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かあちゃん、あついなぁ・・・

メジロマックイーンの菊花賞がきっかけで競馬をスタートした。競馬にのめり込ませてもらったのも、強い馬の意味のようなものを教えてもらったのもメジロマックイーンだった。だからマックイーン抜きに、私と競馬のかかわりを語ることはできない。

オルフェーヴルに注目したのは、父や祖父と同じく種牡馬として「失格」の烙印を押されたメジロマックイーンの孫だったから。それは間違いない。でも私がオルフェーヴルのファンである理由の本質は、マックイーンとはまた別のところにあると思っている——私がオルフェーヴルこころを奪われたのは、オルフェーヴルが天才だったからだ。

今回ブログを書こうかどうしようか迷っていたのだが、知らぬ顔で大阪杯やダ卿CTの予想をするのも気持ちが悪い。だから、やっぱり書くことにする。

音楽の世界ではベートーベンやビートルズ、あぶらだこ。小説家では安部公房。そしてオルフェーヴル。私がこころを奪われ続けた人々と馬は、みんな天才だった。私は天才が好きなのだ。芸能の世界でも、この人は天才だと思っていた人がいた。亡くなった萩原健一さんである。

その波乱万丈の生涯や、役者、あるいはミュージシャンとしての力量については私が今さら語ることもない。というか、役者やミュージシャンの力量を判断できるほど私は「芸」のことを知らない。むしろ私ほど知らない人間はいないというくらい、その方面には疎い。ではなぜ萩原さんが天才であると断言できるのかーー理由がある。

萩原健一の話題に触れるとき、必ず「ショーケンとして親しまれた」の枕がつくけれど、ほんとうだろうか?私はそう感じたことがあまり多くないのだ。

もちろん萩原健一という役者やミュージシャンのことはよく知っていた。ショーケンさんのこともよく知っていた。ふたりが同一人物であることも知っていた。ジュリーといえば沢田研二。狐狸庵といえば遠藤周作。キムタクといえば木村拓哉・・・当然だ。

確かに、ショーケンといえば萩原健一ではあった。でも私からみれば、それは「当然」ではなかったのだ。萩原健一とショーケンが同一人物であると知りながら、どこか別人格を持った者同士であったような錯覚に陥ることも珍しくなかった。

ショーケンといえば「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事。今だから素直にそう思う。でも私が小学生のころ、夕方再放送で放映されていた「太陽」をはじめてみたときには、そんな認識はもちろんなかった。でも、マカロニ刑事は無条件にカッコよく、刺殺されたシーンはほんとうにショックだった。

寺田辰弥(八つ墓村)にしろ、寺田課長(課長サンの厄年)にしろ、その人物像はあまりにも鮮明なインパクトを与えた。でも何より、マカロニと辰弥さんと寺田課長が同一人物であると知り、それが萩原健一であり、ショーケンでもあると知ったときの衝撃は計り知れないほど大きなものだったのだ。

マカロニ刑事のようなヒーローだけでなく、サブちゃん(前略おふくろ様)のような煮え切らない青年も、誰もやりたがらないような実在した極悪人も、上司と部下と家庭との抜き差しならぬ板挟みの哀愁漂う課長サンも、歴史上の著名人も、迫力ある極道も、コミカルなCMも、なんでもこなし、それぞれが個性を持っていた。しかしその個性は決して萩原健一やショーケンとしての個性ではなく、それぞれの登場人物が新たな生を受けた結果生じる個性であった。

日本が世界に誇る俳優といえば、近年では松田優作(故人)や役所広司、渡辺謙あたりがそれにあたると思う。でも私が見る限り、彼らはどんな役でも松田優作であり、役所広司であり、渡辺謙であり続けた。役者=登場人物という完ぺきな等式がいつでも成り立っていた。しかし萩原健一は違った。萩原健一は常に萩原健一を殺し続け、ショーケンであることを否定し続けた。

それはミュージシャンとしても同じだった。というか、ミュージシャンとしてのショーケンは、単に歌を歌うのではなく、ひとりのミュージシャンを演じているように、私には感じられた。

萩原健一さんは亡くなった。奥様の話では、眠るように、静かに逝ったとのこと。マカロニのように「かあちゃん、あついなぁ・・・」とは、やっぱり言わなかったのだろう。

残念ではあるけれど、なぜか寂しい感じ、悲しい感じはしない。なんだか不思議な気持ちである。

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