芸人になるきっかけ
とんねるずに憧れて芸能界に入ることを決意した狩野英孝。当初は芸人というよりはテレビのスターを目指していたが、ある時、お笑いライブを観て感銘を受け、芸人になった。
ナルシストキャラでLa.mamaのライブに出演していたが、ネタがおもしろいとかではなく、イジられることで笑いを生み出していた。当時、本人はそれが本気で嫌だったという。
2007年 爆笑レッドカーペット
爆笑レッドカーペットというネタ番組のオーディションに行った時のこと。ネタ見せの場に行った瞬間に狩野は不合格を悟ったという。
なぜなら、その3ヶ月ほど前に別の番組のオーディションを受けて不合格になったのだが、その時の審査員と全く同じ顔ぶれだったからだ。
狩野が今回披露するネタは前回と同じもの。合格するはずがない。だがネタを見せた結果、合格。なぜか?
前回と同じネタではあるが、唯一違ったのが服装であった。前回はリクルートスーツを着ていたが、今回は白スーツだった。
それによって、ナルシストのキャラクターがわかりやすくなり、合格につながったという。
2008年 ロンドンハーツのドッキリ
ロンドンハーツという番組のマジックメールというドッキリ企画にかけられた狩野。
意中の女性のために歌をつくったのだが、その歌の一部に口笛を吹く部分があり、そこがおもしろいと仕掛け人たちにハマった。ドッキリスターの誕生である。
ロンドンハーツのプロデューサーによると、狩野にドッキリをかけると予想を超えた反応をしてくれるので、仕掛ける側としてはワクワクするという。また、落とし穴の落ち方が非常に素晴らしいという。
ロンドンハーツで狩野は、50TAという名前でアーティストをやっていた。その際には「メロディ工場の工場長」というパワーワードも飛び出した。
ゲーム実況も大人気
狩野はYouTubeでゲーム実況の配信をしている。
ゲームは下手なのだが、視聴者からツッコミを入れられながらのプレイがおもしろいということで人気が出た。
YouTubeチャンネルの登録者は160万人を超えているという。
まとめ
・狩野はとんねるずにはなれていないが、狩野英孝という唯一無二の存在として活躍している。
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