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大阪府高槻市に住む109歳の老婆がこのたび虫垂炎の手術に成功したようだ。大西アイさんがその人。腹膜炎も併発していたため手術となった模様だが、高齢の身体に負担をかけないよう、手術時間は25分で終えた由。この年齢での手術成功は極めて珍しいみたい。手術後のアイさんの言葉「海老フライが食べたい」にはビックリ。相当生命力が強い人なのだろう。 少し前に肥満度に関する調査結果が発表された。男子の肥満度ナンバーワンは沖縄県。かつて沖縄県は男女とも長寿の県として有名だった。女子は今でも長命なのだが、男子の結果は驚くべきもの。だが「なんくるないさ~!」(どうってことないよ)と、のんびりした返事が返って来そうだ。昔は貧しかったがストレスがなかったため、長生きだった沖縄。だが、戦後豊かになってから栄養の摂り過ぎになった。 沖縄の弁当にはAランチやBランチと呼ばれるものがある。いずれも油で揚げたものや炒め物のおかずが多い。暑い沖縄では食べ物が直ぐに傷むため、どうしてもそのようなおかずになるのだが、1食当たり1500キロカロリーはあるように思う。土地で採れた野菜を中心にした食事なら太ることもないのだろうが、ストレス発散のためにも、つい食べてしまうのだろう。沖縄の新しい「闇」だ。 全国の死亡率について過日発表があった。最も死亡率が高いのは青森県だそうだ。これは塩分の摂り過ぎが原因で、高血圧や脳出血につながる。ただしリンゴの産地である津軽地方では死亡率が低いらしい。きっとカリウムが多いリンゴを良く食べるため、塩分を体外に排出するからだろう。 かつては秋田県が男女共死亡率が全国一だった。だが、その後塩分控え目の生活改善運動を起こして、汚名を返上したようだ。死亡率の低い県は男女共長野県が1位。公立病院による生活改善運動が功を奏し、特に農村部でその傾向が顕著だと聞いている。そして長野もリンゴの生産地なのは偶然だろうか。 2月に入院した病院での食事はとても薄味だったが、それでも食べられた。あれ以降、自宅でも極力薄味を心がけている。だが、なぜ不整脈が再発したのか。執刀医が私の場合の再発率は70%と話していた。普通の人の再発率が20~40%だと言うのにだ。どうやらその理由は不整脈を起こしていた期間の長さと関係するようだ。 超長距離を走るウルトラマラソンが、身体に過度の負担をかけるスポーツであることは間違いない。レースでは大量の汗をかき、水分が失われる。さらに身体に重要なミネラル分も、発汗によってかなりの量が失われる。そのことが体内のイオンバランスを崩す。不整脈にとって一番の敵は「脱水症状」なのだとか。 1カ月検診の結果に基づき、ドクターは不整脈抑制剤の服用中止を決めた。再び不整脈が起きたのはその夜だから、因果関係は明白。それまで薬で抑えられて来た不整脈の原因となる別の「電気信号」がゾンビのように蘇ったのだ。まさに劇的な変化。覚悟はしていたものの残念の一語。2回目の手術を受けた同室の「いびき男」の落ち着きぶりは見事だった。再入院に当たって、私も見習わねばと思う。
2012.03.14
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日曜日の夜、布団の中に潜り込んで、韓国の歴史ドラマ「トンイ」を観ようとしたら、画面に「放送してません」の文字。仕方なく居間のテレビを観ようとしたのだが、やはりダメだった。番組欄にはちゃんと載っていたはずなのにどうしたわけか。翌日、現場で仲間に聞いたら普通に観られたようで、あらすじを教えてくれた。あの時間帯は我が家の辺りで雪が降っていたので、原因はそれかも知れない。 仕事を終えてから病院に行った。1カ月検診を終え、会計の窓口で支払おうと待っていたら、「手術の時に一緒だった人ですか?」と問いかけて来た人がいた。「手術は不安。タバコが吸いたい」と向かいの病室で弱音を吐いていた「ビビリマン」だった。今日の措置を聞くと全く同じ状態で、今夜から不整脈の薬を止める由。「心配ですね」と今回もまたビビっていた。 帰宅すると愛犬がいない。繋がれた場所には濡れた段ボールと敷きものが残され、愛犬は玄関に入っていた。少し雨に濡れたようだ。あれほど「出かける時はガレージにつなげ」と言っていたのに、妻はタカをくくっていたようだ。前回も妻の不注意でずぶ濡れになった愛犬。その再現だったため、腹が立ち、強い口調で妻に文句を言った。 その深夜、心臓の調子がどうもおかしいのに気づいた。あまりにも脈が早過ぎるのだ。「やはり薬を止めたせいか」と暗澹たる気持ちになったが、いつの間にか眠った。朝の散歩を終えてから、血圧を測定した。脈拍が110以上もある。これは異常事態だ。そそくさと朝食を作って食べ、職場へ向かった。帰宅後の血圧測定では、さらに脈拍数が上がった。 強い動悸を感じたため、急遽いつもの循環器内科へ向かった。1カ月検診の結果を手渡す必要があったし、この異常事態にどう対処するかを先ずはドクターに相談したいと思ったのだ。病院内で測った脈拍は140を超えている。その結果を看護師に伝えると、診療時間前にも関わらずドクターは診察室に私を呼んだ。事情を説明すると、直ちに心電図を撮って欲しいと指示。結果は最も恐れていた不整脈の再発だった。今度は「心房細動」ではなく「心房粗動」との由。 ドクターから総合病院の主治医宛てに電話し、指示を受けた。取り敢えず脈拍を抑える薬を3日分処方し、来週の月曜日に再び総合病院に行くことになった。主治医は「やはり出ましたか」と言ってたそうだ。いつ入院して手術を受けられるか微妙な所。4月から新しい仕事が始まるのだが、着任早々休暇を取れるかどうか。でもそんな悠長なことを言ってる暇はないはず。 私にとっては再び厳しい日々になるが、取り敢えず愛犬を連れて「ホワイトデー」のお返しを買いに行った。妻にはまだ今回の事態について話してないが、彼女は果たしてどんな風に受け止めるだろうか。
2012.03.13
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昨夜ポルトガルであった「アルガルベ杯」の決勝戦で、わが「なでしこジャパン」は惜しくも準優勝に終わった。相手はワールドカップで快勝したドイツ。自国で開催した大会で敗れ、ロンドンオリンピックへの出場権を逃した悔しさを、今大会にぶつけたようだ。一方のなでしこは、澤が体調を崩してゲームに出られず、佐々木監督は宮間をキャプテンに指名した。 前半のうちにドイツに2点のビハインド。その厳しい状況を撥ね飛ばして2対2に追い着き、その後2-3と引き離されても再び追い着いたのは、気持ちで負けていなかったからだろう。最後はロスタイム寸前に相手の巧妙なシュートが決まって敗れはしたが、ワールドカップの優勝に続く、今大会の準優勝は立派。さすが世界ランク3位は伊達じゃない。 昨日は我が東北楽天が西武を相手に、オープン戦初勝利を挙げたようだ。スコアは1対0の僅差。練習試合でも僅差での敗戦が多かったが、星野監督がキャンプ後に「ともかく勝ち癖を付けるのが大事」の話が、ようやく半歩前進した感じ。一方大リーグでは、レンジャーズのダルビッシュが今朝(日本時間)のオープン戦で初登板。2回を無失点に抑え、上々の滑り出しを見せた。 さて、私は一昨日から昨日にかけて、「ホルター心電図」の装置を胸に装着していた。これは来週月曜日にある、退院後の1カ月検診に先立ってのもので、同じ日には「心エコー検査」も行った。「ホルター心電図」は、丸一日分の心臓の動きを調べ、同時に「行動記録表」に示された「項目」を何時何分に行ったか、チェックすることが求められる。 主な記入事項は、就寝と起床、トイレ、食事、服薬、仕事、運動、階段、交通機関での移動などであり、特記すべき症状として、動悸、息切れ、めまい、胸痛が上げられている。これをその都度漏れなく記入して行くのだから神経を使う。もちろん入浴は禁止。幸い24時間内に特記すべき症状はなかった。 目下ドクターストップ中のため強度の運動はしていないが、私の場合は体を動かす仕事なのでそれが脈拍にどう影響したか。また積極的にウォーキングをしており、装着期間中もかなり歩いた。それでも多分不整脈は出ていないと思うのだが、果たして来週の月曜日(12日)にはどんな結果になるか。 退院後2通のレース案内が届いた。1つは5月下旬の「仙台鉄人会レース」で、これは毎年10時間走に出ていた。また開催時期が9月に変わった「磐梯高原猪苗代湖マラソン」は、これまで100kmの部に出場していた。先ずは検診の結果待ちだが、例えドクターから「ゴーサイン」が出ても、走る筋力を取り戻すのは容易ではないと思う。 既にエントリー済みの「仙台国際ハーフ」(5月)と初めて50kmの部にエントリーした「いわて銀河」(6月)。当然それらも検診結果とトレーニング次第だし、不整脈が再発すれば2度目の手術を受けることになる。そんな訳で今年のランニングは目下「五里霧中」状態。地球2周到達まで残り1461km(本日現在)だが、今年中の達成がなるかどうかは、全て「心臓と足」の回復にかかっている。お~い頼むぞ~。俺の心臓と足~!!
2012.03.08
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≪ 温室から現実へ ≫ 2月11日土曜日。建国記念日の朝は5時に目が覚めた。まだ室内は暗く、読書は出来ない。このためトイレ前の照明で本を読んでいた。それを観た看護師が、食堂の照明を点けてくれた。5時55分体重測定。利尿剤を用いたせいか67.4kgにまで落ちた。血圧は143/104/66で、体温は35度ちょうど。 7時30分、退院に備えて荷物の整理。7時40分から15分ほどベッドでまどろむ。8時。病院での最後の食事。いつも通り少なめのご飯、白菜とネギのみそ汁、もやしと絹サヤのお浸し、玉子と白菜と小松菜の煮物、冷や奴。最後までヘルシーさに徹した内容だった。食後に血圧降下剤1錠と、不整脈予防剤4錠を服用。 8時40分、胸部レントゲン写真撮影。部屋に戻ると同室のZさんが退院の支度を終えていた。9時過ぎにI看護師に領収書を見せ、9時15分に退院後、自宅で服用する薬を受け取る。Zさんのベッドが片づけられ、他の部屋から新しい患者が引っ越して来た。この人もこの病院が長いせいでYさんとは顔なじみ。早速お互いの病状について話し出した。 昨夜ICU(集中治療室)に1泊したXさんはまだ戻らない。きっと部屋に帰ったら、メンバーが変わったことに驚くのではないか。これで4泊5日の病院生活ともお別れ。ナーステーションでパソコンを操作していた執刀医に手術のお礼と退院の挨拶を述べる。「次は外来でお会いしましょう」。若く真面目な彼は、直ぐさま仕事に戻った。 外来では、朝から夕方まで診察し続けるO医師。そして入院患者に対しても長時間手術を担当する彼。一度「食事を摂る時間があるんですか?」と尋ねたら、黙っていた。まだ彼の笑顔を見たことがない。ドイツで最新の技術を習得した彼は、不整脈の手術ではかなりの実績を積んだよう。体力がある今は、治療を最優先させているのだと思う。 贅沢だがバスではなくタクシーで帰ることにした。温室のような病院から一歩外へ出ると極寒の世界。ここで体調を崩したら、折角手術で治癒した意味がない。だが、タクシーの中はタバコの臭いが残っていた。心臓にとっては最悪な環境だが、これが現実の世界なのだ。家に着くと、愛犬がクンクン私の匂いを嗅ぐ。5日ぶりの再会だった。 妻と挨拶を交わし、病院からもらった「病気と食事」関係の小冊子を渡す。手術した日、帰宅する妻に「手術の同意書」を渡した。それを読んで彼女は初めて不整脈と手術の重大さを知ったと思う。それまで私は正確な症状について話してなかったし、彼女もさほど関心を寄せなかった。「これからは出来るだけ薄味にしないとね」。妻は妻なりに何かを感じたと思う。 その夜、私は思い切って妻に話した。不整脈の原因となったことについてだ。妻にも妻の言い分があるようだが、「これからはお父さんの顔をちゃんと見るようにするから」と彼女。独身時代を含めれば46年近い付き合いだが、その間には愛憎や不信なども含めて色んなことがあった。そしてこれから死を迎える日まで、さらに色んなことが起きると思う。だが今回の入院が、お互いの老後をより健康で安らぎに満ちたものに変えるきっかけになれたら嬉しい。 さて、この入院記は病院でのメモに基づいた。だが、睡眠不足や緊張や手術後の朦朧とした意識の中でのメモのため、一部に記憶違いや時間のずれがある。そしてこのブログは退院後の疲労と戦いながら書いたため、錯覚した部分もあった。だがそれはさほど問題ないはず。長々と書き綴った入院記は私のプライバシーそのもので、不快な点も多くあったことだろう。それでも読者の役に立てる部分があれば嬉しい。 長年の走友である香川のTANさんが、このシリーズを読んでいると書き込んでくれた。偶然にも奥様が不整脈のため入院し、私と同じような手術を受ける予定だそうだ。私と全く同じ症状かどうかは分からないが、何かの参考になれば嬉しい。「入院記」は今日で終わるが、この続きについても少々記しておきたい。このため明日からは「激動の退院記」を書く予定だ。根気良く最後まで付き合って下さった読者各位に、この場を借りて御礼申し上げたい。<完>
2012.02.22
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≪ 暗転 ≫ 15時頃、所属走友会のF会長がひょっこりと訪ねて来た。初めての見舞客とは嬉しいが、何も出すものがない。有難いことに会からの見舞い金と個人としての見舞い金をいただく。彼は高校の4年後輩で、ざっくばらんに話せる人。地震のこと、仕事のこと、病気のこと、新年会のこと、会員の病気のことなどを話した。病気療養中だった最長老のAさん(88歳)が、5月の「仙台国際ハーフマラソン」の2kmの部に出場すると言う嬉しい話も聞けた。 15時20分、同室のXさんが手術から戻った。彼は不整脈で1度手術をしているが、1カ月検診の当日病院で倒れた人。その2、3日前に不調になったものの、検診日まで我慢していたようだ。奥様が小声で私に話す。「今日の手術はスタッフが万全でなかったみたいで、ペースメーカーを入れることになるんですって。大変だわ~」。 病院から渡された資料には、手術後不調になったら早めに来院するよう書かれていた。自分の判断で我慢したのが最悪の結果を招いたようだ。入院後2冊目の本は吉村昭著の「関東大震災」。手術日の朝に読み始めてから、数万人の焼死者が出た「被服廠跡の惨事」まで読み進んだ。16時15分、外は夕日。 16時40分、退院のための請求書が届く。料金は56万円。全額自己負担だと180万円の巨額で、手術代だけでも165万円になる。最初の外来で、私は主治医から入院費用は約10万円と聞いていた。このため10万円を予め預けたのだが、とんでもないことだ。院内のATMは17時まで。慌てて差額を引き出し会計で支払う。キャッシュカードは本来自分の小遣い用なのだが、たまたまお金が入っていただけのこと。 窓口で「限度額適用認定書」のことを尋ねた。「今回は適用されません」とのつれない返事。それはそうだが、私が聞きたかったのは「支払った後でも制度が適用されるかどうか」だった。「それは市役所に聞いて下さい」と、またも冷たい。部屋に戻ってベテラン患者Zさんに尋ねると、支払いは遅れるが適用される由。だから彼らは悠々としていた訳だ。これは高額医療の場合、国の補助で負担が軽減されるシステム。もし後2回も再手術になれば大変なことになる。 18時10分、「最後の晩餐」のメニューは少なめのご飯、ホッケの焼き物、もやしの味噌汁、人参、ゴボウ、きのこのきんぴら、春雨入りの野菜サラダ、小さなシシトウ。この間に手術を終えたばかりのXさんの容態が急変。食事は摂れず、「寒い」の連発。冷や汗が出るようだ。看護師を呼ぶと血圧は50台まで下がり、体温も低下した模様。 18時35分、ストレッチャーに乗せられ、酸素ボンベをつけて手術室へ逆戻りした。顔色が真っ青だった。この後、20時10分に奥様だけが部屋に戻り、Xさんは結局仮のペースメーカーを装着され、ICU(集中治療室)で1泊することになった由。不整脈の手術を受けた患者の中には、こんな結果になる人もいると分かりショックだった。 18時53分、3種類の薬を服用。19時過ぎの血圧は1回目が155/108/61で、2回目が149/107/62。手術で不整脈は消えたが、血圧は依然として高いまま。準夜の看護師はSさん。20時15分の体温は35.8度で、血圧は160/108/61。21時に消灯したが眠れない。Xさんの容態の急変を目の前で観たせいか。<続く>
2012.02.21
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≪ 退院後の諸注意 ≫ 食堂へ行く。前から気になっていた「AKB総選挙」の掲示があったからだ。これは数十人いる9階(循環器内科及び心臓血管外科)のスタッフの中から、A「明るく」K「患者さん思いの」B「美男美女」ナンバーワンを選ぶものとか。私は迷わず手術後の意識朦朧の中で、スプーンでスープを飲ませ、おかずを食べさせてくれた看護師さんの名前を書いた。私にとっては彼女こそが天使だった。 8時朝食。少なめのご飯、野菜の煮物、ジャガイモの味噌汁、湯豆腐。毎回どの食事でも容器にはふたがついて、暖かいのを食べられるのが嬉しい。この朝から不整脈の発生を抑えるアミオダロン4錠の服用開始。術後の後遺症もあるようだし、薬の副作用もあると渡された資料にあった。ゴミを捨てに行ったついでに排便。外は小雪に変わっていた。 8時45分、胸部レントゲン写真撮影。体重は69.15kgで血圧は150/115と、依然として高目。ただ脈拍数は63と安定。9時35分、退院後に服用する薬について薬剤師から説明を受ける。同室のYさんへの回診は、「その後代わりはありませんか?」と簡単なもの。彼は心臓にステント(血管を拡張するための管)が1本入っているそうだが、今回は数日後にバイパス手術を受ける由。 その際の口呼吸に備えて、管を吹いて肺活量を高める練習。その音がブオーブオーとまるで尺八のようだ。彼は最初の来院から数えて11年目のベテランで、同じく窓際のZさんは10年目。ステントが既に7本入っているそうだが、古くなったものから交換する必要がある由。2人とも「限度額適用認定証」のお陰で、命を存(ながら)えていると笑う。彼らは胸部血管外科の所属。 H看護師が心電図計を装着に来る。午前中にシャワーを浴びれるようだ。入院の請求書は4時過ぎに持参するので、今日中に支払って欲しい由。ただし院内のATMは5時までなので間に合うかどうか。彼女に医学部創設構想について聞いたが、話はその後進んでない由。これ以上診療科を増やすのはどうかと言うのが彼女の意見。案外常識的だ。 M医師から退院後の説明を受ける。話の内容は次の来院日の件、通院しているM医院への「診療情報提供書」の件、ほどほどの飲酒は良いが、喫煙は不可であること、傷口の処置の件、再発率の話などで、次回の予約票などをもらった。12時に昼食。エビピラフ、ワンタンスープ、野菜のお浸し、杏仁豆腐、牛乳と初メニューのオンパレードだった。血圧降下剤のニューロタンを服用開始。 前日と同じ講師から退院後の運動に関するレクチャー。1週間の入院で筋肉は30%落ちる。このため退院後の最初の1週間はウォーミングアップで2kmの速歩程度までにし、2週目はこれを2セット。脈拍や血圧が安定した3週間目からは、2日毎に3kmのジョギングも可能で、距離は徐々に延ばすことが大事。走れない期間は軽い「スクワット」や「爪先立ち」も良いとのこと。 何か事故があった場合は、この病院で心臓のカテーテル手術を受けたことを救急隊に伝えると、必ずここに運ばれて来る「保証付き」。そしてここにいる患者の何割かは、必ず戻って来るそうだ。なかなか現実は厳しそう。同室のXさんが奥様に付き添われて手術室へ行った。彼も不整脈の手術を受けたが、1カ月検診日に病院で倒れそのまま入院したそうだ。やはりそんな危険性があるんだねえ。 14時15分。私は早速点滴装置を押しながら、9階の廊下を歩くことにした。廊下には5mごとに印がついている。これを10往復で1km。時間は30分かかったが、3周目には膝に痛みが出た。やはり筋肉は使わないと衰えるのが早い。初日泊った「処置室」からは、いびき男の猛烈ないびきが廊下まで響き渡る。やはり1人のまま置かれたようだ。<続く>
2012.02.20
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≪ 深夜の焦り ≫ 12時に昼食。病院の食事は規則正しい。メニューは少なめのご飯、鶏肉の海苔風味焼き、葉物野菜とキノコの煮物、バナナ、牛乳。この朝は新聞が買えなかったため、誰かが捨てた地元紙を読む。15時頃、心臓のカテーテル手術をした患者を対象にした「栄養教室」が食堂で開催され参加。参考資料として、心臓病、高血圧、糖尿病毎の小冊子をもらう。どれも成人病として共通する部分があるためとのこと。 講師は男性の技官で、栄養や食事の基本的な話から始まった。カロリーの摂り過ぎ、塩分の摂り過ぎなどに注意し、1日3回の食事でいつ何をどう摂るかと具体的な内容。不整脈に良くないのは、1)体が脱水症状になること 2)脈拍が上がり過ぎることだそうだ。アルコールはほどほどなら良く、休肝日も必要とのこと。ただ、たまに飲むのは心臓に負担をかけて良くないみたい。 血栓の発生を防ぐワーファリンの効果を妨げる3つの食品は1)納豆 2)クロレラ 3)グレープフルーツとの説明があったが、正しくはグレープフルーツではなく青汁であることを教えた。グレープフルーツが阻害するのは一部の血圧降下剤の場合だけなのだ。病院食の薄味にも案外慣れたため、家でも何とか薄味で行けそうな気がする。 病室に戻ると心臓の手術に200万円かかったと言う話にビックリ。翌日は夕刻までに入院経費を支払う必要があったからだ。慌てて看護師に聞いてもらうと40万円~60万円の間とか。保障金として入院時に10万円を預けているが、差額がどうなるか心配だ。多分病院内のATMで1度に引き出せる金額は50万円のはず。「限度額適用認定書」と言う制度があることを初めて知る。 家から持参したポンカンを食べる。血圧は128/80/67と安定。これは手術のお陰で下がったのだろう。脈拍数も67だと不整脈も出ていないはず。手術の2日後に不整脈が出たと言う人もいるみたいだ。私のように「持続性不整脈」の場合の再発生の確率は70%と高いため、なおさらのこと心配になる。なお体温は36度で、全く心配はない。 18時夕食を9階の食堂で摂る。メニューは少なめのご飯、鮭の香味焼き、キャベツ、キュウリ、ミニトマトの野菜サラダ、白菜の入った味噌汁。ところが食事中に、点滴装置へ血液が逆流しているのを発見。病室に戻って看護師を呼ぶ。これは血圧が上がったためとのこと。だが19時の血圧は123/89/63と、さほどでもない。体温は36度。暫くして血液の逆流は治まった。やれやれ、これで一安心だ。 2月10日金曜日の深夜0時53分。息苦しくなって目覚める。強い動悸を感じ、胸の奥には痛み。これは多分不整脈が再発したのだろう。それとも手術が失敗したのかと暗澹たる気持ちに。色んな情報を得過ぎて、精神状態も不安定なのだ。「ホルター」の記録紙に時刻を記入し、症状欄にチェック。0時58分点滴装置を持ってトイレへ。夜はまだ長い。マスクをして再び就寝。 入院4日目は5時45分に起床。胸に弱い痛みがあるものの、鼓動は治まった感じ。洗顔、ひげ剃りに続いてトイレ。2日ぶりに排便があった。体重はホルターも入れて69.1kg。かなり顔が丸いと感じたのはこのせいか。血圧は143/111/62。不整脈もない感じで、指先から測定する体内酸素量も正常だった。 D看護師が体重の増加に驚いて再測定を指示。ホルターを外してみたが、それでも1.5kg以上増えていた。後刻聞いた話だと、入院後ずっと点滴を続けていたための影響で、利尿剤で強制的に排出する必要がある由。それにしても若い看護師さんはどの人も石鹸の香りがして良い。それに肌が白くて肌理(きめ)が細やかだ。<続く>
2012.02.19
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≪ ドクターの話と新しい相棒たち ≫ 深夜も1時間毎の検温があり、30分毎に目が覚める。結局寝返りは禁止で、少しの間姿勢を少し斜めにするくらいだった。2月9日木曜日。入院3日目の朝を迎える。手術後16時間はほぼ同じ体勢でベッドに横たわっていたことになる。6時過ぎに測定した体重は67.5kg。8時尿道から管を抜き、術後初めてのトイレへ。薄い血が混じり、泡立った尿が少量出た。その後は車椅子で腹部と胸部のレントゲン写真に向かう。 病室に帰ると妻がいた。8時15分。9階の食堂で執刀したO医師から、妻と共に話を聞く。手術日ではなく、その翌日に家族が話を聞くケースは滅多にないと思う。ただこの時間までに妻が来院するには、相当の苦労があったと思う。O医師によれば手術後に不整脈は出ていないが、不整脈の期間が長かった患者の場合は再手術を受ける可能性が約7割もある由。 このため当分の間不整脈を抑える薬を服用すること。今後の健診は1ケ月後、3ケ月後、半年後、1年後に行う必要があること。今後心拍数110までの運動は可能だが、出来れば1ヶ月間は運動はしない方が良いことを指示された。1カ月検診の前にはホルター(長時間心電図計)を着けに来院する必要があることも別途聞いた。 妻はアセロラジュースを置き、代わりに洗濯ものを持って帰宅した。病室内で朝食。小さなパンが2個、バナナ、野菜サラダとトマトスープが食べたものの全て。寝てばかりいるため、ボリュームもカロリーもさほど必要ないのだろう。点滴の管を腕から外してもらい、着替えをする。手術着を脱いで驚く。いつの間にかT字帯(ふんどし)が外され、スッポンポン状態だったのだ。 そして両脚には親指の部分だけが開いた白いストッキング。これは脚のむくみを予防するためのものだろう。下着を着けてパジャマを着、再び点滴装置を装着。そのままの姿で荷物を整理した。財布はちゃんと引き出しの中にあった。脱がされたT字帯はビニール袋に入れられ、ロッカー内にあった。折角の「記念品」だがストッキングと合わせてゴミに出した。 4人部屋の1人が、「昨夜は眠れなかったよ」と他の2人に話す。「どうも済みません。私のいびきでご迷惑をかけて」と言うと、「やってましたね」とその人。何せ1時間毎に看護師が入室するし、いびきは聞こえるはで眠れなかったのだろう。今度は私が「加害者側」で、「被害者」は今日が2回目の不整脈手術の当日のようだ。後の2人は10年以上この病院に通院している「ベテラン」のようだ。 H看護師から今日の行動範囲は9階のトイレと食堂のみで、出来るだけ病院で出されたものを食べるよう注意された。外はまたまた小雪。私のベッドは廊下側のため、景色が見え難くなった。10時20分心電図の検査。ホルターを胸部に取り付けられ、「行動表」を手渡される。これは食事、トイレ、起床の行動をした時間と、めまいや動悸や胸痛などを感じた時間をメモするもの。 10時。濡れガーゼで2日ぶりの清拭。蒸しタオルだと気持ちが良いのだが、こんな小さなガーゼでは「気休め」程度だ。カテーテルを挿入した肩の部分は看護師が、股のつけ根部分は自分で清拭。手術時の出血を抑え、管を固定する粘着テープの痕が紫色に変色している。またカテーテル挿入部には、しこりと痛み。無残な姿だが、まあこんなもので済んで良かったと思う。 昨夜眠れなかったXさんは、ストレッチャーに乗せられて手術室へ向かった。傍にはピッタリと奥様が付き添う。一方窓際のベテラン患者YさんとZさんは雑談に花を咲かす。夏はこの病院が花火大会の最大の観覧席になる由。だがZさんは1度も観たことがないと言う。発作で入院するのは、寒さの厳しい冬と言うのがその理由。心臓病の特徴をまた1つ学んだ。<続く>
2012.02.18
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≪ 空白の時間と天使 ≫ 11時45分、ストレッチャーが病室を出た。1階のエレベーターホールへ降りた時、「Aさん頑張って~!!」と言う声がした。看護師のHさんに確かめると、声の主はやはりW主任とのこと。私はHさんからWさんが長く手術室に勤めて現在主任であることや、2人のお子さんがいることも聞いていた。あの横柄なW主任が、手術室に向かう私にエールを送ったのだ。私も寝た切りのまま右手を振った。 12時15分、検査室で注射を打たれる。局所麻酔と聞いていたので手術中も意識はあるのだと思っていた。ところがそれ以降の記憶が全く無い。きっと予め病室で飲んだ薬との相乗作用なのだろう。精神安定剤と聞いていたが、ひょっとしてあれは手術前の異常な興奮を抑えるためと、前夜眠っていないことを考慮しての、強い睡眠薬だったのかも知れない。 私が受ける手術は2時間ほどかかると聞いていた。だとすると12時半ごろには手術に入り、午後の2時半頃には終了したはず。気がついた時、私は4人部屋に寝ていた。ようやく「いびき男」から解放されたわけだ。だが薬の影響か、まだ暫くの間意識はもうろうとしていた。留守中に荷物が移動していたが、財布のことが気がかりだった。引き出しに入れたのは良いが、鍵も一緒だったからだ。 妻が病室にいたのは分かった。彼女が来院した際執刀医には会えず、翌日の8時にもう一度来るよう言われたようだ。私は妻の手を握り、彼女は家に帰って行った。ホームヘルパーとしての仕事を持つ妻は、なかなか自由な時間を作るのが困難。だから入院の準備も私が1人で行い、手術室へも1人で向かった。もし手術中に事故が生じても、最悪の場合妻が立ち会えないことを覚悟していた。 私の口と鼻は、簡便な酸素マスクで覆われていた。準夜勤務の看護師Hさんの話では、手術中に呼吸が浅くなったための措置とか。感染を防ぐための抗生物質点滴液が腕に刺されている。術後10時間ほどは寝がえりも打てない絶対安静だそうだ。このため尿道には排尿のための管。これはまるでロボットではないか。 1時間毎の体温測定と血圧測定の都度目が覚める。胸の長時間心電図装置は術後の鼓動の変化を逐一記録中。この日初めての食事を摂ったのは多分18時30分以降のはず。手術の4時間後と決まっているからだ。もちろん寝たままの食事。小さなお握り2個を自分の手で食べる。横になったままなのに、良く喉を通るものだ。 スープは彼女が1口ずつ飲ませてくれた。メインのおかずは珍しく肉みたいで、それもカツのような味と感触だった。「悪いですね」と言うと、「看護師ですから」と彼女。食後は歯を掃除して再び眠った。ナースコールしたのは3日目の深夜0時15分頃。長時間我慢していたのだが、どうしても耐え切れず姿勢を変えたくなったのだ。 Hさんが何か堅いものを背中に差し込んだ。朝になってみたら、それは寝がえりを助ける角度のついたボードだった。疲労の絶頂にあったHさんを深夜病室に呼んだが、どこか不機嫌そうな雰囲気を感じた。それでも身動きの出来ない私にとって、彼女は天使そのもの。あんな風にスプーンで食べさせてもらったのは、記憶のない赤ん坊時代以来ではないか。ありがとうねHさん。<続く>
2012.02.17
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≪ ああ不整脈 ≫ 昨年の5月末にK内科で指摘された私の不整脈だが、その端緒は4年前の健康診断時ではなかったかと思う。その年、私は7月半ばから10月半ばまでかなり激しい肉体労働をやった。ビルの解体作業に先立ち、機密文書を全て裁断する仕事だった。1個30kgもある段ボール箱を大型の裁断機まで持ち上げ、中の資料を裁断するのがその内容。 クリップ、輪ゴム、ファイル、プラスチックや金属部分などの不用品を、丹念に資料から取り除きながらの面倒な作業。汗が流れっ放しの猛暑、物凄い重量、粉じん、騒音、時々室内に紛れ込む排気ガス。そんな室内での長時間残業。補助者が良くさぼる人だったため、パートの私に大きな負担がかかった。私の責任感がそうさせたのだろうけど。 ビルを解体する日が迫っているため、残業に次ぐ残業。あの重労働が私を疲労困憊状態に陥れた。そんな中で8月初旬に参加した「薬莱山とお足マラニック」では、ランの途中に体調に異変が生じ、ゴール後の温泉では深刻な痙攣に襲われた。8月末の「立山登山マラニック」も同じような体調で臨み、難関の八郎坂で20回ほどふらつき、うち8回は山道に倒れた。今考えれば自分への過信があったと言わざるを得ない。 あの無理が心臓を傷めるきっかけになったと思う。その年の健康診断で心電図を撮ったが、明確な異常は出なかった。ただ、医師が「どうもおかしいな」と首をひねっていたのを覚えている。問題は昨年の大震災後だ。妻の異常な不安が私の精神状態にも影響した。正確に言えばかなり強いストレスが私の心臓に衝撃を与えた。 さて不整脈にも色々あるようで、ほとんど症状が出ない軽いものから、不整脈が持続し常に心臓がバクバク状態のものまで「ピンキリ」だ。私の場合は薬では不整脈を抑えることが出来ず、却って強い副作用が出た。このためドイツで最新の技術を習得した医師がいる専門病院での手術を勧められた訳だ。 正常な脈拍時とは異なる「異常な信号」が不整脈の原因で、この信号の回数が多いほど心臓に負担をかける。私の場合は就寝中も動悸が激しいことがあった。こうなると心臓は休めないために、強い疲労感を残す。これを解決するためには「異常な信号」を発信する個所を突きとめ、高電圧で焼き切る「高周波カテーテルアブレーション(心筋焼灼術)」を行うのが今回の手術だ。 ただ手術が1度で終わるとは限らない。異常な信号が2か所から出ていれば2度の手術、3か所あれば3回の手術を要する。20~40%の人が、複数回の手術を受けるのが実態のようだ。また「手術に伴う合併症」が出る危険性もあり、患者は医師から事前に説明を受け、同意書に署名する「決まり」になっている。 私には医療事故に伴う裁判に備えての「抜け道」のようにも感じた。可能性のある合併症として心筋梗塞など重篤な疾病が15種ほど示されているが、患者は全面的に医師に身を委ねるしかない弱い立場。ここまで来て署名を拒むのは困難だ。手術室に向かうため薬を2錠飲み、ストレッチャー(寝台車)に身を横たえる。きっと今夜は長い夜になるのだろう。<続く>
2012.02.16
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≪ 眠れない夜、そして手術へ ≫ 電話の帰りに売店に寄った。夕食の量では足らないためパンでも買おうと思ったのだが、既に閉まって誰もいない。仕方なく部屋に戻って読書。夜勤看護師のSさんが血圧測定に来る。1度目は上が144、下が113で脈拍は82。まだ興奮が治まってないようだ。2度目の測定では、上が132で下が107、脈拍は93だった。 同室者のいびきは相変わらず凄い。血圧測定後は本格的な睡眠に入ったようだ。椅子に座って司馬遼太郎の「ある運命について」を読む。短編小説や評論みたいな文章もあるが、これは基本的にエッセイ集なのだろう。司馬の人間に対する洞察は鋭くて的確。相当人物への関心が深いみたいだ。その時代に生きた人の特性や風土の違いにも観察が及ぶ。この本は10日間ほどかかったが、とうとう読了した。 20時45分に疲労を感じて就寝するも、23時45分には目が覚めた。入院第2日目の2月8日(水)0時10分、S看護師が点滴液の交換に来た。いびきがうるさくて眠れないことを訴える。日中私が恐れていたのはこのことだった。本来なら手術に備えて十分な睡眠が必要なのに、眠れない苦痛。点滴の器具を引きづりながらトイレに向かう。 眠れないまま、今回の入院記をどう書くか考える。そのうちに再び眠り、3時03分に目覚めてトイレへ。4時頃3度目のまどろみに入り、5時58分館内放送で目覚めた。合わせて5時間ほどのきわめて浅い眠りだった。体重は66.6kg。血圧は1回目が158/109/脈拍数65。2回目が151/109/脈拍数75。依然として高いのは睡眠不足のせいもあるだろう。 一方、同室者はこの後も眠り続け、結局日中と合わせて10時間は眠ったと思う。「う~む、寝る子は育つ」か。トイレから戻ると、窓の外には小雪が舞っていた。S看護師による体温測定では36.1度。8時半から検査があるためこれ以降は水を飲まないよう注意された。経食道心エコー検査時に、誤嚥の原因になるためのようだ。もちろん朝食はない。 8時40分検査室へ移動。検査に先立ち、ゼリー状の麻酔液を飲む。ドロリとした喉の感触が気持ち悪く、味も良くない。それを小分けにして4度ほど飲み下す。これは管を飲み込む際に、喉の異物感を和らげるのだろう。続いて麻酔スプレーをが口内に噴射される。頃合いを見て、O医師が少しずつ食道に管を挿入し始めた。 最後に「ゴックン」することを促され、それ以降は吐き気を我慢。ちょうど良い位置に管が止まり、検査の始まり。至近距離から心臓の様子を探るこの検査が終了したのは9時10分。途中に聞こえた「きれいだね」の声は、心臓内に血栓がなかったことを意味するのだろう。「予定通り手術しましょう」。O医師が私に告げた。いよいよ「まな板」に乗るのだが、順番は私が一番最後だ。 1人目の「いびき男」が手術から帰ったのが10時30分。2度目の手術のせいか、意外に早かった。心電図の波形がきれいだったと言うことは、手術が成功して不整脈が消えたことを意味する。2人目の「怖がり男」も既に検査室に入っている。日勤の看護師がHさんに変わっていた。下着を全て脱いでT字帯(ふんどし)をつけ、手術着に着替える。いよいよ本番が近付いた。<続く>
2012.02.15
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≪ 同室者 ≫ 同じような怒りを処方箋薬局でも経験したことがある。中堅どころの薬剤師が、やはり人を馬鹿にしたような口調で応答したことがあった。怒りがこみ上げ、「普通の言葉で話してくれ」と言ったら、彼女は私の剣幕に驚いて謝った。そんなことを指摘されたことが無かったのだろう。私は一連の内容を葉書に記し、薬局の本部へ送付した。あの薬剤師も今回の看護師も中堅職員。プロフェッショナルな職業柄、つい本音が出たのだろう。 怒りの対象であるその看護師に、下腹部を曝す。明日の手術に備えての剃毛で、私は初めての経験だった。職業とは言え、剃る方のW看護師にとっても嫌な気分だと思う。だが右肩と右の鼠径部(股の付け根)の2か所からカテーテルを心臓まで差し込み、不整脈の根源を焼き切る手術のため、治療上欠かせない「儀式」なのだ。 次いで胸に「長時間心電図装置」を取りつけ、腕にはヘパリンナトリウムの点滴。これは血栓が生じないよう血液をサラサラにする薬みたい。それらが終わったころ師長が挨拶に来た。これは珍しい。まるで旅館の女将と驚いていたら、彼女は同室者にお礼を述べた。どうやらお菓子などをナースステーションに届けたみたいだ。ははあ、だから私への対応とは違っていたのかと納得。でも私は金品を届ける気持ちは毛頭ない。そんなことで態度を変える方がおかしいのだ。 さらに師長は言う。「急患が入ったため病室が塞がってしまって済みません」。この部屋は本来「処置室」の由。それで電話はあってもロッカーがなかった訳だ。私は窓際の使用していない暖房装置の上に、必要な荷物を広げた。ロッカーがないのだから、これで許してもらおう。やがて室内に物凄い音。同室者がベッドに横たわるなり眠り始めたのだ。 轟音は彼が放ついびき。何せ巨体なので音も強烈。さっきまでIフォーンの画面を眺めていた彼が、今はまるで猛獣に変身している。彼が不整脈の2度目の手術であることは、先月の外来時に知った。だから何もかも慣れていて、手術前日の緊張もないのだろう。だが私は何故か嫌な予感がしていた。 向かいの病室からは「手術が不安だ」とか「タバコが吸いたい」と声が聞こえる。この人も同じ不整脈で明日は2番目の手術。いびきの主がトップバッターで、私が最後と決まった。手術に備え指輪を外して財布に入れた。手術では高電圧で患部を焼き切るため、金属を身に着けないよう申し渡されていた。準備が一段落した後は極力読書に没頭。 窓の外にはT大の医学部が見える。私が勤務した50年前は附属病院の本館も含め、ドイツのゲッチンゲン大学医学部の建物を模した明治時代の木造建築だった。先日亡くなった作家の北杜夫もそこで学んだ。それが立派な高層建築群に変わっている。その奥にはかつて精神神経科の「独房」があり、さらに私達が学んだ高校があった。今はそれらの全てが消え去り、まるで新しい街になっている。 夕食のメニューはカレイの煮物、野菜の煮物、白菜のお浸し、そしてアラメ(海藻)の味噌汁。どれも薄味で、ご飯はいつもの半分ほどの量。6時半ごろ自宅に電話し、妻に明日の手術の順番を教える。最初に「俺だけど」と告げたら、妻は「オレオレ詐欺」と間違え、「どなた様ですか?」と聞いた。子供の声は絶対忘れないのに、自分の夫の声を簡単に忘れるものだろうか。<続く>
2012.02.14
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≪ 怒り ≫ 9階の「病室」に案内された私は、あることをきっかけに怒りがムラムラと湧き上がった。昼間病院の食堂で食べた「和定食」の内容があまりにも貧弱だったからでもないし、室内が汚れていたからでもない。怒りの対象は私をこの部屋に導いた看護師の態度だった。入院初日、翌日に早速手術を受ける患者の不安を全く考えていない彼女の姿勢。 その前に先ず驚いたのは、この「病室」にはロッカーがないことだった。着て来たジャンバーは仕方なく床に紙袋を敷いて、その上に載せた。洗面具や筆記用具は取り敢えずテレビの台のすき間に入れた。財布は小さな引き出しにしまい、鍵をかけた。持参した果物はテレビ台の下の狭い空間に無理して突っ込んだ。だが脱いだズボン、シャツ、帽子、マフラーを置く場所がない。仕方なくスポーツバッグの中に押し込んだ。 そこまではまだ我慢が出来た。だがW看護師の言葉遣いに私は思わずかっとなった。年長者に対するものではなく、まるで認知症の老人に対するような口ぶり。確かに彼女は看護師と言うプロで、毎日大勢の患者を相手にしている。今日入院して来た爺さんはパートの警備員。そんな態度が言葉の端々に見え隠れしていた。だが、同室のもう1人の入院患者に対する言葉遣いは、まるで違うのだ。 渡された資料は今後の治療計画や予定表など厖大なもの。中には6ページにも及ぶ「問診票」もあった。これがまた面倒な項目が多い。子供の住まいや自分の宗教などが本当に必要な情報なのか。それに外来時に記入した項目を、再度書かされる。W看護師は入院当日、つまりこの日の予定を矢継ぎ早に説明した。それは良いのだが、患者としては何を優先させたら良いのかが分からない。 何とか書き終えて血圧測定した時には最高血圧が160、最低血圧が120ほどに上がっていた。「ずいぶん高いですね」彼女が言う。「そうだね、相当頭に来たからね」私は開き直って答えた。翌日の手術に備えて入浴しておく必要があるのだが、その時間が迫っている。「入院案内」の持参品には、「洗面具」とはあったが、せっけんやシャンプーのことは書かれてなかった。仕方なくお湯を被り、タオルでゴシゴシ擦った。 狭い浴室には、老人の患者と若い看護師もいた。自分では洗えない人を手伝っていたのだと思う。手術を終えた患者の腕には紫色のあざ。血管に注射した際の失敗だと、その人が言う。W看護師の態度が少し変わったのは、私が入浴から戻って以降。私は問診票の「どんな診療を望むか」の項目に、「誠実で謙虚な医療」と書いた。また「前職」の欄には、41年間勤めた仕事と地位を書いた。きっとそれを読んだのだと思う。 尋ねられた「病院への希望」に対しては、「良心に基づいた医療を望む」と答えた。まさか見栄えのしない爺さんから、そのような答えが返って来るとは思ってもみなかったのだろう。プロが自分の職業や地位に誇りを持つのは良い。ただ、どんな人にも同じように誇りがあることを、狭い世界に住んでいると気づかなくなるのだ。<続く>
2012.02.13
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≪ プロローグ ≫ 今回の入院の話をこんなことから書き始めて良いのかどうか分からないが、私は今大いなる感動と若干の責任を感じていることを先ず記しておきたい。私のブログは1枚の写真もない味気ないもの。それも連日4千文字を超える長文だ。おまけに私はブログ友のコメント欄にも滅多に書き込みをしていない。つまり誤解を恐れずに言えば、私自身にとっては文章を書いて公表することが目的で、ブログを通じて「積極的に」友人を得ようとは考えていないのだ。 「楽天ブログ」では、最近様々な機能を捨て去った。このため誰が私のブログを訪れてくれたのかの手掛かりがなくなった。多分「足あと機能」がなくなったことで、「自動巡回システム」も消えたはず。そうなると日々のカウント数は「純粋に私の文章を読みに来られた方」に限られたとも言えるだろう。 若干のブログ友達の他に訪ねて来て下さるのは、所属走友会の仲間か、ウルトラマラソン仲間の宮城UMC所属の方か、全国の走友だと思うのだが、今回の入院中には私が日記を書けないことを分かっていながら、毎日何十人もの人が訪れてくれていた。それだけは日毎のカウンターで分かるのだ。空白の日記を観に、果たして毎日何十人もの人がわざわざ来てくれるものだろうか。 自分勝手な想像になると思うが、ひょっとしてこれは私の健康状態を心配してのことかとも思う。そう考えると感謝以外の何物でもないし、それだけに自分の書く内容にはより責任を持たないといけないと感じる。たとえ無味乾燥のブログであっても、出来る限り心を込めた文章を目指す気持ちがさらに強まった。 書き手としては、日々どのようなテーマを選び、自分の能力の範囲でどう表現するか。それが一番の苦しみであり、少しでも納得出来た場合は密かに喜んでいるのが実態だ。今回のテーマは私個人の病気というプライベートなものであり、それをどこまで赤裸々に書けるか、また読者の役に立つ情報を提供出来るか、そして読者に最後まで飽きずに読んでもらえるかがポイントになると思う。 ドクターの指示によって、後1カ月は走れない。このため日常の労働、散歩、通勤などで体を動かすしかないが、その余ったエネルギーをこの「日記」に全てぶつけてみようとも思う。かなり長文になる可能性があるが、できれば最後までお付き合いいただければ嬉しい。また専門家ではないため、ひょっとして医学的に間違ったことを書く可能性がある。そのことを連載の最初にお断りしておきたい。<続く>
2012.02.12
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皆さん今日は~!!2月7日(火)の午後に入院し、予定通りその翌日に不整脈の手術を受けました。この間のことは麻酔が効いてたため全く覚えてないのですが、無事手術は成功したようです。その後の経過も順調で、お陰様で本日2月11日(土)の午前中に退院できました。 留守中にたくさんの励ましをいただきました。また心配して毎日のように探訪下さった方も大勢おられたようで、こころから感謝申し上げます。今回の手術は成功しましたが、私が受けた手術は2割から4割の方が再手術を受ける可能性があるようで、まだ油断が出来ないのです。いつもは無鉄砲な私も、暫くは慎重に行動したいと思っている次第です。 今回は4泊5日の短期間でしたが、何かの参考になればと思い、入院時の記録を書き記したいと考えています。今後ともどうぞよろしくお付き合いいただければ幸いです。先ずは心からの感謝を込めて、退院のご挨拶まで。
2012.02.11
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≪ 遠い道 ≫ 昨年9月「秋田内陸」の45km地点でリタイアした時、「100kmレースはこれが最後かも」と覚悟した。事実翌月の「伊南川ウルトラ遠足」は体調不良で、スタートラインに立つことすら出来なかった。それでも参加出来た場合の作戦だけは考えていた。何とかゆっくり前半の50kmを走り、後はそこから路線バスに乗って帰ることだった。 今回は42.195kmの遠さを感じていた。足の痛みは取り敢えず治まったものの、不整脈による息苦しさがさらに増したからだ。この体調でフルを完走するのは無理だが、何とか「勝田」に参加する方法を考えていた。結論は30kmで止めること。そこに収容バスが待機していることが分かったからだ。そこからバスでゴールまで帰れば、一緒に行く仲間にさほど迷惑をかけずに済むかも知れない。 その2週間後の「いわきサンシャイン」は、「勝田」後の体調をみて出場を決め、もし大丈夫なら25km地点まで走る積りだった。そこに荷物が届いているからだ。東日本大震災の被害と、どれだけ復興したかを自分の目で確かめるため、何としてでも行きたかった「いわき」。交通手段は高速バス。ビジネスホテルはほとんどネット予約が不可能な状態だったが、ツーリストを通じれば何とかなると考えていた。 入院と手術の期日が決まったため、2つのレースへの参加は最終的に諦めた。寒い時期のレースで、体力的にも自信がなかったため、不参加で良かったのだと思う。「勝田」まで同乗させてもらう予定だったM仙人には、断りの電話を入れた。仙人の話によれば、走友会からの参加者は他にいない由。震災後、常磐線が寸断されているのも大きな理由だと思う。 入院を前に、病院から渡された書類を確認し準備を始めている。資料によれば、心房細動(不整脈)による影響としては、1)動悸 2)胸の違和感 3)胸痛 4)咳 5)呼吸困難 6)疲労感などが出るようだが、人によっては無症状のこともあるようだ。私も当初は自覚症状がなく、練習でも80kmほど走れたのだが、今では睡眠時に息苦しいことがあるほど悪化している。 また手術に伴う併発の可能性については、1)出血、皮下血腫 2)血管損傷 3)感染症 4)重症不整脈の誘発 5)血栓塞栓症 6)気胸、血胸 7)心穿孔 8)心筋梗塞 など16もの重篤な症状が列記されており、手術を受けるのが怖くなるほどだ。手術後に片方の視力が無くなった人が近所にいるが、私の担当のO先生が執刀したのでは無いようだ。 手術を始めとする医療行為に関しては、全面的に信じ委ねるしかないのが患者の立場。そして入院の日までより良い体調を保つのが、患者の使命だと思う。体力の減退や記憶力の後退は、老化には付き物の現象だし、歳を取ればいつも良好な体調ばかりではいられなくなる。47年ぶりの今回の入院は自分の「老い」を認識すると共に、老後の健康を考える良い機会なのかも知れない。
2012.01.20
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≪ 実験と診断(5) ≫ ドクターは検査結果を基に、私の病状について説明した。そして私の不整脈がいつごろから発生したのかを知りたがった。不整脈の指摘を受けたのは昨年の5月だが、3年ほど前の健康診断で心電図を撮った時にも首を傾げられたことを伝えた。そして不整脈を抑えるための薬を服用した際の症状は、やはり副作用だったようだ。 ドクターの診断は「やや慢性化した不整脈」。ただ、思ったほど左心房の肥大は進んでおらず、手術をすれば不快な症状は一掃される由。どれくらいまで手術を遅らせることが出来るか尋ねたら、「そんなことを言ってる場合じゃないですよ」と一蹴。寒い時期の入院は妻が嫌っていたし、職場から休暇がもらえるかどうかの心配があったからだ。だが4泊5日の入院で済むとの話に、手術することを承諾。こうなったらまな板の上の鯉だ。 手術は肩と太股の付け根の2か所から血管にカテーテルを通し、心筋の一部を焼灼するもので、成功率は90%以上とのこと。ドイツで最新の技術を学んだばかりのドクターは、かなり自信を持っているようだ。入院に先だって造影剤を用いての胸部血管撮影、入院後は手術前に食道を経由した「心エコー検査」を行う由。直ちに入院日を指定され、3種類の同意書への署名を求められた。 「どうぞよろしくお願いします」。ドクターに丁重に頭を下げ、診察室を出た。その後、看護師から入院の際の説明。持参品一覧の中にある「T字帯」とは何かと聞いたら「ふんどし」とのこと。太股の付け根からカテーテルを挿入する際に有効なのだろう。会計でこの日の診療費を支払い、血管造影と入院の費用を尋ねた。 全てが終わった時には6時半を過ぎていた。病院内には約8時間滞在したことになる。椅子に座って服とズボンを脱ぎ、リュックへ入れる。これから夜道を走って帰るのだ。入院決定記念の帰宅ランも悪くはない。何も知らない頃は1カ月ほど入院すると考えていたのだが、開業医に聞いたら1週間で済みそうと言われ、最終的には5日間になった。そのうち職場を休むのは4日間だけなので、何とかなると思う。後は女房にどう説明するかだ。 暗い道を慎重に走る。入院前の大事な体が怪我でもしたら大変だ。青葉城への坂道がすっかり凍っていて、ツルツル滑る。手をついて何とか道の端に移動し、どうにか登ることが出来た。動物公園への坂道は歩道に雪が残っていたため、車道の隅を走った。無事帰宅したが、手が冷たくて苦しい。妻には入院と手術が決まったことを告げる。急な展開に少し戸惑っていたようだ。 さて、今は症状が進んだため、とても疲れ易い。そしてレース直前に血管撮影があるため、今月末の「勝田マラソン」への参加は無理だと思う。来月の「いわきサンシャイン」は退院日がレース前日なので、こちらも完全に無理。全ては退院してからの再スタートになるだろう。幸い3月と4月はレースへエントリーしていない。この際じっくりと体を治し、徐々に体調を整えたいと思っている。
2012.01.19
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≪ 実験と診断(4) ≫ 書類に必要事項を記入し、新患受付に提出する。ほどなく名前を呼ばれ、院内のルールについて説明された。今後の呼び出しは誕生日と姓の組み合わせになる由。つまり私の場合だと「3の24のAさん」と呼ばれるらしい。出来上がったカルテ一式を持参し、循環器内科の受付に向かう。申し込み用紙の科名で、この病院は内科と外科の組み合わせであることが分かった。 消化器系、呼吸器系、循環器系内科とそれに対応する外科があり、他に放射線科、麻酔科がある。最近の報道によればTF大と組んで医学部を創設する計画があるようだが、基礎医学は全くないし、臨床系もかなりの分野がないため、学生の教育はもちろんのこと、臨床面でもカバーする分野が多くて大変だと感じた。 カルテ一式を受付に出し、待合室のベンチに座る。循環器内科には外来担当のドクターが5人いるようだが、私が受診する「不整脈外来」の患者が一番多いようだ。それは各ドクターの名前の横に、記号や数字が書き出され、現在どこまで進行しているかが待っている人に分かる仕組み。私の担当になるO先生欄は既に「17」だが、多分これは17人ではなく延べ170人なのだろう。 来院してから1時間20分。ずっと本を読んでいるが、まだ何の音沙汰もない。正午も過ぎたためリュックからお握りを取り出し、3個とも平らげる。名前を呼ばれたのは3時間後。ルールに従って看護師に姓プラス「名前」を言って診察室に入る。きっと医療過誤を防ぐためにこの方式を徹底させているのだろう。ドクターは30代後半と見た。きっと昼飯も十分に食べる暇なく、診察を続けているのだと思う。 個人医からの紹介状を観ながら私に症状を説明させ、それを逐次端末から入力するドクター。さらに手首の脈を測って「やはり不整脈が出てますね」と一言。15分ほどで診察は終わり、次は検査に廻ることになった。コースに従って胸部のレントゲン写真撮影、心電図を撮り、最後に心臓のエコー写真。それらが全て終わったのは1時間半後。カルテを持って再び循環器内科の外来窓口へ。 さらに2時間半ほど待つ。こんなに待たされるのは予約してないからだろう。お陰で司馬遼太郎著「故郷忘じがたく候」全1巻を読了。窓の外はいつしか夕闇が迫り、真っ暗になっていた。あれほどいた患者も残り少ない。夕方の6時20分。名前を呼ばれO先生の診察室に入ると、ドクターはデスクの上にどさりと資料を置いた。さて、審判は如何に?<続く>
2012.01.18
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≪ 実験と診断(3) ≫ 右の人差し指に黴菌が入り、腫れ上がっていた。風邪で喉が痛く体調が悪かった。右足の底部に鈍痛があり、階段を下りる時右膝に痛みが走った。そして不整脈のせいで時々胸苦しくなる体調。それが昨年末から年始にかけての状態だった。これでフルマラソンを走るのは無理。自分ではそう思っていたが、少しでも体調を取り戻す努力だけはしてみよう。それが偽らざる心境だった。 思い切って整形外科へ行ったのは1月11日(水)。初めて診断を受けたドクターからは呆れられるほどの状態で、「このままだと靭帯が切れますよ」と言われた。あれは単なる脅しだったのか、それとも真実の言葉だったのか。ともあれ足底筋膜炎のために1本、くるぶし内側靭帯の腱鞘炎のために1本、変形性膝関節症のために1本。計3本の注射を打ってもらった。 それから4日間は休足。その間に右の脹脛(ふくらはぎ)が痛んだ。きっと痛む足を庇って走ったため、知らず知らずのうちに無理なフォームになっていたのだと思う。1月15日(日)。天気はまあまあか。満を持して近所の坂道まで走りに行く。もし痛みが生じた場合は直ぐ家に帰れるのが良い。それにこの日はある実験を試みる積りだった。 シューズは2番目に底が堅いものを選び、ドクターの指示通り医療用インソールを敷いた。12月の初旬に足を傷める元になった新しいシューズを履く勇気はさすがにない。これはネットを通じて2足購入したため、もし履いて痛みがなければとても助かるのだが。嬉しいことに痛みは出なかった。やはり注射が効いたようだ。6.5km走って一旦帰宅。 医療用インソールを抜き、靴屋で買ったフェルト製の中敷きと交換。次はこれで走る実験だ。フェルトが新しいせいか、坂道ではシューズの中で足が滑る。同様に6.5kmを走ったが、幸い痛みは出なかった。距離が長くなればどうかは分からないが、ゆっくりでも13kmは走れることは確認出来た。次の改善点は心臓。不整脈が良くなれば、走るのも今よりはずっと楽になるはず。 1月16日(月)。第1現場の勤務を10時で終わり、初めての病院に向かう。その前にコンビニで3個のお握りを購入。今日の診療はどれくらいかかるか分からない。多分昼食は病院内になるはずと思ってのことだ。通院している個人病院からの紹介状は持った。今日は診断と検査になるだろう。その結果、入院して手術を受けることになるかどうか。 意外かも知れないが、私にとって入院は吉報。その理由は症状が改善される見通しがある人だけが手術を受けられるとの考えだ。バスの終点から歩く。私の最初の職場だったT大の病院。そしてその隣が医学部。さらに西行すると左手に白亜の病院。かつてはT大の附置研究所の一つである「抗酸菌病研究所」(結核の専門医療機関)だったところ。今ではすっかり機能も組織も改組されたが、果たして今日はどんな結論になるのか。<続く>
2012.01.17
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今日は仕事を早退して、心臓の専門病院に行って来ました。さすがに混んでいて8時間もかかり、すっかり疲れ果てました。結論だけ書くと、2月に入院し手術することになりました。明日も早朝に起床するため、詳細は明日以降に改めて記す予定です。また皆さまのところへの本日のご訪問は無理のため、ご了承願います。
2012.01.16
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≪ 余命 ≫ 俳優の二谷英明が亡くなった。奥様は女優の白川由美で、お嬢さんが郷ひろみと離婚した二谷友里恵。死因は肺炎で亨年は81歳だったようだ。私は彼らに対して芸能人一家と言うよりも、山の手の良家と言った雰囲気を感じていた。どうやら二谷は昨年暮れに健康診断か人間ドックのために病院を訪れ、そのまま帰らぬ人になったみたいだ。 昨年亡くなった山内賢や竹脇無我は私と同学年でまだ60代。二谷の80代と比べればずいぶん歳の差が開いているように感じるが、14歳はさほどでの差でもない。私は3月で68歳になるが、80まで後12年しかない。そのことを妻に話すと、改めて「お父さんも元気なうちに外国で走って来たら」と言う。 それで自分は友達と一緒に外国旅行をするらしい。「俺と一緒じゃないの?」と聞くと、返事は「マックスの面倒を見る人がいないとね」。彼女には愛犬をペット用のホテルに預ける選択肢はないようだ。我が家を建ててから15年になるが、それに比べても12年は短い。しかも元気で走れる期間はさらに短い。 確か日本人の平均寿命は確男が79歳ちょっとで、女が86歳台だったはず。それを思えばそうそうのんびりは出来ないのだが、物事には必ず例外がある。聖路加病院の日野原名誉院長は間もなく102歳になる超高齢者だが、未だに飛行機に乗って世界を駆け巡っているし、双子の姉妹きんさん、ぎんさんも100歳を過ぎてからコマーシャルでデビューした。もちろん彼らは異例中の異例だとは思うが。 神様からそれぞれ1人1本ずつ命のロウソクを与えられるとして、ロウソクの長さが短い人もいれば、他人よりもずっと長い人もいる。さらに華やかに燃え盛るロウソクもあれば、火を点けた途端に消えてしまうロウソクもある。だが、ロウソクの長さや太さは自分では決められない。二谷やその家族だって、まさかたまたま診察を受けた病院で、そのまま死ぬとは思ってもみなかっただろう。 普段、人間は自分がいつ死ぬかなど考えずに生活を送っている。死を意識するのは重篤な病気に罹った時か、重大な事故に遭った時くらいだと思う。私も後数年は仕事をしたいし、後7、8年はランナーでいたい。もちろん外国で走るのも夢の一つだ。そしてそれが無理なら、せめて3時間ほどは連続して歩ける体力を残したいと思う。 高校のクラス会では、今年「古稀の会」を開く。亨年もそうだが、このような慶事は満年齢でなく「数え」の年齢で行うのが通例だ。さて我がクラスには8名の物故者がいるが、恩師は80歳を過ぎてもまだまだ元気で顔艶も良い。私達も恩師に負けずに長生きしたいと思うのだが、常日頃から節制を心がけている彼に勝てるかどうか。
2012.01.10
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< 健康編 > 東日本大震災同様、今年は健康の面でも激震が走った。先ず2月の「いわきサンシャインマラソン」(フル)の後に、右足の足底部が痛んだ。整形外科へ行くと筋膜炎との診断。私の足は左右とも偏平足で、加齢とともにアーチが落ち、種子骨という余計な骨が出っ張っている。これが靭帯や筋膜を引き延ばして痛みが発生するのだ。かかと付近に注射を打ってもらい、痛みは治まった。 5月末には不整脈が見つかった。いつもの内科の診察で判明し、直ちに循環器病が専門の個人医の診察を受けた。心電図はもとより、エコー写真や負荷試験も実施した結果、やはり不整脈との診断。不整脈を抑える薬と、血液をサラサラにする薬、血圧降下剤を併用することになった。血液サラサラの薬は不整脈で血栓が出来た場合、脳梗塞を引き起こす恐れがあるためだ。 ところが不整脈を抑える薬のせいか、眩暈、吐き気、動悸が激しくなった。ドクターに薬を変えてもらったが、次の薬ではさらに動悸が激しく、その次の薬でも動悸で胸苦しさが生じた。多分薬の副作用かもとドクターに相談した結果、最小限の薬だけ服用することで今日に及んでいる。暑さが厳しかったこの夏は疲労が激しかった。心臓が8割程度しか機能していないせいだ。 秋の終わりには仕事を辞めることを申し出た。ところが遅番の同僚が急に辞めたため、私は辞職を撤回する羽目になった。今日の診察では、早めに専門医の診察を受けて手術の可否を確かめることを勧められた。妻にもそのことを話した。来年1月にはその病院に行ってみる積り。それとは別に膝や右足も本調子でないため、来年も苦戦は免れないと思う。 震災が妻の精神状態に影を落とした。不安、不眠が高じて軋轢が激しくなり、私の心機能にも影響が及んだ。妻の姉が震災と前後してうつ状態になった。最近ようやく落ち着き、安心出来るようになった。震災以降精神科を訪れる患者が激増したと言う。児童も教師も心に深い傷を負い、うつ病になった精神科医も居たほどの深刻さ。来年こそは健康で一年を過ごしたいものだ。
2011.12.21
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「血液のサラサラ度が下がってますね。良く手帳を読んでください」。先日病院に行った時、ドクターに言われた。手帳とは「抗凝血薬療法手帳」通称「ワーファリン手帳」のことだ。病院に行く日は毎回この手帳を持参している。採血し、検査後の血液のサラサラ度がこの手帳に書き込まれる。その値が8月をピークに、徐々に低下していた。 私の病名は心房細動。つまり不整脈だ。心臓の鼓動が一定でないため、血液が全身に送られる度合いはせいぜい80%くらいみたいだ。残りの20%は心房内で滞留したり、心室へ逆流しているとのこと。こうなると血栓が出来やすく、その血栓が血管を伝わって脳内に飛ぶと脳梗塞の原因になる。ドクターはそれを恐れているのだろう。 帰宅後、手帳をじっくり読んだ。ワーファリンの効き目を阻害するため、絶対に摂取してはいけない食品として上げられているのが、1)納豆 2)青汁 3)クロレラだ。この他ビタミンKを含むたくさんの食品が上げられているが、野菜に関しては禁止出来ないため、一度に大量に摂取しないこととされていた。 本来なら納豆や青汁やクロレラは体に良い食品。ところがビタミンKを多量に含むこれらは、何と血液を凝固させる働きが強いのだ。それも本来はとても大切な機能。何故ならそれらの働きで出血が速やかに停止するからだ。ところが厄介なことに、不整脈などでワーファリンを服用している場合は、逆にそれが脳梗塞の恐れにつながってしまう。 どうも私は勘違いしていたようだ。「納豆は大量に摂取しなければ問題ない」と、青年薬剤師から聞いていたため、週に3度ほどは食べていた。またレースでもらった青汁を、勿体ないからと言って飲んだことがあった。いずれも健康食品の代表みたいな存在。それで何の不信も抱かずに摂取していたのだ。 危ない危ない。もしあの時ドクターに言われなかったら、私はずっと納豆を食べ続けていたと思う。「少しなら悪くない。むしろ体には良い」と信じて。参考までにビタミンKの多い食品を上げてみると水分40%以上のものでは 1位納豆 2位パセリ 3位シソ 4位モロヘイヤ 5位アシタバ 6位バジル 7位カブの葉 8位オカヒジキ 9位ツルムラサキ 10位大根の葉 14位昆布の佃煮 となる。 また水分40%以下の食品では 1位抹茶粉 2位カットわかめ 3位煎茶の葉 4位わかめ 5位海苔 6位ヒジキ とあり、我が家ではかなり食卓に上る頻度が高く、かつ私の好きなものが多い。そして私はビタミンKとカリウムを混同していた形跡があるが、これらの食品にはかなりカリウムを含むものが多い。 ランニングは健康に良い。私はずっとそう信じて来たし、今でもそう思っている。ところが不整脈になったことで、ひょとしてこれまでの過激なウルトラマラソンが心臓に悪影響をもたらしたのではないかと疑い出した。前々から心電図を撮ると、ランナー特有の洞性徐脈が出ており、数年前にはそれとも違う異常な波形が出たこともあった。そんなことを思い合わせると、やはり私の心機能は少しずつ悲鳴を上げていたのではないか。 その他、走り過ぎによって足、膝、腰などを傷めるケースも多いと思う。加齢に伴い、それらの障害はさらに増え、悪化するとも思える。原因は筋力の低下や機能の劣化だ。よほど鍛えている人か元々頑丈な人は別として、ランナーの多くは老化と共に少しずつ弱って行く。中には私のように障害が突然現れることもある。 やはり無理と過信は禁物。人は歳と共に弱り衰える。それを頭の片隅に入れて、上手に対応することだ。そうすれば少しでも長くランニング生活を楽しめるのではないか。「手帳」にはアルコールと薬の関係についても書かれていたが、ドクターに晩酌のことを聞いても止められたことがない。あれは「ほどほどにやりなさい」と言う意味だろうか。そう思って、毎晩1杯の水割りを楽しんでいるのだが。≪ 11月のラン&ウォーク ≫ ラン回数:17回 ラン距離:203km ウォーク:99km 月間合計:302km 年間距離:3291km うちラン:1721km これまでの累計:77、971km
2011.11.30
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めっきり寒くなった。今朝の通勤バスでは運転手の直ぐ後の席に座ったのだが、窓から吹き込む風が冷たかった。それでもいつも通り居眠りしたのは、多分疲れていたからだろう。昨日「ランナーズ」の1月号を買った。付録についてる「ランナーズダイアリー」が欲しかったためだが、気になる記事が載っていた。 それは「ランニングと心臓トラブル」に関するもので、レース中の事故を防ぐための注意が、不整脈に苦しむ私の目を引いた。私の場合は心房細動だが、心室細動ともなると「死」につながる大事故にもなりかねないようだ。レース当日に行いたい心臓トラブル危険度チェックとして挙げられていたのが、以下の8項目。 1)前日良く眠れなかった 2)朝食を食べなかった 3)異常に喉が渇く 4)身体がだるい 5)下痢をしている 6)心臓がドキドキ、気分がイライラする 7)平時で脈拍が1分間に90以上ある 8)胸が痛い、締め付けられる。このうち1つでも該当する場合はペースを落とす、またはレース自体の自重が必要で、これに高温多湿、無風などの気象条件が加わると、心臓トラブルの危険度はさらに増すので要注意とある。 今日は病院へ行った。ドクターによれば、先月の血液検査の結果は、やはり肝機能に異常値がある由。念のため次回はB型肝炎とC型肝炎の検査をすることになった。不整脈を抑える薬はさらに体調が悪化するため服用を中止し、胃腸薬も不調の時しか服用していないことを告げると、ドクターは了解してくれた。その代わり一度専門病院で診察を受け、手術の是非について判断してもらうことを勧められた。 私も望んでいることではあるが、今後勤務の都合や家の都合を勘案して決めたいと返答。これにもドクターは理解を示してくれた。まだ半年しか通院していないが、徐々にドクターと信頼関係が築けて来たのが嬉しい。来年のレースも既に幾つかエントリー済みだが、我がブロークンハートの行方はどうなるか。 夕食時に妻が言うには、人間ドックで腎機能などに異常値が出たため再検査した結果、B型肝炎とC型肝炎の検査を勧められたとか。んんん?これって偶然の一致? それとも何か因果関係があるの~? 一喜一憂している訳ではないが、人間の体って実に不思議だねえ。
2011.11.25
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妻がたくさんの小菊を花瓶に飾った。黄色い小菊は、居間全体に独特の香りを放っている。その香りも悪くないが、明るい黄色が幸福を招くようにも感じる。昨夜の夕食はタラちりだった。そしてテーブルの上には丸くて緑色の物体があった。スダチにしては大きいし、ダイダイにしては小さ過ぎる。まさか大分のカボスではないだろうな。私はそう思った。 妻に聞くと、その正体は我が家の庭から採ったユズとのこと。これはビックリ。少し黄色くなり始めたが、食べるのはまだ先だとばかり思っていたのだ。「これが我が家のユズか」と、感慨を込めて緑の実を絞った。何とまたジューシーなことか。強い香りが漂うが、成熟したユズの香りではなく、ライムのような匂い。だが、15年ぶりに実ったユズの味は格別だった。 今朝は放射冷却現象のせいで、少し冷え込んだ。だが10度以下の気温は、今頃なら普通だろう。空には満天の星。その寒空の下を愛犬と散歩する。これからはさらに寒さが厳しくなって来る。いずれはコタツを用意し、先日購入した反射式ストーブのお世話になる日も近そうだ。通勤のバスにも暖房が入る季節。本を読んでいても、ついウトウトと眠ってしまう。 第1現場では、久しぶりに体調の良さを感じた。原因は昨夜から飲み始めた不整脈の薬しか考えられない。薬を変えたのはこれで3度目。まだ飲み始めたばかりだが、眩暈もしないし動悸も穏やか。この状態が続けば手術も不要と思えるほどだ。これは嬉しい。このまま副作用が出ないことを祈りたい。 帰宅ランでは、ほんのちょっぴりスピードが増した。元のように戻るのは難しいとしても、走っていて心臓が苦しくならないと良いのだが。それでも仕事は辞める積り。理由はタバコの煙だ。第1現場では、室内で管理会社の人が吸う。一度だけ喫煙所で吸って欲しいとお願いしたが、嫌な顔をされた。彼らは我が社を雇用する立場なのだ。対抗上彼らがタバコを吸い始めたら小窓を開けるようにしているが、却って煙が自分の方に流れて来る。 第二現場の方はもっと酷い。原則的に各階には喫煙所が無く、地下駐車場の入り口に灰皿が置かれているだけ。このため常時2、3人はたむろし、酷い時は5、6人がスパスパ吸っている。そこは私達が出入りする個所であり、私の清掃区分に近いため、どうしても煙を吸うことになる。別に彼らの肺が真っ黒になる権利や、ガンになる権利を奪うつもりはない。 言いたいのは他人に迷惑を掛けるなと言うこと。だが、何の設備的配慮をしてない現状では、嫌でも応でも伏流煙を吸わざるを得ない。タバコの煙には約200種類の有害物質が含まれ、そのうち60種類以上は発がん物質とか。それだけ危険なタバコを減らすには、1箱千円に上がっても良いとすら考える。 私は出来るだけ良い空気を吸いたい。私はゆっくりでも良いから走りたい。そして出来れば死の直前まで、畑の野菜や、庭の草花に囲まれて自宅で過ごしたい。近所からいただいた渋抜きした柿が美味しい。我家の甘柿はまだ甘味が十分ではないが食べられる。そしてカスピ海ヨーグルトのお陰で今日も快腸。やはり人間は健康じゃないとね。
2011.10.27
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午後から雨が降りそうな空模様だったが、病院へ行った。薬が1日分しか残ってなかったし、ドクターに聞きたいことがあったからだ。火曜日のせいか、午後の一番で受付できた。時間まで血圧を自動で測り、読書に勤しむ。待合室には人がまばら。そして一番に私が呼ばれた。入ったのは診察室。いつもなら最初に採血があるのだが今日は先ずドクターと話した。 気になっていたことの第一は、会社の健康診断で肝機能に問題があったこと。数値はさほど異常ではないが、昨年までに比べればかなり高い。そのことを話すと、服用している薬のせいだろうとドクター。たまに腎機能がおかしくなることがある由。採血後、分析のため検査に出すことで話が一致。 第二の心配点は、最近とみに鼓動が激しく感じられること。強い疲労感もあり、仕事を辞める予定であることも伝えた。不整脈を治すための薬が合わないのかも知れないとドクター。新しい薬に変え、改めて心電図を撮ることにした。慢性的な不整脈の場合は薬の効果が出ないこともあるそうで、その際は服用を止めることになるみたい。 三つ目の相談は不整脈の手術の件。私の場合は手術をしても効果があるかどうか分からないと言われていたが、これだけ体調が悪いと専門医で手術を受けたら少しは改善されるかも知れないと心情を話した。ドクターによれば、専門病院で手術を受ける場合は1週間の入院を要し、「不整脈外来」の診察日は月曜の午前中とのこと。 私が仕事を辞める理由は、専門病院で診察を受けたいためであること。そしてその病院で不整脈の手術を受けた人が片目を失明したと聞いたことも正直に話した。これに対して専門病院に今度来た医者はドイツで最新の研修を受けた優秀な人で、失明したのは血栓予防薬を服用しなかったためだろうとドクター。なるほど、それで私の疑問は解けた。 さて、仕事を辞める前に休暇を取って、診察を受けることが可能か検討する必要がありそうだ。ただし、手術で1週間入院することになれば、妻が仕事を辞めた後でないと無理なようにも思う。少しは光明が見えた気もするが、解決にはもう少し時間がかかりそうだ。
2011.10.25
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先日の日曜日に妻と「ツレがうつになりまして」を観に行った。原作は細川貂貂の漫画だが、NHKで3回もののテレビドラマ化されたことがある。漫画家の妻役が藤原紀香、夫役が原田泰三で、私はそのうち1回だけ観た。映画での妻役は宮崎あおいが演じ、夫役は堺雅人だった。人気番組だけにかなり混むかと心配していたのだが、朝一番の上映だったため思ったほど客は多くはなかった。 サラリーマンの夫が会社勤めのストレスでうつ病になり、漫画家の妻が悪戦苦闘しながら夫を支えると言うストーリーだが、ほのぼのとした夫婦愛が観客を泣かせた。この話は漫画家夫婦に実際に起きた話。映画は夫の回復する兆しが見えたところで終わっているが、漫画の方では「その後のツレがうつになりまして」、「7年目のツレがうつになりまして」と続く。 さらには「ツレはパパ○年生」と言うのがあるようで、夫婦にはその後子供が授かるようだ。実際の夫婦の写真を観たら、どちらも丸々とした顔立ちで、どうしてうつ病になったか分からないほどの笑みを浮かべていた。現代はストレス社会。誰しもが心の病になる可能性がある。ましてうつ病は「心の風邪」と言われるほど一般的な病気とか。 東日本大震災以来、宮城県では夫婦の離婚相談が増えているそうだ。夫の離婚したい理由は「震災後、妻の精神状態がおかしくなったこと」で、妻が離婚したい理由は「夫が自分勝手なこと」らしい。大震災と言う異常事態が生じたことで、お互いの心にちょっとした「すき間」が出来たのだろう。この理由を私はとても良く理解出来る。私も似たような経験をしたからだ。 大地震発生後、妻の精神状態は明らかに異常だった。妻の姉夫婦に相談などして、妻の方はその後改善したのだが、義姉の方がうつ病に罹ったように感じられた。ごく最近診察を受けた総合病院で、義姉はうつ病ではないと診断された。また別の総合病院では、認知症でもないとの診断結果だった。 妻は相変わらずうつ病を疑っているが、私は不安神経症だと思う。義姉がこれまで通っていた精神科の先生がカウンセリングをしないと言うので不思議に思っていのだが、何とその精神科医自身がうつ病だった由。大震災以来、心を病む人が大幅に増え、入院も困難な状態にあるとか。 「うつ病は心の風邪」。それならいつか軽快する時も来るだろう。そして不安もいつかは霧散する時が来る。義姉は今「お正月の料理が作れないこと」を心配しているが、「大丈夫。私が2軒分作るから」と妻は励ましている。そして義兄にもこの映画を観ることを勧めているようだ。心の病の特効薬は何と言っても「家族の愛情」。どんな薬よりも良く効くと思うのだ。
2011.10.13
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今日で8月も終わり、明日はもう9月。梅雨明けが早かったこの夏は、猛暑に苦しんだ。黒い毛の愛犬は暑がることしきり。連日ハアハアと大きな口を開けていた。それを見かねて風通しの良い玄関に入れ、首には凍った保冷剤を巻き付けた。きっとそれが良かったのだろう。彼も何とか猛暑を乗り切ったようだ。 先日の散歩で小父さんに出会った。この人はいつもゴールデンレトリバー種を連れている。大人しい犬でまあまあ元気が良かったのだが、久しぶりに会った先日激変していたのに驚いた。何とあれほどフサフサしていた毛がすっかり抜け落ち、やせ衰えていたのだ。小父さんに聞くと皮膚病が治らず、寿命が近いと獣医さんに言われたそうだ。 年齢は13歳。我家のマックスも来月で13歳になるのだが、まだピンピンしている。ゴールデンレトリバー種は大型犬なのに対し、ラブラドルレトリバー種は中型犬。この違いが大きいようだ。中型犬が一番長生きで17歳くらいまでは生きるらしい。犬の17歳は人間の年齢に直せば84歳ほど。耳や目は衰えたが、まだまだ体力があって、当分死ぬ心配はなさそうだ。 昨日の夕方、近所の人がミョウガを届けてくれた。山形の実家から分けてもらったとか。そこでゴーヤは食べるか聞いたら大好きとの答え。帰宅した妻に教えると、既に収穫したのと合わせて、早速数本のゴーヤを届けに行った。ゴーヤは毎年かなり収穫するが、上げても皆が喜ぶとは限らない。 昨年届けた家では「またゴーヤ?」と奥さんの声が聞こえたそうだ。それから妻は上げるべきかどうか悩んだ由。一般的に若夫婦はゴーヤ料理に関心があって、上げても喜んでくれる。ところが歳を取るとゴーヤ料理など作ったことがないため、つい迷惑に感じるのだと思う。私達が住む路地の中で、何処がゴーヤ好きか分かったのが収穫。これで来年は悩まずに済みそうだ。 今朝の通勤バスでも、「白檀香水臭」の男子高校生が私の傍に立った。折角の香りも30分近くなると、「どこかへ行ってくれ~!!」と叫び出したくなるほど辛い。同じビルの中年女性なら、たまに通り過ぎるくらいなので「実害」はないのだが、これが直ぐ傍で強烈な匂いに曝されると、つい「匂いの暴力」とも言いたくなる。 臭いで嫌いなのがタバコ。最近はどこのビルも喫煙場所が限定されている。私が勤めるビルも建前はそうなっている。ところが管理室は「聖域」なのか、管理会社の若者が2人プカプカと吸い出すのだ。いくら契約先と言っても健康上の問題もあり、出来れば喫煙コーナーで吸って欲しいと訴えたのだが、あまり良い顔をされなかった。 一説によればタバコからは300種類ほどの「毒ガス」が放出されるようだ。警備を請け負っている我が社は、遅番の同僚は心筋梗塞だし、早番の私は不整脈で苦しんでいる。どちらもタバコの煙は心臓に悪い作用をもたらす。タバコを止めろとは言わないが、せめて喫煙コーナーで吸って欲しい。それが最低のマナーだと思うんだけどねえ。< 8月のラン&ウォーク > ラン回数:9回 ラン距離数:83km ウォーク距離数:157km 月間合計:240km 年間走行距離:1256km 年間累計:2495km これまでの累計:77175km
2011.08.31
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俳優の竹脇無我が死んだ。亨年67歳。死因は小脳出血だったようだ。彼の方が私より約1カ月早いが、同学年だったことに驚いた。「だいこんの花」での森繁久弥との親子役の演技は実に素晴らしかった。良い男だったし、声も低音でしびれた。彼は49歳の頃うつ病に罹ったみたい。親友の死が引き金になったようだ。まさか人もうらやむ天下の2枚目がうつ病になるとは、誰が信じられよう。若過ぎるその死を悼む。合掌。 今日の夕方、スーパーへ行った。妻に買い物を頼まれたのだ。レジに並んでいると、前の男の人の買い物が嫌でも目に入った。彼が買ったのはかつ丼弁当とポテトサラダ。それ以外は大量のお茶、牛乳、カップラーメン、インスタントみそ汁だった。野菜も無ければ魚も無い。生物がほとんどないのはきれい好きの証拠だろうが、一人暮らしだと直ぐに分かる内容だった。 先日平成22年度の平均寿命が発表された。日本人の女子は86.39歳で世界第1位。男子は79.64歳で世界第4位だったようだ。だが23年度の数値はこれより下がる。3月の大震災でかなりの死者が出たためだ。それにしても世界の1位と4位と、我が国は男女とも長生きだ。少子化が進めば、ますます高齢化社会になるのは目に見えている。 高校時代のクラス会の案内が届いた。我がクラスには熱心な「永久幹事」がいて、2年に1度はクラス会が開催される。今回も恩師の出席が決まっている。恩師の年齢は80歳。平均寿命を既に上回っている。少し迷ったものの、出席する旨の返事を出した。震災のことが気がかりだったからだ。 私達のクラスには既に7名の物故者がいる。20代で亡くなった友、30代で亡くなった友も数名。そして、中には消息不明になった友も。今回の震災が級友の暮らしにどんな影響を与えたのだろう。高校生当時私には父母が居らず、アルバイトをしながら卒業した。大学も4年遅れて夜間部に入った。当時の級友は「お坊ちゃん」ばかりだが、彼らもその後苦労を重ねたことと思う。 久しぶりに会う級友たちはどれだけ歳を取ったか。ひょっとして体調を崩している級友がいるかも知れない。彼らから果たしてどんな話が聞き出せるか楽しみだ。バンカラで鳴らした男子校も、今では男女共学の大人しい校風になったみたい。私達が平均寿命に達するまで後12年。何とか元気で老後を生き抜きたいと願う。 元民放アナウンサーの徳光さんが、24時間テレビで60数キロを走ったようだ。私は芸能人の100km完走を信じておらず、(もちろん寛平ちゃんは本物だが)ウルトラマラソンを募金に利用する番組は観ない主義で、この結果は走友のブログで知った。彼は70歳で数年前には大病を患っている。それを克服し、60km余りを走り、歩いたことに対して大きな拍手を送りたいと思う。
2011.08.23
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周囲に病人が増えた。私の兄は71歳だが、脳出血で倒れてから35年になる。つまり最初に倒れたのが36歳の時で、その後2度発作を起こしている。体は自由が利かず、自由に話すことも出来ない。脳血管がもろくなったせいか精神的にも不安定で、たまに異常な行動を伴うことがある。それでも食欲は旺盛で、当分死あの世へ行く気配は無さそうだ。 兄を看護する義姉も病気のデパートみたいな人。子宮筋腫を始め、病院通いの連続。それでも自分が支えないといけないと頑張ってる姿を見ると、頭が下がる。2人の娘が近くに嫁いでいるため、いざと言う時には助けてもらえると思うが、長い間の苦労には感謝に堪えない。 近頃良く電話をくれるのが妻の姉。それまでもパニック障害が見られたが、3月の大震災以来不安が増え、良く眠れないようだ。鬱もあるようで、時には「死にたい」と漏らすこともある由。寡黙な夫はなかなか話を聞いてくれないとこぼし、結局は妻が相談相手になっている。でも自分で精神科へ行こうとするだけ正常なのかも。 その夫である義兄はかつて胃がんの手術を受けた。その後の経過は良く、今も働いている。同じ職場の上司が妻の兄。彼は何年か前、大腸にポリープが見つかり摘出している。そしてつい最近検査を受けた結果前立腺がんが見つかり、昨日手術を受けたばかり。その妻、つまり義姉も数年前にがんの摘出手術を受けている。こうして見ると私達の年齢では何らかの病気に罹るのが普通なのかも知れない。 大震災直後の妻は正常ではなかった。あの天変地異が妻の精神を不安にさせたのは間違いないが、その影響で私も相当のダメージを受けた。長く続いた不眠と不安。そして妻の態度の急変が私の心臓に不整脈を引き起こした。今だから話せるが、あの頃は絶望の真っ只中。心配した娘がわざわざ四国から訪ねてくれたのもその頃だった。 だが意外なことに、その妻がミスなく仕事を続けていることを、彼女の上司から聞いた。そして妻の精神状態が改善されたのは、皮肉にも妻の姉から頻繁に電話が来るようになってからだ。姉の相談に乗ってるうちに、自分自身を含め客観的に判断出来るようになったのだと思う。 心と体は一体のもの。体が不調になれば心も風邪を引く。まして未曽有の大震災に遭遇したあの時期、心は大いに乱れ、体調にも変化をもたらしたのだと思う。ほとんど物的な被害を受けなかった私達でさえ大きな影響を受けたのだから、家族を失い、住処を失い、職場を失った方々の心と体は、きっと悲鳴を上げ続けているはず。まして親を失った幼子の心はいかばかりだろう。
2011.07.06
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何だかとても疲れる。蒸し暑いせいもあるが、歳のせいもあると思う。午後は昼寝をすることが増えた。それも時によっては1時間半くらい眠ることも。朝の通勤時、バスの中で居眠りをし、第2現場の休憩でもつい居眠りをしてしまう。疲労回復が以前に比べて遅くなったようだ。面白い本なら眠気も起きなかったのが、最近では読書が催眠剤の感も。 その割に食欲が落ちないのが不思議。どんなに暑い夏場でも食欲は健在だ。あまり走れないのに食欲が落ちないと「夏太り」が心配。だが、朝夕の散歩や肉体労働で代謝機能がまだ活発なせいか、体重の増加はさほどでもない。これで愛犬が死に、かつ仕事を止めれば、果たして代謝機能がどう変化するか。 引き合いに出して申し訳ないが、私に良く似た人がいる。千葉県に住む亀仙人さんがその御仁。先ず男であること。同学年であること(彼は4月生まれで私が3月生まれのため約1歳彼が歳上ではあるが)。偏平足であること。血液型も確か一緒のはず。ウルトラマラソン愛好者であること。定年後に警備員をしていること。これだけ似ているケースは少ないはず。 ただし同じランナーでも、彼はHNに似合わぬスピードランナー。一方の私は極め付きの鈍足ランナーなのが相違点。その彼が最近調子を落としている。怪我が増えたし、故障も増えた。私は偏平足に伴う障害が出ていたが、彼は何とも無かった。ところが最近障害が出て、高額なインソールを作製されたようだ。インソールの使用は私が先輩だ。 そしてレースでのリタイヤが増えたのも最近の傾向。あれほど速く、あれほど強かったランナーが何故急に故障が増えたのか。原因は老化だと思う。ウルトラマラソンの先輩に高松のTANさんがおられるが、彼は一昨年辺りから100kmレースでのリタイヤが増えていた。そのころの私はまだ元気で、何故100kmが完走出来ないのが不思議だった。 ウルトラ界の先輩を見渡しても65歳を過ぎると走力が衰え、かつての栄光を感じさせなくなる方が増える。決して彼らが怠慢なのではなく、全ては老化の為せる業なのだ。制限時間があり、関門のあるレースでは、体力・走力の衰えがストレートに反映する。むろん何事にも例外はあり、70過ぎてもバリバリの現役の人も中には居られる。でもそれは例外中の例外なのだ。 6月のレースだが、私は「いわて銀河」では73kmでリタイアし、亀仙人さんは「サロマ」では、42.195kmで走るのを止めた。そしてTANさんの「阿蘇」は初めから50kmの部にエントリーし、見事完走。故障を抱えながら100kmに挑戦し続けるのも雄々しいが、50kmや60kmのレースを楽しみながら走るのも1つの考え方と割り切れるようになった。 無理のないレースに無理のない生き方。加齢と共にそんな生活にシフトするのは致し方ないこと。自分自身老化をどう受け止め、どう対処するか。老化に伴い物事を「諦める」のではなく、より本質を「明らめる」と考えるのはどうだろう。これまで見えなかった世界が、案外発見出来る可能性もあるのだ。<続く>
2011.07.05
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「お父さん、どうして走らないの?」。妻にそう言われても走れないものは走れない。6月の初めに走った「いわて銀河」以来、鬱々とした状態が続いていた。先ず心臓の調子が良くない。たまに強い動悸を感じる時がある。これが予告なしで突然やって来る。この時がとても気分が良くない。 それに時々眩暈がする。これもあまり気持ちが良いものではない。そんな時に走るのは無理。動悸や眩暈が治まっても、今度は右脚がおかしくなる。膝の痛みとかかとの痛み。歩いている時でさえ痛みが出ることがあった。そのことが影響したのか、一時腰にも痛みが生じた。きっと運動不足で筋力が弱り、軽い「ぎっくり腰」になったのだと思う。 そしていつになく調子が良さそうなので走ろうとすると、その日は雨だったりする。梅雨時の体調維持はかなり難しい。3週間ぶりに行った内科で、ドクターにレースとその後の体調をを話した。体調の悪さは服用している薬の副作用ではないかと疑っていたのだが、ドクターが言うには私の場合は色んな要素が影響しているのではと。 持参したランニングノートも彼に見せた。「不整脈の場合は8割の出力しかなく、その状態で良く73kmまで走れた」とドクター。ランニングを止める必要はなさそうだ。家で測定した血圧を記載したノートも見せた。前のドクターは一度もノートを見てくれなかったが、彼はそれを丹念に見てくれ、「不整脈が出ている時は、血圧の測定値が正しくないことが多い」と。 そして今は血圧が低い時期なので血圧降下剤の量を減らすとも。血液の「サラサラ度」はかなり改善された由。ただし「怪我をして出血しないように」との注意。薬は1ヶ月分処方し、今後もじっくり様子を見ることになった。 薬局では「血圧降下剤とグレープフルーツ」のことを尋ねた。私が服用している薬の中には、グレープフルーツを食べてはいけないものもあるようだが、少量なら大丈夫との話。だが、今後は出来るだけ食べないことにした。効果が出ないのではなく、逆に効き過ぎるのだとか。 その数日後、今度は眼科へ行った。前回とは異なる視野検査をするためだ。視力は左右とも少し落ちていたが、「そんなことは良くある」と検査士の方。視野検査は真っ暗な室内で。前回は慣れないため極く小さな光点を見つけにくかったのだが、今回はゆっくり検査したためか、割と発見出来た。 眼圧は正常範囲と女医。視野検査の結果もさほど悪くは無さそうだ。「あくまでも「緑内障の疑い」です」と彼女。次回の診察は2ヶ月後とのこと。帰路、何気なく唾を吐いたら緑色。「これが緑内障の証拠か?」と一瞬慌てたが、瞳を開くための点眼剤が目から鼻、喉と伝わったものと解釈。不整脈のことを眼科医には言わなかったがあれで良かったのかどうか。<続く>< 6月のラン&ウォーク > ラン回数:10回(うちレース1回) ラン距離:155km ウォーク回数:毎日 ウォーク距離:139km 月間合計:294km 年間走行距離:1014km 年間距離合計:1971km これまでの累計:76、651km
2011.07.04
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雨が上がった今朝は、とても寒かった。気温は8度くらいだと思うが、風が強いため一層寒さを感じた。第1現場に出勤し自販機で暖かい飲み物を買おうとしたが、どの階も冷たい飲み物だけに置き換わっていた。仕方なく新しく出来た隣のビルのコンビニに行く。まだ開店したばかりで、10円引きのサービス。歩いて20mほどだから、何かと便利になった。 巡回中は長袖を着ていた。だが、それだと暑過ぎた。管理室に戻って半袖の制服に着替えて玄関先に立つと、今度は寒くなった。ようやく暑さを感じるようになったのは、第2現場での勤務中。今日の帰宅ランは約3カ月ぶりに街中を走った。気分転換と、不整脈が出ている心臓に負荷をかけないためだった。 昨夜から不整脈を抑えるための薬を服用している。だが、念のために薬局からもらった説明書を読んでビックリ。何と血液をサラサラにする薬を服用する場合はアルコール禁止と書かれていたことに初めて気がついたのだ。エエッ?と驚く。何故なら医師も薬剤師もそんなことは一言も言ってなかったからだ。だから薬の効き目が弱かったのだろうか。 そして、今朝から血圧降下剤を飲むのを止めた。医師が今の血圧なら飲まなくて良いと言っていたためだが、直ぐに止めろと言われた訳ではなく自分の判断。このため自宅で血圧を測定し、その記録を残して医師に見てもらう予定。朝食後に血圧降下剤を飲まなくて済めば、グレープフルーツを朝から食べることが出来る。これは薬効と関係が深いようなのだ。 一方、血栓を防ぐ薬はアルコール禁止のみならず、納豆や青汁の摂取も制限される。それらに含まれるビタミンKが「悪さ」をするらしい。それは兎も角、帰宅ランの後に血圧を測定して驚いた。直後の血圧が低いのは別として、脈拍数にエラー表示。やはり不整脈が出たのだ。昼食後に2度目の測定。今度は血圧が先刻より上がり、脈拍数の表示も出て一安心。血圧は正常値の範疇で、どうやら降下剤を止めた影響は出ていない感じ。 これまで通院していた内科では、詳細を話さずに睡眠薬を貰ったことがあった。新しい内科医には震災後に複数の睡眠薬を飲んだことや、血圧が上がった際に降下剤を多めに服用したことは話していない。それらがひょっとして不整脈を惹起した原因になった可能性があるため、医師には知らずにアルコールを飲んだことを含め、次回の診療時に全てを話す積り。 また薬剤師にも、知らずにアルコールを摂取したことを話そうと思う。服用する薬が複数になると、今後のためにも「薬剤カルテ」を作った方が良いかもね。こんな風に歳を取ると勝手な判断が増え、思わぬ失敗の原因になる。危ない危ない。< 5月のラン&ウォーク > ラン回数:14回 ラン距離:268km ウォーク回数:ほぼ毎日 ウォーク距離:154km 年間走行距離:859km 年間累計:1677km これまでの累計:76,357km
2011.05.31
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台風2号崩れの低気圧が、大雨をもたらした。昨夜は妻が愛犬を玄関に入れた。今朝も雨は降り続き、気温が低い。そして日中は強い雨との予報に、散歩後愛犬を玄関に入れた。出勤時にバス停まで歩く間にもずぶ濡れ。小川は物凄い濁流と化していた。風もあったたため、家庭菜園の野菜が心配。ゴーヤとミニトマトの結束が不十分だったかも。 第1現場では今日から夏の制服にした。気温が高くなることを予想して半袖のものを置いてはいたが、この低温では寒いと思い長袖も持参した。夏服に伴って帽子も変わる。だが屋上の巡回中、折角変えたばかりの制服がびしょ濡れに。排水管に勢い良く流れる雨水。一部の階ではトイレの窓から雨漏りし、タオルで応急措置がしてあった。 今日はバスでの帰宅。家に向かう間にも強い雨でズボンが濡れる。昼食後一休みしてからバスで山の上の病院へ向かった。循環器病が専門の病院は今日で2回目。停留所から降りて病院に向かう間に動悸を感じた。先週の診断結果は心房細動(不整脈)。自覚症状は全くなかったのだが今日は少し感じが違った。 午後の診療開始は3時からだが、受付済みの患者は私で3人目。どうやら悪天候で、患者さんが少ないみたいだ。診療に先立ち、自分で血圧を測定。血圧はかなり低いのだが、脈拍が先週同様に結構速い。次に処置室へ呼ばれて採血。これは約1週間服用した薬剤の効果を診るのだとか。 さほど間を置かずに診察室から名前を呼ばれた。医師の診断によれば薬剤の効果はまあまあだが、さらに血液をサラサラにするため若干薬の量を増やし、不整脈を抑える薬も試す由。不整脈が相変わらず出ているようだ。「約2週間後に100kmレースを走るが大丈夫ですか」と尋ねると、初めてのケースなのでレース前に負荷試験をして様子を見たいとのこと。ベルトコンベアーの上を走った後、心臓の変化を診るのだろう。 「練習では80kmほど走り、トライアスロンよりよほど安全だと思いますけど」。私は医師にそう言った。そして「血圧が高くないのに、血圧降下剤を飲み続けていても良いんですか」とも。「飲む必要はないですね」。医師はそう断言した。「今行ってる病院は止めて、こちらだけにしたいのですが」。「分かりました。今日の検査結果を含め、先方にそう伝えます」。 循環器病の専門医で高血圧も守備範囲だから、むしろその方が合理的なのだ。ただ、山の上で遠いのが難点だが、近々バス路線が延長され、終点が我が家からかなり近くなる。これも何かの縁。医師の飾らない人柄が良いし、言動が信頼出来るのが嬉しい。老後のホームドクターにはピッタリだと思った。 帰路は雨の中を歩いた。ちょうど良い時間のバスがなかったためだが、下り坂なのでずっと楽。だが、何かが変。何故だろうと考え、本来病院に行くのは明日だったことにようやく気付いた。まあ1日早くてもおかしくはないが、わざわざ雨に濡れることもなかった。だが浮いたバス代で6本で150円のバナナを買えたし、運動にもなった。そう考えると、まんざら雨も悪くはないようだ。
2011.05.30
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昨夜のナイター西武対楽天戦は雨のためノーゲームになった。皇子山球場で開催された今回の試合は、滋賀県で初めてのプロ野球公式戦だったようだ。結果は楽天の1勝0敗。これで楽天は貯金1の状態でKスタへ帰ってくる。それは闘将星野監督が東北のファンに約束したことでもあった。「仙台へは必ず貯金を持って帰って来ます」。その言葉が嘘にならなくて良かったと思う。 明日はKスタでの初戦。先発はこれも闘将が約束済みの田中マー君。「今年の楽天には3つの開幕試合がある」。闘将はそうも言っていた。最初が千葉での対ロッテ戦。文字通りの開幕戦では、エース岩隈が見事今季初勝利をもたらした。2つ目が甲子園でのオリックス戦。これは今季初の主催ゲームで、田中マー君が投げ勝ちウイニングボールを監督に届けた。そしていよいよ明日が本拠地での開幕。白星を託されたのがマー君。3つ目のウイニングボールを手渡すことを、既に監督と約束してるそうだ。 星野監督の願いは3回の開幕試合を全て白星で飾り、3つ揃ったウイニングボールをKスタを始めとして東北のファンに見せること。それが大震災の後遺症に苦しむ人々への何よりのプレゼントとの考えだ。野球人は野球の試合に勝つことで周囲に希望を与える。闘将はそう信じて疑わない。私も明日はKスタで思い切り応援する予定だ。 昨夜は物凄い雨になった。それが今朝になると小降りになり、現場に到着した頃には雨も上がった。そして急速に天候が変わって青空と高温に。疲労と足の痛みで、今日もバスで帰宅。午後から予約していた眼科へ行った。今日は眼鏡の遠近両用と乱視の検査をする予定。待合室には既に20名ほどの患者が待っていた。 名前を呼ばれるまで、私はずっと読書をしていた。目下読んでるのが「重耳」の上巻。これも宮城谷昌光の著書で上中下の3巻本。確か直木賞を受賞した作品らしいが、私はただ面白いと感じるから読んでるだけで、「権威」などは全く気にしていない。 さて眼鏡の検査結果だが、さほどずれていないため特に作り直す必要は無い由。ただし、乱視を補正するとさらに見え易くはなった。次に視野の検査。これは両目で10分ほどかかり、目が痛くなった。左目はほぼ正常だが、右目に盲点が多いことが分かった。つまり部分的な視野狭窄だ。 最後に眼圧の検査で、これは正常の範囲内だった。だが、ストレスなどが加わると眼圧も上がるらしい。加齢と共に視力は落ち、視野は狭まり、眼圧は高まる傾向にあるとかで、月に1度は眼圧を測定することになった。白内障はまだ入り口の段階。緑内障の恐れは今のところなさそう。歳相応の状態なのかも知れない。パソコンの画面もあまり長く見ない方が良いかもね。
2011.04.28
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枕元にはいつも水の入ったペットボトルを置いている。夜中トイレに起きるのは2度ほど。その時やたら喉が渇き、少量の水を飲む。喉が渇くのは口で息をしてるため。でも日中むやみに眠たくなることはないので、「睡眠時無呼吸症候群」ではないはず。睡眠中に口が開かないためのテープも売っているようだが、今のところそこまでしなくても特に問題はなさそうだ。 朝食時に必ず飲むのが味噌汁。水分、塩分と栄養補給のためにも欠かせない。夏、第1現場にはウーロン茶か麦茶を入れたペットボトルを持参する。冬は水道水で我慢し、特に寒い時だけココア飲料を飲んでいる。第2現場では10時の休憩にコーヒーが出る。これは砂糖なし。夏場は仕事の合間に水を飲む。 昼食は大抵自宅で麺類を食べる。食後、夏は麦茶、冬は日本茶をのむことが多い。日本茶は妻が飲んだ後の出がらし。妻は朝から3~4杯のお茶を飲んでるはず。私が淹れたてのお茶を飲むのは土曜と日曜。さすがにこれは美味しい。最近は家でもコーヒーを飲むようになった。たまには紅茶も飲むことがある。 晩酌は薄い焼酎の水割りを1杯。おかずは夕食のもの。これだと栄養過多にならずに済む。焼酎は25度で4リットル入りをリカーショップで購入。値段はわずか1680円。大体これで1月持つから安いもの。たまには高価なのも飲みたいけどね。 ヨーグルト用に買うのは成分無調整の牛乳だが、飲用として買うのは低脂肪乳だった。最近は豆乳をまとめ買いしている。これが冷たいままでも温めて飲んでも美味しい。この他に果物や野菜も良く食べるため、トイレに行く回数は多い方かもね。 夏場の練習やレースでは手に持ったペットボトルでの給水が多い。これは私がたくさん汗をかくため。ただし水だけを大量に飲み続けると「水中毒」になる可能性があるようだ。長時間のランニング時には、ペットボトルに塩やアスリートソルトや各種のサプリメントを混入する。これが体内のイオンバランスをより正常に保ってくれる。 体の成分のうちかなりのパーセンテージを占める水分。だが老化が進むと喉の渇きの認識が乏しくなる傾向があるとか。カフェインには利尿促進の働きがあるため就寝前の飲み過ぎは禁物。血液サラサラのためにも適切な水分補給を心がけたいと思う。
2011.03.10
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妻の作る料理には、やたらとレンコンが入る。煮物、炒め物などレンコンが入ったおかずが幾つか、必ずと言って良いほど冷蔵庫の中にある。ヒンコンなのは前からだが、何故レンコンなのか。それを聞いたら妻が答える。「レンコンは花粉症に効き目がある」と。ふ~む、それでレンコン料理が多かったのか。確かに妻の花粉症はずいぶん楽になったような気がする。 冷蔵庫の中に大抵入っているものが他にもある。茹でたブロッコリーがそれ。これはガン予防のためとか。1994年。米国ジョンホプキンズ医大のタラレー博士が、ブロッコリー・スプラウト(蕾)には、スルフォラファンと言うガンを予防する物質が含まれていることを発見した由。確かに鮮やかな緑色のブロッコリーは体に良さそうだもんね。 暫く前に四国の長女から柑橘類の詰め合わせが届いた。その中に平べったい不思議な形のものが入っていた。これがジューシーでなかなかの美味。最近長女の夫君のお母様から、今度は大量の八朔が届いた。昨年の猛暑で柑橘類が不作のためかなり値段が高いみたいだが、我が家はお陰でビタミンCは十分間に合ってる。 バレンタインデーにもらった例のヤツ。妻からもらった5枚の板チョコ。そしてお掃除の小母さん達からもらった粒状のチョコ。それを3週間かかって私1人で全部平らげた。糖分は当分不要かも。食べ過ぎて、脈拍が速くなったと感じたことがあったが、何か関係あるのかな。 お土産にもらったマカダミアンナッツ。あれは「西洋ハシバミ」の実なのだとか。因みにハシバミにも似たような実がなる由。へえ!と驚く。シイの実、カヤの実、ドングリ、トチの実、松の実、クルミ、栗などなど。日本人の祖先は、大昔からそんな木の実や種を食料にして来たんだよね。ドングリの粉で作った「縄文クッキー」なんてのもあるんだけど、知ってた? 宮城谷昌光の小説を読んでたら「アカザの杖」と言うのが出て来た。アカザは畑に生える雑草で、ホウレン草の祖先らしい。ネットで調べたら、確かに見たことがある。葉っぱの根元が赤いのや、花の形がホウレン草にそっくりで、茹でれば食料になる由。その堅い「トウ」が軽くて丈夫な杖になるとはビックリだ。確かにホウレン草の「トウ」も長くはなるが。 誰でも知ってるトウがフキノトウ。これはフキのつぼみ。先日裏庭に生えたフキノトウを刻んで味噌汁に入れた。ちょっと苦いけど、とても香りが鮮烈。妻は苦いと言ってあまり食べなかったが、私は大好き。だってあれは一足早い春の食べ物だもんね。こうして見ると我が家ではずいぶん食物繊維を摂ってるなあ。道理でトイレがスムースな訳だ。
2011.03.09
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郵便局へ行って来た。妻に頼まれた振り込みと、当たったお年玉付き年賀状の賞品交換だ。当たったと言っても4等の切手シートが4枚だけ。日本郵便会社になってからかなりケチになったせいか、なかなか当たらないんだよねえ。 帰宅して暫くすると妻がランニングから戻って来た。今夜からまたまた雪の予報。走れるうちに走っておいた方が良いと妻は判断したのだろう。ともかく走れることは良いことだ。体にも良いし、ストレスが解消されて精神的にも良いからだ。 妻が昨年走り出してから、かなりの変身があった。最大の変化は体重が5kgも減ったこと。元々妻は太っている方ではないのだが、何故短期間に5kgも痩せたのかが不思議。2時間近く走れるようになって、体が絞られたのだろうと考えざるを得ない。 最近妻は良く食べる。食べることに貪欲になり、動物性たんぱく質を良く摂るようになった。以前は内心不満に思っていたことがあった。身長が10cm以上、体重が10kg以上少ない妻と私がおかずの量が同じなのは不公平じゃないかと。今ではその不満はない。あれだけ長く走れるようになれば、むしろたくさん食べるのは当然なのだ。 最近妻はショウガ入りの炊き込みご飯を作る。具は千切りにしたショウガと油揚げとマイタケ。最初聞いた時は「ええっ?」と思ったが、独特の香りがしてなかなか美味しい。何でもショウガは体を温める働きがあるとか。元々冷え症気味の妻には適しているのかも知れない。 少々不満なのは料理の際に量を作り過ぎること。ホームヘルパーである妻にとって、料理は得意中の得意。安い材料で簡単に美味しいものを作る天才だ。だが、残ったものはなかなか食べようとしない。結局は翌朝の食事や昼食の麺類に入れて、私が食べることが常。それでも物が無い戦後間もなくの頃育った私には、食べ物があるだけでも有難いのだが。 2か月以上かかった歯医者は先週で全ての治療を終え、私の口の中には新しい義歯が入った。初めは少し戸惑いがあったものの、今ではすっかり慣れた。優しい歯医者さんだった。奥様を含め、スタッフも感じの良い人達だった。そして何よりも新しい歯はしっかり物を噛めるようになった。老後の健康を保つためにも、これほど嬉しいことはない。 昨日は内科に行った。寒さが続いているため、多分血圧が上がっているだろうと予想していたのだが、その予想は見事に外れた。測定結果はむしろ低血圧の数値。聴診でも何の問題もなかった。薬局でいつもの薬を1カ月分もらって帰宅した。それにしてもあれほど混んでいた病院内が閑散としていたのは何故。 そのことを話すと、「先生が横柄なため、他の病院に変わった人が多いみたいだよ」と妻。彼女は職業柄、色んな病院の評判を聴くようだ。医師の横柄さは私も初めから感じていた。臨終までのホームドクターであって欲しいと願っていたのだが、その気持ちがかなり薄れたことも事実。 家の近所に良い医師がいることは老後の安心につながる。あの歯医者さんみたいな先生ばかりだとどれだけ助かり、どれだけ有難いか。健康には出来るだけ自分自身で気をつけようと思っているが、最後に頼らざるを得ないのはやはり医師の存在だ。あれだけ来院する患者が減れば、ひょっとしてあの先生も何が原因かそのうち気づくかな?
2011.01.27
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今日は昏い日だ。おまけに雨も降っている。どういう積りなのか、妻は朝から換気扇の掃除を始めた。だが油で固まったのか、枠が外れない。そんな状態がここ数年続いている。家を建ててからもう13年目。きっと換気扇も寿命なのだろう。そう言えばインターフォーンは今年新しいのを買った。 あれは何だったのだろう。昨夜も愛犬が吠える声で目覚めた。パジャマのまま彼をつないでいるガレージまで行き、リードを解いてオシッコをさせた。その後、いつものように玄関に入れたのだが、夜半再び吠えた。玄関を開けて愛犬を外に出したが、どうも彼の様子がおかしい。ゆっくりゆっくり家の周囲を歩くばかり。その様子はまるで徘徊老人みたいだった。 少し前から食べた草を吐くことがあった。そしてその後に、餌の配合を変え、本来の1種類だけに戻したのだ。これまで草を食べても吐くことはほとんどなかった。それが立て続けに3度吐いた。餌の配合が変わって、ウ○チが少し軟便になった。ちょっとした変化で腹具合が悪くなる、案外繊細なところがある我が家のマックス。 だが、あの行動はどうみても異常。その後も何度か吠えたが、私はもう起きなかった。朝になってみると、彼は大人しく玄関に座っていた。いつもなら私の顔を見ると、散歩が出来ると喜んでジャンプする元気な犬なのだが。彼の体調にどんな変化があったのだろう。それともこれが加齢の予兆なのだろうか。 あれは何だったのだろう。昨夜の夕食時、珍しく胃の調子がおかしかった。重苦しい痛みと圧迫感。一つ考えられるのが消化不良。目下歯が2本抜けたままなのだ。それをいつものスピードで食べたため、食べ物が良くこなれなかったのだろうか。結局消化の良さそうなものをゆっくり時間をかけて食べ、アルコールは飲まなかった。晩酌と言っても焼酎の薄い水割りを1杯、食事と共にとるだけなのだが、それも我慢し胃薬を飲んだ。 その後もげっぷは続き、風呂の中ではガスも出た。それで少し胃の具合も良くなり、床に就いたのだが、今度は夜中に愛犬に起こされたのだった。今朝も朝食をゆっくりと食べた。どうやら胃の具合は悪くなさそう。我々パートタイマーの健康診断には胃の検診はなく、造影剤を飲んでの撮影も暫くやっていないが、やはり加齢を考慮して受診すべきかどうか。 先日近所に住むT君からF君が亡くなったことを聞いた。共に2番目の職場の後輩で、野球部の仲間。ガッチリした体格のF君はキャッチャーで、当時から太っていたT君はセカンドだった。因みに足の速い私はセンター。F君の死因は心筋梗塞で亨年61歳。40年ほど会ってないが、まさかあの元気だった彼が若くして死ぬとは。奥さんの顔も含め、思い出すのはみな若かりしころの顔だ。 T君は目下水泳をしてるとか。太めの彼はグランドゴルフで膝を傷め、ドクターに減量を勧められたようだ。彼が無理なく出来る運動は水泳なのだろう。命あるものに死はつきものだが、生きている限りは極力健康でありたいと願う。さて、これから老後とどう向き合い、心身の健康をどうやって守るかが切実な問題だ。
2010.11.23
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「尻もち事件」で尾てい骨を強打してから3週間経った。こちらの痛みはかなり引いたが、同時に傷めた右肩がまだ痛み、本調子ではない。右上半身を酷使する肉体労働者には、かなり厳しい状況が続いていた。歳を取れば痛む個所が増え、治りも遅くなる。おまけに目は見えなくなり、耳は聞こえなくなって来る。 歯の痛みにも長い間苦しめられて来た。貧しかったせいで歯を磨く習慣がなかった幼少期から青年期。家庭的に恵まれず忙しく過ごしたせいで、歯医者に行く暇もなかった。家庭を持ってからさえ、歯の痛みには二の次で対応していたように思う。老年期に突入した今でも歯医者通いは億劫で、少しの痛みならじっと耐えていたのが実態だった。 あれは5年ほど前だったか。あまりにもしつこくインプラントを勧める歯科医を嫌って病院を変えた。次に行ったのは上手で丁寧な歯科医だったが3年前に行ったきりになっていた。理由はあまりにも混み過ぎて長時間待たされるためだ。「予約時間」もほとんど無関係だった。インプラントの個所は最後に診ると言っていたにも関わらず、「前に行ったところで診てもらって下さい」と言われ、信頼が薄れたことも大きな理由だ。それに私がインプラントを受けたのは沖縄と山形。とても通院出来るものではない。 そんな私がようやく行く気になったのは、近所に新しい歯科医が開院したからだ。人口密集地でもないため多分空いているだろうし、新しいから親切だろうとの判断だ。外から見る雰囲気も悪くない。ひょっとして女性の歯科医かも。そんな暖かさが漂う外装だった。「問診票」に必要事項を記入し、初めての診察を受ける。 「私はインプラントは出来ません」。男の先生は開口一番そう言った。それで信頼が一気に深まった。インプラントが出来るのは医学部で口腔外科を学び、かつ歯学部を卒業して歯科医の資格を取った人だけなのだ。歯科医の卒業校とこれまでの勤務先が待合室に掲げてあった。国立大卒の歯学博士。暖かい人柄と相まって、とても好感が持てた。 1回目はレントゲン撮影を行い下顎骨に病巣があるのを確認。「ずいぶん長い間放置していましたね」。歯科医は静かにそう言った。2回目は金属製の冠を切断して患部を診察。3回目は麻酔を施し、折れていた歯根1本を抜いた。アルコールと入浴を禁止され、3日分の抗生物質を処方された。今後は炎症を抑える治療を施し、その後保険適用で義歯を造る予定。 人間にとって歯はとても大事な器官。歳を取ればその有難味がより一層身に沁みる。かなり前に観た「世界不思議発見」によれば、古代エジプト人はほとんどが歯槽膿漏だったとか。食べ物に混じった砂のせいで長年のうちに歯が摩り減ってしまうためらしい。文字通り「砂を噛む」ような生活だったのだろうか。 11月8日は語呂合わせで「イイ歯」の日とか。これからはもっともっと歯を大切にしたいものだ。「歯無し」になってからでは「話」にもならないからね。因みに11月22日は「イイ夫婦の日」。これもなかなか容易ではないが、少しでもそうなるように心掛けてみよう。
2010.11.10
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いやはや暑い。今年の夏は一体どうなっているのだろう。熱中症で亡くなった方が、早くも50名に達したようだ。屋外で働いている方のみならず、家の中で熱中症に罹るケースもあるようだ。特に1人暮らしのお年寄りは用心のために窓を開けず、節約のため冷房をかけず、気温や喉の渇きにも鈍感になっていることが、屋内で熱中症に罹る原因なのだとか。困ったことだ。 例年仙台では8月でも気温が28度くらいが普通。それに海からの風が吹くため、とても過ごし易いのだ。それが今年は異常ともいえる高温続きで、昨日はとうとう気温35度の猛暑日になった。冷夏だった昨年、海の家は海水浴客が来ないため早々に店を閉めた。だが今年は一転して猛暑続き。多分昨年の損を一気に取り戻したのではないか。 近所の原っぱでは草が枯れ出した。しばらく雨が降らないせいだ。そして私の日課が1つ増えた。夕方の水撒きがそれ。朝はまだ湿っている土が、昼前にはすっかり乾燥してしまう。家庭菜園でも異常が起きている。あれほどたくさん実っていたキュウリの勢いが急速に衰え出したのだ。その代わりにトマトの色づきが今年はとても早い。 例年8月にしか実らないゴーヤが今年は既に1個収穫出来、昨夜の夕食を賑わしてくれた。毎朝20個ほど採れるミニトマトは、我が家の貴重な栄養源になっている。追加で蒔いたモロッコインゲンは、不思議なことに蔓無しの普通のインゲンで、あっと言う間に成熟してしまった。シソもパセリもこの暑さで成長が早い。そしてたった1個だが、今朝はイチジクが採れた。 これだけ暑いのに、妻が元気なのが意外。いつもは夏バテして食欲が落ち、睡眠不足も手伝ってあまり機嫌が宜しくないのがこのシーズンの常。それが今年はまるで別人のように感じる。私が考える原因は2つ。その第1は彼女が走り出したこと。近所の坂道をエッチラオッチラ走る姿は、とても見せられたものではない。だがたゆまぬ努力が、少しずつ彼女を変えたのだと思う。まさに「継続は力なり」だ。 結局基礎体力が向上し、スタミナが付いたのだと思う。たとえどんなにゆっくりでも1時間から1時間半ほど坂道を走ればそれなりに筋力は付くし、腹が空くため食事量は当然増えることになる。それに心肺機能や免疫力の向上にも役だっているのだろう。 原因の第2は梅酢。庭の梅の実に砂糖と酢を加え、ビンに入れておいたのが飲めるようになった。食わず嫌いの彼女は当初飲まなかったのだが、私がソフトドリンクを作って勧めたら、意外の美味しさにはまってしまったようだ。既に1本目が空き、今は2本目に手をつけた。このままの勢いだと、秋まで持つかどうか。 他にクコ酒やアロエ酒も作っているが、よほど梅酢が気に入ったと見え、今年作った梅ジュースを梅酢に切り替える積りのようだ。まあ妻が健康になるのは大歓迎。それに彼女の機嫌が良くなれば、夫婦喧嘩もきっと少なくなるはずだから。 さて、昨日は八幡平周辺の2万5千分の1の地図を買って来た。明日の日曜日は妻と2人、八幡平へハイキングに行く予定。「曇り時々雨」だった盛岡周辺の天気予報が「曇り後晴」に変わった。尾根道などを3時間歩くコースだが、体力がついた妻が軽々と山道を歩く様子が見られるはず。その後の温泉も楽しみだ。 そんな訳で明日は早朝から出かけ、深夜に帰宅するためブログの掲載と、皆さまの所への探訪は困難かと思います。悪しからずご容赦くださいませ~。
2010.07.24
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愛犬との朝の散歩中、よろけながら歩いている人が見えた。ずいぶん歳を取ってる人だねえ。心の中でそう思っていたのだが、近づいたその人を見て驚いた。2番目の職場の後輩で軟式野球をやっていた時の仲間。彼はセカンドを守り、私はセンターを守っていた。当時から恰幅が良かったが、今はどうみても病人だ。 彼によれば、最初に膝を傷めたが体重が災いしてなかなか良くならず、そのうちギックリ腰が慢性化したそうだ。医者に行っても「先ず体重を減らせ」と言われるばかり。「毎日大量の薬を飲んでいるんですよ」と彼。今では自転車にも乗れないそうだ。 第1現場で立哨していると、1台の乗用車が玄関に着いた。降りて来た社長に一礼する運転手のHさん。ここ2日間ほど顔が見えなかったのは検査入院が理由だった。去年の夏に心筋梗塞で手術し、その後も定期的に検査を受けている由。「保険は効いても1日5万円かかるんですよ」と彼は嘆く。 国体に出場したほどのアスリートだったが、定年後この仕事を斡旋された彼。体を使う仕事から神経を摩り減らす仕事に変わって、ストレスが一気に増したのだろう。それと長年のタバコが心臓と血管に悪影響を与えたようだ。通院後喫煙は止めたものの「当分ストレスは続きそう」と、弱弱しい表情。 第2現場に顔を出すと、同僚のNさんがいない。痛風が出て休んだ由。良く風邪を引き、痛風の症状が出るたびに休む彼も喫煙者で運動はしない。掃除中に診療所のドクター、その後2人のナースも来た。彼らが訪れたのは喫煙コーナー。医療従事者でありながら、どうも悪しき習慣から逃れられないようだ。 若い頃、実は私も悪戯半分にタバコを吸っていた。それが東京へ転勤してから急に本数が増えた。優秀な先輩方ばかりで、昭和40年代半ばに業務をコンピュータ化していた職場は、田舎者の私にとってあまりにもストレスが強過ぎたのだ。その後さらに8つの職場へ転任した。 連日の残業と深夜までの接待、ストレス発散のためのマージャン、創設事務の軋轢など本数が増える要因は幾つもあった。42歳で禁煙したものの、管理職になって以降ストレスが激増した。上司の苛め、部下の裏切り、たった1人での肉体労働、そして辞職のきっかけになった全国的な組織の改組など、心身を蝕む要因は至る所に満ち溢れていた。 口が開かなくなる顎関節症、糖尿病の初期、不眠、高血圧も原因の大半はストレスだった。それでも今生きているのは35歳から始めたランニングのお陰。不思議なことに、どこに赴任しても走友には恵まれたからだ。私の辞職後、元同僚や後輩達が5人、現職で次々に死んだと聞いた。 公園を清掃中、ある人に言われた。「Aさんはいつも良く働くね」。「その方が気持ちが良いんだよ」。私は答えた。朝の散歩で会った後輩に「日曜日には100km走るんだよ」と言ったら、彼曰く「1km走っただけで死ぬよ」。人間いつかは老い、いつかは死ぬ。それでも頭と体は出来るだけ使った方が良いと思う昨今だ。
2010.06.10
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昨日の「大寒」は全国的に暖かかったようだ。夏日だった石垣島は別としても、北国の仙台では夜の8時で13度以上あったみたいだ。そして今朝の4時現在でも、まだ気温は11度以上あったとか。これは5月の陽気。異常とも言える温度のせいか、はたまた老化によるボケが始まったか、愛犬が時ならぬ時間帯に吠え出した。 そのボケで思い出すのが昨年大晦日の紅白歌合戦。たまたま観たのだが、司会の仲間由紀恵と審査員の森光子の会話がまるでかみ合っておらずゾッとした。舞台俳優の森は89歳。当たり役の「放浪記」への連続出演記録が話題になっているが、あの時の表情と会話はボケ老人そのもの。はっきり言えば人様からお金をもらうにはかなり無理がある。 昨日久しぶりに学習院大学名誉教授の篠沢秀夫氏をテレビで見かけた。かつての名番組「クイズダービー」では、さっぱり当たらない回答者として有名だった彼も現在76歳。目下ALSと闘病中のようだ。「筋萎縮性側索硬化症」と訳されるその病気は進行性の神経変性疾患で、全身の筋肉が衰え、最後は呼吸筋の麻痺によって死に至るとか。 この病気の特徴は体が異常な状態でも脳の働きは正常であること。篠沢先生も会話は出来ないが、奥様との意思疎通は出来ていて本の執筆中だった。イギリスの天文学者ホーキング博士も確かこの病気だと記憶している。彼の場合は僅かに残ったまぶたの筋肉を動かすことで、自分の意思を伝えていたはずだ。 今日本では頭の中で念じただけで動かせるロボットを開発中とか。これは微弱な脳波を感知してコンピュータを搭載したロボットを操作する仕組みのようだ。もし体に障害があっても脳の機能が正常の場合、その力を最大限に引き出せれば生活にも役立てることが可能になる。 昔イエス・キリストの弟子の1人にパウロと言う人がいた。彼はイエスの死後キリスト教の伝道者となるのだが、一説ではてんかんの患者ではないかと言われている。てんかんは脳の器質的な障害が原因で発作を起こすが、彼が何度か見たという超常現象は発作の際の幻覚と考えられる由。つまり脳波の異常が幻覚を引き起こしたわけだ。難病と考えられていたてんかんも、今では薬で簡単に発作を抑え、正常な生活が可能になった。 最近女性問題が話題になったばかりのタイガーウッズだが、彼が病気だったと聞いて驚いた。病名はセッ○ス依存症。依存症の対象としてニコチン、アルコール、薬物、ギャンブル、買い物、ゲームなどがあるのは知っていたが、まさか女性好きが病気だったとは。目下ミシシッピ州の病院で治療中のようで、医者からは自ら慰める行為も含め一切の行為を止められているとか。 病気の原因は過度のストレスみたいだ。セッ○スにはストレスを和らげる効果があるのだろうが、彼の場合はきっとストレスが尋常のものではなかったのだろう。人間とは不可思議な生物。正常と異常の間には、とてつもない広さがあるのだと思う。どこまでが正常でどこからが異常かは、神ならぬ身にはとても判断することが困難だ。
2010.01.21
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元プロ野球のピッチャーだった小林繁氏が亡くなった。江川卓の巨人入りにからんで、電撃的に阪神へトレードされた「空白の一日」はあまりにも有名な史実だ。「何も自分が阪神へトレードされる筋合いは無い」。本来ならそう訴えることも出来たろうし、世間の同情を一身に受けた彼だが、あの件について一切愚痴を言わなかったとか。 そして、その年は22勝の最多勝を挙げ、かつ自分を江川の身代わりとして放出した巨人には8勝0敗の成績だった。黙ってはいたが、彼にも意地があったのだろう。そしてその数年後に31歳の若さで引退した。そのシーズンでさえ13勝を挙げたと言うから、何も辞める必要はなかったと思うのだが、きっと彼のプライドが引退の道を選ばせたのだろう。 さて、今日の本題はそのことではなく、彼の死についてだ。死因は心不全。享年57歳とはあまりにも若過ぎる死だった。その前日、彼は福井の自宅で背中が苦しいと訴え、奥様が背中をマッサージした由。だが翌日彼は帰らぬ人となった。近年は日ハムの2軍ピッチングコーチを務め、今シーズンからは1軍のピッチングコーチに昇格したばかりと言う。頑健な身体を持った彼が、どうして死んでしまったのか。 話は変わるが、昨年の東京マラソンのレース中に、お笑い芸人の松村邦洋が11km地点付近で倒れた。心肺停止状態だったと言う。だが幸運なことには医師団が近くにいて、直ちにAEDを使用して心肺蘇生を受けると共に救急車で病院に運ばれた。結局はこの素早い処置が良くて、彼は死の入口から舞い戻ることが出来た。彼の場合は肥満が心臓に極度の負担をかけたのが原因のようだ。 AEDとは「自動体外式除細動器」と訳され、停止した心肺機能を電気ショックで復活させる装置のことで、最近は結構多くの建物に備えられるようになった。もしもの話だが、小林氏が倒れた自宅の近辺にこの装置があり、直ちに起動させられたら助かる可能性があったかも知れない。 私達は警備員としての半年に1度の研修で、しょっちゅうこの装置の使い方を実習する。先日私達の上司が街中で倒れている人を発見してAEDを操作し、救助したと研修で聞いた。大勢の人が見ている中で正しく装置を操作し、かつ人工呼吸や胸骨圧迫を施すのは大変な勇気が要ると思う。冷静な判断と適切な処置が、1人の人を死から救うことになるのだ。 そのAEDが私が勤務するビルにも昨日設置された。本当はこの装置が使用されない方が良いのだが、万が一ビルの内外で倒れた人が出た場合は、臆することなく救助に向かいたいと思っている。そのためには装置に習熟することが必要で、今日は早速新しいAEDを開いて説明書を読み、実物を手にとって見た。 先日の研修では地震対策関係の映像も観た。実はこれは私の要望だった。30数年に1度の周期で繰り返される「宮城県沖地震」の発生が、今後確実視されるからだ。AEDの操作もそうだが、常に災害を意識し、自分がどう行動するかをシュミレーションしておく必要がある。死も災害も、案外私達の身近で待機していることを忘れてはならない。備えあれば憂い無しだ。
2010.01.19
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警備員をしている第1現場のビルに、笑顔の素敵なヤングミセスがいる。警備員の爺さんには挨拶などしない人が多い中で、とても爽やかで感じの良い美人だ。その彼女が足を引きずりながら歩くのに気づいたのは今年の春先。そのうち姿が見えなくなったと思ったら、1ヵ月後に義足をして出勤して来た。 タクシーで出社することが多いが、稀にご主人が送って来ることもある。同じ会社の運転手さんに話を聞いたら、膝関節の内膜に出来た腫瘍を切除する手術を受け、痛む膝に直接重力がかからない特殊な義足を履いてるのだとか。「頑張ってますね」とたまに声を掛けるのだが、最近笑顔が少なくなったのが気がかりだ。 その彼女の病気を教えてくれた運転手さんの姿が見えなくなって2週間過ぎた。話によれば、勤務中に救急車で病院に運ばれ、緊急手術を受けたとか。病名は心筋梗塞。かつてはボーリングの選手として国体へも出場したほどのアスリート。だが、第2の職場では社長付きの運転手になって気苦労が絶えなかったようだ。 「今朝は社長が全然話に乗ってくれないんですよ」と、良く愚痴をこぼしていた彼は、医者からタバコを止めるよう勧告されてもいた。1ヶ月ほど病休するようだが、それを聞いた出入りの個人タクシー運転手が曰く。「これはチャンス。もっと仕事が増えないかなあ」。仙台は人口に比べてタクシー台数が日本一多い都市。まんざら冗談でもなさそうな口ぶり。世間とは全く厳しいものだ。 清掃夫を務めている第2現場には、30歳代の女性がいる。休憩時間になると黙って携帯の画面を眺めながら袋菓子をパクパク、1リットル入りのジュースを直接紙パックからゴクゴク。体重は90kgはあるだろうか。あまりにも太り過ぎてしゃがめないため、彼女が出来る仕事の内容はごく限られている。 仲間との会話は出来ても、挨拶は出来ない。彼女は知的障害者としての雇用で、市から補助金が出ているため不都合があっても辞めさせられない由。他人と上手にコミニケーションが取れないため常にいらいらして、人が見てない所では電気掃除機を蹴飛ばして困ると責任者が話す。 最近ここに60代の女性が手伝いに来ている。彼女が以前社内広報誌に書いた文章を読んで驚いた。まさに非の打ち所の無い完璧な文章。やはり私の予想通り、大学卒とのこと。だが、採用後の2年間で4度目の配置換えとはどうしたことだろうと疑問も。最近になって、ようやくその謎が解けた。とにかく話好き。それも仲間に話題を合わせるのではなく、自分の人生観や自慢話が多い。 亡くなった「ご主人」とは不倫同士だったこと。退職金を3千万円以上もらったこと。マンションは2千万円を即金で支払ったこと。ベランダだけで35坪あること等々。彼女が女性職員達に話したことが、全て私にも伝わって来る。話したことが第3者に漏れるなんて、彼女はきっと考えたことがないのだろう。 ベランダだけで35坪のマンションが仙台のどこあるの? もしあったとしても2千万円で買えるの? 35坪って、1戸分の広さだよ!! 彼女の欠点は誰にでも見境なしに自分の話を吹聴することのようだ。管理会社からクレームが来たと言うのも何となく分かりそうな気がする。 私が直接聞いたのは趣味が乗馬であること、祖父が名誉町民だったこと、そして1年間で地球1周分歩いたことなどだ。全国の地理に明るいのは、勤めていた東京の会社でしょっちゅう出張に行ったからだとか。なるほどねえ。でも、1年間で地球を1周するには、1日平均110km近く歩かないと無理。「俺は35年間も走って、まだ地球1周半だよ」と答えたら、彼女は黙ってしまった。 話好きなのは良い。自慢話もたまには許せる。だが、それが単なる「眉唾」だとしたら一体どうなるか。人は話好きと言うより、いつか嘘つきと評価するのではないだろうか。完璧な文章を書く高学歴の女性清掃員。彼女の心に果たしてどんな闇が潜むのか、興味を持って観察中の私だ。
2009.10.15
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昨夜の夕食時、カブのヌカ漬けが出た。我が家の菜園で取れた今年の「初物」を堪能する。これはもらって来たヤーコンの苗を植えるために、止む無く間引いたものだった。昨年初めて育てたヤーコンの苗を買ったのは県北部の温湯温泉。妻の入浴中、私は秋田県境方面の山中へ走りに行った。 それから1ヶ月もしないで起きたのが「岩手・宮城内陸地震」。十数名の尊い生命が奪われた大災害だった。あの時亡くなった夫婦の遺体が先日ようやく見つかった。場所は私が走った国道からほんの少し入ったつり橋だ。もし私が地震当日に走っていれば、そして「つり橋」へ向かっていれば、私が彼らの代わりになっていてもおかしくないのだ。 昨夜、突然妻が私に尋ねた。「お父さん、30分間ほど走るコースはないかな」。聞けばテレビであまり疲れずに走る方法を紹介していたようだ。四国の松山へ赴任中、ランニンググッズを買い与えて、妻に走ることを勧めたことがあった。だが更年期障害真っ最中だった妻は、不整脈が出ると言って間もなく走るのを止めた。あれから15年。妻の変わり様に驚いた。これは嬉しい誤算。30分ほど経って、妻は「案外楽に走れたよ」とニコニコ顔で帰って来た。 昨夜は他にも嬉しいことがあった。田中の先発で何とか中日を下し、7連敗を免れたのだ。これで田中は8勝1敗、パリーグの単独トップに躍り出た。苦しい戦いが続く楽天だが、選手層が薄い戦力で良く戦っていると思う。ロッテの次期監督は江川で、楽天は桑田などと言う噂があるようだが今は戦いの真っ最中。雑音は不要だ。 この2、3日不調だった我が家の愛犬だが、今朝の散歩ではようやく正常なウンチに戻った。あの騒動は何だったのか。彼が何も語らないため原因は不明だが、何とか一安心出来そうだ。今日は午後からレースの準備に取り掛かった。明後日の現地は「曇り時々晴れ」で最低が10度、最高は24度の予報。きっと苦戦するだろうね。 多分ランパン、ランシャツになると思うが、念のためタイツや半袖Tシャツも持った。66km地点の休憩所へは、栄養剤、消炎剤の他に、当日の朝に着なかったシャツなども送る予定。明日は午前中から走友の運転する車に同乗して、北上市に向かう。 さて、ランナーが何の心配もなく走れるのは、家族の理解があればこそ。自分だけでなく愛犬も含めた家族全員が健康でなければ、レース中も心配で楽しくない。家族に感謝。健康に感謝。レースを支える全ての方々に感謝。天候が雨とか晴れとかは些細なこと。今夜はグッスリ眠ることにしよう。
2009.06.12
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昨日の夜に「アースマラソン」の公式ブログを観たら、やはり寛平ちゃんも比企さんもヨットの上で満月を見たようだ。堀江さんが手作りのヨットで太平洋を横断した時代は、比較的安全な日中は眠っていて、夜になると北極星を観測して現在の位置を確認していたように思う。それに比べたら人工衛星でたちどころに場所を確認できる今は、ずいぶん航行が楽になったと言えるのかも知れない。 さて、日本では元大相撲力士の大麻問題が話題になったばかりだが、海の向こうニューヨークヤンキースのアレックス・ロドリゲス内野手がレンジャーズ所属時代に禁止薬物を使用していたことを認めたとか。巨額の年俸を取る名選手で青少年に与える影響も大きいだけに、オバマ大統領がこの問題についてわざわざコメントするなど波紋が広がっている。 私が目下服用している薬は血圧降下剤。毎朝朝食後に2種類の薬をそれぞれ1錠ずつ服用している。医者によれば比較的効き目の弱いものらしい。血圧は日によっても時間によってもかなり変動する。寒い冬暖房がない部屋で測れば高めに出るし、夫婦喧嘩の後などに測れば大変な数値が出る。 これまで血圧降下剤は、一度服用したら薬を止めることは出来ないとされて来た。ところがつい最近、慶応大学病院では薬の服用を中止する実験に乗り出すとのニュースを聞いた。血圧降下剤には血管を柔軟にする成分が含まれており、長い間服用し続けた患者の中には血管が柔軟になったことで十分効果を得られたと判定される人もいるとの考えからのようだ。研究に協力してくれる患者を募集するようだが、もしも近所であればこの勇気ある病院のお役に立ちたかったのだが。 話は変わって理化学研究所と東海大学の研究グループが、エチゼンクラゲなどから、糖タンパク質のクニウムチンと言う成分を抽出することに成功したそうだ。このクニウムチンとヒアルロン酸を混合して、変形性膝関節症に罹ったウサギの関節に注射したところ、軟骨の厚みが増し何も手当しなかったウサギと比較して1.6倍から2.6倍の改善効果が認められたようだ。 エチゼンクラゲはクラゲの中でも特に巨大で、大量に発生して魚網を壊したり、捕獲した魚が売り物にならなくなるなどの被害をもたらす厄介者。それがお年寄りの膝を治す薬になれば一石二鳥。今後クラゲを有効活用するための会社を設立する予定と言うからなんとも嬉しい。 私はグルコサミンのタブレットを毎朝4錠ずつ飲んでいる。コンドロイチン配合のもので原料はサメの軟骨やエビやカニの甲殻。薬ではなくいわゆる健康補助食品と呼ばれるもの。悲しいかな人間は歳を取るとこれらの成分が減少するし、過激な運動によっても膝の軟骨が磨り減る。あまり薬にばかり頼るのはどうかと思うが、老化が進むと体内で作ることが出来なくなる成分もある。長くランニングを楽しむためにも、体に良い作用をするものは積極的に取り入れたいものだ。
2009.02.11
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< 走ることって素晴らしい > 走り終わった時のあの清々しさは、他に例えようがないほどだ。1回について30分以上走ると、人間の脳からはアドレナリンやベータエンドロフィンとか言う興奮物質が分泌されるようだ。それが異常な高揚感を生むのだとか。ランナーはその時の気持ち良さを忘れられず、繰り返し走るようになるのだと思う。 ランニングによって得られる効用とは何だろう。簡単なのは足が丈夫になることか。長い間走っているうちに走るために必要な筋肉がつく。そしてそれに代わって脂肪が分解される。有酸素運動の代表であるランニングは、走ることで体内のエネルギーを大量に消費するからだ。従って自然に体重が落ち、体脂肪率が下がる。 また、呼吸数が増えることで気管支の繊毛が活発に動く。そのために肺や気管支に付着した有害物質が、痰と一緒に体外に排出される。最終的には肺もきれいになるだろう。また心肺機能が高まり心臓が強くなる。この結果心臓が普通の人よりも大きくなって脈拍数が減り、血圧も下がる傾向にある。 代謝機能が高まって血糖値が下がるために、メタボリックシンドロームの解消に役立つ。また一般的には骨密度が上がり、骨が丈夫になる。ケースによっては心臓に障害がある人もランニングすることで一定の効果を得られると、雑誌で読んだ記憶がある。 ウォーキングやサイクリングもランニング同様有酸素運動なので同じ効果がある由。私の場合はランよりウォークの距離の方が長い月もあるほどだ。毎日愛犬との散歩を欠かさないし、自転車に乗った距離の40%をウォークとして加えているせいもある。ウォーキングの消費エネルギーはランと同じで、自転車の場合はランの40%に相当するとか。警備員の仕事でも毎日の巡回を累計すれば、月に40kmは歩いているがこれは加えていない。 さて先日観たテレビで、ランニングやウォーキング、日記を書くこと、旅行をすること、簡単な計算をすることなどが認知症の予防にとても良いと言うことを聞いて驚いた。毎日日記を書くことや簡単な計算をすることはそうだろうと思っていたが、まさかランニングなどが認知症の予防に役立つとはビックリ。 そう言えば「ランナーは同じ年齢の人に比べて若い」との感想を良く聞くし、自分でもそう思う。またウルトラレースに参加するのは旅行そのもので、計画も自分で立てる必要がある。当然色んな計算もしなければならない。つまり私達ランナーは全く意識しないうちに、知らず知らず認知症の予防をしていたことになる訳だ。これはとても嬉しいニュースだった。 一方ランニングによる障害はどうだろう。走り過ぎれば足などに故障を起こす。年齢が上がれば、その傾向は一層高まる。加齢と共に関節や筋肉や靭帯などの機能が低下するからだ。また、赤血球数の減少もランナーの特徴だ。走っている時には体重の3倍が足にかかるため、赤血球が破壊されるからだとか聞いた。だからその対策さえ採れば、障害は防げると思う。 ランニングは万能ではないが、注意して取り組めば人生を豊かにし、健康な未来を約束してくれるように思う。適度の運動と十分な休養、それにバランスの良い栄養を心がけたいものだ。これからますます歳を取れば走る距離は短くなるだろう。それでも最後はウォークがある。最後の最後まで何とか自分の足で地上を歩きたいと願っている。 <続く>
2009.01.20
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< 長い距離を走る理由とは > 私の趣味の筆頭はランニングだ。他に趣味として挙げられるものは園芸、歴史研究、プロ野球観戦などだろうか。美術鑑賞もかなり好きな部類だ。趣味ではないが否応なしにしてるのが散歩と自転車。それらは全て仕事の合間にするのだが、毎日結構忙しいと言うのが私の実感。たまに趣味の無い人が定年後暇を持て余し、家でじっとしているなどと聞くことがあるが、私にはとても考えられない。 なぜ趣味に打ち込むのかと問われたら答は簡単、「単に好きだから」だ。元々不器用なので、とても「好きこそものの上手なれ」とは行かないけれど、そのうち少しずつコツらしいものが掴めてくる。フルマラソン以上の距離を走るウルトラマラソンだって最初から出来た訳ではない。ランニングを始めたのは35歳からだが、最初のフルマラソンを走ったのが45歳の時。そして目下の生き甲斐になっているウルトラマラソンを初めて走ったのが50歳の時だった。 ランニングを続けているうちにタバコは止めた。体調も良くなり、いつ風邪を引いたかすっかり忘れてしまった。何しろここ30年以上寝込んだ記憶がないのだ。今では好きなものを好きなだけ食べ、飲みたいだけ飲んでも体重や体脂肪率はほとんど変わらない。永年ウルトラマラソンを目指し続けたせいで、恐らくは無意識のうちに食べる量や飲む量をコントロールして、少しも苦にならなくなったのだろう。そして本来は年齢と共に低下するはずの代謝効率も、依然として良好なのだと思う。 ウルトラマラソンは案外お金がかかるスポーツだ。先ずエントリー料が普通のレースに比べて高いし、遠隔地で開催されるレースの場合は、旅費や宿泊費も必要になる。だがフルマラソン以下のレースと比べて決定的に違うのは、達成感の大きさだろうか。苦しい思いをしただけ、ゴール後の感激は一入なのだ。 まれに周回コースのウルトラマラソンもあるが、変化の多いコースであることもウルトラマラソンの特徴だろう。まさに山あり、谷あり、海あり、川あり。100kmも走れば天候も始終変化する。雨、風、暑さ、寒さ。道端での熱心な応援も受ければ、全くの無人の道で孤独と戦うこともある。10時間走、24時間走などの時間走大会、海抜0mから3000mまで登るなどの登山マラソン、山中がコースのトレイルマラソンなど、種類も実に多彩だ。 こんなレースの話を一般の人にしても、理解を得ることはなかなか容易ではない。例えば200km超級のレースで2昼夜寝ないで走っていると、幻覚や幻聴に襲われることがあるなどと話すと、「ええっ?」と仰天されるのは確実。そして、もしゴール直後に血液検査を受ければ、ドクターに直ちに入院せよと勧告されるのも確実だ。ウルトラはそれだけ身体には過酷なスポーツなのだ。 でも、レースに参加して走っている本人にとっては、単純に楽しいだけのこと。それに人体は実に良く出来ていて、数日すれば即入院状態の体調が再び元のように戻るのだから摩訶不思議。若い時のようなスピードが出なくなっても、ゆっくりと長い距離を走れる中年、老年ランナーは、むしろウルトラマラソン向きとも言える。だからこそ加齢と共にウルトラマラソンにはまる人が多いのだと思う。<続く>
2009.01.19
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私のブログの読者が1日100人を越えた頃から、日記の下へ表示される広告の内容が変わって来た。これは丹念にタグを付け出したこととも関係あるのだと思う。付与したタグの内容で広告を載せるスポンサーが違う。日記の内容により相応しい広告なら、読者にとって役に立つこともあるように思う。昨日書いたブログには無関係の広告が載っていたが、つい先ほど糖尿病関係の広告に変わっていた。ネットの世界は結構機敏に反応しているのだと感心する。 さてその血糖値のことだが、昨年まで職場で受けていた健診と私が今年受検した仙台市の健診とでは検査項目が違っていた。昨年までが単なる空腹時血糖だったのに対し、今回のは「HGA1c」に変わっている。これは赤血球のヘモグロビンとブドウ糖が結びついたもので、過去1ヶ月くらいの血糖の状態がわかると言う。 それはそれで良いのだが、HGA1cの正常値が5.1なのに対して私も妻も結果は5.5だった。だが妻は職場で行った健康診断の空腹時血糖値は正常だった由。私は今回職場の健康診断はパスしたが昨年の空腹時血糖値は正常だった。さらに正常値とされる5.1だが、試しに覗いた広告のHPだと正常値は5.8以下になっていた。 転勤族の私はこれまで色んな職場で健康診断を受けて来たが、受検項目が各地で違っていることと、検査機関によって正常値がかなり異なることに早くから気づいていた。これは一体どんなことを意味するのだろう。仙台市の検査がより厳しいのか、あるいは時代によってより厳密に健康をチェックし出したかのいずれだろう。正常値と異常値ではその後の対処が全然異なるので、正直言って何とか基準だけでも統一して欲しい気分だ。 昨日書いたもう一つの疑問についてもついでに補足しておこう。私が3連敗を喫した「東京マラソン」だが、何とわが走友会のM仙人は逆に3連勝だったようだ。そして仙台明走会のFさんも3連勝だったと彼らの掲示板に書かれていた。わが走友会のO川さんも私同様に3連敗。同じく3連敗だった住吉台走友会の八戸天気予報士さんは、公平でない東京マラソンへは来年は申し込みをしないと書かれていた。 選考システムが本当に公平かどうかの判断はできないが、統計学的にみれば同一人が3連勝する確率はかなり小さいと見て間違いない。ここは見事当選した人に祝福を贈るべきなのだろう。だがその一方、選考の在り方に対して不満を持つ人が多いのも事実。たかが東京マラソン。されど東京マラソン。やはり一度は東京都内の目抜き通りを風を切って走りたいのがランナーの本音だと思う。 さて、パソコンを起動した後に出るホームの画面をヤ○ーの新バージョンに代えた。ついでにフィッシング詐欺防止機能を付加したら時間がかかることこの上ない。機械オンチの私には新しい機能よりも少しでも速く画面が表示される方がありがたいのだが、巧妙な犯罪が増えた今日ではこれも止むを得ないことなのだろう。う~む。
2008.11.09
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