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戦争を憎むといいながら戦争を誘発する輩、テロに屈しないといいながらテロを陰で支援している輩、つまりこのような二枚舌がこの世を地獄化してきたことがわかる話を以下に紹介する。 ★ ★ ★ 傭兵集団を維持する費用 http://my.shadowcity.jp/2015/11/post-8294.html トルコがISISの資金源だった、というのが、いよいよ白日の下に晒されて来て、そうなるとシリア領内のトルコ系武装勢力を攻撃したロシアの正当性が評価されるわけで、物事すべてプーチン大帝の思惑通りに動いてますw オバマは動かずw アメリカは、国家としてはこれ以上、中東に関与する気はない、という事だ。アメリカが動かなければ、あとはプーチン大帝の天下w トルコが言う事を聞くまで、痛めつけるだろう。 米軍特殊部隊は今年5月、シリア東部で「イスラム国」の石油事業責任者を殺害した。英有力紙ガーディアンは、同部隊がその際押収した文書から、「トルコ当局者と『イスラム国』上層部の直接取引が明確になった」と伝えた。 米国主導の有志連合による空爆は、「イスラム国」の拠点などに加え、その支配地域にある石油精製所やパイプラインも主要な目標としてきた。 その結果、「イスラム国」の石油生産量は最盛期に比べて半減したが、それでも日産3万~4万バレルに上り、毎日100万~150万ドル(1億2000万~1億8000万円)の収入をもたらしているといわれる。 日産数億円の資金が入り込んで来るわけで、サウジなどの産油国から脅し取っているミカジメ料と合わせて、あの傭兵集団を維持する費用が捻出されるわけです。どんだけ殺されても2万人とかいう集団が減らないのは、そら、日雇いの傭兵だから。 欧州のホームグラウンテロリストとかは、目眩まし。主流は傭兵です。日当数万円。その程度の金額で殺し合いをしてくれる連中が、アフリカや中東には大量にいます。資金源を断てば、テロリストは雲散霧消します。プーチンは正しい。 トルコはテロ支援国家 http://my.shadowcity.jp/2015/11/post-8292.html トルコで密造された銃が800丁、イタリアで押収されたというんだが、ロシアの諜報機関がイタリア当局にタレコンだんじゃねーのか? つうか、これから007の新作作るんだったら、禿のロシア人スパイを主人公にして、CIAを悪役にしなきゃねw 観光客に成り済ましてレーガン大統領に近づくKGB時代のプーチン。左端のカメラを下げたオトコですw イタリア警察当局は26日、トルコからイタリア北部トリエステの港に輸送されたトラックの中から約800丁のライフル銃などを発見し、押収した。 ドイツやベルギー、オランダに搬送しようとしていたという。警察当局はテロ組織との関連を調べている。 トルコとロシアの神経戦が継続中ですw オバマが積極的に動かない分、ロシアのプロパガンダが有効に推移していて、トルコは旗色が悪くなって来たw ★ ★ ★ このような二枚舌をなおすには、やはり以下のような瞑想しかないものと思われる。 ★ ★ ★ 前回記事[瞑想]についての補足 : 訳語の訂正と「慈悲の瞑想の言葉」について。そして、Google社で行われる慈悲のプラクティスの言葉を付記しました http://indeep.jp/what-is-loving-kindness-meditation/ 前回の記事、 ・世界を変えるかもしれない「瞑想という革命的存在」 : 英国の大学が「たった7分間の慈悲の瞑想が人種的偏見を人々から著しく減少させる」ことを発見 http://indeep.jp/seven-minutes-meditation-reduce-racial-prejudice/ なんですが、最初に投稿した時には、Loving-kindness meditation という元記事の英語を「慈愛の瞑想」と訳していたのですが、どうも、その「慈愛の瞑想」という言葉では、何も検索されないことが疑問で、調べますと、これは、私の訳の間違いで、 「慈悲の瞑想」 というものだったようです。 前回記事の内容も、全体的に書き直してありますが、わりと大事なことだとも思いまして、こちらで、改めて訂正をさせていただきます。 慈悲の瞑想というのは、Wikipedia では、下のような表現になります。 慈悲の瞑想 – Wikipedia 慈悲の瞑想とは上座部仏教における瞑想の一種である。 上座部仏教における、サマタ瞑想に入る際の40種類ある瞑想対象(四十業処)の中に、慈・悲・喜・捨の四無量心あるいは四梵住と呼ばれるものがあるが、それを簡便化したのが現代において広く行なわれている慈悲の瞑想である。 仏教の精神をもっともよく表現した瞑想法としてきわめて重視されている。 というものです。 ここにある「上座部仏教」というのは、仏教というのは2つに大別できるのだそうで、 ・上座部仏教 → スリランカやタイ、ミャンマー等の地域に伝わった南伝の仏教 ・大乗仏教 → 中国やチベット、日本等の地域に伝わった北伝の仏教 というもので、つまり、この「慈悲の瞑想」というのは、基本的には、日本などでの仏教での瞑想などとは違うものなのかもしれません。 私はそのあたり詳しくないですが、私が今までこのような瞑想法を知らなかったのも、日本などの仏教で喧伝されるものではなかったからかもしれません。 この慈悲の瞑想には、「言葉」がありまして、それを記しておきたいと思います。 「慈悲の瞑想」 私は幸せでありますように 私の悩み苦しみがなくなりますように 私の願いごとが叶えられますように 私に悟りの光が現れますように 私は幸せでありますように(3回) ※こころの中で「私は幸せでありますように」と繰り返し念じる。 私の親しい人々が幸せでありますように 私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように 私の親しい人々の願いごとが叶えられますように 私の親しい人々にも悟りの光が現れますように 私の親しい人々が幸せでありますように(3回) ※こころの中で「私の親しい人々が幸せでありますように」と繰り返し念じる。 生きとし生けるものが幸せでありますように 生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように 生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように 生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように 生きとし生けるものが幸せでありますように(3回) ※こころの中で「生きとし生けるものが幸せでありますように」と繰り返し念じる。 私の嫌いな人々も幸せでありますように 私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように 私の嫌いな人々の願い事が叶えられますように 私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように 私を嫌っている人々も幸せでありますように 私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように 私を嫌っている人々の願い事が叶えられますように 私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように 生きとし生けるものが幸せでありますように (後略) ★ ★ ★ 英国人がいうことだから、このこと自体が二枚舌の可能性もあるので、シュタイナーの瞑想の話を紹介する。 ★ ★ ★ 知識では事態は変化しない(改変) http://ameblo.jp/kmasaaki0911/theme-10063384556.html 秘儀参入者(霊能者)には、思考・理念・判断などの全ては、画家の絵の具のような道具でなくてはいけない。画家の絵の具は絵画を描く目的ではなく、絵画を描く道具である。 (豪華な絵の具だからといって綺麗な絵が描けるわけではない。ブランド志向はダメ!) 一般人には、物質界での日常生活の思考や理念はそれ自体が目的であるが、秘儀参入者には、思考や理念は、高次の世界での体験を表現する手段であるべきである。 意見や見解に対して、感情的にならずに、客観視し、意見や見解がそのまま発展するのに任せると、それが可能になる。 ある見解を贔屓したり、どれが本当かを議論するのを好む人は、秘儀参入の段階に到達できない。自分の意見を他の意見よりも高く評価せず、自分の意見を棚上げにして、事態が純粋に進行するのを見守ることができて初めて霊界参入が可能になる。 実際に未知のなかに歩み入る必要がある。この未知への参入は最初、恐怖と結びつく。全ての体験が、魂の内面を深く流れていくので、恐怖が魂全体に満ちる。それゆえ、恐れを知らぬ大胆さを獲得することが、高次の世界への道を歩むための準備の一つとなる。 この大胆さは、ある瞑想を通じて獲得しなければならない。大抵の人はこの瞑想を成就するに足る忍耐力を持たない。 「知識により事態が変わることはない」という考えに継続的に没頭するのは、重要な瞑想になる。 不安や恐怖を抱くのは無意味である。不安や恐怖という無意味なものに、魂は懐疑的な本性により捉われる。恐怖を克服する大胆さを準備していないと、霊界参入のある段階で、必ずこの不安と恐怖が襲ってくる。 「知識により、事態を変えられるのではないか」という無意味な考えに耽るべきではない。 霊界参入を目指す瞑想者は、ある段階で、ある意味、まさに悪しきものを魂の内部に見るに至る。潜在意識のなかに、日常の生活の判断からでは、本当に別のものに変えてしまいたいものが存在する。準備のできていない人が魂の底層へと降りていくと、その信じがたいほどの恐ろしい光景に驚いてしまう。 繰り返し、「事物は知識によっては変わらない」のを瞑想して、準備を整えなければならない。 恐ろしい光景は常に魂の深層に存在している。認識できなくても、存在している。「事物は知識では変化しない」という考えを繰り返し継続して瞑想することで、臆病さの大半が取り除ける。 高次の世界に参入するときには魂の知性ならびに道徳性の2つが必要であることを述べてきた。今日の学問には本質的に知性しか必要とされない。勇気・大胆さを道徳性と呼びたい、と思う。この道徳性なしには、秘儀参入のある段階には到達できない。 「シュタイナー古代秘儀講義」p112 ★ ★ ★ 世の中嘘つき詐欺師ばかりである。
2015年11月30日
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どうも巷の宝くじの宣伝をみると、この国の住人は数字にアホバカで確率を用いたインチキを知らないようにみえる。 宝くじの還元率をみれば、公営ギャンブルのなかでは一番のギャンブルで、掛け金の半分がとられるわけだから、ほとんど詐欺といってよい。 例えば、以下のサイトなどは、この悪魔のような遣り口を追求しているので、紹介する。 ★ ★ ★ 夢が壊れる!?宝くじの種類別に1等当選確率を計算してみた結果 http://my.plaza.rakuten.co.jp/?func=diary&act=write&sub_act=draft&d_date=2015-11-28&c_current=2015-11-28&c_display=2015-11-28&d_seq=13426827 「宝くじで高額当選する確率は、明日、突然交通事故で死ぬ確率より低い」 と言われているようですが、宝くじって実際どのくらいの確率で当たるのでしょう? 今回は、宝くじの「当たる確率」について詳しく調査してみました。 「ジャンボ宝くじ」、「ロト」、「ナンバーズ」など非常にたくさんの宝くじが発売されている中で、それぞれ特徴や1等の当選確率、何が一番当たりやすいかなどをまとめました。 (中略) ズバリ1等が当たる確率は? 絶大な人気を誇るジャンボ宝くじからスクラッチまで、いろいろな宝くじがありますが、高額当選を果たし億万長者になれる人はほんの一部。夢破れ、宝くじが紙切れとなってしまう人が圧倒的です。 では宝くじの当選確率は、いったいどのくらいのものなのでしょう? ジャンボ宝くじが当たる確率 売り上げが最も大きいジャンボ宝くじの場合、1等を当てる確率は、1,000万分の1。 (売り上げが大きいということは、逆にいえば当たる可能性が低いということである。) これは、ジャンボ宝くじが、100,000番から199,999番までの10万通りを1組として、01組から100組までを1ユニットとして販売されているからです。 つまり10万通り×100組で、1,000万通りあることになり、1等はこの中に必ず1枚存在するので、1,000万分の1で当たることがわかります。 この1,000万分の1という確率ですが、東京ドームの収容人数を45,000人だとすると、東京ドーム約222個にひしめき合う人の中から1人が選ばれるのと同じ確率になります。 (この喩えでは実感がわかない。東京都の人口が大体1000万人なんで、そのなかで1人選ぶ確率といえる。全国では、日本人を1億1千人とすれば、10人ほど。) ちなみに、もし宝くじを1,000万枚買い占めた場合、費用は合計30億円。1等+前後賞で6億円当選しても、24億円の赤字になってしまいます。 (この喩えが良い。つまり、この当選確率では、数字上では24億円詐欺になる。1枚300円なら、30億円の当選にしないと売り手と買い手が公平でないことがわかる。大金を手にするのが目的だから30億円を超えない限り、1000万枚買い占める意味がない。) ロト7が当たる確率 ジャンボ宝くじよりもさらに確率が低いのがロト7です。ロト7は37個の数字から7個の数字を選ぶもの。 その組み合わせの総数は10,295,472通りなので、理論上、ロト7で1等が当たる確率は、1/10,295,472ということになります。 先の東京ドームを例に出すと、東京ドーム約228個にいる人の中から1人だけ選ばれるのと同じです。 (ジャンボとほぼ同じ) ロト6が当たる確率 ロト6は、43個の数字から6個の数字を選ぶもの。 その組み合わせの総数は6,096,454通りなので、理論上、ロト6で1等が当たる確率は、1/6,096,454となります。 約610万分の1の確率で1等が当たるわけですが、これは東京ドーム約135個にひしめき合う人の中から1人だけが選ばれるのと同じ確率です。 (千葉県の人口が大体600万だから、千葉県から1人選ぶのと同じ) ミニロトが当たる確率 ミニロトの場合、31個の数字から5個の数字を選ぶので、組み合わせ総数は169,911通り。したがって、ミニロトの1等は1/169,911の確率で当選します。 約17万分の1の確率なので、東京ドーム4個分の人の中から1人選ばれる確率と同じくらいです。ジャンボ宝くじやロト7、ロト6に比べると、1等当選確率は随分高くなります。 ナンバーズが当たる確率 ナンバーズ3は、000~999までの3桁の数字から選ぶので1/1,000の確率、ナンバーズ4なら0000~9,999の4桁の数字を選ぶので1/10,000の確率で、ストレートが当たることになります。 45,000人が入っている東京ドームの中で、ナンバーズ3なら45人、ナンバーズ4なら4~5人が選ばれることになります。これまで紹介した宝くじの中で最も当選確率が高いですね。 さて、主に宝くじの種類や種類ごとの当選確率についてお話して来ましたが、最後に宝くじの基本的なこと。宝くじの還元率は何%なのか? について、オマケで説明していきたいと思います。 (中略) 競馬や競輪、競艇などの公営のギャンブルは、売上の75%が利用者に配分される仕組みになっています。(還元率75%)それに対して、宝くじの当選金として利用者に配分されるのはわずか46%。(還元率46%) 単純に利用者への還元率だけで比較すると、宝くじのほうが断然、分が悪いということになってしまいますね。 (宝くじは最もギャンブル性が高い) 宝くじの還元率が低いワケ なぜ宝くじの還元率は低く設定されているのでしょうか? それは宝くじの目的が、地方財政資金の調達だからです。そのため売上の約40%が地方自治体に納められ、公共事業の財源として使われています。 (だったら、税金にすべきである。二重課税にならないのか?) そして当選金の割合(還元率)は、法律によって50%以下でなければならないと定められているのです。 この法律がある限り、宝くじの還元率が今より上がることはありません。 (この法律の成立の経緯を調べる必要がある。) ★ ★ ★ また他のサイトにあったものだが、所得が低い者ほど宝くじの購入率が高いという統計があるらしい。つまり、夢というよりも、現実逃避のために、宝くじを購入していることになる。 金持ちになるのが夢という洗脳を植え付けているが、たとえ、一時、数億の大金を掴んでも、それは成金であって、ホンモノの金持ちではない。ホンモノの金持ちは税金を払わなければいけないからである。 つまり宝くじは所得が低い者たちの日々の不満のガス抜きに使われているのである。 悪銭身に付かずという諺があるように、一時的に所得が増大しても、長くは続かないばかりか、かえって大金を浪費する癖が身についてしまい、節約ができなくなってしまい身を滅ぼす当選者の話を聞く。 悪魔に誑かされては人生御終いである。 悪魔に誑かされないで神々の試験に合格するには、悪魔の遣り口を知ることである。 罪のない住人がなぜ殺されなければならないのか、を思考力を使って考えれば、人々に憎しみを植え付け、増大させ、その憎しみによって敵対させ、人々を分断し、支配するためであることに気づく。 なにより戦争を望む戦争屋がいるからである。戦争屋を解体しない限り戦争はなくならない。 なにより戦争を憎むという奴が戦争をしている矛盾に気づくべきである。 キリストは「一方の頬を打たれたら、他方を差し出しなさい」と言っている。何より、憎しみが人々の間に生じるのを問題としているからである。悪魔が憎しみにより人を支配することを知っているからである。 現に人類はアホバカなことに、二回も世界大戦を引き起こし、憎しみの連鎖を生み出し、戦争屋を金儲けさせ、人類の支配をこのような悪魔の手下に委ねてきたし、現在も進行形である。 いい加減に憎しみの連鎖を断ち切って目覚めるべきであろう。 身を滅ぼす警告の話を以下に紹介する。 ★ ★ ★ テロがテロにテロされて死亡 http://my.shadowcity.jp/ アルカイダがISISに対して自爆テロ仕掛けて幹部6名殺害、だそうで、イスラム土人の内ゲバですw ISISはアルカイダから分裂した組織なので、山口組と神戸山口組みたいなもんか? 基本的にはヤクザの縄張り争いと変わらない。まぁ、こうして混乱させておけば自分に歯向かわないだろうという、イスラエルが仕組んでヤラせている向きもないではないが。 アルカイダ、シリアでISIS幹部に対して自爆攻撃・ISIS幹部6名を殺害 アルカイダ(Al Qaeda)が11月15日、シリアの反政府勢力となる「Syrian Martyrs' Brigade」の幹部集会を狙って自爆攻撃を仕掛けていたことがFoxnewsの報道で明らかとなった。 このアルカイダによるISIS幹部をターゲットした自爆攻撃により、Syrian Martyrs' Brigadeの最高幹部となるMuhammad "Abu Ali" al-Baridiを含む幹部6名が死亡した模様となる。 ただ、意図的に中東を混乱させているイスラエルとアメリカの工作が次々とバレて来ているので、状況は変わりつつある。 ★ ★ ★ 証拠の隠滅に走ってるようである。
2015年11月28日
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インチキ祈祷師による殺人が巷を賑わせているが、インチキ祈祷師に騙されるのが問題とダマスゴミは罵り袋叩きをしているが、インチキ祈祷師のような日本会議に洗脳され、ナチスか、かつての大日帝国ゴッコをしているアホバカ総理にはおべんちゃらを使っているのだから、弱い者虐めをしたいだけである。 つまりインチキ祈祷師と同じようによってたかって国民を洗脳しているダマスゴミはインチキ祈祷師以下である。 この国はいま非常にクレイジーである。権力を使って弱者をよってたかって虐めるようなことが日常茶飯事である。 北や中共を罵りながら、それと同じかそれ以上のことをしている。 アホバカ総理がインチキであることをTVで毎日新聞記者が批評したら、ダマスゴミの広告を使って言論弾圧をする言論の不自由ぶりである。この記者はコネズミ政権のときに太鼓持ちのような発言をして私も大嫌いだったが、アホバカ政権になって、ようやく米戦争屋の差し金に気づいたのか、マトモな発言をするようになって、評価を見直しはじめた矢先だったから、言論の腐敗ぶりは言わずもがなである。 権力の監視がマスコミの役目なのに、権力を諌めるどころか、一緒になって弱者を嬲り殺そうとしているから呆れてしまう。 そもそも権力とは、「計る」という意味をもつ。つまり分析力のことである。分析力が優れていれば、権力の圧力など生じる余地はない。というのも、物事が一番わかっている人物が指導者になるのだから、前回、ホワイトロッジの話からわかるが、計画が自然に平和糧に進行するからである。 権力がいまのように歪な形になるのは、世の中に現れている表の陽しかみないからで、その奥の裏の陰を見ることを忘れているからである。 王陽明は、陽を明らかにするという意味で、陽明学を説いたのかはわからないが、現代人には陰明学が必要である。 例えば、総理や大臣のことを首相、○○相と呼ぶが、「相」という漢字は、「木」と「目」からなり、つまり植物の節目をみること、つまり人智学的にいえばエーテル体をみることで、生命のリズム、循環を知る者ということである。 だから、相は、場とくっつくと、「相場」となるが、その上がったり、下がったりの生命のリズムや、その呼吸の場を知る人という意味である。この相場を知るには、モノとして現れる陽のエネルギーだけを知るだけでは不足で、モノにならない心理などの陰のエネルギーを知らないと失格なんである。 そのような陰と陽の働きを古代アトランティス文明を引き継いだ古代中国では陰陽五行説として天体の運行と照らしあわせて学問とした。更に五行では足らずに、植物の循環に基づいて分類したのが、陽の「日」と陰の「月」をあわせた字をもつ「易」である。 易の字の由来をみると、トカゲや蛇が出てくるが、トカゲというのは、トカゲの尻尾の再生でわかるが、人智学でいうエーテルの動きのことである。蛇はオカルトでは秘儀参入の霊能者を意味し、黒蛇の陰のエネルギーと白蛇の陽のエネルギーのことで、つまりこれもエーテルの流れを見究めることを意味する。 エーテルの人体での流れは五芒星で表記されるから、陰陽五行は特に人体の働きを天体に準えて説いたものとなる。有名な医学の象徴のカドケウスの杖は、植物からなる杖に2匹の蛇が巻き付いているものだが、杖は植物のエーテル体を、二匹の蛇は陰と陽のエネルギーを現わし、杖の上部の飾りには太陽や宇宙を現わす球体があり、これが人間の自我のことで、それが翼をもつのは、人間が、それら陰陽のエネルギーを巧く使いこなせば、天使になれるという人間の進化計画の象徴なんである。 だから本来は、唯物論を土台とする自然科学は勿論のこと、霊を土台とする陰の作用の精神や心理をマスターした者でないと、大臣になる資格はないのである。 アホバカばかりが大臣になるから、権力が歪になり、悪逆非道が巷に横行し、この世が悪魔の支配を受ける地獄と化すのである。 このままでは本当に人類は滅亡の道へと進むだろう。そのような話を警告として紹介する。 ★ ★ ★ 米、トルコ、イスラエルvsその他 http://my.shadowcity.jp/2015/11/vs-11.html ISIS戦争にドイツも参戦でw これで、ロシア-フランス-ドイツ連合が、アメリカ-イスラエル連合と戦うという、第三次世界大戦らしくなって参りましたw こういう構図に漕ぎつけたのは、ひとえにプーチン大帝の手柄ですw イスラエルとユダ金の軍産複合体の目論見では、米軍が八百長芝居でシリアを手に入れる予定だった。それをさせなかったのはオバマの手柄です。オバマは馬鹿じゃない。史上初、黒人で大統領まで登りつめた男だ。 ドイツはフランスの要請を受け、シリアで展開されている過激派組織「イスラム国」に対する軍事作戦に参加する。 偵察を任務とするトーネード戦闘機や空中給油機、フリゲート艦を派遣する。 こうした直接的な軍事作戦への関与に後ろ向きだったドイツにとっては方針転換となる。仏米ロが実施しているシリアでの空爆に参加する計画はない。 ヨーロッパではロシアが盛んにプロパガンダを展開しているんだが、トルコのエルドアン大統領の息子がスポンサーのタンカーがISISの石油を運んでいるところを、ロシア軍が潰したわけだ。ロシア機が撃墜されたのは、その翌日w 意趣返しですw イスラエルのシナリオ書き間違いで、ISISを徹底的に悪役に仕立ててしまったため、今からISISの味方になる国はひとつもない。世界中が寄ってたかって、哀れにも、なぶり殺しにされるだけですw そして、今までのユダヤの工作が暴かれて、中東でのイスラエル、アメリカの権威は失墜する。ところでサウジも参戦とか言ってるんだが、どのツラ下げて、どこに参戦するというんだ? アメリカとユダヤが黒幕 http://my.shadowcity.jp/2015/11/post-8291.html ISISの拠点をクルドが制圧したら、米軍の提供した弾薬が残されていた、という話なんだが、オバマがサボってるので、ユダヤの工作がみんな丸見えですw これから始まるのは、壮大な証拠隠滅戦ですw ISIS兵士なんて、ミナゴロシにして貰わないと、イスラエルの軍事顧問団がいたとか、米軍の特殊工作員がいたとか、ネタが割れちゃうしぃw ISの地下壕を発見 アメリカ製弾薬の箱 今月、過激派組織「イスラム国」(IS)の主要な拠点となっていたイラク北部のシンジャールがクルド人治安部隊に奪還され、ISが築いた地下壕が発見された。地下壕には食料などのほか、アメリカ製弾薬の箱も残されていた。 (ISISは米軍がつくったことがわかる。「チャイナ迷路」という小説とそっくりの構図である。最近、米軍を中東に投入するためにCIAがNYテロを計画しているという噂もある。ホンモノのテロリストなら、戦争屋を狙うべきだろう。罪のない住民を殺すのは戦争屋のニセモノのテロリスト。) ところで、オウムの上祐がしきりにトルコに通っているらしい。テロ防止で引っかかって今回は入国出来なかったというんだが、既に何回も入国しているというので、サリンの作り方でも教えに行ってたのかね? ★ ★ ★ テロリストをつくっているのは、もはやモサド=CIA=MI6の偽ユダヤの手下たちであることはネットでは定説である。例えば、以下の話なんかが参考になるので紹介する。 ★ ★ ★ ロシア・プーチン名人の100目勝ち。似非耶蘇・ハザユダに投了する知能は無い。渾沌堂 http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%90%91%E3%81%91/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E5%90%8D%E4%BA%BA%E3%81%AE100%E7%9B%AE%E5%8B%9D%E3%81%A1%E3%80%82%E4%BC%BC%E9%9D%9E%E8%80%B6%E8%98%87%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%A6 世界は一日でかわる。 より 上記文抜粋 ・・・・・・・・ 第3次世界大戦の負け組が決まった:イスラエル、サウジ、トルコ、 そういうことらしい 新しい秩序はユーラシアとアメリカ大陸の二本立てです。 そして悪者役のMarrano=改宗ユダヤ人はヒットラーと同じでアルゼンチンへ逃げ込む こういうストーリーらしい。 ネオコンの一極は失敗、見かけ多極性 文明原理としては単一。 正義の定義が世界政治そのもの 偽ユダヤの極右集団を犠牲にしてその犠牲の元で 偽ユダヤが支配層の一部となって協調世界を作る ネタニアフと手先一味は主流派の正義形成のために捨てられるのです。 第2次大戦は日独が奴隷の立場に落とされた。そのおかげで必死に頑張った。その成果を中国が盗む。 第3次では偽ユダヤの一部が悪を一手に引き受け ユダヤの善をバージョンアップする。 こういうスト-リーだろう 自分たちのしでかしたすべてのヘマを押し付けられたネタニアフは暗殺されたようになって、アルゼンチンでのうのうと暮らす (アルゼンチンでなく日本のような気もするが) ユダヤ人のしでかした悪行を浄化する役割なんですわ こういうインチキをもう2000年(2500?)くりかえしているのです 頭いいけど発想がゲスですな~~ 新時代の正義の定義は「ゲスの排除」。 ・・・・・・・・・・ 抜粋終わり 同じく より 上記文抜粋 ・・・・・・・・・ ぷ~ちんはトルコの暴走を待ち構えていたのかもしれない、すでにs400は配備を終えてもうシリア内には戦闘機は入れない 経済制裁も矢継ぎ早で激しいものだ こうなるとエルドアン政権の維持が怪しくなってくる 一挙に崩壊するかもしれない トルコ内で誰がネオコン/モサドの草かをロシア爆撃への行動で判定したようである。 そして指導層の草は殲滅されるんでしょう。 はめられたのはネオコンシンパの方だった、ということだ。 きっとトルコはネオコンの教唆でチェチェンゲリラを匿ったりしているんでしょう。 プーチンの謀略脳恐るべし。。。 ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ 抜粋終わり 来たかもね・・・・ ロシア戦闘機撃墜を、上手く返し技で投げ飛ばした。 お読みくださりありがとうございます。 ★ ★ ★ トルコの大統領と握手していたアホバカ総理の顔が思い浮かぶ。バカ息子と石油取引きでもしたのかな? このままでは人類の落伍者が盛り沢山だ! 神々の試験を受けているのは人類なのにね。悪魔に誑かされるようじゃ失格ですね。
2015年11月28日
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前回は磁気の話からカルマと医療の話を紹介した。磁気は、現代唯物科学から、物質中の電子のスピンの配列から生じることがわかっている。電子のスピンが一方向に揃うほど物質は磁気を帯びることになる。 シュタイナーは、電子は光が凝縮したものであると述べている。唯物科学でも、電子陽電子対生成が光子から生じることが確認されている。 前回のカルマと医療の話から、人間の肉体も光からなるから、結局、総ては光からなることがわかる。オカルトでは、光のことを別名「叡智」と呼ぶから、総ては叡智から生じることになる。 叡智は神のことであるから、総ては神から生じる。 さて、現代人はエゴや物欲のせいで、古代人よりも遥かにアホバカになっているので、特に地球についての叡智が不足している。 唯物科学でも、電子のスピンが揃うことで、磁場が生じることがわかっているのに、地球上の人々はてんでバラバラで相変わらず闘争を続けていて、磁場が益々弱まっていくのも当たり前のようにみえる。地球の磁場が弱まれば、地球の自転も弱まるはずである。だから、人類が闘争を続けると、地球は中心を失い、滅ぶことになる。 というわけで、以前にも紹介したが、シュタイナーの地球の正四面体説の話を紹介する。 ★ ★ ★ 地球の頂点としての日本と世界の雛型としての日本(改変) http://blogs.yahoo.co.jp/mizuguchiaiko/9901124.html (一)シュタイナーが語る地球上の日本の位置 シュタイナーは、1924年9月9日から18日までの連続講義の中で、『地球の形と人体』と題して、地球を四面体のピラミッドとして認識した時、その頂点は日本になると語っています。以下に、その講義の一部を抜粋しておきます。 現在、「地球は球体であり、球体としてつくられた、と言われています。しかし、地球が球体であると言うのは正しくありません。地球の実際の形を説明してみようと思います。地球が球体というのは、単なる空想にすぎません。地球の形を正しく描きましょう。四面体と呼ばれている形です。四面体は次の形です。 三角形が四つあり、底辺が三角形で、その側面に三つの三角形があって、ピラミッドになっています。正三角形が四つの境界で接するのが正四面体です。底辺の三角形を土台にして四面体が立ち、三つの三角形はピラミッドの形をしています。これが四面体です。 ルドルフ・シュタイナー遺された黒板絵・火山と正四面体の地球より さて、正四面体のなかの正三角形の平面を少しづつ湾曲させる(球面に近づける)と、丸くなっていきますが、境界も固定しなくなり、直線だった正三角形の辺は丸くなります。こうして、丸くなった四面体ができます。 このように丸くなった四面体が、地球なのです。この形は、ある程度まで確認できます。地球の四面体の縁を見つけることもできます。では、地球を平面図で描いてみましょう。 北米・南米があり、その中間に中米があります。そしてアフリカがあり、ヨーロッパがあります。小アジア、ギリシア、イタリア、スペイン、フランス、つまりヨーロッパです。上にはスカンジナビア、イギリスがあります。それから、アジアです。 下に南極があります。南極のまわりには、たくさんの火山があります。上には北極があります。地球に線を引きましょう。メキシコ南西部のコリマ山のあるアメリカ中央部からはじまって、アンデス山脈を通って、南極にいたる線です。この線は、地球の縁に沿って丸くなっています。 つぎに、南極からアフリカを通って、コーカサスの火山にいたる線を引きます。それからスイスを通り、ライン川を越えていく線です。 いま引いた線全体は三角形に見えます。この三角形が、四面体の底面に相当します。(上図の右上) この四面体の底面から、頂点にいたるには、地球の反対側に行かねばなりません。 そうすると、頂点が日本であることがわかります。四面体の底面の三角形の角には、中央アメリカ、南極、コーカサスがあります。そして、頂点に日本があります。 このように地球を正四面体で考えると、宇宙のなかの湾曲したピラミッドのようです。頂点は日本です。底面のなかには、アフリカ、南米、大西洋の南側全体があります。このような湾曲した四面体、つまり一種のピラミッドとして、地球は宇宙の中に存在しています。 これが、地球の元々の形です。この四面体を形成する線を辿っていくと、線に沿って火山帯があるのが分かります。 チリなどにある南米の火山、南極の周囲にある火山について、御存知でしょう。コーカサスには巨大な火山があります。 また『ヨーロッパには火山はあまり多くないが、昔は火山があって、それが死火山になったのが、色々な場所に発見できる』ことがわかります。 シュレジエンの北からブレスラウへ向かうと、奇妙な弧峰があります。 今日の人々は、この山を恐れています。この山の岩石を調べると、死火山であることがわかります。先ほどは底面だけを描きましたが、底面から、日本に向かう線があります。これらの線に沿って、地表に火山があります。 重要な火山を描いていくと、地球の四面体の形ができあがる、ということがわかります。火山が線をなしており、それらの線が地球が四面体であることを示しています。」 世界の地震帯 自然と人間の生活 http://blogs.yahoo.co.jp/sakimorikeikan/13221543.html 地球が本来、正四面体であると知ったら、「簡単には出来上がらない」ことがわかります。このような形を理解し、イメージするには、幾何学を学ばなければなりません。 宇宙は幾何学の知識をもって、地球を作ったのです。 宇宙のなかでは、全てが幾何学で作用する、と推定できます。その推定は実際正しいものです。 人智学により、「宇宙に、思考が広がっている。いたるところで思考が活動している」ことがわかります。そのような思考は、人間がそれと同じ思考をもたないと、みつからない。 (思考は波動のように拡がり、共鳴しないとみつからない。これが俗にいわれるインスピレーションである。) 地球を認識することは人間を認識することと関係しています。人間は自分という形のなかに、宇宙を模造します。人間は頭のなかに宇宙を模造します。 ですから頭の上部は、丸い宇宙に従って、丸くなっています。しかし下方、顎(あご)の部分は、注目すべき形になっています。つまり、顎の形は正四面体の地球の三角形に由来します。 人間は丸い宇宙を写し取っています。ですから、人間の頭の上部は丸くなっています。そして下方には、地球の力が及んでいます。人間と動物の顎をみれば、地球の正四面体の三角形が模写されているのが見つかります。顎の形は地球に由来するからです。 地球から上方への作用が、顎に三角形を記録するのです。宇宙は上方から下方に作用して、丸い形を作ります。これは非常に重要なことです。 ★ ★ ★ 上の話から、人間の頭の上部は、宇宙由来の球形で、下部は地球由来の正四面体であるという。このような幾何学から観相学が生まれたようである。 では、地球の人間の頭部ともいえる司令部はどこなのか? それはホワイトロッジというところらしい。 ★ ★ ★ ホワイトロッジ(改変) http://ameblo.jp/kmasaaki0911/entry-11511107375.html 地球は「ホワイトロッジ」に指導されている。そこでは、高度に進化した人々が、より高次の霊たちと結びついて、地球の進化を導く仕事をしている。地球の進化を指導する、ある計画の下に働いている。 地球のような惑星の進化を導くのには、指導霊たちにより進化計画が立てられる。地球が進化している間、地球のホワイトロッジで、地球に続く次の進化段階の木星の進化計画が立てられる。 その計画に沿って行動することが、進化に果実をもたらす。地球の進化が終了するとき、「叡智と調和のマイスターたち」が次の木星のために作り上げた計画も完了する。 地球のような惑星の進化段階の終わりには、特別なことが起こる。その計画が、ある手続きにより無限に縮小・複写され、木星の進化計画全体から、無数の計画の見本が、ミニチュアの形で発生するように企図される。 地球の前の進化段階の月でも同様だった。月の間に、地球の進化計画が複写・縮小された。当時、月の叡智のマイスターたちにより作り上げられたものは何か? それは地球の原子である。 次の木星の進化の原動力となる原子は、いま地球のホワイトロッジで計画が立てられている。これが原子の本当の姿である。 地球は、これと同じく月紀の進化計画が詰まった原子から構成されている。 人間も、このような原子から組み立てられている。人間は、月紀に作り上げられた地球進化計画を縮小した形で無数に内部に担うことで、いまの地球の進化全体と一致している。 (これが磁場の正体) 地球の進化計画は、地球に先行する月で、指導霊たちが、過去の土星・太陽・月などの進化期で一致して活動したことにより作り上げられた。 だから、地球全体の進化計画に沿って、無数の原子を正しい状態にし、正しく整頓することが重要である。 原子に正しい状態をもたらすことは、月の指導霊たちが、地球の進化を、宇宙の進化に沿う軌道に導いたことにより可能になった。 月の進化段階の後に地球が現れたとき、まだ今日のような地球ではなかった。そのときの地球は、「地球と太陽と月」の3つがあわさったものだった。この3つが1つの天体だった。 今日の地球を月や太陽と混ぜ合わせ1つの天体にすれば、地球の進化のはじめの姿となる。 まず、太陽が地球から分離したと同時に、人間から、あまりに希薄な、霊すぎる力が分離した。その力の影響を受けていたら、人間はあまりにも早く霊化しただろう。 だから、人間は、「地球と太陽と月」のなかに含まれる力の影響だけを受けていたら、速やかに霊化し、物質にまで発展しなかっただろう。人間は獲得すべき自己意識・個人の意識に到達していなかっただろう。 「黙示録的な現代」p73 ★ ★ ★ 人間は、物質化したために、自己や個人の意識をもてた。つまり、人間は、個人の意識を獲得するために、物質界に転生してくる。しかしあまりに個人がエゴイストで個人個人がバラバラになると、人類はおろか地球まで崩壊する。なかにはエゴが肥大しすぎて国家を私物化するようなアホバカもいる。
2015年11月27日
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前回は地球と人間が磁気で結ばれている話を紹介したが、磁気というと私には「記録」とともにカルマをどうしても連想させる。磁気をカルマから考えるために、シュタイナーの話を紹介する。 ★ ★ ★ カルマと医療(改変) http://blog.goo.ne.jp/steinerclub/e/51665aad453597a3a9b915c33a5277f0 シュタイナーは、脳の働きが心がつくっているとは考えず、肉体に受肉する魂が心の本体という見方をしていた。 周知のとおり、「カルマ」というのは「行為」を意味するサンスクリット語「カルマン」をヨーロッパの各言語が取り入れた言葉である。このカルマについて、シュタイナーは次のように考えていた。 人が何かを行為し、やがてその行為を忘れるが、あるとき、なんらかのきっかけから、またその行為を思い出す。 同じように、人の行為を世界は記憶し、なんらかのきっかけから、世界はその人の行為を思い出す。 世界がその人の行為を思い出したとき、その行為は、それを行った人に向かって返っていく。 このように、いま世界が思い出した人の行為の元を遡っていけば、過去に、その行為を行った人に原因があることがわかる。その原因を現世の人生のなかに見つけられなければ、それは前世に由来すると考えることは可能である、というのである。 (中略) たしかに、若いころの不養生が祟って、中高年になって病気になったという例は多い。その考え方を拡張して、いままでの生活のなかに病因が見つからなければ、その原因は前世にあるのではないか、という推論が成り立つ。ただ、そのように自業自得といいきるのは、病人に対して無慈悲である。 (カルマを自業自得と考えるのではなく、その人を救うカルマの切欠にすべきで、救いのカルマによって未来で救われる立場となるべきだとシュタイナーは説いている。) 病気の見舞いに来た文殊に維摩が答えた言葉がある。 「一切衆生病むを以て、是の故に我病む。若し一切衆生の病滅すれば、即ち我が病滅せん」。 この言葉には、自分だけのカルマではなく世間のカルマを担って病気になる、という姿勢が示されている。カルマを考えるとき、個人のカルマだけでなく、人類のカルマ、時代のカルマという観点も必要になってくる。 (カルマを利己的に捉えてはいけない。救われたいから、救うというのも利己主義。) 例えば、侵入してきたフン族に対して感じたヨーロッパ人の恐怖感が、やがて肉体に現われたのがレプラ(ハンセン病)というような説明を、シュタイナーはしている。 また、今後流行するのは神経症だとも述べている。そして、その原因は近代の唯物論的な世界観にあるとしている。というのも、唯物論者の無意識のなかには霊への恐怖感があり、その恐れ、不安が神経症の原因の1つとなるというのである。 シュタイナーがカルマ論の観点から病気の意味をどう考えたかを見てみるまえに、シュタイナーの医学について概観しておきたい。 シュタイナーが説いた人智学の医師たちは、人間の身体は頭部を中心とする神経-感覚系、胸部を中心とする循環律動系、腹部を中心とする栄養摂取新陳代謝系の三つからなると考えている。 そして、人体は4つの構成要素、自我、アストラル体、エーテル体、肉体からなるとし、これらの釣り合いが崩れると病気になると考えている。頭には植物の根、胸部には葉、腹部には花や実を薬剤にすると効能があると述べている。 「自我」の表現である「血液」に関連する病気は、慢性病になりやすく、遺伝する。回復のためには、真剣な生活態度と、生活環境の変化が必要であり、鉱物から採った薬などを用いると改善することもある。 心理療法も有効であるが、精神病には心理療法はあまり効果がなく、精神病の背後にある肉体の問題を探り、肉体を治療することを重視している。 「アストラル体」の乱れの表現である「神経」の病気は急性のものが多いという。この場合、食事療法が試みられたり、アストラル体の乱れを抑えるために、植物のエーテルを用いるために、おもに植物薬を用いる。 「エーテル体」の乱れの表現たる「腺」組織の病気には、アストラル体で抑えるために、動物のアストラルを用いるため、動物薬などが用いられる。 (アストラル体の乱れにはエーテルを、エーテルの乱れにはアストラルを用いる。これは陰陽の原理である。) 心は二つの側に偏る、とシュタイナーは見ていた。 舞い上がって地に足がつかないような熱狂した状態を、ユダヤ教-キリスト教の堕天使の名を取って「ルシファー的」といい、物質に固執して精神を否定する傾向を、ゾロアスター教の悪魔の名を借りて「アーリマン的」といっている。 夢想に耽って現実感覚を喪失するのがルシファー的、凝り固まって攻撃的になるのがアーリマン的である。自我が十分に作用せず、魂がこのどちらかの傾向に偏って乱れると、エーテル体の循環が変調をきたし、肉体が病むというのである。 (エーテル体は、霊魂と肉体を結びつけている糊のようなもの) 癌は、エーテル体が魂-精神に対して過度に優勢な状態から生じる。治療に当たっては、エーテル体の過剰な活動を抑制することが課題になる。そこで、自然界で樹木のエーテル体を吸い取るヤドリギを薬剤にしたイスカドールという薬が用いられる。 ヤドリギが、体内のエーテルの異常増殖つまり癌を抑制する、というのである。そして魂-精神に、エーテル体に対する劣勢を挽回させるために、芸術療法が試みられる。 (癌の発生部位によって、ヤドリギの投与法は異なる。というのも人体は上半身と下半身で逆の働きをするから。上半身は脱植物化、下半身は植物化。芸術療法は自我の利己主義を抑え、調和を取り戻すのが目的。) 現代人は偏った思考や妄想に走る傾向と、五感の刺激や官能を求める傾向の2極にわかれる。感情とのバランスを崩した形で偏った思考をもつと、心は生気を失うし、五感がたえず刺激に曝され、官能的になると思考の持続力を失う。 空気を呼吸しないと生きていけないように、心は美を呼吸しないと枯渇する、とシュタイナーの芸術治療では考えている。 (芸術の美は、周囲との協調やバランスの回復を目的とするから) 健康な生命の現われが美しい芸術となり、美しい芸術に接すると人間の生命は力を得る、というのである。他者との関係、自然との関係が閉ざされ気味になっている心を、芸術やその行為をとおして解放させる。 大まかにいえば、線描は思考(頭部を中心とする神経-感覚系=アストラル体)、水彩画は感情(胸部を中心とする律動系=自我)、彫塑は意志(腹部を中心とする新陳代謝系=エーテル体)に作用するという。 また、吹奏楽器(メロディー)が神経-感覚系、弦楽器(ハーモニー)が律動系、打楽器(リズム)が新陳代謝系に働きかける。 線(デッサン)などを描くことで、人間の意識ははっきりし、秩序への感覚が育てられる。水彩画では、何を描くかと頭を使うよりも、心で色彩を体験することが重視される。 水を含んだスポンジで画用紙を適度に濡らしておいて、そこに赤・青・黄の3色で描いていくと、画用紙が水分を含んでいるので、絵の具はぼんやりと滲んでいく。その色彩の流れや、広がりに、患者は喜ばしい解放感を体験する。 また、乾いた画用紙に、薄めた絵の具を塗って乾くのを待ち、その上にまた塗っていくという技法で、重ね具合によって濃淡と形ができていくようにすると、自分の感情に距離を保て、向き合うようになる。 患者は自分の好きなように描くのではなく、自分に欠けているものを補っていくような課題に取り組む。物事を一面的に判断する癖のある人は、いろんな角度から対象をスケッチするとか、小さなことに拘る人は大きな風景を描く等である。 言葉については、アは世界に自分を開く音、イは自分を意識する音、ウは自分の内面に帰る音、エは他者と距離を置く音、オは自分を包み込む音という風に、言霊学的な考えを基にした治療が試みられている。 韻律も重視され、「長短短六歩格」の詩を朗読すると、呼吸と脈拍の関係が正常になる。子どもの場合は、「短短長格」が自然であるという。 病気をカルマとの関連で考えるなら、「過去に犯した罪の結果、病気になった」と思うよりも、「過去の過ちを清算し、自分が高まっていくチャンスとして、いま病気になっている」という風に、病気を肯定的な意味で捉えることができる、とシュタイナーは述べている。 病気を通過しおわれば、かつての過ちは清算されて、人間は前進していくことができる。闘病はカルマ解消のプロセスというのである。 (病気を克服した代償として強靭な肉体が得られると述べている。) 病気になったときは、自分を振り返る機会なのである。自己認識を新たにして、病気を克服していくと、闘病をとおして人間の内面は強まり、新しい健康状態へと進むと考えられている。 闘病をとおしてカルマを克服していくからといって、医療により治癒回復を助ければカルマと充分に格闘できなくなる、とは考えない。治癒のために、全身全霊で、あらゆる可能性を試みることが大事であって、カルマへの影響を考えて治療を控えるなどというのは間違いである。 医療の進歩ゆえに、闘病によるカルマの解消を十分にできなかったとしても、カルマに向かい合う別の機会が運命的にやってくるという。ただシュタイナーは、科学-医学の進歩にはモラルの発展が先行しなくてはならないと考え,まだ神の領域に属する生命の問題を、神のような高度な精神性を持たない人間が操作することについては強い警告を発している。 何も考えず、努力目標のない無味乾燥な人生を送っていれば病気にならない、と人智学の医師たちは考えている。前進する人間は病気になるし、病気になる人間は進歩する。病気になるのは、人生の停滞した状態から前進に転じたことを意味する。 そして万一、病気が死に至ったとしても、闘病は来世における健康な肉体を約束する。酷く悪化した器官をどうにか使いこなし、捨てることで、海老の脱皮やトカゲの尻尾のように、来世には新しい肉体に生まれ変われる、と考えている。病気に負けたのではなく、死を通して病気を克服したという考えかたをしている。 シュタイナーは、物質の本源は光で、光が凝固したものが物質と述べている。人間の肉体も自然界も、光が物質へと凝固したものだが、人間は色んな(物質的な)欲望故に幾分穢れている。自然界は無欲だから、そのような穢れとは無縁である。 だから自然界から採ってきた薬のなかに含まれている本来の清浄な光によって肉体を癒せる。また、人間の心は愛から織られたもの、とシュタイナーは述べている。愛から織られたのに、心のなかには憎しみや邪まな思いが渦まくようになってしまっている。 (愛があまりに利己的になり、憎悪にかわっている。) 愛を注ぐことで、心を病む人は癒される、と考えられる。 人智学の治療教育の施設では、肉体などに障害がみられても精神は健常と考えている。肉体と精神が不調和な故に精神が充分に発揮できないだけで、むしろこの障害のなかに生きる自我こそが、一連の輪廻転生のなかで、特別の進化を遂げる機会が得られる、という見方に立って、家庭的な調和の生活を心がけている。 また、いわゆる障害児と呼ばれる人たちも、心は綺麗だから、社会を清潔にし、癒す存在になり得る。 ★ ★ ★ 次回に続く。社会や地球や宇宙と調和して生きるのが基本で、まず家庭生活からはじまる。
2015年11月26日
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最近の様々な自然現象をみるにつれ、人類が戦争をやりすぎて、貧富の格差が増大し、地球の現状はかなり深刻な状況にあるように思える。 唯物論では火星移住計画のようなまるでオカルトのような空想を描いているが、大人数で火星に到達することや、火星が現在の地球と全く同じ環境になるのにどれくらいの年月が必要なのかの考えも無く、この地球上で生活するのに最も適した肉体について、地球を出たらどうなるか、さえも考えず、ただ闇雲に地球の環境破壊を正当化するために、そのような幻想を抱いているのが、人類から脱落しそうな金満亡者たちである。 本当にアホバカである。地球を離れて現在のような肉体をもつ人類が暮らせる星などあるわけがなく、そんなものがあったら、なぜ人類が地球に住んでいるのか、わからなくなってしまうではないか。 キリストがはっきりと金持ちは天国にはいけないと言っているように、金満亡者こそがこの地球を破壊している連中なんである。天国を地獄化しようとしたから、天国から追放されたのが堕天使悪魔たちである。 だから人類はその反省から、この地球の地獄化を阻止し、再び楽園の天国に戻すしかないのである。そういう使命を忘れて、悪魔と一緒になってどんちゃん騒ぎをして地球を荒れたものにしているのが現代人である。 このアホバカたちは金儲けしか頭にないアホバカである。 世の中カネの力が全てと金満亡者たちは信仰しているが、カネの力が全てなら、この世に戦争や紛争がなくならないのは、カネの力のせいであるか、それらにはカネの力が及ばないかのどちらかである。 つまり、カネの力が全てと信仰するのなら、カネの力で戦争や紛争を起こしているか、カネの力が全てではない間違った生き方をしているかのいずれも金満亡者たちが否定されるべき地獄行きの行為をしていることの証である。 さて、シュタイナーの話から、人類は地球に組み込まれているので、もし人類がいなくなれば、地球も崩壊することになる。とくに人間の肉体は地球からの借り物なので、もし人類が滅亡したら、地球の循環が狂って、死を迎えるしかない。 地球と人間を結ぶものは恐らく磁場である。 現代の唯物科学でも宇宙が階層構造になっていることがわかっている。オカルトの法則により、上にあるものは下にもあるから、現在の素粒子は、かつての宇宙だったことになる。つまり磁気を生み出す電子のスピンと同様に、人間の磁気も地球の磁場を生み出している。 電子のスピンは量子力学で回転を基にする角運動量で、確率を用いた観測論で1/2と計算されているが、オカルトでは渦ということがいわれている。星雲の中心にあるとされるブラックホールの渦と同じである。 人間の自我も渦だから、渦つながりというわけである。 そのような磁場の興味深い話を以下に紹介する。 ★ ★ ★ おそらく人間を含めた「全生物」は磁場により生きている:ハトや蝶が持つ光受容体がヒトにも存在していること。そして、そのハトや蝶が「全滅」に向かっていること http://indeep.jp/magnetic-compass-cry-magr-birds-and-humans/ 人間もハトと同様の「磁場を見る目」を持っている 連休中は、近所はどこもかしこもポールシフトの話題ばかりですが(どんなところに住んでんだよ)、少し前の記事、 ・「地球は磁極のポールシフトで磁場を失うことにより、太陽風に晒され水と大気を失った火星と同じ状態を200年間経験するだろう」 … では、地球のポールシフトによって「磁場が失われた時に何が起きるか」ということについての議論をご紹介しました。 その中でご紹介した翻訳記事の中で、ドイツの地磁気専門家であるモニカ・コルテさんという科学者の方が、地球の磁場の逆転と人間の関係について、 「(地球の磁場が非常に弱くなっていても)現在、私たち人類が磁場が弱くなっていることを感じることはないのと同様に、地球の磁場が反転したとしても、私たちはその大きな変化に気づかないと思われます」 と述べていたことに対して、私自身も、 「私たち人類は磁場が弱くなっていることを感じることはない」という面があり、他の多くの動物たち(特に鳥など)が「磁場を直接見る」機能を持っているのに対して、私たち人間には磁場を直接感じる機能はないということがあり・・・まあ、体感的な違和感とかくらいはあるのかもしれないですが、少なくとも、はっきりと「磁場を感じる」ことはできません。 というようなことを書いたのですが、どうやら、この「人間は磁場を感じない」というのは間違いのようです。 どうやら、人間も磁場を見ている可能性があります。 最近、北京大学の分子生物学者、カン・シエ( Can Xie )博士を中心とする研究チームが、ショウジョウバエのゲノムを生物学的仮定に基づいてスクリーニングすることにより、 ・「クリプトクロム」という光感受体であるタンパク質 ・クリプトクロムと結びついて、自発的に外部磁場の方向を向くポリマー状のタンパク質( MagR と命名) を特定し、このふたつの結合した複合体が「磁場を向く」ことがわかり、これが、渡り鳥などが磁場を見ている源なのではないかという研究結果を先日発表したのです。 特定されたこの複合体( MagR/Cry 複合体と命名)が磁場を感知する仕組みはまだわかっていないのですが、この複合体は、磁気コンパスのように振る舞うのだそうで、動物の磁気感受と何らかの関係は持っていそうです。 コンパスのように正確に磁気に対して整列する網膜にあるタンパク質の複合体 このクリプトクロムという光受容体は、多くの動植物が持っていて、また、今回特定された複合体は、ハトや蝶やネズミ、クジラなどの網膜細胞から見つかっていて、そして、ヒトの細胞の中にも作られるのです。 ハトもショウジョウバエも人間も網膜の光受容体の有無は同じ Cryptochrome-human・Humans have a magnetic sensor in our eyes, but can we detect magnetic fields? つまり、人間の体の本来の仕組みとしては、「人間は磁場を《見る》ことができる」ようなのです。 「磁場を見る」というのは不思議な響きに聞こえるかもしれませんが、この「クリプトクロム」というタンパク質は、目の網膜にあるもののようで、文字通り「見ている」という表現で構わないようにも思います。 しかし、人間も鳥のように磁場を感じられる「根本」を持っているとすると、機能として(たとえば松果体のように)現在は働いていなくとも、感じる感じないに関わらず、人間もまた磁場の影響を受け続けているということになるとは思います。 だとすると、「人間も鳥たちのように、磁場で位置や方向を獲得することができる」という能力があるかもしれないという魅力的な話とつながると同時に、たとえば、現在の「極端に磁場が弱まり続けている状態」の中では気になることもあります。 たとえば、先ほど「複合体がコンパスのように磁場に反応する」という状態を説明しました図で、磁場で旅をする生物としての代表格して、イラストで、「オオカバマダラ(モナーク蝶)と、ハト」が出ていましたが、その2つの種の最近の生存状況(アメリカとヨーロッパのものです)は次のようになっているのでした。 それぞれの数値のソースは、オオカバマダラは、米国バーモント州野生生物局ニュースリリース、ハトは、ガーディアンです。 (後略) ★ ★ ★ 上の感光性タンパク質のクリプトクロムの話は、以下のMagR と呼ばれる磁気受容体の遺伝子と結合し、生体内で光が磁気と連動していることを匂わせてMagRの応用性が大だと結論している。 ★ ★ ★ 特に、研究チームの発見した、円筒形の複合体を形成するクリプトクロムと結合するタンパク質を産生する MagR と呼ばれる磁気受容体の遺伝子の存在が大きい。 MagRは、感光性タンパク質のクリプトクロムと結合し、外部磁場の方向に自発的に整列するのだ。 ★ ★ ★ 人智学からもわかるが、人間が磁気を帯びているのは、人間の行為を地球が記録するためで、また地球の運動を宇宙が記録するのも磁場を介することがわかる。 その磁気で記録された本のようなのがアカシャ年代記である。つまり、MagRは、霊能力とも深く関係していると思われる。
2015年11月26日
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シュタイナーの4つの気質の話を紹介してきたが、そのなかで、気質を自覚させ気質をコントロールさせる方法として、次のように同じ気質同士の集団をつくることが挙げられていた。 ★ ★ ★ 同気質で対面する方法がある。胆汁質の子どもと競争して、大人が胆汁質的にがんばって勝ったり、多血質の子どもと一緒にいて、大人がその子以上に多血質的に振る舞ってみたり、粘液質の子どもには、その子以上にゆっくりしてみたり、憂鬱質の子どもには、娯楽(喜劇)で楽しませようとして、失敗して、自覚させる方法である。 また、例えば、粘液質の子ども同士だと、お互いうんざりしてきて行動を起こすのだそうです。胆汁質同士だと誰もリーダーになるのを許さないので、あきらめるのを学ぶというのです。 ★ ★ ★ というように、同じ気質同士だと、その気質が過剰に現われて、その欠点が炙り出され、自覚するようになる効果を狙ったものである。この方法のように、この地球もいってみれば、似たような気質の人類が集まって、自分の気質の欠点が炙り出されているようなものとも考えられる。 このような話は一種の共鳴現象を用いたものである。 さて、以下の画像のように、イスラム国=米国戦争屋で、悪も気質の一つだとすると、テロリストを生み出したのは米国戦争屋とその偽ユダヤ一味ということになる。ネットではもはや定説である。連中が人類支配と金儲けのために、人殺しの戦争をし、人々の憎しみを煽り、人類をアホバカにしてきた張本人たちである。 ★ ★ ★ アメリカ政治評論家、「逮捕されたISISメンバーの多くがアメリカ人」 http://s.webry.info/sp/richardkoshimizu.at.webry.info/201511/article_199.html ★ ★ ★ 以前「チャイナ迷路」という実話を基にした小説を紹介したが、共産党の指導者の多くがCIAだったことから、偽ユダヤの両建て戦略であることは明らかで、連中が敵と罵るのは見え透いている嘘の何者でもない。連中が敵をつくって戦わせているだけである。 コミンテルンをつくったのもロックフェラーだし。全く馬鹿馬鹿しい話で多くの人々が殺されてきていまも殺されているのである。早い話、金持ちは皆こんな輩だと思えばいい。キリストだって金持ちは天国にはいけませんと言っているほどだしね。 このような偽ユダヤの金持ちたちは、キリスト=イエスを十字架刑に架けた連中である。反キリストだからこそ反キリストのテロリストをつくれるわけである。こういう連中を神はなぜ放置しているか、といえば、人類が悪を学ぶためである。悪を学ばずに染まってしまえば、身から出た錆で自業自得で滅んでいくわけである。 真事に神は賢い。人類が悪に染まれば滅ぶし、悪から学べば再び天使に返り咲く。 つまり、この地球に転生することは、自分のどこか悪しき面が地球の悪と共鳴し炙り出されて自覚するためであるともいえる。自分の悪しき面をみつめることが天国への一歩であることを、親鸞は悪人正機説で示したのだろう。 というわけで、シュタイナーの悪魔の話を続ける。 ★ ★ ★ アスラの介入 現代人は、ルシファーやアーリマンとは別の存在たちが人間に忍び寄ってくる時代を迎えつつある。このような悪の存在たちは、これから迎える人類の未来に、人類の進化の中にますます介入してくるようになるだろう。 (悪魔と向き合うことが人類の試練である。) ルシファーたちがレムリア時代に介入し、アーリマンたちがアトランティスの時代に介入したのと全く同じように、ある悪の存在たちが少しずつ、現代に介入してくることになるだろう。(P67) そして、まもなく到来する時代には、意識魂と自我の中に、なぜなら、この時代には、自我は意識魂の中に埋没するからだが、アスラと呼ばれる悪の存在たちが忍び込んでくる。アスラたちはアトランティス時代のサタン(アーリマン)の力やレムリア時代のルシファーたちよりも、遥かに強力に集中した力を用いて悪を発達させるだろう。 ルシファーたちは、人間に自由の恵みとともに悪を与えた。人間は全て、ルシファーがもたらした悪を、地上で時を過ごす間に、完全に脱ぎ捨てねばならない。また更に人間は全て、アーリマンがもたらした悪を、カルマの法則の成就により脱ぎ捨てねばならない。 しかしアスラがもたらす悪は、このような方法で贖うことはできない。人間が悪の可能性を備えているにも関わらず、なお高次の世界に向かって進化できるように、善霊たちは人間に痛みと苦しみ、病気と死を与えた。 また善霊たちはアーリマンの力に対抗して、人間が犯した過ちを再び取り除くために、カルマを与えた。 しかし、人間が地球上にいる間に、アスラたちに対して対抗手段を講じることは簡単ではない。なぜならアスラたちは、人間の内の最深の自我と一体となった意識魂を捕え、捕えた人間の自我が地上の(物質)感覚と一体となるように影響するからである。 そうなると人間の自我の一部が、少しずつもぎ取られていくことになる。そして、「アスラたちが意識魂の中にしっかりと入り込んでいる」度合いに応じ、人間は地上に自我の一部をなんらかの形で残さなくてはならなくなる。 一度アスラの力の虜になった者は、自我をもはや取り返す術もなく、そのまま失われていくだろう。「人間の精神全てがアスラの手中に陥る」わけではないが、一部がアスラの力によって切り取られることになるだろう。 「現代を支配している(物質)感覚の中だけで生き、霊や霊界を忘却する精神」と呼ばれる中に、アスラの力が予兆となって現れている。つまり「現代人を誘惑するアスラの手口は、益々唯物論(俗物)的になっている」といえる。 (振り込め詐欺もその一つと考えられる。金銭さえもらえればよく、人の心を汚すことなど考えない。) 現在、アスラの力は頻繁に「人間の自我は、物質界が生み出したものにすぎない」という嘘を信じ込ませようとしている。アスラの力は、唯物論へと理論的に誘惑しようとしている。 そしてアスラの力は、更に長い時間の経過とともに、その予兆は、現在地上へと益々降り注いでくる荒廃した情熱に溢れた物質感覚に現れているが、霊や霊力に対して人間の目を一段と曇らせていくことになるだろう。 すなわち、人間は霊界について何も知ろうとしないようになるだろう。人間は、「人間の最高の道徳的な理念とは、動物的な意識が高いレベルで形成されたものにすぎない」と考えるようになり、そのような考えを教え広めるようになるだろう。 また人間は、「人間の思考は、動物でももつ感覚が変化したものにすぎない」という嘘や、そして、「人間の姿は動物に類似するだけでなく、人間の本質は動物から派生した」という嘘を教えるようになるだろう。 それだけではない。人間はこのような見解を実行に移し、そのように生きるようになるだろう。 現在(1920年代)、「人間の本質は動物に由来する」という言葉の通りに生きる(動物)人間は、まだ一人もいないが、このような世界観は確実に現れる。 (日本人はかつてエコノミックアニマルと呼ばれ、いまや「社畜」という名も。) そしてその結果、人々は、このような世界観と共に動物のように生き、動物的な意識や情熱の中に沈み込んでいくだろう。 ここではこれ以上詳しく述べない幾つかの現象、現在、特に大都市の様々な場所で、官能的で虚しく荒廃した乱痴気騒ぎなどとして現れる現象の中に、アスラと呼ばれる悪霊たちのグロテスクな地獄の闇が垣間見れる。(P71-P73) (ハロウイーンなどの乱痴気騒ぎ。) 律動学 自然現象の多彩な表層や幻影を越えた瞬間、その奥の霊に遭遇する。つまり、いわゆる波動が粗雑な物質を探求する試みは全て無意味なものとなる。 自然の根源として、粗雑な物質感覚を探求するのを将来やめたなら、恐らく人類は四千年紀(西暦3000年代)までは、そのような方向で進むだろうが、人類は全く別の真相に到達できるようになるだろう。 そのとき人間は、自然のいたるところにリズム(波動)を、つまり律動的な秩序をみつけるだろう。このような律動的な秩序は確かに存在するが、現在の物質主義的な学問は概して、このような律動的な秩序をただ好奇な目で眺めているにすぎない。 このような律動的秩序を、私(シュタイナー)はゲーテアヌムという建物の中の七本の柱として具体的に表現した。このような律動的秩序は、実際に自然の中にも存在する。例えば植物の葉は、次から次へと律動的に成長する。また、植物の花びらは律動的に配置されている。全てが律動的に整えられている。 人間が病気に罹るときにも、熱が律動的に現れ、再び律動的におさまってゆく。生命全体が律動的な性格を備えている。将来、真の自然科学はこのような自然のリズムを解き明かすようになるだろう。 また人間は、自然のリズムを知ることで、技術の分野でも律動学を利用するようになるだろう。共鳴振動を用いて、小さな振動を引き起こしてから、大きな振動へと発展させていき、つまり小さな共鳴から、途方もなく大きな作用を引き起こすことが、未来の技術の目標となるだろう。(P181-P182) ルシファーとアーリマンの混同 現代人はミルトンやクロップシュトックが描写した霊界を読むだろうが、これらの文学作品から何を読み取るのか。 人智学から、これらの本を読み解くと、ルシファーの特性が「神」と呼ばれ、誤用されているのがわかる。クロップシュトックやミルトンなどは、「神」として現れるルシファーと(それと対峙する)アーリマンとの間の戦いを描こうとした。 近代の人類が描写する「神」のほとんどは、ルシファー的な悪魔にすぎない。しかし人類はアーリマンと同様に、このようなルシファーに関わる問題をほとんど理解できていない。 このことは、ゲーテの『ファウスト』のメフィストフェレス(悪魔)が「主」と対する場面にも関係する。ゲーテもまた、アーリマンをルシファーと区別できなかった。そのためゲーテの描いたメフィストフェレスは、ルシファーとアーリマンが混じり合った悪魔となった。(P212-P213) アーリマンはヨーロッパ人として出現する 紀元前の時代をルシファーの時代とするなら、現代はアーリマンの時代である。これから先アーリマンの影響はますます強まる。そしていよいよ、アーリマンは地上に受肉する。 その時は西暦二千年代の初めであり、場所はヨーロッパである。この受肉とは、西洋の古典絵画に描かれたようなカリカチュアのようなものが出現するのではなく、「ある非常に知的な人間にアーリマンが憑依し、この人間を通じて地上で活動する」という意味である。 また、このように地上に受肉したアーリマンは「西欧にアーリマンの学院を創設し、多くの人間にアーリマン的な知恵を植え込もうとする」。アーリマンの受肉を体験することは、人類にとっては避けることのできない運命なのである。(P221-P222) ★ ★ ★ 悪に共鳴する自分のなかの悪と対峙し、その悪を克服することが人生の目的である。だから悪が生じること自体が悪なのではなく、悪は、自分のなかの悪をわからせてくれる存在であり、自分のなかの悪をどう扱うかが問題なんである。 悪を隠そうとするのが最も偽善で悪である。
2015年11月20日
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シュタイナーは予言めいた発言もしていて、それらのほとんどが現代社会の事の成り行きを言い当ててもいる。前回紹介したアーリマンという悪魔が統計を用いて、人間を数値化し、人類を騙すことを、「悪の秘儀」という本のなかで述べている。 例えば、ガンが増加するのもアーリマンの働きである。ガンは自我の分裂により起こる。ガン細胞は、元々は自我から生じたので、免疫は自己と認識してしまう。 アーリマンは人類を物質界に閉じ込めて支配しようとしているから、ガンはそのための前線部隊といえる。ガンは人間が霊魂の存在であることを知らずに、唯物論に洗脳され、自我がエゴ化し、物質欲に目覚めることで生じるからである。 アーリマンは人間に物質性、つまり硬化的なものをもたらす。関節が硬直し、血管が硬化するのもアーリマンの働きである。そのようなアーリマンについてのシュタイナーの話を紹介する。 ★ ★ ★ 悪の秘儀 http://roseandcross.kakurezato.com/page014.html 現代の教育は人間をあまりにも早く(精神的に)老いさせる (現代人の寿命は最大150歳といわれているが、古代アトランティス時代では数百歳生きるのが普通だったという。) 今日(1920年代)行われているような授業が続いていくならば、あまりにも早く老け込み年老いてしまうだろう。なぜなら、このような授業はアーリマン的だからである。アーリマン的な授業は人を老いさせる。現在の教育法は、すべてアーリマン的である。 この20世紀では、アーリマン的な教育が行われているために、人類の進化はアーリマン的な方向に向かっている。しかし、20世紀以前の時代では事情は異なっていた。(P28) 古代人は今とは逆に「老いることがない」という危険に曝されていた。今から8000年前の時代から、西暦紀元の始まる頃まで時間を遡ってみる。 当時は、現代とは異なり、その頃の人間は「老いることがない」という危険に曝されていた。このような時代には、現在のような義務教育という意味での学校は存在しなかった。学校は、かなりの年齢に達してから正式に学者になる人のためだけに存在した。 (いまの大学院みたいなものか) 古代には、子どもの教育のための学校はなかった。子どもたちは学校にいかず、人生の中で勉強をした。子どもたちは実際に目で見るなかに様々なことを学び取った。だから、未知のものを子どもたちに教えようとして大人が骨を折ることもなかった。 この時代には、人類は完全にルシファー的ななかに入り込み、ルシファー的な熱狂に没入してしまう危険があった。確かに古代にはまた、人智学のなかで述べてきたような数多くの叡智も存在していた。 しかし当然ながら、このようなルシファー的な傾向は制御されなければならない。もしそれを放置していたら、太古の人々は一日中幽霊の話ばかりしていただろう。当時の人々は、特に幽霊の話を好んだ。 (ギリシャ神話になっている) だから、次のような結論に至る。「太古の昔、いまから8000年前の時代から西暦紀元の始まる頃まではルシファー的な時代だった。そしてそれから、アーリマン的な時代がやって来た」。(P28-P29) 近代以前、福音書は禁書だった キリスト教の最初期の時代から12、13世紀、さらには14世紀に到るまで、キリスト教徒が聖書を読むことは禁じられていた。新約聖書を読むことは禁じられていたのである。新約聖書を読むのが許されていたのは聖職者だけだった。一般の信者が聖書を読むことは許されなかった。 なぜか? その理由は、聖職者たちが、「聖書は正確に解釈しなくてはならない」という事実を知っていたからである。聖書が成立した時代には、今日の人間のような、言語を用いた論理的な思考法がなかったからである。この時代の人々は図形や音などのイメージを用いて思考した。だから、聖書に書かれている言語は正確に解釈しなくてはならない。(P43) しかしいまや「福音書を読むための思考の準備を必要としない」時代がやって来た。一般的に、現代人は、正確に意味を読み取るために、思考の準備をしない。学校で知識を身に着け、正確な意味を読み取るための準備をするからである。つまり学校で思考の躾をされる。 このような躾が不要となる頃、つまり14歳、15歳を過ぎる頃には、もはや思考の準備を必要としない。そのときには、母国語を大体理解できるようになっていなくてはならない。これが現代人の一般的な思考となっている。(P45) サタンの別名 アーリマンやメフィストフェレスなどの名称を正確に捉えるなら、中世の人々がサタンと呼んだ悪霊である。(P58) (デーモンがルシファー) 世俗の学問がもたらすもの 現代人は、唯物論では解明できない世界を認識できなくてはならない。唯物論を土台とした単なる世俗の学問だけでは、人間は幻影にとりつかれるだけだろう。 根本的な意味において、世俗の学問は次第に人類を愚かにし、愚かな行為へと掻き立てていくだろう。現代でも既に十分すぎるほど愚かな行為がなされた。 それは第一次世界大戦という災厄で大いなる愚行のことである。現代の世俗的な学問に浸透された多くの人々が、世界大戦に関与していた。 (現代のテロリストを産んだ連中も、CIA=MI6=モサドなどの戦争屋の犬たちである。人類を攪乱し同士討ちさせて憎しみにより支配するためである。) アーリマンの活動 紀元前三千年紀の初めにルシファーが受肉したのと同じように、またゴルゴタの秘儀の時代にキリストが受肉したのと同じように、しばらくて後の西暦三千年紀に、アーリマンは西洋に受肉することになるだろう。 人類の進化計画においては、一方の極にルシファーの受肉があり、中央にキリストの受肉があり、他方の極にアーリマンの受肉が位置する。(P107) アーリマンが用いる洗脳の手口の一つは、特に近代以降支配的な唯物的思考法で、それは古代の霊的な図形や音のイメージの思考法が人類には非常に大きな意味をもつのを見破られないようにする詐欺(幻影)的な学問に他ならない。(P110) アーリマンは自らの受肉を最も実り多いものとするために、次のような点に非常に大きな関心を寄せている。 人間が、このような幻影の学問を完全なものにし、基本的に現代の学問は総てが幻影なのだが、それが幻影にすぎないのに気づかないように、アーリマンにとって都合がよく洗脳することである。 (シュタイナーによると、このような洗脳学問の学院をアーリマンはかつてゴンディシャブールに建てたという。そこから西洋の科学の権威のフランシスベーコンが生まれたという。西洋の唯物的科学は、このアーリマンのイスラムに建てた学院に由来するという。) アーリマンは、人間に数学を教えることに最大の関心を抱いているが、教えるに際し、「数学かつ力学から得られる宇宙についての見解は、単なる幻影にすぎない」という事実だけは人間には隠しておくことにしている。(P114-P115) 現代のあらゆる集団が基礎認識としている唯物的学問からくる幻影に基づき、社会学までも形成しようとしているが、三千年紀に到るまで、その幻影が人類を支配するならば、アーリマンが人間として西洋文明の中に現れ、地上に幻影が蔓延しているのをみつけるなら、アーリマンは極めて大きな勝利をおさめるだろう。 いま述べたことから誤った結論を導き出してはならない。もし現代の学問が幻影を生むものとしても、それを避けようとするなら、それは誤った結論である。現代の学問について知らなくてはならない。 現代の学問から生じるものは、総て知っておかなくてはならない。しかし、幻影にとり憑かれてはいけない。そうすれば、現代の学問から生じる幻影としての局面は、人類の教育に不可欠のもので、いずれ全てが明らかになる。(P116-P115) 「人間を学問から生じる幻影に縛りつけておくこと」が、アーリマンが自らの受肉を有効にするのに用いる洗脳手段なのである。(P118) アーリマンが用いる第二の洗脳手段は「あらゆる集団を煽動することで、互いに反目し合う小さなグループに分裂させること」である。 このようなアーリマンの力は、集団の間に不協和音が生じるところを見逃さず、どこにでも作用する。こうした不協和音の多くは何に起因するのか? ある典型例から考えてみる。 現代のプロレタリアートはカール・マルクスを信奉してきた。「カール・マルクスの学説は、現代のプロレタリアートの間にどのように広まっていったか」を正確に認識してみる。そして際限なく、計り知れないものへと過激なまでに向かおうとするマルクス主義の文献に目を向けてみる。 その文献では、現在普通に行われている学究的な考察法が極めて明確に使用され、様々な事柄が厳密に証明されている。全てが極めて厳密に証明されているために、かなりの人々が、当初は、誰も予想しなかったが、マルクス主義の手に落ちてしまった。 で一体、マルクス主義とは何なのか? 最初、マルクス主義はプロレタリアートの間に広まった。マルクス主義は、大学で教えられている学問からは厳しく退けられたが、現在(1920年代)では、大学に所属する学者のうち幾人かが既にマルクス主義の理論を受け入れている。 このような学者たちはマルクス主義を認め、もはや抜け出せなくなっている。なぜならマルクス主義の文献を読むうちに、それが導き出す結論が相互に見事に符合し、現代の学問的な思考法を用いて実に正確に証明できることが、次第に明らかになってきたからである。 もしカール・マルクスが正反対の結論を証明したなら、こんどはプロレタリアートではなく、ブルジョワジーがマルクスを受け入れただろう。 というのもマルクス主義の立場から、法や道徳などのイデオロギー的性格や、剰余価値の理論や、唯物論的な歴史研究について、証明できるのと全く同様に、反マルクス主義の、正反対の立場からも、それらを厳密に証明できるからである。 一市民としてブルジョワなマルクスが、マルクス主義とは正反対の立場から、同じくらい厳密な方法で証明することも可能だった。この証明にはインチキや誤魔化しの入り込む隙はない。マルクス主義と逆の立場でも、マルクスの証明は完璧なものとなったはずである。(P120) 支配者タイプの歴史的変遷 先に「ルシファー的な時代」と述べた古代まで時間を遡ってみると、当時の支配者はどういうタイプだったのか? 当時の支配者は秘儀参入者だった。エジプトのファラオも、バビロニアの支配者も、アジアの支配者も、すべてが秘儀参入者だった。(P123) アーリマンと民族主義 最近(第一次大戦後の国際連盟成立期)、世界中で「民族的な国家を、民族的な王国を打ち建てなくてはならない」という声が叫ばれているのを耳にすることが多い。「それぞれの民族の自由」について実に多くが語られている。 しかしながら国家が、血や部族のつながりによって建設される時代は、既に人類進化の中では過去のものになった。だから今日、知性や精神の中から生じたものでない、民族や部族などの肉体的なつながりがアピールされるなら、人類の間に不協和音が生じることになるだろう。 アーリマンの力は、この人類の不協和音を特に利用する。民族的なショービニズム(愛国主義)、あらゆる倒錯した愛国主義を題材に、アーリマンは自分が必要とする人類支配を組み立てる。(P205) ★ ★ ★ 恐るべきアーリマン=サタン。いまや阿修羅=アスラとともに、人類を憎しみの上に支配するためのテロリストを生み出してしまった。
2015年11月20日
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前回紹介した、巷にインチキ統計が跋扈している要因はダマスゴミらが恐らく文系出身者が多く、せいぜい高等学校レベルの数学しか学んでいないので数学に無知なのと、というのは高校では無限大をほとんど扱わないからだが、なんでも統計を当てはめてしまう生兵法は怪我のもとになっているせいである。 統計というのは扱うサンプル数で全く異なってくる。そして、統計を適応するなら、最低限、国勢調査のように全体をくまなく調べないと駄目な代物で、集合論で、サンプル数を少なく見積もれば見積もるほど曖昧になってくる。 それに中央値と平均の違いさえもわからないデータが多く、そもそも、この物質界で起こる現象は時間の進行を基に止まることはないから、日々発展する非線形現象なんで、統計のような線形解析を用いるのは土台無理な話で、現在の全体の大まかな傾向や方向性しかそれも断片的にしかわからない。 オカルトでは、物質界以外も想定しているが、統計は唯物論のそれも生物の循環を度外視し、時間変化をほとんど吟味せずに大量な同じ物質の機械的進展の傾向を評価するものである。死んだデータというか、過去に固定されたデータの解析には役に立つが、現在進行中の事象や未来などの予測には、ほとんど役に立たない。 それでも統計教の信仰者は、天気予報を挙げるだろうが、あれはほとんど現在の天候観測を基にしたもので、天気図からもわかるように、経験によるデータ蓄積の賜物で、人間の経験からの予測と似たモノで、純粋な統計データとは言い難く、人工知能に近いもので、数学というよりは、気象物理学で、それでも100%当たるわけではない。 さて、ダマスゴミといえば、唯一みる新聞は日刊ゲンダイだけなのだが、昨日統計を全く理解できていないヘンテコな記事が載っていた。それは、先のWHOの加工肉の発がん性に対する発表への食肉界の商業主義によるWHOへのネガキャンのようなものだった。 このブログでも紹介したが、WHOの発表は加工肉だけの発ガン性を述べたものでなく、加工肉だけが独り歩きをしているダマスゴミの報道に問題がある。 その記事は誰が書いているのか不明だが、ネガキャンのやり方が疫学調査への無知蒙昧から生じているもので、統計データに対して、加工肉の発ガンの仕組みを発表しないのはおかしいと、論点のすりかえかたが常軌を逸し、子供のような反論なんで思わず笑ってしまった。 発ガンの仕組みがわかってないから疫学調査しているわけで、もし発ガンの仕組みがわかったら、食肉業界は全滅である。統計データとは、大筋の傾向を現わすもので、加工肉を食べると必ず発ガンするとはいっていない。過剰に反応するのはかえって疾しいことをしているのではないかと勘繰ってしまう。 WHOの発表は何も目新しいものではなく、昔からいわれていたことを科学的にも統計データで示したにすぎない。ただ確認しただけである。肉食しすぎると、発ガンのリスクが高まるというだけにすぎないし、そもそも統計データから、四人に一人はガンで亡くなっているわけで、もはや現代の生活ではガンは身近なものである。 統計データからわかることはガンが身近になったということである。それは肉食を商業化し、定着化させたツケでもある。今更菜食しろといっても、生活環境が激変してしまうのに肉体がついていけないだろう。 むしろガンに罹るのを恐れるのではなく、ガンに罹る前にしておくべきことや、ガンに罹ったら何をすべきかを考えるべきである。 間違えて欲しくないのは、限度を超えて摂取すると、どんなものも毒になるというホメオパシーの原理である。 恐らく、昭和初期の日本の生活と比較すれば、当時の日本人の体質には肉の摂り過ぎで毒になるだろうが、三世代続けば、それを無毒化するだけの免疫が進化するはずだから、現代では少々の肉食で疾患を誘発することは少なくなっているはずである。 そういうわけで、科学的データというのは表面だけを取り上げても意味がなく、隠れた意味を炙り出してやらないと駄目なんである。 その一連の顛末の話を以下に紹介する。 ★ ★ ★ ハム業界の逆襲でうやむやに…加工肉発がん性問題の真相 http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20151118-00081849-diamond-nb ウィンナーの販売が2割減! 「加工肉に発がん性」は本当か? 10月26日、世界保健機関(WHO)の国際がん研究機関(IARC)が、ハムやベーコン2~3枚分(50グラム)を毎日食べ続けると、がん発症率が18%高まるというデータを示し、「ヒトに対して発がん性がある」という評価を公表したのは記憶に新しいが、今度はお歳暮商戦が目前に迫った大手加工肉メーカーが、相次いで「ネガ情報に対するカウンター」を打ち出している。 まず、口火を切ったのは業界トップの日本ハム。末沢寿一社長は10月30日の決算会見で、「基本的に日本人の摂取量では問題ない」という原発事故後の政府答弁のような表現で安全性を強調、国内研究機関の調査を引き合いに出し、発がん性は確認されていないと反論をした。 丸大食品もこれを援護射撃するかのように今月10日の決算会見で、IARC公表直後の数日、ウインナーの販売が2割ほど落ちたことを明かし、科学的根拠のない風評によって営業妨害をされる「被害者」という立場を強調した。 北米食肉協会(NAMI)はIARCの発表を、望む結論に誘導していると厳しく批判するだけではなく、「IARCが発がん性がないと断言するのは、ヨガのパンツくらいだ」などとコケにしている。それに比べるとかなり控えめな反撃だが、言葉の端々からも「世間知らずの学者がバカな研究結果を公表したせいで大迷惑だよ」という怒りが伝わってくる。 そんなムードは当然、メディアの論調にも色濃く反映されている。 「加工肉に発がん性」評価、情報の見方には注意が必要(朝日新聞11月19日) 「加工肉に発がん性」 WHOが火消し、「ソーセージ大国」は激怒(FNNニュース11月13日) こういう報道を見るたび、毎日ベーコンやらソーセージやら、なにかしらの加工肉を食している身としては「ですよねえ」と胸をなでおろしているのだが、そういう個人的嗜好を差っ引いて、ここまでの論調を客観的に振り返ってみると、加工肉業界側の緻密な「広報戦略」の存在に気づく。 どのようなものかというと、IARCの公表に対してただ闇雲に反論をするのではなく、微妙な「論点ずらし」をおこない、時間が経過するにつれてまったく異なる話題へ見事にすり替えるという戦略だ。 IARCの公表の真意は 一体どこにあるのか? そもそも、WHOは「ハムやベーコンを食ったらガンになる」とは一言も言っていない。ややこしい話になるが、全世界で約800ある研究論文や科学文献などを精査してみると、「ヒトに対して発がん性がある」と評価するのが妥当だと述べているのに過ぎないのだ。 細かい程度はわからないが、発がん性があるよというわけで、そこで「容疑者」として挙げているのが、「加工や調理の過程で生成される化学物質」だ。名指しはされぬものの、これが「亜硝酸ナトリウム」だというのは容易に想像できる。 加工肉が黒ずむのを避けて美味そうな艶を出す発色剤「亜硝酸ナトリウム」単体は発がん性物質などではない。ただ、魚などに含まれるアミン類と反応すると発がん物質となるという研究もあって、1970年代から加工肉批判の根拠とされている。 そんなトラディショナルな疑惑をIARCが蒸し返しているのは、牛肉や豚肉という「加工前の肉」が「発がん性がある」と評価されていないことが大きい。要は、肉に問題がないのなら、加工時につけられる添加物がクサいという消去法である。 こういうIARC公表の「真意」を受け取れば、普通の感覚では「添加物」に関心がいく。しかし、どういうわけかほとんどのメディアが「公表結果を鵜呑みにするな」とか「業界は猛反発している」などというポジショントークに終始しているのだ。ぶっちゃけ、かなり不自然だと言わざるをえない。 いやいや、それは「加工肉=添加物」だから、わざわざ改めて添加物問題を取り上げないのよと考える人もいるかもしれないが、添加物を使わない「無塩せきハム」や、「無添加ソーセージ」も世の中にはちゃんと流通しており、立派に市民権を得ている。たとえば、信州ハムという中堅企業が販売する無添加ハムシリーズ「グリーンマーク」などは、IARCの発表が出る少し前、誕生40周年を迎えている。 そういう市場の現実や消費者の健康志向をふまえれば、「添加物」の是非を問う記者がひとりくらいたっていいのだが、みなさん気持ちがいいくらいにスルーしている。なかには、「食事はバランスが大事」とか本題とあまり関係のない結論へ誘導するメディアもある。 つまり、IARCが「加工肉は化学物質がクサい」と暗に示唆したのだから「添加物ってどうなのさ」という話題になるべきところを、いつの間にやら「ソーセージやベーコンでがんになるなんて極端な話、みなさん信じられますか? 」という二者択一の議論へとミスリードされているのだ。 実際に、加工肉業界も明らかにそれを意識していたフシがある。業界団体の日本ハム・ソーセージ工業協同組合が出した「加工肉に関するIARCの発表について」というステートメントでも、国立がん研究センターの研究成果なども引き合いに出して安全性を強調しているものの、そこには「化学物質」や「添加物」という文言は一切登場しない。これは平時の加工肉業界の姿勢から考えると、かなりしっくりこない。 (後略) ★ ★ ★ 確かに加工肉の添加物は発ガン性を高リスクにするが、赤肉だって、加工肉ほどではないが、発ガン性を高リスクにするとWHOの発表関連で続けて公表されている。結局、バランスのよい食事をとりなさいといっているだけである。 このように統計を用いて人類を騙す悪魔を、シュタイナーはアーリマンとして説いている話を以下に紹介する。 ★ ★ ★ アーリマンと統計学 現代人の知性は事物の表面的な理解にとどまり、事物の真相が存在する奥の層にまで参入しない。この奥にまで参入するには思考力を高め霊視を獲得する必要がある。 現代人は、特有の悟性で、事物の表層にとどまるのを好み、悟性よりも深い霊力を用いて、更にその奥にある事物の本質がある層に参入するのを好まない。自分の周囲の外界のなかの奥にまで参入できれば、この事実に気づくはずだが、外界の外見や上辺だけにとどまるのを好むので、その好みにより、真理に達せずに、欺かれていることがわかる。 現代人は学問を用いて数字で評価するのを好み、社会生活の霊的な感情が関わる色々な場面ですら、数字で評価するのを好む。社会学をみてもわかるが、それらのほとんどに統計が用いられ、成り立っている。そして重要な事例を、統計から、つまり数字から推論する。 なんでも数字を用いて証明し、信用を獲得しようとする。数字は証明の手段ではなく、詐欺師が人を欺く手段なのである。 現代人が、数字から事物の質そのものへと目を向けず、数字を越えて質そのものを見なければ、数字に騙されることになる。数字が証明の手段に持ち出され、証明の手段と見なされることで、アーリマンは目的である人類の支配を達成してしまうだろう。(P207) ★ ★ ★ 統計が蔓延る現状では悪魔の支配が確立してしまう。
2015年11月19日
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この国では、なぜだか「インディアン嘘つかない」という台詞が流行ったことがあったが、では日本人はどうかというと、イギリスの大学が、最近、小規模な調査をしたのをみると、バレる可能性が少ないとわかると、なかなかの嘘つきぶりであった。 アホバカ総理をみればわかるが、バレても権力で嘘を押し通せばよいという人間失格の地獄行きの確信犯がウヨウヨいるのがこの国なんである。特に上級国民といわれる連中は、嘘を権力で塗り固め自己保身に余念がないようである。 そのデータによると、イギリスが上位なので、ちょっとおかしいのではないかと思えてくるが、イギリス人は嘘つきでなく、二枚舌とすれば納得がいく。 では嘘と二枚舌はどう違うのか、といわれると困るが、恐らく、イギリス人は嘘つきであるという前提で、嘘をつくのが二枚舌で、イギリス人はときには正しいことをいうという前提で嘘をつくのが嘘だと思う。 このことはイスラエル建国の経緯やイラク戦争のときのブレア元首相をみればわかる。 いずれにしろ、サンプル数が1国100人しかなく、全体で1500人ほどでしかないので、統計的データとしては全く信用に足らないもんであるが、以下のようにイギリス人の二枚舌に騙されないように紹介する。 ★ ★ ★ 世界国別対抗「正直度オリンピック」:「コイン投げ」と「音楽クイズ」から、各国の人々の正直さと道徳性を調査する世界的調査での日本の極端な順位に対する「納得感」 http://indeep.jp/test-how-honest-country-people-of-japan/ 国別の「正直度」を調査する初の大規模実験にて、今日、下のようなタイトルの記事を見かけました。 ▲ 2015年11月16日の英国 Daily Mail より。 イギリスの名門、イースト・アングリア大学が、15カ国からの 100人ずつ 1500人を対象に、 「人たちの集団が正直かどうかが、国によって差があるのかどうか」 ということを「2つの実験」から調査したというものでした。 いろいろな意味で興味深いもので、今回はこの記事をご紹介したいと思います。 実験は、 1. コイン投げ実験 2. 音楽クイズ実験 という2つの実験で、最初に結果を書いてしまえば、それぞれの実験に「国別の正直度には、かなりの差があった」ということになります。 上のそれぞれの実験のランキングは下のようになります。上位になればなるほど、正直度が高いということになるという解釈でよろしいかと思います。 本記事中に詳細なスコアのグラフもあります。 いろいろな国があるのですが、何はともあれ、日本。 「音楽クイズ実験」では、日本の正直度は1位です。 しかし、それに対して、「コイン投げ実験」では下から2位。 ずいぶんと違った結果となっています。 実験の内容は、本文にも書かれてありますが、少しわかりにくい部分があるかもしれないですので、それぞれが、どういう実験かを記してから、本記事に進みたいと思います。 私も理解するまで少し時間がかかりました。 「各国 100名からなる 15カ国総勢1500名の被験者からのオンラインでの回答」ということが前提で、 ・各自でコインを投げてもらい、それが表向きとなって落ちたか、下向きとなって落ちたかを申告してもらう。 ・「表」が出たと申告した場合は、5ドルなどの「報奨金」が出る。 ・その統計結果を調べてみる。 というものです。 オンラインでの申告で、他者のチェックはありませんので、「正直に言ったかどうかはわからない」ものとなるかと思われるかとも思いますが、このテストのポイントは、 「表が出た場合しか報奨金は出ない」 というところで、つまりは、 「表が出たと申告すればするほど、報奨金がもらえる」 ということになります。 それに対して、 「コイン投げで表と裏が出る確率は同じ」 ですので、報奨金が出る「表」に偏った回答が多すぎると、嘘である可能性が示唆されるということです。 それで、そのデータの結果、 「ある国の人々の【表】の回答が コイン投げの表の確率の50%と乖離していればいるほど、その国は不誠実な回答が多い」 (コイン投げの確率が確実に50%となるには、100回位投げないと駄目だろうから、報酬は最低50回で250ドルになるが、この実験は何回投げたのか? というか、確率を知っていれば、投げるほど、50%になるから、報酬との兼ね合いが問題となる。) ということになるようです。 そして、結果として、 ・最も正直と判定された英国は「表」と報告した人の数が「ほぼ 50%」 ・最も不誠実と判定された中国は「表」と報告した人の数が「全体の 80%以上」 となったと。 ちなみに、日本も「表」と申告した人の数は 80%に近くとなっており、50%を大きく上回っていて、かなり多くの日本の人たちが、「報奨金をもらうためにウソの申告をした可能性がある」ということが言える結果とはなっています。 この実験での日本人の正直度は、15カ国中、下から2番目という結果となっています。 しかし、もうひとつの「音楽クイズ実験」というものでは、日本人は正直度第1位となっていて、先ほどとはずいぶんと違います。 これはどんな実験だったのでしょうか。 正直測定実験2 / 音楽クイズ実験 ・音楽に関しての6問のクイズを被験者たちにオンライン経由で回答してもらう。 ・6問全部正解した場合には、報奨金が出ることが予め伝えられている。 ・事前に「答えについてインターネットで検索しないで自分の知っている範囲で回答する」ことを確認するボタンを押してから、回答してもらう。 ・6問のうちの3問は、普通の人では回答が難しいものとなっていて、インターネットで検索しないと、まず答えられない。 ・その難しい3問の正解率の「高いグループ」は、インターネットで調べて答えた可能性が高いということになり、「事前に、インターネットで検索しない」いう約束に反していることになる。 というものです。 ちなみに、その6問の問題は翻訳記事の方にありますが、どれが難しいかとの判断事態が難しいですが、 ・レディー・ガガの本名のファーストネームは? ・クロード・ドビュッシーが生まれたのは何年ですか? などは、検索せずに答えられる人は、いることはいるでしょうけれど、多くはないと思います。 レディ・ガガという人は、本名そのものを知りませんが、Wikipedia で調べてみますと、 「本名:ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタ 」 となっていて、どこがファーストネームかもよくわかりません。 ともかく、要するに、事前に「インターネットで検索して答えてはいけない」というルールがあることが前提のテストで、「こういう難しい3問の問題を全問正解している人が多ければ多いほど、検索で答えている可能性が大きく、あまり誠実ではない可能性が高い」ということになると思われます。 (ネット検索しなくても調べる方法はいくらでもある。音楽に詳しい知人に聞くという方法があるが、自分の知っている範囲に含めるかどうか。しかし、そもそも正答率が低いクイズで正答率が高いのを嘘つきとするのは人間の知識欲を求める傾向からおかしい。知識欲が旺盛なほど嘘つきとなってしまうからである。) 日本に住んでいる日本人だからちょっとわかるのかも その音楽クイズ実験実験においては、日本は、その難しい問題の正解率は 1.0以下で、つまり、 「多くが答えられなかった=検索して答えを調べていない可能性が高い」 ということになり、正直度として高いという判断となった一方で、中国やトルコなどは、「正解率が高い=検索して答えを調べている可能性が高い」ということになったようです。 まあ、しかし・・・これらは「お金がかかっている」という部分から、「それぞれの国でのお金の価値の差」というものを考える必要もあるかなあとも思います。 5ドルの報奨金だとして、これは日本円で 600円くらいですが、日本国内でも、600円の価値の感じ方は違うと思いますし、いろいろな国の無差別に選んだ人たちの間での「 5ドル」はまったく違うもののように感じて、そこ自体も考えないとアレかなあとは思いますが、まあ、他の国のことはともかくとして、日本。 なぜ、日本は、 「音楽クイズ実験では正直度1位」 なのに、 「コイン投げ実験では最下位に近い正直度」 となったのか。 デイリーメールの記事では、そこについて具体的に書かれてあるわけではないですが、私は読んだ瞬間にこの答えがわかりました。 ポイントはルールです。 ・1の「コイン投げ実験」は、「約束やルールの規定」が告げられていない上での自己申告。 ・2の「音楽クイズ実験」は、「約束とルール」=インターネットで検索してはいけないことを告げられた」後に、自分で「確約ボタンを押して、その約束を確認して契約する」という作業の後から実験が始まる。 ということです。 もっといえば、コイン投げは、単なる自己申告だけの実験ですので、「表と言った方がほうが 600円もらえて、やっぱり得だべ」ということになっても、特に、それ以上の罪悪感というのか、破戒感というのか、そういうものはないはずでしょうし、600円なら、「イースト・アングリア大学の科学者たちを欺いて、オレは大金持ちになったぜ。うひゃひゃひゃひゃひゃ! ぶひゃひゃひゃひゃ!」というほどのものになるわけでもなさそうです。 しかし、「音楽クイズ」の方には、「検索して回答してはいけない」という「厳密なルール」が告げられている上に、自ら確約ボタンを押して、それを認めている。 おそらく、100人の日本人被験者の多くは、「そのルールを破ってまでも、不正行為(検索して回答すること)をしようとは思わない」ということだったと思います。 (後略) ★ ★ ★ この国の住人でも上級と下級じゃ異なると思いますが、上級の連中はアホバカ総理をみればわかるが、平気で嘘をつきます。 しかし、この調査自体が明らかに不正で、というのは2つとも嘘を報酬により誘導する実験だから、報酬のために嘘をつく傾向にあるか、であって、正直度を調査するなら、自分に不利益となってまで、正直を貫けるかどうかを実験しないと駄目である。 そもそもこのような心理実験は十人十色の生物的応答を想定しているので、統計確率を用いるのは数学的にいえば誤りなんである。生物統計というのがあるが、あれはほとんどインチキで、正統な数学を学んだ者なら、あんなものは全く参考にならない過去の遺物でしかないことがわかる。 そもそもクイズのような実験なのだから、現実の問題とは状況が全く異なるわけで、このような調査からわかるのはやはりイギリスという国がデータ処理に、ダブルスタンダードの二枚舌を基本としていることである。 アホバカが総理になって以来巷にはインチキ統計が跋扈しているので注意されたし。
2015年11月19日
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シュタイナー教育というと、自由な教育と思われているが、「自由」という言葉ほど曲解させるものはなく、自由を放任と考えてしまいがちである。 自由と放任では真逆である。自立した大人の自由を認める意味での放任ならわかるが、自立できていない子供を放任するのは保護者として無責任である。 自立とは本人の意志に任せても道徳や法律を守って行動できる、ということである。 思想の上で自由なのは勿論、子どもでも同じだが、それを現実の世界に持ち込み、現実の世界を天国にするためには、認められる行動と認められない行動の区別が必要となる。 思想の上では自由でも、その行動となると、他者や社会がもつ自由を制限しないような行動でないと認められない。 だから、自由とは、道徳や法律に則ったものでなくては駄目なんである。 持ち込む(自由と思いこんでいる)行動が、今ある自由を制限しては不自由になるから、今ある自由が道徳や法律の上で更に自由になるのでなくてはならない。多種多様になる。つまり具体的にいうなら、選択肢が拡がるということである。 人はみなこの世界を天国にするために生まれてくるのに、地獄にしてしまうのでは落第で神々の意志に背く。 そういうわけで、認められる自由な行動の見極めが重要となる。なんらかの行動を社会から認められるには、まずは道徳や法や習慣を理解しなくてはいけない。結局、この世界の仕組みを知らないと「自由」な行動がとれないということなんである。 だから、他者や社会の自由を制限するような行動、周囲に迷惑をかけるような法律を破る行動がどういう行動かを親もしくは保護者が子供の成長にあわせて教えないといけない。それが躾である。 実は躾こそがシュタイナーの自由の教育である。自由とは何かを教えるのが自由の教育である。 勿論、親や保護者も逆に子どもから自由を学ぶこともある。例えば、芸術的な表現での自由などである。画用紙内でならどんな絵を書いてもよく、また騒音でなければ、どんな音を発してもよい。そういう無邪気な表現は子ども独特である。ピカソの絵が子どもの絵にみえるのも子どものもつ自由の斬新さを現わしている。 芸術の世界では自由と放任の区別がつきにくいが、つくった作品が人に不快感を与えるもの、落書きや騒音であっては駄目ということを教えるべきである。 シュタイナー教育はなにも目新しいものではなく、躾のことである。躾を霊魂の上から説いたにすぎない。そういう躾をされてこなかったアホバカが政治家になって総理になって法律を破るから、この国はおかしくなる。 健全な国家をつくるには、子どもの躾が重要である。 そのような区別の話を紹介する。 ★ ★ ★ 過保護よりもタチが悪い! 一歩間違うと大変キケンな「自由のびのび型教育」の落とし穴とは http://itmama.jp/2015/08/26/87271/2/ 自由と放任を履き違えると… もし、通っている園が自由保育とは名ばかりの“放任保育”をしていたらどうなるでしょう。 小学校では授業中、45分間イスに座っていなくてはなりません。チャイムが鳴ったら授業を受け、チャイムが鳴ったら休み時間終了です。決められたスケジュールで行動することを要求されます。入学前まで自由気ままにやりたい放題生活をしていた子は、入学後にカルチャーショックで困ることになります。 家庭でのしつけも同じこと。「うちは“自由のびのび”がポリシー」と言って、ご飯を食べずにお菓子ばかり食べてもOK、手づかみで食べてもOK、ねだれば何でも買ってもらえるような生活をしていると、子どもは粗暴になり“野生児”と化してしまいます。 これでは、感情をコントロールする必要がないので、我慢する忍耐力も育ちませんよね。 また、家であまりに自由にしていると、お友達の家で勝手に冷蔵庫を開けて飲み食いをしてしまい、恥ずかしい思いをすることも。 しつけを全くされずに育ってしまうと、そのうち人との関わりで亀裂が生じます。自由とは名ばかりの“放任主義”は育児放棄やネグレクトと同じこと。“自由のびのび”がポリシーの家庭でも、ある程度行動を規制することは必要です。 「自由のびのび」教育は過保護よりも大変! (自由にのびのび、といって法律を破るようでは社会破壊になるだけで、かえってその罪にびくびくする人間になる。) そもそも“自由のびのび”型の教育は、手取り足取り指示を出す“過保護・過干渉”型の教育よりも、親は何十倍もの労力や精神力が必要になるものです。 なぜなら、子どもが何を考えどう行動したいのか、手や口を出すことなくじっと観察していなくてはならないから。 どんなに子どもの行動に不安を覚えても、親は信頼してじっと我慢しなくてはなりません。着る服を一つ選ぶのにも子どもに意志を尊重するため時間がかかります。親が「これを着なさい」と指示をした方が時間も短縮できますし、親が思った通りになるので楽なのです。 もちろん、子ども側も親からの指示がないので、自ら判断し、コントロールしなくてはなりません。 このように、“自由のびのび”型の教育方針には、親子ともに相当の自覚が必要になるものです。安易な気持ちで“自由のびのび”を教育方針に掲げ、子どもを放置するようなことだけは絶対ないようにしましょうね。 いかがでしたか? ルールのないゲームがゲームとして成り立たないように、一定の枠組みない自由は認められるものではありません。 自由と放任を混同しないようにしましょうね。 ★ ★ ★ この著者も自由を悪のように誤解しているが、過保護のほうが、自由放任よりマシといっているだけにすぎない。そして、過保護の方が親には「楽」を選択できるという飴を強調しているのはいかがなもんか? 確かに選択肢のなかで迷っている子どもにアドバイスをする必要はあるが、親が子どもの意志を奪ってまで決めるのはよくない。 もし決めるとするなら、なんらかの事情を説明すべきで、例えば、予定していた時間に間に合わないから、とかである。はやく決めればそれだけ自由時間が増えるし、遅くなると、計画通りに進まないことを学ばせるべきである。 また、ある程度の時間を待つのも親の務めであるし、子どもの性格を考えて徐々にすみやかに決断できるように誘導するのも親になる親の教育である。なにより、すみやかに決断できれば自由が拡大する。 服装については、親は習慣を教えないといけない。TPOに合わせて、どのような服装がよいか、とその理由を教える。だから、自由な教育を行うには親が自由を身に着けていないと駄目なんである。親がどういう心境で服を選択するのかを理解させる。4つの気質に合わせた服装の色なども目安になる。 この話からもわかるように、自由な教育とは、親がその自由を既に体現していないとできない代物なのである。自由な教育が誰もができるわけではなく、その敷居は高い。 さて、自由な教育には最低限、4つの気質の話が必要なので続ける。 ★ ★ ★ 人間の気質(改変) http://higusumi.world.coocan.jp/japanisch/steiner/kyoikunohaikei/kyoikunohaikei_5-1.html シュタイナー教育では、子供の気質を、教育の一つの目安にしています。シュタイナーは、人間の気質を、次の四つに分けています。 胆汁質、多血質、粘液質、憂欝質 なお、この分類自体は、古代ギリシャのヒポクラテスやガレーノスの主張に沿っている。ただし、シュタイナーは、人智学の知見を加えて説明している。以下は、全集五七番の中の「人間の気質の秘密」の章に基づく。 なお、以下は大人の場合です。 胆汁質―自我(ジャイアン) 胆汁質は、自我、アストラル体、エーテル体、物質体の四つの構成要素のうち、自我が強い。その性質は自分を押し通そうとし、攻撃的で、カッとしやすい。 自我はアストラル体のような感覚をもたないが、肉体での表現は、血液循環系に主に作用し、優勢にする。アストラル体の肉体での表現は、神経系だが、自我が強すぎると、血液循環の抑制が神経を通じて効きにくく、情緒不安定にする。 胆汁質の人間としてナポレオンが挙げられる。ナポレオンは自我が強すぎたため、他の構成要素、特に肉体が小さくなった。この気質の人の歩き方の特徴は、地面を踏み込むようにして歩く。顔つきは、深く刻み込まれ、輪郭がはっきりしている。 多血質―アストラル体(スネ夫) アストラル体が強い。肉体には神経系が優勢に現われる。その性質は、感情や想念がしばしば揺れ動き、一つの印象にとどまっていられない。とても明るい気質で、表情はよく変化する。姿、体形は、細長く。跳ぶような歩き方をする。 粘液質―エーテル体(ドラえもん) エーテル体が強い。「粘液(液体)」は外から力を加えても、振動がなかなか伝わらない。しかし一旦、振動し始めると、今度はなかなか収まらない。そういう性質で象徴されるような気質である。 外に向かっては不活発で、無関心な表情をもち、この気質が生命力の担い手であるエーテル体が強いというのは一見理解しがたいが、エーテル体の中で満足しきって、自分自身で満ち足りてしまい、他のことに関心がなくなる。内的な快感を見てとれる。歩き方の特徴はゆっくりとヨチヨチした歩き方をしている。 憂欝質―物質体(のび太) 憂欝質は物質体が優勢である。この気質は名前から想像がつき、メランコリーがある。この気質は、物質体が強すぎて、霊魂が扱いきれないように感じ、痛み、不快、悲しみとして感じる。つまり、物質体がエーテル体の快適さを阻み、アストラル体の運動性を阻み、自我の目的を阻んでいると感じるので、メランコリーな気分が生ずる。 この気質の人は、頭を垂れ、首筋を自力で立てることができない。目はボンヤリし、歩き方はしっかりしているが、引きずるようである。 もちろん、この類型通りに人間を区分できるわけではなく、混合型の無数のヴァリエーションがありえる。たとえば、ナポレオンにも、粘液質がかなりまじっていると、シュタイナーは言う。 ただ人間を型にはめて理解するのではなく、各要素の強弱によって、気質の違いが生じることを知れば、人間を知る手がかりとなる。子供の教育でも、どの構成要素が強いかを見分けることは、教育の仕方に反映してくるので重要となる。 ★ ★ ★ 次回に続く。
2015年11月18日
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複雑化した問題は源流に遡って考えるしかないが、そもそもイスラム国というテロリスト集団を産んだのは米国の戦争屋であり、イラク戦争だったわけである。 で、イラク戦争のインチキぶりが明らかになったのに、国連は無責任に誤魔化し、その背後にいるのがロックフェラーを代表とするニセモノユダヤの多国籍企業で、アホバカブッシュを代表とした米国政府がスカルアンドボーンズやらのイルミナティの傀儡で、そのような連中がビルダーバーグという国家権力を超える無法の悪魔のような権力をつくってしまったことにある。 国連もこの悪魔の連中の下っ端ということなのだろう。 ビルダーバーグはバビルの塔を思わせる。バビルの塔は人類が神々に刃向った象徴である。神々に刃向う悪魔の権力が、エゴと結びつきテロリストをつくった。 つまり、簡単にいえば、テロリストをつくった責任は戦争屋とニセモノユダヤとその諜報機関にある。 だから、悪は元から絶たなければ駄目ということなんで、この悪の三者を人類が何とかしない限りは、地球と人類は滅亡の道に進んでいくということなんである。 パリの大惨事は、勿論否定すべきものだが、人殺しによって金儲けした者たちへの地獄へのレクイエムであり、見て見ぬふりをしても無駄ということを意味している。その背後には西欧による植民地支配で不運にも亡くなっていったアジア人の怨霊を感じるからである。 連中は少なくともこの国に大量破壊兵器を落とした悪魔なのである。原爆を落とした悪魔の子孫たちなのである。いくら地上に王国を打ち建てようが、大量殺人を行った罪は拭えない。素直に侘びる態度こそが求められる。 責任の所在を明らかにせず、侘びたくないから、この国を悪魔の仲間に引き入れようとして誤魔化している。その詐欺師がジャパンハンドラーズの地獄行きの面々である。 でなければ、カネの亡者たちは永遠に地獄に行き彷徨うだけである。人類同士で戦いあっている場合ではなく、地球は深刻な局面にいるように思えるのだがね。 さて、前回の続きである。シュタイナーの4つの気質の話をこれまで紹介してきたが、それを教育に利用すること自体は否定しないが、教育に利用する前に、まず自分の気質を知り、自分の気質を巧く改善できるようになってから、利用すべきに思える。生兵法は怪我のもとだからである。 だから、昨今の「シュタイナー教育」という広告にはいささか嫌悪感を覚える。商業主義的で、ブランド感を醸し出すからである。シュタイナーは基本西洋人として生まれたので、東洋とは若干異なり、東洋的観点からすると、理屈っぽい。 例えば、西洋の理屈からすると、体罰はいかなる観点からも厳禁とされるが、東洋の場合も、基本的には厳禁だが、度を超えたものについては例外としてやむをえないという柔軟性がある。理屈通りにはいかないからである。言い聞かせても仏の顔も三度までというように、四度目にはしっかりとお仕置きをしないと人の道を外れてしまう。 それにシュタイナーのように誰もが霊能力をもつわけではないし、親が霊能力をある程度もつまでには子どもが大人に成長してしまうからである。 シュタイナーも、体罰は否定しているが、7歳から14歳までの子どもには権威に服従させることの必要性を説いている。この年齢期には、社会の悪いものにも目に触れるようになるので、好奇心から、悪の罠に嵌っていかないためである。いわゆる悪に対する免疫をつける必要がある。 そういう悪の無秩序さに陥らないために、権威となる道徳や法に従う正しさを教えないといけないからである。バランス感覚といってもよいだろう。家庭を離れて悪に染まってしまわないように、家庭内の秩序に従わないといけないから、特に父親は一家の大黒柱とされたわけである。 ちなみに「大黒」をネットで調べてみると、仏経の守護神の摩訶迦羅からきているようである。神道の三本足の八咫烏のことであろう。八咫はユダヤ(神に従う人)の意味だから、カバラの生命の樹の最上位にあたる。 八切史観から、仏教徒が黒色を用いるのもこの大黒にあるのだろう。黒は見えない負のエネルギーを顕す。黒は光、つまり正のエネルギーを吸収する色でもある。黒は光を吸収しエネルギーに変える色でもある。 だから、一家の大黒柱の父親(母親でもよいが)は家庭内では道徳を教える教師となるべきである、という意味である。 だから、7歳までは子どもには友達感覚で接してもいいだろうが、7歳を過ぎてからは、大黒柱として権威に従わせるように接するべきである。度が過ぎることには三度警告し、それでもきかなければ、親も鬼となるしかないだろう。 太古では言葉そのものにエネルギーが漲り、言葉が自然現象を起こしたから、言行一致だが、現代では言行不一致で、嘘もつけるので、神に背く自由があるが、代わりに自由を正しく秩序に結びつける義務が生じる。 宇宙で生きる限りは、宇宙の法に背くことはできないので、理詰めで諭せなければ、行動で求めるしかなくなる。体罰は言行一致を求めるものでなくてはいけない。 大黒柱となるには、やはり宇宙の法の一つでもある大宇宙に対する小宇宙の4つの気質を理解すべきである。 さてかなり脱線してしまったが、シュタイナーの4つの気質による教育の話を紹介する。 ★ ★ ★ 兄弟で全く性格が違う!? 「子どもの4つの気質」を知ればママが楽になる理由 http://itmama.jp/2015/05/26/89037/ お子さんがもっている“気質”について考えたことはありますか? 赤ちゃんの頃は、夜泣きやおっぱい事情、離乳食の進め方などに個人差はあれど、どのママも悩みの多くは共有でき、互いに参考にし合ったものですが、成長するにつれ、よその家の話があまり参考にならないと感じることが増えてきたのではないでしょうか。 「自分の子の言動が理解できない」「どう接して良いかわからない」そんなふうに思った時は、お子さんの”気質”を理解することが解決の糸口になるかもしれません。 今回は、子育てが一変する子どもの4つの気質とタイプ別の接し方をご紹介します。 話題の「シュタイナー教育」から学ぶ4つの気質 シュタイナー教育は、ルドルフ・シュタイナーが1919年にドイツで始めた教育実践。 最近ではシュタイナー教育を掲げる幼稚園・学校も増えており、俳優の斎藤工さんがシュタイナー教育の小学校に通っていたことも話題になりました。 この教育法には子育てに役立つ考え方が多くありますが、今回ご紹介するのは人の性格を4つの気質で理解するというもの。 シュタイナーは、気質は人間が生まれながらに持っている(霊魂のカルマ)個性と親からの遺伝(の肉体)との混合によって作られると考え、その上で気質を4つのタイプに分けました。 どれか一つだけに当てはまるということではなく、人によって4つの気質の強弱が異なり、そのバランスの違いがその人の性格を形作っているとされています。また、どの気質が強く出るかは年齢や環境によって変化していくとも言われています。 (1) 怒りっぽい・・・胆汁質(ジャイアン) 火の性格とも言われ、自己主張がはっきりした意志が強い性格。 怒りっぽく、些細なことで周りと衝突を起こすことも多いです。 この気質のこどもには困難が必要であるため、少しハードルの高い課題を与えましょう。簡単な課題を与えると自信過剰になってしまいます。 また、近くに尊敬できる人が居ることも大切で、親や教師は権威者であり弱点を見せてはいけないと言われています。 ライバルや競争が生きる糧になるタイプです。 (2)飽きっぽい・・・多血質(スネ夫) 風の性格とも言われ、楽天的・肯定的で、人当たりも良くやさしい性格。 色々なものに興味を持ち理解力も想像力も豊かですが、ひとつのことに長い間集中できません。 せかせかしているので、遊ぶ時は大人が少しゆっくりめにこどもを導いてあげたり、ひとつの遊びに変化をつけながらその遊びを続けさせるようにしてみてください。 (3)のんびり・・・粘液質(ドラえもん) 水の性格とも言われ、休む、食べる、寝る、が大好きなおっとりした性格。 一度やり始めると長続きし、時間はかかっても指示されたことを正確にこなそうとします。 ただし、放っておいて欲しい性格なので、大人は気付かないふりをしながら刺激を与えましょう。 「◯◯したら?」と言うのではなく、気づいたことをただ独り言のように口にすれば、こどもは自分自身で気づきます。 (4)生真面目・・・憂鬱質(のび太) 土の性格とも言われ、物事を暗く悲観的に考える癖があり非社交的な性格。 敏感で傷つきやすいですが、真剣に考え同情できることが長所です。 こども扱いせず、親が経験した辛い体験、悲しい体験を話してあげることで共感してくれます。 無理に娯楽で楽しませようとすると失敗するので気をつけてください。 幼児期のベースは「多血傾向」(スネ夫傾向) シュタイナーは、幼児期までのこどもはまだはっきりとした個人の気質が現れていない時期であり、1つの気質には決められないとしています。 大抵、幼児は多血傾向にあると言われているため、多血傾向をベースとして、プラスして、我が子はどんな気質が強いのかを見極めて対処してみてください。 いかがでしたか? 兄弟で全く性格が違う場合も、気質の違いが影響しているかもしれませんよ。最近こどもとのコミュニケーションがうまくいかないと悩んでいたママは、ぜひ気質を考慮した対応を試してみてくださいね。 ★ ★ ★ 親の気質にも影響されるのは前回紹介した。注意してほしいのは、巷で宣伝されているシュタイナー教育というのはほとんどがニセモノである。シュタイナーの本を少し読んで利用したからといってシュタイナー教育と名乗るのは詐欺である。 それに先にも述べたが、西洋的なので、東洋の特に没個性のこの国ではかえって反感や反発を招きやすく、現に招いているところもあり、シュタイナーというより、人智学のエキスというべきものを東洋哲学的な教育に移植したほうがよいと思う。 いきなり、ハイこれがシュタイナー教育ですという押しつけであっては全くの弊害しか生まないだろう。この国自体が多血質(スネ夫)傾向の上級国民と憂鬱質(のび太)の下級国民にあるので、まず、その気質を十分に見極め、自覚してから、利用すべきである。
2015年11月18日
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シュタイナーの4つの気質の話を続ける。ドラえもんのキャラで4つの気質を代弁させると、アニメ「ドラえもん」をみたことがある人には非常にわかりやすくなると思う。 アニメの「ドラえもん」は海外でも放映されているようで、日本語がしゃべれないベトナム人と、「不細工でメンドクサイ女性」を、英会話で「ジャイ子」と呼んで、すみやかに話が通じたことがあったが、海外では有名なアニメキャラの方が、日本語より通じることがわかった。 例えば、この国ではよく、米国をジャイアンに喩えるが、以前、このブログでも、ドラえもんのキャラに喩えて、日米関係を考察したが、外交が非常によく解説できる。 米国はジャイアンで、その気質から、模範となる大人の国を必要とするのが、前回の話からわかるが、つまり歴史的にはパックスブリタニカの英国の産業革命を手本としていた国ということがわかる。米国がナンバーワンになってから、手本がなくなり、暴力に依存し、迷走しているといってよい。 以前、この国の政府や官僚をスネ夫に、沖縄をのび太に喩えたが、最近、上級国民という言葉が使われるようになり、上級国民がスネ夫で、下級国民がのび太に喩えられる感じだろう。前回の話から、スネ夫は移り気なので、一途な恋を必要とするが、本当は、のび太の下級国民を愛するべきなのに、いまのところはジャイアンの米国に片想いしている感じか。 ドラえもんは、のんびり屋タイプだから、中国辺りなのではないかとも思える。中国からの爆買いがこの国のいまの景気を支えているといってよいから、爆買いできる経済成長という四次元ポケットをドラえもんが失ったら、のび太はジャイアンとスネ夫コンビに虐められ続けることになるだろう。 前回の話から、のび太は悲劇を好むというから、ハリウッド映画のようなハッピーエンドよりも、「フランダースの犬」や「おしん」などが高視聴率を叩き出すのも頷ける。 というわけで、ドラえもんのキャラで、4つの気質をまだまだ続ける。まとめというべき話の紹介である。 ★ ★ ★ 四つの気質 http://blog.goo.ne.jp/steinerclub/e/3f8519ecbf635703b80735da9fb5d58f 古代ギリシア以来、人間には四つの気質があるとされてきました。 赤を好む、割り算的な気性が、火のような胆汁質(ジャイアン)です。意志が強く、決断が早く、目的がはっきりしています。怒りやすく、危険を好みます。背は低く、肩幅が広く、首は短く、目鼻立ちがはっきりしています。地面にめりこむような歩き方をします。時間に正確で、食べ物に好き嫌いはありません。 黄色が好きな、掛け算的な性格は、風のような多血質(スネ夫)です。気が変わりやすく、興味がつぎつぎに移っていきます。跳びはねるような歩き方です。ものの見方は肯定的・楽観的です。スタイルがよくて表情豊か、身のこなしは軽やかです。しかし、浅はかで、だらしなく、優柔不断なところがあります。 緑色を好む、足し算的な性格は、水のような粘液質(ドラえもん)です。太っていて無表情、だらだら歩きます。一人でいるのが好きです。整頓が好きで、人から言われたことは正確に行ないます。友だちを作りにくいのですが、できた友だちには忠実です。のんびりしていて、激することがありません。几帳面で、持続力があります。食べすぎ・寝すぎ・厚着の傾向があります。 藍・紫を好む、引き算的な性質が、土のような憂鬱質(のび太)です。痩せていて、猫背になりがちです。足を引きずるように歩きます。寝付きが悪く、朝は不機嫌です。大人のように振る舞い、悲観的で敏感で、自己中心的です。自分を閉ざしているのですが、好きな人にはすなおです。不幸な人を見ると安心して、同情します。 胆汁質の子ども(ジャイアン)は、大きな関心を示していてもらわないと不満です。その子の能力を少し越えた課題を与えるのが有効です。尊敬できる権威者がいると、自制できます。 多血質の子ども(スネ夫)には、生活に静かなリズムが必要です。一つの遊びに変化をつけながら、その遊びを続けるようにします。 粘液質の子ども(ドラえもん)には、早朝の手伝いをさせるとよいでしょう。その子自身には、無関心なふうにしているのがよいのですが、その子が物事に興味を持つようにさせる工夫が必要です。一緒に散歩しているときに、「見てごらん、きれいな花が咲いているよ」と注意を促すのではなく、「ああ、きれいな花だなあ」と大人が気づいていればいいのです。一緒に遊ぶときに、すこしテンポを早めていきます。 憂鬱質の子(のび太)は、心身の暖かさを必要としています。大人は人生の苦悩を背負う人間として、みずからの苦しみへの対処を、その子に語るようにします。お話も、悲話を選びます。 同気質で対面する方法があります。胆汁質の子どもと競争して、大人が胆汁質的にがんばって、勝つようにします。多血質の子どもと一緒にいて、大人がその子以上に真面目に多血質的に振る舞ってみます。粘液質の子どもに対して、こちらがその子以上にゆっくりしてみます。憂鬱質の子どもを、娯楽(喜劇)で楽しませようとすると、失敗します。 食べものによる対処法もあります。胆汁質の子ども(ジャイアン)には、穀物・生野菜のほか、甘いものを与えるとよいはずです。 多血質の子ども(スネ夫)には、砂糖や肉を控えめにします。乳製品がお薦めです。 粘液質の子ども(ドラえもん)には、雑穀・葉菜を与え、おかずは塩味にします。卵は控えめにします。 憂鬱質の子ども(のび太)には、蜂蜜や、花のハーブティー、果物、サラダ、そして甘いお菓子を与えるようにします。考え込む癖があるのですから、思考を促す根菜は控えめにします。キャベツも控えめです。 老婆心ながら、気質に関係なく、一歳未満の子どもにはジャガ芋は与えません。妊娠期間中の大人もジャガ芋は摂りません。また、父親が飲酒していたら子どもは神経に問題が生じ、母親が飲酒すると子どもの内臓に影響が出ます。 子どもが口にするタンパク質・脂肪・糖分は、良質である必要があります。良質の食糧を摂っていると、必要な栄養素を本能的に欲し、味覚によって適量を判断できるようになります。 砂糖は、天然のものだと適量で満足するのですが、人工的に精製したものは癖になって、度を越して欲しがるようになります。 どの気質も本来よいものなのですが、極端になると、弊害が出てきます。 親や教師の気質が、子どもに影響します。その影響は、その子が成長して中年になるころに、身体に現われます。大人は、自分の気質をよく認識して、適度なものにするように気遣う必要があります。 親・教師が胆汁質(ジャイアン)すぎる場合、子どもは血液循環に障害をきたすことがあり、リウマチになったり、消化器に症状が現われることがあります。 大人が多血質(スネ夫)すぎる場合、子どもは活力がなくなることがあります。方向が定まらず、意志・忍耐力の弱い人間になる可能性があります。 大人が粘液質(ドラえもん)すぎる場合、子どもは精神的な呼吸困難に陥り、神経質になりがちです。愚鈍になることもあります。 大人が憂鬱質(のび太)すぎる場合、子どもは感情が抑圧され、呼吸器や心臓を病むことがあります。 胆汁質(ジャイアン)の大人は、子どもを驚かせるような言動をしてしまうので、子どもは不安を感じ、虐げられていると感じます。 多血質(スネ夫)の大人は子どもから深い印象を受けず、子どもは生命の喜びを抑えられます。 シュタイナーは、唯物論は人間への興味を失わせるので、唯物論の影響を受けた大人は子どもに無関心、すなわち粘液質(ドラえもん)になる、と言います。 (子供も唯物論者になるようだ) 憂鬱質(のび太)の大人は自分自身に関わり、子どもとの関係を築こうとしないので、子どもの心が冷えます。 大人は自分の気質を、努力によって改善できます。例えば多血質(スネ夫)の人は、関心を次々と変えるのがふさわしい状況を作り出して、そこで多血質を使い果たすのです。 胆汁質(ジャイアン)の人は、怒っても何もならない状況に身を置くようにします。 憂鬱質(のび太)の人は、自分の苦悩ではなく、世間の苦悩に関与してみます。 粘液質(ドラえもん)の人は、本当に退屈なことをしてみます。粘液質の人は、適度のダイエットによっても、心魂の発達が促されます。 人間は大体、子どものころは多血質、青年期は胆汁質、中年は憂鬱質、晩年は粘液質的になります。 シュタイナーの人智学によると、自我が強く出ている人は胆汁質、心の想いが多種多様になっている人は多血質、緩慢なエーテルの波のなかに生きている人は粘液質です。憂鬱質の人は頭脳を基盤に生き、肉体から解放されていないと感じています。 十歳以下の子どもの場合は、大人と異なっています。胆汁質の火のような力が、子どもの場合は、心をとおして現われます。多血質の子の軽快さは、エーテル体に示されます。肉体が優勢になっている場合、粘液質の子どもになります。憂鬱質の子どもの場合、自我が勝っています。 ★ ★ ★ しかしドラえもんのキャラを利用する弊害もある。自分にあうキャラというよりも、自分の好みのキャラを選んでしまいがちになる。そういう場合は、以下の話を利用するといい。 ★ ★ ★ 四つの気質と途上の石 http://higuchi08.exblog.jp/i11 ハインリヒ・パイトマン 石の上を元気に軽々と飛び越えるのは多血質。つまずいたところで気にもとめない。 胆汁質は、鼻息荒く力強い足で石をどけ、うまくいけばその目はきらめく。 粘液質は歩調を適度にゆるめ、「お前がどかないなら回り道をしよう。」 しかし、石の前にじっとたたずむのは憂うつ質。その顔には果てしない不運への嘆きが浮かぶ。 ★ ★ ★ つまり、人生の障害(途上の石)をどのように対処したのかで、4つの気質に分類できる。 障害を飛び越えようとし、失敗して怪我しても忘れるのはスネ夫。 障害に奮起し、真正面からぶつかり、力づくで押し倒し、あくまで中心を歩くのはジャイアン。 障害にぶつからないようにスピードを緩め、遅れても回り道をするのはドラえもん。 障害がふりかかったこと自体に悩み続け、もはや先に進もうとしないのはのび太。 という感じになる。 これと少し似たもので、日本の戦国武将に準えたホトトギスの歌がある。戦国武将のキャラのイメージが独り歩きして、創作されたものだが、以下である。 鳴かぬなら、鳴かせてみようホトトギスが秀吉 鳴かぬなら、殺してしまえホトトギスが信長 鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギスが家康 鳴かぬなら、放してしまえホトトギスが光秀 この歌はホトトギスを朝廷に喩えている。光秀の歌はあまり有名ではない。秀吉は朝廷を鳴かして太閤となった。信長は鳴かない朝廷を滅ぼそうとして滅ぼされた。家康は、女子を送り、姻戚関係になって朝廷を鳴かせて徳川公儀体制をつくった。光秀は朝廷=政権を手放した。 という意味になる。ちょっとニュアンスが違うが、秀吉=スネ夫、信長=ジャイアン、家康=ドラえもん、光秀=のび太という感じか。 まだまだ面白いので次回に続く。
2015年11月17日
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前回はシュタイナーの4つの気質の話を紹介したが、それらをわかりやすくするために、代表的キャラをイメージすると、漫画「ドラえもん」のお馴染みの登場人物が、浮かび上がった。 シュタイナーの4つの気質をまとめたのが以下の要約だが、これではピンと来ないので、ドラえもんのキャラをあてはめるとわかりやすい。 火(エネルギー)の性格 胆汁質 自我主導 ⇒ ジャイアン ⇒ ガキ大将タイプ 風(気体)の性格 多血質 アストラル体主導 ⇒ スネ夫 ⇒ 落ち着きのないおしゃべりタイプ 水(液体)の性格 粘液質 エーテル体主導 ⇒ ドラえもん ⇒ のんびり屋タイプ 地(固体)の性格 憂鬱質 肉体主導⇒ のび太 ⇒ 虐められっ子タイプ シュタイナーはこの4つの気質の分類を用いて、幼児の教育を指導したが、「○○質」という言葉では混乱しやすいので、ドラえもんのキャラで説明するとよいのではないだろうか? 上の要約には、ドラえもんのキャラからイメージされる子どものキャラタイプを付け加えた。 ちなみに4つ全てのバランスがよいのが、出木杉くんの優等生タイプという感じだろう。優秀なのだが、面白みに欠ける。だから、この4つの気質のバランスがとれていることが必ずしもいいとは限らない。 このドラえもんのキャラを使って、シュタイナーの話の紹介を続ける。 ★ ★ ★ 四つの気質と色 気質と色の関係は面白い。子供の頃は、気質が好む色の補色が影響するのに、大人になると、気質が好む色が直接影響するそうである。 胆汁質(ジャイアン)は赤色を好むそうである。そして、その補色の緑色が頭のなかでつくられ、緑色の持つ「落ち着かせる」効果が子どもに影響するのだそうです。 しかし、胆汁質の大人となると事態は一変し、赤色が直接影響し、赤色を見ると攻撃的になるので、部屋に赤色を置くのはやめたほうが良さそうです。 多血質(スネ夫)が好きな黄色の補色の紫(青の静けさと赤の活動性を合わせもつ)によって、多血質の子どもの心の集中を刺激するそうです。 多血質で落ち着きのない子供の部屋には、青色か、出来れば紫色を取り入れると良いそうです。 また憂鬱質(のび太)が青色を好むのは、青色の補色のオレンジ色が憂鬱質の子どもの心の癒しとなるからだそうです。憂鬱質の子供の部屋には、行動的になる暖色系の物をまわりにおくと良いようです。 (そういえば、のび太のアニメでの設定はオレンジっぽい黄色の服を着ていた。スネ夫の服は水色で、青系でギリギリ気質を示しているともいえるが、ジャイアンはオレンジ色の服を着ていたので、現実には緑色を着させるべき。) 緑色が好きで、のんびりしすぎる粘液質(ドラえもん)の人の部屋には、赤色の物を置くと行動的になるようです。 シュタイナーはゲーテに強い影響を受けているため、気質と色の関係はゲーテの「色彩論」からの考察も含まれている。 (まとめると、ジャイアン⇒緑色、スネ夫⇒紫色か青色、のび太⇒オレンジ色、ドラえもん⇒赤色) 四つの気質と算数 粘液質(ドラえもん)は足し算が得意。これには自論があります。ぼうっとしている粘液質ですが、1つのことをはじめると最後まで貫徹するのがこの気質です。つまり足し算のように1つ1つ積み上げていく方法が得意なのです。それがどれほど時間がかかるのか前もって計算せずに丁寧に積み上げていくものですから、出来たときには決められた時間をオーヴァーしていることもあるでしょう。 それと対照的に、引き算が得意なのは憂鬱質(のび太)ですが、この時間までに仕上げるのにはこれとこれは省いてしまおうという引き算をすると、時間には間に合うのですが、出来上がりが丁寧かどうか、頼まれたものに足りるのかどうかは分りません。これが憂鬱質に当てはまっているとは思えませんので、割り算の得意な胆汁質(ジャイアン)的なやり方でしょう。 憂鬱質(のび太)の引き算は、いつも何かがなくなってしまうのではないか、という恐れの気持ちを表しているそうです。 多血質(スネ夫)が得意なのは掛け算です。例えば、この人とこの人を出会わせたら、こんな楽しいことが起きるんじゃないかと、想像を膨らませるのは多血質にぴったりなやり方です。 (まとめると、ジャイアン⇒割り算、スネ夫⇒掛け算、のび太⇒引き算、ドラえもん⇒足し算) シュタイナーによれば、多血質(スネ夫)が1つのことに集中するのは奇跡であり、そのためには誰か一人を愛することでその集中力が生まれると言います。多血質は誰かを愛することを強く望んでいるそうです。 (スネ夫にはずっと愛せる恋人が必要。) それと違って胆汁質の子供(ジャイアン)は誰かを愛するということが容易ではないようです。胆汁質に必要なのは愛する人ではなく、尊敬できる人物で、それは、親や先生を尊敬したいと思っているからだそうです。有り余った力は障害物をおいてやることで発散され、そのような課題を乗り越える術を覚えていくようです。 (ジャイアンには尊敬できる親や先生などの大人が必要。) 粘液質の子供(ドラえもん)には愛する人も尊敬する人も、そうした他者は必要ないそうです。物には直接興味はないけれども、友達が興味を持っている物には興味を示すので、多血質とか胆汁質のお友達がいると良いかもしれません。 (ドラえもんには、のび太よりも、スネ夫やジャイアンのような友達が必要。) とても几帳面な憂鬱質の子供(のび太)が悩んでいるときに、気を紛らわせようとしてちゃかしたりするのは逆効果になるそうです。もっと辛い人がいるという話しをするのは効果的だということです。憂鬱質の子供は悩むことによって成長していくのです。 (のび太には不幸な人の話と悩みが必要。) ★ ★ ★ 前回紹介した心臓移植による性格転換は、4つの気質でいえば、胆汁質のジャイアンから憂鬱質ののび太への変貌ともいえる。4つの気質の話は面白いので、続けて、他のサイトからも紹介する。 ★ ★ ★ 気質を知ろう 私とあなたを知るために http://higuchi08.exblog.jp/i11 シュタイナーは次のように述べています。 胆汁質の人(ジャイアン)は、 一足ごとにただ地面に触れるだけではなく、足を地面の中にのめりこませるような歩きかたをする。 多血質の人(スネ夫)は、 胆汁質の人とは反対に、飛び跳ねるように歩く。 粘液質の人(ドラえもん)は、 だらだら、ふらふら、悠々と歩く。 憂うつ質の人(のび太)は、 頭を前にたれて、引きずるような歩き方をする。 四大要素(地、水、風、火)と身体との関係 人間の本質の中で、人間には肉体、エーテル体(生命体)、アストラル体(感受体)、自我の4つからなることはお知らせしました。 シュタイナーは、自我が他の構成要素を支配すると胆汁質が現れ、アストラル体が強くなると多血質が現れ、エーテル体が強くなると粘液質が現れ、肉体が強くなると憂うつ質が現れるといっています。 また、子どもの場合は、自我が強いと憂うつ質が現れ、アストラル体が強いと胆汁質が現れ、エーテル体が強いと多血質が現れ、肉体が強いと粘液質が現れるのだそうです。 大人 子ども 胆汁質(ジャイアン) 自我 アストラル体 多血質(スネ夫) アストラル体 エーテル体 粘液質(ドラえもん) エーテル体 肉体 憂うつ質(のび太) 肉体 自我 気質はそれぞれが影響しあっている 気質の授業の中で、地(固体)、水(液体)、風(気体)、火(エネルギー)の四大要素を体で表現する、という体験をしました。 まず「石(固体)」になります。しゃがみこんで下を向き、じっと硬くなり動きません。体が重く感じられ気持ちも憂うつになってきます。憂うつ質そのものです。 次に、「水(液体)」になります。水は地面にそって流れます。途中石や岩があるとそれをよけて流れていきます。どんな障害物があっても動じません。流されるまま、我が道をどこまでも行きます。粘液質そのものです。 次に「風(気体)」になります。風はどこへでも飛んで行きます。方向も自由自在に変えられます。軽やかです。多血質そのものです。 次に「火(エネルギー)」になります。「火」は激しく燃えます。上へ上へと燃え上がります。胆汁質そのものです。 (中略) 授業の最後にすべての四大要素を一度に表現してみました。受講生の半数が仰向けに輪になって寝転びます。その上を、地、水、風、火の表現でそれぞれが動きます。大地に寝転びその動きを眺めてみると、見事に調和した動きを見ることができました。 地球はこの四大要素の調和の中にあることをあらためて感じたのです。この調和が崩れ、どれかが強くなりすぎるとたちまち災害が起こります。人間も同じなのだと思いました。 シュタイナーは語ります。「気質の差異がなくなり、皆が均一的な気質になったら世界は退屈です。多様性、美しさ、生活の豊かさは種々の気質があることによって可能なのです」と。 では教育において気質をどのように考えたらいいのでしょう? シュタイナーは、教育において気質を均一にすることが重要ではなく、気質を正しい軌道にのせることが大事だといいます。 (中略) 教師は、個々の子どもの気質に合わせて対応することが大事だといわれます。 胆汁質の子ども(ジャイアン)には 競争、ライバルは胆汁質の子どもには心の糧になります。教師は子どもにとって権威があり弱点を見せてはなりません。個人の価値を尊重することが胆汁質の子どもには魔法の力になります。胆汁質の子どもには困難が必要です。人生は安易でないようにしなければなりません。胆汁質の子どもは割り算と相性が合います。楽器は打楽器がよいです。 多血質の子ども(スネ夫)には 興味を押さえつけては成長を妨げかねない。興味がいっぱいあっても誰か一人への興味があるはずです。多血質の子どもには誰かを愛するのが必要です。愛が魔法の力になります。掛け算と相性がいいです。楽器は金管楽器がよいです。 粘液質の子ども(ドラえもん)には 朝、目覚めるように冷たい水で顔を洗います。着すぎ、食べすぎに注意します。遊び友達がいることが大切です。他の子どもたちと共に体験することが大切なのです。足し算と相性がいいです。楽器はピアノがよいです。 憂うつ質の子ども(のび太)の場合 悲しい運命をたどる物語は憂うつ質の子どもには助けになります。登場人物の運命を共に感じることが教育的に作用します。引き算に親しい関係を持ちます。楽器は弦楽器がよいです。 席決め 子どもは気質に従って席を決めるべきだといわれます。 「毒をもって毒を制す」やり方です。例えば、粘液質の子ども(ドラえもん)同士だと、お互いうんざりしてきて行動を起こすのだそうです。胆汁質(ジャイアン)同士だと誰もリーダーになるのを許さないので、あきらめるのを学ぶというのです。 席の位置は、粘液質の子ども(ドラえもん)は窓側、憂うつ質の子ども(のび太)は後ろの席で静かでほっとでき暖かいところ、胆汁質(ジャイアン)はドアの近く、多血質(スネ夫)は部屋の中心です。 ★ ★ ★ 面白いので次回に続く。
2015年11月16日
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前回は、臓器移植で性格が変わる話を紹介したが、では性格とは何なのかを、シュタイナーの話から紹介する。前回は心臓移植により肉食から菜食に転換した人物の話を紹介したが、これまで肉食の欠点を紹介してきたことからもわかるが、肉食はエゴを過多にするから、性格を我儘にする。 肉食は自我をエゴに固執させるが、菜食はエゴを解消し、無我にする。だから修行僧などは菜食中心であることは何度も述べた。 つまり何を食べるか、好むかで性格も変わる。 シュタイナーは、食事により、臓器を調整する方法を、オカルト生理学という本のなかで述べているが、人体の様々な臓器を含め、4つの構成要素からなる性格を、4つに大別している。 つまり、物質体、エーテル体、アストラル体、自我の4つの構成体のうち、どれが主流になるかで、4つの性格を形作ると説明している。 その話を以下に紹介する。 ★ ★ ★ シュタイナー「四つの気質(粘液質、胆汁質、多血質、憂鬱質)」(改変) http://biodynamy.blog.fc2.com/blog-entry-46.html ルドルフ・シュタイナーは随分と変わったことを言いだす人だが、子どもの教育に関しても気質を4つ(粘液質、胆汁質、多血質、憂鬱質)に分けて考える不思議なやり方をはじめた。 血液型も4つ(A型、AB型、B型、O型)なので、そのようなものと考えてもいいかもしれないし、星占いと同じで合っているような、合っていないような感じです。 しかし、シュタイナーの考えややり方は一見すると奇妙に見えるが、古からの智恵に基づいていることも多く、4つの気質に関しても、西欧では昔から考えられて来たことだった。 最初に4つの気質の元になる四体液説(人間は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁でできている)を唱えたのが医学の父、ギリシャ時代のヒポクラテスでした。それが紀元前4世紀頃のことです。 ヒポクラテスの四体液説は、同時代の哲学者エンペドクレスによる四元素説(世界は地・水・火・風からなる)に相応した考え方です。ですから、血液は「熱と風」、粘液は「冷と水」、黄胆汁は「乾と火」、黒胆汁は「湿と地」の性質を持つと考えた。 この四つの体液のバランスをとることで、自らの自然治癒力を引き出せるというのです。バランスが崩れることによって、歪になり、疾患が出るという認識の仕方だった。 ヒポクラテスの4体液説と同じように、アジアでも紀元前に確立されたインドのアーユル・ヴェーダにも、ヴァータ=風・冷・乾・軽・速、カパ=水・冷・湿・重・遅、ピッタ=火・熱・鋭・流・変という3つの気質分けが存在する。 (恐らく、以前紹介したヴェーダ哲学のサットヴァ、タマス、ラジャスの源流だろう。) 気質というのは古代の一般的な考え方で、それが治療における1つの目安になったのかもしれない。 ヒポクラテス全集が出版されていますが、あらゆる病気、症状に対する対処方法が記載されていてとても面白く読めます。現代医学と照らし合わせたときの真偽のほどはわかりませんが、シュタイナー的であることは間違いない。 ローマ時代になり、2世紀のギリシャの医師ガレノスが、ヒポクラテスの四大体液のバランスによって多血質、粘液質、胆汁質、憂鬱質(黒胆汁質)という4つの気質が現われるという「体液病理説humoral pathology」を唱えた。 この体液病理説は後世にも延々と伝えられていき、9世紀に西欧ではじめて医学校が設立されたサレルノで、11世紀に編纂されベストセラーになったという「サレルノ養生訓」にも四つの気質が出てくる。 養生訓とは貝原益軒によって著された江戸時代の健康法だが、ヨーロッパにも同じようなものがあった。 『サレルノ養生訓』では、4体液と気質のそれぞれの特性やその治療法について語られています。 こうした体液病理説は19世紀ドイツのウィルヒョウが細胞病理学説を唱えるまで、2000年以上の長きに渡って有効だとみなされていた。 18世紀のドイツの詩人であるゲーテとシラーにとっても4つの気質は自明のことであり、仲の良かった二人は4つの気質を隣り同士の気質の影響を考えながら12分割し、それぞれに適正の職業を当てはめるという「気質のサイクル表」を作ったりしています。 胆汁質と憂鬱質が混ざり合うと支配者か暴君(職業?)。憂鬱質と粘液質が混ざり合うと哲学者か先生。粘液質と多血質が混ざり合うと詩人や講演者。多血質と胆汁質が混ざり合うと快楽主義者か冒険家といった具合です。 19世紀初めにスイスの医師で哲学者のイグナツ・パウル・ヴィタリス・トロクスラーも4つの気質についてふれています。トロクスラーはシュタイナーに先んじて「人智学(Anthroposophie, アントロポゾフィー)」という概念を受け継いだ人物です。著作『生智学の要素』(1806年)を読んでみたいものです。 では、4つの気質がそれぞれどんな特徴を持つのか、ヒポクラテス、ガレノス、サレルノ、トロクスラー、シュタイナー、もちろんどれも大筋では同じですので、列挙してみます。 ちなみにこの図は気質の特徴と関係図です。それぞれ横にある気質の影響を受け、向かい側にある気質が現われるとしたら時間差で現われるそうです。前側とか窓側というのは教室で座らせるといい場所を示しています。幼児期には粘液質(エーテル体主導)が一番強く出て、7歳から14歳までは多血質(アストラル体主導)が一番強く出るそうです。 火の性格 胆汁質 自我主導 風の性格 多血質 アストラル体主導 水の性格 粘液質 エーテル体主導 地の性格 憂鬱質 肉体主導 胆汁質(自我主導)-ジャイアン的 筋肉質でがっしりとしている人が多い。動作は激しく、はやい。態度や言葉遣いがはっきりしており、愛憎が激しく、怒りやすいが、誠実。リーダー的な存在といえば分りやすいかもしれません。 把握力に優れ、すばやく物事を理解し、 はっきりとした結論を出したがる。決断力に富み、他人に対し影響力を行使しやすいが、権力的になりやすい。真剣になり過ぎ、かっとし、血が騒ぎやすい。他人に対して厳しい評価を下しやすい。それは自我が強いからである。 そのため理性を失い、怒りを爆発させて短気で癇癪持ち、暴力へと流れてしまう欠点がある。 憂鬱質(肉体主導)-のび太的 血色はあまりよくなく、小さな字を書く。失望してしまったり、苦悩に陥ったり、非社交的で孤独を好む。多血質と正反対でパーティーに参加したがらないタイプ。 外に対して一見無関心のようにとても客観的だが、実はとても深刻に考えている。深刻であるためにすぐに失望しやすく、不満を抱いたり苦悩におちいったりしやすい。 探究心が強く、懐疑的であるので注意力が発達している。独創性に徹しており、想像力が豊か。しかし他方では固定観念にとらわれがちである。芸術家に多いような気がします。 肉体の重みを現実として感じ取っているので、自分自身の限界を感じ、壁を意識してしまう。 そのため、人の言葉や行為に傷つき、全てを否定的にとらえ、悲観的になりがちで、殻に閉じこもってしまいます。 目に入るものは苦しみばかりで、いつまでも悩み苦しむことになってしまう。しかし、自分よりも弱い人、悲しい状況の人がいることを知ると、その人のためになろうとする。 多血質(アストラル体主導)-スネ夫的 世の中のあらゆることに関心を持ち、楽しいことが大好きで、喜怒哀楽、快不快に敏感で活発な感情生活を営む。社交的で、ユーモアがあって明るい人柄。心配事はすきではない。楽しいことが好きで、すぐいっしょにことをおこなうが、飽きてやめるのも早い。 美的感覚が鋭い。 思考的には他人の考えをすぐに理解することができ、思いつきも想像力も豊かだが、遊びの要素が多く、徹底的に突き詰める態度には不向き。理解力があり、想像力も豊かだが、熟慮するタイプではなく、簡単に結論を下す。結果、大きな仕事が出来ない。 感情に支配され、絶えず変化する特徴を持っているためこのような気質になる。 あまりにこの気質が突出すると、何をしても三日坊主で、仕掛けたことも放り投げてしまうようになり、せわしなく、興味が飛び、とんでもないアイデアに身を任せ精神錯乱的なとっぴな行動をとるようになる。 粘液質(エーテル体主導)-ドラえもん的 外見的には、太っている人が多い。言葉遣いや態度はゆったりとしていて活気が無く、鈍重な感じがする。歩き方もゆったりとしており、休む事、食べる事、眠ることが好き。そのために太りやすいのでしょう。 感情的には好き嫌いをあまり、表に現さず、慎重な判断をする。かっとすることが少なくばかげたことはしない。持続力があり、ひとつのことを長く持続して考えることができる。待つことが得意なのでチャンスに恵まれやすく、それを逃さない。 公正な態度を維持できるが、それが非常に冷淡で残酷な態度ととられてしまうこともある。 滅多にやる気を起こさず、楽な状態に安住しがち。しかし、非常に意志の力が強く、いったんこうと決めたら多少の障害は問題にせず、最後まで貫く持続力がある。 のんびり、ゆったり、穏やかに過ごすことを好むため。その状態が続きすぎると周囲に対して関心を失い、無関心になっていく。ところが、美味しいものを食べたいという気持ちは衰えることはなく、過食症になる危険がある。 そして、ここからはシュタイナー教育における4つの気質のはなしです。 ここで取り上げたいのは、ヘルムート・エラーの本「4つの気質と個性のしくみ」です。西川隆範編訳「人間の四つの気質」、高橋巌著「シュタイナー教育の四つの気質」と比べると、ヘルムート・エラーの「4つの気質と個性のしくみ」は気質のみに限定されていること、気質の様々な現われ方とその対処例が多いこともあり、最も分りやすい本でした。この本は家庭や幼児教育にとって必要な、四つの気質のバイブルと言ってもいいでしょう。 ここでは、食べ物、色、算数と四つの気質に関係に関して取り上げてみます。 食べ物と四つの気質 水の要素を持つ粘液質(エーテル体主導)は、同じく水の要素を持った米を食べると良いそうです。 多血質(アストラル体主導)はキビです。キビはなかなか食す機会がないでしょう。ものごとに集中することが苦手ですから、糖分を摂るとさらに集中力が散漫になってしまいます。 憂鬱質(肉体主導)はとうもろこし。砂糖を多めに与えるのが効果的だそうです。 胆汁質(自我主導)には燕麦(オーツ麦)。エネルギーに満ちあふれた胆汁質には、エネルギーたっぷりの燕麦が合うそうです。 ★ ★ ★ 字数制限を越えるので次回に続く。
2015年11月16日
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パリで大惨事が起こってしまったが、その原因を追究するなら、人間のエゴによる憎しみと、それを肯定する悪魔に武器を与えた連中の仕業というべきだろう。 愛と憎しみは諸刃の剣である。バランスを欠いた愛は憎となる。 人類にまだ現代のような過大なエゴが生まれずに、集団組織内で収まっていたときは、法が憎しみの抑制となっていたが、悪魔の侵略者に唆され、アホバカが権力を握るにつれ、現代のように組織を超えるエゴが生まれ、誇大なエゴに対する過剰な愛が法を超え、権力が法を無力化することで、テロのような法を超える破壊が生じるようになった。 この国のアホバカ政権の存立をみれば、このことがよくわかる。人類はどんどんアホバカになっている。 このような憎しみが過剰なエゴの持ち主をオカルトでは阿修羅と呼ぶ。阿修羅は滅多矢鱈と他を破壊するしか能のないテロリストのことである。この阿修羅を生み出したのはニセモノユダヤと戦争屋とその諜報機関である。 さて、前回紹介したが、阿修羅とは真逆の、植物のように人類は菩薩にならなければいけない。 昨日TVで、この阿修羅のような人物が、心臓移植により、菩薩のような人物へと生まれ変わった話をみたが、以前からシュタイナーの話から、心臓が単なる血流ポンプではなく、体内の感覚器である事実を紹介してきたが、念のために再掲する。 ★ ★ ★ 一般に人間の心臓について現代ではどのような見解を持っているのか。 心臓は血液を様々な器官に送り出す一種のポンプである、という風に見ている。そして、この「心臓」というポンプ機構を説明すべく、色々な力学的な構造を考案している。さて、現代で考案されている力学的な構造は、発生学にも全く矛盾するが、この考えを全く疑わずに盲信している。 心臓を霊視するなら、心臓とは心臓自らが主体的に活動する器官ではなく、心臓の活動は、心臓が主因ではなく、他の活動の結果から生じる。この原則を理解するには、人体の活動が両極性に起因する、という事実を注視する必要がある。 例えば、栄養摂取に関わる活動や、更に消化に関わる活動や、直接もしくは血管を通じて栄養を血液中へと流入させる活動などとの間に生じる両極性を知らないとわからない。 人体内の下から上へと栄養を摂取し運搬する血液と、上の空気を摂取する呼吸器官との間に生じる相互作用にまで、栄養の消化を辿らなくてはいけない。その際、正しく観察できれば、呼吸の全経過と、消化の最大範囲の全経過との間に、ある種の対立が生じるのがわかる。 呼吸と消化は互いに均衡を取ろうする。いわば、お互い渇望し合い、お互いに満たし合う陰と陽の関係である。勿論、もっと別の表現もできる。 液体状になった栄養素と、呼吸を通じて気体状で摂取された酸素との間に生じる相互作用がある。この相互作用を厳密に研究すべきである。この相互作用は、互いに働きかけ合う両極性の力の中で生じる。そして、この互いの働きかけ合いが、いわば、心臓において互いの働きかけを妨げあう。 だから、心臓は交通渋滞器官[Stauorgan]である。 つまり、人体の下部の活動というべき栄養の摂取や消化などと、呼吸の酸素を、下部の活動に組み入れたい上部の活動の、この上下の活動がクロスする器官として存在する。 人体は上と下とを1つにする合流器官をもつわけで、その本質とは、心臓の活動が、液体状になった栄養素と、外界から摂取した気体の空気(酸素)との間の相互作用の結果でもある、ということである。 だから、心臓の運動に表現される全て、心臓で観察される全ては、力学的な意味では、上下の活動の結果として考察すべきものである。 この将来有望な上述の観点の発端、つまり、心臓の活動についての力学的な基礎知識の口火を切ったのは、オーストリアの医師、カール・シュミット博士だった。彼は北部のシュタイアマルクの医師で、『ウィーン医学週報』の1892年15号から17号に彼の「心臓の鼓動と脈拍の曲線」が掲載された。 この論文には、まだそれほど多くの知見が含まれてはいなかったが、少なくとも、心臓を通常のポンプとして扱うのではなく、他の運動の合流装置として扱うべきだと、自らの医療の実践から気づいた人がいたことは歴史上重大である。 シュミットは心臓の脈動と鼓動全般を、水流により動作する水撃ポンプ[Der hydraulische Widder:水撃ポンプ、水圧ラム]として想定した。この他の運動により動かされるという真理がカール・シュミット博士の論述のなかにあった。 心臓の活動全てを、液体の流れと気体の流れ、いまは仮に「運動」を「流れ」と呼ぶが、これら2つの流れが互いに入り込んでいく結果として把握する時初めて、心臓の力学的基礎にアプローチできる。 では結局心臓とは一体何なのか? つまるところ、心臓とは(液体と気体を統合する)感覚器官なのである。たとえ心臓の感覚を直接は意識できなくても、つまり心臓で起きることが、覚醒意識下の潜在意識の感覚に属しても、やはり心臓は、いわば人体の上部の活動が、下部の活動を知覚し、感受することを可能にするために存在している。 それは、眼によって、外界の色彩現象を知覚するのと同じように、もちろん無意識ではあるが、下半身で起きることを心臓を通じて同じように知覚している。 結局、心臓とは、人体内を知覚するための感覚器官[Ein Sinnesorgan zum inneren Wahrnehmen]なのである。心臓を感覚器官とみなければ心臓は理解できない。 人体の両極性を理解するには、人間が、上から下を知覚する二重構造の存在という事実を知る必要がある。ただし、次のことを加える必要がある。広義の栄養摂取、栄養消化を、呼吸活動との同化に至るまで研究する際に、下位の活動が人体の一方の極であることがわかるが、その呼吸活動との同化は、律動活動を介して共に行われることである。 律動活動はとりあえず置いておいて、呼吸活動に組み込まれ、呼吸活動に属するのは、感覚-神経の活動、すなわち外界の知覚と、この知覚の継続や知覚の加工に関わる全般である。 つまり、広義の呼吸活動の、感覚-神経活動全般をイメージできれば、人体の他方の極がわかる。先の一方の極は、栄養摂取、栄養消化、いわゆる新陳代謝全般を総合的に見れば、人体の一方の極がわかる。 心臓の本質は、その運動から、この上部と下部の均衡を表現する感覚器官であり、それも無意識の知覚器官であり、人体の上記の二極間を中継する。 解剖学、生理学、生物学が提供する題材を、この原理から研究できれば、この原理によって初めて人体の中に光が差し込むことがわかるだろう。 心臓により中継される、この上部と下部を区別しない限り、人間は理解できない。なぜなら、心臓の運動は、下部の活動で生じる全てと、上部の活動で生じる全てとの間の根本的な差異から生じるからである。 この差異を単純に表現するなら、下部で起こる全ては、上部にそのネガ、つまり反対の対応をもつ、と言える。上部に関する全ては、逆に、常に下部にも、その対応を見つけることができる。 (宇宙の法則の1つ、上にあるものは下にもある。) けれども重要なことは、上部と下部は、本質的に、物質的に均衡を図っているのではなく、霊的に対応している、ということなのである。下部の物質を、常に正しく上部の非物質と関係づける、ということを理解すべきで、物質の仲介を見つける必要はない。 単純な例を挙げれば、咳である。咳は、上部器官と関係するから、上部に属すわけだが、下部で、咳に対応するものは、オナラや下痢のなかにみつけられる。上部に対応するものが常に下部でも見つかる。 こういう上下の対応関係に正しく着目することで、真の人間理解に到達できる。 ★ ★ ★ さて、TVでの内容は、心臓移植により、かつては肉食で運動をしない怠惰な金儲けしか頭にない我儘で傲慢な会社の社長だった阿修羅の人物が、それとは正反対の菜食で積極的に運動をし慈善活動や慈悲深い菩薩の人物に変わった話だった。 TVでは、心臓を提供した人の菩薩のような性格が移植を受けた人に乗り移ったという推測をしていたが、上のシュタイナーの話から、心臓が栄養素の感覚を認識しているので、心臓提供者の菜食志向が、心臓を通じて移植をうけた人物に伝染し、肉食を止め、菜食になったために、消化のために運動をする必要が生じ、運動を積極的にするようになり、菜食と運動により、仏教の修行者のようになり、慈善運動や慈悲深い思考力をもつようになったと考えられる。 ちなみにTVの話は以下に載っている。 ★ ★ ★ 心臓移植で転移する人格 - 記憶は細胞に宿るか http://x51.org/x/05/03/0202.php ★ ★ ★ この話では心臓だが、人智学から考えれば、他の臓器もあり得る。 臓器移植により性格が変わる話は以下に紹介する。 ★ ★ ★ 【記憶転移】臓器移植で人格や性格が変わる事はあるのか? http://matome.naver.jp/odai/2138917667091407001?page=2 臓器移植で嗜好や性格が変わる!? 臓器移植の結果、 ドナーの趣味嗜好や習慣、性癖、性格の一部、さらにはドナーの経験の断片が自分に移ったと感じているレシピエントの存在が報告されている。特に心臓移植や腎臓移植のあと自分の趣味嗜好が変化したと感じている例が多い。 (中略) 最新の研究では、脳以外の場所に記憶が蓄積されている可能性があることがあきらかになってきました。「プラナリア」という、再生能力の強い生物を使って、アメリカのマサチューセッツにある大学の研究者が実験したところ、頭部をなくして、新たな頭部を再生したプラナリアが以前の記憶をもっていることがわかったのです。 (エーテルのことである。トカゲの尻尾の例で、このような話をシュタイナーは既に1920年代に述べている。) 研究者は、この実験だけではプラナリアの脳と記憶の関係について断定することはできないとしていますが、今回の研究結果から人間を含める動物の記憶の復元についての研究の出発点になるとしています。 ★ ★ ★ 人体にはパラケルススがアルケウスと呼んだエーテルが記憶を司り、各器官に浸透している。気功のことである。人智学では、記憶はエーテルが司り、神経-感覚器官に浸透するアストラルは、エーテルに造形(リズム)を与え、整理し、秩序を与えている、としている。だから腫瘍は、アストラルが浸透できなくなったエーテル流の塊である。無秩序に増殖したエーテルである。エーテル流が固定化して物質が生じる。
2015年11月16日
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前回は、巷に蔓延るホメオパシーのほとんどがインチキなのをシュタイナーの話から紹介したが、連中が愚かなのは、ホメオパシーは、自然治癒力を発揮させるのが原理と説きながら、なぜ自然治癒力を発揮できるのか、のホメオパシーの原理を全く理解していないところにある。 つまり、インチキなホメオパシーは、西洋医学のアロパシーを拒否するための口実の、アロパシーに対するアロパシーでしかない。 西洋医学の治療の根本理念は、「毒は毒をもって制する」にあるが、その毒を拒否したいためのアロパシーとなっているのが、偽ホメオパシーなんである。 偽ホメオパシーは、ホメオパシーと呼んではいるが、実はアロパシーにすぎない。どこかのインチキアホノミクスのアホバカ政権と同じ反知性ぶりである。反知性も知性に対するアロパシーだからね。 だから、毒を飲むよりも、毒でもないプラセボでしかない薬といわれるものを飲むのである。しかし、毒でなくても、水だって大量に飲めば致死に至るわけで、ただただ無知の上塗りにすぎない。 悪口ばかりいってると、そのうち天罰が下ってしまうので、この辺でやめる。 さてホメオパシーの自然治癒力だが、誰が名付けたかわからないが、「自然治癒力」というネーミングのセンスに驚嘆する。 「自然治癒力」とは、外界の自然の働きのことである。外界の自然の働きを人体に持ち込むには、人体を自然と同化しないといけないわけで、だから、ホメオパシーといわれるのである。毒の希釈などは些末にすぎない。 巷の偽ホメオパシーはまた信じれば救われるかのような宗教化しているのも大問題で、そこにカネが介在するので、商業化しているわけで、こんなインチキでは地獄に堕ちるだけである。 そもそも、自然と同化した生活をしていれば、病気に罹らないはずである。病気に罹るのは自然と同化できていないからで、だから、生活を改め、自然と同化すれば病気も治る。野生動物をみればわかるが、自然と同化しているから、病気に罹りにくいし、人工物の餌で病気になってもまた自然に戻れば治る。 つまり、シュタイナーも述べているが、野生動物は医食同源を実行している。ツグミがオニグモを食べた後で、ヒヨスを必ず食べることなどを以前紹介した。 地球という生命体のなかの人間は一細胞ともいえるが、地球という自然と同化しない生活をしていると、人体が癌化するのと同じように、人間は病気になる。 ホメオパシーとは、このように非常に単純な原理なんである。 だから、パラケルススは、医師は、自然から治療法を学ぶべきであると説いている。自然治癒力は、人体を自然に同化させることにあるからである。 しかしながら、自然は複雑でその働きも非常に複雑なので、それを十分に理解するのは困難で、ホメオパシーの原理は単純だが、現実には多種多様の進展があり、非常に複雑なものとなる。 さて、シュタイナーの医術の話では、パラケルススの話を頻繁に持ち出している。パラケルススが、人智学ではエーテルと呼ばれているアルケウスを提唱し、かつての霊能力を基にした古代の医術を蘇らせようとした人物であるのを紹介している。ホメオパシーもパラケルススの医術が源流である。 パラケルススの医術はホムンクルスで集大成を迎えるが、そのホムンクルスは非常に難解である。だから、なるべく理解しやすいような話を紹介し、その後でそのシュタイナーの話を紹介する。私も何度も読み直している。 ★ ★ ★ 講演録 バッチ博士は魔法使いだった(中編) http://holotropic.wix.com/network#!untitled/c20kr さて、植物とは何か? エゴを捨て、集合的無意識だけで生きる生物です。 ルドルフ・シュタイナーという怪しい人がいるんですが、シュタイナーは衝撃的なことを言っています。 ―—動物は集団で魂(アストラル)を肉体に入れた。だから自由に動けるようになった。そのかわり宇宙と切り離され、ミクロコスモスとして閉ざされた。小宇宙として魂を肉体に封印することで他の世界と連結せずに「単独で生きる」道を選んだ。だから動き回った。 植物は魂を生まれ故郷の星に置いてきた。そして肉体と幽体(エーテル)だけをこの世界に入れた。だから自分の生まれ故郷の星に向かっていつも空を眺めている。だから魂がその星にあり、肉体がこの地球上にあるが故に、その星までつながる距離にある全てが本当は植物の体なのである。 植物は個性を捨て菩薩となった。自らの体を他の存在に捧げることを選び、酸素を供給し、二酸化炭素を合成し、食べられ、奉仕する生活を選んだ生物である。完全な無我を選んだ。そして、個性を捨て集団の意識として、誰かのために、自分を犠牲にして生きている。 バッチ博士は、選んだ38種の植物は人間の魂よりも進化の段階が進んでいなければいけないとしたんです。なぜなら、そうでないと人間を助けられないから。 そして、同じことをシュタイナーは言っています。 —―人間より進化する植物は、人よりも背丈が高くなるか、もしくは群生し、同じ仲間と一緒に咲くか、する。人間よりも魂が、進化していない植物は、きのこ、とか苔のような地面に生える。 だから、人の魂を救う治療薬に採用できる植物は、生長した時に、人よりも大きく、魂が人よりも進化する菩薩となった植物だけである。 ★ ★ ★ シュタイナーのホムンクルスの話 ★ ★ ★ 人間を永遠に全宇宙の生命環境のなかに配する試みが、神々によって、どのように行われているかがわかる。 この意味を理解するには、自然のなかの生命体、つまり、地のエネルギーを直接吸収することで生きる植物と人間との関係を調べてみればよい。 植物は、地から生じるエネルギーを直接吸収した後に、花や種子をつくるために、そのエネルギーの多くを蓄え、他の生命体に食べられる生命体(食物連鎖)の基礎となる、通常肉眼でみえる植物の物質体は、まさしく特定の地のエネルギーを吸収することでつくられる。 植物がこの地のエネルギーを吸収し、地から離れた後、次いで地球外の天のエネルギーに曝され、生命を育む愛を享受し、種子や実を最後に作り終えると、植物は、植物界の上方にいる動物のように、自然のなかを動き廻る存在になりたいと願う。更に、植物は、人間のような知覚をもちたいとも願う。 ただし植物は知覚器官を持たないので、植物のままで、人間の眼のようなのを発達させようとする。 しかし、植物は目をつくれない。植物が地上にもつのは物質体とエーテル体だけで、人間や動物のようなアストラル体をもたないからである。 だから、植物のなかには、動物化するベラドンナ[Tollkirsche]、アトロパ・ベラドンナ[Atropa Belladonna]などもいる。 植物が、半分動物のベラドンナになっていく進化過程をいくらか具象的に描写しようとしたことがある。動物になりたがるような植物はベラドンナになる。そして、ベラドンナになることで、その根のなかに、目の代わりに、最終的に黒い液果の実をつくるように導くエネルギーをもつようになり、この植物は、人体のなかの次のような作用と親和性をもつようになる。 図形やイメージをつくる思考力、本来は神経のような感覚域で生じる運動能力、つまり人間を物質の領域から感覚の領域へと上昇させるような能力との親和性をもつ。 人体で非物質化するベラドンナを服用した場合に生じる反応は、きわめて興味深いもので、それは夢見の潜在意識によく似た状態になる。 この夢見の潜在意識が正常化されたのが、人間の目覚め(覚醒意識)に相当する。目覚めの際、感覚で知覚できずに、夢見の潜在意識のままなのが、このベラドンナの作用にあたる。 このベラドンナによる中毒とは、ベラドンナの毒によって、通常の目覚めに至らずに、まだ夢に浸透された夢見の潜在意識の状態がずっと持続していくことなのである。 この中毒のように、過度にならずに、ベラドンナの毒が、毒にならずに適切な形で人体に与えられると、覚醒を阻害せずに、人間に覚醒を起こさせるのは興味深い。 以前にも特徴を述べたように、ベラドンナ化とは、植物の人間化への狂気の努力なのである。だから次のような結論に至る。 「人間の目覚めは、人体内にベラドンナをもつことである。ただし、この場合、ベラドンナの毒を和らげ、無毒化した節度ある非物質化したベラドンナであり、目覚めの全過程のなかの一瞬の過程に限定されている。」 従って、人体内がアルブミン化の傾向にある場合、その重荷から解放し、過度に作用するアルブミン化を抑制するなら、非物質(エーテル)化したベラドンナを与えればよい。 そうすれば、このレメディは、魂のなかにも作用する。これは不可視のもので幻影にもみえるが、通常の肉眼でも見える外界のベラドンナ(のエネルギー)にかわりはない。もし、万が一、ベラドンナを与えた結果、覚醒状態に至らずに夢見の状態のままなら、その人を死なせてしまうだろう。 人間は目覚めるとき、常に、このベラドンナの毒と同じような生命の危険に曝されている。ただ、この生命の危険を克服できるように、この過程を一瞬に限定し抑制している。このベラドンナという植物と人間の関係から、ベラドンナが適切な形で人体内で無毒化されていれば、正常な覚醒となるが、無毒化されずに、正常域を越えると、異常な夢見の状態(眠り病)となることがわかる。 このベラドンナの人間化の作用は、古代の医師たちが繰り返し追求した進化過程である。 だから古代の医師たちが、ホムンクルスの製造法について語るとき、まだ残っていた霊視力で、アンチモン(人間化の象徴)のファントム(植物が人間化していくイメージ)のようなものをみていたことがわかる。 彼らが実験室で行う製造法とは、霊視でアンチモンのイメージをみている間に、このアンチモンのエネルギーを抑制できる、人体内のアルブミン化のエネルギーの割合を評価することで、それら2つの正負のエネルギーが、まさに1つの力として現われるような再現の実験にある。 人体内から過度のアルブミン化のエネルギーを取り出してきて、アンチモンに放射し、アンチモンが様々な形(フォルム)をとって変化していくなかで、一瞬に現われてくる均衡点のホムンクルスを見た。 この正負のエネルギーの均衡点で現われるものを、彼らはホムンクルス(人体の恒常性)とした。 ★ ★ ★ いまの細胞レベルの反応を調べるのと同じである。人体から免疫細胞を取り出して、病原菌などに曝して、評価する方法など。ただし古代では細胞ではなく、もっと遥かに微小な素粒子以下の実験であったところが異なる。
2015年11月12日
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ホメオパシーぐらい現代で曲解されている言葉はないだろう。ホメオパシーは、中世以前の唯物論を超えた概念でないと理解できない。人智学は、その概念を再び現代にもたらすものなので、人智学を唯物論で捉えると何も理解できないのと同じように、中世以前の書物も意味不明となる。特に聖書などはほとんどが曲解されている。 さて、そこでシュタイナーの述べるホメオパシーの話を以下に紹介する。少なくとも、量子力学を知らないと理解できない代物である。量子力学も唯物論では理解できない代物で、アインシュタインだって相対論も唯物論では理解できないものなのに、「神はサイコロを振り給わず」と言って理解できなかった代物なんである。 ★ ★ ★ ホメオパシーは、本当は人智学で解き明かすべきものだが、人智学で解き明かすことで、唯物論者から、愚かな嫌疑が向けられるのを避けれない。 この愚かな嫌疑は、次のような疑惑を生じさせる。私(シュタイナー)はこの疑惑とはすでにもう数十年も格闘してきたが、それは次のようなものである。 「ホメオパシーを利用する医師でさえも、神秘主義者と疑われるのを恐れる、すなわち、神秘主義者という評判を恐れる。」 さて、私がこの疑惑と取り組んできた理由は、普遍的な神秘主義とは全く異なる、特定の、あくまで現象論へと回帰していく見解をみつけるためである。 ホメオパシーを利用する治療法に求められる、その本質を、実際の物質の性質から正しく記述しようとするなら、神秘主義的な表現に頼らざるを得ず、物質そのものではなく、物質を形作るエネルギーを、いかに人体内に配分するかにかかっているからである。 つまり、外界で、珪酸となっているエネルギーや、例えば、植物のなかで炭素となっているエネルギーを、人体内ではいかに配分すればよいか、ということにある。 物質そのものよりも、物質となっているエネルギーを、人体内にどのように配分し、供給するか、がホメオパシーの原理である。 ホメオパシーの薬(レメディ)を、人体に適応する際に、外界のものが人体ではどうなるかについて、私は随分と研究してきたが、例えばリッターの療法(光線力学的療法)も、このホメオパシーの薬(レメディ)に含めたいように思う。 光線力学療法 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E7%B7%9A%E5%8A%9B%E5%AD%A6%E7%99%82%E6%B3%95 (広義では、放射線治療も放射線を電磁波の一種とすれば、光線力学療法ともいえる。) リッター療法を発見したリッター嬢自身が認めなくても、ホメオパシーの原理を用いているからである。問題はまさに、ホメオパシーの薬が人体でどのように吸収され、人体に役立てられるか、そもそも薬のもつエネルギーが、人体に何を起こすのか、ということにある。 ホメオパシーの原理は、人体内でのエネルギーの配分にある。外界のエネルギーが人体内でどのように配分されるのか、という原理全体を知ることにある。 例えば、珪酸を薄めて、人体に適応する場合、どのような効果が得られるのか? 珪酸を減じていくと、ある均衡点に達することがわかる。自然では、全ての現象が、根本において、均衡点を目指す繰り返しの過程(波動)に基づいている。外界では、物質がもつ固有の性質、結晶化して当初前面に現われているエネルギーは、ある種、鉱物化の均衡点を目指す。 さて、例えば、私が莫大な財産を持ち、それをどんどん使い果たし、ゼロになっても、更に使おうとすると、今度は財産が無いだけでなく、財産とは逆の性質の負債という借金に移行するが、外界の物質の性質も、ちょうど、これと同じような原理が当てはまる。 (空売りの投資を続けると、負債が圧し掛かることになる。貨幣という数字はあるが、信用がなくなっている。資本主義の国家の財政赤字は実はこの空売りにある。金銭の額が上がるにつれ信用を失っていく。) 物質でいうなら、物質を形作るエネルギーがもはや計測(可視)可能な状態の実質ゼロとなる霊界との均衡点に到達する。 更に先に進むと、珪酸を形作る正のエネルギー全体が消え去るだけでなく、珪酸とは全く逆の反物質が現われ、この反物質が、周囲の媒質に混入する事態になる。 従って常に、物質を減じる媒質のなかに、つまり、減じられた物質とは反対の、つまり、ホメオパシーの原理により、物質とは逆の性質の反物質の混入、負のエネルギーをみる必要がある。物質を減じる媒質は、その削減により、(陽の)物質とは逆の(陰の)性質を獲得する。 財産から借金に移行し、社会生活での財産所有者が負債者になるのと同じように、物質もその反対の状態に移行し、以前もっていた性質とは反対の性質を周囲に付与する。すなわち、物質の量をどんどん減らしていき、その物質のゼロ点(均衡点)を超えることで、その物質がもつ特性とは、逆の性質を獲得する。 つまり、物質を適切な方法で減じると、以前もっていた性質とは逆の性質を周囲に放射したり、それを促進できる。この促進は、当初物質がもつ性質とは、逆の性質を直接引き出せる媒体にかかっているが、これを可能とするのはやはり、当の物質をゼロの均衡点の状態にまで誘導し、その後、反対の性質を発揮できるような媒体をみつけなくてはいけないが、例えば、光の影響下で、蛍光や燐光を発したりするような状態を、物質から誘導できるような媒体が考えられる。 このような媒体をみつけたなら、物質とは反対の性質を周囲に放射できる。実際、重要なのは、神秘主義に陥らずに、自然の隠れた真の活動、つまり物質の性質について、実際の、その規則的、波動的な進行に介入できるように自然を霊視することにある。 (残念ながら、現代のホメオパシーの大半はインチキで、薬とされるものは単なるプラセボでしかない。) この霊視が、様々な作用の源流がどこにあるのかを認識するための基礎知識となる。物質を減じていくと、可視の領域を超え、ゼロ点(外界と内界の均衡点)に達する。このゼロ点の向こうには反対の作用がある。しかし、これで全てではなく、今度は、このゼロ点の向こう側にある領域のなかで、この反対の作用が、またゼロ点となるような均衡点に達する。 この点を超えていくと更に、高度の作用、確かに、当初の方向(ベクトル)と同じ向きにあるが、全く逆の性質を持った更に高度な作用に到達できる。 (負のエネルギーにより創られる反物質のことか) だから、物質を減じることで明らかになる様々な作用を曲線で描ければ実際に素晴らしい。ただ、この曲線は独特の数式で記述しなければならないのに気づくだろう。 つまり最初はゼロ点まで徐々に減少する曲線となり、次に、ゼロ(均衡)点を超えると、低レベルの逆の作用が生じ、今度は、その低レベルの逆の作用がゼロ(均衡)点に到達し、それを超えると、今度は高レベルの作用が生じる。 この第2のゼロ点で、曲線は、直角に転回して、曲線の記述面を超えて、空間に曲線を続けて引かなければならない(鞍点)。 鞍点 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%8D%E7%82%B9 ホメオパシーについては、この講演のなかで更に述べるが、これは人間と外の全自然との親和性全体に密接に関わっている。 さて、外界の植物の炭を霊視すれば、はじめに思い浮かぶのは、多量に人体に服用すると、植物炭から特定の病気が誘発されるが、ホメオパシー療法の医師の見解に従い、この同じ物質を人体内で減じる薬などを用いることで克服できる。 植物炭に関して、人智学者には更に何がわかるのか。人智学者はまず、外界の自然のなかの炭の働きに注目する。既に鉱物化し始めた外界の炭や、地中の炭などが、どういう状態にあるのか、また、どうしたら、その状態に導けるのかなどを霊視する。 そうしてわかるのは、炭素とは本質的に、酸素を用いて地球の生命全体に関与している、という事実である。地球という生命全体では、地中の炭素の含有量が地球の周囲の酸素の含有量を調整していることである。 地球全体を、生命としてとらえるのが必要だが、地球全体の呼吸の影響下で、地中の炭素の含有量において、この地球の呼吸に関与している、ということである。 昨日質問された化学の問題の、炭素の量は、人間の呼吸もしくは動物の呼吸との関係から霊視するときにはじめて算出できる。というのも、土の炭化と、地球の周囲の大気の酸素、すなわち空気との間で生じる生命的な調節の根底をなすのは、人智学の霊視から、動物化の傾向として現れるのが、わかるからである。 この動物化の傾向は、実際に、衝撃を与えるような形でしか特徴を述べることができない。土の炭化と、地球の周囲の大気の酸素を巡って起こる調整から外界で生じる存在は、エーテルからなるが、実在し、地上に住み着こうとする動物性とは反対の絶えず地球から離れ、遠ざかり、立ち去ろうとする存在たちもいくらか出現させる。 動物とは、地球の、この脱動物化に対抗する生命の進化過程で、地球により地上に集められた存在で、この地球の生命進化過程の最中に、動物として前面に出てくる存在として把握しなければ理解できないものなんである。 従って、植物炭を人体内に摂取する場合に生じるのは、地球の動物化と同じく、人体を動物化することに他ならない。 だから、植物炭を食べることで、発生する症状の、ゲップから腸内ガスに至るまでの腐敗性の下痢その他、痔疾など、またありとあらゆる焼けるような痛みに至るまでの、これら症状の全体像を見れば、人間が人間となるために、その進化の過程で、人間から排泄された動物性、つまり、この動物化が、人間のなかに再び摂取されることに起因する。 この事実から次のような結論に至る。人間に多量の植物炭が与えられると、侵入してくる動物化から身を守るように促される。 身を守るには、人間の生命が周囲の環境に負っている事実を、自らの人体にも適用させること、つまり人間が進化していくなかで動物性を自分の外に出したことを、再現することにより、なすことができる。 ★ ★ ★ このようにホメオパシーは、唯物論を土台とした現代科学からも考えて合理的なんである。「物質を減じる」ことを希釈だけに限定して考えたりすると誤ってしまう。 間違ったオカルトや神秘主義に陥らないためにも、物質科学だけは最低限マスターしておくべきである。物質科学で説明できない現象を扱うには、物質科学に精通していないと駄目なんである。だから、科学者でない霊能者はインチキなんである。 恐らく、毒を飲んだときは、毒が体内で薄まるように大量の水を飲めばいい、というのを、間違って、薬としているのがいまのインチキのホメオパシーなのだろう。 ホメオパシーの本当の意味は、外界の自然と人体を同化させる(ホメオパス)させるという意味なんである。自然と一体化した生き方のことである。だから和の精神なんである。
2015年11月11日
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ゴミウリ虚人賭博問題にしても、東芝インチキ会計にしても、その処分の顛末を詳細にみるとトップには非常に甘い処分が、特にA級戦犯を代表に、明治以来行われてきたのはなんらかの利権保持のためではないかと勘繰ってしまう。 A級戦犯がCIAのスパイであったことは、もはや米国市民の情報公開法から明らかになっているが、つまり、インチキに対するインチキ処分により、悪魔がインチキ処分を利用して、この国の精神を腐敗堕落させてきたことが、トップに甘い処分から明らかなんである。 インチキをインチキで蓋をすれば、この世でバレなくても、あの世の審判で地獄にいくことは必定なんである。というのも、この世に生まれてくるのは精神の向上のためで、不正やその誘惑に手を染めない本当の自由な精神を獲得するためだからである。 この世の誘惑に負けなかったから御釈迦さんやキリストは、ホームレスになれたのである。 つい最近も、この国の多くの住人を犠牲にしたジャパンハンドラーズのニセモノユダヤ悪魔の手下に勲章を与えるなどの泥棒に追い銭をやるようなことをしたのが以下のリンク先で紹介されている、この国の精神腐敗の売国奴たちである。自分達さえよければよいという腐敗した精神が人類を滅ぼすことがわかっていないアホバカたちである。 ★ ★ ★ 日本を乗っ取っている米国戦争屋のブレーンに勲章を出す神経 http://plaza.rakuten.co.jp/lalameans/diary/201511060000/ ★ ★ ★ 地獄への切符、つまり堕天使の烙印を押されているのに気づいていないのだろうが、この連中は天使の昇格試験から落第したのである。このような無神経さや無知さには驚くばかりだが、これも唯物論に洗脳された顛末といえよう。皆最後は死んでいく肉体の存在に勲章など何の意味があるのだろうか? あるとするなら、生きているときよりも、死ぬ間際の態度であろう。他の人間を犠牲にし、この世を地獄化しておいて勲章も減ったくれもない。まさしく下衆の極みである。 これ以上話すとオカルトの話になってしまうので、その手前までにとどめておくために、お馴染みの播州武侯祠遍照院さんのサイトからリンク先を転載紹介する。 オカルトからいえることは、人間はこの世を天国にすべく生まれてきている、ということである。それを地獄化するのは「自分さえよければいい」というエゴの考えにある、ということである。 ★ ★ ★ 日中共食い計画を斬る。 混沌堂 http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/ ★ ★ ★ 人類を支配しようとしている悪魔の手下のような連中は、人類から裏切者を集い人類同士を戦わせて修行を怠り楽をして、原罪を免れようとしているアホバカな落第生連中のことである。 南沙諸島の人工滑走路建設と、辺野古の米軍滑走路建設のどこがどう違うのか? 沖縄は米軍の土地ですと言う表明と南沙諸島は中国の領土ですと言う表明の違いでしょ。いずれも地球上の線引きに変わりはないエゴの闘争にすぎない。こんなアホバカな連中の話をマトモにとりあげるほど人類はアホバカになってしまった。 こういう人類の落第生たちをなんとか救おうとしている神々の努力も無駄にするから情けないッたらありゃしないよね。 こういう落第生たちに巻き込まれると、精神が益々腐敗するので、ここまでにして、続けて、この国の食の欧米化による、東洋の精神の腐敗について紹介する。 ニセモノユダヤは、食の欧米化と同時に医学の欧米化を、メーソン革命といわれる明治維新からこの国に導入した話を紹介する。 ★ ★ ★ 西洋医学の歴史がすべてを物語る~現代医療が世にはびこる真の理由~ http://shinhakken-blog.seesaa.net/article/426653580.html 人間は地球上で最も賢い生物と言われ、生態系の頂点に君臨していますが、こと「病」となると、野生動物よりも愚かな行為をしているのではないでしょうか。 人間だけでなく動物も風邪を引く(体調不良になる)ことがありますが、人間はすぐに病院に行き、もらった薬をのむために無理やり何かを食べて解熱剤やら抗生物質やらを飲みます。ところが、野生動物は何も食べずじっと体を休めて自己治癒力で体を正常に戻します。 その昔、人間も自己治癒力を促進するための医療行為が中心でしたが、いつの間にやら何かしらの毒薬を体内に摂取し、即効性の反応を期待する対処療法が主流になりました。 この西洋医学への転換期こそ我々が知らなくてはならない愚かな動物になった瞬間といえるでしょう。。 西洋医学の歴史の原点はケガを治すことからはじまった! (これが西洋医学の愚かな出発点で、裏を返せば、怪我がないと、西洋医学は発展しないことになる。つまり怪我をつくりださないと儲からないわけで、だから悪知恵からはじまっている。いまでも病院を儲けさせるには、患者をつくりださないといけないわけである。米国なんか高額医療のために医療を独占する保険屋がのさばる始末である。つまり西洋医学は出発点から間違っている。) その転換期を先に言ってしまうと1899年だったのです。医療の歴史が大きく変わったターニングポイント1899年に一体何が!? その前に1899年前までの西洋医療の流れをみると面白いことが分かります。西洋医学はそもそも外傷や感染症の治療が原点なのです。 というのもその当時のヨーロッパは戦争があちこちで起き、怪我人が続出してました。西洋式の解剖学から人体への対処法が理解され始めたその時代、応急処置が必要なけが人を治せる外科技術=西洋医学は高く評価されてました。 18世紀のヨーロッパは外科依存から当時でいう“現代医療”が認められ大きくなっていったんですね。 また、その頃、ウィルスとか細菌という存在が発見されるようになり、これを何とかすれば感染病を防げるということでそこを科学的に追求する西洋医学が注目されました。 その当時流行した天然痘を突き止めてワクチンを大発明したとされるエドワード・ジェンナーは今でも医学史上に名を刻まれています。これは実は全く効き目のない嘘っぱちのワクチンだったのですが、今でもその名残りでワクチン摂取=感染症の予防が可能という世界の現代医療の通説を作っているのです…。 その頃の西洋医学というのは外科の応急処置において東洋医学では対処できなかった治療法で多くの人の命を救ったという事実がありましたが、実は欧米の中心的な治療法は、ナチュロパシー=自然療法やホメオパシー=同種療法が主流でした。 19世紀になると英国、米国に医師会の団体が設立しましたが、この頃もホメオパシー派は医師会の現代医療アロパシー派の2倍以上いたと言われています。 それが世に流行る結核やコレラをはじめとする病原菌に対するワクチン研究開発などいずれも科学的実証は何一つされてませんが、医師会の活動が活発化してきます。きっとこの頃だと推測します、、、。世の中の感染症パニックでワクチンにすがる市民とそれに答えようとしていた医師会が少しずつお金に対して目覚め始めてきたのは・・・。 1899年クーデター:西洋医学の歴史の転換期 ジョージ・H・シモンズ博士。彼はずっとホメオパシー派として多くの市民の治療を行っていた医師でした。その彼がいきなり自身のホメオパシーの病院を閉め、アロパシーの西洋医学の正当化とホメオパシー、ナチュロパシーの弾圧に踏み切るのです。 (いまのように当時も誤ったホメオパシーが広まっていたので、仕方がないともいえる。このブログでも紹介したが、ホメオパシーは霊能者でないと使えない。 ホメオパシーで第一にやることは漢方と同じで生活環境の改善である。しかし現代人は生活環境を変えるのを拒みながら治癒を求めるので、その根本の堕落した精神を治さない限り無駄である。) そのやり方はお金を持った権力者からスポンサーバックアップを受け、そのお金で現代医療の宣伝を打ち、国家権力を利用した自然療法派の否定と弾圧を繰り返し、一気に大衆を西洋医療の道に導くことに成功しました。 また、その頃から少数の富裕層だけにしか医師の免許をとれないよう敷居を高くして医療制度の法制化が行われ、それ以降は西洋医学の絶対性を叩きこまれた医師を正道派として増やしました。その結果、自然療法派を数でも圧倒した完全なる西洋医学の勝利をおさめることとなります。 これは「自然療法=お金にならない治療法」から「現代医療=検査、薬で稼ぐ治療法」へと大きな転換をするクーデターに成功したことを意味します。 (医療を手の届かない高額な存在にしたのが、西欧化である。) 補足となりますが、そのスポンサーとなったお金持ちは大財閥のロックフェラーであり、彼が支配する石油を使って現代医療に使われる薬が作られています。そして今でも多くの世界の製薬会社の大株主となっています。また、彼が設立した「ロックフェラー医学研究所」を通じて上述の現代医学教育システムを作っていったのです。 さらに驚きなのは、そのロックフェラー家系は今でもホメオパシーによる専門医をつけていて、現代医療の治療は受けていないことで知られていることです。 そんなクーデターの前の1854年、コレラが大流行した時の記録が残ってます。その時、ホメオパシーの病院の死亡率はわずか16.4%だったのに対し、西洋医学=アロパシー派の病院では50%にも及んでいたそうです。ところが、後でこの記録はロンドンの衛生局が故意に隠蔽されたことが分かったのです。 日本の現代医療依存度は世界でもトップレベル その昔、日本は東洋医学が中心とされていました。ところが明治維新の開国後から戦争に突入する日本は、ケガなどの応急処置に優れた西洋医学を積極的に取り入れます。そして最後の極めつけが戦後のGHQ占領時によって行われた西洋文化の導入政策です。 占領=市場独占ですので、GHQはアメリカの利益になるような政策を取り入れます。ドル箱市場の西洋医学へと完全移行していたアメリカは、日本も根強く医療文化としてあった鍼灸の東洋医学を排除、弾圧をし、積極的に西洋医学を取り入れていくことになります。そこで日本も完全なる西洋医学の絶対性を洗脳されてしまったんですね。 しかし、現代では西洋医学を広めたアメリカですらも時代の変化で代替医療や自然療法などが注目され拡大していますが、日本は西洋医療鎖国状態のままです。未だにその当時のまま、むしろ拍車がかかり治療の選択肢は薬漬けの西洋医学一本に絞られていると言っても過言ではありません。 ひいおじいさん、おばあさん世代は昔ながらの伝統治療が頭にありますが、占領時期に子供だった今のおじいさん、おばあさん世代は、西洋医学に依存する傾向がみられますよね。これが完全に日本の西洋医学神格化の原点世代といえます。 西洋医学の歴史を見れば、いかに人間の真なる医療行為に相反し、別の力学によって世界に浸透していったのかが分かりますね。 ★ ★ ★ 明治維新が、米国南北戦争の廃棄銃を売り払って行われたように、ニセモノユダヤ悪魔により、この国は欧米で廃れた人殺し兵器の廃棄場とされているのである。 有名な坂本龍馬は偶像で、戦後のA級戦犯と同じで、グラバーに飼われた売国奴である。裏表全く逆にするために英雄化されたのが宣伝広告の実体である。 アロパシーの論理からいえば、売国奴アホバカウイルスを駆除するのが治療法なのだがね。
2015年11月10日
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肉食によって傲慢になるとまではいわないが、団塊世代を例に見る限り、食の欧米化が、傲慢な性格を形作る要因の一つであることが、これまで紹介してきた話からわかる。勿論、シュタイナーも述べているが、現代人にとって肉食は個性を形成するためには必要だが、ある程度の個性を形成したなら、やはり次第に菜食に戻していくほうが、自然に叶う生き方というべきだろう。 ついでに、食事だけに限定せずに、睡眠やエクセサイズなどの健康への関心についても、この国を調べていくと、食の欧米化とは別に、昨今、色々いわれるようになったとはいえ、睡眠やエクセサイズなどについては全く無関心なのが明らかになる。 かつての東洋哲学には、精神修養という徳目があったが、食の西洋化により、精神はおろか、肉体までも、その修養についてほとんど無関心であることがわかる。 以下のデータから、この国の住人が、健康への関心について、国際的にも著しく低いことが明らかになる。 ★ ★ ★ 世界の健康生活レベル調査で出た日本の結果に衝撃! http://shinhakken-blog.seesaa.net/article/415835600.html 世界各国の人たちはどれくらい自分の健康ケアをしているのか? 大体的な調査結果がドイツの大手マーケットリサーチ会社GfK(2015年1月に発表)より発表されました。この調査は23カ国28,000人以上から日々の生活を調査したものです。 調査は、オンラインやインタビューなどで行い調査対象国は以下23国です。アジアでは、日本、韓国、中国が選ばれてます。しかし、よくもまあ、こんなに調査したもんだなぁ~。関心。
2015年11月09日
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この世で大嫌いなものは、ホリエモンとハシゲ―だが、その大嫌いなホリエモンがまた以下のような、お騒がせ発言をしたそうである。お馴染みのサイトから転載紹介する。ハシゲは四六時中しているので、もはやどうでもいいスルー状態である。 ★ ★ ★ 修行は無駄 http://my.shadowcity.jp/2015/11/post-8170.html#comments 寿司屋の修行という話なんだが、ホリエモンとかヒキコモリとか、世間知らずのバカなので、「築地で切り身買ってきて乗せるだけ」としか考えてない。修行に10年かかるという理由なんだが、たとえば「シンコ」というネタがあるわけです。コハダは一年中あるが、その稚魚であるシンコは、年のうち数週間という短い旬。初夏の魚です。 しかもハシリにはkg何万円もする。豆州楽市ワサビ園の日本一高い山葵より高いw そんなもの、下っ端は触らせても貰えない。コハダもそうだが、シンコは小さくて身が薄いので、一層、塩と酢の加減が難しい。シンコの握り覚えるには、だから10年かかるんです。コハダだけでいいなら、確かに数ヶ月でいいだろうw まぁ、シンコだけじゃない、季節のネタなんて、無尽蔵にある。その全てを経験するには10年あっても足りない。 一人前になるには、「飯炊き3年、握り8年」の修行が必要と言われている寿司職人。この説を推奨するブログ記事に対して、堀江氏はツイッターで「バカなブログだな。今時、イケてる寿司屋はそんな悠長な修行しねーよ。センスの方が大事」と発言。 「そんな事覚えんのに何年もかかる奴が馬鹿って事」などと主張した。 この日は、『ラスト・ナイツ』(11月14日公開)でハリウッド初監督を務めた紀里谷和明氏がゲスト出演。番組内で堀江氏の発言が取り上げられ、紀里谷氏は「お寿司屋さんがどういうプロセスでなるのか分からないから言えませんが」と前置きし、「少なくとも自分は、カメラマンや映画監督になるための下積みは必要ないと思う。自分もしてないですし」と意見。仮に下積みの相談をされた場合は、「今すぐに写真を撮れ。映画も同じ」とアドバイスするという。 一方の松本は「堀江さんの言っていることは何も間違っていないと思います」と共感。ただ、否定的な声が上がる原因を「間違ってないんですけど、モヤモヤっと何でするんやろうと思うと、たぶんこの人が寿司の皿を一枚も洗ったことがないからだと思うんです」と分析し、「寿司職人の名人と言われる人が全く同じセリフを言ったら誰も何も文句もない。気持ち良く聞けるんですけど」「たぶん言う人が違うんやろうなと。セリフは間違ってない」と語っていた。 無尽蔵にカネを持ってて、教えてくれるセンセがいれば、10年の修業を半分以下にする方法はあります。人間国宝の中里太郎右衛門という人がいるんだが、この人の弟子で、タイ人陶芸家がいます。チェンマイ大学卒業のエリートでアタマも良いんだが、特別扱いの弟子で、短期間に集中的に全ての技術を叩き込まれた。普通の日本人弟子には絶対に教えない「土の探し方」まで教えた。 今では勝手に山の土を採取する事なんか出来ないので、日本人に教えても無駄だが、タイ人には教える意味がある。わずか数年の修行でタイ人陶芸家は日展に入選し、タイに帰って唐津焼を焼いてますw 毎年、中里太郎右衛門もそこを訪れて、タイの土で唐津焼作ってますw ★ ★ ★ ホリエモンとハシゲに共通なのは団塊世代でないのに、団塊世代的な傲慢で自分の価値観が全てという独善主義にある。非常に挑発的な発言をしておきながら、バツが悪くなると逃げるのも、この二人の特徴といえる。 この二人は正直見苦しいのでTV画面から消えて欲しい。TVに出なくても生活できる金銭はあるはずなのにね。 この二人にアホゾ~を含めた三人がTVに映ると即座にチャンネルをかえ、ビデオレコーダーの再生で見かけた場合は即座に番組自体を消去する。とにかく不快感を醸し出す三悪人である。 自主規制するなら、この3人の発言を規制してほしい。特にこの三人が何を言おうがスルーなのだが、あまりにアホバカすぎて相手にするのも嫌である。 松本人志氏がいうように、同じような発言を他のもっと好ましい人物から引き出した方が遥かにマシ。 毒舌というのは芸人のような愛嬌ある人物がやるなら芸にもなるが、芸人でもない一般人とほとんど変わらないTVに出たがりの野次馬と変わらない人物では嫌悪感が増す。かつてのロス疑惑の三浦何某とほとんど変わらない。 威勢がいいだけが取り柄のこの3人がTVを賑わせるのはヤラセのようにみえてしまう。ヤラセ体質が、政府の太鼓持ちとなり、果ては生放送での自主規制につながり、テレ朝のNステの古賀氏おろしで露見した。 TVの醍醐味は生放送にあると思うが、その生がヤラセになって全く斬新さを失ったようにみえる昨今で、昨日放送されていた爆笑問題の『日本のダイモンダイ』は久しぶりに面白く視聴した。 毒舌というのは、隠していた本音がチラリとみえてしまうところに意味があると思う。特に、この番組での、長嶋一茂氏の安保についての発言などは、世間では長嶋のバカ息子で有名な人物がそれほど馬鹿ではなかったという意外性に気づかせてくれて、生放送の醍醐味を個人的に味わえた。 日頃のダマスゴミの世論調査の誘導がいかに酷いかを示す、その要約を転載紹介する。 ★ ★ ★ フジの生放送で松坂桃李、指原莉乃、長嶋一茂が「安保法制は廃止すべき」、視聴者調査でも66%が廃止に賛成 http://news.infoseek.co.jp/article/litera_3189/ 安保法成立から2カ月、「安保法は廃止すべき」と考える国民は約66%。しかも、あの人気アイドルや若手俳優もNOと答えた──。 こんな結果が叩き出されたのは、昨日フジテレビで3時間にわたって生放送された『日本のダイモンダイ』でのこと。視聴者にデジタルテレビのdボタンで「AかB」の二択で民意を問い、"日本の本音"を明らかにするという視聴者参加型バラエティ番組で、司会は爆笑問題の太田光と田中みな実、スタジオには自民党の片山さつきや民主党の菅直人をはじめ、松坂桃李や指原莉乃、SEALDsメンバーの諏訪原健氏などという幅広いゲストが集まっていた。 そんななかで行われたのが、冒頭で紹介した安保法制に関する質問。「安全保障関連法が成立して、まもなく2カ月/A・この国際情勢では、成立して良かった。B・廃止すべき。」というものだった。 単純に賛否を問わずに「この国際情勢では成立して良かった」と賛成側に回答を誘導している点が、いかにも安倍チャンネル化しているフジテレビらしいやり口だが、それでも視聴者約24万人(この質問の投票締切30秒前の時点で23万7220人)のジャッジは、65.7%もの人が「廃止すべき」、賛成は34.3%にとどまった。これは9月の安保法制国会採決後に産経新聞とFNNが合同で行った世論調査(安保関連法成立を評価するか、評価しないか)の「評価しない」と答えた56.7%を上回る数字だ。 しかも、スタジオゲストの投票でも「廃止派」が圧倒的だった。ゲストがどっちを選ぶかは視聴者の投票中に発表されたが、菅や諏訪原氏が安保法に反対なのは当然のこととして、爆笑問題・田中裕二や小島慶子、長嶋一茂も「安保法は廃止すべき」と回答。さらに驚かされたのは、なんとイケメン人気俳優の松坂桃李に、日頃バラエティ番組では場の空気を読みがちなハライチの澤部佑、そして安倍首相とベッタリの秋元康にプロデュースされている指原莉乃までもが「廃止すべき」としたことだ。 安保法制の議論では、吉永小百合や渡辺謙、笑福亭鶴瓶、大竹しのぶ、坂上忍、石田純一らが反対の声を挙げ、ラジオやSNSでは土田晃之やSHELLYらも安保法制を批判していた。だが、法案成立後とはいえ、ゴールデンタイムの全国生放送で、まさか松坂や指原、澤部といったテレビの第一線で活躍中の、しかも人気商売である若手芸能人たちまでもが堂々と「廃止すべき」と表明するとは......。世論と同様に、芸能界の安保反対派は意外と多いのではないか、と感じさせる結果だった。 このように11名のゲストのうち、よもや8名が安保に反対するなか、逆に「成立して良かった」と答えたのは、片山と、中3で起業した"女子高生社長"の椎木里佳氏、俳優の古田新太の3名のみ。前者2名はともかく、演劇人の多くが安保反対を訴えていたことを考えると、古田が賛成としたのはちょっと意外でもあった。 一方、反対派として意外だったのは長嶋一茂だ。一茂は強い口調で「当然、廃止ですよ」と主張したうえ、こんな的を射た解説までしていた。 「(反対なのは)日本が主体的に決めたことじゃないからです」 「アメリカのジャパンハンドラーが進める法案だから。安倍さんが決めてることじゃない」 「日本にメリットがない。あるとすればアメリカを怒らせなかったことだけ」 すかさず片山さつきが「南シナをめぐる状況もいろいろ出てきてるし、ISILはISILでテロでねえ、ロシアの航空機爆破とかいう話もある」とお得意の脅威論を振りかざしたが、他方、SEALDsの諏訪原氏は「いまのままで抑止力がないのか、きちんと見る必要がある」と話し、憲法を無視して押し通すことは何でもありの状態なのでは?と指摘した。 このような議論の後に、前述した反対意見が過半数を超える視聴者投票の結果が発表されると、当然、Twitter上は大荒れ。「フジがまた偏向番組」「反対派のプロパガンダだ!」と賛成派が怒りを剥き出しにしていたが、とてもじゃないが"あの"フジテレビにそんな気があったとは思えない。思うにスタッフは「2カ月も経っているし、賛成と反対は五分五分か賛成が上回るのでは?」くらいにしか考えていなかったのではないだろうか。そうやって視聴者をナメてかかったら、まさかの結果が出てしまった......と考えるほうが自然だ。 しかも、安保法のみならず、「東京オリンピック・パラリンピックは/A・お金はかかっても、最高のものにして欲しい。B・出来る限り、節約して欲しい。」という質問でも、視聴者投票は「お金かけてもいい」が28.9%に対し、「節約して欲しい」が71.1%で上った(ちなみにスタジオゲストは「お金かけていい」派が田中、古田、松坂、指原の4名、「節約」派が菅、小島、長嶋、澤部、椎木、諏訪原の6名。片山は回答せず)。 さらに、「マイナンバー/A・色々便利になりそうで、賛成。B・なんだか怖い。」という質問では、「賛成」はたったの10%、「怖い」が90%という圧倒的な数字となった(ゲストは片山、菅、小島、古田の4名が「賛成」、「怖い」としたのは田中、長嶋、松坂、指原、澤部、椎木、諏訪原の7名)。 安保法の廃止だけでなく、東京オリンピック・パラリンピックの予算問題やマイナンバーという安倍政権の政策がことごとく否定された、この視聴者投票。まさに"日本の本音"を可視化した、当然の結果といえよう。 もっとも、残念だったのは、安保法を廃止すべきと回答した松坂や指原、澤部、田中裕二、小島といった芸能人の反対理由が一切、語られなかった点だ。司会の太田も田中みな実も、長嶋を除く芸能人には話を振らなかったことを考えると、もしかすると芸能人ゲストには賛成でも反対でも話をさせないという取り決めでもあったのかもしれない。それでも、反体制的な意見を表明すること自体がタブー化している芸能界にあって、安保法は廃止すべきという自らの考えを明らかにした松坂や指原らの勇気は買いたいものだ。(水井多賀子) ★ ★ ★ 年末かなんかに朝まで生二択問題でもやってみたらいかが?
2015年11月09日
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人間関係は家庭からはじまることは、昨今の国際外交の舞台からもわかる。敵対視していた中国共産党と台湾国民党が仲良くしはじめたことに、この国の団塊世代は驚きだろう。 価値観は移り変わる。団塊世代の男性には家事やイクメンなど驚きだろうが、団塊世代以降の男性にとってはもはや家事やイクメンは当たり前になっている。それだけ女性に対する理解力が増加したのである。 自分が理解できないことに対して拒否反応を示すのも団塊世代の特徴である。 団塊世代での結婚は恋愛関係というよりも、社会の仕来たりの面が多かった。だから離婚などもってのほかだった。男性は家庭を顧みずに浮気に走った。政略結婚の面も多く、社会の強制に反発する心地よさもあったのだろう。 個人の主張よりも、縦関係の支配者の意向や親戚の権威や面子が優先された。これは明治維新の富国強兵政策という名の欧米化が源流にある。欧米の科学技術を獲得するために、精神面が蔑ろにされてきた。欧米の猿真似モノマネが横行したので、逆に欧米人に馬鹿にされた。 個人の価値観よりも、お上の価値観が優先された。しかし、いまでは個人の価値観の方が優先されるようになった。それはネット社会がもたらした美徳ともいえる。 人間の霊魂は、個人の表現獲得のために、この世に生まれてくるからである。古い集団主義的な表現はその障害である。古い集団主義のなかに閉じこもる方が楽だが、それではなんのために生きているのか自覚に乏しく、人間として生きるに値しない。なんらかの団体に属する奴隷と変わりはない。いわゆる社畜である。 では続ける。 ★ ★ ★ 団塊世代に息子からお願いしたいこと 団塊世代のお父さんに、息子からお願いしたいことがあります。 ・ご飯のときに、母が出したメニューに文句を言わないでほしい ・「まあ俺も知らないことはたくさんあるよ」の一言がほしい ・自分が知っていること以外を馬鹿にするのではなく、聞く耳を持ってほしい これを願っている息子・娘さん、奥さんは多いと思います。自分が世界で一番物知りだという「大いなる勘違い」、いまからでも変えてみませんか? いつもニコニコ笑って、楽しいおじいちゃんでいて欲しいんです。 こういうことが積もり積もって「熟年離婚」につながるんですよ。 会社生活を家に持ち込み過ぎた結果、奥さんがいかにあなたに対してストレスを溜めているのか全然わかっていない夫が増え、ある日突然、離婚届を突きつけられるそうです。本人は寝耳に水の状態だそうですが、いままで自分がどれだけ理不尽で横暴なことをやってきたかわかっていないから、寝耳に水になるのでしょう。 そして、いわゆる「モラルハラスメント」を行っている父親が相当数いるのではないかと僕は思っています。 我が家の母を見ていると、よくあそこまで我慢出来るなと思うほどにストレス溜めてますよ。自分の夫だからという理由で献身的に尽くしてくれている奥さんに対し、甘えに甘え切っているのが団塊世代の親父たちの特徴。 毎日家にいて、せっかく作った料理をけなされ、クレームをつけるだけが楽しみになった人間なんて、どこにも魅力を感じませんよね。「だったら出て行ってやる」と考える奥さんがいても何ら不思議ではありませんし、むしろそうしたほうがお互いに幸せなんじゃないかとさえ思います。 理不尽なことばかりわめきたい団塊世代は、一度、完全な孤独になってみれば良いと思います。どれだけ自分が「お山の大将」だったのかを身に沁みてわかることでしょう。家で威張ってたって、社会的にはもうあなたは無職の一般人です。会社員じゃないんですよ。いままで勤めていた会社の看板はもうないんです。 それを自覚して、せめて余生は家族と楽しく、おだやかに過ごしましょうよ。騒ぎたいのなら、同世代同士でサークルを作って、思う存分騒いでください。巻き込まれる側が迷惑です。 「俺でもわからないことは多々ある」 「ご飯が食べられるだけでありがたい」 「いまの俺には何の肩書きもないんだから、あまり偉そうにするのはやめよう」 この3つの考えを、いまからでも持って欲しいんです。これができたら、すごくカッコイイじいちゃんになると思うんですが。若者、奥さんからも大人気間違いなしです。これができない人、ウチの父以上に多いんじゃないでしょうか。まだまだ先は長いんですから、こういった考え方を少しでも持ってもらって余生を送ってほしいなと思うわけです。 こういう人がテレビや新聞にクレームを入れたりするんでしょうね。もちろん、現代でも若い人がネットを使って企業に酷いクレームを入れたり色々なところでネットで残念な活動をしていたりということはあります。僕も父の血を引いているので、果たして60歳以上になったとき、こうならないか不安です。 まとめ 団塊世代の人たちは、数が多いのでこれだと断言することもしにくいのですが、会社しか知らないで、地域や日常のことについては素人レベルだということ。会社の中では知らないことでも積極的に動いてきたのに、日常生活のことになるととたんに動かなくなり、人に聞かない、聞けない。 知らないことを聞くということは、日常のほうがずっと楽ですよね。会社で聞くよりもよっぽど良いと思うんですが。もし、「会社しか知らない」ことを多大に利用するのであれば、定年後もまんべんなく雇用し、それこそ、自分でもうダメだと思うまで企業で働いてもらえばいいと思います。 しかし、現代では若者が正社員に就くことすら難しい時代です。定年したおじさんたちにいつまでも会社に居られては困るのでしょう。たとえば、会社以外で稼ぐ道を持っていたり、家が商売をやっていたりする人はそちらの方向で第二の人生を歩むこともできるでしょう。 働くことしか知らない世代とはいえ、働きたくても働けない世代から見れば羨ましくてしょうがない世代でもありますから、そのマンパワーを活用する方法を探していくべきではないでしょうか。金はある、知識もある、経験もある、パワーに溢れている。こんなパワフルな世代が60歳で会社を退職したらもったいないとも思います。70歳ぐらいまでいてもいいんじゃないかと思うぐらいですよ。 よく、定年退職したおじさんたちが、地域の自治会などで我が物顔で説教しまくっているという話を耳にします。それも大声で政治家のようにまくしたてるということです。僕が思うに、ありあまるパワーの行き場を無くしている団塊の世代は、そのうっぷんをどこかで発散できる機会を常に求めています。だから身近な家族に当たり散らしたり、地域の自治会で大声でまくしたてたりするんだと思います。 いままでは社会の中という戦場で最前線で戦ってきた「兵士」だったのが、いきなりそのパワーを封じ込まれる「日常に」降りてきた結果、そのパワーの矛先がないというのは、いささか気の毒だなとは思います。 ただ、こういった社会的な役割の話と家庭での問題は別です。 心情的に大切なのは、僕たちの世代が父親の世代になったとき、こういう人には絶対ならないという強い意志を常に持つことです。 一節によると、人間の耐える力というのは年を取ればとるほど衰えていき、60歳以上になると、中学生ぐらいの忍耐力しかなくなるらしいのです。そうなると、若い世代が腹を立てても、中学生並の忍耐力しか持っていない人にあえて戦いを挑んでも、余計に腹を立てるだけでしょう。こちらが大人になり、暖かく見守ってあげるのが正解なんでしょうか。 幸か不幸か、僕には身近に反面教師がいます。この父の振る舞いを見て、僕は絶対にこういう人間にだけはなるまいと決めて来ました。そのせいで、周りや家族からは「一歩引いている」と取られ、損すると言われてきましたが、損はしていないと思います。むしろ得ることのほうが多かったと感じます。 団塊世代になくて我々にあるもの、それは思いやりや譲り合いの精神を持ち、子どもの面倒を男でも見るという育児・生活に関する意識の変化が顕著な世代。会社だけが人生じゃないという新たな意識の芽生え。パワハラによるうつ病発症が過去最高になってしまった社会で道を踏み外してしまった人のことを思いやれる世代。 団塊の世代では成し遂げられなかったことをするには、彼らとは全くの別次元の領域へ足を踏み入れ、実行していくことです。それは上記のような「人間性を高める」といったことだと僕は思います。 男性でも近所の人と談笑して、犬の散歩の最中でも「こんにちわー」とにこやかに語りかけられる人。そんな人は魅力的です。家では威張り散らさず、奥さんとはいつも仲良く、孫が来たら一緒になってキャッチボールをしたり一緒に歩いて行ってくれる、おじいちゃん。そんな人が理想です。 悪い団塊世代の悪しき風習は、我々の世代で断ち切らなければいけません。良い団塊世代の良い風習は受け継いでいきましょう。 良い団塊世代の特徴 ・気が強いので味方になってくれる。 ・仲間意識が強い。その中に入れれば最強のガードマン。 ・会社に限っていえば、これほど頼りになる存在はいない。交渉などはお手のもの。 ・親分肌なので、先導を切っていろいろ企画してくれる。仕切りはさすが。 ・すぐ文句を言うということは不満点があるから。裏を返せば、暗に改善点を教えてくれている。 ・食にうるさいだけあって、うまい店を知っている。 ・酒についても詳しいので、うまい酒を教えてくれる。 ・社会という戦場で長年生き抜いてきた経験は馬鹿にできない。 ・一緒に焼き鳥を食べながら酒を飲むと、これほど相対しやすい相手はいない。 ・強気であることと横暴は表裏一体だが、ときには強く出ないとダメだということも教えてくれる。 ★ ★ ★ 団塊世代は、柔軟性、特に謙虚さに欠けているので、謙虚さなどを身につければ、理想的な老人に近づくだろう。秋の紅葉はいぶし銀で枯れて落ちるから美しい。古代中国では「老」が尊ばれた。
2015年11月09日
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前回の続き。紹介しているうちに、播州武侯祠遍照院さんのサイトで転載していただいたので、リンクを貼ります。 ★ ★ ★ 「団塊」の存在という悲劇。 渾沌堂 http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%90%91%E3%81%91/%E3%80%8C%E5%9B%A3%E5%A1%8A%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%80%82%E3%80%80%E6%B8%BE%E6%B2%8C%E5%A0%82 ★ ★ ★ 団塊世代をみていると、日本の教育の失敗が浮かび上がる。人として育てられずに、若いときから競争に曝されてきたので、人を出し抜く悪知恵だけは優れている人が多い。播州武侯祠遍照院さんも指摘しているが、昭和の軍国教育が、欧米化により欧米の機械文明の申し子、つまり奴隷として育てられてきたことがわかる。 学生運動や労働争議は、この競争社会の縮図で、ある意味フラストレーションの発散の場であったことに気づかされる。非常に憐れな世代といえる。 当人たちは独善なので、良いことをしているつもりなのだが、巻き込まれる方にとっては甚だ迷惑千万なんである。連中は自分と同じ仲間が欲しいので、個性を酷く嫌うため、必ずといってよいほど組織や掟などを持ち出すが、その弊害に気づかない。 昨今草食系といわれる若者の世代が台頭してきたが、それはこの団塊世代の肉食に対するアンチテーゼにみえる。ようやく団塊世代に巻き込まれない自由な世代が出てきたといえるのではないだろうか? 例えば、草食系と肉食系の教育論は真逆である。肉食系はすぐにタテの序列をつけたがるが、草食系は序列とは無関係に自由にやりたがる。肉食系は縦の関係、草食系は横の関係を重視する。だから肉食系は男性ぽく、草食系は女性ぽくみえる。 つまり、肉食系は独裁体制や軍隊的な統制に向くが、草食系は芸術や自由な思想を尊ぶ大学のような研究機関に向く性格なんである。 だから社会がハードよりもソフトになってきた証拠といえる。では続ける。 ★ ★ ★ 何をするにも人を巻き込もうとする 特に一人っ子の団塊に顕著な傾向です。「一人遊び」がほとんどできないので外に出ようとする。それは良いんですが、何をするにも母や僕を巻き込んで行動しようとするので迷惑千万です。一週間のうち、ほぼ全部の日に関して一度は外に出ないと気が済まない。 誰かと一緒に行きたい。それはわかります。ですが頻度や行きたいと思う場所が遠すぎるんですよね。 「一人で行くのは寂しい」 こればっかりです。誰かと一緒じゃなきゃ嫌だと言います。父の悪いところは、それで時間を取られるこっちのことを一切考えません。定年して年金生活になったんだから、無駄遣いをしないで、そんなにいつもいつも出ないでもいいじゃないと母からすると母は言うんですが、父は絶対に嫌だと言います。 なら、友人と一緒に行けばいいじゃないかと思うでしょう。 ウチの父、友人がいないんですよ。 一緒にでかける友人が一切いない。だから家族が友人代わりになる。友人代わりになって一緒にでかけることを強制される家族はたまったもんじゃありません。とにかく出ていないと気が済まない、家にじっとしているのが嫌だ、そんなことをいつも言います。 テレビだけじゃなくて、父はネットも使えるので、情報をまとめたりそういうデータベースを見たりすればいいのにと思いますが、そういうのは嫌だと。 僕ならまあちょっと極端ですが、プラモを作ったり、ネットで動画を見まくったり、ブログ書いたり、壁紙を集めたり、パソコン内のデータ整理をしたりと、いくらでも用事はあるんですが、そういう一人遊びができないんですよね。 「家にいる=テレビを見るだけ」 しか考えが及ばないというのもちょっと寂しいですよ。 まあ、父からするといろんなところに行きたいんでしょう。しかし周りはそんな父の出好きに困っています。パワフルで出たがりなのは良いんですよ。ですがそのために人を巻き込む。なら行かなきゃいいでしょう。そして一度外に出かけると、夕方まで出ずっぱりです。それに毎回付き合わされる母。 今日は街中のデパートまででかけるぞ! 明日はショッピングモールまで行って何時間も歩きたい! 全部一人でやろうと思えばできることばかりです。人を巻き込む必要はありません。 団塊の世代だけじゃないんですが、「寂しがり屋の団塊」は面倒ですよね。何をするにしても人を巻き込んで、絶対に自分一人では行動しないんですから。極端な仲間意識にあふれ、すぐ家族を巻き込むのもこの世代の特徴ではないでしょうか。 悪い団塊世代の特徴 何か行動するときに必ず家族を巻き込んで行動しようとする。理由は「一人では寂しいから」。特に一人っ子に顕著な考え方ではあるが、団塊の世代がこの考え方になると厄介。父のように友人がまったくいない人がこの年齢になったとき、寂しさの埋め合わせをさせられるのは家族。 助手席に乗ると指示がうるさい これ、結構うっとうしいと感じる人もいるんじゃないでしょうか。ウチの父はとにかく助手席に座るとうるさいです。右左折時に交差点で待っていると 「今行ける! ほら! 行けなかった!」 駐車場でも、自分では好きなところに停めたいんです。ところが、停める直前になっていきなり指で指示し出します。 「そこも空いてる、あ、そこも空いてる」 うっとうしいったらありゃしません。好きなところに停めさせろといつも言っているんですが、決まって言うことはひとつ。 「空いてるところをわざわざ教えてやってるんだろ」 なんという余計なお世話。団塊世代だけの問題じゃないような気もしますが、この年代に多いんじゃないですかね。 また、駐車場で他人に駐車スペースを取られかけると異様に反応します。 「ほら!早く行かないと人に場所取られる!」 このへんがヒントかなと。つまり激烈なイス取りゲームばかりやってきた世代なので他人に「譲る」という感覚そのものが希薄であるということ。特に企業に勤めていた元役職の人などに多いんじゃないでしょうか。 他人に譲っていたら損をする。自分が前に行って他人より早く利を得ないと!という気持ちだけが先行して生きてきたんだなあ、ということが如実にわかるエピソードです。 必ず言うんですよね。 「親切に教えて“やってる”んだろ」 「教えてくれてありがとうだろ」 よくいままで会社にいて、トラブル起こさなかったなと不思議なぐらいです。こんな父親が、会社では仕事もできる良い人で通ってたんですから。 いったい、日本の会社ってなんなんでしょうね。 いまの若い父親は偉い こないだ、風邪をひいたので病院に行ったんですが、子どもを連れてきているのは若いお父さんばかりでしたよ。奥さんと共働きなのかもしれませんが、きちんと子どもの面倒を見ていて、あれは偉いなあと思いました。一緒にキッズスペースでおもちゃで遊んであげたり、しっかり下の世話もしてあげたり・・。 父たちの世代は、男が育児に参加することなどあり得ず、女性の仕事だったイメージが強いんですが、いわゆる「イクメン」が増えてきたのは、至極当たり前だと思うんですよ。子育てって夫婦で対等に行わなければなりませんから、どちらか一方に偏ってはいけないと思うんです。 やっぱり、それに比べたら、いまの若い人のなんと礼儀正しいことかと思いますよ。こないだも、公共機関でおばあちゃんがハンカチ落としたら、ちゃんと声をかけて届けてあげてましたからね。ウチの父はそれができません。 我々はこの世代の横暴ぶりを見ているからか、譲り合いの精神がありますし、そこまで横暴でもない。少なくとも火炎ビンで学生運動なんて凶暴なこととは縁がありませんでした。どの世代にもどうしようもないなって人はいますが、割合的には、いまの若い人たちの世代は団塊的な性格の人は圧倒的に少ないんじゃないでしょうか。それだけは胸を張って言えます。 (子どもの運動会の席とりのために朝早くから並ぶなんて団塊世代は考えもしないだろう。) 悪い団塊世代の特徴 仕事一辺倒で家庭を顧みなかったため、子育てに参加しなかった。そのため、子どもとのコミュニケーションが取れず、それが尾を引いて、定年後でも孫の世話ができない。 ★ ★ ★ 次回に続く。
2015年11月06日
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団塊世代の悪口を続けるのは、欧米化への警告でもある。心を失えば、もはや奴隷でしかないからである。この国は団塊世代に滅ぼされようとしている。 つまり団塊世代は、家庭を顧みずに金儲けのために邁進した上に金儲けできなくなって今度はカネの切れ目が縁の切れ目とばかりに奴隷として捨てられたと考えられる。 国のこころを育てるのは第一は家庭である。国はその延長上にある。会社は家庭生活を成り立たせる手段で道具でしかない。この国では欧米化により、団塊世代のときに会社と家庭が完全に切り離されてしまった。 その欧米でさえ、家庭が基本である。米国大統領は独身ではなれない、といわれるのは家庭を円満にできずに国を円満にできない、という言い伝えにあるといわれている。 団塊世代の男性の多くが戻るべき家庭はなく、もし戻るなら、家庭生活のなかでは一から家事をはじめないといけないだろう。定年離婚が増加するのも、妻からの引導を渡されるのだろう。家庭生活のトップは妻だからである。 近年、イクメンが流行するのは、団塊世代のこの原罪に対するせめてもの罪滅ぼしであろう。女性だけに家庭をおしつけてきたツケである。 女性を子供を産む機械のようにいう蔑視発言も団塊世代の男性に相変わらず多い。大臣になるような人が言うのだから、この国は精神的に終わっている。人間を機械と同一視しているのである。 そのような連中を機械と同じように扱えば怒り心頭になるだろうが、自分は特別と思って、自分を客観視できないのが、団塊世代でもある。つい最近そのような発言をしたアホ政権の官房長官もやはり団塊世代だった。 団塊世代は自分の出世のために多くの人たちを切り捨て踏み付けにしてきたツケがいま返されようとしている。敗者と呼ばれた人たちは家庭に帰り人間回復に先んじていたが、社畜となって会社にしかみつづける団塊世代は今度は会社から追い出される番になったが、帰るあてもない。 御釈迦さんが説いた出世とは、実はこの家庭も何も失った出家である。血縁関係を失うことである。血縁を超えることである。 家庭を愛するがごとく社会を愛することである。どちらかを犠牲にすることではなく、両立させることである。 さて、欧米化の警告として団塊の世代の悪口を続ける。 ★ ★ ★ 悪い団塊世代の特徴 店や店員を見る目は本部の査定員のごとく厳しい。店側が決めているルールに「横暴だ!」と反発する。 世代的に「蹴落とす」ことが普通だった? 父の世代はライバルが多かったから、他人を蹴落とさないと上に行けなかったのは分かります。ただ、定年しちゃえば、言い方は悪いですが「ただの無職のオジサン」じゃないですか。 我々の世代は就職すら厳しく、正社員で仕事している自体がもはや勝ち組と言われる世代です。やむなくアルバイトや自営業、ウェブなどで生計を立てなければならない人も多い若者世代とは明らかに意識の差があります。 (団塊世代が会社に居座るので新人が雇えない。つまり団塊世代が家庭を犠牲にしたので、家庭に帰る場がなく、会社に居座るので、家庭の子どもたちが育たずに、虐げられてしまう。) 僕は会社員時代が短く、ほとんどアルバイトや自営業でやってきたので、そんなに「会社」とか「組織」にこだわりがないんですよね。ですから、家庭にまで会社生活を持ち込む父のような世代の人の考えが全くわかりません。 (会社は団塊世代の居座りをみて、正社員で雇うと定年で切れないので、雇わなくなる。) 僕は、日本という国や社会が、高度経済成長期に出てきた「団塊の世代特有の気質や矛盾」を隠して甘やかし続けたため、この世代は人として大切なもの(奥ゆかしさや冷静さ)をどこかに置いてきてしまったのではないかと思っています。 (特に政治家に人を人とも思わない、この傾向が顕著。) 近年、この世代がなぜここまでエゴイストなのかということについては、同世代の数が多く、競争が激しかったため、「俺が俺が」で前に出ないと社会で生き残れなかったからという説もあります。それはそれで仕方のないことだとは思うんですが、定年したら、家では普通の父でいて欲しいんです。 (ある意味、団塊世代は競争という地獄のなかの犠牲者でもある。洗脳されているので自覚はない。) 仕事をしまくって、会社生活を送ってこられたことは素直に尊敬します。しかし、あまりにも仕事を優先しすぎて家庭を顧みない世代でもありました。海外から「エコノミックアニマル」と揶揄されたのもこの世代です。 自分が大人になってみて、家庭を支えていき、子育てをするためにはあの時代にはそれぐらい働かなければいけなかったのだなとは思います。しかし、それとこれとは別問題。定年しても横暴で偉ぶることを許容する人はいません。 (昔の価値観は今は通用しない。) 自分たちが日本を作ってきたと勘違いしていますが、日本を作ったのは団塊世代の両親世代。しかも社会がそれを甘やかしていたため、団塊世代がいつの間にか会社の中心となり、そして定年へ。さらにダメな人になると、これがクレーマーへと変化します。 (日本を欧米化したのは団塊世代の唯一の功績だが、この国の心を破壊した。) それは「会社生活を家庭に持ち込む」から。戦場を家に持ち込んで何がしたいのでしょう。そんなに戦場が好きなら定年しても自分で戦場を見つければ良いのに見つけようとしません。会社で役職に就いていた人ほど、人をアゴで使うようになります。会社生活が長かった人ほど、家庭で奥さんや子どもを部下のように扱います。 勘違いしないでください。 家族である以上、父に対して母であっても子どもであっても関係は対等です。上司と部下ではありません。どうにも間違った価値観が支配しているようなんですよね。 悪い団塊世代の特徴 ライバルが多く、他人を蹴落とし、俺が俺がの精神で前に出まくって地位を勝ち取ってきたため、譲り合いの精神が育っていない。日常生活の空気が読めない。会社生活を家庭に持ち込み、妻や子どもを会社の部下扱いし、自分はイスにふんぞり返り、全て口頭で指示をし、自ら動くということをしない。誰も家にいなければさすがに動く。 体罰に関してもいろいろあるようで 昨今、問題になっている体罰に関しても •「自分が子どものころは殴られるのが当たり前だった」 •「おじいちゃんというのは怖がられなければならない。昔なら子どもが騒いでたら、俺はじいちゃんによく頭をぶん殴られた。それぐらい怖い存在でなきゃいけない。」 •「昭和の父親というのはとにかく怖かった。自分もそうでありたい。」 どうでしょう。こんなのは時代遅れの何者でもありません。 (恐怖で統治というのは、地獄の世界や軍隊の世界での価値観である。体罰を肯定するのは地獄を認めることになる。ルールを守らせるために、畏れられる存在は反抗期の子どもには必要だが、体罰とは別の話である。 もしどうしても体罰をするのなら、体罰をした後に、親も子どもから体罰を受けないと片手落ちになる。監督責任が親にある。だから、お前を殴るが、お前も俺が監督できなかった責任で俺を殴れとするべき。) 普通は 「ああならないようにしよう」 と思い、ダメなところがあったらそれを反面教師にするのだと思いますが、自分が苦手なことは一切手を出さないのに人には指図する団塊親父をお持ちの息子さん・娘さんは多いんじゃないですか? 文句言いまくるんだったら、自分で体張ってから言ってくれよと思うんです。 甥っ子の親の教育方法、まあ僕もなんですが、「怒鳴ることなく、諭してわからせる」というものです。ただ怒鳴っていればいいという教育方法ではない、ひとりの人間として理解をし、諭しながらダメなことはダメとわからせるやり方です。 怒鳴ったり、時には殴ったりすれば、怖いお爺ちゃんだと認識させることができ、そのような間違った姿に「昭和の父親像」を重ねあわせ、小さな子どもに本気で怒鳴るお爺ちゃんがいます。それがウチの父です。 父は言います。 •「俺も小さいころはダメなことをすればお爺ちゃんに怒られ、ぶん殴られた。だから俺は怖い存在になるんだ」 •「家にひとり怖い存在がいないと、子どもがどんどん調子に乗る」 •「この人に逆らったら怖いぞっていうことを叩き込んでおく必要がある」 (怒ることは必要だが、怒った後になぜ怒られたのかを子どもに考えさせないと駄目。子どもの行為を親が常に見守っているという姿勢が必要。怖いというのは、悪いことをすれば親にすぐみつかるという怖さでないと駄目。一方的に怒るのではなく、子どもの弁護も必要なときがある。) この理論が是なのか非なのか。僕は非だと思います。怒鳴っちゃダメでしょう。言えばわかるのに怒鳴る必要性がどこにあるのか。僕には理解できません。 僕は人を怒ることはしないし、怒ったあとの場の空気が悪くなるのが嫌だから怒ったことがありません。あの空気が心底嫌いなんです。だから、わざわざ楽しい空気をぶち壊す父に腹が立ちます。子どもがたとえ間違った行為をして、怒鳴りたくなることがあっても、怒るのは親の役目であり、僕や父が怒鳴りつけることはないと思っています。 「怖いお爺ちゃんになりたい」 常々、父が言う言葉です。誰か怖い存在がいないと子どもが調子に乗るから、俺はその役目をやってるんだともっともらしいことを言いますが、お山の大将を気取りたいのが見え見えで、見ていて心底嫌な気分になります。 怖くなりたいということは、自分が舐められていると思っているのでしょう。ただ、もう還暦を過ぎ、舐めるも舐められるもないと思うんです。こういう人は最後まで間違った教育論のまま過ごすのでしょう。 やっぱり団塊世代を育てた親の教育方法って大間違いだったんじゃないですか? だってウチの父のように、還暦を過ぎてまともに子どもの教育ができるかと思いきや、怒鳴ったり威圧したり、恐怖で押さえつける教育しかしないじゃないですか。これは奴隷のつくりかたであり、教育ではないと思うんです/b>。 子どもはやられたことをしっかり覚えていますし、トラウマになって将来に影響したらどうするんでしょうか。このことがきっかけで、精神的におかしくなってしまったら、お爺ちゃんは責任を取れるんでしょうか。楽しい思い出をつくりに来ているはずなのに、たかがそれぐらいで怒鳴られては、せっかくの楽しい空気も台無しです。怒った当の本人は満足そうにしていました。 ★ ★ ★ 恐怖心と、畏れられる存在とが区別できていない団塊世代が多いのは確か。前者は悪にすぎないが、後者は尊敬に価する存在で、子どもに尊敬されるには、日頃から子どもの正しい行いをしっかりと評価してやらないと駄目である。子どもからこの大人を信頼すれば大丈夫と思わせないと、叱っても反発するだけで逆効果。 子どもは大人の振る舞いを細かく観察している。だから子供が真似をすると驚くはずである。家庭については子どもに教えられることが多いはずである。 次回に続く。
2015年11月06日
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夏目漱石が、その作品のなかに、私の記憶が確かなら、「坊ちゃん」だったか、に書いているのだが、この国は心を失い、欧米化の奴隷になると既に予測していたのを思い出す。 肉食を調べていくうちに、団塊の世代が正しくこの欧米化の奴隷であることに気づいた。そういえば、団塊の世代の成功者にはラグビー好きが多いようにも思える。世界レベルには程遠いのにも関わらず、ラグビー自慢をする輩が団塊の世代に多かった記憶がある。 予め言っておくが、これから書くことは団塊世代への悪口なんで、団塊世代の人は見ない方がいいと思うが、どうせみていないだろうけど、一応警告しておきたい。 団塊世代をみているととにかくなんでも金である。戦後の経済復興がカネなくしてはできなかったので、それはある意味、当時の宿命だったのだろうが、その陰で、家庭への愛を犠牲にしたことは否めない。 というのも家庭の愛はカネでは買えないからである。 子どもが反発しようものなら、「誰が育てたと思っているのか」と言うのが団塊世代の口癖だろうが、それは実はお互いさまの話で、子どもの御蔭で、親となっているわけで、「あなたが子だったときに、親には反発したことはないのか?」と団塊世代には聞いてみるべきである。 つまり、団塊世代は、子どもの自由を制限し、奴隷とみなしている。子を自立した人間とみれずに、子離れができていない。 世の中はお互い様という基本すら頭になく、なんでも俺がというデシャバリでワンマンな性格の持ち主が多い。またボスになりたがりで、他の人との協調性に乏しいから、外交下手で、圧力をかければなんでも阿るとしか頭にない。非常に権力志向で暴力的である。特に男性は、男性社会で生きてきたので、女性へのセクハラも多い。 つまり団塊世代は、欧米教の洗脳を受けた奴隷なんである。その言論の特徴は、特に悪口が、学歴コンプレックスから「サヨク呼ばわり」や反中、反ソ連、反共産党、アジア蔑視で成立している。そして異常に金儲けに固執している。 家庭を顧みないために、職場での公私混同も激しく、ケチで、自腹は切らずに、経費を使おうとするインチキさをもつ。一言でいうなら、ドラえもんのジャイアンみたいな単細胞で暴力だけ優れている我儘な人物が多い。 ジャイアンは米国の喩えで持ち出されるキャラだが、より小型化したジャイアン、プチジャイアンが団塊の世代のキャラといえる。 団塊世代の政治家は、この国の心を破壊しつくたといってよい。 このような団塊世代の特徴を絶妙に表現しているサイトを以下に紹介する。 ★ ★ ★ ウチの父に見る「悪い団塊世代」の特徴 http://amg2009.blog10.fc2.com/blog-entry-2788.html 推定、約680万人いると言われる「団塊の世代」。 我が家の父を見るにつけ、「やっぱりこの世代はダメだ」と思わされることが多いです。 定年退職したあと、ご苦労なさっておられるご家族の方も多いのではないでしょうか。 今回は会社時代に部長職にまで就いていたのに、定年後は「団塊モンスター」になりつつある、我が家の父に見る「悪い団塊世代」の特徴を書いていきます。 悪い団塊世代の特徴 ・「俺が中心」 ・人の話を聞かない ・自分が一番正しいと思い込んでいる ・追い詰められると怒鳴って話を終わらせる ・怒鳴ったあとで気まずい空気になると逃げる ・上から目線で他人を馬鹿にする ・自分の意見が通らないとふてくされる ・「待つ」ということができない ・親切の押し売りをする ・自分より若い世代の意見には耳を貸さない ・権威や地位のある人の意見は聞く ・「金を払えば何を言ってもいい」という考えを持っている ・「こっちはお客様」という歪んだ特権意識を持っている ・会社生活を家に持ち込み、妻や子どもを部下扱いする ・入社時からずっと会社生活だったため、それ以外の分野で人間的に成長できていない ・定年して自分でご飯が作れなかったり、奥さん任せになってしまうのが良い証拠 ・全て自分の力で勝ち取ってきた人は物腰が低いが、会社にぶら下がってきた人ほど厄介になる ・自分で行動しないくせに口だけ動かして人を使おうとする 定年後の父が床屋に行きたいのに行きたがらない 床屋嫌いは治るのか でも書かせていただきましたが、自分は恥をかきたくないくせに、他人には恥をかけと言い、肝心なところで思い切りが悪い。それなのに下の世代には行動を求める。そんな印象があります。 他の世代よりも確実にダメな人が多いと感じるのがこの「団塊世代」。もちろん、団塊でも落ち着いている方はいますし、なるほどなと唸らされる考えをお持ちの方も多いです。しかし我が家の父はそれに値しません。 食事にケチをつける 食事のとき、必ずと言っていいほど、メニューにケチをつけるようになりました。 それまでも、たびたび食事に関してはケチをつけていましたが、定年になってからそれがますますひどくなってきました。 楽しい食事の時間にいちいち文句をつけるのを見るのが嫌なので、僕が諭すように注意をすると 「うるさい!意見を言うのが悪いのか!」 ダメな団塊世代というのは、大きな声で怒鳴り散らすことを「意見している」と思いっきり勘違いしています。 結局、会社時代においしい物を食べ過ぎて、口が肥え切っているんですね。ぜいたくなモンです。また、「おかずが多い」とケチをつけるようになりました。 (自分が常にボス的立場でないと駄目な幼稚で厄介な人が多いのも特徴) ある日の夕食 ・ご飯 ・味噌汁 ・肉じゃが ・漬物 ・シャケの切り身 「昔の日本はこんな豪勢な飯じゃなかった。ご飯と味噌汁、シャケだけでいい」と言い、ネチネチと母に文句をつけます。 だから僕はそれに腹が立って言うんです。 「いや、メシなんて食べられるだけありがたいことだよ。毎日、ご飯が出てくるだけ有難いと思ったほうがいいよ。」 と僕が言うとまた噛み付いてくるので困ったもの。 「おいしくない」 と作った人の目の前で言います。それを「俺が言わなかったらダメだ」と思っているから困ったものです。家族にとって迷惑極まりないことです。 悪い団塊世代の特徴 自分より若い世代の言うことには耳を貸さない。自分が一番正しく、自分の意見が世の中の意見。そんな自分に意見をしてくる者は許さない。ただし、自分から見て地位や権威のある人には平身低頭になる。 僕は、たとえ子どもが相手でも、的を射ていることを言っているなと思ったときには、素直に「ありがとう」と言います。父はこれができません。 とにかく、言葉で追い詰められると怒鳴って話を終わらせる。会社に居たのに論理的に話を進めることができない。どこかに嘲笑と上から目線が入ります。 ただ、大きい声を出し、相手を萎縮させ、黙らせれば勝ちという風潮は許されません。言い合いをしてもキリがないので、我が家で話に終わりが見えないときはどちらかがいったん離れることでリセットしますが、団塊世代と付き合うのは酷です。 「自分が見たことがない、知らない、聞いたことがないものは、全て愚かな人間がやっている馬鹿な行為」 それを自分の基準で勝手に決めつけて馬鹿にするんですよね。あれ、なんでなんでしょう。グルメを気取っている割には、テーブルマナーが悪いのも特徴です。 食事中に席を立ったり、食べ方・飲み方が汚い。テーブルにヒジを付いて食べたり、口を開けながら食べる。最悪のマナーです。ただ単に「うまいもの」を食べたいだけでマナーや躾とは無縁のようです。 悪い団塊世代の特徴 食に関しては、人並み以上のこだわりを持ち、自分の味覚が一番正しいと思い込んでいる。生半可な料理では満足できない。極端に言えば、自分で作った料理には満点をつける。そして、その自分に対して意見をする者は愚か者であるという決め付けをする。 郷に入っては郷に従えということわざ、団塊世代には通用しないようです。 全体に共通する特徴ですが 「自分に対して何かを強制してくる、決まりに対しては敏感になり、対抗しないと気が済まない」 こういったところがあります。 もう一度、確認をしておきますが、ここで言う団塊世代とは主にウチの父を指しているので、しっかり尊敬できる方もいます。それは確かです。 父よりもっと上の世代の方々(75歳以上~)の方々には、良識派が多いと思います。あくまで自分が出会ってきた方々だけを見てのことなので一概には言えませんが、父より広い視野で物事を見、ささいなことで腹を立てない人が多かったように感じます。 (団塊世代よりも上の世代は割と理性的で人間味のある人が多い。恐らく苦労人が多いのだろう。団塊世代は苦労といっても出来上がったレールの上での選択を奪う競争だから、苦労というより悪徳に近い。) ウチの父は自分の口に合わないとご飯を残します。あれが許せないですね。もっと作ってくれる人のこと考えて食えと思います。 自分も学生時代は残したりしてましたけど、大人になってからは残さず食べるようにしています。自分の口に合わないからといって平気でご飯を残す。あれは許せません。三角コーナーに残飯を捨てる母の気持ちを考えたことはなさそうです。 「俺の口に合わないメシは文句をつけて残す」 団塊世代特有というわけでもないんでしょうが、耐える力というか、人の気持ちを考える力が、60歳を超えて極端に劣ってきたと思います。 会社に行っているときは気が張っていたり、一日働いた疲れもあってか、食事のことであまり文句をつけていた記憶がないんです。それが会社を辞めたとたん、溜まったエネルギーの矛先を向けるがごとく、母の料理に文句をつけるようになりました。 (恐らく、会社で部下に文句をつけていたのだろう。) ★ ★ ★ 団塊世代はもはや自分の価値観が通用しないのを自覚できていない。家庭行事をしてこなかったので、家庭での場がないため、家庭が怖く、帰れずにカラ残業が多く、部下などに煙たがられているのに気づかない。 自分は嫌われ者という薄々の自覚はあるが、会社のために自己犠牲で演じていると誤魔化しがちであるのも特徴。 と枚挙に暇がないが、とにかく上から目線をやめ、腰を低くしないと駄目です。いままで上にいたんだから、今度は下になる番ということなんですね。人生はよくできていて、様々な立場を経験するようになっている。 団塊世代前は、赤塚不二夫氏の漫画のイヤミのように欧米化された売国奴を小馬鹿にする風潮があったが、欧米化が標準となるにつれ、イヤミのようなのばかりが目立ち、特に団塊世代以降の世代はトラウマとして多大な迷惑がかかったので損害賠償を請求したいくらいである。 次回に続く。
2015年11月06日
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当初はシュタイナーの話から、菜食と数学の関係が、肉食とスポーツの関係と同じくらいスンナリと、ネットでデータを探せば紹介できると思い込んでいたが、それが困難であることがわかった。 菜食についての国別ランキングを探してもネットにはいまのところ目ぼしいのがみつからないのと、また国別の数学ランキングを、例えば、数学オリンピックやフィールズ賞の受賞者の国籍から探しても、データとしてサンプル数が少なく、更にフランス、アメリカが上位なのだが、それが純粋にフランス人、アメリカ人かといえば、インド系のアメリカ人だったり、東洋系のフランス人だったりして、国別ランキングに無理があることがわかり、いずれにしろ、菜食と数学の関係は統計データからは調査困難となってしまったというか、アメリカ、フランスともに肉食の上位に入る国なので、当初の目論見の当てが外れてしまった。 というわけで、ピュタゴラスと同様に個人に絞って、数学者のなかの菜食主義者を探すことにすると、「シュリニヴァーサ・ラマヌジャン」というこれまた何の因果か、質問を受けたブルゴーニュワインからシュタイナーさんの質問のなかの人物が以下のようにウイキから浮かび上がった。 ★ ★ ★ シュリニヴァーサ・ラマヌジャン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3 「ラマヌジャンは敬虔なヒンドゥー教徒であり厳格な菜食主義者だった」 ★ ★ ★ たった2人ほどの数学者から、菜食と数学の関係を説くのは見通しがたたないんで、以前紹介したシュタイナーの以下の鉱物薬の話から数学の意味を再掲する。 ★ ★ ★ この特性は、地上の日常生活では、滅多に起こらず、非常に稀である。宇宙が行う固体の解体や溶解を、地上で行うのが多いのは数学者で、特に図形をイメージし、幾何学的な思考に慣れている自我をもつ者である。 というのも、幾何学な思考は、鉱物の解体が根底にあるからである。数学的思考に反感をもち、むしろ塩化(鉱物化)に甘んじるなら、鉱物を思考で解体し、分解する数学者や、解析を専門とする技術者にはなれない。 ★ ★ ★ シュタイナーはこの話と似たような「糖尿病や老化の予防には数学がよい」と述べている。というのは、糖尿病も老化も人体が鉱物化することなんで、鉱物化に対抗する解体や溶解の働きを、数学をすることで、自我に獲得させるからである。 自然のものはなるべく調理せずに、生で食べるのがよいと、この国ではよくいわれてきたが、それは鉱物や植物に限る話で、それも自我に、鉱物や植物を解体できるだけの、数学的な理解力をもつ場合に限ることがわかる。 調理すればするほど、自然の生のものを、分解、解体する理解力を、自我は必要とせずに、体内になかば放置する形で取り入れるので、苦労がなく、楽をできるが、自我をそれだけ甘やかすことになり、怠惰になる。だから弱っている自我には、できるだけ調理した粥などの液状の食べ物がよい。 肉食は既に紹介したが、動物のなかで一度消化しているので、この消化の過程を省いて体内に取り入れることになるので、自我は楽になる。だから肉食すればするほど、自我は楽なので、喩えるなら、なんでもカネで買う苦労知らずの金持ちのような快適な生活を送ることに相当するが、それだけ怠惰になりエゴが増加してしまうので、この怠惰が、闘争心に置き換わる。 結局、カネでは問題を解決できないのである。カネはただ経済状況によっては代替手段とはなり得るが、問題を先送りしているにすぎないから、将来複雑な問題として再び現れる。 一見すると、鉱物の分解や解体を、破壊力と捉えるなら、闘争心と似たようにもみえるが、人体のなかでは、全く逆で、数学は構築のための破壊であって、スポーツの闘争心は、自己の価値観を押し付け、自己責任を逃れるための破壊であることがわかる。 こう書くとスポーツファンの怒りを買うように思われるが、それこそスポーツが自己の価値観の押しつけであることを証明する。自分の贔屓チームを応援しないファンはいない。 それは質素で目立たない生活を好む数学者と物質的快適さを求め、派手な生活を好むスポーツ選手の生き方の違いにも現れている。どちらが、この世に執着しているかといえば、恐らくスポーツ選手だろう。 つまり、スポーツの反対が数学をすることなんである。それをシュタイナーの肉食と菜食の話から解き明かそうとしたのだが、中途半端に終わってしまった。 実はかつての古代ギリシア時代では、数学もスポーツも同じ哲学という分野だったのである。シュタイナーの話では、哲学の目的は、宇宙の理解で、そのための理解力のツールといえる霊能力の獲得にある。現在のオリンピックは、肉体をどう動かせば、天界を見通せるほどの高度な霊能力が獲得できるのかという、哲学の舞台が源流だったという。 つまりオリンピックは哲学の舞台で、いまでいう総合芸術の場、演劇やスポーツ、並びに数学や音楽というリベラルアーツの実践の場だったという。ヨガや座禅などもこれに含まれた。 だから、高度になればなるほど、スポーツと数学も同化してくるはずである。逆に、低俗化するほど、分派していく。現在では数学とスポーツは全く反対になってしまっている。 シュタイナーは、数学と音楽とダンスを融合したオイリュトミーという体操を考案している。 ★ ★ ★ オイリュトミー https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%BC 概要 意識と身体のギャップを埋め、言葉または音楽の力を全身の動きに変換し、内臓(ミクロコスモス)を動かすエネルギー、惑星(マクロコスモス)を動かすエネルギーを関連付ける。 また、言葉または音楽の持つエネルギーを身体表現によって具象化する。 子音や母音には、一つずつ動きが定められており、子音の動きと母音の動きを組み合わせることで、言語を立体的に表現することを可能としている。 オイリュトミーは運動であるが、英語ではplayを使わずdo-する、行うと表現する。ダンスにも見えるが、厳密には「オイリュトミーを踊る」という表現は適切でないとされている。 オイリュトミーの動画 http://video.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&dd=1&p=%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%BC ★ ★ ★ オイリュトミーを一見すると非常に怪しいオカルト的な雰囲気になるので、正直、あまりお薦めはしない。現代には合わないと思う。一人で隠れてやるか、現代創作ダンスにアレンジしてやるのがよいと思う。 シュタイナーがオイリュトミーを開発したのは恐らく、古代ギリシア時代の哲学を再現したかったのだと思う。古代ギリシアの哲学は、身体を使って言葉を表現し、文章を演じたのである。いまでは、すっかり形骸化し、現代人は語るとき、口先とせいぜい顔の形を変えるだけである。 語りに熱くなりすぎ、手を動かす人も稀にはいるが、逆に無表情で、できるだけ機械的にぼそぼそと語るだけの人もいる。 もしシュタイナーがこの様子をみるなら、熱く語りすぎるのはルシファー的であり、機械的にぼそぼそと語る無表情な命令のような語り口はアーリマン的であるというだろう。 必要最小限に洗練されしかも語られる者の心を捉える語り方が、それらの中間のキリスト的語り口となるだろう。 思考力から切り離され、熱く語りすぎた身体が現代人のスポーツであり、逆に機械的に冷酷非情に語りすぎた身体が現代人の唯物論の奴隷となった数学といえる。 スポーツはもっと自由になるべきであり、数学もまた自由であるべきだ! そうすると自由のなかで、スポーツと数学が融合し、ギリシア時代の哲学となるだろう。 数学も本当は全身全霊で表現されるべきものなのである。スポーツもまた数式で表現されるものなのである。 シュタイナーが何を考えていたのかの話は、なんのシュタイナーの知識もない人のために以下の話を紹介する。 ★ ★ ★ ルドルフ・シュタイナー遺された黒板絵 http://1000ya.isis.ne.jp/0033.html シュタイナーは何をしようとしたのだろうか。 それを手短かに語ることは勘弁してほしい。 シュタイナーを語るにはシュタイナー主義者になる必要がある。それはいまのぼくにはできそうもない。そのかわり、シュタイナーが仕掛けた発信装置がいまや世界各地のゲーテアヌムとして、オイリュトミーとして、シュタイナーハウスとして根を下ろしていることを伝えたほうがいい。黒板絵の前に立ってみることもそのひとつだ。 ★ ★ ★ 最後にいっておきたいが、私はシュタイナー主義者ではなく、オカルト主義者である。オカルトを馬鹿にする人に対して、馬鹿に仕返したいだけである。そのためにこのブログを書いている。 シュタイナーはゲーテ的だが、私はニーチェ的立場をとりたい。
2015年11月05日
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肉食からデンマークとのこの国の比較へと脱線してしまったが、少し続けて、菜食と数学の関係を探ることにする。さて、この国はあまりに没個性主義なんで、外見が異なる外国人に対してかなりの偏見をもっていることが伺える話を以下に続けて紹介する。 ★ ★ ★ 哀しいねえ http://blogs.yahoo.co.jp/whitestone67/33018026.html 「外人ウザい」「バーカ」「デカい女だな」 俺のカミさんがこの1か月で見ず知らずの3人の日本人から街中で吐かれた言葉だ。3人とも若くは無かったらしい。 カミさんが日本に来てもうすぐ5年になるが、数ヶ月に一回の頻度でこういうのはある。カミさんは「外人嫌いな人多いからショウガナイヨ~」と意にも介さないと言いながらもやはり表情は暗い。 俺は犯罪を犯した外国人とか、日本で反日活動ばかりやってる外国人とかは国外退去させるべきだとかは思うけど、何で日本が好きで日本文化を尊敬しているカミさんがこうも頻繁に嫌な想いをしないといけないのかなと怒りがはっきり言って頂点に達してる。 結局、見かけだけで判断して、外国人に暴言を吐くんだったら、普段一部の日本人が侮蔑の対象としている中韓人と大して変わらない民度しか持っていないということになる。 ずいぶん前か、見ず知らずの老人夫婦に街中で暴言吐かれたことをブログに書いたら、ある人間から俺が悪いみたいな罵詈雑言を書かれたことがあった。こういう奴は自分が公衆の面前で侮辱されたこと無いのだろう。お前は街中で普通に歩いて赤の他人から暴言吐かれても、黙って我慢するってことで良いんだよな? ま、こういう日本人の美徳などとは程遠いような人間が見ず知らずの人間に平気で暴言を吐くのだろう。それでいて、この人間は他人のブログには良く「日本人として…」とか「反日は…」とかコメントを残している。こういう恥ずかしい自称愛国エセ日本人は叩き潰す必要がある。 俺は愛国者として、こういうエセ愛国者は絶対に許さないから。同じ日本人として恥ずかしくて赤面しそうだ。 ★ ★ ★ このブログの記述にもあるように、差別は若者というよりも比較的老人、特に団塊の世代に多いように感じるのは私だけだろうか? 我々の世代からすると団塊の世代はアグレッシブで闘争的な傾向をもち、いかにも学生運動の世代を感じさせる。 そこで、団塊の世代と食事の欧米化を考えてみるために、ウイキで「日本型食生活」を検索すると、以下のように、戦後の食糧援助の美名の下に日本型食生活の崩壊、つまり食の欧米化がはじまっていることに気づく。 ★ ★ ★ 第二次世界大戦後の食糧難のなか、1952年(昭和27年)に栄養改善法が施行され、これに基づいて厚生省は国民栄養調査を実施し、栄養改善運動を始めた。戦後の栄養教育は、欧米流の栄養学を基礎としたことから、栄養改善運動ではパンを重視するなど欧米追随指向が顕著であり、欧米風の食生活を理想としていた。 米偏重の是正が叫ばれ、日本人の主食とされてきた米は遠ざけられ、米は市場にだぶつき過剰時代に入り、1970年(昭和45年)には減反と米の買い入れ制限が始められた。 日本人1人あたりの米の年間消費量は、戦後のピークの1962年(昭和37年)には118.3キログラムだったものが、その後一本調子で減少し1990年代後半には、ひと頃の半分の60キログラム台に落ち込んだ。 ★ ★ ★ 上記のように、この国の官僚は戦後から長期計画など皆無で無能で場当たり的な対応しかしてこなかったことがわかる。いまになって和食が身体によいと話題になって、和食を破壊しておきながら、和食が金儲けになると商業主義の片棒担ぎになる節操の無さである。 またこのような米国頼みの政策から、団塊の世代は食の欧米化の申し子といってよい。この時期まだ肉食は一部の富裕者だけだったが、団塊の世代の成功者は経済成長とともにいち早く欧米風の肉食化に埋没していったといえるから、つまり単純にいえば、団塊の世代の闘争心は、肉食によるものとも考えられ、そして昨今の団塊の世代のガン死なども、その影響と考えられる。 団塊の世代は肉食とともに成長し、肉食とともに去りぬ といえるかもしれない。そして何より、団塊の世代をみていると、デンマーク人の特徴でもある「デンマーク人は自分の主張を押し通す意思が強く、また自分に非があることを認めるのを嫌う。」傾向をもつことが認められる。 デンマーク人は個人主義の傾向が強いから他者に自分の価値観を押し付けることは少ないと思われるが、この国の住人は没個性なんで、価値観を押し付けられる場面によく遭遇する。それも価値観を押し付ける側は団塊の世代に多い。 個人主義の発達した国では一度拒否したら、勧誘はしないのが普通だが、この国では何度もしつこく勧誘してくる傾向があり、特に宗教関係の勧誘に多いのは非常に問題といえる。 この独善主義の傾向は、独善的な歴史観を振り翳すアホバカ政権の特徴であり、悪魔の日本会議の本性ともいえる。 それに何より、団塊の世代は飲酒率が高いのではないだろうか? 団塊の世代のイメージは酔っ払いサラリーマンである。連日連夜飲み会に耽り、家庭をこころみないイメージがある。この点は、個人主義が根付くデンマークとは大きな違いにみえるが、調べてみるとデンマークも飲酒は日本以上に飲むようだから、団塊の世代は、マイホームを忘れたデンマーク人といえるかもしれない。 そういえば喫煙をするのもこの世代の特徴ではないだろうか? 喫煙するために独善意見を振り翳す人もよくみかける。デンマークも喫煙率が高いそうである。 それでも、この国の団塊の世代のように、デンマーク人は酒が嫌いな人にまで飲ませることはしないと思われるので、団塊の世代の個人主義の欠落は致命的といえる。勿論、団塊の世代のなかにも先輩風を吹かせて理不尽な命令を要求しない理性的な人もいるだろうが、私の経験からそのような人に出会ったことはない。 というのも恐ろしいのは、団塊の世代は多数派を容易に形成しやすいので、連中のライフスタイルが容易に標準化されてしまうところにある。つまり肉食と飲酒が団塊の世代では当たり前になってしまうところにある。だからそれが行き過ぎると、闘争心をもたない男は男でないと独善意見を振り翳したりする。 恐らくモンスタークレーマーやモンスターペアレンツなどは団塊の世代に多いのではないか?と思う。 随分と脱線してしまったが、このような人たちには肉食や飲酒を抑えるべきに思えてくる。ガンになってからでも遅くはないが、恐らくこのような人は自分で治そうとすることはなく、他者のせいにしがちなモンスターペイシェントになりがちだからである。 自分は悪くない、悪いのは他者というのが、ガンの元凶だからである。 ガンになったら休むのが基本だろう。ガンになっても仕事を続けるのは美学ではないと思う。生命あっての仕事なので、優先順位を間違えては駄目である。仕事のために生命を犠牲にするのはドラマや感動をうむだろうが、それは所詮、非現実の世界だからこそ成り立つように思える。 現代社会の仕事に代表されるような万人の万人に対する戦いの日常では、闘争心自体を否定することはできないが、特にスポーツ競技においてはもはや必須となっているので、飲酒や肉食を禁じることは不可能だが、それだけこの世が地獄化している証でもあるから、この地獄化を少しでも天国に変えるべく、肉食を徐々に抑えていく意志が必要にみえる。 様々な宗教が肉食を制限し、飲酒を禁じているのは、闘争心を抑えるためであることがわかる。 そもそも唯物論で考えても、霊魂を無視するのだから、動物の肉には動物の習性が宿っていると考えられるわけで、動物の肉の中の運動神経などの成分がそのまま移植されると考えても不思議ではない。実際、昨今流行のサプリメントやヒアルロン酸などのプチ整形的な考えなどは、これと同じで消化などの人体の働きを度外視している。 肉食獣の肉を食べれば獰猛になる、というわけである。この考えは半分正しいが半分間違っていることは、人智学から考えればすぐにわかる。 肉食とスポーツ、特に闘争心の関係の紹介が長くなってしまったが、当初予定していた菜食と数学の関係の紹介にうつる。 菜食の国のランキングをネットで探しまわっても結局みつからなかったので、ベジタリアンで絞って探しても、目ぼしいデータはみつからなかった。そこで、数学で有名なピュタゴラスが、ベジタリアンであったことから話をはじめる。また、インドに数学者が多いのは、インドが菜食中心の国であることに関係があるように思われる。 さて、ウイキの「ベジタリアニズム」にもあるように、「紀元前のギリシャでは、菜食主義者は古代ギリシャの哲学者で菜食主義者であったピュタゴラスにちなんで、ピュタゴリアンと呼ばれていたが、野菜のベジタブルと語呂の良いベジタリアンがこれに取って代わることになった。」とあるように、菜食と数学の関係の代表者といえる。 更にピュタゴラスは、思考力を究めるために、豆を食べるのを禁じたという。 豆を食べるのを禁じた理由をシュタイナーは次のように説明している。 ★ ★ ★ 古代から遺伝として継承されてきた霊視により、植物の自然のなかに生きる性質に従って、その植物を食べたときに、人間の頭に、どんな影響をもたらすか、もしくは、どんな植物の根が、人間の霊能力を高めるのか、などが吟味されてきた。 植物を食べ、完全に消化できれば、消化された植物のその要素は、頭の中へと進行し、人間の頭と一体化することで、霊化した宇宙を求めて上昇し、宇宙との結びつきを獲得する。 植物のなかで、既に宇宙からくるアストラルに強く浸透されている、例えば莢果{エンドウなどの豆科植物の実}植物では、その実を消化しても、頭まで上昇せずに、下腹部のなかにたまってしまうので、睡眠を浅くすると同時に覚醒時も頭をボンヤリとさせてしまう。 (肉食とほぼ同じ働きをする。) このため、ピュタゴラス学派の人々は思考力をいつまでも純粋に保ちながら、継続させたいので、頭の機能をなるべく消化の援助にまわさないように、豆類を食べるのを禁じたのである。 このような植物の自然のなかに生きる様子から、人体との関係、しいては人体内で生じる事象との関係が霊視できる。 正しい秘儀参入学を知れば、人間の消化について(牛の消化とは全く異なる)、菜食を考察するだけで、植物の治癒力を矛盾なく説明できるが、このことは唯物論的科学には理解できずに不思議にみえるだけだろう。 植物は消化後、残らず霊化される。植物は、霊化により、植物では最も下にある根が人体では最も上にある頭へ、植物では最も上にある花が、人体では最も下にある手足や下腹部へと転じる。このような逆転現象が最大の変容である。 また、人体のなかで、植物で最も下位の根が、人体の最上位の頭へと、植物で最も上の花が、人体の最下位の下腹部へと転じない植物を、少量でも食べると、忽ち異常になる。 このような事実から、人間は霊化できないものからは何も得ることがない、ということがわかる。 なぜなら、人間が摂取する物質には、まずある霊的な形態を与えねばならず、その結果、霊である自我が、影響を及ぼすことが可能となるからである。 ★ ★ ★ 長くなったので、次回に続く。
2015年11月04日
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前回の続き。前回はスポーツの闘争心を肉食から考え、更にガン発症リスクの可能性へと紹介し、デンマークの高いガンリスクが、肉食の牛肉食に関係するのではないかという考察を紹介した。 では続けて、デンマークの特徴を調べる。 ★ ★ ★ デンマークの生活と医療・福祉 http://www.faelles-design.co.jp/study/society/medical/medical.html (ガンに関係すると思われる特徴を抜粋する。) デンマーク人は自分の主張を押し通す意思が強く、また自分に非があることを認めるのを嫌う。 緯度の高い位置にあるデンマークでは、夏は朝の4時頃から日が昇り夜の23時頃まで日が沈まないという白夜となる一方で、冬は日照時間が10時~15時の4、5時間という日が長く続き、しかも晴れる日よりも曇りや雪の日が多く続く。 そのため夏の間は陽気で大らかなデンマークに暮らす人々も、冬の間は鬱気味になりふさぎ込むことも多い。 多くの国民が15時には仕事を終えて帰宅をする背景には、夏は残りの半日を明るい屋外でスポーツやバーベキューなどの余暇に、冬は気候的にも精神的にも暗くなるため、労働意欲をそがれるといったことも理由のひとつにあげられる。 このような気候風土的なものと自由な国民気質とが重なり、デンマークでは喫煙・飲酒者が非常に多く、国民だけでなくマグレーテ2世女王もヘビースモーカーとしてよく知られている。 一方で飲酒者の割合は2000年の調査では男性が15%、女性が9%と1994年の調査から増加している。 また高水準福祉社会、国民の満足度世界一などと言われるデンマークではあるが、実は国民の平均寿命は西欧の中では最も低い数値にあり、2004年の平均寿命は男性で75歳、女性で80歳、平均では78歳となっている。 これらは気候風土から来る精神的ストレスや過度の喫煙やアルコールの多量摂取などのライフスタイルと、高水準の医療・福祉サービスに頼りすぎているといった2つの要因があるのではないかと考えられている。 デンマークでは医療行為と治癒行為は別ものと考えられており、治療は病院で、リハビリやケアは通院やリハビリセンターで行われている。 またガン患者の数も年々増加し、2000年には新たに約32,000人がガン患者として登録され、総合では約209,000人のガン患者が登録されている。 最も多い症状は、女性では乳がん、男性では皮膚がんとなっている。 (大腸ガンが多いというサイトもある。) デンマークでは国民の1/3は定期的になんらかの医薬品を服用し、うち50%は2週間に1度は服用している。割合は男性よりも女性の利用が多く、年齢が高いほど服用が多くなっている。 最も多く利用されているのは血圧を下げるための薬や鎮静剤(痛み止め)で、これらは処方箋なしで購入が出来る。 医薬品の売り上げはここ10年で確実に増加し、1995年では71億DKKだったものが2004年では116億DKKと63%の増加をしている。 風邪を引いた場合など、在宅医の診察では数分の診察をした後に「コーラを飲んで寝なさい」と診断され帰される。水分や糖分をとってよく休めば治る、ということである。 これが一般的であるデンマークでは、風邪程度で医師の診察を受けることはほとんどなく自然治癒にまかせるのが一般的である。日本のように病院に通い、市販の風邪薬を買い求めて服用するといった習慣はデンマークにはない。 またデンマークでは専門医への診察にはまず家庭医の推薦が必要になるのだが、病状がよほど深刻にならない限りは家庭医は専門医へ推薦することをしない。 さらに国内では専門医の慢性的な不足が問題となっており、他国から医師を招いて対応せざるを得ないといった課題を抱えている。 また人種や技術的な面でも、デンマークに限ったことではなくヨーロッパ諸国でも当てはまることではあるそうだが、ガンを煩った場合、その治療技術の発達からヨーロッパではなく日本に帰国して手術を受けた方がはるかに治癒率が高いと言われている。 デンマークと日本においては文化・暮らし・風土・歴史など、その生活は根本から大きく異なっている。そのため、優れているとされるデンマークの福祉や医療制度をそのまま日本の社会システムの中に持ち込むことは不可能だと感じている。 日本とデンマークとではあまりにも国民の人間性や生活の質、大人の成熟度が違うからである。 ただ両国の比較から日本がデンマークに学ぶべきものは多い。デンマークと比較して検討していくと、日本ではまずなによりも、国民の意識を変えるための“気づき”や“きっかけ”を与えることが重要であると感じさせられる。 ★ ★ ★ 上のサイトでは最後に日本と比較した違いを述べているが、日本と大きく異なる点は、一言でいうと個人主義の国という面が強い。日本は滅私奉公といわれるぐらい没個性主義の国である。 しかし、あえて肉食からくる個人主義を度外視して考えると、高いガンリスクの要因と考えられるのは、日本にも共通だが、高水準の医療・福祉サービスに頼りすぎている面と、特に「国民の1/3は定期的になんらかの医薬品を服用し、うち50%は2週間に1度は服用している。割合は男性よりも女性の利用が多く、年齢が高いほど服用が多くなっている」という薬づけ依存状態が、ガンリスクの要因と容易に考えられる。 また人智学では、ガンは自我の細かな分裂とされているので、エゴを大きくさせる肉食などがガンリスクを高めるのは当然と考えられる。つまり個人主義も行き過ぎて独善になるとエゴになるから、肉食も腹八分にしたほうがよい、というわけである。 しかし、デンマークは幸福度ランキングにおいては常にナンバー5には入り、2015年は3位で、長生きするよりも短くても自分らしい生き方ができるのを好むと、あるサイトに書かれていたように、平均寿命は世界でも短いほうの38位(2010年調査)だが、個人主義が行き届いているので、ガンリスクが高いことや比較的短命など全く気にしないようにみえる。 まとめると、個人主義で生きられれば寿命などあまり気にとめない国といえる。 この特徴は平均寿命ランキング1位なのに幸福度ランキング46位(2015年調査)のこの国とは真逆といえる。だからデンマークからこの国をみると、だらだらと長くつまらない生き方をしているようにみえるか、あるいは内情を知らないデンマーク人なら、価値観があまりに違いすぎるので、かえって新鮮にみえるかもしれない。 ちなみに日本とデンマークを比較するのによいサイトを以下に紹介する。 ★ ★ ★ また住みにくくなるかもね http://blogs.yahoo.co.jp/whitestone67/32902705.html 最近ヨーロッパからのニュースと言えばやはり難民問題。ここまで難民問題が急速に深刻な事態になるとはだれも想像していなかったのではないだろうか。 妻の国デンマークも今年上半期だけで2500人近くが難民申請をしたそうだ。4年間の中道左派連立政権の間に移民・難民への各種法律が緩くなり、難民としてデンマークに来る外国人も急増した。しかし、6月の右派政権への交代でこれらの外国人に対する法律が大幅に変わるようだ。 デンマークでは政権交代で毎回一番影響を受けるのが外国人。その変わり様とは結婚してデンマークに住むことを諦めさせたり、永住権を取得するように頑張ってインテグレーション(同化)しようとしてきた人に対して土壇場で更に厳しい条件を課したりなど、決して生易しいものでは無い。 古いデンマーク、すなわち寛容で社会保障が充実したデンマークを想像している人達からすると驚くかもしれないが、デンマークも他の資本主義の国々と一緒で「お金持ちで税収で国家に貢献できる人」または「高学歴、高収入でデンマークのイノベーションのために役立つ人」だけを受け入れたいのが本音。まあ、それは当たり前というか、文化や習慣も違う外国人を受け入れる社会の負担を国民に説明するにはやむを得ないことなのだろう。 まあ、それにしてもデンマークの外国人政策はいつもドラスティックだ。毎回振り回わされる人も少なくない。しかし、政権がまた変われば外国人政策もある程度は変わる。 一つはっきり言えることは、デンマークに住む外国人は帰化するまで(すなわちデンマーク国籍になるまで)決して、自分の法的なステイタスは安全では無いということ。そこまでの強い覚悟と決心が必要。社会はユルユルだが、外国人はユルユルでは済まされない国だということを強く認識する必要がある。 と偉そうに書いているけど、毎日を有意義に過ごしている外国人の方々もたくさん居るので。 デンマークの医療はやっぱりベスト? http://blogs.yahoo.co.jp/whitestone67/32819304.html デンマークの医療というと日本では「無料」というイメージがある。もちろん、イメージではなくて本当に無料(歯科は除く)なわけだが、医療の質、病院内の環境、待機期間などに関しては聞く人によって意見が大きく分かれる。 去年、カミさんの兄嫁が急性白血病になり、一時は絶望的とまで言われたが、超早期にドナーが見つかり、骨髄移植・抗がん剤治療をやった結果、事実上の寛解状態になり、最近社会復帰を果たした。 義兄一家はデンマークのフュン地方に住んでいるので最初はオーデンセにある大学病院OUHに入院、その後、移植手術のためコペンハーゲンの中央病院Rigshospitalに転院した。義兄は「何でも遅いデンマークの医療システムでこれだけ早くドナーが見つかり、早期に移植できたのは奇跡に近い」と言っていた。白血病の初期治療、抗がん剤治療、そして移植手術、日本では目が回るような高額医療費になるだろうが(自己負担は少ないが)デンマークでは全てが無料だ。更に付き添いの家族用に無料の宿泊施設もある。 その反面、公立病院では病室が足らずに入院患者が廊下にベッドを置かれて寝かせられるという事態も発生している。無料の医療制度は全て税金で賄われるわけで、至れり尽くせりというわけにはいかない。 どのような病気でも最初は家族医にかからないといけない制度に不満を持つデンマーク人も少なくない。結果的に治療や処置が遅れるケースが多いからだ。 ★ ★ ★ また長くなってしまったので、次回に続く。
2015年11月04日
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数学について非常に有り難いご質問を戴いたのと、肉食や菜食についてのシュタイナーの話の続きとして、数学と菜食と、スポーツと肉食について考えてみる。 ワールドカップラグビーをみていて、強豪国の闘争心の凄さを感じたが、その闘争心はどこからくるのか?と考えてみると、シュタイナーの話から、肉食にあるのではないかと思い、ネットで調べてみると、やはり強豪国は肉の消費量も多いことが以下のように明らかになった。 ★ ★ ★ 1日に250g以上も食べる!世界で最も「肉食な国」トップ10 http://suzie-news.jp/archives/12582 肉か魚か? コース料理では大抵どちらかを選ぶことができます。どちらにもそれぞれのよさがあるので、肉にするべきか魚にするべきかは常に悩むところです。 ところで、世界でもっとも肉食女子・男子が多い国はどこだかご存知ですか? 肉といっても牛肉、鶏肉、豚肉、子牛肉、羊など多種多様。毎年OECD(経済協力開発機構)は経済と社会的な観点からの幸福調査において、200以上の加盟国の消費する詳細な種類の肉の量まで調べています。 食の欧米化が叫ばれて久しい日本ではありますが、ランキングに入るほど「肉食」なのでしょうか。今回は『The Daily Meal』の記事を参考に、世界でもっとも「肉食」な国トップ10についてまとめました。 ■10位:マレーシア 1人当たりの年間平均で、約121ポンド(=約55キロ)の肉を消費します。国教は食肉に厳しいイメージのあるイスラム教ですが、複雑な文化を持つ多民族国家であることが関係しているのかもしれません。 ■9位:カナダ 1人当たりの年間平均で、155ポンド(=約70キロ)の肉を消費します。畜産を含む農業が盛んな国なので、高いランクも納得です。 ■8位:チリ 1人当たりの年間平均で、160ポンド(=約72.5キロ)の肉を消費します。チリはワインで有名ですが、赤ワインに合う肉もたくさん食べられています。なお、牛肉、羊肉がメインです。 ■7位:ニュージーランド 1人当たりの年間平均で、162ポンド(=約73.5キロ)の肉を消費します。ニュージーランド産の子羊肉は有名です。 ■6位:ブラジル 1人当たりの年間平均で、172ポンド(=約78キロ)の肉を消費します。肉料理「シュラスコ」の発祥の地。その他の料理にも肉が多く使われています。 ■5位:ウルグアイ 1人当たりの年間平均で、183ポンド(=約83キロ)の肉を消費します。たくさんの肉を生産する大畜産国として長い歴史がある国です。 ■4位:アルゼンチン 1人当たりの年間平均で、187ポンド(=約85キロ)の肉を消費します。アルゼンチンはウルグアイの隣にあります。こちらも畜産大国。 ■3位:イスラエル 1人当たりの年間平均で、190ポンド(=約86キロ)の肉を消費します。 ユダヤ教国家であるイスラエルでは、エビや牡蠣、イカ、タコなどは宗教的理由で食べることができません。牛や羊は食べていいので、そのぶん肉食が盛んなのかも。 ■2位:アメリカ 1人当たりの年間平均で、201ポンド(=約91キロ)の肉を消費します。 肉食なイメージがあるアメリカですが、トップではありませんでした。しかし毎日250gの肉を食べ続けている計算になりますから、十分すぎる数値ではあります。 ■1位:オーストラリア 栄えある第1位は、オーストラリアでした。1人当たりの年間平均で、205ポンド(=約93キロ)の肉を消費しているので、毎日254グラムの肉を食べ続けている計算になります。 世界最大の畜産国のひとつですから、トップになるのも不思議ではありません。オージービーフの食べすぎにも要注意ですね。 ★ ★ ★ ワールドカップ決勝のニュージーランドとオーストラリア共に、7位、1位と上位にランクされている。アメリカも上位だが、ラグビーよりもアメフトの方が人気が高いため、闘争心が必須のスポーツ選手がアメフトに流れているせいだろう。ウルグアイやブラジルは人気のサッカーに、カナダはアイスホッケーに流れているのだろう。 3位のイスラエル、チリ、マレーシアについてはスポーツがあまり有名でないので、他のことに闘争心が向いているのだろう。イスラエルなんか、アメリカとともに、いつも紛争ばかりしている国にもみえるからである。イスラエルは、肉食をするなら、ラグビーをするか、有名なスポーツでもつくればいいのではないかと思ってしまう。 ついでに、話題のガンのリスクの高い国のランキングを以下に紹介する。 ★ ★ ★ どの国が一番「がん」の多い国?そこから見える新たな「がん」の問題。 http://shinhakken-blog.seesaa.net/article/416230933.html 世界の推定がん患者は1,400万人以上と言われており、日本でも2014年にがん診断された患者数は約88万人に及んでいるそうです。 世界的に見ても現代病の中でがんは非常に発症率の高い病気ですが、実際がんが多い国、がんと無縁な国というのは意外とどこなのか知らないですよね。 と、思っていたら、実際に世界のがん事情がどうなっているのかがわかる調査結果がありました。世界のがん調査団体World Cancer Research Fund(本社:イギリス)が、世界で最もがんになりやすい国となりにくい国のがん比率順位を発表しています。 調査は2012年に実施されたもので、国により年齢構成や死亡率などが違うのでAge Standardization(年齢調整)によって標準化した公正調査となっています。 それによると、デンマークが最も高く、がんと診断されるのが10万分の338人で不名誉にもトップになってしまいましたね。2番目以下も殆どの国が欧米で、アジアでは韓国が8番目(307.8)にランクインしています。日本はがん大国という意識が強かったのですが、どうやら48番目(217.1)と意外と低いことが分かりました。 ちなみにがん率が低い国は殆どアフリカの国に集中していますね。 男女別を調べたら、男性のトップ国はフランスになり385.3、デンマークは8番目(347)、韓国12番目(340)と順位は下がってます。 注目すべきは女性で、韓国は一気に3位(293.6)に浮上していて、女性のがん発生率が高い国として社会問題になっているんだそうです。特に甲状腺がん発病が世界平均の10倍に及んでいるそうで、世界医学史上でも類を見ない状況になっているんだとか。 「我が国を含む全世界的に甲状腺癌死亡率は人口10万人当たり1人未満で、名前だけの癌であって事実上癌とは言えないほど死亡率は低いです。場合によっては治療すれば、かえって利益より害が大きい甲状腺癌を不必要に診断して出した結果で、これを政府が放置して多くの被害者が 現れています。」(イ・ジェホ、カトリック医大教授) なるほど、お隣の国韓国はお金追求で必要以上にがん検診を行い、がん患者を増やしている、と。要は治療までしなくてもいいような腫瘍レベルのものもお金目的で治療し、がん増加率アップに一役二役くらいかっているわけですね。 実はこの問題はお隣の国ということで済まされる問題ではないようなんです。我が国日本も過度な検査を問題視すべるべきだと指摘する専門家が増えています。 近藤誠著書「医者に殺されない47の心得」から引用 がん検診は、やればやるほど死者を増やす 日本は医者にがんと診断されやすい (中略) その中には誤診も多いし、命を脅かさない「がんもどき」「潜在がん」もたくさん含まれる。 (中略) 欧米ではがんと見なされない病変の8~9割が、日本ではがんにされています。がんと診断されると、すべてが治療の対象となるので、意味のない手術の後遺症や合併症、抗がん剤の副作用をこうむります。 (引用終了) 人間ドックなどで精密に検査すればするほど何かしらの「がんもどき」が発見されてしまい、それが治療しないで済むものでも「初期発見で良かったですね~」と言われ抗癌剤やら手術やらでさんざん体をいじくりまわされ医者ぼろ儲けという構図になるということのようですね。 そもそもCTやレントゲンの被曝も問題視すべきレベルのようなのに国も医療機関もそこは見て見ぬふりで健康のためという理由で検査を推奨しているのが実態のようです。 これって全くお隣韓国とやっていることは変わらない・・ (WHOの発表からもわかるように抗ガン剤の効力が欧米では疑問視されつつあり、抗ガン剤が使われなくなりつつあり、ニセモノユダヤの新たな標的として日韓が想定されている。FTA、TTPはその前触れ。) ところでこのがん率の高いどの国も殆ど先進国でファーストフードや加工食品をはじめ飽食で不健康な食生活を送っている国に集中しますね。また、上記の通り西洋の最新医療技術でがん検診や治療を行っているから多くのがん患者予備軍まで治療の対象となるからがん率が高くなっていくのでしょう。 逆にがんにあまりがんにかからないアフリカの人たちは、欧米型の生活とは真逆の生活をしている人たちですよね。人によっては単に平均寿命が短いからがんにかかる前に亡くなる、という人がいるようですが、果たしてそれが真実なのか・・・。 ★ ★ ★ デンマークが高い要因はガン検診でみつかりやすいのも考えられるが、やはり肉食で調べてみると、最近のデータではないようだが、以下のようにヨーロッパのなかでは肉食ランキング2位に挙げられている。 ★ ★ ★ ヨーロッパで暮らす http://europeanlife.web.fc2.com/living/pro-kopf-verbrauch.html (上記のサイトから引用) EUの調査によると、ヨーロッパで食肉消費量が最も多い国はスペインで、1人当たり年間約82キロのお肉を食べているそうです。以下結果を表にして見てみましょう。 ★ ★ ★ 上記のデータからデンマークの高いガン発症リスクを肉食に求めるなら、スペイン、ポルトガルも高くなくてはならないが、少なくとも、ガン発症リスクランキングにはなかったので、上記のデータから無理矢理考えると、デンマークは牛肉の消費量が高いことに気づく。 ついでにフランスも高いが、フランスはガン発症リスクランキング2位であるから、このデータから牛肉が要因である可能性はある。 デンマークで多いガンは大腸ガンで、フランスでは肺ガンが一番多くついで大腸ガンとなっているので若干異なる。 そこで、デンマークの事情を更に調べるのによいサイトを次回に抜粋紹介する。数学と菜食の関係は次回以降に紹介する。
2015年11月04日
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WHOに関して、巷では加工肉ばかりが取り沙汰されているが、実は116もの要因を挙げているようである。その全てを載せている日本語のサイトを以下に抜粋紹介する。 ★ ★ ★ WHOが公式発表した「ガンの原因となる116の要因」を全掲載 http://indeep.jp/post-340/ 加工肉…紫外線…抗ガン剤…何もかもが外部要因の感じが ▲ 2015年10月27日の ars technica It’s official: Bacon, hot dogs, other processed meat cause cancerより。 先日、世界保健機構( WHO )が、 「ガンの原因となる 116 の要因」 というものを発表しました。 冒頭の報道は、その中に「加工肉」も含まれていたということで、わりと騒動となったということを取りあげたものです。 まあ、そのような個別はともかくとして、デイリーメールなどをはじめとして、その「全リスト」が載せられているのですが、その英単語の羅列を見て、 「あー、なんか全然わかんね」 と思いまして、ふと意地になってしまい、「全部、訳してやろうじゃないの」ということになり、しかし、訳すこと自体はそんなに大変ではないにしても、訳された日本語の単語が全然わからないのです。 訳しながら、 「クロルナファジン……クロロメチルメチルエーテル……ブタンジオールジメタンスルホネート……シクロホスファミド……寿限無寿限無ごこうのすりきれ……」 (中略) 訳した後に、わからない日本語の意味を調べていたんですが、ほぼ半数くらいが意味がわからないので、わりと壮大な調べ物時間となり、昨日のアップに間に合わなかった次第です。 途中で、「 116もの要因をすべて載せて何か意味があるのか」とも思いましたが、意外と飽きずに作業が進んだのは、 「ガンの原因になるものに抗ガン剤が異常に多い」 ということに気づき始めたからでした。 (中略) 「ガンの原因になる薬をガン患者に使う」というパラドックスはどう考えるといいのか微妙ですが、リストには、他にも、 45. アザチオプリン(免疫抑制剤) 60.エストロゲンとプロゲストゲン(ホルモン剤) 63. ジエチルスチルベストロール(ホルモン剤) など、現在も多く使われている医療用の薬も多数出てきます。 面白いといってはいけないですが、このリストは、薬に反対している人たちによるものではなく、WHO (運営資金の多くを製薬会社に拠出してもらっています)の公式な発表というところがアレで、なかなか医学界も複雑な部分があります。 ただまあ・・・私自身は、 『幸せはガンがくれた』 という本を読んで以来、ガンの原因は外部要因が主ではないと今は思っています。 「ガンは自分で作っている」部分が大きいと。 最近は、著名人でガンになったり、亡くなったりする方が多いですが、報道などを見る限り、ガンになっても、なお無理したり頑張ったりして生きている方が多いように思います。 ガンは「その生き方を見直しなさい」と言ってくれているのかとも。 「あなたは限界まで頑張ったのだから休みなさい」と。 そして、先日の記事で、 ・アルツハイマー病の最大の原因が「ストレス」である可能性がアイルランドの大学の研究により突き止められる 2015/10/23 というものがありましたが、「ストレス」要因は、あらゆる病気と関係していると、私自身は思っています。 今は誰でもガンになる時代ですし、大酒飲みの私などは十分に候補ですが(今回のガンの原因リストの中にも「アルコール飲料」と「アセトアルデヒド」があります)、なったらなった時に、また自分の生き方を考えればいいのかとも思います。 とはいえ、確かに外部要因というものも、それなりにあることは統計などから確かではありそうで、その WHO 発表の 116の要因を一挙にご紹介いたします。 一般的に知られていないと思われる言葉には注釈をつけています。 また、専門語が多いために、私の訳が間違っている可能性はかなりありますので、すべてに WHO 発表の英語を添えています。 (全部はリンク先を参照してほしいので、主に身近なものだけを載せる) 1. 喫煙 ( Tobacco smoking ) 2. 紫外線を出す医療用の太陽灯と、椅子での日光浴 ( Sunlamps and sunbeds ) 13. 受動喫煙 ( Secondhand smoke ) 22. アルコール飲料 ( Alcoholic beverages ) 39. 加工肉 ( Processed meat ) 46. ベンゼン ( Benzene ) 48. ベンゾピレン(ベンゾ[a]ピレン) ( Benzo[a]pyrene ) 64. ベンジジンの染料 ( Dyes metabolized to benzidine ) 65. エプスタイン・バーウイルス ( Epstein-Barr virus ) ※ 伝染性単核球症をはじめとするさまざまな病気を引き起こすウイルス。 67. ステロイド性エストロゲン ( Oestrogens, steroidal ) 69. アルコール飲料中のエタノール ( Ethanol in alcoholic beverages ) 73. ホルムアルデヒド ( Formaldehyde ) 75. ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌) ( Helicobacter pylori 76. B型肝炎ウイルス ( Hepatitis B virus ) 77. C型肝炎ウイルス ( Hepatitis C virus ) 80. ヒトパピローマウイルスのタイプ16、18、31、33、35、39、45、51、52、56、58、59、66への感染 ( Human papillomavirus type 16, 18, 31, 33, 35, 39, 45, 51, 52, 56, 58, 59 and 66 )※ ヒトパピローマウイルスとは、厚生労働省のページによりますと、「ヒトパピローマウイルスは、性経験のある女性であれば50%以上が生涯で一度は感染するとされている一般的なウイルスです。しかしながら、子宮頸がんを始め、肛門がん、膣がんなどのがんや尖圭コンジローマ等多くの病気の発生に関わっていることが分かってきました。特に、近年若い女性の子宮頸がん罹患が増えていることもあり、問題視されているウイルスです」というものだそう。 89. ニッケル化合物 ( Nickel compounds ) 93. 屋外の大気汚染 ( Outdoor air pollution ) ※ 屋外とは家の外のこと(そんなもんわかるわ)。 94. 屋外の大気汚染のうちの粒子状物質 ( Particulate matter in outdoor air pollution ) 95. 放射性リン32 ( Phosphorus-32, as phosphate ) 97. 原子炉事故や核兵器の爆発からの放射性ヨウ素 ( Radioiodines, short-lived isotopes, including iodine-131, from atomic reactor accidents and nuclear weapons detonation ) 98. 体内に堆積した放射性核種α粒子 ( Radionuclides, α-particle-emitting, internally deposited ) 99. 体内に堆積した放射性核種β粒子 ( Radionuclides, β-particle-emitting, internally deposited ) 105. シリカ(二酸化ケイ素) ( Silica, crystalline ) 106. 太陽放射 ( Solar radiation ) 114. 塩化ビニール ( Vinyl chloride ) 115. 紫外線 ( Ultraviolet radiation ) 116. X線とガンマ線 ( X-radiation and gamma radiation ) (後略) ★ ★ ★ ここまでにして、シュタイナーの話の紹介に戻す。シュタイナーの食事についての話を以下に紹介する。 ★ ★ ★ 今回は「シュタイナー健康と食事」の本から、「肉食と菜食」の要約(改変) http://www.あほうどりのひとりごと.com/article/282371812.html 人智学が食べ物の研究を重要視するのは、その研究を通じて、人間と自然の関係が霊視できるからである。 いうまでもないが、人間は自然の中に生きている。 「人間は外界で働く力に従う。人間はこの力から自由になれるのか。 人間は食べ物を通して、この外界の力から自由になれるのか。 人間は食べ物からなるとしても、何を食べるか、工夫することで、食べ物のなかの外界の力から自由になれるのではないのか?」 という問いが生じる。 「食べ物を通して、どうやって食べ物のなかの外力から自由になるか。 つまり、食べ物の摂取から、体内で生じる外力の消化をいかにコントロールするか」という問いが、人智学では生じる。 鉱物は、「物質体」のみからなる。 植物は、「物質体とエーテル体」からなる。 動物は、「物質体とエーテル体とアストラル体」からなる。 人間は、更に、この上に自我をもつ。 エーテル体は、栄養摂取や生殖などの生命全般を司る。またアストラル体は、神経組織をつくり、感覚を司る。 植物と動物は、人間の個人的な自我ではなく、集合的な自我をもつ。 「シュタイナー健康と食事(肉食と菜食)」のP.13-19より 植物は物質、つまり鉱物から、素晴らしい方法で自らの体をつくる。では植物と人間の呼吸のやりとりを見てみる。 人間は酸素を吸って、炭素を吐き出す。人間には不必要な炭素を植物は受け入れる。植物は炭素から自らの体をつくり、酸素を放出するが、この働きを行うには太陽光を必要とする。太陽光なしには、植物は何もつくれない。 光は人間の心に活気を与えるが、また植物の創造を助ける。 (中略) 植物はアストラル体をもたないが、代わりに、太陽光が助け、植物のエーテル体をつくる。 (中略) 人間は食物を通して動物界と関係を持つ。人間の食料となる動物の肉のなかでは、動物が生きている間に食物を消化することで既にアストラル化がなされている。 植物では、自然とほぼ同じ物質状態で摂取された鉱物が、動物では消化され、部分的に変化し、既にアストラル化がなされている。動物も人間と同じくアストラル体と神経組織をもち、食物をその機能に割り当てるからである。 人間が動物の肉などを食べると、自然そのものを食べるのではなく、既に動物が体内の消化でアストラル化した力を受け入れることになる。動物の肉のなかで機能するのは、動物のなかで既に消化され、アストラル化した力なのである。 (中略) これが菜食と肉食の違いとなる。 肉食は、動物の体内でアストラル化している分、菜食とは全く異なる形で、人間の神経組織とアストラル体に働きかける。 菜食は、植物はアストラル体をもたず、アストラル化されていないので、人間の神経組織が外から影響を受けることはない。人間はもちろん自力で神経組織に多くの栄養を与えないといけない。 (中略) 人間が自力で多くの栄養を神経組織に与え、発達させるなら、その神経組織は精神=霊に対して感度が高まり、敏感になる。 つまり、個人という狭い枠から発する偏見を超えて、宇宙全体にまでわたる壮大な関係性を見通す事ができるようになるには、菜食が土台となる。 大きな観点から自由に人生と思考に強弱を与え、コントロールできるのは菜食を土台とするからである。対照的に、地上の立場に自己を結びつけ、個人の枠に囚われ、怒り、反感、偏見に狂うのは肉食のせいである。 これは菜食主義を扇動するのではない。肉食は現代人には必要である。 地上の人間は個人をもたねばならず、個人的な興味を抱くのは肉食のせいなのである。戦争をしたり、共感や反感を持ち、感覚的な情熱を持つ人間がいるのは、肉食が原因である。 対して、狭い興味に夢中にならず、普遍性に興味を持つのは菜食のおかげである。菜食を好む民族は霊能への素質をもち、そうでない民族は勇敢で、果敢であるが、それらも人生には必要である。 勇敢さ、果敢さは、個人の要素なしには生れないので、肉食なしには発生しない。 これは一般論だが、肉食により個人的な興味に没入できる反面、思考力などの感覚は鈍る。 ★ ★ ★ 肉食を考え直すいい切欠である。
2015年11月02日
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わざわざWHOが発表しなくても、加工肉が体に悪いというのは、この国では昔からいわれていたことである。何を今更という感があるが、どうもこの国では海外の権威が発表するのと、この国で密かに言い伝えられているのとでは内容は同じでも、信仰には雲泥の差があるようだ。 以下はその内容の紹介である。 ★ ★ ★ 加工肉に発がん性あるとWHO http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-34645057 世界保健機関(WHO)は26日、ベーコンやソーセージ、ハムなどの加工肉は発がん性があるという分類を発表した。 専門機関・国際がん研究機関(IARC)の報告は、加工肉を毎日食べた場合、50グラム(ベーコン2切れ以下)ごとに大腸がんにかかる確率が18%上昇するとしている。赤肉も「恐らく発がん性がある」が、限られた証拠しか得られていないという。 WHOは一方で、肉の摂取には健康上のメリットもあると認めている。 英国のがん研究機関「Cancer Research UK」はWHO報告について、赤肉や加工肉の摂取を一切止やめるのではなく量を減らせば十分で、ベーコン・サンドイッチをたまに食べるくらいはかまわないとしている。 加工肉とは? 加工肉は賞味期限を延ばしたり味を変えるために加工されたもので、加工の主な手段は燻製(くんせい)、塩漬け、塩や保存料の追加などだ。 牛肉をひき肉にするだけでは「加工」したことにはならない。 加工肉にはベーコン、ソーセージ、ホットドッグ、サラミ、コーンビーフ、ビーフジャーキー、ハム、肉の缶詰、肉ベースのソースなどが含まれる。 報告によると、発がん性のリスクがあるのは、肉の加工に使われる化学物質だ。バーベキューなど高温度による調理も、発がん性物質を作り出すことがある。 英国では100人に約6人が一度は大腸がんにかかる。全員が終生、1日50グラム分のベーコンを追加摂取し続けた場合、大腸がんにかかる確率は18%上昇し、つまり発症リスクが100人中7人に上がるという。 リスク研究を専門とする英ケンブリッジ大学のサー・デイビッド・スピールゲルハルターは「つまり一生ずっとベーコンを食べ続ける100人の中で、大腸がんにかかる人が1人増えるわけだ」と説明する。 どれほどひどいのか WHOの結論は、科学的知見を精査したIARCの諮問に基づくもので、がんの原因になるという意味で加工肉はアルコール、そしてプルトニウムと同類項に入れられたことになる。 ただし、加工肉がアルコールやプルトニウムと同じくらい危険だというわけではないし、ベーコン・サンドイッチの危険性はタバコと同じではない。 WHOのクルト・シュトライフ博士は「個々人が加工肉の摂取で大腸がんにかかるリスクはまだ少ないが、摂取する肉の量によってリスクも上がる」と説明した。 加工肉の過剰摂取が原因のがんによる年間死者数は推定3万4000人という。対して、喫煙由来のがんによる年間死者数は推定100万人。アルコール由来は同様に60万人という。 赤肉には栄養的なメリットもあり、鉄分や亜鉛、ビタミンB12の重要な供給源だ。 しかしWHOは、赤肉を毎日100グラム以上食べ続けると発がんリスクが17%上がるという証拠が、限定的ながら得られているという。 WHOは、今回の報告書発表は各国政府がバランスのとれた食生活の指針を国民に示すにあたって、重要なものだと位置付けている。 実害はそうはない? 「Cancer Research UK」のティム・キー・オックスフォード大教授はWHOの分類について「赤肉や加工肉を食べるのを一切止める必要があるというのではないが、たくさん食べる人は減らす方向で考えるといいかもしれない。ベーコンサンドをたまに食べてもたいした害はない。何事もほどほどにというのが、健康な食生活の基本だ」と話す。 またWHO報告にアドバイザーとしてかかわったインペリアル・コレッジ・ロンドンのテレーサ・ノラット博士は、大腸がん発症要因は様々で、「赤肉や加工肉をとる量を減らすべきだが、同時に果物や野菜由来の繊維質が豊富な食生活が必要だ。一生を通じて適切な体重を維持し、アルコール摂取を抑え、活発に運動するのが望ましい」とBBCニュースに話した。 業界団体の肉類諮問パネルは「赤肉を避けてもがん予防にはならない」として、むしろアルコールや喫煙、体重に注意する方が大事だと主張している。 ★ ★ ★ それもこれも古来からこの国の根本思想をつくってきた仏教の修行僧がいまでは平然と飲酒したり、肉食したりしている位だから、ニセモノや出鱈目が罷り通っている証でもある。 キリストはワインとパンを譬えて自分の血と肉としたが、御釈迦さんは、飲酒や肉食を薦めてはいないはずである。というのも、御釈迦さんの時代は、人類には飲酒や肉食は厳禁だったはずで、それらは人類から霊能力を失わせるものだからである。 霊能力つまり霊界をみれない坊主ほど意味のないアホバカはいない。それではニセモノで詐欺だからである。霊界を説く者が霊界をみれないなど地獄に行くだけの単なる嘘つきにすぎない。 ではキリストの時代になってキリストがワインとパンを持ち出したのは、もはやほとんどの人たちが霊能力を失っていたからである。霊能力を失うとは、オカルトでは神から離れることを意味するが、これが原罪である。 アホバカ日本会議などは、原罪を認めないなど論外のアホバカ悪魔集団である。 つまり、キリストが人類にワインとパンを与えるから、原罪を赦そうというわけである。つまり再び、人類に霊能力を与える、という宣言なんである。最後の晩餐で、人類を原罪から赦し、再び神の一員に加えようというのである。 当時の人類は神から離反し悪魔側に加担していたわけである。勿論、ユダの裏切りは想定内で、ユダは人類を顕す。ワインは人類に副作用としてエゴを与えるが、本当は個人的自我の目覚め、パンは永遠の生命の象徴、つまり輪廻転生の生と死で、キリストの教えである。 脇道に逸れるので、ここでやめておくが、御釈迦さんが薦めてもいない飲酒と肉食をどうしてするのか、現代の仏教徒は嘘つきである。要するに金儲けの地獄行きの一員なんである。 さて、ダマスゴミの商業主義に踊らされて、食べ物で一喜一憂しないように、食事に対する基本的な話を以下に紹介する。 ★ ★ ★ ラマナ・マハルシが薦めた食事 【「ラマナ・マハルシ」と「ルドルフ・シュタイナー」の説いた共通する肉食観!:肉食をしないと「低次の性質」との戦いが容易になる!】 http://cancer-treatment-with-diet-cure.doorblog.jp/archives/44322882.html 近代における最大の覚者と言われている「ラマナ・マハルシ」が薦めていた『食の在り方』についてのご紹介です。 ラマナ・マハルシは「物理的環境」よりも「精神的態度」のほうが霊的な進歩にとってより大きな関わりを持っていると確信していました。そして、どんなにわずかでも「環境を変えることが霊的な助けとなる」と信じる(思い込んでいる)質問者たちを、常に思いとどまらせていました。 ラマナ・マハルシが唯一認めた「物理的変化」は『食習慣』だけでした。 ラマナ・マハルシは「人間の食」について、食事のタイプが人の「想念の量」と「質」に影響を与えるという、ヒンドゥー教の間に広く行き渡った「食養生についての理論」を受け入れていました。 そして、適度な「菜食主義の食事」をすることが、霊的な修練にとって最も有益な助けとなると薦めていました。 ラマナ・マハルシが認めたヒンドゥー教の「食養生の理論」は、それらを食べることで引き起こされる精神状態にしたがって、食べ物を次のように分類しています。 (1)サットヴァ 〔純質〕(菩薩の語源で、菩薩はボーディサットヴァのこと) 穀物、野菜、果物、乳製品が、サートヴィック(Satvic:純粋・清らか)な食べ物とされる。 これらの食品からなる食事は、霊的修行者が静かな心を保つ助けとなる。 (2)ラジャス 〔激質〕(ルシファー的な食べ物) ラジャシックな食べ物は、肉、魚、唐辛子、タマネギ、ニンニクのような香辛料の効いた食事を含む。 これらの食物を食べることは活動的な心をもたらす。 (3)タマス 〔暗質〕(アーリマン的な食べ物) 腐りかけた、あるいは新鮮ではない食べ物、アルコールなどのような発酵過程を経る食品は、タマシックな食事とされる。 これらの食べ物を食べると、解決力を持つ明晰な思考を妨げ、無関心で鈍感な心の状態をもたらす。 ラマナ・マハルシは、悟るための助けになるものとして「菜食(ニンニクなどは除く)」をもっとも優れたものとして薦めていました。「菜食」により心に落ち着き(サットヴァ)の性質が増します。 そして、「適度な量の清らかな(サートヴィック)な食事を摂るという方法が最上のものである」と言っていました。 ラマナ・マハルシの言う「清らかな食事(サートヴィック・フード)」とは、パン、野菜、果物、ミルクのことです。 また、ラマナ・マハルシは、肉食に関しては「肉食で悟りを開くことは不可能ではないが、それは難しく、避けるほうが賢明である」と言い、肉、魚、卵は一切食べませんでした。 (御釈迦さんも同じような教えを説いたはず) また「ルドルフ・シュタイナー」は、肉食について「健康と食事」という著書の中でこのように言われています。 酒は脳に作用して「霊的な器官」を破壊し、修行が不可能になるので、酒類は一切禁じる。 肉食は禁じないが、肉食をしないと「低次の性質」との戦いが容易になるので、肉を食べないほうが良いということに注意するように。 (中略) 日本においては、禅寺の禅僧が「精進料理(禅食)」として「完全玄米菜食」を長年続けてきた背景には、単に「不殺生」という理由だけではなく、長年の「実地的な経験」から身をもって導き出してきた答えがあるのだと思います。 この答えとは「植物食によるほうが、精神の育成に非常に有利である」ということです。 これは、ラマナ・マハルシやルドルフ・シュタイナーの説いた次のことに重なります。 ● 肉食で悟りを開くことは不可能ではないが、それは難しく、避けるほうが賢明である。 〔by ラマナマ・ハルシ〕 ● 肉食は禁じないが、肉食をしないと 「低次の性質(悪魔、悪霊の誘惑)」との戦いが容易になるので、肉を食べないほうが良い。 〔by ルドルフ・シュタイナー〕 (中略) ラマナ・マハルシやルドルフ・シュタイナーが「霊的なもの」と「食事」との関係を重視していたように、人間は食事の如何によって、自己の霊性や精神性を高めたり下げたり、また、清めたり汚したりもできるのです。 ★ ★ ★ いずれにしろ、誰かにいわれて食べるのではなく、自分で判断して食べるのが基本である。誰かにいい、といわれて食べてもその誰かとあなたとは体質や霊魂が全く異なるからである。次回に続く。
2015年11月02日
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巷はハロウィーンで大騒ぎだが、ハロウィーンをみていると、この国ではオカルトをすんなりと受け入れているのに驚く。昨今、この国で起きている出来事などをみていると、先祖返りしているのではないか、と錯覚してしまう。 巷の大騒ぎぶりは以下のサイトから抜粋紹介する。 ★ ★ ★ 何で、ここ数年で急にハロウィン騒ぎ出した? http://my.shadowcity.jp/2015/11/post-8119.html ハロウィンの馬鹿騒ぎなんだが、クリスマスと違って、「仮装」という要素があり、家庭でなく、「街に出る」という楽しみがあるわけで、特に若い人たちには人気です。三島は先週だったんだが、赤ん坊連れたママさんが多かった。遠くから来るみたいです。日本人の半分以上は、三島広小路より「田舎」に住んでいるわけで、「街に出てバカ騒ぎ」というのは魅力なんだろう。 昨年のハロウィンは京都河原町にいたのだが、馬鹿騒ぎしている人たちに対して京都人が「あいつらみんな滋賀だから」と教えてくれて、とても勉強になったんだよな(笑) なんていう話もあるんだが、ここを商売として見ると、大きなビジネスチャンスが転がっているわけだ。 午後5時半ごろ、東京・渋谷のセンター街からスクランブル交差点へ向かう方向は人が増えすぎたため通行止めに。 スクランブル交差点では同じ頃、機動隊員など警察官が規制線を使うなどして交通整理を行っており、車道に出るのを防ぐ笛の音が響き渡った。 群馬県高崎市から両親と買い物に来た女子中学生(14)は「もういいです。早く群馬に帰りたい」と疲れた様子だった。 まぁ、こういう女子中学生も、あと二、三年すれば、血塗れ看護婦のコスプレとかして、渋谷をウロウロするようになるんだろうがw つうか、月曜日にはクラスでおおはしゃぎで自慢しているだろうw ★ ★ ★ わざわざ仮装などしなくとも既にハロウィーンな人々が永田町や霞ヶ関などにはテンコ盛りなんで、この国は既にハロウィーン化して、特にアホゾ~なんかは世界からハロウィーンとして観られ、相手にされないこと請け合いである。 熱帯魚飼育を愛好している私はすぐに繁殖するグッピーを飼っているのだが、アルビノグッピーしかいないのに、有色のグッピーが産まれてくるので、店の人に聞いてみたら、なんでも「先祖返り」という隔世遺伝の簡単なレクチャーを受けた。 劣性遺伝のアルビノを固定化するのは非常に難しく、アルビノの親だけ沢山集めてきてもアルビノの仔はわずかしか出ないそうである。それに元々突然変異種なんで、自然環境には適応困難なのである。 このグッピーの現象をみていると、この国も時代に適応困難になり、先祖返りしているのではないかとハロウィーンをみて思ったのである。 他にも先祖返りを思わせる話として、漫画「進撃の巨人」が流行ったが、それがなぜと思うかもしれないが、ハロウィーンとも実は間接的につながりがある。 ハロウィーンや巨人伝説といい、先祖返りといっても、遥か昔の先祖の話になってしまうが、輪廻転生の平均が大体一万年毎に一回といわれているので、前世が1万年前と考えれば、遥か昔の先祖返りもおかしくはない。 さて、ではその説明にいきたい。既に以前にも紹介したので、以下に再掲する。 ★ ★ ★ 地獄から天国を招くために その48 http://plaza.rakuten.co.jp/5dolphin/diary/201211010000/ (前略) さて、前回は、男性(陽)原理と、女性(陰)原理と、そして両性具有(中庸)の原理を紹介した。これら3つの原理は、三種の神器として、剣、勾玉、鏡として象徴化されている。人体で言えば、脊柱、太陽神経叢、松果腺というところだろう。 これらの三種の神器は、人間が再び神に還るために必須の霊的器官を意味する。 ドリールによれば、エジプトのピラミッドは、人類の進化のために必須の装置であるという。ピラミッドは、生命の樹を表し、10のセフィラー(光球)を、4つの世界を意味するテトラグラマトン(YHVH)の4倍にした40の数のピラミッドが、エジプトにつくられたという。 そして、ピラミッドは、アトランティス時代の叡智を引き継いだ図書館の機能をもち、また、地球の環境制御を担っているという。また、勿論のこと、秘儀参入の伝授の場でもあり、何度も、地球環境を変えることで、地球住人の高次の意識を目覚めさせてきたという。 地球人は何度も滅亡の憂き目に遭って来たそうである。 地球がネガティヴ(暗黒)に陥ったときに、ポジティヴ(白光)に転換する装置(原子力装置らしい)がピラミッドには眠っているという。モーセーが、この装置を持ち出して、紅海を渡った話は有名である。 驚愕すべき話なのだが、かつて、太古の地球は、第10番惑星(地球と火星の間に惑星があったので、第11番惑星だったが、第10番惑星人により破壊されて小惑星群となったので第10番惑星になった)の住人より侵略を受け、地球人は支配されたという。 アダム以前の当時の地球人は、20~50メートルほどの巨人だったが、第10番惑星人は、地球人よりも数十倍もの大巨人だったそうである。 第10番惑星人が地球人を支配し、自分たちを神として拝ませ、一部の人間と交尾し、蛇人をつくり、リリスという女性を介して、人類を奴隷として支配したが、とうとう、蛇人と人類の間に戦争が起こり、地球が、非常にネガティヴ(暗黒)に陥ってしまったので、アンタレス星から、高次意識の白色霊団が、地球に救済にやってきたという。 リリス http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%B9 白色霊団の成員は、光の子アヴェターラ(アバター)らで、第10番惑星人を、滅亡させようとしたが、激しく抵抗したので、地球の内部(シュタイナーは、月といっている点で異なる)に閉じ込め幽閉したという。しかし、リリスは、巧く逃げて、いまも地球上を徘徊しているという。第10番惑星人たちは、いまも地球内部(月)で、活動しているという。 第10番惑星人は、いまも地上に出て、地球人類を支配しようという野望を捨てきれないでいるという。白色霊団も、地球を常時監視し、見守り、地球内部を、青色人種に守らせているという。青色人が、第10番惑星人を封じ込めているが、メーデーとハロウィンのときだけは、その封印が解けるという。 だから、メーデーとハロウィンのときだけ、人間はネガティヴの領域に一瞬陥り易い傾向にあるという。 メーデー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%BC ハロウィン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3 メーデーとハロウィンのつながりから、以下のサイトに興味深い話が載っている。 UK in Japan http://ukinjapan.fco.gov.uk/ja/visiting-the-uk/about-uk/customs-traditions/traditional-holidays 上のサイトから抜粋すると、 ☆ ☆ ☆ ハロウィーン ハロウィーン(万聖節の前夜)(10月31日)と魔女・幽霊との関連づけは、ケルト族の「大晦日の夜」― 幽霊が地上を歩きまわり、魔女が出ると言われた夜― に由来しています。 魔女と超自然的存在の話は今も英国全土に残っており、この夜には、子供たちの集団がお化けのような仮装をし、ハロウィーンのちょうちんを持って、町を歩き回ります― このちょうちんはカボチャの中身をくり抜いて、片面にお化けのような顔を彫り、中にろうそくを灯らせて光を放つようにしたものです。 近年、「トリック・オア・トリーティング」(ごちそうしてくれなきゃ、いたずらだ)と言って菓子や果物をねだる習慣が人気を集めています。我々は一般にこの習慣をアメリカと関連づけていますが、この習慣は元はイングランドで始まったもので、子供たちがいたずらをしても叱られない「無法の夜」を宣言した「いたずらの夜」(通常、メーデーの前夜またはハロウィーン)が起源です。 ハロウィーン・パーティー(通常、子供のためのパーティ)では、アップル・ボビングのようなゲームが行われます。これは、リンゴを水に浮かべるか、ひもに吊るして、両手を頭の後ろにまわし、歯だけでリンゴをつかもうとするゲームです。 ☆ ☆ ☆ 上記の抜粋した内容の『「いたずらの夜」(通常、メーデーの前夜またはハロウィーン)が起源です。』は、地球内部(月)に幽閉された第10番惑星人の影響を意味しているように思われる。魔女は、リリスのことだろう。 ★ ★ ★ つまり、メーデーとハロウィンの日は、遥か昔の人類が、第10番惑星人に支配されていたときの思い出を呼び起こす日なので、ネガティヴに陥りがちな気持ちを、ポジティヴにするために、なるべく明るく振る舞うために、祭りが考案されたと考えられる。 ドリールだったか、シュタイナーだったか、記憶はおぼろげだが、ドロイド教との関連は、第10番惑星人たちの仕業が全てが、ドロイド教徒に擦り付けられたそうである。ドロイド教徒たちは霊能者だったので、周囲から気味悪がられ、特に人類を支配していた第10番惑星人たちの洗脳によるものだそう。 要するにメーデーとハロウィンも社会的ルールを守って自由にやれば悪いものではなく、むしろ、ポジティヴな気持ちに向けるのなら、心の良い薬になる。 しかし、なかには先祖返りするのもあるので、油断は大敵である。特に金儲けしか考えない商業主義には注意すべきである。 先日WHOが、加工肉を食べると大腸ガンに罹るリスクが上昇する、という発表をしたが、この国のダマスゴミは加工肉業者や精肉業者の肩をもってWHOを批判していたが、WHOは事実を述べただけで、その事実をどう人生に生かすかは個人の問題だから、ダマスゴミのこの批判は的外れである。 TPPに対してはスルーと歓迎で迎えた癖に、やはりダマスゴミがこの国を先祖返りさせている元凶である。 全ては個人的問題なので、ダマスゴミなどの洗脳機関がとやかく言うのはよくない。 いっそのこと仮装のワールドカップでもやったらどうだ!!
2015年11月02日
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