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街の山持ちさんが飯場に立ち寄りました。
用件はたいしたことではなかったんですが、後山のYがジープで送っていく事になりました。米進駐軍の払い下げのジープがあったんです。Yは免許をもっていて所長がよく運転させていました。
10時過ぎてもYは帰ってこないんです。
「なんかあったんだろうか、おそいなあ」
「10分もかからんぞ、おかしいな、酒呑んどるかもしれんぞ」
Yは酒がすきらしい。しかたなく、様子を見に街の方へと真っ暗な道を歩きました。
しばくすると、山道の下方から車のライトが右左と闇を縫ってあがってきます。
坂道ですのでスピードはありません。確かにジープです。道の真ん中で立っていたら止まる様子がありません。慌てて飛びのき、ジープの後部ドアを走りながら開け飛び乗りました。
案の定、後部シートに座っても分からない位酔っています。
飯場の前に川があり、その横の広場が駐車場になっています。
広場までたどりつき、方向転換です。
川に向かって1回進み、ブレーキ、バック、車寄せ、もう1回前進、ブレーキの ブレー で キ の時は、前輪がゆるやかに道肩を越えていました。
アット言う間もなくジープは川に落ちていました。
宙に浮いたと思ったらフロントガラスに尻からいやと言うほどぶちつけられました。ガラスは飛び散りました。運転手は車外に飛び出していません。
みると川の中の大きな岩に運転手はへばりついています。
「大丈夫かっ、おい」
側に近寄って肩に手を当てたら急に泣き出して、
「すみませーん」と抱きついてきました。
怪我がないとわかると、むしょうに腹がたってきました。
でも腹が立ちすぎると声もでないものです。
そのころ、飯場の連中が音を聞き寝巻き姿で出てきて、とりかこんでいました。
事務所で、Y爺さんが平静な顔しているのが、かえって腹が立ち、ヤケ酒をあおりました。
本社からの客を前にしてなんと言うことが起きたのか。万事休す。
でも対策はたてねばなりません。
以前日通に勤務した事のあるTさんがいましたので、明朝一番になんとしてもグレーン車を手配してくれるよう頼みました。明朝未明に山を下り、日通の始業前に、玄関前で戸が開くのを待って一番に頼んでみるからといってくれます。
黄色い大きなグレーン車が細い山道を上がってきたときはとてもうれしいものでした。助手席にはTさんが乗っていました。心強く感じました。
引き揚げ作業は、グレーン車を固定して、ワイヤをジープにかけたと思ったらいとも簡単に上がってきました。前輪がひしゃげていましたが、足で蹴りますと元にかえりました。さすが戦場を走る車、フロントガラス以外はなんともありません。
Tさんに運転してもらい、隣町のガラス屋まで行き厚手のガラスをはめてもらいました。専務一向の視察は無事終了しましたのはいうまでもありません。
「コンプレッサーの排気で山が火事になった」と電話がかかったのは、陽気が漂う頃、事務所での仕事をしている時でした。
現場までの1キロほどの道をどうして走ったか記憶ありません。
灰色の煙が立ち登っています。
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