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#4

その後女はときどき河原に現れないことがあった。
その間隔が徐々に詰まってきたような気がした。
でも、2日以上連続してやってこないということはなかった。
そして、気がつくといつしか女の髪には白いものが目に付くようになっていた。

川は、ぼくに苦しみを与えるために流れを作っているように感じた。
でも不思議なことに、そんな苦しみの集合体のような大量の水が、ほんの少しだけ優しい存在でもあったような気がするのだ。

すると、ぼく自身も不思議と優しい気持ちになることができた。
——女を死なせるわけにはいかない
ぼくはそう強く念じた。
だからぼくは最後まで頑張ることができた。


ある日、女は言った。
——もう、川を渡っていただかなくても大丈夫ですよ、今までありがとう
——どうしてですか?
——どうして? 理由はないの。でも、とにかくもう私は平気なんです。今まで本当にありがとうございました。

ぼくは川を渡りたいと言った。
あなたにまたあの植物を食べてほしいと言った。
自分でも、どうしてあんなに苦しい思いをしてまで川を渡りたいのかわからなかった。
すると女は、少しだけ悲しそうに表情を曇らせ、今日はお別れを言いに来ましたと、小さな声で言った。

女は丸い、きれいな石をぼくに渡した。
今までのお礼です。こんなことくらいしか私にはできないけれど、受け取ってくださいと、女はそう言った。

女に、それにこのぼくに、いったいどういう理由があるのか知らないが、ぼくは無性に川を渡りたかった。
はじめは理由なんてなかったけれど、いつしかぼくは女のために河原に立つようになっていた。
川を渡らなければ、ぼくが生きていけないのだと、このとき思った。
だからぼくは彼女に口づけをせがんだ。
でも彼女は、もうそれはできないのと悲しげに言った。

ぼくは女に背を向け、川に近づいた。
女は言った。
あなたはもう、その川を渡ることはできない、渡りたいのかもしれないけれど、あなたにはもうその川を渡ることはできないの、どうか、わかってください、と。

女は必死に懇願した。
でも、ぼくは川に入った。
やめて!と、そう叫んだ声が耳に届いた気がした。
この世のものとは思えない水の冷たさと、悪意さえ覚えるほどの流れを初めて感じた。
水は強烈に冷たく、そしてぼくの足に無数の見えない手が川の底に向かって力を加えた。

どんなに努力しても、もう流れに「優しさ」を感じることはできなかった。
流れはただ無機質な傲慢をひたすらぼくに叩きつけていた。
ぼくは、川は渡りきることができないと直感した。
しかしもう戻ることもできない。
水の流れは恐ろしく激しく、かたくなだった。

今までほんの少しだけ感じることができた「水の優しさ」は、もうまったく感じることができなかった。
水は、ただたけり狂ったようにぼくの自由を奪った。
身体の自由も、そして心の自由も、何もかもをぼくから奪おうとしているようだった。
それに、ポケットにねじ込んでいた女が差し向けた丸い石が、必要以上に重くぼくの身体を沈めようとしていた。

ぼくは溺れた。
意識が薄れていくのが自分でもよくわかった。
ぼくは、ぼく自身の死の予感をうっすらと受け入れた。
これまでも十分命がけだったけれど、今度ばかりはもうそのレベルをはるかに超越していた。

女が植物を食べるためにぼくを頼っていた。
それは間違いなかった。
でも、ぼくにとっては女に頼られていることが重要だった。
思えば、今までだれかに頼られたことなんて一度もなかったような気がした。
そう考えると、小さく切り刻まれて見えなくなってしまったほうがよっぽどマシなくらい孤独な人生だった。

まったく見ず知らずの人間に頼られることが、ぼくを孤独から解放してくれる唯一の道だった。
そして実は、女がぼくは頼っていたのではなく、ぼくが女を頼っていたことを知った。
それがわかると、もうがんばろうという気持ちはだんだん小さくなっていった。
ぼくはもうなすがままに身をゆだねた。

思ったほど苦しくはなかった。むしろ心地よかった。
溺れているという物理的な苦しみが、怒りや悲しみ、心の苦しみといったネガティヴなものほんの少しずつ和らげてくれるような、そんな気がした。
そして、ぼくは初めて自分が怒りや悲しみや心の苦しみを背負っていたのだと悟った。

ぼくは、死ぬのだと思った。
でも、それもそんなに悪いことではないと思った。
しかしそれに反して、死にたくない、とも思った。

もっと女と会っていたかった。
もっといろいろな話をしたかった。
一緒に音楽を聞いたり、この河原以外の場所に行ったり、いろいろなことを一緒にしたかった。
口づけもしてほしかった。

でも、それはもうできないのだと思うと、徐々に身体に力が入らなくなっていった。
自分がものすごい勢いで水に流されていることを実感すると、すべてを許してやろうという気持ちになった。


そして、ぼくは、死んだ。


女は川岸の同じ位置に佇んだまま、ちょっとだけ涙を拭いた。
周りの丸石を集めて積み上げ、小さな石塔を作った。
でもそれはきっと、ぼくのための石塔ではなく、女自身のための石塔だったのだ。
それから、石塔に向かって自分の子どもを優しく諌めるような口調でつぶやいた。

どうしてあなたはいってしまったの?
私たちはもうお別れの時間だった。
ただ単にお別れするだけでよかったのに・・・

私は、あなたが必要だった。
でも、今はもうあなたが必要ではなくなったの。
それだけのこと、何も難しいことではなかったのに。
どうしてそれをわかってくれなかったの?

女は少し困ったような顔で、ひとつため息をついた。
そして、女は踵を返した。

女は空を仰いだ。
空はどこまでも青く、その中に白い雲が気まぐれに浮かんでいた。

——私はあれほど言ったのに、どうして勝手に死んでしまったの?・・・でも、もう仕方がないのね。あなたは自分で勝手に消えてしまったのだから・・・

女はその空気を思い切り吸い込み、そしてほっとそれを吐き出した。
そして初めて満ち足りた表情で、まっすぐ前を見て、河原を後にした。
後ろを振り返ることなく、前だけを見て、ただ前に進んだ。

もう二度と、女は河原には現れなかった。
そしてもう二度と、河原のことも植物のことも思い出さなかった。



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