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飯場の事務所には、町の酒屋さんから買ってきた2号瓶の酒が箱入りで積んでありました。
現場の仕事を済まし、食堂に来て、1本、2本と帳面につけてもらって呑むんです。勘定は、月末に賃金から相殺されます。
荒仕事のあとの1杯は、別格の味がするものです。町から通いの人も、ここで呑んで、ほろ酔い機嫌で帰ります。
誕生日とか、掘進状況がよい所には、所長が褒美に1本がでたりします。
蝮の先山(さきやま)はもう大分酔いがまわっていました。
「ご苦労さん」といって私は食道にはいっていきました。
「一杯のみな」と湯呑みをさしだして、蝮の先山が右手に2号瓶を持ち上げました。
「ああどうもありがとう」と湯呑みを受けて一気に飲み乾しました。
のどが渇いていたので本当にうまかったんです。他の連中も飲みっぷりに唖然としていました。
「私にも3本ください」と2号瓶を、事務所から貰ってきて、みんなの前に置き仲間入りしました。
呑むほどに、酔うほどに、口がほどけ、みんなが前の現場の話をします。
北海道、東北、九州、みんな全国に渡り歩いているんです。
「俺ん所の所長はな、そりゃあ豪気な人だったんだぜ」
「そうか、俺ん所は先山が九州ん男で可愛がってくれてな」
決まって前の現場はよい所のようです。いいところにいたと思わせたいんです。
2号瓶の追加は、増えます。
「あんた強いなあ、まいった」
「そうでもないよ」とさされた酒は全部飲み干しました。
2号瓶がテーブルに乱立してその日は終わりました。
学生時代、除夜の鐘を聞きながら酒をのみ始めて、場所を3回かえて元日が暮れたことがありました。仲間の北海道のとも連は、熊の会と自認した酒豪ぞろいでした。
私は最初銚子2本でギブアップでしたのが、「 酒に交われば飽かくなる 」。で学業のかたわら、酒業?の芸をおぼえたんでした。
翌日、段取りのため皆より早く現場に行きました。
昨日の連中はまだ覚めやらぬ顔をしています。
一緒に呑んだ町から通っている男が顔がみえないので、聞くと腸ねん転で休むという事でした。
仕事がすんで、夜8時ごろなりましたが、町まで歩いて腸ねん転の男を見舞いに行きました。症状は軽くもう治ったとのことで安心して帰りました。
実はこの男が町では、なうての荒物で、いれずみ消し男も、蝮の先山も一歩さがって従っていたのです。坑内は危ないから、坑外の仕事しかしないといって、坑内に人手が要り所長が頼んでも嫌といって従わない男だったのです。
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