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お寺は栄えて神社はピンチ…少子高齢化の関係でこんなことを言う人がいる。日本の宗教は、誕生、成長、結婚と生にかかわる分野は神道、葬儀や法事など死にかかわる分野は仏教がうけもつことによって、長いこと共存共栄を図ってきた。いや、それどころか日本に仏教が根付いた理由自体が、神道では空白となっていた死に関する儀礼をとりあげたことにあるのかもしれない。これから結婚や誕生は減っていくが、なくなる人は確実に増えていく。だからお寺と葬儀屋の需要は増すばかりということらしい。※しかし本当にそうなのだろうか。日本社会の変容は少子高齢化だけではない。農村の荒廃や家業の衰退を背景とした共同体的なものの消滅というのも、また大きな変化ではないか。子供の誕生を喜び成長を願う親の情は変わらない。今年も七五三になれば、あちこちの神社が賑わうことだろう。それに比べると葬儀や仏事というのはちょっと違うように思う。もちろん親の死を悼む心情は変わらなくても、親族単位の仏事というのはずいぶんすたれたように思う。何回忌というのも、親族が集まらなくとも、ごく近い家族だけで故人をしのんで会食するような形が増えているのではないか。平均寿命が伸び、なくなる頃には引退してかなりになる例が多いことも、葬儀の簡素化に拍車をかけている。葬儀となれば、会社の若い人が手伝いに行き、忌引きがあければ会社中を香典や弔電をくれたひとにお礼にまわる。こんな光景もすっかりみなくなったようだ。※私自身も父の葬儀は職場には特に知らせなかったし、一周忌も兄弟だけですませた。父の場合、近所の寺に菩提寺なってもらったが、都市化と人口移動によって地域の寺とも縁をもたない人も増えてくるだろう。お経をあげるのだって、縁もゆかりもないお坊さんよりは自分で心をこめてあげた方がよいのではないか。戒名だって自分でつけることが法で禁止されているわけでもない。葬儀の寺ばなれだって、案外この先おきるかもしれないのである。
2006年10月31日
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空襲被害について国を提訴するという動きがあるらしい。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061019-00000058-mailo-l13戦没者に比べて空襲被害者は冷遇されているという。その気持ちは分かる。でもやはり「国のため」戦地にかりだされた人間と国内に残って空襲被害にあった人間とでは国家の補償というのは違って当然なのではないのだろうか。それに市街地空襲は当時も国際法違反だったわけで、だとすれば訴える相手は日本ではなく米国になるのではないかという疑問もわく。
2006年10月30日
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つねづね不思議に思っているのは「教育論議」の中で理念や制度については大いに語られていても教科毎の議論というのはほとんどなされていないことである。せいぜい英語教育をいつから始めるかということくらいか…。しかし、もしかしたら学校教育には各教科毎の目的というのがあって、本当はそうした教科毎の議論がもっとあってよい。才能の発掘なのかレベルの底上げなのか、たぶんそれだって教科毎にウェイトは違うのだろうが、あまりそうしたことをいう人はいない。また、教科の内容も適時に教えなければ効果のないものとそうでもないもの、学校でしか学べないものとそうでもないものとがある。人生に必要にことは多々あるけど、だからといって、それを何でも学校の教育の中にぶちこめばよいというわけでもない。世界史の必修の件も誰かが今日の国際情勢を理解するには世界史の知識が必須ということをいったのがきっかけらしいが、これなどは現場を知らない発言としか思えない。世界史は古代オリエント、ギリシャ、ローマ、西欧と舞台がめまぐるしく移り、その中で細切れの知識をつめこむ暗記科目にならざるをえず、高校生に対する負担は相当なものである。興味を持つ人物や時代についての副読本を読むのは勉強ではなく、趣味の領域であろう。たとえ国際情勢を理解するのに世界史の知識が必要だとしても、それは大人になってからマスコミや書物を読むことで十分に補えるのではないか。今回の履修もれの対策とは別に、そもそも高校の世界史を必修にする必要があったのか大いに疑問である。そしてまた今回の件では気になることがある。問題とされたのは、なぜ公立高校ばかりなのであろうか。進学をうりにしている私立高校では本当に世界史を真面目にやっているのであろうか。というのは、そうした私立高校では指導要領を無視して進学に特化した授業を行っているという話を、いぜん聞いたことがあるからである。受験で人生のどの程度が決まるのかはともかく、私立の進学高にいないと、難関大学は入りにくいという状況になったら、それはそれで問題なのではないのだろうか。
2006年10月29日
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数学は科学の女王という言葉がある。そしてまた一方で数学は科学の奴隷という言葉もある。女王と奴隷…全く別のイメージであるが、そのどちらの言葉も真実をついているのだろう。その数学の中で、世にも美しくて役にたたない女王様の見本みたいな分野が数論(これも最近では暗号作成や解読の役にたっている)だとするなら、科学の奴隷、科学の僕という言葉に最もぴったりくる分野の最たるものは数理統計の分野だろう。そのせいなのだろうか。統計といえば中学でもいつも教科書の最後だし、入試でもほとんど出題されないなど冷遇が目立つようである。※でもよく考えてみればこの分野こそ数学の中で、万人向けに重要な分野なのかもしれない。自然科学だけではない。医療、マーケティング、社会科学、心理学、そして文学研究や犯罪捜査においてさえも、今やこの分野の知識が不可欠となっている。例えば文学研究で宇治十帖が本当に紫式部によって書かれたのかとか「静かなドン」の盗作疑惑は本当かなどは文体を統計的に解析しないとわからない。自然界の様々な事象は正規分布曲線という不思議な釣鐘型の曲線であらわせる。これは天才ガウスが天体観測の誤差から発見したものでガウス曲線ともいわれるのだが、このすごいところは5%以下の確率でしか起こりえない範囲とか1%以下の確率でしか起こり得ない範囲をいうのを数式を使って計算できることである。そしてさらにすごいところは、正規分布とは関係ない事象であっても多くの対象を調査し、その平均や合計をとっていくと必ず正規分布曲線に近づいていくということである。例えばサイコロの目は同じ確率で1から6まででるが、毎日サイコロを100回ふってその合計を記録していったらどうなるのだろうか。やはり350あたりを頂点とする山を描いていくことだろう。※この正規分布曲線は山の傾きが一様ではなく、標準偏差を越えたあたりでどっと確率、つまり山の高さがひくくなる。早い話、標準偏差を二つ分こえると確率は5%、三つ分越えると1000分の1に落ちてしまう。試験でいえば偏差値70点代とか20点代はなかなかいないし、ましてや80点代、20点代というのはきわめて稀なゆえんである。日常用語では万一というが、統計では3σつまり標準偏差三つ分、1000に3つというのがひとつの目安となる。人文科学や犯罪捜査、医療などあやゆる分野に下支えとして奉仕するという意味では数理統計はたしかに科学の僕ではあるが、その反面、神の気まぐれのような確率論を応用して使いこなし、それを様々な推測に役立てているわけだから、本当はこれこそが科学の女神という領域なのかもしれない。
2006年10月28日
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前回の自民圧勝の総選挙の時、こんな経験をした。投票日の何日か前にタクシーに乗ったときのこと、雑談は次第に選挙の話題に移っていったのだが、このとき運転手さんがこんなことを言っていた。「人間だから人の庭に蔵がたっちゃうと面白くないんだよね」と。彼はどうやら郵便局の職員が税金で楽で安定した暮しをしているらしいのが腹に据えかねているようだった。郵便局職員の実態がどういうものかは私もよくは知らない。けれどもマスコミでさんざん公務員の特権的で優雅な生活が喧伝され、役場の会議の弁当が700円もするのはけしからんとか、職員用のトイレにウォシュレットがあるのは許せないとか、そんなことまで記事になる時代である。運転手さんが公務員をどういう目でみているかはだいたい想像がつく。郵便局員はなんてったって身近な国家公務員だ。そして警察官や消防署職員は大変そうだが、郵便局員は楽そうだ。そんな印象を持つ人がいても不思議ではない。前回の総選挙での自民党圧勝の原因…それは別に「改革路線」が国民の支持を得たわけではない。たぶん郵便局員をスケープゴートにして国民の嫉妬心に火をつける戦略が成功したのだろう。※もしかしたら、柳の下にもう一度とばかり、安倍総理も同じようなことを考えているのかもしれない。あの「教育改革論議」の中の教員任期制の議論がそれである。教員も郵便局員同様、一般の市民からみたら恵まれた公務員にみえることだろう。また、子供の教育などを通じて教師に不満を持っている人も多い。これを争点にすえれば、たしかに票は集まるかもしれないが、ちょっと考えてみてほしい。裁判官も任期制ではあるが、法曹資格のある裁判官と教員とは話がまるで違う。30何歳や40何歳かでクビになるかもしれないような職場に人材が集まるだろうか。教員任期制の唯一確実に予測できる結果は、たぶん公教育の壊滅的なレベルダウンである。それにまた任期を更新しないような問題教師をいったいどんな基準で選ぶのか。それがはっきりしない限り、教員は「問題」にされるのを怖れて萎縮し、ひたすら無難な授業を行なうことにせいをだすことだろう。今までだって、さして問題とも言えないような教師の言動が新聞でたたかれたのをみたことがあるのだから。例えば、こんな事例である。1 模造刀をふりまわして蝦蟇の油売りのかくし芸を披露した教師2 算数の試験問題に「どろぼうが〇個盗んで…」という問題を作った教師3 ドレミの歌の替え歌で昔から子供が歌っていた「ドはドクロのド~」というのを教えた教師3は悪趣味ではあるが、これくらいならまあ「面白い先生」の範疇のうちだろう。2は古来日本の算術には「盗人算」とか「継子抜き」とかがある。1にいたっては、なぜ問題なのかさっぱりわからない。そしてまた本当にけしからん教師であれば、今だって懲戒免職や分限免職の制度を活用することで、教壇から排除することができる。※「公務員」に対する嫉妬をあおるのはよいが、なにやら叩きやすいところばかりが叩かれている気もする。外交官は高給のうえに配偶者にまで高額の手当てがつき、一度大使をやれば都内に家が建つというのは有名な話である。ところでこんな外交官の優雅な待遇を番組で批判的に取り上げたところ、その某テレビ局や系列の新聞社が、さっそく外務省の取材から閉め出されているという。外務官僚など本当に税金で特権的な生活を享受している部分は不問に付されたまま、郵便局員だとか小中学校の教師とか市井で真面目にささやかに暮している公務員ばかりがバッシングされるのは、どうもわりきれない感じがする。
2006年10月27日
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教育再生会議で「いじめ」の問題をとりあげるという。…なんか違うんだなあ。全生活を管理している幼稚園じゃあるまいし、中学生が他の中学生をいじめたからといって、それって学校の責任なのだろうか。まるでいじめた奴が悪いのではなく、学校が悪い、教師が悪いというのじゃ、一頃、少年犯罪が起きると何が何でも社会が悪いといっていたのと同工異曲ではないか。すぐに学校の責任を追及し、教師を袋叩きにするもんだから、逆に学校はいじめがあってもかくそうとする。でも、中学生にもなりゃあ事の善悪など本人が一番わかっているはず。いじめはそりゃあいじめた奴が一番悪い。いじめを「教育問題」にして、学校がどうとか教師がどうとかいうから、逆にいじめた奴のい責任がぼけてしまう。いじめを教育問題からはずすこと。これがなによりもいじめの特効薬ではないか。※恐喝、傷害、猥褻などは、被害にあったらまず警察に相談する。警察もそうした相談にきちんと対応する。これこそがまず第一で、教育問題の中でいじめの議論をしたところで、100年たったって問題は解決しない。あのいじめ自殺なども、いじめグループはかなり執拗で下着まで脱がせるようなことをやっていたそうである。早期に警察に相談した方がよかったのかもしれない。そしてまた、犯罪にはならなくても、すれすれのような行為については民事責任追求という手もある。警察による毅然とした処理と加害者への損害賠償請求。まずここから始めるべきではないか。余計なお世話かもしれないが、いじめ自殺で子供をなくされた親御さんにはぜひ加害生徒に対する民事賠償請求を考慮してほしい。※「さまよう刃」(東野圭吾)を読んだ。少年法(まあ、個人的にはクソガキ愛護法とよびたいのだが)の問題をえぐった力作でぜひ多くの人に読んで欲しいと思う。少年法に正義はない。教育改革では規範意識の醸成をテーマにするというが、本当に子供達に規範意識を植え付けるつもりなら教育基本法をいじくるよりも少年法の撤廃改正の方が焦眉の急ではないかという気がする。人の生命を奪ったり、深い傷を負わせても、口をぬぐって幸福になることを保障してやる法律…そんな法律がなぜ存在しているのだろう。不正義な法律を放置したまま、いくら子供に規範意識をといても虚しい限りである。
2006年10月26日
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教育再生会議で「いじめ」の問題をとりあげるという。…なんか違うんだなあ。全生活を管理している幼稚園じゃあるまいし、中学生が他の中学生をいじめたからといって、学校の責任なのだろうか。まるでいじめた奴が悪いのではなく、学校が悪い、教師が悪いというのじゃ、一頃流行った少年犯罪が起きると何が何でも社会が悪いというのと同工異曲ではないか。すぐに学校の責任を追及し、教師を袋叩きにするもんだから、逆に学校はいじめがあってもかくそうとするのではないか。中学生にもなりゃあ事の善悪など本人が一番わかっているはず。いじめはそりゃあいじめた奴が一番悪い。いじめを「教育問題」からはずすこと。これがなによりもいじめの特効薬ではないか。※恐喝、傷害、猥褻などは、被害にあったらまず警察に相談すること。警察もそうした相談にきちんと対応すること。これこそがまず第一で、学校がどうの、教育がどうのという議論をしたところで、100年たったっていじめの問題は解決しない。あのいじめ自殺なども、いじめグループはかなり執拗で下着まで脱がせるようなことをやっていたらしいから、警察に相談した方がよかったのかもしれない。そしてまた、犯罪にはならなくても、すれすれのような行為については民事責任追求という手もある。警察による犯罪としての処理と加害者への損害賠償請求。まずここから始めるべきではないか。余計なお世話かもしれないが、いじめ自殺で子供をなくされた親御さんにはぜひ加害生徒に対する民事賠償請求を考慮してほしい。※「さまよう刃」(東野圭吾)を読んだ。少年法(まあ、個人的にはクソガキ愛護法とよびたいのだが)の問題をえぐった力作でぜひ多くの人に読んで欲しいと思う。教育改革では規範意識の醸成をテーマにするというが、本当に子供達に規範意識を植え付けるつもりなら教育基本法をいじくるよりも少年法の撤廃改正の方が焦眉の急ではないかという気がする。人の生命を奪ったり、深い傷を負わせても、口をぬぐって幸福になることを保障してやる法律…そんな法律に正義はない。そしてそんな不正義な法律を放置したまま、いくら子供に規範意識をといても虚しい限りである。
2006年10月26日
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今時さすがに「北朝鮮の飢えた子供達がかわいそうだから日本は北朝鮮を支援すべきだ」とか「昔、朝鮮半島の人々に酷いことをしたのだから拉致事件で騒ぐのはおかしい」とかいったトンチなことをいう人は少なくなったが、かわりにでてきた議論がある。それは北朝鮮が崩壊すれば日本に何十万人もの難民が押し寄せるという議論だ。中には難民は武装難民でそれによって日本社会は大混乱に陥るということをいう人もいる。本当なのだろうか。そのあたりの検証もされないまま、漠然と北朝鮮崩壊イコール大量難民の襲来、社会大混乱という図式が定着してしまうのも変である。そこでこの難民襲来論について疑問に思うことをあげてみる。※あの工作船でさえそれなりの装備を備えていたのに、普通の難民がどうやって日本海を越えるのだろうか。経済がまだよかった時代はともかく、今の北朝鮮は重油も資材も逼迫している。そんな中で多くの船が日本海に浮かぶなんてことは考えられない。そういえばプサンの先まで戦火につつまれた朝鮮動乱のときでさえ、故郷に帰りそびれた人達はいたかもしれないが、向こうから船を浮かべて逃げてきたという人はほとんどいない。次にあの北朝鮮の人々の支援が国際的な大問題となったとしても、まず手をさしのべるのは同胞国家の韓国ではないか。崩壊後のシナリオは不確定な部分が多く、超大国がのりだすかもしれないし、国連や多国籍軍による統治が行なわれるかもしれないが、後者の場合にも日本は極力関与しない方がよいのではないか。半島との間には複雑な感情問題もある。極力半島にはかかわるなというのが、近代日本が歴史を通じて学んだ教訓だったはずである。※韓国がそれこそ吸収合併という窮極の負担をおそれて北朝鮮を必死に支援するのはわからないでもない。そして、その列に日本を参加させたい人が今度は難民襲来論を唱えているのではないのだろうか。その人達の正体は何か。それはもちろん最初の小泉訪朝の際に北朝鮮との「国交正常化」を後押しした人達と同様なのではないか。北朝鮮と国交をむすび支援するとなれば何兆もの金が税金から支払われる。それとともに膨大な利権が発生するわけで、それをみこして蠢く勢力があってもなんら不思議ではない。
2006年10月25日
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中学生がいじめられ自殺した事件でいじめグループの少年は「先生がからかっているから、いじめてもよいと思っていた」といっているという。なるほど。今、非難の矢面にたっている先生を持ち出せば自らへの非難は回避できるとみたわけか。他のところへは知恵のまわらないクソガキでも、こういうところには驚くほど知恵がはたらく。※「さまよう刃」(東野圭吾)をよんだ。非行少年グループに殺害された娘の復讐のために犯人の少年を殺していく父親の物語だが、この父親の行動には多くの人が共感するのではないか。今の少年法は犯人を処罰するためではなく、むしろ犯人を保護するために作用している。そしてそんな少年法の甘さは、犯罪少年の側にも、実際以上に誇張され認識されているようだ。「少年だからたいしたことにはならないと思った」と名古屋アベック殺害事件の少年は法廷で語った。「今度は長くなりそうだから国家試験の参考書でもさしいれて」と市川一家4人殺害の少年は母親に語った。今度のいじめ自殺事件のいじめっ子少年も、自分達のやっていることが刑事犯罪までにはたぶんならないこと(報道でみるかぎりはズボンをむりやりおろしたあたりで「強制猥褻」くらいか)、なったとしてもその処罰は極めて軽いものであろうことを知り尽くしていたようである。※もし、本気で規範意識の醸成を教育改革の眼目にするのであれば、教育基本法よりも、まず改正すべきは少年法ではないか。いや、もしかしたら愛国心醸成のためにも、少年法の改正もしくは撤廃は必要かもしれない。だいたい自分や家族が重大な犯罪被害をうけてもその犯人を十分に罰することができないような国をどうして信頼し愛することができるであろうか。佐世保市の同級生殺害事件の際、教師は「犯人の少女をだきしめてあげたい」とか「友達に犯人なんていう言葉をつかうな」とかずいぶんトンチなことを言っていたようだが、こうした対応についてある子供が「どうして学校は悪い子ばかりかばうの。〇〇ちゃんは死んじゃったのに」といっていたそうである。子供達に国家を愛し、法制度を信頼することを教えたいのなら、まず悪い子ばかりを守る少年法を撤廃あるいは改正すべきであろう。
2006年10月24日
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11年ほど前に世間を騒がしたサリン教団のテロ事件で、ワイドショーをにぎわした幹部の面々の風貌を見て思ったことがある。教祖は全く別なのだが、この教団の幹部ってどうして皆同じタイプばかりなのだろうか。いわゆるクレッチマーの性格分類でいうところの分裂気質の内向型。宗教でも政治思想でも、そうしたものにのめりこむのは大抵がこのタイプだ。清濁併せ呑むような政治家にはあまりこうしたタイプはいないのだが、それでも政界にだって全くこういうのがいないわけではない。まあ、公人でもあるし伏字にしてもしょうがないので名前をだすけど民主党の鳩山議員なども、このタイプの典型ではないのだろうか。補選の結果を受けて鳩山氏は核保有議論に対する批判が浸透しなかったことが敗因のようなことをいっていたが、実態は全く逆であろう。ありていにいえば、核保有についての議論をすること自体を与党の失策のように非難する民主党の姿勢に有権者はあやうさを感じたのである。核保有の是非にはいろいろな議論があるが、議論をすること自体を封殺するような状況ではないと、今や多くの人が思っているのではないか。理想に溺れ、現実をみない政治家というのは、あぶなっかしくてしかたがない。※ネットでは言い古されたことだが、「美しい国」を逆から読むと「にくくて苦痛」になるという。格差を放置助長する政策には問題が多いが、だからといって「にくくて苦痛」だから「美しい国」は弱者切り捨てと読むのは面白すぎる。発音の単純な日本語には多くの同音異義語があるし、それとともに回文もつくりやすい。逆から読んでも、美しい国、憎くて苦痛。死にたくなるよ夜なくタニシ。それに回文じゃないけど、「美しい国」を入れ替えて、「土筆にウグイ」といえば食べ合わせみたいだし、「石にくっつく、う!」とすればナンセンス、「肉食うシーツ」とすればシュールと、いろいろと作れるのだから。
2006年10月23日
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中国のチベット人少年銃殺の画像はここからも見られる(本日付の書き込みにリンクあり)。http://8201.teacup.com/bluestars777/bbs中国が人権抑圧国家ということは、なにも耳新しい話ではない。あの中国から来た「人体の不思議展」でも、あの「標本」は生きたまま加工されたのだろうという気分の悪くなるような話もある。たしかそんなブログをrakutenで読んだのだが場所がちょっとわからない。それはともかくとして、世界は何も「平和を愛する諸国民」ばかりではない。圧政国家や人権抑圧国家の支配下に落ちた人々がどんな目にあうかよく考えるのにはあれこそまさに絶好の映像であろう。近隣の軍事独裁国家が核兵器を持っても、核保有の議論自体を目をむいて非難するような眠たい対応ばかりしていると、それこそ将来は、犬のように銃殺されたり、標本にされて世界中でさらしものにされちゃうかもしれないよ。※北朝鮮は世界でも最悪の人権抑圧国家だが、それをささえているのもやはり人権抑圧国家の中国。そして同胞国家の韓国。北朝鮮のマツタケだって高値で韓国に売られ、それをまた日本が買っているという話もある。そんな韓国でずっと太陽政策をやってきた人物がなぜ国連事務総長なのだろうか。さっぱりわからない話であるが、国際社会はそれだけ複雑怪奇ということなのだろう。※で、世界の関心は、いよいよ瀬戸際にきた北朝鮮。それも「平和と安定の維持」とかいってあの体制をいかにささえるかよりも、いかにしたら暴発を防ぐかに移ってきているように思う。暴発を防ぐといっても、まあアイディアというほどのものでもないのだが、いっそキムさんを日本に亡命させたらどうなのだろうか。もちろん生涯の贅沢と安全は保障するという条件で。そして北海道の原野に広大な招待所ならぬ北朝鮮村を作るのである。そこであのおなじみになったチマチョゴリの絶叫おばさんも一緒に様々なイベントに協力してもらう。ポーランドでも社会主義体験ツアーというんがあって、秘密警察の踏み込み捜査などのどっきり企画もあるというが、何しろこれはホンモノ、迫力が違う。出し物や展示は、強制収容所の再現とか蝋人形の公開処刑場面とか。苦難の行軍体験コース兼メタボリック対策断食道場なんてのもよい。そしてまた〇万円だせば、あなたを歓迎する名前入りのマスゲームをやってもらえますとかいえば、けっこう世界中から観光客が来て地域振興にもなり、金がおちるのではないか。なんてことを考えたが…まあ、無理か?
2006年10月22日
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どうも人間というものはやっかいなもので、集団の中の誰かを仲間はずれにして互いの連帯を確認したり、高圧的態度をとって落ち込む様子を見てつかの間の優越感を感じたりという心情があるようである。かくいう私にしても今まで全くそうしたことをしなかったかというと、ちょっと自信がない。「いじめ」は人間の本性なんていうつもりはないが、人間集団のあるところ、なんらかの「いじめ」があるというのも、また実態ではないか。※そしてこの「いじめ」、どういう場合に現れやすいかというと、いくつかの法則があるようである。1 立場の同じ人よりも異なる人の間で起こりやすい。2 「いじめ」に対してペナルティーのない状況で大きくなりやすい。はやい話、職場を思い出してみればよい。採用状況や背景についての嫉妬や蔑視、そうしたものがけっこう「いじめ」の背景になっているのではないか。そしてまた、同じ職場で今後もずっと共に働くことが予想される状況ではいじめにセーブがかかりやすいが、いじめたことが人事上の処遇などにマイナスにならなければ、いじめはどんどんと大きくなっていく。そういう意味で、今、中学校のいじめが問題になっているが、公立中学というのはまさにいじめが発生する好条件をそなえているのである。まず、出自、能力、背景等であれほど多様な人間が一つ所にいるという集団は公立中学以外にはない。さらに思春期という年代が、成長の個人差もあって、その多様性に輪をかけている。そしてまたペナルティーという意味でも、退学や休学という制度のない公立中学はペナルティーなどないに等しい。※つまり何がいいたいかというと、「いじめ」という言葉に悪口や仲間はずれ、ちょっとした暴言までも含ませるのだとしたら、そうした「いじめ」をなくすのは不可能であろう。そんないじめなら職員室の中や父兄同士にだってある。大人でさえもできないことを、子供に期待するなんて無理な話である。極力、いじめをなくす方に向けて学級運営などに心をくばることは重要だが、そうした「いじめ」に対する対策として、何より重要なのは、集団になじめない子供、集団の中で居場所のない子供に逃場を用意することではないか。クラブ活動を必修にしたり、友達同士の班研究を授業に取り入れたりすることが、友達作りの苦手な子供にはどれほどプレッシャーになることか。社会性を身につける努力は行なわなければならないが、教師のめのとどく休憩室や図書室を開放するなど、周囲のいやがらせや悪口にわずらわされずに学校生活をおくれるようにすることも必要である。それにまた、いじめは何も中学生だけの問題ではない。フリーターや派遣社員に対する職場のいじめなどにも深刻なものがあるのではないか。※10何年か前、愛知県の中学生がいじめを苦に自殺をしたことがあった。100万円を越える恐喝金額、執拗な暴行や傷害行為など、これこそまさに典型的な少年犯罪であって、これを「いじめ」とよぶこと自体に非常に違和感があった。それに比べると今、問題になっている「いじめ」は自殺という結果は深刻だが、ちょっと性格が違うように思う。教師の言動をあげつらっての学校批判、教育批判が本当によいのかどうか、どうもよくわからない。それにまたあのシュレッダー事故のニュースがさかんに報道されたことが経済産業省による規制強化の地ならしになったように、いじめで自殺した子供のニュースがさかんに報じられることって、なにか政府による教育改革論議の露払いになっているのではないか。
2006年10月21日
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いじめ自殺の問題で教師がサンドバッグのように叩かれているわけだけれども、その蔭で一番ほっとしているのは当のいじめをやった奴らなんだろうなあ。もしかして「俺達もあの教師にあんなこと、こんなこと言われたんだ。俺達も被害者だ」なんて思っていたりして。※教育再生会議もこのいじめの問題をとりあげるそうだけれども、いじめって本当に教育の問題なんだろうか。・・・というよりも「教育の問題」にしている限り「いじめ」はなくなんないんじゃないか。今度の事件はいまいちわかんないが、昔、愛知の中学生が自殺した事件、あれなんか暴行、恐喝、器物損壊といった典型的な集団少年犯罪事件なのに、それを先生が謝って、やれ学校が悪いだの、教育が悪いだのって議論をしている光景は異様としかいいようがなかった。あれじゃあ、学校という柵の中では、何をやったって、悪いのは先生や教育で俺っちは悪くないんだなあと思う輩がいたって不思議ではない。いじめ対策の第一歩は、まず「いじめ」という言葉の見なおしをすること。中学生になれば、きちんと「恐喝」、「強制猥褻」、「障害」といった言葉でよぶこと。そして教師ではなく、まずそうした行為を行なった犯罪少年の責任を追及することではないか。スクールカウンセラーをおいて、いじめられっ子をなだめるのではなく、警察OBを派遣して随時、「校内犯罪被害者相談」を行なえばどうか。そして悪がきにはきちんとした刑事責任と親にはきちんとした民事賠償責任をとらせること。学校が悪うございましたと先生が謝っているだけでは、「いじめ」はますます助長されるだけだ。※ただ、今回のケースは教師にも不適切な言動があり、「いじめ」の内容も犯罪にするほどのものかちょっと微妙なところがある。その意味では、まあ、学校の責任も追及されても仕方のない面もあるのかもしれないが、全国何万もいる教師の中にはいろんな人がいるし、同じ言葉でもいろんな受け取り方もある。犯罪にならないタイプのいじめ、つまり悪口やいじわるの類は、大人社会にもある。こうしたタイプについての処方箋は、たぶん集団になじめない子供に逃場や学校内での居場所を与えることではないのではないか。
2006年10月20日
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なんかうそっぽさばかりが先に立って、なつかしさとか情感はあまり感じなかった。いかにもセットという街並みやCGといった風景もさることながら、一番の原因は六子ちゃんにあるようだ。原作では男の子だった六さんを映画では女の子にしたのだが、あの時代としてはそれはないんじゃないのといいたい。なにしろあの頃って、勤人の女の子は結婚すればやめるのは当然だったし、結婚しなくたって若年定年制をおいている企業も多かった。もちろん当時だって結婚した女性が働いていなかったわけではない。農家や商家などでは妻が働くのは当然だったし、都市でも家で和裁や洋裁をやっている主婦はいた。でも、ぎりぎりの経営をしている町工場が少女に技術を教えて戦力として育てるなんて想像もできなかったのではないか。いや、あの時代だけではない。もしかしたら今だってああいう町工場などの職人の世界は一番、少女達に門をとざしている世界なのかもしれないけどね。それにまた、六子ちゃんが、一平君のお母さんともども妙にこぎれいなのも、ありえない。いやこぎれいなのは女性だけではない。子供達も妙にきれいできちんとしている。あの時代の子供って、もっとなんかどろんこだったり、鼻たらしていたり、けっこうきたなかったのではないか。
2006年10月19日
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中川氏の核保有に関する発言が議論をよんでいるらしい。中川氏はべつに核保有をすべきといったわけではなく、核保有の議論も必要だといっただけだ。なぜ「議論をしろ」という発言が議論をよぶのかそのあたりはさっぱりわからない。また、ある評者は、こういう発言は、とにかく国際社会に懸念をよぶからけしからんというという。しかし国際社会は別に仲良しサークルではない。警察のいない弱肉強食の世界…というのが一皮むいた実態である。そんな中で自らを守るためには脅威や懸念を与えることだって必要な場合もある。北朝鮮の核がまずどこをねらっているか、誰がみてもわかりそうなものなのに、その日本でいまだに核保有の議論すらタブー視してバッシングするのは、まさに小児的としか思えない。それともあの日本独特の「言霊思想」とやらで、「核保有なんてめったなことを口にするものでねえ」というのだろうか。うがった見方をすると、この中川氏の発言、選挙をみこしてのつりなのかもしれない。この発言に対して民主党などは先頭にたって批判をしているが、あれをみると、小泉改革の格差拡大などの結果に疑問をもつ私でさえも、民主党には政権をまかせられないという気になってくるのだから。
2006年10月17日
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50歳代の女性が代理出産で自分の孫を生んだという。人によって感じるところは様々だろうが、子どもをようやくにして授かった夫婦そして祖母(母?)には静かな祝福を贈りたい。そしてくれぐれもマスコミには関係者のプライバシーをかぎまわるようなまねはつつしんでほしい。※神の領域を犯すとか自然の摂理に反するとか、病気治療などで日頃は近代医学の恩恵を受けている人がこと他人の不妊治療となると、どうしてすぐこんな言葉を使うのかさっぱりわからない。不妊治療というのは当事者の生命観や人生観、そして宗教観が問われる分野で、すぐれて個人的な問題であろう。もし、それが当事者の自由な意思に基づいたものであり、なおかつ医者の安全管理下にある限り、第三者がとやかくいうべきものではないのではないか。自分の考えに照らしてやるべきではないと思う人はやらなければよいし、そうでない人はやればよい。神を信じている人であれば、内なる宗教観に照らして判断すればよいわけで、そういう意味ではたしかに神の領域であるともいえるのだが。※不妊治療は、本来このようなすぐれて個人の価値観に関する分野であるから、少数の有識者の議論には本質的になじまないものである。厚生省がなんたら審議会で代理出産を犯罪として禁止する方向をうちだしたことがあったが、これなどは暴挙というものであろう。現に米国をはじめ代理出産を容認している国もあるし、国民の間にも金銭のからまない当事者同士の自由意思による代理出産までも犯罪とすることに合意があるとはとても思えない。そんなものを「犯罪」と規定し、税金をつかって逮捕、起訴をするなんてのは、人権上大問題であるだけでなく、国家の暴走でさえある。早急な法整備を主張する議論もあるが、やみくもに禁止するだけの法整備なら、むしろやらない方がましである。刑罰法規については国家は抑制的であるべきという大前提のもとに、代理出産そのものは犯罪とはしないとした上で、社会秩序維持の観点から規制すべき場合はどのような場合かを議論した方が生産的であろう。※また、このような不妊治療の議論があるといつもでてくる意見がある。それは、なぜ自分の子供にこだわるか、養子でもよいではないかという議論である。これに対しては、自分の命と他人の命が違うように、自分の血をひく子供と他人の子供とは違うと、はっきりいいたい。実子を育てている人が自分の血をひく子供を愛するように、不妊の夫婦もやはり自分達の血をひく子供を愛したいのではないか。それにそもそも不妊の問題と養育に欠ける子供達の問題とは別の話である。自らは実子を育て、養育に欠ける子供達には何もしていない人が、不妊夫婦は養子をとればよいというのを聞くと違和感を感じてならない。もちろん不妊で悩む夫婦の中には血にこだわらず、養子をとっている人もいるが、だからといって養子をとっている人が立派で、自分の血を分けた子供にこだわっている人がエゴイスティックだとなると、それはちょっと違うのではないか。※正直言って私自身、もし不妊だったとしても養子というのは考えなかったであろう。子供を育てるのは実に大変である。小さい頃の大変さはともかくとして、成長してからはそれはそれで様々な苦労がある。それができるのは、やはり最後には自分の血をわけた子供であると思えばこそである。そういう意味で、他人の子、ましてや身元も定かでない子供を育てることは自分だったらとてもできないと思う。
2006年10月16日
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英語よりも国語が重要、語学よりも中味が重要…よくこういうことをいう人がいるが、よく考えると変な理屈だ。英語よりも国語が重要というのなら、同じ様に数学よりも国語が重要、理科よりも国語が重要という理屈だってなりたつ。なにしろ母国語は空気のようなもので、その重要性を他教科と比較すること自体がおかしな話で、そんなことをいうのなら、国語以外の授業なんか不必要になってしまう。英語は重要である。たしかにすべての人が英語を必要とするわけではないが、すべての子供に英語教育をきちんと行なうことで、英語を必要とする職業につくチャンスを与えることはできる。そして今後、その英語を必要とする職業はますます拡大していく。また、たとえ英語が生活の糧にならなくても、これだけ世界がグローバル化していけば、英語力は個人の得る情報の質量に大きく影響をしてくる。戦前の狂信的な軍国主義だって、もし国民の多くが外国の情報に直接接していればありえなかったのではないか。例えば万邦無比の神国…こんなのは普通に英語の情報に接していればすぐにそのアホらしさに気づくだろう。英語教育軽視は愚民政策にしかみえないゆえんである。英語に対して重要性が強調される国語であるが、たしかにその重要性は否定しない。しかし、これを学校の授業でそれほど時間をかけてやる必要があるかどうかは疑問である。母国語は24時間、五感で習得するもので、美しい日本語も正しい敬語も学校というよりも実生活で身につけるものだからである。もちろん読む楽しさ、書く楽しさは教える必要があるが、退屈な文章を教材にしてながながと分析したり、現代文の文法をやったりというのは、時間の無駄ではないか。それに論説文はともかくとして、「文学」が教育として万人が親しまなければならないものかというと、ちょっと違うような気もする。中学生の頃、学校の図書室にまともな文学全集がおいてないのに閉口したが、その頃、読んだ「罪と罰」、「復活」、「赤と黒」といった本は、たしかに今考えてみると中学生にはあまり教育的ではない。なにしろテーマが殺人、不倫、売春等なのだから。もしかしたら国語こそ最低必要限の授業でよくて、その分の時間を英語教育にまわした方がよいのかもしれない。
2006年10月15日
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北朝鮮の核実験は日本にとっては大変な脅威であり、あらゆる手段を使って圧力をかけるのは至極当然のことであろう。それなのに、マスコミ諸兄はウニが値上がりするとかマツタケが品薄になるとか趣旨不明のコメントばかりをだして、しきりと制裁反対の方向に煽っている。いったいウニやマツタケがどうして「庶民の台所を直撃」するのだろう。バカバカしさをとおりこしてこっけいな気さえもする。いったいあの人達は北朝鮮でどんな歓待をうけてきたのだろう。※つまるところ北朝鮮の問題というのは、あの体制をどうするかということにつきる。北が崩壊して一番困るのは韓国だろう。崩壊後の貧しい同胞の面倒をみるのも御免なら、半島の北半分が中国にのみこまれるのもいやだ。そこでノムヒョンはさっそく前言をひるがえして金剛山観光も開城公団事業も継続することにしたらしい。この二つの事業によって莫大な金が南から北に流れるのはいうまでもない。今後の北朝鮮にとって南の同胞国家はますます太い命綱になるのだろう。西ドイツは東ドイツを吸収したのみならず、ソ連に移民していたドイツ系市民までも受け入れた。対して、韓国は北を吸収合併するのもいやなら、中国の朝鮮族を同胞として受け入れることも考えさえしない。せっかく手に入れた豊かな先進国の生活を維持するために、北朝鮮の体制を支えたければそれもよいだろう。ただその際には他国の金を当てにするようなムシのいいまねはしてほしくない。※北の体制崩壊を望まないのは中国も同様だが、やはり韓国とは温度差がある。最近中国は高句麗などの古代朝鮮史を中国史にくみこむ研究を行なっているが、これはたぶん北朝鮮崩壊後をみすえてのことだろう。朝鮮半島は昔から中国の一部だった。だから当然崩壊後の半島北半分は中国の版図になる。そんなシナリオも考えているのではないか。※問題は日本である。結局は「国交正常化」という方向はあきらめずに、巨額の経済支援を行なって北朝鮮を存続させる方向にいくのか。そうだとしたらその結果がどうなるのか。拉致事件を解決しないまま国交を結ぶのも大問題だが、それはひとまずおこう。たぶん「過去の清算」として1兆を超える金が要求される。利権につらなる人にはうれしい金額(出所は税金)だが、たぶん金を出すのはそれにとどまらない。破綻した体制にカンフル剤をうつわけだから、次々と兆単位の金を要求されるだろう。ただでさえ、財政赤字の上に高齢化の負担をかかえる日本には大変な負担である。そればかりではない。国交が結ばれれば、多くの人が向こうからやって来る。中でも多いのは、みっちりと軍事訓練を受け幼少時から反日教育をたたきこまれた若者達であろう。今、社会問題となっている中国人犯罪以上の社会問題となること必至である。拉致はこれからもやるのかどうかは不明だが、麻薬や通貨偽造はもっと巧妙に行なわれるようになるだろう。日本のヤクザグループなどとも手を結ぶことが可能になるからである。要するに、あのテロ国家と国交を結ぶなどはまさに亡国の所業である。もちろん北朝鮮が崩壊しても、全く何も問題が起きないというわけではない。たぶん日本人妻や帰国事業でわたった在日の方などの「帰国」や生活支援の問題はすぐに起きるであろう。かの国の経済を考えると日本海に大量の難民船が浮くとは思えないが、それでもそうした難民だって全くないとはいえない。要するに過去の事案になぞらえるとベトナム難民の問題と中国残留孤児の問題が一緒におきるようなものである。たとえそうなったとしても、わけのわからない国が核兵器をもってこちらをねらっているというよりかははるかにましではないか。
2006年10月13日
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北朝鮮の核実験でいよいよ本格的に国防に関する議論がはじまるかと思ったのだが…新聞の見出しをみるかぎりどうもそうでもないらしい。ちなみに本日の夕刊の社会面はこんな調子だ。経済制裁がお台所を直撃、マツタケ、うにが値上がり、業者にも打撃?なんかこれってそんな大きな問題なのだろうか。少なくとも私はマツタケの品薄よりも空のかなたから飛来するノドンやテポドンの方がよほど怖い。まあ、どんな時代でも気楽で平和な人々というのはいるものなんだけどね。※このほかにも朝鮮人学校にいやがらせ電話が数本あっただの、せっかく北朝鮮の子供達からお手紙が来るようになったのに民間の支援活動ができなくなっただのを、「ニュース」としてとりあげている新聞社やテレビ局もある。警察に訴えることもせず、なぜか弁護士とマスコミばかりが騒ぐ「チマチョゴリ切り裂き事件」は、さすがにうさんくささが知れわたったせいかニュースにはしなくなったようだ。朝鮮人学校に電話数本があったのが事実だとしても、たかが数本の電話ですむのなら民間の反応は非常に冷静とみてよいのではないか。今の御時世、なにかで新聞に名前がでれば、犯罪者の親族はもちろん、被害者や被災者にだっていやがらせ電話をかけてくる輩がいる。また、民間の支援活動で北朝鮮の子供達からお手紙がきたからって、本当に子供達の自由意思で書いているなんて思っているのだろうか。あの国に個人の自由な意思などはない。大人だろうが子供だろうが、電話だろうが手紙だろうが、それは変わらない。※最後に,北朝鮮といえばニュースにしなくてもよいことまで取り上げるマスコミなのに、なぜあのニュースは報道しないのだろうか。韓国のメディアにはとうに載っているのに。もちろん日本マスコミ御一行様が北朝鮮を訪問して大歓迎を受けたことである。
2006年10月12日
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新政権は教育改革を重要課題と位置付けているらしいが、いまいち趣旨不明である。当初は教育基本法の改正による愛国心教育の明記が主眼かとも思っていたのだが、どうもそれだけでもないらしい。教員免許の更新制や教育バウチャー制度、そして大学の9月入学制など、いったいその目的とするところはなんなのだろうか。まだまだ終身雇用制が根強い日本で教員免許の更新制などが導入されたら教師のレベルは確実に低下する。法曹資格をもつ裁判官などと違って教員の場合、10年後の身分が保証されないとなれば別の職業にすすむ人が激増するだろうからである。そして入ってきた教員だって、将来の身分が保障されないとなれば、ひたすら上の意向に従うようになるだろう。日の丸君が代に反対する教師もまずいなくなる。まあ、もしかしたらそれがねらいなのかもしれないけど。でも、公立学校の教師の学力レベルは確実に低下し、優秀な教員は私学に行くようになるだろうから、社会階層による学力格差はますます拡大する。階層による学力格差の拡大は教育バウチャー制度だって同様である。教育を選ぶといってもそれは一定以上の階層についての話であって、ぎりぎりの生活をしている家庭や子どものバス代も痛いという家庭は選択どころではない。教育バウチャー制によってよくなる学校もあるかもしれないが、多くの公立学校はますます荒廃してゆくのではないか。大学の9月入学にいたってはいったいなんのためだかさっぱりわからない。※こんな趣旨不明の新政権の教育改革であるが、教育再生国民会議のメンバーをみてますますその感を深くした。座長はノーベル化学賞受賞者。この人が別に悪いというのではないけれども、理科系の天才的頭脳を持っている人って、ある意味一番教育制度の改革の議論には向かないのではないだろうか。なにしろ凡人のことなどわからないし、眼中にもないのだから。100マス計算の蔭山先生はいいけど、元暴走続のヤンキーってなんだ?更生の価値を否定するのではないが、更生と事故、犯罪被害、病気などからの立ち直りは違う。後者の場合は心から拍手をするけど、自分の意思で非行に走ったりヤンキーやってたりした人を普通以上に持ち上げるのはどうなのだろうか。いっそのこと、元首斬り殺人少年の弁護士を招聘してはどうなんだ。※今の教育に一番かけているのは信賞必罰。悪とか犯罪とかそうしたものに対する怒りではないのか。そのためには、まず少年法を改正すること。そして、生徒同士の犯罪を「いじめ」と呼ぶのはやめ、犯罪としてきちんと処断すること。「教育改革」の議論なんかはその後でもよい。ニュースによると、どこかの中学生が同級生に髪を切られた上、ホームから突き落とされて足首切断の障害を負ったという。ニュースでは「いじめ」という言葉が使われていたが、こんなのは「犯罪」と正しく呼ぶべきであろう。
2006年10月11日
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ついにルビコンを渡った北朝鮮。明日の各紙社説にはいったいどんなことが書かれているのだろうか。かけてもいいけど、次のようなことを書く新聞が絶対にありそう。「国民の怒りや不安ももっともだ」なんて書いた後で、「しかし冷静な議論が必要だ」と方向を変え、そして「日本も核を持つべきだという短絡的な議論が出て来ることを憂える」なんていうふうにまとめる。特に某A紙なんかね。唯一の被爆国だから絶対に核を持ってはいけないなどと脊髄反射思考をするのはかってだけれども、核をもてあそぶ軍事独裁者の立場で考えると、被爆国かどうかなんて全く関係ない。被爆経験の有無より、報復核の有無の方がよほど重要であろう。そろそろ、報復のための核,抑止力としての核を検討すべき時期にきているのではないのだろうか。※それにまた、北東アジアの核拡散の問題でもなければ、欧米などは北朝鮮の核実験にはあまり関心がないのではないか。たぶん北朝鮮の兵器は日本の方を向いている。沈黙をつづけていると、やがては核保有国北朝鮮というのも既成事実化してしまう。
2006年10月10日
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北朝鮮の問題となると、すぐにパブロフの犬のように中韓との連携を持ち出す人がいるが、これってしょせんは無理な話であろう。あの国が核保有国となったところで、中国や米国、ロシアといった強大国に核攻撃をするなどとは、とても思えない。韓国だって、北朝鮮の思惑はいざ知らず、韓国人自身はまさか同胞にそんな兵器は使うまいと安心しきっている。ひょっとしたら韓国人の中にはウリミンジョクの「快挙」に快哉を叫んでいる人もいたりして。北朝鮮の核実験で、現実の脅威があるのは日本だけといっても過言ではない。※これで日本国内でも核保有論が現実的に検討されるようになるだろう。ぜひそうなってほしい。「唯一の被爆国として日本は未来永劫核兵器など持つべきではない。核保有などを言うこと自体が暴言であり許しがたい。」ということをいう識者が日本には大勢いる。しかし、唯一の被爆国だからどうだというのだろうか。二度あることは三度ある・・・こんな日本の諺が現実にならないことをいのるばかりだ。
2006年10月09日
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生活保護世帯が100万を突破したという。高齢化の趨勢を考えるとこの数字は今後も急上昇していくであろう。それだけではない。今のニートとかフリーターとかよばれる層もいずれは年をとっていく。今でこそ親と同居し、親に生活費を出してもらって暮していても、やがてはその親も高齢化し、世を去っていく。そのときにこそ、全く新たなタイプの貧困問題がでてくるのではないか。きくところによると生活保護というのは最低水準ではなく、その下にさらに最低賃金水準で生活していたり、国民年金保険料だけで生活している人々がいるという。役所はそうした「一般の貧困層」との均衡をはかるために生活保護基準の引下げを検討しているそうである。そしてまた、この生活保護については窓口での「水際作戦」も熾烈である。貧困層の中には困窮の過程で周囲との人間関係も壊れてしまった人も多いのに、親族に援助を頼めなどといって追い返しては途方にくれるばかりだろう。貧困高齢者はともかくとして、不安定就業者などの「若年負組」についてはまだ間に合う。職業訓練や就業の支援などで、ぜひこうした人達が税金や保険料を納め、将来に希望をもてるようにすることこそ政治の課題ではないか。口先ばかりの再チャレンジを言うのではなく、公務員受験資格の年齢制限の撤廃などはぜひやってほしい。年金制度の維持というなら、これから生まれる赤ちゃんの出生を支援するよりも、今生きている若者が保険料を支払えるようにすることの方がよほどの優先課題である。※最近テレビでは小泉政権を総括する番組があるが、ドラマやアニメじたてになっているものがなかなか面白い。もしかしたら、この面白さこそが小泉政権の強みだったのではないか。ただそれがよかったかどうかとなると疑問である。例えば改革というが本当の意味で小泉総理は官僚の既得権にきりこむつもりがあったのだろうか。例えば田中大臣の更迭などは、外務省改革を行ない、本気で外務官僚の既得権に切りこもうとした彼女を外務省が一丸となってバッシングしたというのが真相であろう。田中大臣を更迭した時点で総理は官僚の軍門に下ったというのはいいすぎなのであろうか。官僚の特権は温存し、たぶんそのかわりに小泉政権がスケープゴートにしたのが郵便局の職員である。外務官僚とか通産官僚とかいっても選挙民にはいまいち具体的イメージがない。それに比べると、同じ国家公務員でも郵便局員はずっと身近だ。警察官や消防官は大変そうだけど、郵便局員なら楽そうだ。あの人達が自分達の税金で安定した暮しをしているのはけしからん。そんな庶民感情をつかんだのが前回の選挙で大勝した理由であろう。広がる格差や生活不安…本来なら政権批判に向けられるべきものを、郵政民営化だけを争点にすることで政権支持につなげてしまった小泉総理の手腕は天才的である。「人間だから、人の家の庭に蔵が立っちゃうと面白くないんだよね」前回の選挙期間中たまたまのったタクシーの運転手の言った言葉が忘れられない。不満の矛先を街の郵便局員に向け、「おんなの戦い」やホリエモン担ぎ出しなどで選挙の争点はすっかりずれてしまったのである。今度の選挙こそは格差の問題を正面から取り上げるべきであろう。※このままでは日本は膨大な貧困層と一握りの富裕層からなるとんでもない格差社会になる。
2006年10月09日
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核実験がささやかれる今どき、北朝鮮を訪問する日本のマスコミがあるらしい。http://www.asahi.com/national/update/1007/TKY200610070238.html日本マスコミの北朝鮮訪問は別にはじめてでもないし、韓国からだってもっと大勢の人々が北朝鮮に行っているので、別に驚くほどのことではないのかもしれない。ただ疑問に感じるのは、なぜこのニュースが当のマスコミではなく、別のところからでてくるのだろうかという点である。あれほど報道の自由とか知る権利とかいうくせに、自社の幹部の北朝鮮訪問というニュースについては沈黙しているのが実に不思議である。北朝鮮のような国に行って先方の政府幹部に会うなどということが、そもそも自由にできるわけはない。やはりどちらかの働きかけなり思惑などがあったはずである。先方でどんな歓迎を受け、何を見聞きしたのかもぜひ知りたい。なぜ北朝鮮に行き、支局まで開設したという某マスコミ社はこうした読者の知る権利に応えようとしないのだろうか。疑う深くみているせいか、マスコミの報じているところだけでは、北朝鮮情勢というのはわからないのではないかと思うことがある。いささか旧聞に属するが、冬季五輪のとき、日朝のショートトラックの選手同士が和気藹々とリンクの上で交歓している「ニュース」がながれたが、日本はともかく北朝鮮の選手に外国の選手と勝手に交歓する自由があるとは思わない。いったい背景には何があったのか。報道では何も伝えていないが、実はそうしたものこそ一番興味深い。
2006年10月08日
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いじめによる自殺事件で学校が謝罪しているニュースがあったが、ああいう映像をみるたびに違和感を感じてならない。小学校の低学年ならともかく、高学年や中学生ともなれば、子供の生活をすべて学校で管理するなど不可能に等しい。なぜ、いじめた子供本人やその親ではなく学校が謝罪するのだろうか。学校や教師を非難し、そして彼らが謝罪すればするほど、いじめを現実に行なった側が免罪されていくようで、なんかわりきれない気がするのは私だけ?※そしてまたこうしたいじめがニュースになるたびに不思議に思うのは、仲間はずれや悪口、集団無視といった集団内の人間関係で起きる現象と、恐喝や暴行、はなはだしきはレイプや傷害事件などが、皆同じ「いじめ」という語でくくられていることである。実は前者と後者とは、全く別のものではないか。後者については、これをそもそも「いじめ」とよぶことが事態の深刻さを誤認させているように思う。何年か前に執拗な恐喝や暴行をうけた中学生が自殺した事件があったが、ああいうのは「いじめ」とよんで教育問題としてとらえること自体が誤りであって、少年犯罪として警察がきちんと対応すべき事案であったのであろう。犯罪はきちんと「犯罪」とよび、こうした少年犯罪を「いじめ」の範疇に含ませるのはやめよう。これが後者のタイプに対する特効薬である。※前者については「犯罪」として対処できないだけにかえって難しい。集団無視や悪口は大人社会の中でも普通にあることで、もしかしたら職員室でも似たようなことをやっているのかもしれない。また、そうしたいじめをうけている子がすべてそうだとはいわないが、中には集団生活がにがてな子や友達をつくるのが下手な子もいるはずである。もちろん人間は社会と折り合いをつけて生きなければならないし、そうした子ども達に社会性を身につけさせることも必要なのだが、それでも人にはもってうまれた個性というものもある。社会に迷惑をかけなければ孤独癖のある人間だっていたってよいではないか。ところが、学校という集団の中では、そうした一人でいるのが好きな子どもというのは、なかなか居場所がないというのが現実である。具体的には、修学旅行やグループ研究で友達同士の班を作らせたり、クラブ活動を必修としたり…といったことがこれにあたる。いっそ学校が子どもの生活のほとんどを管理するのをやめ、集団生活や友達づきあいの苦手な子どもの居場所(図書室や教師のいる休憩室など)を用意してはどうなのだろうか。そんなことが案外いじめの特効薬になるのかもしれない。「友達の多い子がよい子」「明るい子がよい子」という固定観念が重荷になる子どももいるのである。
2006年10月07日
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推理小説ではなく警察小説である。限られた中に犯人がいるというのと違い、都市という大海の中から一本の針をみつけるような犯罪捜査の方が現実にははるかに多い。この小説で描かれている犯罪も、被害者と犯人に接点のない凶悪事件で、しかも犯人は犯罪声明を送りつけて英雄気取りになっている。いわゆる劇場型犯罪というのは、実に今日的で、今後もこうしたタイプの犯罪は増えていくことだろう。読後感はちょっと暗いのだが、描かれた犯罪や捜査の内容はリアルで、ぜひおすすめの本である。※この小説を読んで、思い出したことがある。犯人逮捕が昇進や優遇に結びついたのは、あの平塚八兵衛のころまでで、今日では極力暇な部署で昇進試験の準備でもしていた方がよいそうである。そうだとしたら、この小説にでてくるようなタイプの刑事というのは、警察の中でも絶滅種に近いのかもしれない。しかし、犯罪捜査というのは、こんな刑事と市民の協力がなければ絶対にできない。この小説にでてくる捜査の手法、ねたばれになるので書かないが、こうしたことでもやらなければ解決しない犯罪というものもあるのだろう。鬱屈した犯人による劇場型犯罪と金目当ての外国人犯罪。これがこれからも大いに社会問題となっていくような気がする。※なんかこの小説ぜひ映像化してほしいものである。主演は誰がいいかなあ…。
2006年10月06日
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北朝鮮が核実験を宣言したというのに反核団体の面々はなぜ沈黙をしているのだろうか。かってフランスが核実験をしたときには、当時は大物政治家だった武村氏までも一緒になって、「フランス製ワインはのまない」とかなんとかいっていたような…。反核団体の皆様方、いまこそ前面にでて、「北朝鮮のマツタケは買わないよ」とか「北朝鮮に送金してそうなお店には行かないよ」とかいうべきではないか。フランスの核が日本にとんでくることはないが、北朝鮮の核はどこにむけられるのか。それを思えば、北朝鮮の核というのは、まさに日本こそが当事者である。※つまるところ北朝鮮の問題というのは下記の命題に帰着すると思う。つまり…。崩壊を容認するか崩壊をしないように下支えするか後者の立場の人々は、北朝鮮の「核実験」を阻止するために、対話に応じ、彼らが臨む経済援助を行なうべきだと主張するのかもしれない。米国との対話は、米朝国交締結につながり、それはいずれ莫大な経済援助につながる日朝国交締結にゆきつく。米国でわざわざそんな主張をした日本の大物政治家もいた。しかし、当座の体制を延命させて「核実験」を阻止したところで、それが未来永劫つづくのだろうか。そもそも核実験の前に核実験を宣言した国などない。あの国が巨額の経済援助で息をふきかえしたところで、やはりいずれ核兵器だけではなく、化学兵器や生物兵器も持つようになるのではないか。※北朝鮮の経済はどん底ともいえる状況であるが、今、その北朝鮮を必死に支えている国が韓国である。金剛山観光や開城工団によって北に莫大な金がながれているばかりでなく、政府レベル、民間レベルの経済支援もかなりの額にのぼる。あれほど「日帝の人権侵害」をいいたてておきながら、現在進行中の同胞の人権侵害に沈黙しているのも不思議だが、そんな独裁恐怖政治を支援している国の外相が国連事務総長だなんていうのはもっと不思議だ。いいかげん目覚めなさい。国連なんてそんなもの。そろそろ常任理事国入りなんていう寝言で多額の税金を使う愚はやめてはどうなのだろうか。そんなもので税金を海外にばらまくくらいなら、役場職員の会議の弁当に使った方がまだ国内に金がまわるだけましなのかも。
2006年10月05日
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臓器売買のニュースは衝撃的だが、ふとこんなことを思ったりもする。今回の事件は患者がかわいげのないおっさんだったから世論の反応もああだけど、もし、あの移植を受けた患者が子供だったらどうなったのだろうか。かなり移植を依頼した親に同情的な意見なり感想なりがでるのではないのだろうか。※臓器移植のような他人をまきこむ形の医療がどこまで認められるかは難しい問題だ。生命にもかかわる患者の側の深刻さを考えると、こうした売買というのは水面下ではかなり行われていて明るみにでたのは氷山の一角なのかもしれない。今回の事件でもドナーの女性が警察に言わなければ永久に闇の中だったろう。そしてまた、国内だけではなく、海外などでは臓器売買が普通に行なわれているところだってあるのではないか。それこそ国によっては囚人や貧困層の臓器を外貨獲得の手段にしていたりして。※かつては諦めるしかなかった病気でも今では希望の持てるようになったものもずいぶんある。ただそれが他人の臓器をあてにしての希望となるとちょっと複雑だ。なぜ夫(妻)や他の親族は臓器提供に同意してくれなかったのか。従容として死につくかわりに、こんな恨みをもって死んでいく…なんていうことになりかねない。そのうち移植技術がさらに進歩して、脳をそのまま健康な体に移植できるなんていうことになったら、もっと怖い。老齢で健康不安の大金持ちが、突然、異国の若者の姿で現われて、〇〇国で体をとりかえる手術を受けてきたよ、ということだって、本当に近い将来あるのかもしれないのだから。
2006年10月04日
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一方で財政削減をいいながら、一方では高いところに土を盛る…つまり勝組優遇の施策が行われるのってどうもよくわからない。内閣府では子供3人以上を育てている家庭を対象にクーポンを発行することを考えているというが、今時、子供を3人以上持っているなんて都市部では高額所得者ばかりというのが実態ではないのだろうか。子供どころかワーキングプアなどでは結婚すらできない人も多いというのに。一方では生活保護受給申請を水際作戦と称しておいかえし、自立支援の名で障害者の負担をふやす政策を行いながら、一方では子育て支援の名でこんなばらまきが行われようとしている。※それに少子化対策では必ずいわれる年金制度の維持だが、これだって年金制度自体の議論はもっとあってもよい。今の年金は困窮老人だけではなく、功なり名とげた富裕層の老人にも支給されている。こうした人々は多くを支払ってきたともいえるけど、現在の支給を負担しているのは今の勤労者だ。また、専業主婦には負担なしで受給をみとめる第3号制度にしても、裕福で働く必要のない女性の年金をなぜ働いている女性も含めた加入者全体で負担しなければならないのかという疑問もある。パート主婦も保険料を払えということになれば、こうした議論はさらに活発になるのではないか。いみじくもサッチャー首相がいったように「豊かな人を貧しくしても貧しい人が豊かになるわけではない」のかもしれないが、勝組優遇の施策というのは、やはりちょっと疑問がある。
2006年10月03日
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ある高名な弁護士の方の日記を読んでいたら代理出産を罰則をもって禁止すべしという違憲が書かれてあって少しぎょっとした。http://sky.ap.teacup.com/takitaro/もちろん代理出産については、人それぞれの人生観、生命観によって様々な考え方があるのだろうが、代理出産を依頼した不妊症の夫婦までも処罰しようという意見はごく少数なのではないのだろうか。けしからんとか、私だったらやらないということと、それを刑罰という国家権力の力で規制すべしというのとは全く別の話である。向井夫婦が堂々と顔をみせたことで、代理出産に対するイメージもずいぶん変わった。当事者の不妊に悩む夫婦についても、抽象的な代理出産を依頼した側ということではなく、個別具体のイメージとなった。代理出産に批判的な見方をする人であっても、あの向井夫婦を犯罪者や刑事被告人にしようとは思わない。国家は他にやるべき仕事がある。代理出産を犯罪行為にし、不妊に悩む夫婦を捜査し、起訴までやるというのでは、それこそ税金の無駄遣いどころか、国家の暴走というものである。※たしかに向井さんの場合は米国での代理出産ということで、代理母の側に金目当てという要素がかいまみられることも事実ではある。ただ、日本でも代理出産を行うようになった場合、こうした金目当ての代理母がでてくるかというと、それはちょっと疑問である。出産は密室で行われるわけではなく、医療従事者などの管理下にあるのが普通であるのだから。たぶん今行われている生体臓器移植と同様、ごく限られた範囲内で行われる例外的なものにとどまるのではないか。※臓器移植といえば、奇しくも臓器売買がニュースとなり、これにも様々な問題があることが露呈した。しかしだからといって生体臓器移植を全面的に禁止する方向になるかといえばそれはならないであろう。代理出産だって生体臓器移植同様、強要や売買は規制した上で認めるということでよいではないか。たぶん国内でおこなわれた代理出産の例もそうだとは思うが、姉妹の苦悩をみかねて自由意思で代理出産をひきうけるひともいる。こんなケースでは誰も犯罪者になどしたくない。
2006年10月02日
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向井亜紀さん、おめでとうございます。あ、でも自分の子供を実子として戸籍登録することが認められただけなので、わざわざおめでとうということも変なのかもしれませんね。なによりも、代理出産の経緯についてカミングアウトした向井さんの勇気に脱帽します。不妊治療について当事者が声をあげにくい中で、あえてこうしたことを公表することは大変だったかと思いますが、きっとこうした勇気の積み重ねが世の中をすこしずつ変えていくのでしょう。もちろん渡米するお金があったからできたのだろうとかいう人はいるのでしょうが、こうした意見の矛先は、海外での代理出産を非難する方向ではなく、日本国内でもこうしたことができるようにするという方向にもっていくべきなのでしょう。※それにしても日本での不妊治療の議論というのは不思議ですね。一番変なのは「自然の摂理に反する」とか「神の領域を侵す」だとかいった言葉が、まるで反論を許さない葵の印籠のように使われていることです。どうも日本人って確固たる宗教理念がない分(これは別に悪いことではないのですが)、神なんて使い慣れない言葉を持ち出されると黙っちゃうのかもしれませんね。かつては自然の摂理に反するなんていう議論もあった体外受精も今では普通の不妊治療として定着していることは周知のとおりです。私達はもう一度日本で最初に体外受精をおこなった東北の医師の言葉をかみ締める必要があるのではないのでしょうか。「子供を持ちたいという願いは誰にも迷惑をかけない切実な願いではないのでしょうか」…あの日本最初の対外受精で最も非倫理的だったのは、当事者の意に反して産婦の実名を報道した某大新聞だったような気がしてなりません。※第二に変なのは、こうした代理出産について法律で規制しようという動きがあったことです。およそ人のやることには法で規制すべきこと、道義的に非難すべきだが規制するほどでもないこと、社会に迷惑をかけないかぎり個々人の意思にまかすべきことがあります。不妊治療というのは、まさにその個々人の意思にまかすべき領域なのではないのでしょうか。代理出産や対外受精が自然の摂理に反すると思う人はそれをやらなければよいのです。自分が林檎を嫌いだからといって人にもそれを食べるなという権利は誰にもない。こうした極めて個々人の倫理観、生命観にかかわるテーマを、ごく少数の法律や医学の専門家だけで構成されるなんたら審議会で議論し、法規制までしようとしたのは、まさに厚生労働省の暴走というものでしょう。もちろん代理出産を認めたからといって代理母となる女性の自由な意思や健康が尊重されることはいうまでもないことですし、そこに強制等がはたらくのだとしたら、現行法でも強要罪や傷害罪などの刑法の規定で十分に歯止めがかかります。※第三に変なのは不妊の問題と養育にかける子供の問題をリンクして考える人々がいることです。中には可愛そうな子供を養子にしないで自分の子供を望むのは身勝手といったようなことまでいう人もいます。でも、不妊の夫婦がいることと、養育に欠ける子供達がいるということとは本来は全く別の問題ではないのでしょうか。自分の実子がいても、孤児などに手を差し伸べている人は大勢います。自分では実子を育てながら、そして自分では養育に欠ける子供達には何もしていない人が、不妊カップルは養子をとればよいと言うのは、やはり違和感があります。※長々書きましたが、望まれないで生まれてくる子供も大勢いるなかで、父母に望まれ、さまざまな人の助力でこの世にやってきた赤ちゃんはとても幸せだと思います。子育てはこれからが大変です。大きな愛に応えるような、良い子に育ててください。ご多幸を心よりお祈りいたします。
2006年10月01日
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北朝鮮が6者協議に復帰したら39~79兆円ウォンを支援する。こんな提案を3月統一部は大統領に出していたということが9月26日付朝鮮日報に掲載されていた。日本円にしたら4兆から8兆円。困窮した北朝鮮にとってはのどから手がでるほどほしいお金だろう。植民地時代の人権侵害はあれほどいいたてるのに、現在進行中の恐怖政治による同胞の人権侵害を放置、助長しようとするおかしさは何もいうまい。こんな金額、西ドイツのような吸収型の統一となったときにかかる費用にくらべれば安いものだろうから。ただ気になるのはその金額をどこからひねりだすかである。で、さらに新聞を読むと、統一にはその財源として、・年1兆の政府追加支出、・目的税導入、・日朝国交時の補償金充当…先の二つはよいけれど、最後のはちょっとぶったまげる。これって結局日本人の税金をあてにしているのではないか。しかも協議復帰だけでこれだけ出すのであれば、核兵器凍結にはいくら出すというのだろうか。まあ、せいぜい新総理には、こんなふざけた提案は一蹴するくらいの毅然とした姿勢をみせてほしいものである。
2006年10月01日
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