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#2

犬はだいぶやせ衰えていて、とてもちょっと前までと同じ犬とは思えなかったけれど、運命が決定づけられてしまったような喘鳴と、ぼくの顔を見たときの特有の尾の振り方から、なんとか同じ犬であることが判別できた。

猫は活発に飛び跳ねていた。
どこからどういう理由でこの老犬のところに転がり込んできたのかはわからなかったけれど、とにかく猫は何がうれしいのかわからないというくらい、目についたあらゆるものに興味を示していた。

猫は、身体のどこかにバネ仕掛けがしつらえられているのではないかと思われるくらい身軽にはねて弾んだ。
犬はいつものように舌を出しながら、優しい視線を猫に送っていた。

それからというもの、毎日犬と猫にあいさつを交わすようになっていた。
犬は、相変わらず痩せたままだったけれど、一時の最悪を思わせる状況からは脱しているようだった。
ぼくが現れると必ずゆっくりと尾を振り、仔猫を見ながらもやはり尾を盛んに振っていた。
仔猫のほうは相変わらずぼくへの警戒を決して解かなかった。

ある日、猫は犬の背中に懸命によじ登ろうとしていた。
犬はまったく意に介さない風情だったが、猫は背中によじ登ろうと懸命だった。
小さな身体を垂直にして、その四肢で懸命に重力と戦っていた。
痩せゆく犬は、それでも少しずつ元気になっているような気がした。

しかし、日に日に痩せ衰える様を見るのはしのびなかった。
それに反比例するように、仔猫は徐々に成長しているようだった。
不思議なことに、犬は痩せるだけでなく、体高も体長もどんどん小さくなっているようだった。
だいぶ猫らしくなった猫はそれでも、小さくしぼんでしまった犬の背中によじ登ろうと懸命に爪を立てた。
犬は苦しそうな呼吸をしながら、しかしうれしそうにゆっくりと尾を振った。

犬と猫の大小が完全に逆転していた。
おそらく初めて仔猫を見たときのその大きさよりもずっと小さくしぼんでいた。
もう死んでしまえばよいのにと、ぼくは思った。

昔、生まれたばかりの仔猫を殺したという話を聞いたことがある。
生まれたばかりで、まだ目も開かない仔猫を、水を張ったバケツに沈めて殺したのだそうだ。
どういう事情があるのかはわからなかったが、同じ国に住む人間で、しかも物理的にぼくのすぐそばに存在する人間がそんなことを事もなげに言うなんて、この国の終焉はきっとぼくの周りから始まるのではないかと、そんな錯覚にとらわれた。

平和な休日に、静かに眠る手のひらに載るような小さな仔猫は、バケツの中でほんの短い命を強制的に奪われたのだ。
そんな悲劇のような話でも、それを平気で話す人間の心境を思うと、それはほとんど喜劇にも匹敵するほどの異常さと、エピローグのない小説を無理やり読まされてしまったような後味の悪さだけが残る。

その平和な休日に、仔猫がバケツの中で短い生涯を閉じなければならなかったことなど、誰も知りはしない。
平和なんて、それを感じたい人間のはかない願望が作り上げた幻影にしかすぎないのだ。

ぼくは掌に載るほどに縮み薄っぺらに痩せ衰えてしまった犬を、いっそのことひと思いに殺してやりたいと思った。
でも、ぼくにそれはできなかった。
それでも、どうしても殺してやりたいとも思った。
猫が背中に乗ることができない犬なんて、生かしておくべきではないと思った。

すると、にわかに風が強く吹き、薄っぺらになった犬は風に乗って遠くへ運ばれていった。
風に舞う犬を見て、猫はほとんど反射的に飛びかかろうとしていた。
でも、爪を振りかざすよりもわずかに早く、風は犬を猫の元から運び去った。
猫は瞳を大きく見開いて、いつまでもそれを見つめていた。

数日後、ぼくが会社に行くと、君はもう今日で定年だと言われた。
確かに、勤続してもう20年はとうに過ぎていたから、言われてみるとぼくもそんな気がした。
帰り際に、お世話になりましたというと、上司はフン、と鼻を鳴らし、手元の書類に再び視線を落とした。

ぼくよりも年上の上司がまだ定年にならないということは、ぼくの場合本当の意味の定年という処遇ではなかったのだろう。

かえりみち——ぼくにとっての最後のかえりみち。
もう犬のいない例の家に差しかかった。
猫の姿は数日来見えなかった。
おそらくもう猫はこの場所には戻らない——そんな気がした。

家は、急に老けこんだように、ひどく空虚な空気を湛えていた。
家が建ち、人が住み、そこに家としての生命が宿る。
でも、もう家の生命を感じることはできなかった。

ぼくは、さようならと言った。
誰に対して何のためにそう言ったのかはよくわからなかった。
そして、もう二度と目にすることもないその家を通り過ぎた。

ひどく冷たい風に乗って、どこかで犬が吠える声が聞こえた。
それから急に暗く静かな夜が降りてきた。
その夜は、いつまでも続くような気がした。



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