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暑い。それも半端じゃない暑さが続いている。昼も暑ければ、夜も気温がなかなか下がらずに熱帯夜。7月に仙台がこれだけ暑いことは珍しいことだ。何せ例年7月は梅雨の真っ最中で、気温は高くても24度ほど。それが連日夏日と熱帯夜では、疲労も溜まるし寝不足にもなる。 昨日も暑かったが、それ以上に熱い戦いもあった。先ず大相撲では魁皇がようやく今場所の初白星を挙げた。3連敗した時は危ないかと感じたが、これで通算の勝利数は1045勝となり、大横綱千代の富士の持つ記録と並んだことになる。早速取り組終了後に、九重親方(元千代の富士)と握手をする姿がテレビに映った。 魁皇の初土俵は昭和63(1988)年の春場所。そして新入幕は平成5(1993)年野夏場所。今場所の千秋楽には確か39歳になると聞いた。若貴時代の生き残りがヨレヨレになってもまだ相撲を取っている姿には頭が下がる。彼の持つ記録のうち大関在位通算65場所は最多タイ記録。そして、幕内在位107場所、幕内出場回数1438回、幕内勝利数877勝は1位の記録だ。通算勝利数の新記録達成も時間の問題だろう。 その夜も嬉しいことがあった。目下パリーグ5位の東北楽天が首位を独走中のソフトバンクホークスを1対0で破ったのだ。先発はソフトバンクがエースの和田。彼は今季7勝1敗の好記録を維持している。それに対し、楽天は目下0勝2敗の井坂。これじゃ戦う前から勝敗が決まったように思ったのだが、これが意外な結果になった。 初回高須のタイムリーで得た1点を、5人の投手リレーで護り切ったのだ。つまり「スミ1」が決勝点と言うわけ。最後は最近2軍から復帰したラズナーが抑え、3セーブ目を挙げたのだから嬉しい誤算。井坂にとっては、今季初勝利となった。我が楽天は目下借金6の5位だが、3位のオリックスまでは2ゲーム差。上位2チームを除けば、パリーグは混とん状態で面白いのだ。 嬉しいことが2つ重なると、寝苦しい熱帯夜でさえ気分が良い。興奮していたのか、未明3時にトイレに起きたまま眠れなくなった。そのままテレビを点け、女子サッカーワールドカップの対スウェーデン戦を観ることに決定。ゲーム開始後10分、何と自陣ゴール前での澤の横パスをカットされ、あっと言う間の失点だった。 これは拙い展開と思ったが、時間が早い分だけ体制を立て直すことが出来た。前半19分この日が初先発の川澄が右足で押し込みゴール。たちまち同点に追いついた。試合前に佐々木監督は言っていた。「決勝へ行きたいと強く思ったチームが勝つ」と。その監督の言葉と采配がずばり的中した。最近調子を上げた川澄の起用が勝利をもたらしたのだ。 後半15分、キャプテンで32歳のベテラン澤がヘディングで技ありのゴール。これで2対1と逆転。澤は今大会通算4ゴール目でトップタイになった。さらに後半19分、好調の川澄が30mのミドルシュートを、飛び出した相手GKの頭越しに決め3対1。これで勝負あった。ボール支配率は日本が60%以上だったとか。 「なでしこジャパン」の決勝の相手はアメリカ。対戦は1週間後のようなので、疲労も取れるだろう。今回のW杯に際して、彼女達は「金メダルを狙う」と明言していた由。それだけの気持ちと自信を持って臨んだ大会で、まさに「有言実行」だ。強いぞ「なでしこジャパン」。世界ランク4位も伊達じゃなかったね。 さて、今夜は久しぶりにKスタへ行く。今夜の先発は田中マー君。気持の強い彼のことだ。きっとやってくれるだろう。エース岩隈と4番の山崎が怪我で登録抹消中の楽天。いわば「飛車、角落とし」の状態で戦っているのが現状。暑い夜だが、それに負けない熱い声援を飛ばして来ようと思う。どうやら今夜も寝不足になりそうだ。ふう~っ。
2011.07.14
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卓球の日本選手権で男子シングルスの水谷選手が5連覇達成とのこと。彼は明治大学の現役学生で21歳とのこと。そうすると初めて優勝したのは17歳と言うことになる。女子の連覇記録は中国から帰化した小山ちれ選手の6連覇がこれまでの最長らしい。水谷選手はその記録を破りたいと話しているとか。何と頼もしい青年だ。女子の石川選手と言い、今後の活躍がとても楽しみだ。 男子の都道府県駅伝は、我が宮城県が最終区間まで1位でタスキをつないだ。だが、最終区間の大学、実業団にめぼしい選手がいないのが宮城県の悩み。スタート前には、多分10位前後になるだろうと思っていたが、まさかのトップ。だが、やはり精鋭を満遍なく揃えた他県には勝てなかった。7人に抜かれての8位は致し方ないところか。 それでも高校生に凄い選手がいると知って嬉しかった。仙台育英や東北高校は京都大会の常連だが、昨日の都道府県駅伝は強い学校ではなく強い個人が選手として選ばれるせいか、出場したのは私が知らなかった選手。都大路を走れなかった選手にとっては、とても嬉しいことだと思う。それにしても本県には強い大学生や実業団選手が少ないのが何とも残念だ。 大相撲初場所で優勝した横綱白鵬が、優勝後の披露パーティーで「ゆりかごのポーズ」をしていたのには驚いた。あれはサッカーで得点を挙げた時に外国の選手が良くやるポーズ。それを横綱が真似したのだ。実は前日白鵬には3人目のお子さんが誕生した由。女の赤ちゃんだったそうだ。それを聞いていたためとても微笑ましく感じた。時代は少しずつ変わって来たようだ。昨日は「湘南マラソン」が行われた日でもあった。ブログ仲間のhoneyさんは初めて5時間を切り、自己新記録でのゴールだったようだ。そして星峰さんは給水所でのボランティアをされた由。2人は星峰さんが待つASで無事対面出来たとか。仮装姿で楽しむランナーや颯爽と湘南の風を切るランナー達。好天の下、さぞ気持ち良く走れたことだろう。 1月の予定レースの「勝田マラソン」に引き続き、2月の予定レースである「いわきサンシャインマラソン」のゼッケンナンバーなどが届いた。いよいよ今年の初レースが近づいた。そしてその2週間後が2つ目のレース。果たして今の自分にどんなレースが可能なのか、体調と相談しながら最後までゴールを目指したいと思う。 昨日から時々頭痛がしていた。きっと厳しい寒さで血管が収縮し、血圧も普段より高くなっているのだろう。今日の立哨中に手はかじかんで痛くなり、足元には冷気が渦巻いていた。気温はマイナス1度だったが、風のせいでマイナス5度ほどに感じた。暖かいココア飲料で、何とか一息ついた。 勤務後は寒風の中、山道を走って帰った。標高の高い歩道の所々に雪が残り、一部は凍っていて危険なため車道の端っこを走る。膝の神経痛が今日は最後まで出ずに走れた。何とかこのままの状態でレースに臨みたいものだ。極力風邪に注意し、万全の体調で走ろうと思う。 2月初旬の「別府大分マラソン」にブログ仲間のらんふぉさん(沖縄)が初挑戦するようで、目下調整中みたい。同レースには同じ走友会のS田さんも参加予定と聞いた。名古屋のりゅうたさんは多分今年も参加するはず。国際レースに出るランナーの心境はぼんくらランナーにはとても理解不能だが、各自ベストのパフォーマンスが出来るよう願っている。
2011.01.24
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昨夜は「世界ふしぎ発見」を観ている途中に眠たくなり、8時間ほど眠った。私が起きた後も、妻はまだ眠っていた。実はホテルに泊った前夜妻の携帯に電話があり、そのことが気がかりで良く眠れなかったのだそうだ。ホームヘルパーと言う仕事の性質上トラブルが結構あるようだ。高齢者の利用者はちゃんと認識出来ずに怒ることが多いのだとか。 私達がホテルへ泊った夜、愛犬はちゃんと大人しく留守番をしていたようだ。帰宅すると物音を聞いた彼は盛んに吠えた。それでも私達だと分かると、急に大人しくなった。今朝は愛犬との散歩後、私が味噌汁を作った。主食のカレーは出来ていたから楽なもの。カレーを温めているうちに、ようやく妻も起き出した。 今朝はいつもの番組でなく、別な放送局で寛平ちゃんのことを大きく取り上げる番組を観た。アースマラソンの隠れたエピソードが幾つか紹介された。高齢のお母さんには、一旦地球一周の旅に出たら家に帰って来れないので、自分が戻るまでは絶対に死ぬなと言い残して出発したとか。無事に帰宅した息子を見て嬉し涙を流すお母さんの顔は、寛平ちゃんとそっくりだった。 奥さんが何度もレース中の寛平ちゃんを応援に出かけたことはブログで知っていたが、彼らの夫婦愛には涙が流れた。お母さんもそうだが、ヨットで太平洋に乗り出した時は、もしかしたら無事上陸出来ないかもと不安になったそうだ。息子が作った親父に捧げる歌を聞いた寛平ちゃんは泣いていた。息子も今度の地球一周旅で、益々親父の偉大さが分かったようだ。 11回もレース中に応援に行ったと言うアメリカ人のアメマのおっちゃん。彼は戦争で片足を失った人だが、寛平ちゃんの力走に感激して義足でランニングの練習を始め、フランスで念願通り一緒に走った由。その距離は僅か20mほどだったが、2人にとっては忘れられない思い出になったことだろう。 遥々ウズベキスタンの原野まで応援に駆け付けたかつての吉本の先輩。彼は喉頭がんで声を失い、吉本から黙って去った由。だが当時受けた恩義を返すため、前立腺がんに罹った寛平ちゃんを励まそうと、無理を押して不毛の土地へ旅立ったようだ。35年ぶりの思いがけない再会に、2人は涙で熱い抱擁を交わした。何と言う人生。そして何と篤い友情だろうか。 ゴール後の祝賀会が終わった後、寛平ちゃんはアースマラソンのスタッフと一緒に、翌朝まで痛飲したようだ。共に険しい旅を続け、共に苦しんだ仲間とは、きっと家族同様の付き合いだったのだろう。その後いつも見ている番組にチャンネルを切り替えたが、何とこちらのアースマラソンの紹介は30秒足らずで終わってしまった。ライバル社とは言え、何だかねえ。 卓球の日本選手権女子のシングルスでは、高校生の石川佳純ちゃんが自分よりも世界ランクの高い福原愛選手を破って初優勝した。前から勝負強い子だったが、凄い高校生が現れたものだ。一方の愛ちゃんは小さい頃からマスコミに注目された人気者だが、世界では強くても国内ではまだ優勝出来ないのが不思議。 大相撲初場所で横綱白鵬が千秋楽を待たずに18回目の優勝を果たした。6場所連続優勝は大鵬、朝青龍に続き3人目の快挙とか。先場所連続優勝をストップさせられた苦手力士の稀勢ノ里に今場所も不覚を取ったが、彼はまだ若い横綱だ。今後も慢心せずに精進を続ければまだまだ優勝回数を延ばせるのは誰が見ても明らかだ。 今日の新聞には愛媛勤務時代の走友武田大作君が紹介されていた。昨年中国で開催されたアジア大会のカヌー競技ダブルスカルで銀メダルを取った人だ。私より30歳年下の37歳。これまで4度オリンピックに出たが、さらにロンドン大会も目指すとか。彼は高校時代から往復26kmの自転車通学をしていた苦労人。変わらぬ精進が、今も第一人者の地位を保っている原因だろう。 そんなことに力を得て、今日は久しぶりに23kmのLSDに行った。天気は良かったものの、山の上でも川の堤防でも強い北風が吹いていた。だが、その冷たい風もレース対策だと思えば少しも気にならない。新しいシューズの履き心地も悪くはなかった。今年の初レースである「勝田マラソン」まで後1週間。右膝の神経痛が心配だが、何とかなると信じて臨みたい。感動する心と健康な体に感謝しつつ。
2011.01.23
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先日の日曜日。高校生の駅伝大会が年末の京都でありました。女子は岡山の興譲館高校が5年ぶり2度目の優勝で、男子が鹿児島実業がトラック勝負で逆転優勝でした。いずれも手に汗を握る熱戦でしたね。宮城県代表の仙台育英は、女子が3位で男子が4位といずれも上位入賞。これが両方とも1、2年生が主体だったようで、来年の活躍が楽しみになりました。 女子フィギュアスケートの浅田真央選手、頑張りましたね。全日本フィギュアで堂々の2位。これで来年東京で開催される世界選手権への出場資格をゲットしたようです。今シーズンはコーチが変わって練習内容を変え、これまでの大会では散々な結果に終わってました。一体どうした?と全国のファンが心配していたと思います。それなのに、最後のチャンスで2位に食い込んだのはさすがです。優勝の安藤美姫、3位の村上佳奈子も立派でした。 同じく日曜日には、亀田3兄弟の試合がありました。3男の和毅はタイの選手を相手に3回KO勝ち。次男のWBAフライ級世界チャンピオンの大毅は、同級世界第14位のルーマニアの選手を下して2度目の防衛。そして長男の興毅はベネズエラの選手とWBAバンタム級世界チャンピオン戦を戦い、見事王座を獲得。これでライトフライ、フライに次いで3階級を制覇し、日本人初の偉業を達成しました。悪ガキ3兄弟が何とか汚名返上を果たしたように思いますが、どうでしょうか。 政界では小沢前民主党幹事長がようやく「政治倫理審査会」への出席を決めたとか。野党にはこのことで散々突かれ、党内では分裂模様の中で、最後の最後になってシブシブ決断となったようです。でもそれだけでは終わりそうもない気配ですね。菅総理も頑張るのは当然のことだし、もっと早く決着しないとこれだけ泥沼化してからでは遅過ぎですよね。大きな「喝!」を入れておきましょう。 私も1年間何とか頑張りました。今日で仕事は終わり。明日から年末年始の休暇に入ります。今の会社で働くようになってから8年目になりますが、これまでに一度も病気で休んだことがないんです。その間に今年も含め警備員論文では3度入賞し、安全標語で2度入賞しています。仕事上のミスもなく、無事年末を迎えられて幸いでした。 もう一つ重要なのが来年の出場予定のレースを妻に許可してもらったことです。レースに出るためトレーニングするのは当然のこと。レースに出るため調整して休暇をもらうのも当然のこと。そしてレース出場に必要な経費も自分で工面するのも我が家のルール。そして最後の「関門」が妻の許可なんですよね。レースで気持ち良く走るためには、やはり何と言っても家族の協力と理解が必要です。それが家庭円満の秘訣でしょうか。
2010.12.28
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< 登山・ウォーキング編 > 6月、バスツアーで栗駒山麓にある「世界谷地」へ。この周辺では「岩手・宮城内陸地震」による被害が出て、道路封鎖が続いていた。工事終了で観光が解禁されたためツアーが組めた由。でも3つある湿原のうち2つがまだ通行不能状態。ニッコウキスゲなどの高山植物を楽しんだがウォーキングは1時間で、運動量としては全然物足らなかった。 7月、日本百名山の一つである八幡平縦走登山に挑戦した。コースは比較的アップダウンの少ない初歩的なもの。山道を4時間歩き、大満足。ここはニッコウキスゲなど高山植物の宝庫だった。残念だったのは、途中で雨や濃霧に遭ったこと。それが無ければ一大パノラマが観られたと思う。八幡平付近の藤七温泉の露天風呂の底が泥だったのには驚いた。 9月、前夜は温泉宿に一泊し、泉ケ岳に登山。学生時代以来40年ぶりのことだった。バスの時間が決まっているため、強行スケジュールでの登山。往路は水神コースで復路はかもしかコースを辿る。登り下りとも結構勾配があり、案外きつかった感じ。頂上付近からの眺めは最高だった。 10月、登山服などを購入し、少し難度の高い栗駒山の東栗駒コースに挑戦。雨上がりの後だったため登山コースには水が溢れ、泥んこ、びしょ濡れになった。濡れて滑る岩、頂上付近の強い風に悩まされた。それでも東栗駒山から栗駒山にかけての紅葉が凄く、登山の良さを満喫した一日だった。ゴールの須川温泉で妻が「湯当たり」を起こしたことや、登山の途中で私が眼鏡を忘れて来たのも今は良い思い出だ。 10月末、仙台神室~山形神室~トンガリ山~ハマグリ山の縦走コースに1人で挑戦。ここは中級クラスなので妻は留守番。コースは沢登りや岩登り、なだらかな藪の道など千変万化。紅葉の盛りで眺めも抜群。滑りながら登った仙台神室からは360度の大パノラマ。途中のトンガリ山では走友会のD堂長老にお会いした。ハマグリ山から見た山形側の俯瞰も最高。登山の厳しさと楽しさを実感した一日だった。 11月、裏磐梯の桧原湖をウォーク。この日は4時間も自由に歩けるとのことで喜んでいたが、ガイドさん付きで当初通らないはずの遊歩道を歩いたグループと、単に国道や県道を歩いただけの集団とに別れ、紛糾の元になった。私と妻は五色沼の散策コースを半分だけ往復出来たのでまあまあか。五色沼の水の色と紅葉はなかなか秀逸だった。 こんな風に、今年は久しぶりに夫婦で登山に挑戦することが出来た。これは健康で、まだ体力があるから出来ること。来年も自分達の実力に見合った山に登りたいと願っている。ランニングとは一味違う楽しみを発見した一年だった。
2010.12.20
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昨日は歯科と内科を「はしご」した。歯科では歯石を取ってもらい、内科では診察を受けずに薬だけもらった。昨日は給料日。私はインターネットの接続料のうち、小遣いから6500円を負担している。それを歯科、内科、薬の代金と相殺して差額だけ妻に差し出す。「借金」がないのは気持ちが良い。そして愛犬の腹具合も治まって、昨夜は何の心配も無く安眠出来た。 昨日の大相撲は白鵬が魁皇を下した。魁皇も頑張ったが、所詮心身共に充実している横綱の敵ではなかった。広州アジア大会は相変わらず面白い。陸上やり投げは男女とも日本が金メダルを獲った。男子サッカーもUAEを下しての優勝。男子バレーボールも堂々の優勝だった。女子陸上の400mリレーは惜しくも銅メダルに終わり、福島選手の3冠はならなかった。 今朝も畑からレタスと大根を採る。朝食時には早速大根おろしにして食べた。ジューシーで甘い大根は煮物にしても美味しい。妻が裏のお宅に上げたら、「売ってるものより立派」と言われたとか。作った本人としてはとても嬉しい言葉だ。朝から果物にヨーグルトを食べ、バランスの良い食事。食後はお湯を沸かし、日本茶を飲む。 今日の広州アジア大会の目玉はマラソン。9時半から女子マラソンを観戦。日本代表の2人は共にクラブチームのセカンドウインドAC所属。こんなことも滅多にないだろう。レースは10km付近で早くも嶋原が脱落。加納はついて行ったものの18.6km付近で中国選手がスパートすると直ぐに置いて行かれた。 中国選手が十分に力を発揮して1,2フィニッシュだったのはさすが。実力に加えて地の利もあったのだろう。銅メダルだった北朝鮮の選手はまだ若く、今後の活躍が期待されそうだ。4位のインドネシアの選手がレースの途中で被っていたスカーフを捨てたのが印象的。イスラム教徒の女性は宗教上の理由で他人に肌を曝さないのだが、暑さにたまりかねてのことだろう。彼女は6日前に1万mをトラックで走ったばかりと言うから驚く。 嶋原がその後追い上げて5位、加納が7位に入ったが出場選手11人中なので、彼女たちにとっては失敗レースと言えよう。暑さ、地面の堅さなどが原因だろうが、それは皆同じ条件のはず。レース終了を見届けてから走りに行く。帽子を被り両手に手袋。下はランパンで上は半袖シャツ。穏やかな晴れの日は、一旦走り出すとそれでも暑く感じる。 坂道を登ると頭から汗。それでも来週走る沖縄の暑さを想定し、帽子と手袋は着けたまま。今日は汗をかく練習だ。山の上からは遥か遠くに牡鹿半島まで見えた。23kmを2時間16分で帰宅。まだ干してあった布団と洗濯ものを取り込んでから着替えし、遅い昼食を摂る。 テレビを点けるとアジア大会の男子マラソンを放送中。37km地点でスパートした韓国選手がぶっちぎりの金メダル。そして何と銀メダルはゴール寸前でカタールのシャミ選手をかわした北岡選手(NTN)が獲った。彼は今年の「びわ湖毎日マラソン」で初出場、初優勝した選手。それでアジア大会の代表に選ばれたラッキーボーイだ。だから今回がマラソン2回目。これで来年の世界陸上選手権マラソン代表の切符を手にしたことになる。 早稲田大学の斎藤投手じゃないけど、きっと「何かを持ってる」選手なのだろう。だが、それだけでは勝てない。実は日本選手のうち彼だけが、事前に現地でコースを視察したのだとか。銀メダルはそんな努力の賜物なのだ。新人でありながら用意周到かつ飽くなき挑戦心の持ち主の今後が楽しみだ。旭化成の佐藤智之選手は、出場選手22人中7位に終わった。こんな風に最後まで「広州アジア大会」には楽しませてもらった。
2010.11.27
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過日の「宮城県駅伝競走大会」に参加した我が南仙台走友会チームが32位だったことを走友会のHPなどで知った。今年は精鋭を交え、事前にタイムに基づいて選手を選抜したとか。参加チームは大学や、実業団など全部で43チーム。きっと走友会として出場したのは少なかったはず。7区間54.7kmの長丁場にも関わらず、昨年の記録を5分以上縮めたのは立派の一語。選手のみならず、監督や応援された会員の皆様、本当にお疲れ様でした。 先日開催された「国際千葉駅伝」を最後の方だけ観ることが出来た。いやはや驚いた。何と大学選抜チームが外国勢や日本代表チームをかわして堂々の優勝だった。最終区間で学生選抜と日本代表が競り合っているところにケニアが追い着いて来たのだが、最後のスパートで見事な逃げ切りを見せたのにはビックリ。大学生チームの優勝はもちろん今回が初めての快挙だった。 連日の広州アジア大会だが、案外見応えがある。日本選手が活躍していることも大きいけど、中国との時差がさほどないため、良い時間帯にテレビで観られるのが幸いしてるのかも知れない。北朝鮮との決勝戦に勝った女子サッカーチーム、なでしこジャパンの優勝は立派だった。 男子も良く準決勝でイランに勝ったと思う。相手はオーバー25枠を3人も入れていたのだが、日本チームはロンドンオリンピックを意識し、全員が21歳以下だった由。今夜の決勝対UAE戦では、果たしてどんな活躍を見せてくれるか。陸上競技では室伏妹のハンマー投げと円盤投げの両方を観た。また女子100mの福島選手の優勝は見事だった。今夜の200m決勝で連覇がなるかどうか。 昨夜の男子バレーボール対韓国戦も見応えがあった。2セット先取されての逆転勝利には興奮した。ここ暫く韓国には負け続けていたとか。昨夜の勝利はきっと今後への自信につながると思う。スポーツだけでなく文化的な種目も設定されているようで、囲碁の試合があったのには驚いた。でも囲碁は中国、韓国、日本の3つ巴で結果は見えているだろうに。 既に競技は終わったが、カヌーの男子ダブルスカルで懐かしい名前を見つけた。銀メダルを獲った武田選手がその人。彼とは7番目の職場で一緒だった。と言っても当時の彼はまだ学部の学生でマラソン仲間。その彼がその後ボート競技に転向し、国体での優勝からアジア大会、オリンピック出場と腕を上げたのにはビックリ。もう40歳近い年齢になったはずだが、たゆまぬ努力で栄冠を勝ち取る姿には敬意を表したい。 来季は星野新監督の下で優勝を目指す我が東北楽天。岩隈選手とアスレチックスとの交渉が決裂したとのニュースには驚いた。双方の契約金額にかなり隔たりがあったとの報道がある。まだ期間は残されているが、もしだめならポスティングシステム適用で初の失敗事例になるようだ。来季大リーグでの活躍を望んでいた岩隈にとってはかなりの打撃だろう。 それ以上にショックが大きいのは楽天球団だ。今季は18億円と言う巨額の赤字を出した球団にとって、アスレチックスから入る15億円は喉から手が出るほど欲しかったはず。きっと岩本や松井稼頭夫との契約を控えて、密かに当てにしていたと思うのだ。それが一転破談になれば、岩隈への年俸も必要となる。 多額の赤字はいわば球団の自業自得の結果。あれだけ人気の高かった野村監督を、CSの最中に解雇発表と言う馬鹿なことをしでかし、今季は成績不振で入場者が激減したのだから。その反省か人気のある監督や元大リーガーを呼んだのは良いが、きっとその財源に苦慮していることだろう。岩隈選手の代理人である団野村氏が、野村監督の義理の息子なのは何とも皮肉だ。
2010.11.25
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< 山上での不思議な出会い > 山形神室から3つ目の峰であるトンガリ山へ向かう。トンガリ山は名前とは違って、さほど尖がっては見えない。それとも下界から仰ぐと三角形に見えるのかも。トンガリ山の手前で小休止し、仙台神室からの縦走コースを振り返る。ここから見る仙台神室は、まるで溶岩ドームのような不思議な形をしていた。 真下を覗くと、仙人沢から見えたジャイアント桧の一際高い姿が目に飛び込む。そして林の間から垣間見えた絶壁が丸見え。私達が歩いた仙人沢は、ちょうど山の陰。あそこから山が見えなかったのだから、ここからも沢が見えない訳だ。美しい紅葉を散りばめた麓の山々。こんな見事な風景は、なかなか観られないはず。 標高1241mのトンガリ山頂上から下ろうとした時、思いがけない顔が目の前にあった。走友会の長老であるD堂さんがニコニコ笑ってこちらを見ていた。一瞬、ええっ!と仰天。何故D堂さんがここにいるのか。その謎は話を聞いて分かった。何と彼は私のブログを読み、後を追いかけて来たとのこと。山が好きな彼は、バイクに乗って1人で山に出かけることも多いようだ。 それに多分山の上で私に会えると計算していた由。いやはや驚いた。そこまで計算済みの行動だったとは。その後この近辺で暫く休憩し、バイクを置いてある笹谷峠へ下山したことを後で知った。今回は山形神室、仙台神室までは行かなかったのかも。 標高1146mのハマグリ山山頂には、誰が造ったのか、本物のハマグリを貼り付けた「ハマグリ山」の標識があった。これは愉快とばかりに写真を撮るツアー仲間。笹谷峠から見上げたハマグリ山はなだらかで小じんまりした山の印象が強かったのだが、どうしてどうして。登り下りともに結構手間取った。 笹谷峠までの下山途中、登山道から外れて山形県側にある「テラス」に寄った。ここからの眺望がまた絶景。山形市内のビルや千歳山が確認出来、国道286号線の曲がりくねった峠道はすれ違う車まではっきりと見えた。それは私が苦労しながら8月に走ったコースだった。空の高みから観た風景を、私はこの先もずっと覚えているに違いない。 峠の駐車場まで下り、6時間47分もの縦走がようやく終わった。トイレと整理体操を済ませると、女性陣が最初に麓の温泉へ行った。大型タクシーが戻って来るまでの間、私はD堂さんのバイクを探した。だが、どこにも見つからない。ひょっとして仙人沢の登山口に置いたのかもと思い直した。 後日私のブログに書き込んでくれた文章から判断すると、途中で私達が山形方面を眺めている間に、彼は駐車場まで下っていたようだ。第2陣で待っている私達の姿を見た由。そして同じく駐車場へ下りたT田さん達とも会えたようだ。 戯れにWガイドのリュックを背負ったらやたらと重い。20kgあるが、夏場は30kgほどの荷物になるそうだ。山岳ガイドのタフさに驚く。さらに驚いたのが、登山ツアーに参加する客の中には、毎回自分の荷物を添乗員やガイドさんに背負ってもらう人がいるそうだ。そんな人に登山する資格はないと思うのだが、一応客なので文句が言えないのだろう。 そこへ普段の服装をした小父さんが電気自転車に乗って現れた。仙台から関山峠を通って山形へ出、笹谷峠を経て再び仙台へ帰る途中とか。距離は170kmになる由。それなのにバッテリー節約のため、ペダルを踏んで登って来たとか。いやはや、たまげた。世の中には変わった人もいるものだ。 下界の温泉で汗を流し、ゆっくり湯に浸かると、ようやく冷えた体が温まった。浴後は缶ビールをグビリ。隣には登山の初っ端に怪我した人が。彼も缶ビールをグビリ。もう頭の手拭いや止血用のガーゼは無く、怪我の跡もきれいに塞がっていた。穏やかで案外気の良い人だった。今年の登山はこれが最後だが、来年も幾つかの山に登りたいと思っている。果たして来年はどんな景色やドラマが私を待っているのか、とても楽しみだ。<完>
2010.10.28
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< 山の上から見えたもの > ダンゴ平から仰ぐ仙台神室の威容。結構勾配は厳しそうだが、両側が切り立った断崖でないためさほど危険性はなさそうだ。緩かった傾斜が徐々にきつくなり、足元の土が滑る。一度足を踏み外し、腹這いになったままズルズルと落ちた。その時誰かが手を引っ張ってくれた。気恥かしかったが、何とか体勢を整えた。 標高1356mの神室岳(仙台神室)の頂上はさほど広くはない。私達ツアー仲間だけでもう満員。笹藪を掻き分けて峰の東側に進む。東側だけが頂上からは見えないのだ。手前右手が川崎町。そして手前左側が太白区の二口峡谷だ。遥か遠方に太白山。これは我が家の近辺の山。標高321mだが三角形の独立峰なので、離れていても良く目立つ。 頂上に戻って周囲を眺める。北側には七つ森、泉ケ岳、北泉ケ岳、船形山。そして手前には磐司岩に連なる糸岳、大東岳、小東岳、南面白山。そしてこの夏走った二口峠のジグザグ道がはっきり見えた。何と工事中のブルドーザーまで見える。その遥か彼方には標高2236mの鳥海山が雲の上に。これは秋田と山形の県境に聳える秀峰。 西方には葉山と標高1984mの月山。少し離れて朝日連峰の大朝日岳や以東岳など。そして手前にはこれから登る山形神室。そこから南に目を転ずると、縦走コースのトンガリ山からハマグリ山まで一望出来た。そしてその向こうには瀧山、三宝荒神、雁戸山、熊野岳、刈田岳など蔵王の山々が連なっていた。山の上から見えたのは360度、山、山、山だった。 仙台神室はさほど高くはないが、独立峰なので視界が素晴らしい。それに、天気にも恵まれた。これこそ山の醍醐味。豊かな気持ちで弁当と果物、お菓子を食べた。頂上への登頂を待っていた次のグループに譲って下山。下りは一層滑り易いので要注意。おまけに目の位置が違うため、角度が増すように見える。登山道の脇に生えた木の枝を掴みながら慎重に下りる。 ガイドの後からスイスイ下りる1人の男性。ステップがとても軽やかだ。彼こそ頭部に怪我をした人。「怪我が無ければ合格だね」とガイドさん。ダンゴ平からは長い稜線を登る。下から見えたピークは山形神室ではなかった。その向こうが本物の頂上。粘土質の滑り易い道に苦しみながら、前進に次ぐ前進。 この辺りは背の低い木しかない。トイレに行くのも暫く我慢。登山用語で「キジ撃ち」が男性の小用、「お花摘み」が女性の小用を指す隠語だとは知っていたが、その現場に立ち会ったのは今日が初めてだった。登山で7時間もの縦走ともなれば生理現象を止めることは困難。女性も慣れた様子で「お花摘みに行きます」と出かけて行く。 遅れる人が出だす。ガイドさんが「大東岳」と名付けた女性だ。恰幅が良いため、登りが苦手なのだろう。私は技術こそないが体力があるせいか、ほとんど遅れずに着いて行ける。ようやく2つ目の山形神室に到達。ここは標高1442m。仙台神室よりわずかに低い。短い休憩の後スタートした途端、道端で休んでいた女性を見てビックリ。 何とT田さんだ。「膝を傷めてウルトラマラソンを走ることが困難になった」と涙を流しながら彼女が話したことを思い出す。「まだ走ってるんでしょ?私は登山は出来るの」。そう言えば八幡平に登った帰りも隣のバスに彼女が乗っていたっけ。元気そうな顔に安心し、握手をして別れた。それにしてもこんな山の上で走友に会えるとは。 嬉しくなって山形神室から下り始めた時、グラリと体が揺らいだ。「痛っ!」急いで体勢を立て直したものの、膝に激痛。遠近両用の眼鏡で下ばかり見ていたため、視野が歪んでしまったのだろう。これは大変。膝周辺の細かな筋肉を傷めたようだ。これで無事下山出来るだろうか。一抹の不安が胸を過った。<続く>
2010.10.27
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< 一難去ってまた一難 > 後で大きな声がした。どうやら私の後を歩いていた男性が怪我したようだ。頭から血が流れている。それを手拭で縛る男性。直ぐにガイドと添乗員が集まり治療開始。先ずオキシフルで消毒し、その上から滅菌済みのガーゼと幅広のバンドエイドで抑え、さらに鉢巻。原因は男性が飛び出た枝に頭をぶつけたこと。 幸い帽子を被っていたために、傷の深さは2mm程度で済んだ。彼は私達と逆向きで倒木を潜ったため、枝に気づかなかったようだ。私は帽子を後ろ向きに被っていた。つばの長い帽子は視界を妨げるからだ。彼はつばを前向きにして被っていた。そのことも枝が見えにくい原因になったと思う。治療に要した時間は20分。幸い傷が大したことなくて良かった。再び隊列が進み出す。 間もなく仙人大滝のある沢との合流点に到達。木々の間から滝が見えた。名前とは違って、それほど大きな滝ではなさそうだ。滝まで往復30分かかるみたいで、今回はパス。そのまま沢を直進し、途中から尾根道に登った。左手の林の間から直角の崖が見えた。「甘い匂いがするのはカツラだよ」。Wガイドが教えてくれた。確かにそんな匂いがしたが、葉が落ちてどれがカツラの木か分からない。 「スズメバチだ。動かないように」。先頭のガイドが立ち止まった。彼の周囲を1匹の蜂がブンブン唸りながら飛んでいる。「こんな時は手で払ったりすると攻撃されるよ」とガイド。最後尾の添乗員さんから無線で「黄色スズメバチが6匹います。静かにかつ速やかに進んでください」。私達は何事も無かったようにその場を離れた。結局1匹の蜂だけはしばらく私達の後をつけていた由。攻撃される心配はないと判断し、ようやく巣へ戻ったようだ。 見晴らしの良い場所まで来ると景色が一望出来た。深い山々。赤、黄色、褐色に染まった木々。そしてその中に緑が点在する。「あれがコシアブラ」とガイド。薄黄色に透き通った5枚の葉。春先の新しい葉は天ぷらなどにして食べると美味しいと聞いたことがある。良く似ているが3枚葉の方はタカノツメ。「満点だね」とWガイド。「ここは山だから満点じゃなくマウンテン」。私が混ぜっ返す。左手には一際大きな桧。「あれはアントニオ桧(猪木)」。ガイドも負けてはいない。 列の後方から山ブドウが届いた。いつの間に採ったのだろう。食べてみるとほんのりと甘い。その山ブドウの蔓が大木に絡んでいるのを見た。葉は鮮やかな赤。見事な色だ。遠方に尖がった山が見えた。あれが今日登る神室岳(仙台神室)かと思ったら、別の山とのこと。どうやら標高971mの三方倉山のようだ。 何度か休憩が入った都度、私はお握りを食べた。ツアーで渡される弁当は巻き寿司とサンドウィッチのセットだが、量が少なく7時間近くかかる縦走では最後まで持たない。そのため今回はコンビニで2個のお握りを買っていた。急いでお菓子も食べ、お茶を飲む。 出発後間もなく、目の前に壁のような岩場が現れた。70度ほどの急角度。他に道はなく、ロープを伝わって登るしかない。女性には厳しい登りだったろうが、私は案外楽に登れた。幸い傷めた尻や左肩に痛みは出なかった。 尾根から初めて仙台神室の威容が見えた。かなり厳しい角度の山容。これからあそこを登るのかと緊張が走る。やがて道は一旦沢へ下り、そこから涸れ沢の登りと変わった。目まぐるしいコースと眺望の変化。ここを登り切ると「ダンゴ平」。そして仙台神室への最後の登りが始まる。<続く>
2010.10.26
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< 仙人の棲む沢 > マイクロバスに乗ったツアー客は19名。うち女性が10人で男性は9人。それに添乗員さんとガイドさん。このメンバーで今日は約7時間の縦走をすることになる。神室岳(仙台神室)~山形神室~トンガリ山~ハマグリ山の登山ツアーを知ったのは1カ月以上前のことだった。 この夏走った笹谷峠から見えたのが全山笹に覆われたハマグリ山だった。そして二口峠から見えたのが異常に尖がった神室岳(仙台神室)だった。2つの峠越えマラニックで馴染んだ山の名前。その山に登るためのツアーがあると知った時はビックリした。これはまさに自分のために企画されたツアーではないか。直ぐに申し込んだのは言うまでもない。 今年が第1回の「伊南川ウルトラ遠足」へは残念ながら行くことが出来なかった。それに代わるイベントとしても自分には意義深いと考えた。問題は高低差が栗駒山の約2倍と言うコース。初級の栗駒に対してこちらは中級クラス。果たして自分にも登ることが出来るだろうか。 おまけに朝の散歩で転倒し、尻と右肩を強打した。その痛みが登山までにどれだけ緩和されるか。前日の土曜日はほとんど何もせずに体を休めた。それが原因か、前夜は就寝中に胃の調子がおかしくなった。きっと運動不足が影響したのかもしれない。おまけに起床直前には頭痛もした。それでも家を出て集合場所に向かう頃には、何とか参加出来そうな体調に戻っていた。 マイクロバスに乗り込んだツアー客の大部分は、どこにでも居そうな雰囲気の中高年者。本当にあれで縦走に耐えられるのだろうかと思うような雰囲気の人が多かった。これならさほど心配しないで登れるかも知れない。そんな安堵感を抱きながら新聞を読んでいた。1人用座席だったことも私には幸いした。どうしたら尻の痛みが軽減するか、あれこれ姿勢を変えて座れたからだ。 山形道古関PAでトイレ休憩と登山前のストレッチ体操を済ませる。ここから一般道に下り、大型タクシーに乗り換えて仙人沢の登山口まで2往復。笹谷峠の国道286号線が狭く、大型車が通行出来ないためだ。夏に走ったコースを車中から眺めるのはとても不思議な気分。車はさすがに速く、10分ほどで登山口に着いた。 添乗員さん、ガイドさんから登山前の注意。添乗員さんは栗駒山登山でも一緒だったIさん。とても丁寧で親切な人だ。ガイドのWさんは福島県郡山市が自宅とか。俳優の黒沢某に似た容貌で話好き。それにダジャレが得意な人のようだ。先頭がWガイドで最後尾は添乗員さん。今日は班分けはせず自分の体力を考慮の上、好きなポジションを選んで歩いて良いとのこと。私はWガイドの直ぐ後についた。その方が面白い話が聞けると考えてのことだ。 一歩林に足を踏み入れた途端、神聖な気分に満たされた。東栗駒コースの泥道とは大違い。自然林がそのまま残っているせいか、登山道がとても清々しいのだ。まさしく仙人が棲む沢と言う感じ。見るもの全てが新鮮。まだ登りが緩いため、まるでピクニック気分だった。ところがそんな空気が一変した。倒れかかった大木を潜り抜けた時、思わぬ事故が起きたのだ。<続く>
2010.10.25
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仙台神室~山形神室~トンガリ山~ハマグリ山縦走登山から無事帰宅しました。尻の痛み、肩の痛みが心配でしたが、6時間45分ほどかけて何とか全行程を踏破出来ました。登山の途中で2名の走友と遭遇したのにはビックリでした。登山の詳細については明日から書き始める予定です。どうぞお楽しみに~。
2010.10.24
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今日はマウンテンバイクに乗って、県の南部を巡って来ました。足を停めたのは川崎町の雲龍寺(川崎伊達家墓地)、村田町の「蔵の陶器市」、大河原町(大高神社)、蔵王町(刈田嶺神社、羽前(笹谷)旧街道の四方峠)です。ここから再び川崎町を経由し、自宅へ戻りました。距離は87kmほど。かかった時間は8時間です。峠道はさすがにきつく、途中で膝が痙攣しましたよ。詳細は明日以降書く予定です。お楽しみに。
2010.10.16
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< 倒れる > 下りの須川コースの状態は登りの東栗駒コースほど悪くはなかった。それでも泥道はぬかるみ、注意を要した。頂上からどれくらい下りた頃か、昭和湖の白濁した湖面が見え出した。ここは昭和に入ってから爆発した新しい火口とのこと。強い硫黄臭を放つ湖は、コバルトブルーの不思議な色合いをしていた。 ここでトイレ休憩になった。湖の端にあるトイレに急いで駆け込む。2時間ほど苦しんだ下腹部の具合が、これで一挙に解決。再び泥道を下りる。沢が白く濁っている。ガイドさんの説明によれば、昭和湖の湖水が混じっているとのこと。さらに30分ほど下ると、寂しい湿原に出た。ここが名残ケ原。湿原の「なれの果て」と言った感じ。久しぶりに木道を歩く。 ゴールの須川温泉が近いせいか、風に乗って強い硫黄臭がして来る。やがて栗駒山荘や須川温泉の建物が見え出す。登山道の直ぐ傍に温泉の源泉があり、大勢の人が見物していた。温泉の裏では足湯に浸かる人達も。私達はバスが待つ駐車場へ行き、リュックを下ろした。5時間半近くかかった縦走を終え、全員でストレッチ体操。これで翌日の筋肉痛が和らぐ由。 荷物を整理し、洗面具と着替えを持って温泉へ。建物に入る前に、泥だらけのシューズを洗う。湯船に浸かる前に頭と体を洗う。空腹が激しかったため、入浴は短時間で済ませた。硫黄臭の強い温泉は人気が高く、中には泊っている湯治客もいる。財布を取りにバスに戻り、売店でパンと牛乳を購入して空腹を満たす。 その時、緊急放送。何と私の名を呼んでいる。急いでフロントへ行くと、妻が倒れた由。今は安定を取り戻し、ゆっくり着替えをしているとか。慌てて女湯の前に行き、中の様子を地元の小母さんに聞いてもらった。かなり回復して間もなく出て来るとのこと。妻の話では、「湯当たり」と低血圧だろうとのこと。私は空腹による低血糖と硫黄などの臭いも関係したのと思う。 妻のためにパンと牛乳を買い、バスに戻ろうとすると大粒の雨。バスの外で待っていた添乗員さんにことの顛末を報告。妻が倒れた時に借りた手ぬぐいの主を尋ねると、7月の末に参加した八幡平登山で一緒だった女性とその友達だった。誰に介抱してもらったか記憶の無い妻に代わってお礼を言う。 その後、私の財布が見当たらなかったり、妻のデジカメが見当たらなかったりとゴタゴタが続いたが、それらもちゃんと見つかった。もう外は黄昏。バスは一関市経由で東北道へ出た。その途中、2年前の岩手・宮城内陸地震で真っ二つに折れた「まつるべ大橋」が、暗闇の中で幽かに見えた。 水浸しの登山道、スリルに満ちた沢登り、全山を埋め尽くす紅葉、ガスの切れ目から観えた下界、そして妻が倒れた須川温泉。まあ色んなことが起きた今回の登山だったが、それだけに良い思い出になると思う。次に私が登るのはもっと厳しい中級コースの山。初心者の中高年登山だが、また新たな経験が出来るのではないかと期待している。
2010.10.14
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< 3つの名前を持つ山 > 新湯沢沿いのコースは100mほどで終わったが、初めての沢登りはなかなかスリルに満ちていた。ここまでに10回ほど妻の手を持って引き揚げたはず。暫く泥んこ道を行くと、標高1434mの東栗駒山が間近に見え、傾斜が緩くなって来た。自然に心が浮き立つ。 東栗駒山から左手に聳える栗駒山まで一面の紅葉。木々が一斉に色づき出したようだ。それに加えて赤褐色の草紅葉がなだらかな斜面を覆い尽くしている。ここまで苦労して登った者にしか観られない光景だ。だが頂上に近づくにつれ、風がきつくなる。風速25m以上の強風にガスが千切れて流れ飛ぶ。 ガイドさんが言う。「あれだけ風が強いと、もう直ぐガスが晴れますよ」。その彼に尋ねてみた。「もし雨が降ったらどうだったんですか?」。「東栗駒コースは無理なので、中央コースを採る予定でした」。なるほど良く整備され、沢のない中央コースなら、足元がしっかりして雨でも登れた訳だ。 東栗駒山の山頂でも小休止。エネルギー補充のため途中で少しずつ弁当を食べていたのだが、それもここで尽きた。サンドウィッチと巻き寿司のセットだが、運動量の多い登山ではとても物足らない。強い風で体温を奪われないよう、薄手のウインドブレーカーを着用し、冬用の手袋をはめた。 濡れた軍手はリュックにしまった。先刻川に落ちて濡れたズボンが、風に吹かれて次第に乾いて来た。登山用のズボンの素材は速乾性のようだ。「下着は木綿を避けるように」との注意があったため、私はランニング用のハーフタイツを履いていた。確かに速乾性で良いのだが、前屈みになると下腹部が苦しい。おまけにベルトが緩いため、何度かズボンを上げながら進んだ。 東栗駒山頂から一旦下り、今度は稜線沿いに栗駒山頂を目指す。ここまで既に1時間半以上は歩いている。添乗員さんの話によれば最初手間取った分のロスは、十分取り戻したとのこと。やはり皆頑張って登ったのだろう。1時間ほど登ると、裏掛けコースとの合流点に到着。そこにはロープが張られ、進入出来ないようになっていた。途中崩落している個所があって危険なのだとか。 ガスが晴れると見事な風景が広がった。栗駒山は標高1627m。登山を開始したイワカガミ平との高低差は500m以上。ここまで3時間ほどかかった。この山は3つの名を持っている。先ず宮城では栗駒山。岩手では須川岳。そして秋田では大日岳。宮城の栗駒は春先の「雪形」からの命名。つまり農作業の目安だった訳だ。 岩手の須川は酢川、あるいは酸川が語源だろう。岩手県側では極めて酸性度の高い温泉が湧いている。これに対し、秋田の大日は「大日如来」が語源。きっと山岳宗教との関係が深かったのだと思う。今では呼び名も栗駒山に統一されている。頂上では無くなった弁当の代わりにお菓子を食べた。 ここから「天狗平相撲取り場」まではなだらかな下り。目の前には急な崖が迫り、下界の雄大な景色が一望出来る。学生時代に登ったのは表掛けコースだった。駒の湯を出発してデロコ沢、石飛び八里、御室を経由し、頂上に達したはず。いつも登山は初夏だったため、石飛び八里には雪渓が残っていた。それが今は一面の紅葉に変わっている。 「天狗平相撲取り場」から須川温泉コースを下る。左手には標高1424mのなだらかな秣岳(まぐさだけ)が見える。ここは秋田県。右手遥か前方には標高1355mのこんもりとした笊森(ざるもり)。ここは岩手県。そして真下に小さく見えるのが火山湖の昭和湖だ。針葉樹が多い秋田県側が青々とした森なのに対し、落葉樹の多い岩手県側では、今が紅葉の真っ盛りだった。<続く>
2010.10.13
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< 2つ目の失敗 > 笹をつかみ、灌木の枝をつかんで、繰り返し岩を乗り越える作業は結構きつい。ガイドさんが「歩く速さはこれくらいで大丈夫ですか?」と第4班に聞いた。「いや速過ぎます。もっとゆっくり進んでください」最初に音を上げたのは妻だった。普通でも大変な山道が、水が溢れて泥んこ状態だととても歩きにくくて疲れる。「分かりました。もっとゆっくり歩きましょう」。 スピードは少し落ちたが、それでも私達は必死だった。滑ること、転ぶこと、水に濡れること、汚れること。初心者はそんなことを極端に恐れる。この朝、家を出る時に履いたのは、高校の山岳部に所属していた第1現場の若者からもらった革製の登山靴だった。だが、私には少し窮屈過ぎて歩くと足が痛んだ。それでは5時間半もの道程に耐えることは無理。そう判断して、慣れたキャラバンシューズに替えたのだった。 ズック製だから軽くて履き易い代わり安定感が不足し、水が浸入する。出来れば可能な限り濡らしたくない心境だった。妻のことも忘れ、必死で前進。ある程度距離を稼ぐと、立ったままでの休憩が入る。「お父さん、水」。妻が慌てて私に催促。そしてお菓子も食べたいと言う。どうやら思いがけない運動量で、血糖値が下がったのだろう。私も水を飲み、お菓子を食べてエネルギーを補給。 2度目の休憩時に、堪りかねてセーターを脱いだ。激しい運動でとても暑い。それ以上無駄な汗はかかない方が良い。1枚脱いだだけでもその効果は抜群。気持ちが良くなって再び歩き出す。300mほど進んだ時、目の前が何故だかスースーすることに気づいた。手で目を触ると眼鏡がない。先ほどセーターを脱いだ際に、外した眼鏡を忘れて置いて来てしまったようだ。 これは一大事。眼鏡がないと不便極まりない。折角苦労して登った山道だが、ここは引き返すしかないだろう。慌てふためいて、滑る道を下る。最後尾の添乗員さんに、そのことを告げると、彼も一緒に付いて来ると言う。ツアー客に万が一のことがあれば、彼も責任を問われるからだろう。先頭のガイドに無線で事情を話し下山。 「どの辺りですか?」。添乗員が何度も尋ねる。だが、どの場所と言われても識別できる特徴がある訳でもない。「少し広い草地です」。あまり慌て過ぎて、とうとう水に落ちた。ズブズブと靴の中に泥水が入る。ええい、もうこうなったらヤケクソだ。一旦濡れてしまえば怖いものはない。 眼鏡はちゃんと元の場所にあった。「こんな地面に置いたんですか」。呆れたような添乗員の声。だが一体どこへ置けば良かったと言うのか。人に踏まれる場所ではないし、ちゃんとこうして覚えていたのだから。多分往復で600mは損したと思う。だが、そこはウルトラマラソンで鍛えた体。先頭のガイドに無事眼鏡発見を報告し、全速力で元の隊列に戻る。 やがて登山道が途切れ、沢にぶつかった。ここは地震の際に駒の湯温泉を埋め尽くした泥流が発生した新湯沢の最上流部。普段なら細い流れなのだろうが、降り続いた雨で水かさが増し、流れも急。ところがガイドの姿が見えない。4、5人のグループで沢の右岸を登って行ったところ、後から呼ぶ声。どうやら途中で左岸に渡るようだ。慌ててガイドがいる場所まで戻ると、彼はロープを張って安全を確保していた。 私は他に安全な経路はないか、岩を飛んでそこへ向かおうとした。だがその先はやはり渡れそうもない。引き返す途中、安全だと思えた岩が不安定。それでも無理に飛んだら、滑って川へ落ちた。幸い深さはさほどでもなく、膝から下が濡れた程度で済んだ。やはり勝手な判断だったと反省。これが2つ目の失敗だった。<続く>
2010.10.12
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< 雨は上がったものの・・ > 今回の栗駒山登山ツアーは、かなり前から参加を決めていた。だが登山間近になって心配なことが起きた。1つ目が天候。天気予報がひっきりなしに変わったが、前夜まで大雨注意報が出ていたことだ。2つ目が妻の体調。無理に走ったためか、風邪をひいてしまったようだ。私自身は雨中の登山を経験するチャンスと考えていたが、妻は参加を見合わせることにした。 雨は夜半まで続いた。トイレに起きるたび、強い雨の音が聞こえていた。だが、未明になって雨は治まり、大雨注意報も解除になったようだ。朝起きると雨の心配は去り、妻の体調も戻っていた。これで登山は決行だ。朝食後、自転車で集合場所へ向かう。始発地点だったためか、ここで乗る参加者は5名だけ。添乗員さんの話によれば、当初41名だった参加者が雨の心配などで33名に減ったとか。 仙台駅前に寄り、泉中央から最後の乗客が乗り込む。中には運動靴の人も。「おいおい、そんな靴で大丈夫かよ」と驚いていたのだが、後で登山靴に履き替えるようだ。「登山した後は、靴の泥を良く落としてからバスに乗ってください」。と添乗員さんが話していたように、靴を履き替えるか、良く泥を落とすのが登山の際の常識のようだ。私達夫婦はそんなことも知らず初めて山の服装をし、キャラバンシューズにスパッツを着け、意気揚々としていた。 私達が登る予定の栗駒山は標高1627m。宮城、岩手、秋田の3県にまたがるこの山は、高さの割には長いアプローチを持つ。東北百名山の一つで、宮城県側からは湯浜コース、大地森コース、表掛けコース、中央コース、東栗駒コース、裏掛けコースがあるが、地震による崩落などで幾つかのコースは登山を禁止されているようだ。秋田県側からは秣岳コース、そして岩手県側からは須川コースと笊森コースがある。 今回は「イワカガミ平」から東栗駒コース経由で栗駒山頂に達し、そこから須川コースで岩手県の須川温泉まで下りる5時間30分の縦走。高低差は500mほどの初級Bコースとか。それほど難しくはなさそうだが、何しろ雨後の登山は初体験なのでどうなるか分からない。今年は八幡平と泉ケ岳にも登った。妻もランニングを始めたので、以前に比べれば体力も付いたとは思うのだが。 県道栗駒築館線を山に向かうと、地震の爪跡があちこちに残っていた。何人かが生き埋めになるなど、悲惨な被害があった耕英地区を車窓から眺めながら、さらにバスは山を登る。事前にもらった弁当をリュックにしまい、バナナと味噌パンでエネルギーを補充した。着替えや洗面具など取り敢えず不要なものはバスに残し、標高1113mのイワカガミ平駐車場で登山前のストレッチ体操。 33名の参加者を6つの班に分け、2人のガイドが引率する。シンガリは沢登りが大好きという添乗員さんが務めた。ガスの合間から下界が見える。特徴のある大地森の下には、春先に行った「世界谷地」があるはず。そして上方に見える、標高1434mの東栗駒山は鮮やかな紅葉に包まれていた。 さて、いよいよ5時間半に及ぶ縦走が始まる。良く整備された中央コースから、直ぐに右に逸れて登山道へ。その道が前夜までの雨で水が溢れ、岩も僅かに残された赤土の部分もかなり滑り易くなっていた。対処を間違えば水の中に落ちるのはもちろん、転んでけがをする可能性も高い。気軽なハイキング気分がどこかへ吹き飛び、緊張感が漲って来た。<続く>
2010.10.11
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お天気が心配だった今日の栗駒山登山でしたが、何と雨は一切降らずに終わりました。でも連日の雨で、登山道が沢のようになっていましたよ。疲れました。足が滑って泥んこにもなりました。頂上付近は風が強かったのですが、紅葉がとてもきれいでした。縦走を終えて須川温泉にも入りました。登山の様子については改めて明日から書かせていただきますね。
2010.10.10
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恐らく興南は負けることはないだろう。仙台育英がどこまで食らいつくかだけが見もの。そう思いながら昨夜は観戦していた。甲子園での2戦。確かに仙台育英は勝ったが攻めが甘く、辛うじて勝っただけとの印象が強かった。これに対して沖縄の興南は、堂々とした正攻法で相手を打ち負かしていた。 春の選抜大会で優勝した自信か、バッティングに迷いがない。我喜屋監督の作戦と指示が実に適切だし、選手も忠実に従うことが出来るのが強さの源だろうか。何せ甲子園に来てからまだ先行されたことが無いと言う。先制攻撃を仕掛けて確実に点を取り、自分のペースに引きずり込む。この結果、相手は慌ててしまうのだろう。 この日も興南は先制点を取り、その後も得点を重ねた。これに対して仙台育英の得点はソロホームランの1点だけ。興南のエース島袋は点を失ってから一層慎重な投球を心がけ、相手に隙を与えなかった。仙台育英は4回1アウトからエースの木村を投入したが、流れを変えることは出来なかった。これは結果論だが、最初からエースを出すべきではなかったか。エースを温存して負けたら悔いが残ると思うのだが。 昨夜の楽天はエース岩隈で試合を落とした。これで岩隈は負けが先行の7勝8敗。とてもエースとは呼べないと思う。過日のワイドショーで、野球評論家の張本が岩隈に「喝!」を入れたようだ。それに政治評論家の江川紹子さんが「え~?」と疑問を呈したところ、張本の不興を買い、番組から下ろされたとスポーツ紙。張本の「越権行為」もどうかと思うが、楽天の凋落ぶりには、私も「喝!」を入れたいくらいだ。 さて、一夜明けて今日の聖光学院対興南はどうかと、朝から注目していた。興南はエースの島袋が今日も登板。いくら暑さに慣れているとは言え、連日の投球で疲労が増しているはず。それに対して福島の聖光は試合の間が開いていた。その心配通り、あっと言う間に聖光が3点を先制。興南が初めてリードを許す苦しい展開となった。だがその心配を他所に、いつも通りの自信に満ちたバッティングで、7点をもぎ取った。 レギュラー選手の名前を見ると全て沖縄県内の生徒みたいだが、きっと我喜屋監督の指導に憧れて入学したのだろう。結局試合は10対3で興南が快勝し、ベスト4入り。目的意識の高いチームはさすがに強い。次の準決勝の相手は、報徳と新潟明訓の勝者だが、南島健児の快進撃は一体どこまで続くのだろう。 昨夜は夜の9時を過ぎてなお30度以上の猛暑。寝苦しい夜だったが深夜の2時半ごろ裏の駐車場で人の話声。思わず「今何時だと思ってるんだ!」と怒鳴ろうとしたが、窓を閉め扇風機をつけて何とか眠った。深夜の屋外での会話は良く響いて迷惑そのもの。困ったものだ。今朝はゴーヤが14本も採れた。暑さはまだまだ続きそうだ。
2010.08.18
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昭和20年代の終わり頃テレビはとても貴重な存在で、電器屋さんの店先まで出かけて覗いたものだ。まだ私が小学生の頃の話だ。テレビで観たのは力道山が活躍するプロレス。あの頃は単なるショウとは考えず本気で観ていたから、悪役が反則して力道山がやっつけられようものなら、日本中がとても興奮したものだ。 そしてもう一つの楽しみが大相撲。私は自分で作った腰かけを手に、電器屋さんの店先で並んで観るのが最大の楽しみだった。鏡里、吉葉山、三根山、松登、初代若乃花、栃錦などなど、今考えると個性豊かな力士が多かったように思う。 初代朝潮、千代の山、輪島などその後も名力士が続々と誕生した。初代貴ノ花のサーカス相撲にはハラハラドキドキさせられたし、外人力士の高見山も大変な人気者。愛嬌がある彼は、日本人の誰からも愛された。そして千代の海は滅法強く、それを追いかける若貴兄弟の台頭と小錦、曙、武蔵丸らハワイ勢の活躍には、手に汗を握ったものだ。 その人気に陰りが出だしたのはいつ頃だろう。輪島は借金を作って相撲界から離れ、双羽黒は大恩ある女将さんを足蹴にして部屋を飛び出した。若貴の母親は彼女の浮気が原因で離婚し、兄弟はその後仲違した。大相撲の人気凋落が、こうして始まったように思う。 最近になると大相撲界の暗部が次々に明らかになった。八百長報道裁判事件、力士暴行死事件、大麻所持容疑力士の追放、横綱朝青龍の暴行疑惑と引退、暴力団関係者に対する優遇措置、そして今回の野球賭博容疑。特に今回の野球賭博関係では、親方や現役力士などに大量の処分者が出た。それでも名古屋場所は開催されることになった。 発表された新番付では、幕の内力士のうち7名が解雇または謹慎となっている。謹慎処分の力士は全休扱いだから、来場所は6名全員が十両に降格するだろう。またご当所力士の琴光喜が解雇されたため初めて入場料を払い戻しすることや、スポンサーが次々に辞退する騒ぎになり、NHKが中継放送するかどうかの判断が最後に残っている。 先日の理事会では、貴乃花親方が相撲協会に退任願を提出したとか。それは彼を理事に推薦した阿武松親方、大嶽親方、琴光喜の3人が処分され、このうち2人が解雇されたことと無縁ではないだろう。理事長代行に外部の理事が選ばれたことを含め、今後どのような改善が図られるかが問題だ。 こうなると、とても大相撲が国技だなんて言ってられない状況だろう。残った幕の内力士には外国の出身者が多い。皮肉にも彼らは野球のルールに疎かったため、賭博に手を出さなかったのだ。燦然と輝く過去の栄光は、一体どこへ消えたのだろうか。大相撲の将来を、日本人の魂を持った外国出身力士に委ねるしか、方法が残されていないのだろうか。地に落ちた大相撲界の闇はかなり深そうだ。
2010.07.06
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昨夜はKスタへ行っていた。4月4日(日)以来だから、実に久しぶりのこと。パソコンを新調したために小遣いが乏しくなったのが遠ざかった原因。昨夜の西武戦だって、会社の「ただ券」が当たったから行けたのが真相。それもいつもの外野席と違ってバックネット裏だったから、まあ楽しいの何のって。 火曜日の初戦を田中で落としたものの、水曜日は10対8の逆転勝ち。井坂先発の昨夜は、王者西武に対してどんな戦いが挑めるのか不安だった。今季2年目の井坂は昨夜まで1勝1敗の成績。1回表にたちまち1点を失った時は、やはり不安が的中したと感じたものだ。それが回を追うごとに球威が増した。 そして打線にも火が付き、2回裏には高須の4号2ラン。3回裏にも中村ノリと高須の2点タイムリーで3点。そして7回裏には、またまた高須のタイムリーで1点。井坂は最終回に1点を献上したものの最後まで投げ切り、2勝目を手にした。もらったマスコット人形は、きっと生まれたばかりの長女への良いお土産になったことだろう。 西武は今期絶不調の西口が誤算か。お立ち台に上がったのはもちろん投打のヒーロー井坂と高須だった。Kスタに飛び交う真っ白のジェット風船。そして轟き渡る勝利の歌声。私にとっては今季初の凱歌だった。 興奮も冷めやらぬまま眠りに就いたが、夜半2時過ぎには完全に目が覚めた。NHKではウインブルドンの中継中。ワールドカップを待っていたが3時半になってもそのままで、慌てて民放へチャンネルを切り替えた。序盤はデンマークの動きが良く、さすがはヨーロッパのチームと感心させられた。 金髪のビッグマウスことCSKAモスクワ所属の本田(24歳)が前半17分に無回転のFKを決めたのはトイレの最中。後刻録画で観たが、高度の技術だった。続いて前半30分にG大阪所属の遠藤(30歳)が同じように完成度の高いFKを決めた。何と前半2対0でのリード。予想外の展開に狂喜した私だった。 後半36分。トマソンのPKでデンマークが得点し2対1となって一気に緊張が高まった。日本は引き分けでも決勝トーナメントに進めるが、負けているデンマークだって必死のはず。過去出場した際は必ず決勝トーナメントへ進出した強豪国なのだとか。だが次に点を取ったのは日本。後半42分、本田の絶妙なパスを受けた清水エスパルス所属の岡崎(24歳)が慎重に流し込んだ。 そのまま試合終了。外国で開催されたワールドカップで日本がベスト16になったのは今回が初めてだそうだ。韓国が早々と決勝トーナメント進出を決め、メンタル、フィジカル両面の強さを感じさせられたのだが、日本も何とか後に続くことが出来て良かった。妻も途中で起き出し、夢中になって応援していた。 そんな訳で、昨夜も睡眠不足。お陰で今日はとても眠かった。だが、2つの勝利は深い充実感を私にもたらした。ワールドカップ直前の強化試合で4連敗を喫した岡田ジャパンに対してマスコミの論調は概して厳しく、辞任を求めるような記事も中にはあった。 だが今回の勝利で岡田監督への評価は一転し、今度はその指導力をこぞって誉める始末。これだから日本のマスコミは軽薄なのだ。そして私も含め、そんなマスコミに直ぐ影響される。当初彼が「ベスト4入りが最終目標」と語った際には誰も本気にしなかったが、今ではヨーロッパや南米でも岡田ジャパンを警戒しているみたいだ。 嬉しいね。日本の選手達が世界の桧舞台で活躍する姿を観るのは。そして一戦一戦力をつけ、自信を深める日本の若者を観るのは。このまま出来るだけ長く、私達の心を熱くして欲しいと願う。そのためなら多少の寝不足なんて我慢出来るさ。きっと。
2010.06.25
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この週末は気温が低かった。それに雨模様の天気が続き、何だか走る気がしなかった。風邪気味で鼻の具合も良くなかったせいもある。ランニングに代わって夢中になっていたのが読書。新田次郎著「強力伝・孤島」の後に読み出した、吉村昭著「アメリカ彦蔵」の残りを全て読了した。これは560ページ以上の大著だったが、とても面白くて夢中になって読んだ。 読み始めてから実に2年にもなる熊谷公男著「古代の蝦夷と城柵」を何とか読み終え、次いで雑誌「ランナーズ」の残りの記事と新田次郎著「剱岳・点の記」の後書きだけを読んだ。そして外出のついでに、吉村昭著「大黒屋光太夫」上下巻を購入した。今回読書した内容については改めて記したい。 今朝は起きるなり、バンクーバー冬季オリンピックのバシュート競技を観た。日本の女子が4位までに入っていて、メダルの可能性が高かったからだ。ところ準決勝は既に終わってポーランドに勝ち、ドイツとの決勝戦が残っていただけだった。悪くても銀メダル。ランクは日本の方が上なので、ひょっとしたら初めての金メダルが取れるかも。 昨日今月のレポートをようやく提出し、疲れて眠っている妻は起こさず1人でテレビに見入った。終盤まで日本がリード。残り3周辺りからドイツがスピードが上げ、残念ながら最後の最後に僅かの差で日本は2位に。100分の3秒差が、公式発表では100分の2秒差になったが、判定が覆った訳ではない。距離に直せば僅か10数センチの差だった由。 テレビの画面に、チリの地震に伴う大津波警報が入っていたが、やがて放送はそのニュースが中心になり出した。私が高校1年生だった頃にもチリの地震に伴う大津波があり、三陸沿岸では大きな被害が出た。海岸に防潮壁が出来たのはあれ以降のことだ。 朝食を済ませてから観たのは「東京マラソン」。私が4年連続で落選した憎い大会だが、仲間が何人か出場している。宮城UMC古川支部などの5人は、大崎市の法被を着て走ることが新聞に出ていた。そのうちの1人、T田さんからもそのことについてメールがあった。同じ走友会のS田さんも走られ、奥様のM子さんは応援に行かれたとか。 この日、関東は雨だったようだ。私がテレビを点けた時は、既にトップグループは10数キロまで走っていた。30km過ぎで渋谷選手が仕掛けたが結局は吸収され、40km過ぎにホンダの藤原正和選手が飛び出した。雨の中、必死に後を選手達。藤原選手はそのまま逃げ切ってゴール。この大会で日本人選手が優勝したのは初めてだった由。 2位がJR東日本の藤原新選手、3位が中国電力の佐藤敦之選手と、5位までを日本選手が独占する快挙だった。一方の女子は3位までを外国選手が独占し、AC・KITAの河野真己選手が何とか4位に入ったようだ。 氷雨をついて走った仲間達はどうだったのだろう。また、秋田のJunさんやhoneyさんらネットの友人達は、果たしてどんなレースをしたのだろうか。同じこの日、埼玉県の10kmレースでは、しぃさんが走っている。雨中のランを心配していた彼女は、無事ゴール出来たのだろうか。 そんな心配をしながらも、私は妻と自転車で出かけた。今日は仙台出身の作家、伊坂幸太郎の小説を映画化した「ゴールデン・スランバー」を観に行く約束をしていたのだ。私は昨年の何時ごろだったか、この映画のロケの現場を偶然通りかかったことがある。あの時は何が何だか分からなかったが、今日の映画ですっかり謎が解けた。あれは最も重要な場面だったのだ。どおりで警察が大勢出ていたわけだ。 帰宅してからもまだ大津波関係の放送が続いていた。この日、沖縄の宜野湾市で行われる予定だったプロ野球のオープン戦楽天対横浜は、津波による万が一の被害を考慮して中止になったようだ。そして、米国の女子プロゴルフツアーでは、何と宮里藍ちゃんが2週連続での優勝を果たしたとのニュースも。これは44年ぶりの快挙だったとか。実に忙しい日だった。そして津波警報はまだ解除されていない。<2月のラン&ウォーク>ラン回数:15回(うちレース1回) 走行距離:143km ウォーク回数:毎日 歩行距離:130km 月間合計273km 年間走行距離:419km 年間距離合計:667km これまでの累計:70、701km
2010.02.28
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バンクーバーオリンピックの花形種目、女子フィギアスケートが終わった。結果は韓国のキム・ヨナ選手がSPに引き続きフリーでも圧倒的な差でトップを維持し、世界最高得点で金メダルに輝いた。19歳とは思えない落ち着きと完成度は観客を魅了したし、観客は何の心配もなく演技を観ることが出来た。 一方、キム・ヨナ選手の次に演技する浅田真央選手は、高得点に沸く場内の喧騒から身を守るように、音楽を聴いてひたすら集中心を保とうとしていた。SPで5点近く差を広げられた上、フリーでも予想外の高得点を取ったキム・ヨナ選手を破って首位に躍り出るためには、2回のトリプルアクセルを完璧に決めた上、ノーミスで演技を終えることが最低の条件。 選んだ曲と振り付けのためでもあろうが、真央ちゃんの表情は何時になく硬かった。前半は見事に2回のトリプルアクセルを決め好調だったが、そのことで気を緩めたのかそれとも疲労のせいか、中盤にジャンプでミスをするとリズムが狂い出した。それでも必死に建て直して演技を終了。総得点はキム・ヨナ選手同様200点を超えたものの、大きな差が出た。 試合後、真央ちゃんは涙を流していた。そしてインタビューを受けても、その涙は止まらなかった。「絶対に金メダルが欲しい」。試合前にそう語っていた彼女の願いは、叶うことはなかった。SPを含めてトリプルアクセルを3度も成功させたのは、オリンピックで初めての快挙だった。そして、初めてのオリンピックで銀メダルを取ったのも日本人初だった。 それでも彼女は悔しがっていた。ライバルのキム・ヨナ選手が金メダルを取ったからではない。自分が完全な演技が出来なかったことを悔いていたのだと思う。5年前からカナダで練習を重ねて来たキム・ヨナ選手は、明らかに観客を味方につけていた。それに引き換え真央ちゃんの方はコーチも変わり、曲の選定に伴う振り付けの変更になかなか馴染めなかったようだ。 同じ年の同じ月に生まれた2人。目指すものが世界一だけに強いライバル心もあるのだろうし、それぞれの国民の応援も凄いものがある。そんな重圧に耐えての高得点は賞賛されてしかるべきだ。2人はまだ19歳。きっとこれからも良きライバルとして競い合うだろうし、次回のソチオリンピックを目指すと思う。 試合後、イチロー選手がこんなことを語っていたそうだ。「銀メダルで嬉しがって泣いたんじゃなく、悔しがって泣いた真央ちゃんは凄い。そして金メダルを期待されながら、当然のように金メダルを取るキム・ヨナ選手は凄い」。さすがは一流選手。目のつけどころが凡人とは違うようだ。 結局日本のフィギアスケート選手は、男女全員が入賞を果たした。多分、このような国は他にないはずだ。8位になった鈴木明子選手が、大学1年生の時から3年生まで、拒食症で苦しんでいたことを今回初めて知った。長い苦しみから良く立ち直ったと思う。また女子の3選手はいずれも愛知出身とのこと。名古屋にはフィギアスケートが育つ環境が整っているのだろう。 私達に多くの感動を与えてくれたバンクーバーオリンピックも間もなく終了する。ここで戦った選手の皆さんには、心からの拍手を送りたい。もちろん勝つことは大事だが、自分の夢と目標に向かってまい進することの方がもっと大事なように思う。長い間の健闘お疲れ様!!そして、これからも夢に向かって頑張ってくださいね~。
2010.02.27
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「いわきサンシャインマラソン」から1週間が経った。今年2回目のフルの結果は、4時間29分38秒。これは3769名のエントリー中1423番目の成績だった。また60台男子の部では、211名のエントリー中83位だった。この参加者数は名簿を見て私が累計した数字。記録はほとんど意識していないが、自分では良く頑張ったと思っている。 「いわきサンシャイン」の特徴の1つは3箇所もある折り返しだが、見方によってはなかなか良いコース設定とも思える。理由は往路から復路のランナーが見える(もちろんその逆もある)ことだ。今回は仲間の頑張りを目の当たりに出来たし、記録を目指すトップランナーの力走や美しいフォームも刺激になった。 さて、この1週間は風邪気味だった。マラソンの前から喉が痛く、鼻水が出ていた。きっと映画を観た時に感染したのだろう。だが熱が無いため体は楽で、金曜日の夕方から妻と山の温泉へ行って来た。標高はさほど高くない場所だが以前に降った雪が残り、小雪が舞っていた。 露天風呂に舞い込む雪。暖かくて清潔な部屋。心の篭った料理。それらの非日常的なものは心を解放してくれたし、また筋肉痛などに効能があるという清らかなお湯は、3度とも独占状態で日ごろの疲れを癒してくれた。唯一心配だった愛犬も、犬小屋周辺を泥まみれにしていたものの、元気に出迎えてくれた。 山から帰宅した昨日は、午後からバンクーバーオリンピックの女子カーリングを観ていた。1勝2敗と後がない日本の相手は3勝1敗のイギリス。これまで体の良いお遊びだとばかり思っていたカーリング競技が、あれほど高度の技術を要するスポーツとは思いもかけなかった。世界一の実績のあるイギリスとの激闘にはドキドキハラハラの連続だったが、最後は日本の圧勝だった。 しかしオリンピックとは凄いものだ。国籍を移してまで出場したアイスダンスの女子選手。最年少で出場したスピードスケートの中学生選手。最年長の45歳で頑張ったスケルトンの選手。これまで5回オリンピックに出場しながら、なおも次を目指そうとする選手。今日のジャンプ競技ラージヒルで唯一入賞した日本選手は超ベテランだった。 一方、服装の乱れが問題視されたハーフパイプの選手や、フィギアスケートでは競技中にシューズの紐が切れた選手もいた。信じられなかったのは、ソリに張った競技団体認定シールを誤って剥がしたために失格となり、レースにすら参加出来なかった選手がいたこと。そんな悲劇も、全ては4年に1度しか開かれないと言う条件や極度のプレッシャーから起きたのだろう。 勝てば嬉しいし、メダルを取れば喜ぶのはもちろんだが、たとえ敗れても世界の一流選手を相手に戦っての結果。決して悲しむことはない。それにしても日本はメダル無しに終わると宣言したどこかの国の団体があったようだが、「ざまー見ろ!!」と言ってやりたい。そんな前評判にも決して負けなかった選手に一際大きな拍手を送りたい。ガンバレ日本!!
2010.02.21
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秋田のJunさんは大晦日の夜から新年にかけて、今年も年越しランを決行したようだ。雪深い秋田の道路は圧雪状態とのこと。それでもきっと30cmほどの厚さにはなっているだろう。距離は7kmほどだったようだが、新年にかける意気込みが伝わって来る。 今日届いたT田さんからのメールには、数枚の写真が添付してあった。彼ら宮城UMC古川支部の有志が元旦の5時に集合し、吹雪の中を走った由。写真には舞い散る雪が写っていた。まだ暗い元旦の雪の道を仲間と走るのは、やはりランニングに賭けている表れだろう。 アースマラソン中の寛平ちゃんは、115日間で4177kmのヨーロッパの道を駆け抜けた。イスタンブールからボスポラス海峡を渡り、目下トルコの首都アンカラへ向かう途中のようだが、ここで一旦イスタンブールへ戻ってメディカルチェックを受けるようだ。既に陸路を1万km走破しており、今後のためにも是非じっくり休んでチェックして欲しい。 昨日はちらっとだが「ニューイヤー駅伝」を観た。今日からは正月名物「箱根駅伝」が始まる。今朝もいつも通り愛犬との散歩。昨夜は足元が寒くて夜中に何度か目覚めた。今朝起きるとまたもや吹雪。これで3日連続だ。帰宅後はまだ眠っている妻を起こさず、朝食の準備をして1人で食べる。 それからおもむろに「箱根駅伝」を観出す。どうしたことか明治大学が4区までトップを譲らない。おやおや、これはどんな展開になるのだろうと思って観ていたが、妻に用事を頼まれた。今日は仙台名物の初売り。眼鏡店まで行って商品券を買って来て欲しいとのこと。ついでに郵便局に寄り、お金を下ろすことも。 「う~む。折角良いところなのになあ」。心の中でそう思いつつランニングスタイルに着替え、寒風の中を走り出す。これが今年の走り初め。距離は短いけど、ランニングが何かの役に立つのも良いことだ。30分ほど走る間に2つの用件を済ませて無事帰宅。眼鏡店では初売りの景品をもらった。5kmほどのランでも結構気持の良い汗をかいた。真新しいランニングダイアリーに、今年初めてランの記録を記載。 引き続き駅伝を観戦中に再び妻の声。今度は彼女の実家に年始の挨拶に行くと言う。これも年頭の儀式で謝絶の理由がない。いつもならビールを勧める義兄なのだが、今年はお茶。どうした訳かと帰り道に妻に聞いたら、昨秋に一時体調を崩したとのこと。そう言えば義兄も義姉も、何だか歳を感じさせる顔になっていた。 結局「箱根」は、5区で東洋大の柏原選手が昨年同様トップに躍り出て往路優勝を果たした。それも昨年自らが作った記録を更新しての区間新とは凄い選手だ。まだ2年生と言うから末恐ろしい傑物。 高校サッカーは東北高校が福島の尚志高校にPK戦の末に敗れ去った。折角前半リードしていたのに、後半になって追い着かれたとは残念だ。大学ラグビーは確か東海大と帝京大が勝って決勝進出を果たしたようだ。慶応も明治も、早稲田に続いて敗退とはねえ。 さて、昨夜のテレビは「世界で一番大きい地下の村」を観た。ヤオトンと呼ばれる中国の地下式住宅での生活ぶりだった。日本と朝鮮半島の交流史に関する番組は布団に入って観ていたが、残念ながらそのほとんどは眠っていたようだ。今夜も観たい番組があるのだが、果たして眠らずに最後まで観ることが出来るだろうか。
2010.01.02
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やりました~、シアトルマリナーズのイチロー選手。9年連続200安打はメジャーの新記録だそうです。達成したのは敵地アーリントンのレンジャーズとの試合。この試合何と雨で4時間以上待って試合が始まったと言うし、新記録はダブルヘッダーの第2試合で出たと言うから驚きです。 この記録は108年以上も前に出た8年連続を更新すると言うのも凄いこと。当時はファールボールはストライクと数えない打者有利のルール。今とはプレッシャーが違います。メジャーは年間の試合数も多いし、移動距離も長いので疲れ方が違います。それにアメリカ国内には確か3つの時差があるため、選手の体への負担が大きいはずです。 それらの障害を乗り越えて、つい先だっては大リーグ通算2000本安打を達成しています。また5年前に作った年間262本のヒットも確かメジャーの新記録だったはずです。テレビで観たら、今回の大記録達成の瞬間もイチローは極めてクールな表情でファーストの塁上にいましたね。でもレンジャーズファンからの惜しみない拍手は、彼にとってもきっと嬉しかったことでしょう。 さほど図体が大きい訳でもない彼が、勇躍メジャーに乗り込んだのが9年前。最初はブーイングの嵐で迎えられたみたいです。それでも信念を変えなかった彼。200本安打を4年連続で達成した時、夫人は「9」という数字をアレンジしたペンダントをイチローにプレゼントしたそうです。彼が好きだった数字と言うだけでなく、その時からメジャー新記録となる9年連続200本安打達成の夢を夫婦で描いていたのですね。 今年はWBCでの不振などが原因で胃潰瘍をわずらうなど散々な出だしでした。でも終わってみればWBCでは最後の最後に大きな仕事をしたし、胃潰瘍による欠場から復帰したメジャーの公式戦でも、ほとんど欠場した不利さを感じさせない安定感がありました。新記録達成まで残り数本となってから、足踏みしたのはほんの数試合でしたね。この辺にもイチローのハートの強さが感じられます。 試合後のインタビューで彼が話していました。これでようやく重圧から開放されると。これまでは記録を保持していた選手との戦いだったけど、これからは自由に打つことが出来るとも。鉄人イチローにして、そこまでプレッシャーを感じていた証だと思うのです。 それにしても不思議なのは、シアトルマリナーズが優勝するために選手を手厚く補強しないことです。イチローも個人成績達成だけで満足しているわけでもないのでしょうが。実は私は格好良いイチローよりも泥臭いゴジラ松井の方が好きです。膝を痛め、ボロボロになりながらもニューヨークヤンキースで4番を任せられるバッター。あの飄々とした態度が私は大好きなんですよ。 さて、私個人の記録と言えば、平成8年全都道府県探訪達成(最後の県が和歌山で、記念に「和歌山城ー高野山往復110kmマラソンに出場)。平成14年、ランニングの累計で地球一周(約4万8km)達成。平成16年全都道府県走破(最後の県は奈良県で約50kmの単独マラニックでした)達成くらいでしょうか。1回の最長距離は62歳の時に走った「佐渡島一周」が途中道路工事で211kmでした。その佐渡への参加も多分今回が最後になると思っています。
2009.09.15
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昨夜の10時17分。私はラジオの電源を切った。放送していたのはKスタで行われていた楽天対オリックスの16回戦。9回表オリックスの攻撃中でスコアは10対9で楽天が1点リードの場面。ノーアウト満塁のピンチだった。ピッチャーはこの回からマウンドに上がった抑えの福盛。1点取られてどうなるかとハラハラドキドキの場面だった。だが放送時間は10時21分までらしく、私はきっと逆転負けだろうと観念していた。 それが今朝の新聞を見たら、9回表に取られたのはあの1点のみ。結局あのまま10対9で楽天が勝っていた。第1現場に出勤し掃除担当の小父さんと野球談義をしていると、彼はラジオ放送は最後まで間に合ったと言う。最後はショートライナーと内野ゴロでの併殺だったようだ。西武も勝ったが、これでまだ楽天は3位のままだ。 セリーグでは1位の巨人と2位の中日が2.5ゲーム差。この2チームのCS進出は間違いないだろう。パリーグでは日ハムが5連敗して2位のソフトバンクと3ゲーム差まで縮まった。この2チームのCS進出も堅いと思う。問題は3位になるのがどこかだ。楽天が初めてAクラス入りを果たすか、はたまた実力のある西武が順当に勝ち上がるのか。 世界陸上最終日の女子マラソンにも痺れた。35km過ぎエチオピア、中国、日本の3選手の争いの中で最初にエチオピアのメルギアが脱落。40kmからは中国の白雪と日本の尾崎好美の一騎討ちとなったが、41km過ぎに白雪が抜け出す。後を追う尾崎も必死だったが10秒差での銀メダルだった。この日のベルリンは30度以上の気温で、路面は40度を越していたとか。 尾崎選手は第一生命陸上部の山下佐知子監督の愛弟子だが、元々体は弱い方だった由。初マラソンだった昨年3月の名古屋国際で2位。昨年11月の東京国際で優勝。そして今回が世界陸上で2位と、経験が少ないのに安定した成績を残しているのは立派。セカンドウインドの加納は7位入賞、資生堂の藤永が14位で女子団体の銀メダルを獲得した。期待されたママさん選手の赤羽は暑さ対策が十分でなかったのか31位に終わったのが残念だ。 甲子園の高校野球もつい先ほど全日程が終了した。決勝戦は愛知の中京大中京と新潟の日本文理の戦いだった。好投手を擁する花巻東を圧倒的な大差で下した中京が有利と見ていた。事実8回まで10対3と大量リードしていた。だが最終回日本文理は凄まじい集中力で6点を取り、10対9まで追いすがったが、結果は中京が1点差での辛勝だった。 かつての名門チームの強さも目立ったが、新興チームの強さが光った今大会だった。そして、たとえ試合中に負けていてもベンチではニコニコしている選手達の顔が印象的だった。もう昔のような地域による格差は見当たらない。どうやら北国のチームが技術的な面で南国のチームに負けるようなことは無くなったようだ。 甲子園で私が思い出すのは「やまびこ打線」を率いた徳島の池田高校の蔦監督や、指笛とセーラー服姿での応援が印象的だった沖縄水産を率いた栽監督だ。2人とも既に亡くなったが、茨城の常総学園を率いる木内監督は未だ現役。78歳の老監督に何とか甲子園で1勝をプレゼントしたかった選手達だったが、残念ながら今回その夢を果たすことは出来なかった。若者達よ、いつまでも嘆くことはない。きっと君らの後輩達が来年に夢をつなぐことを信じようではないか。
2009.08.24
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サッカーJ2のベガルタ仙台が昨日徳島を下し、順位が2位に浮上したようだ。ご存知の通り今季からJ1の下位3チームがJ2へ自動的に落ち、J2上位3チームが自動的に昇格するルールになった。だがまだ17試合も残っているし、3位、4位との勝ち点の差が少ないので、戦いはこれからが本番だろう。 サッカーの試合を一度もグランドサイドで観ていない。お揃いのユニフォームを着て応援するまで気持ちが高ぶることがないためだ。ただ地元のチームがJ2のままで終わって欲しくはないとの思いはある。それよりも私は今回試合をした徳島のポカリグラウンドのことを考えていた。 徳島ヴォルグスの前身は鳴門市に工場がある大○製薬。私は25年前に鳴門に赴任し、5年ちょっと暮らしたことがあるが、その時の宿舎がその工場や運動公園の直ぐ近くだった。この工場は緑色に塗られ、大阪南港から出航するフェリーの船上から良く見えた。まだ大鳴門橋が出来る前の古い話だ。あの頃は仕事に悩み、深夜の海岸を走ったことも再々だった。 昨夜はラジオ放送を聞きながら一喜一憂していた。対ロッテ17回戦。8回の表まで0対6の試合展開では負けを覚悟するのが普通。ところが8回裏に山崎の3ランなどで4点を取り、9回裏には再び山崎の2ランで同点に追い着き延長戦に突入。そしてもう後が無い12回裏にノーアウト満塁の好機でラジオ放送が終わった。 もう楽天の負けはない。勝ちならサヨナラだし、悪くても引き分け。テレビを点け、スポーツニュースを観たのは当然の成り行き。そして1アウト後、唯一宮城県出身の小坂がサヨナラヒットを打ったことを知った。彼にとって12年ぶりのサヨナラ打だったそうだ。この日デーゲームで3位の西武が敗れたため、差はわずか0.5ゲームまで迫った。球団創立5年目の楽天にとってはAクラス入りとCSシリーズに向けて、これからが本当の戦いになると思うのだ。 さて、昨日まで大西洋を横断中だったエオラス号が日本時間の午後4時頃、フランスのルアーブル港に入港したようだ。その時の動画は入会手続きに手間取っているうちに放送時間がが終了し、残念ながら観られなかった。数日体調を整えた後、寛平ちゃんはこの秋IOCの会議が開かれるデンマークのコペンハーゲンに向けて走り出すはず。そしてその後はユーラシア大陸を上海まで横断する予定。寛平ちゃんの壮大な旅はこれからが本番なのだ。 昨日妻の実家を訪ねた時、「まだ走ってるの」と義兄に聞かれた。そこで私は答えた。「最低でも80歳までは走りたい」と。その答えを聞いて、多分義兄は心の中で笑っていたに違いない。でも私は本気。決して冗談ではない。80歳までフルマラソンに挑戦するには、健康じゃないと無理。走っているからこそ健康を保てるとも信じている私。 今年のレース予定は埋まっているが、既に来年の予定も頭の中では出来ている。いや、そればかりでなく、少なくても後15年は現役のランナーであり続けるのが私の真の目標だ。出来れば死の前日まで走っていたいと言うのが偽らざる心境。先は長い。私のランニング道は、これからが本番だと思っている。
2009.08.17
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石巻から気仙沼まで走ったマラニックの完走記を書いているうちに10日近く経った。この間の気になる出来事を記しておきたい。先ずは大相撲だが、名古屋場所の優勝は白鵬だった。これは当然の結果。いわゆる心技体が磐石だからだ。彼は往年の名横綱、双葉山を尊敬し、その生き方に深い関心を寄せている由。 そう言われてみると納得出来る面が多い。彼の場合、相撲を取り終えた後の姿勢がとても立派なのだ。これと相反するのが朝青龍。自分が勝った後では「駄目押し」をするし、負けて土俵に転がった後も、相手の足を掴んで転ばそうとしていた取り組みがあった。それらは決してしてはならないこと。既に相手が力を抜いている時に、相撲道に反する行為をすれば相手が怪我をしかねない。そんな面から見ると、やはり朝青龍は横綱失格と言われても仕方がない。 話題の日馬富士は残念ながら連続優勝がならず惨敗だった。緊張による堅さもあったが、まだ経験が乏しく体も出来ていない。大型力士が多い相撲界では、さらに強靭な肉体とより一層の敏捷さが要求されるように思う。その点については彼も自覚しているようだ。入門当時の白鵬が体重わずか70kg程度だったことを思うと、日馬富士にだって出来ないことはないはず。 女子プロゴルフの宮里藍がアメリカ女子プロツアーで初優勝した。場所はフランスの「エビアンマスターズ」だが、これも正式のツアーなのだとか。確かスェーデンの選手とプレーオフを戦っての優勝だったはず。アメリカでのツアーに挑戦して4年目。最近不調が続いたが、彼女はその間もじっと我慢し自分の技術を修正していたようだ。その辛抱がようやく実ったことが嬉しい。 アースマラソンの寛平ちゃんだが、過日大西洋の上で還暦を迎えたようだ。そしてその大西洋も半分は乗り切った由。冬の太平洋と比べれば、今の次期の大西洋はずいぶん楽なのだろうか。ヨットでの洋上生活も2度目の寛平ちゃん、すっかり余裕が出て新しいギャグを考案中とか。 昨夜の東北楽天は盛岡で西武と戦った。オールスター明けの緒戦の先発は岩隈。これまで6勝5敗と低迷していた彼だが、オールスターで休んでいる間に野村監督に投球フォームについて助言され、持ち前のスピードが戻ったのだとか。これでもう一人のエース田中が復調すれば万々歳なのだが。そんな中で40歳を過ぎた山崎が良く頑張っている。昨夜も2本のホームランを放つなどの大活躍で、嬉しい誤算。後は中村ノリの奮起を待ちたい。 さて、大した内容ではないが、実は私も戦っていたことがある。一つは体重。あのマラニック中、志津川の民宿でいただいたご馳走が祟って、体重が1.5kmほど増加していたのだが、昨夜辺りからようやく元の体重に戻った。肉体労働に従事し、たまには走っている私がこうだから、運動をしないで食べてばかりいたらどうなるか怖い。 戦っていたことの2つ目は疲労。昼の暑さが夜まで続き、寝苦しい今の時期。疲れているのに加えて睡眠時間が不足しては、元気が出ないのも道理。連日勤務しながら眠気を堪えるのに必死な私だ。あまり夏ばてしないよう、睡眠と休養、それに栄養にも注意して、何とか暑い夏を乗り切りたいものだ。 10月の予定レース「東山温泉もみじマラソン」50kmの部に、先日エントリーした。今回が第1回で、福島県会津若松の近郊東山温泉からスタートし、布引高原を折り返すトレイルマラソンだ。私は前日会津若松の博物館を訪ね、東山温泉に一泊する予定。また8月末の「立山登山マラニック」へのバスチケットも購入済み。これでまだ手配していないのは、11月の「沖縄本島東海岸単独縦断」だけになった。こちらはまず資金を貯めるのが先決なのだが。
2009.07.29
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とうとう貯金を使い果たした。野村監督率いる東北楽天が話題の対象。昨夜の対ヤクルト戦2連敗で、春先から貯め込んでいた白星がすっかり無くなってしまったのだ。どうもセパ交流戦に入ってから調子が良くない。巨人、広島、ヤクルトにそれぞれ2連敗ずつで、目下交流戦の最下位。いくら最下位には慣れてると言っても、これではねえ。 打線の主力である山崎、中村ノリ、リックが共に腰痛で苦しんでいるし、セギノールに至っては未だ2軍で調整中。投手陣も田中以外がピリッとしない。昨年21勝3敗だった岩隈が、目下5勝4敗では貯金が無くなるのも当然だ。昨夜も5失点で4敗目を喫したが、無様だったね岩隈は。WBCの疲れがまだ残っているんだろうか?あの松坂ですらたったの1勝だもんなあ。 さて、40歳の伊良部がアメリカの独立リーグに現役復帰のニュースには驚いた。辞めてから3年は経ってるかな?それが帰国して野球を指導しているうちに、速球を投げるコツを発見したと言うから奇跡みたいな話。昨日は5回4失点(自責点2)ながら148kmのボールを投げ、久しぶりに勝利投手になったとか。全く凄い話だね。 約4800kmを走る「トランスヨーロッパ」も49日目。目下スエーデンを北極圏に向かって北行中。気温は3度から6度Cとか。「ゴアテックス」を着てもまだ寒いと旅がらすさんのブログに書かれていた。通算トップはドイツの男子選手で278時間06分35秒。で、ビリが日本人女子の旅がらすさんで535時間45分00秒。一時リタイヤしていたHさんなどの日本人選手も、参考記録だと思うが、まだレースに参加しているようだ。 「アースマラソン」173日目の寛平ちゃん。昨日は足の甲が痛んでいたみたいで、私は疲労骨折を心配していた。道路上に細かい砂利や砂があった時は、それがクッションになっていたのが、堅いアスファルトに変わってから足に強い衝撃を感じていた由。インソールにクッションを敷くなどの対策で、何とか痛みを抑えながらゴール出来たようで一安心。 昨夜は岡田ジャパンがアウェーでウズベキスタンを1対0で下した。これでアジア予選2位以上の通過が決定し、世界で一番早く南アメリカ開催のワールドカップへの出場決定の由。つい先ほど帰国した模様だが、岡田監督はかねがね、ワールドカップではベスト4に入りたいと表明しているようだ。かなり強気な発言だが、たとえ前途多難であろうともその意気込みが嬉しい。 さて、今夜の楽天は東京ドームで対巨人戦。現在阿部のホームランで0対2の劣勢。う~む。これでいよいよ借金生活の始まりか。何とか踏ん張って欲しいのだが、やはり前途多難は免れないだろうな。
2009.06.07
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Kスタの前に着いてビックリ。何と当日券発売の看板が立っている。札幌で3連勝した後の地元での開幕戦で当日券が残っているとは。3塁側内野席の一番高い場所が今日の席。いつも応援するレフト自由席の場合、人気度の高い試合だと券はあっても座れないことが多い。先に着いた人が、後から来る仲間などのために余分に確保してしまうからだ。 球場を見回すと去年とは様子が違う箇所がある。ライト側の大広告が建築会社のものから他業種に変わっている。試合中に分かったことだが、オーロラビジョンでの広告の中心だった住宅メーカーが、ビール会社に変わった。他にも幾つか看板が入れ替わっている。どうやら長引く不況の影響がこんなところにも現れているようだ。 始球式では女の子が投げた。球団が誕生した年に投げた少女が5年目の今回も投げたようだ。遅れて行ったためにセレモニーの内容は確認していないけど、いつもに比べて地味に感じた。ダンシングチームの曲と衣装と振り付けが変わっていた。電光掲示板も少し変えたようだ。それらはオーナー企業である楽天がTBS株の買占めと売却で700億円の損失を出したことと関係しているかも知れない。 マスコットキャラクターも変わった。昨年不在だったカラスコが戻って来て、バイクでの派手なパフォーマンスを披露した。やはり優勝を狙うためには元気なカラスコが必要だ。トランポリン3人組がいなくなり、新たにゴーヤマンが登場した。これはキャンプでお世話になっている沖縄の久米島と関係しているのだろう。 さて、試合は田中マー君の先頭打者デッドボールで始まった。去年までの田中なら、そこから失点するパターンだった。でも今年は全く違う。態度は堂々とし、投球フォームが美しい。佐藤義則ピッチングコーチの指導で、フォームの改造に取り組んだ成果が出て実に安定している。そのためスピードに加え、抜群のコントロールになっていた。 また、中村ノリ(元中日)、小坂(元巨人)、セギノール(元日ハム:昨年後半から)などの加入で、守備に安定感がある。そして鉄平、セギノール、中村ノリの主軸が打撃でも好調。田中の投げるリズムが攻撃に良い影響を与え、わずか7安打で6点を奪取。3時間も掛からない締まった内容の好ゲームだった。中村ノリや小坂は当然のことながら、横川、牧田、内村にも個人応援歌が出来たみたいだ。 試合後のインタビューを聞くため最前列へ移動。場内アナウンサーが田中に「今年の抱負は?」と聞いたところへ、私は大声で「優勝!」と怒鳴った。その声が届いたのだろう。田中は「もちろんチームは優勝を目指しますが・・」との言葉から入った。外野席まで足を運び、勝ちゲーム恒例の万歳三唱に参加した選手はこれまでの最高で8人くらいはいたと思う。 これで球団初の開幕4連勝。野村監督も田中の変貌振りには驚いていたようだ。キャンプではフォームの改造に取り組んだ田中。WBCでは松坂の練習や調整法を身近で観察して、世界的な投手から得たものが大きかったと言う。きっと今年は15勝はする。私はそんな予感を受けた。球場内に轟く球団応援歌を聞きながら、高揚した気分で家路を急いだ私だった。
2009.04.08
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大相春場所は横綱白鵬の全勝優勝で幕を閉じた。不知火型の横綱は短命に終わるとのジンクスがあるが、彼の場合は若いのに加えて稽古熱心なので、当分牙城は揺るがないだろう。もう一人の横綱朝青龍は稽古不足と肘の古傷の悪化で、11勝止まりの成績に終わった。どんなに強い横綱でも、稽古を怠り慢心すればたちまちのうちに座を追われると言う見本かも知れない。 プロ野球はオープン戦の全日程を終了し、いよいよ今週の金曜日から公式戦が始まる。オープン戦の結果を正確に把握していないのだが、我が東北楽天はまずまずの成績だったと思う。WBCから帰国して田中マー君は1回試合に出て好投したが、大活躍の岩隈に疲れが出て1度も試合で放ってないのが少しだけ気がかりだ。 その岩隈だがWBCの活躍で一躍有名になり、今やコマーシャルに引っ張りだこの状態なのだとか。嬉しいニュースはそれだけに止まらず、この度宮城県から県民栄誉賞を受賞することが正式に決定した由。その一方で大器と期待された投手の一場が、開幕間近でヤクルトにトレードされたのが少々淋しいニュースだった。 さて、全国高等学校選抜野球大会で、我が宮城県代表の県立利府高校が大活躍していることに驚いている。県内では仙台育英と東北高校の独壇場で、県立高校が甲子園に行ってもなかなか勝てなかったのが実状だ。利府高校は21世紀枠での出場なので、その活躍ぶりが一層目立つのだろう。第一、先ず監督が落ち着いているし、主戦投手のピッチングが老獪で凄い。 ベスト8に進出し、次に当たるのは早稲田実業とか。どれだけ自分達の野球が出来るか楽しみだ。同校には県立高校には珍しく、スポーツ科学科が置かれていることを今回初めて知った。また岩手県代表の花巻東も素晴らしい投手を抱えてベスト8進出を果たしている。選抜大会において、東北地区からベスト8に2チームも残っているなんて、まさに奇跡。時代が変わりつつあるのだろうか。 サッカーワールドカップのアジア予選は先日ウズベキスタンに勝って、予選通過までマジック1となったみたいだ。岡田監督も何だかんだ言われながら、結構頑張っているように思う。さて、「アースマラソン」の寛平ちゃんだが、ネバダ州を抜けて3つ目のアリゾナ州へ入ったとか。このまま病気や怪我をせずに、無事北アメリカ大陸を横断して欲しいものだ。
2009.03.30
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「八丈島一周」のレースからすっかり日が経ってしまった。いまさらと言う感もあるが、完走記連載のため書けなかったことを書いておきたい。 まずは3月12日(木)の夜に行われたWBCの世界タイトルマッチ。フェザー級の粟生隆寛だが、一見弱そうに見えて、なかなかしぶといボクサーだった。12ラウンドをフルに戦い圧倒的な差での判定勝ちは見事。試合後のインタビューへの言葉が「お父さん、お母さん、ありがとうございました」。その心根が素晴らしい。きっとこれまでに相当苦労したのだと思う。 一方、バンタム級の長谷川穂積のファイターぶりはもの凄かった。わずか第1ラウンド2分37秒でのTKO勝ち。切れ味鋭いパンチを連続して繰り出し、鮮やかな幕切れだった。8度目の防衛成功は26年ぶりの快挙とか。何とか3兄弟と違って派手なパフォーマンスはないが、あれこそが真の王者だろう。 さて、WBCでの侍ジャパンの活躍には日本中が興奮させられた。日本と韓国が合わせて5回も戦ったこと。世界ランキング1位のキューバを2度も完封したこと。野球の本場であるアメリカに圧勝したこと。決勝戦となった韓国戦は息詰まるような戦いになり、どちらが勝ってもおかしくない展開だった。 先発投手岩隈の力投。レフト内川の超ファインプレー。延長にもつれ込んだ10回表の神がかり的なイチローの2点タイムリーなど、今思い出しても身震いするほどの熱戦だった。韓国もさすがは北京オリンピックで金メダルを取った強いチームだった。だが、最後まで温存出来た分、選手層の厚い日本が有利だったのだろう。 3勝して2回連続してMVPを取った松坂は、さすが大リーグで鍛えられていただけのことはあった。「ベスト9」には松坂と岩隈の両投手のほか、高い打率を維持した青木が選ばれ、ダルビッシュのスパイク、岩隈の帽子、イチローのバットがアメリカの野球殿堂入りを果たした。 さて、初めは頼りないと感じた原監督の采配だが、最後まで選手を信頼した姿勢は立派だった。我慢強く選手を起用し続け、時には思い切った作戦を採った。「お前さん達は本当に強い侍になった」。シャンパンファイトに先立つ挨拶が、原監督の想いの全てだったろう。怪我をして帰国した村田の首に金メダルをかけた原監督。「僕にも金メダルをくれないかなあ」と話していた村田も、本当に嬉しかったと思う。 鉄拳制裁の星野。ぼやきと嫌味の野村。それに対してジェントルマンの原は、やはり若大将だった。あれで若い選手が着いて行けたのだと思う。「この会見を以って侍ジャパンの監督を卒業します。そしてジャイアンツの監督に戻り、日本一を目指します」。原の挨拶は最後まで清々しかった。 侍ジャパンの選手達よ。私達に夢と感動をありがとうね。そして原監督。果たしてどんな野球が出来るのかと見くびっていたけど、あんたの人間性は凄い。俺も見直したよ。きっと裏表の無いあんたの人柄を、選手達は信じたんだろうね。王前監督同様、ナベツネに球団を追われながらも監督にカムバックした原。これまでのそんな苦労が、きっと今回大きな花を咲かせたんだと思う。大変な重責を無事果たし、本当にお疲れ様でした~。
2009.03.27
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土曜日。山越えのLSD決行。前日の大雨で山道がぬかるんでいることを想定し、太白山裏側の林道を行くことにする。ザル川の水は思ったより濁っておらず、林道もさほど走りにくい状態ではなかった。梨野への分岐点から県道へ向かうと道端には僅かに雪。そして風に乗って小雪も舞い出す。長い坂道を下って折立へ出、広瀬川に架かる生瀬橋から折り返す。 大梅寺の麓で湧き水を飲み、今度は長い坂道を登る。このコースを走るのは昨年の4月以来のこと。結構アップダウンがあるため、坂道が多いであろう「八丈島」の練習になると思ってのことだ。21kmを2時間20分ほどのLSDとなる。さすがに履き慣れたシューズは何の抵抗もなく、とても楽に走ることが出来た。 日曜日。「秋田内陸100km」の案内が届く。銀のねこちゃんのブログに数日前に届いたと書かれていたので、間もなく届くことは予想していた。9月の最終日曜日にレースが開催される由。多分私はその1週間前の「佐渡島一周」に参加することになると思う。年齢を考えれば206kmもの超長距離を走れるのは、この先もう何度もないだろう。そして今回が多分最後の挑戦になるはずだ。 サッカーJ2のベガルタ仙台対コンサドーレ札幌戦を観戦。最終戦で負けJ1昇格を果たせなかったベガルタに対して、J1残留を守れなかったコンサドーレ。昨年は悔しい思いをしたチーム同士だが、どれだけJ1昇格に対する気持ちが強いかが、今季の最終成績につながると思う。我がベガルタが後半に奪った1点を死守して勝ち点3をゲット。幸先良い白星スタートとなった。 同夜、係長から電話。勤務日前日に彼から電話があるとろくなことが無い。案の定、遅番の同僚が金曜夜の巡回中に雨で濡れた螺旋階段から滑り落ち、腰を強打した由。そのため月曜と火曜の両日、早番と遅番を交代して欲しいと言う内容だった。この冬何度か雪が降ったり凍ったりで、あの螺旋階段には相当注意を払っていた。これからも労働災害を起こさないよう十分気をつけたいと思う。 そんな訳で急遽今日は遅番勤務。前夜遅かったため朝はゆっくりする積りが、愛犬の様子がおかしいとの妻の言葉に起こされる。原因は下痢だった。ちょっと変わった食べ物を与えると、決まって腹を下す愛犬。まあ大したことがなくて良かった。 朝食後、「雪割草が咲いたよ」と庭で妻が呼ぶ声。春に先駆けて咲いた小さな花を愛でる。枯れたアシタバを抜いて裏の元気な苗を植え替えた積りが、太い主根が途中から切れてしまった。強い植物なので復活することを期待したい。アシタバは八丈島の特産品で、植えてから3年目で花が咲き実が生ると枯れることを、今回調べて初めて知った。 さて麗らかな今日は気温も11度まで上がるとか。勤務の関係で帰宅ランが出来ないため午前中から走る。今日は平坦な11kmのコースにし、新しいシューズを履いて出発。ザル川の畔をさほど足に衝撃を感じることなく走れた。さて、今週末はどのシューズでレースに臨もうか。それよりも遅番勤務のために、今夜の日韓決戦がほとんど観られないのが残念だ。
2009.03.09
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いや~。昨夜は大興奮でしたね。何ってWBCの第1ラウンド日本対韓国戦ですよ。観ていてあれだけ興奮したのは久しぶりのこと。今まで韓国には相当苦しめられていたし、これまでの試合で「侍ジャパン」の調子が悪かったこともあって、ずいぶん心配してましたからね。 でも私は試合が始まる前に妻には日本が勝つよと話していました。その根拠ですが、今回は韓国の選手に兵役免除のご褒美が用意されてないと聞いていたからです。北京でやたらと強かったのは、メダルを取れば兵役免除が約束されていたからで、「ぶら下げられたニンジン」が無い今回は、彼らのモチベーションは低いと見ていたのです。 しかしまあ原監督の采配も冴えていましたね。北京オリンピックで惨敗した相手の戦力を良く分析し、好調の稲葉を下げてまでジグザグ打線を組みました。選手達も何とか北京の借りを返したいと、初回から猛然と襲い掛かりましたからね。特に1番のイチローが相手の持ち球を痛打したのが大きかったと思います。後続のバッターにも連打されたことで、とうとう得意の球を投げることが出来なくなったようです。 いやはや侍ジャパンの破壊力は大したもの。決して追撃を緩めず14安打で14点を取る猛攻撃。しかも7回コールドとは恐れ入りました。点を取る度、興奮のあまり思わず大声を出した私でした。もちろんその後のスポーツニュースも観、早速今朝の散歩でスポーツ新聞を買いに行ったのは言うまでもありません。 ついでながら、C組ではアメリカがカナダに6対5で辛勝。D組ではオランダがドミニカに3対2で勝つ番狂わせですよ。これだから勝負事は最後までどうなるか分かりません。現時点で明日の対戦相手がどうなるか不明(恐らくは韓国のはず)ですが、しっかり1位で突破しアメリカのサンディエゴで行われる第2ラウンドでも、有利な相手と対戦したいものですね。 さて「アースマラソン」で太平洋を横断中の寛平ちゃん達ですが、いよいよロスに近づいて来て興奮中とのこと。ロングビーチ港まで残り400kmちょっとのようです。上陸に備えて寛平ちゃんは連日の筋トレ。メニューはエアーバイク3千回、「もっこりふくらぎ」千回、「ターザンの使い」300回、「揺さぶりゆりかご」300回。お陰で筋肉隆々だそうです。一方比企さんの方は、入国管理審査に備えて英語を猛練習中とのことです。 さて、今日は名古屋国際女子マラソンがありました。優勝したのは今回が初フルマラソンの藤永佳子選手で、資生堂所属の27歳。37km付近でトップだった新谷選手(豊田自動織機)を交わし、そのままゴール。ベルリンである世界選手権大会の代表に内定したようです。そして今日がラストランだったQちゃんこと高橋尚子さんが、2時間52分23秒の29位でゴールしたのはさすがでした。Qちゃん、長い間私達にたくさんの感動をありがとうね。そして本当にお疲れ様でした~。
2009.03.08
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きっとんとんさんのブログが消えてしまったようだ。一体どうしたのだろう。彼女は元教師で、日本では数少ない「コラージュセラピー」の実践者。つまり切り取った写真を組み合わせて作ったコラージュから製作者の心理状態を読み取り、進路指導すると言うユニークな活動を行っておられた。 適切な指導を受けて明るい暮らしを取り戻せた事例が、ブログには数多く紹介されていた。コラージュの変化から相談者の成長を読み取ることが出来た彼女は、とても暖かい心の持ち主。大変なご苦労の奉仕活動だったにも関わらず、彼女は嬉々として天職に励んでいたのだが。 さて、心配と言えば昨夜の「侍ジャパン」も何だかおかしかった。西武ライオンズを相手に2対7の完敗。その負け方が良くない。特にイチローの元気の無さが目立つ。好機に打てないのに加え、塁に出ても盗塁が決まらない。逆に最終選考から漏れた西武の岸の好投が光った。韓国、中国、台湾を相手に戦う第1ラウンドで2位までに入るのは確実だろうが、どうも気がかりだ。果たして今夜の対巨人戦でどう立て直すか。 違和感と言えば最近首や肩が痛む。寝相が悪いのか、パソコンの見過ぎか、はたまた仕事が厳しくなったせいか。いずれにしても加齢が影響していることは確かだ。そう言えばこの頃体操をしていない。自分の体力を過信して体の手当てを疎かにした報いかも知れない。 今日は新しいランニングシューズの試し履きを決行。だが、家を出て200mも走らないうちに両足が痛み出した。これまでのシューズは昨年11月の「つくばマラソン」直前から履いたもの。底が柔らかく、怪我をした私の足には優しく感じとても走り易かった。だが購入後4ヶ月もしないうちにすっかり底が磨り減っていた。 今回底の堅いシューズを選んだのはそのため。1万円以上もするシューズが4ヶ月でダメになるようではとても経済的に持たないからだ。ただ私の足が耐えられるかが懸念の材料。その懸念が早々に出現するとは。どれだけ足に馴染むかを確かめるためさらに実験を継続。5kmほど走るうち徐々に痛みも和らぎ、そのまま練習会のコースに向かう。 登り坂も下り坂でもまあまあ順調。ところが名取川の堤防まで来た時、鋭い痛みが両足を襲った。この痛みは肉刺が出来た証拠。やはりシューズの底の堅さで、インソールと足底部が摩擦を起こしたのだろう。2時間26分ほどかかって何とか帰宅。ソファーに座って靴下を脱ぐと、左足は大丈夫だったが右足に小さな肉刺。早速バンドエイド2枚で応急処置。 これくらいならの摩擦なら、レース前にテープを張ればきっと大丈夫のはず。後は3月14日のレースまでにどれだけ足が慣れるかだ。昼食を摂りながら「びわこ毎日マラソン」を観戦。優勝は外国選手にさらわれたが、双子の清水兄弟の兄が日本人選手1位の4位で入賞し世界陸上選手権への出場を決めた。こんな選手もいたことを初めて知った。世界とはレベルの差がある男子マラソンだが、若い選手の果敢な挑戦をこれからも期待したい。
2009.03.01
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昨夜は夜遅くまで「侍ジャパン」の試合結果をスポーツニュースで観ていた。お風呂に入り寝室に向かうと玄関で異音。はて、何だろうと不思議に思ったら、どうやら愛犬のいびきのようだ。前夜は留守番のため犬小屋で寝た彼。きっと寒さと不安で良く眠れなかったのだろう。ご主人様が無事帰宅し、自分も今夜は玄関に入れられて安心したのだと思う。 今朝はゆっくり起床。散歩と朝食を終え、いつものバラエティ番組を観る。スポーツ関係ではやはり「侍ジャパン」への反応が凄い。宮崎であった巨人との練習試合には、わざわざ遠くから観戦に来たファンが多かった由。宮崎市内が大渋滞したのは初めてのようだ。前日から球場で待っていたファンも多く、試合開始の4時間前には整理券を全て配り終えたとか。 日ハム稲葉選手の3ランホームランなどで10対0の圧勝。いくら相手がまだ調整段階とは言え、やはり日本代表候補選手の実力は相当なもの。我が東北楽天の田中マー君も2番手で出場し、2回3分の1をヒット0本と手堅く抑えたのが嬉しい。 今日は朝から良い天気だった。妻は昨日に続いて洗濯をし、布団を干した。午後から「横浜国際女子駅伝」を観戦。「東京国際女子マラソン」が昨年の大会で終了し、来年は横浜に移るため、この駅伝大会は今回で任務を終えるようだ。1区から日本チームが他を引き離す。第2中継地点までそのままトップで入ったのを見届けLSDに向かう。 行き先は走友会の練習コース。家からだと距離は22kmほどか。今月はレースも無い上に8kmの帰宅ランが多く、LSDは11日以来。だが全く心配していない。寒い間はあまり無理しないことにした。怪我を防ぐためだ。それでも来月ある62kmのレース「八丈島一周」は走れると思う。 寒くもなく暑くもない、走るのにはちょうど良い気温。坂道の雪も思ったほどではなく、とても走りやすい。コースの最高部から見下ろすと、春霞がかかったような景色。名取川を右岸から左岸へと渡り、有料道路の傍へ出る。前回閉鎖されていた隋道が今日は通れた。どうやら堤防の工事が終わったようだ。地下鉄の終点でトイレと水分補給。2時間20分ほどかかって無事帰宅。 着替えを終えて愛犬と散歩へ行こうとしたら、既に済ませたと妻。自分の洗濯物を片付け布団を敷いた後、パソコンを立ち上げる。「横浜国際女子駅伝」は日本チームの完全優勝。最終区間では渋井陽子がさらに2位を引き離して有終の美を飾ったようだ。 「侍ジャパン」の第2戦は、今日も降雨コールドで13対1の圧勝だった由。そして24日に大阪であるオーストラリアとの練習試合に出場するメンバーが発表になったようだ。つまり最終選抜に漏れた選手が明らかになったわけ。落選したのは西武の岸と細川。ソフトバンクの和田と松中。そして広島の栗原みたい。楽天の岩隈と田中マー君は見事日本代表選手に選抜された。来月初旬から始める第1次リーグ戦突破に向けて、全員が一致協力して頑張って欲しい。
2009.02.22
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昨夜の対オーストラリア戦は手に汗を握る、息詰まるような戦いだった。サッカーのワールドカップアジア地区予選のA組は、オーストラリアが1位で日本は2位。前回は1対3の完敗だったようだ。ホームの今回は勝ち点3をゲットするチャンスだったのだが、惜しいシュートはあっても0対0の引き分け、勝ち点1に終わってしまった。それにしてもオーストラリアは何時の間に強くなったのだろう。 さて、エオラス号で太平洋を横断中の寛平ちゃん。大阪でアースマラソンのスタートを切ってから58日目。距離は7150kmに達したようだ。先日観た動画によれば、彼らは暫くシャワーを浴びておらず、着の身着のままの暮らしが続いている由。またヨット操縦中は頭から波しぶきを被り、髪はベトベトだそうだ。目下激しい東風に悩まされ、ヨットのスピードは上がらないとか。それでも太平洋の6割は走破したみたいで、2人はいたって意気軒昂だ。 今回トレーナーを務める坂本雄次氏が、寛平ちゃんの過去のトレーニングについて「ランナーズ」の3月号に書いているが、そのうち発汗と体調に関する部分を以下に引用してみたい。 「ランニングを始めると数時間で大量の汗をかく。当然給水も同時に行っているのだが、給水量が発汗量に追いつかず、軽度の脱水症を起こすのだ。身体が脱水気味になると、後追いで給水しても水分の殆どが体温調整に奪われてしまい、臓器に水分が行き渡らない。結果、内臓の活動が悪くなり、食べ物や水分を入れても吐き出してしまうという状態になり、ランニングを続けることができなくなるのだ」。(以下省略) ウルトラマラソンのランナーなら誰でも、一度や二度はそんな経験をして来たはずだ。私は’06年の「奥武蔵」で重度の熱中症になったことがある。36度もの猛暑の中、標高1000m近い山道を往復する厳しいコースで大量の発汗。給水と塩分補給が間に合わなかったのが原因だった。それ以来、暑い時期のレースには「アスリートソルト」を携行するようになった。これにはナトリウムなどのミネラル類に加えてリジンなど8種類のアミノ酸も配合されており、単なる塩分補給ではない。 異様な体験をしたのが’06年の「磐梯高原」。レースの最中に何故かアカシアの花の香りがしたのだ。後で考えるとあれは自分の汗の匂いだった。ランシャツで、時間帯が朝だったからあの程度で済んだが、翌年の「いわて銀河」で田中マー君のレプリカユニフォームを着た時はさらに大量の発汗。それが気温が上がって異臭を撒き散らし始めた。慌てて傍を走っていた女性に離れてもらったと言う笑えない話。 激しいスポーツをする時には、水分や塩分の早めの補給を心がけたい。手には水が入ったペットボトル、ポシェットの中にはアスリートソルトや塩が入った小さな袋。私のランニングスタイルは見栄えが悪いが、身を守るためには止むを得ない。そんな姿で今年も一年間走り抜きたいと思っている。
2009.02.12
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昨夜は節分。玄関の戸を開け放ち、小さな声で「鬼は外、福は内」と豆を撒いた。ついでに玄関、和室、居間にも少々。冬季の間玄関に入れている愛犬が、急いで落ちた豆を食べる。私も妻も家の中のを拾って食べたが、歳の数だけ食べるのはもう無理。晩飯が食べられなくなるしね。そして今日は立春。早いものだ。 さてヨットで太平洋を横断中の寛平ちゃんだが、2月2日の午後0時過ぎに日付変更線を通過したようだ。「アースマラソン」で検索すると、「アースマラソン」の公式HPが見つかる。それに動画が載っていた。経度の表示が「東経」から「西経」に変わったと、サポーターの比企さんの声。そして歓声を上げて喜ぶ寛平ちゃんの姿も。思いの他元気なようで安心した。 だがヨットが進む海上は波が高い。「何かギャグでも言ってみて」との比企さんのリクエストに「あ~みま~!!」と寛平ちゃんが応じる。和気藹々で順調にロサンゼルスに向かう様子が伝わる。これからもこの公式HPで彼らの壮大な旅を追い、少しでも応援したいと思う。 女子レスリングの伊調姉妹の妹、馨さんが近く結婚する予定とか。相手は韓国のコーチと聞いて少し驚いた。さすがオリンピックのメダリストはやることが速い。あっという間の速攻でポイントを取ってしまったようだ。一方女子マラソン界のベテラン、弘山選手は3月の「東京マラソン」を引退レースとして考え中のようだ。彼女も既に40歳。コーチのご主人と話し合い、子作りのためにはギリギリの限界と判断したようだ。 「佐渡島一周」で一緒に走った仲間である新潟のAちゃん(ハンドル名:銀のねこさん)だが、昨年暮れに芽出たく男児出産。その彼女が産後1ヶ月経過を期に、再びランニングを開始した由。来年は故郷の大阪で開かれる100kmマラソンに出たいと張り切っている。話は変わって「北海道マラソン」がこの夏から制限時間を5時間に延長するようだ。今年は既に予定を立てているので無理だが、来年でも参加してみようか。 大相撲尾車部屋の十両力士、若麒麟が大麻所持の現行犯で逮捕され、相撲協会から解雇処分を受けた。だが退職金が支払われるようで、目下厳しい批判が出ている。先に同様の処置を受けたロシア人関取の元若ノ鵬の時もそうだが、「麻薬保持は犯罪」と言う認識が欠けているように感じる。大学生や芸能人なども含め、どうも考え方の甘い若者が増えているように思うのだが。 さて、我が東北楽天も今月からキャンプイン。沖縄の久米島で早速厳しい練習が始まったようだ。WBCに選抜された岩隈や田中の仕上がりはかなり順調なようで一安心。中日から移籍した中村紀や巨人から移籍した小坂が、若い選手に守備の手本を示しているのが頼もしい。またセギノールがWBCのパナマ代表を辞退し、キャンプに参加してくれたのも嬉しいことだ。今年の楽天はきっとやってくれるはず。大いに期待しよう。
2009.02.04
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朝青龍のインタビューがあった。この初場所、久しぶりに優勝した翌日のことだ。彼は約束の時間に1時間20分ほど遅刻したようだ。前夜美酒に酔いしれ、とても腫れぼったい目をしていた。白鵬に勝って優勝を決めた土俵上で、思わず両手を広げて喜びを表したことに、異を唱える横綱審議委員会委員もいる一方、中には好意的に受け取った委員もいたようだ。 それは兎も角、場所前には引退を覚悟していたことを記者に語った。ただ、稽古総見の際白鵬に1勝6敗と全く歯が立たなかったことについては、あれでも本人にとっては「何とかやれる」と感じた由。「後何年ぐらいやれそうですか?」追い討ちを掛けるような記者の問いに対しては怒りを露わにした横綱だった。 確かに朝青龍の態度は悪い。日本の国技を背負うには相応しくないと感じる人も多いだろう。だが、マスコミの態度もどうかと思う。しつこい質問をした記者には全くと言って良いほど品格を感じなかった。年末年始の長々と続いた特別番組をはじめ、沢尻エリカ、皇太子妃の雅子様に対するバッシングなど一連の報道は、国民の総白痴化を感じさせられてならない。 まだ30歳にもなっていない朝青龍。あれだけ日本中を敵に廻しながら引退もせずに頑張れたのは、「何クソ!」と奮起した彼のど根性と、怪我さえ治れば十分戦える体が残っていたためだろう。これから先、彼がどんな相撲を取り続けるか注目したいと思う。 日曜日の「大阪国際女子マラソン」は、バス旅行に行っていたため観損ねた。報道によれば、「東京国際女子マラソン」で惨敗した渋井陽子が30km付近から抜け出し、そのまま優勝したとか。確か記録は2時間23分台だったと思う。その渋井と30km周辺まで競り合いながら、今回が初マラソンと経験が全く無かった赤羽がそれでも2位に食い込んだのは立派の一語。記録は確か2時間25分台だったはず。 日本では珍しいママさん選手。家庭と育児に追われながらも、日本の長距離界の第一人者として君臨して来た赤羽。夫君がコーチを務めていることを今回初めて知った。年齢は確か30歳を超えていたように記憶しているがどうだったか。子持ちで30歳を過ぎてからマラソンに初挑戦する選手はこれまで日本では存在しなかった。その勇気ある挑戦に心からの拍手を送りたいと思う。 先日走った「東北ブロック新春マラソン」の記録集が届いた。正式タイムは4時間35分26秒で、手押しのタイムより1秒速かった。さて、60歳代男子の部の29名中私は27位。60代のトップは千葉県から来られた66歳の方で、タイムは何と3時間13分06秒と言うから驚く。さらに驚くのは完走した70代男子選手のうち、私より記録が良かった人が6名中5人も居られることだった。 6名の中で地元選手は1名だけで、後は他県から来られた選手。あの寒さの中でもそんな速さで走れる自信があるからこそ、1月早々にも関わらずわざわざ遠くから参加されたのだろう。タオルと「ランニングハンドブック」が参加賞と言う質素な大会なのだが。 昨年11月に走った「つくばマラソン」のタイム4時間40分07秒(ネット:4時間36分50秒)と今回のタイムにはほとんど差がない。昨年2度の大怪我をして以来、今でも違和感と後遺症が残っている私の足。この状態がこれ以上良くなることは望めないだろう。 だが、今よりは速く走れた過去の栄光にしがみつき、「フルはもう4時間40分でしか走れない」と嘆くか、「いや、自分にはまだ4時間40分台でも走れる力が残っている」と考えるかは自由。私は迷わず後者を選びたい。それだけのスピードが最後まで保てれば、100kmのレースを完走することも決して夢ではない。いや、たとえ完走出来なくても良い。今の自分にとってはそんな状態でもウルトラマラソンへ挑戦し続けることこそが、もっとも大切なように思うのだ。
2009.01.27
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<東北楽天イーグルス編> 今日は12月18日木曜日。今年も残すところ2週間になりました。そして私が働くのは後5日間だけです。いよいよ年の瀬も押し迫りましたので、そろそろ今年の思い出を記しても良いのではと思っています。今日はその第1弾。Kスタで応援した我が東北楽天の思い出から書き始めることにしますね。 昨年は確か23回ほど応援に行けたのに今年は17回に止まりました。これは7月末から、残業が続いて自由時間が少なくなったのと、体が疲れてとても応援に行けるような状態でなくなったからです。東北楽天も最初はかなり好調でしたが、夏場から負けが混み出し、終盤はビリ争いと言う悲しい状態でしたね。まずはKスタへ行った日を挙げてみます。3月29日(土)先発田中 対日ハム戦 7-2 ☆3月30日(日)先発朝井 対日ハム戦 3-1 ☆4月5日(土)先発田中 対西武戦 ★ 負け投手青山4月12日(土)先発田中 対オリックス戦 3-0 ☆4月26日(土)先発ドミンゴ 対ソフトバンク戦 ☆4月27日(日)先発田中 対ソフトバンク戦 5-0 ☆5月17日(土)対西武戦 3-2 勝ち投手川岸 ☆5月21日(水)先発朝井 対中日戦 1-3 ★6月3日(火)先発田中 対阪神戦 11-4 ☆6月16日(月)先発田中 対巨人戦 0-3 ★7月1日(火)先発朝井 対千葉ロッテ戦 2-7 ★9月3日(水)先発朝井 対オリックス戦 2-4 ★ 会社の互助会で観戦9月16日(火)先発岩隈 対日ハム戦 6-1 ☆ 長男と観戦9月26日(金)先発田中 対オリックス戦 13-1 ☆10月1日(水)先発田中 対日ハム戦 0-17 ★10月4日(土)対西武戦 4-3 勝ち投手川岸 ☆10月7日(火)先発田中 対ソフトバンク戦 1-0 勝ち投手佐竹 ☆ ざっとこんな調子で、私が観た17試合の結果は11勝6敗の好成績でしたよ。データが残っていない試合もありますが、私は田中マー君が好きなので、(もちろん彼の背番号入りのユニフォームを着ての応援です)Kスタで彼が先発の試合はなるべく観るようにしています。 やはり田中が5勝1敗とダントツで、次いで朝井の試合が多くて1勝3敗、21勝を挙げてパリーグのMVPや数々の賞を受賞した岩隈が先発の試合は、たった1回しか観てないのは驚きです。これはローテーションの関係で、岩隈の次の日が田中だと、どうしても田中の試合に行くからでしょう。 さて、パリーグの新規球団である東北楽天も設立後4年目になり、ずいぶんファンも増えました。球場へ来るファンも様々。特に若い女性や子供の姿も良く目に付きます。きっとそれだけ球団が新しいファンを掘り起こすために努力し、様々なイベントを企画して楽しませているせいでしょうね。その点メキシコへ武者修行へ行ったのか、楽天名物のマスコットであるカラスコの勇姿が見られなかったのが残念でした。 また、選手の中では礒部や吉岡などのベテランの起用が減り、中村、内村と言う育成上がりの若い選手の活躍が目立った年でもありました。シーズン後はその吉岡などが戦力外になってしまいました。今季の後半に加わったセギノールが大活躍し、来季は中日からFA宣言した中村紀洋が新たな戦力になる一方、明るい性格のホセ・フェルナンデスを放出。何とも厳しい結果になりましたが、これも常に勝つことを求められるプロの世界だからこそでしょうね。 来年は新しいユニフォームが届くはず。これを妻に着せて、何とか一緒に応援に行きたいと思っています。ありがとう東北楽天のイヌワシ戦士達よ。来年こそ栄光に向かって突っ走れ~
2008.12.18
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今、韓国の貨幣ウォンが安いそうだ。日本の円に対してかつての2分の1まで価値が下がったとか。従って韓国旅行がとてもお得。博多からフェリーで韓国に向かうツアーが人気のよう。私は2人の旅行関係のブログを見ているが、両方とも韓国の話が良く出て来る。お一人は韓国の妖艶な女優の写真が、またもうお一人は旧所名跡の案内が楽しめる素敵なブログだ。だが実際に私が韓国旅行へ行けるのは何時になるか。 その韓国のプロ野球チームがアジアシリーズの決勝に進めなかった。日本、台湾、韓国が2勝1敗で並んだものの、失点率の関係で日本と台湾の決勝に。その決勝戦は9回表まで0対0。その裏西武の攻撃は確か2アウト1塁だったと思う。打者の打球はライト寄りに守っていたセンターの左へ転がり、1塁ランナーがホームベースを駆け抜けて絵に描いたようなサヨナラ勝ちだった。これで日本チームはアジアシリーズで4連覇した由。 西武には勢いがあり、我が東北楽天も今年は全く歯が立たないのが応援していての実感だった。球団発足後今年で4年を経過した我が楽天イーグルスだが、これまでなかなか選手の補強策がままならなかった。健全な運営を目指す球団の方針だが、プロ野球は弱くちゃ話しにならない。初年度の最下位は止むを得ないとしても、悲しいかなその後もなかなかAクラスに上がれないのが実情だった。 だが今年はちょっと違った。8月に入って成績が振るわないのを憂慮し、編成部が補強に動き出した。早速元日ハムのセギノールを獲得。彼の活躍で何とか失速を食い止めた感がある。それでもソフトバンクとの最終戦に勝ってようやく5位確保。このままでは来年も期待出来ないとやきもきしたところへ、リーグ終了後活発な補強に乗り出した球団。 先ず巨人から内野手の小坂を金銭で獲得。彼はロッテから巨人へトレードされた生粋の地元出身。つまり初めての宮城県人選手なのだ。次いで中日からFA宣言した中村紀洋の獲得にも乗り出す。当初日ハム、ロッテと競合かと思われたが両チームは動き出す素振りはなく、ひょっとしたら獲れそうな雰囲気。 この伏線としてホセ・フェルナンデス内野手との年俸交渉が行き詰まっていたこともあるようだ。今季99打点の彼はかなり強気で推定年俸1億5千万では不満の模様。だが彼は大事な場面で良くエラーする選手でもある。今季17回のエラーのほとんどは失点につながったはず。一方のノリはこれまで6度ほどゴールデングローブ賞を受賞した名選手。年俸も色々あって推定5千万円。だからフェルナンデスの年俸をそっくり彼に支払うことも可能なのだ。 さらなる補強策を今日知った。バリバリの大リーグの現役選手NYヤンキースの左腕ラズナーを獲得すると言うビッグニュース。彼の今季の成績は5勝10敗みたいだが、日本でのプレーを希望したのをオーナーが了解したそうだ。年俸は2年で5億ほどとの情報もあるが果たしてどうなるか。先のドラフトでも2人の左腕投手を指名した我が楽天。これでいよいよ来季が楽しみになった。 来シーズンの私は楽天ファンクラブのゴールド会員になる予定。それでもらえるのが新しいデザインのユニフォームなど。そのユニフォームを女房に着せて、来年はKスタへ応援に行こうと思う。もちろん私は田中マー君のユニフォームを着る。 今日は山道を走って帰った。目の前を小さな白い虫が飛ぶ。ユキムシだ。今年もそんな季節になった。今週木曜日の最低気温は0度とか。明日は初めてインソールが出来る日。果たしてどんな仕上がりか楽しみだ。明日以降も何回か調整をする必要があるだろうが、果たしてどんな履き心地なのか。颯爽と走り行く私を想像して、今夜は眠りに就こう。
2008.11.17
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昨夜も8時間以上は眠ったようだ。このところ5時間半から6時間半の睡眠が続いていたので、2日連続の充実した睡眠はきっと体を休めてくれたと思う。おまけに今日は朝から小雨になった。その雨の中を愛犬と散歩に行く。すっかり深まった秋。あちらこちらに秋の色を発見して帰宅。 朝食後妻は趣味の油絵教室へ友人と連れ立って行った。今日こそは少し長めの距離を走ろうと思っていた私だったが、雨を理由にゆっくり過ごすことにした。丁寧に新聞を読んだ後、関口さん司会の番組、田原さん司会の番組、そして爆笑問題司会の番組を、チャンネルを変えながら次々と観る。 その合間に庭の景色を楽しむ。紅葉が美しいドウダンツツジ、ボタン、ブルーベリー。そして黄色い葉の萩。お隣の庭の木蓮の黄葉が雨に散る。たった一つ枝に残った柿も雀の群れに食べつくされ、ほとんど皮を残すだけになった。久しぶりの雨に昨日植えたばかりの花々やタマネギなどの野菜も喜んでいるだろうと思う。 午後からは最後のレースになった「東京国際女子マラソン」を見る。その合間に遅い昼食。最初から三井住友海上の渋井陽子が飛び出し38km過ぎまで独走。だが最後の坂の途中で第一生命の尾崎好美に抜かれた。尾崎は3位につけていたのだがそこから徐々に加速。まず加納由理を抜き、その勢いでトップの渋井もあっさりかわした。 尾崎は今回が2回目のフルマラソンとのこと。それが2時間23分30秒での堂々たる優勝だから驚く。監督は山下佐知子。かつてこのレースで優勝したこともあったはず。野口みずきや土佐礼子が無残な結果になった今年の女子マラソンだったが、またしても新人が危機を救った。渋井は結局マーラ・ヤマウチにも抜かれ4位に終わった。 さて、「東京国際女子マラソン」と言えば私が思い出すのは資生堂の松田千枝選手。同じ筑波研究学園都市に住み、家も近所だった。私が「徹夜マージャン」から帰宅する早朝に、陸橋の下からロングランにスタートする彼女の姿を何度見かけただろう。確かその後、彼女はより東京の勤務先に近い取手市に転居したはず。あれから既に30年もの年月が経っている。 その後は女子バトミントンのダブルス決勝戦を観る。今回でコンビを解消するサンヨーのオグシオこと小椋潮田の美人ペア。対するのは北京オリンピックで4位になったNECのスエマエこと末綱前田ペア。第1セットはオグシオが取り、第2セットは後半追い上げたスエマエが4点差をつけて1対1になるかと思ったのだが、ここからオグシオがポイントを連取して優勝を奪い取った。これで全日本は5年連続の優勝とのこと。 初冬の深夜100kmを走り切った走友Junさんの快挙については昨夜も書いた。今日彼のブログで完走記を読んだら、安易にコンビニに寄らないため予め食糧はリュック入れたものしか食べないことを自分に課したとか。さらに驚くのは寒さで体が動かなくなることを恐れ、休みをほとんど取らなかったとか。 まだ走り出して数年しか経ってない彼だが、走った記録は全て日記につけ、その後のレースに役立てているそうだ。そんな彼の生き方が見えて来そうな今回の100km練習走だった。確かにウルトラランナーはストイックな生き方をしている人が多い。レベルは低いが3ヶ月間ほとんど走れてない私が変わらぬ体脂肪率を保ち、体重が2kg減なのも少しは自慢して良いかと思っている。
2008.11.16
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今日は話題を変えてプロ野球の話をしたいと思う。と言っても私が野球に詳しいわけではない。応援する東北楽天の選手ですら顔と名前と背番号が一致しない人も多いのだ。それに右打ちだったか左打ちだったかもね。そんな私が語るプロ野球の監督論だから、先ずは気楽に読んで欲しい。 パリーグのCSが終わった。結果は西武が4勝2敗で日本シリーズへの進出を決めた。問題は日ハムの梨田監督の采配。第1戦にエースであるダルビッシュの代わりに、今季不調のグリンを出した。結果は10失点の大誤算。CSが終わってからの談話によれば、西武の涌井にはあえてダルビッシュをぶつけない作戦を採ったのだとか。 これは結果論だが、もしダルビッシュを第1戦から出していれば、2回先発の機会はあった。CS第1ステージから中6日だから登板は可能だったが、他の投手で勝てれば4勝に近づけると読んだようだ。結局第5戦(西武はアドバンテージの1勝があるため)で勝負は決し、ダルビッシュの出番はなかった。もったいないことだ。真っ向から西武に勝負を挑めなかったせいか、選手の中に不満が残ったそうだ。 一方、阪神の岡田監督の行動も疑問だった。何とCSに入る前に今季限りで監督を辞任すると発表したのだ。これでは選手達も気合が入らないだろう。確かにダントツだった公式戦が、終盤巨人の猛反撃に会って13ゲーム差をひっくり返された。責任を感じるのは監督として当然だが、その悔しさをCSにぶつけて欲しかった。案の定第1ステージで3位の中日に敗れる結果になった。 ソフトバンクの王監督も、昨シーズン終了後あと1年で辞任することを選手達に伝えていたそうだ。それが監督のためにどうしても優勝しなくちゃとのプレッシャーになったようだ。チームを率いる監督が自分の腹の内を、選手に対してどんな時期にどうさらけ出すか。きっとそれが難しいのだろう。 「ノムラの考え」の著者として名高い野村監督。あの考え方はもう他球団でもすっかり分かっていて、次にどう手を打つかまで読めるのだそうだ。つまり「ノムラの考え」も今や浸透し過ぎて古くなったと言う楽天ファンの声が、球場で応援していて今年は良く聞かれた。来季1年だけの契約で、果たしてどんな采配が振るえるのか。選手の補強になかなか金を出さないケチな球団で監督も苦しいだろうが、何とか頑張って欲しいと願っている。 「それで最強のチームが作れるんですか」。イチローが投げかけた疑問の反響が大きいようだ。WBCの次期監督にほぼ決定していた星野氏が、もし要請されても辞退する旨、ブログに書いたとか。北京オリンピックでの惨敗。「WBCはそのリベンジをする場ではない」と、これもイチローの言葉。王前監督も家族の大反対にあったが、星野氏も娘さんが入院するほど体調を崩しているそうだ。 監督ってのは家族が心配して病気になるほど大変な仕事なんですねえ。巨人の原監督もかつてナベツネに干された前歴が在る。今季好成績を挙げた広島の外人監督は、さらなる権限を要求して球団から反発をくらった。こうして見ると一見悠々としてるのは中日の落合監督くらいなものか。さて今夜の巨人対中日戦はどうなる。こうして秋の長い夜は更けて行くのであった。
2008.10.23
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いやはや参りました。昨夜はいつもより1時間近く早めにKスタへ行ったのですが、レフト自由席のすべてに荷物などが置かれていました。先に入場した人が遅れて来る仲間や家族のために席を確保してあるのです。これは開幕戦や最終戦など人気のあるゲームには必ず見られる光景です。これで観戦は芝生の「楽天山」かな?と覚悟したら、ポール際の「通路」つまり階段に1人分の「空席」がありました。 試合の1時間前ですが、「ワカサギの唐揚げ」をつまみに飲み始めます。いつもはこんなことはないのですが、きっと気分が高揚してるのでしょう。勝率が全く一緒の楽天とソフトバンク。この日負けたチームが最下位で公式戦を終えること、ソフトバンクの王監督がこの日で監督を辞めること、楽天の田中は10勝目がかかっていること。ソフトバンクはエースの杉内と全てお膳立てが揃っているため、何とかゲームを観ようとした人が多かったのでしょう。 中には東京などから駆けつけた楽天ファンもいたようだし、ソフトバンクの応援もかなり気合が入っていました。試合は予想通り1点を争う緊迫した内容で、ついに9回裏まで田中と杉内が0点で抑えながら降板し、延長戦に突入しました。両チームとも9回までに勝つチャンスはありました。楽天もフェルナンデスの暴走が無ければ、田中に白星がついたかも知れません。 9回裏、11回裏とサヨナラを信じて膨らませた白風船(楽天が勝った時に飛ばすジェット風船)も虚しい結果。12回表ソフトバンクの攻撃が0で終わり、これで楽天の負けが無くなりました。悪くて引き分けかサヨナラ勝ちのいずれか。先ず草野がノーアウトで2塁打。ここで何とこの日控えの捕手だった藤井が代走。きっと野村監督もベンチにいた選手を全員使いたかったのだと思います。そして41歳と楽天最年長の山崎が期待に応えてレフト前に痛打。打った途端に走っていた藤井は悠々ホームベースを駆け抜け、絵に描いたようなサヨナラ勝ちでした。 試合後、野村監督から王監督へ花束贈呈。この日は怪我で退いていたソフトバンクの小久保も志願してのベンチ入りだった由。翌日のスポーツ紙によれば、小久保と主砲の松中は号泣していたとか。前身のダイエーホークスが親企業の不振で身売りされた時、選手を守るために自分の身を犠牲にして掛け合った王監督。その苦しむ姿を見て来ただけに、選手達の胸には感謝と今シーズンの不振に対する無念さが交錯していたのでしょう。 巨人時代の愛弟子である桑田や、かつて福岡に在籍したシアトルマリナーズの城島も恩師の最後の姿を見るために遥々駆けつけ、スタンドから応援していたようです。報道陣の数は楽天球団が誕生した時にも負けないほどでした。そして楽天ファンの手にも、王監督の長年の活躍と労苦を労うメッセージボードが数多く掲げられていました。誰からも愛された王監督。病気でやつれた顔が気の毒でしたが、これからは少しゆっくりしてくださいね!王監督、長い間お疲れ様でした
2008.10.08
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昨夜は遅くまでK-1を観、風呂にも入らずに寝た。今朝の起床は5時過ぎだったから、睡眠時間も5時間ほど。「秋田内陸ウルトラ」に出ている走友達はもうスタートしている。果たしてみんなはどんなレースを展開しているのだろう。 前日の土曜日、出発する走友達を見送りに行った際にO川さんに言われた。私の疲労骨折の原因は夏場の疲れ過ぎではないかと。7月の「沖縄本島縦断走」、8月の「薬莱山とお足マラニック」。そして「立山登山マラニック」に出て、連日の残業もあって体が疲弊していたことは事実だ。だが疲労と疲労骨折との間に、直接的な因果関係は無いと思う。 今回「立山」を走った後で痛みを感じ、自分では疲労骨折と判断した。その前に経験した2度の疲労骨折と同じような症状だったからだ。今回整形外科や接骨医に行かなかったのは、疲労骨折の場合は3週間ほど走らずにいるとヒビが入った箇所がひっつき、痛みが去れば再び走れるようになると確信してのことだ。 だが、今回は怪我からまる4週間経っても痛みが引かない。「立山」以降、妻と2度痛い足を引きずりながらハイキングしたこと、骨折した左足に負担がかかる残業を続けたことが原因かも知れない。残業は仕事なので避けることは出来なかった。ハイキングは避けることは出来たが、妻の機嫌は損ねただろう。(笑) 今回の疲労骨折の最たる原因は、私の足が偏平足であることだ。アーチが低いために走るとかなりの重さが加わり、それが長距離ともなれば大きな負担になるのは間違いない。まだ筋力がある若いうちは持っても、加齢に伴って筋力が落ちると足のアーチにかかる負担がさらに過大になり、引いては疲労骨折になるのかも知れない。 「立山」では1時間短縮された制限時間を何とかしようと、前半の砂利道を自分としては結構速く走ったと思う。足に負担がかかったとすれば、あの時しか無いように思う。底の薄いシューズが扁平足に悪影響を与えた原因と考え、今日は新しいシューズを買いに行ったのだが、ふとそのシューズを見て考え直した。立山で走ったそのシューズは結構底が厚いのだ。 だとすると、シューズが足に合わなかったのだろうか。偏平足にはワイドとか4Eサイズのシューズじゃないときついし、履いただけで足が痛くなることもある。立山で履いたシューズもワイドサイズなので、足への負担は少ないはずなのだ。そうなると考えられる原因はただ一つ。「種子骨」が出来ていることだ。 「種子骨」は負担がかかる足に発生し易いもので、ピッチャーの肘に発生する「ネズミ」(=遊離軟骨)みたいなものだ。ストレスを受け続けると「偽関節」のような骨が出来る。それだけでも痛いのだが、まれに「種子骨」にヒビが入ることがある。そうなると痛みはさらに増す。私が初めて経験した右足の疲労骨折がまさにそれだった。<続く>
2008.09.28
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昨夜のKスタは寒かった。雨はパラパラと降った程度だったが、風が冷たく感じられてあるもの全てを着、さらにポンチョを被った。首には田中マー君のタオル。それでも寒くて、途中からはたこ焼きをつまみに熱燗を飲んでいた。 試合は田中の好投で始まった。いつもなら立ち上がりがイマイチなのに、この日は気合が籠もった投球で三者凡退。その裏、フェルナンデスがヒットで出た後、セギノールの2ラン。早くも投打が噛み合った。2回はリックの3ラン、4回には山崎が3ラン。4回までに13点を取り、先発全員安打を達成。しかも残塁は0と言う効率の良さ。田中の9勝目が早々と決まり、西武の優勝をアシストしてしまった。 今朝は最低気温が11度もなかったようだ。蔵王には初雪が降ったとか。8時半ごろ仙台市体育館に行く。「秋田内陸ウルトラ」に向かう走友を見送るためだ。私が疲労骨折で行けないことを知らない友が驚いていた。ここ2年間開催されなかった秋田へ行きたいのは山々だが、まだ足が痛く走ったのはわずか数歩。昨夜の楽天の応援でもまだかなり痛かったくらいだ。 明日の秋田は天気が良くない感じ。風が吹けば夕方は寒くなるだろう。特に80km地点を過ぎた辺りからの田圃の中の道は風がきつい。これまで完走9回のM仙人とO川さんは「クリスタルランナー」に王手を掛けている。何とか達成して欲しいものだ。私は「秋田」とは何故か縁がなく、まだ完走は4回だけ。それも2回の疲労骨折が関係している。 H口さんは父君の四十九日で参加を見合わせた由。S水さんは今回が初ウルトラだが、10月から東京へ転勤とのこと。良い思い出を作って欲しいものだ。私が秋田へ行けないことを知って大崎市のT田さんがメールで慰めてくれ、今回も「佐渡島一周」の写真をたくさん添付してくれた。ありがとうねT田さん。今回は無理と分かったために早々と不参加を決めたが、いざ見送る段になるとさすがに寂しさが募った。 3台の車が出発した後コンビニへ直行し、10月4日以降の楽天のチケット(雨天中止分)を買うとしたが、画面がなかなか進まない。きっとチケットを買おうとする人が多くて、混雑しているのだろう。発売前から40分間も待っていたのだが諦めて帰宅。10月1日(水)開催分を買ってあり、これが今年の最後の観戦になるだろう。その日は中4日で田中が投げると言う予測もあり、彼の10勝目が楽しみだ。 午前中は畑と庭の草取り。そして大根と葉物に追肥を施し、大根には土寄せをする。3時からテレビで楽天対オリックスの試合を観戦。放送時間が終了した後はパソコンとラジオでの観戦。9回裏フェルナンデスの2塁打で追い着き、11回裏またもやフェルナンデスの2ランホームランでサヨナラ勝ち。今パリーグで最も勢いがあるのが我が東北楽天なのではないか。ただし、力を出すのが少し遅かったようだが。
2008.09.27
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あの男は何者なのだろう。そう思ったのは北京オリンピックから帰国した記者会見での発言を聞いた時だ。高橋富昭氏66歳。北京オリンピック日本選手団長としての発言は度肝を抜いた。歯に衣着せぬ物言い。星野監督などへの批判も辛らつだった。JOCの選手強化本部長を務め、日本レスリング協会の会長も兼務している人物のようだが、あれだけのことを平然と言えるのは何故だろう。 日本大学在学中にはレスリングの世界選手権で金メダルを取る逸材で、その後オリンピックの監督もしたようだ。昨夜私がブログに書いた北京オリンピックで不振だった3つの種目は、彼が指摘したものだ。そして会見の席で、イギリスのスポーツ振興予算が我が国の4.7倍になり、政府に善処を求める発言もしていた。あれだけずばっと本音を語ったスポーツ関係者はいなかったのではないか。 今大会で中国が獲得した金メダルは51個。前回のアテネ大会より金メダルが19個、総メダル数で37個増えている。これは北京大会を目指し、シドニー大会以来8年間を掛けて、不得意な競技種目を分析し、重点強化する長期計画を進めて来た結果らしい。51個の金メダルの内半分近い25個はオリンピック初参加の若い選手が獲得したことを見れば、それらの政策が成功したと言えよう。 全体主義国家の中国が自国でのオリンピック開催に当たり、国の総力を上げたことは理解できる。疑惑も多かったが、国内的にはあれで国威発揚が図れたのだろう。その是非はともかく、日本より国土が狭く人口が少ないイギリスや韓国が獲得したメダル数が日本よりも多かったのは何故だろうと疑問を持った。 先に上げたようにイギリスは2012年に開かれるロンドン大会を目指して、振興策を掲げているのだろうし、スポーツに対する理解度は前々から高かったのだと思う。それが予算額を増加させ、引いてはメダル獲得数につながったのだろう。 それなら韓国はどうか。同じ民族だが相対する北朝鮮と隣り合って緊張が続く彼の国では、ご存知の通り徴兵制度が布かれている。そしてスポーツは当然のように国威発揚の良い手段となっているのだろう。今回も野球で金メダルを取った。韓国の選手達は日本と違って全員選手村で起居し、巨人のイ・スンヨプ選手も3人部屋で寝起きしていた由。その彼いわく。「韓国の野球チームの場合はもしメダルが取れなかったらチームメート25名中14名が兵役に取られることになっていた」と。どうしても勝たねばならない立場にあったわけだ。 それに加えて若い投手の年俸はわずか400万円のようだ。日本チームで一番若い田中マー君でも6千万円の年俸と言うのに。彼らのハングリー精神の源は、そんなところにもあるのかも知れない。人口では日本の半分以下。面積では日本の4分の1強の韓国があれだけメダルに拘るのは、国を挙げてのスポーツ振興策があるからだろう。 福田団長の発言が効いたわけでもないだろうが、「東京オリンピック」実現を後押しするべく、スポーツの総合的な戦略を練る「ナショナルコーチ制度」新設のために、文部科学省が12億5千万円を概算要求する計画とか。これでメダルが量産出来るかは不明だが、健全な青少年を育成しさらなるスポーツ振興のためにも良いことだと思う。 最後にマラソン選手の大会直前の月間走行距離を紹介しておこう。男子マラソンで優勝した21歳のワンジロ選手が700kmだったのに対し、30歳を越えた女子の野口みずき選手と土佐礼子選手は1200kmを越えていたとか。一日平均で40kmにもなる。それだけの距離の道路を毎日毎日スピードを上げて走り続けていたら、故障しても不思議ではないように思う。きっと彼女達は生理も止まるほど体に負担をかけていたのではないだろうか。
2008.08.26
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この2週間以上もの期間、ずいぶん興奮させられた北京オリンピックが昨夜で終わった。今朝の新聞には「中国の中国による中国のためのオリンピックだった」と書かれていた。毒ギョウザ事件、チベット族やウイグル族への抑圧、外国報道陣への暴行と拘束、貧民街の封鎖、オリンピック工事終了と同時の関係者の強制帰省など、今大会を巡っては様々な疑惑や疑問が取り沙汰された。「全体主義国家」でのオリンピック開催は、西欧諸国にとって違和感がつきまとったものだったようだ。 過程が大事で結果は二の次と言う意見があるが、日本チームの弱さがもろに出た種目があった。男子サッカーと野球と男女のマラソンだ。男子サッカーに関して、日本チームはオーバーエイジの選手を一切登用しなかったのは何故だろう。それで勝てると思ったのか、若手を養成する大会と位置づけたのか。 男女のマラソンも無残だった。結果については色んな意見があるだろうし、評価は分かれるだろう。私の疑問は何故大会の直前になって選手の出場辞退が続いたのか。そしてそんな重大な怪我をするほどの猛練習を直前まで続けたのか。あれは必然の結果としても、補欠選手を1人も選ばなかったのは何故なのだろうと言うことだ。 男子マラソンの優勝はケニアのサムエル・ワンジル選手。仙台育英の留学生として来日し、卒業後は尊敬する森下監督のいるトヨタ自動車九州に所属して、マラソンの練習に明け暮れた。いわば日本で育ったケニアの青年はまだ21歳の若さ。スタート時の気温24度を物ともせず、夏のマラソンを2時間6分32秒の好記録で制覇した。ケニアにとってオリンピックのマラソンでの金は初めてのことのようだ。私はレースを観ていないが、心から優勝おめでとうと言いたい。 マラソンの出場選手は日本の場合、所属する企業チームの監督がコーチを務めているようだ。いわばライバル同士なので情報の交換も少ないし、日本陸連やJOCまで怪我の情報などが伝わりにくいようだ。ワンジル選手は駅伝主体の練習を嫌って、7月には所属チームに退部届けを提出したのだとか。どうしたらもっと若手が伸びる環境が作れるのだろう。 野球の場合の敗因は何だろう。韓国チームはオリンピック期間中のプロ野球試合を中止して臨んだとか。これだと所属チームに何の気兼ねもせずに戦える。日本の場合はいわば「つまみ食い」のような選手の選び方で、事前の合同練習期間が極端に少なかった。 監督は実際にプロ野球の監督をしてなかったため、実戦の感覚が鈍っていたのだろうか。投手の起用方針が明確でなかったし、エラーをし続けたり成績の振るわない選手をそのまま使い続けたことに対しても疑問が多かった。決勝トーナメントの第1戦目で、ボール、ストライクの判定を巡って星野監督が審判に抗議したことも、審判員のアマとしての誇りを傷つけ、その後の試合に大きな影響を残した感がある。あの抗議で審判団を敵に回してしまったようだ。 他の種目の選手と違って選手村に入らず、監督以下全員が5つ星クラスの高級ホテルで寝泊りしたことを敗因の一つに挙げる人もいる。いわゆる「一緒に釜の飯を食ってない」状態ではチームが一つにならないと言う意見だ。今後、オリンピック種目として再度復活した場合はアマに返すべきとの意見もある。傷を負って帰国した星野ジャパンだが、今回の敗北は選手達の心にも大きな傷を残したままだ。名誉挽回の機会は次のWCBだが、星野氏が監督を引き受ける可能性が強いようだ。
2008.08.25
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昨夜は金曜日で疲れているにも関わらず、私にしては遅くまでテレビを観ていた。やはり北京オリンピックでの日本選手の活躍が気になる。陸上競技では男子400mリレーの決勝が日本時間の11時過ぎからあり、何としても観たいため全く眠気を感じない。その前に女子5千m予選のビデオを見たが、小林、福士、赤羽が圧倒的な差で敗れた。世界との差は大きく、たとえ決勝に進んでもこれではレースにならないと思った。 今大会陸上での入賞は男子競歩50kmでの7位と後は何だったか忘れた。満を持して臨んだ男子400mリレーは日本選手のオーラが凄かった。予選で強国がバトンのリレーに失敗したこともあったが、それもまたレースの内。その点日本選手のバトン渡しは幾度もの練習で精度を増していた。 塚原、末続、高平、朝原の完璧なバトン渡しは見事だった。個人では決勝に進むのが難しくても、4人の力を合わせるリレーは全くの別物。経験が少ない若手とこれまでに多くの経験を積んだベテランの組み合わせも絶妙だった。特に朝原は今大会を最後に引退することが決まっていた。3人はその朝原に何とかメダルを取らせてやろうと頑張ったようだ。 レース後のインタビューに対する答えにも各人の想いがとても良く感じられた。そして今回の銅メダルは、陸上競技を続けて来た先輩達のお陰と一様に答えていたのが印象的だった。陸上競技のトラック種目で男子がメダルを取ったのは初めてと言う快挙。女子を含めても人見絹江がアムステルダム大会で銀を取って以来の80年ぶりとか。実に清々しい4人の顔だった。 今日もまた曇りと天気は良くなかったが、妻が愛犬の臭いを気にしてシャンプーをした。私は庭の草を取り、インゲンの支柱を強化し、トウモロコシの後の2本の畝を耕して大根の種を蒔いた。午後から雨が降り出したので、良いタイミングだったと思う。そして今日の収穫はインゲンと大きなゴーヤが4本。 さて、野球は3位決定戦でアメリカと戦ったが、敢無く敗れ去った。これで日本は無冠の4位で終わった。敗因は実力を十分発揮できなかったことか。それとも他のチームの実力が勝っていたのか。ともかく何を言っても負けは負けで弁解のしようがない。きっと監督以下、勝ちたいと言う気持ちが先に立って、気合が空回りしてしまったのだろう。 シンクロのチーム種目は今日がフリー。昨日まで日本は4位で3位の中国を追っていたのだが、上位のロシア、スペイン、中国の演技は素晴らしかった。スピード、技の切れ、高さ、芸術性など日本は遥か及ばなかった感じだ。スペインの藤木コーチ、中国の井村ゼネラルコーチは日本人だが、これまでの感性とは一味違った内容。これでは負けても仕方がないと思う。 日本の演技内容は少し大人しかった。最後は水中で18秒耐える大技を出したがそのせいか小林選手が演技後に呼吸困難になり、仲間にプールから連れ出された。日本はカナダにも抜かれ、アメリカと並んで5位。チームでのメダル無しはこれまでのオリンピックで初めての由。勝ち負けは時の運。そしてそれがスポーツの常の姿だ。負けて悔しかったら勝てるように練習するしかない。それと体の大きい選手の発掘も必要のようだ。 さて、いよいよ明日は北京オリンピックの最終日。日本人の選手は誰も出ないが、今夜も陸上の決勝種目がある。世界のアスリート達がどんな戦いをするのか、確かめてみたいと思う。
2008.08.23
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