン系とも言われる人たちは人口大幅削減をしたいのですがそれはマフィアにとっては自分のビジネスの妨げになるからです。 だから情報を色々両者のメンバーが流しています。しかし人類の行方を決めるのはどちらでもない一般人だったりします。可能性があるという意味で、そして本当に人々の生活を支えてきた人たちという意味でです。だから情報はありがたくいただいて無知を脱却する必要はあるわけです。』 1)利益というものを,人間の生き方の中心に置いた社会というものは必ず破滅する。 2)便利な生活というものを,最高の価値として,それだけをひたすら追いかけると冷酷非常な世の中になる。 3)世の中が乱れることの根本は,賢くなれといって頭のいいことを人間たることの第一の価値として強調することだ。 これは老荘の言葉です。心して生きられるよう。 ☆ ☆ ☆ この世は地獄なれど、地獄を天国にするのは、当人の心の取り扱いかたにある。
2013年02月22日
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前回までに紹介してきたように、サンヘドリンの魔の手は、日本では、自民党という利益団体に現われている。笹川の世界紅卍字会、児玉の勝共連合、岸の統一教会で、第2次世界大戦中は、国民が戦地で苦しむなか、三井、三菱、大倉財閥とともに、麻薬で大儲けしたそうである。陸軍の多くが麻薬中毒者だったという噂もある。北がいまでも麻薬に手を染めているのは、陸軍の名残りともいえる。 だから、太平洋戦争は、麻薬戦争ともいえる。戦後、GHQにより財閥解体が行われたのは、麻薬事業が陸軍諜報部からCIAに渡ったことを意味する。以下のサイトは、そのような話が掲載されている。 ☆ ☆ ☆ 日本人が知らない 恐るべき真実 http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/ ☆ ☆ ☆ 以上のサイトなどを読むと、サンヘドリンの日本への魔の手はイエズス会にはじまったようである。恐らく、それ以前にもあったのだろうが、記録として表には出ていない。そこで、イエズス会の話を、上記のサイトから一部抜粋して紹介する。 ☆ ☆ ☆ 以下は『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭著)から引用です。 イギリスの歴史家ジョージ・サムソン卿は『日本-文化小史』の中で、あるスペイン船長の話を書いている。日本との取引交渉に難渋するスペイン船長に、日本人が「スペイン国王はどうしてこれだけの領土を支配できたのか」と質問した。 その船長は「簡単なことだ。原住民を改宗させるために宣教師を送り込む。改宗者が十分そろったところで軍隊を送り、改宗者が現地政権に反抗するようにしむける。そしてスペインが占領するのだ」と答えた。 (偽キリスト教は植民地支配のために利用された。イエス=キリストを抹殺し、自分たちが偽キリストとして振舞っている。それにこの手口は、いまでもCIAがお得意とするところで、いまでは、偽キリスト教ではなく、民主主義教となっている。本当の民主主義なら、格差社会はあり得ないはずである。) 1549年にキリスト教を伝えるため来日したイエズス会宣教師フランシスコ・ザヴィエルの隠れた使命も、日本の占領にあったのでしょうか? 小岸昭(京都大学教授)の『十字架とダビデの星』の中に、ザヴィエルが描かれている。 「旧キリスト教徒の高位聖職者たちは、マラーノを正しい信仰に背いた「呪われた者」としてマラーノ憎悪を煽り立てていた。大航海と植民の拡大政策による国家の経済的発展とともに、いちじるしく力をつけてきた信仰中間層を封じ込め、かつカトリック王国を宗教的に浄化する必要を痛感していたジョアン三世は、1536年、ついに異端審問所を開設するに至った。この時、火炙りの刑に震え戦った改宗ユダヤ人のなかに、祖国を脱出し、新天地たる黄金のゴアに向かう者が少なくなかったのである。」 小岸はマラーノについて、「追放か洗礼かを迫る十五世紀末の『ユダヤ教徒追放令』により、キリスト教に改宗したイベリア半島のユダヤ人たち、表面上には〈十字架〉に帰依するように見せかけながらも、心の奥底で密かに〈ダビデの星〉を信じ続けた彼らは、異端審問所の執拗な追及に怯え、『マラーノ』(豚)と蔑まれながらやがて世界中に離散していく。ヨーロッパはもとより、ブラジル、インドへ…」と書いている。 ザヴィエルは、ポルトガル系のユダヤ人のマラーノである。ポルトガル系ユダヤ人は香辛料や金銀を求めて、世界的な貿易に乗り出していた。マラーノのザヴィエルは、イエズス会の会員にして貿易商人でもあった。 <中略> 『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』から彼の信仰と思想を見ることにしよう。 「神父が日本へ渡航するときには、インド総督が日本国王への親善とともに献呈できるような相当の額の金貨と贈り物を携えてきてください。もしも日本国王が私たちの信仰に帰依するようなことになれば、ポルトガル国王にとっても、大きな物質的な利益をもたらすであろうと神において信じているからです。堺は非常に大きな港で、たくさんの商人と金持ちがいる町です。日本の他の地方よりも銀か金がたくさんありますので、この堺にポルトガルの商館を設けたらよいと思います。」(『書簡集』第93、ゴアのアントニオ・ゴメス神父に宛てて、1549年11月5日、鹿児島より) それでは「書簡第九」を見てみよう。ザヴィエルが商人であることを知ることができる。 「それで神父を乗せて来る船は胡椒をあまり積み込まないで、多くても80バレルまでにしなさい。なぜなら、前に述べたように、堺の港に、ついた時、持ってきたのが少なければ、日本でたいへんよく売れ、うんと金儲けができるからです。」 堺は十六世紀中葉、日本の商業の中心地であった。ザヴィエルは1551年、堺に三万クロサド以上の財産がある商人たちは1000人以上いると推定した。80バレルの胡椒は、インドで976クルサドの価であったが、日本に来ると三倍になった。 <中略> 「書簡第九十四」は、ヴァスコ・ダ・ガマの子のペトロ・ダ・シルヴァに宛てた手紙である。その手紙は次の文で終わる。 「もし、閣下が私を信頼してくださって、この地方に送る商品の管理を私にご一任くださるなら、私は「一」から「百」以上に増やすと断言します。」 こうしてみるとザヴィエルはポルトガルの経済戦略の先兵隊員ではあったようです。 そして、このザヴィエルが貿易の目玉としたのは、火薬の原料となる“硝石”でした。 「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。(二版では憲兵命令で削られた) 「キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし。」 <中略> キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが天正少年使節団としてローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。 「行く先々で日本女性がどこまでいってもたくさん目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。 鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている。」(山田盟子『ウサギたちが渡った断魂橋』) キリシタン大名は、火薬一樽で50人を奴隷として差し出したとのことです。 また、キリシタン大名は、硝石欲しさに仏像や寺社の破壊も行ないました。 イエズス会のバテレンのルイス・フロイスの『日本史』の記述を読むと、大友宗麟の姿が見えてくる。この『日本史』は、1583年の秋からフロイスが編集した日本におけるイエズス会の布教の歴史である。 大友宗麟が織田信長に鉄砲や火薬を仲介する商人の姿が書かれている。宗麟は貴族の久我晴通に、禁裏(天皇)へのバテレン優遇の奏上を依頼している。 信長が仏寺破壊を行なって、フロイスは祝意を表明している。バテレンは宗麟にも仏像・寺社破壊を奨励した。宗麟は1561年に宇佐八幡宮を焼いたのをはじめ、領内の仏像・寺社破壊をなした。1581年10月8日に、豊前彦山の三千坊といわれる坊舎を焼いた。宗麟はヴァリニャーノに「このたびの勝利が、デウスの御業と司祭たちへの祈りの賜である」と伝えた。その報酬として、イエズス会は宗麟の武器援助の要請に応じた。 さて、次に鹿島の『昭和天皇の謎』の中の一文を紹介する。 「ポルトガルとオランダが諸大名に火薬を売りつけたために日本は戦国時代になった。信長のキリシタン擁護が腰砕けになったため、宣教師は明智光秀に新式火薬を渡して、信長殺しに成功するが、そのうち秀吉の鎖国政策を嫌った宣教師たちは朝鮮征伐には火薬を供給せず、そのために秀吉の外征は失敗に終わる。しかし、このとき国内にいて火薬を温存させた徳川がのちに政権をとることができた。家康は火薬の流入が日本に戦乱を引き起こしたことを十分承知しており、鎖国の狙いはキリシタン禁制そのものでなく、火薬流入の禁止であった。」 鹿島は、明智光秀が織田信長を殺したとしていますが、八切止夫はイエズス会が火薬で信長を吹っ飛ばしたとしています。 ☆八切止夫作品集は下記で読むことができます。 http://rekishi.info/library/yagiri/ 何故、神の使者であるはずの彼らが、このような残虐行為をおこなえるのでしょう? その答えは、次の逸話の中に集約させているように思います。 大航海時代の一時期、航海者たちはローマ法王に「異教徒は人間なのか」と問い合わせ続けた。法王の答えは一定していた。 「殺すなかれという戒律はキリスト教徒だけに適用する」 実に恐ろしきは“一神教”の偏狭さ也、ですね。 ☆ ☆ ☆ というように、戦国時代、硝石の輸入のために、戦国大名は、イエズス会と奴隷貿易をしていたことがわかる。信長はその代表的人物で、皆殺しを度々行ったが、背後では、奴隷貿易をしていたことがわかる。なかには、売り飛ばされるよりも武家の子女などは死を選択する者もいたのだろう。信長は自称しているように、まさに魔王である。 秀吉と家康の出自が、サンカであるという説もあり、両者は諜報を駆使し、イエズス会の胡散臭さに気づき、キリシタン追放令を出し、軍事兵器(主に硝石)の輸入を禁じたが、軍事兵器以外の民間の取引きを禁じたわけではない。鎖国というのは、偽キリスト教社会からみた視点であって、仏教社会としては相変わらず大陸と交易を続けていた。 戦国期とは、ドラマになるようなファンタジーの世界ではなく、まさに生きるか死ぬかの地獄だったことがわかる。そのような戦国の混乱期を得て、日本は江戸時代の地域的な秩序化に向かう。江戸期の鎖国政策とは、サンヘドリンの魔の手を絶つことにあったといえる。家康は仏教を巧く活用した。 しかし、やがて、サンヘドリンはメーソンを通じて、薩長と癒着しはじめる。黒船のペリーがメーソンリーであったことは有名である。 文字数制限を超えるので次回に譲る。
2013年02月21日
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前回からの続き。 ☆ ☆ ☆ ところが、2000年になってからバチカンは、やっと「3つ目の予言は既に過ぎ去った危機」という理由から、予言の内容を公表することになりました。 その内容とは「1981年の教皇ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件であった」ということであったそうです。 「はぁ?第一次世界大戦、第二次世界大戦と来て、いきなり法王の暗殺?これだけ長い間隠しておいて??」ということで、当然ながらこの内容に納得する人々は誰もいなかったようですが、それ以上に公式な発表は今のところなく、一応は「ファティマの第3の予言」に関するバチカンからの公式な発表は、これがすべてとなっています。 しかし、当然ながらこの発表は嘘ではないにしろ、すべての真実を公開していないのは間違いないことです。 では、一体「ファティマの第3の予言」には何が書かれていたのか?というと、これもまた、聖書の暗号からは様々なヒントが出てきており、やはり「聖マラキの予言」と同様に「ファティマの第3の予言」には、ローマ法王庁の崩壊に関する予言が書かれているようです。 とにかく自分達の支配が終わること、それに人々の洗脳を解く真実の情報がてんこ盛りの「ファティマの第3の予言」の全容を人々に知られてしまうのは、闇の組織にとってはエラいことであり、そのために今に至るまでローマ法王庁は必死に隠し続けています。 いずれにしても、間もなく新しい法王が早くて3月24日に決まるようですが、その人物が最後の法王「ローマ人ペトロ」となるのか注目であり、そして、その場合にどこまで真実を公表できるかが、ローマ法王庁やバチカンの今後の行方を大きく左右すると思います。 もしかすると、真実の中には「人類創世の秘密」の公開も含まれているかもしれませんが、皆さんはすでにご存知であると思いますので、いきなりこんなことが世の中に出て来ても驚かないとは思いますけどね。 ☆ ☆ ☆ というように、「ファティマの第3の予言」の全容は、闇の組織の情報公開のようである。「人類創世の秘密」とは、恐らく、トートのエメラルドタブレットに書かれているように、第10番惑星人が、地球人を支配しようとして、魔女リリスを仲介して、ニムロドの子孫であるレプタリアンをつくった、というようなことに思われる。 「ファティマの第3の予言」に関係して、あるサイトに参考となる話があったので、以下に抜粋して紹介する。 ☆ ☆ ☆ バチカン最後の教皇=ローマ人ペテロ=ペトロス・ロマヌス候補が登場? http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1756887.html マラキ預言の最後のくだりと参考となる聖書箇所などを載せる。--- ローマ法王庁が最後の迫害を受ける間、ローマ人ペテロが法王の座に就く(ここでは法王の座に就くとありますね --;?) ローマ人ペテロは多くの苦難の中で子羊を牧する この苦難が去ると七つの丘の町(注;ローマのことです)は崩壊し、恐るべき審判が人々に下される 終わり--- テアテラにある教会の御使に、こう書きおくりなさい 『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子が、次のように言われる わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている しかし、あなたに対して責むべきことがある あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない 見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる また、この女の子供たちをも打ち殺そう こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教を受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい ☆ ☆ ☆ 以上のなかの「イゼベル」は、文字を入れ替えると、「エリザベス」とも読めるが、恐らく、魔女リリスのことかと思われる。
2013年02月21日
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前回は、偽ユダヤが偽タルムードを用いて、世界支配を続けてきたことを伺わせるサイトから、話を紹介した。そして、偽ユダヤの正体はサンヘドリンにあることを紹介した。サンヘドリンは、ヘブライ語で70という意味をもち、70の偽ユダヤからなるという。 連中が、偽者なのは、キリストを殺したことから明らかである。 キリストに成り代わることと、なにより、キリストが連中の存在を脅かし、神とモーセの律法、制限法を擁護したからである。制限法とは、モーセが旧約聖書のなかに記している法である(「レビ記」第25章)。また、キリストは、文明を腐敗から救うために、過度の私有財産を制限しようとした。 連中は、キリストに濡れ衣を被せ、キリストに成り代わり、演じ続けてきた。自分たちの自己保身や利益のために多くの人間を殺し、この世でしか役に立たないガラクタの富を莫大に蓄積してきた性格は、そっくりそのまま第10番惑星人の性質を受け継いでいる。 ネットでは、キリストの敵とは、この第10番惑星人、通称、レプタリアン(蛇人)であることが明らかになっている。連中が、血を求めるのは、トートが書いたとされるエメラルドタブレットからも明らかである。血から遺伝子を採取して、宿るべき肉体をつくるようである。 ネットで聞くところによれば、エリア51施設はそのような実験場だったという話である。通称グレイと呼ばれる宇宙人は、そのようにしてつくられたそうである。このような黒魔術の原型は、ナチスのヴリル協会にあったそうである。ヴリル協会のハウスホッファーは、黒魔術師で有名なグルジェフの弟子だったそうである。 さて、連中が、キリストを殺した罪悪から逃れようと組織したのが、現在のマスメディアであり、その根底にある偽タルムードであり、偽キリスト教であるわけだ。 連中は、メーソンを通じて、偽キリスト教と対抗する新興宗教もつくり、テロの呼び水とした。そして、偽キリスト教で、戦争を起こし、偽キリスト教で世界を染めあげて、その偽キリスト教を最後は葬り去ることで、人間の精神を支配しようとする第10番惑星人ニムロデの策略と考えればわかりやすい。 いかにも悪魔が考えそうな発想である。 ニムロデの宗教といえば、やはりバチカンを連想せずにはいられない。バチカンといえば、聖マラキの予言が有名である。そのような話が、以下のサイトに載っていたので、一部抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ 聖マラキの予言とファティマの第3の予言 http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51847158.html 新時代へと切り替わるが進む中、その中で最も重要な要素の1つである「宗教」の分野において大きな動きが出始めました。 ご存知の通り、現在のローマ法王であるベネディクト16世が突然の退位を発表しました。 生前退位は、約600年ぶりとのことなので、これが単なる「高齢のため」という理由では済まされない、何か大きな力が裏で動いていることは、誰でも容易に推測できるかと思います。 この退位を発表した日の夜、カトリック教会の総本山であるサン・ピエトロ大聖堂には大きな雷が落ちたようで、やはり、この一件は、これから始まる大転換のきっかけを予兆する出来事であったと思います。 まず、すでにご存知の方が多いように、今回退位するベネディクト16世を始め、歴代のほとんどのローマ法王どころか、このバチカンという国、そしてカトリック教会そのものは、いわゆる闇の勢力の傘下であるのは今となっては有名なことです。 つまり人類家畜化計画、人口削減計画を目論んでいるグループの宗教部門を担当しているのが、彼らということであり、その辺は、上記の支配図にある通りです。 とはいえ、この支配図は、概要は正しくとも詳細の部分は必ずしも正しいことは書かれていませんし、フリーメーソンやイルミナティの捉え方も少し違っているとは思います。 ただ、天皇家(ドラゴニアン)は、彼らレプティリアンにとっても特別な存在であり、簡単には手を出せないのは確かなことです。 まぁ、この辺の話をお伝えすると本当にホラー映画やSF映画のような話になってくるので、今回は詳細には触れませんが、とにかく偽りの時代である現在は、経済や政治だけでなく、当然ながら宗教においても、すべて裏で同じ組織が絡んでおり、そして金によって支配されて動かされています。 そんな中、今回のベネディクト16世の退位発表を聞いて、恐らく「いよいよ【最後の法王】の時が来た」と思われた方もいたと思います。 知らない方もいるかもしれませんが、実はベネディクト16世の次の法王は、予てより「最後の法王」として予言されていた人物であり、この予言は「聖マラキの予言」という一部の人々の間ではとても有名な話です。 聖マラキの予言とは、1100年頃にアイルランド出身のカトリック聖職者の聖マラキによって書かれたものであり、その中で歴代の「ローマ法王の氏名を特定する簡単な情報」を伝えており、これは1100年代の当時から現在のベネディクト16世に至るまで、驚くことに111人すべてを当てている驚異的な予言となっています。 この予言をご覧頂くとお分かりであるように、聖マラキに予言された法王は112名であり、今回退位を発表したベネディクト16世の次の法王が「最後の法王」となっていて、その先の法王は指名されていないのです。 そして、次に即位する予定の最後の法王「ローマ人ペトロ」に添えられている言葉は、他の言葉と違って長文であり、それが、とても不気味な内容となっています。 ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう。 ローマ人ペトロ、彼はさまざまな苦難の中で羊たちを司牧するだろう。 そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。 「7つの丘の町」とは、一般的にローマを指すと言われております。いずれにしても、この言葉だけからすると、ローマが崩壊したり人々に審判が下ったりと、次の法王の時代は、かなり大混乱が生じて法王自体も窮地に追い込まれてしまう状況になることが予測されます。 そして、その次の法王が存在しない、それは存在しないような世の中がやってくるという意味でしょうが、上記の言葉から推測すると、恐らくは「ローマ法王庁の崩壊」がやってくるからだと思われます。 果たしてそれは良いことなのか? というと、もちろん色々な意味で混乱は生じると思いますが、冒頭でもお伝えしたように、残念ながら今の教会は闇の組織に完全に乗っ取られてしまっているのが実情であり、そして彼らの支配が弱まっている今、このローマ法王庁の崩壊というのは、必然・必要であり、むしろこれが起こらないと次の時代へは進めません。 ただし、その崩壊の仕方にも2通りの未来があり、1つはソフトランディングで一方はハードランディングとなるようです。 そして、ソフトランディングに崩壊するのは簡単とは言いませんがシンプルであり、結局のところ、今までのローマ法王庁、バチカンという国家が過去に行った数々の不正や犯罪を認め、様々な真実の情報を世の中に公開し、謝罪をすることのようです。その真実の中には、古代文明の存在や歴史上の遺産などの公開も含まれているようです。 いずれにしても、バチカンという国家は、実際は宗教というよりは欲と金にまみれた国家であり、バチカン銀行と呼ばれる宗教活動協会(IOR)という組織を通じて長年に渡って不法行為を行ってきた歴史があります。 先ほどの「聖マラキの予言」を見ると、109番目の法王であるヨハネ・パウロ1世(1978年)の在位期間が気になった方もいたと思いますが、ヨハネ・パウロ1世は、なんと即位してから33日で亡くなっており、これは表向きは心筋梗塞という発表になっていますが、明らかに暗殺であったようです。 ヨハネ・パウロ1世は、他の法王達と見た目も中身もまったく違うように、闇側に属していない方であったようで、逆にケネディ大統領などと同じように今の乗っ取られた教会を変えようと考え、その中でバチカン銀行の不正を正そうとしたために暗殺されたようです。 その結果、ヨハネ・パウロ2世(1978年-2005年)という闇の組織の息の掛かった者が継ぎの法王となり、彼は、1738年以来「フリーメイソン及び類似の組織に加盟した信者は自動的に破門」というカトリック内のルールを1983年に新教会法の条項から削ったりもしています。 さらには、911テロの情報を事前に知って空売りに参加するなど、平和を祈るべき法王の本来の姿とはまったくかけ離れた存在であったようです。 実は、これらのことは人類史上最大の暗号である「聖書の暗号」にすべて書かれています。 解析結果によると、残念ながら次の法王も闇の組織の操り人形に過ぎず、そういった意味では、法王が封印された様々な情報を公開するとは考えづらいことであり、このままいくとローマ法王庁やバチカンはハードランディングによって崩壊せざるをえない状況となります。 聖書の暗号を読み解くと、そこにはローマ法王が今まで隠されてきた情報を公開して、平和にバチカンが役割を終えていく未来(ソフトランディング)と、それが出来ずにベスビオの噴火を伴ってローマが破壊されてバチカンが終焉をむかえる未来(ハードランディング)の両方が書かれているようです。 また、上記の解析結果の中に「聖母マリアの第3の予言」や「ファティマの予言」という言葉が入っていますが、これはカトリック教会が公認している「ファティマの第3の予言」の話のことです。 この「ファティマの第3の予言」も、これから先のローマ法王庁、バチカンの行方を大きく左右するものであり、この情報についても、いよいよ真実を公開していく時期に入っていると思います。 (中略) 「ファティマの予言」はローマ法王庁に厳重に保管されており、その内容はローマ法王以外誰も目にすることが出来ないのですが、パウロ6世(1963年-1978年)は「ファティマの第3の予言」を目にしたとき、その恐ろしい内容にその場で卒倒してしまったことも有名です。 (中略) 「人類の未来にかかわる3つのメッセージ」が託され、それは、ルチア・ド・サントスが後に書き記した「3つの予言書」で成り立っています。 「第1の予言」は当時起こっていた第一次世界大戦の終結を告げるもの、「第2の予言」は第二次世界大戦が勃発し、広島・長崎の原爆投下についての内容が書かれており、いずれも的中していたようです。 しかし「第3の予言」の内容については、すぐに発表はされませんでした。それは、聖母マリアが子ども達に「予言を理解しやすい環境になる1960年を待つように」と告げたからのようです。 そのため「1960年以前に開けてはならない」という条件付きで、予言はバチカンによって厳重に保存されることになったようです。 やがて、人々は「第3の予言」の公表を待ちましたが、解禁となる1960年を過ぎても「第3の予言」の内容はバチカンから発表されませんでした。 ☆ ☆ ☆ 文字数制限を超えるので次回に譲る。
2013年02月21日
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前回まで紹介してきたサイトによれば、ニムロデの子孫とされる偽ユダヤが、偽タルムードを使い、シオンの議定書を基に世界を支配してきたことが伺える。 そのサイトによると、日本の統治に関しては、サンヘドリンの一分枝である世界紅卍字会や勝共連合や統一教会の戦略下で、笹川、児玉、岸らが中心となって、上海と、満州(中国東北部)のメーソンの会合場を基点として、洗脳工作活動を続けてきたようである。 実際、笹川、児玉、岸をネット検索していけば、世界紅卍字会、勝共連合、統一教会に辿り着くことがわかり、自民党が、シオンの議定書の軍事支配のために、笹川、児玉、岸によりつくられ、この3者の思想が、サンヘドリンの世界支配に辿り着くこともわかり、米軍支配下で、自民党が一党独裁してきた歴史をみれば一目瞭然である。 さて、連中の本拠は、いまのところ米国にあるようだ。米国の実体について、上に紹介したサイトから抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ ●国際連合に属する合衆国 われわれは、もはやアメリカ合衆国の市民ではない。われわれは今や、他のすべての国々と同様、国際連合の市民である。国連は、種々の国々のひと握りの連中によって、1945年にサンフランシスコで創設された国際組織である。ロックフェラーとスタンダード石油の代理人たちが会議をアレンジしたが、ドイツとイタリアと日本の代表は出席しなかった。このような超政府の典拠はどこにあるのだろうか? それは、約50年前に発行された記録集『シオン長老の議定書』にある。プロトコールは、キリスト教世界の破壊と「長老」たちによって支配される世界政府創出のための計画を略述している。 「シオンの長老」とは誰なのだろうか? 彼らは、自称し、自任するサンヘドリンとして知られるユダヤ人たちのグループである。彼らは他のすべてのユダヤ人を支配していると主張し、世界を支配することを目的としている。現在、彼らは合衆国と大英帝国とロシアと征服したすべての国々を支配している。 2000年前、サンヘドリンはイエスに濡れ衣を着せ、ユダヤ人と異教徒の文明を破壊した。50年後、サンヘドリンの犠牲になったユダヤ人たちが、ローマ軍によって滅亡させられた。 サンヘドリンはなぜイエスに濡れ衣を着せたのであろうか? それは彼が神とモーセの律法、制限法を擁護したからである。制限法とは、モーセが旧約聖書のなかに記している法である(「レビ記」第25章)。イエスは、文明を腐敗から救うために、過度の私有財産を制限しようとしたのである。ラビたちは金融支配者たちに仕えていたために、旧約聖書を放棄した。そして、制限法を除いたタルムードを著したのである。その結果、文明は腐敗した。ユダヤ人を支配していると自任していたサンヘドリンは、強欲な政治家と金融泥棒たちによって構成されていたからである。 イエスはまた、旧約聖書の「申命記」にあるように、私的債務の免除を唱えた。モーセは、法律によって過度の私有財産を制限し、彼の時代の文明を救ったのである。数百年後(紀元前900年頃)リクルゴスはスパルタで同じ法律をつくった。紀元前500年頃ソロンはアテネで同じことを行ない、紀元前367年頃ローマでリキニウスがそれにならった。これらの男たちは、当時の文明を救い、法律の施与者として知られている。 かつて存在したすべて国は、同じ方法、すなわち個人の努力を通して発展した。富がひと握りの連中に集中しはじめたとき、法律によって富は制限され再分配されるか、もしくは破壊されたのである。 文明は地球を循環し、富の力が支配する。その結果、われわれは二度の世界大戦を経験した。もし過度の私有財産が法律によって制限されず、強欲が抑制されないかぎり、やがてすぐ三度目を経験することになるだろう。 金融泥棒とサンヘドリンは、手を組んだ同じ穴のムジナである。金融泥棒は過度の富と権力を維持しようとし、サンヘドリンは支配しようとする。国際連合とは、その結果できあがった機関なのである。 サンヘドリンの支配権は、パレスチナがユダヤ人国家となったときに認識されることになるだろう。政治的シオニズムはこの目的を達成するための彼らの計画の重要な一部分である。超政府は、徐々に確立されようとしている。そのためのあらゆる準備的な段階がとられてきた。 その体制は、いわゆる国連の安全保障理事会がアメリカと大英帝国とロシアの原子爆弾と陸軍、海軍、空軍を管理するときに完成される。スタンダード石油=サンヘドリン・グループが安全保障理事会を支配することになろう。彼らの科学者たちが原子爆弾を開発し、合衆国の陸軍と海軍、空軍を支配している。アメリカ合衆国は、現在、国連の合衆国であり、超政府が存在するかぎり、その状態が続くであろう。 アメリカの自由のために戦い死んでいった人びとは、いたずらに戦い、ムダ死にしたのである。サンヘドリンと金融泥棒は、国際連盟をとおして彼らから成果を取り上げようとしたが、失敗した。彼らは国連を通じてそれに成功するであろう。彼らの成功は、どれくらいの期間持続するのであろうか? 国民が、新聞とラジオがコントロールされているにもかかわらず目覚めるまで、それとも国民が奴隷にされ破壊されるまでか。 彼らは、金融支配者たちとサンヘドリンに仕える専門的な宣伝屋と雇われた報道の代理人たちによって、一杯喰わされ、ペテンにかけられてきたのだ。プロトコール計画は、国民を奴隷にし、すべての国家を破産させ、世界の王座にダビデ王の子孫を就けることである。これが行なわれるとき、サンヘドリンとして「シオンの長老たち」が世界の完全な支配権を握ることになるだろう。 ☆ ☆ ☆ しかしながら、米国民も最近になって、上述の情報を知るようになったようだ。日本はいまだマスゴミの洗脳情報下にあるといってよいだろう。 実際、日本の国会議員、特に自民党員が、笹川、児玉、岸らの思想を継承した派閥に分かれることも伺える。笹川の世界紅卍字会、児玉の勝共連合、岸の統一教会である。特に統一教会は、その名の通り世界統一を狙っていることが、あからさまでもある。 さて、連中が、これら666なのかどうかは、TPPで判別できるが、以前紹介した以下のサイトが興味深い話を掲載しているので、抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ ニュースの真相 http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20130220/1361331838#seeall 日米首脳会談とTPPと自民党内の抵抗 先日の投稿で、北朝鮮の核実験騒ぎに紛れて、自民党の米国傀儡政治家達が、米国の命令で強引にTPPに参加しようとしている! というお話をしました。 ▼北朝鮮地下核実験ショーとTPPの強行 http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20130214/1360768107 ところが、日米首脳会談を目前にして、自民党の大多数の議員達が、この動きに激しく抵抗しているそうです。 TPP 自民反対派「絶対認めない」 22日の日米首脳会談、大きな焦点 自民党国会議員の6割超が加入する議員連盟「TPP参加の即時撤回を求める会」(森山裕会長)は19日、日米首脳会談時のTPP交渉参加の判断について「絶対に認めることはできない」とする決議を採択。同日の参院予算委員会でも議連のメンバーが安倍晋三首相に交渉不参加を迫るなど、首相訪米を前に党内の反TPP圧力が高まりをみせている。 (中略) 予算委で「参加しない選択肢しかない」とただされた安倍首相は、「(日米首脳会談で)確かめてみないと分からない」などと慎重な答弁に終始した。 産経新聞 2月20日(水)7時55分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130220-00000112-san-bus_all 自民党と言えば、ハッキリ言ってしまえば元々米国CIAやその下部組織である統一教会の手で作られたような政党です。 そんな中に、まともな議員が居たんだ?なんて方も多いと思います。 実際は、米国の工作員は清和会系を中心とした一部の派閥に多く、元々、中にはまともな議員も存在していました。 しかも、12月16日の不正選挙の際に、ユダヤ米国が描いた自民党圧勝のシナリオの中で、頭数を揃えるために、はからずも米国工作員でない普通の議員が大量に誕生してしまった訳です。 そして、どうやらTPPに参加して、日本人の資産を米国に渡す事は許さない! というまともな議員が、6割を超えてしまったようです。 またまた、ユダヤ米国が慌て過ぎて墓穴を掘ってしまったようですねー(笑) さらに、統一教会付属産経新聞は、この期に及んでまだTPPの問題は、自動車だの農産物だのの問題だとミスリードしようとしているのが笑えますよね? このブログをお読みの方は、もうご存知かと思いますが、ユダ米のTPPでの狙いは、郵貯と医療保険です。 小沢一郎氏 TPPで米の狙いは農業ではなく郵貯、医療分野 http://www.news-postseven.com/archives/20120104_78636.html つまり、米国の狙いは農業という総額13兆円のマーケットではない。 郵貯マネー約270兆円と医療保険を通じた日本人個人資産700兆円の強奪であるという事。 簡単に言えば、米国が日本郵政のシステムを「公正でない」「閉鎖的だ」など難癖をつけて、郵政完全民営化をさせて、その株を米国金融機関(ユダ金)が買って、大株主になれば、郵貯マネーはユダ金が好きに使えるようになる。 そして、「日本の皆保険システムが独占的だ」などと難癖をつけて、「混合診療を解禁しろ!」という事で医療保険が開放されれば、国民皆保険に圧迫がかかります。 さらに、米韓FTAや米豪FTAを見ると、TPPでも薬価が上がって来るでしょう。 この状態で薬価が上がると、国民皆保険がますます圧迫されて、ついには国民皆保険が崩壊。 すると、医療保険を米系の保険会社が(ユダ金)が握り、高い上に病気になると破産してしまうようなインチキ・ユダヤ保険を通じて日本人の個人資産約700兆円を、まんまとユダ金が吸い上げるというシナリオ。 さらに、日本側が万一言う事を聞かない時や、米国に都合が悪い事が起こったら、ISD条項を盾に米国側がバシバシ日本を訴えて巨額の賠償金を請求される訳です。 ▼ISD条項とは http://kotobank.jp/word/ISD%E6%9D%A1%E9%A0%85 つまり、TPPで日本が失う物は、日本国民の個人資産1,000兆円と、国家としての主権であるという事になります。 (元々属国なので、主権はありませんでしたが、今度は大っぴらにそうなる!という事) この話を進めようとして来た、管直人ちゃん・野田佳彦ちゃん・安倍晋三ちゃんが、性根の腐りきった売国奴である事が、これだけでもハッキリ分かりますよね?w いずれにしろ、ユダヤ米国が掘った今回の墓穴、どのような結果になるのか、生暖かく見守りましょう(笑) ☆ ☆ ☆ ネット検索すればわかりますが、自民党が敵対視している日本共産党も、実は勝共連合がつくったことがわかります。戦前戦中戦後と、日本国民は騙されてきただけで、試合が終われば、一緒にバスに乗って移動するプロレスラーと同じです。 例えば、反共の自民党員に、なぜ反共なのかを論理的に質問しても論駁できないことからわかり、感情論にすがるしかないので、反共を盲信するのです。実際、日本は最も成功した共産主義国家ともいわれている位です。 最近の議員は演技が下手すぎなので、すぐにバレます。演技がバレそうになるとキレて、キレ芸の芸人と化します。裏ではつながっています。国民は演技を演技で終わらせずに責任をとらせ、議員を追い込むべきです。 だから、騙した責任をとらず、岸の孫がいまだに議員をやっているわけで、裏を返せば、政治家はそれだけ旨味のある商売で、人を騙して儲けるわけだから詐欺師の親玉です。
2013年02月20日
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前回からの続き。 ☆ ☆ ☆ 私は、これらの基本的事項を元にして、このブログを、なるべく分かりやすい言葉にして書き綴って来ました。 「カバラ」とは、宇宙根源「生命の樹」に書かれてある暗号を、天上界の神々が、天使界に伝達したものです。 (宇宙根源とは、唯一の宇宙意識のことに思われる。) これは、伝達が下へ下へと降ろされてゆくほどに、情報となる内容が薄められてゆき、逆に、上へ上へと辿るに従って、情報となる内容が濃くなってゆくものです。 よって、その伝達の最も初期段階における情報こそが、最も真なる情報であることになります。 私たちが、真なる高い宇宙情報を得るためには、私たちの各一人ひとりが、自らの霊性を磨いて高めてゆかなければならないことになります。 しかし、上に辿れば辿るほどに、明かしてはいけない情報が多いこともよく分かって来るはずであり、それは、これを経験・体験した人でなければ分からないのです。 カバラの真髄となる奥義とは、そのようなものでありますので、古代キリスト信仰において、古代グノーシス派は、口伝秘伝により、真なる教えを伝達していきました。 カバラの教義において、最も基本とする原理とは、 “霊を理解しなければ、物質を理解することは出来ない そして、物質を理解しなければ、霊を理解することは出来ない” ゆえに、私たちは、地球物質界という「この世界」を経験・体験しています。 それは、霊と物質とを一体化させる = 二元性を一体化させるためであり、宇宙の次なる霊性進化の段階に入るためでした。 “霊と物質とは、全宇宙を形成している実体の、正反対に位置する「極」である” 「宇宙には実体が無い」と想うのは間違いです。 原子や分子、素粒子などをミクロ(微小)に辿ってゆきますと、実体が無くなるのは、全宇宙の中にある“境目の淵”に到達しただけです。 そこから、反対側へと、向こう側へと突き抜けると、本当の実体が現れるのです。 地球の新しい時代とは、そこに向かっているのであり、「この世界」の反対側へと突き抜ける天体現象です。 私たちは、これを、“天地がひっくり返る”現象として、経験・体験するでしょう。 “地は、天の中にあり、天は、地の中にある” これは、錬金術の奥義であるところの、 “上にあるものは、下にあるものの如くであり、下にあるものは、上にあるものの如くである” このことの意味するところを、頭の中の知識ではなく、「ハートで理解する」ようでなければ、その人々は、新しい時代へは入れないのです。 “上にあるものは、下にある”のですから、地球物質界である「この世界」のみが、私たち生命体の住む世界ではない、ということが、当然のように分かっていなければならないのです。 全宇宙とは、多次元領域からなる極めて複数の世界であり、地球物質界とは、その中の、たったひとつの世界に過ぎないのです。 私たちの関連諸国(それぞれの国名はNG)は、闇の残党勢力と、それに加担するテロリストたちの動きを警戒中。 その他の情報開示なし。 ※上記の文には、スクランブル信号を掛けています。 “誰が知ってるの? 誰が知ってた?” “9番目 9番目 9番目 9番目 9番目” “より悪くなるものは 何も持続しない 例えば、あなたが どんな手を施してみても 商売上の取引は 下降してゆく わたしは 三日目の夜に 彼に告げた 幸運が もたらされる時を…” “9番目 9番目 9番目 9番目 9番目” “産業は 経済に 不均衡を与える” “黄金郷” “これを持って行って 兄弟よ 役に立つかもしれないから” ☆ ☆ ☆ 悪は宇宙には受け取られずに、地上のみに生かされる。地上がなければ、悪は存在しない。だから、悪は地上を支配しようとするが、地上を支配するのは天なので、悪は悪を支配できず、地上を支配できないが故に滅ぶわけである。
2013年02月20日
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前回からの一部抜粋紹介の続き。 ☆ ☆ ☆ 左右がロスチャイルドとロックフェラー。ユダヤ王とはサンヘドリンのこと。上から下まで15分で情報が伝わる。以下管理人...... 『13人カウンセルは13人ドルイドカウンセルのことである。しかし,この組織はオリンピアンズ<300人委員会>のスーパー・シークレット組織<ユダヤ・カハール・KEHILLA of JEW>によってコントロールされている。この組織・KEHILLAこそ本当の世界政府である。300人委員会,13ドルイドカウンセル,ロスチャイルド家の下に位置しているが,実際には「KEHILLA of JEW」が彼らの決定を実行する。この組織の意向なしではオリンピアンズと言えども何もできないはずである。シオン長老の議定書(プロトコール)は KEHILLA内部の窓口と考えられる。これこそまさにLUCIFER(サタン)の軍団である。 ブナイ・ブリスはADLを傘下に持つがこれとてKEHILLAの一部である。 東半球と西半球の指導者は,”スポンサー”と呼ばれていて,この二人のサタン的指導者が,それぞれの半球を担当している。この二人のスポンサーの下に,七人の”アーク・センサー”(大監察官)と呼ばれるユダヤ人がいる。この最初の階級はKEHILLAの第七階級と呼ばれている。彼らはそれぞれ彼らの指導者と互いを知っている。また,この七人の下にそれぞれ七人の補佐官がいて,四十九人のサタニック・ユダヤで構成されている。この四十九人はKEHILLAの第六階級で”ミニスター”(大臣)と呼ばれている。 この四十九人が,またそれぞれ七人の補佐官を持っていて,それは”ヘラルド”(式部官)と呼ばれ,KEHILLAの第五階級である。この三百四十三人のヘラルドの下にまたそれぞれ七人のメンバーがいてこれは”コーチャー”(廷臣)と呼ばれている。この二千四百一人は第四階級である。その下の,第三階級一万六千八百七人は,”スクリヴナー”(公証人),第二階級”オーディター”(監査役)は十一万七千六百四十九人,七番目の第一階級八十二万三千五百四十三人は”ミュート”と呼ばれる。このように,それぞれの半球の九十六万八百人のサタニック・ユダヤ,両半球の合計百九十二万千六百人がKEHILLAを構成しユダヤ王によって世界を支配している。 KEHILLA of JEWは超極秘の組織であり,東西の名目上の君主が居る。スポンサーは彼の下の七人を知っているが,その他のメンバーを知らない。この高度に組織化された極秘のユダヤ人のネットワークは,この世界の全てのごく小さな行動方針まで連絡可能である。東西それぞれの半球のKEHILLA政府は,ほぼ百万人のユダヤ人に命令することが出来る。(達人注:その連絡網の実際として,例えば9.11の日に,4000人のイスラエル国籍のユダヤ人は欠勤している(注;それを報じたNHK長谷川解説委員は謎の死をとげた。)ことからも明らかであろう)それぞれのメンバーはただ配下の七人に声を掛けるだけで,およそ数分で世界中のユダヤ人に伝達できる。』 ヒットラーは単なる模倣者にすぎない。Kahal という英語はヘブライ語の Kehillah に当たる。 この計画を遂行するうえで、カハールは私の姉妹と義兄弟を脅迫した。そのために彼らは、子供時代から家族を養ってきたというのに、私との社会的な交流を恐れたのである。そのような下劣な策略に訴える組織をいったいどう考えたらよいのであろうか? ☆ ☆ ☆ 以上の内容を全て信じることはできないが、様々な情報と照らし合わせれば、偽ユダヤたちが、偽であることは、イエス=キリストが否定したタルムードを信仰していることからも明らかである。 そこで、タルムードとはなにか?をオカルトから再考する。 タルムードとは、端的にいえば、聖書の解読の鍵であり、いわば辞書のようなものだ、といわれている。 現代人には、以上のような解説が適当であるが、本来は、秘儀参入者の師が、弟子に代々伝えてきたカバラの秘法のことである。カバラとは、生命の樹、つまり、霊界の言葉、いわゆる宇宙語である。 だから、カバラを習得した者は、宇宙語を話すことで、自然霊とコンタクトでき、自然を支配できる。そのため、道徳的にある段階に達した者だけに、口伝されたのである。筆記されると、未熟な悪意ある魂に利用され、宇宙の暗黒(物質)面が広がる恐れがあるからである。 「暗黒面」という言葉は、映画「スターウォーズ」から拝借したものだが、「スターウォーズ」は「天界の争い」から派生した話であることがわかる。 オカルトでは、地球だけが物質(3次元)領域をもつといわれている。だから、カバラでは、地球もいずれ非物質化することが預言されている。 さて、そのカバラだが、生命の樹のことで、10のセフィロトから、モーセの十戒が連想される。モーセの十戒は、人類が犯してはならない戒めであるが、別の意味でいえば、神々とコンタクトするために必要な道徳、つまり精神でもある。 人間は神から生まれたのだが、物質面に囚われ、堕落してしまったので、再び、神として再生するには、キリストとして死ななければいけない、ということを意味する。 つまり、人間が神として甦るのに必要な戒めで、当初はモーセに授けられたが、弟子たちが悪用してしまったので、父なる神は、子なるキリストとして、人の子イエスに受胎し、3年間生き十戒の見本をみせたと、オカルトではいわれている。 簡単にいえば、モーセに与えられたカバラの秘法は、キリストにより書き換えられたわけである。 その書き換えを認めないのが、偽ユダヤたちで、その連中が盲信するのが自分勝手な解釈のタルムードである。 そもそも、モーセにカバラを与えたのもキリストなのだが、連中は本当のカバラを知らないために、イエス=キリストを磔にかけた。つまり、光であるキリストを、この世の暗黒界から追い出したわけだが、その行為は、そっくりそのまま自分に返ってくるから、いずれ暗黒界の主は、暗黒界のために主自らを崩壊させないといけないジレンマを生むことになる。 暗黒界は、暗黒故に暗黒により倒される。 これが「一方の頬を打たれたら、もう一方の頬を差し出せ」とキリストがいった意味である。毒は、毒自らにより制される、という意味が、毒をもって毒を制すになったのだろう。 さて、ネットで、タルムードの言葉がどこから出ているのか、検索していると、あるオカルト秘密結社の講義教則本と遭遇した。 そこでの解説によれば、 『約3300年前にモーセは、シナイ山で律法(モーセ五書)を授かった。そのとき2つのトーラーを受けた。 1つは「成文トーラー」(トーラー・シェ・ビ・クタブ)であり、2つ目は「口伝トーラー」(トーラー・シェ・ベ・アル・ペ)である。 この2つのトーラーの「成文トーラー」は「聖書の肉体」であり、肉体を生かすための「聖書の霊魂」として、カバラの「口伝トーラー」がある。 霊的トーラーとしてのカバラにも2種類ある。タアメー・トーラー(Ta'amei Torah)と秘儀のなかの秘儀のシトレイ・トーラー(Sitrei Torah)である。 (中略) タアメー・トーラーとはトーラーを正しく読むことができるための秘密の知識である。それは、カバラの基本原理を意味する。古くは完全な秘伝とされていたが、16世紀にラビ・アブラハム・アズレイ(1570-1643)が一般公開を決定した。ラビ・アズレイの著作に「1540年から、カバラの基礎的な部分、タアメー・トーラーは、老いたる者にも、若き者にも等しく教えられるべきである。」とある。 (完全な秘伝が破られ、俗化したことが、腐敗を生み出した。) 『ゾーハルの書』においても、「われわれの世代においては、子どもでさえカバラと世界の内的真実を理解すべきである。」と語られている。 文字通りの意味では「隠されたトーラー」となる。シトレイ・トーラーとは、アブラハム・アブラフィアの注解書名であり、『ゾーハルの書』のとある章の題名でもある。しかし、本来の意味はタアメー・トーラーを超えた先に習得すべき秘儀を指す。 伝統によれば、これを学ぶ条件は、妻帯した40歳以上の男性であり、『タルムード』及び「タアメー・トーラー」の学問を修めた者とされる。 (妻帯した40歳以上の男性というのは、シトレイ・トーラーが恐らく性の秘儀を含むものだからと思われる。) むろん、これはユダヤ教カバラを前提としており、参考にはなっても、非ユダヤ教徒の学ぶ方法は別にある。』 以上の解説のなかに、「ゾーハルの書」というのがでているが、ゾーハルの書をネット検索すれば、以前カバラの話で紹介した以下のサイトに再度遭遇したので、抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ 『ゾハール(Zohar.)』(光の書)が伝える基本的原理 http://mihoh.seesaa.net/article/245288168.html カバラの教義を体系化した古い書物に、『ゾハール(Zohar.)』(光の書)があります。 以下、『ゾハール(Zohar.)』(光の書)より、最も最も基本的な部分を引用します。 “「カバラ」(Qabalah)の創始者とは、楽園に住居を持つ神であり、神こそが、「カバラ」を生み出した” (生命の樹の中心の唯一神ホアのこと) “「カバラ」は、天使界に住む、一部の「天使たち」に伝えられた” “「天使たち」は、授けられた「カバラ」を、幼子を育成するようにして、大切に完成させていった” “「カバラ」は、最後に、地上に住む子のうちで、最も聖なる人に伝えられた” “「天使たち」が、「カバラ」を伝えたのは、楽園(地上天国)に帰還する方法を、原人(地球人類)に教えるためだった” “「カバラ」は、文字の中にもあり、これを、「ゲマトリア」という” “数は文字であり、文字は数である” “「カバラ」の知識が無ければ、聖書の本当の意味するところは解読できない” ☆ ☆ ☆ 文字数制限を超えるので次回に譲る。
2013年02月20日
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この世界が悪魔の手中にあることは、世の中の出来事やネットの情報から薄々わかるだろう。ニムロデの子孫と呼ばれる偽ユダヤの連中が、金融を支配し、数多くの戦争を起こし、暴利を貪ってきた。 その悪魔崇拝の切欠がタルムードにあり、有名なシオンの議定書に由来し、偽ユダヤがマスコミを支配していることが、以前紹介した以下のサイトから伺えるので、一部抜粋して紹介する。 ☆ ☆ ☆ 「フリーメーソンとは何か その6」 http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/246.html タルムードは、ユダヤ人崇拝の基礎をなしている。タルムードは金融支配者に仕え、旧約聖書を放棄したラビたちによって伝えられた律法である。 ラビたちは、なぜ旧約聖書を放棄したのか? それは、旧約聖書が経済的な混乱を正すために富の周期的な再分配を教えており(レビ記第25章)、7年ごとの私的債務の免除を教えているからである(申命記)。イエスはこの二つの法律を擁護した。彼は、パレスチナにおける経済的な困苦は、平和裡の再配分の不履行のためであり、債務の免除の不履行のためであることを知っていた。彼は、債務者が債権者によって獄舎に引きずりこまれるのを見た。法律はそうすることを許していたからである。 主の祈りは、「わたしたちが債務者を免除したように、わたしたちの債務を免除しなさい」と述べている。今日の世界ではこれが必要な条件である。富は世界の破壊をひき起こした少数者の手に過度に集中しているが、それは私有財産の制限を認めようとしないためである。その結果、国々は「破産」させられ、国民は貧困になり、少数者が金持ちになり世界を支配しているのである。 彼らが支配し、破産させるのである。 過去2000年間にわたってそうであったように、ラビたちは今日も金融支配者に仕えている。まさに過去2000年間にわたってそうであったように、彼らはユダヤのサンヘドリンによって支配されている。サンヘドリンは金権の道具である。 サンヘドリンには誰がいるのか? サンヘドリンとは、ヘブライ語で70を意味する。イエスの時代には、大祭司カヤパを筆頭に70人のメンバーがいた。彼らはイエスに有罪の判決をくだし、死刑を執行した。それはイエスが神とモーセの律法、すなわちユダヤが宗教的および経済的な征服によって保持していたタルムード法を禁ずる自然法を擁護したからである。 今日、サンヘドリンは70人以上の男たちから構成されている。彼らの正体はうまく隠されている。彼らの代理人は軍隊である。彼らはみずからの目的を達成するためにユダヤ人と非ユダヤ人を利用する。公的および政治的生活における、いわゆる指導的なユダヤ人のほとんどは彼らの代理人である。公的および政治的生活における、いわゆる指導的キリスト教徒の多くは、彼らの道具である。多くの裁判官と法律家が彼らに仕えている。 サンヘドリンは合衆国におけるすべての情報源をコントロールしている。彼らは、新聞、雑誌、映画、ラジオ放送をコントロールしている。彼らは銀行と出版社をコントロールしている。彼らは政治と政治家をコントロールしている。彼らは公務員と裁判官をコントロールしている。彼らは、過去三十有余年にわたって国民に放ってきた嘘の宣伝の洪水を通じて世論をコントロールしており、そのために新聞は印刷されねばならなかったのであり、ラジオの解説者は大声をあげなければならなかったのだ。 これが、われわれが二度の世界大戦と経済的崩壊を経験しなければならなかった理由である。 近年、人類に起こったすべてのことは、約50年前に出版された『シオン長老の議定書』にはっきりと示されている。その計画は、当初から、サンヘドリンによるヨーロッパと旧世界の征服を企図していた。ロスチャイルド家は彼らの支援者である。近年は、ロックフェラー家が世界支配を引き継ぎつつある。サンヘドリンは金融支配者たちに仕えている。彼らは世界支配権を確立し、大衆を奴隷化することを目的としている。政治的シオニズムは、彼らの計画の重要な一部分である。 ユダヤ民族は、なにが行なわれようとしているのかまったく知らされていない。彼らは、いわゆる指導者たちによって一杯喰わされ、欺かれ、騙されてきたのである。その結果、ユダヤ人と非ユダヤ人は欺瞞による破壊の準備をしている。 プロトコールはすなわちタルムードの実現である。タルムード(管理人注:実際にはゾハール)はユダヤ人のキリスト教徒に対する憎しみの根因であり、プロトコールはキリスト教徒世界の破壊計画を示している。 イエスは、彼の時代にラビたちとサンヘドリンと闘った、そしてわれわれは今、彼らと闘わねばならない。サンヘドリンはユダヤ人に敵意を抱いており、国民一般の脅威なのである。 ●サンヘドリンは国連をコントロールしている サンヘドリンは、彼らの目的を達成するために、あらゆる種類の悪行に訴えようとする真偽の疑わしいユダヤ人指導者たちの秘密世界組織である。彼らは、個人を破壊し国民を隷属させるために、同胞に対しては同胞を、国家に対しては国家を対峙させようとする。 イエスがエルサレムの神殿から両替商を追い払ったとき、イエスは彼らの不正利得に対する重大な干渉を行なった。そのためにサンヘドリンは、罪をでっち上げ、イエスをローマの敵として処刑した。パレスチナは当時、ローマ帝国の一属州だったからである。 サンヘドリンの代理人たちは、いくつかの例外を除いて、あらゆる国々で強大な地位を占めている。彼らは、ヒットラーが突然攻撃してサンヘドリンの犠牲者たちを滅ぼすまで、ドイツを支配していた。サンヘドリンのメンバーの幾人かは合衆国あるいは英国、そして他の国々に逃れた。 プロトコールは、人生において「黒い汚点」をもつか、もしくは「パナマ帽」を被っている人間のみを高級官庁の役人に選ぶと述べている。「パナマ帽」とは金融スキャンダルのことである。ルーズヴェルトは人生において多くの金融スキャンダルを経験していた。 サンヘドリンはまた、ロックフェラーによって創設された国際連合をコントロールしており、国連は国民に対する永遠の脅威である原子爆弾をコントロールしている。国民は、金融泥棒たちが非常に強力になることを容認したために、みずからの生命を危機にさらしているのである。金融泥棒から権力を奪回しようとする国民の試みは、疑いもなく、爆弾の使用という回答となって返ってくることだろう。たぶん太平洋における使用〔日本への投下〕が、のちに国民が経験することになるかもしれない唯一の前兆であろう。 文明は消滅するのだろうか? それは、なにが起こるか次第である。もし国民が降伏し、敵に城を明け渡してしまうなら、彼らは生存を許されることになろう。もし国民がみずからの権利を主張するなら、彼らは疑いもなく一掃されてしまうことだろう。名うての古老グループのような金融泥棒は、降伏よりもむしろ死を選ぶかもしれない。彼らは権力を放棄することを恐れている。自分たちの悪政と邪悪な行為の因果関係に、彼らは恐怖を抱いているのだ。その一方で、彼らは国民を啓発することになるかもしれないすべての情報機関をコントロールしている。 共産主義は金融支配者にとって脅威ではない。それは金融勢力の道具である。共産主義者は国民を混乱させるために使われているのである。金融泥棒がもはやコントロールできなくなったとき、水門は開けられ、無政府状態が演出され、市民戦争または革命が共産主義者と反共産主義者をともに滅ぼしてしまうだろう。 ●合衆国に存在するのは反ユダヤ主義ではなく反サンヘドリン主義である こうしたことのすべてが、平和への見込みが薄く、期待はますます失われつつあることを意味している。文明は風前の灯となっているのだ。 国民は起こったことを理解するにはあまりにも愚かになりすぎており、新聞は彼らにウソをつきつづけてきた。ラジオ解説者と政治家は彼らを騙してきた。牧師、司祭、ラビたちは彼らを惑わせ、そしてサンヘドリンと金融泥棒は彼らを破壊しつづけている。 イエスは、当時、国民を目覚めさせた。そこでサンヘドリンと金融泥棒は彼を磔にしたのである。 政治的シオニズムは、プロトコール計画における機を熟させるための単なる一つのステップにすぎない。英米委員会の最近の報告書は、事を行なう上での助けとなろう。報告書の勧告以前に、パレスチナでは暴力計画が推進されているが、それは確実に発生するだろう。イスラム教徒たちは、自国の独立に対するいかなる脅威といえども容認するつもりはない。したがってエルサレム市は、紀元70年と同様、問題が解決をみる前に破壊されてしまうかもしれない。 そのときローマ軍は、聖都を攻め落とし、住民のほとんどを殺害したのであるが。合衆国では、政治的シオニズムとまやかしの反ユダヤ主義が、偽りの宣伝を通じて流行している。これらの二つの計画は、それらの支持者と煽動者たちに対して数億ドルの利益をもたらしてきた。 合衆国には反ユダヤ主義は存在しない。存在するのは反サンヘドリン主義なのだ。だが、ユダヤ人ばかりかキリスト教徒もその違いを理解していない。すなわち彼らはまったくのところ、宣伝によって騙されているのである。この宣伝は、サンヘドリンがその目的を達成するか、彼らの努力が完全に破壊されるまで継続されるだろう。われわれは完全な崩壊か、それとも完全な改革かのいずれかの選択に直面しているのである。 「王国が到来し、あなたは役割を終えるであろう、天国においてそうであるように、地上において」 「あなたは、神とマモン[悪魔]の両方に仕えることはできない」 (中略) ●「敵対する者をわれわれは根絶するであろう」 プロトコールは、「わが民族を駆り立てつづけるだろう」と述べている。プロトコールはサンヘドリンを構成するひと握りのユダヤ人たちによる計画であり、その目的は、まずキリスト教文明を破壊することによって世界を支配することである。 集団としてのユダヤ民族は、この計画についてはなにも知らない。彼らは、キリスト教徒や他の宗教を信じる人びとと同程度に、サンヘドリンの犠牲者なのである。 サンヘドリンはカハール(kehillah)を通して操作する。カハールは個々の共同体で生活するユダヤ人をコントロールするための組織である。たいていのユダヤ人組織はカハールに集約されている。それは、地域ユダヤ人理事会である。議員団は、選挙母体の構成員総数に従って配分された代議員から構成される。各々のユダヤ人組織は、ロッジ、友愛組合、シナゴーグ、あるいはそれ以外の組織かどうかはともかく、議員団に権利を与えている。 この連合体は、のちにユダヤ人に対して「連合、連合、連合」と強調したルイス・D・ブランダイスの助言に従っているのである。 ☆ ☆ ☆ 文字数制限を超えるので次回に譲る。
2013年02月20日
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さて、マチンの作用とは、逆の作用を探求する。下部組織へと継続した味覚過程、つまり食物の溶解活動が活性化せず、不活化し、溶解物が周囲に充分に行き渡らない場合を考えてみる。 つまり、外界から摂取された食物が適切に溶解されずに、継続して起こる塩形成過程に組み込まれるには、あまりにも不活性な場合を考えてみる。このような場合と同様に、消化活動の最初期に、マチンを与えた場合、マチンの消化抑制の性質に基づき、消化抑制の作用が生じ、十分に溶解されないままの物質は、この消化抑制の作用に適合する。 未消化の物質は、消化の出口まで辿り着けなければ、味覚の変容である消化活動と、血液形成(塩形成)活動との間にある障壁を乗り越えられないので、未消化の物質は、逆方向に経路を探すようになり、その場合、溶解作用を抑制するマチンとは逆の溶解作用を促進することで、克服できる治癒作用をみつけることができる。 このような間違った消化の経路を探すようになった未消化の物質に対して、ニオイヒバ(〔植〕ヒノキ科クロベ属(Thuja)の植物)を用いれば、消化を促進し治癒効果を与えることができる。 ニオイヒバ http://www.ponnitai.com/database/thuja/occidentalis.shtml このように、マチンとニオイヒバの両極的な対立は、人体のなかで展開されている。また、この両極性を、人体機構全体にわたって、常に見ていくことの必要性を示している。人体組織のなかの、この対立は、過小評価すべきでない重要な意味を持っている。 特に人体の下部組織において生じる作用を、上部組織へと送り込む活動全ては、睡眠中に高められる。睡眠の特徴を述べるときは、慎重を要する。というのも、睡眠が最良の薬の1つであることは確かだが、個人が必要とする睡眠時間が適切な長さであるときのみ効力を発揮するからである。 必要以上に長すぎる睡眠はかえって病気を引き起こす。睡眠が長すぎると、上記に示した、消化過程と、血液形成過程との間にある障壁が、穴だらけになり、消化の最初期の領域から、リンパや血液形成活動へと多くの物質が侵入し、人体は、いわばニオイヒバを投与した状況に曝される。 実際、下部組織は絶えず睡眠状態にあると言えるので、上記の障壁が穴だらけだと、下部組織を通じて、血液が絶え間なく病に曝される。とはいえ、人体自らのなかにも、自前の治療薬をもち、正常な人体組織へと適合しているが、この正常な人体組織からして既に、必要以上の睡眠などを通じて自らを絶え間なく病気にしようと努めている。 けれども、この自らを病気にしようとする努力は、血液中の鉄によって完全に相殺される。鉄は何よりも人間にとって最重要な金属であり、人体内の、この病気への方向を相殺するように作用し、ある過程から別の過程へと過剰な形で起こる異常さを、正常化させる。 今述べたことから、血液中の鉄不足による病気の発症を理解できるように、また、鉄を、人体内の血液中に充分に行き渡らせるように投与すれば、その都度生じる上部組織の毒化を抑制するため、生体組織を助け、下から上と生じてくる有害な経過を克服できる。人体にとって考慮すべき他の金属も、これまで見てきたような人間の様々な活動によって補われる。 これまでの講義の内容から生じてくる事実を、以上のように、再度手短にまとめてみたい。再度、人間のリンパ、および血液形成活動を示唆する。この活動は、銅の鉱物化の過程で現われる働きの対極を成す。従って、この経過は銅と親和性をもっている。 この銅と親和性をもつ経過は、下部組織の最上位に属するため、地上で見られる銅の形成力と対極的な親和性をもつことを、くまなく理解することが課題となる。というのも、下部組織に関係する経過全般は、地上の経過と関係しているからである。 従って、銅の投与から、リンパ、および血液形成活動を正常にし、治癒作用を導くなら、次のような黄金律が重要である。つまり、銅を、人体内で希釈させず(消化させず)に、つまり地上の状態に近い形で、勿論、害になるほど多量に用いることなく、人体内に投与する処方である。 (「銅は必須金属になっていて血液を造ったり、血管の壁を若々しく保つ働きがあります。」日本銅センター;http://www.jcda.or.jp/qa/qa2.html) さて、リンパ及び血液形成の経過が、銅と親和性を持つのと同じように、外的な消化過程(プロセス)のいわば移行状態から、内的な血液形成やリンパ形成へと促進する働き全ては、肝臓や水銀と親和性をもつ。 リンパ及び血液形成過程(プロセス)が、銅と親和性を持つように、この消化過程(プロセス)の移行状態は水銀と親和性をもつ。ただ、水銀の場合、水銀が球形で、調停能力を持つように、いわば両方の過程(プロセス)の相互作用に関わることに注意を払う必要がある。 従って、二日酔いのアルコールのように、消化物が血液中に移行しすぎないように抑制する働きは、マチンの作用によって生み出され、それは逆に、ニオイヒバの作用により抑制され、水銀の作用によって調整される。 さて、ここに至って新しい探求分野が開けてくる。外界の自然を、その構成部分に従って探究し、自然を、いわば人間から分離した存在として捉え、人間を、健康状態と病的状態において、環境のなかに捉え、下部組織を通じ、密接に関わり合う環境のなかに、人体機能との親和性を探求する分野である。 つまり銅に親和性をもつ過程(プロセス)を通じて、下部組織から、上部組織に上昇する作用は、それとは対極に位置する鉄によって調整され、相殺される。 銅の作用と、鉄の作用の対極性から、人間が鉄を必要とし、常に鉄の過程(プロセス)や、化学的に捉えれば、鉄が有り余るほど十分に必要であることがわかる。その他の金属全ては、人体のなかに、過程(作用)として既に存在している。 人間はいわば7つの過程から成る金属なのである。鉄だけが、金属として存在し、その他の金属は、人体内では、過程(作用)として存在している。 人体内の様々な器官において、リンパ及び血液形成活動と共作用する働きが、銅と親和性をもつように、肺から発し、喉頭へと外に向かって開いていく活動等々は、鉄と親和性を持つ。 (銅は、別名、金星ともいわれ、鉄は火星ともいわれる。水銀は、水星。) 更に、脳のなかの活動に奉仕する働きと関わり、脳の消化活動とでもいうべき働きに類似し、下部では、腸からリンパ管や血管のなかへと消化物を移行させる働きと対極的な働きは、錫の形成過程(プロセス)に親和性をもつ。 (錫は木星ともいわれる。) 錫の形成過程(プロセス)は、脳の領域での、いわゆる消化過程(プロセス)で、脳を、魂で満たすことにより調整する。 対照的に、神経繊維や、上部組織内に継続された様々な知覚器官と多く関わる働き全般は、鉛と親和性を持ち、汗の分泌、あるいは尿の分泌全般に対応する。 (鉛は土星ともいわれる。7つの金属のうち、残りの銀と金はそれぞれ、銀は生殖器と関係し、月と呼ばれ、金は心臓と関係し、太陽と呼ばれ、7つの金属から、人体は、太陽系になっている。) 以上のように、人間にくまなく光を当てることが重要であり、そして同時に、周囲の物質から、つまり人体とは対極の作用から、いかにして治癒作用を引き出すか、という示唆にもなる。
2013年02月20日
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ネットサーフィン(死語?)していて、以前紹介した明治天皇替え玉説に関係した写真を、ある興味深いサイトでみつけたので、以下に掲載します。 ☆ ☆ ☆ 南北朝秘史 http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/290.html 即位当初の少年京都明治天皇 ☆ ☆ ☆ この写真と、大室明治天皇替え玉説の根拠となっている、以下の有名なフルベッキ写真を比較する。 上の即位当時の写真の画像と、フルベッキ写真の画像を比較すると、即位当時の写真の明治天皇なる人物の周囲の人物のなかに、西郷と大久保を特定できる。 即位当時の写真の明治天皇(前列中央)の後列左隣にいる人物が、フルベッキ写真で西郷とされる人物で、後列右端にいる人物が、フルベッキ写真で大久保とされる人物であることがわかる。 しかし、他の周囲の人物は、画像解析を必要とするだろう。私の独断と偏見から、見比べると、即位写真の後列右隣の人物が、フルベッキ写真で西郷従道とされる人物のようにみえ、また、後列左端の人物は、フルベッキ写真で、後藤象二郎?とされる人物のようにみえるが、雰囲気は、山岡鉄舟のようでもある。しかし、山岡は幕臣なので、あり得ない。 更に、前列の明治天皇の左隣が、横井小楠とされる人物のようにみえ、左端が、岩倉具視とされる人物のようにみえ、前列右側は写真がぼやけていて、残念ながらわからない。岩倉は、王政復古のキーマンで、横井小楠は、吉田松陰から革命思想を受け継ぐ人物で、後は、薩長土肥から考えると、長州か、肥前で、桂か? 大隈? 雰囲気では、前列右隣は高杉晋作のような感じだが、死んでいるのであり得ないし、前列右端は、勝海舟のような感じもするが、幕臣なので、あり得ない。 残念ながら、前列の右側が、私には判別できないが、明治天皇と、フルベッキ写真の中央の大室寅之助とされる人物が同じならば、写真が残っている少年京都明治天皇の替え玉なので、いずれ明らかになるのではなかろうか。 興味深いのは、この2つの画像から、西郷の顔が、俗に世間に出回っているのとは、全く違うことに気づかされる点で、逆に、大久保の顔は、世間に出回っているのと、ほぼ同じであるところである。 そこで大久保の顔を比較してみる。 大久保の写真は、以下の2つが有名である。 見比べると、有名な写真とは目の大きさが異なるが、概ね頭蓋骨の特徴は同じにみえる。特にエラが張ったところなどは、共通している。即位写真もフルベッキ写真も、皆が目を細めてとっているので、露光のために、非常に明るい場所でとったためか、眩しかったのだろう。有名な坂本龍馬の写真も、目を細めてとっている。 問題は、西郷の写真で、有名なものは以下のだが、これは、弟従道と甥大山巌の顔から創作したものだといわれている。 西郷の写真は残っていないとされているが、西郷の影武者をつとめたとされる、永山弥一郎の写真から、西郷が割り出されていて、以下のサイトが、そのことを掲載しているので、画像を掲載し紹介する。 ☆ ☆ ☆ 西郷隆盛の写真 http://ameblo.jp/tom-3390-id/entry-11255364370.html 右端が、永山、中央後ろが西郷とされている。 ☆ ☆ ☆ この中央の人物と、即位写真やフルベッキ写真の西郷らしき人物と比べても、ほとんど一致しない。また、有名な西郷の写真とも、全く一致しない。どちらかといえば、永山の顔に近い感じがする。この中央の人物は、西郷というより、以下の桐野利明(中村半次郎)に近い。 当然ながら、西郷は、影武者を務めていた永山の顔に近いはずだから、以下の永山の写真と比べてみる。 即位写真やフルベッキ写真の西郷らしき人物は、永山よりもエラが極度に張っているが、次の永山の画像は、有名な西郷の写真とも雰囲気が似ている気がしなくもない。 というわけで、西郷の人物像は謎のままだが、永山の顔に近いことは確かだろう。また即位写真で気づくことは、長州の人物が見受けられないことである。王政復古が、薩摩主導で行われたことを伺わせる。だから、明治天皇も替え玉なのを知っていたのだろう。実際、西郷は、明治天皇があまりにも女遊びが酷いので、元に戻しますぞと、戒めた話もある。 また、上述に紹介した「南北朝秘史」のサイトによると、明治天皇即位後も、南北朝の争乱は、政局のなかで続いているようである。誠に嘆かわしいことである。 有名な上野の西郷像は、従道と大山巌の顔から生まれたそうだが、なぜ永山の写真を使わなかったのか、の疑問も残る。西郷は、銅像になるのを嫌って写真をとらなかった、という逸話もあるが、それを破って銅像をつくるのも疑問で、また西郷の妻は、できた像をみて、「似ていない」といったそうだが、明治政府に利用される西郷像に対しての抵抗なのかもしれない。 俗にいわれる征韓論は、南北朝の政争だったのかもしれない。
2013年02月15日
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世界を1つにしようとしている、という噂のニューワールドオーダーと呼ばれる悪魔崇拝主義者たちの一番の勘違いは、世界を1つにするのではなく、既に宇宙は1つ、ということに気づいていないことにある。 それに、1つといっても、物質的に1つなのではない。だから、3次元的に1つではないことがわかる。高次元を含めて1つということなのである。 連中は、1つになれば平和になるという幻想を唱えるが、そこに至る過程が戦争であれば、平和どころか、恨みが怨みを呼び、平和など訪れるはずもないことが一目瞭然である。 そもそも、自分以外の他の存在を認めようとしないエゴが、宇宙が1つであることを、認めようとしない認識であることに気がついていない。 そのような認識の持ち主が、平和など何度も、いかに唱えようが、平和どころか、エゴのために、自分のために、戦え、闘えと叫ぶ、闘争への叫びでしかない。平和を唱えれば平和になると錯覚している馬鹿者と変わりはない。 そもそも平和を求める発言そのものが、自分の心が平穏ではないことを意味している。 この世では、口では平和といいながら、その実、戦争へと庶民を駆りたて、その利益の恩恵で、暮らしている者が、戦争をつくりだしている。 「平和ボケ」という言葉はその象徴である。戦争を止められずに、戦争兵器をつくってカネを稼ぐ奴は、とんでもない「平和ボケ」である。戦争兵器がカネにならなければ、戦争など生じる余地もなかったはずである。 連中は、口先では「平和」を唱えながら、下半身では、庶民を戦場へと蹴落としている。 だから、平和を唱える者のほとんどは偽善者であることがわかる。その平和も、3次元世界を1つにまとめることだと勘違いしているから滑稽である。高次元を含めて既に1つなのにも関わらずである。 それに3次元世界では、口先よりも行動で示さなければ、現実化しない世界なので、平和を唱える者がいれば、「では、お前さんは平和のために何をしているのか?」と聞き返すべきである。3次元世界では、発言よりも行動を求めるべきだ。 「平和のために戦え」とそのような馬鹿者は常に叫ぶが、その者こそ、ただ叫んでいるだけで、何も行動せずに、平和のために何もしていないことは明白である。 そもそも、平和と戦争は対立する用語であり、そのような馬鹿の叫びは、例えば「離婚のために結婚しろ」というのと変わらない。 どんなに立派なことを主張しようが、その本人が嘘つきで、詐欺師や泥棒のようなことをしているなら、そのような人の意見に耳を傾けてはならない。 このような論理の矛盾に気づかないのは、下らないディベートなどが流行ったせいでもある。本来、ディベートというのは、論理の矛盾に気づかせ、議論が無意味であることを悟らせるための禅の公案のようなものである。 例えば、有名な公案に、拍手は、左手が右手を鳴らすのか、それとも右手が左手を鳴らすのか、というのがあるが、その類と同じである。そんなことを、論理であれこれ議論しても無意味である。 物質世界で、陰を陽とし、陽を陰としても、それは人間側の都合で、人間が勝手に名づけたものだから、高次の神々の預かり知ることではない。 このような馬鹿馬鹿しいことを相も変わらず血眼になって求めているから復路小路に入る迷える子羊となる。全て、自己を他から区別するエゴの働き、仏教でいうところの分別知、執着のせいである。 3次元的に1つというのは、高次世界がみえていないことであり、高次世界がみえれば、自ずと宇宙が1つであることがわかる。そのような愚か者は、一神教信者とも呼ばれたりするが、本来の一神教とは、多種多様な高次の世界が本当は1つの無限からなることを示している。 宇宙の一部である人間からはけっして1つにはみえないから、裏を返せば、無限に1つなのである。 だから、3次元世界を1つにまとめようとすることは、高次世界をみえなくすることになり、自分から目隠しすることを意味する。分別知により、自らを束縛し、自由を奪っている。 例えば、分別知蓄積者は、「死んだら、何もなくなる」というようなことを言うが、そのなくなる状態もイメージできないくせに、なぜ、なくなる、と言い切れるのか不思議である。せめて、わからなくなるというべきだろう。 そのような分別知蓄積者の自らの思考により自分を縛る無意味さ、を説いている、御馴染みのサイトから、面白い話を抜粋紹介して、話を終わることにする。学歴社会が終わりを告げる話である。 現代でいわれる、学歴というのは、自己を他から切り離す認識の洗脳化でしかないから、それを続けると、ついには論理破綻し、神経衰弱になり、知的奴隷になることを意味する。 大量兵器もないのに、イラク戦争をして、数百万人の殺人を行った、あのお馬鹿ブッシュが、ハーバードに入れたのは、もはやハーバードが殺人者育成の砦であることも意味している。 ☆ ☆ ☆ 『日月神示』で示された”ミロクの世”の形 http://shinseido24.blog.fc2.com/ 先日、読者の方から頂いた”拍手コメント”の中に、以下のようなコメントがありました。-------------------------------------------------------------------------------- 日月神示には、10年前に出逢いました!自分自身の気になる事を探索してましたが、最後はいつも日月神示にたどり着きました。最近また、なぜか気になり始めネットを調べていましたら、こちらにたどり着いた次第です!私の探していたものが全てありましたので驚きました!大変詳細に説明されていてよく分かります。感謝です。-------------------------------------------------------------------------------- このようなコメントを頂き、わたくしの方も『日月神示』をもう一度見直してみたくなり、書籍を開くことになりました。その中で、来るべき”ミロクの世”の形として、以下のような神示が示されておりました。 「世界中まるめて神国の一つの王で治めるぞ。それが神の世のやり方ぞ、百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度は永遠に定まるぞ、身魂の因縁によりて今度はハッキリと決まって動かん神の世とするのぞ、茄子の種には瓜はならんぞ、茄子の種に瓜をならすのは悪の仕組み、今の世は皆それでないか。」 (上つ巻・第二十八帖) 「逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな。上にいては足も苦しかろうがな。上下逆さまと申してあるが、これでよく分かるであろう。 足はやはり下の方が気楽ぞ。あたま上でないと逆さに見えて、苦しくて逆さまばかりうつるぞ。この道理わかりたか。岩戸開くとは元の姿に戻すことぞ。神の姿に返すことぞ。」 (下つ巻・第十三帖) 「そなたはいつも自分の役に不足申すくせがあるぞ。そのくせ直して下されよ。長くかかってもよいから、根の音(ね)からの改心結構ぞ。手は手の役、足は足、頭は頭の役、それぞれに結構ぞ。上下貴賎ないこと、そなたには判ってゐる筈なのに、早う得心して下されよ。」 (月光の巻・第五十五帖) 古代の日本では、社会構造を「カミ(神)、キミ(君)、オミ(臣)、タミ(民)」と捉えてきました。これを真逆に捉えたのが、現代の西洋型民主主義です。すなわち、本来であれば「民」として生きるべき人が、「臣」などを務めているのが現代社会の本質ではないでしょうか?また、人が自然界を支配し、神の上位に位置づける・・・あまりにも傲慢な態度であり、神に対して無礼であると言わざるを得ません。天罰が下ります。これでは世の中は争いばかりで、治まるわけがありませんね。 現在は、いわゆる”多数決の正義”と”学歴至上主義社会”でありますので、リーダーとしての素質がない人でも、見栄だけでリーダーをやっているケースは、意外と多いように思います。 ひどいケースになると、エゴが強く、大きな声で周囲を恫喝できるというだけで、リーダーをやっている方もおられるわけです。(最近、マスコミなどによって明るみに出てきた、学校現場における”体罰という名のいじめ”などは、そのよい例かもしれません。) 明らかに末期症状だったわけですが、『日月神示』に言わせると、このようなケースは「悪の仕組み」であったということです。頭を使うことを得意とする人もいれば、体を使うことを得意とする人もいるわけで、現在の風潮では、体を使うことを得意とする人が、頭を使う職種であるリーダーになっているケースが、ままあるわけです。『日月神示』では、以下のようにも説かれています。 「学の鼻高さん何も出来んことになるぞ、今に世界から正真(しょうまつ)が段々判り来て、あわてても間に合はんことになるぞ、今の内に神示よく肚に入れておけよ、この道には色々と神の試(ためし)あるから漫心するとすぐひっくり返るぞ、考へでは判らん、素直結構ぞ。 日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食物あるぞ、人民の食物 間違へるでないぞ、食い過ぎるから足らんことになるのざぞ、いくら大切な、因縁の臣民でも仕組の邪魔になると取り替へるぞ、慢心取違ひ致すなよ、代へ身魂いくらでもあるぞ。 学問の世はすみたぞ、学者は閉口するぞ、商売の世も済みたから商売人も閉口するぞ、力仕事は出来んし、共喰するより他に道ないと申す人民許りになるぞ、今迄とはさっぱり物事変るから今迄のやり方 考え方 変へて呉れよ、神示通りに行へば其の日その時から嬉し嬉しざぞ、此処は落した上にも落しておくから、世の中の偉い人には中々見当とれんから、身魂の因縁ある人には成程なあと直ぐ心で判るのぢゃぞ、九の花咲けば皆よくなるのぞ、九の花中々ぞ。」 (『日月神示』空の巻・第十二帖帖) 私見ではありますが、以下にリーダーとしての資質を挙げてみたいと思います。・心の清さ(愛と慈悲、誠実な心)・備わった人徳・長期的視野に基づいた先見性・本質を見抜く洞察力・正しい直感力と判断力・カリスマ性・奇跡を起こす力(神力)・・・ これらの資質は、いずれもペーパーテストでは計れないものばかりですね。あるいは行き過ぎた競争社会と学歴社会が、日本を崩壊に追い込んだと言っても過言ではないかもしれません。 (なお、これからの時代はお互い”競争”ではなく、”切磋琢磨”が正しい生き方と言えそうです。) 人の価値を、学歴と年収だけで決めようとする人が多い世の中ですが、極めて”愚かな輩”であると言わざるをえません。自分らしい生き方ができている人は輝いています。「人類、皆平等」の本質とは、「命に貴賎なし」ということに他ならないのです。 しかし、偉大なリーダーを欲するならば、皆が偉大な国民にならなければなりません。そのための手掛かりとして、ご自分の天命を知っておくというのは、とても大切なことです。皆さんの今生生まれてきた使命、あるいは魂の目的とは、どのようなものだったのでしょうか?このことを知っておくと、これからの混迷の時代を生き抜く上で、極めて生き易くもなるのです。 最終的には、「他の人からの頼まれ事」や、自分の中に湧き上がる「ワクワク」を追究した生き方が天命につながっていくわけですが、それ以外にもご自身の使命を知る手掛かりの一つとして、「数秘術」を用いるというものがあります。・・・今回は時間が来てしまいましたので、この続きは次回に譲ると致しましょう。 ☆ ☆ ☆ 平和を求めるなら、まず、自分の心に安らぎを与えることが、先決である。世界を1つにするのではなく、自分の心を1つの宇宙意識とあわせることである。
2013年02月14日
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前回は、いかに米国社会が、信用できない職務にカネを払いているかを断片的なデータから紹介した。わずか1%の人口がほとんど全ての金融を支配するという不公正さが示されることも明らかである。 端的にいえば、米国社会は法を用いた略奪社会である。米国が日本のようないわば植民地をもつのは、米国社会自体が歪んでいる証でもある。およそ、キリスト教国とは思えない、キリスト精神とは真逆の指導者たちに支配されていることも明らかで、だからこそ、イスラム教徒が増加している。 ネットでは、連中が偽ユダヤで、悪魔崇拝のバール教のタルムードで、キリスト教を改竄してきたことを指摘する者もいる。米国の上層部は、悪魔崇拝者たちで占められるが、その底辺は逆に、ドリールのような聖白色同胞団の一員の教えもわずかながらに浸透しているようである。 連中が米国を支配している限り、日本の真の精神的な独立も絵に描いた餅だろう。なにしろ、米軍が、常に日本の首根っこを押さえつけ、年次報告書で強請り、官僚たちを洗脳しているからである。連中は金融を支配し、「カネが全て」というタルムードの教義を信者たちに発信している。 米国は大量破壊兵器を用いて数百万人もの人々を殺傷した国家であり、従軍慰安婦の問題を言うよりも先に、原爆投下に対する損害賠償を行うべきで、世界に戦争兵器を撒き散らした代償を負うべきだろう。人殺しで富を得るのは単なる収奪者、略奪者であり、けっして宇宙意識は許しはしない。 そのような収奪者、略奪者に組みするのか、あるいは、改心するのか、がこれから試される。というのも、最後の審判の時代に入りつつあるからである。 日本のなかの信者が誰か、666のシルシを額に刻印された者が誰かなのか、を解き明かす鍵は、例えば、TPPにある。獣の烙印を押された者は、同胞を裏切り、カネのために、仲間を売るような精神の持ち主である。そのようなことがわかる、御馴染みのサイトから、抜粋して紹介する。 ☆ ☆ ☆ ニュースの真相 http://d.hatena.ne.jp/rebel00/searchdiary?word=%2A%5B%B6%CB%C5%EC%5D 北朝鮮地下核実験ショーとTPPの強行 2月12日に、北朝鮮でユダヤ米国&イスラエルによる地下核実験ショーが開催されました。 ▼北朝鮮の核実験と米国式戦争ビジネスと人工地震 http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20130213/1360686934 ユダヤ米国が、このようなショーを開催する時は、ショーを陽動作戦にして、裏でイケナイ事をゴチョゴチョするのが通例ですよね? で、いつものように網を張っていたら、こんなニュースが・・・。 自民TPP賛成派が勉強会再開「成長戦略のカギ」 自民党の川口順子元外相ら環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への交渉参加推進派が13日午前、党本部で、政権交代後初めて勉強会を開いた。 若手議員を中心に約30人が出席。勉強会の共同代表を務める中村博彦参院議員は会合後、記者団に「成長戦略のカギはTPPだ。来週の日米首脳会談が大きなポイントで、安倍晋三首相が思い切った外交をできるように周辺整備をする。経済再生のためにTPPをやらなければならない」と強調した。 産経新聞 2月13日(水)11時28分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130213-00000530-san-pol 自民党の TPP推進派議員=ユダヤ米国工作員政治家達 が、政権交代してから、ナント初めて勉強会を開いたんだそうです! そして、さらに・・・。 安倍首相、日米首脳会談での感触受けTPP交渉参加を最終判断へ 衆議院予算委員会は、12日午前の集中審議で、自民党の小泉 進次郎青年局長が質問に立ち、TPP(環太平洋経済連携協定)の交渉に参加すべきだと迫った。安倍首相は、来週の日米首脳会談での感触を受けて、最終判断する意向を示している。 野党時代から一貫して、TPP推進を訴えてきた小泉氏は、早期に交渉参加すべきだと、安倍首相に直接迫った。 自民党の小泉氏は「TPPの問題ですが、わたしは、速やかに交渉参加すべきだと思っています」と述べた。 安倍首相は「(日米首脳会談で)われわれの約束を、国民との約束をたがえることにはならないという感触を、得ることができるかどうか。さまざまな影響等を考えて、参加するかどうかという、最終的な判断を私はしたい」と述べた。 自民党の小泉氏は「感触が、もしもつかめたら、わたしは即断即決でいいと思っています」と述べた。 そのうえで、小泉氏は「TPP交渉参加すべきだという立場で、首相の決断を期待したい」と重ねて強調した。 一方、安倍首相は、中国海軍によるレーダー照射問題で悪化している日中関係に関し、「どこかの段階で、ハイレベル、あるいは首脳間の対話が実現されるように努力していきたい」と述べ、日中首脳会談の実現に向け、努力する考えを示した。 フジテレビ系(FNN) 2月12日(火)16時27分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20130212-00000387-fnn-pol ユダヤ米国CIA北朝鮮統一教会付属 安倍晋三ちゃん、そして、CIAジャパンハンドラーズ マイケル・グリーンの鞄持ち 小泉進次郎ちゃん。 衆議院予算委員会で、この2人が、何とも白々しい茶番劇を演じたそうです。 何でも、進次郎ちゃんが、「TPPに早期に参加すべき!」と安倍ちゃんに言ったとか。 さすが、偏差値45しかないのに、なぜかコロンビア大学に留学出来たという 奇跡の頭脳を持つ進次郎ちゃんにしか、理解出来ない進言ですよね?(笑) これに対して、安倍ちゃんは「日米首脳会談での、米国の命令次第です!」と答えたとか。 さすが、向精神薬の飲み過ぎで、滑舌がロレってしまうほどの安倍ちゃん! 悲しいほど、ユダ米の家畜と化しています(笑) とりあえず、どうやら今回は『北朝鮮の核実験ショーのドサクサに紛れて、TPP参加を決めてしまえ!』というのがユダ米のご命令のようです。 「えっ?どうして、そこまでして日本をTPPに参加させようとするの?」 なーんて方は、こちらをどうぞ! 「挑発行為孤立招く…」オバマ大統領一般教書演説アメリカでは現在、オバマ大統領が議会で1年に一度、施政方針を述べる「一般教書演説」を行っています。「北朝鮮」への言及はあったのでしょうか。(新堀仁子記者報告) 演説は今も続いていて、北朝鮮についてはこの後、外交のところで具体的に触れる予定です。オバマ大統領は、「北朝鮮の政権は、安全と繁栄は国際社会の義務を守ってこそ得られるものと知るべきだ」「昨夜のような挑発行為はさらに孤立を招くだけだ」と名指しで非難し、ミサイルと防衛の強化などで世界をリードしていくと訴える見通しです。このほか、日本と関わりの深いところでは、TPP=環太平洋経済連携協定について、アメリカの輸出を増やし、雇用を助けるために交渉を終わらせると強調します。ただ、演説の大半は「アメリカの経済成長は、中間層の繁栄にかかっている」などと経済回復・財政再建への道筋を示すことに費やされました。政権2期目の最大の課題の一つ、銃の規制については、「今までとは違う」と強い決意を示す予定ですが、これは国民の支持が得られるかどうかが鍵で、オバマ大統領は早速、14日から全国遊説に出て支持を訴えます。 テレビ朝日系(ANN) 2月13日(水)14時7分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20130213-00000023-ann-int 黒いユダヤ人のオバマ大統領は、「TPPでアメリカの輸出を増やし、雇用を助けるために交渉を終わらせる」そうです。 つまり、日本の法律を変えて、無理やりアメリカ製品を買わせて、日本の雇用を奪う! と大統領自ら宣言している訳です。 もっとハッキリ言えば、日本の市場というか、日本人の資産を根こそぎ奪おう! というのがTPPの狙いというのは、もうある意味常識ですよね? 要は、今回の一連の動きは・・ 北朝鮮の核実験ショーを目くらまし ↓ 小泉進次郎ちゃん、そして自民党のその他大勢の工作員達がTPPをプッシュ ↓ 安倍晋三ちゃんが、日米首脳会談でTPP交渉参加を口にして既成事実化 ↓ ユダヤ米国が、めでたく日本人の資産を根こそぎ奪う こーんなシナリオを描いてる訳ですか? ねえ、ユダ米ちゃん! ☆ ☆ ☆ 収奪者、略奪者を見極めることが重要である。「偏差値45しかないのに、なぜかコロンビア大学に留学出来た」というのは、あの守口と似たような学歴をカネで買うのと変わりないわけで、カネさえあれば、米国の大学など留学できるから、米国の学歴は、日本では通用しません。ブッシュのような馬鹿がハーバード行けるわけですから、米国の大学などほとんどコネです。
2013年02月14日
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この間、アメリカで、信用できない職業のランキングが発表されていたが、わが国も似通ってきた。ついでに賃金も載せれば面白いと思ったので、ネットで少し調べてみた。 以下は信用できない(できる)職業のランキングである。 ワースト順位 1.自動車の販売員(回答者の8%が信頼できるとした) 2.米連邦議会議員(回答者の10%) 3.広告関係者(回答者の11%) 4.保険販売員(15%) 5.弁護士(19%) 6.州知事(20%) 7.企業幹部(21%) 8.ジャーナリスト(24%) 9.銀行家(28%) ベスト順位 1.看護師(回答者の85%) 2.医師と技術者(70%) 3.大学教員(53%) 4.聖職者(50%) 上のデータに、賃金を付け加えようとして、色々とネット検索したが、非常に難儀し、結局、自動車の販売員はみつからなかったが、以下の「May 2011 National Occupational Employment and Wage Estimates United States」というサイトに遭遇し、「Sales Managers」の平均賃金が「$48.87」であることはわかった。 May 2011 National Occupational Employment and Wage Estimates United States http://www.bls.gov/oes/2011/may/oes_nat.htm 他に、企業幹部らしき職業の「Chief Executives」の平均賃金が「$80.25」で、聖職者らしき職業の「Social and Community Service Managers」の平均賃金が「$28.20」であった。 また他の以下のサイトから、内科医が、160,860ドル、麻酔医184,340ドルだった。 高収入!アメリカのもうかる職業ランキング http://allabout.co.jp/gm/gc/295146/#1 また更に、以下のサイトなどは、わりと低めの数値が出ているので、あわせて紹介する。 アメリカの職業別 年収 http://www.japanese-in-arizona.com/shokugyou-nennshuu.html このデータから、看護師は34,000-56,000ドルとなっている。また、大学教官は、分野によりけりだが、政治学者が、43,371-90,140ドルで、他の分野の大体の目安になっている。 結局、米連邦議会議員、広告関係者、弁護士、州知事、企業幹部、ジャーナリスト、銀行家がみつからなかったが、近い職種で、公務執行者のマネージャーは58,230-105,130ドル、広報活動アシスタントは38,450-57,800ドル、ケース・マネージャーは、24,000-32,000ドル、政府部門のマネージャーは34,970-74,730ドル、コミュニケーションの専門家は35,670-52,940ドルとなっている。 どうして賃金をつけると面白いかといえば、社会的信用の低い職種が、高賃金なのは明らかにおかしいからである。 とにかく曖昧にならざるを得ないが、一応、入手できたデータから、ワーストの目安として比較すると、 1.自動車の販売員(回答者の8%が信頼できるとした) Sales Managers;平均賃金「$48.87」 2.米連邦議会議員(回答者の10%) 政府部門のマネージャー;34,970-74,730ドル 3.広告関係者(回答者の11%) 広報活動アシスタント;38,450-57,800ドル 4.保険販売員(15%) Sales Managers;平均賃金「$48.87」 5.弁護士(19%) ケース・マネージャー;24,000-32,000ドル 6.州知事(20%) 政府部門のマネージャー;34,970-74,730ドル 7.企業幹部(21%) Chief Executives;平均賃金「$80.25」 8.ジャーナリスト(24%) コミュニケーションの専門家;35,670-52,940ドル 9.銀行家(28%) Chief Executives;平均賃金「$80.25」 となり、社会的な信用で比較する限り、企業幹部や銀行家らしき職種のChief Executivesの平均賃金「$80.25」は貰いすぎになる。しかし、3つ紹介した最後のデータでは、営業部長が46,500-74,000ドルで、企業経営者が24,000-32,000ドルなので、政府部門のマネージャー;34,970-74,730ドルと、コミュニケーションの専門家;35,670-52,940ドルの前後の数値に抑えるべきで、営業部長と、企業経営者の中間くらいの数値になるべきだろう。 また、ベストでは、 1.看護師(回答者の85%) 看護師;34,000-56,000ドル 2.医師と技術者(70%) 内科医;160,860ドル、麻酔医;184,340ドル 3.大学教員(53%) 政治学者;43,371-90,140ドル 4.聖職者(50%) Social and Community Service Managers;平均賃金「$28.20」 となり、明らかに、聖職者の賃金が少なすぎ、また看護師は、医師や技術者よりも賃金を貰うべきである。 例えば、このような社会的な信頼を加味して、政府が課税し、社会的信頼性から配分して賃金を是正するのを考えるのも一考なのではないだろうか? 現状では、信頼性のない職種に賃金を払うのは、いわば嘘つきに銭を払っているわけで、正直者が馬鹿をみている社会になるからである。 そもそも嘘つきに銭を払っているから、詐欺が横行し、財政が赤字になるわけである。 もっとも、政治家はいわば嘘つきの代表なので、政治家から給料を減らすのがよいだろう。
2013年02月13日
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巷ではまた北朝鮮の話で持ちきりで、はっきりいってウンザリだ! 核実験をした波形がみられるらしいが、興味深いことに、東日本大震災のときの地震の波形と一致するというのである。 ということは、単純に考えれば、北朝鮮の核実験と、東日本大震災の地震は、同じ原理により起されたということになる。 北朝鮮と東日本大震災のつながりを探ると、米軍の関与を疑わずを得ない。米軍関与の説からすれば、オスプレイの配備などは、UFO隠しのためではないか、と思ってしまうくらいだ。 そのことを指摘した御馴染みのサイトから抜粋し、以下に紹介する。 ☆ ☆ ☆ 北朝鮮の核実験と米国式戦争ビジネスと人工地震 http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20130213/1360686934#seeall ご存知の方も多いかと思いますが、北朝鮮が核実験を行ったそうです。 核実験「成功」と発表=北朝鮮 北朝鮮は、先ほど、国営の朝鮮中央通信を通じて「3回目の地下核実験が成功した。以前の実験よりも爆発力が大きいうえに小型化した核弾頭を使い、高い水準で安全に行われた」として、12日、核実験を行ったことを発表しました。北朝鮮国営の朝鮮中央テレビも、先ほど、特別ニュースで「3回目の地下核実験が成功した」と伝えました。 朝鮮中央テレビは「3回目の地下核実験が成功した。以前の実験よりも爆発力が大きいうえに小型化した核弾頭を使い、高い水準で安全に行われた」としています。 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130212/k10015456882000.html 北朝鮮と言えば、主な産業は麻薬の栽培と製造、それに、偽札作りくらいでしょうか? 食糧生産にも事欠いて、国民に餓死者が出たり、飢餓のあまり人肉食が出たりするような国です。 ▼米国と北朝鮮の茶番劇、そして北朝鮮市民の惨状 http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20130129/1359470508 そんな国家に、もちろん核実験を行うような技術がある訳がありません。 という事で、このブログをお読みの皆さんは当然お分かりかと思いますが、今回の核実験も、もちろん北朝鮮の宗主国であるユダヤ米国やイスラエルあたりの技術で行われています。 え?アメリカが北朝鮮に核実験させて、何のメリットがあるの? なんて方は、下記をお読み下さい! ▼北朝鮮の核実験ショーと4つの目的 http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20120422/1335057361 とりあえず、ユダヤ米国は、破綻寸前の国家を何とかするために、極東に緊張を作り出して、何とか武器販売ビジネスと大きな戦争ビジネスで一儲け! さらに、戦争のハイパーインフレで、莫大な借金をチャラにしようと焦りに焦っている訳です。 そして、焦りのあまり、今回の北朝鮮の核実験で、またまた墓穴を掘ってしまいました! 下記が、今回の北朝鮮の核実験による人工地震の波形と、自然地震の波形の比較だそうです。 http://sankei.jp.msn.com/world/photos/130212/kor13021213080004-p2.htm そして、こちらが3.11東北地方太平洋沖人工地震テロの地震波形! ▼3.11東北地方太平洋沖人工地震テロの波形を再検証! http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20120414/1334371200 およよー? 今回の北朝鮮の地下核実験の波形、自然地震と全く異なるって、何度もテレビで流してたよね? その波形、311地震の波形とソックリだね?(笑) ユダヤ米国さーん! あんまり焦って、3.11東北地方太平洋沖地震が核を使った人工地震っだって、自分で宣伝しちゃってるよー! ☆ ☆ ☆ そのうち、東日本大震災は、北朝鮮が起したといって、日本も核武装を!と、いってくるんじゃないでしょうかね。ミエミエですな。
2013年02月13日
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前回は、理系感覚と文系感覚から、男性脳と女性脳の陰陽の違いを紹介し再考した。そして、男性脳は、理系感覚を発揮するのに都合がよく、女性脳は、文系感覚を発揮するのに都合がいいことがわかった。更に、それは男性脳の上下関係を優先することと、女性脳の横関係を優先することにあることが伺えた。 オカルトでは、「行動が人間をつくる」といわれているが、シュタイナーは、前世の行為が、現世(今生)の脳をつくるようなことを述べている。だから、前世での行動力が、現世の脳の回転につながる。 だから、以前述べたように、前世で男性であった場合は、現世では女性で、また、前世で女性なら、現世で男性というように、前世と現世も陰陽の関係になり、男性脳の上下関係の優先と女性脳の横関係の優先も、陰陽の関係を基にしていることがわかる。 男性脳の得意とする空間把握能力は、この上下関係の優先にあるようにみえ、女性脳の得意とする具体的な記憶能力は、この横関係の優先にあるようにみえる。 では、今回は、逆に、横関係を優先する女性脳が、不得手の理系感覚を発揮する場合を考えてみる。そこで、理系に進んだ女性の話が、その検証に役立つので、一部抜粋して紹介する。 文系脳の悲劇 http://blog.goo.ne.jp/toki-tsubone/e/7b39c5b15b82f3f0c30fa56bdf4f79fc 大学はいわゆる理系の学部を卒業したけど、私は絶対に文系脳だと思う。 筋道を立てて論理的に理解をしていくってことは嫌いじゃないけど、(化学とか生物分野はわりに好き)いわゆる幾何的な分野の数学とか物理ってとても苦手だった。 夫は典型的理系少年だったみたいだ。高校時代にこなしていた数学の参考書は 「大学への数学」だったというし あの本のチャレンジ問題を解くのに多くの時間を費やし、かつそれが楽しみだったらしい(他に楽しみがなかったんかい?) 私はハナからあんなものは自分にとって不必要な領域と最初からみなし 「解法のテクニック」 という参考書を何回かこなして(ちょっと考えて解けなければ解答ページを速攻で開き)数学の問題をパターン認識して暗記していた。 要するに数学と物理は暗記科目だったわけです。だから普通に生きていて不必要な部分の数学って今はぜ~んぜん記憶の片隅にも残ってないなあ ロガリズムってなんだったっけ?特に暗記も歯が立たずに赤点をとりそうになったのは 空間のベクトルの単元である。 って 何を言いたいかと言えば、つくづく空間把握ができないのです。 理系脳の持ち主って たいていが地理的感覚に優れている。いわゆる方向音痴がいないと思う。 夫は一度行った道は忘れないし、カーナビとかなくてもだいたいの感覚でたどり着ける。私と一緒に初めての道に行く時、昔はよく地図をもたされてナビゲーションさせようとしたが、かえって 足をひっぱるので今では絶対にあてにしなくなった。(それまで何度となく夫婦喧嘩になった。地図が読めないって事がわからないらしいね、地図が読める人々っていうのは)だいたい持っている地図を回して見るというのでイライラするらしい。(だって進行方向を上にしなきゃわからないやん) そして夫は自分の居る位置の東西南北もだいたい把握できるらしい。そんなのあたりまえだろって思う人、それは甘い。 私なんかね、迷子になって携帯でどっちに行っていいか道案内されるとき じゃそこから東に行って とか 言われるとパニックになるんだから。。 「東ってどっちだよ!」 である。 右と左しか自信をもってわからないんだから 私にとって二次元は難しすぎる 一次元で説明していただきたいわ。「OOビルを背中にして右に行け」 とかさ ☆ ☆ ☆ 以上の話から、理系感覚と文系感覚の違いがわかる部分を抜き出す。 「大学への数学」は、高校数学の上級者の参考書で有名で、中級者用にはチャート式が有名だった。 その高校数学の上級者用のチャレンジ問題を解くのが楽しみ、というのは、典型的な理系感覚で、自称文系脳の上述の筆者のように、数学の問題をパターン認識して暗記するのは、典型的な文系感覚といえる。 つまり、上下の縦関係を重視するのか、前後左右の横関係を重視するのかで、理系感覚なのか、文系感覚なのかがわかる。前後左右を動くだけでは平面しかみえてこないが、上下の縦関係を重視すれば、空間能力が開発される。 単純にいえば、木をみて森をみないか、森をみて木をみないかの違いである。近くの木を詳細にみていると、森は思い浮かばないが、近くの木をとりあえず1つの木として、その集合体を思い浮かべると森が思い浮かぶ。 周囲の木をみるような記憶に頼り、暗記して数学の問題を解くのか、暗記に頼らず、問題そのものから、全体像を論理的に予測することで、数学の問題を解くのか、の行動の違いとなる。 記憶に頼る行動は、未知の状況に対して、記憶がないので、行動の基準を失い、記憶に頼らずに、論理的推測に従う行動は、行動の基準がある程度決まっている。だから、未知の状況に対しては、論理的推測に従うのが都合がよいが、どちらにも一長一短がある。 記憶に頼る行動は微妙な変化を読み取ることができる、という利点があり、論理的推測に従う行動は、微妙な変化は無視してしまう傾向にあるからだ。 女性脳が、微妙な変化を捉えるのは、記憶に頼る行動の文系感覚の御蔭で、男性脳が、微妙な変化には無関心なのは、論理的推測に従う行動の理系感覚のせいでもある。 また、記憶に頼る行動を洗練させると、直観力が高まり、論理的推測に従う行動を洗練させると思考力が高まる。だから、文系感覚は、直観力を養うのによく、理系感覚は、思考力を養うのによい。 記憶に頼る行動に強いのは、女性脳であり、文系感覚といえるので、女性は得てして、記憶力を基に微妙な変化を捉え、直観力が鋭い。対して、論理的推測に従う行動に強いのが、男性脳であり、理系感覚といえるので、男性は得てして、全体の方向性といった大まかな流れを読み取る能力や、上述の話のように、抽象的な思考を基にした地理的感覚に優れる。 シュタイナーによると、男性脳の得意とする論理的感覚は、人類の長い歴史のなかでは、比較的に近年に獲得した能力で、だから、論理的感覚は、物質世界を捉えるのに都合がよいように、近年になって強化されてきた。 いまから、約1万年前の古代アトランティス時代には、一部の秘儀参入者を除いて、論理的感覚は発達していなかったという。だから、文字を書く習慣もなかったという。文字を書くなどの行為をみたら、当時の人間は、悪魔の仕業ととらえたという。 論理力を必要としないぐらいに記憶力が発達し、しかも前世の記憶までもっていたので、親から子へと記憶がそのまま受け継がれ、二世、三世という呼び名が生じたという。何々の生まれ変わりだから二世で、またその生まれ変わりだから、三世となる、というわけである。 だから、記憶や経験が全てで、そこから引き出せない未知の出来事に対しては、拒否されたようである。このような姿勢は、現在の官僚の前例主義や、事大主義的な態度に残っている。そもそも、官僚制度は、中国の科挙を由来にしていることからもわかる。 そういえば、日本の官僚の多くが、東大の法学部であることからも、主に文系感覚が重要視されていることがわかるが、ほとんどが男性なので、男性脳の得意な理系感覚をあまり用いずに、かといって女性脳のような具体的な記憶力を基に直観力を働かせるのではなく、漠然とした曖昧な抽象的記憶を基に論理力を駆使しようとするから、上述の理系感覚のなかの文系感覚の話のように、机上の空論が横行し、不適合の歪な形にならざるをえなくなるのだろう。 官僚言葉をみれば、官僚が具体性を全く持たないことがわかり、官僚言葉を使うことで、国民を欺いていることが一目瞭然である。 この間、TVで、元官僚が、官僚の実態を告白していたが、例えば、「完全民営化」という言葉に、「完全(に)民営化」と(に)を間に加えることで、先例にあてはめ、官僚に都合よく処理してしまうらしいが、これは一種の詐欺であることの自覚もない。 このように、官僚は、命令を勝手に書き換え、相手に合わせるのではなく、自己に都合よく解釈してしまうのは、自己拡大症(妄想症)のごとき一種の精神病なのだが、高い権力と地位にあるので、問題化しないようで、詐欺師という自覚もないらしい。例えば、コンピュータでいうなら、命令を勝手に書き換えるので、ウイルスと同じである。 そもそも、「完全」などという抽象的な言葉を使う政治家にも問題があり、独り歩きしはじめるような言葉を使う政治家の資質にも問題がある。 だから、嘘ばかりつく官僚や政治家たちは、信用できなくなり、ついには、誰も信用しなくなり、官僚や政治家のいうことなど誰も聞かなくなるわけである。官僚や政治家は、そのうち、不必要な存在となるだろう。税金が高いのは、嘘つきな官僚や政治家の資質の問題で、嘘をつくことに多大なコストがかかっているからである。
2013年02月08日
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前回までは、男女の陰陽の違いを、あるサイトを抜粋紹介することで、心の境界をみつけることを考えてきた。 心の境界といってきたが、心の融合でもあるし、均衡点、平衡点ともいえる。 人は自分にないものを求めているが、かといって、自分を失いたくはないわけで、つまり、自分を失わずして、自分にないものを得ることを模索する。 しかし、物質世界は必然的に陰陽からなっているわけで、陰でなければ陽にならざるを得ない。例えば、肉体的に、男でなければ女であるし、女でなければ男となる。3次元世界というのは眼に見える分、明確な境界がある。 「君子は和して同せず」というように、老子は、3次元物質世界ではなく、高次の世界、精神の世界を語っている。愛情に境界はないのだから、肉体が男であっても、女の精神をもつこともでき、女の身体でも、男の感情をもてる。 つまり、愛情に境界をつくっているのは、当人の物質志向にある。 「心の境界」と呼んできたが、心に境界などないから、いわば精神的な限界を意味する。俗にいう思考の限界ともいえる。 この世に生きている限り、物質世界を基にした感覚で、精神的な限界をつくっているわけで、その精神的な限界を乗り越えるには、物質世界の感覚を体験し、その体験を克服しないといけない。 さて、「我思う故に我在り」と哲学では有名な格言があるが、この格言を逆説的に捉えると、物質世界に根ざした感覚でいる限り、物質的存在を免れない、という意味にもとれる。 物質世界に根ざした感覚は、陰陽の世界に囚われた世界で、陰でなければ陽であり、陽でなければ陰である、というような絶え間ない堂々巡りを繰り返すだけである。 領土問題などは、この典型で、堂々巡りに至るのが明白だが、男性脳の物質志向の特性から、そこに論理や上下関係を持ち込み、闘争へと発展してしまう。 物質世界に根ざした感覚は、物質のように、眼に見えるような安定を求めるが、物質世界は、高次の世界からなりたつので、物質も絶えず変化しており、一時的な安定にすぎない。 物質を求める限り、不安定な世界の存在とならざるをえない。だから、「我思う故に我在り」という格言は、「人は求めるものにより、存在を制限される」ということでもある。 だから、オカルトでは、「人は神を求めよ、さすれば人を超えられる」というようなことがいわれる。ニーチェの超人も同じである。 そこで、「求めるものにより、存在を制限される」の一例として、「求める感覚により、脳がつくられる」ことを示す話を紹介したい。 それは、文系脳と理系脳のことである。以下のサイトには、文系脳と理系脳の解説が出ているので、一部抜粋して紹介する。 ☆ ☆ ☆ 理系脳と文系脳の作られ方 http://d.hatena.ne.jp/thinkdifferent/20120309/1331304852 ●ポイント ・理系と文系の違いは、学問分野の違いで、性格の分類では本来ない ・理系とは、自然を対象と観察し、理論立てた勉強を行う ・文系とは、人間を対象と観察し、記憶を中心とした勉強を行う ・よって、この理系・文系の学問の特性と勉強法の違いが、性格に表れる可能性がある ☆ ☆ ☆ 理系脳と文系脳というよりは、理系感覚と文系感覚という意味だろう。理系感覚は、前回まで紹介してきた男性脳の性質に近く、文系感覚は、女性脳の性質に近い。 理系感覚と男性脳の性質の共通したところは、男性器の形状や機能をイメージすればわかるが、事象を要約し、論理的に要点を絞り、要点を基に、主張を拡げていくところにある。 対して、文系感覚と女性脳の性質の共通したところは、これまた女性器の形状や機能をイメージすればわかるが、様々な人間の微妙な差異を受け取り、独特な感受性を加え、新しい人間関係を展開していくところにある。 つまり、男性脳の性質が現われやすいのは、「自然を対象と観察し、理論立てた勉強を行う」理系感覚にあるからで、実際、理系男子の数が多いことが、端的に、そのことを示している。 対照的に、女性脳の性質が現われやすいのは、「人間を対象と観察し、記憶を中心とした勉強を行う」文系感覚にあるからで、理系男子と同様に、文系女子の比率も多数を占める。 最近は、中性化の傾向にあるので、文系男子、理系女子の数も増えてきた。 前回まで紹介してきたサイトの内容を隈なく読めば、男性脳と女性脳の以下のような大きな違いがわかる。 男性脳は、上下の縦の関係のヒエラルキーを基本として狭く深い関係を求め、女性脳は、前後左右の横の自由で柔軟な関係を基本として広く浅い関係を求める傾向にある。 例えば、男性と女性の派閥をみれば、男性の派閥は縦の上下関係がはっきりしており、対して女性の派閥は曖昧で、臨機応変にTPOに応じて柔軟な入れ替わりの多い横の関係である。 女性が男性の派閥を出たり入ったりするのは、派閥感覚が異なるからである。対して、男性には、女性の派閥がTPOに応じて変わるので、どの女性が、どの派閥なのかがわからない。女性の派閥は派閥というよりも、柔軟な利益享受グループというべきで、それは女性が、表面上断れない性質からきているようである。 女性脳の方が、男性脳よりも、感性が細やかであるから、比較的安定し、変化のない物質的存在よりも、環境により日々変化し続ける生命体や人間関係に関心がむき、細やかな変化、微妙な変化を重要視する傾向がある。小さな変化に気づくことが女性の美学である。 対して男性脳は、些細な特徴を無視し、黒犬も、白犬も、論理的に、犬である性質にはかわりないと要点を絞り、必要のない情報を捨て、大要を掴むことを重要視する傾向がある。論理的な男性は「要するに」を口癖にし、結論をすぐに求める。 このような傾向が、男性脳の理系感覚、女性脳の文系感覚をつくりあげる。 オカルトでは、「行動が人間をつくる」、といわれているが、男性脳の理系感覚と女性脳の文系感覚からわかるように、「感覚が脳をつくる」ことがわかる。 例えば、男性脳は、「自然を対象と観察し、理論立てた勉強を行う」ことで、理系感覚をもち、男性脳の特徴の上下の縦のヒエラルキー関係を確認しているともいえ、女性脳は、「人間を対象と観察し、記憶を中心とした勉強を行う」ことで、文系感覚をもち、女性脳の特徴の前後左右の横の自由で柔軟な関係を確認しているともいえる。 見方を変えれば、男性脳がヒエラルキーの上下関係をもちこむのは、その関係でしか安定して生きられないからで、また、女性脳が横の関係を拡大しようとするのは、同じくその関係でしか生きられないからである。 逆に、例えば、女性脳に上下関係を持ち込めば、恐らく、争いが始まるだろう。これは嫁姑関係を見れば一目瞭然である。女性脳は、文系感覚でわかるように、「記憶を中心とした勉強」が得意なので、具体的に細かい点にまで、独自のやりかたをもっているので、他者のやり方を押し付けられるのを極端に嫌い、恐れるからである。 他者の記憶は他者のものなので、自分なりの経験やノウハウに達していないので、同じ事をどちらがやるかだけで揉め事になってしまう。つまり、独自の記憶からなるやりかたを優先する。 男性脳にとっては「どっちがやろうが問題ない」ということが女性脳にとっては大きな問題となる。更には男性脳が考える論理や秩序からの合理性は、記憶や経験を基にしている女性脳にはない。女性はモノを記憶や経験で捉えるので、モノを捨てられなかったり、関係を切りたかったり、忘れたいためにモノを捨てる。 幕末の話だが、勝海舟が、篤姫と和宮を家に招いて会食をするときに、どちらが御飯をよそうかで、篤姫も和宮も自分がやるといってきかなく、一種の揉め事になった、という話がある。勝は機転をきかせて、篤姫の御飯は、和宮がもり、和宮の御飯は、篤姫がもることで収まったという逸話がある。男性脳の場合、このようなイザコザはほとんどない。 また、例えば、男性脳に横の関係を持ち込めば、侮辱されたと思い、同じく争いが始まるだろう。男性が女性に丁寧に話しかけた後に、女性の返答がなれなれしく、タメ口などされると、男性の多くは馬鹿にされたように思うはずである。男性の身分が、女性より上ならば、尚更であろう。 しかし、女性脳には、悪気はなく、男性脳のような上下関係はほとんどなく、女性脳は、人間関係を距離感で捉えるようで、会話を愛情表現と考えるからである。だから、女性脳には、嘘でもいいから、「愛している」ということが重要である。ついでに、愛するために、自分をどれだけ犠牲にしたか、を語れば完璧との噂である。女性脳にとっては言霊の威力は抜群らしい。 つまり、男性はヒエラルキー、つまり秩序だった論理を優先するので、自然と、相手にも上下関係を求め、女性は、自分の記憶や経験を優先するので、これまた自然と、相手にも自分の記憶や経験を共有させようと、自分が出くわした出来事を事細かく話をし、聞く事を求めようとするのである。 女性脳が「ねぇ、聞いて」といったら、男性脳は、とにかく、肯定的な言葉をいって、聞いている振りだけでもしないとカップルの関係は成立しないだろう。男性は、女性の話を、部下の報告と思って聞くだけでよい。アドバイスは必要ない、それは上下関係を強要することになるからだ。 それよりも、心の底では女性を部下と思いながら、女性が家事などをやってくれていることに日々感謝する言葉として、「愛している」といい、自分をどれだけ犠牲にしているかをベットのなかでも語ればいい。男性は、家庭に上下関係を求めるが、女性は、横関係を求めるからである。 以上のように、理系感覚と文系感覚から、感覚が脳をつくることがよくわかる。そして、感覚を共有することで、脳が融合し、心の境界が現われ、心が結びつくこともわかる
2013年02月08日
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前回の続き 前回紹介したサイトの話の要点を抜粋すると以下である。 女性に好かれる男性1.クール系 静かな、クールな、自制心の強い、知的な男性 2.オトナ系 清潔な、洗練された、スマートな男性 3.行動的系 情熱的な、たくましい、積極的な、仕事やスポーツに打ち込む、エネルギッシュな男性 4.人なつっこい系 社交的な、明るい、健康な、生き生きしている、素直な、あっさりした性格の男性 5.誠実系 真面目な、寛大な、誠実な、優しい男性 男性に好かれる女性1.ミステリアス系 洗練された、スマートな、神秘的な、静かな、知的な女性 2.情熱系 セクシーな、情熱的な、積極的な、社交的な女性 3.純朴系 初々しい、清潔な、素直な、思いやりのある、優しい女性 4.ひまわり系 生き生きとした、健康的な、明るい女性 5.しっかり系 誠実な、真面目な、自制心の強い女性 6.心が広い系 あっさりとした、おおらかな、聞き上手な女性 例えば、上述の両者の比較を、具体的なイメージとして、代表的なアイドルを独断と偏見で挙げて再度検討してみる。 「女性に好かれる男性」の性格の項目をみて、具体的なイメージとして思い浮かぶのは、アイドルグループのスマップである。 クール系は稲垣悟郎、行動的系は木村拓也、人なつっこい系は香取真吾、誠実系は不祥事もあったが、イメージとしては草薙剛、という感じで、中居正広が、オトナ系なら完璧なのだが、歌があまりうまくないのと、毒舌イメージで、ちょっと足りない。オトナ系イメージとするなら、少年隊の東山か。 対して、「男性に好かれる女性」の性格の項目をみて、思い浮かぶアイドルグループはないので、代表的イメージとして個別に選んでみる。 ミステリアス系は北川景子、情熱系は長澤まさみ、純朴系は綾瀬はるか、ひまわり系はベッキ-、しっかり系は堀北真希、心が広い系は吉瀬美智子、という感じだろうか。 そこで、誠実系男性の代表イメージ草薙と、純朴系女性の代表イメージ綾瀬を比較すると、男性は一本気で正直な性格、女性は一途で清楚な性格が強調される。 また、クール系男性のイメージ稲垣としっかり系女性のイメージ堀北を比較すると、男性は主体的で決断的な性格、女性は協調的で従順な性格が強調される。 行動的系男性のイメージ木村と情熱的女性のイメージ長澤を比較すると、男性は派手で目立つ主人公的な性格、女性はセクシーで魅惑的な性格が強調される。 また、人懐っこい系男性のイメージ香取とひまわり系女性のイメージベッキーを比較すると、男性は楽天的でお笑いの絶えない性格、女性は、何言っても許されそうな我儘でも憎めない性格が強調される。 オトナ系男性の東山とミステリアス系女性の北川を比較すると、男性は決して動じない格調の高い紳士的な性格、女性は気品の高い淑女的な性格が強調される。 そして、人懐っこい系男性の香取と心が広い系女性の吉瀬を比較すると、男性は弟的な性格、女性は姉的な性格が強調される。 これは、例えば、同じような色彩、例えば青色の比較でも、赤みがかった紫に近い青と、緑がかったエメラルドグリーンに近い青では、青が共通の土台となり、僅かな違いの赤と緑が強調されて浮き上がることと同じものと考えられる。 性格面から男女の関係、例えばカップルを考えるのも面白いかもしれない。 また、共通した性格を基に比較するのではなく、アトランダムに、例えば、クール系男性の稲垣のイメージと、ミステリアス系女性の北川のイメージを比較すると、例えば、男性が探偵役で、女性が犯人役のようなドラマができそうである。 更に、行動的系男性キムタクとひまわり系女性ベッキーの比較は、典型的なアニメのヒーローとヒロインを彷彿とさせる。 以上は、男女が相手に求める好ましい観点だったが、逆に、嫌いな観点から探るのも面白い。 色々組み合わせることで、男女の陰陽の違いから、人間ドラマのイメージが浮かび上がり、心の境界が明らかになる。 さて、男女の組み合わせで昔からいわれている美女と野獣について、紹介してきた御馴染みのサイトに面白い話が載っているので、抜粋して紹介する。 ☆ ☆ ☆ 美女と野獣がペアになる理由 http://oda999.tea-nifty.com/blog/2010/10/post-d209.html ヒトミ:「男の人って得だよね。だって美女と野獣のペアになれるんだから」 ツヨシ:「そういう考え方、するんだ。確かに言われてみるとそうかも」 ヒトミ:「でしょ、カッコいいとかじゃなくてもチャンスがあるってことじゃない?」 ツヨシ:「なんか、勇気がわいてきたよ、ありがとう!」 美女と野獣のカップル、けっこう世の中にはいます。 でも、どうしてこういう組み合わせができるのでしょう? ■男性っぽい顔、女性っぽい顔 男性の顔の種類を【男性っぽい顔】(以下:男性的男子)と【女性っぽい顔】(以下:中性的男子)に分けて見てみましょう。 男性的男子は、昔は女性に人気のある顔でした。 ところが、時代が進むにつれて中性的男子が女性に人気のある顔に変化してきました。 テレビを見ていても、最近のイケメン俳優は中性的男子が多いのがわかります。 さて、最近人気の減ってきた男性的男子ですが、ある特定の女性からは好まれる傾向があります。 その特定の女性は以下の通りです。 ●恋人がすでにいる ●浮気相手として男性を見ている ●妊娠しやすい排卵時期の女性である ●自分が魅力的と思っている女性である 美女と野獣の組み合わせができる理由ですが、この中の「自分が魅力的と思っている女性」、というのが関係していると分析されます。 ■野獣顔は男っぽい 野獣顔の男子というのはいわゆる「男っぽい(ゴツゴツしていたりする)」顔の人が多いです。 また、自分が魅力的と思っている女性は、美女のことが多い。だから、美女(自分に自信のある女性)は野獣(男性的男子)に引かれて、そして付き合うことになるのです。 美女と野獣は引かれ合うべくして、引かれ合っているのです。もしあなたが野獣顔の男性だったら、美女(自分に自信を持っている女性)にアタックしていってみるとよいでしょう。 相手の女性にとって好みのタイプとなっている可能性が普通の女性より高いので、上手くカップルになることができるかもしれません。 世の中、意外なところにチャンスが転がっているもの。そのチャンスをしっかりつかんで下さいませ。 ☆ ☆ ☆ 自分にないものを求めるのと、最近は中性的男性が増えているので、美女は、希少価値のある野獣を求めることになる。
2013年02月07日
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前回まで、男女の陰陽性、つまり正反対な性質を掴むことで、心の境界線を見抜く方法を紹介してきた。しかし、男性脳、女性脳と紹介してきた事柄は、傾向であって、必ずしもあてはまるわけではなく、男女二人だけの単純な問題ではなく、様々な人間関係があり、世の中は複雑である。 複雑ではあるが、根底には陰陽の原理が働いていることに気づけば、複雑になる前に、問題を見通すことができる。男女の正反対な性質を掴むことで、少なくとも、自分とは、正反対の立場から、自分をみることができる。 男女間の陰陽の違いから、人間には、自分にないものに惹かれる、という基本原則がある。 シュタイナーによれば、全体の傾向として、人間の魂は、前世で嫌悪した性格をもって生まれてくる、というようなことをいっている。 あくまで単純化すれば、例えば、前世で、ルックスのよくない人を嫌悪していたら、今生では、ルックスのよくない人になって生まれてくる、というようなことで、なんらかの事情を除いて、男なら、女に、女なら、男に生まれてくる、ともいっている。 だから、最近の性の中性化の傾向は、前世の記憶を思い出しているのかもしれない。 何度も輪廻転生することで、魂の上では、平等であることを実感することが重要なのだろう。 オカルトでは、地球は「贖いの星」と呼ばれている。前世で犯した罪を背負い、今生において、生まれ、宿命として贖うからだろう。だから、地球の上で生じる出来事は、公平なのである。 唯一神が、我は、「エヘイエ アシェル エヘイエ(バランスによりバランスをもたらす存在)」であるとモーセに述べたのは、我は、あなたの行為を、あなたに返す存在である、という意味にもとれる。つまり、唯一神は、人生の裁判官(審判者)でもある。 だから、いま男なのは、過去に女だったからで、いま男として、女を求めるのは、過去を求めることでもある。男女の陰陽の関係のように、自分にないものに惹かれるのは、自分が失ったものを取り戻すことでもあるし、過去の過ちを正すことでもある。 過去では嫌悪していた性格をもって生まれ、実際に体験することで、過去の自分が、いかに表面しかみていなかったか、がわかる。その人の立場になってはじめて、その人の気持ちがわかる。 だから、実際に経験してみなければわからない、というわけである。 また、前世で嫌悪していた性格を、魂に纏い、魂本来の善の精神をあわせることで、魂のなかにバランスをとる能力が開発される。悪を除くのではなく、悪を善に転換する能力が重要なのだろう。 とどのつまり、男女という陰陽の立場をそれぞれ経験してみて、そのバランスをとり、中庸の精神を体現することが、心の平安や安定点をみつけることでもあり、それが天国といわれるところなのだろう。 というわけで、霊魂は、脳の松果体を通じて、肉体を制御しているので、男女の脳の働きを理解することで、今生の課題や、前世なども見通せるようになるだろう。 そこでまた前回から紹介しているサイトから興味深い話を抜粋して紹介する。例えば、以下のような「女性に好かれる男性」の話と、「男性に好かれる女性」の話から、男女の違いがわかる。 ☆ ☆ ☆ 女性に好かれる男性 http://oda999.tea-nifty.com/blog/2009/09/post-1cc4.html ミノル:「世の中、イケメンばっかりがモテるよね。なんっていうか、損してる感じがするよ」 エリカ:「そうでもないと思うよ、性格的にモテてる男子も結構いると思うんだけど」 ミノル:「そうなんだ。どういう性格がモテるのか、教えてよ」 ■モテる性格の分類 世の中、ただ顔が良ければモテるわけではありません。 ただ、お金があればモテる、というわけでもありません。 モテることにはいろいろな要素があり、その1つが『性格』です。 このモテる男性の性格なのですが、きっちりと心理学者が研究し、5つのパターンに分類しています。(注1) 5つのモテる男性の性格の特徴についてみていきます。 タイプ名 特徴(形容詞) 1.クール系 静かな、クールな、自制心の強い、知的な男性 2.オトナ系 清潔な、洗練された、スマートな男性 3.行動的系 情熱的な、たくましい、積極的な、仕事やスポーツに打ち込む、エネルギッシュな男性 4.人なつっこい系 社交的な、明るい、健康な、生き生きしている、素直な、あっさりした性格の男性 5.誠実系 真面目な、寛大な、誠実な、優しい男性 この5タイプに入ると、女性に対してウケが良くなります。 特徴を見てもらえるとわかると思いますが、『根本的な性質』のレベルではなく、表面上に現れるレベルのものが多いです。 自分である程度改善できるレベルのものばかりです。 ■自分に近いタイプを目指す さて、女性と話すときには、やはり女性似受け入れられる雰囲気を作った方が良いでしょう。 ですので、合コンなどの場では、自分がどのキャラクターになればよいのか、しっかり把握しておくことをオススメします。 自分にあったキャラクターを把握することで、女性に受け入れられやすくなるのです。 自分は真面目だなぁ、と思うのであれば、真面目で寛大で誠実、そして優しい性格を表に出せばよいでしょう。 いい人だけど・・・といわれる男性はこのキャラクター設定が曖昧になっていたり、上記の性格からずれていることが多いです。 (たとえば、真面目だけど、お金にうるさい、とか。ケチっぽく見えて「寛大さ」を感じさせなくなります) 自分にはどのタイプがあうかを考え、そのタイプの長所的な部分を表現していくと良いでしょう。 ☆ ☆ ☆ 続いて、「男性に好かれる女性」 ☆ ☆ ☆ 男性に好かれる女性 エリ:「サキって本当に性格可愛いよね、男にもてるキャラって感じ」 サキ:「ありがと。エリだってモテ性格だと思うよ」 エリ:「でもさぁ、ブリッ子とかならわかるけど、どういう性格が男にモテるんだろうね」 ■女性にもあった『モテる性格』 前回は『女性にモテる男性の性格』でしたが今回は『男性にモテる女性の性格』について解説します。 男性にモテる女性の性格については6つのタイプがあるとされています。(注) このタイプを1つ1つ見ていきましょう。 タイプ名 特徴(形容詞) 1.ミステリアス系 洗練された、スマートな、神秘的な、静かな、知的な女性 2.情熱系 セクシーな、情熱的な、積極的な、社交的な女性 3.純朴系 初々しい、清潔な、素直な、思いやりのある、優しい女性 4.ひまわり系 生き生きとした、健康的な、明るい女性 5.しっかり系 誠実な、真面目な、自制心の強い女性 6.心が広い系 あっさりとした、おおらかな、聞き上手な女性 このタイプに当てはまると男性に好まれる性格、となるようです。 ■服装も含めて考えよう 男性が女性を見たときには、いきなり性格は見えてきません。 男性は「ファッション」や「メイク」を見て、女性の性格を何となく判断しています。 ですので、自分のモテ性格を連想するような服を着ておくと、男性に「私はこのタイプの女性です」と暗に示すことが出来ます。 (純朴系の人であれば、白を基調とした服装を着る、とかです) 例えば合コンなどの短期間で知り合わなければならない、というシーンでは自分のキャラにあった服装を準備しておくと良いでしょう。 (普段は自分の好きな服を着るに限ります!) まずは、自分がどのタイプに近いのか、そしてどの特徴が抜けているのか、というところを考えてみると面白いと思います。 その上で、それにあった服装も考えてみましょう。 ☆ ☆ ☆ 上述から、再度抜粋すると。 女性に好かれる男性1.クール系 静かな、クールな、自制心の強い、知的な男性 2.オトナ系 清潔な、洗練された、スマートな男性 3.行動的系 情熱的な、たくましい、積極的な、仕事やスポーツに打ち込む、エネルギッシュな男性 4.人なつっこい系 社交的な、明るい、健康な、生き生きしている、素直な、あっさりした性格の男性 5.誠実系 真面目な、寛大な、誠実な、優しい男性 男性にモテる女性1.ミステリアス系 洗練された、スマートな、神秘的な、静かな、知的な女性 2.情熱系 セクシーな、情熱的な、積極的な、社交的な女性 3.純朴系 初々しい、清潔な、素直な、思いやりのある、優しい女性 4.ひまわり系 生き生きとした、健康的な、明るい女性 5.しっかり系 誠実な、真面目な、自制心の強い女性 6.心が広い系 あっさりとした、おおらかな、聞き上手な女性 そこで、両者を比較してみると、誠実系男性と純朴系女性は、優しい性格で共通しているが、誠実系は、包容力のある感じで、純朴系は、清楚で初心な感じで、若干異なる。 クール系男性としっかり系女性も、自制心の強さで共通しているが、クール系は、知的さをあわせもつ感じと、しっかり系は、真の強さをもつ感じで若干異なる。 行動的系男性と情熱的女性も、情熱的なところで共通しているが、行動的系はたくましさをあわせもつ感じと、情熱系は、セクシーで社交的な感じで、若干異なる。 人懐っこい系男性とひまわり系女性も明るさで共通するが、人懐っこい系は素直であっさりしている感じと、ひまわり系は、母性を感じさせるところで、若干異なる。 オトナ系男性とミステリアス系女性も、洗練された感じで共通するが、オトナ系は父性を感じさせるところと、ミステリアス系は神秘的で静かな感じで若干異なる。 人懐っこい系男性と心が広い系女性も、あっさりした感じで共通するが、人懐っこい系は母性をくすぐる感じと、心が広い系は聞き上手な点で若干異なる。 人間の美徳として共通性をもつ性格が好まれるが、男女で、そのニュアンスが微妙に異なるのが興味深く、そこに陰陽の違いが現われる。 文字数制限を超えるので、次回に譲る。
2013年02月07日
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心の境界線は、土地に目印がついているわけではなく、TPOによって変わるのでは、みつけるのは非常に難儀で、経験と勘に頼るしかない。 同じ場所を触るにしても、その目的や用途で、セクハラ問題となってしまう。同じ場所を触るにしても、心の境界線は全く異なる。 さて、前回紹介したサイトは、その点を巧く解説しているので、続けて抜粋し紹介する。 ☆ ☆ ☆ 男心と女心 http://oda999.tea-nifty.com/blog/2010/08/post-374e.html エミ:「はぁ、ドジしちゃったなぁ」 ヒロシ:「気にしなくても大丈夫だよ。ほら、元気だしなよ。肩をもんでやるよ」 エミ:「(ぞわっ!)」 エミ:「ちょ、ちょっと、それセクハラだよ」 何気なく肩をももうとしたヒロシさんに、エミさんは拒絶反応を示したようです。 ■触られたくない? 身体的接触、いわゆる「スキンシップ」についても男女の違いがあります。 男性は、女性からスキンシップをされてた場合に許容することが多い(何も感じなかったり、うれしく思ったりする)のに対して、 女性は、男性からスキンシップをされた場合に拒否感を持つことが多いです。 しかも、女性が自分から男性に触れることはあっても、逆に男性に触れられることには『イヤ』と感じることも多いです。 男性が女性に触れるときには、かなり注意しないとセクハラ扱いをされるのはこのためです。 男性からボディタッチをするときには、「彼女は僕に恋愛感情を持っている」ということをチェックした後くらいに触れる方がよいでしょう。 ■甘える感じが良い 女性から男性に触れるときには、比較的やりやすいのもボディタッチの特徴です。 このボディタッチですが、甘える感じで触ると男性が許容する可能性は高いです。 甘え型のさわり方ですが、こんな方法があります。 ・寒いね、といって男性の手をさわる。 ・ねえねえ、といいつつ男性に触って注意を引く ・冗談に怒ったフリして、軽くたたく いきなり手をつないだり、太ももの上に手を置くといった直接的なさわり方よりも、甘える感じで何気なく、というのがよいのです。 ちなみに、男性が女性に触るときには「守る感じ」の場合に許容されやすいです。 例えば、こんなさわり方です。 ・満員電車で支えてあげる ・道路などで危険なときに引き寄せる 男性の場合には接触を上手にする機会は、狙っていかないと難しいようです。 ボディタッチは恋の発展には良いキッカケになるものです。 とはいえ、ボディタッチの許容度合いの差は男女の違いもあれば、さらに個人差も非常に多いものです。 普段からきっちり相手の反応を見て、ボディタッチをして良いかどうか判断して下さいね。 ☆ ☆ ☆ 続けて、 http://oda999.tea-nifty.com/blog/2011/01/post-d697.html やっぱり胸の大きな女の子が好きなの ユキ:「やっぱり、男子って胸の大きな子が好きなの?」 ワタル:「え、、た、確かに胸が大きいと惹かれるところ、があるなぁ、うん」 ユキ:「サイテー。やっぱそいういう目で女子を見てるんだ」 ワタル:「ちょ、ちょっと、じゃあ俺はどう答えれば良かったんだよーーー」 ■色気を感じるところ 男性に「女性の色気を感じるところは?」と聞いてみると「胸」とか「おしり」とか「足」とかもちろん「顔」とかそういう回答が返って来ます。 女性に「男性の色気を感じるところは?」と聞いてみると同じように「胸板」とか「おしり(引き締まったおしり)」とか「腕」とか「のど仏」とか返って来ます。 異性の色気について、全体として共通していることは、「自分(同性)に持っていない部分」に色気を感じる、というところです。 ■意外な部分に色気が さて、この色気についてですが、意外な内容が結構多いです。 たとえば、男性は「おしりの大きな女性」を好む傾向があります。女性はというと、自分のおしりは小さい方がよい、と考えることが多いようです。 女性は男性の、のど仏とか手や腕に浮き出た血管に色気を感じたりします。男性からは全く理解ができないところだったりします。 女性のキレイなうなじに色気を感じる男性は多いですが、これまた女性にはわかりづらいところです。(男性の首は太くゴツイ傾向があるので、細い首が見えると色気を感じるのでしょう) 他にも、いろいろと色気を感じるところがあるでしょうから、ぜひ異性としゃべる機会があったら「みんなはどんなところに色気を感じるのか」という内容で談義して見てください。きっと盛り上がりますし、勉強になりますよ。 ■色気ポイントは1つダメでも他のでカバー可能 さて、色気については男女ともに劣等感を抱きやすい部分でもあります。 たとえば、女性は胸の大きい小さいなどで劣等感を抱くことがあります。 しかし、色気について、劣等感をいだく必要はありません。 なぜなら、色気というのは「プラス要素」で考えられるものだからです。 胸のない女性が劣等感をいだいていたとして、でも男性からはそれで「嫌いになる」ということはありません。 好きになるきっかけが一つ減っているだけです。 目がキレイだったり、うなじがキレイだったり、そういった別の特性で十分カバーで来てしまいます。 男性も筋肉などで劣等感を感じるケースがあります。 これも、別の要素があれば十分カバーできます。 色気は「プラス要素」ということを覚えておいて、自分なりの色気がどこにあるのかを考えてそこを伸ばして行けば十分以上に異性から魅力的と見てもらえます。 「自分のここが、ああだったら」とか悩む必要はありません。 だって、他に色気を出せる部分があるのですから。 それで悩むよりも、自分なりの色気を探していってくださいませ。 ☆ ☆ ☆ 上述のように、男と女の陰陽の違いと、自分にないものを、相手に求めていることに気がつけば、心の境界線がわかってくる。
2013年02月06日
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前回紹介したセクハラ問題の要点は、相手の心の境界を見分けることだったが、人は、なかなか本心をみせることはないので、その見分け方は非常に困難である。 前回紹介したサイトには、その一例が挙げてあるので、以下に抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ 男心と女心 http://oda999.tea-nifty.com/blog/2011/09/post-eddb.html ワタル:「恋愛とセクハラの違いは、異性がそれを受け入れてくれるかどうか、って、わかんないんだよね」 ヒロシ:「そうそう、全然わからないから、セクハラが怖くなって奥手になっちゃうんだよな」 ワタル:「女子って、アタックはされたいけど、セクハラはイヤっていう難しい生き物だしね」 ヒロシ:「なにか、女子の心理を見抜くコツはないかなぁ」 ■態度で見抜く 恋愛をすすめるには、相手の気持ちを知ることも大事なことです。 恋は自分と相手の両方の気持ちが重なり合ってこそ上手くいくもの。 異性を追いかけたとき、相手が喜んでいるのか、嫌がっているのかを察することが必要となります。 もし相手が嫌がっているのに執拗に追いかけたら問題です。 もし相手が喜んでいるのに追いかけるのを辞めたらせっかくのチャンスを失います。 しっかりと相手の気持ちを見抜いていく必要があります。 ただ、その見抜き方が難しくて、「言葉尻」だけを追いかけても、わからないことが多いです。 たとえば、女性にボディタッチをしたとき「えー、やだー」と女性は反応するかもしれません。 この場合、 「本当にいやなのだけれどそれを言い過ぎると角が立つのでギャグっぽくしている」のか、 「本当はうれしいのだけれど、恥ずかしいからギャグっぽく返しているのか」の意味合いがあります。 それがどちらなのかを見抜くには、相手の態度に注目する必要があります。 ■足を見よう 態度で相手を見抜くときには、まず脚に注目すると良いです。 顔はポーカーフェースという言葉があるように、人は怒っていても笑顔でいることができてしまいます。 言葉に関しても、「舌先だけ」という語もあるようにウソをつけてしまいます。 上半身、特に上半身でも顔の近い部分はウソをつけるように人間はできているので、できる限り顔から離れた脚を見ると良いのです。 足の見方ですが、つま先を上に上げている場合は、相手が喜んでいることが多いです。 足のかかとが地面に付いていて、つま先が上を向いて空中にある場合、リラックスしている状態です。 なぜかというと、すぐには逃げられない体制、つまり安心しているからです。 また、膝から下をクロスさせている場合も相手が受け入れ体制なことが多いです。 これまた、すぐには逃げられない体制だからです。 逃げなくて良い、という心理がそこに見えます。 つま先が自分の方向に向いている場合にも、相手は受け入れ状態になっていることが多いです。 相手が、わざわざ近づいても良い、という意思表示をしているようなものです。 逆に、つま先が自分の方向を向いていない場合は、相手は離れようとしています。 別の用事があるのか、それとも純粋に近寄られたくないと思われているのかはわかりませんが、少なくとも離れようとしている意思は理解した方が良いでしょう。 片足(後ろのある方の足)のつま先が地面に付いていて、かかとが浮いている場合も相手は離れようとしていることが多いです。 いわゆる、走り出す準備状態ですよね。 逃げる体制になっています。 このように、足に注目するといろいろと相手の様子が見えてきます。 相手の足の方向、つま先とかかとにしっかりと注目してみて下さいませ。 ☆ ☆ ☆ 上述のように、表情には出ないが、逃げの体勢に入っている場合は嫌がられていることになる。心は体を表す、というが、姿勢によって、相手の心を見抜くことができる。 このことを発展させれば、相手の重心が安定しているか、ブレているかで、相手の心がわかる。 しかし、このサイトはなかなか勉強になる。 では、逆に、相手が好意を持っている場合を、同じサイトから抜粋して紹介する。 ☆ ☆ ☆ 男性が特定の女性を好きになった。 または、女性がある男性を好きになった。 こうなると、恋をした人の態度が少なからず変化が起きます。 どんな変化が起きるか、気になりますよね。 それでは、恋をした人の態度の変化を見ていきましょう。 ■目が意識する まず、好きな相手に対して一番反応するのが「目」です。 ・無意識に眼で相手の好きな人を追いかける ・瞳孔が開く(黒目の部分が多くなり、目が光って見える) ・目が合うと恥ずかしくなって、キョドってしまう [解説] やはり、自然と好きな人を目で追いかけるようになります。 大勢の人がいても、見ているのはたった一人だったり。 でも、目が合うと挙動不審になる人も多いようです。 挙動不審になる理由は、「恥ずかしいから」「どうしてよいのかわからないから」というものが多いですね。 ■口調の変化 口調の変化は男女共通の部分と男性と女性で違う部分があります。 ○男女共通の部分 ・声が高くなる(一部男性は低くなることもあるそうです) →テンションが上がるので、声色も変わってしまうのです ○男性特有のもの ・口数が増える。どんどんしゃべる。 ○女性特有のもの ・恥ずかしくなって話せなくなる ■手の動き 人は好きな人の前では特有の手の動き方をします。 ・鏡の動作をする →面と向かっている時、相手と同じ動作をします。 心が同調しているときに起きる現象です。 ・頭をかく、髪の毛を触る(相手を見たまま) →頭に血が上るので、頭をかくことが多いです。 髪の毛を触るのも、緊張を和らげるためにやる動作です。 ■脈に気づこう 相手を好きになった時には、自分から恥ずかしがらずに「好きな気持ち」を徐々にアピールすることが大事です。 逆に相手に好かれて始まる恋愛の場合、脈に気づくというのも意外に大事だったりします。「相手にもしかして好かれている?」という気持ちが出てくると、自然にその相手のことが気になり始めます。 そうすると、恋の気持ちも盛り上がってきます。 特に恋をする余裕がない、という人は是非この「脈のありなし」を眺めて自分の周りの異性を観察してみてください。 もしかすると、新しい恋が身近にあるかもしれません。 ☆ ☆ ☆ 似たもの夫婦や似たものカップルというように、相思相愛の場合、自然と似てくることが、上述の鏡の動作をしたり、同じ動作をすることから伺える。 親子が似ているというのも、物質的には遺伝もあるが、心のレベルで、魂の働きで、同じ動作や仕草を通じて、運命共同体として、惹かれ合っているのも一因と思われる。 なによりドキドキするのは、魂が共鳴し合っている証拠でもある。
2013年02月06日
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巷では、パワハラ問題かと思えば、また、領土問題かというように、性懲りもなく次々と問題が垂れ流し状態である。領土問題も煎じ詰めれば、心理的には、セクハラ、パワハラ問題と同じとも考えられる。 そこで、セクハラ問題に大変に参考になる以下のサイトをみつけたので、抜粋して紹介する。セクハラをする人の特徴は、相手の気持ちを考えないことにある。 ☆ ☆ ☆ 男心と女心 http://oda999.tea-nifty.com/blog/2011/08/post-9471.html サトミさん、男性上司との出張中。 上司:「さて、今日の仕事も終わったし、ホテルで一息つくか」 サトミさん:「はーい、隣の部屋ですね」 上司:「よかったら、俺の部屋で酒でも飲まない?」 サトミさん:「はい、じゃあ後で行きますね」 この後、ホテルの上司の部屋で二人が飲み交わす。 そして上司がサトミさんの肩に手を掛けて「なぁ、いいだろう」と顔を近づけてくる。 サトミさん:「そんなつもりじゃありません、セクハラで訴えますよ」 こうして、男性上司はセクハラ問題を抱えることになった。 ■セクハラはどこにある? 以前はセクハラがあったとしても、それが問題として浮上することは少なかったのですが、現在ではセクハラが問題として取り上げられるようになりました。 実際にセクハラはこんな感じで発生します。(1)出張中に男性上司が女性部下に「ホテルの部屋で一緒に飲まないか?」などと誘う。そのあと、男性が「部屋に誘ってきたからOKなんだろう」と勘違いして女性部下をベッドに押し倒そうとする。 女性部下はというと、ただの付き合いで飲みに行っただけで、もちろんそんなつもりはなく、そしてセクハラ問題だとして発展する。(2)飲み会の席などで、異性にベタベタ触ったり、下ネタを振ったりする。相手が生理的な不快感を示して、それが繰り返されるとセクハラとして取り上げられる。 このように、セクハラはちょっとしたところにも潜んでいます。 ■セクハラ問題になると男性が セクハラ問題を取り上げると、男性の中には「昔はもっとおおらかだった」という意見が出て来ます。 ちなみに、こういう意見を言う人は結構「セクハラをしている」人だったりします。 相手が嫌がっているのに下ネタを振ったり、ただ二人で食事に行っただけなのに帰りのタクシーで女性の手を握ったり。 今までは女性が我慢していただけ、なのを理解していない人です。 「なんでも、セクハラセクハラって言っていたら恋愛もできないじゃないか」などと反論する人もいます。 この意見、セクハラと恋愛の本質を見落としています。 ■恋愛とセクハラの違い 恋愛とセクハラには、「相手が好んで受け入れてくれる」か「相手が嫌がっているか」という違いがあります。 そして、セクハラをする人は「相手の気持ち」を本気で見ていません。 「自分がしたいから」というのが行動の本質になっていて、相手を見ようとしていないので勘違いしてセクハラになってしまっているのです。 セクハラをしない方法は簡単です。 相手の異性のことをじっくり見て、その人が喜んでいるか、辛そうにしているのかを見極めることです。 これができていない人が、恋愛のつもりで、自分勝手なセクハラをしているのです。相手のことをしっかり見ようとしないなんて、恋愛としても問題有り、ですよね。 昨今では、なんでも「セクハラ」といわれるようになって、ギスギスしている、と思い始めた人もいるかもしれません。 でも、相手の異性のことをしっかり見る、ことができていればセクハラにはなりません。 下ネタが好きな女性もいますし、下ネタ嫌いの男性もいます。 これって「ここにいるこの人はどう思っているのかな?」と考えて話していけば良いだけです。 それだけで、セクハラは消えて無くなります。 セクハラ問題って『相手のことをしっかり見よう』と考えさせてくれるチャンス、なのです。 人によって「ココまではOK」「ここからはNG」という境界は様々です。 だからこそ、多様性があって面白いのですし、違いがあるから人とのふれあいは楽しいものとなります。 セクハラ問題も、その違いを知る上では勉強になることも多いです。 しっかりと相手のことを見る目をこの機会に身につけていきたいですね。 次回は、仕草で相手の「受け入れ体制」がどうなっているか見抜く方法をお伝えします。 ☆ ☆ ☆ 上述の、『人によって「ココまではOK」「ここからはNG」という境界は様々です。』のように、心理的な境界をみつけることがパワハラ問題、セクハラ問題、しいては領土問題の解決につながる。 以前述べたように、特に女性脳は、微妙なシグナルを出しているので、男性脳は、そのシグナルをみつけることが重要である。男性脳は、環境の変化に対して鈍感なところがあるので、例えば、エアコンの温度調節などは女性脳の方が敏感で、男性脳は、ある意味テキトーで大まかな場合が多い。 つまり、女性脳の方が感受性が繊細である。だからこそ、しゃべれない赤ちゃんの子育てにむいているわけで、直感力が働く。環境の変化は、生体を育てる地球の母性からくるわけで、環境の変化に敏感になることで、女性脳は子育ての教育を地球から受けているともいえる。 また、女性の方が、宗教信者になりやすいのも、眼にはみえない環境の変化を読み取る力があるせいともいえる。 だから、女性の方が環境に依存しやすい面もあり、逆に、男性は、環境に左右されない意志の強さ、忍耐力を育てることもできる。 とにかく男女の、陰陽の違いを生かすことが肝要である。
2013年02月06日
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ここにきて、男女の差、つまり陰陽の違いを問題とする出来事が頻発しているような気がする。陰陽の違いは、生命の樹でいえば、慈悲の柱と峻厳の柱の違いともいえる。以前述べた王家の紋章の一角獣と獅子の違いでもある。 さて、この日本は、ある霊能者によると、二本という意味ともとれ、大本教の出口王仁三郎によれば、富士(二二)でもあるという。 二とは、陰陽のことである。 さて、日本では、地上に降臨されている神々の中には、二大霊統が存在している、といわれてきた。 天津神と国津神である。そのことについて、以前、紹介したサイトに興味深い話が載っていたので、抜粋して紹介する。 ☆ ☆ ☆ 天津神と国津神との和合 地上に降臨されている神々の中には、二大霊統が存在していると言われています。すなわち、一方は「天津神」系霊統であり、もう一方は「国津神」系の霊統です。 「天津神」系霊統とは、いわゆる、『古事記』『日本書紀』において、「天孫降臨神話」の中に登場し、高天原に降臨してきた神々のことです。すなわち、アマテラス・ニニギ(天皇家の祖)、アメノコヤネ(中臣・藤原氏の祖)、フトダマ(忌部氏(≒賀茂氏)・平氏の祖)、アメノウズメ(猿女氏の祖)、イシコリドメ(作鏡氏の祖)、タマノオヤ(玉祖氏の祖)となります。 一方、「国津神」系霊統とは、天津神が降臨する以前から存在していた日本古来の神々のことです。すなわち、スサノオ・ニギハヤヒ(物部氏の祖)、オオクニヌシ(蘇我氏・源氏の祖)、ヒルコ・ナガスネヒコ(阿曇族・アイヌ族の祖)と考えてよいでしょう。主に、出雲系と先住民族系の神々が中心となります。 国津神の中に「スサノオ」が入っているのは、「天岩戸神話」の際に、高天原から出雲の地へと追放されたためです。また、スサノオが母のイザナミを慕って「黄泉の国」へと行こうとしたことから、イザナミも国津神系の神であると考えていいでしょう。すなわち、「天津神系=イザナギの霊統」、「国津神系=イザナミの霊統」となるのです。 さらに、天津神と国津神の「仲立ち」をやってのけたのが「サルタヒコ」です。この謎の神は、未だその存在は不明とされていますが、近年公開された「秦河勝」のお面と、サルタヒコの顔があまりにも酷似していたため、もしかすると、「秦氏の祖」だったのかもしれませんね。 【サルタヒコ(右)とアメノウズメ(左)】 【秦河勝のお面】 (長野県埴科郡・早雄神社) (TV東京・みのもんたの日本ミステリー) ここで、『日月神示』(Hifumi-shinji)における神示(神の言葉)をみてみましょう。 「何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。元の仕組は富士(二二)ぞ、次の仕組はウシトラ三十里四里、次の仕組の山に行きて開いて呉れよ、今は分るまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて神祀りて開いて呉れよ、細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さして親から御礼申すぞ。行けば何もかも善くなる様に、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測った様に行くぞ。 天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ、目さめたらたづねてござれ、この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。秋立ちたら淋しくなるぞ、淋しくなりたらたづねてござれ、我(が)を張ってゐると、いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。この神示も身魂により何んなにでも、とれるやうに書いておくから、取り違ひせんやうにして呉れ、三柱と七柱揃うたら山に行けよ。」 【意訳】 「この地上世界を作った神の言葉を聞きなさい。「神の仕組み」の最初は、富士山が噴火することである。富士山が噴火したら、富士山から100km離れた東北の方角へ行きなさい。今はまだ分からないであろうが、大変なことになるのだ。その地に行ったら、神に祈りなさい。詳細を伝えることができないのが残念だ。神の子たちに、手柄を与えてやりたいためなのだ。その地に行けば、何もかもがうまくいくように、太古の昔から寸分の狂いもなく準備してあるのだ。 天と地がひっくり返るほどの大騒動になるであろう。「イシヤ」(フリーメーソン)の仕組みに、皆が騙されているが、もうすぐ目覚めるであろう。目覚めたなら、秋以降にこの地上世界を作った神の下を訪ねなさい。この神の下へ行けば、すべて分かるようになるであろう。我を張っていると(エゴがあると)、いつまで経っても、分からずに苦しむばかりである。この神示(神の言葉)も、諸君らの魂のレベルに応じて、様々な解釈ができるであろうから、間違えないようにしてもらいたい。3柱の神と、その下の7柱の神が揃ったら、山を訪ねなさい。」 この神示の中で注目して頂きたいのが、「天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ」の箇所です。「天地がうなるぞ」とは、天津神と国津神の神々が動き出すということで、「上下引繰り返るぞ」とは、この二大霊統の立場が逆転するのではないかと思われるのです。 ただ、そうは言っても、天津神系の神々がいなくなるわけではなく、「天津神系と国津神系との和合が成立し、天下の主導権が国津神系に移る」といった解釈ができるように思うのです。これまでの天津神系中心の価値観から、国津神系中心の価値観へと転換されるということです。これは文字通り、「上下引繰り返る」ような、地球社会全般における価値観の「グレン」が起こるということなのです。 ☆ ☆ ☆ 上記の「天津神系と国津神系との和合」と似たような話で思い浮かぶのは、日本の南北朝と古代イスラエル王国の南北朝の話と、アシュケーナージユダヤとスファラディユダヤの話で、またシュタイナーの説く2人のイエスの話である。 シュタイナーは、イエスは2人いて、ナタン系とソロモン系と呼ばれ、両者はヨハネの洗礼により、キリストの霊を受胎することで統合されたというような話を述べている。つまり、両系統は、イエス=キリストにより統合されたそうである。以下のサイトを参照に。 イエスは二人いた http://www.akina.ne.jp/~t.hara/iesu.htm さて、日本の南北朝は和合したのか、は定かではないが、アシュケナージユダヤと、スファラディユダヤは、上記に述べた天津神系と国津神系のようで興味深い。 相当なこじつけだが、なんとなく語感も、アシュケナージ⇒アスケ⇒アシ(葦)⇒アメノで天津神系、またスファラディー⇒スフ⇒スサで国津神系という気もしなくはないが、「アシュケナージ」は、アッシリアから来たという意味をもつらしいから、「アッシリア」が、アジア、もしくはアシ(葦)と関連するのかもしれない。 シュタイナーによると、古代では、「アジア」は、天上界と死者の国の中間にある世界の意味で呼ばれていたというから、古文でいわれる「葦原の中つ国」のことで、日本のことである。 対して、スファラディは、恐らくスーフィズムからきているのではないか、と思う。スーフィズムは、イスラムの神秘主義を指す言葉で、スーフィは、唯一の宇宙意識と融合することを目的とするようであるから、オカルティストを意味する。 スーフィー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC こじつけだが、アシュケナージを天津神系、スファラディを国津神系と考えると、世界金融を支配している多くの偽ユダヤが、アシュケナージユダヤを母体としているので、上記の「天津神系と国津神系との和合」の話のように、アシュケナージの物質的支配から、スファラディ主体の精神を基にした社会変革がなされるように思えてくる。 なんとなく、アシュケナージが北方系で、スファラディが南方系のような感じもしなくはない。
2013年02月05日
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昨日、TVをみていて、例の女子柔道の告発問題をやっていたが、以前紹介した女性脳の話をいかにも髣髴とさせていたので、改めて紹介する。 ☆ ☆ ☆ 「何でもいい」は何でもよくない!女性の不思議な言動を理解するコツ http://netallica.yahoo.co.jp/news/20130131-00000003-nanapi 女性脳と男性脳は構造が違うものなのです。考え方も違って、感じ方も違って、当たり前ですね。ほとんどの女性は基本的に ・感情が豊か(悪く言えば感傷的) ・臨機応変(悪く言えば気が変わりやすい) ・ストレートに表現を伝えにくい といえます。 また、ストレートに意見をぶつけることを嫌う傾向がありますので、男性の皆さん、女性の言葉を文字通りにとってはいけません。裏の意味をさぐりながら、うまく対応する必要が有るのです。これに失敗すると、怒らせたり、また「気が効かない」「空気が読めない」などと批判されてしまいます。 ☆ ☆ ☆ TVでやっていた問題は、女子柔道日本代表選考選手たちが、代表監督の体罰等を、弁護士等を通じて、柔道連盟に告発したのに、柔道連盟は対応を誤って、かえって怒りをかってしまったことにある。 上記のように、「女性脳はストレートに意見をぶつけることを嫌う傾向にある」ので、男性脳のように、直接本人や当該関係者にわかるようには告発はしないようだ。男性脳ならば、恐らく、本人や当該関係者に伝わるように告発したであろう。 女性選手が、男性弁護士を通じて告発する姿は、まさに女性脳と男性脳の違いそのものを明らかにしている。女性脳はなるべく表に立たずに処理したいのに対し、男性脳は表に立って意見表明することで処理するのを潔い、とする傾向にある。 代表選手選考に際して、会見場に出されたのも、女性脳には侮辱に思えたのだろう。男性脳には逆に同胞へのエールの儀式(発奮材料)にも思える。 女性脳と男性脳とはアベコベなのだ! 女性脳は微妙なシグナルを発し、気づくべき立場の人に救いを求める傾向がある。 だから、女性脳にとって、鈍感が一番悪なのである。対照的に、男性脳ははっきりと意志表示しない限りは、意見として受け取らない傾向がある。 男性脳の場合、あちらを立てると、こちらが立たないというように、先に損得の計算が働きがちで、予め予定を立ててから行動に移すことを理想とし、余程のことでない限りは、動きたくない傾向にある。思い通りに進まない計画なら、あえて動かないのが男性脳である。 だから、女性は環境の変化を読み取るのが敏感で、男性は逆に鈍感で、多少のことには眼をつぶり、忍耐力でカバーしがちの傾向がある。女性は流行に敏感で、男性は個人趣向が強い。 原発問題でも、環境変化に敏感なのは女性なので、女性の方が危機感や不安を感じ取りやすい。男性は環境問題が自分の身近な問題に置き換わらない限りは無関心である。続けて抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ ◎ デートのときに 何が食べたい?と聞いたら、「なんでもいいよ」と答えが返ってきました。そこで「じゃあ牛丼(あるいはこってり系ラーメン)にしようか!」などと言ってはいけません。 この場合も、言葉の裏には >「(女性が楽しめるお店なら)なんでもいいよ」 という真意があるのです。 さらにこの時、「僕も何でもいいよ」と譲り合うと優柔不断・頼りないとレッテルを貼られかねません。女性の好きそうなものをいくつか挙げて、彼女に選んでもらうのが安全策でしょう。 POINT:「なんでもいい」は、なんでもよくない! ◎ 相談されたときに 「この服、この色とこの色……どっちが似合うと思う?」といったことから「転職しようと思っているんだけど……」といったことまで、女性は色々な悩みをかかえています。女性に何か相談をされたとき、自分の趣味や苦労話、経験談などを押し付けてはいけません。 実は、 >相談している時点で女性は8割方腹を決めている ものなのです。 ですので、相談された男性の役目は賛成して背中を押してあげることです(もちろん賛同しかねる場合には、ちゃんと話し合うべきですが)。決断を下す前には、誰でも不安になるもの。よく話を聞いてあげてその不安を取り除いてあげるだけで十分なのです。 ☆ ☆ ☆ というように、女子脳は、表向きには、「女子柔道日本代表監督は、誰でもいい」とはいうかもしれないが、本心は決まっているはずである。 上記のように、「(女性が柔道を楽しめる監督なら)誰でもいいよ!」という()つきの条件がついているはずである。 男性脳は、誰でもいいとはいわず、○○がいいんじゃない、と表向きはっきりという傾向にあり、「誰でもいい」という場合は、自分には適任者がみつからない、という意味に近い。 昨年行われたプロ野球のWBC日本代表監督選考をみていたら、一応「誰でもいい」と前置きしながら、「○○がよいだろう」とほとんどの男性のプロ野球関係者が言っていたのは印象深い。 恐らく、告発した女子柔道選手の腹の内では既に8割方改善結果を決め、それを求めているのだろう。 男性脳からみると、女性脳は、姑息で、ズルイようにみえ、ブレまくりのようにみえるだろう。逆に、女性脳から男性脳をみると、表裏がないので、単純にみえるかもしれない。続けて抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ ◎ 雑談しているときに 女性が一方的に話していて、それに男性が「そうかな?それはこうなんじゃないかな?」「オレの場合はさ……」などと発言して、怒りを買った経験ありませんか? 実は、このときは女性は >正論が聞きたくて話をしているのではない のです。 男性は、たとえ雑談であっても、何らかの法則や解決策を見出そうとします。逆に女性は、雑談している状態やプロセスそれ自体を楽しんでいるのです。つまり、話している内容なんか何でもいいんですね……。 ですから、正論だと信じていることを発言したり、真剣に解決策を考えて黙ってしまったりすると、白けられたりしてしまうことがあります。ここはひとつ、うんうんとあいづちをうっておくにとどめたほうがいいかもしれません。 ☆ ☆ ☆ 上記のように、女性脳は会話を楽しむ傾向にあり、対照的に、男性脳は話の内容次第で、できるだけ無駄話をしたくない傾向にあるといえる。 だから、女性脳は、なんでも話のネタにする傾向があり、そのような会話を続ける女性をみて、男性脳からは不毛にみえる無駄話を永遠と続ける女性脳は理解不能で、かえって蔑視する傾向にある。 男性脳にとっては、解決につながらない話は無駄な浪費の何者でもない、と捉えがちである。男性脳には会話を楽しむという意識はない。会話を楽しむよりも、自分の趣味に没頭する方を優先する傾向にある。 しかし、女性脳には、男性脳には陳腐にみえる情報からも、女性特有の感性を読み取り、女性仲間のなかでの自分の立ち位置を取捨選択しているようである。 このような全く正反対の性質をもつ男性脳と女性脳では、逆転の発想の転換が必要に思われる。 女性脳は、気持ち自体が自分のものなので、問題の解決は自分でするものと割り切った気持ちが根底にあるのだろう。 男性脳は、問題が生じるのは、なんらかの矛盾があるからで、論理で解決できるものと知性を求める傾向にあるといえる。 だから、女性脳は思いやりを大切にし、男性脳は知性を大切にする傾向にあるといえるだろう。 このように陰と陽の正反対の働きの相互の調和によって物事が進行することを確認すべきだろう。思いやりと知性の両輪が働くことで、愛が生まれるのだから。
2013年02月05日
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ネットでは、どうも体罰問題だけがクローズアップされ、悪しき方向に進んでいるが、部活での体罰と、日常生活や学生の学習姿勢での体罰では、意味合いが異なるのに、体罰で一緒くたに語るところが、体罰問題への理解力の貧困さを物語っている。 まず、規則を守らないのは、社会では、違反者とみなされ、罰則が与えられることを明確にすべきである。罰則に体罰を用いるのかどうかが議論の分かれるところである。違反者本人が体罰を認めるのなら、体罰によって処罰することも止むを得ない。 つまり、規則を無視して違反ばかりする、俗にいう不良に対しての体罰と、部活での練習態度に身が入らなかった生徒での体罰では、その意味合いは180度異なる。 違反者となった本人に、理由を聞いても、なんらの反省の色がなければ、生活の監督者である親の責任となり、親の指導力が問題となるから、親を呼び出して、本人の代わりになんらかの処罰を下さないといけない。 繰り返し規則違反する者に対しては厳しい態度で臨むのは、どこの社会でも同じである。教育の場であっても、業務妨害として捉えられる。体育教師が、生活指導として、その役を担当するケースが多いのだろう。そこで、厳しい態度に体罰を含めるのかどうか、であり、保護者が体罰容認者なら、その立会いの下で、体罰を行うのなら、問題とはならないはずである。 最近の問題は、教師の指導力の欠如も問題だが、親の指導力の欠如にもある。経済が右肩上がりで育った世代の親が多いので、苦労知らずの世代ともいえる。特に団塊の世代は、自分たちの価値観を強要しようとする傾向にある。経済的地位に恵まれたのを盾にして、なかには、教師という職業を愚弄する拝金者さえいるとも聞く。 教育における、戦前と戦後の大きな違いは、教師の地位だろう。戦前は、教師は尊敬すべき職業だったが、戦後は、子どもに最も身近な職業となってしまった。戦前の教育が決してよいとはいえないが、この日本という国のために多くの尊い生命を犠牲にしていった魂に対しては、尊敬の念を禁じえない。 戦後の教育が荒んだのは、尊敬の念を若い頃の成長期に教えないことにある。だから楽して儲けようとか、インチキをして伸し上ろうとする輩の悪行が蔓延る。渡る世間は、罰当たりばかりで、神様への信仰心は皆無で、似非教祖ばかりの拝金教が流行る。 体罰を行うことで、解決できるのなら、問題にはならない。戦前の教師は、尊敬されるべき地位だったので、体罰が罷り通ったわけである。ある意味、過激な思想だが、悪いことをすれば、殺されても仕方がないくらいの愛国思想が植えつけられていたわけである。 戦前の教育は、玉木文之進が吉田松陰にした教育や、徳川斉昭が、慶喜にした過激な教育を思い起こさせる。松陰は、講義中にハエを追い払っただけで、母の前で、死ぬほど殴られたという。対して、寝相を矯正するために刃物をあてがわれた教育で有名な慶喜は、斉昭がいるときといないときで態度を180度変えたそうで、慶喜の性格が伺える。 日本の柔道には、そのような戦前の過激な思想体制が僅かながらに残っていたのだろう。それは大学の柔道部の話を聞けばよくわかる。似非右翼の思想も、この流れのなかにある。 戦前の教師の神格化は、進駐軍に木っ端微塵に破壊されてしまった。 その過激な思想体制は、経済発展とともに、占領軍に利用され、陰に隠れて歪な形となり、現代の部活での体罰として表面化してきた。柔道は、3S政策のスポーツとされ世界に紹介され広まったが、日本では、体罰だけが、戦前の思想体制として残った。 そもそも柔道は、古武術の柔術を基に発展したヨガの一形態だと、私は解釈している。「柔よく剛を制する」というのは老子の文言でもある。「虎穴にいらずんば虎子を得ず」というように、相手の懐に入って、同化することで、内側から揺さぶる。オカルトの「柔らかい波は、硬い波を砕く」の波動の力学を用いた、土台から揺さぶる地震の原理を応用した術だ。 柔道とは、相手の懐、つまり精神のなかに入って、内面から感化する術で、およそ上っ面の外面的なものではなく、体罰云々の肉体上の問題ではない。相手の霊魂に澱みがあるなら、それを肉体側から揺さぶる術なのである。 いかに体罰で、相手を誅罰しようが、精神を感応させなければ、柔道とはいえない。相手に尊敬の念を起こさせる。相手に、「参った」、「悪かった」、「済まなかった」と思わせる。相手に良心や尊敬心、神仏心や宗教心を目覚めさせることが主眼である。勝敗云々ではない。 だから、柔道は、日頃の心理戦ともいえる。あらゆる格闘技は本来は心理戦でもある。 最低限、自分のした行為が、周囲にどのような影響を与えたのか、行為の責任の所在を理解させることが必要である。社会は、大勢の人間が、様々な価値観をもって暮らす世界なのだから、秩序やルールや仕来りを守ることが、平和に暮らすために必須となる 秩序を守れる能力をもちながら、守る意志がなければ、社会不適格者となり、なんらかの保護監督下で暮らすしかない。 柔道とは、精神の教えであり、本来、体罰とはなんら関係のないもので、武士の柔の精神論から発展した武士道に近いものである。
2013年02月05日
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巷では、いまだに体罰を隠蔽しようとする姿勢があるようだ。体罰をなくすのも教育ではなかろうか? 体罰を隠蔽する姿勢がある限りは、体罰はなくならない。 たとえ体罰を伝統と置き換えて呼んだとしても、時代にそぐわない悪しき伝統は捨て去るべきであろう。そもそも、「体罰の伝統」というのはどういうことなのか? 体罰の起源は、恐らく折檻やお仕置きにあるのだろうが、折檻やお仕置きは、現代の科学的な観点からは虐待にあたる。 例えば、仮に、折檻やお仕置きを伝統としてあえて認めて、そのような体罰を容認する立場にたつとしても、他者を、その対象に曝すのは本末転倒で、容認者自身自らが受けるべきだろう。 俗に「体育会系」といわれる部活の体罰は、そのような意味で、根底に、弱いものイジメが巣食っている。ヨガの教えでは、弟子の過ちは、師匠の過ちなので、師匠自らが、過ちを罰しないといけない。だから、体罰をするとしても、師匠自らが、自身を罰しないといけない。 例えば、部活で勝負に負け、勝敗に拘るのなら、負けた責任は指導者にあるので、指導者がまず一番の責任を負わないといけない。例えば、師自らが道場や体育館を綺麗に毎日掃除するでもよいだろう。このような観点が抜けてしまっている。師匠自らが、勝負事の大事さの価値観をもつのなら、身をもって示すことが必要である。 そのような真剣な姿勢があってはじめて、弟子に対する師匠の愛を感じるはずである。自分がどれだけ身を犠牲にするか、を示さずに、他に着せるのでは、狡猾さがでる。「自分だけズルい」と弟子は心の底で思うだけである。 師匠に恥をかかせては済まないと弟子の良心に訴えかけるのが、師の指導力である。しいては、一個人の都合で、人類全体に迷惑がかかるという広い視点にまで行き渡らせられればよい。 指導不足は、そっくりそのままコミュニケ-ション不足になるので、体罰どころか、顧問失格である。本来は顧問が全ての責任を負うべきなのに、生徒にその責任を被せるのは非道というべきだろう。 巷で話題になった女子柔道の問題は、男女の考え方の違いも根底にあるだろう。一般的に、現代科学でも、男脳と、女脳の違いといわれ、根底に正反対の考え方がある。例えば、以下のサイトが参考になるので抜粋し紹介する。 ☆ ☆ ☆ 男性脳と女性脳の違い http://www.excite.co.jp/News/laurier/love/E1272451384986.html ジョン・グレイは、男女の関係について研究を重ねている博士です。彼によると、「男性脳と女性脳では働き方が異なる」とのことです。 1)男性は一度に一つのことに従事し、女性は一度に複数のことを考えること(マルチタスク)が可能 例えば、朝出かける直前にけんかをしたとします。男性は、会社に行って仕事を始めるとけんかしたことを忘れて仕事に没頭します。ランチタイムも、仕事のミーティングとなれば、家に帰るまで、けんかをしたことを忘れているのです。 一方、女性は、朝、けんかをしたことをずっと覚えています。会社に行って仕事を始めても、「彼は何であんなことをしたのかしら」「私は、どうしてこんな言葉を言ってしまったのかしら」と、頭の中をけんかのことがぐるぐると周っています。でも興味深いのは、同時に、仕事をこなしつつ、今日のランチはどこで食べようかということまでも考えられます。ランチタイムには、同僚と、朝のけんか話の相談もしつつ、友人からは結婚話と、短い間に話題が交錯しながらランチを楽しみます。家に帰れば、彼に会うなり、けんかの続きか謝るかの行動にでます。 すなわち、男性は、一度に一つのことしかできない(言葉を換えれば、一つのことのみに集中できる)と理解すれば、女性側の「どうして、彼は○○のようにしか考えられないのかしら」「なんで、謝りの連絡をしてこないのかしら」などの怒りも減りそうですね。 2)男性は、問題解決が大好き。女性は、問題を話すことが大好き 男性は、いわば消防士のように、問題が発生するとホース持って、火を止めることで満足を得ます。「緊急時」に行動をおこし、緊急事態の元を解決する「ヒーロー」になりたいのです。言い換えると、緊急事態が発生するまで、特に行動を起こさないのです。 「どうして彼は気づいて○○をしてくれないのかしら……」とため息をついている女性の皆さん、男性は緊急時というサインがなければ行動できないのです。どうしても彼に何かの行動をして欲しかったら、「緊急」サインを出すことが必要です。 一方、女性は、問題を解決するよりも、問題を話すことで満足を得ます。「井戸端会議」が存在するのは、女性の間だけの理由は、ここにあります。… そして、ここには「聞き手」が必要です。独り言ではなく、誰か聞いてくれる人の存在が大切です。女性は特に、問題解決やアドバイスは求めてはいません。話をしたいのです。 男性の皆さん、女性の話に耳を傾けて、聞いてあげましょう。 男性脳と女性脳の違いがわかると、思いの行き違いやイライラがずいぶんと減りそうですね。そして、相手への理解がさらに深まるでしょう。 「何でもいい」は何でもよくない!女性の不思議な言動を理解するコツ http://netallica.yahoo.co.jp/news/20130131-00000003-nanapi 女性脳と男性脳は構造が違うものなのです。考え方も違って、感じ方も違って、当たり前ですね。ほとんどの女性は基本的に ・感情が豊か(悪く言えば感傷的) ・臨機応変(悪く言えば気が変わりやすい) ・ストレートに表現を伝えにくい といえます。 また、ストレートに意見をぶつけることを嫌う傾向がありますので、男性の皆さん、女性の言葉を文字通りにとってはいけません。裏の意味をさぐりながら、うまく対応する必要が有るのです。これに失敗すると、怒らせたり、また「気が効かない」「空気が読めない」などと批判されてしまいます。 ■ 裏に「真意」あり!文字通りではない常套セリフ ◎ けんかした時に 明らかに自分に非がないにもかかわらず、彼女から「もうほっといて!」「勝手にして!」といわれたらどうしますか?本当にほうっておいたり、勝手にしたりしてはいけません。ますます怒りを煽るだけです。 この場合、裏の心理は >「今考えたくない、もうめんどくさいから後にして!」 というメッセージが見え隠れします。 ですから、ほとぼりが冷めるまでそっと見守りましょう。そして怒りが収まったころに、冷静に話し合いを続けるのがベストだと思います。 POINT:時間が解決! ◎ デートのときに 何が食べたい?と聞いたら、「なんでもいいよ」と答えが返ってきました。そこで「じゃあ牛丼(あるいはこってり系ラーメン)にしようか!」などと言ってはいけません。 この場合も、言葉の裏には >「(女性が楽しめるお店なら)なんでもいいよ」 という真意があるのです。 さらにこの時、「僕も何でもいいよ」と譲り合うと優柔不断・頼りないとレッテルを貼られかねません。女性の好きそうなものをいくつか挙げて、彼女に選んでもらうのが安全策でしょう。 POINT:「なんでもいい」は、なんでもよくない! ◎ 相談されたときに 「この服、この色とこの色……どっちが似合うと思う?」といったことから「転職しようと思っているんだけど……」といったことまで、女性は色々な悩みをかかえています。女性に何か相談をされたとき、自分の趣味や苦労話、経験談などを押し付けてはいけません。 実は、 >相談している時点で女性は8割方腹を決めている ものなのです。 ですので、相談された男性の役目は賛成して背中を押してあげることです(もちろん賛同しかねる場合には、ちゃんと話し合うべきですが)。決断を下す前には、誰でも不安になるもの。よく話を聞いてあげてその不安を取り除いてあげるだけで十分なのです。 ◎ 雑談しているときに 女性が一方的に話していて、それに男性が「そうかな?それはこうなんじゃないかな?」「オレの場合はさ……」などと発言して、怒りを買った経験ありませんか? 実は、このときは女性は >正論が聞きたくて話をしているのではない のです。 男性は、たとえ雑談であっても、何らかの法則や解決策を見出そうとします。逆に女性は、雑談している状態やプロセスそれ自体を楽しんでいるのです。つまり、話している内容なんか何でもいいんですね……。 ですから、正論だと信じていることを発言したり、真剣に解決策を考えて黙ってしまったりすると、白けられたりしてしまうことがあります。ここはひとつ、うんうんとあいづちをうっておくにとどめたほうがいいかもしれません。 ■ おわりに いかがでしょうか?これらはほんの一例ですが、これらの実例は著者の身の回りでもたびたび目にする・耳にするものばかりです。ぜひ、これらのことに気をつけて、女心のわかる男性になってくださいね。応援しています! ☆ ☆ ☆ というように、男女間のコミュニケーションは非常に難儀。ましてや師弟関係になると、更に複雑。男が思う「良かれ」は、女には大概は「我儘」と捉えられて当然だろう。 だからこそ、頻繁なコミュニケーションが重要となる。私観だが、欧米の女子スポーツの指導者は大概、女であることが多いように思える。男女間だと恋愛に発展する恐れもあるのかもしれないが、だからといって、同姓間でも恋愛はないとはいえないが、欧米では、徹底的な話し合いを基本としているようである。 日本には、以心伝心という伝達法もあるが、それは達人技であって、通常はコミュニケーションを頻繁にとって、精神的な成長を自主的に伝達していくべきだろう。 隠蔽などはもっての他で、巧みな責任回避である。 上に立つものが責任を負うという原則からすれば、学生が、学校で問題を起こしたら、第一に、保護者である親の指導の問題となる。最近の保護者は、子どもの学校での成績の悪さを、教師の指導不足の問題と告発はするが、子どもの家庭での学習態度を、問題とはしない。子どもを日頃から観察しないといけない。親が子どもの一番近くにいるのである。 つまり、問題をみつけたら、まず自分が先頭に立って問題を処理しないといけない。勝ちは生徒のもので、負けは指導者のものである。 古来から、「敗軍の将は、兵を語らず」ともいわれてきた。 ヨガの教えによれば、あらゆる行為は、自主的に行わないといけない。自主とは、精神が、肉体を従属させることにあたる。自主的でないと、精神が、肉体に屈する余韻となるからで、罰するには、まず自主的に罰しないといけない。 だから、ヨガの教えによれば、罰する本人に、罰を決めさせる。罰を決めるのも、本人の自由である。罰するのが嫌だ、というのなら、代わりに師自らが罰するのである。例えば、平手打ちの体罰で罰するのなら、師が殴られないといけない。 ヨガの達人なら、少々の体罰でも肉体に屈することはないからである。 だから、体罰を容認するのなら、その容認者が責任をとって、体罰で罰せられるべきなのだ。まず、その見本を示さないといけない。 キリストが「一方の頬を打たれたら、他方の頬を差し出せ」とはそういうことである。悪いことをしたということを、まず本人に自覚させないといけない。そのためには、まず指導者が身を犠牲にして、見本を示すことが大事で、キリストは人類の責任をとって指導者として磔にかかったのである。 指導者というのは、何か問題が生じたときに責任をとるから意味がある。手柄を独り占めにするためにあるのではなく、それでは本末転倒である。 勝負事に拘るのなら、負けたら辞めるしかないだろう。体罰をする前に、指導不足を感じて顧問を辞めるべきである。
2013年02月04日
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前回は、王家の紋章と、生命の樹との関係性について紹介した。そして、紋章の一角獣と獅子が、生命の樹での峻厳の柱と慈悲の柱の象徴となり、均衡の柱を支えていることを暗示した。 また、生命の樹が、アイン、アインソフ、アインソフオウルというように、三位一体の創造を基にしていることから、世の中の陰と陽と、その均衡が生じていることがわかる。 その三位一体の元が、唯一の宇宙意識のホアであり、ホアが顕現した状態をアインと呼ぶようだ。古代では、ホアは、人間にはわからない存在なので、閉じた眼で象徴化され、人間に感じ取れるようになった状態を、開いた眼で象徴化し、アインと呼んだようだ。 それでも、アインは無の意味をもつ。 このアインが、後々に、言い伝えられて、プロビデンスの目となり、誤って伝わったのがルシファーの目である。古代では、唯一の無の存在なので、「1つ目」と呼ばれた。 この1つ目が、一角獣として伝わったようである。人間でいえば、松果体にあたる。一角獣が、馬に角が生えたユニコーンとして伝わったのは、霊能者が、馬をみると、まるでユニコーンのように、馬のエーテル体がみえるからだという。 大仏の額にある白毫(びゃくごう)も、この万物を見通す角(眼)を表している。 古代人のエーテル体も、松果体のところで角が生えていたそうで、角の生えた姿は、肉体ではなく、エーテル体をみていたそうである。だから、現代人でも、心眼を獲得すれば、馬はユニコーンにみえるはずである。 人間の場合、松果体のエーテルはだんだんと肉体のなかに入ってきて、現代人はもはや角のようにはなっていないという。物質主義に進むにつれ、第3の目が退化してきたわけだ。 マンガの、ゲゲゲの鬼太郎の父の目玉親父は、この第3の目の象徴とも捉えることができる。目玉親父が、お椀のなかの湯で、お風呂につかる姿は、大本教の「円に点」のマークにもみえる。 さて、第3の目と呼ばれる額のチャクラは、第6のチャクラとも呼ばれ、2枚の花弁の白い蓮華の形に描かれるので、2本の角にもみえたに違いない。 節分の季節だが、2本の角の赤鬼は、第3の目をもった赤いオーラの持ち主ということがわかる。赤いオーラは活発さを表すので、絶ちに終えない。端的にいえば、赤鬼とは、悪徳な霊能者のことである。 死んでも悔いを残して憑依しているわけだから、悪さをするわけだ。霊能者のなかには、死後も、現界に執着があるので、他人の肉体にとりつこうとするようだ。だから、平将門の怨念や、菅原道真の怨念や、崇徳天皇の怨念などを鎮めるのが陰陽師の仕事であったわけである。 鬼(おに)は、古代ヘブライ語では、「苦しめる、厄介な」という意味で、悪霊のことを指すようである。「鬼」という言葉は、古代では、物質の塊に使われてきたようだ。 このような意味で、「鬼は外、福は内」という節分の掛け声と豆まきを考えると、面白い。鬼は、一般的に、邪気とされているが、仏教でいうところの、執着心と捉えられる。 季節の変わり目には、いままでの気持ちが残りやすく、かえってそれが新しい季節の到来の邪魔になる。そのような気持ち、執着をなくすために、豆をまくわけだが、この豆(まめ)だが、こじつけなのだが、「まに」と捉えると、フトマニのマニを連想する。 だから、福豆は、フトマニになる。古代ヘブライ語では、マニは、「神の言葉」という意味をもつようだ。フトは、英語のPUTの語源で、「置く、受ける」という意味をもつそうである。ちなみに、マニは、英語のマニフェストの語源で、「明らかにする」という意味をもつ。 フトマニは、前回紹介した、元素の周期表にも似ている、以下のものである。 恐らく、邪気の鬼に対しては、フトマニの神の言葉を降ろし、発音することで、邪気を退散せしめよ、という意味が、節分の豆まきに込められているのだろう。恐らく、空海あたりの密教者がはじめたのだろう。 だから、「オニハソト フクハウチ」を以下のフトマニの発音と対比させると、フトマニの意味がわかるかもしれない。空海の真言宗にも関係するのではなかろうか? このフトマニ、生命の樹となんらかのつながりがあるように思われる。古代人は、生命の樹で、神々と交信していたが、生命の樹の知識が失われるにつれ、話せなくなっていった。仏教の曼荼羅図は、このフトマニを基にしているようにもみえる。 また、元素の周期律表を、生命の樹と捉えると、面白い。
2013年02月01日
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前回からの続きで、皇室に関係する、一角獣と獅子の紋章の比較を、あるサイトから抜粋して紹介する。 ☆ ☆ ☆ 天皇家の紋章に覧る獅子と一角獣 http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=366 (更にロスチャイルド家の紋章を並べるとややこしくなるのでこの二つにて) ■日本皇室紋章(左側) ・吠えた(口を開けた)一角獣が向かって左に位置し“自由の身”である ・中央上部のカゴメ紋形状の王冠に鎮座するのは一角獣である ・中央の盾には十六菊花紋(十六八重菊)と12頭の幼獅子 ■イギリス王室紋章(右側) ・吠えた(口を開けた)獅子が向かって左に位置し、右の一角獣は鎖に繋がれている ・中央上部のクラウンに乗るのは王冠を被った獅子である ・中央の盾は4分割、イングランドの紋章(3匹の獅子)が2つ、 アイルランドの紋章(弦鳴楽器ハープ)、スコットランドの紋章(立ち上がる獅子) ※スコットランドの象徴はユニコーンである 百獣の王であるライオンに唯一立ち向かえると言われたユニコーン 「私は自ら泳ぐ」とノアの方舟に乗り込むのを拒んだ孤高の存在 王と玉のような感じなのでしょうか 二つの紋章の相違から察するに、口を開いた神獣の優位性が伺えます そこを踏まえた上での、日本人にはとても身近な存在がもたらす混乱がこれ (「狛犬について私が知ってる2,3の事柄」より引用) 狛犬ですね、正確には「獅子狛犬」と言います 一般的なその定義は、向かって右側に位置し角がなく口が開いているものを 「阿形(あぎょう)」と呼び、左側に位置し角が1本で口が閉じているものを 「吽形(うんぎょう)」です、二つ合わせて「阿吽(あうん)の呼吸」です ※上記写真は左右逆転してます ~阿吽(あうん)~ (1)密教で、宇宙の初めと究極。万物の根元と、宇宙が最終的に具現する智徳。悟りを求める菩提心と、到達する涅槃(ねはん)。 (2)寺院の山門の左右にある仁王や狛犬(こまいぬ)の相。一方は口を開き、一方は口を閉じる。 (3)吐く息と吸う息。呼吸。阿吽の呼吸。 (4)対立する二つのもの。 対立する獅子と一角獣の立ち位置と優位性が、時の支配者や場所場所によって 入れ替わり立ち替わり状態ですが、ライオン(獅子)とは何か? ユニコーン(一角獣)とは何か?知れば知るほど己の無知を知る訳です ☆ ☆ ☆ 以上のように、一角獣と獅子の紋章が、神社の狛犬と関係し、阿吽の呼吸につながることがわかる。阿吽の呼吸は、ヨガでは有名な、3つの音、「あ」と「う」と「ん」を意味する。 「あ」の音は、「あぁ、暑い」というように、身体を冷却し、アルカリ性に導く働きがあるようで、「う」の音は、「うぅ、寒い」というように、身体を温め、酸性に導く働きがあるようで、「ん」は、「ん~」というように重い荷物を持ち上げたり、踏ん張るときに全身に力を漲らせる働きがあるようなことがヨガではいわれている。 そこで、オカルトの知識をかりると、阿吽の狛犬は、なんらかの言葉を表すものであることに気づかされる。 狛犬が言葉を表す、ということから、狛犬の源流の「スフィンクスの謎かけ」を連想する。スフィンクスの謎かけは、「朝は足が四本あって、昼になると二本の足となり、 夜には三本足となるものとは何か?」で、その答えは、「人間」だが、シュタイナーによれば、この謎かけは、人間が足腰から老いることも意味している、と述べている。 この謎かけは、なんらかの合言葉になっているように感じられる。 上記に紹介した例の紋章を眺めていると、オカルティストなら、生命の樹を思い浮かべるだろう。そこで、生命の樹と紋章を比較する。 シュタイナーによれば、生命の樹は、霊界と交信するための言語の一覧表だったそうである。だから、阿吽の呼吸を表す、一角獣と獅子は、峻厳の柱と、慈悲の柱に置き換えられるのではないか、と思う。 また、オカルトでは、一角獣が月を表し、獅子が太陽を表すので、月が峻厳の柱で、太陽が慈悲の柱を表すのだろう。生命の樹は、人間を表すので、スフィンクスの謎かけの答えにもなっている。 中央の均衡の柱が、人間の脊柱で、32~34個の骨からなる。秘密結社の位階が32~34なのは、この背骨の数を元にしていることは以前紹介した。生命の樹は、10のセフィロト(ダアトを入れると11)と22のパスからなるので、あわせて32~33の段階がある。 生命の樹は、人間が、一種の楽器であることを悟らせてくれる。言葉は、音によって経験を色づけしたものである。 王の紋章が、お互い似ているのも、古代の言語が、霊界の言葉に対応し、創造の言葉であったことが、生命の樹から明らかになる。しかし、もはやそのような知識はなく、言葉の背後で、神々が働いてくれていることを忘れてしまっているのが現代人である。 オカルティストなら、例えば、スフィンクスの謎かけの「朝は足が四本あって、昼になると二本の足となり、 夜には三本足となるものとは何か?」は、 生まれたときの本来の姿は、霊(自我)、魂(アストラル)、幽(エーテル)、肉体の4つの体だが、この世の物質界に夢中になっている姿は、幽(エーテル)、肉体の2つの体になり、死んであの世にいくときには、肉体を失うので、他の3つの体になる、というようにも捉えられる。 スフィンクスの正体は、人間本来の自由意志を、物質的制約から肉体が絞めつけることで、人間がつくりあげたイメージなので、死んで肉体を失うと、消滅するものだが、二本の足で立ち続ける者は、肉体とともに殺されてしまうわけである。 この二本の足は、陰陽にもかかっていて、その均衡がないと滅ぶという、なにやら教訓めいたものにもなっていて面白い。
2013年02月01日
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