M−1グランプリ2010でのジャルジャル
ジャルジャルは、2010年のM−1グランプリの決勝進出者である。
しかし、その時に披露したネタがきっかけで「漫才をバカにしている」と非難が殺到してしまう。
本人たちにはそんなつもりはないのだが・・・
理想の漫才とは?
今回の放送によると、理想の漫才とは、
・事前の稽古や打ち合わせを一切しない。
・2人の人間が、役を演じずに等身大で会話する。
・たまたま面白い掛け合いになったように見せる。
というものらしい。
漫才のグレーゾーン
上記の「理想の漫才」の定義は、なかなか厳しいものがある。
「この定義に当てはまる漫才をしている漫才師はいるのか?」
という疑問もわいてくるが、そこは「漫才のグレーゾーン」として、触れないのが暗黙の了解のようだ。
しかし、ジャルジャルはその部分に切り込んでいくようなネタをつくってしまったため、バッシングを受けたわけである。
ジャルジャルと漫才
そんなバッシングを受けながらも、ジャルジャルは漫才をあきらめなかった。
「漫才師」というよりは「コント師」の印象が強い彼らだが、劇場や学祭、営業でネタをするときは漫才をすることが多いという。
そして、3年ほどかけて漫才のネタを磨き上げて、2015年のM−1に挑んだ。
その結果、決勝まで勝ち上がり、最終決戦で第3位となった。
ジャルジャルの漫才は、漫才ではない?
「ジャルジャルの漫才は漫才ではない」
そんな評価をされることがある。
しかし、考え方を少し変えてみると、こんな言い方もできる
「ジャルジャルの漫才は、従来の漫才ではない」
つまり、ジャルジャルは新しい漫才の形を創り出したという見方もできるわけだ。
ジャルジャルを批判している人は、「新しい発想を受け入れられていない状態」なのかもしれない。
ジャルジャルの漫才が漫才でないとするならば
ジャルジャルは、漫才の大会であるM−1グランプリの予選を勝ち上がって、決勝に進出している。
つまり、準決勝の審査員が、ジャルジャルを決勝に進出させたということである。
ジャルジャルの漫才を漫才と認めないのであれば、決勝まで勝ち上がれるのはおかしいのではないか?
漫才だと認められないものを決勝に進出させたのであれば、審査員にも責任はあると思うのだが。
まとめ
ジャルジャルは、
『自分たちの最大の欠点は、人間味の薄さである』
『自分たちは個性の無い、ただの人間である』
と言っていました。
確かにこれは、芸人としてマイナスポイントであるように思えます。
しかし、弱点が武器になることもあります。
弱点を無理に修正するより、弱点を逆手にとって考える。
そういう戦い方ができれば、勝機が見えてくると思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
このブログがあなたのお役に立てたら嬉しいです。
スポンサーリンク
【このカテゴリーの最新記事】
- no image
- no image
- no image