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今日は定例ゴルフコンペだった。前回は、前々回のメーカーからの立ち上がりを期して、臨んだが、グロスで80を切る人が数名居る中、ハンディー頼りで、ネットパープレーではあったが、ベスト10にやっと入っただけで、結構シビアなせめぎ合いであった。前回優勝者は先輩で、何年ぶりかの優勝かと言うほどの普段は優勝には遠い人だったが、ネット8アンダーで、とても届かなかった。起死回生をと思っていただけに、悔いの残るゴルフと書いたが、今回は、少し前まで、猛暑続きで、練習場にも行かず、クラブに触れる機会も少なかった。そこで、昨日は勘を取り戻すために、久しぶりに打ち放しの練習場に出かけたが、相変わらずの我流だけど、ボールにだけは親しんでおかないと、という気持ちがあったわけだ。曇り空で、狭い練習場だから、何処に飛んでいるのか分からないほど、ボールの行き先が見えない。大きな練習場なら、右左にずれても、なんとかボールは追えるが、昨日の練習場の幅は狭く、且つ奥行きは、100ヤード程度でネットがあるので、ボールの行方を見失うことが多い。真っ直ぐに飛べば問題ないわけだが、引っかけたり、プッシュしたりで、なかなか頭を残しておくとボールを見失うと言うことになるわけだ。尤も、良い当たりの時には、真っ直ぐに飛んでいき、行く先を十分に見届けることが出来る。私の後ろで練習していた人が急用で帰ると言って、残り50球ばかりを譲ってくれた。それは有り難いのだが、疲れてしまった。そのまた後ろの人は、年格好は若干私よりも若い感じだが、何と、ドライバーでは、向こうのネットの最上段に突き刺さるように飛ぶのである。アイアンも然りで、それを見ていると、むやみに力んで、どうしようもない敗北感に襲われる。そんな練習ともならない練習で迎えた今日は、生憎、しょぼしょぼと小雨が降っている。このまま大降りにはならないだろうという見通しで、スタートした。インからのスタートで同期の友人とよく練習されている1つ年上の女性との3人の組だった。慣れたコースなのだが、なかなかうまく行かないものだ。ホールバイホールの結果は書いてもしょうがないが、出だしから左に引っかけて、林の中からフェアウェイに出すというトリプルスタートだった。次の2番ショートホールで、寄せワンでかろうじてパーを取りオナーとなったが、それ以降なかなかオナーは取れない。友人は私より1枚も2枚の腕が上なのに加えて、今日のショットは、良く飛んだ。すぐにオナーを明け渡し、私は、ティーショットが思うにまかせないままホールは過ぎていく。13番の少し打上右ドッグでは、あわや右の傾斜部で止まったが、危ない当たりだ。3打目のアプローチでも、ピッチングが思うように当たらずバンカーに捕まり、トリプルとなる。昨日の練習でアプローチは折角時間を割いたのにと呟くが、どうしようもない。次の打ち降ろし池越えショートでは、アゲインストでもあり、7Wを使ったが、後30cm届かず池の中に落ちた。ピンが手前に切ってあったので、難しくはあったが、池に入るのは気分が悪い。15番のミドルは、2オンは果たせなかったが、何とかボギーだった。しかし、16番ロングでは、やはり飛ばず右ラフに入り、そこで、だるま落としのようなボールの下をヘッドが通り過ぎるというたまに出るミスなどがあり、最後にはバンカーそして3パットと2桁スコアになってしまった。それまでも良いところはあまりなかったので、ハンディー頼みの優勝も全く遠のいてしまった。次のドラコンホールでは、友人に約30ヤードは置いて行かれるし、それでもグリーンまでは何とか付いていったが、4パットの悪夢、之ではどうしようもない。最終18番は更に悪かった。ティ-ショットは完全に狂い、当たり損ないのボールは、フェアウェイまで届かない。そこでウッドを持ったのが結果的にいけなかったのかも知れない。そこで、何と左に引っかける、2回連続OBを出したのだ。3度目は、クリーンに当たったが、今度は右ラフである。ティ-ショットが飛ばなかった分、3打目からグリーンは狙えず、刻む形で、ボギー上がりプラス4打罰のまたまた2桁である。途中雨が降ってきて、打ち急いだことも原因かも知れないし、レインコートを何処かに脱ぎ忘れたことも気になったりで、しっくり来なかった。午後は、雨が降るのを恐れて、スループレーとなっていたが、幸い午後の雨は小雨程度で助かった。1番の出足は、ボギーで、私としてはまずまずである。2番もアプローチが手前5mにかろうじて乗ったが、パットのタッチが良く、あわやインかというOKボギーだった。友人はここでトリプルを叩き、2回目のオナーになった。その後、アプローチがまたショートで、友人にオナーが移る。続く短いパー3ではこれまた1オンせず、花道からのアプローチをトップして3パットのダボである。情けない気持ちであるが、花道からなら、ランニングアプローチを使えばいいと友人に言われた。5番の2打目から打ち降ろし最後池越えのロングでは、右ドッグだから、出してはいけない右側に飛ばしてしまった。フェアウェイに一旦出すかたちになるのだが、これもラフからで、十分に距離が稼げない。4打で池越えはしたが、グリーンには数十センチショートし、ランニングアプローチがぴたりと寄って、OKボギーだった。6番のティーショット、ファウェイウッドもなかなか芯を捕らえられず、3打目のアプローチもショートである。続く7番の長いミドルはハンディーが1と言うことで元から2オンは難しい。途中なかなか思うようにいかないフェアウェイウッドで、最終の4打目アプローチもグリーン側までしか運べなかった。トリプル上がりである。8番の長めのショートも届かずラフからの寄せで、1パット目が実にカップにボールが覗く位置で止まってしまった。10秒待ってもボールは動かず、結局ボギーだったが、今日3回目にオナーとなった。最終9番ホールは、やや打上から水平部があり、打ち降ろしの途中はラフになっている言う変則ロングだ。ティーショットの当たりが良ければ問題なく中間のラフを避けられるのだが、飛ばないと2打目で、左足下がりのラフに捕まる。今日もその通りとなったが、何時も無理してラフからウッドで距離を稼ごうとするのだが、友人のアドバイスで、7番アイアンで脱出することにした。ウッドで打つとラフの下をかいくぐるだるま落としになることが良くあるのだ。今回は、距離は稼げなかったが、安全にフェアウェイに出せた、次にグリーンを捕らえるべきところ、いつもの調子でショートしてしまう。最後はやっと5オンで2パットとダボ終了で、今回も思いを遂げることは叶わなかった。前半が叩きすぎた(10を2回もやってしまった)ので、後半何とか普通ではあったが、大波賞をもらえることになった。優勝者はハンディキャップ11ながらグロスを76と、ぶっちぎりの好成績でネットは65と7アンダーで、2位に6打差付けての文句なしの優勝である。今日は途中、雨でどうなるかと思ったが、最後は何とか曇り空に戻ってくれた。しかし、私のゴルフは、湿ったままであった。次回はハンディーがまた1つ増えるのだが、早い回に、大叩きをせず、並のゴルフをしてみたいというのが今のところの望みに変わってきた。ラウンドは楽しく回れたが、ゴルフ自身は大いに悔いの残る結果であった。
2010.09.30
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世界中には至る所に遺跡がある。もちろん日本にも数え切れないくらいの遺跡がある。そんな遺跡から、昔の物を見つけ発見したと言っては、新聞紙上に発表される。日本の場合だと、市の教育委員会等や、博物館の館員の人達によって、説明会などが開かれ、多くの愛好者達が聞きに出かけると言ったこともある。私は、それ程熱心な愛好者ではないが、遺跡から発掘されるものから、いろいろと昔の人達の生活のことなどを振り返り、時には、歴史を修正したりするのであろうと思うと、なかなか面白いものだと思う。日本では、奈良県の遺跡が多くのものを出土している感じだ。良く名前を聞くのは「高松塚古墳」である。高松塚古墳といえば奈良県明日香村の丘陵上に築かれた古墳で、直径18m、高さ5mというそれ程大きくない古墳である。1972年の調査で、石室が見つかり一躍有名になった。この遺跡は、7世紀末~8世紀初めに掛けての遺跡で、奈良時代という言われる頃であろう。その石室には、男女の人物像や白虎、青竜、玄武のほか、天文図などが発見された。そのほかにも人骨や、海獣葡萄鏡等数多くの副葬品も見つかっている。特にこの遺跡を有名にしたのは国宝にまで指定されている、極彩色壁画であろう。1300年前の色彩が、色あせずに残っていたと言うから素晴らしいことだ。人物像のスカート部分などの青い彩色には、アフガニスタン産の宝石ラピスラズリを使ったとされている。ラピスラズリは日本では産出しない。アフガニスタン産が有名で、中国・敦煌の壁画にも使われていたともいう。ラピスラズリは西洋に於いても画家達が青色の表現で多数使われたと聞いた。偶像崇拝を嫌い、バーミヤン遺跡の大仏を平気で爆破してしまうイスラム原理主義者タリバンの国にその産出量が多いというのも皮肉なことだと思う。こういった風に、日本での出来事は、何らかの形で海外との結びつきを持っていると言うことが遺跡などから分かるわけだ。バーミヤン遺跡では、7世紀~10世紀に掛けての時代に、石窟内で、世界最古の油絵を使った絵画が壁面に描かれていることも発見されている。之もタリバンによって破壊されていて、現存はしていないらしい。人類は、古きものをそのまま使うことはなく、遺跡として残したり、破壊したりして、その時代に即応した形で環境を造り上げるわけだが、そのたび毎に地球の何処かで、土が掘り返されているのである。考古学とは一体何だろうということを考えると、私には、たちまち漠然としてくる。「古」きを「考」えるというのだが、一体いつ頃から「古」いのだろうかと言うことだ。今日から振り返れば、昨日も古いのだが、まさか昨日のことを考古とは言わないだろう。今は平成であるが、昭和は既に考古なのかなどと考えてしまう。ウィキペディアによると、「考古学は人類が残した痕跡(例えば、遺物、遺構など)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問である。」と記されているだけだから、昭和の初め頃のものでも考古学の対象となっているのかも知れない。ということは、私自身が残したものでも考古学の対象になりうるということである。もちろん生前に何を成したと言うこともなく、世間的に珍しいものを保有しているわけでもないから、何の考慮の対象にもならないのだけれど、対象範囲にはなって来るのだろう。私が個人的に好きなのは、「古代ローマ時代」だ。連れ合いと最初に海外ツアーに出かけたのもイタリアであり、コロッセオやフォロロマーノなどは、物語や、映画などで想像していた現実がそこにあるということで、一瞬、時間を超えた気持ちに浸れた。日本でも、昔の武将や、偉人の銅像が各所に建てられているが、ローマでカエサルの前で写真を撮った時は、一寸感激したものである。遺物や遺構に残されているのは、その時代の形骸的なもので、その時代に起こった人為的な行動や、血塗られた戦いなどは、それらの遺跡を見ているだけでは分からない。聞くところによると、ローマの街は掘り進んでいく内に時代が遡ると言って、何層にも積み重ねられたというのである。その点は、日本にも同じところがあるのだろうが、過去の遺跡が見つかると、新しい建造物なりの建築は、しばし待てと言うことになったり、時には計画を変更するか、過去にこういう場所であったことを示す小さな石碑が残るだけになる場合もある。今は、世界的に水ビジネスといわれ、日本も参入しようとしているが、古代ローマには既に、郊外の水源地からローマに水を運ぶための数十kmもの水道が500年掛けて造られたという。京都のインクラインで、琵琶湖の水を引く水の通る橋が南禅寺の横を通っているのは有名であるが、ああいった類の水道が、古代ローマでは紀元前数百年前に設計施工されていたと言うことである。これは、古代の土木建設で最も偉大な業績の一つであるとされている。今年のはじめにもローマ水道の取水口が発見されたとあった。現在は使われていないと言うことだが、「トライアーナ水道」と呼ばれ、全部石造りで、石を組み合わせて水を濾過する装置も付いていたと言うから驚きである。これをインフラの代表と呼ぶべきだろう。当時のローマの国交省的な部門がこれを成し遂げたのであろうが、建造期間が500年と言うから、何代にも何代にも亘る長期的視野の下に出来上がったものである。余談になるが、今の国交省や、厚労省の役人共には、こういった長期的な視野で物事を考えている人物はいないというか、先ず、体制的にそれを期待することは無理なのだろう。くだらない箱物を造って、後世の人間の笑いものになる前に、現代でさえも無用の長物とさげすまされる有様なのだから、温故知新などというが、昔のことをどれほど学んでいるのだろうかという単純な疑問が湧いてくるのである。世界の七不思議に数えられている、ギザのピラミッドなどは、どれほどのことが解明されているのか知らないが、想像力を掻き立てるに十分な建造物であり、人為的行為でこれを成したと言うことでは、実に驚異的なことだと思う。世界の七不思議には、他にも「バビロンの空中庭園」「オリンピアのゼウス像」「エフェソスのアルテミスの神殿」「ハリカルナッソスの霊廟」「ロードス島の巨人像」「アレクサンドリアの大灯台」が挙げられるが、ギザにピラミッド以外は現存していないとのことだ、この消失してしまった、「不思議」がまた想像力を掻き立てるに十分で、実際に存在したのだろうが、神話的な要素も含まれているという世界に導入してくれる。ここで言う「不思議」は「wonder」を訳したものだが、「驚異的な」というニュアンスもある訳で、人類が、何故にこういったものを造り上げたのかがまた不思議である。因みに、新世界の七不思議とされているのは、1.チチェン・イッツァのピラミッド(メキシコ)2.イエス・キリスト像(ブラジル)3.万里の長城(中国)4.マチュ・ピチュ(ペルー)5.ペトラ(ヨルダン)6.コロッセオ(イタリア)7.タージ・マハル(インド)である。これらは全て現存であり、その価値や、建造した経緯など、未だ完全に解明されていない部分もあるだけに、「wonder」と呼ぶにふさわしい。時には、こういった希有壮大な話に浸るのも世間を超越した気分になれて楽しいものである。
2010.09.29
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哲学者といえば、すぐ、ギリシァ哲学におけるソクラテスや、その弟子のプラトン、アリストテレス等を思い浮かべると同時に、なにやら難しいもの、疎遠なものだという思いを持ってしまう。その通りなのであるが、そもそも哲学とは何かと問われて何と答えるかと言われれば、門外漢には分からない。折しも現在日経新聞に私の履歴書を執筆中である哲学者木田元氏の内容を読んでいるが、だいたい30回前後で終了するから、もう終わりに近い。過去に哲学者として執筆された方は、2名しかおられない。履歴書であるから、哲学の内容を知ろうとしても無理なのだが、一体哲学者は何を考え、どのように生きてきたのかを考える縁になろうかと読ませていただいている。氏は現在82歳になられると言うが、生まれてずっと哲学者ではなかったわけで、何と履歴書の約半分近くは、哲学とは全く関係がないと思われる、戦時中の物語が書かれているのである。1回目には「面白い人生、哲学と60年」と書かれているから、本格的に哲学を始められたのは22歳の頃からであろう。戦争体験者の話は、先頃NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」の水木しげるさんにしても同じであるが、聞くも、見るも悲惨な時代である。幼児時代から、多感な時期を有無を言わせず軍隊に所属させられ、やっと生きて帰れる喜びを語っておられるのは、誰も同じである。私もどちらかといえば、戦中に生まれたことになるが、その悲惨さは、幸いなことに実感としては何もない。私にして、そんな風だから、それ以降の人々は、戦争というものに対しては、極めてよそ事のように考えているのかも知れない。木田氏は、戦後の影響下で過ごされたようで、父親がシベリアから帰国されるまでは、一家を養わなければと言うことに精一杯で、農林専門学校でもと入学されたようである。「でも」というのもある意味不適切でない言い方かも知れないが、やはりその頃から、このまま行ってどうなるのだと、それまでの人生を振り返って愕然とする日が続いたというのである。その辺りから、なにやら哲学の入口らしきところにたたれたようである。ドストエフスキーにはまって、「罪と罰」を読んだことを皮切りに、多くの書を読まれたとある。私自身も、「罪と罰」は読んで、ラスコリーニコフの名前には覚えがあるので、誰しもが通る道なのかも知れない。連れ合いなどは、訳者が変わり、読みやすくなったと言うことで、「カラマーゾフの兄弟」5巻と後の続編を一気に読んでしまった。そこから先が、工学系を志した者と、哲学を志した者の差が出てくる。氏の場合はキルケゴールやハイデガーの名前が出てくるわけだ。私などは、チェビシェフ、フック、チモシェンコといった偉人の名前となるわけで、経済学に進んだ人はマルクス、エンゲルスとなるのであろう。氏の語学習得力とその勤勉さは驚くほどであり、なかなか真似して出来るものではない。私などは、未だに哲学とは何かを知らないわけで、哲学家として生計が立てられることにある種の驚きを感じているわけだが、どことなく「哲学」という名前に心が引かれる事が多い。哲学とは何かということで、人づてに聞いた話では「物事を考えること」という答えを貰ったことがある。それなら、自分も毎日一応それなりに考えて生きているわけだから、自分も哲学していることにはなるのだと思ったことがある。哲学は英語ではPhilosophy(フィロソフィー)というが、元々は古代ギリシャ語から来ており、ギリシャ語のphilos(フィロス=愛)とsophia=知恵、知、智)が結び合わさったもので、元来「philosophia」は「知(智)を愛する」という意味が込められているとのことだ。そこらからソクラテスやプラトンが用いるようになって哲学の概念が出てきたように書かれている。もちろん私が今から哲学をといっても、「ニーチェ」や「サルトル」また「ハイデガー」を学ぼうというものではない。今まで生きてきたこと自体が、哲学しながらの行程であったとも思うのだが、最近になって、之で良かったのだろうか、もう少し違った生き方があったのではないだろうか、等、他人の庭が青く見える如く、自らを振り返えることがある。実存哲学は、「人間がいかに自らの自由により自らの生き方を決断してゆくか」ということを中心的課題に据えていると書いてあったが、そう言う意味では、結果はどうであれ、またその途上の考え方の深さは如何にあれ、私は、実存哲学を生きたことになるのだろうかと思う。最も、人生のターニング・ポイントに於いて、生き方の決断が浅はかな面があったことは否めないだろうが、それなりに決断してきた結果が現在であると思う。哲学は、世界に起こる森羅万象が対象であり、例えば、「神とは何か」とか、今ここに自分が居るという「存在」、くだらないことをしていても流れる「時間」、三次元に広がる「空間」、宗教に見られるように人は「善」か「悪」か、それを規制する「理性は人間にとって生与のものか」等々、正しく全てが対象なのである。こういったことを小難しく考えるのが哲学で、「存在論」とよぶものらしい。地球や人間、物質などが「ある=存在する」ということについて考える、これも哲学の分野である。そこで、私が感じている、之で良かったのだろうか、もう少し違った生き方があったのではないだろうか等と考える、「高貴な(意義のある)生き方とは存在するのか、また、あるとしたらそれはどのようなものなのか」であるとか、「善」「悪」というが之は永遠不変のものなのか、それらの価値はどういった基準で決められるべきなのか、などと言った「価値論」等もまた哲学の一分野である。哲学という括りで整理すると、世の中の全てのことは、哲学の一分野であることになる。従って、自然科学を志向する私のような場合でも、実は哲学の分野をさまよっているのだと言うことなのだ。従って哲学といえば形而上学、実念論、唯名論、現象学・・・等ばかりを言うのではなく、自然哲学もまた範疇にあり、科学について考える科学哲学、空間・時間・物質など物理的現象を考える物理学の哲学、数学について考える数学の哲学等々、自然科学もまた大きな哲学ジャンルに組み込まれることになるわけだ。また、地域別には西洋哲学あり、インド哲学あり、イスラム哲学ありで、中国の儒学の孔孟思想などもまた、哲学と言うことになる。そんな風に考えていくと、人の人生は皆、哲学の集約と言うことになるが、現在私が仕事もしないで、ぶらぶらと遊び暮らす「無為徒食」の生活を考えるともう少し違った「時間」の過ごし方もあってしかるべきだと考えてしまうわけだ。今私は、心も平静を得、極めて幸せと言える。「今まで、一生懸命にやってきたからだ」と言ってくれる人もいるが、なにやら、やり足らないことがある気がしている。きっと一生この気持ちは変わらないのかも知れないが、今の「時間」、「生きていること」が、何かしら意味あることであるべきだと、貧乏性の私はついつい考えてしまうのだ。ゲーテは「人生において重大なのは生きることであって、生きた結果ではない。」といってくれているので、この幸福感をこのまま享受しようとは思うが、もう少し、「哲学」しよう等と考えてみるのである。
2010.09.28
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2日前に高槻の現代劇場で標題の仏教講演会があるというので、どんなものかと行ってみることにした。連れ合いも付き合うというので出かけてみたが、会場は、狭い畳敷きにところだったので、とても足が持たないと連れ合いは帰ってしまった。私はせっかく来たのだからと、聴講しようと残ったが、どうやら、集まってくる人達は、なにやらマニアックな感じがして、新人は私一人だったかも知れない。もちろん入場は無料で、参加者全員に小冊子を配ると言うことだったが、残念ながらもらえなかった。講演の内容は「仏教とは一言で言うと何を教えているの?」「仏って何?」「家は浄土真宗だけど、親鸞上人はどんな方?」「朝晩の勤行に拝読する正信偈には、何が書かれているの?」といった内容だと言う案内であり、この間歎異抄を読んだばかりだし、もう少し仏教(真宗)のことを深く分かるかという単純な気持からの参加であった。場所が現代劇場と言うから大勢の人が聴講するのかと思っていたが、そうではなく、頭数を数えたら係の人らしいのを入れて25名程度であった。まず前振りの女性が出てきて、有り難いお釈迦様の生まれを解説してくれる。お釈迦様は浄飯王を父にマーヤー夫人を母として生まれ、ゴータマ・シッダッタ(悉遺多太子)との名があるという。幼い頃から文武両道にすぐれ、その師をしてもはや教えることは何もないと言われたのだそうだ。生年もはっきりしないのに、何故か4月8日生まれだと日付は分かっているようだ。極めて裕福な家庭に育ったと言うことで、「四季の館」(四季毎の風情を持つ4つの館の意味)を建てて貰ったり、常に500人の美女が侍ったりしているような境遇であったというのである。何とも、新興宗教のイントロのようではないかと感じた。更に続けて、「健康」「財産」「地位」「名誉」「妻子」「才能」などはいつか潰えて、永遠に続くことがないものであって、本来の幸福は1.不老、2.健康、3.不死であると言うわけだ。良く聞く「産まれた途端、七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と話した」という説明はなかった。裕福な生活を送っていたが、やがてすることもなくなり、父の浄飯王に本来の幸福の上記3箇条が欲しいと言い、叶わぬとされたというのだ。そこで、29歳の2月8日裕福な生活を捨て、城を出て出家し、35歳で覚りを開き、仏覚となったというのだ。ここのところは、「覚り=正覚」を開き、仏陀(覚者)となったということで、仏覚という言葉は見あたらない。覚りを開く修行には52段階あるのだそうで、詳しく説明はなかったが、52位とは、十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚を意味し、最後の妙覚が仏の悟りということで、釈尊はわずか35歳で覚りを開き、覚者(即ち仏陀)になったとのことである。この、十信~十地の各々にはまた10段階の修行があるということだが冗長になるのでここでは省略する。最高位の覚りを開いてその後80歳で没するまでの教えを仏教と称するとのことである。そこで、講師が現れるのかと思いきや、何と、垂れ幕に映像が映し出され、過去に富山の2000畳の道場で信者を集めて講話した時の録画が流れたのである。私は、之は正に新興宗教と同じだと感じた。そして、古典仏教も、やはり金が無くては成り立たず、こういった形で布教して、信者を広め、お布施を収集しようとのことだと悟った。どうもこの手の会合は苦手である。周りを見渡すと皆さん「御文章」という小冊子を持っている。おまけに数珠まで持っているのだ。来るべきところを間違ったとは思いながら、午後は欠席するとして、午前中は聞くことに決めた。VTRの講師は高森師と言うことで、なにやらきな臭い感じのおじさんである。瞬間的に創価学会の池田大作を思い浮かべてしまった。高森師が説いた内容は蓮如が著したとする「白骨の御文章」の話である。その本文を筆写すると、【本文】 夫(そ)れ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。さればいまだ万歳の人身を受けたりといふことをきかず、一生過ぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろかなり。されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。というものである。之は私が幼い頃に誰かの葬儀に出た時にこの言葉を聞いたことがあるのを思いだした。世の中ははかなく空しい、「苦海」、「難度海」といった海のようなものだから、迫り来るさざ波や、大波を超えようと、流木や小さな板きれにすがっていても空しくなるだけである。ここで、波は苦しみ、流木や、板切れは金、財産、地位といったものだというのだ。これらは、結局は空しく一時的なものであるというのだ。そして、そんな浮き世を過ごしていこうとすれば、念仏にすがる他はないといった、歎異抄に言う専修念仏に行き着くというのである。教行信証の冒頭にあるように、「竊(ひそ)かにおもんみれば、難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度(ど)する大船(だいせん)、無碍(むげ)の光明(こうみょう)は無明(むみょう)の闇(あん)を破する恵日(えにち)なり。」という風に、この大船は念仏を唱えることだというのである。もう一つ、死はやがて訪れるもので「人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば」という如く、順番通りではないよと言い、「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。」であるとか、「野外におくりて夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。」という如く、何もかも空しくなってしまうのだよと教えている。しかし念仏することでも不老不死は避けることは出来ず、念仏によって心の平静さを保つと言うことなのかも知れない。このように限られた中で意を尽くすことは出来ないが、一休禅師は、女性を例え次のように読み、人の世の定めを良く言い表している。「世の中の 娘が嫁と花咲いて 嬶(かか)としぼんで 婆(ばば)と散りゆく」
2010.09.27
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久しぶりに連れ合いと一緒に友人のリサイタルに出かけた。オール関学の発表会のような性質で、場所は、関西学院の高・中等部の礼拝堂だ。去年の第40回は、連れ合いが、行く途中で、体調不調を訴えたために、私一人が出かけたことを覚えている。阪急京都線で生きてきた連れ合いは、どうも神戸線は、地の果てに行くような感覚で、気勢がそがれるようだ。今年2月に兵庫県立芸術文化センターであった、関学グリーリサイタルには共に出かけているので、ほぼ半年ぶりということになる。連れ合いとしては、学校に出向くというのになりやらこだわりがあるようだ。未だ現役だから、何も好んで休みの日まで学校に行くこともあるまいといった感じなのかも知れない。阪急電車で、梅田まで出て、神戸線に乗り換える。ここでも十三で乗り換えると言うことはしない。神戸線の特急で、また十三に戻り、その次の停車駅が西宮北口である。そこで、今津線に乗り換えて2つ目が甲東園である。前回一人で来た時は、駅から西へ徒歩約12分という案内だったので、歩いて行ったのだが、小さな案内の地図では、一寸わかりにくいところもあり、且つ、結構きつい坂道だったので少し疲れたのを覚えている。徒歩12分は、×80mだから1km足らずと言うことになるが、之はあくまで直線距離であり、ここの場合は、感覚的にはもっと遠い。今日は連れ合いも一緒なので、バスに乗る事にした。ちょうどバスの発車に行き合わせたので、そのまま乗ったら、随分早い到着となった。時間つぶしに正門からキャンパスに入り散策した。甲山を背景にした正面キャンパスと、その全面の芝生の広い庭は、緑が一杯で、行楽の人もいるのどかな風景であった。関西の私学の中では、最も小さなキャンパスだと連れ合いは言っていたが、私の大学に比べたら環境の良さは雲泥の差である。広場の両横のシュロの木は、南国を思わせる風情で、なかなか雰囲気がある。一回りしてもそれ程時間が掛からないからやはり狭いのであろう。一旦正門を出て、時間つぶしのために近くの喫茶店に入る。アンティークな感じのするなかなか雰囲気のある喫茶店だった。一寸早めにそこを出て、会場の礼拝堂に向かう。会場時間前であるが、既に開場されており、既に席は3割方埋まっていた。礼拝堂というだけあって、ベンチ席の前の棚には、各席毎に「聖書」と「賛美歌集」が置かれている。前から数列目に席を取ったが、開演の頃には、2階席も含めて一杯の人で、盛況であった。やがて開演時間となったがステージは5つの構成で、第1と第3は現役大学生による関学グリークラブの演奏である。ステージ2は高等部のグリーで、第4ステージが、同期の所属する関学OB「新月会」の演奏となり、最後の第5ステージは合同演奏であった。最初のステージ辺りは、睡魔が襲ってきて、何度か連れ合いにつつかれたが、後半の「新月会」や「合同演奏」ではばっちり目が覚め聴かせて貰った。連れ合いも大学時代混声合唱団に入っていたので、合唱に対しては蘊蓄がある。素晴らしい、物足りないの批評がおそらく的確なのであろうが、私には、それに返答する力がない。テナーの声が出きっていないとか言われるが私は、ベースがどうも弱いのかな、など一寸ちぐはぐな感想になってしまう。合唱の選曲も色々あるのだろうが、私にはその知識もない。合唱の作曲家といえば中田喜直くらいしか知らないわけだから仕方がない。高校生のステージでは、連れ合いの教える中学生よりも可愛い子がいるという。おそらく之から練習を重ねて巧くなっていくのであろう。最後の合同演奏時に、司会者が15歳から80歳までが一堂に会しているというのだから、おじいちゃんと孫みたいなものである。しかし総勢176名の演奏は、なかなか迫力もあり、聴き応えのある感動的なものであった。以前の会の時は、メンバーはほんの数えるほどしか居ない感じで、名門関学グリーも危ないかなと思ったが、今日は、壇上も、聴衆も目一杯の人数で、なかなか迫力があった。新月会のステージは、ビートルズナンバーの演奏であったが、カルテットを70人余りで歌う合唱とはなんだかそぐわないものを感じた。譜面をバインダーに入れている人、全部を暗譜して、手ぶらで歌う人など様々であったこともなにやら、違和感を感じた。連れ合いは、「から手で出る人が、体を揺すって歌うのは、カラオケを歌っているわけではないのだから一寸ね」となかなか手厳しい批評であった。いろいろな趣向で、ラフなスタイルで歌うのは楽しいが、一方ではしかつめらしく譜面を手に歌っている人と、体を揺すっている人のアンバランスを感じたのであろう。私はそれ程熱狂的なビートルズファンではなかったので、題目の全ての歌を知っているわけでではなかったが、「オブラディ・オブラダ」「ミッシェル」「イエスタディー」等は良く耳にした曲であった。最後の合同ステージは組曲「航海詩集」より、ということで、練習帆船「海王丸」を対象にした歌である。海王丸は4本マストの所謂バークナー型と呼ばれる帆船で、合唱ではあまり取り入れられた例がないというものであった。現在は2代目の海王丸となっているがこの初代海王丸は残念ながら私の勤めた造船所ではなく、1930年川崎造船所で建造されたものである。大海原を帆走する美しい姿から「海の貴婦人」とたたえられ、現在は富山県新湊港に係留、一般公開されているとのこと。私は曲そのものよりも「海の男のロマン」という文句に強く惹かれた。最近では、ジョニーデップの、「パイレーツ・オブ・カリビアン」で帆船が出てくるが、このメインマストにセール(帆)を張る装置が「キャプスタン」であり、人力の帆策巻き上げ機は、円筒に4本のバーが付けてあり、それを海の荒くれ男が押しながら回し、帆がメインマストにするすると上るというものである。もちろん私の時代は、帆船は設計対象外であったが、15-16世紀の大航海時代を思い起こさせる帆船は、船を設計するものにとっては一度は手がけてみたいと思う。しかし、合唱曲にもこういった組曲があるのかと一寸した感動ものであるが、船に携わったと言っても、帆船はまた別格であろうし、帆船を設計することも然りだが、之に乗船して大海原を帆走するという姿は、正しく男の仕事という感じである。「男のロマン=辛く苦しい事」というのが私には連想される。作詞した丸山薫は実際に2ヶ月間体験乗船しているとのことでその経験から書かれた詩は臨場感がある。これを歌う人は、一体どういう気持ちで歌っているのだろうかとふと考えた。演奏が成功裏に終わり、ロビーで、何時も鑑賞に来る同期の友人夫妻と、演奏した友人夫妻と少し話を交わして別れた。演奏した友人の奥さんは、このところ体調がすぐれないと言っていたが、今日は何とか少し明るい顔が見られたのは良かった。バスで来た道をぶらぶら散歩しながら甲東園に出て、梅田で食事をしてから帰宅した。帰る頃には、連れ合いの体調も少し戻っていたようなので安心した。
2010.09.26
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2010年9月7日、中国のトロール漁船が日本の領有である尖閣諸島・久場島沖の東シナ海で海上保安庁の巡視船に衝突し、日本側は中国漁船船長を公務執行妨害の疑いで逮捕した事件についてである。この事件は、中国による巧みな外交戦略に日本が屈した端緒である。今にして思えば、日本を舐めきった中国政府の差し金で、漁船のヂャン其雄船長は挑発的に日本の巡視船に体当たりしてきたものだと考える。でなければ、このような大胆な行為を1民間人の判断で行うはずがないと考えるのが常識であろう。胡錦濤の直接指示であったかどうかは分からないが、政府が仕組んだ挑発行為に間違いはないだろう。従って、この事件の本質は、クジラを捕るなと息巻く1奇人団体である「シー・シェパード」の行為とは似て非なるものであるということだ。そもそも尖閣列島は日本固有の領土である。この事実は第2次世界大戦の敗戦でアメリカに一時領有された沖縄が返還された時点で、元々日本の領土であった尖閣列島も同時返還されたというのが正しい解釈なのだが、最近エネルギー資源の石油や、LNGなどが、海底に埋蔵されていると言うことが分かってから、各国の領土に関する主張は一段と活発になってきたと言うことである。そこで経済的排他水域(EEZ)という国際間の取り決めを行い、1982年に採択された国連海洋法条約では領海は、海岸線から200海里(約370キロメートル)と定められたのだが、日中間の東シナ海では最短距離が400海里未満で両国の200海里の海域が重なるため、双方の主張が対立していることになる。日本は海岸線から等距離の中間線が境界線とする立場をとるが、これに対し、中国は陸地から続く大陸棚などの地形に配慮すべきだと主張。中間線から東に張り出した大陸棚の先端である「沖縄トラフ(海溝)」までが中国側EEZだとしている。この考え方が歩み寄りをみせない限り、この種の問題は後を絶たないであろう。そしてこの問題が、海底に資源が現に眠っていると言うことから一歩も引かない姿勢となって表れてきているから始末が悪い。従って表層的には中国の漁船が、日本領土内に不法に侵入し、排斥しようとした日本の保安庁の巡視船「よなくに」に体当たりして抵抗したので日本側は公務執行妨害で逮捕したというものである。ところが、政府の指示を受けた中国の船長はそこが中国の領土だと聞いているし認識しているから、自国の領土内で漁をして何が悪いと邪魔する日本の保安庁の船に体当たりをしたというのである。日本側の主張は自分の庭で、柿を取ろうとしている隣人を見つけ、出て行けと言ったのに対し、中国側は自分の庭で柿を取ろうとしていたら、隣人(日本)が自分の庭に入ってきたので殴りかかったという構図である。一般の喧嘩なら、先に手を出した方が悪いと言うことなのだが、中国は、垣根を越えてうろうろしている方が悪いという解釈なのだから、双方の主張が折り合うことはない。従って、中国の漁船が日本の保安庁の巡視船「よなくに」に体当たりしているビデオがあったとしても、根本的な境界論議が折り合っていないので話がすれ違うのである。 尖閣諸島付近は中国のみならず台湾も領有権を主張しており、付近の海では中国や台湾の漁船がたびたび操業。その都度、保安庁が退去するよう呼びかけていたが、過去に保安庁の巡視船と台湾の遊漁船が衝突、遊漁船が沈没する事故があった。今回のような、中国漁船と保安庁の巡視船が衝突した(された)ケースは初めてのケースであるという。ここに、弱含みの日本政府への中国側強硬姿勢が読み取れる。最近の東アジアの海域における中国の一連の動きは、その前哨戦で、中国海軍が、太平洋におけるプレゼンスを主張して、沖縄本島と宮古島の間を堂々と艦隊を組んで通過するという事態があり、結果的には、日本は何も行動を起こしていない。昔、日清戦争の折には、清国(中国)を「眠れる獅子」と呼んでいたが、今の日本は「死んだふり大国?」なのである。日本は、戦争を放棄している平和な国であり、それは日米の安保条約をベースとして世界武力均衡の中で存在が可能なのであるが、その日米安保の件でも、アメリカを逆なでしているため、アメリカは、2国間の話し合いで済ませるようにと調停すらしない。元々、軟弱な日本の外交手腕である上、経済的にも落ち目になり、GDPでも世界2位となった中国の方にアメリカの視線が向くのは当然のことである。アメリカ軽視を云々するわけではないが、全く理想論ばかりで、裏工作が全くないままに、中国の挑発に乗った形で話が大きくなった(させられた)のである。釣り堀に餌を撒いたら日本が食いつき、日本は何の裏工作もなく船長逮捕という正義を行ったのである。しめしめと思ったのは中国、胡錦濤や温家宝であろう。中国の常套手段である、対外敵国を作ることで国内の不満分子の矛先をかわそうとしたのである。中国国民の中の先鋭的な輩は、日本が想像する以上に激しい。その激しさが、中国政府に向かっては困るという背景がある。従って、中国政府は、中国の論理に基づいて強硬姿勢を採っているのである。EEZの考え方や、線引きも曖昧なまま、その上で起こった問題を一方的に解決することは不可能である。日本は、国際司法裁判所などに付託するよう主張するが、中国は之に応じていないのが実情であり、国際司法裁判所の判例でも、EEZ(大陸棚)については、北海や、英仏海峡の処理で、「衡平な原則」をと裁定しているようだが、之も玉虫色で、必ず両方の中間線をもって衡平というとは限らないとしている。要は大人同士で話し合えと言うのだろうか、日本が主張する「日中中間線」と中国が一方的に主張する「中国大陸棚限界線」のどちらが「衡平な原則」に叶っているというのだろうか。船長逮捕までは、日本の正義が貫かれると感じていたが、今回の中国の異常なまでの強硬さに、日本政府は、その脆弱さを露呈してがたがたと音を立てて崩れてしまった。船長を唐突に釈放してしまい、船長は、英雄扱いで、中国政府の差し向けた専用機で堂々と帰国したのである。これを政府は口を揃えて、検察の判断(那覇地検)で行った純司法上の処置であり、行政の口を挟む余地がないといっている。これから詳細に調査して起訴可能と判断、勾留を延長した矢先である。最大の間違いは司法の矛盾である、釈放すべき軽微なものなら勾留延長前に釈放してしまうべきであり、司法が勝手に国益を判断し、独自に法をゆがめる超法規的な措置は執るべきでない。何故そうなったかは、民主党内閣の仙谷官房長官辺りの強烈な圧力があったと考えるのが至当であり、そうであるなら、しっかりとした態度で正面切って政府がそれを行う形にしなければ、通らない話である。フジタの社員が軽率だったかどうかは知らないが、中国にはそう言った意味で日本人の人質は沢山いるわけで、ある日突然冤罪で拘束することなどかの国のお家芸であるから、勝負は初めから見えている。世界の工場、世界の市場などと、中国を礼賛する前に、日本企業としては、こういった政治的強大な潜在リスクについて十分に考えておかないと、いざというときに政府が全く役に立たないことを示した悪い例の一つであろう。
2010.09.25
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連れ合いは前に平日休みを取った関係で、今日はその補講に出かけた。私は、一日中家にいて、借りてきたDVDで、映画「アレキサンダー」を観た。どうも前に見たことがあるような気がするが、記憶が曖昧である。私は、希有壮大な所謂スペクタクル映画が好きなので、まあ、その画面だけでもと思って借りたのだが、映写時間は174分と結構長い。この映画は、アレキサンダー亡き後4つに分裂した1国家であるエジプトのヘレニズム国家プトレマイオス朝のプトレマイオス1世が回想録として、奴隷に口実して書かせる形で進められる。おそらくこの口実書を持って「アレクサンドロス大王伝」と成したのであろう。これをもとに、歴史家のアッリアノスは「アレクサンドロス大王東征記」を著したとある。私は、4年ほど前にこの「アレクサンドロス大王東征記」を読んだが、地名の複雑さや、時代背景が今ひとつ飲み込めなかったこともあって、「アレキサンダー」は、未だにわずか20歳で歴史上の大王になった、すごい男だという理解に留まっている。彼の生涯は何とわずか33歳なのである。その間に、世界制覇を成しとげたのだが、アレキサンダーの版図といえば、マケドニア、ギリシャから、東はインドの西端に至る広大なものであった。私がその一つ一つを理解しているかと言えば滅相もないことだが、20歳で世界の頂点に立つと言うことから、ついこの間19歳になったばかりのゴルフ選手の石川遼を思い出した。と同時に、日本の国会議員に70歳以上の如何に多いことか、また最高齢は82歳にもなる人がいることを複雑な気持ちで思った。私も高齢化に邁進しているわけだが、この、年老いた人達は一体何をしているのだろうかという気持ちが大である。余談に走りそうなので話を戻すが、今から2400年も前の話であるから、何かと事情が違っていたのは分かるとして、同じ人間として、アレキサンダー大王の凝縮された人生は、他に例を見ないであろうと思う。歴史上、大王や、大帝と呼ばれる人は多数いるが、トランプカードのキングに描かれている4人の王様が実在の人物を描いているのだと言うことを初めて知った。スペードは「古代イスラエル」の王ダビデ、ハートは「フランク王国」のカール大帝、ダイヤは「ローマ帝国」のユリウス・カエサル、そしてクラブのキングのモデルとされているのが「マケドニア王国」のアレキサンダー大王だというのである。もちろん世界を一人で制覇したわけではないが、一代王国でかくも広大な地域を席捲したのは、アレキサンダーだけであろう。後に神格化されていくのも頷ける。母であるオリンピアスから粗野な父親とは違う、神の血を引くと暗示を掛けられるところなどは、そう言った背景があるのであろう。若い頃にアリストテレスの教育を受けている。今でもアリストテレスを知らない人はいないくらいだから、当時としては、最高の教育を個人レッスンで受けたことになるわけで、そう言ったところが、現在の○○塾という辺りとはまた違ったものなのだろう。マケドニアを発して先ず戦うのが、ペルシャのダレイオス3世である。このダレイオス3世とはメソポタミア流域のガウガメラで一大戦闘を繰り広げるのであるが、1説には25万の大軍を擁してわざわざ樹木を切り開いたとされる平原での戦いを選んだダレイオス3世に対して、アレクサンダーの軍勢は1/5の5万人程度であったようだ。という具合に映画では表現されているが、数については異説もあるようである。映画のロケ地は何処だったのだろうか、砂漠に点在する両軍はCGなのか、古代の戦闘の様子が再現されたこれぞスペクタクル映画だという風な感動的な場面である。この戦いはBC331年と言うから、その後のローマ帝国の軍隊配置にも大きな影響を与えたはずである。この時アレキサンダーはわずか25歳である。血気盛んといえばそれまでかも知れないが、ダレイオス3世も男盛りの49歳と言うところだから、現在の日本の国会議員のロートルからしたら未だ若造といわれてもおかしくない時である。ここで思い出すのは、桶狭間で今川義元を破った織田信長のことである。桶狭間の戦い時に、今川義元は39歳の当時としては男盛りであり、勝った方の織田信長は26歳の若さである。しかも、今川義元軍は、2万5000人とも5万人とも言われているが、対する織田軍はその1/10の数千名であったという。軍勢の規模、戦場の広さなどガウガメラの戦いに比べたらミニチュア版であったのだが、勝者の年齢はほぼ同じであり、まるで、石川遼(19)と薗田峻輔(20)といった感じである。戦闘は、体力的要素も大いに関係するが、戦略面で頭脳も必要もあるわけで、また脱線するが、日本の国会議員のようなロートルが、錆びた頭で、利権本意に考えた結果は目に見えているような歴史的証明である。ダレイオス3世はガウガメラの戦いの2年前にも地中海に面したイッソスの戦いで、アレキサンダーのマケドニア軍に負けているのである。この時の教訓を生かすべく対策を取ったようであるが、織田信長が、鉄砲という新兵器を使ったのと同様、アレキサンダーの歩兵は、当時としては画期的な6mの長さの槍で武装していた。更に加えて、数が多いダレイオス軍は金で雇った、ギリシャやアルメニアの傭兵で、訓練も士気も高くなかったと言うことである。そこにアレキサンダーのつけ込む隙もあり、彼の勇猛さも加わって、遂にダレイオス3世に肉薄し、これを敗走せしめたわけだ。後にダレイオス3世は自軍の将であるベッソスの裏切りにあい殺されてしまう。このベッソスもアレキサンダーの前に敢えなく討ち取られ、アケメネス朝ペルシア帝国は完全にアレキサンダーによって滅ぼされた。それから先もアレキサンダーは東進を続け、マケドニアからはほど遠い地域へと侵入していくわけである。カスピ海に注ぎ込むアトラク川に沿って、ホラサーンと呼ばれる地帯を進んで行くのだが、そこはもう既に全く見たことも、聞いたこともないような異国の地、異民族の地である。映画では、アレキサンダーは母親のコントロール下にあって、故郷に帰るのを疎ましく思っていたように描かれているが、他の将兵は、望郷の念が強まり、東進に対する不満も湧き出してきた。アレキサンダー自身は行くところ行くところが我が故郷といわんばかりの好奇心の旺盛な人物であったようだ。何万の兵士を犠牲にし、訪れた先の部族が従順でなければ、一族を皆殺しにするという、かなり荒っぽいやり方でなおも東進を続けるのである。如何なる事情があるにせよ、また30歳前の血気盛んなことを考えても、アレキサンダーを突き動かした、また、反対勢力が起こりつつあった中で、それを従わせた器量は、並大抵のものではなかったと感じさせる。各地に彼の名前の「アレキサンドリア」という都市を造り続けていったわけで、最後に遠征したエジプトには、その名前が有名港湾都市として残っている。「アレクサンドロス大王東征記」の地名や人名の相関関係などをつぶさに研究する時間がなかったが、アレキサンダーは、どうやらインド西で、現在では、パキスタンになっている、インダス川の辺りまでは進んだようである。マケドニアから来た将兵にとっては、東の戎といった感覚であったろうが、メソポタミア文明で栄えた、バビロンといい、インダス文明のインドといい、想像も付かない発展振りを見たことになるわけだ。インドは、マウリア王朝がまさに興ろうとする時代で、部族間の対立も多かったようである。アレキサンダーはそのどの部族と戦ったのかは分からないが、ゾウを有するインド軍によって、惨敗し、それを気に故郷に帰ると言うことになったようだ。帰路は、アラビア海からペルシャ湾にそったコースを辿って帰ったのだが、戦闘の傷が元か、永年戦った友とも呼べる友人達の謀議によってか、おそらくは毒殺されたのかも知れない。後継者を指名していなかったばかりに、後の帝国はアンティゴノス朝マケドニア王国とセレウコス朝シリア王国、アッタロス朝ペルガモン王国そして、プトレマイオス朝エジプト王国の4つに分断されたようである。
2010.09.24
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5日ほど前に、日経の特別編集委員が東大の米田穣准教授にインタビューする形で紹介されていた。米田准教授が所属している研究科の名前は、新領域創成科学というのだそうだ。最近は学科名や講座名ではその内容は簡単に想像できない。ネアンデルタール人を中心にその食した物を化石として残された骨を分析することによって知り、当時の文化を探ろうと言ったことが研究対象のようだ。ネアンデルタール人は3-4万年前に絶滅したとされている。絶滅以前に、現生人類の祖先と交雑を行っていた可能性が示唆されているところだが、ネアンデルタール人の遺跡として発掘された一つに、シリアのデデリエ洞窟がある。米田さんが初めてネアンデルタール人の化石に出会ったのはそこだと言うことだが、最初は彼らが食したであろう動物の化石しか見つからなかったと言うことだ。名前が正確かどうかは知らないが、古人類学といった分野では、3万年から4万年前と言えば、極めて現代に近いものである。私の認識では、サルからヒトへと分岐したのは950万年前のサンブルピテクスと呼ばれるところからである。それから700万年前まではヒトは小型類人猿や、大型類人猿と共存していたわけで、現代のように、動物園の檻の中に入れて、人間がそれを見るわけではなく、正に同じ舞台の上で共存していたと言うことであろう。そう言う年代を考えると、3-4万年前は0.3~0.4%という誤差の範囲の話になってくる。ついでに我々現代人の長寿さんでもほぼ100歳程度であるから、3-4万年前から見ると同じくらいの誤差の範囲で生きていることになるわけだ。動物はすべからく食べると言うことで、エネルギーを得、それを消費して生活を送っていることは、昔も今も変わってはいない。では昔の人は一体どんなものを食べていたのだろうかというのが米田さんらの研究テーマであるということだ。昔の人は、化石化した形でしか存在しないわけで、その骨は、食べ物によって形成されたものであるから、骨を分析して、骨に何を食べたのかを語らせようとするわけである。同位体と呼ばれるものに着目し、同じ原子番号を持つ元素でも、中性子の数が異なる重い元素や軽い元素の比率を調べると分かるのだそうだ。食べたものが、動物であったり植物であったり、魚であったりすることは、それぞれ同位体比が異なっているので、食物側と化石側の同位体を計測し照合することで、何を食べていたのかが分かるという仕組みだ。日本は、全土に渡って、古人骨が多く発見される世界でも有数な列島なのだそうで、およそ1万6000年前の縄文時代の人骨を調べると、北海道では、オットセイのような海生ほ乳類やサケなどを食していたが、沖縄では、小魚や貝類がメインであったと分かるのだそうだ。BC8世紀即ち2800年ほど前に弥生式時代が始まったと書かれているが、昔倣ったのはBC3世紀ということで、一寸した齟齬があるようだが、縄文時代の後期には、本州の人口は減ったのだという。森で何らかの異変が起き、木の実などが取りにくくなったのが原因ではないかと予想されているが、何が原因でそうなったか迄は言及されていない。その頃から、食文化は、中国伝来の米に頼るようになったのである。相変わらずというか、動物性蛋白は魚類に求めていた。従って、米と魚の寿司は、縄文時代に期限があるということらしい。このように縄文時代に取り入れられた食文化は、現在も脈々と続いているわけで、案外人類は、食に関して保守的であると言えるようだ。少し遡った旧石器時代の石垣島人骨については「放射性炭素年代測定法」で調査したとのことであるが、その時代の食はどうであったのかは、現在同位体分析を行っているとのことで、来月早々に学会で発表予定と言うことである。海に囲まれ、獣もあまりいない島のことだから、予期に反した食材が発見されるとは思えないが、専門家はそう言ったことを一つ一つ潰していくもののようだ。目下の関心事は、人間の食資源が、いつ頃から多様化していったかを調査することだと言われているが、食を基準にした研究以外でもそれぞれの研究は進んでいると思われる。サルからヒトになり、やがて2足歩行を始めた時辺りから、人の行動範囲が飛躍的に広がったと言われている。道具を使ったり火を使ったりする術がない、そして牙や爪などの大きな武器になるものがない弱いサル上がりのヒトは、勢いジャングルに隠れて、木の実などを取って食べる現在のサルのような生活しか方法がなかったであろう。それが、2足歩行で森から出て、サバンナを行くようになって、猛獣の食べ残しの肉などを食べ、肉食になっていったようである。そして、別の資料に依れば、脳のサイズも現代人よりも若干大きな1450ccまでになったと言うことだ。この肉食によりヒトは人に限りなく近づいていくのである。ネアンデルタール人に比べて、現生人類の脳は、やや容量的には小さめになっているとのことであるが、脳の容量が即ち知能の優劣だという直接の関連はないとされている。ある程度の容量は必要だが、その後は、肉食が物を言い、脳の表面積が多いこと、即ちシワの多さに依るとも言われている。脳容量が少し減少したのは、骨格の規制によるものだとも説明されている。このネアンデルタール人が、発祥のアフリカを出て、(他地域進化説もあるが)ヨーロッパに渡った後、現生人との直接の祖先といわれるクロマニヨン人に進化したのか、元々進化した新人が同時にヨーロッパ地方に渡ったのかについては説が分かれるようだが、クロマニヨン人は小魚や小型動物を食べていたようで、現生の人類に相当近い食文化を持っていたことになると言うことである。いずれにしろ、こういった研究は、とても気の長い話であるが、時として功を焦る余りか、ねつ造問題も起こるようである。考古学研究家の藤村新一が、次々に発掘していった、日本の前期・中期旧石器時代の遺物や遺跡だとされていたものが全て捏造だったと発覚した事件である。発掘するところに全て、旧石器が有るということで、石器探しの名人として活動した。仲間内では「ゴッドハンド(神の手)」の異名を馳せたが、発掘現場での藤村の不審な行動に疑念を持った人からの情報により、毎日新聞が張り込みと隠しカメラによって、藤村が、あらかじめ遺跡に石器を仕込んでいるところの撮影に成功したのであり、それにより、それまでの業績のほとんどが捏造であることが判明し、日本からは確実と言える前期・中期旧石器時代の遺跡が消滅したとういう。どこか最近の事件に似た構図が浮かぶ。之により海外からの日本の考古学への信頼は著しく失墜したのである。海外でも同じようなねつ造事件が起こっている。ピルトダウン人事件として知られるもので、近代科学史上で最大のいかさまと位置付けられている。この捏造された化石人類はホモエレクトスやネアンデルタール人の頭蓋骨の口の先端部分にチンパンジーのものを継ぎ合わせたものであり、発見当初は、ミッシンクリンクの解明と騒がれたが、やはり年代法などの手法で虚偽のものであることが判明し、以後、20世紀の前半期の古人類学研究に多大な悪影響を与え、迷走させたものである。どの世界にも、所謂優秀であるべき筈の人間が、後先の分からない事をやってしまうと言う人間の性であろうか。
2010.09.23
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前田恒彦特捜検事のデーター改ざん事件である。これにはビックリしたと同時にある種の恐れを感じた。日本は三権分立の民主主義、法治国家である。ややもすると行政府が大きな権限を持っているといった構造に映りがちであるが、司法は独立した機能を有していて、例え政治家であっても糾弾の手をゆるめないというのが過去のロッキード事件やリクルート事件に見られた。司法は、裁判官と、検事そして弁護士といった役割に別れている。日本の如き三審制度は時としてまどろっこしく思える事がある。我々一市民は、マスコミの報道に左右されやすく、クロらしく誘導されるとクロだろうと思ってしまう。今回の事件を誘発したのは、郵便制度悪用事件であり、先頃検察が、上告を取り下げ、あわや冤罪になりかけた事件の証拠についての改ざん事件である。大抵のことにはもう驚かなくなっているこの頃だが、之ばかりは、驚きと共に恐れを感じたのである。戦後の冤罪事件だけでも両手の指ではとうてい足りないくらいの数が発生している。その中には、死刑を免れた、免田事件なども含まれるが、当時は別件逮捕から、かなり強引な取り調べを断行し、無理矢理に意に反する自白を強要された結果が招いた事である。近くは、無期懲役が確定し、再審で無罪になった足利事件の菅家さんの冤罪事件が挙げられる。之も自身が自白したと言うことが大きな問題となったのだが、それが、どれだけ執拗な取り調べの結果誘起された自白であったのかという事実である。このように今までのパターンは、早く決着を付け、誰かスケープゴートにすることで、メンツを保とうとした、検察の暴走であったのだが、今回の事件は全く性質を異にしているようだ。検察自身が証拠を改ざんしてあたかも検察のでっち上げたストーリー通りにしてしまおうとの悪意の意図が働いていることだ。事件のエキスを復習すると、身障者団体が、郵便物を出す際優遇されている点に目を付けた森田、若林らの計画に有力政治家の口利きで、厚労省の村木局長が、部下の上村係長に指示して、「証明書」の偽造を指示したというものだ。一旦は、役人のトップがいとも容易(たやす)く議員の口利きならと、不正を知りつつそう言ったことをするのかと思わせたが、段々調べが進む内に全ての事が逆転してきたのだ。スケープゴートにされかけたのは、村木局長で、何故彼女がという感覚であった。調べが進んでいく内に、検察の杜撰さが浮き彫りになり、結局は、1審で有罪を宣告されたものの、2審では上告を断念するという事にならざるを得なかった。考えるに、戦前はもちろん、戦後初期の段階なら、この事件は、被疑者が如何に抵抗しようとも有罪はねつ造されたであろう気がする。しかし、今回は、それがお粗末すぎたと言っても良いくらい検察の暴走は、勝手気ままに動いたようである。そして、控訴を断念せざるを得ないくらいに何の根拠もないということが徐々に明らかにされ、無罪となった矢先に、それを上書きするように、取り調べ主任検事のねつ造が発覚したのである。村木局長が、上村係長に「証明書」の偽造を指示したとされる証拠のフロッピーディスクの日付は、2004年6月1日になっていたのだが、裁判の途上では、指示したのは6月上旬という事で、時系列的に明らかに齟齬を来すと言うことで、6月1日を都合良く6月8日に替えたのだというのだ。それを誰有ろう、取り調べのベテラン主任検事が家庭で特別なソフトを使い自ら行ったというのだからあきれる。主任検事曰く、(新聞ではそう書いてないが)「遊んでいる内結果的に改ざんしてしまった」とテレビでの放送では言っていた。「遊びながら??」なんと言うことを言うのかと、あきれると共に、その改ざんの意味が、素人でも分かる内容なのに、特に意味も無くやってしまったと淡々と答えている点である。そして、驚く無かれ、この敏腕といわれた前田主任検事は、そのことを上司の特捜部副部長に報告し、その副部長はまた上司の特捜部長に報告、そして部長は次席検事に、次席検事は大阪地検検事正(トップ)にまで報告を成していたという点である。更にこういった内容の一部ではあるが、大阪高等検察庁にも報告を上げているのだという。そのいずれの段階でも、日付の改ざんは特に問題なしと言うことで素通りし、特に担当主任検事には何の咎め立てもなかったというのだ。村木局長に付いた弁護士数名もこの事実を見つけることは叶わなかったそうだが、当の村木局長は、証拠資料等を精査して、拘置中にこの改ざんを自ら発見したのだそうだ。この冷静さと、緻密さには頭が下がる思いだが、村木局長を最後まで支えた家族や友人達の力が大きな支えとなっていたのであろう。テレビ番組で「Hero(ヒーロー)」というキムタク主演の検事の活躍を物語化した人気番組があったが、今でも覚えている内容に、殺人事件を扱っている比較的うだつの上がらない熱血検事達のところに、政治家の汚職を追う特捜検事が乗り込んできて殺人事件に対して「そのような細かいことに拘わっていないで、もっと大物を取り締まるために・・・」といった発言をした特捜検事がいた。作品の作られた時期は忘れたが、ロッキード事件や、リクルート事件の政治家がらみの解明の方が、偉大な仕事だという、特捜部の思い上がりを見たような気がしたものだ。こういった思い上がりが特捜部にはあるのではないだろうか。そのことを考えると、背筋が寒くなるのである。日本の司法制度では、検察が、捜査から、起訴、求刑、控訴、上告刑の執行の指揮に至るまでの絶大な権限を有しているわけであるから、検察が一旦起訴するまでの腹をくくると、それはもう止まらない暴走列車と化す恐れは十分にあるわけだ。この司法の暴走は、行政のトップの勇み足を止める本来の目的を遂行している間は未だ良いのだが、今や、小沢一郎のような、絶対権力者に対しては、真摯に調査したのかどうか、全く説明責任を行わないままに、不起訴としてしまっているわけだ。強い者に立ち向かうという本来の姿は消え、弱いものをいじめるのに、データーを改ざんするような手段を選ばぬ、方法で、自らのストーリー通りに事を運ぼうとしている今回のやり方が通れば、我々国民は一体何を信じて生きていけばいいのかと言うことになる。最後に野党時代比較的まともなことをいうと感じていた仙谷官房長官は、「上司たる監督権者が知った時の身の処し方は株式会社とは違った厳正さが必要」とあたかも株式会社のシステムはおおらかで、緩やかなもののようにも受け取れる発言をしているようだが、甚だしく認識が違うと付け加えたい。こういった内容は、株式会社では先ず起こりえないと言うことを付け加えておきたい。仙谷官房長官は、おそらく弁護士上がりで、株式会社の内容など露ほども知らないのであろうが、概して政治家たる者が、世のマジョリティーのあり方を理解せずに上っ面の表現をして貰うのは迷惑千万である。
2010.09.22
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NHKアラビア文学講座の2期目も今回で最終の第6回目となった。講師の先生も、聴講する仲間も共に気持ちの良い方ばかりで、この講座は心待ちする講座であったが、講師の都合で今回限りとなってしまったのは、何となく心残りである。今回、取り上げられた本はムハマド・シュクリーの「裸足のパン」である。例によって町の図書館に借りに行くと、今回もまた、府立の図書館にしかなく、取り寄せるという。取り寄せて貰った本はオムニバスで、世界文学フロンティア-5「私の謎」というタイトル本の中に、「裸足のパン」が含まれている。しかもその頁数は、ほんの十数ページでしかない。今回は、講座を受けるに当たっては、読書時間はそれ程掛からない。しかし折角借りたのだからと全てを読むことにした。全てでも300ページに足らない超短編集である。結局何を言いたいのか私には理解できない作品が多かったが、どれも少数民族の恵まれない立場を描いたものだった。例えば、「雨に踊る人」や「暗闇にとりくむ」はチカーノ(メキシコ系アメリカ人)の事を書いており、「だれでもない人々」はポルトガルでの話、「ヴォルケイノ」はハワイの日系人の話、「シャム双生児と黄色人種」というのは体の腰の部分が一体になった2人の話である。「『ザミ私の名の新しい綴り』より」はグレナダでの自伝的話であるが、何を言っているのか私には全く分からなかった。「記憶の場所」はアフリカ系アメリカ人の話で、ノーベル文学賞を受賞したトニ・モリスンの作品である。ここでは、トマス・ジェファソンや、カント、ヘーゲルなどが本音で黒人のことを如何にさげすんでいたのかを読み取ることが出来た。「『私の父はトルテカ族』より」は出身が伝承上のメキシコに起こったとされるトルテカ帝国の子孫だとする詩人の詩集である。「写真に抗して」は、ルーマニア生まれで、ゲットーを撮り続けたカメラマンの話などで、この中の言葉、「ツーリストはカメラを持ったテロリスト、テロリストは、銃を持った観光客」というのには、何か心に残った言葉である。「物語の終り」はサルガッソー海のキューバを舞台にした小作品である。 さて、「裸足のパン」であるが、ムハンマド・シュクリーの作品で、彼は完全なアウトロー作家で且つセンセーショナルな作家ある。この本は、3部作になっているということで、紹介された本にはどうやら第1作しか無く、続編があり、「過ちの時/無頼の徒」「さまざまな顔」と続くのだそうだ。全文でも228ページほどらしいが、講師は原本(もちろんアラビア語)で読まれているわけで、日本語の続編の紹介を忘れたと言うことだった。ともあれ、物語は、他の作品と似て、自伝的作品で、モロッコ北部のタンジールを舞台にしたものである。この作家、ムハンマド・シュクリーは何と19歳まで所謂文盲であったという。拘置所で知り合い、25歳でなくなったアブー・アル=カースィム・アル=シャッピーという愛国者が作った詩(後に現チュニジアの国歌の原型)の響に魅せられて、文字を学ぶきっかけになったというのだ。「何時の日か人々が灯をともしたなら、運命は答えてくれるだろう、 必ずや夜は明け、必ずや軛(くびき)は断ち切られるであろう」というものだ。それ以来ララシュで言葉を勉強して、学校の先生から、果ては大学教授までになったというからすごい。第1作の内容は、シュクリー自身の貧困と暴力、悲惨で過酷な幼少時代を回想で包まれる。父親の凄まじい暴力が、母親や自分に向かったり、果ては弟を殺すまでのことをする家庭環境に育つ。しかしながら、売春婦である母親は、その暴力的な父親との間に十数人の子供を儲けるが殆どを亡くすというような家庭であった。凄まじい表現の一部は【親父がおふくろの顔に平手打ちを食わせた。いったい、二人で何をしてるんだ? 「この売女の娘が!」 「いやよ! いやよ! 痛いじゃないの。そう、そこよ。そう。いいわ。ちがうったら。そうじゃないったら。そう、そうよ!」 二人とも熱病にかかったに違いない。喘ぎ、接吻、悶絶しそうな吐息、喘ぎ、接吻、吐息、喘ぎ、接吻、吐息。二人は互いに噛み合っている。相手を貪り食い合っている。相手の血をすすりあっている。】といった具合である、永井荷風の「四畳半襖の下張」はわいせつ裁判になったのと似た表現が使われている。生きていくためのあらゆる犯罪、男色、売春、セックス、飲酒、ドラッグと様々な社会悪に手を染めていくのである。こういった過酷な時代から言語を学び、立ち上がっていこうとする転機の個所で第1作は終わっているわけで、なにやら拍子抜けしてしまったが、後の2作3作での展開を講師に聞いて、何となく納得した。所謂ピカレスク小説の主人公と同一視する評者もいるということで、フランスのアウトロー作家「ジャン・ジュネ」やアメリカの「テネシー・ウィリアムズ」とも親交があったようである。類は友を呼ぶというのはこういったことなのかと感じた。私自身文学を語る資格はないが、文学というものは、真っ白なキャンバスに色付けしていくことにも似ているわけで、キャンバス自身が既に汚れている場合はどうなのだろうかとか、また、色づけられる絵の具が、汚れたものであれば、結果も想像できるし、それも之も含めて、文学というのであろうかなどと考えてしまった。モロッコといえば、私にとっては地の果てである「ここは地の果てアルジェリア・・・」よりも未だ西にあるわけで、かつてパリ・ダカでラリー車が通る国としての認識くらいしかなかった。中東に行った時に、「カサブランカ・ホテル」だとか、「イブン・バトゥータモール」などを見て、これらがモロッコにあるとか、モロッコ出身の大旅行家などと思い出したものだ。作品の成り立ちも複雑で、イギリスの出版業者ピーター・オーウェンが、すでに、作家ポール・ボウルズがモロッコ人青年達の語った内容(口承)を自伝として書いた書物を既に出版していたのを知り、ジュクリーに同じような自伝を書くように勧めたのだが、シュクリーは既に作成済みと嘘を言い、ボウルズと共同で、書き続けたのだという。ポール・ボウルズは自身がアラビア語で書かれたものを直接翻訳したと言っているが、それは真っ赤な嘘で、実際は、シュクリーがアラビア語をスペイン語に翻訳したものをボウルズが、英訳したのが真相だという。タイトルの「裸足のパン」は邦訳であるが、原文には、「裸のパン」と言うことで、足はない。アラビア口語の取り違えでこうなったという話であり、裸、即ち、「何の味も付いていないパン=貧困」という構図を題材にしたものであろうとの意味があるとの解釈だ。また、英訳では「人はパンのみにて生きるにあらず(Man shall not live bread alone)という聖書の言葉を思い出させる内容となっているのだそうだ。講師も、受講生の1人もモロッコを訪れたことがあるとのことだったが、写真や、ユーチューブで見るモロッコの街は、大西洋と、地中海に面した、風光明媚なところのようだ。殆ど何も知らぬ異国の作品を通じて、その民族や歴史の一部を知る機会がある講義内容だった今回のアラブ関連の講座は、得難い感動と、更に追求したい意欲に駆られる素晴らしいものだった。講座後、受講した8人と、講師の先生(未だ若い)を囲んで、夕食を楽しんだ。幹事役の女性の世話で忘年会をすることが決まったということから、講師の人柄の良さが忍ばれた。
2010.09.21
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日経のコラム「核心」でコラムニストの土谷英夫氏が書いていた。冒頭、アメリカのハーバード大のマイケル・サンデル教授(政治哲学)の「正義」に関する講義が大好評だという。講義の故か、講義の集大成である著書「これから『正義』の話をしよう」がベストセラーなのだそうだ。哲学者だけあって、古代ギリシャのアリストテレスまで話は遡るのだそうだ。当時のギリシャの都市「ポリス」での善良な市民の生活に比べて、現代を比較しているのかも知れない。現在は計算づくの功利主義、市場万能に流れるリバタリアニズム(自由至上主義)、道徳や宗教からの中立を装うリベラル派が横行しているということなのだ。そこから、先の民主党の代表選挙で敗れた小沢一郎氏に関する話に入る。まず最初に、3ヶ月前に「政治とカネ」で幹事長を引きずり下ろされた小沢一郎氏が、代表選に出ること自体も問題だが、代表選の結果、国会議員のほぼ半数の支持を集めたことにあきれたと書いてある。この点については、私も同様の感覚であり、わが意を得たりと思った。しかし永田町の論理は全く違っているというか、半分は腐っているとしか言いようがない。世間の常識(この場合は、世論調査)などでは、圧倒的に菅氏が有利であったのだが、永田町は真っ二つというわけだ。これほど国民を馬鹿にした結果はないと思う。ここで面白いのは、国会議員先生に何かとお世話になっているであろう地方議員の支持割合は、菅氏:小沢氏=60:40と国会議員の結果により近いこと、そして影響力が若干薄められるだろう党員・サポーターの比率は、菅氏:小沢氏=83:17という圧倒的差であることである。民主党員以外の場合は、多少違った力学が働くのかも知れないが、大方の国民感情は党員・サポーターのそれに近いものであろうということだ。ところが、国会議員は、不遜にも(と感じているのは私だけかも知れないが)口を開けば「国民のため」という風にいかにも見下した物言いをするのである。では何故、今回のように国民がそう願っているにも拘わらず、国会議員の先生方は、小沢氏にほぼ半数の支持を与えたのだろうか。特に滑稽だったのは、小沢氏に密着して、客寄せパンダ(本人はそう思っていないだろう)の役をやっていた谷亮子氏である。名だたる柔道家であり、国民のアイドルではあったが、この際一気に熱が冷めてしまった。彼女の名言はいくつかあるが、子育てから復帰した会見で「柔道のことを忘れた日は一日も無かった。」といっていた。今回も、政治と柔道の二股を掛けて「金」(カネではない)も狙うと言っていたが、流石に誰かに忠告されたのかその言動は霧散しているようだ。他にも、体操しか能のない選手や、スケート選手、プロレスラーや女優まで何でという連中が如何に多いかである。国民は、この人達に何を求めているのだろうか、今は、刺身のつまは不要で、本当の刺身が必要なのである。話は飛んだが、私が記録したところでは、現職国会議員777人(多少ズレがあるかも知れない)の内悪事を働いた議員は134人(まだいるかも知れない)でおよそ20%は、何らかの悪事に拘わっている事になる。その中には一頃問題になった、団子3兄弟と揶揄された、国民年金保険料未納不払いの連中も含めている。3人が8人になり、調べてみると、なんだみんなそうかと、みんなで渡れば怖くないと言うほどになり、追及の手は止まってしまったのを思い出す。ここでも彼らの正義は何なのだと思ったものだ。遡って、佐藤栄作の造船疑獄や、田中角栄のロッキード事件、竹下登のリクルート事件、橋本龍太郎の日歯連から1億円供与事件、鳩山由紀夫の子供手当脱税と一寸思い出すだけでも首相経験者にぼろぼろと悪事が出てくる。更にロッキード事件で有罪が確定した佐藤孝行を再度起用した件や、ゼネコン汚職であっせん収賄で服役した中村喜四郎の服役後の復帰。近くは鈴木宗男の受託収賄、あっせん収賄罪などで収監された事件、これらを現職の国会議員はどう考えているのだろうか。収監後も復帰した例があることから、おそらく、やくざの世界同様、務所から返ると箔が付くとでも考えているのではないかと疑うほどだ。我々はというか、私は、如何に優秀でもそう言った汚れた人が国政に携わって欲しくないと考えている。国会議員のそもそもの成り立ちは、荒れた荒野で暮らしていた人類が、共同で狩りをしたり、耕作する時に、音頭を取ったり、まとめ上げていく人間が必要と言うことから起こったものではないかと思う。その時代は、部族、種族のリーダーになることが最終目的ではなく、リーダーとなった人は、自らを犠牲にしてでも外敵から部族、種族を守り、どうしたら作物がよく取れるのかを考える重大な使命を帯びていたはずである。現代に至っては、政治家の世襲化や、人気稼業からの転身、およそ政治に縁がなくとも、政治家になるのが目的の輩が如何に多いことかと嘆く。ましてや、ザル法といわれながらも、「政治資金規正法」なる方を通しておきながら、するするとザルの目をすり抜けようとするものがいかに多いことかとまた嘆く。法治国家でありながら法を率先してないがしろにする行為は、断じて許されるものではない。小沢氏に投票した議員は一体何を考えているのだろうか。説明責任を果たした、いや未だだということだが、検察の捜査で、不起訴と決まったから無実だという論法は、こと、政治家にはあてはまらないと思う。ある代議士は、秘書がといって逃れようとしても連座制で逮捕されるが、一旦権力を握った代議士なら、公設秘書であろうが逮捕されても関与しなかったですまされるのはいかにも法の下に平等だという点で合点がいかない。代表選で、もし理性ある国民の声がなかったなら、国会議員の不逮捕特権や、指揮権発動とやらで、政治家のカネにまつわる話はいつまで経ってもうやむやになるのである。小沢氏も、潔白(どう見ても潔白ではあり得ないが)というなら、まず、司法の裁きを受けて、完全に身の潔白を証明しては如何なものか、先ず「隗より始めよ」である。橋本龍太郎の1億円授受で、封筒に入った1億円を内ポケットにしまったという事実もありながら、記憶にない(入れていないと言えば偽証罪になるが)との一点張りで、解決しないままあの世に旅立ってしまった。本人はそれで満足なのだろうか、私のような一市井の国民が覚えているだけで、大多数の国民は彼の成したことの良い面ばかりを評価して過ぎるのだろうか。そう言ったことが延々と続く限り、日本が真に品位のある国家として世界で通用するとは思えない。小沢氏の敗北は、直前の鈴木宗男の収監とか、村木厚子さんの濡れ衣の強制断罪の立件を無罪とされたこともいささか関係しているように思えてならない。「検察の無謬性をいつから信仰するようになったのか」と自民党の石破氏に言われたそうだが、自民党の古き、悪しき体質を引き継いだ小沢氏に、こういった政治とカネについて潔白性を欠いた、元の古巣の自民党に言われるようでは、世も末であろう。私は、何はなくても、政治とカネ、一部利権者との癒着、天下りなど、世の不条理をただしてもらいたい為に民主党を選んだのだから、そろそろ「正義」の話をして貰いたいと思う。
2010.09.20
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世界の国家は国連加盟国で言えば192ヶ国ある。その各々の国で使われている言語は、少しずつ違う。使用されている人数別のランキングでは、順位(使用人数)はウィキエディアによれば、【 】内は別資料1.中国語(13億人)【13億人】2.英語 (5億1000万人)【3.4億人】3.ヒンディー語(4億9000万人)【3.66億人】4.スペイン語 (4億2000万人)【3.22億人】5.フランス語 (4億1000万人)【2.5億人】6.ロシア語 (2億8000万人)【1.67億人】7.アラビア語 (2億5000万人)【4.2億人】8.ベンガル語 (2億1000万人)【2.07億人】9.ポルトガル語 (1億9000万人)【1.76億人】10.インドネシア語(1億8000万人)【1.3億人】11.日本語 (1億3000万人)【1.25億人】11.ドイツ語 (1億3000万人)【1.0億人】といった具合なのだという。(2005年の人口統計をベース)このように、国連などの統計に依っているのであろうが、調査機関によっては大きく数字がずれている場合があるようだ。中でも、アラビア語の2億5000万人→4.2億人だとかフランス語の4億1000万人→2.5億人といったところは大きく違っている。因みに世界共通言語を目論んだエスペラント語は西欧諸国で100万人程度は存在していると言うが、公式に使われてはいない。こういった風に人為的に言語を造ろうとしてもなかなか思うようにいかないという証のようなもので、世界の方言と言うまでにも至っていない。日本語でも、東北や、鹿児島の方言などをまともに喋る人がいれば、おそらく我々は理解できないであろう。このあいだ、テレビの「新婚さんいらっしゃい」に東北のカップルが出ていたが、所々通訳がないと理解しがたいところがあった。1位の中国語も、一からげにしているが、おそらく中国人同士でも分からないことがあると思う。何しろ56部族いて、北京語、広東語、上海語、福建語、台湾語・・・、と多様な言語があるからだ。インドも同じで、20を超える公用語があり、それぞれの地方で使われているのだから、同じインド人といっても通じ合わないこともあるわけだ。インドは、英国の植民地時代を経験しているので、大都市圏では英語を話す人が多が、地方の人同士は、英語が共通語なのかも知れない。私は、言語で整理すると、日本語の方言では、5地方の訛りを少し理解できる。外国語では、もちろん英語がほんの少し分かるだけであるが、フィリピンにいたことから、タガログ語も少し覚えた。タガログ語は5000万人程度が使用しているという。しかし、フィリピンでもセブ島地方はセブアノ語で、パナイ島のイロイロ市ではイロカノ語といった具合に多数の言葉がある。アフリカのジンバブウェでは、80%のショナ族と20%のンデベレ族がイギリスの統治下にいたので、英語とショナ語であった。サウジアラビアは、もちろんアラビア語で、使用人口は上の、4.2億人は少し多い目だとしても、2億5000万人よりも多いのではないかと思われる。アラビア語は、右から左に書くのだが、数字は左から右に書くわけで、目が行ったり来たりする格好になる。アラビア語を知らない私は、片言のアラビア語で対応するしかないと思ったが、結構英語のしゃべれる国であることがわっかった。生粋のサウジアラビア人で、教育も中程度であれば、英語までは届かないかも知れないが、高等教育を受けた人は英語が話せるようだし、ヨルダンや、レバノン、パレスチナからの人達は、英語を駆使して仕事をしていることが分かった。フランスのエンジニアリング会社にテクニップというのがあり、同じ事務所で働いたが、やはり共通会話は英語であった。フランス人も海外プロジェクトでは英語も使うのかと思ったものだ。ドバイでの仕事も、英語であった。というのが、相手にするのがインド人であるため、彼らの公用語としての英語を使うことになるわけだ。中国でも仕事は英語しか使えないが、何ともたどたどしい。こちらも立派な英語ではないが、相手はもう一つ輪を掛けたように英語を得意としないのである。ビジネス以外では、殆ど英語は通じないので、中国語を覚えるか、筆談で済ますしかない。困ったものである。漢字がベースの国の弱みだろうか。最近、コマツが中国語習得に力を入れているという。世界の市場を相手に事業を展開するためには、中国語は必須と判断しているようだ。何しろ北米50人の駐在員の3倍の150人が中国各地に駐在しているとのことだそうである。韓流ブームで、韓国映画から、ハングル語を学ぶ人が多くなったと聞くし、特に中年の女性に多いという。連れ合いの通う学校の校長も日韓友好ということか、韓国語を操れるという。今、日経「私の履歴書」で哲学者の木田元氏が不得意だった英語を習得した他に、原書で哲学書を読むためにまず、カントの「純粋理性批判」に対してドイツ語、更に進んで、2年目にはギリシャ語そして、3年目にはラテン語、4年目にはフランス語をマスターしたとのことである。驚く他はない。また、サッカーの中田英寿選手も英語の他イタリア語も流暢だというし、川島永嗣選手も海外移籍を見据えて英語・イタリア語・ポルトガル語などを勉強しているという。オランダ語でも挨拶をするなど、グローバルなコミュニケーションが取れる努力をしているというのだ。いずれも、素晴らしいことだと思う。語学の勉強はとにかく目的意識がないとなかなか進まないのが現実である。今時、海外旅行をするにしても、ツアーガイドの旗に付いていけば、何とかなるわけで、個人的にその国の言葉を解する必要は特にない。最低1,2ヶ月の滞在でもあれば、そして、現地の市場で何かを買わなければいけないのなら勉強にも熱が入ろうかというものだ。年金暮らしも身についてきて、特に義務的に何をする必要もない今、何か一つといわず、2-3ヶ国の外国語を学ぶのも良いかなと感じている。学生の頃、第2外国語としていたドイツ語を復習するのも良いが、芸術の国であるフランス語、古きローマ帝国を忍ぶイタリア語、未だ言ったことがないラテンアメリカやスペインなどで使われるスペイン語やラテン語等々学びたい気持ちは山々である。もうすぐ終了するアラビア文学なども少しは言語で分かればもっと中東関係のことも分かるのではないかなどと思う。いずれにしろ考えるだけで、なかなか、ものに出来ないのが言語だろう。
2010.09.19
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10日ほど前の日経「春秋」欄で、「ホメオパシー」なる代替医療のことが書かれていた。恥ずかしながら、私は「ホメオパシー」なる言葉を知らなかった。少し調べてみると、ウィキペディアでは「極度に稀釈した成分を投与することによって体の自然治癒力を引き出す」事などと書かれている。さらに、「健康な人間に与えたら似た症状をひき起こすであろう物質をある症状を持つ患者に極く僅か与えることにより、体の抵抗力を引き出し症状を軽減する」という理論およびそれに基づく行為である、という風に書かれている。そしてこの医療行為は、200年以上前にドイツ人医師サームエル・ハーネマンが提案した思想をもとにした理論であるというのである。ハーネマンの理論を元にした、現代のホメオパシー信奉論者は、病状を引き起こす成分をそのまま他の患者に投与すると当然有毒なので水によって極めて高度に希釈したものを砂糖に染み込ませて使うのだそうだ。希釈の度合いは様々らしいが、最もよく用いられるのは、「春秋」の記事にあった、100倍に薄める作業を30回繰り返すと言うことになり、即ち、100^30=10^60倍(即ち那由他)に希釈するというものである。(これをレメディーと呼ぶ)しかも、一方では、希釈の度合いは、薄めれば薄めるほど効くとされている。あまりにも高度に希釈されているために元の成分は何も残っていないという具合になり、科学的にはただの砂糖玉であるのだが、それはそれで、ホメオパシーを実行する人達(ホメオパス)は、それはそれで良いとしている。この類は、胃が痛いと云っては正露丸、歯が痛いと云っても正露丸というわけではなく、傷口にただの水を塗ったり、メリケン粉を調合したりするようなもので、病は気からという部分にのみ作用があるとすればあるようなものだ。このような具合に、調合される薬の中にはむしろ有効な薬効成分は全く含まれていないと考えて良く、元となる物質の「オーラ」や「波動」、「パターン」、あるいは「水に記憶」が染みこんでいてるだけだと、ここで飛躍的に非科学的な発想になる。従って、飴玉の服用による、リスクは全くないというのだが、至極当然のことだと思う。副作用がない変わりに、必要な効果も全くないと考える方が自然であろう。しかし「パターン」や「波動」に対する体の抵抗力を引き出すことにより、自己治癒力などが高まると考えているのだ。それでも、 ホメオパス達は効果があるかどうかは波長が合うか合わないかで決まるというのである。治る者は放っておいても治るが、治らないものは、波長が合わないから駄目だという論法である。現に8月の朝日新聞には、ホメオパシー(代替医療)を適用した人達が、複数、死亡した例が報告されている。東京の国立市の女性(当時43)が5月にがんで死亡したとか、埼玉でも昨年5月に生後6カ月男児が死亡した例もある。もちろんホメオパシーの飴玉をしゃぶらされてである。また、5月には、東京都東大和市内の病院の集中治療室で悪性リンパ腫が悪化して亡くなった女性の場合は、3年前に離婚した直後に精神的に不安定になり、何度も病院受診を勧められたが、女性は「今までのホメオパシーの努力が無駄になる」と拒み続け、最後にやっと救急車で病院に運び込まれた時には既に手遅れで、入院から11日後に死亡したという。他にも例は多数有るようで、ホメオパシーでは、病気の症状が重くなっても、自然治癒力が増した証拠の「好転反応」ととらえているのだという。このことが患者を病院から遠ざけているとの指摘がされている。なにやら気で治す方法や、手をかざして治すようないかがわしい感じの方法であるが、「那由他」倍に薄めた、原病原菌といったところがワクチン的なイメージで受け入れられているのかも知れない。しかし驚いたことに、これらの方法について、「ホメオパシー医学教会」とか「日本ホメオパシー振興会」なるものが存在し、未だにホメオパシーを信奉している人が大勢いるという事実である。ホメオパシーの問題点は、その科学的裏付けが全く存在せず、臨床においても有効性が統計的に(つまり科学的に)全く立証されていないことである。ホメオパシーは数百年前に立てられた「思想」であるが、治療の効果を疑問視する医者は少なくとも100年以上前からすでに存在したのだという。諸外国でもイギリスなどはホメオパシーを使っていたが、その後科学的根拠なしと禁止されている。インドなどの新興国で一部容認されているようだが、殆どの先進国では、科学的根拠なしとされているようだ。インドと同じく、中南米に於いても貧困層では、これを信奉しているものも多く、広く行われているという。アフリカ諸国でも、イギリスや日本等の支援団体が活動し、患者の多いエイズや熱帯性の伝染病に対し、科学療法やワクチン等は効果が無いばかりか、返って有害であるとして、ホメオパシーで治るなどという宣伝活動を行っているというからやっかいである。2010年のハイチ地震の際にも、日本ホメオパシー医学協会が支援する団体が現地入りし、2000人を超える人数をホメオパシーにより”治療”したと広報された。この時、同団体は「雨季が始まると、デング熱、マラリア、コレラ、その他、熱帯地方の疾患を治すレメディーが必要とされるという大きな懸念があります。 」と宣言しているが、これら伝染病に対し適切な医学的処置をとらなかった場合、日本発のこの運動によって、現地に大変深刻な事態が起こることが懸念される。全くもって、お節介なことである以上に危険なことである。レメディーの価格がどれほどであるのか知らないが、単なる金儲けを通り越して、未必の故意による殺人にまで至っていることを考え合わせると、放置しておくことは出来ないのではないかと考える。しかし、ホメオパシーに対しては、意外に多くの人が信奉しており、特に芸術家で、マネ、ゴーギャン、ゴッホ、ルノワールなどもこれを良しとしていたことに驚きを感じるが、現代でも尚、渡辺満里奈やサンプラザ・中野などが肯定的であるという。鰯の頭も信心からとは言うし、新興宗教にのめり込む人もいる、誰が何を感じ考えているかについては、想像の付かないところであるが、こういった、命に関わる問題を非科学的な処方で対処しようという発想には付いていくことが出来ない。「ビッグバン宇宙論」を著した物理学を修めた作家のサイモン・シンが「代替医療のトリック」で、ホメオパシーについて臨床試験に基づいたデータを元に批判しているということである。読んでみなければと思った。
2010.09.18
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昨日の夕刻から連れ合いと2人で淡路島に渡り、ゴルフを楽しむことになった。連れ合いは、午後の初めは文化祭のリハーサルとかで、学校に出かけていった。従って、淡路島へは、夕刻の出発となった。暑い日中に移動するよりも良いと言うこともあり、また、淡路島の目的地までは、高速を利用すれば、2時間程度で到着するという読みであった。所用を済ませて出発したのは夕方の6時半過ぎで、いつもの裏街道を茨木IC迄走り、そこから名神高速に入った。茨木からだと、すぐに中国道へのJCTである。この時間は夕日に向かって走ることになり、運転はしづらい。しかし、懸念した宝塚付近での混雑は全くなく、トンネルもすいすいと通過することが出来た。途中、淡河SAに休憩のため入ったが、一般乗用車の数は少なく、大型トラックの休憩基地のような有様であった。それからひたすら走り、明石大橋を渡る頃にはほの暗くなってきた。淡路島に渡り、淡路のSAで夕食を採ることにした。日頃は混雑するレストランもこの時間はがら空きであった。大阪湾の向こうには、神戸からの連続で、遠くに大阪の灯が見える。そそくさと夕食を済ませて再び車に乗ると、東浦、北淡を過ぎて津名一宮の出口である。古いカーナビに従って、どんどん道を行く。前に一度来たことがあるのだが、暗くなった今は、どう走っているのか分からない。とにかく県道を走ると、見慣れた鮎原交差点に出た。この時、カーナビに入れた電話番号が間違っていたため、それに従って直進してしまい、大きな時間ロスをしてしまった。目的地であるスプリングゴルフリゾートへは、津名一宮からは島の山間部を縫うように走るコースと、一旦瀬戸内海の海岸線に出て海岸沿いを南下し、都志を経由する道筋があるが、山道を通るコースだと、鮎原を右折する必要があったわけだ。ゴルフ場とホテルが併設された玄関に付いたのは、予定よりも30分以上遅れてしまった。今日のゴルフに備えて、早めに寝るだけだった。今朝は、朝7時からの朝食を待つようにして食べたが、誰も他に客は居なかった。立派なホテルなのだが、温泉ではないので、集客数も少ないようだ。午後に用事があるといって、スタートを出来るだけ早く設定して貰ったら、1番のスタートで、7:50だった。続く2ボールのカートの組は、8:30頃のスタートと、全く貸し切り状態で回れそうだった。ここは、去年の6月に1度2人で回ったことがあるコースだ。その時は、妙に調子が良く、今でも信じられない90を切る87で回った実績があるのだ。従って、好印象を持っていたのだが、インの打ち出しは、余り飛ばなかった。最初からトリッキーなコースで、ドライバーの落下地点に横断するくぼみがある。そこを越えなかったので苦労する。連れ合いは、アプローチが良かったがトリプルである。11番の池越えショートでは、私は池に入れてしまった。連れ合いは良い当たりで、池を遙かにクリアし、2オンだが3パットであった。12番は広い池越え最初のボールは左の林に入りOB、打ち直したら右に出て、隣のホ-ルまで出た。プレ4でも届かず、近いアプローチも失敗、と散々である。どうも打上、砲台グリーンに弱い。13番は変則コースで、打ち降ろしドライバーで距離を稼いでおかないと2打で幅の大きな池を越えることは難しい。案の定ティーショットが余り飛ばなかったので、池手前にレイアップ、その後も余り良い当たりはなかった。ここも最終的には打上である。14番169ヤードのショートである。4Wで綺麗に1オンしたのは嬉しかった。バーディーを逃しパーだった。連れ合いもアプローチパターとも良くボギーとした。15番は瀬戸内海が見える良い景色のホールだ。打ち降ろしで、2打地点から右にドッグレッグである。私は2打で、グリーン手前1mだったが、ボギー止まりで、連れ合いは、2打目を、最短コースに気持ちよく飛ばし、カート道で良い方向に跳ねるなども有ったが、最後1パットを惜しくも外し、ダボであった。16番は2打目で惜しくも乗らず、1パットでパーだった。このホールは前に来た時にティーグランドが後ろにあったので、見過ごして戻った記憶がある。連れ合いはそれをちゃんと覚えていた。17番では右に大きくOB山を下って落ちたかと思ったが、見つからなかった。プレ4からグリーン上でも3パットと散々。連れ合いは、18番では右のOBを出してしまう。プレ4からの当たりも打上でバンカーに捕まり3パットにもなって散々である。前に来た時に比べて、刈り込みなど手は入っているが、なんだか狭いコースだという感じだ。昼食は採らず、一寸ビールを飲んでスタートした。1番はロングで、結構とんとんといったが、考えられない4パットをしてしまった。2番では結構大きな池越えであったが、楽々オーバー。2打が湿ったが、ダボにする。3番は2番の池が続いている。その大きな池を越し、ギリギリに設置されたグリーンに乗せるというものだが、距離は182ヤードと半端でない。ドライバーで思い切り振って、池は越えたが、砲台グリーンの斜面に当たり、池に転がり落ちてしまった。一寸無茶な設定だと感じた。連れ合いは、初めから敬遠することになった。4番はまた小さな池越えでティーショットは当たりが悪かったが、2打目がクリーンに当たり、3打目で高い球のアプローチが見事ピン側に付いた。狭いグリーンを巧く捕らえることが出来たのは気分が良かった。5番はやや打ち降ろしのショートで、真っ直ぐだが当たりは良くなくバンカーに捕まった。6-8番はダボだったが、6番では、アプローチでチョロをしてしまう。7番は瀬戸内海を左手に見る景色の良いところだ。右手の傾斜部に近いマウンド上に落ち、2,3打も快心ではなく、不満が残る。8番は打ち下ろして、かなり距離を稼げたが、残り110ヤードがグリーンを捕らえられず、またアプローチでもチョロするなど、良いところはない。連れ合いのドライバーも、カート道に跳ねて、かなり前方まで伸びた。カート道を利用するのは之で2度目であり。だいぶん得をしているが、反対に跳ねたらOBというところで、危ない。最後の9番ホールは、また結構な池越えで、越えはしたが、右に出て、フェンスに救われて、OBを免れた。女性ティーは池を越えた前方にあり、池に落ちる心配はない。2打はクリーンだが一寸高めであり、3打目ももう少しのところでグリーンを捕らえることが出来ず、ボギー上がりとなってしまった。後から追いかけられるでもなく、のんびりと練習しながらのラウンドであったので、気分は良かったが、振り返って、池越えがやたら多く、且つフェアウェイが狭いという難点は今回やっと気がついた有様だ。終了後、ウエント淡路の貸別荘の話を聞きに言ったが、担当の営業課長の応対の悪さに気分を悪くし帰途についた。帰宅後食事とカラオケに改めて出かけ、今日の最後の不快さを払拭した。
2010.09.17
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少し前の新聞に“「脈速いと短命」は本当?”という記事が載っていた。人間の一生の心拍数は23億回であるという説があるそうだ。一方で、本川達雄氏の「ゾウの時間ネズミの時間」ではのんびり生きてもせかせか生きてもほ乳類は心臓が一定数を打てば、一生は終わるというのだ。生物学者の間では、この値は15億回が定説であるという。人間もほ乳類であるから同じ事が言えるのだそうだが、心臓の消費エネルギー量は概ね決まっていると考えられていて、心拍が速いとその分心臓の劣化が進み、寿命が短くなるという論理である。名古屋大学の心筋梗塞患者が命を取り留めた予後の観察の臨床データーでは、何時までも心拍数が速い人は回復に時間を要したとのことである。時間生物学と言う生物に内在する体内時計を研究する学問分野があり、太陽や月が作り出す一日、一年、潮汐などに適応するものや、睡眠周期や、リズムを刻む分節時計などがその対象らしい。しかし、通常、心拍や神経パルスのような生命活動にも周期性が認められ、それによる寿命も生物の持つ大きな時計の一つであるが、これらは時間生物学ではほとんど扱われないという。この時間生物学と心拍数、寿命の関係を分析した結果では、人間が一生に打つ心拍数は「23億回」だというのだ。従って寿命(分)の計算は、「23億÷1分間の心拍数」でありこの分を年数に換算すればいいわけで、之から逆算すると、1分間の心拍数が60回の場合は、寿命は約73年という事になり、70回では約63年、80回打つ人なら約55年の寿命という事になるわけだ。脈拍数が高いと死亡リスクが高まるという研究報告は多数有るらしい。如何に血圧が正常であっても、心拍数が70以上の人は、それ以下の人に比べて死亡リスクが約2倍になるという結果もあるのだという。アメリカやイタリアの同種のデーターからも、心拍数の増加で心臓病の確率は高まり、逆に少なくなると死亡率も減少するというデーターがある。これらが通説になっているかと言えば、必ずしもそうではないらしい。人間の脈拍は自律神経のコントロール下に置かれた、洞結節(ペースメーカー)によるもので、通常は、規則正しく脈動するわけだが、運動や、極度の緊張などで、急激に脈動が多くなることがある。所謂「ドキッ」とするようなことである。脈拍が速くなる主な要素は、1.喫煙2.肥満3.高血圧4.糖尿病であるという。いずれにしても、生活習慣病が、心拍数という形を通して、寿命にまで影響してくると言うことなのだ。私の場合は、1.の喫煙こそしないが、2.3.4.はなにがしかあてはまるという、危険な状態なのだ。私の心拍数は、通常63回/分程度であるから寿命は69.4年になる計算である。それでは後5年以下という勘定になり、本当かなという懸念がある。WHOの国別平均寿命でみると日本人の平均寿命は、男性が79歳、女性が86歳ということになっている。この数字との整合性を見ると、男性の場合と仮定しても79年の寿命に対する心拍数は、約55回という事になる。若い頃には運動もしていたから、心拍数は低かったような気がするが、マラソン選手のように心拍数が極端に少ないと言うまではいかない。新聞には、「毎日、80m/分の早歩きを最低20分続ける」と3~4ヶ月で脈拍数は5~10減ると言うことだ。そう言うことからすれば、私の場合、毎日怠惰に過ごしていれば、後5年の寿命が、「毎日、80m/分の早歩きを最低20分続ける」事によって、日本人の平均寿命までにはなるということで、之は何が何でも実践しなければいけない気がしてくる。通常の歩行では、時速4km(分速67m)ということだから、80m/分の早歩きを、この猛暑に実行するのは難しいことだった。しかし之からの気候では、それ程無理ではなく、それも20分間という事であれば、1.6km程度歩くだけだから簡単なように思える。しかし、毎日となると、通常外出することが少なくなっているこの頃では、やはり相当な覚悟が要りそうである。上記に挙げた生活習慣病の克服もこういった地道な努力が有効であるとは分かっていても、なかなか継続すると言うことには成らないことが多い。前出の「ゾウの時間ネズミの時間」では、時間 ∽ (体重)^(1/4) ということが言えるという。この事から、ほ乳類はいずれも、20億回鼓動することになり、呼吸数は一生で5億回の呼吸をすることになるのだそうだ。物理年数で単純に見れば、ネズミの寿命は、数年であり、ゾウは100年近く生きる。しかし、この寿命を脈拍数による時計で見てみると、(非常に科学的でない表現だが)「トントントン」と小さく速く打つネズミの鼓動×数年と「ドン、ドン」とゆっくり鼓動するゾウの鼓動×100年は同じになるというのである。従って、せかせかいといきるネズミでも、ゾウが100年掛けてやることのメニューはネズミなりにし終えると言うことになるわけだ。人間に置き換えれば、50回くらいから、90回くらいの心拍数があるけれど、心拍数が50回程度の小さな人は何事もゆったりとすると言うことであり、90回打つ人は、50回の人よりも2倍近くせかせかと生きているのかも知れない。生物全てがそうであるが、人間も、各種のリズムの中で生きている。そのリズムは数十分から数時間で起こる短いものから、約12.4時間毎の潮汐リズム、太陽が昇り沈む1日の約24時間リズム、また、サーカビディアンリズムと呼ばれる 約2日のリズム、約一ヶ月のリズム、約1年の年リズムが有るわけで、こういった各種のリズムの中で我々は生活している。たまに自分のバイオリズムがどうなのかを気にすることがあるが、大きな意味で、個人が固有に持っているリズムは、ある程度大切にしなければならないと思う。毎朝テレビ等でやっている、血液型により運勢占いなど、幾ばくの根拠もないのであろうが、その現れた結果を、人は自分に照らしてなにがしか根拠に置くケースもあるが、あながち馬鹿に出来ない何かがあるのかも知れない。
2010.09.16
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フランス上院がこの14日にイスラム教徒の女性が顔や体を覆う衣装「ブルカ」や「ニカブ」を公共の場で着用することを禁じる法案を可決成立させた。この影響で、ベルギーやスペイン辺りでも禁止されているという。学校、駅、等の公共施設や路上での着用を禁止するものである。これに違反したものは、150ユーロ(約1万6000円)の罰金を科せられるのだそうだ。そして、日本の交通違反の場合のように市民教育講座で受講を義務づけられるのだという。飲酒運転幇助罪ではないが、ブルカの場合、これを強制的に着せたものはもっと思い罰則が科せられるのだそうだ。禁止の理由は、治安対策であるという。確かに、イランや、アフガニスタンなどでは、女性が、ブルカなどで体を覆ったその下に爆薬を体に巻き付け自爆するというケースもある。このように、目出し帽で銀行強盗をするのは良くないのはもっともだが、正義の味方の鞍馬天狗も同じように黒覆面をしていたわけで、表面上ではどうなのか分からないと言った方が正しいと思う。しかも、フランスにおけるアラビックはごくわずかであり、実際に着用している人は、数千人に限られているとされるのだから、ことさら法制化するのは如何かと思う。場所的には、アビニョンやリヨンくらいがせいぜいであろう。この辺りまではイスラムの勢力が及んだのかも知れない。この禁止の考えは、サルコジ大統領の発案であり、彼は「ベールは、女性の尊厳を傷つけるもので、フランス社会では受け入れられない」と主張しているのだそうだ。では花嫁衣装のベールはどうなのかと言いたい。また、フィヨン首相も「フランスの法律の問題だ。民法は非常に長い間、(フランス)共和国の価値に敬意を払わない者には帰化を認めてこなかった」と述べると共に、男性がブルカの着用や、自宅で男女間の空間を区別することを強制し、女性と握手することも拒んでいるのは「宗教的な過激主義の問題だ」とか「男性が態度を変えなければ、この国に居場所はない。仏国籍の取得に値しない」と述べたという。但し、フィヨン首相の場合は、この男性の妻が希望するのであれば、処遇が決まるまではブルカの着用を続けてもよいとしているというから幾分柔軟ではある。また、フランスでは2004年に、学生や教師は学校内でベールや十字架を含めた宗教的なシンボルを身につけてはいけないという法律が通過している。サウジアラビアにいた時には、ムスリムはもちろんアバヤというブルカと同じような黒い布を被っている。これは、アラビア半島の国々の伝統的民族衣装であり、砂漠地帯の強い直射日光から全身の肌を守ることができるという実利面も持っている。さらに、サウジアラビアでは女性が外出時には必ず着用することが法律上の義務となっているのである。サウジでも田舎に行くと、更に厳しく、アバヤで、目だけを出したその上から更に黒いベールを被り手足には黒い手袋と黒い靴下のようなもので全身を覆うのである。もちろん、女性は運転してはならないと言うことで、視野の悪さからの交通事故の危険はない。私の聞いたところに依ると、ムスリム故の宗教的な規制ではなく、伝統的な所産であるとのことだった。女性が、肉親以外の前で肌を晒すのはいけないことだとされていて、男性もまた、自分の奥さんなどに対して他人から観られるのを嫌がる一種の嫉妬心が働くのかも知れない。空港辺りで、アバヤを着た女性が、黒で縁取りしたクフルと呼ばれるアイシャドウで縁取りした目だけを出しているのをみると、なんだかぞくっとするくらい美人に見えるが、ぼんやり眺めていて、連れの男性が居たりするとやっかいなことになりかねないので、なるべく目を合わさないようにしたものだ。それもこれも、民族的な伝統の名残であり、民族のアイデンティティーに依拠するものである。フランス移民政策では入国の制御もさることながら、「フランスはわれわれが仕事や学びに来て欲しいと願う人びとにとって魅力的であり続けなければならない。」と謳っている。しかし、今は特段の不都合とも思えない、アラブ民族のアイデンティティーを無視したことが行われているのである。日本人が、在日朝鮮人が「シマチョゴリ」を身につけたからといって、罰金を取らないのと同じ事だ。フランスはそもそも、紀元前4世紀にはローマ人により「ガリア」と呼ばれ、田舎者で、粗野であり、長髪の習慣から「長髪のガリア」と呼ばれていたが、ローマに制圧され属州となってからも、自治が認められていて、アイデンティティーを損なわれるものではなかった。それが現在では、芸術の都だとか言うことで、極めて不遜な国家となっている。国際舞台でも英語が話せるにも拘わらず、母国語のフランス語しか話さないといった妙にプライドの高い点などが挙げられる。先頃の「ロマ人追放」の件もそうである。軽々にロマ人を評価することは出来ないが、ロマ人の全てが悪の根源といわんばかりの政策で、国外追放を決めたのは、明らかに、白人優越・国粋主義の一端であり、フランスが掲げる移民政策に合致しない行動である。ロマ人にも、帰化し、正規に働くことを求めている人が大多数であるにも拘わらず、一部の不法侵入者のために対象を全てのロマ人とすることは大きな過ちであろう。文明は、大きなうねりがあり、現在は、安保常任理事国とかG8とかいう風に一部国家を優先しているが、昔、四大文明発祥の地である、エジプトナイル、メソポタミア、インダス、黄河は一応に世界的に要衝の地ではなくなっている。芸術に於いても、ギリシャからイタリアがその発祥の地であったのが、今は、芸術の都と言えばパリである。フランス人の努力もさることながら、これも世の移り変わりの1過程であるわけだ。昔フランス初代首相になった、エディット・クレッソンは不遜なフランス人の代表格である。クレッソンには人種差別的であると非難された発言として、首相在任中に、日本人のことを「黄色いチビ」と呼んだり「日本人はウサギ小屋のような小さなアパートに住み、2時間もかけて通勤している。・・・・日本人は黄色いアリ」などと公式な場で発言したのである。こうした発言に対して日本政府は正式に抗議をしたのに対し、クレッソンは「市場問題でわれわれに教訓を与えない国からの抗議は受けられない」と差別発言の撤回や謝罪は拒否した。この事からも分かるように、フランス人全てではないにしろ、フランス人の持つ人種観が端的に表れていると言えるだろう。差別発言を繰り返した上に謝罪にも応じないクレッソンの姿勢に対して、日本の世論は硬化し、右翼団体の街宣車がフランス大使館に押し寄せる事態となり、窮地に立たされた在日フランス大使館は「日本人はアリとは褒め言葉」との見解を表明したのだ。だが、日本大使の面前で「日本人はアリ。何度殺しても出てくるアリ」と発言した、クレッソンの言う「日本人はアリ」が、働き者で勤勉なという肯定的な意味ではないことは明らかである。フランス人の横暴さが近年の暴動に繋がったのか、暴動がフランス人を強行にさせたのか、いずれにせよ、移民政策を採り、ダーティーな仕事を移民に与えて、のうのうとするフランス人への反感は大きいものがあるに違いない。
2010.09.15
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連れ合いと2人だけでゴルフに出かけた。常勤ではないといえ、現役教師をしているので、ウィークデーは何かと活動が規制されるのだが、やりくりをして出かけることになった。連れ合いとゴルフを始めたのは、2年前のちょうどこの頃のことで、2年を経過したことになる。それまでも同僚さん達と遊びでクラブを握ったことがあると言うが、全くの素人である。素人同士が出かけるので、それ程立派なコースには行かないわけで、最初に行ったのは、姉と3人で一庫コースであった。それからも数度訪れているが、連れ合いと2人だけのラウンドは今回で6回目という事になる。1度は旅行途中に淡路島のスプリングゴルフでプレーした以外は全てこの一庫である。今まで猛暑日が続いていたが、今日は朝から凌ぎやすい感じである。西国街道の裏道を通るのだが、今朝もいつものように少し早めに出発した。狭い道で、結構通勤する人達であろうか、車やバイクによく出会った。朝の向かいの車は、道を熟知しているからか、それとも対向車が少ないと言うことを前提にしているのか結構飛ばしてくるのが多い。途中から名神沿いの側道に入るのだが、ここは、極めて快適である。2車線は確保されているうえ、交通量は少ない。隣を走る高速道路ほどではないが、結構スピードが出せる。この側道は、くねくね迂回するところはあるが、結局茨木ICまで続いていることになる。もしこの側道が、完全に名神に沿って全通していたら、きっともっと多量の車が走ることだろう。そんなこと思いながら、茨木ICのある国道171号線にぶつかる。ここの出口は良く混むので、信号2-3回は待たなければならない。通る度に何とかしてくれないかなどと思う。運転しながら話すことは色々だが、数日前の新聞記事に、「日本の教育への公的支出が主要国で最低(2007年GDP比)」という記事があり、そんなことについても話した。OECD加盟国28ヶ国中の最下位で、全平均に比べても低いのである。アメリカや韓国などよりも低く、概して北欧諸国が高い比率を占めている。日本はこのところ最下位かワースト2位で低迷しているのだというのだ。その端的な例で、学級の平均生徒数が挙げられていた。各国平均が21.6人であるのに、日本は28.0人なのだという。それでも驚いたのは、連れ合いの学校では確か40人学級がどうとか言っていたのにと言うことだ。過疎を含めた平均故に、詰め込まれているところはもっとひどいのかと思ってしまった。これに対して、教育費の私費負担は、チリ、韓国、アメリカに次いで4番目に高いのだという。格差が教育にまで及ぶ典型例である。そんなことを話している内にゴルフ場に着いた。一庫ゴルフは安いゴルフ場で、パーは70である。その分距離も短いので、良いスコアが出そうだが、フェアウェイなどが狭いため、OBも出やすく、なかなかスコア的には纏まらないのである。しかし、ここがチェリーゴルフのチェーンに買収されてからは、随所に改良を加え、今ではなかなかのコースになっていると感じる。もちろんここは対象にはなっていないが、日経のゴルフ場調査によると、全国574コース中、260コースからの回答を下に調べると、103コースで売上微増、他の157コースでは減少との回答だったという。昔は高嶺の花だったゴルフも、今は若い人もやり始め、昔持っていたゴルフ会員権は、極端に目減りしているようだ。日曜日のプレーに対する有利さなどはあるが、平日にラウンドする場合は殆ど特典がないのが通常だ。ここ一庫も通常ネットで5500円の昼食付だったのが、5700円に上がり、良く行くので、ファックスが入り、また5500円に戻っていた。一寸ドライブし、プレーで汗をかき、さほど旨くはないが昼食が付き、お風呂で汗を流せるということから考えると、結構価値のある気がする。しかも、2サム(2人でプレーする)の場合も割増金は取らないというのだ。難点といえるかどうか、少し遠いのと、新しくできた箕面のトンネルが有料で、片道400円徴収されると言うことだ。さてプレーは前の組が2人のおじさん達、後ろは初心者らしい4人組。従って、待つことはなく、追い立てられることもない理想的な順番であった。アウトからのプレーだったが、私は、バックティーから打つことにした。通常のコースでプレイするためには、レギュラーティーでは練習にならないと思うからだ。1番はドライバーの当たりは飛距離が出ず3オンのチャンスも逃す出足であった。2番で、最近は出なくなった一寸スライスのOBとなる。連れ合いのティーショットも若干トップ気味で、良い弾道を得られない。3番の2打から打上では、最後、アプローチの詰めが甘い。連れ合いは2打目池越えを無難にこなした。4番では初めて快打音が聞け、真っ直ぐに飛んだ、2打目135ヤードを力んでチョロしてしまった。連れ合いはティーグランド直前のくぼみを越えることができない。一寸、プレーの間が開いているので仕方ないことか。5番のバックティーは結構後ろだ162ヤードと書いてある。7Wで2回打ってみたが、結局グリーンには乗らなかった。連れ合いと同じダボであった。6番、超打上で、私も1オン出来ずだったが、1パットでパー、連れ合いも1パットのボギーで納めた。7番打上のドッグレッグのところまでどうにか届く状態で、左ドッグの眼前の木が気になり、2打をグリーン右に外した。連れ合いも難しい場所から木の間を縫うショットを失敗していた。8番、超変則の打降ろしから大きな池越えのコースでは、2打の当たりが悪く、池越えがかつかつになってしまい、ボギーにしかならない。連れ合いは池前まで苦労していたが、池越えは何とか出来たのは良かった。9番ティーショットは冴えていたが、2打が当たり損ないで、3オンは出来なかった。連れ合いは、ティーショットはまだ勘を取り戻していないが、2-3打が良くまずまずの前半終了だ。昼食もそこそこに、後半に向かった。10番2打目からの打上に2人とも手こずった。このホールのグリーンは極端に悪く、花屋敷を思い出してしまった。11番の超打上ショートは150ヤードとある。4Wでグリーンの右にそれた。連れ合いのティーショットはまずまずだった。12番は開けたコースで、ティーショットは気持ちよく飛んだが、2打で力んで失敗、アプローチもオーバーするなど結果は良くない。連れ合いはティーショットの当たりも2打目も、少しずっつ良くなって上がりは同じトリプルだった。13番は1オンの2パット、連れ合いは、眼前のくぼみを越えられず、一寸難しそうだ。14番良い当たりが真っ直ぐ出て、ここは真っ直ぐ打つとOBなので球が見つからなかった。15番大きな谷越え後、打ち降ろし、左ドッグと変則なのだが、2打目が湿ったものの4オン出来た。連れ合いには、こういった谷越えショットは今日は特に難しい。女性には優しくないホールである。16番ティーショットの当たりが良く、1パットでパーだった。連れ合いのティーショットも回復した。2打目もよく、段々良くなる。17番超打ち降ろしのショート。私も、連れ合いもボギーだった。18番ティーショットは良かったが、途中OBしてしまう。連れ合いはティーショット、2打目とも後半3ホールは調子を上げてきたようだ。帰り、入院中の姉を見舞って、また一緒にラウンドしようと励まして帰宅した。
2010.09.14
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最近新聞紙上で、「生物多様性」について述べられることが多くなった。来月(10月)11日(月)~29日(金)の間、愛知県・名古屋市で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催されるからであろう。COPとは(Conference of the Parties)の略であり、元々国際条約を結んだ国が集まる会議(締約国会議)という意味である。従って、COPの中には、「気候・地球温暖化」に関するものもあれば、この「生物多様性」に関するものもある。そして、「生物多様性」は地球上の多様な生き物や生息環境を守り、その恵みを将来にわたって利用するために国際的に協調していこうというものである。この地球上には、科学的に明らかにされている生物種が約175万種、未知のものも含めると3,000万種から1億種いるとも言われる生物が暮らしている。そして最適推定数としては、1000万種だというのだ。これを「種の多様性」と呼んでいるが、それ程までいるのかという感じがする。これは、小さな寄生虫や植物も含む広範囲な生物を指しているのである。この種は1億5000万年前から、急激に増加している。そして5-6000万年前にそれまでにもあった5大大量絶滅期の1つが訪れている。この辺りに氷河期が来たのかも知れない。生物が誕生して30億年、その間に、単純な生物は、様々な環境(乾燥、温度、病気・・・)に対応してそれぞれ適応し、進化してきた。従って、この生物多様性とは、進化の結果として多様な生物が存在しているというだけではなく、生命の進化や絶滅という時間軸上の変化も含む概念だという。来るべきCOP10において、気候変動の経済学として、イギリスのニコラス・スタンレー氏が温暖化に対策の経済的な意義を立証したのに倣って、ドイツの銀行幹部を歴任したパバン・スクデフ氏が生態系と生物多様性の経済学を提唱した。絶滅種がどれくらいあってといった感情論に訴えてきた之までの生態系保護を経済的な面から合理的に見ようといった試みである。私などは、アメーバーのような、現生種に近い物が如何に減ろうとも気にもしないのだが、こういったバクテリアなどの存在も、それが存在するから、生態系が保てるといった、通常では目に触れないようなことがあり、お互いに良好な関係を築いているのだそうだ。スクデフ氏の試算では、森林の伐採による新鮮な水の提供阻害や炭素貯留の減少、医薬品の原料になる遺伝資源などの減少などで、年間2兆から4兆5000億ドルという経済損失が続いているのだと警告している。例として、熱帯雨林の平均1haは6120ドルの価値があるのだという。その内訳は、食料、遺伝資源、気候調節、水流調節等々の合計だ。また珊瑚礁は魚の生息、装飾品、観光資源等々で、11億5704ドルの経済価値に匹敵するという試算だ。別の例として、タイなどでマングローブを伐採し、エビの養殖に充てるとした時、得られる利益は、1ha当たり1220ドルであるのに対し、災害防止などでマングローブが持つ価値は1万821ドルであり、更にそれを回復するのに掛かる費用は9313ドルとなって、とても間尺に合わない結果となるということである。これを逆に見て、世界中で自然保護を推進し、年間450億ドルを投資すれば、飲料水を得たり、災害の防止などで、5兆ドルもの価値を得られるというものだ。従って、自然保護を推進し、森林伐採を思いとどまろうという提案であるが、ここに内在する問題があると思う。それは、例えばエビの養殖で得られる価値はごく限られた開発者に入るものである一方、マングローブを保全することから得られる価値は、エビの養殖場を開拓する人間にとって、目に見えた形の利益にならず、何の価値もないのと同じだと考えてしまうことだ。ブラジルのアマゾン地域では今流行の地球温暖化の元凶とされる炭素の貯留にとっては60億~120億ドルの経済価値があるというのだ。これに新鮮な水を得られると言うことを含めると膨大な価値を持つものであり、これを開拓して得られる小さな経済価値など吹っ飛ぶというのである。こういった風に皆が考えることが出来るのであれば、素晴らしいことだと思う。ただ、スクデフ氏が言うように、誰もが自然はただであると思っていることが問題である。空気(酸素)がなければ人間は生きられないのだが、一々呼吸をする度に空気のありがたさを感じている人はいないのと同じように、自然は、自然として利益をもたらしているとはなかなか考えにくいと言うことではないだろうか。今回、生物多様性版スターレンレビューとして出された経済試算の根拠が当然問題になるであろうが、こういった視覚化できる指標を導入することにより、今までは、感情論的に論じていたことが、より分かりやすくなるのではないだろうか。人為的な開発に依らなくても、アフリカのサハラ砂漠や、世界中の砂漠は、どんどんとその面積を広げている。ドバイには、立派なゴルフ場が少なくとも2つはある。このメインテナンスに掛かる費用は相当なものであろう。まわりが砂漠であり、開発された都市もアスファルトで固めてある上、気温が40℃を超えることはざらであるからだ。ここにゴルフ場を造ってプレーする人からのプレー費だけでメインテナンス費用が捻出されているとはとても思えないのである。生物多様性の別の意味に、絶滅種を救おうというものがある。密猟や乱獲で、個体種を減らすと言うことは、人間のエゴであり、阻止する必要があるが、意図的にかそうでないかを問わず、別の個所で繁殖した種を導入することによって、その土地固有の種が脅かされ、やがて絶滅に追いやられると言うことは、好むと好まざるとに拘わらずある程度やむを得ないことなのかも知れない。それも含めて進化といってしまえば、それまでなのだから。日本における絶滅危惧種の動物は、哺乳類48種、鳥類90種、魚類76種、両生類14種、爬虫類18種、昆虫類139種貝類251種、甲殻類等25種、クモ類・多足類等8種であるとされ、植物では1665種、藻類、地衣類、菌類で329種あるという。日本の国鳥のトキは、やっと絶滅を免れるかも知れない光が見えてきたようだ。既に絶滅した種は数え切れないくらいにいるわけで、大きなものでは恐竜がそうであろう。人知の及ばないところでは、絶滅する種を救うことが出来ないが、それ以外は何とか共存できるようにしていきたいものである。ニホンオオカミや、ニホンカモシカなども絶滅種であるし、コウノトリもそうである。かくいう我々の祖先である人類のクロマニョン人やネアンデルタール人なども絶滅して、今日の我々(現生人)が居るわけだから、ある程度の淘汰はやむを得ないと言うしかないのかも知れない。
2010.09.13
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今年の夏はまだ終わりを見せないぐらいに長い。夏が長いというのは正確ではないのかも知れないが、日本に於いて、猛暑日がこれほど長く続いた年はなかったそうである。勢い環境・気候の問題が大きく取り上げられるわけだが、今は、CO2の排出が、そこ元凶のように言われている。人間がCO2を排出しすぎるから、大気圏がCO2に覆われ、太陽から届いた熱が、大気圏外に放出される割合が減少して、地球全体が、あたかもビニールハウスの中に入ったかの如く暖まるのだという。一方の少数意見では、CO2温暖化説は間違っているというのもある。地球の温暖化が、CO2だけに支配されているのであれば、地球上の何処もが今年のような暑さがひどく、今年よりは来年、来年よりは再来年の方が暑くなり、地球上の人類はやがて「ゆで蛙」のように緩やかに死んでいくというストーリーになる。それでは困ると言うことで、地球温暖化問題(気候変動問題)に関する世界会議が行われて来ている。京都議定書なるものが出され、その取り決めによって各国のCO2排出量の割合が決まるという具合だ。中国は、今やCO2排出でも世界2位になるなどの勢いであるが、狡猾な中国は、CO2削減の話になると、自らは途上国であり、これまで先進国が汚すだけ汚して発展してきた地球なのだから、先進国のCO2排出制限は厳しく、新興国は、発展に追いつくまでは緩やかであるべきだという論法に荷担している。一方大量排出国であるアメリカは京都議定書から早々に離脱している。私が不思議に思うのは、「CO2排出枠の購入」ということである。人間というのは、一旦文明が発展すると、後には戻れない。従って、先進国は、CO2の排出を制限しても自国の努力だけでは高々知れているので、工業化などが進んでいない途上国が持っている、排出量枠の権利を買うというものだ。CO2そのものを減らしたいのであれば、また、世界中が平等に発展するためには、先進国の発展をスローダウンすることしかないわけだが、そうはしないと言うことである。ところが、鳩山前総理は、国連気候変動サミットの演説で世界中に向けて、CO2の排出量を2020年までに1990年比で25%削減すると明言したのである。今となっては、この元首相の自己顕示欲とパフォーマンス好き故のことだと分かるが、日本の国の産業界は大いに困惑しているところであろう。自国だけでは賄えないから、発展途上国の排出枠を購入してお茶を濁すことになるであろう。世界全体のCO2は一定の割合で増えていくのは必定である。そこで、地球温暖化が本当にCO2排出故のものであろうかという点だが、日本にも何人かの学者は「CO2温暖化説は間違っている」と公言しているのである。しかし、一旦走り出したものは止まらないし、一旦口にした25%という数字も一人で歩き出す。国内では何でもかんでも「エコ」(エコロジー)という二文字を付けることになり、これが付いていないと、地球に優しくなく、巨悪の元凶かの如く判断され、敬遠されるという仕組みになっている。自動車会社も従来のガソリン車のCO2排出量を抑えた、「エコカー」を世に出している。製鉄会社は、産業構造の成り立ちからCO2の排出量が一番多く、全産業の半分近くを排出していることになる。そこで製鉄会社が鋼材を造らなかったら世の中の殆どの物は成立しないことになるわけであるが、だからといって、一朝一夕に製鉄会社のCO2は減らないであろう。発電でも石炭を主とする火力発電の中国では、排出量が多くなるのは極めて当然である。これを、よりCO2排出の少ないLNGに変えると言った方向や、チェルノブイリやスリーマイル島の事故以来抑制してきた原子力発電に置き換えるというのが世界的趨勢である。アメリカも原発計画を復活させたり、ドイツでは、全廃する時期を遅らせるなど、原発容認の姿勢は変わらない。私などは、この傾向は余り好ましいことだとは思わないのである。原発が安全であるという論拠が極めて薄弱であるし、現に日本に於いて大事故もあったし、人為的なミスによる小さな事故は枚挙にいとまがないくらいである。更に、原発が1基でも不具合になれば、その累は広範囲且つ長時間に亘るという危険性と隣り合わせであるということだからである。今は、ソフトで且つ再生可能なエネルギー源の開発が遅まきながら着目されている。以前は、採掘にコストが掛かりすぎると言うことから、見送られ続けているメタンハイドレードであるが、日本近海は世界最大のメタンハイドレート埋蔵量を誇ると言われ、CO2の排出量も石炭や、石油の半分程度と少ないという。日本政府はメタンハイドレートの商業化にやっと腰を上げたようだが、もっと早くからこの辺に必要なお金をつぎ込んで、将来、地球上から石油が枯渇した場合、日本が世界最大のエネルギー資源大国になると言われている、このメタンハイドレード採掘方法に力を入れるべきではないだろうか。宇宙に行き、正確な位置を知ることが出来るGPSのための衛星「みちびき」も必要だが、資源が枯渇したら全く何も出来ないという日本の立場を考えると、事の要諦は容易に分かるはずであると思うのだが。本題に戻って、地球温暖化、即ち今年の異常気象(猛暑日数が歴代最高)が即ちCO2による地球温暖化のせいかというと、そうではないような気がする。地球温暖化即ちCO2の排出量が多いと言うことから、ツバルは沈み、北極の氷が溶けると安易に言われているようだが、4年前の、ロシアのシベリア、ウラル地域での100年に1度あるかないかの異常寒波や3年前のアメリカ南部から中西部にかけての寒波等はどのように説明するのであろうか。また今年に入っても、1月のインド北部での寒波、ルーマニアやブルガリア、ポーランドなどを襲った東欧寒波、さらにはつい先頃、日本が、酷暑だと言ってあえいでいる中、アルゼンチンやパラグアイそして チリなど南米を襲った大寒波をどう説明するのだろうか。南米寒波の折には、通常なら気温が20度以下に下がることのないボリビアの熱帯地域でも0度ちかくまで下がり、寒さ対策のない国故に多くの犠牲者が出たという。CO2が唯一の根拠なら、世界中が温暖化に向かっているはずであるが、これらの例外は、どのように解釈すればいいのだろうか。地球温暖化=CO2の排出量増加とだけ単純に言わないで、もう少し、理解が出来る説明が欲しいものだ。仄聞によると、太陽と地球の距離が縮まっているという話もある。また、月はこの40年ばかりの間に、半径が100mも縮んだという記事もあった。地球の傾斜角度(地軸の傾き)は23.4度ということになっているが、これも正確にそのままなのか、月とのバランスで傾斜角が少しでも変わっているとすると、酷暑と寒冷の関係も従来と違った割合になることにも大いに納得がいく。ホーキング博士は、「宇宙誕生に神は不要」といっているようだから、何事も科学で律しきれると言うことなのであろう。CO2一点張りではない説明が欲しいものだ。何億年か先に地球寒冷期が来るという説もあるわけだが、今日ただいま、秋なのにこんなに暑い説明を誰かにして貰いたい。
2010.09.12
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今、アラビア文学の講座を受講中である。それ以前に中東やイスラム圏の講座を受けていた続きでの受講だ。私が中東に関係した仕事をしていたことから、連れ合いも最初は何の興味もなかったが、引き込まれるように一緒に受講することになった。アラブで何時も問題になるのは、イスラエルとパレスチナの確執である。中東紛争の解決に向けて、話し合いが始まったのを潮に、連れ合いは、昔観た映画「アラビアンロレンス」のことを急に思い出したという。以前は、何気なしに観ていたが、最近イスラエル内部のアラブ人についての文学で、さかんに国境の問題とかが話題になっている中、ロレンスが、イギリスの命を受けてアラブの反乱軍を指揮したことを思い出したと言うのだ。砂漠で活躍する青い目のロレンス(ピーター・オトゥール)はどういったことをしたのか、ということを再度観てみたいと思いついたようだ。最近は便利になったもので、DVDで古い映画も保存されているとかで、早速借りに出かけた。テレビで観たい番組があるが、前後半2枚のDVDに納められた「アラビアのロレンス」の前半は丁度そのテレビ番組の前で終わりそうである。早速掛けてみることにした。映画は、ロレンスのバイク疾走時の死で始まる。ここで書きたいのは映画のすばらしさもさることながら、当時は、壮大なスペクタクル映画というとらえ方であったが、今は、中東問題の火種となった原点を見直すためのものだ。ベドウィンがメディナを攻撃するとか、映画に出てくる言葉は、サウジにいた私にとって懐かしい言葉である。話の興りは、イギリス陸軍エジプト基地勤務の風変わりな情報部中尉のロレンスがアラビア語やアラブ文化に詳しいことから、オスマン帝国からの独立闘争を指揮するメッカのシャリーフであるハーシム家のファイサル王子と会見してイギリスへの協力を取り付ける任務を負った工作要員としてアラビアに渡るところから始まる。アラビア半島の砂漠を横切るシーンは、見渡す限り砂以外は何もない、何とも雄大且つ無の世界であるということを感じた。この灼熱地獄を越えられるのはベドウィンと神だけだというセリフもさもありなんという広大さである。また、砂漠の夜は、満天の星空で、実に美しい。アラブは、ベドウィンと呼ばれる各部族が、それぞれ好き勝手に動く統一の取れない土地であった。ロレンスの案内人が、別の部族である、ハリトゥ族の井戸で水を汲み飲んだということで、射殺されてしまう。撃ち殺したその首長アリの案内を断り、上司であり、先行していたブライトン大佐と合流、ベドウィン・キャンプをオスマントルコ軍の二葉機が空襲する中でファイサル王子と会う。ロレンスはファイサル王子に独立闘争への協力し、紅海北部の海岸の町アル・ワジュからアラブ人の勇者50人を率いてネフド砂漠を渡り、オスマン帝国軍が占拠する港湾都市アカバを内陸から攻撃する電撃作戦を立て実行に移した。この時のネフド砂漠は、過酷そのもので、推定400kmの距離を走破するのである。過酷でありながら、映画を観る者には、これほど美しい場所があるのかと思えるほど砂漠は何もない。私は、ジェッダ時代にヤンブーまでの中間点であるラービグまでは行ったことがあるが、現在のような、舗装道路を車なら快適なところだが、道なき道をコンパス一つでわたるロレンスは、一体何を思ったのかという気がした。鉄道を渡っていることから、当時オスマントルコが敷設していた、ヒジャーズ鉄道を渡り、アカバ湾に向け固定された大砲を避け、海沿いではなく陸からアカバを落とす計画である。夜進み昼休むといった難行中に遅れたガシムを戻って助ける無謀な行動を成功させ、アラブ人の信頼を得たロレンスは、アラブの首長として認められ、白い伝統的トーブを渡される。「運命なんか無いんだ」というロレンスに、アリは「偉大な男は運命を切り開く」と返答する。途中、また別のハウェイタット族に会い、金を吊り玉に、一緒に行動し、アカバを落とす。アカバでは、部族同士の内紛で、収拾は付かず、カイロに行きイギリス軍から金を受け取って支払うとの約束で、なだめ、召使いに雇った少年と2人でアカバからシナイ半島を横断しカイロを目指す。カイロでは、アラブ軍がロレンスの下、アカバを落としたと言うことで大騒ぎになるが、ロレンスは、少佐に昇進する。イギリス陸軍からの兵器の補充を受けたロレンスとアラブ軍は、オスマン帝国軍へ更なる攻撃を開始し、ヒジャーズ鉄道の爆破などの戦法を展開した。ロレンスは絶頂期を迎え、自己陶酔的になり、更に20人ほどをつれてオスマントルコの拠点ダーラに向かう。心配するアリの思い通り、トルコ軍に拿捕され、オスマントルコ軍のベイ将軍に完膚無きまでに痛めつけられる。これを機に、ロレンスの考えは変わったようである。更に、ロレンスは、イギリスは、アラブ軍がオスマン軍を駆逐しても、アラブの独立を認める気がなく、フランスと共同で、トルコとアラブを分割統治するとの、サイクス・ピコ条約の存在をその時知るのである。その為、自分はささやかな喜びに生きるために本国(同胞)の下に帰ると言い、後はアリが指揮したらいいと帰国する。除隊願いを、アレンビー将軍に受理されず、ロレンスは、アラブにダマスカスを落とせばアラブの独立を認めるとの口約束で、ロレンス自身、ならず者を含む200人で、ダマスカスに向かう。イギリス軍もダマスカスに向かうが、之に先んじれば、約束通り、アラブの独立は叶うと思っていた。途中、ロレンスの部隊は部隊内にいる首長の村を殲滅して、退却中だったオスマン軍と遭遇した。殲滅された村の首長が、怒りに狂い、単身のオスマン軍に突入して殺されたのを機に、ロレンスの部隊は復讐の連鎖でオスマン軍を無惨にも全員虐殺してしまう。まるで、西部劇で、カスター将軍を襲うアパッチのような具合にである。この裏には、オスマン軍の将軍に痛めつけられたことが根底にあったかも知れない。この事は後に大問題になるが、取り敢えず、イギリス軍より2日程度先行してダマスカスを落としたアラブ軍も、所詮、金目当てであったり、部族の主張を優先するアラブ軍の統率は取れず、アラブ民族会議は決裂、労せずして、アレンビー将軍の思惑通りダマスカスはイギリスのものとなる。オスマン帝国から解放されたアラビアには、もはやロレンスは必要ではなかった。アラブ地域の独立と、アラブ人のパレスチナでの居住を認めた、フサイン=マクマホン協定を信じて、イラク・シリア・アラビア半島を含む大アラブ王国を構想する老練なファイサル王子にとって、今となっては、白人のロレンスがアラブ反乱を指揮した事実は邪魔となっていたし、サイクス・ピコ協定によりアラブをフランスとともに分割する方針を決めていたイギリスにとっても、大アラブ王国を支持し奔走するロレンスは政治的に邪魔な存在となっていたのである。ファイサルは「もうここには勇士は必要でなくなった。私達は協定を進める。それが老人の仕事だ。若者は戦い、戦いの長所は若者の長所、つまり勇気と未来への希望なのだ。だが、老人は平和を作るのだが、平和の短所は老人の短所、つまり不信と警戒心なのだ。そうに違いない。あなたに対する私の感謝の気持ちは計り知れない」と語りかけるが、去り行くロレンスにその言葉は虚しく響くばかりだった。ロレンスは、イギリス陸軍の英雄として大佐に昇進させられながらも、アラブ人としての大きな失意を胸に抱きながらアラビアから追放されるのだった。純粋な気持ちでアラブを愛したロレンスを、大国の横暴とアラブ側の無知故に、結局現在を招いたと言うことなのだろうか。
2010.09.11
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4期目のNHKの講座の第6回目があった。講師の都合で前回と今回は講座の日が前倒しになっていたので、次の5期目までは1ヶ月も間が開くことになる。今日からいよいよ印象派へ突入した。連れ合いは、絵画といえば印象派といった具合に印象派が大好きである。従って私も印象派は好きであるが、彼女ほど造詣が深いわけではない。国内外で開催される絵画展でも、印象派の場合はだいたい鑑賞に出かけるのが常である。印象派は、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパの絵画界を中心として発生した大きな芸術運動であり、それまでの写実主義から抽象主義への変化の、初期段階であると考えられ、また、その後の芸術全般に大きな影響を与えている。印象派の絵画はそれまでの写実主義(古典派や、バロック、ロココなども同じ)の絵画に比べると、主題が強調される一方、写実性に乏しいが、色彩や光りを鮮やかに表現した作品が多い。それまでの絵画は、貴族や富豪らのパトロンによりやや私物化され、金持ちの道楽的なところがあった。絵画で認められる者は、神話や宗教画に立脚した古典的寓話的な作品や、細密な写実的な作品が支配的であり、これらをオーソライズするのは、国立のサロンへの出展で認められることが求められた。従って、それまでの作品では画家はいろいろだが、ある程度のセオリーに則った作品が殆どである。私は、バロックのレンブラントや、カラヴァッジオなども好きであるし、ロマン派のドラクロワなども好きである。印象派の登場当初は、貴族や富豪らのパトロンを持たぬ若い画家の作品という事で、画壇での注目は低かったようである。印象派で、まずその象徴的な画家としてあげられるのは、クロード・モネであろう。講師の紹介もそのモネの作品から始まった。最初の作品は「シャイイへの道」であった。パリに生まれたモネはフランス北西部の英仏海峡に面したルーアンを首都とするル・アーブルに引っ越したが、当時から絵の才能は高かったようで、町の有名人の似顔絵などを描いていたという。18歳でパリに帰ったモネは、国立アカデミーではなく私立の美術学校に通ったという。「シャイイへの道」はフォンテンブローの森の一角を描いたもので、もちろんサロンへの出品を意図した作品である。木立の中の小径の先に開ける光りに溢れた空、モネが生涯描こうとした、光りを色彩で表現しようとした原点の作品である。ブーダンに師事したと言うことで、ブーダンの「トルヴィルの浜辺」の作品が紹介された。次の作品は「ラ・グルヌイエール」でパリ郊外のセーヌ川の畔の市民の憩いの場所を描いた作品で、海水浴に興じる人達が描かれていることから時期は8月頃かとのことである。モネは水面を描くのが好きで、荒いタッチで実感を出している。比較作品に友人であったルノワールの「ラ・グルヌイエールにて」が紹介されたが、ルノワールの方は、燃えるような新緑を重視した作品である。印象派は1860年代の若い画家達の集まりであったが、彼らが尊敬する画家にクールベやマネがいる。前に説明のあったクールベの「アトリエ・・・人生の現実的寓話」やマネの「草上の昼食」が旧体制打破の先駆けとして、良くも悪くもこういった若い印象派画家達の背中を押した象徴的絵画として再び説明があった。モネといえば印象派、そして作品は「印象・日の出」であろう。印象派の画家達はオペラ座近くのパリでも目抜き通りのナダール・スタジオに共同で画廊を借り、グループで展覧会(サロン落選展)を開いた。30人くらいの画家が、1人ではアトリエを埋めるほどの作品が無く、また客が集まらないし、画廊自体の借り賃が高いなどもあってのサロン落選展である。その第1回に出展されたモネの「印象・日の出」は、ターナーの「日没」と共に、当時評判の批評家であるルイ・ルロワによって「どの絵もどの絵もひどい絵で・・・何と未完成な作品である」といった具合にこっぴどく批判された。それをものともせず、開き直ってモネの題名であった印象を取り、後に印象派と呼ばれるようになったとのことである。当時サロン展で落選した若い画家達の作品をナダール・スタジオでのサロン落選展に出展し、当時の有名オペラ歌手が16点ものまとめ買いをするほどの盛況となった。サロンを中心とする作品を伝統に基づいて高い批評をして生きてきた、ルイ・ルロワにとっては、これらのことは権威失墜にも繋がることであり、それが酷評へと繋がったといわれている。ギュスターブ・モローの「オルフェウス」などが、サロンでは高い評価を受けているのとは実に対照的である。このサロン落選展(後印象派展と言われる)は12年間で8回行われたと言うことである。「アルジャン・トゥイユの橋」は鉄道敷設で、パリ郊外に移り住む事が可能になったこれらの画家達が描くようになった郊外の絵である。透明感のある水面のきらめきとちらつき、背景の点描写など、いろいろな技法が用いられ、絵の具は混ぜる程黒くなるため、なるだけ原色を活かし、且つ白を加えることで明るさの調整を図っている。モネは、マネを尊敬していたが、互いに仲も良く、共に旅行して、絵を描くなど行っている。マネの「アトリエのモネ」はマネがモネを訪れた時の作品で、ボート上でイーゼルを立て、絵を描くモネの姿を書いたものである。マネの作品「ヴェネツィアのカナルグランデ」の水面の表現は、モネの影響を受けたものである。ルイ・ルロワはモネの描き方を、荒っぽいとして常に揚げ足を取っていたようである。しかしこういった一見荒っぽい作風は、モネが始めたものではなく、コンスタブルの「ソールズベリ大聖堂」やコローの「ナルニ橋」にも見られるように、人が風景を見た時に、焦点の合う部分はかなり精密ではあるが、其れ以外の個所は荒っぽいというか、印象に任せた表現になるという視覚体験的なことからも裏付けられる。モネの「キャプシーヌ通り」は2作品あるようで、ナダール・スタジオがある通りの夕暮れの風景であるか、左側半分は太陽の光を受けて金色に輝き、右側は高い建物の影に覆われていて、歩道の人通りも蜘蛛の子のように多く描かれている。右端には同じ階から見降ろすシルクハットの男達も描かれている。ルイ・ルロアは、この作品にも、無数に書かれた人々を指して、「黒いよだれ」と称し自分もここを歩く時はこのようなものかと批判している。モネの「ひなげし」は有名であり、多数描かれているが、従来からの神話や寓話的な絵画のベースを払拭したいことが伺える。赤いひなげしが草原に浮かぶように咲いていて、子供もそれを持って母親と散歩している。遠くには同様の散歩者が見える。パリ革命後の幾度とない暴動で3万人余が殺された後に訪れた平和を現している。 ルノワールと仲の良かったモネだがルノワールにも同様の風景を描いた「草の中の坂道」がある。モネの「サン・ラザール駅」は連れ合いとパリ旅行をした時に、傍を通ったが、中までは見なかった。ガラスと鉄骨の新しい技術で建築された駅舎の中を蒸気機関車が、蒸気と煙を上げて入線する風景である。マネの描いた同名の作品はあまり内容のないのに比べ、この作品は、光り、蒸気、人のざわめきを見てくれとばかりに描かれている。最後にルノアールの「ムーラン・ド・ギャレット」が紹介されたが、平和になったパリでの、ざわめきと、動き、光り(木漏れ日)を描いた大作である。
2010.09.10
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昨日書いた政府(民主党)の「産業構造ビジョン」の戦略5分野のうちの「インフラ輸出」について詳しく見てみる。インフラ輸出が先行したから戦略に加えたのか、戦略に入ったからインフラ輸出が急速に増えたのか、いずれにしても日本に限らずインフラの整備については最近話題が多い。一時、リーマンショックやその後のギリシャ問題で世界中が冷え込んだ時には、大型プロジェクトは全て見直しの対象になり、各プロジェクトは延期か、規模縮小の方向を取らざるを得なかった。最近になってようやく再始動の号令が掛かった如く、大型の案件が動き出した、インフラといっても多種多様であるが、思いつく順に挙げていくと、大型製鉄所の建設計画で、その昔「産業の米」と言われた鉄鋼の高炉建設を東南アジアやブラジルで行おうというのがある。新日鉄のブラジルやタイでの計画、JFEスティールのベトナム、タイ、フィリピンのいずれかの地に高炉建設とブラジルでの可能性の調査、住金のインドとブラジルにおける現地企業などとの協力での高炉建設計画等がある。神戸製鋼はベトナムの製鉄設備に1000億円の投資を行っている。鉄道では、インドでの「新幹線構想」が打ち出されている。インドの世界都市で港湾都市でもあるムンバイから、工業都市アーメバードをへてデリーに至る総延長1200kmの高速鉄道計画である。デリー・ムンバイ産業大動脈として位置付けられた、総額3兆円になるというインドの3つの大型プロジェクトの1つである。更に、「メコン地域開発」と銘うって、メコン川流域各国を機能的に結ぶ鉄道計画がある。中国(昆明)からベトナム、更に、中国(昆明)からラオス=タイ=カンボジアに至る南北回廊と南部回廊いわれる計画、ミャンマー=タイ=ラオス=ベトナムを結ぶ東西回廊といわれる計画がある。メコン川流域の開発を、多国間で有機的に行おうという試みである。また、ベトナムでは、独自の新幹線構想があり、最終的には、ハノイからビン=フエ=ダナン=ニャンチャンを経て南のホーチミンに至る、5兆3600億円規模の、全長1560kmの南北高速鉄道計画がある。この計画もベトナムの3大国家プロジェクトの1つとなっている。北部と中央部、南部と分けて先行して部分的に計画を進めることになっている。次いで、ブラジルの高速鉄道計画がある。ブラジル最大の港湾都市リオデジャネイロからガレオン空港=ガルーリョス空港=サンパウロを経てカンピーナスに達する、全長510kmの1兆7000億円のプロジェクトである。マレーシアでは独自にマレー半島の西岸と東岸に縦走する高速鉄道計画があり、全長千数百m、総工費約7500億円が見込まれている。庶民の足となる地下鉄や都市鉄道計画は、マニラ、ホーチミン、ジャカルタ、バンコク、クアラルンプールそしてシンガポールなどで数kmから数十kmの計画があるようだ。北アフリカでは、リビアで海岸沿いにシルテとホムズ間(約350km)および沿岸ミスラータから内陸部セブハ間(約800km)の鉄道が計画されているほか、モロッコではジブラルタル海峡近くのタンジェとカサブランカを結ぶ約300kmの高速鉄道が計画されている。更に、渋滞解消のための地下鉄がエジプトのカイロや、アルジェリアのアルジェで計画中である。最近アメリカに於いて高速鉄道化の動きが活発になっている。主なものでも、西海岸の太平洋・北西路線、カリフォルニア路線、中央部では、南部中央路線、湾岸路線、シカゴ路線などがあり、東海岸では、北から、北東路線、南東路線そしてフロリダ路線が計画されている。詳しい内容はつかめないが、各々400km~600kmの路線が目白押しである。総工費の詳細も不詳だが、1兆円を遙かに超えるのは明かであろう。ヨーロッパの鉄道計画に日本が食い込めるかどうかは難しいが、EUはバルト地域の交通アクセスに力を入れるようである。ポーランドからリトアニア=ラトビアを通りエストニアに至る高速鉄道を敷設する計画だ。オーストラリアでも、ブリスベーンからメルボルンに至る全長1700kmの高速鉄道が、総工費約3兆円で計画されている。他にも中国では、11兆7000億円で、9200kmというとてつもない計画もあり、その中には、上海=蘇州=無錫=常州=鎮江を経て南京に至る鉄道も含まれている。イギリスでは、長距離高速鉄道の更新で1兆円規模の計画があるという。サウジアラビアでは、東岸に貨物用の鉄道があるだけであったが、メッカとメディナの2大聖地間440kmの鉄道敷設が考えられている。また、現在は鉄道のないカタールに於いても、総延長140kmの高速鉄道敷設を見据えていると言うことだ。鉄道に伴って、鉄道車両の分野でも海外からの受注が目立っている。日立製作所のイギリスでの受注や、川重のアメリカでの路面電車車両およびシンガポールでの鉄道車両などがその例である。IHIも中国との提携で、車両分野への進出を図っている。さらに、三菱商事や近畿車輛はエジプトでの車両を受注している。これ以外にも下水道関係の水ビジネスがあり、1990年代に英国で発展した民間資金を活用した社会資本整備(PFI)の考え方をもとにした官民パートナーシップ(PPP)で官民が協力して公共サービスを運営するという態勢で、民間企業30社が協議会を編成し、各々の事業の強みを生かしつつ、水道事業の運営ノウハウを持つ地方自治体と組んで、上下水道の分野に進出していこうとしている。この水分野は、既にガリバー的存在であり、ウォーターバロン(水男爵)と呼ばれる、代表格の巨大な水道事業者であるフランスのヴェオリア・エンバイロメントやスエズそしてイギリスのテムズ・ウォーターが先行して、世界を牛耳っているのだが、そこに日本も食い込もうとしているわけである。サウジや、カタール、バーレーンなどの灼熱の国、中東は雨が望めない国であり、海水淡水化事業などで需要は大きなものがある。発展途上国における下水処理事業もまた重要なビジネスチャンスである。汚水浄化技術に優秀な技術を持つ日本は、工場廃水浄化についても力を発揮することが出来るであろう。対象は、中国、メキシコなど順次成長が見込めるところである。オーストラリアでは、現地の水道事業会社を買収するなど、積極的に事業展開を図っている。このほかにも、インフラ事業は、製油所、水力発電、ガス発電、地熱発電、風力発電などがある。また従来通りの、建築や橋梁また道路や港湾建設といった物件もまだ存在している。また変わったところでは、エコ都市建設などといったものまで、最近の地球環境に依拠した事業も出てきている。とにかく今は東南アジアでは各部門に亘って開発投資が凄まじい。特にベトナムのインフラ整備には目を見張るものがある。また、ブラジルにおける向こう4年間で、エネルギーや住宅分野を中心に、48兆円もの投資を考えているという。日本が、中国や韓国を始め諸外国に互して、これらの需要をどこまで受注できるかと言うことが重大な問題となる。
2010.09.09
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日本の経済面での停滞感が著しくなってきた。そのたびに政府は、知恵を絞って経済戦略をたてる。昔、「技術は一流、政治は三流」という記事を見たことがあるが、今、正にその感が強い。自民党から民主党へ世紀の政権交代が成される前の科学技術振興策は「バイオ」「情報」「環境」「ナノテク」を重点推進4分野に指定し、さらに「エネルギー」「ものづくり技術」「社会基盤」「フロンティア」を推進4分野に決めていた。政権交代後、このところ民主党内の覇権争いが目につくところであるが、一応に、梗概的なことが多く、日本を一体どうしようとしているのかが聞きたいという話が良くある。一方では、政治主導でなければいけないといい、その点では、小沢氏、菅氏共に同じ方向性を持っているという。しかしながら、今のままでは政治主導というのは、画餅でしかないのは誰の目にも明かである。もちろん建前と、構造は、そのようになっているはずであるが、実際の運営と、運用は違っているのである。軍隊にタイする文民統制のようなものであり、あたかも文民たる総理や防衛大臣達がコントロールしているように映るが、もし戦時になればどうなるのか、過去の、陸海軍大臣が軍人であったことからも分かるように、戦いの専門家に牛耳られるのは目に見えたことである。ここではもう少し穏やかな話であるが、「日本の発展を、官僚に任すのではなく、政治家たる者が国民の声を反映して、主導権を握って、官僚を使いこなすのだ」という。字面だけを見れば、いかにも我々個人個人の意見が国政に反映される耳障りの良いものに聞こえる。しかし、之も大いなる誤解と言うことだ。問題とする官僚とは、町の役人もあるが、問題は「国家公務員1種試験」に合格した、優秀な連中である。とても草の根運動で瞬時のテレビ人気で選ばれた議員先生達とは根本的な頭脳構造が違うのである。しかも、官僚といわれる人達の方が数の上でも、国民生活に密着したことでも一枚も二枚も上にあるのである。理念のある国会議員もいるだろうが、国会議員になることが最終目標の人間もいる。官僚とて同じ事であり、戦後日本を建て直した官僚と現在の官僚とでは、全くと言っていいほど国に対する思い入れが違うと言うことである。まあ、それはそれとして、この6月に政府(民主党)は日本経済の再生策なる成長戦略「産業構造ビジョン」を決定した。それによると、戦略5分野は、(1)「インフラ輸出」、(2)「環境・エネルギー」、(3)「医療・介護・健康・子育てサービス」、(4)「文化産業」、(5)「先端分野」ということだ。2009年、民主党政権発足当時の新成長戦略は6つの戦略からなり、1. グリーン・イノベーションによる環境・エネルギー大国戦略、2. ライフ・イノベーションによる健康大国戦略、3. アジア経済戦略、4. 観光立国・地域活性化戦略、5. 科学・技術立国戦略、6. 雇用・人材戦略であった。これを見ても、半年経つとニュアンスも内容も少しずつ変化している事が分かる。時々刻々変化する世界情勢に付いていかねばならないという意味に於いては、戦略(Strategy)も之に従って変化しなければならないが、今回の成長戦略「産業構造ビジョン」と、前回の新成長戦略との違いと、その脈絡がはっきりしない。こういったことは、政治家主導といいながら、政府が諮問会議等に丸投げして、文章を作らせることによって生じる結果だという気がする。その会議には、産学の中に官も当然入っているわけで、時にすぐれた文章で尤もらしいことは書けるが、首尾一貫していないという難点がある。所謂政治主導といった形にならないのはこういった土壌だからであろう。志を持った政治家が居れば、情勢に右顧左眄することなく、一貫した戦略が描けるはずである。戦略5分野の(1)「インフラ輸出」は原子力、水、鉄道等を含むとあったが、6つの戦略ではさしずめ何に相当するのだろうか。(2)「環境・エネルギー」は次世代エネルギー・ソリューション環境都市,次世代自動車等と言うことであったが、これは、1.のグリーン・イノベーションによる環境・エネルギー大国戦略といったところか。(3)「医療・介護・健康・子育てサービス」は該当する項目が見あたらない。(4)「文化産業」は文化産業立国でファッション、コンテンツ、食、観光等に注力すると言うことで、4. 観光立国・地域活性化戦略という一環であろう。最後の(5)「先端分野」はロボット、宇宙等を網羅するものであったが、6つの戦略ではさしずめ、5. の科学・技術立国戦略に含まれると言うことだろうか。こういった風に官僚の作文は、そのどれを取っても耳当たりは良いが、その場しのぎ的な面があり、一貫性に乏しいと言わざるを得ない。戦略5分野の説明の中に「国を挙げて産業競争力の強化に乗り出す必要性を強調し、・・・2020年までに149兆円の新市場、258万人の雇用を生み出す目標を掲げる」となっており、わずかに、6つの戦略の6番目の雇用・人材戦略に触れている。総務省によれば、日本の2009年の失業者数は347万人で、失業率は5.2%ということだ。258万人の雇用創出では残った90万人近い人はどうなるのだろうかと思ってしまう。この度の戦略5分野は2009年の民主党政権発足当時の新成長戦略6つの戦略が絞り込まれたものではあろうが、同じ政権が、半年の間にニュアンスが少しずつ変わるのは、世界情勢の変化ばかりではなく、トップの連続性がないための継続性の遺失であろうと思う。今回、菅首相が、小沢氏に変わったとするなら、また、この成長戦略は若干の手直しが加えられることは必定と思われ、日本は、いつまで経っても戦略の立案に追われ、実行の方が伴わないと言うことにもなりかねない。戦略5分野の第1番目に据えられた、(1)「インフラ輸出」等についても、アフリカにおける中国のトップ外交や、韓国のトップ外交によるアラブ首長国連邦(UAE)での原子力発電所建設事業の受注など、日本に比べて、トップ自らが、国運を賭けた商談に乗りだしている。こういったことは、国の成り立ちを思えば、国益という点で、官民一体となるのは常識であるが、何故か日本は、その傾向が薄いと言わざるを得ない。武士(政府)は高みの見物というケースが多いような気がする。国のために役立ってこそ、高い給料を税金で賄っている根拠がある。いたずらに先生、先生と、幼稚園の子供でもあるまいに、大した政策的な共有もないままに、雰囲気と、自らの保身のために動く政治家が多いことを嘆くものである。それにしても、トップ外交に出かけてもこう度々変わる日本の顔であれば「Who are you?(あなたは誰?)」と聞かれて、商談どころではないかも知れない。早く正常な日本に戻って欲しい、ということは早く我々国民自身が「お上一本やり」、「おらが国の先生」という考えを改め、事の是非を高度に判断する力を持たなければならないと言うことである。
2010.09.08
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新聞によれば、欧州の国防費は2010年度のGDPに対して、1.5%台にも落ちるとの見込みだ。ユーロ危機が拍車を掛けているというか、ギリシャ問題がEU全体を揺るがし、聖域である国防費を削減せざるを得ないといった側面もあるようだ。また国防という観点で言えば、従来の大国同士の戦争を前提にしたものから、局部のテロ対策といった方向に軍隊の活動方向が変化してきたことや、オバマ大統領の世界非核化という軍縮の方向に向かっていることも一因であるという。日本では、専守防衛という観点から、1976年に防衛関係費(軍事費)は、GDPに対して1%を超えないものとする基本方針がされている。一時1%を越える予算編成が問題となったことがあるが、概ね、1%以下を保っている。軍事費の総額でみれば、為替換算で、アメリカ約5200億ドル、中国約1200億ドル、ロシア約550億ドル、フランス約450億ドルに次いで日本は世界第5位である。(約430億ドルくらいか)尚、物価の違いを考慮した、購買力平価換算軍事支出では、日本は中国の1/12、ロシアの1/3規模であり、それを反映して自衛隊の規模は両国軍の1/6-8規模であるというデータもあるようだ。今日の記事では欧州全体の話であり、曖昧であるが、グラフから読み取ると、国防費は、1985年から89年の平均で、GDP比3.1%だったものが、2000年から2004年に掛けて、2.0%を割るまでに激減し、その後漸減して、2010年度には1.5%台になろうというものだ。その分アメリカ依存が高まることに対する懸念が指摘され始めている。新聞によれば、内訳的には、ドイツが2014年までに25万人の兵員のうち9万人を削減すると言うことを筆頭に、ポルトガルは2013年までに国防費3割削減を目指している。イギリスも、2012年以降4年間で、国防費15%、人員3万人の削減を目標としている。肝心のアメリカも、超鷹派のブッシュ政権時に跳ね上がった国防費の削減が焦眉の急になっているようだ。軍縮即ち世界平和という単純な図式にはならないだろうが、少なくとも世界が平和を希求していること、軍隊よりも個々の人間の生活が大切であるという方向になっているようである。その方向になっているのは欧州(NATO加盟国)の話で、アジアでは、逆に中国とインドが際だって軍事費の割合を増やしている。特に中国では、1990年辺りから、軍事費の伸びは、2次関数的であり、2010年度には、5000億元(740億ドル)を超えているというが、前述の1500億ドルと辻褄が合わない。あくまで中国の国防費は、表向きであり、研究開発などを含めると更に大きな値となり、米国防総省の推定によれば、実際の国防費は1,050億ドルから1,500億ドルであると見積られている。さらに、インドの国防費も絶対額は上位の国と比べてまだ少ないが、1995年から比べると約6倍程度に膨れあがっている。中国は、依然台湾を意識し、且つ北朝鮮の核に対して警戒心を持っている上、南シナ海における資源獲得を意図して、この辺りに覇権を築こうとしている故であろう。もちろん前にも述べたように、日本に向けての核弾頭の照準を外していないことから、日本が仮想敵国の一つに数えられていることは間違いないであろう。行き着くところ、アメリカとのパワーバランスという最終目標であろうから、日本が行ってきた対中ODAなども有効に利用しながら、経済成長率を10%に届く成長を重ねることによって、米国のそれに匹敵するまで、中国の国防費は上昇するであろう。中国の成長にもややかげりが出てきたとの観測もあるが、外需の縮小は13億人の内需でカバーする態勢になっているとあくまで強気である。そして、現在のアメリカが倒れることはないとの見通しのもと、投資としてアメリカの国債を買うことにより、アメリカの首の根をつかむという政策のようである。インドの場合は、永年敵対関係にあるパキスタンの核実験が1995年に行われて以来、それまでのデタント政策を改めて、国防費の増強に力を入れ始めている。常に国家予算の12-15%を軍事費に充てているのである。インドはまたこれから発展していく国であるから、このままの軍事費割合をキープするならば、軍事大国になることは間違いなく、世界6番目の核保有国として、軍事的にも侮れない国である。北朝鮮の軍事予算はよく分からないが、実質60億ドル程度といわれている。また兵力はといえば、陸海空軍を含めて119万人とも言われ、日本や韓国などよりも兵員数は多い。国民の総人口は2400万人程度であるから、119万人でも多いところに、770万人が予備役で控えていると云うことで、その力量の程は分からないが、数では断然多いのである。通常兵器などは、どういったルートで入手するのか、ロシアや、パキスタンなどからのルートがあるのだろうが、中でも、核開発の問題が大きい。1300kmの射程距離を持つ「ノドン」は日本の一部を除き殆どをカバーしているし、「テポドン1号」は射程距離3500km、「テポドン2号」は射程距離6000kmとアラスカの一部に届くというものだ。狂気の集団が、これを実際に使わないとは誰も断言できない。既にテストと称して、日本上空を飛び越えたり、日本の近海に落ちたりしている。こういったように、欧州がやむなくデタントの方向に向かおうとしている中、アジアはこれからまだまだ軍備の増強を計ろうという方向になっている。世界平和度指数(指標)というのがある。イギリスの経済平和研究所が出しているもので、指標を求めるための要素は1 対外戦、内戦の数、2 対外戦による推定死者数、3 内戦による推定死者数、4 本格的な内戦の程度・・・など24項目の要素を勘案して決められているようで、テロの潜在的可能性や、殺人事件の数、GDPに対する軍事費の比率、等の軍事力の多寡も含まれている。2007年から始められたというのであるが、2009年度の最も平和な国は、1.ニュージーランド、2.デンマーク、3.ノルウェーの順で、日本は6位という事である。因みに中国は74位、インドは122位、最下位はアフガニスタン、イラクである。この指標に対して、外国(特にアメリカ)から軍事的庇護を受けている国に有利でありすぎるとの批判が出ているとのことである。アメリカのように、軍事費が突出している国に対しての評価で辛い点が付くと言うことがその言い分だ。日本もアメリカの傘の下で、平和に暮らしていると言うことが、この指標からも言えるのではないだろうか。
2010.09.07
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現在民主党代表選挙の最渦中にある。日経の「核心」で論説委員長の平田育夫氏が今回の選挙と選挙後について「大空位時代に入る政治」という題で論陣を張っている。要するにこの選挙が、どういう結果に終わろうともその先は、神聖ローマ帝国の「大空位時代」に突入するというのだ。そこで私などは、「大空位時代」の勉強から始めなければならない。手元に高校時代に使った教科書(?)があったので、それを引いてみると、大略次のように書かれている。「歴代の諸侯は神聖ローマ帝国が衰微したので、ローマ再建に心血を注ぐうちに肝心のドイツ内部では、大諸侯分立が激しくなり、17年間、実質的皇帝不在の時期があった」というものである。神聖ローマ帝国、第16代皇帝はコンラート4世であるが、その子供は帝位には就けず、国外から選定候2人が帝位を争ったが、共に帝位に就くことが出来なかったというもので、その後「大空位時代」が始まったのだという。2人の候補とは、イングランド王ヘンリー3世の弟コーンウォール伯リチャード、とカスティーリャ王アルフォンソ10世(賢王)である。アルフォンソ10世の方は国内事情から、国を離れてドイツに駆けつけることができず、一方、リチャードの方は第2次バロン戦争で捕虜となるなどの醜態を晒した為両者ともに皇帝には選定されなかったというのである。菅氏と小沢氏がどちらに対応しているかではなく、その後の空白期が問題なのだが、国を離れられないというのを総理としての国事に奔走するとすれば、アルフォンソの方が菅氏で、捕虜となるなどの醜態を晒したというのを、検察審査会における「起訴相当」という不名誉な醜態と言うことで、リチャードが小沢氏と言うことになるのだろうか。大空位時代は、諸侯や聖職者達は好き勝手に領土の拡張や権利獲得に動くなど、「神聖ローマ帝国」は空転してしまうのである。平田氏は、どちらが勝っても結果は、同じだというのである。その大空位時代を救うのが、17年後のハプスブルク家出身のルドルフ1世であるが、要はまた過去の失われた20年に近い期間、日本は彷徨うのであろうかといささか不安になる。それでは、私が生きている間は、諸侯相乱れて、且つ好き放題な事が行われ、やがて気がついてみると、よその国に支配されるといった具合になるのだろうか。ついでに歴史の勉強をさせて貰うと、アルフォンソ10世は父王と較べると外政については失政が多いが、後のスペインにおける法律の基礎となった「七部法典」を編纂したり、歴史学や天文学における功績は大きく「賢王」と呼ばれたのである。また、リチャードは所領のコーンウォールが金を有する事から、莫大な金を使ってドイツ諸侯に自分を支持するように交渉しているというから、なにやらますます小沢氏と似ている気がしてくる。平田氏は、また、日本における大空位時代に相当するとして、若槻礼次郎を挙げている。戦前、関東軍が強引に満州事変を起こしたが、その軍部の横暴を抑えきれない指導力の無かった事を引き合いに出している。氏は、「独裁者の専横は論外だが、リーダーの力が弱すぎると様々な勢力が自己主張を強めて、国は道を誤る」というのであり、それが歴史の教訓であるというのだ。正に今、強いリーダーが必要であることは間違いない。しかし、石川五右衛門かも知れないような人をリーダーと頂くわけにはいかず、釜ゆでになっても困るわけである。もう一人の例として、サッチャー元英首相の前任者であるキャラハン英元首相が挙げられていた。キャラハンは首相在任中は、いわゆる「イギリス病」により、イギリス経済は不振を極めストライキや、インフレーションにより社会不安が増大するなどし、また労働党は党内抗争もあり、最終的には、内閣不信任案に1票差で破れ、鉄の女サッチャーの保守党に政権を譲ったのである。このキャラハンも首相就任前は、苦労人でもあり、人気は高かったが、1国を束ねるリーダーとしては、力量が不足していたのであろう。人が良いだけでは政治はやれないということだろう。この「イギリス病」とは、1960年代以降のイギリスにおいて、経済が停滞する中「ゆりかごから墓場まで」といった充実した社会保障制度や基幹産業の国有化等の政策によって、国民が高福祉に依存する体質となり、勤労意欲が低下したり、既得権益にしがみついたりすることによって、さらに経済と社会の停滞を招いた現象をいう。現在の2代前からお坊ちゃま宰相が続いたが、麻生元首相は、日本の力を過信していた嫌いがある。すでに崩れゆく日本に過剰な信頼を置いていたのではないか。周囲が読めない首相だったので仕方がないことかも知れない。今や、何でも世界一だった頃から段々とその地位を追われているにも拘わらず、未だに昔の夢を追い続けていた首相であった。先代の鳩山首相に至っては、もはや自らを「宇宙人」と言うだけあって、登場した時の颯爽とした姿は潰えて、アルツハイマーにでもかかったように自己を失い、一体何をやりたいのか、また、やっているのか分からないと言った体たらくである。麻生元首相と優劣は付けがたい程の凡庸さであるが、鳩山前首相はやはり地球人と同格に判断してはいけないというのが結論のようである。ころころ変わる日本の首相ということで、もはやこの件に関しては歯止めが掛からない。過去20年間で14人の首相が誕生しては消えしている。フィナンシャルタイムズにも、かつてアンディ・ウォーホルが「15分で誰でも有名人になれるだろう(In 15 minutes everybody will be famous.)」といった言葉まで引用して、日本の首相の日替わり(年替わりの方が近いか) を揶揄されている。この期に菅首相が負けるとすると、最近では史上4番目に短命内閣となるようだ。外国から変な目で見られることを理由に首相を続けるというのも変な話であるし、咎人よりもましであろうというのも情けない。別の意味で、菅首相続投なら、経済が好転することはないだろうという専門家の見方の一方で、小沢氏が勝てば、今より悪くなるかも知れないし、また断然良くなるかもという期待も一部には残るというのだ。私たちは、ギャンブルをしているわけではないのだから、そんな一縷の望みで選ぶわけにも行かないだろう。私はもちろん党員ではないから、選挙権はないわけであるが、テレビに出てくる地方議員や、サポーター達の話を聞くと、前後のことはどうでも良い「○○が良い、それしかない」という論調である。なにやら、世間とは隔絶されたところで変な力学が働いているのが政治の世界であるようだ。
2010.09.06
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6年ほど前だったか、日経の「あすへの話題」で東大の山内教授が「ODAは賠償なのか」というコラム記事を書いていた。私は15-6年前にコンサルタント会社に出向し、ODAの関係でジンバブウェに駐在したことがある。元々は造船設計が専門だったので、その時は、ODAの何たるかを全く知らなかったといってよい。にわか勉強で、白書を買ったりして勉強したが、ODAには次の3つがあるということだ。1.無償資金協力2.有償資金協力3.技術協力である。無償とは、寄付(プレゼント)であり、ドネイション(Donation)と呼んでいる。有償とは、超低金利でお金を貸し付けるという意味だが、返済期間はべらぼうに長期間であり、ローン(Loan)と呼ばれている。技術援助には、無償のものもあるし、有償のものもあるといった具合である。担当する日本の機関は外務省の国際協力機構(JICA)である。私が関係したジンバブウェでは、田舎の国道沿いに6つの橋を無償で架けるという工事であった。雨季と乾季が分かれる国では、乾季に橋など必要はなくなるが、雨季には、甚だしく雨が降り、河床から3mくらいの従来の石造りの橋では全く使い物にならないといった具合である。完成後の日本がドネーションした橋は、豪雨で濁流が流れる場合でも供用できるというもので、これは日本などにいればごく当たり前の橋である。今や、政情が不安で、経済がぼろぼろ、強権独裁政治のジンバブウェであるが、それらの橋は地方の人には役立っているのだと信じたい。尤も、どれほどの人達がその橋の恩恵を受けているのかについては、大いに疑問を持っている。日本がODAを行うのは何のためか、単純に友好親善のために、というわけではないと言うことで、アフリカでの場合などは、よく国連での安全保障理事国になるための票集めであるとも言われていた。しかしなかなか実を結ばないのが現状である。新聞によると無償援助の額は1999年度から9年間減少を続けているという。バブルの頃は、ODA額は世界一と何でも世界一が好きな国民性から年に1兆3000億円程度の海外拠出を行っていたわけだが、国内景気の低迷などで年々その額は減少している。国内が疲弊している時に何も外国の貧困を助ける必要があるのかというのはもっともな話である。しかしおつきあいのお金はいくらかは必要であるが、その適正額は分からない。山内氏が言っているのは、対中国のODAである。日本がODAの累積総額が1番多いのは中国であり、その額は2007年度末までで、無償が約1472億円、有償が約3兆2079億円、技術協力が約1505億円だということである。日本は中国に対し多国間援助と合わせて約6兆円ものODAを行っていることになる。(ウィキペディアによる)これに対し、中国の要人は感謝の意を表しているというが、口先だけであることは明かである。本当に感謝しているのなら、山内氏が言うように、両国間の摩擦がひっきりなしに起こるのは何故だろうかということになる。言うこととやることがこれほど違う国も珍しく、そのような些末なことは気にしないというのが中国の立場であろう。5-6年前でもこういったことがコラムに書かれているが、その後、日中関係が改善されたとは言いがたいと言うより、更なる挑発行為が続いている。現在の中国がアメリカを意識していることは明かで、中国のミサイル照準は、対アメリカ向けは外されたのに日本向けの照準はそのままだというのである。あの第二次世界大戦で狡猾にも北方領土をかすめ取ったロシアでさえ対日ミサイルの照準を外したのであるから、中国の行動は異常としか言いようがないと山内氏は言うのである。中国側のODAに対する発想は、「敗戦賠償」だと言う考えなのかと疑問を呈している。しかし、終戦後中国側が敗戦国に賠償を求める権利を放棄したということなのだから、ますます奇怪な行動である。今民主党の代表争いが佳境であるが、その小沢氏は、政治資金規正法違反で極めて黒に近い男である。その男が、民主党の主に1年生議員と共に大デレゲーションで、中国の胡錦涛主席に握手をして貰いに行ってご満悦であったのだ。昨日の菅首相との討論会では、言いたいことをお互いに言い合うと言いながら、あの時どれほどのことを言って帰ったのか全く分からない。この男も、中国同様、言っていることとやることの矛盾が著しいことは人後に落ちない。中国は尖閣列島の領有権問題を未だに主張し、小沢氏は、これに異を唱えたと言っているが、一寸言ってみただけなら、言わないのに等しい。また、東シナ海におけるガス田問題も、最近は中国のやりたい放題で、中国は海軍をバックに、日本への示威行動が顕著となってきた。これに対して、日本側はおとなしく、未だに善隣外交を遵奉し、せいぜい対中国政府に「困るよ、こんな事しちゃぁ」てな具合に厳重抗議をおこなった程度である。甘く見られるより、べろべろと汚い舌で顔を舐められているのに何も出来ないというのが今の日本の姿である。この中国の日本の排他的経済水域(EEZ)侵犯をもって、やっと目覚めたのか、日本は中国へのODAに関し、有償と無償の資金協力を2008年度を最後に打ち切ったのである。最近は、あからさまに、中国海軍が、第一列島線を超え、日本の沖ノ鳥島付近まで悠々と行動するのを許している。なにをか況やである。有償・無償はストップしたのも、遅きに失したのだが、それでも対中国への技術援助は続けているのである。世界の工場から世界の市場へと発展し、大雑把に日本の13倍の購買力の可能性があるわけで、この度GDPもアメリカに次いで第2位になった、それ程の国に貧しい国内事情を抱えた日本が援助をしなければいけないかということである。今までのODAについても、中国国民には行き渡っておらず、中国共産党が一手に握りそれをそのままアフリカにODAなどに回すことで、アフリカの資源を独り占めしようとしているわけである。どこを持って国交正常化といい、どこを持って成熟した大人の関係だというのだろうか。歴史を知るものには、大昔の小野妹子や、菅原道真時代を思い出す。まさに朝貢外交であり、ODAは正に、中国に対する進貢にほかならなかった。こんな中華思想を未だに営々と持つ中国とうまく付き合う手はないのだろうか。正直、このままでは全くないと言わざるを得ない。如何に「よっしゃ、よっしゃ」(田中角栄)の秘蔵っ子であっても、小沢の天下になれば、言葉とは裏腹に、対中国朝貢外交に磨きが掛かる気がする。アメリカを逆なでし、中国に頼ったからと言って、日本に得るところはないと考えている。
2010.09.05
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日経新聞に連載されている「私の履歴書」シリーズで野球監督の広岡の履歴書が掲載された。(敬称は省く)とびとびに読んでいる「私の履歴書」だが、余り野球が好きでない私は、スポーツ選手や芸能人には余り興味がなく読み飛ばしていたが、折角書かれているのだからと今回は読んでみた。そもそも「私の履歴書」なるシリーズは、1936年にスタートし、第1回目は政治家の「鈴木茂三郎」であったという。この「私の履歴書」執筆にはいろいろルールがあるらしいが、とにかく各界の著名人が、出生から今日に至るまでの半生を描く自伝である。大概は自分の成果を語るのであるからまあ、自慢話のようなものになる。最近の執筆は、一仕事を終えて、現役を退いた人が書くようになってきているわけで、正に履歴書ということなのである。子供の頃から始まり、成績はあまり良くなかったとか、良くできた子であったとかを述べ、両親のことにも触れ、そして、各界で活躍し何を成したかを語っていくのである。この「私の履歴書」に執筆を依頼されると言うことは、各界の著名人というだけあって、成功者しか取り扱っていない。ここに執筆依頼されるということは、成功者であることの裏打ちのようなものである。野球関係では、7~8人目の登場と言うことになるのだろうか。広岡は私とは1まわり以上違う78歳になっている。私などは、巨人―大鵬―卵焼きの程度にしか野球のことは知らなかったが、広岡は、守備範囲の広い巨人軍の遊撃手であることぐらいしか覚えていない。冒頭、人生のテーマの一つということで「屈辱を受けても、自分はその人より正しい人間であるという信念を持って、見返すべく努力、勉強していく」と書かれていた。何のことかと読み進む内に段々と謎が解けていった。川上哲治に対して、かなりな仕打ちを受けたことを、今ではわだかまりはないといいながら縷々書きつづっているのである。そのことから逆に私などは「打撃の神様」と言われた川上の人間性を垣間見る事になった。その他のことには余り興味がないので、端折るとして、広岡が全盛の頃には川上は既に衰えが始まっていたようだ。川上は広岡より更に一回り上の1920年生まれだからだ。文面から見る限りは広岡という人は、なかなか理詰めの人であるだけに少し冷徹な面を感じる。従って、川上に対してもその衰えのまま評価したのかも知れないが、当時の縦社会の常識を越えるような軽口を叩いたと書いている。私などは、学生時代は、3つも年上だと雲の上の人の感じであったが、長じると、その位の差は、余り問題ではなくなる。しかし根本には、尊敬の気持ちは持っているものである。広岡がその気持ちを無くしたわけではないだろうが、試合で、広岡の送球が1塁の川上のグラブの上をかすめて通った時に、試合後の取材で、「あのくらいのボールが取れないファーストが居たら野球なんか出来るか」とやってしまったらしい。自分が全盛なら、12歳年上の川上は衰えているに決まっているのだが、同一視してしまったわけだ。先輩の平井に「相手の取りやすいボールを投げるのもプロの技術」と教えられたという。そんなことが有ってか、川上の広岡に対する仕打ちはかなり常軌を逸した陰湿なものになっていったようである。川上は、人のことは余り頓着せず、他人のバットを勝手に使い折っても、金で返す式で素っ気ないという。水原から監督を引き継いだ、川上は、球団首脳に「嫌だから外すでは、いい指導者になれない」と言われたのか、広岡に「俺も現役時代はわがままでいい加減なことをやっていたと思う。それを水に流して俺に協力してくれ」と内野の守備コーチを依頼してきたという。後に長嶋が入団してくるが、長嶋は4つ下の天衣無縫の男である。広岡がバッターの時、3塁走者の長嶋はホームスチールを敢行してアウトになった。どうやら川上は、広岡に告げずに長嶋に口頭でホームスチールを指示したらしい。広岡が打てなかったからと後に川上の息子が書いた本にあったというが、これで、広岡は切れてしまったという。嫌がらせではなかったというが、それならバッターにも告げて、スチールをしやすいようにするのが道理ではないかというのだ。そんなことで、途中から球場を蹴って帰ったと言うことだが、後に藤田に、「どっちが良くも悪くも、試合途中に帰るのは良くない」と諭されたようだ。そんなことがあって、現役を退いて、指導者としての研修にアメリカのドジャースキャンプに行った時、何と、巨人から、広岡をドジャースタウンに入れるなという通知が来ていたのだという。もちろん川上の差し金だが、この時こそ情けなく「ここで勉強して川上哲治さんを越える野球を必ず身につける」と心に誓ったそうだ。広岡にとって、川上は、反骨バネのエネルギーになっていたのかも知れない。広島時代を終えた広岡は、帰郷して川上に巨人時代の非礼をわびに行った時「巨人で持てあましている選手が居たら、私に任せてもらえませんか」と頼んだところ、「私の一存では決められない」と1週間待たされ結局断られたとも書いている。ヤクルト監督時代は、球団トップから「巨人に勝たなくて良い」と言われたことを明らかにしている。巨人に勝つとヤクルトが売れなくなると言うのだそうだ。それでも、優勝を決めたら球団オーナーも抱きついて喜んでくれたと言うことである。豪勢な選手層の巨人には勝てないのが当たり前とでも言う風潮だったのかも知れない。スタミナづくりに肉は欠かせないといった時代に、肉食ばかりでは血液を参加させ、疲労を招き怪我を誘発させやすいと玄米や雑穀類を取り入れ、「肉を食わないヤギさんチーム」と揶揄されたとも書いている。西武の監督になって、念願の巨人軍と日本シリーズで対戦し日本一になった時、川上を訪ねチャンピオンになった報告をした時も、「負けりゃよかったのに、お前達はこれから何時でも勝てる。藤田(元司)に勝たせてやれば良かったのに・・・」という返事が返ってきたというのだ。藤田は、広岡より学年で2つ上だけである。さほど違いはないと思うのだが、そんな返事だったそうだ。あくまでも川上の広岡に対する気持ちは変わらなかったと言うことであろう。広岡もその時「巨人の監督が、藤田でなくて川上だったらもっと良かった」と書いている。世界の王が巨人軍の監督を追われたのも、川上が噛んでいるというのだ。優勝できなかった王を、巨人軍は、情け容赦なく追い出すというのである。プロの球団の厳しさも然りだが、何処か情実的なものが働いているようでもあり、なかなか判断するのは難しい。広岡は一般受けするタイプの人間ではない。プロ野球で、それが良いか悪いかは分からないが、自力で、何事も獲得したという点では賞賛に値すると思っている。好き嫌いとその結果とはまた別問題である。これは何もプロ野球に限ったことではないが、プロ野球の場合は、一般企業にいるよりも、捨てる神があっても拾う神があるという点では実力さえあればチャンスは多いとも感じた。一般企業では、上司が馬鹿だと、部下はどうしようもないくらい惨めである。
2010.09.04
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また新しい和平への試みが再開された。今回はオバマ米大統領の仲介である。しかしこの交渉は容易なことではない。何度も繰り返し、何度も決裂しているからだ。この際、現代の中東紛争を最初から振り返ってみる。旧約聖書の「出エジプト記」にあるように、紀元前13世紀ごろ、モーゼがエジプト(ファラオ)の圧政を見かねて、ユダを始めとする12のイスラエル民族(ヘブライ人=ユダヤ人)をつれてエジプトを脱出した頃から事は始まり、モーゼの死後ジョシュアに率いられてカナン(現イスラエル・パレスチナ)の地に侵攻したことにはじまるのであるが、そのことに関するしっかりした文献などはあまりないようである。世界三大宗教といえばキリスト教、イスラム教、仏教のことを指すのだが、これに、アブラハムの宗教の一つとしてユダヤ教が存在する。他に人口的に多い宗教では、インドなどでのヒンドゥー教がある。資料によると世界67億人の宗教別人口比率は、単位を億人として、キリスト教:イスラム教:仏教:ユダヤ教:ヒンドゥー教=21:13:3.6:0.15:9ということになるようだ。(残りはその他の宗教)ここで、仏教や、ヒンドゥー教についてはこの際言及しないとする。キリスト教にしても、イスラム教にしても、ルーツは、同じであり、特にキリスト教の初期は全てユダヤ教であった。ごく簡単に言えば、旧約聖書の内、1.創世記2.出エジプト記3.レビ記4.民数記5.申命記をトーラー五書といって、ユダヤ教の重要な教義である。キリスト教は新約聖書が専ら使われるが、旧約聖書も除外するものではない。一方のイスラム教徒は、コーランを聖典としているが、これとて、旧約聖書に基づいているのである。興りの古い順に言えば、ユダヤ教(BC1300)、キリスト教(BC100)、イスラム教(DC600)ということになり、イスラム教徒に言わせれば、最も新しく、過去のどの宗教よりも洗練された宗教であると自負している。イスラム教では、神を「アッラー」と呼び、キリスト教では「ゴッド」、ユダヤ教では「ヤハウェイ=エホバ」と呼んでいるが、イスラム教的に言うと「イラーハ・イッ・ラッラー」(神は唯一ただ一人)ということで、ただ呼び名が違っているだけである。そして神がこの世に遣わした預言者として、ユダヤ教では「モーゼ」、キリスト教では「イエス・キリスト」そしてイスラム教では「モハマド」ということになる。イスラム教がキリスト教徒を揶揄する根本は、キリスト教は「神と子と精霊」という三位一体という考え方である。神が3つもあるということ自体おかしいし、偶像を崇拝すると言うことは許せない行為だというわけである。余り簡単に片付けるわけにはいかないが、このモーゼに導かれた、ユダヤ人が、元々アラブ人で、イスラム教を信仰する人(ムスリムという)の世界に侵攻したことに始まる問題である。しかし、モーゼは、何も勝手に行動したわけではなく、神のお導きでシナイ半島を渡り、パレスチナの地に到達したのである。パレスチナの地に到達するまでには、シナイ半島を転々として、直線的にパレスチナに入ったのではないと言うことである。ユダヤの民(イスラエル人)は神によって約束された土地(楽園=シオン)に彼らの教えに基づいた国家を作るという大義名分があるわけだ。これをシオニズムと称するが、この教義とアラブのムスリムとして、定住していた民族との領土争いとなったわけである。神も罪なことをするものである。ここで、一気に現代の状況に移るわけだが、第一次世界大戦が勃発し、オスマン帝国が衰退、変わってパレスチナを分割統治するようになったのが、イギリスとフランスである。この時、イギリスの命によりアラビアのロレンスがアラブのフセインを擁して、戦うのは映画でもお馴染みである。その結果、マクマホン書簡によりイギリスはフセインに、アラブの独立を約束するのである。一方イギリスは、イギリスにおけるユダヤ人の代表者であるロスチャイルドの圧力で、外相のバルフォアをして、パレスチナにユダヤ人国家の建設を容認したのである。これがバルフォア宣言と呼ばれるものである。イギリスの二枚舌外交はこれに留まらず、フランスと密約を結び、旧トルコ領を英、仏で分割統治するとしたサイクスーピコ条約を結んだのである。大国の横暴ここに極まれり、という感である。この時(1917年)パレスチナ在住のユダヤ人はたったの5万6000人程度だったといわれ、これに反して、アラブ人は65万の多くを数えたのだという。しかもユダヤ人の5万6000人の内の3万人は1882年以降の入植者であるというのだ。気の良い、隣人愛のアラブ人は、ユダヤ人との共存を試みたのである。ところが、軒を貸して母屋を取られるという形で、ヨーロッパ中の嫌われ者であった(特にナチスなどの迫害にあった)ユダヤ人は、バルフォア宣言に基づき、続々とパレスチナに入植し、1946年には何と60万8000人に膨れあがったのである。この時点でイギリスはあわてて事の重大さを覚り、パレスチナ寄りに路線を切り替え、ユダヤ人入植はパレスチナ全土を指すのではないとか、10年以内にパレスチナ国家の独立を認めるなどと宣言したが、時既に遅しで、これ以降双方の過激派から反英テロが続発することになる。イギリスが統治能力を失い、事は国際連盟に移管された。ここで再びアメリカの横暴で、パレスチナ分割案が成立し、イスラエル国家がたちまち成立した。この時のイスラエルの割り当て地域は全パレスチナの57%であり、人口的には、ユダヤ人は全パレスチナ人口192万人のうち、30%強の61万人でしかなかったというから全くの逆転である。しかも先住ユダヤ人はその1/10でしかなかったというのだから、ここでも大国アメリカの横暴は異常なものである。これに腹を立てたアラブ民族は、結託してイスラエルに攻め込み、第4次に亘る中東戦争が勃発したのである。パレスチナ戦争と、それ以前のユダヤ機関によるテロ活動で、国連分割案に基づくイスラエル領から先住のアラブ人は追い出されたり、254人の村民が全員虐殺されるデイル・ヤシーン事件などがおこった。ここにパレスチナのエクソダスが始まり、パレスチナ難民が発生することになるのである。このようにしてイスラエルはアメリカの後押しにより、第3次中東戦争(6日戦争)で勝利し、聖地エルサレムを含み、ヨルダン川西岸、ガザ地区、シナイ半島全域とシリアのゴラン高原を占領するに及んだのである。しかしこれら地域はアラブ人が多く、結局エジプトに返還される事になったが、イスラエルは、ユダヤ人住宅地建設の行動に出るなどなかなか治まらない。ノルウェーやアメリカなど、多くの和平仲介の努力が成されたが、元はといえば、自分が撒いた種である。今や、穏健派のPLOアッバス議長の勢力の及ばないイスラム原理主義ハマスの支配するガザ地区など、内政的にも一本化して居らず、話を複雑にしている。現在の双方の妥協的主張は【パレスチナ】1.イスラエルの入植活動凍結2.領土を第3次中東戦争前に戻す3.東エルサレムをパレスチナの首都に4.パレスチナ難民のイスラエル領内への帰還の権利確保【イスラエル】1.安全保障とパレスチナの非武装化2.エルサレムを分割するなどもってのほか3.パレスチナはイスラエル国家を承認し、難民帰還の権利放棄歴史的に見て、イスラエルの横暴が定着してしまっているように私には思えてならない。
2010.09.03
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私は考古学が好きである。といっても、こつこつと土を掘り返して化石を見つけるといった地道な作業が好きな訳ではない。考古学の定義を調べてみると、「人類が残した痕跡(例えば、遺物、遺構など)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問である。」とある。そういう定義なら、考古学にも興味があるが、私が好きなのはそのもっと前であるから、古生物学か人類学とでも言った方が良いのかも知れない。そしてこういう学問があるのかどうか知らないが、恐竜学といったところも好きなのである。連れ合いは教育学部で理学系の地学専攻だったと思う。その昔は、ナウマンゾウを追いかけて、野尻湖の湖底を掘り返したと言うことも聞いていた。ナウマンゾウは約2万年前の新生代更新世後期に東アジアに生息し、絶滅したゾウの一種だと言うことで、現在のアジアゾウと近縁であるとされ、日本、朝鮮半島、中国に分布していたという。その影響故か、2万年前のナウマンゾウからさらに考古の世界に導入され、行き着くところが2億年前の恐竜だったのかも知れない。従って、日本で開催される恐竜展には、出来るだけ出掛けるようにしているが、連れ合いも興味があるようで、付いてきてくれる。この中間に位置するのが、猿であり、類人猿であり人類と言うことになるわけだ。従って、そう言った系譜を辿るのが好きなのである。とは言っても、それを専門にしてきたわけではないし、自ら闇雲に地球を掘り返してもそんな化石が出てくるわけでもない。勢い新聞記事や、その関係の図書、更に恐竜展などで、古代へのロマンを掻き立てるという程度のことである。そう言った意味で、リチャード・ドーキンスの「祖先の物語」(上・下)はとても面白い。この本では、現代の人類から順次遡って、何時猿と別れたのか、その分岐点はどうなのかを現代から逆流して、書いてある。現代をランデブー0として、ランデブー1がチンパンジー、ランデブー2がゴリラといった具合に年代を遡ることによって、分岐した点で別れた祖先とランデブーするという書き方なのである。こういった具合にランデブー17では両生類となっている。ランデブー18は肺魚で、ランデブー25はヒトデ、そして最後のランデブー39では真正細菌といった具合にゾウリムシまで遡るのである。人類の祖先は猿だ等と言っている場合ではなく、そのずーーと昔は、ゾウリムシなのだと言うことだ。元々ドーキンスはダーウィニズムの最も有力な支持者であるから、元を正せばダーウィンが唱えた進化論をわかりやすく、興味深くエピソードを交えて語ってくれている、私には申し分ない教科書なのである。リチャード・ドーキンスを正当なダーウィニズム論者とすれば、修正ダーウィニズム論者として挙げられるのが、スティーヴン・ジェイ・グールドである。グールドはまた、不可知論者と呼ばれることを好んだ。不可知論とはなかなか難しいが、「形而上の存在、死後の世界、神の存在、神のお告げなど、神学に関する命題の真偽、また客観的本質的な実存は本質的に認識することが不可能である、とする宗教的、あるいは哲学的な立場をいう。」と説明がある。要するに、何事も理路整然と科学的に理解・説明が出来るものではなく、本質的には、何か混沌とした説明の付かないことが世の中には存在していると言うことだと私は認識している。形而上学といえば、「精神や物質もしくは数や神のような抽象的な事柄が存在するか、また人間という存在は複雑に組み立てられた物質的な体系として定義できるかどうか、などが基本的な問題として問われる研究領域である。」といった具合に、既に哲学の領域にあり、これ以上の深入りは困難である。サウジアラビアで、運転手をしてくれた学生との話だが、少なくとも彼は、ダーウィンの進化論を信じては居なかった。私に「Mr.○○は猿から進化したのですか?でも私は、そうではない」というのである。イスラム教は全てアッラーであるから、彼もアッラーが世に遣わした者であると考えているようだ。随分前置きが長くなったが、新聞の囲み記事的な、化石や史跡が発見された記事を集めるのがとても面白い。私のファイルには、「人類の歴史」と「恐竜」更に「考古」というジャンルがある。これらは別途パソコンのデーターベースにも入っているものがある。「人類の歴史」は文字通り人類の祖先であるヒト、類人猿、猿人などについての記事のスクラップである。進化は時系列的であるが、発見される化石などはランダムである。従って当然ながら、古い資料が必ずしも古い時代のものではないわけだ。これらは、サイエンスやネイチャーなどの雑誌に既に収録されているのであろうが、私のデーターは全て新聞によるものである。人類の祖先関係で今一番古いのは、霊長類の進化を解明する“ミッシングリンク”として発表され、メディアを騒然とさせた「イダ」と呼ばれる4700万年前の化石だ。この小さな化石は、今後も人類の起源を研究する科学者たちの間で議論を呼び続けるだろう。「イダは霊長類の進化史に空いた穴を埋める重要な“ミッシングリンク”なのだ。即ち、サルや類人猿、ヒトなどの高等霊長類とキツネザルのような遠縁種の間にある進化上の空白を埋める化石である。全人類と遠縁種をつなぐ最初の“リンク”であり、直接の祖先に最も近い種であると考えられる」と当時の記事は解説している。次が、ミャンマー中西部のボンダウン丘陵で発見された、後期始新世(約四千万年前)の化石霊長類「アンフィピテクス」の頭がい骨の一部と、上あご部分の発見である。真猿と原猿類をつなぐ進化の過程を知る上で貴重な化石とされている。続いて、サウジアラビアにおける約2900万年前の地層から見つかった霊長類のあごの化石である。「ホミノイド」(ヒトや類人猿)と「旧世界ザル」の共通祖先とみられていて、「サアダニウス・ヒジャゼンシス」と呼ばれている。ここが猿と類人猿の分岐点でないかといわれている。更に下って、スペインのバルセロナ近くで発見された1300万年前のサルの化石で「ピエロラビテクス・カタラウニクス」と呼ばれるものだ。これはホミノイドと呼ばれ、ヒトに分岐する前の話である。こういった風に、これらは全て人類の発祥地であるとされるアフリカ以外の場所で発見されているところが面白い。アフリカUターン説の興りである。ではアフリカでの発見はというと、1000万年前の新種で日本人名が付けられた、大型類人猿の化石「ナカリピテクス・ナカヤマイ」で人間やゴリラ、チンパンジーの共通の祖先と見られる類人猿の化石である。ケニアで発見されたが、アフリカでは、1300万~700万年前は類人猿化石の“空白期”で、950万年前の「サンブルピテクス」の上あごのかけらがケニアで見つかっている以外は、この大型類人猿の化石が最も古いと言うことになっている。そして、950万年前の「サンブルピテクス」がヒトとして類人猿と分岐したランデブー時期に相当するのではないかと言われている。これは、あくまで、私自身が、新聞記事などで類推しているものであるから、そのまま鵜呑みにされても困るが、このようにデーターを集積すると、かなり面白いことが分かる。それからチャドで発掘された700万年前のトゥーマイ人「サヘラントロプス・チャデンシス」や600万年前の「オローリン」(ミレニアム・アンセスター)などと続くのであるが、紙面の都合で又の機会に譲る。
2010.09.02
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テレビのニュースで、「立腹した女が命令、男を全裸で駅前を歩かせる」というのがあった。 昨日の話らしいが、横浜市緑区に住む21歳の無職の男が、同居していた同じく無職の22歳の女に命令されて、JR横浜線の十日市場駅前などの道路約350mを全裸で歩いたということである。当然この2人は、通行人の通報で駆けつけた警察官に、公然わいせつ容疑で現行犯逮捕されたというのだ。事の顛末は些細なことである。2人が昨年から同居していた家賃を滞納していたが、男が払わないことに女が腹を立て「服を全部脱げ」「自転車の後をついて来い」と男に命令し、女が乗る自転車の後を全裸で歩かせたというのだ。その時、男の服は自転車の前かごに入れていたのだという。テレビではご丁寧に地図まで作成して、彼らが歩いた約350mのルートを赤線で示していた。横浜地検に近く書類送検されるということだが、そんなことは抹消のことだ。何故ここまでだらしない男が増えたのか、そこがこのニュースの語る奥深い点ではないだろうか。成人した男女であるにも拘わらず、その番組では男女の顔を隠していた。どんな馬鹿面をしているのか、またどれほどの女なのかを見定めたかったが、これは叶わなかった。これを「配慮」というのかどうかは知らないが、殺人や、強盗などの凶悪犯であれば顔写真は当然どこかでは出るであろうが、将来のことを考えてであろうか、手厚く丸秘にしておくのが日本の報道方針のようだ。警察での調べに対し2人は「ばかなことをした」などと反省しているという。捜査関係者は「前例のない事件。草食系男子が増えているというが、ここまで言いなりになるのは理解できない」と、あきれていたとのコメントであるが、その顔を隠した男女のイメージ図を出し語らせたところに依ると、男は、「前にもこのように命令されてやったことがあり、主導権は女が何時も持っていた」と言うことだった。酒に酔っぱらって夜の公園で全裸になり大声を上げていた有名芸能人もいた。こんな酔っぱらいの翌日になって「全く覚えていない」といった類の話は山ほどある。また、一時ストリーキングといって公衆の面前をパフォーマンスの目的で全裸で走り抜ける事がはやった時期があったし、最近でもちょこちょこ行われているようだ。ストリーキング(streaking)は英語で「全力で駆け抜けること」の意味であり、町の王様というストリートキングではない。これらとは別に、露出狂という変態行為がある。いろいろなやり方があるようだが、コートで全裸を隠し、人前で、コートの前を広げて、自分の裸体を見せつけ、相手が驚いて、大声を上げるのを楽しむといった輩である。これは文字通り変態行為であるが、韓国ではこれをバーバリーマン(Burberry man)というらしく、一種の猟奇的行為とされている。これには、名門ブランドも迷惑していることであろう。人前で裸という意味では、「ヌーディズム」というのがある。日本では例がないが、西欧では特定の地域に限って、全裸でありながら服を着た状態と全く同じように過ごす事があるようだ。トップレスというのは、まだその前段階であるが、フィリピンのボラカイ海岸を背の高いターザンのようなハンサムな男とトップレスの女性が闊歩するのを日課にしているのを見たことがある。しかし、現地のフィリピン人には顰蹙を買っていたようである。いろいろな形態があるようだが、私が驚いたのは、命令する方の女も女だが、それに唯々諾々と従う男も男だと言うところである。テレビでは、一般の男女それぞれにインタビューしている画面が出たが、どう思うかという質問を受けた女性は「女もここまで強くなったのですかねぇ」と答え、男性は「私も同棲しているけれど、全く信じられないです」と答えていた。最後にアナウンサーが締めくくりで「草食系もここまで来ては如何なものか」と結んでいたが、全くもってこの世の中はどうなっているのだろうと考え直さざるを得ない。もちろん男女平等は分かるし、時として女性上位的なこともあってもおかしくはないが、命令で「裸になれ!」に対しTPOをもわきまえず「はい」と応じたこと、また「はい」と応じた男をそのまま受け入れて、冗談で言ったわけではないと言うことでもなく、そのまま付き従えさせて350m闊歩したというのが解しがたい。そのままなら、まだ気が触れた男女と言うことで、この猛暑下にはやむを得ない突発的な変事と思えるのだが、警察での取調中に「ばかなことをした」と反省の弁を吐いていると言うことだ。そこでますます持って不可解になるのである。心神喪失でもなく、自らの行為を理解しつつこの行動に出た、22歳と21歳の若者達は一体世間から大きくずれているのかそれともそれに類したことが日本では進行しつつあるのかという点である。労働災害には、ハインリッヒの法則(1:29:300の法則)というのがあるが、これは、重大災害が1件起こったとする、軽傷の事故が29、そして無傷災害(ヒヤリ・ハット)は300潜在しているというものだが、これをこの異常行動に直接結びつける何のデーターも持ち合わせてはいないが、何となく、300件以上の異常行為が内在されているに違いないと思えてくる。政治が三流と言うことに結びつける気はないが、昨今の、主権者不在の民主党の覇権争いなどを見ても、自分さえ良ければそれで良いと言った風潮があることは確かで、言葉を換えれば、自分(自分たち)以外はどうでも良く、且つ目に入らないと言ったところである。少し以前は、そして、今もそうかも知れないが、夫婦や恋人間でのドメスティック・バイオレンス(DV)が問題になったが、この場合は男が女に対して暴力を振るうといった事例が圧倒的だったような気がする。今回のこの事例を見て、世の中は変わってきたのだと安穏としていられないのは私だけだろうか。芸術や文化は、その地域や、民族、または国によって引き継がれていくものであり、同時に次のような記事があったのを思い出した。イランメディアが「売春婦の仏大統領夫人は死刑に値する」というものだ。内容は、イランで石打ちによる死刑を宣告された女性の支援を呼びかけているカーラ・ブルーニ仏大統領夫人(イタリア人)をイランの強硬派メディアは「売春婦」と非難し、ブルーニ夫人は「死刑に値する」というのである。要は、「彼女はサルコジと結婚する前も後もいろいろな人びとと不適切な関係を持っている」と言う主張で、そんな女性が イランでの姦通罪で石打ちによる死刑を宣告された死刑囚の女性の救済を求める署名運動を始めたのはけしからぬということのようだ。 これなどは、両国の外交問題にまで発展しかねないものであるが、文化というものは、そう言った要素もあるということだろう。果て、日本の古き良き文化はこの先どうなっていくのだろうかと考えてしまった。
2010.09.01
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