2012年11月28日
第にヤ!
こんな夢を見た。
灰色の細長い煙突のような山の頂上から、噴煙が緩やかに噴きあげていた。
薄紫の空に、不思議と保護色にはならない薄紫色の雲がたなびいていた。
どうして空や雲がそんな色をしているのかはわからなかった。
もしかしたら、噴煙が空や雲にそういう色をつけたのかもしれない。
目の前には大きな川が流れていた。
ひどく直線的な川だ。
水音はほとんどしないくらいに静かな流れだった。
しかしおそらく相当の水量が相当の速さで流れているだろうという想像は容易についた。
ぼくは河原にたっていた。
角がとれた大小の玉石状の石が無数に広がっていた。
空のせいか、あるいは噴煙のせいか、それとも別の何かが作用しているのかはわからなかったが、川の水は黒に近いくらいに濃い紫色だった。
でもそのくせ、妙に透明度が高い水だった。
残念ながら、光の加減で川の底のほうまでは見ることができなかった。
いや、あるいはぼくが想像している以上に底が深いのかもしれない。
この透明度なら川の底を見ることがでると思って川に近づこうとしたけれど、妙な威圧感を発し続ける流れがぼくの次の一歩をかたくなに拒む。
どうしてぼくがこの河原にいて、川やその向こうの細長い山を見ているのかわからなかった。
ただぼくはそこに立っていた。
周りには森があり、民家はまったくなかった。
このままこの場にいてもいいような気がしたけれど、ここにいても仕方がないような気もした。
かといって、このあとぼくはどうすればいいのかわからなかった。
そもそも、どうやらぼくには帰る家がなさそうだし、仮にそういうものがあったとしても、少なくともぼくの家はこの近辺ではなさそうな気がした。
背後で石が転がる音がした。
振り向くと、そこには見知らぬ女が立っていた。
ぼくのすぐ背後に立っているのに、まるでぼくなんかその目の前にいないかのように、川の向こうをじっと見ていた。
ぼくはとても困った。
それはそうだ。
見ず知らずの山と見ず知らずの川があって見ず知らずの女が近くにいるのだ。
この後どうすべきか判断できるほどぼくは頭が良くないのだ。
女はただ無表情に前方の——つまりはぼくの後方の——風景を見つめていた。
いたたまれなくなったぼくは、何でもいいから声をかけようと口を開きかけたとき、女が何かことばを発した。
——?
ぼくがちょうど足元のバランスを失って玉石を転がした音と、女のやや低い声とが完全に重なりあった。
しかし女は相変わらずぼくのほうなんて一切見ずに、おそらく遠くのほうを見つめていた。
仕方がないので、ぼくもしばらく女の顔を見つめることにした。
ぼくは足元のバランスを保つために身じろぎをしてみた。
その間も女の顔から目をそらさないでいたのに、どの角度から女の瞳を覗きこんでも、不思議とぼくの視線の先は女の視線の焦点をとらえることができないような気がした。
からくりがわかっている「だまし絵」にいつまでも騙され続けているような不安が、ぼくに執拗にまとわりつこうとしていた。
仕方がない、そういうこともあるのだと無理やり悟ろうとしたとき、女が再び口を開いた。
——川を・・・
——川?
——川を・・・渡っていただけませんか?
「川」が何を指しているのか、川を渡るというのがどういう行為であるかはもちろん理解できたが、結局女が何を言いたいのかぼくにはまったくわからなかった。
——川を渡っていただけませんか?
女が再び口を開く。
どうしてそんなことがわからないのかと、少しいらだったような、しかしどこか切実な口調だった。
おかげでぼくは少しだけ落ち着きを取り戻すことができた。
——川を渡る、というのは、つまりぼくがこの川を泳ぐかどうかして向こうまで渡る、ということですか?
——はい
——でも、この川、かなり流れも速いし、水もきれいかどうかわからないし、そもそもぼくは泳ぐのが苦手で・・・
——申し訳ないと思います、でも、どうしても渡っていただきたいのです
——なぜ?
——渡っていただければわかります。どうか、お願いですから川を渡ってください
そして初めて女の視線とぼくの視線とがぶつかりあった。
無表情で、どこにでもいそうなぼくと同年代の女だった。
ぼくはまた落ち着かない気持ちになってきた。
このとき本能的に、この女にはかかわらないほうがいいことを感じとった。
しかし、ぼくを見つめる平板な視線は、不思議な悲しみをぼくに伝えた。
やめろ、かかわるな、もう女を見ずに今すぐここを立ち去るのだ・・・
そういう誰かの声にひどく納得しながら、でもきっとそれはぼくにはできないということを理解していた。
——どこかに・・・橋のようなものはないですか? ぼくにはこんな川はとてもではないけれど向こう岸まで泳ぎきることなんてできませんよ・・・こう見えて、泳ぎはまったく・・・本当にダメなんですよ。それに、水が・・・
ぼくは少し冗談めかして言ったが、女がすぐに遮る。
冗談が嫌いなのだろうか?
——橋はありません。水はきれいです、心配ありません。泳いで、渡ってくださいますか?
——でも・・・
——大丈夫です。この川は誰でも泳げる川です。流れは早く見えるでしょうけれど、心配ありません。
だったら、どうして自分で渡ろうとしないのだろう?
そう訊いてみればそれで済むことなのかもしれないのに、ぼくはなぜか逡巡した。
するとそれを見透かしているかのように、私はこの川を渡るわけにはいかないのです、と女は言った。
黒い何者かの影が猛スピードでぼくと女とを隔てた空間を切り裂いて消えた。
きっと鳥か何かがぼくらの上空を通りすぎて行ったのだろう。
渡ろう、と思った。
きっと何かがあるのだ。
そこまでしてぼくがこの川を渡らなければならないほどの理由が、必ず何かあるのだ。
ぼくは、その「何か」を知りたいと思った。
川の向こうまで泳ぎきることができれば、ぼくはその「何か」を知ることができる。
行こう、とぼくは思った。
灰色の細長い煙突のような山の頂上から、噴煙が緩やかに噴きあげていた。
薄紫の空に、不思議と保護色にはならない薄紫色の雲がたなびいていた。
どうして空や雲がそんな色をしているのかはわからなかった。
もしかしたら、噴煙が空や雲にそういう色をつけたのかもしれない。
目の前には大きな川が流れていた。
ひどく直線的な川だ。
水音はほとんどしないくらいに静かな流れだった。
しかしおそらく相当の水量が相当の速さで流れているだろうという想像は容易についた。
ぼくは河原にたっていた。
角がとれた大小の玉石状の石が無数に広がっていた。
空のせいか、あるいは噴煙のせいか、それとも別の何かが作用しているのかはわからなかったが、川の水は黒に近いくらいに濃い紫色だった。
でもそのくせ、妙に透明度が高い水だった。
残念ながら、光の加減で川の底のほうまでは見ることができなかった。
いや、あるいはぼくが想像している以上に底が深いのかもしれない。
この透明度なら川の底を見ることがでると思って川に近づこうとしたけれど、妙な威圧感を発し続ける流れがぼくの次の一歩をかたくなに拒む。
どうしてぼくがこの河原にいて、川やその向こうの細長い山を見ているのかわからなかった。
ただぼくはそこに立っていた。
周りには森があり、民家はまったくなかった。
このままこの場にいてもいいような気がしたけれど、ここにいても仕方がないような気もした。
かといって、このあとぼくはどうすればいいのかわからなかった。
そもそも、どうやらぼくには帰る家がなさそうだし、仮にそういうものがあったとしても、少なくともぼくの家はこの近辺ではなさそうな気がした。
背後で石が転がる音がした。
振り向くと、そこには見知らぬ女が立っていた。
ぼくのすぐ背後に立っているのに、まるでぼくなんかその目の前にいないかのように、川の向こうをじっと見ていた。
ぼくはとても困った。
それはそうだ。
見ず知らずの山と見ず知らずの川があって見ず知らずの女が近くにいるのだ。
この後どうすべきか判断できるほどぼくは頭が良くないのだ。
女はただ無表情に前方の——つまりはぼくの後方の——風景を見つめていた。
いたたまれなくなったぼくは、何でもいいから声をかけようと口を開きかけたとき、女が何かことばを発した。
——?
ぼくがちょうど足元のバランスを失って玉石を転がした音と、女のやや低い声とが完全に重なりあった。
しかし女は相変わらずぼくのほうなんて一切見ずに、おそらく遠くのほうを見つめていた。
仕方がないので、ぼくもしばらく女の顔を見つめることにした。
ぼくは足元のバランスを保つために身じろぎをしてみた。
その間も女の顔から目をそらさないでいたのに、どの角度から女の瞳を覗きこんでも、不思議とぼくの視線の先は女の視線の焦点をとらえることができないような気がした。
からくりがわかっている「だまし絵」にいつまでも騙され続けているような不安が、ぼくに執拗にまとわりつこうとしていた。
仕方がない、そういうこともあるのだと無理やり悟ろうとしたとき、女が再び口を開いた。
——川を・・・
——川?
——川を・・・渡っていただけませんか?
「川」が何を指しているのか、川を渡るというのがどういう行為であるかはもちろん理解できたが、結局女が何を言いたいのかぼくにはまったくわからなかった。
——川を渡っていただけませんか?
女が再び口を開く。
どうしてそんなことがわからないのかと、少しいらだったような、しかしどこか切実な口調だった。
おかげでぼくは少しだけ落ち着きを取り戻すことができた。
——川を渡る、というのは、つまりぼくがこの川を泳ぐかどうかして向こうまで渡る、ということですか?
——はい
——でも、この川、かなり流れも速いし、水もきれいかどうかわからないし、そもそもぼくは泳ぐのが苦手で・・・
——申し訳ないと思います、でも、どうしても渡っていただきたいのです
——なぜ?
——渡っていただければわかります。どうか、お願いですから川を渡ってください
そして初めて女の視線とぼくの視線とがぶつかりあった。
無表情で、どこにでもいそうなぼくと同年代の女だった。
ぼくはまた落ち着かない気持ちになってきた。
このとき本能的に、この女にはかかわらないほうがいいことを感じとった。
しかし、ぼくを見つめる平板な視線は、不思議な悲しみをぼくに伝えた。
やめろ、かかわるな、もう女を見ずに今すぐここを立ち去るのだ・・・
そういう誰かの声にひどく納得しながら、でもきっとそれはぼくにはできないということを理解していた。
——どこかに・・・橋のようなものはないですか? ぼくにはこんな川はとてもではないけれど向こう岸まで泳ぎきることなんてできませんよ・・・こう見えて、泳ぎはまったく・・・本当にダメなんですよ。それに、水が・・・
ぼくは少し冗談めかして言ったが、女がすぐに遮る。
冗談が嫌いなのだろうか?
——橋はありません。水はきれいです、心配ありません。泳いで、渡ってくださいますか?
——でも・・・
——大丈夫です。この川は誰でも泳げる川です。流れは早く見えるでしょうけれど、心配ありません。
だったら、どうして自分で渡ろうとしないのだろう?
そう訊いてみればそれで済むことなのかもしれないのに、ぼくはなぜか逡巡した。
するとそれを見透かしているかのように、私はこの川を渡るわけにはいかないのです、と女は言った。
黒い何者かの影が猛スピードでぼくと女とを隔てた空間を切り裂いて消えた。
きっと鳥か何かがぼくらの上空を通りすぎて行ったのだろう。
渡ろう、と思った。
きっと何かがあるのだ。
そこまでしてぼくがこの川を渡らなければならないほどの理由が、必ず何かあるのだ。
ぼくは、その「何か」を知りたいと思った。
川の向こうまで泳ぎきることができれば、ぼくはその「何か」を知ることができる。
行こう、とぼくは思った。
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