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2017年05月21日
森雅裕『椿姫を見ませんか』(五月十八日)
1986年3月に乱歩賞受賞第一作として講談社から刊行された推理小説である。『画狂人ラプソディ』『モーツァルトは子守唄を歌わない』に次ぐ三作目ということになる。前の二冊が、賞へ応募した作品であることを考えると、森雅裕がプロの作家として書いた最初の作品だと言える。
『画狂人ラプソディ』と同様、美術と音楽の世界にまたがる物語だが、こちらの方が完成度ははるかに高い。賞向けの受け狙いの必要がなかったために、本当に必要なことだけを書けたということだろうか。ただ、刊行当時、二冊を刊行順に読んだ人が、どんな印象を持ったかは、気になる。
江戸時代に隠された宝物の謎と、二十年前の贋作の謎。物語の中心となる謎は似通ってはいないし、人の殺され方もまた違う。しかし、舞台となる大学や、人間関係などの部分に似すぎていると感じた人も多いのではないだろうか。特に主人公の師事する日本画の先生の扱いが……。舞台となる大学は、芸大をモデルに設定した私立大学なのだろうから、『椿姫を見ませんか』単独で読めば気にならなくても、二つあわせて読むと気になるという人もいるだろう。
これが、森雅裕の作品をたくさん読んだ後に『画狂人ラプソディ』を読むのなら、プロトタイプなのだとか、作者自身が、あれこれ詰め込みすぎて破綻したといっていたのはこのことかと、読み比べながら楽しめたりもするのだけど。『画狂人ラプソディ』は、誰が誰をどうして殺したのかが、謎解きを終えてもいまいち納得できない部分が残ったしなあ。
『椿姫を見ませんか』をテーマとしながら、『画狂人ラプソディ』について書いてしまっているが、これは、この二作がある意味で表裏の関係、光と影の関係にあるので仕方がない。もちろん、『椿姫を見ませんか』が光の面である。後に文庫化もされているから、初版だけで絶版になったと思しき『画狂人ラプソディ』よりも商業的にも成功しているはずである。
さて、『椿姫を見ませんか』の最大の功績は、鮎村尋深というキャラクターを世に送り出したことにある。この小憎たらしくも魅力的な女性を、高校時代の自分が理解できたとは思えないから、東京の大学に入って多少は人生というものを理解できるようになってから、文庫版で手に入れたのは、幸いなことだった。その後、古本屋でハードカバーの親本も手に入れたけどさ。
森雅裕が、曲がりなりにも作家として十年以上活動できたのも、鮎村尋深の存在が大きい。実態は不明ながら「鮎村尋深親衛隊」なるものが、インターネット以前のパソコン通信の時代に存在したという話もあるし、森雅裕読者の、いや中毒者の多くが、『椿姫を見ませんか』を読んで、その魅力に取りつかれたに違いない。そして、一度その魅力に取りつかれたら、森雅裕の作品を探して書店、古書店を巡るようになるのである。
いや、ここは過去形で書くべきなのかもしれない。ハードカバーの親本も文庫本も絶版となって久しい現在、『椿姫を見ませんか』を古本で手に入れようとする人がどれだけいるのだろうか。かつて何らかの事情で手放さざるを得なかったものを、再度手元に置きたいという人ぐらいしか想定できない。
もしかしたら、熱狂的なファンたちががネット上に残した書評を読んで、森雅裕の作品を読んでみたいと思う若い人たちもいるかもしれない(拙文は書評にあらざる故、その任に堪えず)。そんな人たちには、ぜひにもこの『椿姫を見ませんか』だけは読んでほしいものである。ファンの目から見てさえ、現在では多少の古臭さを感じさせるこの作品を読んで、森雅裕の、いや鮎村尋深の魅力を理解することができたら、さらに次の本を読む甲斐があるということだ。そして、いずれは森雅裕にとりつかれるに違いない。
そんな人たちがたくさんいたら、日本の読書界の未来も明るいなんていえるのだけど、実際どのぐらいいるのだろうか。「森雅裕を見ませんか」の管理人さんは結構若い人だったようだけど、森雅裕について書かれた文章を、森雅裕を知らない人が偶然読む確率はそれほど高くはないだろう。最近は新刊も出ないから、そっちからの露出もないし……。
話を戻そう。『椿姫を見ませんか』の装丁は漫画家の江口寿史が担当している。その江口ともめたらしい様子が、自伝的小説の『歩くと星がこわれる』に出てくる。カバー画を担当する漫画家が、いつまでたっても描かないので、刊行が遅れたというので、『椿姫を見ませんか』のことだと思っていた。
しかし、この作品が刊行されたのが、乱歩賞受賞作の刊行から半年後、翌年の三月であることを考えると、それほど出版が遅れたようには思えない。扉裏に記された「五月香に」という献辞、『歩くと星がこわれる』に記された四月五日の出来事、四月五日付けで刊行された作品が多いことなどを考え合わせると、この作品も作者が四月五日付けでの発行を望んだのに、年度が変わることを理由に出版社に拒否されたのではないだろうか。それが講談社とのけちのつけはじめで、などと想像してしまう。
そうなると、江口寿史の怠慢が原因になったのは、講談社ノベルズから刊行された『五月香ロケーション』で森雅裕自身がカバー画、挿絵を描いたことだろうか。ノベルズ版に漫画家のカバー画を使うというのはよくある話だし。もう一つ、鮎村尋深シリーズ第二作『明日カルメン通りで』も考えられる。同じ登場人物があしらわれているのに、カバー画の担当が漫画家のくぼた尚子に代わっており、発行日が一月遅れの五月五日になっているのだ。『歩くと星がこわれる』に出てきた本の内容は、こちらに近いし。
この辺り、森雅裕の作家としての活動歴自体が謎が多くて推理小説的である。作者本人が自伝的小説ではなく、自伝を書いてくれれば、作者側からの真相が明らかにはなるのだろうが、いかに我々ファンが読みたいと思ったとて、出版界の現状では実現することはあるまい。いやはや、惜しむべし、惜しむべし。
5月18日23時。
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2017年05月20日
古豪復活(五月十七日)
すでに旧聞に属してしまうが、チェコのアイスホッケーの一部リーグのプレーオフは、ブルノのチーム、コメタ・ブルノの優勝で幕を閉じた。ブルノのチームとしては実に51シーズンぶりの優勝で、前回優勝したときの選手たちが、生きているうちにブルノの優勝を見ることができてこれ以上の幸せはないというようなことを言っていたのが印象に残っている。
二千年代の初頭、ブルノのチームは、一部リーグであるエクストラリーガには存在しなかった。1993年のチェコスロバキア分離によって誕生したチェコのエクストラリーガに参戦したのは、1995/96の一シーズンだけで、それ以外は二部に甘んじている期間が長く、一時は三部リーグにまで落ちていたのだ。
それが、2009年にエクストラリーガに復帰すると、以後は一度も降格することなく、しばしば優勝争いに絡むようになっている。昨シーズンまでの最高位は、2011/12と2013/14のシーズンの二位である。それぞれプレーオフの決勝でパルドゥビツェとズリーンに一勝四敗で敗戦している。
51年ぶりの優勝を遂げた今年は、レギュラーシーズンを6位で終えたものの、プレーオフに入って調子を上げ、決勝ではリベレツに四連勝をして悲願を達成した。これで、チェコスロバキア時代を含めて、一部リーグでは12回目の優勝ということになる。
ブルノのチームの全盛期は、1950年代から60年代にかけてで、53年から71年までの18シーズンで、54/55年から四連覇、間に一度三位を挟んで59/60年から七連覇で、優勝が計11回、二位が四回、三位が三回という圧倒的な成績を残している。その全盛期が長く圧倒的だった分だけ、最後に優勝を遂げた65/66年のシーズンから、51年も待ち続けなければいけなかったのは、長く感じられたことだろう。
そのブルノと同じ12回の一部リーグ優勝を誇るのが、イフラバのドゥクラ・イフラバである。ドゥクラという名称からもわかるように共産主義の時代は軍のアイスホッケーチームだった。このチームはブルノの全盛期の後、1960年代の半ばから全盛期を向かえ、66/67年のシーズンに初優勝を飾ると六連覇を達成、その後も81/82年のシーズンから四連覇している。最後に優勝したのはビロード革命後の90/91年のシーズンである。
チェコスロバキア分離後は、エクストラリーガに参戦し続けていたが、98/99年のシーズンに入れ替え戦で負けて二部に降格してしまう。その後、一シーズンだけ、エクストラリーガに復帰するけれども、それ以外はずっと二部にくすぶっていた。
そのドゥクラ・イフラバが、今年は一部の下位二チームと、二部の上位二チームの計四チームで争われる入れ替えリーグ戦で、二位に入り、久しぶりのエクストラリーガ復帰を決めたのである。優勝経験がありながら長らくエクストラリーガから姿を消していたチームの復活としては、オロモウツ、ブルノについで、三チーム目ということになる。もしかしたら、ボヘミア側にもあるかもしれないけれども、そっちまでは目が届かない。
さらに90年代の最強チームで、計六回の優勝を誇るフセティーンのチームが、来期から二部リーグに復帰するという話もある。以前のチームはオーナーが逮捕されたことで凋落に向かい、2006/07年のシーズンに二部への降格が決まるとチームは崩壊してしまった。その後立ち上げられた別のチームが、三部リーグで優勝を遂げ、来期の二部リーグ復帰が決定したのである。
すぐには無理だろうけれども、フセティーンも一部リーグで見たいチームである。あとは、倒産から立ち直って二部に参戦中のハビージョフと、チェコを離れてオーストリアのリーグに参戦中のズノイモが復帰してくれれば……、などとアイスホッケーどうでもいいと言いながら、らちもないことを考えてしまう。いや、アイスホッケーであれなんであれ、一部リーグにモラビアのチームが増えるのが嬉しいのである。
ボヘミアにも、ヤロミール・ヤーグルがオーナーを務めるクラドノ、長野の英雄ルージチカが長年監督を務めていたスラビア・プラハ、市とチームの支援に関する話し合いがまとまらずにフラデツ・クラーロベーにチームが逃げ出したチェスケー・ブデヨビツェなど、かつてエクストラリーガで活躍しながら二部に甘んじているチーム(町も)がいくつかある。だけど、ボヘミアのチームに対しては一部に復帰してほしいなんて気持ちにはならないから、やはりモラビアのチームであることが重要なのである。
今後も、モラビアの復活したかつての強豪チームが、優勝するのを、リーグ戦を追いかけるのは辛いので結果だけ楽しみにしていこう。次はオロモウツが優勝する番だ。ブルノごときの後塵を拝し続けるわけにはいかないのだから。
5月17日23時。
チェコ語で、「コトウチ」とか「プク」というこの製品、チェコ製だったらいいのだけど。5月19日追記。
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2017年05月19日
日本で見られる「ラビリント」(五月十六日)
昨日の続きだけれども、ちょっと題名を変えてみた。毎回数字をつけてごまかすというのも、なんだか芸がない気がするし。日本のAXNミステリーの 紹介ページ を開くと、第一シリーズの主役二人の写真が出てくる。男のほうは、チェコ人のイジー・ラングマイェルで、女性はハンガリー系スロバキア人のズザナ・カノーツである。
ラングマイェルは、1966年生まれで、80年代の後半には、ルカーシュ・バツリークと並んで、アイドル的な人気を誇る若手俳優だった。それが、今では髪に白いものも見えるようになって……。それでも、どこか若やいだところがあって、渋いとかいぶし銀なんて言葉が似合うところまではきていないような気がする。
80年代の代表的な主演作としては、徴兵された若者と、配属された部隊の隊長の妹の恋愛を描いたコメディ映画、「軍人がこんなんでいいのか……」(仮訳)が挙げられる。背が高くてかっこいいんだけど、どこかいい加減で頼りない主役の若者を演じていた。この映画で隊長役を演じたのが、ハリウッドでも活躍するカレル・ロデンである。
「ラビリント」の監督ストラフの出ていた「俺達五人組」(日本語の題名としては「無敵の」とか入れたくなるけどね)には、ストラフ同様、脇役ながら重要な役で出演していた。「チェトニツケー・フモレスキ」にも出演していたのは、確かなのだけど、誰の役を演じていたかが思い出せない。婚約者を亡くした若い男だったかな。
ストラフ監督作品だと、伝奇推理ドラマ「失われた門」で非常に重要な役を演じていた。主演作品はそれほど多くないけれども、さまざまな作品に出演して、チェコの映画、ドラマには欠かせない俳優の一人になっている。
監督には、使いやすい俳優、使いにくい俳優がいるのか、同じ監督の作品には結構同じメンバーの俳優が集まることが多い。その意味では、ラングマイェルは、ストラフ監督にとっては相性のいい使いやすい役者ということになるのだろう。
スロバキアからやってきた女刑事という役どころのズザナ・カノーツは、名字を見てわかるとおりハンガリー系である。スロバキア人であれば、名字が「オバー」で終わるのだが、ハンガリー系の人の中にはハンガリー語の名字をそのまま使っている人たちがいて、その場合末尾に「オバー」をつけなくてもいいのである。
出身は東スロバキアのコシツェで、高校まではハンガリー語で教育を受けたようである。チェコやスロバキアの少数民族に対する言語政策は、至って穏当なものである。少なくともチェコのポーランド人居住地域、スロバキアのハンガリー人居住地域では、高校まではポーランド語、ハンガリー語での教育が受けられるようになっている。
スロバキアで、民族主義的な主張を掲げる政党が台頭しているのは、ハンガリー政府が、国外のハンガリー系の人々にハンガリー国籍を無条件に付与するとかいう意味不明なことを始めたのも原因のひとつになっている。スロバキア語を母語としていても、ハンガリー系だというだけで、ハンガリーの大学に入学できたりするもんだから、過剰なハンガリー民族意識に毒されて、ハンガリー人だという理由で警官に暴力を振るわれたなんて狂言をやらかす人間が出てくるのだ。
カノーツは、基本的にスロバキアで活動しているようで、チェコの映画やテレビでは、ほとんど見かけた記憶がない。ビロード革命以前から、スロバキアの役者がチェコに来て、チェコで活動するという例は枚挙に暇がないのだが、その場合、チェコ人の役をするときには、チェコ語で話し、スロバキア人の役をするときには、スロバキア語で話すのである。それに対して、チェコ人の俳優がスロバキア語でスロバキア人の役を演じるということはめったにない。
この「ラビリント」では、スロバキア人役なので、カノーツはスロバキア語で話しているが、以前、チェコのドラマに出たときには、チェコ語に吹き替えされていたというし、チェコ語がどのぐらいできるのかはわかならない。ちなみに第二シリーズには登場しないようである。
他の出演者で気になるのが、ミロスラフ・ドヌティルである。この俳優、悪い俳優ではないのだけど、「どこでもドヌティル」と言いたくなるぐらいに、多くの映画、ドラマに出演している。特に最近は、俳優本人だけの問題ではないのだろうけど、どの役も同じような演じ方になってしまっている嫌いがあって、ドヌティルが出てくると見る気が半分ぐらいになってしまう。第一シリーズを途中で見なくなった原因の一つかもしれない。傑作ドラマ「チェトニツケー・フモレスキ」にも、第三シリーズになって登場しやがって、そのせいで第三シリーズは、あまり見る気になれないのである。
第二シリーズには、名脇役のスタニスラフ・ジンドゥルカも出るみたいだけど、この人については、機会があったら、別に物することにしよう。結局三人しか紹介しなかった。
5月16日23時。
2017年05月18日
チェコのテレビドラマが日本で見られる?(五月十五日)
うちのに突然「ラビリンス」って知ってると聞かれた。質問の意図がわからず応えかねていたら、日本語で「ラビリンス」と書かれたイジー・ラングマイェルの写真のあるページを見せられた。AXNミステリーとかいうテレビ局でチェコテレビが制作したオカルトじみた刑事ドラマ「ラビリント(迷宮と訳したいなあ)」が放送されるらしい(すでにされたのかもしれない)。その紹介ページが ここ 。
チェコでも衛星放送などで有料のチャンネルを展開しているAXNが、公共放送のチェコテレビが制作したドラマを放送するというのに、違和感を感じたけれども、日本のNHKが制作したドキュメント番組をチェコの民放のプリマが放送するのと同じだと考えればいいのか。ただ、チェコに同じAXN系列のテレビ局があるのが違うだけである。
AXNミステリーのページには、このドラマについても、監督や俳優たちについての情報もあまりない。「北欧の香りのする東欧ドラマ」というキャッチコピーで、どれだけの人がどんなドラマか想像できるのだろうか。 リンクされていたページ にはもう少し詳しいことが書いてあったけど……。「監督のイジー」って、いや、カタカナで「イジー」と書かれていることは評価する。だけど、これは名前なので、名字のストラフを使ってほしかった。
キャストについては こっちのページ に、出ている。ただし、主役の二人だけ。主役の男は「イジー・ラングマヤ」、うーん惜しい。女は「スザーナ・カノッツク」、名前はともかく名字は読めんぞ。
ということで、せっかくなのでこのドラマにかかわる人々の情報を提供することにする。出演者や監督の見た目についてはチェコテレビの 特集ページ から見てもらうことにして、ストーリーについても、すでにリンクしたページに書かれている以上のことを書くとネタばれになって興ざめだろうから、いつものように周辺情報である。
まずは、監督から。監督のイジー・ストラフは、1973年生まれで、もともとは俳優として活動していた。主役を演じた代表作としては、カレル・チャペクの原作をズデニェク・スビェラークとカレル・スミチェクが1997年に映画化した「ロトランドとズベイダ」が挙げられる。これは、子供向けの童話映画で、ミュージカル映画としても高く評価する人がいる。ここでは、ちょっと間抜けな盗賊の親分の息子を演じていた。
それから主役ではないけれども、1994年放送のテレビドラマ「俺達五人組」(チェコ語だとBylo nás p?t)で、主人公の男の子のちょっと年の離れた兄を演じていたのが印象に残っている。どちらかというとちょっととぼけたというか、ナイーブなというか、独特な味のある男の子の役を演じていた印象がある。
それが、九十年代の半ばぐらいからテレビ向けの長編ドラマや連続ドラマの制作を手がけるようになり、現在では俳優としてよりも、監督として有名な存在になっている。劇場公開された映画では、子供向けの童話映画の傑作「アンデル・パーニェ」が一番有名で、続編も制作されて昨年末に公開されている。観客動員が百万人を超えたので三作目も制作されるはずである。いつになるかはわからんけど。
テレビドラマとしては、日本のジャンルで言うと伝奇小説家のアルノシュト・バシーチェクと組んで制作した「悪魔の罠」「失われた門」の二部作が最高傑作である。どちらも、毎回一時間ちょっとで三回に分けて放送されたから、実質的には三時間ほどの長編ドラマということになる。こっちの方が日本でも受けるんじゃないかと思うんだけどどうかな。
前者は、中世のカトリックの修道院内に巣食っていた悪魔崇拝の秘密結社の一員の生まれ変わりが、当初の目的に目覚めて儀式的な連続殺人を犯すというもので、後者は、別世界へとつながる失われた門を発見しようとしたフリーメーソンのプラハにあるロッジのメンバーが次々に殺されていくという事件である。どちらも、同じ捜査官二人と助っ人の宗教学者の三人が事件の解決に当たるのである。噂によると三作目も準備されているようなので、非常に楽しみにしている。
他にもいろいろなジャンルの作品を監督していて、現在チェコで最も評価の高い監督のひとりである。ツィムルマンほどではないにしても、チェコ語がわからない人にはわかりにくい部分があるので、外国での知名度はそれほど高くないものと思っていた。それがドイツなどの近隣諸国ならともかく、遠く離れた日本で放送されるというのだから驚きである。この文章が、理解の一助に、なったりはしないだろうなあ。
実は、この「ラビリント」、ちゃんと見ていないのである。部分的には見た記憶がある。七回とチェコのこの手の一つの事件を追うドラマにしては長すぎるので、途中でだれてしまって見るのをやめたのか、「悪魔の罠」「失われた門」には及ばないと評価したのか。今年の冬にある有名なスポーツ選手が、お気に入りの番組として「ラビリント」を挙げたのを見て、そんなによかったかなと、機会があったらちゃんと見てみようと思ったのだけど、機会を逃してしまった。
今年の三月から、第二シリーズが放送されたのだけど、第一シリーズを見る前に見るのは避けたいと思って見なかった。その後、四月末から第一シリーズの再放送が始まった。しかし、その第一回を見逃してしまったのである。チェコテレビのホームページで視聴できるようになっている可能性はあるけれども、そこまでして見たいとも思えない。
長くなってしまったので、出演者については次回に回すことにして今日はお仕舞い。個人的には、特に理由はないけれども、「北欧の香り」のするドラマと言われると、 こっち を思い浮かべてしまう。
5月15日22時。
「ラビリンス」で検索したら……。さすがになかった。なんだかよくわからないけど、せっかくなので載せておく。5月17日追記。
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2017年05月17日
フランス対フランス人(五月十四日)
現在、フランスのパリと、ドイツのケルンを舞台に、アイスホッケーの世界選手権が行なわれている。アイスホッケーの世界選手権は、毎年ヨーロッパ各国のリーグが終了し、北米のNHLのプレーオフが始まる五月の頭から行なわれる。去年は終了してから、世界選手権とはあまり関係のない文章を物したが、今年はちゃんと今年の世界選手権に関係のある文章を書いておこうと思う。
世界選手権の出場チームは、全16チームで、グループステージでは、8チームずつの2グループに分かれて、それぞれ総当りのリーグ戦を行なう。各グループの上位4チームが準々決勝に進み、最下位のチームが下のカテゴリーに降格することになっている。チェコは、カナダやフィンランドとともにフランスのパリで試合をするグループに入っている。
長野オリンピックで優勝した後、チェコの黄金期ともいうべき時期があって、世界選手権三連覇を成し遂げたこともあったのだけど、近年は準々決勝に進むのがやっとという事が多い。去年は久しぶりに危なげなく準々決勝に進出したので、優勝を狙えるかと期待していたのだけど、準々決勝で敗退してしまった。
今年の大会は、初戦からカナダという近年の最強チームにあたり、予想通り負けてしまった。完敗だったようだ。ヨーロッパの四カ国対抗のユーロ・ホッケー・トゥールで好調だったので、ちょっと期待していたのだけど、カナダの壁は厚かった。NHLの選手が多いとは言っても、リンクの横幅が違うなど、適応が大変だと思うのだけど、アメリカと違ってカナダは世界選手権に力を入れているのである。
二戦目のベラルーシのとの試合は、途中までは点差もあまり開かず、てこずっている印象だったが、第三ピリオドで突き放して勝利。ベラルーシはたまに上位争いに絡んでくることがあるけれども、それ以外は勝ち点を取れれば御の字というチームなので、もう少し楽に勝ってほしかった。
三戦目が今大会最大の劇的なフィンランドとの試合で、第一ピリオドに3点とられて、リードされていたのを、第三ピリオドに一気に同点に追いついた。一点目を取るまではこれは駄目だと思われていただけに、こんな事故も起こってしまった。
チェコテレビの実況担当のロベルト・ザールバが、実況しながら興奮のあまり机をドンドンたたいていたら突然、モニターやマイクの電源が切れてしまったのだ。どこで電源がオフになっているのかすぐにはわからず、あれこれ確認している様子がビデオに収められている。結局、電源のオン・オフ機能のついた延長コードのスイッチをオフにしてしまったのが原因だったらしい。チェコテレビーのブースだけでなく隣の四つのブースでも電源がオフになってしまったらしいが、たまたま使われていなかったので、よそのテレビ局には実害はなかったようだ。結局この試合は、延長戦の後のPK戦みたいなのにまでもつれ込んで最後にはチェコが勝利した。
次の四試合目のノルウェーとの試合は、規定の60分ではどちらも点が取れず、延長戦の末にチェコが勝利。五試合目のスロベニアとの試合も問題なくチェコの勝ち。ノルウェーに苦戦したとはいえ、グループ内の順位争いを考えると、この二試合を勝ちきれたのは大きい。カナダの首位は変わらないにしても、進境著しいスイスとの二位争いが待っているのだ。
そして、本日迎えた第六戦の相手が、開催国のフランスだった。フランスは今大会最大の驚きと言っていい。初戦でノルウェーには負けたものの、二戦目でフィンランドに圧勝し、三戦目ではスイスにも勝っているのである。戦前の予想では、最下位で降格しなければ御の字という評価だったのが一転警戒すべき相手になっている。
そのフランスとの試合、チェコのゴールキーパーがフランツォウスだったのである。チェコ語がわかる人にはわかると思うが、この試合、フランスチームのフランス人選手対チェコチームのフランス人の戦いでもあったのである。アイスホッケーの代表の場合には、二人のエースキーパーがいて、グループステージでは交互に試合に出ることが多いのだけど、この試合のキーパーにフランツォウスが選ばれたのは、順番だったのか、監督がしゃれがわかる人だったのか、どちらだろう。
チェコテレビも、今大会チェコ代表の試合の実況はチェコテレビのザールバと解説者のホスタークという現時点で世界最高のアイスホッケーの実況チームが担当していたのだが、この試合だけは担当を変えてきた。フランス語ができるアナウンサーを起用することで、実況中に名前の読み間違いなどの問題が起こらないようにという配慮だったようである。チェコテレビのスポーツ部門には、英語以外の外国語ができるアナウンサーが何人もいるのだ。
試合のほうは、開始直後のフランスチームの猛攻を、キーパーのフランツォウスの好守もあってしのぎ、期待の若手NHL選手のパステルニャークのゴールで先制し流れを変えると、あとはチェコが主導権を握って、一度は同点に追いつかれたけど、突き放して勝利。二戦目から六連勝を飾った。最優秀選手には、予想通りフランツォウスが選ばれていた。
この大会で、フランツォウスは特別なヘルメットを使用している。左右の面にマサリク大統領と、ハベル大統領というチェコが世界に誇れる過去の大統領の肖像をあしらっているのだ。これは、世界選手権が開催中に大統領選挙の決選投票を迎えたフランスの人たちへのメッセージだったのだろうか。こういうヘルメットで試合に出られるのは光栄だなんて言っていたから、本人のアイデアではないのかもしれないけれども。
とまれ、スイスがカナダに勝ってしまったためにチェコがグループ二位にはいるためには、最終戦の直接対決でスイスに勝つしかなくなった。
アイスホッケー、そんなに応援しているつもりはないのだけど、世界選手権やオリンピックになると、ついついチェコの試合だけは見てしまうのである。ながら見ではあるけれどもさ。スポーツの中継時間が多いというのも良し悪しだなあと仕事をしながら思ってしまう。
5月14日23時。
2017年05月16日
青い鯨(五月十三日)
チェコ語で「モドラー・ベルリバ」という言葉を初めて聞いたのは、一月ほど前のことだっただろうか。ロシアからチェコにまで入ってきたインターネット上のゲームで、そのゲームをプレーしていた十代の子供たちの間に自殺者が出ているので、親は警戒が必要だというニュースだっただろうか。
ニュースでは、何件かの自殺に関して警察がゲームと関連性の捜査をしていると言っていたのだが、もちろんソースは警察である。それに対して、完全に関連性がわかっていないのに、こういう発表をするのは、社会にパニックを引き起こす可能性があると警察を批判する声も上がっていたようである。
ゲームを通して自殺に導くというので、ゲームをしていると催眠術みたいなものにかかってしまって、性格が変わったり、行動を支配されたりして、最終的には自殺に至るSFめいたものを想像してしまった。ゲームのプログラムが人間の意識を支配してしまうという話をどこかで読んだことがあるような気がするのだけど、違ったかな。
しかし、今日のニュースによると実際は、ゲームと言ってもコンピューターゲームではなく、人間相手のゲームのようだ。ただし、インターネットを介して行うところが、普通の子供同士のゲームとは違うところである。
フェイスブックなどのSNSを通じて、「青い鯨」ゲームをしようと呼びかけ、それに応えた人に、ゲームマスター役の人から連絡が行くという形のようである。ゲームマスターは一人ではなく、複数人いるようで、それぞれのやり方がぜんぜん違うのだという。
コンタクトを取ると、通っている学校とか、誕生日とか、さまざまな個人情報を教えるように求められ、後にはその個人情報を元に脅迫されたりしたらしい。そして最終的には自殺に導かれるというのだけど、どうやるのかいまいち想像できない。具体的な手口については、情報が出てこないのは、表に出すと悪用される可能性があるからだろうか。
先月の報道以来、両親や教師などからの通報がふえ、子供の電話相談ダイヤルにも寄せられる相談が増えていたようである。このゲームについての情報が共有されることで、沈静化が進んでいると相談ダイヤルの人が語っていた。
被害者が十代の少年少女であるということ、ゲームの犯罪性が100パーセント証明できているわけではないことなどが理由になっているのだろうが、チェコテレビの報道も、隔靴掻痒のもどかしいものになっている。
ニュースに出てきた「青い鯨」に関連するネット上のページには、鯨の写真と、腕に傷をつけて鯨の絵を描いた写真が上がっていたのだけれども、ゲームに参加すると体に傷をつけて染み出す血で鯨を描くことを求められるのだろうか。
こういうゲームにのめりこんでいくのは、おそらくネットとか、SNSなんかに依存してしまっている子供が多いはずだ。そうするとかりそめの連帯感を感じるために、他の参加者と同じようにと言われたら、自傷行為でもしてしまうのかもしれない。それがエスカレートすると、考えてみても、ネットを通しての対話で自殺に導くというのが想像できない。
昔、オーストリアの警察犬を主人公にした刑事ドラマで、ネット上のサイトを通じて知り合った子供たちが、サイトの運営者の誘導で集団自殺を企てるという事件を見た記憶がある。あれは確か、人生に悩みを抱える子供たちの相談に乗るふりをして、そんなに人生が辛いのなら終わらせればいいとか何とか言っていたんだったかな。
そうすると、この「青い鯨」の運営者達も、順風満帆の人生を送っている子供たちではなくて、生きることに苦しんでいる子供たちを餌食にしているというのかもしれない。精神的に不安定な十代の子供たちの中には、自殺という行為そのものに憧れているなんてのもいそうだし。
ただでさえ生きていくのが大変なこの世の中に、こんな罠みたいなゲームまで存在するというのだから、今の子供たちも大変だ。インターネットなんてなかった時代には、考えられなかった話である。やはり、技術の進歩というのはいい面ばかりではないのである。
中途半端な情報を基に書いたら、またまた中途半端な失敗作が出来上がってしまった。
5月13日23時30分。
2017年05月15日
サッカー協会も迷走中(五月十二日)
教育省のスポーツに対する補助金を巡る汚職事件のもう一方の当事者であるサッカー協会も、もちろん混乱を極めている。事実かどうかはともかく、政局に影響を受けた摘発だったとも言われているので、それが事実であれば(ある程度までは事実であろうが)、サッカー協会はもちろん、補助金の支給を止められたほかのスポーツ協会にとってもいい迷惑である。
六月に行なわれる総会で会長に選出されることがほぼ確実視されていたペルタ会長の現状から書いておくと、逮捕拘留された後、病気のため、ブルノの受刑者向けの病院へと移送された。そして、協会幹部との話し合いの結果、会長への立候補を取りやめることを決めた。
ラジオの公共放送であるチェスキー・ロズフラスの情報によれば、本来教育省の内部で審査して、どのプロジェクトを採用して、いくら補助金を出すかを決めるはずのところを、サッカーに関しては、担当の事務次官がペルタ会長と話し合って、そのプロジェクトを採用するかを決めていたらしい。それが、サッカー関係者の中で、反ペルタ派の筆頭と目されているテプリツェのオーナーが、「ペルタにべったりのクラブだけが補助金をもらえる」と批判していた所以なのだろう。
協会長が誰になるかについては、今週初めの時点では、実質的な協会のナンバーツーであるベルブルという人物が、ペルタ氏の代わりに立候補を考えていると言っていた。このベルブル氏は、人によっては、今のサッカー協会の黒幕的人物であって諸悪の根源だと評価する人もいる。共産主義の時代に秘密警察とかかわりがあったとかいう話も漏れてきたけれども、真相は藪の中である。
この人物が最初に暗躍を噂されたのを聞いたのは、審判の配置について影響力を行使しているのではないかというものだった。当時、協会の審判部の部長は、チェコの女性審判の草分け的存在で、女子の世界選手権やオリンピックでも主審を務めて評価の高かったダムコバー氏だった。審判を引退した後、審判部の部長に就任したのである。このダムコバー氏の私生活上のパートナーがベルブル氏で、ダムコバー氏を通じて誰がどの試合で笛を吹くか、決定していたのではないかと噂されていたのである。
ダムコバー氏も、審判をやっていたころは、好印象の人物だったのだけど、ペルタ氏に対抗してサッカー協会の協会長の選挙に立候補するとか言い出したあたりからおかしくなった。結局立候補せずに、サッカー協会の審判部長みたいな役職に就いたのだけど、その仕事ぶりもしばしば批判の対象になっていた。どうも、秘密主義的なところがあったらしい。同時にUEFAだったか、FIFAだったかの審判関係の役職にも就いていて、現在はチェコのサッカー協会の審判関係の仕事からは離れているようである。
結局、このベルブル氏は、一部リーグのチーム関係者との話し合い、特にスパルタのオーナーであるクシェティンスキー氏との話し合いの後、会長職には立候補しないことにしたようである。その代わりに、教会の有力スポンサーの一つであるミネラルウォーターのオンドラーショフカ社の人間を立候補させようとしていた。
この人物が会長になったら、ベルブル氏の操り人形になるのは目に見えているので、反感はあったのだろうけれども、明確に反対の意を表したのはリベレツのGMネズマルだけだった。2000年代初頭にリベレツがリーグ初優勝を遂げたときから長らく中心選手だったネズマルは、伏字にしなければならないような下品な言葉まで使って、強い言葉で不快感を表明したのだった。その結果なのかどうかは不明だが、結局この人物は、一度提出した立候補の届出を取り下げたらしい。
ベルブル氏本人は、現時点では副会長のポストに立候補することにしているようだが、インタビューの中で、サッカー界を離れることも考えているようなことも語っていた。ここ数年のサッカー協会を主導してきたペルタ—ベルブル体制の終焉が、チェコのサッカーに何をもたらすのかが問題である。脱税の容疑で捕まりそうになって国外逃亡したフバロフスキー時代、よく言っても君臨すれども統治せずで、ほとんど存在感のなかったモクリー時代に戻ることがなければいいのだけど。
5月13日21時。
2017年05月14日
混迷する政局(五月十一日)
とりあえず、わかりやすいことから始めよう。九日の火曜日、スポーツに関する補助金を巡って逮捕者を出した教育省のカテジナ・バラホバー大臣が、辞職することを発表した。ただし、即時ではなく、五月末日付けで辞職するという。同時に、教育相からスポーツ界への補助金の支給を、申請が受理されたものも含めて、すべて一時ストップさせることも発表して、スポーツ界に混乱を巻き起こしている。
省内でのセクハラだか、パワハラだかが問題にされて、辞職することになった前任のフラーデク大臣と違って、バラホバー教育相は、子供たちのスポーツ支援に力を入れていたらしい。そのお膝元に当たる分野でスキャンダルが勃発したことで、ソボトカ首相の勧めもあって辞任することにしたということのようだ。
ソボトカ首相としては、社会民主党の政治家は、スキャンダルが起こった場合には潔く辞任するのだということを印象付けて、財相の地位にしがみつこうとしているバビシュ氏との違いを演出したいのだろう。悪い手ではない。ただし遅きに過ぎるという印象も否めない。去年の秋の地方議会の選挙の前に、南モラビア地方の知事を務めていたハシェク氏の金銭を巡るスキャンダルが明らかになったときに、知事の辞任、議会への立候補の取り下げをさせておくべきだったのだ。
あの時のハシェク氏の言い逃れのしかたは、現在のバビシュ財相のそれと大きく違わない。スキャンダルの規模と地位の重大さは違うが、自分を政敵に罠にはめられた犠牲者だとして、他者に責任をなすりつけようとする姿勢は、どちらも同じレベルでみっともない。
数年前の話だが、元厚生大臣のラート氏が中央ボヘミアの知事を務めていたときに、病院の改修に関する補助金を巡る収賄の疑いで逮捕された。このときには、さすがに逮捕されていたから、ラート氏を積極的に擁護する声は、社会民主党の中からも聞こえてこなかったが、ラート氏が自分は罠にはめられたのだと主張していたことを考えると、仮に警察が動かずにマスコミがスキャンダルとして取り上げただけだったら、社会民主党はラート氏を辞任させられていただろうかと考えると、首を横に振るしかない。
日本もそうだろうが、政治家というものは身内のスキャンダルには甘いくせに、政敵が同じようなスキャンダルを起こすと鬼の首を取ったように大騒ぎしてしまうものである。旧来の政治家たちのそういう部分を嫌っていた人たちが、選挙のたびに新しい政党、現在であればANOに期待を寄せるのだろうけど、ANOもバビシュ財相の振る舞いで、馬脚を現しつつある。
バビシュ財相は、火曜日になってムラダー・フロンタの記者と会って話したことを認め、自分の立場を考えると会うべきではなかったと反省の弁を述べた。これも遅すぎる。いや、ここまで言を左右にして有耶無耶にしてきたのだから、それを貫くべきだったのかもしれない。それはともかく、政敵のカロウセク元財相か、ホバネツ内相のバビシュつぶしの陰謀だと叫ぶのは忘れなかったようだ。
これまでのみっともないとしか言いようのないバビシュ財相の言動が、結局ANOも既存の政治家、政党とあまり変わらないという諦念につながるのか、これまでのグロス首相やネチャス首相と違って、簡単に責任を投げ出さないという評価につながるのか、現在の状況を見ていると前者になりそうだけれども、選挙の結果につながるかどうかはわからない。
十日水曜日には、プラハなどチェコ各地の大きな町で、反ゼマン、反バビシュのデモが行なわれた。プラハではバーツラフ広場に二万人ほどの人を集めたらしいが、オロモウツでは中心となるホルニー広場では別のイベントが行なわれていたため、聖ミハル教会の前の小さなジェロチーン広場に反ゼマン・反バビシュ派が集まっていた。反ゼマン大統領でもあるのは、大統領が財相をかばって、憲法の規定を無視してまで辞任させないように努めているように見えるからのようだ。
日本と違ってデモが多いチェコでも、これだけの数の人が集まることは滅多にない。前回は労働組合が組織したデモで、全国から集まった同じぐらいの数の人々がバーツラフ広場を埋めたという。ただし、このデモの数字を見て、バビシュ財相、ゼマン大統領の命運は尽きたと考えるのは早計である。この手のイベントでゼマン大統領を批判する人たちの多くは、大統領を批判することで自らの政治的正しさを信じていられるある意味幸せな人たちである。自分が正しいと思えるから、自然と声も大きくなり、ニュースなどに取り上げられる機会も増える。
その一方で、前回の大統領選挙の結果や、支持政党のアンケートの結果を見ていると、ゼマン・バビシュ支持派の中には、積極的な支持派以外に、EUのヨーロッパ的な正しさの押し付けへの反感、または既存の政治家や、政党に対する忌避感から他にいないという消極的な理由で支持している人たちもかなりの割合でいるように思われる。
そういう人たちにとっては、ゼマン大統領とバビシュ財相の結びつきは、受け入れにくいのではないかと想像するのだけど、これまでの支持政党のアンケート結果を見る限り、そうでもないようだ。以前のゼマン大統領は、バビシュ財相をけっこう口汚く罵っていたんだけどねえ。
とまれかくまれ、政治という名の茶番劇は継続中である。
5月12日23時。
2017年05月13日
森雅裕『画狂人ラプソディ』(五月十日)
1985年8月に角川ノベルズから出版された森雅裕のデビュー作である。それから11年後の1996年にKKベストセラーずから出た『推理小説常習犯』によると、江戸川乱歩賞に応募するために写楽の謎を中心にした小説を書いていたら、高橋克彦の『写楽殺人事件』が乱歩賞を受賞したために、北斎の謎を中心に書き直して応募したものの落選、それをまた大幅に改稿して横溝正史賞に応募して佳作に入った作品だという。ただし、乱歩賞でだめだったものをよその賞に回したとして、業界から批判されたというから、出版業界とうまくいかない森雅裕の運命を決めた作品と言ってもいいかもしれない。デビュー作というものは、多かれ少なかれそんな面はあるのだろうけど。
高校時代に『モーツァルトは子守唄を歌わない』を読んで、森雅裕の存在を知った後、本屋でこの作品を手に取ったのは覚えている。裏表紙に書かれている著者の言葉に目を通し、表紙側の袖の部分に書かれたあらすじまで読んだ上で、買わなかったのだけど、後に森雅裕ファンになった後、このときのことを死ぬほど後悔したのは言うまでもない。80年代の後半には田舎の本屋でもたまに目にしていたものが、90年代に入ると、どこをどれだけ探しても見つからない本になってしまっていた。
古本屋でも見つけることができず、結局読めたのは、1997年にKKベストセラーズが「森雅裕幻コレクション」と題したシリーズの二冊目として、刊行してからだった。その後も古本やめぐりはやめなかったのだけど、発見できたのかどうか記憶が定かではない。
さて、念願の『画狂人ラプソディ』を読んで感じたのは、強い既視感だった。芸術系の大学が舞台となり、音楽と美術にまたがって謎と人脈が展開するのが、『椿姫を見ませんか』に通じたのはまだしも、主人公亀浦と相棒の歌川などの関係は、『歩くと星がこわれる』に出てきたものとほぼ同様だった。刊行年を基に言えば、『画狂人ラプソディ』が本歌ということになるのだろうが、『歩くと星がこわれる』が自伝的作品であることを考えるとこちらのほうが現実に近そうだともいえる。この辺りに過度に実在の人物をモデルにしてフィクションを作り上げる方法の弱点があるのかもしれない。私小説であれば、それも好しなのだろうけどさ。
この時点で、『画狂人ラプソディ』を読み、面白いと思い、読めたことの幸せを噛みしめた理由が、作品の素晴らしさにあったのか、これまで読めなかった森雅裕の作品が読めたことにあったのか、自分でも定かではない。著者自身が若書きで欠点も多いという作品だけれども、その欠点があってなお、読ませる作品ではある。ただ、高校時代に読んでいたら、森雅裕ファンになっていただろうかと考えると、なっていなかっただろうと思う。その意味では、既視感はあったとはいえ、既刊の作品では最後に読んだのはよかった。
今回、再び読み返して、高校時代に買わなかった、いや買えなかった理由らしきものが見えた。それは作品の冒頭部分である。ドゥカティのバイクに乗って主人公が登場するところまではいい。バイクマニアの矜持を語るのも森雅裕だ。だけど、父親を亡くしたばかりの別れた恋人の姿を見つけたとたんにおたおたするのは、主人公に似合わない。買うか買わないか決めかねていて、最初の部分を立ち読みして、このシーンが出てきたら、高校時代の自分には買えなかっただろう。
森雅裕の作品だからという理由で本を購入し読むようになってからなら、あばたもえくぼではないけれども、そういうちぐはぐな部分も楽しめるのだけど、『画狂人ラプソディ』を最初に読んで森雅裕の熱狂的なファンになった人というのは、それほど多くはいるまい。その代わり、遅れてきた熱狂的なファンにとっては手に入りづらくて、垂涎の書となっていたのだから皮肉である。「幻コレクション」版が出たとはいえ、現在でも状況はあまり変わらないようだ。森雅裕のファンになるということは、著書をすべて手に入れるために苦労を余儀なくされるということでもある。新刊の刊行を渇望して、やがて絶望にいたるという運命もあるか。
具体的な事件の内容はネタばれになるので書かないが、ほとんど知り合ったばかりの史美が、自らが妾の子であることをあかし、それに対して亀浦が「俺も孤児だと」いうシーンには、初読の際から違和感を感じた。森雅裕の主人公が、こんな他人にすぐさま心を開くなんてありえない。出会った場面での気が合いそうだという直感を強調したかったのだろうけれども、早すぎる。
それから、語り手のカメさんよりも、相棒のウタさんのほうが、主人公っぽい行動をしているところがあって、ウタさんを主人公に据える手はなかったのかなとか考えてしまう。この辺りは、いつだったかネット上の書評で読んだ「ハードボイルドにしようとして失敗している」という批評が当てはまるのだろう。
しかし、繰り返しになるが、森雅裕のファンは、上に書いたような作品の欠点も楽しめるのである。いや、楽しめるようにならないと森雅裕のファンとはいえないのである。その意味では、森雅裕の作品を何作も読んだ後で読む『画狂人ラプソディ』は、真のファンたりえるかどうかの試金石のようなものかもしれない。出版業界にとっては踏み絵の方がいいかな。
まだ森雅裕を読んだことのない人が、この駄文を読んで『画狂人ラプソディ』を読もうという気になるとは思えないが、最初に読む森雅裕作品としては、『モーツァルトは子守唄を歌わない』か、中公で最初に出した『さよならは2Bの鉛筆』あたりがお勧めだろう。その後、最低でも『椿姫を見ませんか』から始まる鮎村尋深三部作を読んで、『歩くと星がこわれる』を経て、『画狂人ラプソディ』という流れがいいかな。途中で『マン島物語』と『サーキットメモリー』をこの順番で読んでおくのも悪くない。とにかくカドカワから出た二冊は、できるだけ後回しにしたほうがいい。手に入りにくいから普通に読み進めてもそうなる可能性は高いけど。ここに上げた本全て絶版だし。
出版不況といわれて久しい昨今、それほど多くはなくても一定数の読者が期待できる森雅裕の本って出版社にとってはありがたい存在だろうに。新刊は無理でも、既刊のうち最終校後データが残っている分だけでも、電子書籍にして流通させてもらえないものだろうか。大日本印刷とか凸版印刷あたりの倉庫の奥にフロッピーが残ってたりしないのかなあ。特に新潮社の『平成兜割り』。
いや、それよりも新刊の小説が刊行されることを希望したいのだけど、毎年四月初めに本屋を回っていた頃の絶望感を思い出したくないから、期待はしないことにする。既刊本が読めるだけでも幸せである。
5月11日15時。
2017年05月12日
スラブの神々(五月九日)
週末に自動車のタイヤ交換のついでにうちのの実家に帰って、歴史関係の雑誌をぺらぺらめくっていたら、スラブ神話についての記事が出てきた。スラブ神話については、ギリシャ神話、ローマ神話はもちろん、北欧のゲルマン神話と比べても、記録が少ないためその全貌は明らかになっているとは言えない。スラブ人は東はロシアのウラル山脈の麓から、西は現在のチェコ、またはドイツに至る広大な地域に広がっているため、神のありように地域差が多く、同じ役割の神でも別の名前で呼ばれていることも多かった。キリスト教の伝来によって職掌が変わってしまった神もいる。などという説明が書かれていた。
スラブ神話については、ルーマニア出身の宗教学者エリアーデの『世界宗教史』で読んだ記憶はあるのだけど、それほど詳しいことは書かれていなかったという記憶しかない。田中芳樹の『銀河英雄伝説』で、古代スラブ神話の神の名前から名前が付けられたというのが出てきたけど、あれは何だっただろうか(ちょっと確認したら軍艦の「トリグラフ」と恒星の「ポレヴィト」だった)。
雑誌の記事を読む限り、スラブ神話の記録が比較的残っているのは、東のロシアと、西のドイツのエルベ川流域であるようだ。チェコは西スラブの一部であるので、ドイツのエルベ川流域で信仰されていた神々に近い存在が信仰されていたに違いない。
一説によると、プシェミスル王朝の起源を語る始祖チェフの子孫であるリブシェと、農夫プシェミスルの物語は、本来神話だったのではないかという。つまり天の豊穣を約束する神(後のプシェミスル)と、地母神(後のリブシェ)の間の婚姻を描いていた神話が、キリスト教のスラブ世界への浸透とともに、王家の起源を語る伝説に改変されたのだと。神話と結びつけることによって、プシェミスル家のボヘミア支配を正当化する狙いもあったのではないかという考えもあるようだ。
実在の人物の神格化ではなく、神々の人格化というわけなのだが、キリスト教にとっては不要な神々を人格化してキリスト教の教えに帰依した王家の伝説に組み込んでいくことは、王家にとっても教会にとっても都合のいいことだったのだろう。日本神話もそうだが、記録された神話は権力者に都合がいいように改変されているものだ。
最初に名前の挙がる神は、エルベ川流域を中心に信仰を広げていたらしい白き神ビェロボフと黒き神チェルノボフである。『ブリタニカ国際大百科事典』には、ベールボグ、チェルノボグの名前で挙がっているが、西スラブのHが東スラブではGに変わることが多いことを考えると、同じ神の東スラブバージョンということになろう。どちらも運命を掌る神であったようだ。ただし、この二柱の神が信仰を広げたのはキリスト教の伝来以後である可能性もあるという。
ちなみに、白き神のほうは、『マスター・キートン』に出てきた「白い女神」を思い起こさせるのだが、あれは、イギリスのどこかの島で、ケルト人以前に文明を築いていたなぞの民族の信仰していた女神と言う話だっただろうか。ケルト人といい、スラブ人といい、同じ印欧語族ではあるので、神の世界にもある程度のつながりはあるのだろう。
チェコではラデガストの名前で知られている戦いの神は、エルベ川流域では、スバロジチの名前で知られている。本来は豊穣を約束する太陽神だったのが、後にキリスト教の影響で軍神へと役割を変えたらしい。東スラブでダジュボクの名で信仰された神と同一視されている。ラデガストがチェコで有名なのは、ベスキディ山地のラドホシュト山頂に彫像が置かれ、ノショビツェで生産されるビールがラデガストと名付けられ、ラベルにも像があしらわれていることによる。チェコ語でのこの神の名前が、ラデガストでよかったと思ってしまうのは仕方なかろう。ダジュボクやスバロジチという名前ではビールの名前になりそうにない。
スバントビート、スバロクなんて名前の神様が紹介されて、スバロジチとは別の神格とされているのだけど、神の名前を見ると同じ神格の別名としても解釈できそうな気がする。スバントビートは本来豊穣の神だったのが、キリスト教の影響で軍神に役割を変えたというし、スバロクは火を支配する鍛冶の神で太陽の円い形を作り出し、空に設置したというから、これも本来は太陽を支配する神であったとも言えそうである。ちなみにダジュボクとスバロジチは、このスバロクの息子ということになっているのだという。
スラブの神々の中で唯一の女神は、大地の神格化である地母神モコシュである。チェコの伝説のリブシェが、このモコシュのボヘミアにおけるバリエーションだという考えもあるようだ。リブシェに関しては、姉のカジ、テタとともに、トリグラフという三つの頭のある神のそれぞれの頭に仕えた巫女だったのではないかという説もあるようである。トリグラフは、三つの頭のそれぞれが、天界、地上、冥界を支配する役割を果たしているのだという。
キリスト教によって辛うじて神話の痕跡のようなものが残っているに過ぎないため、いろいろな説を立てる余地があるのだろうけれども、それが正しいかどうかを証明する術がないという点では、日本の卑弥呼と同じような存在である。
他にもペルンというスラブの神界を支配する雷神や、地下の世界(冥界)を支配する家畜の群の守護神ベレスなんて神が、スラブ全域で信仰されていたらしい。
以上のように、スラブ神話はギリシャやローマの神話とは違って、それぞれの神々の職掌が重なったり、同じような名前の神が別の神とされていたり、矛盾することころが多くて、全体像が把握しにくい。
誰か、さまざまな伝説から、キリスト教が影響を与えた部分を排除して、スラブの、いや西スラブの神話を体系的に復元してくれないものだろうか。もしくはどこかで体系的な西スラブの神話を書きとめた手稿なんかが発見されてもいい。いや、断片的な情報を基に新たな神話として書き上げるのも悪くないか。ヒロイックファンタジーの書き手が挑戦してくれないものだろうか。
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