2018年10月08日
クリンチャーと武豊騎手着外・湧き出す疑問〜第97回凱旋門賞観戦記
今年も最高峰レース凱旋門賞が行われ、無事全馬ゴールという最低限の結果を持って終了した。そして今年もまた日本馬が出走し、今年は久しぶりとなったロンシャンで行われた凱旋門賞だった。
注目は馬場かな・・・と思っていた。世界的に見て、どんどん時計が速くなってきているから、日本では考えられないくらいタフなコンディションとなることが多いロンシャンも、今年は時計が速くなるのではないか・・・そんな予感はあった。もちろん一昨年シャンティイで行われた高速決着の凱旋門賞(勝ち馬はファウンド)の衝撃も、残像というにはあまりに強烈すぎた影響もある。
夕べは地上波で凱旋門賞を観戦していて、武騎手が「(自分が経験した)過去のロンシャンでは一番軽い馬場」と表現した馬場状態が紹介されていた。やっぱりねーという感じである。結果的に、この判断が馬券では正解だった。もうひとつ。エネイブルを頭で買えたことも正解だった。
私が馬券を買ったとき、クリンチャーは前日の「5番人気」の想定を覆す「2番人気」の評価を受けていた。はっきりいって、もうクリンチャーの馬券を買いたい意欲は霧消した。私はクリンチャーを応援するためではなく、金もうけしたいからリスクを冒してクリンチャーを本命にしたのだ。もうリスクを冒す価値はなかった。可能性が薄い2番人気のクリンチャーを買うなら、可能性が高い1番人気のエネイブルを買ったほうがマシ・・・率直に、そう思った。その意味では「武豊を応援する」というスタンスの日本人馬券購入者にも感謝しなければならないのかもしれない。
武騎手は日本を代表するトップジョッキーである。今更何をいうかと思うかもしれないが、トップというのは孤高の存在で、私たち凡庸な人間がふつうは考えない考え方でレースに臨む。そして常にベストを尽くす。昨日も武騎手はベストを尽くした。これは間違いない。だから武騎手を責めることはできない。
私のレース結果の、クリンチャーの結果の見解は、テレビでわかりやすい解説をしてくれた岡部幸雄元ジョッキーとほぼ同じ。エネイブルと、大外からあんなに早く仕掛けられても最後まで伸び切ったシーオブクラスの能力が傑出していた・・・それだけのこと。誰が見ても明らかである。
クリンチャーは連覇を果たしたエネイブルと道中同じ位置にいながら直線でズルズルと後退していった。だから、クリンチャーの大敗の理由は、エネイブルとは能力がまったく違ったから・・・この解釈も、岡部さんだけでなく、誰が見ても、もちろん私自身もそう思う。それ以外ない。
武騎手は、クリンチャーを勝たせるために絶好の位置で理想的な、まったくロスのない完ぺきな競馬をした。ベストの騎乗であった。やっぱり誰が見てもそうだ。クリンチャーの力では、とてもではないけれどエネイブルなど強豪を負かすことはできなかった。
ただ問題は——
そんなこと、フォワ賞の結果を見りゃ誰だって知っている
ということだ。誰だって知っているのに、武騎手は知らなかったのだろうか・・・ここが、私が一番引っ掛かるところである。というか、昨日の予想のところでも書いたとおり、レース前から「ここ」を懸念していた。残念ながら、昨日はそういう競馬になってしまった。
いや、武騎手が責められるべき点は皆無。完ぺきに乗った結果である。ただ私がいいたいことは、誰だってわかっているほど歴然の力の開きがあるのに、武騎手は真っ向勝負でどうやったらあんな化け物じみた強豪に勝てると考えたのだろうか?ということである。これが私にとって素朴な疑問なのだ。まさか「どう転んでも勝てるわけねえよ」とは思っていないはずですよね?
結果的に馬券が当たったのはよかったが、武騎手はきっとああいうふうに乗るんだろうなぁ・・・という(私にとって)悪い予感まで的中してしまった。あれはデジャヴだ。もしかしたら、「1番人気でビッグレースを勝つこと」を美学とする武騎手には、どう頑張っても昨日のクリンチャーで勝つことはできなかったのかもしれない。
私が武騎手のスタンスに疑問(というか、私たち凡人との差)を痛感したのが、ハープスター(川田)、ジャスタウェイ(福永)、ゴールドシップ(横山典)が挑んだ凱旋門賞の、豊騎手自身のレース回顧を動画サイトで見たときだ。概要はこんな感じだった。
——日本のトップホース3頭が行くわけだから、どれかは勝つかもしれない、勝っても不思議はないと思っていた。でも正直、いや無理だろう・・・と思った。
豊騎手はそんなことを語っていた。こうも述べていた。
——日本馬が負けたからって、そんなに残念がる必要はないですよ。だって人気の○○だって負けてるじゃないんですか。追加登録料で大金を払って出走した(人気の)××だって全然ダメじゃないですか。だからそんなに落ち込む必要はない。また挑戦すればいいんですよ。今回負けたからって、また挑戦すればいいんだから、過剰に落ち込む必要はないですよ。
確かにそうだ。実際武騎手はまた挑戦して、また大敗した。きっと「また挑戦すればいい」と思っているだろう。そして挑戦するだろう。彼のいっていることに矛盾はない。
ただ、武騎手は私たちファンの目線でものを語ることはない人なんだな、とも感じた。私はゴールドシップを応援していた。ゴールドシップにとっては最初で最後の凱旋門賞だったから、何がなんでも優勝してほしかった。競走馬のファンというのは、きっとそういうものだと思う。「また挑戦」なんて「ない」のである。
もちろんジョッキーは職業だから、ファンのことなんて考える必要はない。ビジネスである。自分の利益を考えればそれでよいのだ。しかし当時の凱旋門賞は、日本で馬券を購入することはできなかった。純粋に「応援する」ことを目的として、多くの日本人のファンが声援を送っていたのだ。私もその1人だった。
もし武騎手に「今回絶対クリンチャーに勝たせたい!」という強い気持ちがあったとしたら、それでも昨日のような「エネイブルを見る絶好位」を選択しただろうか?オルフェーヴルだったら納得できる。ディープインパクトでは絶好位からの競馬を実践していた。でも今回はクリンチャーである・・・これが私にとって大きな疑問なのだ。
アンカツ元騎手は武騎手を評して「人気馬を勝たせるのがうまい」としていた。私は「え!?」と思った。だって武騎手はトップジョッキーですよ。そんなことは当たり前じゃないか・・・そう思った。だからアンカツ元騎手は、裏を返せば「人気薄の馬を勝たせる技術がない」と言いたかったのではないか。いや、技術がないはずはない。もしかしたら「人気薄の馬を勝たせようとする意識に乏しい」のではないか、と・・・
アンカツ騎手は、「勝つためには手段を択ばない騎手」だった。現役では横山典騎手、池添騎手、デムーロ、ルメールあたりがそのタイプ。そして下の世代では田辺騎手がそういう評価を受けているようだが、私は丸田騎手だと思う。最近はクリンチャーの元主戦の藤岡兄もいい。もちろん彼らが武騎手より優れているというわけではない。しかし彼らは武騎手が持っていない「何か」を持っているジョッキーなんじゃないの?とは思っている。
日本のトップである武騎手をくさす発言をする競馬ファンはほとんどいない気がする。神格化されたジョッキーゆえ、仕方がないことだ。もちろん過剰な「アンチ武豊」は一定数いる。でも残念ながら彼らの主張は論拠に乏しく感じられてしまうことが多い。なぜなら、武騎手ほど論理的にものを考え、語るホースマンは他にいないからだ。アンチがくさせばくさすほど、自らの首をしめているようなところがいつもある。
ただ、「何が何でも勝つ」という意識は、セオリーもロジックも度外視しなければ手に入らない考え方の1つの方向性なのではないか・・・そんなふうに感じられた昨日の凱旋門賞であった。
ちなみに私は「アンチ武豊」ではない。アンチではないから別にくさしているつもりもない。ただ、ほんとうに素朴な疑問として感じられたので、こうしてちょっと書いてみた。
さて、これから京都大賞典と、例年は買わない南部杯も予想して、ちょっと手を出してみようかと思う。ほんのちょっとだけど凱旋門賞で利益が出たから、今週はイレギュラーな買い方ができるうれしい週のはじまりである。
注目は馬場かな・・・と思っていた。世界的に見て、どんどん時計が速くなってきているから、日本では考えられないくらいタフなコンディションとなることが多いロンシャンも、今年は時計が速くなるのではないか・・・そんな予感はあった。もちろん一昨年シャンティイで行われた高速決着の凱旋門賞(勝ち馬はファウンド)の衝撃も、残像というにはあまりに強烈すぎた影響もある。
夕べは地上波で凱旋門賞を観戦していて、武騎手が「(自分が経験した)過去のロンシャンでは一番軽い馬場」と表現した馬場状態が紹介されていた。やっぱりねーという感じである。結果的に、この判断が馬券では正解だった。もうひとつ。エネイブルを頭で買えたことも正解だった。
私が馬券を買ったとき、クリンチャーは前日の「5番人気」の想定を覆す「2番人気」の評価を受けていた。はっきりいって、もうクリンチャーの馬券を買いたい意欲は霧消した。私はクリンチャーを応援するためではなく、金もうけしたいからリスクを冒してクリンチャーを本命にしたのだ。もうリスクを冒す価値はなかった。可能性が薄い2番人気のクリンチャーを買うなら、可能性が高い1番人気のエネイブルを買ったほうがマシ・・・率直に、そう思った。その意味では「武豊を応援する」というスタンスの日本人馬券購入者にも感謝しなければならないのかもしれない。
武騎手は日本を代表するトップジョッキーである。今更何をいうかと思うかもしれないが、トップというのは孤高の存在で、私たち凡庸な人間がふつうは考えない考え方でレースに臨む。そして常にベストを尽くす。昨日も武騎手はベストを尽くした。これは間違いない。だから武騎手を責めることはできない。
私のレース結果の、クリンチャーの結果の見解は、テレビでわかりやすい解説をしてくれた岡部幸雄元ジョッキーとほぼ同じ。エネイブルと、大外からあんなに早く仕掛けられても最後まで伸び切ったシーオブクラスの能力が傑出していた・・・それだけのこと。誰が見ても明らかである。
クリンチャーは連覇を果たしたエネイブルと道中同じ位置にいながら直線でズルズルと後退していった。だから、クリンチャーの大敗の理由は、エネイブルとは能力がまったく違ったから・・・この解釈も、岡部さんだけでなく、誰が見ても、もちろん私自身もそう思う。それ以外ない。
武騎手は、クリンチャーを勝たせるために絶好の位置で理想的な、まったくロスのない完ぺきな競馬をした。ベストの騎乗であった。やっぱり誰が見てもそうだ。クリンチャーの力では、とてもではないけれどエネイブルなど強豪を負かすことはできなかった。
ただ問題は——
そんなこと、フォワ賞の結果を見りゃ誰だって知っている
ということだ。誰だって知っているのに、武騎手は知らなかったのだろうか・・・ここが、私が一番引っ掛かるところである。というか、昨日の予想のところでも書いたとおり、レース前から「ここ」を懸念していた。残念ながら、昨日はそういう競馬になってしまった。
いや、武騎手が責められるべき点は皆無。完ぺきに乗った結果である。ただ私がいいたいことは、誰だってわかっているほど歴然の力の開きがあるのに、武騎手は真っ向勝負でどうやったらあんな化け物じみた強豪に勝てると考えたのだろうか?ということである。これが私にとって素朴な疑問なのだ。まさか「どう転んでも勝てるわけねえよ」とは思っていないはずですよね?
結果的に馬券が当たったのはよかったが、武騎手はきっとああいうふうに乗るんだろうなぁ・・・という(私にとって)悪い予感まで的中してしまった。あれはデジャヴだ。もしかしたら、「1番人気でビッグレースを勝つこと」を美学とする武騎手には、どう頑張っても昨日のクリンチャーで勝つことはできなかったのかもしれない。
私が武騎手のスタンスに疑問(というか、私たち凡人との差)を痛感したのが、ハープスター(川田)、ジャスタウェイ(福永)、ゴールドシップ(横山典)が挑んだ凱旋門賞の、豊騎手自身のレース回顧を動画サイトで見たときだ。概要はこんな感じだった。
——日本のトップホース3頭が行くわけだから、どれかは勝つかもしれない、勝っても不思議はないと思っていた。でも正直、いや無理だろう・・・と思った。
豊騎手はそんなことを語っていた。こうも述べていた。
——日本馬が負けたからって、そんなに残念がる必要はないですよ。だって人気の○○だって負けてるじゃないんですか。追加登録料で大金を払って出走した(人気の)××だって全然ダメじゃないですか。だからそんなに落ち込む必要はない。また挑戦すればいいんですよ。今回負けたからって、また挑戦すればいいんだから、過剰に落ち込む必要はないですよ。
確かにそうだ。実際武騎手はまた挑戦して、また大敗した。きっと「また挑戦すればいい」と思っているだろう。そして挑戦するだろう。彼のいっていることに矛盾はない。
ただ、武騎手は私たちファンの目線でものを語ることはない人なんだな、とも感じた。私はゴールドシップを応援していた。ゴールドシップにとっては最初で最後の凱旋門賞だったから、何がなんでも優勝してほしかった。競走馬のファンというのは、きっとそういうものだと思う。「また挑戦」なんて「ない」のである。
もちろんジョッキーは職業だから、ファンのことなんて考える必要はない。ビジネスである。自分の利益を考えればそれでよいのだ。しかし当時の凱旋門賞は、日本で馬券を購入することはできなかった。純粋に「応援する」ことを目的として、多くの日本人のファンが声援を送っていたのだ。私もその1人だった。
もし武騎手に「今回絶対クリンチャーに勝たせたい!」という強い気持ちがあったとしたら、それでも昨日のような「エネイブルを見る絶好位」を選択しただろうか?オルフェーヴルだったら納得できる。ディープインパクトでは絶好位からの競馬を実践していた。でも今回はクリンチャーである・・・これが私にとって大きな疑問なのだ。
アンカツ元騎手は武騎手を評して「人気馬を勝たせるのがうまい」としていた。私は「え!?」と思った。だって武騎手はトップジョッキーですよ。そんなことは当たり前じゃないか・・・そう思った。だからアンカツ元騎手は、裏を返せば「人気薄の馬を勝たせる技術がない」と言いたかったのではないか。いや、技術がないはずはない。もしかしたら「人気薄の馬を勝たせようとする意識に乏しい」のではないか、と・・・
アンカツ騎手は、「勝つためには手段を択ばない騎手」だった。現役では横山典騎手、池添騎手、デムーロ、ルメールあたりがそのタイプ。そして下の世代では田辺騎手がそういう評価を受けているようだが、私は丸田騎手だと思う。最近はクリンチャーの元主戦の藤岡兄もいい。もちろん彼らが武騎手より優れているというわけではない。しかし彼らは武騎手が持っていない「何か」を持っているジョッキーなんじゃないの?とは思っている。
日本のトップである武騎手をくさす発言をする競馬ファンはほとんどいない気がする。神格化されたジョッキーゆえ、仕方がないことだ。もちろん過剰な「アンチ武豊」は一定数いる。でも残念ながら彼らの主張は論拠に乏しく感じられてしまうことが多い。なぜなら、武騎手ほど論理的にものを考え、語るホースマンは他にいないからだ。アンチがくさせばくさすほど、自らの首をしめているようなところがいつもある。
ただ、「何が何でも勝つ」という意識は、セオリーもロジックも度外視しなければ手に入らない考え方の1つの方向性なのではないか・・・そんなふうに感じられた昨日の凱旋門賞であった。
ちなみに私は「アンチ武豊」ではない。アンチではないから別にくさしているつもりもない。ただ、ほんとうに素朴な疑問として感じられたので、こうしてちょっと書いてみた。
さて、これから京都大賞典と、例年は買わない南部杯も予想して、ちょっと手を出してみようかと思う。ほんのちょっとだけど凱旋門賞で利益が出たから、今週はイレギュラーな買い方ができるうれしい週のはじまりである。