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自民減らず口党は、便所の糞の如く便器にへばりつくらしい! 単独強行採決は、手前ら自民お得意の手段だっただろう。手前たちがやったときは、欠席するのが悪いと居直ったくせに、他党にやられると、汚いやり口などと、かつての新興宗教の宣伝マンみたいなことをいう。 オーム自民教と名づけてやろう!! もはや、ハルマゲドン到来といいながら、米国のお馬鹿ブッシュが怖くて、サリンならぬ、給油問題を強行採決しようと目論む、自民は、さながらオームのようである。 そういえば、現総理の発言はどことなく、どこかの教祖のようにもみえる! カルト教とつきあってきて、身も心も染まってしまったのだろう。 悪い奴を庇う連中は、悪徳新興宗教団体と同じである。国民には百害あって一利なしといいたい! 米国には、既に捨てられているのに、全く気づいていないKYな内閣も、もう最後にすべきである。今更、米国の意向を通しても後の祭りである。それより、この際、日本の立場をはっきりと見せ付けるべきである。 さらば米国、いまこそ、ノーといえるニッポン復活だろう! 米国の国債を売って、バイバイ、アメリカ!! そして、米国絡みで悪いことした汚職政治家を一網打尽に、牢獄に送り込むべし! なんでも、守屋は、詳細に日記をつけていたというのだから、この際、日記を完全公開すべきである。 もはや、米国しかみていない外交など必要なし! これからは、どうみても米国ではない。これからはユーロ、アラブ、ロシア-中国、そしてアフリカ、インド、つまり、東欧がそれら中心、中枢となって、様々に展開していくだろう。米英は、第3国に没落していくのである。それは物質至上主義が行き着いた死の段階なのである。 米国には、第2、第3のサブプライムリスクが起こってゆくだろう。 それはこれまで、米国が様々に仕掛けてきた、さながら金融時限爆弾なのである。 金融の世界では、リスクがあるほど儲けになる。だから、いつしか、リスクが、セーフティゾーンを超えて一人歩きしてしまうのである。知らぬ間にリスクが、トランプのジャックのように次の獲物に歩みより、切り裂きジャックとして、金融911ともいうべき、サブプライムを発生させる。金融悪魔の誕生である。 米国巨大投資家は、それだけ、世界を不幸にし、その分、自らの欲望に邁進した。 なんのことはない。今度は、米国の幸福分、つまり世界の不幸分のツケを返してもらう番がきたというだけのことである。 ブッシュというお馬鹿な大統領を選んだのは米国人なのである! 選択の自由はあるが、自由には選択の責任が伴うことを忘れてはならない。
2007年11月29日
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このような事柄に、深く現実的な意味があることがわかる。しかし、人間にとって深く現実的な意味は他にもまだあり、グノームとウンディーネの存在を考えれば、いわば、人間の意識の世界と境を接する世界に、これらの精霊は生き、既に、この世の境域の向こう側にいる。 通常の意識は、これらの精霊存在を見ることから守られている。というのも、これらの精霊存在は、本質的に全てが良い性質(種類)のものではないからである。良い種類のものは、以前述べたように、例えば様々な方法で、植物の成長に働きかける精霊存在たちである。 しかし、精霊全てが良い種類の存在ではない。これらの精霊存在たちの活動世界に進入する瞬間、良い種類だけでなく、悪い種類にも遭遇する(人間界と同じ)。これらの精霊のうち、どれが良い種類で、どれが悪い種類か、見分ける方法を修得せざるをえない。しかし、この事は容易なことではない。 悪い種類の精霊の特徴を描写することから、ある程度その区別がわかる。悪い種類の精霊存在たちが、良い種類の精霊存在たちから区別できるのは特に、良い種類は植物界と鉱物界を拠り所とすることが多く、悪い種類は、常に動物界と人間界に接近する傾向にあり、更に悪い種類は、再度また植物界と鉱物界に近づく。 とはいっても、これらの精霊領域の存在たちが持ち得る悪に関して、適切な概念を得るには、高次のヒエラルキア(天使存在)が、本質的に、植物-動物界の為に、良い種類の精霊存在たちに、(役目として)命令したことを、人間と動物に近づき、人間のなかで実行する悪い精霊存在たちに関わり合うときである。 グノーム及びウンディーネの領域に由来する、このような悪い種類の存在たちがいて、これらは人間と動物に近づき、人間と動物に働きかけて、本来なら下等動物たちに付加すべきものを、人間のなかに物質的な方法で、早熟に、実現させる。 これらの悪い精霊たちは、人間のなかにはどのみち、将来、存在する予定にあるものを、早期に、物質的方法で実現させようとし、同時に動物のなかにも同様に行おうとする。 これらの悪い種類のグノーム及びウンディーネ存在たちが、いることにより、人間と動物のなかで、更に下等な動物-植物存在が生きるようになり、寄生生物(ウイルス)となる。このように、悪い種類の存在たちは寄生生物をもたらす。 とは言え、霊的世界へと境界を踏み越えた瞬間、人間はすぐさま、この世界の策略のなかに入り込む。実際、至る所に罠があり、人間は正に小鬼たちから学ばなければならない、つまり用心が必要である。 例えば心霊主義者たちは決して用心することができない。罠は至る所にあり、次のように言える、 「悪い種類のグノームとウンディーネ存在たちが、寄生生物を発生させるなら、そもそも一体、これらは何のために存在するのか」、と。 そう、これらの悪い種類の存在たちがいなければ、すなわち人間は、その脳塊を作り出す力を、自らのなかに発達させることができなかった。さて、このようなわけで、極めて重要なことに到達する。 この事を図的に描いて見る。人間を、新陳代謝-四肢人間、胸-リズム人間、更には頭人間の神経-感覚人間として、3つに大別して考えるとき、明白に理解すべきことは、胸人間の下部で、プロセスが進行し(胸のリズム人間は除外する)、胸人間の上部でも、やはりプロセスが進行することである。 胸人間の下部で生じるプロセスを一緒にすると、本質的に、通常生活において大抵、誤解を生じさせる。この誤解を生んでいるプロセスは、排泄プロセスであり、腸を通じての排泄、腎臓を通じての排泄他、下へと流出する全ての排泄プロセスのことである。 この排泄プロセスは大抵、通常生活では、単なる排泄過程としか見られていない。しかし、これは馬鹿げたことで、排泄する為に、排泄プロセスがあるのではなく、上部で、物質的な脳が出現するのと、同じ量の排泄物が、下部人間の中に脳に似た霊的なものとして出現するのである。下部人間で生じていることは、物質的発展に関しては道の途上中途半分に止まっている。 下部の排泄は、物事が霊性へと移行するからで、上部では、いわば排泄プロセスは、物質的に完了し、下部で、霊であるものが、上部では物質的に形成される。つまり、上部に物質的な脳を、下部に霊的な脳を持っているのである。 そして、下部で排泄されるものを、更なるプロセスの下に置き、その改造を続けていくなら、最終的な変容は、人間の脳となる。 人間の脳塊は、更なる形成を受けた排泄物である。これは、例えば医学的関連においても、途方もなく重要なことで、16、17世紀においては、まだ当時の医師たちにはよく知られていたことである。 今日(1920年)では、かつての「汚物薬局」として、軽蔑されて当然な部分もあるが、非常に軽蔑的に語られている。しかし、それは、汚物のなかにこそ、いわば霊のミイラが存在する、ということを知らないせいである。 勿論、だからと言って、かつての数世紀に汚物薬局として、出現したものを崇拝するわけではない。丁度、ここで述べたような深い関連を持つ、多くの真実を指摘する。 脳は、全くの、排泄物の高次の変容体である。従って、脳の病気は、腸の病気と関連し、脳の病気の治療は腸の病気の治療と関連する。 グノームとウンディーネがいて、本質的にグノームとウンディーネが生きることのできる世界があり、力が存在する。 勿論、グノームとウンディーネは、下部人間から寄生生物を発生させることもできるが、同時に上部人間のなかで、排泄物を、脳に変容させる切欠にもなる力となる。もし世界が、グノームとウンディーネが存在するように作られていなかったら、全く脳というものを、人間は持つことはできなかっただろう。 破壊の力に関して、グノームとウンディーネに当てはまる(破壊、解体は、やはり脳から生じる)が、構築力に関しては、ジルフェ(シルフ)存在と火存在(サラマンダー)に当てはまる。 これまた同様に、良い種類のジルフェ(シルフ)存在と火(サラマンダー)存在は、人間から距離を置き、以前示唆したやり方で、植物の成長に関わるが、悪い種類のものも存在する。 悪い種類のジルフェ(シルフ)存在と火存在(サラマンダー)は、特に上方、つまり空気-熱の領域にのみ存在すべきものを、下方の、水、土の領域へと運ぶ。 さて、例えば、これらのジルフェ(シルフ)存在が、上に向かうべきものを、上の領域から下の水及び土の要素の領域へと運び下ろすときに生じるものを研究するなら、ベラドンナ(1)をみればよい。ベラドンナは、その花が、ジルフェ(シルフ)にキスされ、そのために良い汁で有り得たものが、毒液に変化してしまった植物である。つまり、この場合、領域のズレと呼べることが生じる。 前回描写したように、ジルフェ(シルフ)が巻き付く力を発達させ、そのとき人は、文字通り光に触れられるが、上方ではこれは正しく、鳥の世界を必要とするからだが、ジルフェ(シルフ)が下降し、そして植物界に関して、上方に適用すべきことを下方で用いると、強い植物毒が生じる。(1)ベラドンナ:和名セイヨウハシリドコロ。ナス科の多年草。葉は卵型、葉の付け根に暗褐 色の花をつけ、黒色の液果を結ぶ。全体にアトロピンなどのアルカロイドを含み猛毒。瞳孔を拡大させる作用があるため、ルネサンス時代のイタリアで、瞳を大きく見せる美用法としてこの植物が用いられたことがあり、ベラドンナ(Belladonna 美しい婦人)という名前はそこに由来すると言う。非常に希釈して(最低でも原液の千万分の一の希釈)ホメオパシー療法でも用いられる。ベラドンナの特性と人間への作用については、『精神科学と医学』(GA312)第19講での説明も興味深い。
2007年11月29日
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次いで、火存在たち(サラマンダー)に話をうつすと、火存在の場合は、蝶の儚い本性を補足する。蝶は、いわば自らの物質体を出来る限り作り出さないように、蝶はその体をできる限り希薄にする。蝶は、(物質)体に対しては、全くの光存在である。 火存在たちは自らを、蝶の身体を補完する存在として示し、従って、次のような印象が得られる。 「一方に、物質的な蝶を見、相応に拡大した蝶を考え、他方に、火存在を(火存在たちが一緒にいることは稀で、以前述べた場合だけである)見て、蝶と火存在を、互いにつなげると、翼を付けた人間のような姿、実際、翼を付けた人間が得られる」、と。 ただ蝶を相応に拡大し、火存在を人間の寸法に合うように見る必要があるが、翼を付けた人間、つまり天使の姿が得られる。 この事はまた、火存在たちが、実際、本質的に霊存在の一番近くにいる、この動物存在(蝶)の補足をしていることを示し、その補足は、下向きの四肢を補う補足である。 グノームとウンディーネは上向きの、頭部の補足であり、ジルフェと火存在は、下向きの四肢を、鳥と蝶に補足する。だから、火存在は蝶と組み合わされる。 ところで、人間は、いわば睡眠中の夢への沈潜と同様の方法で、目覚めた昼の生活にも沈潜することができる(白昼夢)。 昼の生活では、人間は全く無骨な方法で、物質体を用いることは、「ゲーテアヌム」誌の論文のなかで記述したが、昼の生活では、人間は、次のようなことを洞察する段階までは、全く到達していない。 その洞察とは、「昼の生活のなかに、常に、火の存在たちを見ることができ、火存在たちは人間の思考と、頭の組織から発する全てと、内的な親和関係にある」、ということである。 だから、人間が、完全に目覚めた昼の意識にあり、しかも、ある意味、(自我が)自身の肉体の外にいる状態になれば、全くの理性的存在となり、両脚で確実に大地に立つことになる。 同時にしかも、自我が、肉体の外にいる(つまり当人であると同時に当人に相対する存在、すなわち自己自身を思考存在として客観的に観察できる)状態になるので、そのとき人間は、火存在たちが宇宙のなかで、もし、火存在たちを知覚できれば、思考を、別の側から知覚可能にし、思考を元素霊(火の存在たち)が構成するのを認識する。 このように、火存在を知覚することは、自己自身を思考者として見ることに導き、単なる思考者として、思考を発展させるだけでなく、思考プロセス(経過)の観照に導く。 ただ、このとき、思考は、人間に結び付くことをやめ、このとき、思考は、自らを宇宙思考として呈示し、思考は宇宙における衝動として、思考自身がまるで生きたように活動する。 このとき人は気づく、「人間の頭は、あたかも、頭蓋内部に、思考が閉じ込められているかのような幻影を、呼び起こしているにすぎない」、と。 思考は、ただ頭蓋内部に反映しているだけで、それは思考の鏡像である。思考の根底は、火存在の領域に属する。この火存在の領域に入っていくと、人は、思考のなかに自分自身を見るだけでなく、宇宙の思考内容を、本質的に、同時に霊視的内容である思考内容を見る。 つまり、この霊視的内容は、自己自身から出ていく力であり、思考を、宇宙思考として呈示する力である。だから、次のようにいえる、 「人間の身体ではなく、火存在の領域から、つまり、いわば地球に入り込んでいる土星の本質から、地上に見ることができるものを眺めると、『神秘学概論』で、地球進化(2)について記述した通りのイメージが得られる」、と。 この『神秘学概論』の内容は、火存在の視点から見て、思考が宇宙思考として現れてくるように描かれている。 (2)『神秘学概論』の地球進化:第一講参照のこと。
2007年11月28日
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あまりに真面目腐ったものばかり書くのも考えもんなので、たまには、軽いお調子ものの文も書くことにするのら~(軽すぎか?)。 実はちょっと気になる「トリック」というドラマのことである。 この間、「トリック」の第三弾があるのかどうとかという目くらましの予告からして、まるで「トリック」そのものの「トリック」祭りにのせられ、魅せられ、みてしまった! が、しかし、なんとも、「続きますん」とか訳の分からない例の刑事コンビの〆の後、寿司なんとかという、どーでもいいドラマの予告をみせられ、ボー呆然とするうちに、上田-山田のお馴染みの会話のやり取りが、何処からか聞こえてきたので、以下に書く。 山田「あら、上田さん、ご結婚おめでとうございます!」 上田「ユーか! いや、まぁあな、どうしてもというんでなぁ、一流の学者が、いつまでもシングルというわけにもいかんだろう」 山田「あれ、結婚できない男と呼ばれていたのは気のせいですか?」 上田「何をユーか! どうしてもというのなら、ユーも、愛人3.15…号にしたやってもいいんだぞ!!」 山田「誰がお前の愛人なんかなるか、円周率チョップ!(上田を殴る!!)」 上田「お??、それより殴られたついでに、ユー、結婚のご祝儀はないのか?」 山田「え~い、これが円周率パンチのご祝儀だ!! 裏切り者めぇ~!!!(上田をまた殴る)」 上田「おっと、相変わらず、金の無い奇術師の芸か、しかし変わってないな。だから、嫁の貰い手がないんだぞ! 最近は誰でもビーム放ちまくって、女王様気分か?」 山田「上田、それはお前のキャラに合わせたせいだ! 一豊の内助の功キャラももっているぞ! いまでは、大奥だって牛耳っているんだ。だからいつまでも、馬鹿な手品師をやらせておくな。この山田のキャラは、上田お前の全責任にある、だから御祝儀どころか、こっちが貰いたい位だ、だから数百万ほど金をくれ!」 上田「悪いが、バブルでゴーで金を使いすぎ、お前に払う金など、宇宙の特異点となって消えてしまった!」 山田「上田、ガリレオに先を越されてるぞ!」 上田「ガリレオ?、はぁ、あんな三流学者に、なぜ一流の俺が、ドンチョ1、2…」 山田「ドンとこい、探偵ガリレオの視聴率っ!!」 上田「う~ん、探偵ガリレオ、月曜9時か? やはり、貧乳奇術師より、柴崎コウだな!」 山田「覆ズラ刑事もいないぞ! 隣のチャンネルで、すっきりまるっとお見通し」 上田「しかし、あの覆ズラ刑事のキャラは捨て難いが…?? タイアップで、ガリレオ福山と勝負というのはどうだ! TV局の周波数は物理という知性で越えても、壁はあついな」 と、覆ヅラ刑事のドラマ漫才から、山田-上田のドラマ漫才まで、トリックの白昼夢に魘される私であった…。
2007年11月27日
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巷であまりに話題なので、風邪で寝込んだついでに、松本清張の「点と線」のドラマをみた! たけし演じる主人公の正義感と、仕事への責任感が実に感動的で、実際、現実に存在したのかを考えると、甚だ疑問だが、対照的に、悪徳代議士や悪徳商人、悪徳官僚の方は、いまでも、現実に存在することは、明白に感じられた。 実際、現在の国会に妙にダブるからである!! つまり、このドラマを、悪の現実性が、善の虚構性を取り繕っているようにみさせる背景には、現在の至る処での悪の蔓延が、それを如実に証明しているようである。 警察は国民の為に仕事をする! 悪を捕まえるのが警察の仕事だ! 非常に泣ける言葉ではある。しかし、現実は、是とは逆で、警察は汚職政治家の下請けで、悪をのさばらせるのが警察の仕事である。 いまでは、警察官の不祥事が連日賑わい、政治家の不祥事など、あまりに日常茶飯事なので、めまぐるしく移り変わる株価のように味気のないものとなっている。数十年前までは、国会への証人喚問と聞けば、いかに悪徳政治家でも、多少は戸惑い、震え上がったが、いまでは、国会そのものを、まるで小馬鹿にするような振る舞い横暴である。 証人喚問を受けている方が、正当な答弁も無しに、証拠をみせろなどとは、言語道断だろう。どちらの責任が疑われているのかの見識もない馬鹿者が、国会議員(しかも大臣である)をやっている御時世なのである。開き直りもいい加減にして欲しいものだ! かつてなら、疑いをかけられた時点で、不徳を感じ、切腹するのが武士の習いである。身の潔白を命を差し出す代わりに証明するのである。いまや、開き直る始末だから、呆れて世も乱れ出す! 点と線のような刑事は、死滅し、悪党の尻尾切りさえも、生き残り、皆悪党同士が庇いあって、ついに、誰もが皆が悪党の世である。悪党の大きさで、悪の加減で、判断するらしい。呆れてモノもいえないが、国会はいま悪党の巣窟であることは確かであろう。悪党同士が大連立というのも、笑わせるね。 かつて、キリストが、エルサレムの神殿を、悪党の巣窟と呼んだが、まさしく、いま、日本の政府、国会は、悪党の巣窟である!! 最後にはっきりいっておく、この世に生を受け、一度として死ななかった者などいない。 いかに、強固な権力、地盤をつくろうとも、死を前に必ず崩れる運命にある。 死の上に、いかに生を貪っても、死の宿命をかえることなど、できはしない。 馬鹿な政治家たちよ! いかに富と名声を求めようとも叶えられることはなく、ただただ奪われるだけである。それが大きければ大きいほど、強ければ強いほど、益々、奪われ、崩されていく。後にはただ、虚しさだけが残る。 汝が出来ることは唯一つ、大衆の目の前で、罪を告白し、赦しを請うことである。 それとは逆の、死を前にして、生にしがみつく振る舞いこそ、その虚しさの象徴であり、醜悪なものはない。魂は、恐怖に怯え、恐怖に耳を塞ぎ、恐怖に目を奪われ、恐怖にただただ屈する。 地獄に入る勇気のない者は、天国の門前はもってのほか、永遠に地獄を巡る他なく無間地獄へと至るだろう。 死んでもまだ、自分のしたことに対する怨みや弱み、しいては復讐の念が至る所から、自分の処へと向かって来るだろう。永遠に死神に怯え、死神と暮らし、死神を克服することができない。 いま死神に勇気をもって決別できなければ、いつできるというのだろうか? 負債は、借金のように益々膨れ上がるぞ! この世の富が、あの世の借金となる!! 政治家よ! はっきりといっておく! 悔い改めるべきときに、悔い改めなければ、もはや悔い改める機会さえも失ってしまうと! 汝は、死神の虜となるのか? 憐れなり獣よ! せめて安らかに眠れ!
2007年11月27日
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しかし、人間が、夢のない深い眠りに入るとき、その眠りを、霊聴力により見通せるなら、霊眼(心眼)の前に、入眠時の、グノームたちが埋葬し、隠した、アストラルの海から、浮かび上がるのが、ウンディーネ存在たちであり、ウンディーネたちは、深い眠りのなかで、人間の心の眼にうつるようになる。 その深い眠りは、通常の(覚醒)意識を消し去り、霊聴により明白になった意識が、ウンディーネの生成する液体の世界を、つまり、あらゆる可能な形で、ウンディーネたちの変容を隆起し、驚異の液体の世界を、その内容にする。 丁度それは、昼の覚醒意識にとって、堅固な輪郭を持った固体の存在が、周囲にあるように、この夜の明白となった意識は、ウンディーネたちが絶えず周囲を動きまわり、自身がいわば1つの海のように波立ち、また沈んでいく存在を見せる。 完全に深い眠りは本質的に、人間の周囲に、活発に動く生物たちの海、つまりウンディーネたちの波立つ海の存在により満たされる。 しかし、またジルフェの場合、このウンディーネとは事情が異なる。ジルフェの場合、またある形で、ある種の動物存在の補完を行うが、ウンディーネとは、別の方向性において補完する。 グノームとウンディーネは、頭部を欠く動物たちに、頭部に相当するものを付け加える。 さて、鳥は、以前述べたように、本来、全く純粋な頭部存在で、鳥は、頭部組織そのものといえる。ジルフェは、いわば頭部組織に対する肉体的補完として、鳥に欠けているものを、霊的な形で、鳥に付け加える。つまり、ジルフェは、人間でいう、新陳代謝-四肢系の生体組織の領域を、鳥類に補足する。 鳥たちが脚を縮めて、空中を飛び回ると、その分一層、ジルフェたちの四肢は力強く形成され、牛が下位の物質性のなかに示すものを、逆の意味の霊的な形で、空中に示す。だから、以前、ジルフェたちは、鳥類のなかに自我を持ち、鳥類は、ジルフェを大地に結びつける、ということができた。 人間は、自ら地上で自我を獲得するが、ジルフェを、大地に結びつける自我は鳥類である。ジルフェが、自我を、少なくとも自我の意識をもてるのは、鳥類の御蔭である。 さて、人間が夜眠り込んで、様々なウンディーネのフォルムから形成されるアストラルの海に囲まれ、そして目覚めるとき、目覚める前の夢を見るなら、この目覚めの際の夢もまた、人生の回想や体内の臓器の比喩という仮面をつけなければ、いわゆる仮面のない夢を見るなら、人間は、ジルフェの世界と直接対峙することになる。 人間にとって、ジルフェたちは奇妙な姿をとってみえる。ジルフェは、太陽が何かを送り出すとき、しかも本質的には、厄介なある形で人間に作用し、人間を霊的に眠らせ、まるで霊の睡眠薬を注ぎ込む様子をする。その理由は、すぐに後に述べる。 やはり人間は、もし、このジルフェの仮面無しの目覚めの際の夢を知覚するなら、その夢のなかに羽ばたきながら入り込む、本質的に、羽ばたきながら、入り込んでくる光を見る。人間は、その光を不快に感じ、ジルフェたちの四肢が、いわば絡みつき巻き付くように感じる。 人間は、光が四方から、攻撃してくるように、光が襲ってくるように、光に対して酷く過敏に感じる。人間は、至る所を、光が撫でていくようにも感じる(目が覚めるとき、一瞬、光が眩しく感じる瞬間だろう)。 以上の全てが示唆するのは、人間を支え、手探りする(調べる)、光が、本質的には、ジルフェの形(フォルム)をとって近づくということである。
2007年11月27日
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「ゲーテアヌム」誌(シュタイナーの人智学協会の雑誌)で、丁度、夢に関して著述したこと(1)を思い出せば、夢とは、本質的に、その真実の姿を、通常の(覚醒)意識の前に現わすことはなく、夢(白昼夢)は、いわば仮面をつけて現れる。勿論、入眠(睡眠)時の夢も仮面をつけている。(1)「ゲーテアヌム」誌で、夢に関して著述したこと:ルドルフ・シュタイナー「魂生活について。I、夢の薄闇のなかの魂の本質」参照。この著述は最初週刊「ゲーテアヌム」(1923年10月21日、第III巻、第11号)に掲載された。全集版では『現代文明の危機の最中におけるゲーテアヌム思想。1921年から1925年の論文集 GA36』349頁以下に所収。 昼間、通常の(覚醒)意識での体験へと、直ぐに、抜け出せないような、人生の追憶や、記憶像、もしくは、心臓がストーブ、肺が翼等と、シンボル化されるような、内部の臓器のシンボルや比喩等が、夢の仮面である。 人間が、夢を仮面なしに見るなら、人間が、睡眠へと参入し、実際、夢の世界に入り込み、もし、その世界にいる存在たちが、仮面をつけなかったら、その人は、丁度、睡眠中に、小鬼(グノーム;土の精霊)たちの群を見る。その人に向かって、小鬼たち(グノーム)がやってくる。 しかし、人間は通常の(覚醒)意識の為に、このグノームたちがやってくるようなことを、準備無しに、知覚することを免れている。もし、準備もなく、仮面をつけずに、グノームが正体を現わすならば、どんな人間も怯えてしまうからである。 というのも、グノームたちが、人間に向かってくる姿のなかに、形成される体験は、当人においては、破壊力として働くもの全ての、実際の写し(コピー)だからである(米国で有名な、宇宙人による人体実験の体験は、恐らく、この精霊グノームをみてしまったものと思われる。また宇宙人に限らず、鬼に襲われたり、怪物に追っかけられたり、地底人にさらわれたりといった夢の多くが、この精霊グノームとの遭遇に解釈できる)。 人間は、自らのなかの破壊力として働くもの、絶え間ない解体力全てを、同時に、自らの本質のなかに、知覚する。そして、これらグノームたちを、準備無しに知覚するなら、文字通り、死のシンボル(象徴)となる(死神というところか?)。 グノームに関しては、通常の知性では、全くの無知だが、眠り込む行為そのものは、実はグノームたちが、眠り込もうとする人に、向かってきて、いわば埋葬するようにみえる。というのも、眠り込む行為とは、グノームが、向こうのアストラル界(あの世;霊界)で、その人を、いわば埋葬するように見えるからであり、だから、人間は、グノームを前にして途方もなく怯えるだろう。 眠りに入るとき、生じることは、向こう(あの世)から見れば、グノームたちによる一種の埋葬だからである(ガリバー旅行記の、小人たちのガリバーを縛った仕打ちを彷彿とさせる)。 さて、このグノームの埋葬は、本質的に、眠りに入る瞬間だけにあてはまることである。 物質-感覚世界を、更に補うのは、ウンディーネ、つまり、水の精霊存在たちで、この存在は絶え間なく、変容し続け、グノームたちが地と共に生きるように、水と共に生きる存在である。 これらウンディーネたちも(ウンディーネが植物の成長において、いかなる役割を果たすかは学んだが)、補完する存在として、多少、低次より高い段階にある動物たち、分化した土の体(進化した物質体)を受け取った動物たちと関係する。 後に高等な魚類、或いは高等な両生類へと成長する、これらの下等動物たちには、鱗(うろこ)のような、何らかの硬い甲殻が必要である。これらの生物には、外に硬い殻が必要で、この外側の支え、いわば、この外骨格を、昆虫のような、特殊な動物たちに獲得させるための力としての存在を、宇宙はウンディーネの働きに委ねている。 グノームは、全く下等な動物たち(軟体動物)を、いわば霊的に支える。外から保護されるべき動物、例えば甲殻に覆われる必要のある動物を保護する覆いは、ウンディーネの働きによる。ウンディーネは、(人間の)頭蓋冠のなかにある同じ力を、原始的な形で、多少高等な生物たちに付与する。 ウンディーネは、これらの動物たちを、いわば(自らの)頭部にする。可視世界の背後に不可視世界として存在する精霊たちの世界は、宇宙関連全体の存在のなかで、大きな使命を持つ。 唯物論的科学が、もし、今取り上げたような種類のことを解明しようとするなら、至る所で、その無力さの露呈をみるだろう。 唯物論的科学は、例えば、下等生物たち(軟体動物)が、その生物体のなかで生きる元素霊より、硬い骨格をもたないのに、どうやって、その硬い元素霊を伴いながら、自由自在に移動できるのかを解明できない。なぜなら科学は、丁度、ここで説明したような、グノームによる霊的な支えという存在を知らないからである。 他方、甲殻に覆われるという事実も、純粋に唯物論的科学をして、解明困難にしているのは、ウンディーネたち自身が、下等動物になることに対して過敏になり、回避するうちに、鱗その他の甲殻として、多少高等な生物に被せられるものを、自身から切り離していることを知らないからである。 これらの精霊存在を、今日の人間の通常の意識が、例えば、植物の葉や、多少高等な動物たちを見るように、見ることを妨げているのは、正に肉体である。
2007年11月26日
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前回、現存する自然の別側面(霊界)について、目に見える感覚的自然の存在と出来事に、超感覚的で不可視の存在として、付き従う霊的存在(精霊)たちについて述べた。 古代の霊能者は、感覚的存在たちを見るのと同様に、現存する自然の背後にある、超感覚的世界の存在たちに対しても目を向けていた。 今日では、これらの霊的存在たちは、いわば人間の観照の前から退いてしまった。とはいえ、このようなグノーム、ウンディーネ、ジルフェ、火の精霊(サラマンダー)といった民が、動物、植物、或いは物質的-感覚的世界のように知覚できないのは、人間が地球進化の現時点で、魂の本質を、物質体、エーテル体の支援なしには展開できないせいである(アストラル体に目がない、つまり心眼がない、ちなみに、アストラル体は東洋哲学でいう「心」にあたる)。 人間は、地球進化の正に現状において、魂を用いるには、エーテル体を、霊性を用いるには、物質体を用いることを、余儀なくされている。霊性の為に道具を提供する物質体、感覚器官は、物質世界の根底をなす存在たちとの結びつきを得ることはできない。人間のエーテル体も同様で、人間は、自らを魂存在として展開する為に、エーテル体を用いるからである。 その為、人間からは、本質的に、地上環境の知覚の半分が失われていることになる。前回述べた、あの元素存在たちが、取り巻く全ての環境の知覚が、人間から、失われている。物質体、エーテル体は、その存在に近づくことはできない。 このようなグノーム、ウンディーネなどが、そもそもいかなる存在なのかを、明白に理解すれば、現代の人間からは失われてしまった知覚に関する理念が獲得できる。 その霊的存在たちを考察するには、下等動物の大群、いわば柔らかい塊だけから成り、液体元素(要素)のなかで活動し、液体元素(要素)のなかで生き、どんな骨格も、つまり内部に、その支えとなるものを何も持たない生物たちを考える必要がある(軟体生物)。 これら下等生物は、地球の最も、後になってから出現した生物の1つで、最古の地球存在である人間が、頭部の構造に関連したことを、古い土星紀間に行ったことを、進化した今の地球紀で、はじめて行っている。そのため、これらの下等生物は、骨格の土台となれる、硬化を内部に形成するには至っていない(骨をもたない)。 さて、グノームたちは、この下等動物の世界、その上部に、骨格の徴候らしきもの(特に魚類)を、備えるだけの両生類と魚類までを含み、この下等動物の世界に、欠けているものを、宇宙において、いわば外的に、霊的な形で補完する存在たちで、従って、いわば、この下等な動物段階は、グノームが存在することにより、ようやく1つの全体となる(グノームが、下等生物の行為を補完する)。 宇宙での存在たちの関係は、ともかく非常に多様多彩なので、他ならぬ、この下等な存在たちとグノームたちの間では、前回、反感と特徴づけたものが働いている。グノームたちは、この下等な存在たちのようになりたくない(だが、反感をもちながらも、その存在を補完せざるをえない)。 この下等な存在たちの姿をとることから、グノームは絶えず身を守り、このグノームたちは、以前から描写したように、並外れて賢く、知的な存在である。知覚と共に、知性も与えられ、実際、全てにおいて下等動物の世界の対極をなす。 グノームは、前回、特性を述べた植物の成長にとって、重要な意味を持つ一方で、下等動物の世界に対しても、実際にその不足を補っている。グノームはいわば、下等動物の世界に、この下等動物界が持っていないものを付け加える。この下等動物界はボンヤリした意識をもつが、グノームたちは極めて明るい意識をもっている。 この下等動物界にはしっかりした骨格、骨の土台がない。グノームたちは、重力全てを束ねて、とでもいうような、ほんの束の間のわずかな重力から体を形成する。もっとも、この体は、束の間であるため、崩壊する危険、その実質を失う危険に常に曝されている。グノームたちは、繰り返し繰り返し、重力から自らを作り出さねばならず、なぜなら、グノームは常にその実質を失ってしまう危険に曝されているからである。 その為、グノームたちは、自身の生存を維持するために、自分の周囲で起こることに絶えず注意を払っている。地球を観察しても、このグノームほど注意深い存在はいない。グノームはあらゆることに注意を怠らず、自分の命を救うためには、あらゆることを知り、あらゆることを理解する必要があるからである。グノームは常に目を覚ます必要があり、よく人間が眠くなるように、グノームが眠くなったとしたら、たちまち、その眠気のために死んでしまう。 絶えず注意を払う必要のある、このようなグノームの特性を、実際非常によく表している、太古に由来するドイツの諺がある。 「小鬼(グノーム)のように、注意深くせよ」、というものである。 小鬼というのはグノームのことに他ならず。つまり、誰かに、気をつけるようにと、警告するとき、その人に、次のように言う、「グノームのように注意深くしろ」、と。 グノームは本当に注意深い存在である。もし、見本として、グノームを、可視化し、例えば、学校のクラスの最前列に座らせることができたら、グノームは生徒たち全員が見習うべき優秀な存在となる。 このような特性以外に、グノームたちは更にまた別の特性も持ち、実に克服しがたい、自由の衝動に満たされている。 グノームたちは、いわばお互いに、あまり関わり合いを持たず、本来、別の世界、周囲の世界にのみ注意を払っている。グノームは別のグノームに対して、あまり興味を示さない。けれども、自分が生きている、この世界で、別のグノーム以外の、自分を取り巻く環境全てには、特に興味を持つ。 さて、肉体というものは本来、このようなグノームのような民を知覚する妨げになる。肉体が、もはや、このような妨げをしなくなった途端、自然の他の存在たちが目に見えるのと同じく、このような存在たちが存在するのがわかる。そして、入眠時の夢を完全に意識的に体験できる段階まで行った人は、このグノームたちをよく知る。
2007年11月22日
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庶民が生活苦に喘いでいるというのに、昨今の政治家は、なんと非人間な輩だろうか? このような政治家全て、豚箱送りにしなければ、社会はよくはならないどころか、益々、悪くなり、後輩に全くの示しがつかない。 「記憶がない」などとほざいているのなら、他の人の記憶から、記憶を構築してやればいいだけの話だろう。本人が記憶を放棄しているのだから、記憶のある者が、つくってあげればよいだけだろう。証人喚問で、それを否定するのなら、記憶がある証拠で、偽証罪に問えるのではないだろうか? この国の総理も馬鹿で、あのような会合なら、政治家の誰でも参加しているとほざいている。だったら、総理も一緒に証人喚問すべきだろう。悪を庇うのは、本人も同罪ということを意味している。つまり、同じ穴のムジナなのである。 このような悪党がいる限り、日本はどんどん悪くなることはあっても、けっしてよくはならないだろう。 挙句の果てには、妖怪と呼ばれるいつまでたっても精神的に幼稚な、節度をしらない連中が、権力を権威を振りかざして、介入してくる。全く、何様のつもりなのだろうか? 天皇気取りもいい加減にして欲しい! 金銭や名誉欲ばかりの無能内閣の連中は、いますぐにでも豚箱送りにすべきである。でないと、死後、後悔して泣き付くのは、当人なのだから。 国民を不幸に貶めて、自分だけ富を貪る獣のような連中は、もはや死んでいるとしかいいようがない。自分が何をしているのか理解する能力すらないのである。米国の悪いマネばかりして、米国の悪党投資家に洗脳されて、人間の理性を売ってしまったのだろう。 恥知らずの政治家たちよ! 顔もみたくない。オランウータンのような顔や、狸や狐のような顔、マントヒヒもいるし、さながら、国会は動物園、動物にはいかにも失礼なので、獣園と呼んでおこう。獣は、地獄で、痛い目に会わないと、どうやら自分のやっている罪が理解できないらしい。 このような連中は、もはや十字架を背負うに足る資格すらないらしい。本人の自覚がないのだから、耳を自ら塞いでいるに等しい。神々が国民をして証言台に立たせていることを理解していないのである。光の当たるうちに真実を告白すべきである。でないと、一生、いや永遠に、彷徨う闇の存在となるだろう。 今日も、どこかの大臣が、無くなった記録を調べるのは神でもできないなどと神を冒涜するような発言を行っている。イスラム社会では、このような発言はさぞ袋叩きだろう。全知全能の神にできないことはない。神は必ず、その軽口の偽証発言に報いを下すだろう。本人の怠慢を神のせいにするな! このような連中は、もはや、最後の審判を待つのみなのだろう。アーメン! 最後にはっきりと言っておく、神の御前で、偽の証言をする者は、人類全体を裏切る行為である。もはや人類とはいえないので、神の正当なる証の為に、偽の証言の責任を取らされるだろう。 そして、神々は言うであろう。「選択したのは汝なり」と!
2007年11月22日
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本来、人間は、意識下において、花咲き芽吹く植物と共に、何か特別なものが存在することを予感するので、植物存在を、秘密に満ちたものに感じる。勿論、この秘密は、いまだ暴かれず、驚くべき神秘から、蝶の鱗粉が払い落とされていない。 物質的な植物だけでなく、植物の力を最初に押し上げ、宇宙を、直接理解し、正に知性を形成するグノームの世界の驚くべき作用が、地下にあることを感じるとき、通常、植物が、人間を魅了し、癒す秘密は、一層、驚異に満ちた予感や憧れ、叡智を、人間に与える。 いわば人間の知性が、重力に屈しないように、脳の重さを感じることなく、脳が持ち上げられるように、グノームは、その光輝く聡明さにより、大地的な重力を克服し、植物を押し上げる。 グノームは(地)下で、生命を準備する。しかし、生命は化学機構により、かき立てられることがなければ死滅してしまう。化学機構をもたらすのはウンディーネである。更に光が、これに浸透しなくてはならない。 下から青黒い色調で、グノームから発して、重力が上方へと弾み返り、上昇するのが見え、植物を取り巻いて、飛びまわり、葉のなかに、ほのめくウンディーネの力が、植物の成長により、素材を混合、或いは分解する力が見える。 上方からは、ジルフェ精霊により、植物のなかに光が刻印され、ジルフェは可塑的形態を作り出し、また理想化されて下降し、大地の母胎へと受け入れられる。 更に、また植物のまわりを、火の精霊たちが飛び交い、小さな種子の粒の中に宇宙の熱を集め、種子の力と共に、グノームのところまで下ろされ、グノームは地下で、火と生命から植物を誕生させることができる。 また更に、大地の反発力、密度が、根本的に、いかにグノームとウンディーネの両生類と魚に対する反感に基づいているかがわかる。土の密度が高いとき、この密度はグノームとウンディーネの反感であり、反感によって、この精霊たちは自らの姿を維持する。 光と熱が地面に下降するとき、同時に、共感の力、担い手であるジルフェの、大気中に運ばれる愛の力が出現し、そして担い手である火の精霊の、自らを下降させる傾向のある供犠の力が出現する。だから、次のように言うことができる、 「地の密度、地磁気、地の重力が、上を目指し、苦闘することにより、下を目指してくる愛-供犠の力と、大地の上方で一体化する」、と。 そして、このように、下へと流れ込む愛-供犠の力と、上へと流れる密度、重力が混じり合って作用することで、共作用することにより、両者が出会う地面の上方で、植物存在が、宇宙の愛、宇宙の供犠、宇宙の重力、宇宙の磁力の共同作用の外界への出現である植物存在が生育していく。 この事は、人間を魅了し、高揚させ、楽しい気分にさせる植物界に眼差しを向けるとき、重要なことを教えてくれる。 我々人間は、物質や、(通常の)感覚に、霊性や、超感覚を付け加えて、観ることができてはじめて、植物界を見通すことができる。 同時にまた、唯物論的植物学の大変な誤謬の、あたかも花の上で受精が起こっているかのように思う、誤謬の修正をも可能にする。花の上で起こっているのは受精ではなく、大地の母胎のなかでの、植物の本来の受精の為に、前もって準備されるもので、植物の男性的な(雄性の)天の種子が、用意されるだけなのである。 真の受精は、大地のなか、霊的意味において奥深く、密かに行われるのである。
2007年11月21日
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本来、この事から、植物の成長全体が、いかにして生じるか、容易に理解できるだろう。まず地下で、火の精霊から、もたらされた種子に助けられて、グノームが植物に生命を与え、上方へ押し上げ、グノームは生命の担い手となる。グノームたちは、自身その生命の中で生きる、生命エーテルを根に運ぶ。 更に、植物のなかでは、ウンディーネが化学エーテルを、ジルフェが光エーテルを、火の精霊が熱エーテルを養い、熱エーテルの果実が、地下の生命エーテルと結びつく。だから、植物を理解するには、植物の周囲を飛び交い、活動し、生きるもの全てとの関連で、植物を観察するときだけ可能となる。 更に、植物における、最重要なプロセスの正しい理解には、霊的な手法で参入して初めて到達できる。 ウンディーネが化学エーテルの作用、ジルフェが光エーテルの作用、火の精霊が熱エーテルの作用を、植物のなかにもたらし、グノームにより、化学エーテルと光エーテルと熱エーテルが、生命エーテルとして融合し、三位一体の創造活動が行われる。 この事がわかると、興味深いことに、ゲーテの覚え書きに再会できる。その覚え書きで、ゲーテは、ある植物学者に結びつけ、植物の上部での永遠の結婚(3)に関して、人々が語るのに対して、酷く腹を立て、批判したのである。3;永遠の結婚:ゲーテ「進行。飛散、蒸発、滴化」参照。J. W. ゲーテ『自然科学的論文集』所収。ゲーテ『自然科学的論文集』5巻は、キュルシュナーの「ドイツ国民文庫」において、シュタイナーにより編集され註釈を付された(1884ー1897)。復刻版 ドルナハ1975 GA1a-e 第一巻 163頁 草原一面が、植物の結婚で溢れかえっているなどと思われていることに対して、ゲーテは腹を立てた。ゲーテにとって、唯物的科学がいう受精は、不自然で、その思いは、本能的に非常に確固とした感情であった。ただ、ゲーテにはまだ、受精の真相を知ることはできなかったが、唯物的科学のいう受精が全くの出鱈目であるという、本能的に非常に確固たる感情を持っていた。 ゲーテは、その本能から、花の上で受精が起こっていると言われるのが理解できなかった。ただ、まだ、地下で起こっていること、大地が、植物の母胎であることは知らなかった。しかし、花の上で起こっていることは、植物学者たちの誰もが、みなしている受精の概念ではない、とゲーテは本能的に感じた。 さて、霊的認識において、植物と大地との密接な関係を理解できたが、また別の点にも、目を向ける必要がある。 花の上で、火の精霊があちこちと飛び交い、特に、葯の花粉を媒介するとき、火の精霊たちは、ある感情しか持たず、その感情は、ジルフェの感情に比べて、より高貴な感情である。ジルフェたちは鳥が飛び交うのを見、自らの自己、自我を感じ取る感情である。 火の精霊たちは、蝶の世界に向かって、昆虫全般の世界に向かって、自我を更に高める。そして、火の精霊たちは、子房に、熱の伝達を引き起こし、昆虫の後を追いかけるのを最も好む。 理念的形態と、結びつくために、地中へと入って行く、凝縮された熱、この熱をもたらすために、火の精霊たちは、蝶の世界、そして昆虫の世界全般に対して、非常に親近感を持つ。 火の精霊たちは、花から花へと飛び交う昆虫の後を、あらゆる場所で追いかけ、花から花へと飛び交う昆虫たちを追いかけ、実際、その光景をみると、人間は次のように感じる、 「花から花へと飛び交う昆虫たちは、どれも全く特殊なオーラをもつ、このオーラは、昆虫だけでは、全く説明がつかないものである」、と。 特に、花から花へと飛び交い、一瞬、キラキラと不可思議な光を放ち、ほのかに煌めく玉虫色のオーラを持つ蜂を、そのオーラについて説明するのは極めて困難である。 それはなぜか? といえば、蜂という昆虫が、あらゆる場所で、火の精霊に伴われているからで、火の精霊たちは、蜂に非常に親近感を持っているので、蜂がいると、霊視すれば、蜂が、火の精霊のオーラのなかにいるのが見える(この形姿が、まるで天使の姿にみえるという)。 蜂が植物から植物へ、樹から樹へと空中を飛ぶとき、蜂は、本当は火の精霊から与えられたオーラと共に飛んでいる。火の精霊は、昆虫の存在のなかに、自らの自我を感じるだけでなく、昆虫と完全に結びつこうとする。 しかし、火の精霊が昆虫と結びつくことにより、昆虫の方も、微光を放ち、宇宙へと自身を示す力を獲得する。 火の精霊と昆虫が結びつくことにより、昆虫たちは、自分に結びついている物質的質料を、完全に霊で浸透させ、霊が浸透した物質を、宇宙空間へと放射する力を得る。 炎のなかで、光を輝かせるものが、熱であるように、物質的受肉へと下降させるように、人間を惹きつけるものを、昆虫たちが、宇宙空間に放射するとき、地球の表面に昆虫たちがいて、宇宙を貫き、周囲を飛び交う、火の精霊たちを貫いて、この放射行為へと燃え上がらせ、導いている。 そして、火の精霊たちは、一方では、火に浸透された質料を、宇宙へと流入するために活動し、他方では凝縮された火、凝縮された熱が、大地の内部に入り込み、ジルフェとウンディーネから、地中に滴下された霊の形態を、グノームに助けられて、植物として、呼び起こすように作用する。 この事が、真の植物の成長の霊的プロセスである。
2007年11月20日
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ジルフェは鳥の姿を好ましく思っている。とはいえ、ジルフェは宇宙の秩序により、鳥になることを妨げられている。というのも、ジルフェには別の務めがあるからで、ジルフェの務めは、愛の中で光を植物にもたらすことである。 ウンディーネが化学者であるように、ジルフェは植物にとって光の担い手である。ジルフェは植物に光を浸透させ、植物の中へと光をもたらす。 ジルフェが植物のなかに光をもたらすことにより、植物のなかに全く独自のものが作り出される。ジルフェは絶え間なく光を植物のなかに運び入れる。光、すなわち植物のなかのジルフェの力は、ウンディーネが植物のなかに移動させる化学力に働きかける。 ここで、ジルフェの光とウンディーネの化学の共同作用が起こる。それは奇妙な可塑的活動である。 上方へと流れ、ウンディーネに加工された素材を助けに、ジルフェはその中に理想的な植物形態を光から織り上げる。 ジルフェは実際、光とウンディーネの化学的作用から、植物のなかに原植物を織り出す。 そして、植物が秋にかけて萎み、物質素材が全て塵と化すと、この植物のフォルムが、滴り落ちていき、グノームが知覚する。 宇宙が、つまりジルフェを通して太陽が、ウンディーネを通して大気が、植物に引き起こすものを、グノームは知覚する。 従って、グノームたちは、冬の間中ずっと地下で、植物により、土壌のなかに滴り落ちるものを知覚するのに忙しい。このとき、グノームたちは、植物フォルムのなかの宇宙理念を捉える。その理念はジルフェに助けられて、可塑的に形成され、精神(霊)-理念の形態をとって、土壌のなかに入っていくものである。 植物を、単に物質的に、物質として観察する人々は、この精神-理念の形態に関しては、無知であることは言うまでもない。従って、唯物論的植物学に登場する知識は、物質的な植物観察に関する大いなる誤謬、恐るべき誤謬に他ならない。この誤謬を以下にざっと述べる。 唯物論的科学が、次のように記述する、「植物は、土壌に根付き、地上に葉を広げ、最後に花を咲かせ、花のなかの雄蕊(おしべ)、雌蕊の子房、そして一般的には、他に植物の葯(やく、ひぐさ)がある。雄蕊から花粉がもたらされ、雌蕊の子房が受精(受粉)して新しい植物の種子ができる」、と。 以上のように記述されている。いわば子房が女性的なものとみなされ、雄蕊からやってくるもの(花粉)が男性的なものとみなされ、受精が、唯物論に止まる限り、異なった見方をもつことはない。確かに、このプロセスは、一見、受精のように見えるからである。 ところが、この見方は間違いで、受精一般、植物の生殖を洞察する為に、意識すべきものは、第一に植物のフォルムで、偉大な化学者ウンディーネが引き起こし、ジルフェが引き起こすものから生じる理想的な植物のフォルムで、このフォルムが、地中に沈下し、グノームに守られる、ということである。 この植物のフォルムは下方にあり、これをグノームが見て観察した後で、この植物のフォルムはグノームにより、地中で大切に守られ、土が、滴り落ちてくる理念の母胎となる。ここには、唯物論的科学が記述する受精とは全く別のものがある。 植物は上方で、ジルフェの領域を通過したあと、火の元素の精霊たち(サラマンダー)の領域に至る。 この火の精霊たちは、熱-空気的なものを住処とし、地熱が最高度に上昇するか、適当な状態になると、熱を集める。ジルフェが光を集めたように、火の精霊(サラマンダー)は熱を集めて、植物の花のなかにもたらす。 ウンディーネは植物の中に化学エーテルの作用をもたらし、ジルフェは植物のなかに光エーテルの作用をもたらし、火の精霊(サラマンダー)は植物の花の中に熱エーテルの作用をもたらす。 そして、花粉は、熱を乗せて、種子の中にもたらす、いわば小さな空気の舟を、火の精霊(サラマンダー)に提供する。 火の精霊(サラマンダー)は、花糸の助けをかり、至る場所から熱を集め、花糸から子房のなかの種子へと運ぶ。そして、火の精霊より、この子房のなかに形成される全体が、宇宙からやって来る男性的(植物の雄性)のものとなる。 唯物的科学がいうように、子房は女性的な(雌性の)ものではなく、花粉の葯も、男性的な(雄性の)ものではない! (唯物的科学がいうように)、そもそも、花のなかで受精が生じるのではなく、花のなかでは、単に男性的な(雄性の)種子が形成されるだけである。 本来、受精として機能しているものは、一方で、宇宙万有の熱から、火の精霊たちにより、花のなかに、宇宙男性的な種子として、取り出されたものであり、他方で、種子から形成される植物の理念として既に、予め(前もって)土壌のなかに展開され、宇宙から滴下され、土壌の中に安らぎ、保管されている(グノームたちの)女性的なもの(植物のフォルム)と、1つにされることである。 受精;火の精霊の宇宙男性的な種子-土の精グノームの宇宙女性的な植物のフォルム(理念) 植物にとって、大地は母であり、天は父である。地上の外(界)で生じる全て(唯物的科学のいう受精)が、植物の母胎ではない。植物の母性原理が、雌蕊の子房のなかにあるなどと考えるのは、とてつもない誤謬である。 子房のなかにあるのは、火の精霊に助けられて、宇宙から取り出された男性的なものに他ならず、母的なものは、樹皮や木質部に向かって広がっている植物の形成層から、理想的形態として植物にもたらされる理念である。 そして、グノームの作用と火の精霊(サラマンダー)の作用との共働から生まれるものが、受精である。 根本的に言って、グノームたちは植物の生殖の霊的な産婆である。そして、受精は冬の間、地下で起こり、種子が地中に送り込まれて、ジルフェとウンディーネの作用からグノームが受け取った形態(理念)に出会うように、受精を準備する種子に、形態(理念)が出会うようになるまで、グノームは、この形態(理念)を運ぶ。 人々が、精霊のような霊性に無知なため、植物の成長とともに、グノーム、ウンディーネ、ジルフェ、火の精霊(以前は、サラマンダーと呼ばれていた)が、いかに活動し、生きているかを知らないために、植物界での受精という出来事についての理解が全く不明瞭となっている。
2007年11月19日
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空中に鳥が見えると、ジルフェには、全く特別な存在がやって来るように感じる。この感覚は、人間にとっては、人間の魂においては、自らを「私」と呼ぶように導く事象に類似したものである。 この事は、ジャン・パウルの言葉(2)を喚起させる、 それは、「人間が最初に、〔私〕というイメージ(表象)に辿り着いたときは、まるでヴェール(覆い)をかけられた魂の至聖所を、覗き込んだときである」、という言葉である。 2;ジャン・パウルの言葉:ジャン・パウル Jean Paul 本名ヨハン・パウル・フリードリヒ・リヒター 1763-1825 家庭教師、作家、詩人。 ジャン・パウルの著作『ジャン・パウルの生涯の真実』(第一小冊子、ブレスラウ1826 2回の講義 53頁)に基づく。字義通りには「非常に幼い頃、ある朝、私は家の戸口の下に立って左の木材の層を見ていた、突然、私は" 私"である、という内なる視覚が、天からの稲妻のように私の前に訪れ、以来ずっと輝きながら止まった。このとき、永遠に、私の自我がはじめて自己自身を見た。思い違いではない。どんなに珍しい物語も、ヴェール(覆い)をかけられた人間の至聖所で起こる事件、ただ新鮮な体験というだけで、あんなにも、ありふれた付随状況まで記憶を止める事件には、後から、何かを付け足して干渉することなどできない。」 ジルフェは自分の魂の、このようなヴェール(覆い)をかけられた至聖所を覗き込むわけではないが、ジルフェは鳥を見ると、「私」という感情が、ジルフェを襲うように思える。鳥が空中を飛翔し、自ら呼び起こすく空気の形状構造のなかに、ジルフェは、私(自我)を見出す。 そして、外界に、私(自我)を点火する為に、ジルフェは、大気の空間を貫く宇宙的な愛の担い手となる。ジルフェは、同時にまた、例えば人間の「希望」のように生きるが、私(自我)を、自分の内部に持たず、鳥の世界のなかに持つことにより、宇宙万象を貫く愛の希望の担い手となる(ジルフェは鳥に自らを委ねることで、利己主義から解放され、犠牲の愛の精神となる)。 だから、鳥の世界へのジルフェの深い共感に目を向ける必要がある。 グノームが両生類の世界を憎んでいるように、そしてウンディーネが魚に対して過敏で、いわば魚に近づかず、魚から離れたがり、ある意味、恐怖を感じているのとは逆に、ジルフェは、鳥の方へ出向き、漂い、響きを発する空気を、鳥の羽に乗せて、運べると、心地良さを感じる。 もし、鳥に、鳥の囀る歌を、誰に習ったのかと尋ねるなら、鳥は次のように応えるだろう、 「私に霊感(インスピレーション;霊聴力)を与えるのはジルフェです」、と。
2007年11月15日
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空気-熱要素のなかに生きる霊的存在は、古代の霊能者の霊視術において、ジルフェと名付けられた存在たちである。 暖かい気体要素のなかに生きる、これらジルフェたちは、空気が光に浸透されている為、光へと押し進み、光に親和し、特に、気圏内部の精妙で、大きな運動の影響を受ける。 春か秋に、飛翔し、空気に体を躍動させ、運動し、空気の形状構造を引き起こす、燕の群をみるなら、燕の運動による、空気の形状構造は、個々の燕にも備わっているが、この空気の形状構造は、ジルフェにとって感覚的に聴き取られる。 この空気の形状構造から、ジルフェに宇宙の音楽が鳴り響く。例えば、船に乗り、カモメが飛ぶのをみるとき、カモメの飛翔によって、呼び起こされた空気の形状構造のなかに、船旅の伴奏をする、ジルフェの霊的な響き、霊的な音楽がある。 更にまた、この響きのなかで、自らを広げ、展開し、この鳥により呼び起こされた、空気の形状構造に、故郷を見出すのも、ジルフェである。霊的な響きを発しながら、揺り動かされた空気要素のなかに、ジルフェは自らの故郷を見出し、光の力が、この空気の振動のなかに送り込むものを受け取る。 この事により、ジルフェは、鳥が空中を通過する処はどこでも、最も慣れ親しみ、我が家のような感じを持ちながら、基本的にはジルフェ自身としては、眠っている存在となる。鳥のいない空中を飛ぶことを強いられると、ジルフェは、まるで自分自身が失われたかのように感じる。
2007年11月14日
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ウンディーネたちは水の要素のなかで生きるが、ウンディーネが本当に内なる満足を感じるのは、水の表面で、滴(しずく)や液体の表面にいるときである。というのも、ウンディーネは、魚の姿にならないように、魚の姿になり続けないように、苦心して身を守らなければならないからである。 ウンディーネは、常に変容し続けたいと思っていて、永遠に絶えることなく姿を変えていきたいと思っている。ウンディーネは、無常に変化しつつ、星々や太陽、光や熱を夢見ているが、この変化において、ウンディーネは、グノームの力により、上方へと押し上げられた植物を、葉から発して、植物を更に形成させる化学者となる。 このように植物は葉を成長させ、植物が成長していくなかに、ウンディーネの夢としての、秘密の全てが明かされる。 しかし、ウンディーネの夢のなかへの成長と同じく、植物は更に上方の別の領域へと入っていき、グノームが水-土要素のなかに、ウンディーネが水-空気要素のなかに生きるように、今度は空気-熱要素のなかに生きている精霊たちの領域へと向かう。
2007年11月13日
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大連立、大連立といいながら、民主潰しの国民ウケ、米国土産の阿りでしかない、阿呆政治家たち、そんなに米国が怖いのなら、日本を捨てて、竹中のように、米国にいったらよいだろう。全くチンケな小連合、それは連合でさえなく、悪党の癒着体質そのものである。 まるで明治維新の元勲たちに自らを擬えて好い気になるのも、国民には傍迷惑な話である。 当時は、欧米列強に植民地化されるかという瀬戸際にいたから、やり方が非常に不味くても、国民独立の精神の為になったので、大目にみられたが、その後の元勲たちの退廃ぶりは、結局、軍部を独走させ、事実上、米国の植民地となってしまった! 日米関係は、一度、解消すべきときに思える。日本人は、米国人の悪い処ばかりを真似しているし、米国政府は、金銭面では、日本に恫喝と強請りのおんぶに抱っこだから、国際社会では、したたかな二枚舌外交の仏蘭西を除いて、もはや反米傾向、機運が徐々に高まりつつある。 国際社会は、確かに911の事件に対して、米国に同情したが、それは米国政府ではなく、米国国民に同情、共感したのである。その事を逆手にとって、米国政府の国益につなげようなどというのは、言語道断である。強請りタカリのオレオレ詐欺もんである。世界が怒るのも無理はないだろう。このようなことをしていたら、誰が米国と友好関係を築こうと思うだろうか? いま、アジアの何より、武装解除が目的なのは衆目一致なのである。武装解除に必要なのは、解除に応じる相手の名誉、沽券を保つ事にある。強引に軍隊を送って略奪し、自分たちの政体を移植するものではない。 日本に求められるのは、武力よりも仲介や調停であり、精神的な交流や取引き、つまり武士道なのである。ただし、戦う武ではなく、鉾を収める武、つまり、利己主義を納める武である。なにより、これは忍耐を求められ、国際的な空気を感じないといけない。武蔵の無刀流である。 その為には、朝鮮統一が課題となるだろう。大国の利権問題にならないように、ロシアと、米国は遠ざけるべきであろう。なにより、ロシア、米国は、まず、欧州支配から完全に独立すべきである。ロシアは仏蘭西、英国、米国は、英国、最近では仏蘭西、このような大国を操って利権を獲得するような本来、小国な国とは距離を置くべきである。それよりも、自国の大量な庶民や国民の生活を向上させることが基本であろう。とにかく、自国の貧富の差をなんとかすべきである。 日本は、所詮小国なので、欧州のように、連合していく必要がある。しかし、米国、つまり英国には、これまで、何度となく煮え湯を飲まされてきたのである。このような意味で、米国は、英国から独立していない。その証拠は、ニューヨ-クをみればわかる。いまだに、英国の西インド会社なのである。 米国は自由、自由と唱えるが、英国から押し付けられた自由にすぎない。キリスト教だって、英国から押し付けられたものなのである。何処が自由なのか、真剣に考えるべきだろう。 米国政府は、自国民の叫びや嘆きを聞くべきである。 そして、武力的なことは度外視して、アジア版国際連合をつくるべきであろう。上海機構が、経済結束だが、課題となるだろう。 そして、日本は、アジアの中立裁判国になるべきである。憲法第9条の精神にも最も該当する。21世紀は闘争や紛争をなくす時代なのである。この事は、天から求められていることである。その証は、昨今の異常気象でわかることだろう。 異常気象には、国民がなにより一致協力し結束して助け合う必要があるからである。争う国には、異常気象が荒療法だが、救いになる。
2007年11月11日
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20世紀最後に、ノストラダムスの大預言として、以下の詩が有名になった。 1999と七の月 空から恐怖の大王がやってくる アンゴルモアの大王と呼応し マルスが幸せに統治するだろう では、秘教により解説していく。 1999と七の月- 1999年から七の月まで、七の月とは、7ヶ月ではない。これは、恐らく、地球の進化数を表すものと思われる、だから、777まで、ということになるだろう。 秘教的解釈でいえば、777とは、人類が、三種の神器(マナス、ブッディ、アートマ)を手にいれ、神々の一員に加わる進化数を表す。進化数とは、進化段階に応じて、割り当てられた数で、地球の進化、人類の進化、文化度合等、いわば、東洋でいう易を表す。 ヨハネの黙示録にある悪魔666とは、666の進化数を表し、人類が、神々の道へ進化する間、通過しなければいけない進化段階のことでもある。 だから、1999年から、進化数777まで、悪の大王の支配を受ける宿命にあるということなのである。1998年は、天空のグランドクロス(天体の十字架)が成立した年である。地球が、十字架刑に入った試練の年といえるだろう。地球は、十字架刑にかかったキリストになったのである。 空から恐怖の大王がやってくる- 恐怖の大王とは、アーリマンのことに他ならないように思われる。アーリマンは、地球に自らの王国をつくりあげようとするといわれている。詳細は前回に譲る。 アンゴルモアの大王と呼応し- アンゴルモアの大王とは、太古に皇帝として、中国に受肉した堕天使の悪魔ルシファーだという。つまり、悪魔アーリマンは、かつての悪魔ルシファーを蘇らせるべく、地球にやってきたというのである。 マルスが幸せに統治するだろう- マルスとは、火星であるが、火星は、戦争、闘争の象徴で、秘教では、一時、火星は危険な状態に陥ったという。いまでは、安定し、幸せの星に変わりつつあるが、この詩の意味では、アーリマンの得意な科学技術の事を指し、軍神を象徴しているのだろう。 つまり、生と死の秘密の開示、これは端的には遺伝子技術を指す。次に、精神医学、予防医学だが、これはウイルス感染医療技術や、ウイルス兵器を差す。そして、最後に律動学だが、これは、インターネットの情報技術のことを指すのだろう。 だから、1999年から、人類の最後まで、アーリマンとルシファーの悪魔たちは、これら科学技術を用いて、人類を支配するというのである。
2007年11月10日
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あるHPから転載 三千年紀初頭(AD2000年)のアーリマンの受肉 オリフィエルの時代の暗さ、悲惨さ、残酷さが「どれほど深刻なものになるか」は、三干年紀初頭に受肉してくるアーリマンに対して、人智学運動がどこまで意識的に対決しながら、前進し、人類がアーリマンに屈伏・拝跪していくのを防ぐことができたかによって、変わってくる。 「ミカエルは、アーリマンの龍を足下に踏みつけている」。 オリフィエルの時代には深刻さが増強するとはいえ、オリフィエルの時代に戦い抜かれるべき戦いは、すでに今、このミカエルの時代にはじまっている、ということをはっきりと意識化しておく必要がある。 アーリマンは受肉してくる(西洋のある大物;私はロックフェラー家だと睨んでいる)。アーリマンの受肉は、必然的で不可避なことである。大切なのは、「受肉してくるアーリマンは、何をしようとしているのか」を見抜くこと(認識すること)である。 「受肉してくるアーリマンが何をしようとしているのか」は、受肉したアーリマンが勝利する為の準備として行っていることを見ていくと、かなりのことがわかってくる。具体的な詳細は、シュタイナーの『悪の秘儀』(イザラ書房)を参照。 ここでは、身近な具体例として、その一端をなしている超テクノロジーの問題をとりあげる。 NHKスペシャル「世紀を越えて」や「サイエンス・アイ・スペシャル」などをご覧になっている人は、90年代に様々なテクノロジーが凄まじい勢いで開発され、社会的に実用化されつつあることを知って、驚異と同時に脅威を感じているのではないだろうか。 日本政府が遅れを取り戻そうと躍起になっているインフォメーション・テクノロジーやバイオ・テクノロジー、ナノ・テクノロジー、オプト・テクノロジー、ロボット工学等の開発と研究者たちによって夢みられている未来予想像には、驚きの目を見張らされる。 「臓器移植が更に簡単に行えるようになり、人工臓器の開発が更に進めば、悪くなった臓器を次々に新品の臓器に取り換えていけるようになる。そうすれば、人間は、長年の夢であった不老長寿を実現できる。肉体を不死にして生き続けられるようになるかもしれない」と嬉しそうに語る研究者。 「すでに外科治療は、内視鏡手術の実用化まできた。ナノ・テクノロジーの開発が進んで医療器具が作られるようになれば、細胞1つ、1つを治療対象にしていくことができる。そうすれば、癌などの治療は、飛躍的に進歩する」と期待を満面に浮かべる研究者。 「オプト・テクノロジーの研究の急速な進歩によって、太陽光発電の効率は飛躍的に高くなってきている。石油を燃やす電力供給は、もうすぐ終わるだろう」と予測を語る(「これで、環境問題は解決される」と胸を張る)研究者。 「バーチャル・リアリティーの精度と解像度がもっと高くなれば、ヨガの修行者や臨死体験者が見たと語る死後の世界をバーチャル・リアリティで鮮やかに体験することもできるようになるだろう。その為には、バイオ・コンピュータが必要だと思いますけど」と語る研究者。その他、その他。 これらの中でも極めつけは、K・エリック・ドレックスラーをリーダーとして開発されているナノ・テクノロジーの1つ、「細胞マシン」である。これは、人間の細胞のなかで蛋白質が行っていることを人工的に再現して、「物体を一度原子に戻し、原子を組み立ててあらゆるモノを作り出す」機械の開発である。 「網胞マシンというのは、石ころでもゴミでも何でもいい。それらを一度原子に戻し、その原子を設計図どおりに組み立てていって、クルマでも、テレビでも、家具でも、何でもお望みどおりのモノを作りだせるナノ・マシンです。だから、細胞マシンが完成すれば、人間はこれまでの労働からまったく開放されることになります。早ければ2015年までに、遅くとも2050年までには、完成できると確信しています」と語られている(『ナノの楽園』工作舎、参照)。 このミクロを超えたナノのレベルで進行している様々な超テクノロジーの開発が目指しているのは、何なのか。簡潔に言えば、生(労働)の苦・病の苦・老の苦・死の苦からの開放である。 「生・病・老・死は苦である」とは、地上に生きて仏陀が発見した地上の真理でした。「夢幻[マーヤー]であるこの地上の世界において、唯1つ真の現実であるものがある。それが死なのです」(シュタイナー「霊的観点から見た宇宙の進化」)から。 だけど今、アーリマンは、人間を「生・病・老・死の苦」から開放し、地上を「生・病・老・死の苦のない楽園」にしようとしている、ということができる。そして、この「楽園」が、まさに今、この地上に実現される時が近づきつつある。 けれど、その「楽園」は、抽象的な概念と感覚的イメージによって再現された人工的現実[バーチャル・リアリティー]の日常世界化であり、「精神的魂的生命が死体化された死の世界」であり、精神的、魂的には虚無の空間に過ぎない。 「アーリマンは、人間を地上の世界に閉じ込めようとしている」という言葉が、このような形で地上の現実になろうとしている。仮に、研究者が語っていたように「不老長寿が実現される」なら、人間は死の時を引き延ばし、そのため死後の世界で、地上で成し遂げた成長に見合った神々の叡智を受け取る機会がなくなってしまう(最後の審判を受けないので、宇宙進化から除外される)。 「ほとんどの病気が、ほとんど苦痛のない細胞1つ、1つの治療によって治せるようになる」としたなら、過去生における罪・過ちによって不完全になった魂を、カルマの力によってもたらされる苦しみ・痛みによって完全なものに浄化していく機会がなくなってしまう。 「生・病・老・死の苦がない」とは、カルマの働きが妨害・阻止されることであり、魂は頽廃・腐敗を深めて不完全になっていくばかりになる、ということである。 「アーリマンは、地上を生・病・老・死の苦のない楽園にしようとしている」と聞いても、50年代~80年代にかけて様々に語られてきたサイエンス・ジャーナリストの未来予想に幻滅と失望を味わされてきた人は、信用しないかもしれないが、ここまで紹介してきたのは、地下(霊界でいう地獄界)にあるアーリマンの学院で教育されて地上に受肉してきた人間が、受肉してくるアーリマンの勝利の準備の為に行っていることにすぎない。 アーリマンそのものは、これらの超テクノロジーの開発を踏まえながら、もっと凄いことをやろうとしている。それを知れば、「アーリマンは、地上の楽園をつくろうとしている」という言葉が、現実味を帯びてくるだろう。 地上の人間に受肉したアーリマンが、善意から人間に教えたがっているのは「ゴンディシャプールの三つの知恵」である。 ゴンディシャプール(アラビアの科学として有名)の三つの知恵の第一は、誕生と死の秘密の開示である。第二は、真の精神医学、予防医学である。第三は、エーテル体の振動を機械に移して機械を動かす力にしていく律動学である。 ここで注意すべきなのは、ゴンディシャプールの三つの知恵の教授と実用化には、多くの人間がエーテル的霊視をおこなえるようになり、エーテル体の力を恣意的に操れるようになる、ということが前提になっていることである。 アーリマンは、アーリマンが地上に設立する学院で壮大な魔術を行い、自我・魂が、それに相応しい成長・成熟を遂げていない人間に、エーテル的霊視力を与え、エーテル体の超感覚的な力を、地上的・肉体的・感覚的な欲望の実現・享受のために使うように唆そうとしている。 これについて、シュタイナーは以下のように語っている。 「正しい時期にアーリマンが西欧世界に受肉するならば、アーリマンは巨大な秘儀の学校を設立するだろう。この秘儀の学校では極めて壮大な魔術が行われ、それ以前では、苦労により獲得できた、あらゆる技術が、人類の上に注ぎこまれることになる。 ここで、『地上に降りてくるアーリマンが一種の悪魔のような姿をして、人間に可能な限りの悪を働く』等という俗物的な考え方をしてはならない。それは間違いである。「精神科学について何も知りたくない」と言う不精な人たちは皆、アーリマンの魔力に負けてしまうだろう。 というのも、アーリマンは壮大な方法で、魔術によって非常に多くの人間を霊視者にすることができるからである。アーリマンは個々の人間を恐ろしいほど霊視的にする。しかし、どのように霊視的になるかは、個々の人間で全く異なっている。(「アーリマンが受肉すると何が起こるか」松浦賢訳『悪の秘儀』イザラ書房p201~202) アーリマンの壮大な魔術の力によって人間が霊視者になり、エーテル体の超感覚的な力を恣意的に操れるようになり、ゴンディシャプールの三つの知恵を教授され、超感覚的な力を地上的・肉体的・感覚的な欲望の実現と享受のために使うように唆されるとしたならば、「生・病・老・死の苦のない楽園」は本当に地上に実現されると考えられる。 オリフィエルの時代のあの深刻な暗さ、悲惨さ、残酷さは、人智学(精神科学)を学ぶことを拒否した人たちが、アーリマンに負けて、「生・病・老・死の苦のない楽園」の実現を歓迎し、気持ちよく、楽しく、享楽的に生きてしまったことの結果である。だからこそ、「オリフィエルは怒りの大天使となって、人間を強引に浄化する」のである。 アーリマンの受肉、そして、ゴンディシャプールの三つの知恵の教授に対して、人智学運動はいかに対決し、何を為すべきか。 ゴンディシャプールの三つの知恵の第一の誕生と死の秘密の開示に対しては、人間は、実際にアーリマンやルシファーと意識的に対決できるようにならなければならない、ということである(キリストのように受難死を受け入れること)。 第二の真の精神的医学の開示に対しては、人間は、目に見えないものに対する絶対的な道徳意識を育成していかなくてはならない(霊性の獲得)。 そして、第三の律動学の開示に対しては、人間は、完全にエゴイズムを克服した社会秩序を人類の極めて広い範囲に生じさせていかなくてはならない(他者の不幸の基に自らの幸福を追求しないことで、他者の幸福の基に、自らの幸福を追求すること)。 これらは、ミカエルの時代のミカエルと人智学運動の課題と使命そのものである(白い龍に乗ること。龍の使い手になること)。 アーリマンの受肉が人類に突きつけているのは、人智学運動を「いわゆるマイ・ペースで、自分の趣向に合った形で」やっていくのではなく、人智学運動の世界史的な使命を自覚して引き受け、受肉してくるアーリマンとの意識的な対決を自分の内なる戦いとして戦い抜きながら、残された時間・限られた時間の切迫性を目的意識性の強化に転化しつつ前進していかなくてはならない、ということである。 ここまできて、やっと、「ミカエルの考え」とは何かという問いに、1つの答えを出すことができる。簡潔に、一言で語れば、 「ミカエルの考え」とは、「自由になった人間よ、私に従い、キリストとの深い結びつきをもって、アーリマン領界から脱け出る道を見出せ!」ということである。その道を、ミカエルは指し示している。
2007年11月10日
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あるHPから転載 ミカエルの(太陽の)輝く統冶は、次には、暗い、恐るべき時代に取って代わられる。その時代は、2400年頃にはじまる。今日においても既に、ミカエルと時を同じくしてマモン(アーリマン)という暗闇の神が自らの力を明らかにしている。 マモン(アーリマン)は、単なるお金の神ではない。マモンは、全ての低次の、暗い力の支配者なのである。マモンの群れは、人間の魂を攻撃するのではなく、人間の物質体をいわば貪り喰い、破壊するのである。 この暗黒の時代がやってくると、兄弟の間に争いが起こり、兄弟の間に戦争が起こる。貧弱な人間の肉体は、衰弱し、恐ろしい病気と災難の犠牲になる。罪の徴が、人間の肉体の上に非常にはっきりと刻印される。 オリフィエルは、人間を揺さぶり、恐れさせ、苦しませ、自らの本当の使命に気づかせる為に、やって来るのである。 ミカエルの導きの下で、霊的生活に参加(参入)しようとする衝動を感じる人は、ミカエルに仕えるように要請され、ミカエルから学ぶ。これが、オリフィエルの恐るべき統治の下で、高次の存在に仕えることに対する準備なのである。 霊的生活に自らを捧げたいと思う人に、供犠が要求される。霊的生活を探求する人は、喜んで自己犠牲を捧げることができなければならない。 しかし、最も暗い力がその凶暴さを発揮する時は、同時に、最も明るい光が輝く時でもある。 オリフィエルは、過去においてリーダーシップを発揮したことがある。近い昔でいえば、それはキリストが、この地上に現れた時のことである。その時代は、最悪の堕落と頽廃が、この地上の全てを支配した時代であった。その時、人類を揺さぶり、進化させるために、恐るべき犠牲が支払われた。オリフィエルは、怒りの大天使と呼ばれてきた。オリフィエルは、人類を強引に浄化させるのである。 キリストが神殿で両替商を鞭打つ話は、深い意味を持っている。人類の歴史における最も暗いこの時代に、キリストは人類を救済するために現れた。オリフィエルの統治は(AD)104年後に終わり、アナエルの統治に取って代わられた。それからはザカリエル、次にラファエルの統治が続いた。ラファエルは、ルネッサンスの時代を統治していた。 16世紀から1879年までは、ガブリエルが統治した。それからミカエルがリーダーシップを引き受けた。2400年頃オリフィエルの順番が再びやってくる。 そして、まさに、「時は満ちた!」と霊光が、暗闇のなかに燦然と輝くであろう。キリストが、再び地上に現れる。しかし、その時、キリストは違った姿で現れる。人類の使命は、キリストを受け入れ、キリストに仕えることである。 (シュタイナー講演「ミカエル・光を放つ太陽」1905年12月ミュンヘン 友正剛訳)
2007年11月10日
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バックミンスターフラーの書籍を読むと、米国の歴史が、まるで、家系史、家族史のようにわかる。 米国国家は、英国エリザベス女王により、インドの東インド会社に対して、西インド会社として、植民地政策支配の下に誕生した。歴史は繰り返すというが、似たような手口は、後にイスラエル建国の際にも、用いられた。 第2次世界大戦は、イスラエル建国の為に、人為的に起こされたらしい。この事は、ヒトラーナチス政権の重要幹部の証言であるらしい(恐らくアイヒマン)。ユダヤ人迫害は、イスラエル建国の地にユダヤ人を集める為だったというのである。 そもそも、英国も仏蘭西国も、バイキング、つまり海賊、乗っ取り屋の血筋なのである。だから、狩猟民族というよりも、強奪民族なのである。その証拠は、英国の国旗である、ユニオンジャック(乗っ取り組合)が示しているところである。仏蘭西は、フリーメーソンにより革命され、弱められた。 遙かブリテンの地は、スコッテッシュ、つまりスコラ学派が開拓した地だったようである。スコラ学派は、秘教学徒、つまり、プラトンの教えを引き継ぐ徒弟であったようである。古くは、秘教学徒は、騎士の階級制度で、その教えの理解度を表したという。その証が、どうもクロムレックという有名な遺跡にあるらしい。 さて、米国であるが、米国の建国をみると、聖書のアベルとカインを思い出すのである。カインは、神に愛されたアベルを嫉妬して、殺してしまうのである。そもそも、人類の悪は、ここからきているという。つまり、嫉妬である。 自らの無知により、神に愛されていないと錯覚し、神に愛された者を憎み、嫉妬し、殺してしまい、乗っ取ってしまう行為である。米国は、アベルである先住民を殺し、カインとなったわけである。 米国大陸の発見は、史実では、コロンブスによるインド(と思った)大陸発見が有名である。しかし、いまでは、コロンブスよりも、前に、すでに発見されていたことは周知の事実である。なぜに、インドが、西洋で、夢の国とされたのであろうか? マルコポーロは、なぜ、東方見聞録で、黄金の国ジパングを記したのだろうか? 秘教では、我々のポストアトランティス時代は、古代インド文化からはじまるとされている。古代インド文化の源流をつくったのは、聖書のノアの箱舟のノアであるという。ノアはアトランテイスの大破局(水没)を免れ、インド近辺に7人の弟子を引き連れて隠遁したという。 つまり、我々のポストアトランティス時代の文化である黄金の担い手は、古代インド文化から始まったのである。マルコポーロはそれを唯物的に記したにすぎない。 西洋は、神々に愛されたノアの古代インド文化、東洋、つまりアベルを嫉妬したのである。インドに憧れ、誰しもが当時、インドを目指した。そして、インドをわが掌中に収めんとし、略奪、つまり植民地政策がはじまる。 聖書では、アベルは殺され、セトが代わりに、アベルの系統を受け継ぐ、アベルの系統とは、神々に愛された血筋で、祭祀の家系なのである。アベルが死んだことで、アベル、真の家系は、霊界に移ったのである。真の祭祀を示す十戒を納めた契約の箱アークは、天にうつされ、隠されたのである。そして、代わりに、セトが地の祭祀家系として存続するのである。 ちなみに、アークが隠されたので、もはや、人類には、霊界を見通せるかつての霊能力を失ったのである。 そして、カインの系統が、アベルに取って代わり、地を支配したのである。カインの系統とは、石工である。つまり、神殿建設者である。地には、多くの建築物が構築されるにいたるのである。 カインの系統は、何より建築好きである。科学技術も、石工に属する。英国は、カインの系統が支配し、そして、西インド会社を植民地米国につくり、インドの東インド会社とともに、世界を、支配しようと目論む。 やがて、カインの系統と、アベル-セトの系統を仲裁、調停するために、キリスト=イエスが、この地に現れたように、インドも米国も人民による奮起により独立し、英国の支配は表面上終焉を迎えるが、米国は、二大政党に分かれた。セトとカインである。この2大系統から、善の種と悪の種が生まれるようである。いまのところ、カインが主流で、アベルの気配はほとんどない。 イエスが大工の出身といわれるのは、カインの系統を継いでいる証拠で、人の子と呼ばれる。そして、アベルとは、キリストで、天に一時保管された、十戒を納めた契約の書アークのことで、神の子と呼ばれる。 イエスはこの地で最高に進化し、30歳にて、ヨハネの洗礼を受けたとき、天から、キリストがやってきて、イエスの身体に合体(合流)したという。だから、この地で、キリスト=イエスであったのは、十字架刑を受けるまでの3年間だったのである。 このことを霊能者エドガーケーシは、イエスとキリストは別人物であると語っている。つまり、キリストは神だが、イエスは神ではない。 米国が地の支配に邁進し、カインの神殿をつくり続ける限りにおいて、呪われた殺人者でしかない。実際、米国は、戦争により経済を支えているのがその証である。しかし、そのうち、米国でも、セトからアベル、つまり十戒を守る善の民が生まれてくるだろう。その為に、キリスト教が布教されたのである。十戒を行うものこそ、イエス=キリストである。 米国の世界戦略は、日本において、最も有効に機能してきたといえる。日本の天皇崇拝思想を戦後、上手く、GHQに置き換えた。つまり、天皇=米国としたのである。 米国は天皇を神の地位から落とし、天皇の人格化を図り、代わりにホワイトハウスと、大統領を置いたのである。天皇は、生きる古代遺跡となった。カインの手法である。 そして、神道の代わりに、3S政策が実行された。スクリーン、スポーツ、セックスである。3S政策は、米国教の戒律である。その証が、日本の大衆娯楽の代表であるマスメディアである。連日連夜、3S政策、3S戒律が流される。北を馬鹿にできないだろう。イスラム教徒を古代の民と呼べないだろう。 日本人は、皆、米国教に洗脳されてしまったからである。でなければ、現読売のナベツネなど、若い時には共産主義の夜盗が、いまでは最も、米国教の旗印となっているからである。 もはや日本には、天皇はいない。なぜなら、天皇でもないのに、防衛省の一役人が天皇と呼ばれる御時勢なのであるから…。日本人は腐り切ってしまったといえる。
2007年11月09日
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グノームたちは植物存在を上方へと押し上げ、ウンディーネたちが、いわば四方八方からやってきて、植物を取り巻く、夢のような意識のなかで、いわゆる宇宙化学者である証を見せなければ、植物存在は干からびてしまう。 ウンディーネたちは、素材の結合(融合)と分離(分裂)を夢見る。そして植物が夢のなかに生き、上方へ向かって、地上を去り、成長していく、このウンディーネの夢こそが、植物のなかで、葉をつけ、葉から発し、素材の秘密に満ちた結合と分離を引き起こす宇宙化学者と呼ぶべき存在である。 従って、ウンディーネは植物の生の化学者と言える。 ウンディーネは化学を夢見る。これはウンディーネのなかの極めて繊細な霊性で、実際、水と空気が触れ合う場所にもつ霊性の要素である。
2007年11月09日
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しかし、植物の葉で活動するなかでは、グノームとはまた別の存在たちが作用を及ぼす。その存在たちは、古代の霊視者の術において、例えばウンディーネと呼んだ水の精霊(水の精)たち、水の要素の元素霊たちである。 グノームたちが、植物の根を取り巻いて飛びまわり、動きまわるのを見ることができるように、地面の近くでは、水存在たち、水の元素霊たちの、ウンディーネたちが、グノームが与えた上方への志向を、心地よく眺めるのを見ることができる。 ウンディーネたちは、その内なる性質により、グノームたちとは異なる。ウンディーネは感覚器官、つまり霊的感覚器官のように、宇宙万有へと伸びていくことはできない。ウンディーネは本来、空気-水的要素のなかの全宇宙の動き、働きに身を委ねることができるだけで、その為、グノームほど利発で利口な精霊ではない。 ウンディーネは、絶え間なく、夢見る存在で、夢が同時にウンディーネ自身の姿でもある。ウンディーネはグノームほど烈しく地球を憎んではいないが、地上に対して非常に敏感である。ウンディーネは、水のエーテル的要素のなかで生き、この要素のなかを漂い浮遊する。 ウンディーネは、魚類に対して、非常に過敏で、なぜなら、時折、(変容し)魚の姿になってしまうからである。ウンディーネにとって、魚類は脅威だが、とはいえ、すぐまた魚の姿を捨てて、別の姿に変容していく。ウンディーネは自らの存在を夢見ている。 自身の存在を夢見ながらウンディーネたちは、夢を結びつけては解き放ち、空気の素材を結びつけては分離し、空気の素材をウンディーネたちは秘密に満ちた形で、植物の葉のなかにもたらし、グノームたちによって上方へと押し上げられたものの処へと運んでいく。
2007年11月08日
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真なる国際貢献とは、自国の利益を除いた他国全ての為になる貢献をいう。米国のいう国際貢献は、明らかに米国の国益主義の延長上にある。イラク戦争は、いまでは石油の利権確保であったことがあからさまである。 米国は、自国、共和党政権の意向が、国際に当たる事を主張するだろう。米国の口調では、国連なんか、共和党政権以下なのである。その背後には、米国巨大投資家の経済戦略がある。はっきりいえば、強奪主義である。 そのような米国の意向に沿うことが、日本では、立身出世という名の既得権益につながるので、政治家は、悪魔に誑かされるが如く、自らの欲望に忠実になる。官僚はもはや人間性を失った機械、巨大なマシーンにすぎない。頭を失い、もはや世界バランス感覚の胸を失い、傘下の組織、ノンキャリアの手足を切り落とした、腹だけの存在である。 つまり、胃袋だけが独立した、いわば、蛇やミミズが、経済土壌を我がもの顔で闊歩している現状なのである。蛇やミミズならまだしも、金銭欲ばかりが先行しているので、それは腹黒い醜悪なもの悪魔、悪霊のものといえるだろう。 日本では、欧米人は狩猟民族と呼ばれるが、正確にいえば、狩猟ではなく、強奪民族といった方が適確でもある。狩猟であるなら、自らの生活分を超えて狩猟を行うことはない。つまり、足るを知っているのである。 天の導くたる理性を宿しているのである。十戒を知っているのである。 しかし、現代の投資家は、石油価格がいくら高騰し、生活が危機に瀕しても、自己の利益しか頭にない。このような人間が、理性を持っているとは到底いえないだろう。もはや狩猟民族でさえない。 彼らはいわばゾンビであり、悪魔の担い手であり、強奪、収奪民族といわねばならないだろう。 さて、株価は数字上仮想のものである。しかし、仮想はいずれバブルのように弾ける現実を迎えざるを得ないだろう。サブプライムローンの破綻が、一時、石油価格の熱に転化しただけといえるだろう。 神の裁きを待たなければいけない愚かな人間たちよ! 自らの姿が悪魔となっていることに嘆くがよい! 米国よ、今のうちに喜んでいるがよい。喜びはいずれ悲しみへと変わるだろう。若い国家が、老熟する国家になる前の試練なのである。 キリスト教を崇めながら、キリストの意に反旗を翻し国家よ! あなたたちは聖書を捨て、聖書を冒涜した! 聖書を汚した罪を知るがよいだろう。 もはやいま日本では、世間の至る所に悪魔や鬼が闊歩している。連日の殺人事件や強盗事件が紙面を賑わす。日本の安全は国際貢献という名の下に犠牲にされた! 日本の安全を強奪した米国に対し、日本の民族霊は怒りを上げている。米国の悪い処ばかりを真似し、馬鹿になりつつある日本人に、日本の神々は愛想を尽かして始めている。 国際貢献と叫ぶ前に、せめて、国民貢献をしてみろ! 汚職塗れの穢れた政治家たちよ!! 外国の愚かで馬鹿な投資家の贅沢な暮らしの為に、一体、何万人の人命が失われたのか、数えてみたらいい! 愚かで馬鹿な金持ちを天国から遠ざけ、カルマの解消に必要な、せっかくの機会をもった貧困者たちに、救いの手が差し伸べられずに地獄絵とした人類の無責任さこそ、悲鳴に耳を塞いだ人間たちの精神こそ問うべきである!
2007年11月07日
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新約聖書にあるヨハネの黙示録の最後の審判について、中世の霊能者のスウェーデンボルグは、人間の死後の裁判、つまり人生に対する審判だと、その著書で、端的に語っている。 この見解について、古代エジプトの壁画は、古代エジプト言語のヒエログリフで、その事を表現している。 天秤の一方の皿に、当人(裁判を受ける人)の心臓を置き、他方に、天の理を象徴とする天使の羽を置く絵画である。 この絵画には、秘教学でしか理解できない天の神々の叡智が隠されているのである。 なぜ、当人の心臓を置くのか? 心臓とは何を意味するのか? この事が理解できない限り、最後の審判の意味は理解できない。 では、ここにお教えしよう。人間の心臓とは、天の理を写す鏡なのである。より詳細にいえば、天の呼吸(リズム)を認識する器官ともいえる。すなわち、それは太陽の黄道を読み解く感覚体といえる。余計にわからなくなったといわれるかもしれない。 この事は、人間の1日の呼吸数が、太陽の黄道を一周する1プラトン年に等しいことから立証されるのである。 人間は、1分間に約18回呼吸する。だから、18×60×24=25920回で、これを年に変えれば、そのまま1プラトン年の太陽の春分点の黄道の一周期、つまり25920年に相当するのである。 ちなみに、心臓の鼓動は、これを大体4倍したものに等しいという。なぜ、4倍なのかといえば、人間は、肉体だけでなく、他に3つの体であるエーテル体(気)、アストラル体(心)、自我が、呼吸と同時に調和し、振動するからである。 また、人間が大体71歳生きると、365×71=25915日となり、5日分は閏日として、日を年にすれば、1プラトン年となる。 つまり、太陽の力を受けて、大体、最低でも人間は71年生きれるように、心臓の感受から、想定されているのである。この71年は、古代族長の生きた年齢だという。 さて、人間の心臓であるが、つまり、心臓とは、いわば天の神々の教えを聞く耳といえるわけである。実際、秘教学では、心臓のなかには、天の力、天体の作用が秘められているというのである。 そして、また、心臓とは、天のみでなく、自己の行為を感じるとる器官であるとも説いている。だから、自ら行った行為を直接そのまま感じ取る、演繹かつ帰納器官といえるものである。 表現を具体化すれば、人間は、意志により、心臓から熱を発し、その熱のエネルギーをもって、外界のエネルギーと、行為により相互作用、つまりエネルギー交換を行う。つまり、人間の心臓は、いわば核融合ならぬ、熱融合装置で、熱融合装置から、身体を動かし、活動範囲を広げることで、核分裂ならぬ、熱拡散を行っているというのである。 つまり、ここで、先ほど古代エジプトの天秤の意味が、ある程度、浮かび上がってくるだろう。 人間が、心臓を用いて、天の力を集め、自らの意志と融合し、熱を発生させ、その熱を、身体の行為から、全て宇宙へと拡散させ、天への理念の翼と昇華させた愛の行為の度合いを測るのが、天秤で、その天秤の目盛りを読むのが、最後の審判、つまり、人間の人生への審判になるということである。 実は、心臓のこの秘密は、昨今のエコノミー症候群から明らかにされるという。 人間は自らの心臓で作った熱エネルギー分を、身体の活動において、拡散しなければならないという。でないと、心臓は、たちまち変質してしまうというのである。 この心臓の変質は、農作業を行う労働作業者と比べ、近代の乗り物移動の多い、肉体作業の少ない労働者に顕著に現れるというのである。つまり、エコノミー症候群や、心筋梗塞、脳梗塞等の疾患の要因となるわけである。 この事は、現代科学では、血栓の形成と化学的に立証しているが、何故、血栓ができる体質になるのかは、明らかにしていない。 つまり、少なくとも古代エジプトでは、エコノミー症候群や、血栓のように血が固まることは、既に理解されていたのである。勿論、現代のような乗り物ではないが、古代エジプト以前のアトランティス時代では、現代のホーバークラフトの原型のような乗り物は存在していたという。ただし、鉱物のような物質でできていたのではなく、植物質のものでできていたという(天空の城ラピュタを彷彿とさせる)。だから、これらの乗り物の面影は、現代では、植物の残骸となっているといえるだろう。 古代人は、エーテル体(気)を自在に制御できたので、エコノミー症候群は、事前に予防できたといえる。現代でも、移動中に適度に運動すれば、状況を改善できる。 話が逸れたが、要は、心臓は、正確に、当人の勤勉さを測っているといえるのである。他の力をできるだけ借りずに、自らの意志を持って、できる限り、他者に奉公したものほど、心臓が、より堅固、健康になるわけである。逆に、快適な、他者に依存する生活者は、軟弱な心臓の持ち主となるだろう。他者の行為を貪るものは、心臓をも、天の声を聞く、耳さえも失うだろう。悪魔に心臓を売ってはならない。 自ら何かを為そうと思わば、自ら独力でやるか、先頭に立って一番過酷な労働を為さなければならないのである。でないと、心臓と、外界への行為とのバランス、均衡が崩れてしまう。これは忽ち風邪という症状(秘教では、風邪は、外界と人体の熱バランスが崩れること)に現れる。また他人任せでは、心臓が変質する。 つまり、心臓は、愛の行為の尺度でもある。だから、人間の心臓は、神の子なのである。 「神は人間をつくり、そこに息を吹き込んだ」 この事は、天の力が、人間の心臓に集中していることを意味する。 だから、その心臓が、生きているうちに、鼓動を鳴らしている間に、どれだけ、愛の行為を為したか? そのことが、最後の審判のとき、天秤の皿に乗せられ、当人の人生の審判となるのである。 今更ながらに、古代の深遠なる叡智に、感動、感嘆せざるをえない。 最後に、ヨハネの黙示録の最後の審判であるが、宇宙は階層性、科学的にはフラクタル構造になっているので、個人の最後の審判が、長い年月(現代人は、既に数万回ほど転生しているという)に重なりあって、似たもの同士の階層を形成し、最後には、善人層と悪人層に分かれるという。そのときに、大なる悪魔666の進化数をもつ存在、つまり、悪人層の階層の親玉ができあがり、最後のハルマゲドンの戦いとなるというのである。 この戦いは霊界で起こるらしい。ここまでくると、オカルトそのものになるので、語らないが、個人の人生の死後の審判のより遙かに大きいものと思えばよい。陳腐だが、喩えると、国税庁や検察のガサ入れのようなものだろう。ただし、人間が行うものよりも遙かに厳格であるが…。
2007年11月07日
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更に、グノームに、論理について語るなら、グノームは不作法なまでに嘲笑的になる。 「一体、何の為に、そんな無駄なものが必要だと言うんだ。思考への導きだって? 思考は、(既に)あるじゃないか。理念は植物を通って流れてるじゃないか。何で人間どもは、自らの鼻を、植物の根みたいに地面の奥に突っ込んで、鼻先に(理念を)ポタポタと落として貰わないんだ? 太陽が植物に話して聞かせることをさ。そうすりゃ、人間どもも少しは、ものがわかるってもんだろうに! だけど論理なんかじゃなぁ、ほんのこれっぽっちも知るなんてこたあできっこないのさ」、とグノームは馬鹿にする。 このようにグノーム(根の精霊、土の精霊)は、宇宙万象の、万有の理念を、地球の内部で、本来、担う者である。ところが、グノームたちは、地球自体を全く好まずに嫌悪している。グノームは、宇宙万有の理念を携えて地中を飛び回っているが、元々、地上を憎んでいる。地上は、グノームにとって、最も逃れ、避けたいものである。 それでも、やはりグノームたちは、この地上の傍にとどまり続けるが、地上を憎む。なぜなら地上は、グノームたちに対して、絶えず危険を作り出すからである。しかも、地上は、グノームたちにある姿、つまり、以前、描写した存在たち、特に両生類、蛙や蟇蛙の姿をとらせようと脅かすからである。 なので、地中のグノームは次のように感じている、 「あんまり土に近づくと、蛙や蟇蛙の姿になっちまうよ」、と。 だから、グノームたちは、大地とあまり癒着しすぎ、両生類の姿にならないように、絶えず、ジャンプする。グノームたちは、自分たちが属す要素のなかで、両生類に変容するように脅かす、土の姿に対して絶えず抵抗している。 グノームは土-水要素のなかにとどまっているが、絶えず両生類の姿になる危険に脅かされる。この両生類の姿になることから、グノームは絶えず身を引き離し、地球外の宇宙万象の理念で自らを満たす。 グノームは本来、地球の内部で、地球外のものを示し、地上との癒着を絶えず避けなければならない。でないと、個々のグノームは、正に両生類の世界の姿になってしまう。そして、地上に対する正しく、この憎悪の感情、嫌悪の感情とでもいうものから、グノームたちは、植物を、地面から追い出す(芽生えさせる)力を獲得する。 グノームたちは、地球外の天の理念の根源力で地上から離れ、この離脱によって植物の上方への成長が与えられ、植物を巻き添えにして、地から引き離れる。 これはグノームの地上に対する反感で、植物の根だけを土領域に属させ、根以外の部分を土領域から引き出し、生え出させ、つまり、実際、グノームたちは、植物を生来備わった土の姿から引き離し、上方に向かって成長させる。 植物が天に向かって上方へと成長し、グノームの領域を去り、水-土要素の領域から、水-空気要素の領域へと移行すると、植物は葉において、外的(物質的)に、形状化するものを発達させる。
2007年11月07日
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土壌の至る所に存在する、この根の精霊たちは、多少透明、もしくは金属に貫入された岩石や鉱石のなかを格別心地よく感じるが、自分たちの本来の居場所として、最も心地よく感じるときは、鉱物を植物の根に媒介するときで、根の精霊たちは、内的、霊的性質のものに、すっかり満たされ、人間の眼や耳の内的、霊的性質のなかで捉えることが可能なものとだけ比較できる霊的性質に依存している。 というのも、根の精霊たちは、霊的性質のなかでは正に感覚体(アストラル体)だからである。根の精霊たちは、本来、通常の感覚体(アストラル体)から成立するもので、この感覚体(アストラル体)は同時に知性でもあり、単に見たり聞いたりするだけでなく、見聞しながら即座に理解する感覚であり、あらゆる場所で印象を受け取るだけでなく、理念を受け取る感覚である。 この根の精霊たちが、理念を受け取る方法を示すこともでき、その方法に従って、大地から植物が芽吹く。植物は、次回以降に示すように、地球外の宇宙万有とつながりを持つようになることから成長し、ある季節には特に、いわば霊の流れ(薄紫)が上方(天)から、植物の花や実を通して、下方の根に向かって流れ、地中へと流れ込む。 光が眼に向かって差し込み、光を通して目から物体が見えるように、根の精霊たちは、植物を通して、上方から地中へと滴り落ちていくものに、知覚能力を向ける。このとき、根の精霊に向かって滴り落ちてくるものは、光が花の中へと送り込んだもの、太陽の熱が植物のなかに送り込んだもの、空気が葉の中で形成したもの、そして、遥かな星々が、植物の形成に働きかけてきたものである。 グノームが受容する理念;光が花の中へと送り込んだもの、太陽の熱が植物のなかに送り込んだもの、空気が葉の中で形成したもの、遥かな星々が、植物の形成に働きかけてきたもの 植物は宇宙万有の秘密を集め、それを土壌に送り、そして、グノーム(根の精霊;土の精霊)たちは、植物を通じて、自分の処へと霊的に滴り落ちてくるものから、宇宙万有の秘密を、自らのうちに受容する。 そして、特に、秋から冬の間中ずっと鉱石や岩石のなかを遍歴しながら、植物を通じて、滴り落ちてきた霊のものを携えていくことで、根の精霊たちは、地球の内部で、全宇宙の理念を地球に浸透させ、遍歴し、携えていく存在となる。(宇宙が光や熱を通して映し出した世界像である理念を、グノームたちは、いわば、写真機の受像体のように、感光させ、その写真を元に、地球を再生させるのである) 遥かに宇宙を見渡せば、宇宙が宇宙霊により築かれ、宇宙は宇宙理念の、つまり宇宙霊の受肉であることがわかる。グノームたちは、植物を通して、我々人間にとっては光線と同じもの、つまり宇宙万有の理念を受け取り、地球の内部で完全に、宇宙万有の理念を意識しながら、鉱石から鉱石、石から石へと、理念を運んでいく。 大地の奥底を見下ろし、機械的に作用する自然法則の抽象理念を、探し求めるのではなく、大地の奥底を見下ろし、地球の内部での宇宙知性の光に満ちたいわば番人を、つまり遍歴し、逍遙するグノームたちを見なければならない。 このグノームたちは見たものを即座に理解するが故に、人間と比べても、確かに同じ性質の知識をもってはいるが、人間よりも遙かに、グノームは抜きん出た知性存在であり、完璧なまでに知性体そのものである。 グノームにあっては全てが知性で、ただし、それは普遍的知性、従って人間の知性など不完全、欠落したものとして、見下すような知性である。グノームの世界では実際、人間が、何かを把握するときに、苦悩し、難渋しては、悪戦苦闘した末に獲得する人間の知性を、思う存分に笑い飛ばしている。なぜなら、グノームは、人間のように思案する必要など、まるでないからである。 グノームは宇宙の叡智をそのまま感受できるので、人間が、知性に、どうにか辿り着くために、論理等の構築に骨折らなければならないことに気づくと、特に馬鹿にして嘲笑的になる。 「どうして、そんなことするんだ!」、グノームは言う、「どうして、また、あれやこれやと考えるなんていう骨折りができるんだい?そんなことしなくても、一目瞭然で、全部明らかじゃないか。人間どもは全く馬鹿だよ」、グノームは、このように言う、「(人間は)何せ、あれこれと考え込まなきゃ始まらんのだから難儀な知性体だな」。 (恐らく、グノームは宇宙の叡智を、いわば写真のようにみるのだろう。人間の場合は、写真を一画素づつ、もしくは、線や点や幾何学を使って示さなければならないように、グノームにとっては、人間はまるで、知性でいう幼稚園児のような存在なのであろう。) (このようなグノームの伝説が、地底人の伝説を作ったように思われる。睡眠中に、意識状態に異変が起こると、グノームたちに出くわすという。米国で、有名な宇宙人により誘拐される夢は、恐らく、睡眠中、このグノームたちに出くわした記憶の名残りであろう)
2007年11月06日
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秋の味覚の代名詞の松茸がなぜ、わが国では鎌倉時代から重宝されてきたのか、神秘学で説いてみる。 松茸を食べてみれば、実は高価なので、余り食べたことがないが、はっきりいえば、他のキノコと大して味は変わらないことに気がつくだろう。日本文化のわからない外国人なんかは、松茸ごときがなぜ、高価なのか理解に苦しむものと思われる。 外国人の理解できない、松茸の価値に、実は日本文化の伝統を考察できるように思える。しかし、現代の日本人も、松茸を輸入して、安く食べれるという悦に浸っている点で、外国人同様の非常識さ、裏返せば、成金趣味で、大和魂の日本文化に対して、遥かに無知そのものの存在といえるだろう。 だからといって、松茸の高価さを賛美しているわけではない。 古代から、日本人は、作物そのものよりも、作物をつくる過程や、作物に関わる人間生活を尊重し、重んじてきたのである。米の字の八十八の手数などは、老人が古くから子孫に言い聞かせてきたことである。食するときには、必ず手を合わせ、姿勢を正し「いただきます」という作法が定着していた。 また農業を基に、農村を形成する生活がその典型でもある。また、農村においては山神様を祭り、漁業においては、海神様を祭り、自然を愛でて来たといえる。 つまり、松茸が取れるということは、それほど、山を敬ってきたという日本人の生活態度を尊重してきたといえるわけなのである。その態度に、感謝する意味で、松茸が代名詞として代わりに重宝されてきたといえるだろう。 つまり、これとは逆の高価なものを貪って悦に浸る成金趣味こそ、日本文化の堕落そのものといえるだろう。 我々が、いま松茸を食べれるというのは、何より先祖がそのような山の環境を見守り育ててきてくれたからである。 ここに、あるブログの一説を紹介したい。★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ある年老いた男性が自宅の庭のあちこちを掘り返し木を植えていました。そこを通りかかった通行人がそれを見て尋ねました。 「ご老人、何を植えているのですか?」 すると、老人は答えました。 「ナツメヤシの木を植えているのです」 通行人はそれを聞いて首をかしげました。ナツメヤシの木が実をつけるようになるまで10年はかかります。 「ご老人、あなたはこの若木が育って、つける実を食べようと期待されているのですか?」 老人は笑って言いました。 「いやいや、わしの寿命ではそれはとても間に合わない。しかし、昨夜、わしが今日まで、ナツメヤシをおいしく食べて来られたのは、先祖が木を植えてくれたからじゃと気付いたのです。それで、先祖に感謝してこうして木を植えているのです」 自分が今食べているナツメヤシの実も、先祖が子孫たちのためを考えて植えてくれたからこそ、その実を今日食べることができることに気づいて、老人は先祖たちが自分たちにしてくれたことを自分も子孫のためにすることにしました。 わたしたちが子どもや孫のために思ってすることを、子どもや孫や若者は笑うかも知れません。 しかし、わたしたちもかつてそうでした。 そして、ある日、自分も支えられて生かされていることに気づきました。 今、恵みを受けている子どもたちや孫たちもいつか気づいて、自分たちの子どもや孫に同じことをしてくれます。 今日はここに集い、わたしたちに数々の恵みを与えてくれた人たちを思い出しましょう。★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 我々は、子孫の幸せを願って、日々余裕をもって生活しているのでしょうか? それどころか、先祖の恩恵をいいことに、感謝することさえ忘れ、当たり前に感じ、子孫の分まで、いま貪り尽くそうとしていませんか? 松茸を輸入してまで、貪るということは、どういう意味なのか? いま考えるべきときに来ています。 現代日本人は、本来の日本人の大和魂を忘れてしまいました。 古代の日本人は、死者とも、自然を通して会話できていました。秋に松茸を食べることで、先祖への感謝を忘れはしなかったのです。 いま日本人は、先住民を追い出し、死に追いやった、野蛮な民族になりつつあります。 このような現状をみていると、映画「もののけ姫」の猪の親玉が嘆いていたような「わが子孫は馬鹿になった」という叫びが聞こえてくるように思われる。
2007年11月06日
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テロと糞法に喧々諤々で、相変わらず政治は下らない権力闘争を続けている。そんななか、庶民の暮らしは益々悪くなるばかりで、値上げラッシュがはじまり、一部の悪魔のような欲深連中のせいで、投資過剰から石油エネルギー問題が再燃している。 無責任この上ない。憲法改正で一体何かよくなるというのだろうか? 単なる現実逃避で、国際貢献という名の内政干渉そのものだろう! 所詮、手前たちの自己保身や権力保持だけしか頭にない腐った政治家たちの言い分は、矛盾だらけで、辻褄会わせなのだから、聞いてるだけで腹が立ってくることばかし。そんなに、米国の言いなりになりたいのなら、いっそのこと、日本人をやめて米国人になったらよいだろう。日本人のフリして、他の日本人を奴隷の如く扱い、優越感に浸りたい為に、君臨するのなら、それこそ、民族ならず人類の裏切り者である。 金持ちが世の中を悪くしているということはもはや周知の事実なのである。貧困をなくすには、金持ちが、貧乏人に金を配るしかないのである。 テロト糞法では、集団的自衛権、個別的自衛権が唱えられるが、テポドンを日本列島の上空に打ち込んだ北朝鮮に対して、米国は恐怖を煽るだけで、日本の為に何もしやしない。せいぜい、駐留費という思いやり予算額を上げるぐらいだ!これではマフィアのやり口と変わりはしない。それでもマフィアなら、北を一喝してくれるが、かえって北の言いなりだから、何を謂わんかな? 個別的自衛権についても、北方領土は取り戻せずにいる。偉そうに、法律を振りかざそうが、現実は、犬の遠吠えで、守るべき日本人たちを、かえって罵っているのだから、馬鹿政治家たちは、あんたらは一体何様のつもりなのだ! 北の拉致問題や、北方領土の解決もなく、何が憲法改正だ! 自分たちの無力さを法律のせいにするんじゃない! それでは、不勉強な学生が、勉強不足の言い訳をしているのと同じである。 国際貢献などと偉そうなことを叫ぶ連中こそ、戦場や地獄にでも行ったらいい! まず、手前たちで見本をみせてみろ! 一般市民の何十倍もの給与と待遇を得ているのだから、それこそ自由競争主義だろう! せめて、戦地にいって現実を報道してこい! あまりにも、無責任な口先だけの政治家たちをみていて、ニートや、ホームレスよりも劣る連中だ!とはっきりわかった。ホームレスやニートの方が、国民から搾取せずに、国民を足蹴にせずに、謙虚に、貧乏生活を送っているのだから、はっきりしていい数段いいだろう。 もういい加減、政治家たちの演技は見飽きた!腐ったトマトや腐った卵でもぶつけてやりたい心境である。
2007年11月05日
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植物はその根を地中に伸ばし、植物から地中へと伸びる根を追求すると、しかも霊視により、根を正確に洞察するなら、実際、植物の根が、至る処で同時に、いかに自然元素霊(精霊)たちに取り囲まれているかが追跡できる。 そして、この元素霊たち、太古の霊能(観照)力が、グノーム(土の精霊)と呼び習わした、根の精霊と呼べる、この元素霊たちを、霊視及び霊聴的世界観により、物質のなかに、人間の生活と動物の生活を追跡するのと同じように、実際に追跡できる。いわば、霊能者は、この元素霊たち、根の精霊界の魂のなかを覗き込むことができる。 この根の精霊たちというのは、全く独特の地中の民で、外(物質)的視野では、最初は不可視だが、その働き(作用)は、(静的に)不可視なだけ一層、心眼(霊視)には見える。というのも、根と土壌の間を、この奇妙な根の精霊たちが、中継しなければ、どんな根も生ずることができないからである。 根の精霊たちは地中の鉱物を流動(液体)状態にして、植物の根にもたらす。勿論、この事は、根底にある霊的なプロセス(経過)を述べている。
2007年11月05日
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外界に知覚できる可視世界に、不可視の世界が属し、可視世界と共に一つの世界全体を形成している。 全世界(可視世界、不可視世界) この事は、眼差しを、動物から植物に転じてみると、極めて明らかとなる。 人間を、喜ばせ、現存する植物は、大地から芽生え、萌え出て、秘密に満ちた存在と感じさせる、何らかの手懸かりをもっている。 動物の場合、動物の意志、動物の内(精神)的な活動性が、人間にとって、たとえ秘密に満ちたものであったとしても、人間は、次のように語るだろう、 「動物には、動物の意志があり、動物の意志から、動物の活動形態が生じる、動物の表現はその結果である」、と。 しかし植物は、多様な形態をとって、地球の表面に現れ、秘密に満ちた形で大地と大気圏に助けられて種子から生える。この植物存在について、人間は、植物界が、(花や実を実らせながら、)人間に向かって、出現する形態をとる為には、何か別の存在が必要であるということを、密かに感じ取る。 植物界に、霊的な観照をもって目を向けると、直ぐに、溢れるほど多くの霊的存在たちへと導かれる。 霊視能力のあった古代人には、その霊的存在たちは知られ、認識されていたが、その後忘れ去られ、今日、詩人たちが用いる名前のなかにだけみられ、今日の人類には、その実在さえも認められていない、多くの霊的存在たちを、植物のなかに感じとることができる。 植物の周囲に群がり、取り巻いている存在が、実在を認められないのと同程度に、植物界に対する理解も失われ、例えば治療法にとって(1)欠くことができない、この植物界に対する理解は、実際、今日の人類からすっかり失われてしまった。 (1)治療法にとって:ルドルフ・シュタイナー/イタ・ヴェークマン著『霊学認識による医術改革の基礎』(1925 GA27)参照 さて既に、これまでの話から、植物界と蝶の世界との、非常に重要な関係を知っているが、ただし、この事が、人間の魂の前に正しく出現するには、植物界の活動と営み全体を、更に深く洞察するときである。
2007年11月02日
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これまで、動物との関連で、人間に注目してきたが、植物存在に対しても、人間との関連で小さな橋を架ける必要がある。植物の領域、そして鉱物存在の領域にも入り込む必要があり、地球紀の間に鉱物存在が、どのように出現したかを見て、例えば、この地域の始源岩層の岩石が、植物存在から、いかに沈殿してきたか、更には石灰岩山地が、植物存在よりも後の動物存在から、いかに沈殿してきたかを見る。 鉱物界は、植物界-動物界の沈殿物であり、本質的には、最下等動物の沈殿物である。 蟇蛙は、地球の鉱物質に対して、それほど多くのものを提供せず、魚も、比較的僅かなものしか提供しないが、下等動物と植物は、非常に多くのものを提供している。 珪酸の甲皮や石灰の甲皮、石灰の殻を持つ下等生物たちは、まず自らの動物質や、植物質から作り出したものを沈殿させながら、同時に鉱物質を崩壊させる。鉱物質が崩壊するとき、鉱物質の崩壊生成物を、ある特定の場所の鉱物質が特に重要となるように、高次の力で捉えることで、この崩壊生成物から新たな世界を築く。 地球進化(熱変容、空気変容、水変容、鉱物-土変容)を追求していくと、人間の頭が、これら全ての変容を経て、崩壊し、まだ真にわずかな生命力に浸透されている頭骨において、外へと向かう鉱物的変容があることがわかる。 更により明白な形で、人間の頭が土-鉱物変容を経てきたことが、次のことからわかる。 「脳形成において、人間の頭の中心部には、ピラミッド型に形成された器官、松果腺がある。四丘体と視床の近くにある、この松果腺は、いわゆる脳砂を分泌し、レモン色の石粒であり、松果腺の一端には、実際、小塊のように付いている、人間頭部の鉱物質がある。」 人間は、この脳砂と、この鉱物質を、頭内に持たないと、白痴になるか、もしくはクレチン病になる。標準的な人間の場合、松果腺は比較的大きいが、クレチン病の場合、麻粒大の松果腺しか発見できず、脳砂を分泌できない。 霊人は、本来、この鉱物質の含有物のなかに位置する。 この事が、本来、生命体そのものが、最初に霊を宿らせることができず、人間の霊が、その中心点として生命でないもの(鉱物質)を必要とし、とりわけ独立し、生きた霊として、この松果腺に存在しなければならない、ということを暗示する。 宇宙が、蝶-頭形成、鳥-頭形成から下降して、爬虫類と魚まで導いたのは、素晴らしい展開(進化)といえる。今、再び上昇し、動物系列と同様、植物系列と鉱物系列を考察していく。過去に関しては、動物系列から学ぶことができ、同様に地球の未来の為には、鉱物系列から希望を引き出すことができる。 無論、また次回からの要約において、様々な形で、過渡的動物に入っていく必要がある。というのも、これまでの概観では、進化の分岐点に現われる最重要な動物たちだけしか言及できなかったからである。
2007年11月01日
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