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2020年01月06日
箱根駅伝(正月三日)
事前の報道も含めて、箱根駅伝の報道には現在の日本のスポーツマスコミの最悪の部分が現れていて、題名に惹かれて記事を読むと、情緒過剰の内容にうんざりすることが多い。うんざりすることがわかっていながら読んでしまう自分が悪いのはわかっているのだけど、無理やりスター選手を作り上げて、注目を集めるというやり口は、有害でしかない。一時期マシになったような印象も受けたが、最近はまた演出過剰の方向に進んでいるようである。
最近の箱根駅伝は、手っ取り早い売名の手段として多くの大学が力を入れ始めた結果、80年代の後半に、ラジオの中継で聞いていたときには、陸上の世界には影も形もなかった大学が出場し上位争いをしているのを見ると、時代が変わったというより、日本の大学これで大丈夫なのかと心配になってしまう。
勉強しなくても入学できて卒業まで面倒を見てもらえる大学というのは、何も陸上、駅伝の選手には限らない。それを全面的に否定するつもりはないけど、スポーツやっていればいいというのは体育学部か、せめてスポーツと関係のある学科の学生だけに限るべきではないのか。昔は文学部文学科の国文学専攻でも一般教養の体育の教授の下で卒論を書くなんてこともできたから、多少の言い訳になったけど、今では文部省によって禁止されているはずである。
箱根に向けてどれだけ走りこんだとか、何日合宿を組んだなんて話を聞くと、本業であるはずの勉強は大丈夫かと言いたくなる。そんな箱根駅伝出場大学の一つに我が母校の名前を見つけたときには目を疑った。90年代の初めには野球には力を入れていて、東都の二部にいたのだけど、陸上部なんてあったかどうかさえ記憶にない。野球部の連中は練習と試合のせいで授業にはほとんど、場合によっては試験にも出てきていなかったが、なぜか単位が取れて進級はできていた。
当時は野球部だけで数がそれほど多くなかったから、特に問題にもなっていなかったけど、野球に陸上なんてことになると、バカにできない数の、スポーツ専業で勉強したくてもできない学生が在籍していることになる。実はいくつかある附属の高校ではいろいろなスポーツに力を入れていて、全国大会に出場することも多かったのだが、当時は附属のスポーツで大学に行きたい連中は他所の大学に行くことになっていたらしい。今でも野球と駅伝以外では名前を聞かないから、状況は変わっていないと思いたい。
出場している選手たちがどこまでちゃんと専門分野の勉強をしているのかわからないと思うと、母校だからといって応援する気には、正直なれない。長い伝統のある大学なんだからスポーツじゃなくて学問で学生を集めろよと思ってしまう。情けない話である。マスコミも出場選手の所属学科や専攻、卒論のテーマなんかを報道すると、違った視点からの報道ということになって面白いと思うのだけど、タブーになっているのだろうなあ。昔は時代が時代だったし、数も少なかったから笑い話なっただけの話で、近年の規則にうるさい時勢を考えると決していいことだとはいえまい。
外国の選手を留学生として連れてきて出場させるのにも文句はない。ただ短期間の交換留学ではなく、大学に正規の学生として入学する形での留学というのなら、日本語ぐらいは喋れてほしいとは思う。箱根で名前を売らなければならないような新興の私立大学に入学から卒業まで英語で開講された授業だけで卒業できるようなカリキュラムがあるとも思えない。大学なんだから1年も在学していればある程度日本語が出来るようになるだけの教育はできるだろう。できないなら大学の看板は下ろすべきである。
箱根駅伝はしばしば日本のマラソンが弱体化した原因として非難されることもある。これも変な話で、駅伝自体には問題はない。問題はマスコミの過剰な報道の結果、過度の注目を集めてしまって、猫も杓子も箱根駅伝になってしまっていることである。無駄に駅伝に力を入れる大学が増え、本来であれば高卒で実業団に入って、みっちり時間をかけて鍛えられて力をつけていたはずの選手までが、大学に進んで使いつぶされているのがいけないのではないのか。
日本のマラソンの弱体化の原因は旭化成の弱体化で、旭化成の弱体化の原因は高卒で育てられるような選手が入ってこなくなったことと九州一周駅伝の廃止にあると、九州の人間としては考えてしまう。ラグビーも大学の大会が過剰に注目されている弊害が、過去だけでなく今でもあると思うけど、陸上の箱根駅伝ほどではなさそうだ。
最後に一言言うとすれば、学生が運営の主体である箱根駅伝には、選手以上に注目される有名監督よりも、東京農業大学の大根踊りのほうが似合うはずである。
2019年1月3日23時。