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2020.11.25
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​​ ​​ 川上泰徳「シャティーラの記憶」(岩波書店)


 図書館の棚で偶然手にして、2020年の夏の間繰り返し借り出した本です。
「シャティーラ?なんか聞いたことがあるなあ。」
​ きっかけは、ふと、興味を持ったに過ぎない本でしたが、読み始めると一人、一人のインタビューに引き込まれながら、徐々に レバノン ベイルート 近郊にある シャティーラ・キャンプ を焦点の真ん中にして、 ゴラン高原、ヨルダン川、アッカ、テルアビブ、ガザ、 といった地名が、 パレスチナ難民キャンプ、中東戦争、サブラ・シャティーラの虐殺、オスロ合意、 といった歴史的事件を想起させながら浮かんできます。
 そして、 レバノン、シリア、ヨルダン、イスラエル というふうに パレスチナ地方 の地図が少しずつ輪郭を得て拡がっていく気もするのですが、やはり、あのあたりというボンヤリとしたイメージが綺麗に拭われるわけではありませんでした。​
​ 著者の 川上泰徳 は、このインタビューをまとめた本が出来上がる経緯をこんなふうに記しています。​
パレスチナの難民キャンプ 「シャティーラ」 はレバノンの首都ベイルートの繁華街ハラム通りから南東4キロ、タクシーを拾って渋滞が無ければ15分とかからない。​
​わたしは2015年から18年までの4年間に毎年1カ月から2カ月、延べ6カ月間、ベイルートに滞在し、 シャティーラ・キャンプ に足を運んだ。​
 1948年の 第1次中東戦争 で、イスラエルが独立し、70万から80万のアラブ人(パレスチナ人)が故郷を追われ、難民化した。パレスチナ人はそれを 「ナクバ〈大厄災〉」 と呼ぶ。
 2018年で70年を迎えたパレスチナ人の苦難の経験に触れるために、第1世代から現在の若者である第3世代、第4世代まで 約150人 にインタビューを重ねた。
​  ​取材と言っても、一人で シャティ―ラ・キャンプ に行き、日本人のジャーナリストだと名乗って 「パレスチナのことを調べています。あなたの話を聞かせてください」 と頼んで、インタビューを行うだけである。すべてのインタビューは私がアラビア語で行った。​
 ​ 誰であれ、話しをしてくれる人間を探してインタビューを続けた。当然ながら話を聞いて見ないと、相手がどのような体験をしたかは分からない。インタビューでは事件やテーマごとに証言者を探すのではなく、一人一人について子供の時から現在までの経験をたどる方法をとった。人によっては5回、6回と話を聞いた。
​  ​長年、 朝日新聞 で、パレスチナを担当してきた1956年生まれの記者である 川上さん が、新聞社を離れ、一人のジャーナリストとして最初に選んだ仕事がこのインタビューだそうです。​
​​ ぼくはが最初に感じたのは、自分とほぼ同じ時代に学生であり、社会人として「日本」という国で生きてきた彼が、何故、 「シャティーラ」 にやって来たのか、 「シャティーラ」 とは、いったいどういう場所なのかという二つの疑問でした。



 上に載せた、年表や地図を繰り返し見返しながら読み進めるうちに、二つの疑問が、少しずつ解けていくように感じました。
​ あなたはいまの シャティーラ を見ている。もし、あなたが 50年代のシャティーラ に来ていたら、テントと小屋を見たでしょう。 60年代 に来たら石を積んだ壁のある家がありました。 70年代 には平屋の家が建ち、道路が通って、光がさし、風が吹き抜けていました。 80年代 に来たら、一面の破壊の跡です。 90年代 には家が建って、道路が狭くなっていくのを見たでしょう。そして、 2000年代 になれば、道路はなくなり、風は通らず、太陽も、空も見えない。人々の生活はますます困難となり、窒息寸前となっているのです。​
​  ​​​​​ NGO「子どもと青少年センター」 の代表である マフムード・アッバス という人の言葉です。 1949年 パレスチナ難民キャンプ として設立された シャティーラ の風景の移り変わりが語られています。​​​​​
​  ​​その後、 84年 シャティーラの虐殺ビデオ を見た。その中に映っていた父親が私の母親や弟妹の写真を持っているのを見た。私は6日間の休暇をとって シャティーラ に戻った。その時父から虐殺の話を聞いた。虐殺で母や弟妹が殺されたことを初めて知った。​

 88年に キャンプ戦争 が終わった後、アラファト派と反アラファト派の戦闘が始まったが、私は参加しなかった。
 私は23歳になっていた。10代のころは人と話すこともできない子供で、撃てと言われれば撃ち、殺せと言われれば殺した。
 しかし、年を経て、命令に従うだけではいけないことを学んだ。戦うことにどんな意味があり、どんな利益があるのかを考えるようになった。パレスチナ人同士闘ってもパレスチナの解放にはつながらないと思って、私は闘うことをやめた。​
​​  1966年 シャティーラ で生まれ、11歳で銃の打ち方を習い、戦闘に参加し、今、一人ぼっちで暮らしている アクラム・フセイン という人の言葉です。家族や、自らの人生について語っているインタビューの一部です。
​​  シャティーラ の生活は大変です。電気もないし、水もない。水道から出るミスは塩水ですよ。電気不足はレバノン全体ですが、政府の電気は4時間の通電の後、4時間または6時間の停電を繰り返します。停電の時は民間の電気業者から電気を買っています。
 私の家の契約は2・5アンペアで、使えるのは電灯と冷蔵庫だけです。夕方のテレビのニュースを見るためには、冷蔵庫の電源を切らねばなりません。それでも電気代は月50ドルになります。
 飲料水は水を売りに来る業者から定期的に買っています。その水代が月に20ドルです。
​  ​​ 月給800ドル 溶接工ムハンマド という人の ​妻サマルさん​ が口にした、今の シャティーラの暮らし です。​​
​ 新聞記者としてニュースを伝えることを仕事にして生きてきた 川上泰徳 は、新聞に載る記事を、遠い他国のニュースとして読み流し、悪意も善意も感じない「無関心」な、ぼくのような人間たちに、そこで生きている「人間」の素顔を伝えることで、「同情」ではなく、「共感」が生まれることを願って、この仕事を始めたのではないでしょうか。​
 フト手に取るという、小さな関心から、読者になったぼくは、こんな本が存在することを紹介することから、ぼくの中に生まれた「共感の芽」を育てていきたいと思いました。一度、手に取っていただければ、うれしく思います。



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最終更新日  2020.11.25 12:28:56
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