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1 969年/1996年 こんな感じです。
ねえやたち
ママの死
パパとママ/奈穂子
家 ― 現在
夢
女たち
父たち
1986年前後
1986年
2013年/2014年
夏の夜には鳥が鳴いた。短く、太く、鳴く鳥だった。 「その夏」 のことが語りだされているのですが、その夏とはいったい、いつの夏なのでしょう、という謎でこの小説は始まります。作中の語り手は 「都」 という女性で、語っているのは 2014年 、この作品が発表されたのは2013年から2014年の 「文学界」 という文芸雑誌ですから、 作家 が書き始めたのは2013年、ないしは2012年の暮れあたりかもしれませんが、作中人物でもある 「都」 が語るのは2014年でないと、結末との辻褄が合いません。
雨戸はたてず、網戸だけひいて横たわれば、そのうちに体は冷えてくるはずだったのに、 その夏 はいつまでも体が熱を持ったままだった。
匂いは記憶を呼びます。 この引用部に出てくる 「あの夏」 と冒頭の 「その夏」 は違うようです。小説が、いや、55歳だかの作中人物 「都」 が、今、語っているのは 「その夏」 であって 「あの夏」 ではないからです。
アスファルトを平らにならす熱いにおいをかぐといつも、セブンアップをやたらに飲んだ1969年の夏を思い出す。
あの夏 私は十一歳で、陵は十歳だった。
「これが川上弘美です!」 とでもいうテイストですね。彼女の作品は、ストーリー云々にこだわるよりも、こういう 「感覚的」表現 を面白がる方がスリリングかもしれませんよ。
「水声」 って何だ? ということです。申し訳ありませんが、ここで禁じ手を使います。
ふいに、水の音が聞こえた。遠い世界の涯(はて)にある、こころもとなくて、ささやかな流れの。 ご自分でお読みくださいなどと言いながら、小説の結末を引用するとは何事だというわけで、ちょっと反則なのは承知です。しかし、この最後の描写は小説の謎を、相変わらず暗示はしていますが、解いているわけではありません。
わたしと陵はまだその涯まで行っていない。誰もそこに行きつくことはできないのかもしれない。ママも、パパも、そこに行きたいと願ったのだろうか。
水鳥が、一羽だけ、暗い水の面にうかんでいたの。奈穂子は言っていた。一羽だけなんだけれど、ちっともさみしくなさそうだった。雪にうずもれるようにして、静かにうかんでいた。あなたたちのママは、あの水鳥みたいだったわね。
東京に戻ると、もう家はきれいに壊され、ただ平らな土地だけがあった。思っていたよりもすっと狭かった。ママが好きだったゆすらうめも、あじさいもなくなっていた。
また夏が来る。鳥は、太く、短く鳴くことだろう。陵の部屋を、今日はわたしから訪ねようと思う。
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