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長くなりましたが、、、とは今回は言いませんよ!ゴマ塾卒業生がこれくらいの文章を「長い」とは感じるわけがありませんからね。まだまだ続きます。しかも我が教室に通っていたときに言われたでしょ?「質問をするからには、その答えを受け止める義務が生じるぞ!」ってね。とは言ってもあまり長くなるといけないですが、、、、さて!ここまでで、君達が受けてきた『ゆとり教育』は国外の誰かが日本人をバカにしていこうとする作戦にまんまとハマってしまった結果の産物だということがわかっていただけたと思います。しかも先生達はそんなことに気付く間もなく、日々の業務に追われていたのです。で!ここでもう1つ考えなければならないことがあります。日本の国民がバカになれば誰が得をするのか?、、、ってことですよ。そこが見えたらはじめて、君達がこれからどうしていくべきかが見えてくると思いますよ!
2013.04.27
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毎月第二土曜日が休みになろうとする前月は8月でした。つまり夏休み期間です。ろくな研修や会議もなく、とにかく導入が決定していることと、年間授業時数は変わりませんと嘘をつくことだけを受け入れなけらばならない状態でしたよ。納得いかなかった私が独自に調べたところ、、、、(といってもいとも簡単に判明しましたが)、、、、結局、この国がOECDやILOから国民の労働時間と学習時間の削減を迫られていただけの話なんですわ!「なんじゃ、そりゃ?」と思いません。ちなみにOECDは経済協力開発機構のことで、ILOは国際労働機関のことです。当初私はその理由を『日本国民の健康状態を考慮して、、、』と述べている文部省(当時)が発表していた文句を鵜呑みにしていたのですが、、、、よく考えたらおかしい話です!だって健康状態の問題であれば、WHO(世界保健機構)が要請するはずでしょ?なんで経済や労働を管轄する機関から文句を言われないといけないのでしょうか?またそれを調べていくと、OECDやILOの向こうに世界的な経済団体の影が見え隠れするんです!以前まではそれは都市伝説的なレベルの話かな、、、と思っていたのですが、最近はあながちそうではないと思いはじめてます。つまりどう転んでも、日本の学校週休2日制導入と、それに伴う学習内容削減と指導方針方向転換(生徒に努力させない・生徒を叱らない等)は、国外からの圧力によって実行せざるを得なかった!!というのが実態なんです。
2013.04.26
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質問メールが2通きました、、、少し本題から外れますが、説明しておきます。まずは私が「文部省(当時)」と記述する理由です。ご存知の通り、今は文部科学省ですよね!文部科学省になったのは2002年の省庁再編のときです。それまでは文部省だったので、一応(当時)と記述しておいたのです。もう1つは「火を見るより明らか」についてです。これで正しい表現ですよ!「日を見るより、、、」と思っていた人もいたみたいですが、勉強している人がよく陥る勘違いです。英語の熟語で[as clear as day]というのがたまに出てきます。よく英語の先生がこれを「日を見るより明らか」と訳すことがあるのです。もちろん意味は「明らかだ」といった感じでいいのですが、[day]を「日」と直訳しちゃうのがよくないのです。これは「昼間に見るくらい鮮明だ」という意味があるので、訳すときは[day]は直訳しない方が無難ですよ。メールへの答えはこれくらいにして、、、、さあ本題です。学校週休2日制を導入するにあたって沸き起こる疑問について!です。皆さん思いませんでした?なんでそこまでして強引に週休2日にする必要があったのでしょうか?、、、と。国民が言い出したことではないのですよ!いつの間にかそんな話が出てきて、気付いたら導入されていたんですよ!
2013.04.25
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そうやって徐々に土曜日が休みになる状況に国民を慣れさせておいて、2002年4月から国内のほとんどの学校で完全週休2日制が導入されたわけです。分かりますか?みなさん!『ゆとり教育』の必殺技のような、学校週休2日制はこのようにして導入されたんですよ!つまり、この国の生徒達の将来ではなく、勿論学力向上でもなく、まずともかく完全週休2日制を導入することが目的だったんですよ。「なんじゃそりゃ?」でしょ?とにかく土曜日を休みにしたい!そのために『ゆとり』という言葉を持ち出す!月に1度だけ土曜日を休みにするだけで文句を言い出す保護者には「ウソ」をついてしばらく逃げ切る。現場の先生達の疑問や混乱は、訳の分からない公式書類で誤魔化す!そうやって、最初だけ逃げ切れば、あとはなし崩し的に、どんどん土曜日の休みを増やしていく!これだけでも分かるように『ゆとり教育』なんて、教育を受ける児童や生徒達のことを考えて導入されたものではないんですよ。、、、さて!ここまで読むと疑問がふつふつと浮かんできませんか?
2013.04.24
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今は土曜日なんて、ガンガン部活をしているでしょ!当初の目的・目標なんてもうだれも覚えていないんですよ。『初心忘れるべからず』と日ごろ生徒に言っている先生たちが、その初心を平気で忘れる。『何事も原点が大切』と日ごろ生徒に言っている先生たちが、その原点を平気で忘れる。でもこれは学校の先生の責任よりも、文部省(当時)の責任が重いです。文部省(当時)が、それを黙認したからわけですからね!もちろん部活に情熱を注ぎ込んでいる先生や生徒たちは土曜にしっかり練習したいわけですから、もともと土曜日を休みにして部活をさせないという考え自体が間違っていたのです。で!毎月第2土曜日だけが休みになる状況に慣れてきた1995年の4月には、毎月第2に加えて第4土曜日も休みになったのです。もちろん授業時数は明らかに不足していきます。もうこうなっては学校側も保護者の皆さんに「授業時数は減りません」なんて嘘をついて切り抜けることが難しくなってくるのです。で!それに対処する策として、学習内容の削減が実施されたのです。当時公立中学校の先生をしていた私は「なんでこの国はそこまでして週休2日にしたいねん!」との疑問を抱かざるを得ませんでしたよ。だって見る見る生徒達の学力が下がっていくことは、火を見るより明らかだったですからね!!!
2013.04.23
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この『ゆとり教育世代本人達の責任』『ゆとり教育の制度自体の責任』『ゆとり教育世代より年上の大人達の責任』『戦後のこの国のあり方』4つはどうやらリンクしているようです。まず『ゆとり教育の制度自体の責任』から話をはじめます。ゆとり教育世代の人たちも知っておくべきだと思いますので!ゆとり教育が学校教育の現場に導入されたときの状況はといいますと、、、、ほとんどの先生が「ゆとり教育って何?」といった状態だったのです。名前は知っているけど、内容が分からないのです。勿論先生達の会議や研修等々で「ゆとり教育について!」といった内容を理解しようと取り組んだのですが、知ろうとすればするほど分からなくなっていきました。だって文部省(当時)から送られてくる、ゆとり教育に関する書類の内容が全くチンプンカンプンだったのです。日本語としておかしいレベルの杜撰なものでしたよ!で!学校側・先生側がそんな状態なのに、1992年9月に毎月第2土曜日がやすみになって、学校側と保護者側は「年間の授業時数不足するのしないの」で大もめにもめたのです。それに対して文部省(当時)からの通達は「年間授業数は変わらないと保護者に毅然と説明するように」といった内容でした。もちろん嘘です。だって確実に授業時数は減っているのですから!その代わりに、体育祭や遠足等の学校行事を減らす学校まで出てきたのです。しかも当初は「やすみになった土曜日は生徒達を地域に帰すことが前提なので基本的に部活はおこなわない」というのが文部省(当時)の方針だったのです。文部省(当時)の通達に従ってやすみになった土曜日に部活をしかなったある学校が、部活のライバル校が秘密裏に部活をおこなっていることを知って、地域や教育委員会を巻き込んだ大問題に発展した事件を起こしたこともあるくらいなのですから!でも、、、、今はどうですか?
2013.04.22
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私がこのブログで『ゆとり教育』について様々述べてきました。それを読んでくれているゆとり教育世代の元教え子からメールがきたのです。「では、ゆとり教育の中で育った私達はどうすればいいのですか?」しばらくは、この質問に私なりに答えていきたいと思います。ちなみにここ1週間ほどブログを更新しなかったのは、知り合いにお借りしていたり頂いた本やDVDを一気に消化させてもらっていたが原因です。しかしこれらの本やDVDが偶然今回の話題につながっているような気がします。本題に戻します!勿論ゆとり教育世代の人たちにも普通の人はたくさんいます。でも、そうでない人たちの比率が非常に高いのです。ではそれはだれのせい?ざっくり、本当にざっくり言うと、ゆとり教育世代本人達の責任は25%、ゆとり教育の制度自体の責任が25%、ゆとり教育世代より年上の大人達の責任が25%、そして残りの25%は戦後のこの国のあり方ではないかと思います。だからと言って、ゆとり教育世代の人たちは「自分達の責任は1/4しかない!」と安易に思わないように!!!1/4もあれば重罪です。しかもその1/4のエリアを改革することで、全てを良い方向に持ってくことだって可能なんです。
2013.04.21
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例によって長々とこの話題も続いてしまいました。もっといいたいこともありますが、今回はこのあたりで!このブログは先生を目指している人にも読んでもらおうと思ってスタートしました。実は今年の受験シーズンが終ってから、今までの内容を電子書籍にまとめたりもしています。最初に『目次』と『各話題の内容』をまとめたページを用意しておりますので、そのとき読みたい内容をチョイスして読んでみて、何かの参考にしてみてください。次回からは別の話題に移りたいと思っています。「先生を目指している人の質問だけにブログで答えるのはズルイ!」との抗議メールが5日前より舞い込んできております。次はそっちの話題にいくで~!私の資格試験挑戦の話題はまだまだ先になりそうです、、、、。
2013.04.13
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『誠実』『真心』私がよく授業中に言った言葉です。覚えていますか?この言葉は皆さんに言ったように私が尊敬する先生の受け売りです。でもやはり突きつければ、この2点がその人間の存在意義を左右する要素だと思います。たとえどんな職業に就いたとしても、この2点を忘れないで常に[for what?][for whom?]を自分に問い続けなければなりません。それらが仕事のやり甲斐の根本であり、目的でなければなりません。たとえば収益や利益なんていうものはその後からついてくるのです。それなのにまず収益や利益を最優先すると、道を踏み外してしまうのです。簡単な例が食品の偽装事件ですよ。「お客さんの美味しいとの言葉を聞きたいため」「お客さんのため」にその食品を扱っていたはずなんです。それがいつの間にか収益重視になってしまい、何のために、誰のために、その食品を扱っていたのかを忘れ去ってしまうわけです。気を緩めると先生や指導者だっていとも簡単に同様の道に足を踏み入れてしまうのです。こうなってしまっては、生徒や指導を受ける人は不幸そのものです。
2013.04.12
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先生や指導者を目指す皆さんからのメールにお応えして書き始めたこの話題!書いていて驚いたのは、「ゴマ先生がそんな真面目なこと考えて先生してたとは思わなかった!」といったツッコミのメールが無いこと、、、、。まあそれはともかくとして、話を続けます。さて、ここまでいろいろ述べてきましたが1つ確認しておきますよ。完璧な先生になってから教壇に立て!といっている訳ではありませんよ。勿論でき得る準備は極力してかなければなりません。でも、完璧な先生になってから、完璧な指導者になってから、と考える必要はありませんよ。そもそも完璧な先生や完璧な指導者の定義ってなに?そもそも完璧な先生や完璧な指導者っていてるの?、、、ってことです!分かります?「よりよく」を目指すことは勿論大切です!でも「これで完璧」なんて域に達しちゃうと、そこからのレベルアップなんて絶対にあり得ませんからね。今、先生や指導者を目指す君達が、いろんなことに問題意識を持って、考え、話や意見を聞き、勉強している。この事実がとても大切なんです。
2013.04.11
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生徒あっての先生です。この考えから外てれしまっては、先生の存在意義が皆無になってしまいます。全てがそうとは言いませんが、何か学校で問題が起こった場合に学校側と保護者側で意見の対立が起こることが少なからずあります。そらそうです。学校側は「先生目線(先生を見つめる目線・先生の立場を重んじる目線)」で物を言い、保護者側は「生徒目線(生徒を見つめる目線・生徒の立場を重んじる目線)」で物を言っているわけです。話が合うわけがありません。さらにそこに教育委員会の「教育委員会目線」が入れば、さらに話はややこしくなります。私の経験上、先生も保護者も「生徒目線」で戦わせる意見であれば、それは生徒にとってプラスの方向に向います。しかし保護者が「保護者目線(保護者を見つめる目線・保護者の立場を重んじる目線)」」で物を言い出す場合もあります。そのときはちゃんと言葉で伝えましょう!「生徒目線で話しましょう」と。また同じ「生徒目線」でも、表面的・近視眼的目線では教育なんてできません。いかに深くその生徒に目線を向けるか!いかに遠い将来までその生徒のことを考えているか!ここも大きなポイントになります。たとえばクレーマーの保護者は、超近視眼的生徒目線しか持っていません。だから元々相手にならないというか、話にならないのです!いくら恫喝されようが、いかに泣き叫ばれようが、深い目線・遠い目線でその生徒を見つめている限り、一歩も引いてはいけません。そういう連中の対処法は、このブログの最初に紹介した『ルールを守らない人間』の章に紹介してあります。そのほとんどは「話の争点を変えていくタイプ」なんで、参考にしてくださいね!
2013.04.10
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自分を厳しく見つめなおすために強烈に役立つのが、先生や指導者を目指しているときの自らの「先生像」であり「指導者像」なのです。それを文章化しておくことがとても大切です!我々人間は良くも悪くも環境に順応する能力があります。教育の現場で、指導の現場で、良い意味でその場の環境に順応するのはいいのですが、悪い意味でしてしまうと取り返しのつかないことになってしまいます。悪い方向に向っていることに気付かないのです。気付いていたとしても、それに何の問題も感じないのです。そうならないために、過去の自分が書き残した「先生像」「指導者像」を2~3ヶ月に1回は読み返してみるべきなのです。先生を目指していた頃の自分に、指導者を目指していた頃の自分に、言い訳のできない行動はしない!!先生を目指していた頃の自分が、指導者を目指していた頃の自分が、失望してしまうような行動はしない!!今の自分は先生を目指していた頃の自分に胸を張ることのできる先生なのか!!今の自分は指導者を目指していた頃の自分に胸を張ることのできる指導者なのか!!その意識がないような先生や指導者は、やがてクズになってしまいます。
2013.04.09
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例えば一般企業であれば、第三者の反応に自分の・自分達の・会社の仕事ぶりが明確に反映されます。ある日急にお客さんが来なくなった、取引先が取引を断ってきた、、、そうなれば、嫌でも自分の仕事ぶりを見直さなければなりません。それをしないと、もうそのうち経営ができなくなり、仕事を失ってしまうのです。しかし、先生・指導者の世界ではそうではない場合があります。公の機関から給料が出ている場合です。その場合はいかに日々自分の仕事ぶりを厳しく見つめなおすかが重要になります。先輩の先生や指導者が、何かがあれば注意してくれるのでは?、、、と思いがちですが、それがあまり期待できないのです。なぜなら、先生・指導者になってしまうと、そのキャリアに関係なく同じ立場になってしまうからです。互いが尊重し合っているというか、遠慮し合っているというか、、、「これはこうしろ」「あれはするな」といったように明確な注意喚起がほぼありません。あった場合はもう手遅れだったりするのです。では、誰があなたの先生ぶりを、指導者ぶりを厳しく見つめてくれるのでしょう?
2013.04.08
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対処法は至って簡単です!先生や指導者になる前の自分が描く「先生像」「指導者像」を文字にして残しておくのです。私も尊敬するある先生のアドバイス通り書き残しておきました。書き残し方ですが、論文形式でも作文状態でも構いません!箇条書きでもオッケーです。ただ、できるだけたくさんことを書き残しておきましょう。「こんな先生になりたい」「こんな指導者になりたい」または、「こんな先生になってはいけない」「こんな指導者になってはいけない」とできるだけ具体的に書き残しておくべきです。先生や指導者の世界って、一般企業の世界と違って、自分を厳しく見つめなおす機会が極端にすくないです。それは本当に危険なことなんですよ!今回の話題の件で私にメールをくれたみなさんは、全員が学生さんです。身の回りには「先生」がいて「親」もいてくれていますよね。いろんなことにおいて、その「先生」や「親」があなたにアドバイスをしたり注意を促したりしてくれてるはずです。今の皆さんにとって、それはある意味うっとおしいことかも知れません。しかしそれは本当にありがたいことなんです!!考えてみてください。あなたが「先生」や「指導者」になり、その場のトップ(責任者という意味でのトップ)になったら、だれがあなたにアドバイスをしたり注意を喚起してくれますか?
2013.04.07
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『初心忘れるべからず』という言葉があります。これはどんなことにも通用する格言だと思います。もちろん先生にもあてはまる言葉なのです。中には元々公務員という立場になりたくて、たまたま先生になったような人たちもいます。そういう人たちの初心とは、「安定した立場になりたい」というものですから、そういった安易な初心は忘れられることはほぼありません。しかし「だれかのために」「何かのために」と思った初心はいつの間にか忘れてしまいがちです。しかも厄介なのは、その初心を忘れてしまったことを本人が気付かない場合なのです。自分は「まず生徒ありき」の先生だ!と思っていても、いつの間にか徐々に「まず先生ありき」の先生になってしまっている。しかしそれに気付かない、またはそうなってしまっていることを認めたくない状態で教壇に立ち続けてしまうのです。そしてそのうち自分の初心を感じる心が鈍りきってしまい、悪しき体勢に飲み込まれていくのです。ではそうならないためには、具体的にどう対処すればいいのでしょうか?
2013.04.06
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見抜く方法は至って簡単です!あなたが先生や指導者になったときに、その言動の全てを生徒のために行なうのです。あなたの考えで、あなたの感性で、あなたのやり方で、あなたのやりたいように、そして無理せずあなたのできる範囲で実行してみてください。そして先輩先生達の反応を少しだけ気にしてあげてやってください。苦言を呈してくる先生の割合が多ければ多いほど、その学校や塾や教室は「まず生徒ありき」の組織ではありません。またほとんどの先生達が苦言を呈することが無かったとしても、管理職が苦言を呈しだせば「まず先生ありき」の組織だと思っていいでしょう。ちなみにどんな苦言があるかといえば、、、、「1人の生徒にそんなことをしてあげたら、全員にしなければならなくなってしまう!」「1人の先生がそんなことをしたら、先生全員が同じことをしなければならない!」「その行動は、どのような教育論に基づいているのか?」「まだ1人前でも無いのに、余計な仕事を増やしてどうする!」「それは先生の仕事でなはない!」「問題になっても知らないぞ!」、、、等々ですね。ともかくそのようなことを言われても「はあ、そうでっか!」といって聞く耳を持つ必要はありません。そらそうです!考え方が一致する訳がありません。そいつらは「まず先生ありき」「まず自分が大切」な連中で、我々は「まず生徒ありき」「生徒の未来が大切」な人間です。相容れられる訳がないのです。ただ最初は少し困るであろうことは、校長命令・社長命令でこちらの言動を禁止される場合です。それらの命令はいわば「絶対」ですからね。その場合はその生徒・クラス・または学校全体に『だれの命令でその言動を中止したのか』をしっかり明言&公言してやればオッケーです。
2013.04.02
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なので『まず先生ありき』の風潮に凝り固まった組織(学校や塾)の教壇に立つことになってしまうと、どうしてもそれに染まってしまう危険性があるのです。例えば!本日は4月1日。様々な企業等で入社式がおこなわれました。その中の1つで、とある都道府県庁の入庁式の模様がテレビで報道されていました。そこで今年採用された新人の代表が「県民の目線で仕事ができる職員を目指します。」といった挨拶をしました。そこで異議を唱える人間はいなかったのですが、、、、果たしてその新人さんは早速今日から「県民の目線」で仕事ができるのでしょうか?その県庁の風潮が『まず県庁職員の存在ありき』であれば、絶対に無理です!いくら県知事が「県民の目線で仕事をするべき」と考えていても、実際の職員がそれを実行するかどうかは別なのです。それが組織の怖さともいえるのですが、、、、。もしその県庁の風潮が『まず県庁職員の存在ありき』であれば、どんなことが起こるかは目に見えています。たとえばその新人職員が都民のためと思って何か与えられた仕事に工夫をしたとします。すると上司や先輩から「よけいなことをするな!」といわれるのです。その言葉には「新人のくせに」といった意味が込められているわけです。そんなことが続いてしまうと、そのうち新人さんは『県民の目線で仕事をすること』が『よけいなこと』であると頭の中に刷り込まれてしまいます。私に言わせれば立派な洗脳です。そして「新人の目線」というのもは、それ即ち「外部の目線」でもあるのです。それをどんどん断ち切ってしまうのですね!なぜか?様々な意味で、自分達の存在だけを「楽に」「立場的・金銭的に美味しく」維持するためなのです。そうやって徐々に口先だけは「県民のため」といいながら、自分達の存在を優先する組織を継続させてしまうのです。こんな悪しきサイクルが学校や塾で蔓延(はびこ)っていれば、せっかく先生になっても今君が思っている先生像を実現することが、ある意味難しくなってしまいます。では、学校や塾でその組織が「まず生徒ありき」なのか、あるいは「まず先生ありき」なのかをどうやって見抜けばいいのでしょうか?
2013.04.01
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