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2016年03月27日
イライラ解消法 「怒り日記」 (しゃべくり007)
しゃべくり007に、ゲストとして女優・木村佳乃さんが登場しました。それについて書きます。
木村佳乃はせっかちで、ちょっとしたことでイライラしてしまうらしい。
そこで今回この番組で、イライラを解消する方法が紹介された。
今回紹介された方法のひとつに、「毎晩寝る前に怒り日記を書く」というものがあった。
日記といっても、3行書くだけでいいらしいが、順天堂大学の小林弘幸教授によると、書く順番が重要だという。
1行目 : 今日一番怒ったこと
2行目 : 今日一番嬉しかったこと
3行目 : 明日の目標
という順番で書くことで、幸せな気持ちでリラックスして眠れるらしい。
最もやってはいけないのは、「怒りの感情を無かったことにすること」だという。
そうしてしまうと、どんどんストレスがたまってしまうらしい。
怒り日記は書く順番が重要だという話でしたが、「紙に書く」というところもひとつのポイントだと思います。
紙に書くことで、感情を体(頭)の外に出すことができて、スッキリするということなのかなと思います。
怒りに関すること以外でも、紙に書くことで考えがまとまりやすくなったりするという話もあります。
紙に書くというのは、シンプルですぐにでも試せる方法だと思うので、一度やってみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
このブログがあなたのお役に立てたら嬉しいです。
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せっかちな木村佳乃
木村佳乃はせっかちで、ちょっとしたことでイライラしてしまうらしい。
そこで今回この番組で、イライラを解消する方法が紹介された。
寝る前に「怒り日記」を書く
今回紹介された方法のひとつに、「毎晩寝る前に怒り日記を書く」というものがあった。
日記といっても、3行書くだけでいいらしいが、順天堂大学の小林弘幸教授によると、書く順番が重要だという。
1行目 : 今日一番怒ったこと
2行目 : 今日一番嬉しかったこと
3行目 : 明日の目標
という順番で書くことで、幸せな気持ちでリラックスして眠れるらしい。
やってはいけないこと
最もやってはいけないのは、「怒りの感情を無かったことにすること」だという。
そうしてしまうと、どんどんストレスがたまってしまうらしい。
まとめ
怒り日記は書く順番が重要だという話でしたが、「紙に書く」というところもひとつのポイントだと思います。
紙に書くことで、感情を体(頭)の外に出すことができて、スッキリするということなのかなと思います。
怒りに関すること以外でも、紙に書くことで考えがまとまりやすくなったりするという話もあります。
紙に書くというのは、シンプルですぐにでも試せる方法だと思うので、一度やってみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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2016年03月26日
オーストラリアで人気の習い事といえば・・・忍者教室。 (世界!といえば研究所)
「世界!といえば研究所」という番組で、「オーストラリアで人気の習い事」が紹介されました。それについて書きます。
オーストラリアでは、水泳やテニスが人気である。
これらはメジャーなスポーツであり、人気があるのもわかる。
しかし、オーストラリアの南東部では、忍者教室が人気だという。
オーストラリアで忍者教室を開いている、ある道場では、日本から伝わった忍術を独自にアレンジして、自分の身を守るための技術として指導しているという。
独自にアレンジしたら、もはや別物になってしまう気がするのだが・・・
とはいえ、日本流の礼儀作法、護身術、武器術、剣術などを教えているらしい。
日本の武道には、技術の習得度合いによって、級位や段位が与えられるシステムがある。
例えば、
10級、9級、8級・・・1級、1段、2段、3段・・・
という具合に上がっていく。
しかし、オーストラリアの忍者道場では、段位の名前が次のようなものであった。
・戦士 (Warrior)
・先輩 (Senpai)
・大先輩 (Dai-Senpai)
・先生 (Sensei)
・錬師 (Ren-Shi)
・狼 (O-Kami)
・指導師 (Shido-Shi)
・師範 (Shihan)
戦士から始まって、最終的に師範になるようだが、途中で「狼」が入るのが謎である。
それ以外のものは、何となくわからなくはないのだが。
オーストラリアで、なぜ忍者が愛されているのか。
それは、過去にテレビで放送された時代劇の影響だという。
その時代劇は、1962年〜1965年に放送された「隠密剣士(THE SAMURAI)」という作品である。
この作品は、秋草新太郎と名乗る男が、世の平和を乱す忍者集団と戦うというストーリーである。
この作品が当時オーストラリアで大人気で、秋草新太郎を演じた俳優・大瀬康一が来豪した際にはものすごい数の人が集まったという。
広瀬はオーストラリアで忍者ショーを開いたりしていたという。
しかし、広瀬は忍者役ではないのでは・・・?
細かいことはともかく、オーストラリアでは忍者が人気なのである。
忍者発祥の地・日本では、忍者教室は少ないように思います。
忍者の人気がないわけではないと思いますが、習い事としてやろうとする人は少ないのでしょう。
ちなみに、履歴書の特技の欄に「忍術」と書いてあったら、それは就職に有利なんでしょうか?
私が面接官だったら、どんなことができるのか詳しく聞いてみたいと思いますが。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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オーストラリアで人気の習い事といえば?
オーストラリアでは、水泳やテニスが人気である。
これらはメジャーなスポーツであり、人気があるのもわかる。
しかし、オーストラリアの南東部では、忍者教室が人気だという。
オーストラリアで忍者教室?
オーストラリアで忍者教室を開いている、ある道場では、日本から伝わった忍術を独自にアレンジして、自分の身を守るための技術として指導しているという。
独自にアレンジしたら、もはや別物になってしまう気がするのだが・・・
とはいえ、日本流の礼儀作法、護身術、武器術、剣術などを教えているらしい。
段位認定システム
日本の武道には、技術の習得度合いによって、級位や段位が与えられるシステムがある。
例えば、
10級、9級、8級・・・1級、1段、2段、3段・・・
という具合に上がっていく。
しかし、オーストラリアの忍者道場では、段位の名前が次のようなものであった。
・戦士 (Warrior)
・先輩 (Senpai)
・大先輩 (Dai-Senpai)
・先生 (Sensei)
・錬師 (Ren-Shi)
・狼 (O-Kami)
・指導師 (Shido-Shi)
・師範 (Shihan)
戦士から始まって、最終的に師範になるようだが、途中で「狼」が入るのが謎である。
それ以外のものは、何となくわからなくはないのだが。
なぜオーストラリアで忍者教室が人気なのか?
オーストラリアで、なぜ忍者が愛されているのか。
それは、過去にテレビで放送された時代劇の影響だという。
その時代劇は、1962年〜1965年に放送された「隠密剣士(THE SAMURAI)」という作品である。
この作品は、秋草新太郎と名乗る男が、世の平和を乱す忍者集団と戦うというストーリーである。
この作品が当時オーストラリアで大人気で、秋草新太郎を演じた俳優・大瀬康一が来豪した際にはものすごい数の人が集まったという。
広瀬はオーストラリアで忍者ショーを開いたりしていたという。
しかし、広瀬は忍者役ではないのでは・・・?
細かいことはともかく、オーストラリアでは忍者が人気なのである。
まとめ
忍者発祥の地・日本では、忍者教室は少ないように思います。
忍者の人気がないわけではないと思いますが、習い事としてやろうとする人は少ないのでしょう。
ちなみに、履歴書の特技の欄に「忍術」と書いてあったら、それは就職に有利なんでしょうか?
私が面接官だったら、どんなことができるのか詳しく聞いてみたいと思いますが。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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2016年03月25日
ボクシング 亀田三兄弟の次男・大毅。実はボクシングが大嫌いだった。 (しくじり先生)
しくじり先生に、元プロボクサー・亀田大毅(かめだ だいき)さんが講師として登場しました。それについて書きます。
亀田三兄弟は、ボクシング界で史上初となる「三兄弟世界チャンピオン」を目指す兄弟として、2000年代に注目を集めていた。
今回の講師である亀田大毅のしくじりは、「調子に乗りすぎて国民に嫌われた」ということである。
幼少期は空手をやっていた大毅。11歳からはボクシングを始めた。
父の指導のもと、兄・興毅(こうき)や弟・和毅(ともき)と共にトレーニングをしていた。
しかし、三兄弟の中で大毅は落ちこぼれになってしまった。
兄や弟が一日で身につけられることが大毅は1週間かかったり、砂浜ランニングで自分だけついていけなかったり・・・
父からは『なんでお前だけできないんだ』と言われ、自分の才能の無さを思い知らされる毎日。
「兄に追いつけ、弟に抜かれるな」という、次男特有のプレッシャーに苦しめられる。
ボクシングが大嫌いになり、もう辞めたいと思っていたのだが・・・
「父と兄弟の夢を潰したくない」
その想いがあったため、なんとか踏みとどまっていた。
17歳でプロテストに合格した大毅。
兄の興毅はすでにプロボクサーとして活躍していたため、「亀田興毅の弟」として注目されていた。
『兄のプロデビュー戦は1ラウンド44秒でKO勝利。さて、弟は?』
そんな風に注目され、追い込まれた大毅は、「どうにでもなれ」と開き直った。そして、
「プロデビュー戦で、兄のKO記録を超える」ことを宣言した。
そして大毅のプロデビュー戦の結果は・・・
1ラウンド23秒でKO勝利。周囲からベタ褒めされた。
「亀田興毅の弟」という扱いだったのが、「亀田大毅」個人として扱われるようになった。
しかしこれにより、大毅は調子に乗り始めてしまう。
ビッグマウス発言、ド派手なファッションなど、目立つ行動が増えた。
デビュー戦から10連勝した大毅。当時世界チャンピオンだった内藤大助に挑戦する権利を得た。
試合をすることが決まると、試合前からビッグマウスで内藤に対する暴言を吐いていた。
そして試合。チャンピオンは強かった。
ラウンドが進むにつれて追い込まれていく大毅。
どうにもならなくなった大毅は、「内藤を持ち上げて投げる」という、反則行為をしてしまう。
そして試合は大毅の負け。
試合後、反則行為やビッグマウスなどの影響で、世間から大バッシングを受けることになる。
後日おこなわれた謝罪会見で、大毅は何もしゃべることができなかった。そして体調不良のため2分ほどで退席。
病院で「うつ状態」だと診断された。
その後もマスコミが家に殺到したり、過去の発言もさかのぼってバッシングされた。
さらには仲の良かったスタッフにさえも、手のひら返しでバッシングされたという。
これらの騒動の結果、1年間のプロボクシングのライセンス停止という処分を受けることになった。
大毅は内藤の自宅に直接謝罪に行った。
そこで内藤はこんなことを言っていたという。
『大毅くんのおかげで俺も注目してもらえた。またスパーリングでもしよう』
器の大きい対応である。
大阪での潜伏生活を経て、ボクサーとして復帰することになった大毅。まずは復帰会見をすることになった。
しかし、毛皮のコートを着て復帰会見に現れた大毅を見て、世間は『こいつ反省してないな』と感じた。
なぜ毛皮のコートを着て行ったのか?
それには理由があった。
同時期に相撲の朝青龍もバッシングを受けていたのだが、その朝青龍が毛皮のコートを着ているのを見て、『俺も毛皮を着よう』と思ったという。
大毅は朝青龍が好きらしい。
世間から大きく嫌われてしまった大毅。
世界チャンピオンになって世間を見返したいという気持ちがわいてきた。
また、「三兄弟世界チャンピオン」という父と兄弟の夢を現実にするため、トレーニングに打ち込んだ。
その結果、2010年。WBA世界フライ級王座を獲得。
そして2013年。三兄弟同時世界チャンピオンとなり、ギネス記録として認定された。
大毅はボクシングをやめようと思った。
ただ、最後に観客が熱狂するような試合をしたいと思い、メキシコで練習に打ち込んだ。
そこで大毅は、生まれて初めてボクシングを好きになれた。
好きになって練習に打ち込んだら、グングン成長した。
そして大きな試合が決まりかけた矢先に、事件が起こる。
日を追うごとに視界が狭くなっていく左目。最初は疲れているだけだと思っていたが、一向に回復しないため、日本に帰国し検査。網膜剥離と診断される。
手術をし、ある程度は回復したため、試合に挑むことになった。
しかし、試合直前の控え室にて、「右目も見えなくなるかもしれない」という恐怖に襲われた。
生まれて初めて試合を怖いと感じた。
試合後、引退を決意した大毅。
父は言った。
『全然ダメだったお前が、世界チャンピオンにまでなった。ようがんばったな』
本当の強さとは、弱い自分を受け入れること。
あなたの夢は、家族など他の誰かの夢でもある。
調子に乗って虚勢を張らずに、地道に努力することが大切である。
三兄弟の中では落ちこぼれだったと言っていますが、兄と弟が天才だったため、比較すると落ちこぼれに見えるということかもしれません。
世界チャンピオンにまでなったわけですから、ただの凡人ってことはないでしょう。
父と兄弟の夢のために、大嫌いなボクシングをやり続けた大毅さん。
なかなかできることではないと思います。
「誰かのために」
そんな状況でこそ、人は大きな力を発揮できるということかもしれません。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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亀田三兄弟の次男・大毅
亀田三兄弟は、ボクシング界で史上初となる「三兄弟世界チャンピオン」を目指す兄弟として、2000年代に注目を集めていた。
今回の講師である亀田大毅のしくじりは、「調子に乗りすぎて国民に嫌われた」ということである。
三兄弟の落ちこぼれ
幼少期は空手をやっていた大毅。11歳からはボクシングを始めた。
父の指導のもと、兄・興毅(こうき)や弟・和毅(ともき)と共にトレーニングをしていた。
しかし、三兄弟の中で大毅は落ちこぼれになってしまった。
兄や弟が一日で身につけられることが大毅は1週間かかったり、砂浜ランニングで自分だけついていけなかったり・・・
父からは『なんでお前だけできないんだ』と言われ、自分の才能の無さを思い知らされる毎日。
「兄に追いつけ、弟に抜かれるな」という、次男特有のプレッシャーに苦しめられる。
ボクシングが大嫌いになり、もう辞めたいと思っていたのだが・・・
「父と兄弟の夢を潰したくない」
その想いがあったため、なんとか踏みとどまっていた。
プロデビュー戦
17歳でプロテストに合格した大毅。
兄の興毅はすでにプロボクサーとして活躍していたため、「亀田興毅の弟」として注目されていた。
『兄のプロデビュー戦は1ラウンド44秒でKO勝利。さて、弟は?』
そんな風に注目され、追い込まれた大毅は、「どうにでもなれ」と開き直った。そして、
「プロデビュー戦で、兄のKO記録を超える」ことを宣言した。
そして大毅のプロデビュー戦の結果は・・・
1ラウンド23秒でKO勝利。周囲からベタ褒めされた。
「亀田興毅の弟」という扱いだったのが、「亀田大毅」個人として扱われるようになった。
しかしこれにより、大毅は調子に乗り始めてしまう。
ビッグマウス発言、ド派手なファッションなど、目立つ行動が増えた。
亀田大毅 vs 内藤大助
デビュー戦から10連勝した大毅。当時世界チャンピオンだった内藤大助に挑戦する権利を得た。
試合をすることが決まると、試合前からビッグマウスで内藤に対する暴言を吐いていた。
そして試合。チャンピオンは強かった。
ラウンドが進むにつれて追い込まれていく大毅。
どうにもならなくなった大毅は、「内藤を持ち上げて投げる」という、反則行為をしてしまう。
そして試合は大毅の負け。
試合後、反則行為やビッグマウスなどの影響で、世間から大バッシングを受けることになる。
謝罪会見
後日おこなわれた謝罪会見で、大毅は何もしゃべることができなかった。そして体調不良のため2分ほどで退席。
病院で「うつ状態」だと診断された。
その後もマスコミが家に殺到したり、過去の発言もさかのぼってバッシングされた。
さらには仲の良かったスタッフにさえも、手のひら返しでバッシングされたという。
これらの騒動の結果、1年間のプロボクシングのライセンス停止という処分を受けることになった。
内藤に直接謝罪
大毅は内藤の自宅に直接謝罪に行った。
そこで内藤はこんなことを言っていたという。
『大毅くんのおかげで俺も注目してもらえた。またスパーリングでもしよう』
器の大きい対応である。
復帰会見
大阪での潜伏生活を経て、ボクサーとして復帰することになった大毅。まずは復帰会見をすることになった。
しかし、毛皮のコートを着て復帰会見に現れた大毅を見て、世間は『こいつ反省してないな』と感じた。
なぜ毛皮のコートを着て行ったのか?
それには理由があった。
同時期に相撲の朝青龍もバッシングを受けていたのだが、その朝青龍が毛皮のコートを着ているのを見て、『俺も毛皮を着よう』と思ったという。
大毅は朝青龍が好きらしい。
世界チャンピオンを目指して
世間から大きく嫌われてしまった大毅。
世界チャンピオンになって世間を見返したいという気持ちがわいてきた。
また、「三兄弟世界チャンピオン」という父と兄弟の夢を現実にするため、トレーニングに打ち込んだ。
その結果、2010年。WBA世界フライ級王座を獲得。
そして2013年。三兄弟同時世界チャンピオンとなり、ギネス記録として認定された。
夢を叶えた、その後
大毅はボクシングをやめようと思った。
ただ、最後に観客が熱狂するような試合をしたいと思い、メキシコで練習に打ち込んだ。
そこで大毅は、生まれて初めてボクシングを好きになれた。
好きになって練習に打ち込んだら、グングン成長した。
そして大きな試合が決まりかけた矢先に、事件が起こる。
左目の網膜剥離(もうまくはくり)
日を追うごとに視界が狭くなっていく左目。最初は疲れているだけだと思っていたが、一向に回復しないため、日本に帰国し検査。網膜剥離と診断される。
手術をし、ある程度は回復したため、試合に挑むことになった。
しかし、試合直前の控え室にて、「右目も見えなくなるかもしれない」という恐怖に襲われた。
生まれて初めて試合を怖いと感じた。
引退を決意
試合後、引退を決意した大毅。
父は言った。
『全然ダメだったお前が、世界チャンピオンにまでなった。ようがんばったな』
大毅の想い
本当の強さとは、弱い自分を受け入れること。
あなたの夢は、家族など他の誰かの夢でもある。
調子に乗って虚勢を張らずに、地道に努力することが大切である。
まとめ
三兄弟の中では落ちこぼれだったと言っていますが、兄と弟が天才だったため、比較すると落ちこぼれに見えるということかもしれません。
世界チャンピオンにまでなったわけですから、ただの凡人ってことはないでしょう。
父と兄弟の夢のために、大嫌いなボクシングをやり続けた大毅さん。
なかなかできることではないと思います。
「誰かのために」
そんな状況でこそ、人は大きな力を発揮できるということかもしれません。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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