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2020年03月26日
ドイツ幻想(三月廿三日)
1980年代半ばから中学、高校時代を過ごした人間が、繰り返し繰り返し聞かされてそれが真実なのだろうと思い込まされていたのが、日本の戦後補償というものが中途半端で恥知らずな非難されるべきもであるのに対して、ドイツの戦後補償はすばらしく日本も見習うべきだという主張である。いや、よく考えたら、90年代に入ってからの方が強く主張されていたかもしれない。
この真実については、チェコに来てから、特に調べなくても、大嘘というか妄想の類であることがわかったのだけど、日本にいたころは、ドイツを疑う根拠となる事実を知りながら、何となくドイツのほうが日本よりましだと思っていたから、他人のことは批判できない。だからこそ、ことあるごとにドイツの悪口を書いているのだけどね。
ユダヤ人の強制収容所に関しては、ドイツもお金を出して各地に戦争記念館のような形で保存されているが、ロマ人の収容所の跡地に関しては、チェコでもつい最近まで放置されてきた。ユダヤ人虐殺を否定すれば世界の敵扱いされて外交の面でも経済の面でも国が立ち行かなくなる可能性が高いのに対して、ロマ人に関しては補償しても他国から称賛されるわけでもないし、補償しなくても批判を受けることもない。そんな打算で、補償する、しないを、決めたとしか思えないドイツを見習えなんて悪い冗談にしか聞こえない。
戦勝国、もしくは大戦で被害をこうむった国に対する補償にしても、これはチェコに来てから知ったことだが、少なくとも東側の諸国に対してはまともに行なわれていない。そこにはソ連の思惑があったわけだからドイツだけを批判するわけにはいかないが、ポーランド政府が、ドイツとその意向を受けたEUからの度重なる批判、ポーランドからすると内政干渉的な批判に腹を据えかねて、ドイツに対して第二次世界大戦の賠償を求めると言い出したのも理由がないことではないのだ。ドイツがそれに対して誠実な対応をするわけもなく……。
1938年のミュンヘン協定以降、ドイツがチェコスロバキアの人々に与えた被害について賠償していないのに、戦後チェコスロバキアから追放されたかつてのヘンライン党の末裔たちが、ベネシュの大統領令の廃止とチェコに持っていた資産の返還と追放に対する補償を求めて活動するのを野放しにしてきたのがドイツである。チェコとスロバキアのEU加盟交渉に際しても、この手の集団が妨害に出ていたらしいし、盗人猛々しくも素晴らしい国である。
環境問題では先進国として評価されているようだが、その科学よりも感情に基づいた政策に追随するとろくなことにならないのは、チェコのありさまを見ているとよくわかる。日本は外国に工場を建てることで公害輸出だと批判されていたわけだが、90年代のドイツはゴミをチェコに輸出することで国内のゴミ問題を解決しようとしていたから、どっちもどっちである。
チェコがドイツとの国境を封鎖してからも、買い物のためにチェコに通っていたドイツ人の中には、不法にチェコへの入国を試みる連中が後を絶たないらしい。チェコの方が品質を問わなければ安く変えるものも多いのである。ただでさえ国境の通過点での検問に人を割かれて人員不足の警察では完全に対処することができず、マスクもせずにチェコ国内の営業中の店に現れるらしい。この話を聞いたときには、すでに亡くなったユダヤ系の作家、アルノシュト・ルスティクの伝説的名言、「ドイツ人はブタだ」というのを思い出して、思わず口に出してしまった。そしたら、うちのが「特に東側の連中は」と付け加えた。
ここに書いたことは、ほとんどすべてすでにどこかに書き散らしたことがあるような気もするが、ひとつにはまとめていなかったと思うし、このブログの記事を通読している人なんでいないだろうから、いいことにする。
2020年3月24日16時。
タグ: ドイツ批判