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コンプレッサーの排気からでた火の粉が枯れ草に燃え移ったのが火事の原因でした。雑木林であったのと、木がまだ小さかったので類焼はまぬがれました。坑内から飛び出してみんなが火消しをして大過なくすみました。
乾燥期ゆえ火に注意しようといましめあいました。
ところが、1週間もたたないうちに又大山火事に遭遇してしまいました。
隣村が山火事だと聞き、眺めましたら、かすか向こうの山際に黒い煙があがっていました。
火事と聞き記憶に真新しいので皆んな仕事が手につかぬ様子でしたが、工期もあり仕事を続けさせました。
煙がこちらに向いてきて、その速度がどうも速いようです。
燃え広がるというより、飛び火するようにしてこちらの方に進んできます。風が火を進め火が風を起こすというんでしょうか、手に取るようにみえました。
その頃通気坑も兼ねて坑道が裏側山頂に貫通していましたのでここから、パノラマを見る様に観察できました。
30分もかからぬ速さで、火列の先端がはっきりと観察できるようになりました。どうも様子がただならぬようです。
坑内の仕事を中止させ、山の中腹にある火薬庫からダイナマイト、雷管を運び出させ坑内に移動させました。
最後のダイナマイトを坑口まで入れた時には、頂上まで火の手がやってきました。
危機一髪でした。
鉱山の入り口は、化粧枠といって、山の男が念入りに格好をつけて作っています。通気坑の化粧枠が危ないというので、バケツさげて坑内を走りました。
行ってみると、坑内に火の粉が飛び込んできて、まさにあたりは火事真っ只中でした。枠に水をかけ焼けぬようにしました。
このあたりは目通り尺、2尺の大きな松林の林立しているところでした。
小さな火の粉がまず飛んできて、枯れ草がちょろちょろ燃えます。
その火が松の木の根っこに行ったと思った瞬間、木の幹をつたって一気にてっぺんまで炎があがり、瞬時に枝を伝い松の葉が火を噴きます。
発火温度にあたりが熱せられているので、火が来るとたちまち炎になってしまいます。
炎が風を呼び、風が炎になり、まさに炎舞です。
山火事は炎にまかれて危険だといいます。全くです。
坑内に避難できるので、山火事の真っ只中を近くで見学できました。
火の手はまだ手をゆるめず、テレビ塔基地の山へむかいました。火薬庫は無事でしたが回りの草木は真っ黒でした。
夜7時頃ちいさな雨がふりました。瞬く間に鎮火しました。
山火事には雨が一番と知りました。
どうも忘れないうちに災害が来るは、最近の常識になりました。
つまらぬ事件が多かったので、時事には目を覆い私の回顧で時を過ごしました。
明日から心気一転します。
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