全33件 (33件中 1-33件目)
1
最近、CMで流れている歌がちょっと気になっている。緑のそよ風いい日だね~というへーベルハウスのCMソングである。この歌は昔母がよく歌っていたので耳についている上、小学校の音楽の時間でも習ったように思う。古めかしくもない軽快な曲だが、かといってそんなに新しい歌という感じもしない。ネットで調べてみると思ったとおり1946年、終戦まもない頃にできた歌である。そういえば、あのつきぬけた明るさは、有名な「りんごの歌」とも共通するような気もする。そしてまた歌詞にある妹が摘み菜を摘んでいるという情景もなんとなく戦後の食料難時代を連想させる。事実、あの頃は自分の庭を畑にして食料の足しにしていた家も多かったのだろう。ところで疑問。あの歌にでてくる七色畑というのはいったい何なのだろうか。こればかりはネットの検索でもちょっとわかりそうもない。※きくところによるとあのCMは団塊世代をターゲットにしているという。これから退職を迎えるあの世代では退職金を持家確保に向ける人も多いことだろう。しかしだからといって大きな一戸建てを買う人がどれだけいるかは、はなはだ疑問である。結婚した子どもが親と住むという慣行はどんどんすたれつつある。よい悪いではなく、こうした三世代世帯の大家族は都市部ではほとんどみられないのが現実となってきている。夫婦ならともかく妻と義母が一つ屋根の下で暮すのは、余計な気を使って互いに不自由だからであろう。たしかに団塊世代くらいまでは、「老後は子や孫に囲まれて過ごすのが幸せ」という人生観を持っている人は多い。ただ居心地のよい大きな家を確保したものの、その結果、いつまでも未婚の子どもがいついたりといった事例の方が、実際のところは世の中には多いのではないか。もはや老人と子どもとの同居といえば、結婚した子どもとの同居よりも、未婚の子ども(つまり中年になっても独身の子供)との同居の方が多いという話もきく昨今である。
2006年09月30日
コメント(2)
最初に…これには浅見光彦はでてこない。会社を舞台にした殺人事件の謎を才色兼備のOLが解くというストリーである。ストーリーはさておくとして、こうした発表からかなり時期のたった小説というものは、その背景等に世相の変化を感じさせるものが多い。この物語がでたのは、まだ均等法も施行されていないころではなかったか。※昭和50年代当時にはどこの会社にも「女の子」とよばれる一団の社員がいて、男性サラリーマンとは全く別の職業生活や人生設計を有していた。そして、ごく少数の専門職や教師、警察などの公務部門を除くと、普通の女子生徒の描く職業生活は二通りしかなかった。一つは看護婦、美容師、保母といった伝統的に女性の職業とされてきた分野。もう一つはこのようなOLとよばれる男性サラリーマンの補助的業務を行う道で、たぶん多くの女性は勝ち組OL、すなわち一流企業に入ってその中でエリート男性と結婚して無事に退職するために鎬をけずっていた。だからこの主人公が大変な才媛らしいのに庶務課のOLをやっていて、さしてよく知っているわけでもないエリート社員からのプロポーズを受け、結婚後は会社を辞めるつもりであったとしても、当時としてはごくごく普通のことだったのではないか。※「遠野殺人事件」は物語としても大変に面白いのであるが、それとは別にこの物語が出た時代を思うと「世の中かわったなあ。」というのが素直な実感である。そういえばOLという言葉も昔ほどには聞かれなくなったようだ。パソコンが普及した現在、清書やソロバンだけを請けおう職場の潤滑油はいらなくなったのかもしれない。それとともに、女性の就業も均等法社員とフリーターや派遣社員とに二極分解し、そうなれば男性だって均等法女性社員にはじきとばされるのもでてくる。フリーターやニートの激増する若年格差社会も困ったものだが、かといって女性が大学の専攻や成績もおかまいなしに30過ぎたら「まだいるの?」なんていわれる補助的OLをやるしかなかった昔の時代がよかったとも思えない。
2006年09月30日
コメント(0)
韓国のパン外相が国連事務総長の最有力候補らしい。今や北朝鮮がナチドイツ以上の人権蹂躙国家であることも、韓国がその北朝鮮の体制を必死にささえていることも世界中の多くの人が知っている。それなのにそんな韓国の「太陽政策」を推進してきた人が国連事務総長になってよいものだろうか。もっとも国連というのは、もともとその程度のもので、なにか国連を「人類の理想と平和の殿堂」のように考える国連幻想を打ち砕くという意味ではパン事務総長というのもよいのかもしれない。たしかサッチャー女史だったかにこんな言葉がある。「日本人はどうも三つのものを過大しすぎているようだ。オリンピック、ノーベル賞、そして国連。」※※司法修習生の落第者が激増しているという。今後比較的やさしいとされるロースクール組が入ってきたらどうなるのだろうか。もともと法曹人口を増やすという案は、サービスの需要者の側からでた議論ではなかった。過疎地からだって医者がいなくて困るという声はあっても弁護士がいなくて困るという声はほとんど聞こえてこない。法曹人口の増大という議論は、「何年も受験勉強する若者が大勢いるのは困る。」とか「米国の企業と交渉するとき先方には弁護士資格を持つ者が大勢いるのにこっちにはいなくて肩身がせまい。」とかいった、どうもリーガルサービスの需要とは別のところからでたものが多かったのではないか。同じ高度な専門職でも医者と弁護士では大きな違いがある。医者の技術や知識のレベルは患者の側からはわからないが、弁護士のあたりはずれは書面をみればわかる。ある訴訟で、大企業の顧問弁護士の作った書面と相手方の弁護士の書面をみたことがあるが、文章といい、説得力といい、誰が見ても力量の差は歴然としていた。※弁護士といえば神奈川の首きり殺人少年が弁護士になっていたといって世間は騒いでいるようだが、ちょっと前まで非行少女が弁護士になったのをさも美談かなにかのように持て囃していたのは、いったいどこの誰なんだ。
2006年09月29日
コメント(4)
安倍新内閣に新たに女性が二人ほど入っているみたいだけど…なんかこれって田中真紀子の二の舞にならないかなあ。女性はやはりなんだかんだいって目立つしちやほやされるけれど、ある程度以上の地位につくと突然たたかれはじめることがある。それが自力でそれなりのものを築いたとだれもがみとめる場合ならよいのだが、「女性だから」「二世だから」となるとちょっと辛い。田中真紀子の場合、もちあげられる理由も最初からなかったのだが、たたかれだしたときの理由もまた酷かった。「人格の幼児性」「お嬢様育ち」云々といった人格攻撃や、伝聞に基づいた私的な場での発言批判、ひいては性格の悪さを説明するために身内の私生活まで報道しようというのだからめちゃめちゃである。もちろん新閣僚の女性二人は二世議員ではない。しかし、高名な評論家の娘で発言の場を与えられてきた人だったり、米国の議会スタッフという意味不明の職から初当選したりといった、ちょっと万人の認める実力の持ち主かというと?がつくような気もする。※その他の閣僚人事についても、気の合った同士を入れたというだけの感もある。教育改革なるものを最優先に取り組むつもりのようだけれど、そもそもその改革って何のため、誰のための改革なのだろうか。国家社会のためという窮極の目標は同じでも、子供の学力の向上をまずめざすのか、そうでないのか、普通の子どもに照準をあわせるのか、エリート層に照準をあわせるのかで議論の方向は180度変わってくる。大臣は「小学生の英語教育は全く必要ない」といっているらしいが、これでなんとなく改革の方向ってわかるような…。
2006年09月29日
コメント(2)
権利の上に眠るものは保護しないというのは民事の時効でよくいわれることばである。ずっと黙っていておいて突然何年も前の借金の話をもちだすというのも変なので民事の時効の存在理由というのはまだわかる。しかし刑事の時効というのはいったいなんのためにあるのだろうか。※関係者の記憶がうすれるとか証拠が風化するとかいうことはよくいわれる。そしてまた小さな犯罪ならそんなことは時間が経過したから許したれというのもあるだろう。しかし殺人事件で犯人と名乗り出たものの供述に信用があり、訴訟の場でも十分に犯罪を立証できるのに、時効があるというのはどうもよくわからない。たしかに30年前、40年前の事件をいまだに捜査するというのは税金と人員の無駄だろう。だけどそれって捜査を終結する理由にはなっても、その後、何かの機会に犯人がわかった場合にまでその責任を免除する理由にはならないのではないか。昔ならともかく今の人生80年の時代には15年とか20年とかいったって決して長すぎる時間ではない。40歳のときに子供を失った親の悲しみは親が生きているかぎり続くというのに。※何年か前、時効となった殺人事件について「犯人」が名乗出たということがあった。たしか静岡県でおきた銀行員殺人事件だったかと思うが、その「犯人」は名乗り出るまでの期間ずっと白昼の人ごみの中にも被害者の幻覚をみたり、眠れる夜をすごしたりしてきたという。少なくともこの犯人にとっては時効期間は決して長くはなかった。こうした刑事事件の時効の制度というのは諸外国ではどのようになっているのだろうか。なんか今の日本の刑事時効制度というのは、一般の感覚にあわないだけでなく、被害者の「幽霊」におびえる犯人に精神安定の機会をあたえているだけのようにもみえる。
2006年09月28日
コメント(0)
無資力ほど強いものはない…こんな言葉をきいたことがある。いくら債権をもとうが、資力のない人間にたいしてはどうしようもないという意味らしい。それと同様、生命すらも失うことをおそれない人間には、社会としてもどうしようもないではないか。小林薫の死刑判決をきいてこんなことを思った。報道でよむかぎり彼の半生は無視、いじめ、不遇の一言につきる。たぶん彼にとっては多くの人に注目され、社会の中心にいると錯覚できる今がいちばんよい時期なのではないか。もしかしたら犯罪の動機だって幼児性愛などではなく、社会を騒がすような事件をおこしてカッコよく死刑判決を得ることだったのかもしれない。宅間守にも共通するが、こうしたタイプの犯罪者というのは誠にやっかいである。通常なら苦痛に思うはずの報道によるさらしあげは本人にとっては英雄視されているようで快感。家族が非難されたり苦痛を得ることはそれこそ望むところなのだから。司法もこの死刑判決であの永山基準を徐々に見なおしていくことになるだろう。金目的の殺害なら被害者が一人でも死刑はありうるのに、それ以外では死刑判決は抑制されていたとは、もとからして変なはなしだ。金を奪われて殺害されるのと、性被害を受けて殺害されるのとで、被害者の苦しみや遺族の悲しみはどう違うのだろうか。少なくとも前者の方の苦痛や悲嘆がより大きいなんてことはいえるわけもないではないか。
2006年09月27日
コメント(6)
安倍氏のいう「教育改革」って、しょせんは上からの目線での改革という感じがする。つまり普通の子ども、普通の親の目線にたったものではなく、為政者、支配階層という視点からどういう国民を養成するのが望ましいかといった…。だからどうせ「教育改革」の議論などしたところで、学力の向上や底上げなんていう議論はまずでないだろう。早期教育も含め英語教育の充実なんていうこともまず念頭にない。あるのは、教育基本法に愛国心を書きこむことや、教育の現場で自由競争をおしすすめることばかり。こんな方向での「改革」がすすめば、学力の格差はますます拡大する。バカな奴らには愛国心だけをたたきこんでおけばよいとでも思っているのかしら。そういえば教育審議会のある委員が「非才、無才には誠実さだけをたたきこめばよい」と言ったとか言わないとかの話があるけど、あののりなのかなあ。教育改革なんかよりも、格差や貧窮層の問題こそが最優先課題ではないの。※貧窮層の大発生のコストは犯罪発生のリスクだけではない。都市部で中年の無職者の住居が火災発生の火元となる率が高いことがどれだけ知られているだろうか。ホームレスの間に結核が発生し、それが他の住民にも感染していった例もある。格差社会や階級社会は、たぶん日本には似合わない。※昨日のニュースを見て政治家に中川さんが二人いることを再確認した。今までは2枚目政治家中川というのをきいて首をひねっていたのだが、ようやく謎がとけた。なんかあっちの中川さんって、モンゴルなんかを訪問して民族衣装をきせてもらえばすごく似合うのだろうな。
2006年09月26日
コメント(2)
いささか旧聞に属するが某作家の猫殺しが物議をかもしているらしい。これに関する論争をみていて思ったのは、やはり生まれてくる前の命と生まれた後の命とでは天地ほどの差があるということであろう。ペットの中絶手術なら話題にもならないのに、生まれてきた子猫を殺すとなるとこれだけ問題視される。※猫の話から人間にとぶ不謹慎を許していただければ人間についてだって同じ様なものではないか。出生前の中絶と出生後の殺人は全く別の話であろう。だからなぜ出生前診断が中絶につながったとしても、それが現に生きている障害者の生存を否定することになるのか、さっぱりわからない。「命の選別を許すな」「障害者のいない社会は怖い」という議論が声高に唱えられる中で、他の国ではすでに常識となっている出生前診断が行われずに、障害児が生まれてきていることの方がよほど怖い。きくところによると、この出生前診断に反対する人は障害児の親が多いという。「私はこの子が生まれて本当に幸せなのに、障害児を生むことは不幸だというのでしょうか。」と親たちはいう。出生前診断が行われ、結果的に障害児の出生が少なくなると、何か自分達の生きてきた道が否定されたように思うのだろうか。障害児とともに歩みながら喜びや価値を見出してきたことは誰も否定しないのに。障害児への教育方法が進歩し、かなりの成果をあげてきたことも大いに広報すればよい。ただこれから親になる人に対しては、医学の進歩で、「障害児の親にならない」という選択肢が可能になったのであれば、その成果を享受することはやはり認めるべきではないか。障害児の親も、一般の親と同様、すべての人が立派なわけではない。離婚や崩壊にいたる家庭もあれば、子供を施設に入れたまま一度も面会にこない親もいる。かっては麻原こと松本死刑囚もそんな親を持った障害児の一人だった。※ルポルタージュ「出生前診断」(坂井律子)は、出生前診断にどちらかといえば批判的な立場で書かれたルポだが、批判の部分はほとんど説得力がなかった。例えば、ダウン症の出生がなくなれば、今のダウン症患者の治療を行う専門家や施設がなくなるという議論がでてくるが、この問題は出生前診断の問題とは分けて考えるべきであろう。今のダウン症患者のために、これからもダウン症児が生まれてこなければならないと言うのはそれこそおそろしい考えである。「障害者のいない社会は怖い」という言葉は一見人道主義のようにきこえるが、よく考えると、自分自身は絶対に障害者とは無縁なところに位置づけている物言いで無責任にきこえないこともない。まるで「ばかもいるから世の中面白い」という言葉と同工異曲のようである。※たとえ出生のときには障害はなくても、これからの高齢社会、一生の間に障害を全く持たないという人はそれこそまれになってくるであろう。加齢を考えれば、障害というのは、誰にとっても他人毎ではない。出生前診断については、認めるべきだと思っているが、だからといって障害児や障害者を差別する意図は全くない。
2006年09月26日
コメント(0)
いささか旧聞に属するが某作家の猫殺しが物議をかもしているらしい。これに関する論争をみていて思ったのは、やはり生まれてくる前の命と生まれた後の命とでは天地ほどの差があるということであろう。ペットの中絶手術なら話題にもならないのに、生まれてきた子猫を殺すとなるとこれだけ問題視される。※猫の話から人間にとぶ不謹慎を許していただければ人間についてだって同じ様なものではないか。出生前の中絶と出生後の殺人は全く別の話であろう。だからなぜ出生前診断が中絶につながったとしても、それが現に生きている障害者の生存を否定することになるのか、さっぱりわからない。「命の選別を許すな」「障害者のいない社会は怖い」という議論が声高に唱えられる中で、他の国ではすでに常識となっている出生前診断が行われずに、障害児が生まれてきていることの方がよほど怖い。きくところによると、この出生前診断に反対する人は障害児の親が多いという。「私はこの子が生まれて本当に幸せなのに、障害児を生むことは不幸だというのでしょうか。」と親たちはいう。出生前診断が行われ、結果的に障害児の出生が少なくなると、何か自分達の生きてきた道が否定されたように思うのだろうか。障害児とともに歩みながら喜びや価値を見出してきたことは誰も否定しない。障害児への教育方法が進歩し、かなりの成果をあげてきたことも大いに広報すればよい。ただこれから親になる人に対しては、医学の進歩で、「障害児の親にならない」という選択肢が可能になったのであれば、その成果を享受することはやはり認めるべきであろう。障害児の親も、一般の親と同様、すべての人が立派なわけではない。離婚や家庭崩壊にいたる家庭もあれば、子供を施設に入れたまま一度も面会にこない親もいる。かっては麻原こと松本死刑囚もそんな障害児の一人だった。※ルポルタージュ「出生前診断」(坂井律子)は、出生前診断にどちらかといえば批判的な立場で書かれたルポだが、批判の部分はほとんど説得力がなかった。例えば、ダウン症の出生がなくなれば、今のダウン症患者の治療を行う専門家や施設がなくなるという議論がでてくるが、この問題は出生前診断の問題とは分けて考えるべきであろう。今のダウン症患者のために、これからもダウン症児が生まれてこなければならないと言うのはそれこそおそろしい考えである。「障害者のいない社会は怖い」という言葉は一見人道主義のようにきこえるが、よく考えると、自分自身は絶対に障害者とは無縁なところに位置づけている物言いで無責任にきこえないこともない。まるで「ばかもいるから世の中面白い」という言葉と同工異曲のようである。※たとえ出生のときには障害はなくても、これからの高齢社会、一生の間に障害を全く持たないという人はそれこそまれになってくるであろう。加齢を考えれば、障害というのは、誰にとっても他人毎ではない。出生前診断については、認めるべきだと思っているが、だからといって障害児や障害者を差別する意図は全くない。
2006年09月26日
コメント(0)
あとしばらくすればまたまた消費税アップの議論がでてくることだろう。ここでどうにもわからないのは消費税=福祉目的税という議論である。福祉目的といえば反対も少なくなると思っているのであれば、詭弁としかいいようがない。なぜなら食料にも水にも均等に同じ税率が課税される消費税こそ最も福祉を必要とする弱者に過酷な税だからだ。たしかに福祉も含めて、今後、財源は不足してくる。だが、なぜその福祉の財源が、所得税でも法人税でもなく、高級食材にもスーパーのかにかまぼこやふりかけにも同じ率でかかってくる消費税なのだろうか。ひとたび消費税を福祉目的税とするなどという議論を認めれば、今度のさらなる税率アップや、それがいやなら福祉切り下げも我慢しろということにもつながりかねない。今でも年間3万人の者が自殺し、ベニスの商人ばりに命を担保にしたサラ金も横行するような時代に、これ以上、弱者に厳しい政策を導入してよいものだろうか。「美しい国」というのは、なによりも、暖かい国であるべきではないか。教育基本法や憲法の改正、国連安保理常人理事国入り…そんなものは普通の庶民は望んでいない。
2006年09月25日
コメント(4)
藍色回廊殺人事件を読んだ。これでここ1年の間に6冊ほど浅見光彦シリーズを読んだことになるが…なぜこれが面白いのか。自分なりに分析すると、1主人公の魅力、2けっこうワンパ、3通勤電車で読むのに最適な軽さ、4適度に旅行案内的知識や雑学がちりばめられていて得した気分、とまあこういったところだろうか。※まず1の主人公の魅力はいうまでもない。長身、二枚目、頭脳明晰そして性格もよしとなると文句のつけようもない。でも一番重要な点はこの主人公にはけっして官能的シーンはでてこないということではないか。このあたりはあの冬ソナのヨン様と同じで、「無害」な男性だから安心して見て(読んで)いられるというのが大きい。2についてはミステリーとしての意外性はもちろんあるのだが意表をつくトリックとかとんでもない仕掛というのはでてこない。そして話の要所要所では葵の印籠よろしく浅見の兄が警察幹部という設定がきいてくる。そういう意味で、この浅見光彦シリーズって厳密な意味での推理小説というのとはちょっと違うように思う。3については、2とも関係するのだが、息詰まる展開というのもなく、いつ降車駅についても困ることもない。そしてこのシリーズ、一部の推理小説で好んで描かれるような丁寧な死体描写やアクションシーンとかも皆無である。4については松本清張という先達もいるのだが、浅見のキャラのせいか、どことなく明るいのがよい。そんなわけでこれからも機会があれば浅見光彦シリーズを読んでみたいと思っているが、実はポケットマネーを使ったことは一度もない。こういう本は図書館で十分という感じである。※最後になるが藍色回廊殺人事件、これも期待にたがわず面白かった。ちょっと異色なのはこのシリーズ定番のヒロインがでてこないことかなあ。他の作品だと才色兼備で主人公に淡い恋心を抱き、そしてさりげなく別れていくといった女性がでてくるものであるが。
2006年09月24日
コメント(0)
安倍氏の政権構想では重要課題として「教育改革」があげられているらしい。しかしながら、一般国民の火急の関心事は格差やワーキングプアに代表されるような困窮層の拡大ではないか。それなのに「教育改革」だなんて…失礼だけれどもネジがぬけているとしか思えない。※公教育の充実というだけなら、「ゆとり教育の弊害」や「学力の低下」がさけばれている今日、まだ理解できる。しかし、教育基本法を改正して愛国心を書きこむだのなんだのとなると、それに関心をもっている国民がどれくらいいるのだろう。あの金正日が拉致をみとめた9.17は日本人にとって衝撃的な事件だったが、あの後、総理や政府外務省がやろうとしたことは、5人の被害者を北に戻し、北朝鮮と国交を結び「過去の清算」の名で巨額の経済支援を行うことではなかったか。忘れたとはいわせない。多くの国民は、北朝鮮というテロ国家の本性が暴かれたことだけでなく、国民を守ろうとしない日本という国の実態にも衝撃を受けたはずである。上から愛国心をいうまえに、政治家や政府の側がまず「愛民心」をしめしてほしい。※そしてまた、同じ教育改革の議論の中で論じられているボランティアの必修や教員の任期制となるともっと首をかしげてしまう。ボランティアをやったことのない人が人にそれを強制することのおかしさはさておき、こういうものが導入されたところで結局エリート校の生徒は中学生に対する短期の学習指導などでお茶を濁し、一般の子供達だけが長期の奉仕活動などをすることになるのではないか。また教員に任期制などが導入されれば、教員志望の学生の質は確実に低下し、そうなれば、小学校中学校のうちから私立高校に通う生徒と公立に通う生徒の学力格差はさらに拡大するだけであろう。※考えすぎなのかもしれないが、どうも安倍氏のいう「教育改革」には、次世代の国民の学力向上ということよりも、政府に都合のよい庶民大衆を量産しようという牧民思想がかいまみられるように思えてならない。分をわきまえて、下流の生活にも文句をいわず、場合によっては「日本の国際貢献」のために血をながすこともいとわない…そんな国民を作りたいのだろうか。安倍氏には教育改革を論じる前に、ぜひハローワークや市町村の福祉担当の窓口を視察されることをおすすめしたい。5年間の小泉改革の中で格差をつけられた側の実態をぜひ肌で感じて欲しいと思うからである。※※自民党は民主党の政権構想に対して「ばらまき政策」だという批判をしているらしい。しかし国内の弱者や困窮者に使われる税金がなぜ「ばらまき」なのだろうか。政府自民党が行おうとしている少子化対策の名の下での子育て中の家庭に対する様々な優遇策(今では余裕のある人しか子供をもてないのに)や外務官僚の悲願である常任理事国入りのために海外にまかれる税金のようなものこそ、本当の意味での「ばらまき」ではないか。
2006年09月23日
コメント(2)
国歌斉唱を強制することは違憲だとかいう判決がでたらしいのだが…そもそも「君が代」が国歌だなんてどういう経緯で決まったのだろうか。暗いし、ノリが悪いし、昔から人口に膾炙していた歌だとはとても思えない。子供の頃、いつも「君が代」が音楽の教科書の一番後ろに掲載されているのをみて不思議に思ったものだ。学校でも教えないし、歌詞がまったく意味不明である。「岩のお隣で」ってだいたいどういう意味なのだろうか。長じてこれが古今集に載っている天皇賛美の歌と聞いてますますいやになった。「君が代」にしても、「日の丸」にしても、そして「天皇制」にしても、庶民と全く関係ないところでできたものが上からおしつけられて、これを拒否したら非国民であるかのように言われる。大抵の人は先祖代々この日本列島に暮していたのだろうけど、君が代も日の丸も知らなかったし、天皇の存在だってたぶん知らなかっただろうのに。※いっそ国旗国歌については国民投票で決めてはどうなのだろうか。いきなり国旗国歌を新しく決めるというのがなんなら第二国歌を決めてもよいではないか。フランスの国歌のように元気の出る歌がやはりよいのだろうか。そうなると軍艦マーチなんかちょうどいいのだが、「軍艦」というのはやはりまずいのだろうか。もし、ああいう曲が国歌だったら…そう考えてみて、今の「君が代」にもよい点があることに気づく。何か。それは短いということである。
2006年09月22日
コメント(14)
小泉総理の濃いキャラと芝居がかった話ぶりはたしかに政治を面白くしたが、はたして彼が政権をとったこの5年で世の中はよくなったであろうか。答えはNOである。格差拡大というよりも、困窮層が増大して様々な社会問題をひきおこしていることは周知のとおり。新総裁にはなによりも、雇用福祉政策によってこうした格差の是正にぜひとりくんでほしい。安倍氏はまず行うこととして「教育改革」をあげているらしいが、教育基本法の文言をいじるような改革なら、失礼だが、そんなもの誰も期待していない。そこに「伝統」とか「愛国心」とか書きこんだところで何がどれほど変わるのだろうか。ましてや「憲法」とか「皇室典範」の改正となると、とても火急のこととは思えない。※思えば安倍氏が急浮上したのは4年前の9.17が大きかったようだ。政権上層部には周知のことだったのかもしれないが、一般国民にとって拉致事件というのは半信半疑であった。普通に考えれば有力人士でも特殊な知識技能をもっているわけでもない一般人を拉致したところでなんのメリットもない。だから金正日が拉致を認めたとき、誰もが外国のテロの標的になりうること、近隣からの脅威というものが現に存在すること…それを改めて実感し、衝撃を受けたのだった。そうした中で、拉致事件に毅然とした態度を示し、「国民を守る」姿勢を示したのは安倍氏だけであり、それゆえに安倍人気が急騰したのであった。あのとき、安倍氏がいたからこそ、北朝鮮との国交締結は霧散し、拉致事件も国際的ひろがりをみせるようになった。通貨偽造や麻薬密造等の犯罪行為も周知のこととなり、ほとんど北朝鮮の命運も決まったのではないか。小泉訪朝後、すぐに国交が締結されていたら、今頃、北朝鮮は息をふきかえしていたかもしれないことを思えば、雲泥の差である。ただ、現時点では、この件に関してはかなりの部分安倍氏はその役割をおえたのではないかと思っている。たぶん拉致事件の残りの被害者の帰国も、これ以上の真相究明も(もし帰国した被害者が何かしゃべるのなら別だが)北朝鮮の崩壊以降にならざるを得ないのだから。※この拉致事件に関連して安倍氏は選挙の応援演説で「国家として一人の日本人の生命もおろそかにしない。」といった。その言やよし。そうだとしたら、教育基本法や憲法よりも、国内でひろがっている格差や困窮者の問題にもっと目をむけてほしいものである。
2006年09月21日
コメント(2)
タイのクーデター。朝刊に大見出しがあったので急いで読んでみる。で、読んでみたけどいまいちようわからん。どうせ「事態は流動的」…要するに先のことなど知りませんということだろう。そういえばアジアのもう一つの王制国家、ネパールでもこの間なんか騒ぎがあったっけ。あっちの方はどうなっているんだろうか。王様には政情を安定させる力があるということをいう人もいるが、それも国によりけりである。※もっともタイの方はクーデターは今までにも何度もあり、その都度王様が事態を収束させてきたという。その意味では王様がいるのに政情不安定というよりは、王様がいるからこそあの程度ですんでいるとみることもできるのかもしれない。タイ人ボクサーは入場のとき、よく王様の肖像画をかかげてくるし、かの国では王様に対する尊敬は非常に篤いものがあるようだ。だからこそ王様の仲裁なら双方いうことをきくということなんだろうが、傍から見ると王様を尊敬する心理ってよくわからない。人はその資質及び行動において尊敬されるのであって、血とかDNA故に特定の人間を他の人の上に置く制度はおかしいとしかいいようがない。身分差別や人種差別それに民族差別などそうした諸々の差別が排斥されてきているのに、なぜ王制という身分差別だけがいまだに存在しているのか。古くから伝わる血統だから尊敬するといったって、人はみな数十万年もさかのぼれば原人にゆきつく。たかだか一万年にも満たない期間で先祖の名前が伝わっているからってそれがなにほどのことがあろう。世界最古の家系としては孔子を先祖とする孔家がある。何しろ古い家系で今では子孫が何万人といるらしい。その中には著名な経済評論家もいるようだが、孔子の子孫だから自動的に尊敬されているということもないようである。なぜ「王様の家系」だと尊敬しなくてはならないのか。※今度のクーデターの指導者はイスラム教徒であるという。イスラム教の唯一神への帰依と王様への尊崇の関係がどうなっているのかよくわからないのだが、なんとか混乱もなく平和裏に事態が収集されればよい。ローマ法皇の発言じゃないけど、戦争やテロ以外に、イスラムの名で何かよいことが行われたことってあったのだろうか。「アッラーの名において」殺人を行った人がいても、その名の下に慈善活動や他者への救済活動が行われた話はきいたこともない。阪神大震災のときなんかに、イスラム教関係者からの支援が行われたりしていれば、日本人のイスラム教への見方もずいぶん変わっていたと思うのだが。
2006年09月20日
コメント(2)
ローマ法皇の発言がイスラム社会の反発を招いているらしい。報道で読む限り、過去の歴史的発言を引用したもので、文脈全体でみればそれほど問題視するようなものかなあと思う。先の漫画騒動といい、今回の騒ぎといい、これによってイスラム関係にはふれない方がよい、ふれると怖いという雰囲気が醸成されることの方がよほど問題ではないのだろうか。※以下は想像だけれども…世界史のある時期まで、今はイスラム圏である中東地域というのは、明らかに先進地域だった。最古の文明もあの地で発祥したし、古代から中世にかけて学術文化芸術がはなひらいたのもあの地域だった。それが近代に入ると後進地域に転落し、世界の主流からははずされたかっこうになっている。そして9・11の後は米国の八つあたりのような軍事攻撃をうけ、米軍による刑務所での虐待などもかの地の人々の感情を多いに刺激したことであろう。今回の法皇発言をめぐる動きは、なんかあの漫画騒動と同質のものが背景にあるように思う。※人は豊かになれば宗教からはなれる。信仰心を失うのわけではないが、現世のことで忙しくなるのである。もちろん神仏に頼る局面はあるかもしれないが、普段は信仰はそれほど重要じゃない。苦しい時の神頼み…それでよいではないか。信心篤いイスラム世界をみると、日常的に信仰にすがらざるをえないかの地の人々の厳しい状況をつい考えてしまう。前回の漫画に怒り、今回の法皇発言に怒って街で抗議をくりひろげている人達、あの中には金持ちや海外留学したようなエリートというのはいなくて、きっとほとんどが貧しく苦しい生活をしている人達なのだろう。
2006年09月19日
コメント(4)
あの素敵な小説「博士の愛した数式」を読んだ人ならぜひおすすめの本である。ただポケットマネーで買うのはちょっともったいないかもしれない。2時間くらいで読める本だし、中味もそうないから。私はもちろん図書館で借りて読んだ。博士の愛した数式」でもふれた完全数や友愛数の性質のみならず、すべての偶数が二つの素数の和であらわせるというフォイエルバッハの予想やフェルマーの最終定理についての簡単に説明されていて、数の世界の不思議な秩序には興味がつきない。藤原正彦氏がいっているように膨大な神様の手帳をちょっと覗いているだけというのは、数学を研究する者の実感なのかもしれない。※こうした数学の持つ美しさに感動する心…それはそれでよいのだが、ただこれと数学それ自体の能力というのはあくまでも別のものなのだろうな。「博士の愛した数式」以降、一般向けの数学の本を読んでいるが、なんとなく中学の頃の理科の第一分野、第二分野の区別を思い出した。これってたぶん数学の「第二分野」なんだ。中学生の頃、理科の第二分野は最も好きな課目だった。石集めは小学校からの趣味だったし、地学や天体は教科書以外の本もかたはしから図書室で借りて読んだ。一見身近な岩石や鉱物にも様々な興味深い性質や生成の秘密があり、毎日夜空に見える星にもつきせぬ物語がある。同じように身近で普遍的な存在の数も美しい定理を隠し持っている。できればあの頃にこんな本を読んでいたかった。もちろん読んだからといって、数学の成績が向上したとかとは思わないが。※※標題の本とはまるで趣が違うが「世田谷一家殺人事件」も最近読んだ。体感治安の悪化というのは多くの人が感じているが、ここまではっきり書かれるとやはり不気味である。具体的に、著者が名指ししているのは外国人のプロの犯罪グループであるが、こうした犯罪集団であれば従来の捜査方法ではなかなか網にかかってこないであろう。大規模な事件を起こすような犯人というものはやはり身近な人から見るとおかしなところがあって、事件後の様子で犯人ではないかということは周囲の人はうすうす感づいているはずだ。だから地道な聞き込みや情報提供を洗っていけば犯人にたどりつけるはず・・・こんな「常識」はもはや通じなくなってきているのだろう。
2006年09月18日
コメント(0)
余計な心配なのかもしれないけど麻原が処刑された後にも不安がある。それは麻原の処刑があの教団を一段と大きくしてしまうのではないかという不安である。死して伝説になるのって古今東西多くの例があるし、ましてそれが刑死という国家権力による悲劇的な死であれば、特に美化、神話化効果が起こりやすい。麻原が死んだ後、あの上佑あたりが、麻原は復活したとか、天界の神々の間にいる麻原を幻視したと言いはじめたらどうなるのだろうか。生きている人間はどうにもならないが、死んでいる人間ならなんとでもなる。ましてや教団スポークスマンの記憶や夢にでてくる開祖であれば、究極の美化だってできるであろう。※オウムあらためアーレフ分裂後の上佑派と反上佑派の権力争いが今後どうなるかはわからない。でも、どちらかが麻原処刑後、そのイメージを思いっきり神格化して、教団を大きく発展させる可能性って十分にあるのではないか。もちろんその教団がテロに結びつくものではなく、社会と共存できるものであればそれもよいかもしれない。ただ万一アーレフが世界宗教かなんかになって、日本とか日本人とかいうとすぐにあの麻原の顔が連想されるようになったら、それってすごくいやだと思うのだけど…。※ただ、ああいう集団犯罪の場合には、共犯者の刑が確定するまでは死刑執行はないらしい。麻原についてもすぐに死刑執行にはならないのだろうが、もし、死刑執行というのなら教団が完全に消えてからの方がよいのかもしれない。南米などでも反政府組織の首魁などは終身刑にしても死刑にはしていないようだ。処刑によって反乱者が英雄になってしまうことを恐れているのかもしれない。※※連合赤軍の永田洋子や坂口弘が死刑執行されないのも、この「共犯者の刑が確定していない」ということが理由となっているらしい。たしかに坂東邦男など国外に逃亡している共犯者はいるが、彼が今後、逮捕されて裁判が再開される可能性はほとんど皆無なのではないのだろうか。超法規的措置で刑事被告人を国外に出しながら、他の共犯者については律儀に国外逃亡した者の刑が確定するまで死刑執行をしないというのにはわりきれないものを感じる。永田洋子や坂口弘に冤罪の可能性があるというのならともかく、その可能性は皆無である。日本の犯罪史上にも残る酸鼻きわまる大量殺人事件の犯人が死刑執行にもおびえることもなく、ずっと生き続けていていいのだろうか。連合赤軍事件で殺害された人の親などの中には高齢で世を去っていく者も多いというのに。
2006年09月17日
コメント(4)
次期首相の呼び声も高い安倍氏はしきりと教育基本法や憲法改正の問題をいっているけど、普通の国民はそんなことには関心がない。たぶん今後の日本の最大の論点は格差…この意味ではライバル小沢一郎の方がはるかに勘がよい。この小泉改革は「格差の何が悪い。格差こそが活力だ。」でつきすすんだ数年間だった。そのおかげで、今日では、勝ち組、負け組、富裕層、ワーキングプアなんていう言葉もすっかり定着し、セレブの目もくらむような生活がある一方で、生活保護すらも断られた人々の自殺や衰弱死も後をたたない。※格差や格差についての見方というのは、文化や社会によってずいぶん違う。戦前の日本というのはひどい格差社会ではあったが、案外実感としてはそうでもなかったのではないか。たしかに農村は貧しかったが、今ほど情報が発達しているわけでもなかったので、都市エリートの世界は彼らの日常生活には無縁だった。貧しくても村社会、血縁社会の中で自分の立場を守って地道に暮らしていたというのが実態であろう。このあたりは長塚節の「土」などを読むとよくわかる。貧しい農民だって守らなければならないものは沢山あった。だから戦前の庶民はあんなに「アカ」に拒否反応をしめしたのである。今日の日本で激増している貧困層、おおかたが都市の定職をもたない単身生活者だが、彼らこそ真の意味で鉄鎖以外に失うもののないプロレタリアといえる。行き着く先は革命か、はたまた犯罪の激増か…。自動販売機へのガム塗りつけ、虚偽の119番通報、駅員への暴力等の頻発が後者のサインでなければよいのだが。格差の社会的コストというのは意外に大きい。※格差是認論者はよくアメリカなどを例にだして日本はまだまだ格差の小さい社会だという。しかしアメリカのような世界中の人がチャンスを求めてやってくる移民国家と日本などのような国民国家は同列には扱えない。ここで先進国の中でも比較的格差の少ない国があることはもっと語られてもよいだろう。デンマーク、スウェーデンといった北欧の国家群である。手厚い福祉がある一方で社会の活力も維持されている。これらの国がそろって立憲君主制をとっているのも興味深い。君主制には共和制にはない国民統合の力があるというが、国家のしての一体感が手厚い福祉国家を実現させ、それがまた王室を支えているという好循環があるのではないか。立憲君主制は格差の少ない社会と相性がよい。そういえば、英国で、サッチャリズムによって貧富の差が拡大し、米国型の格差社会になっていった時期と英国王室がスキャンダルもあって嘲笑の的になっていった時期がかさなるのは偶然とは思えない。貧困や経済不安のために、将来に希望のもてない国民が大勢いれば、王室のご結婚や王子誕生などの慶事をともに祝う気になどなれないのは理の当然である。※日本はさらなる格差社会をめざすのか、それとも格差是正の方向に舵をきるのか。次の選挙がまちどおしい?
2006年09月16日
コメント(8)
ついに麻原に死刑が確定した。これにより後半年すればいつでも執行はありうる状態になる。それにしても麻原彰晃とはなにものだったのだろうか。最大の謎は極貧の家庭に、視覚障害者として生まれた彼がなぜあれほどの犯罪を起こすことができたのか。なぜ綺羅星のような知能の高い人々が彼に従ったのか。いや、そもそも本当に彼らは麻原に従っていたのか。それはマインドコントロールのせいだとある評論家はいう。でも、これって、マインドコントロールを「呪文」とか「魔法」におきかえてもなりたつ話で説明にもなんにもなっていない。※麻原というのは、その異形故に祭りのみこしのようなもので、本当は犯罪の首謀者でもなんでもなかったのかもしれない。麻原は半盲でなんの専門知識もないのに、犯罪は多くの分野の専門知識を総動員しておこなわれた。サリン製造、銃密造、そして核開発まで計画されていたというのだから、事件の主体はどうみても麻原よりも信者達にあったのではないか。本当にマインドコントロールのせいだというのなら、そのメカニズムをはっきりわかるように解説してほしい。人格の解凍、変容、再凍結なんていう説明では、レンジでチンじゃあるまいし、とても納得できない。事件に中心にいて死刑や無期刑を科された早川や林の手記を読んでも、どうもこのあたりの心理がいまいちわからないのである。事件は麻原の犯罪、すべてはマインドコントロールのせい…こんな雰囲気の中でテロ行為を実行した医者は罪一等が減じられ、その他中枢幹部もおどろくほどの寛刑で既に社会復帰している。教団内での薬物使用を提案し、サリン謀議の場にもいた中枢幹部は全く刑事責任をとわれていない。事件の中心は本当に麻原なのだろうか。※マインドコントロールを人の心が操作されることと解するならそうしたものが全くないとは思わない。最も多いのは金などの利得を提供することであろうが、一番強力なのは、強い暴力で抵抗の気力を奪ったり、犯罪行為や性的羞恥心を利用していいなりにさせることであろう。北九州の親族同士が殺しあったとされる連続殺人事件などはそうしたものがフルに使われた例といえる。死刑判決を受けた長女は主犯松永に長期間、電気ショックによる拷問を受けた上、最初の殺人にも手をそめていた。その後、松永は長女の実家にのりこみ、母や妹とも性的関係をもったという。こんな事件で心理操作という意味でマインドコントロールという語が使われるのならわかるのだが、オウム事件はちょっと違うのではないか。麻原と幹部信者をならべた場合、優れた知識や知能を持ち、自由だったのはどうみても幹部信者の方である。※最近、オウムは分裂し、かってマスコミにもでていた上佑は社会とより融和的な教団をたちあげたという。また上佑とコンビを組み、同じくマスコミにでていた元顧問弁護士青山もそろそろ出所してくる。彼らの口から本当に納得がいく事件の真相が語られる日がくるのだろうか。
2006年09月16日
コメント(7)
コンビニにいくとときどき棚においしそうな缶詰がならんでいて思わず手に取ることがある。で、かごにいれようとしてよく見ると…げっ、ペットフード。こんな経験をした人って多いのではないか。実は私もそうである。今やペットフードは巨大市場になっていて、コンビニでさえ棚の一角を占めている。それにしてもペットをかわいがるのって、どんな人なのだろうか。もちろん一概にはいえないのだが、案外ペットが家族のかわりという人は多いのではないか。※かっては一人暮しなどはごくごく例外的なライフスタイルだった。老人が一人で暮していると子供は親不孝よばわりされたし、若い女性が一人で暮していればなにかと噂をたてられた。そしてまた中年男の一人暮しというと変わり者とかアウトローとかしった目でみられた。よいとか悪いとかではなく、家族が社会の基盤だったのである。ところが今では世帯のうち2割ほどは単身世帯という時代だ。老夫婦だけで暮していたり、老母と独身息子の二人で暮らしていたりといった、一人暮し予備軍といった世帯もまた多い。いくら政府が「家族の日」なんてのを定めようが、夫婦と子供二人が「標準世帯」だなんて決めようが、現実はもうもどらない。男女とも一人でも不自由しないし、格差社会の中で結婚したくてもできない若者も多い。かくて小型家電など単身者向きの商品が売れる。全部とはいわないが、ペット市場だって顧客のかなりの部分は単身者なのではないか。※単身者の中身も以前のような就職や進学のために親元を離れた若者層から、今では夫に死別した高齢女性や中年独身者など多岐にわたっている。そういう人の中には、一人暮しというのを人生設計におりこんでこなかった人も多いのではないか。いつか結婚するつもりで親と同居してきた独身者や子や孫と暮らすつもりでいた高齢女性などである。中には単身生活に向いていない人だっているのかもしれない。ペットや小型家電以外にも単身者の需要にはいろいろなものがある。
2006年09月14日
コメント(4)
電車の衝突事故がありオーバーランの日勤教育が問題視されると、全国あちこちでオーバーランのニュースがいっせいにでる。エレベーターの不具合で高校生が死亡する事故があると、あちこちのエレベーター閉じ込め事故がニュースになる。そして今では飲酒運転。別に飲酒運転がよいなんていう気はないけど、マスコミのニュースの取り上げ方ってなんか恣意的な感じがする。もっとも、地域によっては飲酒運転がけっこう日常的に行われているところもあるというし、そんなのが是正されていくのならそれはそれでけっこうなのかもしれないけど。※フィリピンから看護士や介護士を本格的に受け入れるという。若年や壮年の無業者が問題になり、団塊退職世代も近々第二の就職先を見つけなければならない時代にいったい何を考えているのだろうか。老人の便臭をサリンといった介護士を非難する前に、機器の導入などで少しでも介護の現場を働きやすいものにし、日本人の労働力をよぶほうが先であろう。介護する人が幸せでなければ介護される人も幸せではない。家族に仕送りをするために、日本に出稼ぎにくるフィリピン娘達は幸せなのだろうか。外国人が看護や介護の職に入りこむ一方で、子供の親殺し、親の子殺しの事件は頻発する。次男27歳無職、長男42歳無職…。外国人導入よりも日本人の中での格差是正と雇用対策の方がよほど重要だと思うのだが。※小学生の対教師暴力が頻発しているという。小学生でも高学年になると体力は大人と遜色ない。教育力のない家庭が増えたということも原因だろうが、教師の体罰に対する過剰反応が続いてきたことも原因ではないか。昔は教師に叩かれたことなど親には言えなかった。教師に叩かれるような悪いことをすれば親にも叱られるのが当然だからだ。それが今では親が先に立って教師を責める。教師ふぜいがうちの子を叩くなんてけしからんと。マスコミにでもでれば一方的に教師が悪者視され、かくて怖い教師は絶滅する。さらにいえば、かってクラスをまとめていたような子供は学校など相手にしていない。部活動づけにして非行を防止しようなんていう発想しかない公立中学では学力向上など望めない。指導力のある子は大抵成績もよいが、そういう子は中学受験で忙しく、小学校などめじゃない。教育基本法の改正よりも、本当の教育問題ってこんなところにあるのではないのだろうか。※教育基本法や憲法の改正しかいわない安倍氏が総理では不安で仕方がない。格差是正や雇用対策の方がどうみても火急の問題ではないか。
2006年09月13日
コメント(4)
大きな事件があると必ず陰謀論がでてくる。代表的なのは大韓航空機事件と9・11だろう。※まだ日本人拉致などには多くの人が半信半疑だったあの頃、大韓航空機事件についての陰謀論というのはかなり説得力があった。ソウル五輪を阻止するための飛行機に爆弾をしかけて墜落させたというのだが、事件があったのはちょうど韓国大統領選挙の2週間前、そして墜落したのは国際線ではあるけれども中東へ出稼ぎにいってきた韓国人労働者しかのっていない便だった。飛行機が墜落してソウル五輪が中止になるというのも結びつかない話だし、それよりなぜたまたま大統領選挙の2週間前という選挙に影響を与えるには絶好の時期に、なぜたまたま自国の出稼ぎ労働者だけを乗せた飛行機が撃墜されたのか。たしかに出稼ぎ労働者なら支配層から見ればとるにたらない庶民だろうし、自国民だけしか乗っていないのなら国際問題にもならない。まことしやかに陰謀論が語られても不思議ではないだろう。この頃でた「破壊工作」という本は、こうした陰謀論をベースに事件を追跡した本でなかなか面白かった。犯人のたどった足跡を丁寧にたどり、写真のアングルが非常に不自然なことや自供道理に東欧の町のホテルで朝鮮人が集団でいたら目立ちすぎるなど、疑問点を次々とあげていた。今では大韓航空機事件が自作自演だなんていうひとはいない。それでも当時、「陰謀」という色眼鏡でみると、陰謀説もそれなりに説得力があったのだ。※9・11についても陰謀説が根強く語られているらしい。事件当日、あのビルで働いているユダヤ人が休みをとっていたとか、ビル内部に爆薬がしかけられていたという類である。中にはケネディ暗殺の秘密文書を抹殺するためにビルを爆破したなんていう説もある。いずれも反論はあるのだが、いくら反証をあげても、こうした陰謀説というものはなかなか消えないようである。どうして陰謀説がでてくるのだろうか。人は信じがたい事件を見聞すると、どうしても公式発表どおりの単純な構図に満足しない。つい裏があるのではないかと考えてしまうのだ。9・11についてはとても陰謀説を信じる気にはならないが、それでも不思議に思うことはある。あれだけ多くの死者がおり、しかも現場が米国経済の中心であったのに、なぜ被害者の中にただの一人も著名な政財界の人士はいなかったのだろうか。いや政財界にかぎらず、あんな事件で被害者の中に著名人がいないというのが、とても不思議である。※※民主党が格差是正をいいだしたのはよいのだが、ちょっと気になるあの党首。以前もなにかの公約で「どうせ選挙が終れば大衆は忘れる」なんていっていたような…。今日のテレビのインタビューで、最大の目標をきかれるとすかさず「政権奪取」と答えていた。日本をよくするとか、社会をよくするとかではないんだね。
2006年09月12日
コメント(4)
自民党の次期総裁候補とされる方の演説を聴いて大丈夫かいな…と思ったのは私だけではあるまい。特に最有力とされる安倍氏には危ういものを感じる。※この人、なんか「教育改革」を最優先のするらしいのだが、どうもその中味は学力や職業能力に関するものではなく、愛国心や奉仕の心に関するものらしい。今の山積みする懸案の中でこんなのが最重要課題だというのだろうか。理念をもてあそび、教育論議をおもちゃにするのはやめてほしい。それにまた教育論議をしたがる政治家って、なんか共通の特徴があるようだ。いずれも経済財政論議には弱く、教育の力を過大評価している。戦争中あれほど軍国教育をやっていたにもかかわらず、終戦とともに多くの人がころっと鬼畜米英派から米国民主主義礼賛派にかわってしまったという一事だけでも教育の力などたいしたことないということがわかるのに。※それにまた再チャレンジというのも意味不明だ。本気で再チャレンジというのなら、すぐにでもやらなければならないことがある。それは公務員の採用試験と学歴逆差別(大卒はつけない職種)を撤廃すること。就職してからも思いっきり差別されそうな「フリーター」枠なんてものをつくるよりも、このほうがずっと効果がある。公務員といっても難関職種もあればそうでもないものもある。様々な紆余曲折を経た上で、安定した職務を地道につとめるつもりで公務員を志す人がいてもよい。民間に中年以上の人にも正社員採用の機会を広げるようによびかけるのであれば、まず魁より始める必要があるのではないか。※こうした具体の再チャレンジや人生の路線変更という選択肢が用意され、中途で職を辞した人がなんの偏見ももたれずに次のところに挑戦できるという社会になって、はじめて安倍氏のいう「教員の任期制」というのも意味を持つ。今のまま教員の任期制なんていうのが導入されたらどうなるのだろうか。安定した職でもなくなった公立学校の教員の志望者は激減し、その質も低下するであろう。同じ任期制の職種といっても、弁護士などに転身できる裁判官とはまるで条件が違う。教員の資質が低下したら、起きることは私立学校に通えない子供の学力低下と教員の不祥事続発であろう。庶民の子供は低学力でも愛国心と奉仕の心さえあればよいというのだろうか。※安倍氏がブレークしたのは、拉致事件についてまともな対応をとった政治家が彼しかいなかったということにつきる。国民が外国の犯罪行為で被害をうけたときに怒りを表明するのは国家として政治家として、あまりにもあたりまえなことなのに、そんなあたりまえの政治家が彼しかいなかったというのは、なんとも残念なことである。
2006年09月11日
コメント(7)
話題の映画「グエムル」を見た。怪獣映画というと着ぐるみの怪獣が街をふみつぶすようなのばかり想像していたが、そういうのはもう古いのだろう。このグエムル(怪物の韓国語読みで別に固有名詞ではない)は大きさはバスに隠れる程度で、人間を食用にするらしいところが妙にリアルで怖い。そういえばかって映画にでてきた巨大怪獣って不思議と捕食シーンがなかったが、いったい何を食べていたのか…なんて余計なことをつい考えてしまった。※で、映画の内容の方であるが、なんかこれって反米映画じゃないのだろうか。そもそも怪物出現の原因が米軍からの汚染物質(なんか荒唐無稽?)であるし、その後も米軍はありもしないウィルスの脅威をでっちあげたりする。しまいには韓国にはまかせておけないと米軍がのりだしてイエローエージェント(人種差別?)作戦というのをやる。かっての日本の怪獣映画では、あまりこういうのはなかったなあ。どんな怪獣が来ても、外国が関与してくることはなかった。このあたりって島国と半島の差なのだろうか。そういえば米軍からの汚染物質流出は実際にあったことだし、米軍人の車が女子中学生を轢いた事故などもあった。その都度、韓国全土で反米運動がもりあがったわけだが、その底流には、米国に対する微妙な感情があったのかもしれない。韓国というか、朝鮮半島の歴史はつねに強国との葛藤の歴史だった。その強国が時代によって中国だったり、日本だったりするわけだが、米国に対しても、何か自分達を支配し、頭を抑えつけている強国という感情をもっているのだろうか。映画にでてくる米国人は、なんとなく高慢で韓国人を見下しているように描かれていたし…。※映画のテーマは怪物を中心とするモンスターパニックなのだろうけど、家族愛もまた大きな柱でなっている。でも、この怪物と戦う家族というのが、いわゆる両親と未成年の子供の家族ではなく、老父(といってもまだ50代)と成人した3人の子供というのが面白い。高齢化、長寿化、少子化の中で確実に増えていき、しかもライフサイクルの中での期間も長くなるのが、老親と成人した子供という組合せである。韓国では少子化は日本以上であるし、高齢化もすすんでいる。そんなことも老父と成人した子供の家族を主人公にしたことに反映されているのだろうか。それにしてもこの長男を演じたソンガンホ。見れば見るほどお笑いタレントの石塚によく似ていた。
2006年09月10日
コメント(6)
遠野物語を読んだのはいつの頃だろうか。貧しく狭い村社会の中で培われた豊かなイマジネーションの世界に圧倒された。近代以前の村は夜は暗く、病気や天災など日常生活の脅威になるものもはるかに多かった。いたるところに妖怪がいて不可思議な事象がおこったことだろう。神隠し、山姥、河童、水底に沈む鐘、座敷童子。こうしたものは姿がはっきりとみえるわけではない。日常と非日常のすきまで人々が想像力をふくらませ、それを冬の夜囲炉裏端などで語って話としてひろめていったのだろう。だから遠野にいったらぜひレンタサイクルで市街地を離れ田園地帯を走ることをおすすめする。市街地を歩くだけでは遠野物語の雰囲気はわからないし、自動車では風や空気を感じることはできない。この間、遠野に行ったときには花巻から片道750円、レンタサイクル500円で五百羅漢と河童淵を見てきた。※たまたま遠野は「遠野物語」という名著のおかげで有名になったら、本当はああいう民話の里は全国いたるところにあったに違いない。そういう貧しくつましい農村こそがコメ作りをしながら、長い間、社会をささえてきた。私もそうだが、多くの人の先祖はそんな農村に暮していた。だから、ああいう世界こそ、本当の意味での「日本の伝統」なのではないのだろうか。論者の中には様々なものを「日本の伝統」だといって、そういうものがあたかも日本人のDNAに組み込まれているように主張する。でも、「遠野物語」には天皇も武士道も一切でてこない。そのかわりにあるものは、自然の恵みに対する感謝、人知を超えたものに対する畏敬の念そして貧しい者同士が助け合う穏やかなやさしさなどである。※自明のことのように考えられている日本の伝統とか、日本人の特性。そうしたものは近代以降に誰かさんによって考え出されたもので、実はなんの根拠もないのかもしれない。それにまた、仮に古くから伝わっているからといって、それだけで無条件にまもらなければならないというものでもあるまい。古くから伝わるよきものは伝統というが、悪しきものは因習というのだから。
2006年09月09日
コメント(0)
こんな夢を見た。以下は夢の話である。どこからともなく流れてくるスターウォーズのテーマ曲。はるかはるか昔、銀河系のかなた。ある文明レベル3の惑星でその星では庶民階級に属するナナシ(その惑星の知的生命体の中ではそう呼ばれていた生物)がうかない顔して歩いている。通りかかった別の知的生命体(ムメイと呼ばれているらしい)が声をかける。「ナナシ。どうしたの。何悩んでいるの。」「うん。王子様のところに子供が生まれたとかで、惑星中が喜びにわいているって皆言ってるけど、全然私は喜ばしくもなんともないんだ。お金もないしさあ。あの王子が私に何をしてくれたってこともないしねえ。」「気にするない。喜びにわいているっていったって別に世論調査をやったわけでもないし、ナナシと同じ様に思っている人も多いんじゃないの。」「そうだよね。でもあんなにどこをみても同じ様なことを言っているのをみると、この惑星もあの悪名高いキム星と同じみたいでキモチ悪いよね。だってあそこって何かあるとすぐ惑星中がキム王の誕生日を祝っているとか、先代キムの死を悲しんでいるとか、そんなんばっかだもん。」「いやいや、いくらなんでもあそこよりはずっとましだよ。」「王子だか王だか知らないけどああいう血統だけで、自分とは縁もゆかりもない人を崇拝したり敬愛したりしているのをみると、すっごく違和感あるんだ。なんか私ってこの星では異分子なのかなあ。」「そんなことないよ。ただ、そういう声は大きく聞こえないだけ。」「あ、向こうから誰か来るよ。じゃあ、この話はこの辺でやめとこうね。」はるか昔、銀河のかなたの夢の話である。
2006年09月08日
コメント(6)
すごくいいにくいことなのだが、特定の家系とか血筋のものに敬愛の感情を抱くことを前提とする制度というのは、今後も存続しうるのだろうか。たしかにマスコミしか情報源がなく、またマスコミにのっている人にしか発言の機会のない社会では、そういうことも可能だったであろう。漠然としたタブー感覚の中で、「国民そろって〇〇の慶事を喜んでいる」といえばそれが事実となったし、その手の発言や感想だけがマスコミに報道されればそう思うのが普通と誰しもうけとるようになるのだろうから。でも、今は違う。諸外国のものを含め、マスコミを経由しないでも様々な情報にふれることができるし、大勢の報道に違和感があれば、ネット上で意見を発信することもできる。現にyahooなどの掲示板にも様々な意見感想があふれている。画一的なマスコミと多様なネット…あらためてネットというもののありがたみを感じる。あのへんてこりんな「人権擁護法」などができたら、こうしたネットの特性も半減されるだろうし、それも案外ねらいなのかもしれない。
2006年09月07日
コメント(14)
少子化対策の一環として政府は「家族の日」を制定するという。もし家族というものを、夫婦がいて、子供がいて…と定義するのなら今日では家族は万人のものではない。生涯未婚率は男性では10%を超えているし、単独世帯も激増中だ。税金を使って「家族」の素晴らしさを広報するというのは、一人暮しの人に家族そろっての写真入り年賀状をとどけるような無神経さを感じる。本当の意味で少子化対策を考えるのであれば、不安定雇用などで結婚したくてもできない若者のための対策をとってはどうだろうか。少子化自体が問題というよりも、結婚もできない、将来に希望ももてないという若者が大勢いることの方が大問題なのだから。この「家族の日」と同様のピントはずれは子供を育てやすい住宅供給という施策にも感じる。子供の成長に合わせて間取りを変えることができ、代を重ねても使用できる住宅ということであるが、今日、子供が結婚しても親と同居するという家族形態はすでに例外的となりつつある。ちょっと前までは老人が子供と暮らすといえば「子や孫に囲まれての暮し」を連想させたのだが、今やいい年をした中年の未婚の子と暮しているお年よりの方が多い。新聞に載っていた川柳で、サザエさんはかっては楽しい家庭だったが、今ではうらやましい家庭になったというのがあったが、特に都市部では妻の親、夫の親にかぎらずゆったりとした家で和気藹々と暮している三世代世帯は天然記念物的だ。産業構造も人の考え方も変わった今日、かってのような皆が結婚し、結婚した子どもが親と同居する社会に戻そうたって無理は話だ。それよりも、不安定雇用の若者やワーキングプアの問題を何とかしてほしい。それが多くの人が政府施策に望んでいることではないのだろうか。
2006年09月06日
コメント(6)
安倍氏は首相になったら教育改革を最優先の課題としてとりくむという。やれやれ・・・教育基本法をいじるのなど誰も望んでいない。ニート、フリーター、そして格差拡大の中で激増する生活困窮層をなんとかしてほしいというのが多くの国民が望んでいる緊急の課題ではないか。どうかそのあたりを間違えないでほしい。※もちろん教育に問題がないわけではない。少年犯罪や学力低下など、それこそ「愛国心教育」などよりも重大な問題が山積である。そしてまた本来問題とすべきでない教師のささいな言動をマスコミが過大にとりあげるのも教育を悪くしている元凶の一つではないか。報道によると、どこかの学校で立ち食いをしていた外国人児童に教師が「立ち食いは犬猫にも劣る行為」だと言ったことが問題視されているらしい。「犬猫にも劣る行為」というのはごく普通の日本語で、別にこの表現の背後に差別や人権無視があったとはとても思えない。一部の人が騒ぎ、それを無批判にマスコミがたれながせば教師はますます萎縮するばかりである。※これはなにも「立ち食いは犬猫にも劣る」発言だけではない。泥棒が○を△個盗んで・・・という算数の文章題が問題視されたこともあった。これが問題なら日本の古典的文章題の盗人算や継子抜き算も教室では扱えなくなってしまう。模造刀を使ってがまの油売りを実演してみせた教師が学校で刃物を振り回すなどなにごとかと非難された例もある。がまの油売りのかくし芸を直に見るなど子供にとっても貴重な経験のはずなのに、これで非難されては生徒の前で何かやろうなんていう教師はいなくなることだろう。過剰あるいは検討違いな教師に対する非難を出すマスコミ報道は、一頃はやった過剰な体罰非難報道(弱いものいじめをしている現場をとりおさえても暴力教師扱いするような)と同じくらい罪作りである。※※来年度から政府は「家族の日」を設けることとし、そのために予算を要求するという。以前話題となった「夫婦の日」の焼き直しのようなものだが、未婚率が上昇し、単独世帯が激増している今日では「家族」はもはや万人のものではない。家族の大切さや素晴らしさを政府が税金を使って広報するよりも、ただでさえハンディをおいがちな単独世帯や家族のない人のための施策を行なったほうが良いのではないか。
2006年09月04日
コメント(10)
次期総理と目される安倍氏はいったいこの国をどんな方向にもっていくつもりなのだろうか。報道でみるかぎり、小泉総理と同様の小さな政府論者で、他の施策も現政権をほぼ踏襲するようだ。※こういう人が次期総理になれば、小泉政権の時代に広がった格差がさらに広がっていくのではないかと懸念する。再チャレンジということ自体には反対しないが、あまりここばかりを強調しすぎると、困窮の問題は結局はチャレンジの機会を生かせない個人の自己責任の問題とされ、弱者に冷たい政策はなおも続くのではないか。今でも自殺者の数は年間3万人を超え、最後のセーフティネットである生活保護需給を断られて衰弱死する人もでている。ニート、フリーターの若者は百万を超え、本人だけでなく、家族にとっても、将来の不安や悩みは相当なものだろう。愛国心教育や憲法改正がけしからんというのではない。もっと深刻な現下の問題に、具体的にとりくんでほしいと思っているだけだ。再チャレンジとか「美しい国」といった修辞だけでは、なんとも不安である。※そしてまた安倍氏はひきつづき日本の国連常任理事国入りをめざすという。この目的のためにアフリカ諸国などにいったいいくらの金をばらまいたのだろうか。国内でも貧困の問題をかかえ、今後超高齢社会を迎えなければならない日本にそんな余裕はない。なんのために国連常人理事国入りなどめざさなければならないのか、さっぱりわからない。さらにいえば、実際のところ「靖国参拝」などよりも、日本が国連常任理事国入りを目指しているほうが、よほど「中国人の感情を傷つけている」のではないか。中国の感情云々を問題視するつもりはないが、中国人の気分を害するから靖国神社に参拝するなといっている人が、同じ根拠でなぜ日本は国連常任理事国入りを目指すのをやめろといわないのか不思議でならない。※「美しい国」とは決して政治大国や軍事大国を意味するものではない。真面目な人間が明日の糧を心配しないで働くことができる社会こそが「美しい国」なのではないか。
2006年09月03日
コメント(11)
皇太子ご夫妻は31日にオランダから帰国されたはずなのに、なぜ帰国映像がでないのだろうか。いくら私的なご旅行だとしても、出発の時の扱いに比べて帰国がベタ記事だけというのはいくらなんでもおかしい。※※それはさておき次期総理最有力の安倍氏が政権構想を打ち出したようだ。それによると最大の課題は憲法改正と教育改革。前者はともかくとして、後者についてもウェイトは学力向上ではなく、愛国心や奉仕活動におかれている。大丈夫なのかなあ・・・こんなのが総理で。たぶん今の日本で最大の問題は、特に若者の間に広がっている不安定雇用の貧窮層拡大ではないか。そしてそれにともなう治安の急速な悪化やセーフティネット機能のほころび。※こうした問題に比べると教育の中での奉仕活動の強制などは、まるで周回遅れの議論のようだ。小学校や中学のとき、学校前の道路の清掃を皆でやったことがあるが、あれってさして「教育的効果」があるとも思えないし、今の週5日制の学校じゃ他の学科の時間を圧迫するだけだろう。そもそも自らはボランティアなどやったこともない人達が奉仕活動の効果をうたうのだから胡散臭いことこの上ない。まるで一頃はやった「競走から共創へ」といった類の小役人の作文のような気持ち悪さを感じる。そんなに奉仕活動がよいのなら、そういっている識者やその家族が率先してやったらどうなのだろうか。福祉施設をはじめ、そうした活動を歓迎するところはいくらでもある。※憲法改正にしても議論としてはよいが、すぐにどうこうできるものではあるまい。今の憲法の枠内で改正手続きを行なおうとすれば、国民投票のあり方など検討課題が山積である。あまり知られていないが実は古代の法律大宝律令も改正はされていない。「令外の官」というのが、次々とできてなし崩しに変わっていったのである。憲法改正の大議論をやるよりも、現実的な国防を論じるほうが先決であろう。※思えば安倍氏が総理候補として急浮上したのは拉致事件で毅然とした対応がきっかけだったかと思う。自国民の被害に対して国家がきちんとした対応をとるのは、ある意味当然のことである。この当たり前のことを行なった政治家が安倍氏だというよりも、安倍氏しかいなかったということ自体、日本の政治の不毛を示しているのではないか。テロ国家に金を貢ぐような「国交正常化」という名の「国家の異常化」を行なわないのはごくごく普通のこと。それ以外では、憲法改正や教育論議で時間を使うよりも、雇用や福祉などでの火急の懸案に是非とりくんでほしい。
2006年09月02日
コメント(8)
この頃、目につくのは家庭内殺人のニュース。その中でも母親の殺害を30万円で友人に依頼した事件は特にやりきれない。普通、母一人子一人の家庭といえば、互いに寄り添うように細やかな情愛で結ばれた関係を連想する。それなのになぜそのたった一人の肉親の殺害を金で依頼するようなことができるのだろうか。離婚家庭というハンディを背負い、一人で子供を高校生まで育てながら、最後はその子供に殺されるなんて悲惨すぎる話である。※この事件以外でも子供の親殺しの事件は多い。特に目立つのは中年になった子供が親を殺害する事件である。あまりいわれていないが、ここ5年、10年でめだって増えているのは、中年になった未婚の子供と親が同居しているという家庭である。パラサイトシングルと揶揄的にいわれることもあるが、未婚であることも親と同居していることもそれ自体は別にどうこういうことではあるまい。問題なのは、経済的に自立できずにやむなく未婚で親と同居しているという場合である。中年の子供による親殺しで目立つのは、子供が無職であったりアルバイトであったりする事例だ。子供も中高年にさしかかるにつれ将来不安が募るし、親の方は次第に経済力も体力も失っていく。不安や不幸をかかえていれば自然人間関係もすさんでいく。いわば貧すれば鈍すという現象である。中年の子供の親殺しの背景には、多くの場合、雇用不安があり、今のフリーターやニートの問題だって放置しておくと、これからもこんな事件は激増することだろう。いやもしかして家庭内だけではなく、社会との無理心中のような通り魔的犯罪だって頻発するかもしれない。※中年の息子が働かないのをなじられ親を殺害なんてのとは様相がことなるが、高齢化社会を反映して介護殺人も増えている。こうした事件をみるたびに家庭内介護というのは、すでに限界なのではないかと思わざるをえない。殺人事件を山の頂上としたら、その下にははるかに広い裾野があるはずである。家庭という密室の中での、介護に伴う虐待などは、実はものすごくひろがっているのではないか。厚生労働省は、介護については在宅重視という方針を崩していないが、今の高齢者の半数は単独や夫婦だけで暮らしている。ましてや都会になると、子供夫婦と暮らしている高齢者などほとんどいない。老人だけで暮らす家庭は今後もますます増えるであろう。※雇用と介護…これが今の日本がかかえる二大課題といっても過言ではない。
2006年09月01日
コメント(4)
全33件 (33件中 1-33件目)
1