2015年12月24日
日本人がサンマを食べるようになったのは火事がきっかけ!?
漢字で“秋刀魚”と書くことからもわかるようにサンマは秋を代表する味覚のひとつです。たっぷりと脂が乗った旬のサンマにジュッと酸味を絞って、大根おろしと一緒に食べる美味しさは格別ですね。しかし、そんなサンマも江戸時代中期、江戸の魚河岸に流通するようになったばかりの頃は好んで食べられる魚ではなかったようです。
当時、魚は脂の少ない淡白なものが上品とされており、サンマのような脂の多い魚は下品とされていました。“粋”であることを重んじる江戸っ子たちは、そんな下品なサンマを食べることをよしとしなかったのです。
江戸時代中期に刊行された『本朝食鑑』や『和漢三才図会』といった本によれば、当時のサンマは食べるためではなく、主に灯油用の油を取るために用いられていたようです。
ところが、サンマを嫌っていた江戸っ子たちも次第にサンマを食べるようになっていきます。そのきっかけとなったのは、火事。「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があるように、江戸時代は大きな火事が何度も発生しました。
江戸267年の間で“大火”と呼ばれる大火事が49回、大火以外の火事を含めれば1798回もの火事が起きています。江戸の火事は人口の増加も原因のひとつになっていますが、そんな頻発する火事と人口増加によって江戸っ子たちの生活も食べ物について好き嫌いを言っているような状態ではなくなってきてしまったのです。
やがて「安くて長きはさんまなり」と貼り紙をした魚屋が話題になったりして、サンマは江戸の庶民の食べ物として定着していきました。それでも武士たちは形が小刀に似ているという理由で、サンマを食べることを避けていたようです。そのため、『目黒のさんま』のようにさんまの美味しさを知らないお殿様と家来を滑稽に描く落語の演目が生まれたのですね。
ちなみに同じ落語の『さんま火事』という演目は、ケチな地主を脅かすために長屋の人々が七輪でサンマをいっぺんに焼き、その煙で火事に見せかけようと大騒ぎするという噺です。
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