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私にとっての雪は南国の積もらない湿った重い雪である。小学生の頃、その雪に格別の思い出がある。 父は私が小学二年の頃、胃と肝臓を悪くして長く入院していた。寒い冬の日曜日にはよく見舞いに行った。記憶違いかも知れないが、その頃の冬は今より雪がよく降っていたような気がしている。 見舞いにはいつもバスで出かけた。今からもう30年も前のことであるが、当時、その頃の交通手段と言えばバスしかなかったのである。 見舞いを終え自宅へ帰るため、バス停のベンチに座っていると雪が降り出してきた。南国の雪は昼間はなかなか積もらず、黒いアスファルトの道路にただただ吸い込まれて行くだけである。 バスが来るまで、道路に吸い込まれて行く雪を飽きもせず、じっと見つめていた。ただ、何も考えずに雪を見ていたわけではなくて、父の病気はいつ治るのか、このような生活がいつまで続くのだろうかと子供心ながらに案じていた。 当時、私は、こんな小学生だったので表向きには明るくても、本当のところはとても暗い子供だったような気がしている。 雪の降る日、バス停に座っている私は元気がなかった。 これは、38歳の頃、今から32年前に書いたものです。これは新聞へ投稿していません。
2022.01.20
1995年(平成7年)4月に投稿したものです。 石に電話番号を書いた主は部下だったF君。F君は大分県内の山間部の町の出身で、彼女は熊本県天草の海辺の出身。結婚披露宴は熊本市内でありました。 海辺は確か宇土半島のとある海水浴場だったと教えてもらいました。F君にはこのコピーを渡しました。今、F君とは年賀状のやり取りもしていません。一番上のお子さんは25歳くらいになっているだろうと想われます。
2022.01.18
1997年12月に投稿したものです。この頃は6編まとめてではなく1日1編掲載されていました。 今、日本全国の小中学校でウサギ狩りを学校行事として行っているところはあるのでしょうか。あったとしても2年間はコロナで中止となっているかも知れません。 ウサギ狩りは中学1年生まで行われ、その時、休憩していたところに一羽のウサギがひょっこり現れたのをM君が捕まえたという記憶が残っています。 もう一つ、ウサギを追うときは上から下へ追う。これも教わりました。
2022.01.15
1990年11月に投稿した《嘯(うそ)と鷽(うそ)》です。 夜、口笛を吹くと父から、ウソを吹くなとよく叱られていました。そのことについて書いたものです。 保存している32年前の新聞なので黄色くなっています。 今、ネットで「夜、口笛を吹いていけないのはなぜ」で検索するとたくさん掲載されていますが、32年前は調べる方法を知らなかった、わからなかったのです。 ある日、仕事を終え、バスで帰宅途中、水道町近くの手取神社の鳥居の近くに「うそかえ行事」という看板がありました。「うそかえ行事」は鷽鳥にちなんだ行事でした。 鷽(うそ)という鳥がどんな姿をした鳥なのか、そして、口笛のような柔らかな美しい音色の鳴き声、見たい聴きたい、本物に会ってみたいと、今でも思っています。
2022.01.14
1990年6月に投稿した《鳳仙花》です。私はこのとき38歳。当時、小学校二年と幼稚園生だった息子二人は39歳と37歳になりました。 初めて新聞に掲載された(活字となった)日のときの嬉しさは今でも忘れられません。この投稿で月間賞を頂きました。
2022.01.13
30代の頃、ある新聞のローカル面に「みに随筆」というコーナーがあって、時々、投稿していました。 昨日、その頃、投稿していたもの、それ以外に書いていた随筆らしきものをまとめたファイルが書棚から出てきました。書きためたものは数10編。何しろ、30年くらい前の事ですから現代とは比べることができない、そぐわないところもあると思いますが、その頃、どんな考え、思いを持っていたか垣間見えるのではないかと思います。 新聞への投稿は、本文230字という字数制限がありました。長く書いた文章を削っていくという難しさで机に向かっていたことが思い出されます。 この、カテゴリ「みに随筆」では、新聞へ投稿したもの、それ以外のもの(やや長文)について、愚作ではありますがUPしていきたいと思っています。
2022.01.13
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