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スノーフェアリー引退





スノーフェアリーをご存知ないという競馬ファンはあまりいないと思うが、とにかくものすごい牝馬だった。
エリザベス女王杯を連覇し、愛チャンピオンスS、英愛オークス、香港Cなどを優勝し、凱旋門賞でも3着という実績を誇ったイギリスの女傑・スノーフェアリーが、持病の屈腱炎を再発し、ここで引退することになった。

まあ正直言って、このタイミングでの引退というのは残念であるというのが半分、そして、ほっとしたというのが半分である。
2年にわたって京都の外回りコースで見せたあの奇跡的な脚は、その血を後世に伝えるべきであることを十分に感じさせるだけのものがあった。

京都外回りコースというと、近年ではオルフェーヴルを破り、ゴールドシップに先着したトーセンラーが得意の舞台として知られるが、しかしあの当時はやはり何と言っても芦毛の牝馬・メイショウベルーガだった。
五冠女王のアパパネにも先着し、普通ならG?Tタイトルを手にしているはずのエリザベス女王杯だった。

しかし、ベルーガとベルーガのファンの夢を、その鼻先からあまりにも荒々しく奪い取ってしまったのが、このスノーフェアリーだった。
あの末脚はまさに「規格外」、メイショウベルーガも、翌年のアヴェンチュラも、あまりにも簡単に遊ばれてしまった。
当時を知らない日本の競馬ファンに説明するなら、あの末脚はまさに「英国版オルフェーヴル」であった。

だから昨年、私は凱旋門賞でオルフェーヴルとスノーフェアリーが対戦するのをひそかに楽しみにしていた。
そして、前年の覇者・デインドリームよりも地元シャレータよりも、もちろん勝ったソレミアよりも、このスノーフェアリーこそオルフェーヴルにとってもっとも怖いと感じていた相手だった。

残念ながらスノーフェアリーは脚部不安で回避しなければならなかったが、やはりオルフェーヴルとの激突は本当に見てみたかったなぁ・・・

そして父・インティカブ産駒のスノーフェアリー、実は非常に「安い馬」だったというのも有名な話である。
何しろ、私だってちょっとがんばれば買えるだけのお馬さんだったのだから、そういうところから見ても、この馬は本当に「規格外」のスーパー牝馬だった。
オルフェーヴルが種牡馬になったら、ぜひこのスノーフェアリーとの間に、その子を見てみたいなぁ・・・

いずれにしても、無事引退でき、無事繁殖に入れるわけだから、これはひとまず良いニュースととらえたい。
スノーフェアリー・・・私が尊敬した牝馬——長い間おつかれさまでした。

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“名刀”墜つ・・・

稀代の名マイラー、名スプリンターであったデュランダル(父・サンデーサイレンス、母・サワヤカプリンセス、その父・ノーザンテースト)が死亡した。14歳だった。

一昨年、オークス馬エリンコートを輩出したデュランダルだっただけに、自身が得意とした「短距離」以外にも大きな可能性が芽生えたばかりだったから、正直このニュースはショックである。

サンデーサイレンス産駒では確か唯一のスプリントG?T覇者であり、しかもサンデーサイレンスの晩年の産駒だったことからも、偉大なサンデー産駒の先輩とはまた違った味があったこのデュランダルという馬は、いろいろな意味で本当に個性的な名馬だった。
しかしやはり、この馬の個性と言えば、「名刀」と呼ばれたあの豪脚であった。

そしてデュランダルの鞍上といえば、ゴール前の大接戦をエリンコートと演じたホエールキャプチャにも乗っていた池添騎手、ことあるごとに、「ドリームジャーニーやオルフェーヴルで結果を出すことができたのも、すべてデュランダルのおかげ」という趣旨の発言をしていた。
見ていてもわかりやすいあの末脚の裏には、ひとりのホースマンの人生を変えてしまうだけの重みも確かに備わっていたのだ。

昨年のエリザベス女王杯、オークス当時の力は完全に翳っていたエリンコートの鞍上は池添騎手であったが、ジョッキーはその背中でいったい何を感じていたのだろう?

デュランダルのあの豪脚は、当時からの競馬ファンであればおそらくみな記憶に残っていると思うが、しかしこのデュランダルが立派だったと思うのは、G?T初挑戦と引退レースのマイルチャンピオンシップ以外、すべてG?Tで連対していたことである。
ああいう極端な脚質の場合、どうしても「不発」が多くなってしまうのが競馬だが、しかしデュランダルは堅実だった。
だからこそ与えられた「名刀」の評価だった。

これは本当に残念だなぁ・・・

ローズキングダム引退

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このところストームキャットの死やダンツホウテイの引退をはじめ、もちろん残念ではあり、そしてまた、まあ仕方がないかな・・・という思いとが複雑に入り混じるようなニュースが次々と飛び込んでくるが、その最たるニュースが昨日入ってきた。

朝日杯FSとジャパンカップの2つのG?Tを勝ったローズキングダムが、先日日曜日の新潟大賞典11着を最後に、現役を引退することがオーナーサイドから発表された。
種牡馬への道を模索しながらも、ローズキングダムの今後のことは流動的であるという。

ローズキングダムほどの名馬だから、みなさんひとりひとりにいろいろな思い出、あるいは思い入れがあるかと思うが、個人的には、馬券を取らせてもらったスプリングステークスはもちろんそうではあるものの、やはり59kgを背負いながらも圧勝した京都大賞典が一番思い出に残っている。

ローズキングダムのおかげで馬券がはずれたことも思い出ではあるけれど、それ以上に、「ローズキングダムって、本当に強いんだ・・・」ということを思い知らされたレースであった。
そう、正直な話、私はそれまでローズキングダムを本当に強い馬だとは思っていなかったのである。

しかし考えてみれば、生まれ落ちた瞬間から注目が集まってしまう「バラ一族」で、しかもこの一族の共通点と言えば、馬体重云々ではなく、競走馬としては大きなハンディキャップになってしまう「線の細さ」であり、ローズキングダムもその例に漏れず、決して身体に恵まれた競走馬ではなかった。

晩年はご存知のとおり、すっかり本来の輝きを失ってしまったローズキングダムであったが、一族の果たせなかった「G?T制覇」の夢を、一族の悲願を、あっさりと2歳戦で達成してしまったから本当に驚いた。

この一族の小柄な馬が、厳しい流れの朝日杯を勝つはずがないと、圧倒的人気になっていたローズキングダムの評価を自信満々に下げて返り討に遭ったのも、今となってはいい思い出である。

もちろんJCは、「勝っても悔しい優勝」だった。
そして、リターンマッチにしてリベンジマッチであった有馬記念は、体調不良で直前の回避という、ローズキングダムにとってはあまりにも不運な2戦だったと思う。

その後も天皇賞・春を使ったり安田記念を使ったりと、本当にこういう使い方しかできないのだろうかと首をひねりたくなるような使い方をされながら、あの京都大賞典以降すっかりファンになっていたローズキングダムが、本命にした有馬記念をはじめ、だんだんその輝きを失ってしまうのを見ているのは、正直かなりつらいものがあった。

なんとかもう一度、あと一度だけ先頭ゴールを果たしてもらいたいと私は願ったが、陣営もそれはまったく同じ気持ちだった。
いや、にわかファンの私などに比べれば、陣営こそローズキングダムの復活を願わずにはいられなかったはずである。
それは考えてみれば当たり前のことであった。

それだけに、正直先日の新潟大賞典の結果はあまりにも悲しかった。
しかし、ここまで大きなケガなく無事に競走馬を引退できたことだけは、素直にうれしいと思う。

基本的に競馬のことに関して私はかなりの頑固者である。
自分の馬を見る目や考えは、何の根拠もないのにかなり執拗に信じる。
だから、こんなに毎度毎度馬券を外すのである。
私の競馬辞典に、「学習」の文字はない。

しかし、ローズキングダムはあの京都大賞典でアッサリと私の認識を覆してみせてくれたのである。
これまで長く競馬を見てきたが、そういう馬は今まで何頭もいなかった。
ローズキングダムには、またひとつ競馬を教えられたと思っている。

今後どんな道に進むかわからないが、ローズキングダムが幸せな余生を送れることを心から願う。






孤高のスーパーステイヤー〜ライスシャワー(第111回天皇賞・春)

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昨日は、私が愛してやまなかったメジロマックイーンと、その対決が日本中の話題を呼んだトウカイテイオーの戦いについてプレイバックしたが、今日はそのメジロマックイーンや、こちらも大ファンであったミホノブルボンを破った稀代のステイヤー・ライスシャワーの思い出を振り返りたい。

ライスシャワーのイメージと言うと、ダービーでまったくの人気薄で2着に食い込んで大波乱を演出したわけだから、多くの競馬ファンの馬券をオシャカにした馬であり、そして菊花賞では、先に述べたとおり無敗の2冠馬ミホノブルボンの三冠達成の偉業をあまりにもあっさりと覆し、そして、翌年の天皇賞では、メジロマックイーンの不世出の大記録である「淀の楯3連覇」を阻んだ、これほどまでに憎らしい馬は他にいないというくらいのスーパーヒールとして大活躍したステイヤーである。

だからこそ、ライスシャワーは「漆黒の悪魔」などと呼ばれたりもしたのだが、たとえば、ゴールドシップが「白い悪魔」などと呼ばれるのとは、この「悪魔」のニュアンスはかなり違うものがある。

ゴールドシップの「悪魔」は、ゴールドシップのスタミナの「異常さ」を形容したものであるのに対し、ライスシャワーのそれは、その存在自体がまさに「悪魔」のように映ったという印象がある。

そして実は私もこのライスシャワーという馬に対しては、正直並々ならぬ敵対心を抱いていたのだ。
大ファンだったミホノブルボンを屠り、私にとってはヒーローであり、「強い馬」の意味を教えてくれたメジロマックイーンを葬ったのだから、その気持ちも理解していただきたいものだし、また私とまったく同じ苦い思いを、このライスシャワーによって経験させられたファンも多かったのではないかと思うのだ。

しかしこのライスシャワーという馬は、憎らしいほど強いのに、負けるときはアッサリと、コロっと負けてしまうのである。
ブルボンやマックイーンを破ったあの強さを凌駕する馬に「負けること」を期待した歪んだ心でライスを見た時期もあったのだが、身体が小さかったことや、斤量を背負わなければならなかったこと、また、スローの瞬発力勝負には極端に弱かったことなども手伝って、ライスシャワーはどうしても、G?Tホースとしては不安定な成績になりがちであったのも事実である。

そしてまたそれが、なんとも歯がゆいのだ、見ているほうからすると。
だったらブルボンに勝たしてやれよ!だったらマックイーンに・・・ああ〜もうっ!
みたいな感じである。

しかし、ライスシャワーが、私たち素人から見て「不安定」と感じるのにはそれだけの根拠があったのだ。
メジロマックイーンとの頂上決戦を前に、あまりにも厳しいトレーニングを課し、苛めに苛めぬかれ、一分の隙もない究極の馬体を作りあげ、しかもレースでは、メジロマックイーンの驚愕のロングスパートを追走し、これをまくりきってしまったその代償があまりにも大きかったのである。

その後、ライスシャワーは絶不調に陥る。中には目を覆わんばかりの大敗さえあった。
新たな芦毛のヒーローのビワハヤヒデの前にも完敗した。
一時はっきりと復調の気配も見えたが、これからというときに骨折を発症し長期休養を余儀なくされたつらい時期も経験しなければならなかった。

骨折から復帰したものの、ナリタブライアンというとてつもない怪物の脇役にまでなり下がった。
このレースでは、故・大川慶次郎氏からは、ライスシャワーに対するダメ出しともとれる発言があり、私はひどく悲しい気分でナリタブライアンの四冠達成を見なければならなかった。




年明け、6歳になったライスシャワーは再び京都記念に姿を現すが、牝馬のワコーチカコの前に見せ場なく敗れる。
ライスシャワーはもう終わった——多くのファンの声が冷たく私の心に響いた。
そして続く日経賞、私は初めてライスシャワーを応援した。

日経賞はこれまで常に勝ち負けしてきただけに、ここで復活してほしかった。
私にとっての、以前のギラギラした敵対心を再燃させてほしいと思った。
メジロマックイーンを破った天皇賞のときのような、ギラギラしたライスシャワーを、もう一度目にしたいと思った。

断っておくが、これはライスシャワーに対する憐憫ではない。
強いときには憎たらしかったけれど、弱くなったら急に応援したくなる——そういう馬も確かにいた。
でも、ライスシャワーに対するそういう種類の感情は一切なかった。
至った結果は同じであっても、そこに至るまでのプロセスは大きく異なるのだ。
ただ単に、強かったころのライスシャワーを再び見たいと、それだけを願っていた。

しかし、期待した日経賞でも、明らかに格下のインターライナーの前に大差の6着と敗れ、ライスシャワーはもうライスシャワーではなくなってしまったのかと思われた。
あのギラギラしたライスシャワーではなく、目の前のライスシャワーは、ライスシャワーにそっくりな「抜け殻」だと私は思った。

でも、その感覚は間違いではなかったと今でも思う。そして、プライドを傷つけられたライスシャワーこそ、ライスシャワーの本当の姿なのだとも思う。
あの強かったライスシャワーはあくまでも「悪魔の力」を借りていただけであり、ライスシャワーの「真実の姿」は、今までに見たことのない、格下の馬に大きく離されて敗れた姿そのままなのだと私は思う。

そして迎えた雨の天皇賞・春。ライスにとって2回目の天皇賞である。
すでに悪魔が宿っていないライスシャワーは、ここ数戦のようにおとなしく競馬をしているように見えた。
今回もまた馬群に沈むライスシャワーを目にすることになると、レースを見ながらそう考えていた。

レースが動いたのは3コーナー過ぎからであった。そこには、驚くべき光景があった。
ライスシャワーが外から一気にまくりを打ったのである。
ミホノブルボンを徹底的にマークし、メジロマックイーンを徹底的に付け狙って最後の最後で先頭に立ったライスシャワーが、あの天皇賞では誰よりも早く、自分でレースを作ったのである。

私はそこに、メジロマックイーンの姿を見た。あの戦法は完全にマックイーンの戦法だったのである。

——さあ来い!ついて来られるものならついて来い!

ライスのそんな叫びを聞いた気がした。
まったく似ても似つかないライスシャワーに、はっきりとメジロマックイーンの精神を私は感じとっていた。

そして際どいハナ差を渾身のラストスパートで制したライスシャワーは、再び淀の3200mで頂点に立ったのである。
それは、2年前に王者・メジロマックイーンを下した同じ淀の楯よりも実に3秒近くも遅い時計で、悪魔の力を借りない「真実のライスシャワー」が勝ちとった楯であった。

——おめでとう・・・おめでとう、ライスシャワー号!

あの日私は、ずいぶん長く言い忘れていたこのことばを、ようやくライスシャワーに送ることができたのである。






ルーラーシップ引退

本当に引退するんだなぁ・・・

まあ、ルーラーシップを所有している会社がとにかく大会社の傘下だから、引退の話が出た時点で、たとえルーラーシップが出遅れて、それが原因で負けてしまったとしても、おそらくファンや調教師の想いは聞き入れてもらえないだろうな、とは思っていたが、まさかあんな豪快な出遅れをやらかして、しかも3着に食い込んで引退というのは、ファンとしてはいかにもさみしい結末だったと言えるだろうなぁ・・・

すでにご存知の方も多いと思うが、父キングカメハメハ、母エアグルーヴ(その父トニービン)という超良血馬のルーラーシップ(牡5、栗東・角居厩舎)が、有馬記念の3着を最後に現役を引退、種牡馬入りすることが決定した。

ルーラーシップの一番の思い出は、まあ結果的にラストランとなった有馬記念ももちろんそうだが、しかし私にとってはやはり今年の宝塚記念ということになる。

オルフェーヴルのファンである私は、もちろんオルフェーヴルの復活を信じて応援していたのだが、あろうことか、オルフェーヴルの池江調教師の口から発せられたコメントは「良くて7分のデキ」という、偉大な四冠馬を出走させるにしてはあまりにも違和感あるものだった。

あの天皇賞・秋で、ウオッカがダイワスカーレットをハナ差で退けた際にも、物静かにウオッカと武豊騎手を讃え、そして敗れたダイワスカーレットと安藤勝己騎手も讃えていた角居調教師が、珍しく「勝ちたい」という強い気持ちを前面に表現した宝塚記念だった。

前年の偉大な四冠馬を向こうに回し、「負けるわけにはいかない」という力のこもった発言の裏には、池江調教師の「良くて7分」の発言に対して覚えた怒りがあらわになっていた。

しかし、結果はやはり四冠馬オルフェーヴルに完敗という2着に敗れた。
まるでオルフェーヴルを引き立てるためだけに行われたような宝塚記念だった。
私はもちろんオルフェーヴルが復活してくれたことが何よりもうれしかったが、しかし角居調教師の無念は本当によく理解できた。

もし宝塚記念を勝てば——
角居調教師は当然凱旋門賞出走の青写真もかなり明確に描かれていたはずである。
例年に比べてそれほどハイレベルとは言えなかったあの凱旋門賞にもしルーラーシップが出走していたら、結果は果たしてどうだっただろう・・・

そして秋、凱旋門賞に挑戦したオルフェーヴルに代わって、いよいよこの秋こそルーラーシップに悲願の国内G?T制覇がもたらされるものと誰もが思った。
そのターゲットは完全に「日本最高峰」のジャパンカップに絞られた。
秋3戦を考える以上、天皇賞は万全に仕上げるわけにはいかなかった。

そして迎えたジャパンカップ、出負けして3着に敗れた天皇賞よりも明確な「出遅れ」のスタートから、インしか伸びない絶望的なレースで猛然と外を追い込むも、今にして思えば宿命的とも思える「3着」に再び敗れた。
そしてこのときにも、ルーラーシップの2馬身前にはやはりオルフェ—ヴルがいた。

万全に仕上げられたJCに敗れ、もうそれ以上の上積みがないものと思われた有馬記念であったが、しかしルーラーシップの状態自体は、JCよりもさらに上昇していることは明らかであった。
だからこそ私は直前にルーラーシップの馬券を買い加えることができたのだ。

ルーラーシップはクラシック戦線を歩んでいた当時、どうしても一歩足りない内容から、レースを見るたびに「良血のお坊ちゃん」というイメージが私の中で増殖していたが、それだけに5歳の秋になってようやくルーラーシップが完成したことを、そのたくましく成長を遂げた馬体を通して実感した。

しかし、熱狂するファンが集う有馬記念のゲートの中では、もう自分の平静さを取り戻そうとするだけの精神的余裕がルーラーシップにはなかった。
自分のゲートのすぐ後ろにつきっきりだった大好きな角居先生の声も、グランプリの喧騒のはるか彼方の陽炎の中に消えていた。
ゲートが開き、寂しそうにターフを後にするトレーナーの背中があまりにも悲しかった。

そして今日、ルーラーシップの現役生活に幕が下ろされた。

競馬である以上、勝つことによって初めて生まれたことの意味が見出されることがほとんどである。
勝てない馬は、競走馬としては生きていけない。

しかしルーラーシップは、種牡馬としての新たなステージに進むことを許されたのである。
ルーラーシップには、どうかこの「特別なチャンス」を、「お坊ちゃん」だから得ることができたチャンスを、どうか生かしてもらいたいなぁ・・・

血統も馬体も能力も何ひとつ非の打ちどころがなかったルーラーシップは、競走馬としては少しばかり気持ちが優しすぎたのかもしれない。
もしルーラーシップの中に、狂喜乱舞する喧騒の中でもふてぶてしく振る舞えるオルフェーヴルやゴールドシップのような「図太さ」がほんの少しでもあれば、もしかしたら、ディープインパクトのように「英雄」としてターフを去る日を迎えたのかもしれないと、私には思える。

とはいえ、これだけの良血馬であるルーラーシップは、サンデーサイレンスの血が入っていないだけに、種牡馬として大成功する可能性は決して低くない。
国内実績が目立たないがゆえに、ディープインパクトやフランケルのように破格な種付け料でシンジケートが組まれることもおそらくないだろう。

ということは、むしろルーラーシップにとって一番ほしい母系の「図太さ」を子供に注入できるチャンスは大きいのかもしれない。
それならば、むしろルーラーシップにとっては種牡馬としての可能性が大きく広がったのだと、そう解釈したいものだ。

しばらくはゆっくり休んでもらいたい。
お疲れ様、愛すべき名馬・ルーラーシップ。



白いセクレタリアト〜クロフネ(第2回JCダート)

セクレタリアト(1970−1989、牡)・・・父ボールドルーラー、母サムシングロイヤル、その父プリンスキロ
主な勝ち鞍・成績・・・北米三冠馬、マンノウォーS(すべてG1)、21戦16勝
最大着差・・・31馬身(ベルモントS(G1)1着)、レコード勝ち・・・6回

おそらく競馬ファンであれば一度は耳にしたことがあると思われるのが、私がまだ生まれたばかりのころに北米競馬史上最強馬とされ、現在もなおその評価はまたくゆるがないセクレタリアトである。
上記にもあるように、北米三冠レースの最終戦であるベルモントステークスでは、2着に31馬身の差をつける圧勝劇を演じたことで知られるスーパーホースである。

もちろん、相手が弱いからそういう着差で決着することになるのだが、驚くべきはその勝ちタイムである。
ベルモントパーク競馬場のダート2400m戦で行われたベルモントS、このセクレタリアトの勝ち時計は実に、2分24秒0(!!!)という、高速馬場の府中の、しかも「芝」のレースの標準的な勝ち時計に匹敵する時計で優勝したのである。

もちろん今から40年近くも昔のことでありすぎるし、直線だけで後続を31馬身ちぎり捨てたわけでないことを考えれば、もし競ることができる馬がいれば、もっとタイムは短縮されていたはずである・・・

と、こんなことを書いていると、今回はこのセクレタリアトが主役のお話なのかと勘違いされるかもしれないが、しかし今週のメインは何と言っても阪神で行われるジャパンカップダートである。
JCダートの歴史でどうしても書かなければならないのが、怪物・クロフネである。

天皇賞の週に、「伝説を生んだ伝説」というタイトルで、アグネスデジタルが主役のお話をFine Horses’ Footageのコラムに掲載したことがあったが、クロフネはあのアグネスデジタルのせいで天皇賞・秋に出走することができなくなってしまったかわりに、アグネスデジタルのおかげで「伝説」を作ることができたとも言えるのだ。

それは、府中のダートのマイル戦で行われた武蔵野ステークスのことだった。
NHKマイルカップを圧勝しながらも天皇賞・秋に出走することができないという不思議なルールだった当時、クロフネは怒り燃えながら初ダートのG?V武蔵野Sの舞台に立った。
そしてクロフネは見事な優勝を果たした・・・

いや、それだけではクロフネが「伝説」になることなどあり得ないだろうが、もちろんそれだけではない。
ちなみにこのときの2着馬は、翌年中山の1800m戦で行われたJCダートを優勝することになる、1つ年上のイーグルカフェであった。

イーグルカフェといえば、クロフネと同じくNHKマイルを優勝していた名馬である。
しかし、ガルチ産駒のイーグルカフェ、どう考えても血統的にはダート馬であった。
そのイーグルカフェに、初ダートのクロフネはなんと「9馬身」という差をつけての独走だったのである。

しかもその勝ちタイムのすごさが・・・本当にすごいのだ(妙な日本語だけれども、そうなっちゃうんです、あの走りを見ると!)
良馬場のダートのマイル戦の勝ち時計は、なんと!1分!33秒!3!!だったのである!
名だたる芝のマイラーが芝で走り、クロフネだけダートで走っても勝ち負けになってしまうような時計をアッサリと・・・実にアッサリとクロフネは叩きだしたのである。

そして迎えた大一番は、当時は府中の2100mのダートで行われていたJCダートの舞台である。
距離が一気に延びることや、相手がいきなりレベルアップすることや、当時は強い外国馬が来日していたことなど、すべて話題にならず、注目はただ一点、「クロフネがどうやって勝つのか」ということだけ、それこのレースの最大かつ唯一の焦点だった。

結果はもちろん優勝、しかも圧勝、もうどうにも誰にも止められないアホみたいな圧勝だったのである。
2着はこれもダートG?Tの勝ち馬ウイングアローだったが、これに「7馬身」というG?Tでは奇跡的な着差をつけての圧勝であったのだ。

しかも、ダート2100mの勝ち時計は、実に!2分!5秒!!9!!!というとてつもない時計をまたもや叩きだしたのである。

このレースの芦毛・クロフネの走りを見たアメリカ人ジョッキーのひとりは「日本には、クロフネという名の白いセクレタリアトがいた・・・」とコメントしたのは有名なことである。
そして、それはクロフネにとってこれ以上ない最大級の賛辞であったこともまた間違いない。

しかしこれはクロフネのあまりにもあまりな走りを見た率直な感想であったと同時に、実に的を射たコメントでもあった。
というのも、クロフネが芝のNHKマイルCを優勝してJCダートを優勝したように、セクレタリアトもダートの三冠馬となり、芝のG1であるマンノウォーステークスを勝っていたからである。

それだけではなく、この2頭には意外な共通点があって、それは両者とも追い込み脚質だったこと、しかし超ロングスパートが得意だったこと、さらにはクロフネも10戦して6勝を挙げたうちの4回がレコード勝ちだったということなど、やっぱり「本物」というのは自然と似てきてしまうものなのだなぁ・・・と、妙に感心したものだ。

そして種牡馬としても大成功しているクロフネ、今年はカレンチャンとホエールキャプチャという2頭の芝のG?T牝馬を輩出して、とにかく絶好調であった。
おそらく今後もクロフネ産駒は相変わらず活躍することになると思う。

ただ、どうか1頭だけでも、ダートの怪物(できれば芦毛)を輩出してもらいたいなぁ・・・
フラムドパシオンが無事だったらなぁ・・・などと、ちょっと思い出してしまうが、まだまだこれからフラムドパシオン以上の「すごいヤツ」を出すチャンスは残されている。

あ、ちなみに今年のJCダートでも人気しそうなイジゲンの芦毛はクロフネの芦毛ではないので、どうぞお間違いなく・・・



「伝説」を生んだ「伝説」〜アグネスデジタル(第124回天皇賞・秋)

天皇賞・秋である。

かつては「府中の2000mには魔物が棲む」などと言われ、メジロマックイーンの1位入線18着降着の大事件を皮切りに、圧倒的人気のトウカイテイオーが急流に呑まれて「なんとびっくりレッツゴーターキン!」に惨敗した天皇賞、ビワハヤヒデ、ウイニングチケットの故障発症によりレース後にクラシックホースが同時に引退という前代未聞の天皇賞、さらにはサイレンススズカの非業の死の天皇賞など、本当に1番人気の馬たちが受難にさらされまくった時期も確かにあった。

しかし近年では、あのウオッカとダイワスカーレットの激闘に代表されるような、「究極の名勝負」の宝庫となる舞台へと、そのイメージはずいぶんと明るいものになった。

そんな中で異彩を放つ天才ホースも、このレースの偉大な優勝馬の中にいる。
それが今回これからご紹介するアグネスデジタルである。

アグネスデジタル(父・クラフティプロスペクター、母の父・チーフズクラウン)というと、とにもかくにもそのバイプレイヤーぶりには本当に驚かされた。
芝ダート短距離中距離国内海外地方中央重馬場良馬場と、書き連ねればまるで中国語のようになってしまうくらい、どんな条件でもしっかりと自分の能力だけは出す、たいへんな名馬であった。

その頭角を現したのが、3歳(当時の4歳)の秋であった。
その春にはすでに地方の深いダートで重賞2勝をあげ、中央でも出世レースのユニコーンステークスを勝ち、賞金十分で臨んだマイルチャンピオンシップであった。

このときアグネスデジタルは13番人気。
まったくのノーマークであった。
しかし名手・的場騎手を背にしたあのときのアグネスデジタルの脚には本当に驚いた。
西日に照らされ明るい栗毛がひときわ輝いて見えたことは言うまでもないが、しかしその馬がいったい何だったのか、最初はまったく見当もつかなかったというのが正直なところである。

多くの人がそう思っていたように、私も当然「ダートホース」であると思い込んでいたのだが、しかし芝のマイラーたちをあっという間に差し切ってしまったあの末脚は、まさに鳥肌ものだった。

これがアグネスデジタルにとって最初のGI勝利となる。
しかし、アグネスデジタルのその後のGIレースのひとコマずつをここに書き連ねるわけには、残念ながらいかない。
なぜなら、そんなことをしていたらいくらスペースがあっても足りないからである。

結果だけ言えば、次の通りである。(現行年齢表記)
3歳・・・マイルCS(レコード)
4歳・・・マイルCS南部杯(岩手)、天皇賞・秋、香港カップ(シャティン)
5歳・・・フェブラリーステークス
6歳・・・安田記念(レコード)

GI級レース勝利の内訳は、中央芝3(中距離1、マイル2)、中央ダート1、地方1、海外芝1

この中でどうしてもピックアップしたいのが、今週のメインに組まれている天皇賞・秋である。
このとき話題になっていたのが、このときすでに七冠馬となっていたテイエムオペラオーであり、もしかしたらこれを破るかもしれないとささやかれていたのが、芦毛の怪物・クロフネであった。

ところが、である。
日本中の競馬ファンが待ち望んだ「七冠馬VS怪物」の激突は、クロフネの除外により実現しなかったのである。
そして、そのクロフネのための「最後のイス」を奪っていったのが、だれあろう、このアグネスデジタルだったのである。

クロフネは悲しかった。
勝ち負けはともかく、七冠馬に対し全力でぶつかりたかった。
しかし、それは寸手のところで叶わぬ夢と化してしまったのだ。
その怒りのポテンシャルすべてを自らの走りに注いだレースこそ、あの「伝説」のG?V・武蔵野ステークスだったのである・・・

そして迎えた天皇賞・秋、ダートの舞台から久々に「重」のターフに立ったもう1頭の天才・アグネスデジタルが、皇帝・シンボリルドルフ超えの「8冠」のタイトルを目指したテイエムオペラオーの「夢」をも、完膚なきまでに打ち砕いたのである。
あれはまさに、テイエムオペラオーにとっては本当に信じられないような「惨敗」であった。

クロフネのファンとテイエムオペラオーのファンからすると、このアグネスデジタルという馬は本物の悪魔以上の存在だったに違いない。
しかし、アグネスデジタル自身はいつもどこか飄々としていて、本当に淡々とした名馬であった。

もしその話を懐かしもうとしても、きっとアグネスデジタルのことだ、自らが作ったとてつもない伝説さえ、「ああ、あれね・・・」などと鼻歌混じりの生返事をよこすに違いない。
だって、それこそがアグネスデジタルの魅力なのだから。

アグネスデジタルは現在15歳、まだまだ元気に「伝説2世」を輩出せんと「職務」に励んでいる。


歴史を築いた牝馬たち〜Fine Horses’ Footage

さて、いよいよ明日はジャパンカップの大舞台である。
もちろん日本の三冠馬にして凱旋門賞で世界の度肝を抜いたオルフェーヴルが最大の注目であることは間違いないが、忘れてならないのが「もう1頭の三冠馬」である牝馬ジェンティルドンナだ。

まさかこの馬が2番人気(11月23日現在)に支持されるとは想像もしていなかったが、しかしオルフェーヴルと互角以上にやれるはずだという確信に満ちたファンの評価であると言っていいだろう。

そして実際、過去に牝馬の活躍が目覚ましかったというのも、このJCが刻んできた歴史である。
そもそも第1回JCの勝ち馬であるメアジードーツからして、確か牝馬であったと記憶している。
何回だったか覚えていないが、やはり早い時期のスタネーラという勝ち馬も牝馬だったか。

そこで、これまで錚々たる名牝がこのレースの主役、あるいは準主役に輝いた年、その「ヒロイン」たちに今回はスポットを当ててみたいと思う。
すべて私のかなりいい加減な記憶だけに頼っているから、おそらく全馬を網羅することはできないだろうが、簡単なプロフィール紹介のような形で懐かしい思い出に触れてみたいと思う。

・ホーリックス
ニュージーランド産の芦毛の牝馬だった。
あのオグリキャップとの死闘を演じたJCだった。
勝ち時計の2分22秒2というのは当時の世界レコードであり、おそらく日本の競馬ファンの多くの度肝を抜いた怪物牝馬として現在なお語り継がれる名牝である。

JCはスーパークリークとオグリキャップの2頭が人気していて、確かベテラン牝馬のホーリックスはまったくの伏兵だったと記憶している。
実はまだ私が競馬などまったく知らないころのことだったのだが、何度となく映像を見たため、もう私の中ではすっかりおなじみの名牝である。

残念ながら数年前この世を去ったが、競走馬として大成功し、繁殖としても大成功したという、牝馬の鏡のような名馬であった。
確か、オグリがこの世を去った直後に後を追うようにして逝ってしまったんだよなぁ・・・


・マジックナイト
これはよく覚えている。
ホーリックスやメジロマックイーンと同じ、「かなり黒い芦毛」だったゴールデンフェザントが、マックイーンを並ぶ間もなく差し切って優勝したあのときのJCの2着馬が、フランス牝馬のマジックナイトであった。

確かこの馬は凱旋門賞でも2着していたスーパー牝馬で、JCでも人気していたはず。
すごく小さな牝馬だった記憶がある。
しかし追い込んでくる脚は、確かに勝ったゴールデンフェザントの末も強烈だったが、このマジックナイトも信じられないような強烈な末脚だった。

繁殖としては、あのマグナーテンのお母さんとして日本でもすっかりおなじみである。


・ヒシアマゾン
マイケル=ロバーツのランドが圧勝した年であると同時に、ゴール前に陣取っていた私の目の前で、四冠馬のナリタブライアンが馬群に沈んでいくという悲しくショッキングなシーンを目の当たりにした、あの年のJCの2着馬である。

この馬も本当に距離を問わない、素晴らしい馬体の牝馬だった。
黒々として、威圧感がハンパない牝馬だったが、しかし非常におとなしく、こんなに利口なお馬さんがいるのだろうかというくらい、本当に人のいうことをよく聞いた、えらいお馬さんだった。

ファンの多くは、G?T勝利やJC、有馬記念の2着よりも、スプリント戦のクリスタルカップの信じられないような追い込みのほうが記憶に残っているかもしれない。


・ファビラスラフイン
私の競馬の常識をあらゆる意味で覆してくれた、私にとっては最大級の名牝である。
これもホーリックスやゴールデンフェザントやメジロマックイーンらと同じ、「黒い芦毛」だった。
しかし現在では驚くほど真っ白になっている。

後にドバイワールドカップなどG?Tを勝ちまくったシングスピールと激しい叩きあいの末、今では考えられないくらい時計のかかる馬場で、2分23秒8の高速決着を、世界のシングスピール、そして世界のフランキー=デットーリと叩き合ったゴール前、あれは本当にしびれたなぁ・・・

馬券も、今思い出してみても「すごい金額」を学生の私にもたらしてくれた、本当にうれしいJCであった。

繁殖としては、今年の阪神大賞典でオルフェーヴルを破ったギュスターヴクライをようやく輩出したが、しかし残念なことに、先日のアルゼンチン共和国杯で足を痛め、そのまま引退ということになってしまった。

しかしまだまだ現役のお母さんであるファビラスラフイン、この後必ず「大物」を輩出してくれるはずである。


・エアグルーヴ
ピルサドスキーやエルコンドルパサーという、国内外の「名馬中の名馬」であった男馬の2着に敗れ、ついにJCのタイトルを手にすることはなかったが、しかしやはり負けた2回はエアグルーヴにとってはあまりにも不運であったとしか言いようがない。

エアグルーヴ自身はおそらく従来のベストをはるかにしのぐくらいの素晴らしいパフォーマンスだったのだから。

エルコンドルパサーに敗れたときは、しかしあの強い3歳世代の大将格であったスペシャルウィークは最後の最後まで抜かせなかったのだから、あのときは何か、敗れながらもエアグルーヴの意地を見たような気がしたものだ。

繁殖としはもうご存知のとおり、大成功の牝馬であり、次なる大物輩出に向け、まだまだ元気なお母さんである。


・ウオッカ
近年での名勝負ではやはりウオッカだろう。
菊花賞馬のオウケンブルースリと鼻差の大接戦、しかも、勝ち時計はなんと2分22秒4という驚くべき時計だった。

前年の天皇賞・秋でダイワスカーレットと叩きあったときもそうだが、最後の最後まで絶対に勝負を捨てない根性こそ、このウオッカという牝馬の代名詞であった。

待望のファーストクロップが間もなくデビューである。
これは楽しみだ!


・ブエナビスタ
どうしても勝たなければならないJCだった。
前年の降着では、ほとんど完璧なパフォーマンスで先頭ゴールを果たしながらも、JCホースの称号だけは手に入れることができなかった。

だからこそ、翌年はブエナビスタにとってはどうしても負けられないJCで、自分の持てる力すべてを出し尽くしたかのような、そんな素晴らしいパフォーマンスだった。

身体に恵まれたとは言えないが、自分の仕事だけは確実にこなす、本当にえらい牝馬だった。
さて、今度は繁殖として、どんな活躍を見せてくれるのか、これも楽しみでならない。


という具合に、駆け足で振り返ってみたが、オールドファンの方は懐かしく思い出していただけるのではないかと思う。

さて、いよいよ明日に迫ったJCで、今年の牝馬は果たしてどんな走りを披露してくれるのだろうか。



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