2012年12月13日
第さんヤ!
自宅から25km離れた職場まで、毎日半日かけて歩いて往復した。
仕事の半分かそれ以上が「歩くこと」であるような気がした。
ぼくを知る人はみな、どうしてそんなバカなことをするのだと不思議がっていた。
でも、こればかりは仕方がないのだ。
お前は歩いて通勤しろと、入社したときからずっとそう言われ続けていたからだ。
もしかしたら会社の上司はぼくがまわりの人間からバカにされるように仕向けたのかもしれない。
あるいは、ぼくが本物のバカであると本気で考えていたのかもしれない。
それとも、実は上司のほうが正しくて、ぼくだけが自分はバカではないと信じているだけなのかもしれない。
でも、おかげでぼくは健康そのものだった。
会社に通って間もなく20年になるけれど、風邪だってひいたことがない。
会社は朝の9時半に始まり、夕方の4時半に終わる。
だからぼくは毎朝3時には家を出て、夜10時に帰って風呂に入り、そのまま寝てしまうのだ。
朝食と夕食は歩きながら食べ、ランチタイムなんていう気の利いたものなく、仕事をしながら食べた。
自宅と会社のちょうど中間地点、家から最短ルートの裏道から、いよいよ大通りにぶつかる四つ角のところに古い家があった。
周りの家は「現代風」と言えば聞こえはいいかもしれないが、取るに足らないおもしろみのない家ばかりだった。
その古い家だけが、時の流れに取り残されてしまったようにひっそりと呼吸をしていた。
でも、ぼくはその不思議な空気がとても好きだった。
周りの新しい家にはそうした息遣いがなく、限りなく無機質な空気を気取っていた。
その古い家には独特の雰囲気があった。
そして、その家には1頭の犬がいた。
毛がフサフサした中型の雑種犬だった。
その犬を知ったのは、おそらく最初の出勤日だったはずだ。
最近では珍しく、その犬は放し飼いにされていた。
自由気ままに動くことができるのだから、ある種の宿命を背負わされなければならない多くの飼い犬よりはずっと幸運だったし、少なくとも野良犬よりはずっと幸せだったのではないかと思う。
若いころ——ぼくもその犬も——は、時間的にまだ車の通りが少ない大通りを走って行き来する姿をときおり目にした。
それ以外は、晴れてさえいれば必ず家の門の前で座って日の出を見ていた。
ぼくが犬に「おい」と声をかけると、犬はうれしそうに立ち上がり、フサフサの尾を盛んに振りながらぼくのほうに近寄ろうとしていた。
でもなぜか、門と大通りとの間の、その家のものとも国だか県だかのものとも判断がつかないやや大きなスペースの中の、目に見えないある境界線を越えてこちらまで寄ってくることはなかった。
犬は、自らの可動域をしっかりと把握しているようだった。
ほとんど毎日ぼくらは顔を合わせ、そしてあいさつをかわした。
ぼくがそうだったように、犬も見るからに健康だった。
暑い夏も、寒い冬も、ぼくは仕事を休まず、ほとんど毎日のように犬とあいさつをかわし、犬に見送られながら会社に通った。
来る日も来る日も、ぼくは会社に通った。
会社に通い、仕事をして、家に帰り、風呂に入り、いくばくかの睡眠をむさぼるように眠り、そしてまた会社に向かった。
酒も一切飲まなかったし、ぜいたくな食事も無縁だった。
そんなものはぼくにとってのそもそもの必要から縁遠かった。
さすがに冬は厳しかった。
その厳しさも、勤続年数とともに徐々にましていった。
犬は相変わらず元気だった。
でも、ぼくが声をかけても以前のように立ちあがってぼくを迎え、あいさつをかわすことはしなくなっていた。
手入れをされていないことをあからさまに示す毛玉が末期的な悪性腫瘍のようなにまつわりついたその犬は、ぼくを見とめると座ったまま静かに、しかし十分にうれしそうに尾を振った。
毎日が、電波時計の秒針のように正確な時を刻みながら過ぎていった。
ぼくもその年月の分だけ年をとり、犬も同じように年をとっていった。
でも、時というのは誰に対しても平等に流れるというわけにはいかなかった。
ごく親しい間柄の者たちに対しても不平等だった。
いつしか犬は、「老犬」になっていた。
でも残念ながら、ぼくは老人にはならなかった。
——行ってくるぜ、じいさん
ぼくはそう言って会社に向かった。
ある時、犬は妙な——聞いているのがちょっとつらくなるような咳をしていた。
手入れのいい加減さを見ると、おそらく飼い主は予防注射もしていないだろうし、具合が悪くても病院には連れて行きそうもないような気がした。
でも、だからといって赤の他人であるぼくが何かできるというものでもなかった。
——大事にしろよ、じいさん
ぼくは心からそう願って会社に向かった。
犬はだんだん衰弱しているようだった。
妙な咳は相変わらずだった。
しかも喘鳴がもはや機械的な繰り返しをぼくの耳に伝播させることが日常になっていた。
喘鳴が習慣的になるとき、あらゆる生命はたいていその命を間もなく閉じる。
たとえそれが犬であろうと、人間であろうと。
どうかその音がぼくの耳ではなく、飼い主の耳に届いてもらいたいとぼくは願った。
ある日、思わぬ光景を目にした。
いつも犬が座っている場所に、仔猫がちょこんと座っていたのだ。
ぼくがいつものように一瞥を与えながら歩み寄ると、仔猫は驚いたように瞳がこぼれおちそうなくらいに目を見開いてあからさまな警戒を表した。
ぼくはちょっとあっけにとられていたが、すぐに門の内側から、以前に比べるとだいぶやせてしまった犬がのっそりと現れた。
仕事の半分かそれ以上が「歩くこと」であるような気がした。
ぼくを知る人はみな、どうしてそんなバカなことをするのだと不思議がっていた。
でも、こればかりは仕方がないのだ。
お前は歩いて通勤しろと、入社したときからずっとそう言われ続けていたからだ。
もしかしたら会社の上司はぼくがまわりの人間からバカにされるように仕向けたのかもしれない。
あるいは、ぼくが本物のバカであると本気で考えていたのかもしれない。
それとも、実は上司のほうが正しくて、ぼくだけが自分はバカではないと信じているだけなのかもしれない。
でも、おかげでぼくは健康そのものだった。
会社に通って間もなく20年になるけれど、風邪だってひいたことがない。
会社は朝の9時半に始まり、夕方の4時半に終わる。
だからぼくは毎朝3時には家を出て、夜10時に帰って風呂に入り、そのまま寝てしまうのだ。
朝食と夕食は歩きながら食べ、ランチタイムなんていう気の利いたものなく、仕事をしながら食べた。
自宅と会社のちょうど中間地点、家から最短ルートの裏道から、いよいよ大通りにぶつかる四つ角のところに古い家があった。
周りの家は「現代風」と言えば聞こえはいいかもしれないが、取るに足らないおもしろみのない家ばかりだった。
その古い家だけが、時の流れに取り残されてしまったようにひっそりと呼吸をしていた。
でも、ぼくはその不思議な空気がとても好きだった。
周りの新しい家にはそうした息遣いがなく、限りなく無機質な空気を気取っていた。
その古い家には独特の雰囲気があった。
そして、その家には1頭の犬がいた。
毛がフサフサした中型の雑種犬だった。
その犬を知ったのは、おそらく最初の出勤日だったはずだ。
最近では珍しく、その犬は放し飼いにされていた。
自由気ままに動くことができるのだから、ある種の宿命を背負わされなければならない多くの飼い犬よりはずっと幸運だったし、少なくとも野良犬よりはずっと幸せだったのではないかと思う。
若いころ——ぼくもその犬も——は、時間的にまだ車の通りが少ない大通りを走って行き来する姿をときおり目にした。
それ以外は、晴れてさえいれば必ず家の門の前で座って日の出を見ていた。
ぼくが犬に「おい」と声をかけると、犬はうれしそうに立ち上がり、フサフサの尾を盛んに振りながらぼくのほうに近寄ろうとしていた。
でもなぜか、門と大通りとの間の、その家のものとも国だか県だかのものとも判断がつかないやや大きなスペースの中の、目に見えないある境界線を越えてこちらまで寄ってくることはなかった。
犬は、自らの可動域をしっかりと把握しているようだった。
ほとんど毎日ぼくらは顔を合わせ、そしてあいさつをかわした。
ぼくがそうだったように、犬も見るからに健康だった。
暑い夏も、寒い冬も、ぼくは仕事を休まず、ほとんど毎日のように犬とあいさつをかわし、犬に見送られながら会社に通った。
来る日も来る日も、ぼくは会社に通った。
会社に通い、仕事をして、家に帰り、風呂に入り、いくばくかの睡眠をむさぼるように眠り、そしてまた会社に向かった。
酒も一切飲まなかったし、ぜいたくな食事も無縁だった。
そんなものはぼくにとってのそもそもの必要から縁遠かった。
さすがに冬は厳しかった。
その厳しさも、勤続年数とともに徐々にましていった。
犬は相変わらず元気だった。
でも、ぼくが声をかけても以前のように立ちあがってぼくを迎え、あいさつをかわすことはしなくなっていた。
手入れをされていないことをあからさまに示す毛玉が末期的な悪性腫瘍のようなにまつわりついたその犬は、ぼくを見とめると座ったまま静かに、しかし十分にうれしそうに尾を振った。
毎日が、電波時計の秒針のように正確な時を刻みながら過ぎていった。
ぼくもその年月の分だけ年をとり、犬も同じように年をとっていった。
でも、時というのは誰に対しても平等に流れるというわけにはいかなかった。
ごく親しい間柄の者たちに対しても不平等だった。
いつしか犬は、「老犬」になっていた。
でも残念ながら、ぼくは老人にはならなかった。
——行ってくるぜ、じいさん
ぼくはそう言って会社に向かった。
ある時、犬は妙な——聞いているのがちょっとつらくなるような咳をしていた。
手入れのいい加減さを見ると、おそらく飼い主は予防注射もしていないだろうし、具合が悪くても病院には連れて行きそうもないような気がした。
でも、だからといって赤の他人であるぼくが何かできるというものでもなかった。
——大事にしろよ、じいさん
ぼくは心からそう願って会社に向かった。
犬はだんだん衰弱しているようだった。
妙な咳は相変わらずだった。
しかも喘鳴がもはや機械的な繰り返しをぼくの耳に伝播させることが日常になっていた。
喘鳴が習慣的になるとき、あらゆる生命はたいていその命を間もなく閉じる。
たとえそれが犬であろうと、人間であろうと。
どうかその音がぼくの耳ではなく、飼い主の耳に届いてもらいたいとぼくは願った。
ある日、思わぬ光景を目にした。
いつも犬が座っている場所に、仔猫がちょこんと座っていたのだ。
ぼくがいつものように一瞥を与えながら歩み寄ると、仔猫は驚いたように瞳がこぼれおちそうなくらいに目を見開いてあからさまな警戒を表した。
ぼくはちょっとあっけにとられていたが、すぐに門の内側から、以前に比べるとだいぶやせてしまった犬がのっそりと現れた。
この記事へのコメント